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再度体調不良。朝から頭痛と疲労で起きられなかった。無理やり言ってきたけど、仕事。頭痛は未だに抜けん。そろそろ薬でも飲むかな。あまり気軽に飲むと、次が余計に辛いから嫌なんだけど。上の人が言う事を聞いて当然、と思っている人と話を少しして、うんざりした。一見淡々としている癖に、言葉の端々に批判して恩着せがましいいい方をして行った。いや、無理言っているのお前なんだけど、って思った。仕事の合間の話だったから、そのことは言えずに終わった。下手したら、分からなくて仕事の相談しても意地悪な答えをされるとこまる、と言う保身も働いた。でも当人にしては、上の人が言う事をしたの人が唯々諾々と聞くのは当たり前なんだろうなって感じた。私が反論したり嫌がったりするのを理解できないようだった。そもそも配慮して話すって感じじゃなかった。上の人が言うからその通りに聞いて当然、と言ういい方だった。だから余計に反発したのだと思うけど。同時に今まで自分が他人に対して、やって当然、当たり前、何でやらないの?って思ってきたことも、本当は違うかもしれんな、って思った。当たり前のことなんだけど、私の中の誰かが、それを頭の知識だけで理解していた気になった。それをようやく腑に落ちた感じがした。誰かに何かをこうあるべきって強要するのは、ある意味すごい暴力だなって、ようやく理解した。本当に今まで分かって無かった。恥ずかしい。でも本当に、「当たり前」「当然」って何なんだろうな。人としてやるべき事とか、人として、とか。色々と気づいたり知ったりすると余計に混乱する。頭痛が収まるまで、当面思考放棄。
2012.03.31
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昨日からなんかまたどこか切り替わった。多分表に出やすい人格の影響もあるのだろうけど。先日までは陽ちゃんとそん壊れた部分が出るのが多かった。一種の逃避で、でもその時はそれが本当で。今はまた少し違う感じ。強いて言うなら貴夜ちゃんが出やすくて、表向き強気な発言が増えている感じ。でも根っこの方では自己卑下がうごめいて、面倒くさがっているし、同時に壊れた部分も健在で。ガッツリ乗っ取られまくっていたのが、ちょっと控えめになった感じに似ているかも。こうなると今まで見ていた部分を、しっかり感じたり見ていくことが困難だ。吐き出しも難しくなる。一度出してある程度気が済んだのかもしれない。でもまだまだな感じはする。でもあの壊れた部分は本当にすごいエネルギーなので、疲れるので連日そうだとちょっと大変かも。多分壊れた部分も疲れてお休みなんだろうな。でも簡単に人を呪う部分は何処か健在。そう言えばこういう怒りとかそういうのって、以前は日常茶飯事だった。毎日のようにその狭いグルグルの中で、思考が空回りしてて、狭い視野で物事を見て。そりゃあ、色々大変だったな、って思う。しかもその視野から出て行動しようとすれば、母親に足を引っ張れ頭打ちにされ、そこから出られないようにされていた。それによって律が固まってさらに閉じこもって、陽ちゃんは更に歪んで逃避して放棄した。結果余計に狭いところでグルグルしていた感じはする。外に発散できないからこそ、どんどん狂って行ったのかもしれない。発散の仕方も良く分からなかったし、下手に発散したら余計にヒステリーを起されたり、その他諸々あったからな。ちぃはそれこそ何処かに閉じ込められていたし、余計に動くエネルギーが何処にもなかった。そんな中で貴夜ちゃんは一人奮闘していたな。それがたとえプライドと言われる行為であっても、この人格が一人アクティブに動こうと頑張っていた。1対多数で勝てる訳ない。結果どんどんプライドを膨らませて言ったのは手に取るようにわかるな。ともかく、今は、ちょいとおやすみ気分。しばらく本に没頭予定。
2012.03.30
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ひさしぶりに「休暇」と言う感じの過ごし方をした、様な気がする。晴れていて暖かかった事もあると思う。午前中から出かけたのもあると思う。お昼に試験を一つ受けて来て、無事合格したのもあるかな。久しぶりに大きな本屋に行って、新刊と気になっていた文庫をかって、ついでにハンズの春セールをみて、無駄遣い?をしたのもあるかもしれない。服も見てきたが、こっちはあまり買う気になれなかった。体も結構楽だった。3月は本当に体が辛かったな。風邪が治らないし、体調は一進一退で。全然暖かくならないし。モクレンのつぼみも大分大きくなって、咲き始めてた。今年はちょっと遅い気がする。ともかく、今日は出かけたけど、めいっぱい楽しんだ感じがする。来週こそは着物でお出かけだ。
2012.03.29
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今日いきなり来月シフトの変更があり勝手に休みが減らされた。最初にシフト出てから1週間もたってからの変更だ。ちょうど気ものイベントがある日で、参加しようと思っていた日だった。あまりのことにムカついたが、気付いたのが会社を出てからだったので、抗議も出来なかった。それから家に着くまでずーっと怒っていた。完全に陽の奥にいる壊れた人格が前面に出てて、でもそれを出すと色々と支障があるので、内面だけ怒り発散(ただしかなり雰囲気は怖いと思う)になった。本当にこの人格が出てくると、世の中全員を呪い殺すような悪態をつくことになる。また完全に自分の都合と要望だけを推し進めることも平気で出来る。他人などどうでもいいから、余計に。今は表向きの人格が出ているので、そりゃまずいだろう、って分かるけど、でもその人格に乗っ取られている時は、それが分からない。ハッキリ言って理解の範囲外。そもそもの暴挙をしたのは相手なんだから、同じくらいの事をして当然、くらいの感覚。逆にそれくらい認めろバカ、と言う気持ち。ある意味当たり前で正当で、でも同時にとことんどんどん壊れておかしな方になっているのが分かる。下手したら相手を傷つけて大笑いする感覚にまで行きつく。思い通りにならない奴は死ね、とも思う。一般常識などハッキリ言って表向きのキレイゴトにしか見えない。くだらなさ過ぎて、バカみたいだと思う。下らない枠組みや慣例を押しつけて、それが当然と思っているんじゃねぇ、とも思う。ともかく自分の意思を無視されたことに対して、とことん怒る。挙句の果てに相手を傷つけてもいいとも思う。それくらいの極みになる。私は。確かにこれを表に出したらまずいだろうな、とは感じるが、でも、この人格のその思いや行動を否定と言うか、無理に矯正しようとは思えない。理由が無く相手を傷つけようとする行為に走ることが無いからだ。絶対に何かある。正当かどうかは置いておいて、実際にそれがどんな歪んだ方へ進もうともだ。ただただ、まずは受け止める。何かするとしたらそれを十分にやった後なんではないかな、と思う。ただ本当にその時が来るのかはよく分からない。でも、ただ受け止める。表現は。しても多分かなりの割合で拒否されると感じるし、今までそうだった分、ここに書く気にはなれない。
2012.03.28
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愛されたかったな。必要とされたかったな。怒られてもなにされても良かったから、ただ単に愛されたかったな。大事なんだよっていってほしかったな。あんたなんかいらない、何て言って欲しくなかった。産まなきゃよかった、と言われたくなかった。憎悪と嫌悪の籠った目で睨まれたくなかった。我儘言うなら。何をしても愛されたかった。何をしても許されたかった。無条件で受け入れて欲しかった。私の事を分かって欲しかったな。何も言わずに切り捨てて欲しくなかった。無視して欲しくなかった。でも。中半端に構って欲しくなかった。毎日対応が変わって欲しくなかった。行っていることがころころ変わって欲しくなかった。ちゃんと。私がここにいて、意思があって、何もわからない訳じゃないのを知って欲しかった。幼い頃。大事にされたかった。愛されたかった。それって望むのが我儘だったのかな。それって普通に欲しいものじゃないのかな。別に身の程知らずな望みじゃなくて、普通に、普通ならそうされることでは無かったのかな。「愛されていた、大事にされていた」そう周りは言うけど、私は全然そんな覚えが無い。ほかの人がいるところではそう見えたかもしれない。でもお家の中じゃそうじゃ無かったよ。居なくなればいいのにって言われ続け、どうやったらそれを感じれるんだろう。機嫌のいい時は「大事だ、好きだよ」って言うけど、そうじゃない時は全然そんなこと言わなかったし、「そんなこと言った覚えが無い」って切り捨てられた。どっちが本当なのか分からなくて、結局「大事だ」ってのが嘘だってわかった。そう、おかあさんの言う大事とか好きってのは全部嘘。本当は全然そんなこと思っていなかった。だから。もうどうでもいい。嘘ばっかり言われるくらいなら、最初っから嫌いだって言ってくれた方が良い。中途半端に構わなくて良い。好きだなんて嘘なんか言わなくて良い。そんな嘘を言われたら、殺したくなるから言わなくて良い。もういい。誰も私を必要としない。でも。本当なら愛されたかったな。
2012.03.27
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で、今日は思いっきり体調不良。ぶっ倒れる寸前。会社に行ってからいきなり来たから、参った。座り仕事で良かった。じゃなきゃ、仕事にならなかった。本当ならぶっ倒れて寝たかったのに、むりをした。それが当然になっているから、不思議と思わなかったけど、でも本当なら自分労わって休んでも良かったんじゃないかって思った。自分を追い込んでいじめるのが当たり前で、他人に迷惑をかけたくないとか、アレコレ言われたくないとか、そんな事で無理するのが当然で。全然自分に優しくなく、もちろん周りにもできない。なんか、どんどん壊れていくな。いや、どんどん壊れた状態に戻っていくな。本当に何で生きてるんだろ、自分。自殺出来ないからで、でもそれが当然で。泣きたい気持ちが沢山あるのに泣けなくて、表には出てこなくて。理由もなく泣いていたら怒られたり困られるから、表現もろくにできない。うっとうしい。頼むから構わないでくれ。どうでもいい人間で、居なくなっていい人間を、何故構うのだ?放っておけばいいだろう。そうして冷ややかに見てればいいだろう。中途半端に構われる方が、面倒だし嫌なんだよ。どっちかにしてくれ。そう思う。疲れているから、体調悪いから余計に、ネガティブ全開になれるな。周りにとっては迷惑だろうけど。
2012.03.26
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熱田神宮に行った後、内面で噴き出した。外に出なかった分昇華されないんだが。私の中に、狂った壊れた私がいて。他人を恨んで憎んで怒りやら何やらを振り散らしまくっている私がいて。正確には一度壊れて狂っていて死んでいて。そのネガティブなものを極めたのだと思うけど、壊れたのは確かで。今の私はそのまま壊れたまま居られなかったから、仕方なく作り上げた私だった。そんな事を思い出した。いわば一種ゾンビなんだよな、私。そんなゾンビが一生懸命人間になろうとして、必死に生きているっぽい感じを掻き集めていびつなまま生きてきた。壊れた部分を修復したり何かした訳じゃない。だから時々ほころんで、その壊れた部分が顔を出す。そうすると周りから余計に敬遠され。必死に繕って生きてきた。でも本当は生きてない。それでも生きたいと思った。本当に死ねないから仕方なく、引きずりながらようやく生きていた。でもそれじゃアレコレ周りがうるさいから、そうじゃないように頑張ってみたりした。でも無理なんだよな。死んでるんだもん。生きてないもん。生きている人と同じに何かなれない。生きることも放棄してたもん。「生きる」ってことをしてこなかった。フラメンコを習っていた時、本当に「生きる」ってことをしたいと思った。そうじゃないと表現できないものがあった。でも生き方が分からなくて、結局逃避した。それから必死に「生きる」ってことを求めていた。そしていつの間にか何かとすり変わった。死んでるのを忘れた。だから余計に歪んだのかもしれないな。私の中の狂って死んでる部分は、本当に壊れていて。その分平然と周りに喧嘩を売れるし、傷つけるのも平気だし、逆に人を傷つけることが楽しいってのがある。自分の気分で平然と破壊行動にも走れるし、周りなんてどうでもよい。自分の邪魔さえしなければ、どうなっても関係ないと思っている。壊れたり傷ついて泣いたり困ったりするのを見て、狂ったように哄笑をあげて笑っている。怒りをまき散らしネガティブをまき散らし。それ以外分かって無い。死ねばいい。そう平然と言えるし、実際に目の前で人が死んだら大笑いする。他人?そんなの知らない。どうにでもなってしまえ。だってそれしか知らないし。そうやって育てられたし、ほかの事を求められても知らないからできる訳が無い。鬼?人非人?でもあなたが私にしたことが、私をそう言う風に育てたんだよ。貴方が鬼で人非人で血も涙もない事をしたから、私はそうなった。ザマアミロ。自分のしでかした事をちゃんと見ろ。お前が子供を血も涙もない人非人の鬼として育て上げたんだ。子供が悪い訳じゃない、お前のやったことが悪いからだ。未だこの期に及んで自分は悪くないと言うのか。お前はどれだけ被害者ぶるのか。お前は被害者の振りをした加害者でしかないくせに。子供に何やっても良いとひどいふるまいをしたつけがこれだよ。罪悪感で持って狂い死ねばいい。そう言って笑い続ける自分がいる。辛かったさびしかった誰かに助けて欲しかった、でも誰も居なかったしどうしようもなかった。だから狂った。自分を守るためにどんどん狂った。全ての感覚を殺し、感じる全てを断ち切って。自分を殺した。でも死ねなかったし自殺出来なかった。そしてゾンビになった。とりあえず、前向きで明るい事を言っていたり、そう言う姿勢でいれば誰も追求してこなかったし。でも生きてないからそう言うのは、本当にはならなかった。どんどんずれておかしくなっていったけど、直し方が分からなかった。取りあえず取り繕って生きてきた。うん、やっぱり今の自分ってゾンビだよな。
2012.03.25
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体調が毎日良かったり悪かったり。今日は悪め。頭痛と疲れが相変わらず取れない。3月に入ってから不調気味。そのせいか色々と面倒で放置したい感じもする。掘り下げた分が表面化してて、自分の無価値観と無気力を増幅している感じもする。むなしさと、面倒くささと。なんとかしようという気持ちも無い。仕方ないので当面浸る予定。体調不良と色々な都合で着物が着れない。ストレス。気軽に着れて家で洗える綿の着物を探してる。実物はなかなかない。思い切って通販で買うかな~。ともかく落ちてる。当面底にいるかもしれない。
2012.03.24
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立ち止まっていながらも今できること。今あるものをすべて認めること。今までの価値観からのジャッジを止めること。手探りながらも自分を愛することをし続けること。自分の感情を垂れ流すこと。無理をしないこと。やりたいことはできるだけやること。分裂人格達の側にいること。何も出来なくても、側にいること。一緒に喜んで一緒に怒って、全てを認めて受け止めること。でも譲れないことは譲らない。掘り下げて根っこの気持ちを認めること。そこから逃げないこと。逃げても戻ってくること。まあ、そんなあたりかなぁ。-------昔々、あまりにも毎日が辛くて、何故生きているか分からなかった。何故こんなに辛いことばかりあるのか、分からなかった。何故自分の気持ちを分かってくれないのか認めてくれないのか、分からなかった。毎日が嫌だった。親が嫌いだった。ほかの親の下に生まれたかった。でも他の誰も育ててくれる人などいないと思った。だから我慢するしかなかった。死にたかった。でも自ら死んだら辛い所にとどまらなくていけないと知って、何故辛いことから逃げるために死ぬのに、そこに居なくちゃいけないのだろう、と不思議だった。だから。仕方なく生きた。今いる辛いところからちょっとでも出れるように、死んでもう少し楽な所へ行けるように。でも本当はどうでもよかった。生きることも死ぬことも、死ねればそれで良かった。でも死ねなかった。だから仕方なく、でも毎日生きるのは辛かったから、ちょっとでも楽しいと思うことに固執した。それ以外はどうでもよかった。早く死にたいと思った。早くこの世界から消えたいと思っていた。でも死ねない。どうでもよく生きていたから、ほかの生き方が分からない。仕方ないから見よう見まねで生きていた。なんとか取り繕うと必死になった。成功したように見えた。でも違った。結局何度もここに戻る。毎日が辛かった。誰にも愛されずにいるのが嫌だった。求めても誰もいてくれない。でもどうやってそこから出れるか分からなかった。あがいてあがいて。そうして今ようやくなんかの端っこを掴んだ感じがする。最初の違和感。それをもっと大事に出来ればよかったのかな。
2012.03.23
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昨日掘り下げをして、自分の中にものすごい人間不信と自己アイデンティティの喪失と、頑なな他者を拒むものを持っているの気づいて、呆然とした。これ、一体どうすればいいのだろう。癒すとか受け止めるとかそういうモノの前に、こんな私を一体どのようにしたらいいのだろうと思った。自分だから、納得するし仕方ないなって思うし。でもこんな思いを抱えてこれから先生きていくのは、大変だと思う。今までのように奥底に沈めて気づかなければ良かったかもしれないが、気付いて分かってしまった以上知らないふりはもうできないな、って思う。何せほとんどの原因がここからだと言っても良いんじゃないかって思ったから。ちなみにこの思いは、多分陽ちゃんが抱え込んで隠していた感じはする。根っ子は律だけど、隠したのは陽。当時はそうなるは仕方ないと思う。でも今はそれでは駄目だなって思う。でも、じゃあ、どうすればいいのか、って辺りで実際に自分がどうされたかったか、ってのが問題で。どうされたかったんだろうな。違うって言って欲しかったし無条件に愛されたかった。でも今それをやろうとすると、何処かで、「今更?」って言う声が聞こえる。受け取ることを拒否する私もいる。やさぐれっぽく見えるけど、もっとたちが悪いな、コレ。他者を信じず自分さえも信じず。今まではそれじゃ駄目って、必死になっていたが、そうじゃないよなって最近は思う。信じないのもありだし受け取れないのもあり。それが悪い訳じゃないし、実際にそう思うような環境に居たから仕方がない。でもあえてそれでも何を選ぶか。何だけど。無駄だろうと何だろうと、取りあえずそれでも自己肯定をし続けることを選ぶ私もいて、同時にそれを「やってみれば?出来るなら」と斜めに見ている私もいて。ま、今までの実績から仕方ないんだけど。でも。私の中にとことん付き合ってとことん愛情を注げる私が何処かに居て、その私が諦めずにとことんやるつもりでいる。人格化は出来なけど、確かに私の中にいて。その私でもって、陽を包み込みたいなと思う。長期戦。ああ、でも。人格統合って基本長期戦だよな。じっくりじっくり掘り下げていく。
2012.03.22
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小さい頃を思い返すと、理解されずに怒っている私と、色々と許されなかったためにびくびくとして、親の顔色をうかがっている私を感じる。多分幼い頃に既に分裂していたか、しかかっていたんじゃないかって思う。エネルギーとしては、律と貴夜ちゃんかなぁ。母は怒る時はとことん怖かったから、怒られるとたくさん叩かれたから、そうならないように気を使って居た半面、自分の気持ちは絶対に譲れなくて、負けたくなかった。でも明るく前向きにしていれば、優しくしてくれたからそうふるまいもしたからな。それ以外は怖くて怖くて、すごい嫌だった。本当なら、ほかに育ててくれる人がいたら、家を出たい位に嫌だった時がある。時々、以前に我儘言って外に出された時、もしそのまま家を出て、警察にでも保護されて、養子に出されていたら、人生変わったかな、とも空想もした。それくらい家にいるのが嫌だった時期がある。小学2年生の時は、本当に誰か親戚に家に厄介になれないかを真剣に考えた。でもどう考えても、私を育てくれそうにないと感じたので、それを実行はしなかったけど。そんな話はもちろん母にはしなかった。したらヒステリーを起して罵って、下手したら叩かれるのが分かっていたから、言えなかった。些細なことでヒスられて叩かれて、毎日泣いていたこともある。多分小学2・3年の頃だと思う。泣いて抗議したら、「怒られる事をするからでしょっ!」とヒステリーが返ってきた。そうやって怒らなくても分かるって反撃したら、されにヒステリーが増加した覚えがある。この辺りから死ねばいいって思い始めた気もするが、あまり覚えてない。ただその辺りから、私の事を愛している訳じゃなく、世間体があるから育てているんだって思っていた。それが無ければ、私は簡単に捨てられるんだと。ああ、これはネグレスト未遂事件があったからだな。余計にその思いが強くなったし、だからこそ下手に世話にならないように気をつけたり、余計な介入をされないように気をつけ始めたのもその辺りの様な気がする。貴方の為でしょ、って言われる度に、うそつき、と思い始めたのもこれくらいの時かな。とにかく母の事を信じなくなっていたし、父に関しても私の事など、どうでもいいのだと思い始めていたな。兄はそこまでは無かったけど、でも本当は兄も私などいない方が良いのだと思っていた。人など誰も私の事なんてどうでもいいんだって思っていたし、愛される人間じゃないという思いがあって、自己アイデンティティは完全に無くなっていたな。多分。傍から見たら十分に愛情掛けて育てられているように見えたかもしれない。でも完全に愛情不足で、誰からも愛されてないって思っていた。愛されているように見えても、全部見せかけの偽物しかないと思っていたし、全部世間体のために愛しているふりをしているだけだと思っていたし、当時の私にはそれが真実だった。実際、何度となく、母からは産まなきゃよかったとかいなければ良かったのに、と言われたし、兄にもいなければ良かったと言われたし、父からは寄生虫だと言われたし。そんな中、どうやって愛されていると実感できるのだろうか。本当の愛情があったとしても、斜めにみて、本当は違うんだよな、って感じてしまったために見えなかったことがあるかもしれない。でも、やっぱり、否定され続けていたら、素直に取れなくなる。素直に喜んだら、その後にバカにされたり怒られたりするから、用心深くするしかないと思った。素直になればなるほど、馬鹿にされてからかわれて、さらに余計に酷い目に会うって思った。だからこそ余計に警戒した。私は本当は要らない子。誰からも必要とされない。そう言うインプットをいつの間にかしていた。ああ、だから余計に、色々なものがどうでもいいのかもしれない。大切にされた覚えが無いから、本当に大切にする意味が分からないし、どうしていいかもわからない。なんか、本当に欠陥だらけだな、自分。
2012.03.21
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辛かったり嫌だったことを思いだすこと、再度感じること。それが嫌で嫌で仕方がない。そこを思い出さないと先に進めない、それは避けて通れない、そう言われても嫌なものは嫌だ。二度とあんな思いをしたくない、二度と戻りたくない。そう思って振りきるようにしていたことを、何故再度味わわねばならないのだ。そう思うと怒りがこみ上げてくる。私にとってどんなにつらくて嫌で死にたいと思っていたのか、知ってるのか、それを分かっての言葉なのか、と問い詰めたくなる。じゃあ、お前はどうなのか。お前はちゃんとそれを表現して味わいつくしたのか。そこを通っての言葉なのか。八つ当たりだろうと何だろうとそう問い詰めたくなる。とにかく嫌だ。あの状況に戻るのは再度を味わうのは、あの絶望を感じるのは。死にそうになる。気が狂いそうになる。自分が壊れそうになる。だから嫌だ。『たかがそれくらいで』時々聞くその言葉の残酷さを、言った人は分かっているのだろうか。人の気持ちや感性を軽んじて、自分の気持ちだけが最上だと言わんばかりの傲慢さも分かってるのだろうか。同時にそれを受け入れることが、どれだけ自分で自分を軽んじて、自分を受け入れずに認めない事なのか、今まで分かっていなかった。人の言う強さを表現することが、自分を蔑ろにすることだと分かっていなかった。人に認められるために頑張っていることは、全部自分にとっては辛くて嫌で死にたいようなことだった。でもそう言うとさらに怒られたから、それさえも封じ込めたのに。ようやく封じ込めて、「普通」にちかくなってきたのに、何でそれを再度壊さなくてはいけないのだろうか。ともかく嫌だ。再び死にたくなるような思いを、再度味わわなくてはいけないのは嫌だ。ま、いじめとか、虐待とか、色々な辛い事とか。思い出すにはやっぱり抵抗が出てくる。だってその時辛いってのを許されてないし、怒られたし、受け止めてくれる人など何処にも居なかったし。独りでこらえて耐えるしかなかったことを、再び味わいたくない。そう言う思いが出てくる。なので、当分これを垂れ流してみようと思う。
2012.03.20
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今日の仕事中、もうやだ、何で私ばっかり変な電話引くんだろう、と言う気持ちになった。(あ、仕事は受電です)さすがにちょっとへこみそうになったし、誰も助けてくれないしなぁ、やだなぁって思った。その時ふと「大丈夫、私が付いてる」って無意識に自分で言い聞かせた。そしたら何故かちょっとだけ気持ちが軽くなった。大丈夫なんだ、一人だけど独りじゃないんだって思ったら、少しだけ楽になった。そうなんだよね。自分が自分の最高に味方だったら、別に外の周りの人に無理やり頼ったり、助けてくれないって思わなくて済むんだよな。物理的に代わりになってくれたり、盾になってくれなくても、一緒にいてくれる、味方になって分かってくれるだけで、それだけで頑張る時に頑張れるんだよな。それは自分以外の人でもそうなんだし、自分自身でもそうなんだよな、ってなんか実感した。そっか、こーゆーことか。以前に自分が自分の最高の理解者で頼れる相手であれば、それだけで大丈夫だと言われていた意味がようやくちょっとだけ分かった。凹んでいたのは、りつか陽ちゃん、または二人とも。大丈夫って言ったのは主人格。まだまだ全然足りてないけど、でも、自己愛ってこういうことなんだなって感じた。自分の中の分裂人格をハッキリさせればさせるほど、逆にそう言う時の感覚って強くなるのかもしれないな。そんな事をちょっと感じた。
2012.03.19
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たくさんのカルマや人格に飲まれている中で、やっぱり譲れないもの、ってのはある。多分一番最後にギリギリになって、踏みとどまる原動力になっているモノでもある。「例え何があっても自分は自分を見捨てない」それがある。例えどんなに飲まれても、嫌になっても、放り投げたくなっても、やっぱりどうしてもそこは譲れないし、逆にどんな自分でも、例え自分で自分が嫌になっても、それでも全部まとめて自分だから、全部まとめて受け止めてなんとかして行きたい、と言うのがある。って書くとさ、プライドだって騒ぐ人がいるけど、でもそれがどうだっていうんだよ、って思う。プライドだからなんだよ。例えそれが一時的に失敗したからってどうなんだよ。そのまま逃亡して戻って来なかったら、そうやって非難すればいいさ、それは反論できないから。でも今はまだ逃亡してないし、諦めてもないし、完全に逃げてもいない。時々逃避は起こすけど、でも難だかなんだと言って、少しづつやっているし進んでいる(と思う)。そう言う風になりたいと努力もしているつもりだし。この時点で大きな望みを言う事を、なりたい自分やどうしたいかを言うのが、プライドだというのなら、ありとあらゆる人がプライドの権化だということになる。それこそ大きな夢を語る子供さえも、プライドカルマに飲まれているという、理屈に合わない非難にもならないか。そんなのおかしいと思う。上から目線で誰かの事をアレコレ言ったら、確かにそれはプライドカルマだ。でも自分が大きな人になりたい、自分以上の自分になりたいというのは、別に語って構わない夢だと思う。それを出来やしないのに、と非難する方が、よっぽどプライドや良い子に飲まれているのではないだろうか。もし、私の自分を全て受け止めて、自分をなんとかしたい、と思うのがプライドカルマなら、私はそのプライドカルマのままでいいと思う。出来ること、出来ないこと、一つ一つ受け止め行きたいのは、本当の気持ちだから。失敗してもまた立ちあがってやっていきたいのは、普通に望むことだと思う。それを認められないのはおかしい。もし誰かが同じような事を言ったなら、じゃあ、やってみろ、としか言わない。言った以上は、成功も失敗も全部受け止めながらやればいい、と思う。その結果本当のプライドカルマに堕ちるか、ちゃんと成功するかはその人次第だと思うし。人の望みをアレコレ非難批判を言う前に、実際にどうなるかを見ればいいと思う。その人がどうなろうと、本来はその人の自由なのだから。そして、その人がどうしても譲れないものがあれば、どんなに失敗しても何をしても、絶対に何かにはなると思う。例えそれが何だとしても。その中で私は自分で自分を引き受けていきたい気持ちだけは、譲れないと思う。
2012.03.18
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陽ちゃんが出てきて、プライド人格と完全に分離させてみることができて、自分の中にものすごい被害者意識があるのに気付いた。これはDNAカルマでもあるので、気持ちとしては結構ビミョーなんだけど。客観的にみることができて、ようやく自分でなぜ悪いか分からない、と思っていた行動の道理というか法則が分かって、色々と納得した。そりゃ、人が周りから居なくなるわ、と。もともと、その被害者意識も、やっぱり理解されない・尊重されないというかなしい気持から発した結果なので、その根っこの気持ちはやっぱり尊重したいと思う。だって誰に何を言っても信じてくれず、理解しようとされず、一方的に悪いって決められて、感情的に怒られてヒスられ続けられ、挙句に叩かれ続けたら、誰でも「私は悪くないもん」って気持ちになると思う。そんな気持ちを育ててしまって、手のつけられないまで放置してしまった結果なんだよな、被害者意識による、過度の自己正当化は。挙句の果てにいじめがそれに拍車をかけた。分かってくれない奴を、何で分かってやらなくちゃいけないの。平然と傷つくことをい言う奴に、何で配慮してやらなくちゃいけないの。そんなのおかしい、ってのがある。変な話、愛情を掛けられたことのない人が、愛情のかけ方が分からないのと同じなんだよな。本当にいたちごっこ。良く相手の立場に立ってモノが言えない、と言われるが、親に自分の立場に立った言われ方をしたことが無いから、それが実感として乏しいってのはある。それって何?って思う。だってキツイ事傷つくこと平然と言われ続けていたもん。それで泣くのがおかしい、傷つくのがおかしい、鬱陶しい、本当の事を言われて泣くなって言われ続けたら、それが当然だと思うさ、5歳未満の子供は。だからこそそれ以外の方法ってどうやるんだろ、って思っているし、本当の事を言って何が悪いのか、全然分からない。それで傷ついて泣く方がおかしいって私も思う。でもそうすると批判されるから、見よう見まねでいつもは取り繕っている。実際に思ってなくても、心配しているふりとかすれば、相手を思いやっていると思われる行動をとれば、取りあえずその場は誤魔化せるし、非難されなくて済む。取りあえず本音を言わずに適当に繕っておけば、平面上は何も起こらなくて済むし、必要以上に踏み込んでこない。だからそうしていた。これ以上面倒なことが起きないように。あ、途中から陽ちゃんの気持ちが入りまくってるな。人間不信でダラダラ書きそうだった。まあ、それもありなんだけど。陽ちゃんも幾つかの面があって、もしかしたらどっかで分離するかもしれないが、今は一つとして見ている。貴夜ちゃんの根っこの部分とリンクしているから、そこをちゃんと見極めることが難しいけど。たくさんの面を一々分離させるのもバカみたいだな、と思うし。根っ子が被害者意識だからまあ、同じかなって思うし。自己卑下と被害者意識。この二つに飲まれて、居ることが多いな。プライドはそこを取り繕うために居る感じもする。本来は違うのにね。取りあえず少しづつダラダラと書き続ける。それで見ていく。
2012.03.17
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その感覚はもう去ってしまったけど、メモが分かりに。結局、全てを否定したりジャッジする必要などまるきりないこと。私達の全てはありのままに、良し悪しなど一切なく、あるがままなこと。ただ単に私は今あるあり方を選び、今あるあり方を感じていること。人は今あるあり方を選び、今あるあり方を満足するまで楽しんでいること。宇宙には決まり切ったきまりごとなどなく、全てが自由であること。その中で何を選んで、何をどう生きるかは、本当はその人に任されていること。どんな感情もどんな思いも、ただそこにあるだけ。それをジャッジするのは人の思考だということ。受け入れるも受け入れないも、個々の自由であること。結局、人は生きたいがままに生き、それを誰もが批判する事など出来ないし、する必要など本当はない。思考やカルマに縛られるのも一つの生き方だし、そこから抜け出して生きるのもその人選択による。人は自分のカルマに縛られ、それをあらゆる感情でとらえ、感じて、十分に堪能して生きている。だから本来人の生き方など、誰の指示も受け居れず、そのままその人が選んだ生き方で、生きていく。そんな中で、私は、あるがままを受け入れつつ、受け入れずに、同時に変る(カルマを見つめる)事を選択しただけ。ただそれだけのこと。だから本来、私は全ての事から自由でありながら、不自由なものを選択して、自由になる方法を探しているのだろう。ふと、思ったこと。今日は陽ちゃんが育てるための植物を買ってきた。白い花のつく小さなもの。名前を何故か覚えてない。でも気に入ってじーっと見ているのが分かる。そんなこんなで色々と沢山の人格達の思いが交錯して、それで思ったこと。結局私は例えどんな私でも私であるのだな、とそれだけの話。
2012.03.16
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なんか体調悪め。おなごでーが来てるせいもあるだろうけど、風邪も治りきらなくて、イマイチ。陽ちゃんの育てるための小動物を見に行く。ハムスターとかインコとか兎とか、可愛いけど同時に怖い。自分のせいで死ぬんじゃないかと思ってしまう。感情の爆発を起こして、八つ当たりでつい殺してしまうんじゃないかと思うと、怖くて小さな命をあずかれなくなる。殺してしまったあとを考えるとあまりの辛さに死にたくなる。罪悪感と自分の情けなさに泣きたくなる。自分の中に平然と生きているモノを殺す自分がいて、狂って笑っているのを感じて、それも怖い。そんな訳で観葉植物を探す。でも今日は気に入った子が居なかった。不信感でいらついている。良い子をやっている人に当たり散らしたくなる。表ばかり取り繕って、その裏で平然と悪く言っていたり、言い訳していたり。ウザイって思う。それくらいなら最初っから嫌いなものは嫌い、受け入れられないものは受け入れられないって言ってくれた方がどれくらいましなんだろう。表層だけ取り繕ってやさしいふりして、自分の受け入れ範囲を外れた途端、手のひらを返したようになる。結局お前らも私を受け入れられないんじゃないか。結局お前らの言っている事なんて、キレイ事なんじゃないか。結局お前らが一番不誠実なんじゃないか。そんな思いがグルグルする。信じるだけ無駄だ。信じるだけバカを見る。人は平然と自分の価値観から外れた者に、無情な事をする。そしてそれが正義と信じて止まないくせに。面倒。もう全部面倒。何もかも放り投げてしまいたい。全部なくなってしまえばいい。もう何も要らない。
2012.03.15
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しばらく陽を観察と言うかただ見てみた。基本膝を抱えて下を向いてしゃがんだ格好でいる。前後に体を揺らしているか、地面に何か書いている。居るのは灰色一色の世界で、何もない所。チューニングを合わせると、哀しいさびしい気持ちでいるのが分かる。同時にすごく自暴自棄な虚無感を抱えている。丁度いじめを受けていた時に良く感じていたことだなぁ。挨拶したり、正面から話書けると顔をあげるけど、直ぐ下を向いてしまう。それ以外に反応なし。なんか、アクティブでは無い時なので、どう対応していいか分からない。分からないので取りあえず側にいる、と言う事をしている。欲求も得にない。諦めてるような内に籠っているような状態。放っておいて欲しい、一人でいるって感じで小さくなっている。さて、どうしたものかな~ってのが現状。しばらくさせてみるままにするしかないのかなぁ。課題で、陽ちゃんが面倒みるための植物なり動物なりはまだ手元に来ない。それが来たら、少しは何か動くだろうか。そもそもその時に自分が何を望んでいたんだっけ。「大丈夫だよ」「一人じゃないよ」そう言うことだった気がする。言葉だけじゃなくて、本当に。そう考えるとまずは側に一緒にいるのが良いのかもな。まずはそこから。
2012.03.14
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「陽」と名付けた人格なんですけど。ずーーーーーっと、ずーーーーーっと奥にはすごく繊細で感受性豊かな部分を持っている。その分、傷つきやすくへたりやすい。その痛みを逸らしたりとか、転嫁したりが出来ない。何時までも傷つき続けるし、泣き続ける。イジメで泣いてたのも、陽だし、その反動で人間不信になっている。弱い人格な分、あらゆることに駄目出しもすごいされてて、自分は駄目な奴なんだという風に自己評価が低いし、自信が無い。痛みや惨めさを感じたくなくて、そこから抜け出すための逃避を常にし続ける。同時にあまりにも自分の主張や意思や行動が受け入れられなかったのと、無視され続けたため、被害者意識も強い。そこから自分は悪くない、自分が正しい、と言う思考を持っている。そして自分が一番可哀想で、優しくされるべきだというのもあるな。いわゆるお姫様人格ってやつですね。だから傍若無人な行動にも出るし、むちゃくちゃやる。この辺りはプライド人格に通じるものがある。ちなみに、うちの母が本当にこれなんですよ。だから陽はDNAカルマでもある。置いておいて。反面傷ついて辛いことを知っているため、すごい優しい気持ちも持っているし、弱い者への面倒見も良い。弱いものを放っておけないのも、陽の表の特徴だし、裏に返すとどれだけでも残忍になれる。アネゴっぽさは多分ここから出てると思う。多分女性としての醜いのも純粋なものも特徴を全部持っているんじゃないかな。で、裏の部分を幾ら注意しても、被害者意識を増幅させるだけなのが、今日1日で分かった。表の面をまずは育てていって、自己卑下を弱める方がいいと感じた。うーん、やっぱり指導通りになるなぁ。すげえ。陽にフォーカスすると、何時も膝を抱えた格好でうずくまっている。泣きもせず喚きもせず、ただ下を向いている。少し体を揺らしているのも特徴か。そう言えばりつがハッキリした時、裏ボス人格だって書いたけど、でも陽に比べたら、律は全然だな。ほかの人格の操作もしないし。陽は操作するもんな~、自分が逃げるためなら手段も選ばん。えげつない。取りあえずメモ。
2012.03.13
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と、言う訳で行って来ました。テーマが言えなかった事とかをリプレイしようって話だったんですが。前日から逃避人格が出ていた私は、これに拒絶反応をしてしまいました。書けないしだんだん嫌になって、不貞寝状態になるし。本当に眠くて寝てしまいたいような、そんな状態に入ってしまいました。そんななかNさんご一家の旦那さんに爆弾発言をしてしまいました。で、その場は流されたけど、後でこっぴどく、谷田さんとひろちゃんに怒られたんですけどね。その内容が全然入って来ずに、頭ではわかるけど、本当に受け入れられなかった。それから結局テーマが流れて、家族の話になったんですが、今冷静になると、自分が突っ込まれるのが嫌だから、プライドや爆弾発言を使ってテーマが流れるようにしてないか?どんだけ過去に向き合うのが嫌なんだ?プライドが出てくると、一応ボス人格マークされてるために、そっちにみんなの目が行くんだよね。そうしたら逃避の陽ちゃんは表に出なくて良いから、まんまと逃げられる。やばい、マジやばいと思う、この人格。私が人格統合をリタイヤするとしたら、この人格の暴走によるものだとすごい分かる。でも注目は集めたいから、弱い所を前面に出すんだよな。それが16時からのテーマを持ち寄っての勉強会でも現れてるわ。それから垂れ流しの方法というか、マナーというか、そう言うのも具体的にそこで教えてもらって、それはとても助かった。自分の中の感情と言うかそう言うモノの表現の仕方、と言うのもが本当に全然分からなくて、見当もつかなかったので、本当にどうしていいか分からくての、爆弾放り投げになっていたから、それが少しでも減るなら本当に有難いのです。それで終わったんですけど、昨晩mixiの方で、本当に暴走と言うか、垂れ流しが起きちゃって、思わず谷田さんに助けと言うか、甘えと言うかそれをしてしまいました。スゲー迷惑で暴力的なやり方で、冷静になってから、マジで血の気が引いたもん。そちらはプライドの暴走、ってことになってるのですけど、何処からひっくり返ってプライドが出張ったのか全然気付けれなくて、ずーっと思い返していて、良く分からなくて、このブログを書き始めて、改めて気づいた。逃避人格がプライドを操作してるわ。もちろん元々、逃避人格はすごい劣等感を持っているから、その反動でプライドが生まれたんだけど。プライドはプライドである為に、ほかの人格を操作することはあるのだけど。まさか更にその奥で逃避自己卑下に操作されてるとは思わなかった。弱い人格だけど、とことん性悪なのが分かったから、至急こっちのケアと課題に移りたいと思います。
2012.03.12
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にいってきました。で、やっぱりやらかして、メッチャ勉強になったし、どうしたらいいか分かったんだけど。でも。今は意地っ張りな部分が出てきて、それを書きたくない~っ!!って気持ちが大きくて、ちょいと今書けません。明日以降小出しにしていくので、お待ちください。でも本当に今一番やっかい?な逃避・不信・自己卑下パターンが出ているなぁとはすごく分かる。で、これが今まで一番全てを駄目というか、良くない方に行くようにしていたモノなので、多分やたら時間がかかると思う。最初、貴夜美と律が裏表で繋がっていると思ったけど、いや、違うな。この陽ちゃんと貴夜美が表裏になっている感じ。ともかくこれを出していかないと、駄目なんだろうなって思う。なのでこれから先しばらくは、陽と一緒にやることになるだろうな。面倒で厄介だって気持ちもあるけど(特に貴夜美)、それでもやっていきたいと思う。陽ちゃん自身はちょっと失敗するともうやだ知らないになるけど、でもそれでもそこから逃げられないんだよってところで話が出来たらいいなぁ。と、いう感じです。
2012.03.11
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毎月恒例の。で。今回は逃避がテーマで。昨晩実は噴き出してしまって、もう辛い気持を感じて掘り下げたくないってのが出て来たので、それを持ってのセッションでした。それでまずはどんな気持が出てくるのかをきかれ。全て取り組み自体を止めたいのか、感じることを止めたいのかを尋ねられ。ともかく辛い思いを再度思い出して感じるのが嫌なのはハッキリしてて、それを伝えたら、今度はどんな感じなのかを具体例を出しながら、聞かれて。死にたいほど辛い気持を思い出すのが辛くて嫌、と言う話をして。でもそれを感じ切らないで、ずーっと持ったまんまだと辛いけど、いいの?と言う話をしてもらって。それは嫌で、って話をして。いや、何がどう辛かったかと言う話を聞いてもらったのが先だったか。ともかく味方が誰も居なかった事を話したかな。物理的にどうと言うよりも、心が休まる相手が居なかった。同時に不信感があって本当にそうなるのか信じられないって話もして。そこから人間不信の話に。そうそう、初めの方に年齢的にどれくらいの子だと感じる?と聞かれて、やっぱり中学のいじめの辺りがヒットする話をして、それくらいの子と言う話と「陽」と名付けた話をした。そしてしばらくいじめで、誰も信じられない話をして、経験としてそれは人間不信になって当たり前だよねぇ、って言われてちょっと軽くなった。で、それだけ辛い思いをした子だからこそ、逆に他人に優しくなれる子だという話をしてもらった。女性性の母性を感じる子だから、それを引き出していくことを勧められた。植物とか動物とか人形でもいいから、何か陽ちゃんが面倒みて愛情を注げるものを持ってみるのがいい、という話になった。そこからでも植物を枯らせたり、死なせてしまうのが怖いって話をして、さらに怖い方に妄想が働いて、やっぱり駄目だって思って辞めてしまう話をして。そうしたら、そうじゃないんだよって話をしてくれた。伊藤先生が話してたこと、らしいのだけど、確かに不注意で死なせてしまうことってのはある訳で、だからと言ってそれまで愛情を掛けていたことが消えてしまう訳じゃないって言う話と、だからこそ次の子はその子の分まで愛情を掛けて育ててあげればいいって話をしてくれて。ああ、そうなのかって思ってちょっとやる気になってきた。その後人間不信の話をしてたら途中で行方が分からなくなって、感情が伴なわなくなってきて、逃げたって話をした。この陽ちゃんがところどころ顔出しているのは知っていたが、捕まえられなかったという話をしたら、自己卑下の強い子は基本逃げて気配を消すのが上手いからそう言うモノだという事を教えてもらった。確かに陽はさららず放っておいて欲しい子なので、今まだ捕まえたつもりでもなかなか捕まえ切れてなかった。でも怖い話を書いて行ったら出てきたから、多分それだけ頑張って逃げていたんだと思う。丁度仕事関係でも陽が出てくるシーンが多くて、色々あったから、向き合いどきなんだと思う。後はちょっとムカつく話とか、来月からどうするかとかの話しをちょっとして、終わりました。でもやっぱりやれることからちょっとづつってのが、一人だと難しくて、大変だと感じた。どうしても鞭打つ方に回っちゃいがちで、なかなか出来ない。それと人間不信の子は不信の子でいいんだよって話もしてもらったかな。無理して信じなきゃとかしても、余計に信じら得なくて肩肘張るから、出来るところから、って話でした。ちょこっとづつ自信を持たせることが大事だそうで、一番苦手な分野だ~。でもやるけどさ、多分。
2012.03.10
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いまちょっと、卑下と言うか変なものが出ている。一種の逃避だと思うけど。もういい、めんどうくさい。やりたくない。もうこれ以上頑張りたくない。もうこのままでいい。駄目でいい、上なんか目指したくない。変らなくて良い。どうせ私は出来ないし。やっても無駄だし、どうしようもないし。だからもう何もしたくないし、頑張りたくもない。もうこのまま目も耳閉ざして、閉じこもってしまいたい。もう何も変えたくない、もう何も変わりたくない。めんどくさい。何も見たくないし何も聞きたくない。もいういい。何をやっても無駄。何をしても意味が無い。でもさ、本当にそれで今のままで良いかって問われると。「否」としか出てこないんだよね。だから続いてるんだけど。でもやっぱりもう嫌だって思う気持ちも起きてくる。それも否定しようが無く私の気持ちだし。でもだからってどうしていいのか分からなくて、毎回立ち尽くしている。どうすればいいか分からないんだよ、本当に。毎回毎回、知らないことが出てきて、どう対処していいのか分からないんだよ。そして失敗するのが怖いんだよ。だから余計に動けなくなる。まだまだ自分が確立されてないよ。だから誰かに頼らなくちゃいけなくて、そんな自分が認められなくて、困るんだよ。物事一つの判断さえもロクに出来なくて、周りを見て、浮かないように気をつけたりして。常に周りを見て比べて判断しないといけないくらい、自分が無いんだよ。自分を認めるなんて、どうやってすればいいのか分からないし、どうすれば本当に一人で立って自立できるさえも分からずに。見よう見まねで虚勢を張っているだけだもん。本当に何もないんだよ、自分には。だからそれ以上を期待されても困るし、それ以上になんてなれないって思う。ともかくそんな気持ちがあふれてて、向き合うことから逃げ出したい気持ちがある。でもそれが嫌だって気持ちもあって、余計に苦しくなる。どうしたらいいんだろう。
2012.03.09
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怖いことが未だあったような気がするが、今は上手く出てこない。出し切った感はあまりないので、またその内出てくるかと思うけど。ここしばらくりつにフォーカス出来ないってのもある。居ない訳じゃないので、ちょこちょこりつのパターンは行動の中に顔を出すけど、ビシッと捕まえることが、今は難しい感じ。あと風邪ひいて、鼻にきててちょいと集中力が無いのと、逃避入っているのもあると思う。それよりかはやっぱり、表に出すことの抵抗が強いんだと思う。不信感と、プライドと、ヤサグレと、警戒心で。それに辛い思いをわざわざ思い出したくない、という逃避がある。何でわざわざ再度辛い思いをしなくちゃいけないのか、と思う。それを出来るだけ避けたいと思う。出来れば思い出すこともなく、どっかに葬り去りたいってのあるんだよね。それじゃいけないってのは、頭では分かっているけど、やっぱり分かって無い所はある。たぶん、貴夜ちゃんとか、ヤサグレ辺りが嫌がってる感じがする。あの二度と抜け出せないような絶望とか、立ち上がれないほどの落ち込みとか、再度経験したら壊れるんじゃいかとか、やっぱり思ってしまって、それだけで怖くなる。だからもう放っておいて、と言いたくなる。これが誰が言っているのかが、ぼやかされてよく分からない。から多分貴夜ちゃんなんだろうな、とは思うけど。ビミョーにエネルギーが違う感じもするけど。目も何もかもふさいで、閉じこもる感じがある。切り捨てて強がるって感じじゃない。だからと言って恐怖で固まる律とはまた違う感じもする。やっぱりヤサグレかなぁ。この課題になった途端、逃避の活性化すごいからなぁ。そう言えばまだ名前をちゃんとつけてないな。以前つけた名前はなんかいい加減だから、辞めにして。「陽<よう>」と言うのが出て来たので、その名前にしてみる。向き合おうとすると、するりと逃げて逃避に入って逃げるので、なんとかならないかな。ちょっとフォーカスしてみる。
2012.03.08
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仲間の内で一人だけ仲間外れにされるのが怖い。例えば何かトラブルがあって、グループから出ていくのは怖くない。それはもう自分の信念とか何か踏ん切りがつし、自分の中で納得しているから全然平気。でも、そうでなく、特に何かある訳でもなく、気付いたら一人だけ仲間外れにされていることが怖い。誰かの思惑で、誰かの気持ち一つで、平気で人は仲間外れにする。しかも表面的には何もないようにふるまいながら、平然と笑いながら人を裏切る。そしてそれをさも自分が正しいかのようにふるまい、満足し、また人を嗤いものにできる。それを知っているからこそ、逆にそういう目に合わないように気をつけるとともに、逆に一人になるのが怖くなる。知らずに一人になるが怖くなる。誰かが自分を嫌っているのが最初っから分かる場合は別に構わない。その人が一人でなにしようとも、私は構わない。ただ集団になって、誰かの言い分を良しとして、あっさりと身をひるがえす人達が怖いし、嫌だ。また一人だけ違う意見を言うと、そのグループ全体で、あっさりその人を切り捨てたりもする。良心の呵責など無いように。こっそりとそう言う事を言う人もいるが、実際にどこまで本当なのか分からない。だから怖いと思う。人を信じるのも怖い。本当に自分が信じた通りなのか、そう見せかけているのか分からないから怖い。どこかあやふやで、何処がしっかりしているのか分からないから怖い。何か信念などが信じられる、と感じない限り信頼など出来ない。でもあっさり人は人を裏切る。だから信じることが怖い。ともかく自分以外の人に関わることも本当は怖い。人は自分の信念さえも損得やその時の状況によって、自在に変えてしまい残っていないことがある。だから本当は人そのものが怖いのかもしれない。
2012.03.07
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仕事中に気づいたパターン。何かを注意されている時のあるパターンがあって。違うとか間違っている、と言われた時、「私その話知りません」「そんな話聞いてません」と答えることがある。何かなって思って探ってみたら、基本的に「私は悪くない」っていうのが出てきた。それを主張しておかないと、悪くなくても悪いことにされて損をする、だから身を守るために潔白は証明しておかないとって思う。実際に聞いて行った処理が違っているとか言われると、困るんだよね。教えてもらってこれでいいと言われてて、それが違うって言うのは一人の問題じゃないし、すごく困る。「何でできてないの」といわれても、教えてもらった通りにやったことなので、何でと言われても困るってのもあるし。勝手に判断して行った事じゃないってのを主張しておかないと、勝手に一人で変な事をしたと汚名を着せられる、という警戒心がある。勝手に悪者にされるのが我慢ならないので、責めるいい方をされると基本的に反発する。その根っこはやっぱり母親に行きつくので、ムカつくんだけど。自分が悪いと思ったら、こっちの言い分や公平な目で見ることなく、感情的にきーっと怒って責めて来て、自分の怒りを発散だけして、全然話を聞いてくれないってのが出てくる。挙句の果てに自分の怒りが間違っていたら、何故ちゃんと違うと言わなかったかとまたヒスる。幾ら言っても聞く耳持たないのはどっちだよ、って言っても結局人を悪者にして、自分だけいい人になって終わる。そんな嫌な思いがあるから、余計に先にムッとして嫌になるんだろうけど。何を言っても聞き入れてもらない諦めと反発と疲労とそれらがまいなぜになって、ともかく嫌な気分になる。こっちのことも考えろよ、自分の気持ちだけ押しつけんじゃねぇよ、って思う。自分が本当に悪かったらそれは反省するし、改めるよ。でもそれ以前に勝手に悪いと決めつけてぎゃんぎゃん怒るんじゃねぇ。それってとっても傷つくんだよ。嫌なんだよ。哀しくて仕方ないんだよ。何でそれを無視して人を一方的に責めるんじゃねぇ。ってつくづく思う。それとやっぱり一方的に悪者にされて疎外されて、変なことになるって言う怖さ、と言うのも何処かにある。でも今はそれに対して怒りの方が出てくるな。ともかく指示どおりに作業して、それが違ってるのを一方的に悪く言われるのは困る。分からなくて聞いたのだから、ちゃんと教えてくれなきゃ困るし、勝手に判断して行った訳じゃないから、本当に勘弁してほしい。それに出来るのにやらないとかじゃないし。出来なくて当たり前で出来ないのを責められても本当に困るし、ムカツク。と、言う感じでちょっとムカついている。
2012.03.06
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熱は下がんないです。昨日より熱は高いのに、身体は全然楽ですけどね。ご飯とか作らなくちゃいけないから、一応出かけたけど、やっぱり体調がイマイチだと何事も楽しめないし、要らないって思う。そこんところは無理はしないでおいた。そろそろ1周年、と言うことで震災関係の話が再度多くなっている。全てにおいて、見聞きすると泣きそうになる。アレコレ批判するのはすごい簡単だけど、実際にそこにいてその場で、本当に批判している内容って出来るんだろうか。難しいと思う。終わってからアレコレ言うのはすごい簡単で、でも実際にその時のその場ではすごい難しい事なんだろうな。一見簡単そうに見えるほどこそ、やってみれば難しいってことはたくさんある。それにどれだけ気付けるか。またどれくらい本当にできて、出来ないことがあるか。やればできるよ、やりたくないからやらないだけ。何て言うのは、一種の逃げだと思う。出来ないなら出来ない、それでいいはずなのに、それが駄目で許されない。その価値観が一番面倒なのかもしれない。価値観をひっくり返す。そうすると見えてくるものがあるかもしれない。
2012.03.05
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体調不良につき、一日寝て過ごした。熱はね~、微熱程度なんだけど、なんか身体が辛くって。雨になっちゃったし出かけるのもういいかなぁって。いや、寝た。人って本当に辛いと幾らでも寝れるもんなんだなぁ。そう言う日もありってことで、お休み。昨日から父親が訳の分からんこと怒鳴り散らしててウザイ。けど今はそっちに構っている暇と体力が無い。とにかく寝る。
2012.03.04
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仕事してて気づいたこと。基本男性の怒鳴り声や責める声音を聞くと、パニックに陥る。どうしていいか分からず、必要以上に焦って余計に相手をいらいらさせている、様だ。でもなんかダメなんだよね。逃げたくなる。それこそりつが完全に怖がって固まるというか、逃げてどこかに怯えながら隠れてるって感じになる。心当たりは、と聞かれると本当に小さい頃、1度だけ父に仕事のじゃまして、酷く怒鳴られたことはあるけど。邪魔しようとした訳でなく、勘違いして結果として邪魔しただけなんだが。覚えてるってことは、これがビンゴなのかな??幼い私としては、その時の怒り方があまりにも怖くて、本当は嫌われてるんだって思ったくらい。幼稚園に入る前かな。母が後で甘えさせてくれなきゃ、本当に動けなくなるところだった。それくらい怖かった。しばらく父を避けていたと思う。何かしたらそうやって怒鳴られて怖いからって。そう言えば何か駄目な事をすると、うちの両親はすごい勢いで怒鳴っていたな。だから怒られるのが怖かった。ちょっと怪我しただけで怒鳴られることもあった。怒らないから、と言われて怪我したことを言うとすごい勢いで怒鳴られたこともある。挙句の果てに怒鳴られるようなことをする方が悪いと、怒鳴られた。いや、でもさ、今思うと怒鳴るほどの事じゃないんだけどな。爪が弱くて、半分生剥ぎみたいになること多くて、何でそうなったのか覚えてないが、それですごい怒られていた。いや、痛いの私なんだけど。そう。うちの両親は今思えば、そんな事で?と思うようなことで良く怒鳴っていた。街中で子供に対してヒステリーを起こして、すごい勢いで怒っている人がいるが、そんな感じ。いや、そこまで怒鳴ることか?って思う。怒鳴られるのはそう言う事をする方が悪い、って言うけど、そう育てられたけど、でも実際に怒鳴る方にも問題があると今は思う。でも当時はそれも出来ずただ怖くてどうしようもなかったな。ちなみにこれらは、幼稚園に入る前の話。それくらいの子がうまくいかないで、一杯失敗するの当たり前と言っちゃ当たり前なんだが。それをあまり許されれてなかったな。今もそれいが尾を引いているのが、良く分かる。今私がそこに行ったら。「そんな怒鳴り方をすることないでしょっ!!」って逆に怒鳴ってやるし、絶対に庇うな。小さいから怒鳴らないと、怒らないと分からないってのは、絶対に違うと思うし。喧嘩して退治してやる。だから大丈夫だよ、って語りかけている。ちょっとづつほぐしていきたい。
2012.03.03
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体調悪め。仕事中に生あくびばかりしてた。集中力が無い感じ。中途半端に熱が出ないために、体が辛いのに似ている感じ。面倒で嫌だな、って思う、仕事が。それでも「お仕事」だから、やるけど。でも同時に仕事をするのが楽しいって思う自分もいる。両方本当なんだろうな。でも。仕事が面倒で嫌だってのは、刷り込みもあるのかなって思う。嫌で面倒で仕方なくやらないとダメなもの、と言うモノ。ああ、でも、周りがそう言う感じだから、そうしないとはじき出されるってのはあるな。褒められ謙遜しないから、変だって言われたこともあるし。普通にお礼を言ったらそう厭味を言われた。なんだろうね、世の中のそういう「しきたり」というか「風習」というか。なんか変なのが多いなって思う。大元を考えるととても素敵なことなのに、それを「すること」に必死になって、その意味を忘れている感じがする。何でもそう言う感じがする。そしてそれにながされていく。気付いても踏みとどまれないで、流されてくな。弱いな、自分。結局基盤が弱いのが大元なんだけどな。今そこの立て直しの真っ最中で、まあ、色々と逃げたい気持ちになる。そこにあえて突っ込んでいくのが大事だけど。その前に十分ウダウダもしたい。してからじゃないと、足を引っ張られる。自分自身に。それらも全部ちゃんと受け止めれるようになれるんだろうか。そんな気になっているだけじゃなくて、実質的に。時々その果てしなさに、呆然として。でも結局地道にやっていくしかないんだけど。ともかくそんな感じで。未だに肝が据わって無い所がある。甘えてるなぁ。
2012.03.02
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昨日ブログでプライド&ヤサグレの感じる事を全開したので、課題に戻る予定。それでもまだ、抑えていたりするけどね。突っかかって来る人が来たせいで、やっぱり怖い事を書くのは嫌だって気持ちが強くなっていた。下手に書いたらまた上から目線でアレコレジャッジして来て、鬱陶しいし、と言うのもあったけど、でもだからと言ってそこで負けていたら、課題が進まないよね。なので貴夜ちゃんに話しかけたら、あっさりと書ける状態になった。すげー、進歩だwwそもそもその弱い部分を守るための鎧だったのと、表目で動くことが出来るようになってきたのかもしれんな。まだまだ要注意だけど。で、怖いこと。何かするのが怖い。何かして人に拒絶されるのが怖い。怒られるのが怖い。怒っている人が怖い。一人で生きていくのが怖い。一人になることが怖い。何時死ぬか分からないのが怖い。死ぬのが怖い。生きていくのが怖い。変るのが怖い。知らないものが怖い。新しいものが怖い。知ることも怖い。知ってから一体どうすればいいの?って思う。怖いことが起こるくらいなら、何も変わらなくて良い。何もしたくない、何も知りたくない、分かりたくない。目も耳元すべて閉じて、閉じこもってしまいたい。なぜみんなが怖くないのか分からない。なぜみんなが笑っていられるのか分からない。どうしたら怖くなくなるのか分からない。聞いても怒鳴って怒られるか、薄笑いを浮かべて無視されるか。それを考えただけでも怖くて嫌で言えなくなる。何をやっても怒られて、一体どうすればいいかもわからなくて、どうしようもなくなる。だから余計にもう何もしたくなくなる。何かする事さえも怖くてやりたくない。このまま何もわからないまま死んでしまいたい。もうこの世の中に生きて居たくない。何でこんな怖い所に居なくちゃいけないんだろう。逃げたくても逃げれない。こんな怖い所からは逃げていってしまいたいのに。どっかべつの場所に行ってしまいたいのに。先も見えない感じで、このままなのも怖くて仕方が無い。どうしたらいいのだろう。結構小さい頃から思っていたこと。今なら分かるけど、当時はどうすればいいか分からなかった。持て余した結果、奥深くに封印したつもりになっていた。懸命に見ないふりをしてきた。大人になったら大丈夫になる、って言われて大丈夫になったつもりだったけど、全然だったな。ダイレクトにアクセスすると、泣けてくるし震えが来る。だからまだオブラートに包まれた感じでしか、出せない。少しづつだな。
2012.03.01
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