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先日は、友人達とのゼミの集まりで談笑した。
皆優秀だから、呆け頭には判りにくい話ばかりとなる。
彼らには中国、韓国などにも優秀な友人が多いようだ。
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話題の一つ;
「中国・韓国が日本の戦争犯罪人とされる御霊を祀っていることに
異議を唱えている。」
靖国神社が戦死者と共に、残虐行為戦犯を 合祀したことの問題である。
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もちろん、歴史認識として・・・・
何処の国でも他国との侵略戦争は起こしている。
自己の利益だけで戦争を開始した者はいないかもしれない。
国のため、国民のためと自己弁護するであろう。
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戦争そのものは、人類始まって以来起きている。
異議を申し立てている、多民族国家・中国でもフン族、モンゴル帝国(元国)
の時代には、それぞれ、遙かヨーロッパ、東欧まで征服している。
元、高麗の連合軍は元寇として日本に攻め寄せた時代もある。
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日本人は、神道を信じていて、その概念では
「人は死んだらみんな「神」(=自然の分霊?)になる」のである。
神と言っても、全能(オールマイティ)の神ではない。
各々の家庭の先祖の元に返るだけである。
小生は先祖崇拝の自然宗教と、太陽神宗教をそこに見ている。
死んだら「善悪・貴賤・金持ち貧乏」などの世間から離れて
みんなが平等な、先祖(=自然=神)の分霊?に戻るのである。
一般的な神道では、その家に宿る神様(=先祖?)をお守りしており、
死者はその家の神(の分霊?)に戻る(というより先祖に加わる)訳である。
仏教などのように戒名で「死後の偉さ」を示すような事はあり得ない。
一般家庭でお祭りする「家族限定での神」の概念なのです。
「神」というと特別な存在として、人間をつくり、生かし、死を迎えさせ、
その後の世界を統帥する大神も居るでしょうが、日本の一般的な神は
一般的な家庭に付属する神なので、死者の魂はその神の元に
帰属すると呆け頭は感じます。
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特別の意味を持った神々は、それをお祭りする人々が
特別の意味を持たせて祭礼するので、風土の神とは異なるように感じます。
これらの特別の意味を持つ神は、時の権力と結びつき絶対的な意味を
強めてきたのではないでしょうか。
ですから、家庭にいる神、もしかして「風土の神」と言った方が判りやすいかも
知れませんが、それと特別な意味合いから生まれた国家レベルの大神は
元々、同一ではあり得ない訳です。
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話は飛びます。
キリスト教、仏教では死後には決して、 善悪、貴賤などは「ご破算になる」ことはない。
キリスト教では「最後の審判」で「天国・地獄」への行き先が決まり、「聖人」がいる。
<最後の晩餐:WIKIPEDIAより>
閻魔様のいる怖い地獄の概念は仏教であろう。
宗教に疎い小生の言うことではないかも知れない。
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神道では死ぬと自然に帰る、つまりは「無=先祖=神」になるのである。
これは上記で述べたように、風土神の概念である、と呆けは考える。
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キリスト教では、免罪符が売れるほどに、来世に期待する。
南米でコンキスタドール(=征服者)として現地では悪業の限りを尽くしても
教会に宝物を持ち帰れば聖人として見なされるのではなかろうか。
「新世界には既に人類が陸伝いで小舟を使い移動し、
先住民として居住していた」のに、「西洋人は帆船で大航海を冒険した後に、
新世界を発見した人物を偉人・聖人という」。
もちろん、「プリミティヴで野蛮な風習に縛られていた原住民を解放した」
意義は有るかも知れない。
しかし、黒人を奴隷として使役し、新世界を開拓したことが
正当化されているのである。
先住民の土地の権利は制限され、未だに銃の個人保有が当たり前の
強き者の世界が新世界である。
新世界に住む人々の心の拠り所は現代ではキリスト教である。
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日本ではこのような、「他国侵略の正当化を容易に認めるキリスト教」を畏れて
弾圧したり、ついには鎖国までした経緯がある。
後に、アヘン戦争(1840-42)で押しまくられた中国のようにならぬように
予め、貿易窓口を長崎出島とし、貿易を中国、オランダに限定し、
鎖国(1639-1854)をしたのであった。
(この鎖国も米国東インド艦隊司令長官マシュー・ペリー来航で終わりを告げた。)
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また、仏教僧兵達が民衆を洗脳し反乱を起こすと見た、
織田信長は延暦寺を焼き討ちにしたのではなかっただろうか。
仏教徒は善悪を明白にしており、来世を大事にする。
僧兵は民衆と共に反乱を企図した。
僧兵が戒律さえ破る様を見て、神に仕える者ではないと信長は
解釈したのであろう。
宣教師ルイス・フロイスが「神」に対する信長の姿勢を
「日本史」で記しているのも興味深い。
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神道では「死んだらみんな神様」の概念から、
民衆も、戦争犯罪人も同じ扱いとする。
たとえ、一部の人を崇拝しようとそれは個人の宗教観の範囲である。
それと、合祀してしまったから、
灰には「死んだら同じである」感覚が宿り、
分離不可能である、と言うのだろうか。
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キリスト教国・ドイツではナチ党指導者ハインリッヒ・ミュラーが
第二次大戦ホロコースト計画の首謀者で、未逮捕、死亡未確認人物である。
キリスト教国では「悪」を働いて地獄に堕ちる人物であろう。
彼は、日本には生まれていないから、「死んだらみんな神様」と、
神道では裁かれない。
しかし、日本人の戦争犯罪人は、日本のために命を捧げた尊い国民と
同様に、平等に弔われるのである。
靖国神社では国に命を捧げた点で同一として扱うので、
参拝者は戦死者に弔いの言葉を捧げるのである。
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日本人は「死んだら皆神様」の考えだから、そのように世界に訴えようと
言う元商社マンの友人もいる。
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しかしである、キリスト教徒、仏教徒などに神道の世界観を理解して貰うのは
不可能である。
もっと難しい点は、日本人には「神・仏」を分ける考えはほぼ不可能である。
仏教が生活の中に入り込んでいるので、神(道)徒であり、仏教徒でもある。
日本人には、「和」の精神で何でも取り込み、吸収してきた国民性がある。
外国人に「神道ではこれこれ」、と言っても、日本人が神道オンリーではないことも
説得力に欠ける。
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細かく言うと、靖国神社には、国のために命を捧げたと言っても、
明治維新の「官軍」は良いが幕軍、反政府軍などは祀られてはいないという。
(又聞きであり、正否は確認していない。
このブログ自体が呆けの書き物であるから信用できない、というのが正しい。
明治に出来た神社だから江戸時代の死者には遡っていないのではないか。
ことによると、軍人、軍属中心で、原爆犠牲者、東京などの空襲犠牲者や、
沖縄の民間人などを弔っているのか判らない。)
そうすると、「死んだら皆神様」とは違うから
外国人には判って貰うのが無理であろう。
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呆け頭には難しい問題である。
日本人らしい妥協点では、国民のために命を捧げた同胞は、
人類的に犯罪人とされない限りは、全国民がこぞって弔うような
組織・・・聞くところでは既に存在している・・・を通して年祭を
行っては如何であろう。
できれば、郷土の偉人・坂本龍馬も居て欲しいものである。
無宗教家の呆けの独り言である。
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