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正確には本日の目のさめる前の夢です。ぽつぽつと断片的でした。一番印象に残ったのが、何故か「ドラゴン騎士団/押上美猫/新書館刊」のキャラが出てきたこと。正確にはドラゴンとラスが。あの小さくなったドラゴンのイメージで白い子(陸と河伯のミックスみたいな感じ)が出てきたんですけど~~~、思い出せな~~~~~~~い~~~~~!!本当はとっても大きくなるからどうこうって言われたような気がするんですが~~~。ドラゴンの飼い方?というか生態を教えてもらっていたような…。ちなみに白いドラゴンは私のドラゴンでした。名前はまだない。すっごくすっごく楽しくて、目を覚ましたくなかったのに非常にも時間でした。朝は覚えていたので「ブログに書こう」と思っていたのですが、忘れてしまいました。メモらないとだめですねぇ。ちなみにその前は遊園地の中のショッピングセンターの美容院(?)でした。そう言えば夢の舞台、というか場所って大体同じとこ出てきませんか?よくよく見ると同じ建物内の別の場所にいるとか。私だけでしょうか。それにしても今回は初めての場所で、ドラゴンがいたのが何処かのお屋敷とかお城みたいだったような場所の庭だったような。うーん、またみたい夢かもしれません。
2008.01.31
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昨晩はさつきのひかりさんのヒーリングを受けました。インナーチャイルドの為の天使の保育園第二回目です。コールインで受け取ったのですが、今回なぜかインナーチャイルド達と背中の羽根(が生えているイメージが出てきたのです)で飛んで保育園の上から入ったイメージがあります。上から見るとディズニーランドのシンデレラ城のような建物があったのが見えました。そのまま降下して足がつくと目の前にガブリエル様がニコニコ笑って居たので、「わーい」とそのまま足にしがみつき(この時点で何故か自分が子供のイメージ)、一緒に行った守護獣の白馬も一緒なのも報告。(ちなみにこの守護獣は月花~ルカ~さんのとこのイメージワークをやったときに出てきて、それ以来何かと一緒に居るイメージがあります。ただの危ない妄想かもしれませんが)「他の人も来ているの?」ときいたらガブリエル様の後のほうで光という形でたくさん来ているのを感じました。「その人たちと会えないの?」と聞いたら「まだ駄目よ。さあ、遊んでらっしゃい」といわれました。その後は建物に入らず何故かまた庭の樹に向かって走っていきました。そのときに「ばっかみてい」という男の子の声が聞こえました。「こんなことではしゃいでさ、ガキくさい。俺は絶対に遊ばないからな」捜してみると庭ある樹齢何百年という大きな樹(が何故かあるんですよね)の根っこの影に5~6才の黒髪の男の子が居ました。「せっかくだから、遊ぼうよ」といって手を引っ張ってそこから出すとすごくふてくされてしぶしぶといった形で出てきました。ガブリエル様を見るとすごくニコニコして笑って見ていました。「みんなで手をつないでわっかになって寝っころがろう」といえば「そんなことして何が楽しんだ?」と文句をいいながらも同じように樹の根元に仰向けに寝っころがりました。もちろん他のインナーたちとも一緒です。ちょうど頭を中心のほうへみんなで輪になる形です。輪の半分からむこう側がまだちゃんと見れなくて、誰なのかよく分かりませんでした。樹の葉っぱの緑がきらきらして綺麗でした。~と言うあたりまでがイメージというか、頭の中の印象です。勝手に物語を作っているのかも?と思わなくは無かったです。むかしマンガなど書くときのストーリーを作るときと同じ感じでダーっと流れていくので。それから先が全然違う変なこと考えたり、とにかく寝付けなくてイライラしたりして、どうも未だ癒されること、ヒーリングを受けることに抵抗している私も居るみたいでした。それからどうしても寝落ち出来なかったのでちょっと目を覚ましたら、すごく喉が渇いてました。ペットボトルの水(を近くに置いておきました)の方をむいて、飲もうかなぁと思ったところで記憶が途切れているので、多分そこで寝たのかも。それにしても何故庭でそんなに遊びたがるかな、自分。次こそ建物の中に入りたいものです。本日お昼頃にインナーチャイルド達はどうしているかな、と思ったところで私の知っている全員が幸せそうにぐっすりと爆睡しているイメージが来ました。夜通し遊びまくって疲れたのかな。半分勝手な妄想かも?と思っていなくは無いです。でも他の方のヒーリングの感想で、「お城のような可愛い建物があった」というのがあったので、自分だけの勝手なイメージではないという確信みたいなものがあります。さて、明日明後日あたりどんなネガティブ、または困った自分が出てくるのでしょう~。先週も2日後に現れたんですよね。
2008.01.30
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「嫉妬をしたとき」貴方は嫉妬をしたことがありますか?…というか「無い」という人のほうが珍しいかも知れません。嫉妬をすることが「良い」「悪い」ということはありません。それは人間の感情の一つ、というだけです。ただ「嫉妬をしたとき」のその感情と態度に気を配りましょう。嫉妬をして、その相手を悪く思ったり念を送ったり、悪口・陰口を言ったり、相手を陥れるような行動をとることは絶対に止めましょう。況してや相手を傷つけたりするようなことは最低です。そういうことをすればするほど、貴方に良い事が起こりにくくなり、余計悪循環に陥ります。しかも自分自身も嫌な最低な人になってしまいます。貴方は自分で自分を貶めるような行動をするのは止めさせましょう。でもどうしても悪く言ったり思ったりが止められないのであれば、まるっきり嫉妬の対象を知らない人に愚痴を言うに留めましょう。余り恨みのこもった念を持ち続けると、余計に自分に悪いことを引き寄せてしまいます。逆にそれをバネにしてもっと自分を磨いたり、頑張れるのであればその方が絶対に自分にとっても周囲にとってもプラスに回り、とってもいいことです。でも何故、私達は「嫉妬」をするのでしょう。「他者からの評価」に依存しているからです。また「自分が努力しているのに、相手が努力せずに何かを得た」と思い込むからです。つまり視点が狭いのです。嫉妬をしたくないのでしたら自分で自分の視野を広げるしかありません。また「他者からの評価」に依存することを止めましょう。そうすることで「嫉妬」の度合いは少なくなります。また嫉妬をしたことも自分で認めましょう。「そんな感情持ってない」等と勝手に決めて、自分の気持ちを無視することも辞めましょう。そうすることで「嫉妬」というネガティブな面からの悪影響を減らすことが出来ます。貴方は「嫉妬をしたとき」どうしていますか?そんな自分自身は好きですか?次回は「受け入れることと切り捨てること」です。
2008.01.28
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最近ふと、気付いたこと。「出来る、出来ない。限界などは自分が決めているだけなのでは?」よく本で書かれていたり、ドラマなどのセリフで聞いたりはするので知識として知ってはいるけど、心と体では理解出来ていないなぁ、と最近特に思います。知識として頭の中に情報を蓄えるだけで私達は「理解」した気になるけれど、実際には心と体で行動して実感が無ければ理解といわない。けれど否応が無く強制的に情報のシャワーを浴び続けているために、洗脳されて理解した気になっている。そしてそれで勝手に自分で判断して自分の限界(壁)を作り上げているのではないのかな。でも実際に行動してみるとその限界(壁)はあっさり壊れてしまうこともある。それと自分が疲れきった飽和状態に居ると、それ以上の力は出ないから、本来突破できるはずの壁も突破できなくなってしまう。目の前に限界(壁)があると感じているときは何も出来ないけど、それがただの位置を示す扉だとしたらそれは通り抜けることが出来る。本当に限界(壁)だとしても、自分ひとりでは無理でも他に手助けしてくれる人が居れば超えることが出来る柵に変わる。そう思うと諦めることが一番やってはいけないことなのかな。そんなことを本日の自転車長距離移動の最中に思いました。頭で考えた限界・壁は実際の心と行動力で幾らでも超えることが出来る。行動して現実に現れたどうしようもない限界・壁は協力者が居れば超えることも出来る。さて、皆さんはどう思われるのでしょう。
2008.01.27
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インナーチャイルドの好転反応??のお話しの続き。前回までの話の流れで見ると、私はかなり母親を悪者にしていますが、常に精神的虐待などがあったわけでは無い訳で(多分…、それに近い時期もありましたが)、もちろん愛されている記憶もあります。というか出てきました。前回のごちゃごちゃになった状態で、涙が止まらず泣いて自分で自分を抱きしめていたときに、自分で自分をポンポンと叩いていたんですね。そのときに、「あ、これお母さんからやってもらったことだ」というのを思い出しました。何かで多分恐い思いをしたんだと思うんですが、わあわあ泣いている私を抱っこして、泣き止むまであやしていてくれた母親。そのときにポンポンと叩いてくれていた記憶が出てきました。それから色々と愛情のある風景が出てきました。「ああ、私は愛されているんだなぁ」ってちょっと実感。「THERAPY」という小冊子で、インナーチャイルドの特集があったのですが、そこの図解で上から、――――――――――――――――――――――| 大人(外側の世界に適応している部分) ||――――――――――――――――――――|| 傷ついたインナーチャイルド ||(ある体験によって心が傷ついている部分)||――――――――――――――――――――|| 健やかなインターチャイルド ||(無邪気な命の輝きに満ちた、 || 本当の自分を感じられる部分) |――――――――――――――――――――――となっているというのがあったんですね。こうやって考えると傷ついたインナーチャイルドが表面に出てきたその下に、愛されて満たされたチャイルドも居る訳で、傷ついた子を癒してあげれば、本来の自分が出てくる、とも言えますよね。ちょうどそれが出てきたようです。インナーチャイルドは実は親から譲り受けたものもある、とどこかで見たので自分の中を見てみたら、確かに居ました。その子が誰かにへばり付いてパワーを吸い取っているように見えたので、とりあえずバリバリと引き離して、へばりついていた母親そっくりの子は天使にお任せで連れて行ってもらいました。へばりつかれていたほうを見ると全体が赤緑のもこもこの苔(かび??)に覆われて、人の形をしているんだけど何がどうなっているかわからない状態でした。ようやくパワーを吸い取られなくて済むようになったのですが、それもわかっていない様子で呆然とフラフラと立っていました。なのでとりあえずハグしてあげて、暖かい原っぱに座らせて上げました。そしたら顔の部分だけ赤毛の女の子に…。誰の影響でしょうね。こうやって一つ一つ自分の中を点検していったら、予想外のたくさんの「自分」に会いました。全部見ない振りをしていたのか~、とちょっと反省。一つ一つ認めてあげるのがまず大事みたいです。さて来週のヒーリングの後は一体何が起こるのでしょう。
2008.01.26
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本日、本来ならやってはいけないことをやってしまいました。冷静に考えれば何でこんなことをと思うし、もうやらないと決めていたことでした。何をしたかというと「ドタキャン」。しかも派遣の面談の約束を。約束した以上、お断りするにしろ何にしろ行かなくてはいけないのですが、どうしてもその距離と交通費が無駄に思えて(往復で欲しいハードカバーの本が1冊買えました)嫌でたまらなくなり、途中まで行ったのにキャンセルしてしまいました。あちこち迷惑掛け捲り…。信用無くすし、それは社会人としてやってはいけないことでしょ、と冷静な私は思うのですが、殆どの私は何故かとにかく「嫌、行きたくない、帰る」の一点張り。確かに全然応募した仕事内容と違うし、遠いし、私の望む方向とは全然違うほうへ勝手に流されていく感じがして不快で仕方なかったのでお断りするつもりでしたが、それとコレをやるのは違うでしょと思うけど何故か全然効力が無くて。地下鉄に乗る気もしなかったので、そこから7区間を歩いて帰ることに。歩いている最中はずっととにかく「嫌」という気持ちばかりがグルグルしていました。そう言えばヒーリングを受けたとき、後日好転反応としてネガティブが出るという話をきいていたのを思い出し、それかも~と思って感情の出るままに任せて見ると…。嫌という気持ちの中に「信用なんかされなくて良いもん。そんなもの要らないもん」という気持ちがぽん、と出てきました。よく考えると「経済塾」を受けて、世の中の仕組みや人を知るまでよく考えていたことでした。世の中の仕組みを知ってから、今までの私の考えたでは幸せになれないなぁと反省して直したと思っていたこと。本当は直したのでなく、癒さずに切り捨てて閉じ込めて見ない振りをしてしまっただけなのかも。でもなんでこんな風に思っていたんだろう、とその大元を探っていくと、やはり母親との関係にたどり着きました。小さい頃何かに誘われて行く予定だった私は自分がどうしてもやりたいことが出来て、それを優先して誘いをお断りしたのでした。そして次回の約束をして帰ったのですが、母親同士でも連絡を取り合っていたらしく帰ったきた私にびっくりして誘われなかったか聞いてきたので、それを断った伝えたら母親は激怒しました。「何で誘われて一度いくといったのにお断りするの!!」「だって他にやりたいことあったもの」と答えたら「そんなこといつでも出来るでしょ!!自分のことより相手のことを考えなさい!今からでも良いから行ってらっしゃい!!」と怒鳴られました。それでも嫌だった私は絶対にそのとおりにしなかったんですね。「そんなことしていたら二度と誘われなくなるでしょ!!信用もされなくなっちゃうからね!!」「次の約束したもん」「そんなの口だけに決まっているでしょ!あーあ、本当に可愛くない子!もう誰にも信じてもらえないからね!!無理だから。誰にも誘われず寂しく生きていくんだからね!!」と思い通りにならに私に対して捨て台詞を吐きました。その答えが「信じてもらえなくてもいいもん!!そんなの要らないもん」でした。個人的にはお互い平和に話し合いをして解決したのになんでそんなことを言われなくていけないんだろうという母親に理解されない悲しさと、やるせなさが一杯でした。母親からは結局その日から数日その捨て台詞を事あるごとに言われ続け、「信じてもらえなくてもいい」は私の中に深く根をおろすことになったのでした。後日約束どおりお誘いに行った私にも「約束したから仕方なくしてくれたんだよ、もう誘いは無いよ」と母親は嫌味を言い続けました。母親は最初は私の為を思って言ってくれていたのかもしれませんが、結局自分の理想の子供のように思い通りにならない私への八つ当たりが酷くなり、よく自分の憂さ晴らしのためによく酷い言葉を投げつけられました。そのときの傷ついた自分がまだまだ隠れていたのです。ちなみにドタキャンは結局そのころの「こちらの気持ちを無視して自分の都合の良いように思い通りに無理矢理コントロールしようとする大人(権威)に対する反感」のような気がします。コレはまだ自分の中にしぶとく残っていてなかなか手放せないですね。そういったものが今回の状況で一気に噴出してしまったようです。ついでに早く死にたい、という自分と全てを放り投げたい自分、生き難くて早く全てを終わらせてしまいたい自分も出てきました。ちなみにこれらの感情が出ているときはすごくキツかったです。こんなネガティブなこと四六時中考えていたら、それは自分自身もキツいし、良い事が起こりにくいし幸せにもなりにくいなぁと反省。それと派遣元には迷惑はかけてしまったけど、本来ハッキリ意思表示が出来ていれば防げたこと。つい流されてしまったことにも反省いたしました。なんか先週からずーっと、次から次へとネガティブな私が浮上して出ています。ヒーリングを受けてからのことなので多分好転反応だろうと思っております。でもコレが続くとキツイなぁ。
2008.01.24
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昨日、さつきのひかりさんのヒーリングを受けました~。テーマがインナーチャイルドだったので飛びついて(笑)ちなみに先週も受けてました。実は。この間出ていた色々な感情の溢れは結局はヒーリングを受けたことへの好転反応だったのかも。本当にここ数年出ていなかった感情が溢れ出して、また泣いていたんです。内心なんでこんなに??と思ってましたが、原因をよく考えれば、出て当たり前だったんですね。ちなみに昨晩はインナーチャイルドワークにそって自分のインナーチャイルドを迎えに行ったら、その先で天使(?)が迎えに来て飛んでつれていかれました。連れて行かれた先は光が一杯で、自分のインナーチャイルドたちは何処に行ったか分からなくて、私は草原の中の樹を上り下りしているイメージが。こーゆーヒーリングはイメージで来る人と感覚で来る人がある、というのを思い出し、余りイメージにとらわれないで~と思っていたら光がぐるぐる…。その後何故か背中が痛い、というかなんか変な感覚。ちょうど肩甲骨の間くらい。そう言えばここ、昔よくテレビで霊現象などの浄化モノをやっていたのを見ていたとき痛くなった場所でもある。結構前にそこが痛くてむずむずしたときにイメージとして黒い丸いものがポンと背中から出て行ったイメージが何故かでて、また入ってくるのを追い出し、背中の穴を光で埋めた覚えがあります。それ以来心霊モノをみても痛くなってなかったのですが、ヒーリングのたびにむずむずするんですね。未だなんかあるのかなぁ。その後何故か体の向きを変えたくなり、左を向いたところで寝てしまったので余り覚えていません。また2~3日後に感情が爆発するかも~。その時はまたブログに書きますね。さつきのひかり様、ヒーリングありがとうございました。
2008.01.23
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「自分の望みと他人の望み」自分の望みと他人の望み、どちらを貴方は重視しますか?他人の望みという人、自分という人それぞれいらっしゃるかと思います。どちらも正しいと思います。ただし、どちらも他人をコントロールしようとしない限りに置いては、という注意が必要です。一番よくありがちなのが、親から子へのコントロール。「○○大学を出て、公務員になって堅実な人間になってね」というようなものも、一種のコントロールです。もっともそれを子供が心から賛同してそのように進む分には何の問題もありません。問題は子供が「ダンサーになってニューヨークに行く!」と言い出したとき。子供に実力が無く、どう考えても無謀な挑戦の場合は現実を見させることは大事です。しかし実力に問題がなく、ただ親が想定していた道を外れる、という理由だけでそれを無理矢理、理屈攻めにして辞めさせて、自分が想定した道を歩ませようとするのはコントロールです。親の希望と子供の希望は一致しないことが良くあります。それは親の視点と子供の視点が違う為に発生します。親は「子供の為」といいながら、子供の希望は無視し、自分の満足の為だけに道を狭めて追い込み、親の希望に無理矢理行かせることがありますので注意してください。同じようなことは友人・会社の関係でもあります。もちろんどうしても自分の希望が他の人に理解できず受け入れられないことはありますが、他人を自分の理解の範囲内で行動するように強制することはやらないでください。話し合いでお互いが納得するのでしたらいいのですが、そうでなく嫌味や意地悪などで相手に強要するのは止めましょう。自分のレベルを落とすだけです。また誰かの話を受けて感銘を受けたとき、又は同調したときも気をつけてください。その人の望みを自分の望みと履き違えて、本当にやりたくないのにやりたいと勘違いしてしまうことがあるからです。その人の望みを叶えてあげたい、と協力するのは構いませんが、自分がその望みを叶えるのが本当の自分の望みかどうかは冷静になって判断してください。自分の望み、他人の望み、どちらを重要視しても構いません。ただそれが自分以外の人が傷ついたり、不愉快になったり、不本意に動かす結果にならないように気をつけましょう。次回は「嫉妬をしたとき」です。
2008.01.21
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昨日のブログを書いている最中、実は其の当時の思いとか気持ちとかが出てきてしまって、ワンワン泣きながら書いてました。途中で丸まって耳塞いで目をぎゅっとつぶって声を殺して泣いて…。でも何処かで「ヤバイ」という思いもあって、知っている大天使の名前を片っ端からあげて「今の頃状態を何とかしてください」とか、「この頃の私を癒してください」等とすごくお願いしてました。インナーチャイルドを癒す天使の名前知らないから~…。お陰さまで泣くのと悲しい絶望感はなくなりました。こんなボロボロになったのは久しぶり。最近アファメーションよろしく「自分のネガティブを手放します」「自分の過去のトラウマを手放します」等と言っているのでその反動かもしれません。インナーチャイルドといえば、以前にすぴこんでインナーチャイルドワークをやったときに2~3才くらいのとにかくわんわん泣いている子が居て、ずーっと抱きしめて泣き止むまで泣かしてあげたことがあったけど、まだまだ他にもいたみたいですね。でもこれ「MARIA」なのかな?私のインナーチャイルドは少なくても3人居て、一人が先ほどの泣いていた子、もう一人が7歳くらいのとにかく遊びたい・でも傍でずーっトくっついていたい子、最後がひざを抱えて丸まって頑なに黙って何もきかず言わずに居る子がいます。最後の子が「MARIA」ちゃん。最初は石造りの家に居て、出てくることはおろか、返事もしてくれなかった。周りの景色は春の暖かな明るい場所なのに家だけ静かに沈黙しているというなんかちぐはぐなイメージ。そこの家の名札が「MARIA」でした。他の人のインナーチャイルドの話を切っ掛けに、其の家を取り払うことが出来たんだけど、出てきたのが5~6くらいの肌の黒い女の子。元々肌が黒い、というより黒く塗られた、というか汚れたイメージ。強いて言うならフランスのとある町にあるという『守護聖人サラ』のような感じ。目は開いていても何も見ておらず、何もきいておらず、反応せずただひたすらに膝を抱えて自分を守るような状態で居て会話も出来ずに困った状態でした。そこでとりあえず肌を綺麗にしてあげて、白いワンピース着せてあげて他のチャイルドと一緒に傍に居てあげることにしました。ついでにそのイメージを絵に描いてみて、ああこんな子が居るなあと改めて実感。しばらく日にちが経ってからふと16歳くらいのインド系というかスペイン系というかという感じの(多分ロマというかジプシーなんだと思う)女の子が出てきて、この子がMARIAなのは分かりました。でもコレがMARIAならあの子供のMARIAは?と思って見ると膝を抱えたMARIAも居るみたい。???どうゆうことだろう??ちなみに16歳くらいのMARIAも絵に描いてみて、ああこんな感じって実感。一番最初に書いた耳塞いで丸まって泣いた状態って本当はこの小さい何の反応もしようとしないMARIAがやりたかったことなのかも。それが出来ず、またはそれをすることさえ諦めて固まって耐えているのがMARIAなのかもしれないなぁと思ったのです。心の奥底に沈めたネガティブな思いとか、トラウマとかが表面に出始めたら手放す一歩手前、とはいいますがちょっときついですね。とりあえず下手に勝手に開放するよりも、今は瞑想用のCDが欲しいです。何処か良いセラピーも捜したほうがいいのかも、と思っています。
2008.01.20
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どーゆータイトルだ??と思われた方も居るかもしれませんが、一体幾つ目の「自分を見つめる」なのか分からなくなったので、「其の3くらい」としてみました。金曜日のお話し。現在求職活動中の私は、フラメンコのレッスンの前にドトールに寄ったんですね。そこで自分が今何を考えているか、どう捉えているかを書き出して見ました。仕事に関して、好きなものに関して、どう生きたいのか、何を求めているのか、天職とは、など思いついたことを書いていき、其の中で更に疑問に思ったことを更に『何故?』という形で書いていきました。其の中で出てきたもの。『子供の頃のトラウマ』のようなもの。小さい頃に感じた思いがまだまだ消化できずに残っていました。小さい頃、私は「親に必要とされていない」「いつか捨てられるかも」「そうなったら誰が私を育ててくれるんだろう」という不安がありました。其の原因がよく親がいう、言うことを聞かないときやからかいで「アンタは本当は橋の下で拾ってきた子なんだよ」とか「橋の下に捨てるからね!」とやたら言われたことも一因だとは思うのですが、一番の根本原因は母親に言われた「貴方本当に子供らしくない。本当に可愛くないわね」ということですね。ちなみにコレはよく言われたことです。この後に腹立ち紛れに「何でこの子はこんなんなのだろう。アンタみたいな子は要らない!生まなきゃ良かった」ということを言われていました。まあ、早い話私は母親の言うところの「子供らしい」という要素が所々欠けていたらしい。そのためやること母親の求める「可愛い子供」のイメージから逸脱することが多かったようです。そのために「子供らしくなくて気持ち悪い」とかはよく言われていました。一番の決定打は何が原因か忘れましたが、母親の言うことをきかなくて、「あんたなんか要らない!出てけ!」といわれて家を追い出されたこと、でしょうね。多分2~3才くらいだと思うけど。ワンワン泣いて、結果家に入れてくれたのは父親でした。其のときの母親は「誰が入っていいといったの!出て行きなさい!!」でした。父が仲裁に入って(多分追い出すのはやりすぎだとかいったんだと思うんですが)何とか収めたときの言葉が「私が家に入れたんじゃないからね。私はまだ怒っていて家から追い出したいからね。お父さんが入れたから仕方なく家にいるのを許すんだからね」と捨て台詞を吐きました。其の件は和解した覚えがありません。したのかもしれませんが、それから私は何かあったら「母親に捨てられる」「母親に捨てられたら、誰も育ててくれない、生きていけない(死ぬしかない)」という恐怖に支配されて要るみたいです。多分母親は親戚も近くに居ない場所での子育てで、「頑張って良い子に育てなきゃ」という気負いもあり、色々あってイライラしていたので、その八つ当たりだと今では理解できますが、其のときは理解できず絶望に塗りつぶされたのを覚えています。それから私は「お母さんに捨てられたら、誰が私を育てくれるかな」「遠い松園町のおじさんたちのトコへ行ったら育ててもらえるかな」「一人で生きていけるかな。でもお金がないと食べ物変えないし、どうやってお金がくるかわからないしどうしたらいいんだろう」としばらくは悩んでいました。というのもしばらくは何かあると(我まま言ったり、言うこときかないと)「出て行きなさい!アンタなんて要らないんだから」ということを言われ続けていたからだと思います。「今お母さんは私を好きとか言うけど、ちょっと嫌なことがあると直ぐに私を捨てたがる」「本当は居ないほうがいいんだ」「好きって言うのも『世間体』とかで、本当は要らないんだ」みたいな気持ちが蓄積されていました。多分其のあたりから何処かに所属しても信じられない気持ちや、何も無いと居てはいけない気分が出てきているのかも~。なのに何処かに所属して安心したい気持ちもあるようです。そして何も無くてもただ「そこに居て良い」という受け入れられる気持ちを味わいたいのかもしれません。子供の頃は「良い子」「母の理想の子供」でないと、いつか捨てられる・追い出されるという強迫観念があったから、必死でそうなろうとしていたみたいです。これも「インナーチャイルド」なんでしょうね。これらも手放したいと思っています。それにしても自分の考え方やその他諸々を見つめて、こういったものが出てくるとは…。
2008.01.19
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本日図書館で「AERA」を読んできました。渋井真帆さんが載っていたのでそこだけ(笑)改めて、この方のすごさを感じました。素直でバイタリティと行動力に溢れるこの方が以前はウダウダして行動せず愚痴ばかりを本当に言っていたのだろうか~って疑問と共に。もちろん旦那さんの力もとても大きいと思いました。ただ、自分が陥った落とし穴を考えると、この方の言っている会社でのビジネスのテクニックだけを捉えて何とか現状を打破しようとしても、結局心身ともに削られて疲れて枯れていくだけなのは忘れてはいけません。大事なのは自分を社会においてどのように貢献させたいのか。自分の資質はどういうものなのか。それらを踏まえて社会との関わりを選んで行動しない限り、何処かおかしな事になってしまう。もし、仕事で自分の心身を削ってフラフラになるだけならば、貴方は貴方の資質と魂の欲求を無視して自分を追い込んでいるだけになる。仕事で疲れても、それでもバイタリティ溢れて行動したくなるなら、それは貴方の資質と魂の欲求と社会(会社)との係わり合いがバランスよく保たれていることになる。以外にも会社の要求がどのようなものか分かっても、それに反発して嫌になるならそれは貴方の資質と魂に会わない会社であり、貴方をくすませることしかならないので出来ればそことは縁を切ることをお勧めします。以前に渋井さん御本人も仰っていましたが、自分をしっかり見つけて自分を見出し、が本当に何を望みどのように社会とかかわりたいかが分かっていないと幸せになれないというのは本当です。この「自分を見つめる」を疎かにすると後でとんでもないものが還ってきます。不本意な現実だったり、疲れて老いた自分だったり、下手すると精神的に壊れます。自分が見出せていないと、どんなに渋井メソッドを使っても会社や社会で幸せになれないし、成功もお金も手に入らない。いえ、一般的な「成功・お金」は手に入るかもしれないが、幸せを手に入れることが出来ない。自分にとって何が幸せなのか。メディアや周りに居る世間の人々が大声で広告宣伝する「幸せの形」というものでなく、自分の魂からの欲求は何なのか。それが分かっていないと何時までたっても「不幸」という自分が作った枠組みから出られない。新ためてそういうことを感じました。本当なら20代でやっておくべき事、ですが、それをやれずに居たからといってそのまま不幸になるわけではありません。今から修正すれば良い。本当は軌道修正はいつでも出来ます。出来ないと思うのは貴方が勝手に枠組みを作って決め付けていること。それは捨てましょう。本当の自分の資質と望むことがわかれば、ビジネスメソッドは自分を助ける大変良い道具になりますが、望むことを無視してメソッドだけを追求しては自分を不幸にする道具になります。本当に望むことを忘れずに居れば、常に軌道修正は可能です。ですからもし何か苦しいと感じたり、何か違和感を感じるときは直ちに基本に立ち返り自分の望むものと現実を照らし合わせ修正していきましょう。そういったことを渋井真帆さんの講義で聞いたことを思い出しました。この方ほどまっすぐな行動力・バイタリティが無くても出来ることからやって行くことが自分の幸せに繋がっていくカと思います。まずは本当の自分の資質と望んでいることは何なのか。それをハッキリさせたいと思います。とりあえず、安定して腰をすえて仕事をする環境ですね。派遣スタッフ等の不安定な立ち位置で無いものを望んでいます。
2008.01.17
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私は相変わらずフラメンコのレッスンには通っています。最近ブログには書いておりませんが…。その先生のフラメンコを踊るときの心構え(?)のお話しがちょっと毎回『シンクロ…?』と思うくらい、自分の中の課題テーマとあっています。それはもう素晴らしいくらいドンピシャなことが多くてびっくりします。これも予定調和なのかな。今回は体の使い方に関して、だったんですが「自分の体の使い方を変えようと思うときは、私も前は間違っていたんだけど、一生懸命努力をするのではなく、自分で『そうしよう』と思って気付いてそのように動かせばいいだけなのよ。その気付きは人にとやかく言われたからそうしようと努力するのでなく、自分の中で感じて気付かないと出来ないのよ」と仰いました。でもこれって、自分の考え方とか、心の振動数の話とかと一緒だなぁって思ったんですね。ずっと前から、スピリチュアルなこともビジネスのことも踊ることも、根底には一つの真理があって、その枝葉としてスピのこと、ビジネスのこと、踊ることがあるんだと実感していたのが、ますます裏付けられていく感じがしました。特に踊ることはその人の生き方が出てしまうので余計にその人がキチンと生きているかどうか(人生や自分に対して誠実かどうか)が現れているような気がします。そう言えば、昔のマンガで『聖(セイント)ライセンス/飯田晴子/角川書店刊』ってのがあるのですが、これがまた、ふと読むとちょうどその時に課題になっていることが心に刺さります。何故か捨てられないんですよね。コレ。出版された当時は某女性向ゲームのオマージュというか二番煎じものだと思っていたけど、今読み返すと内容がとてもスピリチュアル。話によっては「????」と思うことも多々あるのですが、もし気になるようでしたら古本屋で捜して見てください。
2008.01.16
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「自分の望むものを知っていますか?」このように聞かれて貴方はどう答えますか。「はい、知っています。それは~~です」と答えられる人、逆に答えに詰まってしまう人、色々いるかとおもいます。では「はい」と答えた方にお聞きします。その望むを手に入れるために行動していますか。「はい」と答えた方はいいのですが、「いいえ」と答えた貴方、それは何故ですか?人は意外と自分の望むものを得る為に行動をしていないそうです。それは無意識に人は「自分がその望むものを得る資格は無い」と思い込んでいるからだそうです。同じように自分の望むものを知らない、という人も同じように思い込んで、最初から諦めて望むことを見ない振りをしているそうです。そんなことしないでください。今すぐそんな見て見ぬ振りは辞めましょう。貴方は貴方の望むものを手にする資格は十分にあるのです。貴方は幸せになる義務があります。ですから誰かのインプリティングの「自分に価値のあるものを得る資格は無い」というのを捨てることを宣言しましょう。そして「私は私の望むものを手にする資格がある」と宣言してください。例え誰が貴方を不十分な存在だと言っても十全でないといっても、貴方は貴方の望む幸せを手に入れる価値があるのです。他人の貼ったレッテルで自分の価値を決めないでさい。他人の張ったレッテルは貴方ではありません。今すぐ正直に貴方の望むものを宣言しましょう。そしてそれを得る為に動いてください。同時に貴方は貴方に問い掛けてください。「その望みは本当に自分の真の望んでいることですか?」私達は身近な人の望みを自分の望みと履き違えて考えていることもあります。ですからそれは一体誰の望むことなのかよく考えてください。そうして自分が本当に望むことを知り、そのために動いてください。うそ偽りは貴方を不幸にします。貴方の本当に望んでいることをハッキリさせましょう。次回は「自分の望みと他人の望み」です。
2008.01.14
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現在私は自分自身の見つめなおしをやっています。今まで持っていた価値観を一つ一つ見直していく作業なのですが…、実際ちょっときついです。例えば「○○しないと恥ずかしい」という気持ちが出てきたら、「それって何故恥ずかしいの?」「誰が恥ずかしいって教えたの?」「実際貴方は○○をしたいの?したくないの?そしてそれは何故?」「で、それは一体誰の価値観なの?」と幾つか質問してそれに対する答えを出すのです。本当なら紙に書いておいたほうがいいのですが、私の場合、机などに向かって改めて書こうとすると何故か本心を自我が覆い隠して、形どおり、まるで教科書に対する優等生の答えのようなものしか出てこなくなってしまうので、この方法はやっていません。一番良いのがやはり歩きながら、掃除しながら、自転車に乗りながらなどの体を動かしながら行為の最中に自問自答することです。(車を運転中にはやらないほうがいいですね~、注意力散漫になりますから)結果、結構まだまだ小さい頃に植え付けられた母親のネガティブな価値観に縛られていることに気付きました。「アレをしないと立派でない」「これが無いと世間に対して恥ずかしい」「こうでなければみっともない」そんなことばかりが植え付けられていました。人に対する容や思いやり、という意味での「こうしたほうが良い」というポジティブな価値観ではなく、「~~しないと駄目、みっともない」というネガティブな価値観。こういったものは人の心を縛って凍らせ、自分だけでなく余計によくないもの(ネガティブ)を撒き散らし強要ます。人に対する礼儀、形というものは人に対する思い遣りであり、自分の身を固める鎧ではありません。相手に自分を優先させる為のものではなく、相手の心を優先させる為のもののはずなのですが。閑話休題。とにかくそういったネガティブな面の価値観を植え付けられていると、「他人にこう思われるようにしなくては」「誰かがこう言っていたから、こうしなくては」という風に行動するようになり、やがて自分の本心を知らず知らずのうちに殺して見ない振りをしていってしまいました。そして自分が本当に望むこと、本当にやりたいことが分からなくなり、それをまた見ない振りをする為に他人の価値観を取り入れてがむしゃらに動く。それがここ5~6年にわたって私がやってきたことでした。ちなみに今まで勉強してきた視点・経済・経営のこととか、その他価値観が無駄だとは思っていません。それはそれで自分が望むことを現社会で現実化させようとするときには、必要な道具(ツール)であるのは確かです。ただ、自分が何処に行きたいか、何をしたいかをハッキリさせずにその道具だけ使っていても、迷子になるだけなのです。大切なのは本当に自分が望んでいることが何であるかをハッキリさせること。親や世間や他の誰かの望みではなく、私自身が心から喜び、それをせざる得ないこと。本当なら10年位前にハッキリさせて置かなければいけないことだったんですけどね。逃げていたから、今どうしようも二進も三進も行かない状態に追い込まれてしまいました。それを探る為にも今ひとつ一つ考えること・価値観に対して、改めて質問を投げかけ、自分が本当は何を考え、何を本当に望みを捜しています。貴方は本当に自分が望んでいることを知っていますか?
2008.01.13
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本日今年初めて成田山へお参りに行ってきました。祈祷はしなかったけど、お寺の中で瞑想はしてきました。一応「ご自由にお参りください」と出ていたので。御神籤引いたら、また同じような内容でした。「今は未だなかなか苦しいときだけど、後になればなるほど良くなるでしょう」というような内容。就職も同じ(笑)確かに今はまだちょっと大変です。でも、まあ、なるようになるでしょう。そう言えば身を委ねる、というのもなかなか難しいというふうに最近思っています。委ねる、とはやるべき事をやってその結果を上に任せるというもの。何もせずにボーっと待っているのとは違うことをちゃんと改めて認識しなおさなければいけない、と最近になって更に強く思うようになりました。ここ数日やたら自分が思っている価値観と知識と本当の理解とがバラバラになっているのを再統合(再認識)しなくてはいけない必要性に駆られています。頭と心との認識がかなり違っていて、もう一度光と愛のある認識の仕方にしなおさなければ、今の状態はまた何度でも廻ってくるようです。もういい加減ここから卒業しなければ。それはさておき、後は熱田神宮へもお参りするだけです。(ここ数年、氏神様と成田山と熱田神宮へ初詣行ってます。すると御神籤が毎回ほぼ同じ内容だったりします)そういえばお参りが終わって階段を下りていったらフラメンコの知人に合いました。「何で居るの?」っていわれましたが、それはこちらも同じ気持ちなんですが…。意外なところで合うものなんですねぇ。
2008.01.12
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最近スピ系ブログのじぇいど♪さんの書く「なにが見えてる?」にハマって居る私です。しかも何故か過去ログから現在にさかのぼって頑張って読んでいる最中、という私的にはありえないことをしています。基本面倒くさがりだから、ブログ見つけると殆どの場合過去ログは読まず、見つけて所からしか読まないんですが…。それを読んでいる最中何故か「地球樹の女神/平井和正/徳間書店刊・全13巻(当時)」をポーンと思い出しました。えっと、平井和正先生ご存知ですか?ウルフガイシリーズとか、幻魔大戦とかエイトマンとか書いている方なんですけど。先ほど楽天BOOKSで調べたら絶版しているみたいでした。私が学生時代に読み始めた本なのでかなり古いです。今はe文庫のほうで7巻まで読めそうです。気になる方はチェックしてください。今考えると内容がかなりスピリチュアル。植物の「教授」と話が出来る天才少女やスピ系の能力を持った人やそういったものを付けねらう組織などが出てくる話です、確か。神様も輪廻転生も霊山も出てきます。内容はかなり忘れています。だってつい最近まで読んだことさえ、本(お話し)の存在さえ忘れていたんです。本好きの私が!!(あ、基本的に読んだ本ってなんとなく内容とか覚えています。途中でリタイヤしたとかそういうのも)ただその中で何冊目かで魂移しとして自然の樹や風と会話したりとかいう力が表記されていて、それを読んだときに無性に「ああ、この力は私も持っていたのに今はもう無くしてしまった、使えなくなってしまった。今からもう一度修行すれば取り戻せるだろうか、でもやり方が分からないし」という絶望感というか虚無感を覚えたのも思い出しました。・・・っていうか、現在この「私」として生まれてからそんな力使った覚えが本当はないハズなんですけど???その時は素直にそう思ってしまったからよく考えると不思議です。でもなんでそんなことをブログ読んでいるだけで思い出すんでしょう。やっぱりただのブログではないのかな。でも、思い出したから何があるわけでもない(今のところ)のですが。そう言えば何故あの時買わなかったにも関わらず、図書館へやたらリクエストして買わせて読んだんでしょうね。?????だらけですが、何故かそのことを無性に書きたくなっている私にも「???」です。ちなみに私は『見える』わけでもない極・普通の三十後半の独身女性です。……何かこれからあるのかな?
2008.01.10
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夢、見ました。最近覚えていること多いな。今回はまた駅の夢。個人的には駅はとても多いです。何故かセミナーに行きたくて、高速バスで東京に行こうとしているのだけど、総合駅でどうしても東京行きのバス乗り場が見つからない夢。時刻表や切符売り場は見つかって、切符を買って停留所に行くんだけど、どうしても東京行きのバスが止まらない。全部長野とか京都とか広島行きで、時刻表には載っていても東京行きはスルーして行ってしまう。時刻表の時間がどんどん過ぎていってどうしても東京行きのバス乗り場がわからない上に、何故か買った切符も東京→名古屋に変わっていて使えないのが判明。でも還ってくるときに使えるからとそれは持ったままにして、「そういえば」とひらめいた地下の場所へ急いで行く。そうするとそこにもう一つバスターミナルが。その時点で夜9時半。もう夜行バスしかないかもと思いつつ行くと売店やらバスを待っている人たちが。そこには東京行きのバス停があって、バスが止まっていて、売店を抜けるとバスのチケット売り場がありました。そして何故か夕方の5時半くらいに時間が戻っていて、6時のバスがあるという情報を得る。6時だと東京での宿代が無いから、とりあえずチケットだけ買って夜行にするにしても夕方に乗るにしても一度荷物を準備しないと、って駅を出ると何故かあかるい昼間。男に人に「バス停見つかった?」と聞かれ、「見つかったからこれから準備の荷物をとりに行くところ」などと雑談しているところで目がさめました。う~~ん、多いんですよね。駅の夢。分岐点にきているときによく見るそうで、まさにそのとおりの状況です。ただ、駅で電車や飛行機に乗っても何故か途中で目的地に着かない夢って多いです。電車だと私の乗っている車両からだけ分断して違う方向へ行くとか、急に戻ったりとか、飛行機も元に戻ったりとか・・・・。途中までは普通に行くのに最終目的地へはどうしても着かないとか。乗り換えたら余計につけなくて、乗り換えなければ実は大回りでも最終目的地に着くはずだったとか、乗りなおしたらその車両からルート変更とか…。一体何の強迫観念なんでしょうね。そう言えば夢日記は良い夢でなくても書いて最終的に大ハッピーエンドにするといいと何かに書いてありましたね。よし、それをしよう。で勝手に続き。荷物を取に行ってチケット売り場に戻るとちょうど夜行バスが最後の一席でそれが取れました。そしてその夜行バスに乗ったら、周りがみんな良い人でみんな夢をかなえに良く人たちでした。バスは道中も楽しく、順調に朝焼けの東京へ着いて、みんなと頑張ろうねと約束して別れ、一人セミナー会場のホテルへ向かいました。そのセミナーは自分の夢をかなえ、愛と豊かさに溢れる為のワークショップセミナーでした。その方法をつかって私は夢をかなえ、愛と豊かさに溢れる生活と、駅であった見た目はぱっとしないけど尊敬できる人と愛情溢れる結婚をしました。そしてバスに乗っていたみんなも夢をかなえ本当の友達になりずーっと楽しく過ごしました。おしまい。まあ、私の想像力ではこんなものです。皆さんも悪夢はハッピーエンドを作ってしまいましょうね。
2008.01.09
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「欠点を受け入れる」とは言うものの、「欠点は仕方ないから受け入れてね!」と自分以外の人に強要することではありません。これは自分のもですが、他人のも受け入れることをしましょうね、ということです。誰にでも欠点はあります。極当たり前のことです。そして自分の欠点を受け入れられない人は、他人の欠点も受け入れる事が出来ません。他人から「○○が欠点だよね」とか「貴方のここが良くない」とか言われたことありますか?それを聞いて「そんなこと無い!!」とか「あの人は人を悪く言う酷い人だ!!」等と言っていませんか?それは貴方が自分の欠点を受け入れられていないからそういう愚痴が出てしまうのです。ただその面はいつも貴方の『欠点』とは限りません。時には『良い点』にもなりうるのです。ですから人から指摘されたときは良くない側面が現れていると思い、それが出ないように気をつけたり、逆にいい面が出るようにすればいいでしょう。同時に他の人の欠点が許せないときはありませんか?それは貴方が持っている見たくない、隠している面をその人に投影して見てしまうから許せないのです。貴方がもし他の人の何処か欠点が許せないのなら、それはなぜかをもう一度考えましょう。そして同時に、その人の良い面が出るようにサポートしてあげましょう。貴方が他の人の良い面が出るようにサポートできれば、貴方が他の人にサポートされます。そうしてお互い良い面が出るようにしていけば、欠点など見えなくなるのです。船井幸雄さんの本に書いてありましたが、欠点は直そうと思っても直るものではないそうです。逆に良い面を見つけてあげてそれが伸びるようにすれば、欠点はあっても目立たなくなるそうです。欠点はどうしても目が行きやすいところです。でもそれを指摘して悪く言うのでなく受け入れ、同時に良い面を見つけていけばさほど気になるものではないのです。もし貴方がどうしても悪い面ばかり目に行きやすいときは、もしかしたら自分の悪い面が出ているのかもしれません。一度客観的に自分を眺めて見ましょう。次回は「自分の望むものを知っていますか」です。
2008.01.07
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昨日から体調不良でダウンしています。正確には一昨日の夜ですね。突然おなかの調子が悪くなって、おなかを下し、夜中に何度も目覚めてトイレ通い。当然ぐっする眠れるどころか1時間ごとに目を覚まして~と言う感じ。吐きそうになるもその夜は大丈夫でした。そんな感じで翌朝は起きた時点で食欲まるっきりなし!!今まで風引いてぶっ倒れても食欲だけは旺盛だったのにまるっきり食べられない。体もだるい。そんな訳でバイトの最終日なのに、一時間で早退。その後バッタリ倒れて一日寝てました。結局夕食(うどん)もろくに食べれず、就寝。でも体調悪い人に味噌煮込みうどんは無いと思います。普通固めの腰の強いうどん使うから、消化は悪いんですよね…。そしたら夜中にとうとう吐いてしまいました~。夕食のうどんはまるっきり消化されていませんでした。夜中に布団の上だったので後片付けが大変で、起きてきてくれた母親に手伝っていただきました。ありがとう。本日はようやくちょっとだけ食欲が再開。でも一応念のため、紅茶に浸したパンとヨーグルトとプリンだけの食事。殆ど断食状態ですね。でもそれだけでもおなかがグルグル言ってます~~。そんなわけで本日も家でごろごろ。まあ、ゆっくりしなさい、ということでしょうね。今まで無理しているつもりは無かったが、やっぱり何処かで無理していたのかも。でも本当は今日、熱田神宮へお参りに行きたかったのになぁ。仕方ないので来週ですね。皆さんも体調には気をつけてくださいね。もっと体の声を聞かないといけませんね。
2008.01.06
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しんねん三日目にしてようやくご挨拶、というのもなんだとは思いましたが、それは礼儀としてね。改めて、新年、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。しかし新年早々、御神籤は末吉だし、内容も「めっちゃ苦労して苦労して当ても外れて更に苦労すれば何とか開けるでしょう」みたいな内容で、初夢もちょっと夢見が悪くてちょっとブルーな年明けでした…。まあ、一種の好転反応だと言うことにしておきましょう。それに今がドン底なら、これから先上がっていくしかないですからね。六星占術でも今年は大殺界明けのいい年なので、再々スタートです。まあ、大殺界で動いたツケは未だあるので用心深くですけれど。ともかく今年もよろしくお願いいたします。
2008.01.03
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