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銃刀を使った殺人・同未遂事件には厳しい罪罰が適用される。
米国などでは、独特の建国精神から、銃の所持は自己正当防衛とされている。
正当防衛と言っても、正当防衛で人を殺傷することは合法的には難しい。
自分の生命が危険に晒されている状態を証明しないといけない。
自分が優位に立っている状態では、危険を排除できるのであり、
殺傷することは許されない。
(人間以外の同一種類の動物間では、殺し合いはなくて勝敗を決するだけらしい。)
日本では空手有段者は、殺傷能力があるとの前提がある。
だから、有段者は喧嘩をふっかけられても自分から攻撃しないが、
防御でも攻撃に相当する威力
本来なら、「武器よさらば!」の世界が欲しいものである。
ところが、車を使っての殺傷行為については、「危険致死」であり、
なぜか法的にあやふやである。
秋葉原無差別殺傷事件や今回のグアム無差別殺傷事件でも、刃物による殺傷は
付随して起こったが、最初は車で轢き殺そうとした行為が先行した。
両事件でも、通常の凶悪な殺傷事件にみられるような凶暴な風貌の
また、屈強な人物の姿ではなくて、女々しいような姿、心情の持ち主に
見える。
車による殺傷の後、さらに高まった精神高揚で犯人は凶器を持ち出しており、
他方で群衆は恐怖で混乱の中にいる。
非常に野蛮な行為だが、車を使うという卑怯な行為が先行している。
車を刃物以上の物体と捉えて、車の運転には刃物以上の罰則が必要では無かろうか。
台所で刃物を使うのは、一定の大きさなら許されるが、車も路上では一定のスピード
を越えたり、一旦停止などの規則を守らなかったり、歩道などを通過したら
刃物(銃刀法)扱いすべきではなかろうか。
精神的にも気弱な人間が、刃物と同等な車を自由に扱えるのでは、傍迷惑な話である。
車を刃物以上に怖い物体であることを意識した法体系が出来ても良いように
呆け頭は感じてしまう、グアムの事件であった。
日本人は車を名茶器のように愛して止まない民族であるが、メキシコなどでは、
バンパーなどボコボコの車が「乗り物」としての価値で走っている。
日本人には高級車を運転する人が上品に見えるようだが、全く間違っている。
刃物に乗っているにすぎない。
法的に「包丁」として見たくなければ、「日本刀正宗」ではどうだろうか?
休暇中の呆けの独り言である。
P.S.
今日の夕刊でも、武器であろう「ICBM」を持つ国に対抗するために
自分たちも「ICBM」をもつ、また、「原爆」を持つ国に対抗するために
「原爆」を持つ、という主張が国際的に通るような論調の国があるようだ。
「銃」をもつ人がいるから自分も「銃」を持つ、という思想と似ている。
しかし、武器はもたないことに越したことがないのは言うまでもなくて、
持ってはならない人が持っては危ないのである。
また、発射自体の成功率が高くない、 暴発の危険 があるようでは、
自分自身に真っ先に危害が及ぶのであり、所持することさえ危険であると
言えないだろうか。
発射の成功率が低い段階であり、暴発したら、隣人まで大迷惑に違いない。
人類共存のために、 「武器よさらば!」 を望みたい。
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