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高い樹の梢の間を,四十雀がツーピィツーピィと鳴きながら動きまわっている。姿は見えないが,語尾を高くする鳴き声で名前を知る鳥とわかる。垣根の向こうでは,日本語でしゃべる人間が何人か歩いている。こんな私でも,生き物の種類の区別を知っている?名前を知ることで,知らなかった生き物に親しくなった気もする。名前を知ることで安心して,分かった気になっている。便利なようでそうでもないかも知れない。「四十雀姿は見せず若葉かな」「歳とりて草の名を知る春うらら」以上メールで更新昨日のコメントの返事は後ほどに。
2012/04/25
春の薄いパステルカラーの空の下。 手を見る。目に見える私の手だ。 それを自分の 手の全体だと, 思っている。 あるいは,鏡に映る姿を自分だと思って疑いもしない。 それは外から見える私なのだ。 目に確認できるものが自分という全体ではないだろう。 内部感覚で内から感じる自分の手。 手から広がる周りの環境の感覚。日のあたる温度,風の動き。 気あるいはオーラという身体から広がる層。 超能力なんてものでなく。 感覚の内からの広がりが自分の本体かなと思う。 母の胎内で繋がっていた命。 いま春の空にも繋がっている。
2012/04/24
どこからがヨガか?どこまでがヨガか?狭い意味では,インドの伝統的瞑想やそれにもたらされる境地を意味してるし,インド哲学の一派だ。プルシャとプラクリティ,ブラフマンとアートマンの関係を体感することだ。現代的な狭いヨガの意味は,ヨガポーズを実習することだ。伝統的なインドのYOGAがヨーガで,日本化したものがヨガと呼ばれると区別する説もある。わたしが習ったのは,広義のヨガの意味だ,東洋の身体観,宇宙観に基づく身体操法すべてヨガの範疇にいれる考えだ。多国籍健康法修業法の集まりが日本ヨガなのだ。ではヨガポーズをすればヨガなのか?ラジオ体操はヨガにならないか。ヨガポーズに見えても,ある要素が抜け落ちてればヨガでないし,ラジオ体操でも,ある要素が入ればヨガと呼んでもいい場合があるだろう。それがヨガの最小公倍数なのだ。ヨガ,ヨーガを愛する人には,その要素が何か追求していただきたいと思う。 以上メールで投稿
2012/04/19
空模様が怪しくなって, 近くで雷が鳴り出した。 公園のベンチで一休み中。 桜の花びらと一緒に小雨も落ちてきた。 でも構わない。 しばらくこうしていよう。 空のエネルギーを感じ 季節の移りを楽しもう。 この間は,大風のなか外へ出て 風のエネルギーを体感した。 地球を感じられる ちっぽけな私の 至福のひと時。 「春雷や 空に季節を 動かして」
2012/04/17
1 自然体で立ち、体をねじらない様にして首から上だけで左右振り向いて、 どこまで見えるか、 首の動く感じはどうか、 覚えておきましょう。2 こぶしを握って、中指だけ伸ばします。 その中指をペンに見立て空中に字を書いていきます。 顔は正面のまま眼と手(腕)だけ動かします。 天井に向かい ”上”の字を大きく中指で書きます。 床に向かい”下”の字を大きく書きます。 同じように左に”左”の字、右に”右”の字も書きましょう。3 利き手で無い反対の手でも、 中指を使い同じように上下左右の字を書きましょう。4 最初と同じチェックをしてみてください。 左右振り向いて見えるところ。 首の動きが違っていると思います。これは指ヨガの応用です。五指の中指の部分は頭から首・背骨に対応しています。中指の第一関節のところを持ち、軽く”ねじねじ”するだけで同じ効果がだせます。それにこの動きでは、眼の運動を加えています。全身は連動しています。眼を良く動かせば首の動きも良くなります。舌を動かせばまた変わります。だまされたつもりで実験してみてください。ヨガポーズをするときも、視線、指の意識、口の中の意識が大事です。、
2012/04/11
桜が満開だ。その枝ごと風を受け,さまざまに揺れるさまを見上げて見る。木々の重量感ボリュームを肌で感じてみる。花の時期と葉桜になった時の,存在感,雰囲気の違いを思う。地面に落とす影だって違う。すぐ写真に撮って何が残るか?作品は残っても桜と見るものの空間と時間は残せない。すぐ写真を撮って満足することより,今この花の存在を味わう。そして少し酒があればいい。幸せな一時に乾杯できるから。。
2012/04/09
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自分がかねてから考えているのが、東洋の養生思想をふまえた広い意味のヨガを整理してつくると言うことだ。もともと自分が学んできた日本化したヨガには、その傾向があるのだがその養生面を表に打ち出したヨガを整理発表していきたいと思う気持ちがつよくなっている。世の中に年配者が多いので、その方たちを対象にして一儲けしようというのではない。養生やヨガという言葉・内容は、みんなで大事に守っていくべき文化的財産だ。登録商標するなんてハートのない人間の証明にしかならないであろう。現にそういう、伝統的言葉を商号にしているコマッタのがいるのが現実だが。わが身も歳を重ねて、激しく体を使い、突き詰めて行くヨガよりものんびりとするヨガを求めているのかもしれない。この数年、養生という言葉に引かれ勉強してみた。 「からだを なでる 擦る 手を当てる 暖める 関節を動かす」 それで体がどう変わるのか 動き出すのか 休まるのか。これを読んだ人は試して見るといい。やる前とやった後は違うはずだ。謙虚に丁寧に自分の命の働きと向き合うこと。氣血というエネルギーの概念、積極的休養の意義を生かした日本のヨガ。それが私の考える養生ヨガだ。そして試したあなたの養生ヨガだ。
2012/04/08
いつのまにか今年も4月ようやく桜が咲いた。日は照っても、空気はまだ冷たい日が多い。先週は大風が暴れまくった日もあった。その日、雨風が収まった夜の遊歩道を通って家に帰った。花見のため遊歩道に掛けてあった提灯も、だいぶ風にやられ壊されていた。つぼみのままの桜の小枝も地面に落ちていた。それを拾って帰り、ガラスビンに水を入れ窓際においていたら、ちゃんと花を咲かせてくれた。風で落ちた小枝の中の桜の命、働いていた。
2012/04/07
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