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めいてい君 @ 日本の純資産~過去最大の純資産で円建てでは世界最大 [東京 28日 ロイター] - 財務省は2…

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Jul 18, 2016
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カテゴリ: アフリカ州

 エジプトの「ギザの三大ピラミッド」から

ナイル川を遡上する。

 遺跡を大量に飲み込んだ

(高台に移転などを余儀なくされた) 

二つのダム(アスワン・ロー&ハイダム)を越えて、

スーダンに入り、カルツーム(=Khartoum)までに至る当たりは、

古代に銀を産出したヌビア地区となる。 

 そこには、一時、カイロのエジプト王朝の

ファラオにもなったことがあるクシュ王国が栄えていた。

 ナイル川はここハルツームで、

白ナイルとしてのウガンダからの流れと、

青ナイルとしてのエチオピアからの流れに分岐している。 

 BC2200年頃、南部から移住してきた黒人集団がクシュ王国を建設。

エジプト王朝のトトメス1世がクシュ王国を滅亡させたが、

BC900年頃にクシュ王国は再興し、

逆に衰えたエジプト王国に攻め入りエジプト第25王朝を建国した。

 しかし、アッシリアに破れたためにヌビアに撤退、BC6世紀半ばには

首都をメロエに遷都し、メロエ王朝として知られた。

 メロエ王朝にも大量のピラミッドが残されている。 

 メロエ王朝はエチオピア高原のアクスム王国

(BC5世紀~AD1世紀までに交易国となり、320年代にコプト派キリスト教を受容)

により4世紀に滅亡させられ、3国に分裂した。

 ノバチア王国、マクリア王国、アルワ王国は、ともにキリスト教を1千年近く信仰した。

 しかし、イスラム勢力に押されて、

  ・1505年に、フンジ・スルターン国が、

  ・1596年にはダルフィールにもダルフィール・スルターン国が建国されて、

 イスラム化された。

  ・1821年、エジプトのムハンマド・アリー朝により、スーダン北部が征服され、 

  ・1840年に英国の保護下になったエジプトが、1874年ダルフィール・スルターン国

 を併呑する。

 マフディー国家(1885~1898年)が一時的に成立するが、

 ・1899年から英国とエジプトの共同統治下に入る。

 ・1924年以降、北部中心に独立運動が始まり、南北分断統治が採用される。

 ・1954年、自治政府が発足。

 ・1955年  第一次内戦:

  北部(=アラブ系イスラム教徒)

     VS

  南部(=黒人系アニミズム、一部キリスト教) 

 ・1956年スーダン共和国として英国から独立(~1969年)

 ・1958~1964年軍事クーデター政権

 ・1965~1969ウンマ党・国民統一党の連立政権 

 ・1969年軍事クーデター革命政権が国名をスーダン民主共和国と改称

 ・1971年ジャーファル・ヌメイリ大統領誕生

 ・1972年南部スーダンに部分的自治権の南部政府設置 

 ・1983年第二次内戦:

  北部=ヌメイリ政権

     VS

  南部「新スーダン」建設=黒人ディンカ人主体、SPLA:ソ連・エチオピア支援) 

  内戦の中で1984年以来旱魃とエチオピアからの難民流入があり経済困難 

 ・1985年軍事クーデター成功、ヌメイリ政権失脚(エジプト亡命) 

   国名はスーダン共和国に戻す。文民政権

 ・1989年軍事無血クーデター(イスラム主義組織民族イスラム戦線NIFと連携)

  オマル・バシール准将→政権・軍事権を一手に掌握しNIFのイスラム化推進

  (他方で、エチオピアの政権交代でSPLAは後ろ盾を失い、分裂) 

  ・1994年にバシール首相兼大統領がコルドファン州を北・南・西に3分割した。

  SPLAは新たな後ろ盾をウガンダに求めていたが、ウガンダの反政府軍の

  「神の抵抗軍」はウガンダ政府軍との戦いで、南スーダンへの越境を開始。

   ウガンダとの関係は1997年第一次コンゴ戦争終結で軟化した。

   バシール政権(国民会議NC;NIFを改編)は、第4次ウンマ連立政権

   (2002年~2005年)で、野党(イスラム主義中道派ウンマ党UP,

  中道リベラル政党「民主統一党DUP」からの分派)取り込みに加えて、

  SPLAに対する柔軟姿勢を示した。 

  また、西部にあるダルフィール地方3州では、定住民フール人(アラブ系、非アラブ系)

  VS遊牧民ザガワ人などとの対立で、政府支援の民兵組織による民族浄化が

  国際問題化し、難民が隣国チャド(ザガワ人大統領)に大量に流入したため、

  アフリカ連合が監視要員派遣を決定した。(→ UNAMID

  ・2005年1月9日「スーダンにおける南北包括和平合意CPA 」を署名。

  バシール大統領とSPLA最高司令官ガランを第1副大統領とする

  暫定政府発足。条件:6年間の暫定統治後、南部で住民投票(連邦制or独立) 

   しかし、直後のガラン長官ヘリ墜落事故死が憶測を呼んだ。

   紛争地帯は、西のダルフィール、東部地区のペジャ人優勢地区、

       アビエの南北係争地、南コルドファンと青ナイル州の南北係争地にあった。

 ・2010年4月総選挙で、バシール大統領再選、 キール南部政府大統領当選 。 

 ・ 2011年 1月南部自治政府による国民投票が、国連の投票監視団のもとに

      行われて、南スーダンの有効投票総数の約99%が「分離」を支持。

 ・ 7月9日 南スーダン共和国として独立

  独立前日に国連南スーダン派遣団 UNMISS が採決されて、

  翌日から司令部を首都ジュバに、PKOを主任務とする約8000名の部隊の

  駐留任務を実地している。

  1.現在に於ける任務:文民保護、人権状況監視・調査、人道支援実施の環境作り、

          衝突解決合意の履行支援

  2.派遣規模:

       ・軍事・警察要員 計13,072名、

       ・文民要員     計2,002名

       ・国際ボランティア     計    435名 

  3.要員派遣国:

      印、ルワンダ、ネパール、エチオピア、中国、モンゴル、ケニア、ガーナ、

      バングラデシュ、 日本 など計63ヶ国

  4.犠牲者数:

      42名(事故12名、病気16名、敵対行為11名、その他3名)  

  5. 日本からの要員派遣

      司令部要員 4名

      施設部隊 353名

  6. 活動期限 2016.7末(撤収10.31)

  7.予算   10億8577万ドル 

 ・2012年1月

  スーダン政府との原油交渉停滞で南スーダンは生産停止 

 ・2012年4月、

      南北スーダン国境紛争で南スーダン軍がスーダンのコルドファンにある

  ヘグリグ油田を占拠。

 ・2012年8月南北両政府会談が行われて北部原油パイプラインを

      南部が使用する料金および財政分割補填などを合意。

 ・2013年4月

  南スーダンは原油生産再開 

 ・ 2015年8月キール大統領、マシャール元副大統領 など関係当事者が

  「南スーダン衝突解決合意文書」に署名 

/////////////// 

  国連PKOにおける死亡被害は、

   2012.12.22・・・露ヘリコプター誤爆撃  4名死亡

   2013.4.9・・・武装集団襲撃 印度兵士5人(+民間人7人)死亡

         2013.12.14 ・・・首都・地方でクーデター未遂事件 印度兵士3人死亡

 ///////////////

 このほかにも国連アビエ暫定治安部隊 UNISFA (本部アビエ、展開アビエ地域)

  ・・・活動期限2016.5.15

   予算 2億6826万ドル

   任務 SAF(スーダン政府軍)およびSPLAの再配置の監視・検証

      およびアビエ警察隊を除くアビエ地域の非軍事化

      暫定取り決め合意に規定するアビエの地域機関参加

      地雷除去支援および技術的助言

      人道支援提供、人道要員自由移動のためのアクセス促進

      要員訓練を含む支援提供によりアビエ警察隊能力強化

      および法秩序に係る事項に於けるアビエ警察隊との調整

      アビエ地域石油インフラ警備など

   派遣規模:

      軍事・警察要員 計4,562名

      文民要員    計    202名 

                 国連ボランティア   計      31名

   要員派遣国:

      エチオピア、ガーナ、ジンバブエ、タンザニア、イエメン、スリランカ、ナミビア、

      ネパール、インド、カンボジア、ルワンダなど25ヶ国

   犠牲者数 20名 

  このほかにも、スーダン西部にダルフィール国連・AU合同ミッション UNAMID

 もあるが割愛する。  

スーダン分離前

  < 分離独立前

分離独立の南スーダン

分離独立後のスーダン

PKO南スーダン

★ 

 スーダン共和国VS南スーダン共和国との紛争に加えて、

南スーダン共和国内部でもキール大統領(カトリック・ キリスト教徒、 ディンカ族)、

マシャール元副大統領(アニミズム、ヌエル族)の抗争が燻っている。

 次号に記載予定。 

★ 






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Last updated  Jul 20, 2016 10:54:49 AM
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南スーダン 死者大幅増の可能性 PKO局長が指摘;第1副大統領、首都を離れる 元反政府トップ;職員退避始まる 国連派遣団=毎日  
めいてい君  さん
国連のラズース平和維持活動(PKO)局長(事務次長)は13日、安全保障理事会で南スーダン情勢について報告し、首都ジュバで発生した戦闘により少なくとも272人が死亡したとする政府発表は「氷山の一角」と述べ、死者数が大幅に増える恐れがあるとの見方を示した。情勢は「流動的かつ不安定だ」と懸念を示した。ラズース氏は、戦闘でPKOの南スーダン派遣団(UNMISS)のヘリ1機と固定翼機2機が被弾したことも明らかにした。国連関係者によると、陸上自衛隊が保有する機体ではないとみられる。2016.7.14
・・・
ロイター通信によると、南スーダンの元反政府勢力トップのマシャール第1副大統領は13日までに、指揮下の兵士らと共に首都ジュバの外に出た。マシャール氏の報道官が明らかにした。対立するキール大統領派との衝突を防ぐためだという。2016.7.14
・・・
国連南スーダン派遣団(UNMISS)は15日、基幹業務に関わっていない職員の国外退避を始めた。首都ジュバに滞在しているUNMISS関係者が明らかにした。南スーダン政府軍と元反政府勢力の戦闘激化を受け、UNMISSや他の国連機関は職員を隣国ウガンダなどに出国させる。民間人の保護や人道支援などは継続するとしている。平和維持活動(PKO)に参加している自衛隊など各国部隊は南スーダンにとどまっている。
現地ではここ数日停戦が維持されているが、元反政府勢力トップのマシャール第1副大統領は首都を離れたままで、依然不透明な情勢が続いている。毎日新聞2016.7.16 (Jul 18, 2016 09:33:23 PM)

南スーダン 首都治安 急速に悪化 各国・機関が要員国外退避 陸自は駐屯を継続=しんぶん赤旗  
めいてい君  さん
南スーダンの首都ジュバで10日に勃発したキール大統領派とマシャール副大統領派の戦闘で現地の治安情勢が急速に悪化し、各国・国際機関は対応に追われています。日本もジュバに駐在する邦人約70人のうち、大使館員4人とJICA(国際協力機構)関係者47人がすでに退避しました。
・独は大使館閉鎖・・・国連南スーダン派遣団(UNMISS)は14日、派遣団や国連関連機関の一部要員の国外退避を決めました。住民保護施設の運営などの重要な作戦は継続するとしています。UNMISSに参加する陸上自衛隊約350人は駐屯地が置かれている国連施設にとどまったままです。現地メディアによると、ドイツ空軍機は13日、ジュバのドイツ人、オランダ人など民間人約200人の避難を完了。ドイツ大使館員も全員退避させ一時閉館の措置をとりました。オランダの大使館も最小限の人数を残して職員を帰国させました。衛星放送アルジャジーラによると、隣国ウガンダは、自国民救出のためとして、武装護衛を付けた軍のトラック50台を越境させました。キール大統領から入国の許可を得ているといいます。
・政府軍の略奪も・・・またジュバにある世界食糧計画(WFP)の最大の倉庫は略奪にあい、避難民22万人の1カ月分の食料と栄養食品が奪われたといいます。スーダン・トリビューン紙は、略奪が政府軍によるものだと報道。現在WFP職員は現場を訪れることができておらず、UNMISSの軍事要員に現場の確認を依頼、大規模な略奪を確認したといいます。国連の潘基文(パンギムン)事務総長は14日、ルワンダのキガリで南スーダン大統領特使と会談し、現在の状況に「深い懸念と失望」を表明。両派にジュバの非武装化を求めました。他方、大統領派部隊からの攻撃を逃れて国外に滞在しているマシャール副大統領は15日、事件後初めてアフリカ向けのBBCの番組で見解を表明しました。滞在国を明らかにしなかったマシャール氏は、大統領府でキール大統領と会談している最中に戦闘が起こったことについて、「私を殺すことを狙ったものだ」との見方を示しました。首都への帰還については、外国軍が首都に駐留し、治安の責任を取る状況が生まれることが条件だと述べました。しんぶん赤旗2016.7.18

(Jul 18, 2016 09:39:19 PM)

空自機、邦人輸送を実施;南スーダン在留邦人47人が退避=共同通信、Reuter  
めいてい君  さん
治安情勢が悪化した南スーダンの在留邦人の退避を支援するため派遣された航空自衛隊のC130輸送機が14日、首都ジュバに到着し、残っていた日本大使館員4人を乗せて出発した。活動拠点とする近隣国のジブチに同日夜に戻った。到着した大使館員の女性は共同通信の取材に「ほっとしている。まだ南スーダンには20~30人の在留邦人がいるので心配だ」と述べた。これに先立ち中谷元・防衛相はC130輸送機を、ジブチからジュバへ派遣する命令を出したと明らかにした。菅義偉官房長官が防衛相に代わって手続きをした。訪問先のインド・ニューデリーで記者団に語った。共同通信2016.7.15 00:14
・・・
政府側と元反政府勢力の戦闘が再燃した南スーダンの首都ジュバから13日、国際協力機構(JICA)の関係者ら在留邦人47人が退避し、チャーター機で隣国ケニアの首都ナイロビに到着した。ジュバには大使館員や国際機関職員の日本人20人余りが残っているという。JICAの古川光明・南スーダン事務所長はナイロビの空港で「全員無事に退避できて安堵している」と語った。
外務省によると、チャーター機はJICAが手配。計93人が搭乗し、このうち政府開発援助(ODA)に関連する外国人が46人だった。共同通信2016.7.141:17 (Jul 18, 2016 11:12:04 PM)

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