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なんかまとまんないので、つらづら書きますが。私の感覚の間で、今日で一端終わり、というのが昨日からありまして。いや、終わらんのだけど、未だ明日も明後日も出勤日なんだけど、でもなんかこの日を越えればホット一息つける、みたいなそんな感覚がある。確かに月末だけどさー。確かに早出要請出勤今日で終わりだけどさー。そのせいかもしれないけどここ数日切羽つまった感じがあって、妙なのです。色々準備もあるけどさ~、それだけじゃない感覚。自分でもよく分からない。不思議。そうそう、「人格統合」に関する事だけ、ブログ引っ越し予定です。今やほとんどだけど。先日その為の基礎登録してて、メッチャ疲れた。諸事情あって面倒だった。そんな訳で未だ下準備段階で、止まってる。なんかミョーに時間と気力が無かった。で、こっち。こーゆー馬鹿な事を書くように残す予定。更新頻度減るけど。
2013.01.31
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何かいきなり悪あがきをしたくて仕方がない状態になっている。何に、っていわれても、なんだろう、としか返って来ないんだけど。ともかく「時期が来たら覚悟決めるから、悪あがきをさせてっ!」って感じなので、まあ、腹くくれるなら良いか、と思ってもいる。でもなぜそんな事をしたいのか、と言うと一つに何か思い込みがありそうだ、と感じた。「こうじゃなきゃいけない」「こうしないと駄目」何か勝手に「在るべき形」を作り上げ、それに当てはまらないといけないと思っている部分がある。いや、それってもっとも遠いもんじゃない?もちろん法則には則るけど、それ以外に「~~じゃなきゃいけない」ってないよ、私。そんな親の作りあげた理想の方を演じなくて良いんだよ。それとやっぱり、とんでもないことに踏み出す前の躊躇というか、怖れというかそう言うのが来ている。そりゃ、怖れて当然だよな、緩めとはいえジェットコースターに最初に乗るようなもんだよな。悪あがきの原因はこれかな。分かっていてもどうしても喚き倒したくなる。それもありだと思う。まあ、いいや。どうせ時期が来たら嫌でも覚悟決めて飛び乗るだけだし。それまで十分にあがいておこう。
2013.01.30
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なんかもう、めっちゃ右往左往してますが。色々ともう何か本当に、自分で自分が馬鹿じゃなかろーか、と思うことは沢山あって、コレもその一つですけど。色々準備をしてましてね、リラに通う為の。その為の右往左往がめちゃくちゃ多い訳です。今までどんだけいい加減にしていたか、ってのが丸わかりで、一回一回落ち込んだりしてます。本当に同じようなことに毎度グルグルしてて、それこそ自分の尻尾を求めてグルグルしてるワンコのようで、バカみたいだなーと思いつつも、そこから抜け出せず余計にグルグルしたり。うん、とりとめも無く書いてますが、そんな感じです。覚悟してる所としてないところが明確にハッキリしてて、してない所を再度問われている感じがビミョーにします。まあいいや、明確になるところはしておいた方が、解決直ぐにしなくても、早いに決まってる。そーいえば、ハルの辛いことを思い出す、ってのを卒業アルバムとか見れば嫌でも思い出すじゃん、と思った所で、それを探すのも嫌って気持ちが出てきて、先に少し進まない。強引に推し進めてもハルの思いだしにならん。で、何で抵抗するかってとこを掘り下げていくと、辛い思いを再度するの嫌って出てきた。あー、先生のセッションでそれは違うって教えてもらったじゃん。もう一度辛い目に会う訳じゃなく、思い出すだけだって。わかったって言っていたのに。でもハルは。 思い出すのももう一度辛い目に会うのも同じように感じる。 あの時は違うって思ったけど、でも今は一緒に感じる。 思いだして乗り越えるって、やっぱり良く分からない。 そこをしないと先に進まないのはわかる。 でもやっぱり辛いの嫌だ、哀しいの嫌だ。ハルさー、一人で思いだすわけじゃないよ。私も一緒だし、陽ちゃんも一緒。ハルが嫌って言っていたのをずーっと感じていた陽ちゃんの事をはどうなのさ。酷い事をしたって分かったんでしょ?それを止めたいんでしょ? 辞めたい。 でも感じたくない、辛い、嫌になる。でももうそれは終わったことだよ。今はそんなことまるっきりないよ。 ちがう、似てる。 側に人がいない。 話の合う人がいない。職場で合わないのは仕方ないし、無理に合わせても面白くもなんともないでしょ。ハル、貴方の「みんなと仲良く」ってのは幻想だよ。心通わなくてもただ一緒にいる人が欲しいの? ちがうちがうちがう。直ぐ近くに居無くても、心の通うお友達をつくる為のことだよ。 わかってる、でも辛い。辛いの、無視したら、本当に会う人が居なくなるよ。今はね、その時と違うのはね、離れてても、独りじゃないってことだよ。それにね、側に人がいない、っていうけど、陽ちゃんは人じゃないの?私は人じゃないの? …………。ね、独りじゃないよ。思いだして辛いことは陽ちゃんも辛かったからわかることだよ。一人が辛いのは陽ちゃんも同じだったよ。だから陽ちゃんはハルを本当に一人にはしないよ。私も同じだよ。 ごめんね、ごめんね。辛かったら辛かったって言えばいい。哀しいなら悲しいって言おうよ。そうすることでわかることがあるから。こうやって嫌だって言っても良いよ。側にいて幾らでも話を聞くからさ。頑張ろうね。 ……うん。ぐるぐる。そうか、グルグルしていくと強引に思考を止めるのは、出口が見つからなくて絶望しか感じかなったからか、とふと思った。相談者も誰も居無くて、一人でなんとかしなくていけなくて、でも糸口見つからなくて。その感覚が未だに残っている。
2013.01.29
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脈絡もなく。いや、あると言えばあるのだけど、仕事のお客さんで、やたら企業や相手を悪者にしたがる人がいて、一体何かなーと思ったのだ。一種の自己防衛本能だと思うのだけど、でもそれってどうかなとか感じた訳です。そう言う私も昔は勝手に敵作っていたけどさ。でも自分を守るために、わざわざ敵を作る必要なんて、無いんじゃない?っていきなりひらめいた訳です。相手を悪者にしなくても、自分を守ることって出来ないか。ちゃんとやることをやって、自分で把握しておけば、悪者が居無くても自分を守れる。助けを求めると、助けが貰える。対峙しようとするからこそ衝突するし、自分を守るために敵が必要になる。ああ、そうか、相手に寄り添うってのは、結局敵にならないためか。不要な争いを避けるためか。これも一種の表現方法だよなぁ。対峙するしか知らないと、それしか出来ず、余計な争いをして、自分も相手も傷つく。本来そんなものしなくて良いはずなのに。だから正面切って対抗しなくても良いのか。自分の中で納得行って無ければ、そりゃ出来んわ、自分。その時はそうだと思っても、どっか納得して無かったんだな。消化できてなきゃ、とってつけた小技と変わらん。出来ねー訳だ。まあ、それでもパターンでスイッチ入ることはあるけどな。そもそも寄り添われた経験が少ないから、難しい所はあるけどね。でもやっていけばいいことだよな、コレ。
2013.01.28
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何でもそうだが、とにかく後回しにする癖がある。何故か直ぐに着手しない。時々自分で訳が分からなくなる。逃げと言えば逃げだけど、そんな逃げるほどの事じゃない。それなのに逃げる。ハッキリするのを避ける。理由は分からない。ただ単に怖いだけか。何故怖いのか。逃げっぱなしで良いかと言ったら、嫌との答えと、肯定の答えがある。嫌の方が焦る。出来ないと怒る、出来ない事を憎む。肯定の方がそれを受け、余計に逃げる、怖くなる、目を閉じ耳をふさいでやり過ごそうとする。ハッキリわかることの絶望を感じる。何故絶望?喜びじゃなくて?死刑宣告の様な感覚がある。逃げられないことの恐怖か、でもそれは何故?心折れるのが怖い、傷つくの怖い、と言ったらそれは甘えの気もして、自分の置きどころがなくなる。でも、誰でも傷つくのは怖いし、心折れることは避けたくなる。それは当然、で、それでそのままでいたいのか、嫌なのか。そしてまた、その結論を出すことも逃げたくなる。苦しいとしか感じない。一人放り出される感覚。結局そこをグルグルする。抜け出せない。そろそろ出たい。
2013.01.27
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多分だけど。あのおばさんの喋り方が、かなりムカついたんだと思う。うちの母に似てて。ヒステリックにとにかく自分の思う通りにコントロールしようと躍起になっていて、人の話を一切受け付けず、人を無理やり自分の好みに動かそうとするところが。こうなると完全に臨戦態勢になる。絶対お前の言う通りのなってやるか。絶対お前の下に下ってやるか。お前の方が絶対に間違っているから、目にものを見せてやる。そう言う感覚が湧きあがる。赦さない、許さない。私の事を無視して、蔑ろにして、コントロールしようなどと、赦すのか。絶対に負けるものか。下らないお前の思い通りになってやるものか。その怒りというか思いは、いじめに在った時もふつふつと腹の底に在ったものだ。力は無い、言葉も抵抗できない。でも絶対に負けるものか。これをプライドとか傲慢と言えばいいのか、ただ単に自己尊厳の為の怒りと言えばいいのか、実はよく分からない。ただこれがある為に、奈落に落ちなかったとも言える。自殺などしなかったと言えるし、完全に逃げるのを自分に許さなかったのもある。触発される。恐怖と知識のなさでパニックになり、更にプライド?の冷静さでも対応しきれなくなる時、ふつふつとわいてくる。寄り添うというより、叩きのめして地に這わせたくなる。そして狂気の嘲笑をあげたくなる。うん、先は長いな。
2013.01.26
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久しぶりにブチ切れた。今日は何故かやたらクレーム系の電話に当たって、対応策を思い出しながら、応対していたが、最後の最後の人でさすがにブチ切れた。私で出来る限りの事をお伝えし、それ以上できることがなかったので、他に分かる部署へ家訓の電話をお願いしたら、ヒステリーを起された。だからさ、こちらで今できる限りの事はしているし、話したし、それ以上はもうどうしようもなかったので、そちらへの連絡をお願いしたのに、「じゃあ、そっちでも分からなかったらどうするのよっ!」と責任転嫁するような感じでねちねち言われて、本気で喧嘩売りそうになった。ともかく一度そちらで確認しないことにはもうどうしようもない事を延々20分くらい話をして、ようやく電話を切ってもらえた。で、あえて言う。色々聞いたり対処法を教えてもらったが、それでもあえて言う。出来る限りのことはこっちはしたし、それでも分からんことは分からねーんだよっ!それ以上のことはこっちの出来る範囲外で、それ以上のことは、別部署で話を聞いてもらって確認しないとどうしようもないんだよっ!!そのわからないことに対してグダグダ延々延々言われても、どーしよーもね―んだよっ!とりあえずそちらで確認してわからなかったら文句言いやがれ!やる前からいちゃもんつけてんじゃねえっ!分かったかこのくそババぁっ!!納得いかないからって、ヒスられてもこっちもこれ以上分からないしどうしようもない。そーゆーことはあるんだよ。そんなに文句ばかり言うなら、一度こっちの仕事で働いてみろっ!って思う。そもそもN社の案内自体が間違っている事など、結構あるのだ。そっちの明細確認してからものを言いやがれ。って感じで愚痴ってて、周りの人ごめんなさい、なんですけど。いやはや、本当に久しぶりにお客さんに対してキレた。こちらが全ての手の内曝しても、自分が納得できる答えが出るまでヒステリーを起こす人ほど鬱陶しいものは無いと思う。ったくどんだけ自分の思い通りにならなきゃ気が済まないんだ。どんだけ人をコントロールしないと気が済まないんだ。一緒に解決どころか一方的に悪者にされてぎゃんぎゃん言われても困る。更に大抵そういう客は、自分の話ばかりして人の話を一切受け付けない。それじゃあ、余計に解決するどころか、全然先に進まんのだけど。自分で勝手に思い込んで、勝手に曲がって解釈して、それでその解釈が違っていたことに不満を持たれても、本当に困る。訂正説明すると、逆切れするし。死ねっ!て思う。分かってくれないって怒るけど、テメーこそどれだけのこと分かっていってるんだって思うし。分かってくれないって怒るより先に分かろうとしろよ、って毎度思う。自分の努力しないことを棚上げするな。以上愚痴です。すみません、どーしても収まりが効かずに。そして職場でも怒られたけど、駄目だ、本当に駄目だ、こーゆーちょっとでも思い通りにならないとヒスを起こす奴は。ムカツク。最初旦那さんと冷静に話してて、途中で奥さんらしい人が電話かっさらって、ぎゃんぎゃん喚くパターンが本当に困る。先に自分が電話して説明聞けよ、馬鹿。
2013.01.26
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「さよならドビュッシー」を読んで、痛いのは、何処か自分の経験や覚悟とオーバーラップさせているからだと思う。自分の在り方というか、主人公の在り方というか。年は全然違うけど、そういうの関係なく、きっと誰でも持っているもので、泥沼から這い上がろうとする力というか、そう言うモノに惹かれる。くじけても、転んでも、沈んでも、後ろ向いても。でも結局私はそこに留まる事など出来ないのだと思う。出口や糸口を探して、あがき続ける。そう言う原動力が、自分の中に在り、それが共感として引っ張り出される。痛くてそれを目を逸らしたい。無かった事にしたい、辛い、嫌だ。負けない。そんなものに負けない、どこまででも、何時まででも負けてやらない。負けたように見えても、絶対に諦めない。両方あって、両方とも私で、それで痛かった。別々に見えて別々じゃなくて、どっちがおかしいんじゃなくて、どっちもまともで、それで良くて、外野の言葉など本当は聞く必要も無くて、でも聞かざる得なくて、ぐちゃぐちゃで痛くて、それは逃げるんじゃなくて、受け止めるもので。ともかく中身が書きまわされてぐちゃぐちゃで、でも見えてるものもあって、それで今の私のベストなんだと思うし、それで、今はまだいいのだ。ともかくそんなのがグルグルしてる。
2013.01.25
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結構有名なミステリーですが、ようやく読みました。前から気になってはいたんですけどね。映画化されるのは知っていたけど、名古屋が舞台だということを知って手に取ってみた。感想は、かなりハートが痛い作品です。人によるんだろうけど。極限に追い込まれて、くじけてそれでもなお進もうとするその姿もだけど、ところどころにちりばめられている台詞も、かなり抉ってきた。そして何度も覚悟を問いかけ、それでも自ら選ばせる言葉とか。人の醜さや悪意を突き付けたり、そのエゴイスティックに在り様を詳らかにしたり。おざなりのキレイゴトや美しいだけの物語でなく、かなり人の本質に迫るというか、そんな感じの話だった。もちろんミステリーですから、それなりの哀しい話でもあります。ミステリーの部分も気になったけど、でも、これって、もっと違うモノだよな、って思う。人の生きざまの覚悟を見せられる作品、としか言いようがない。リラの取り組みをしてるからかな?その部分がとても痛い。痛くて再読なんてお断り、と思いつつも、何度も読み返したくなる作品だと思う。
2013.01.25
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正確には違うと思うんだけど。人間嫌いというか人に対してあまりかかわりたくないって気持ちが今日はあって。そうなると全てが面倒でともかく何もしたくなる。全て後ろ向きで、放棄。考えることがいきなりすべて後ろ向きで、何か改めて「お話があります」というと、常に最悪のパターンを考える。想像で自己卑下にまで落ち言って、それに対しての対抗策を考えたり。でも平気で普通の様子で電話では話したりする。半分職業的に言葉と気持ちを切り離しやすい、ってのがあるとは思う。頭ではね、そんな自分をおかしすぎるってせせら笑う感覚もあって、でも気持ちとしては最低な所をはいずり回っている感じ。それを表には出さず、隠している、今まで。話しても理解されないから、とにかく表面を取り繕っていれば、勧奨してこないから、とバリアを張っている。実はそんな感じで話してて、その事を話したくて、でも出来ないんだよ。ごめんね。信頼して無いわけじゃなくて、ただ出来ないんだまだ。ここから抜けたいと思っている。その最低グルグルの状態ではなくて、話の出来ない状態から、だけど、まずは。だからまだもう少し待っていて。
2013.01.24
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人格統合仲間のちよちゃんのブログにコメントしたら、お返事に私が思考停止になることに対しての問いかけがあった。お返事しようにもその時は私の中で明確な事が何も無かったので、まだ返事出来ず、今日一日何故かを探っていた。言われてみれば、何故、私は思考停止になるのか、ってことで、色々頭の中でアレコレ心当たりを、列挙してみても、それこそ言い訳の為の言い訳を考えているようで、しっくりこなかった。一番似ているのはパニック状態の時の感じ。どうしていいのか何をどう考えて良いのか分からずに、右往左往しているのと似ている。後は何を言っても却下され袋小路に追い込まれ、母が自分の望む方へ強制的に頷かせようとしているがそれを嫌でなんとかしなきゃ、でも何もないという絶望的な感じ。その時は何が何でもそれだけは嫌だと言い張り、どうなったんだっけ?叩かれたのかまたネグレストされたのか、服従させられたかその辺りもあいまいだ。思考停止になる時は、それ以上何をどう考えて良いのか分からない時も起こる。経験知識が足らなさ過ぎて、切っ掛けその他が分からない状態になり、それで他人に聞いても誰も教えてくれず、馬鹿にされるだけという余計に絶望的な感じもある。内に籠る。そして時間がたてば状況が動く、とっかかりが出来るという感じの放棄に近い時もある。ああ、でも、ありとあらゆる退路を断たれ、ふさがれ、道がなくなっていく感じが一番近いか。そして裏に何時もあっさりと絶望してしまう感覚が張り付いている。結局自己喪失によるものが大きいのかな、とも思う。なんかどれだけ自分の中の言葉を尽くしても説明する為の説明みたいな、どうもしっくりくるものが少ない。外してないけど、ど真ん中じゃない感じ。気持ち悪い。そして今回一番ショックだったのは、思考停止を平然と行い、それを疑問にも思っていなかったこと。当たり前になっていて見えてないことが多すぎる。
2013.01.24
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再度エアポケットハマり中。毎度エアポケットというのは、理由があって、色々な課題がかなり遠く自分のものと感じられなかったり、思い出せなかったりするから。もちろんそれが良しとする訳ではなく、なんとかしたいと思って、それが出来ずに自責を今までしてきた。でも違うよな、ってところでちょっと待てよ、というようになってきた、かも。内面に意識を向けると一番最初に感じるのは、陽ちゃんとハル。でもハルは相変わらず思い出すことが難しい。で、思ったのだけど、陽ちゃんがハルに、こんな辛いことがあったんだよ、と言えるなら言ってはどうかな。ハルはちゃんとそれを聞いて、それを受け止めようとして見て。ただやっちゃいけないのは、聞いて思い出せなくても、「思い出せないから知らない」と言って切り捨てること。それだけはやらないで。それは一番誠意のないことで、人の心を切り裂くくとで、同時に切り捨てだから。そんな事をハルにはして欲しくない。そんな事をしていては、本当に春がしたいもの欲しいものは手に入らない。誰かを助ける為の、寄り添う力は入らない。だからきつくても辛くても、ただ受け止めて。ハルが辛くなったら、いくらでも話は聞くから。 話す。 話を聞く? 聞いてもらえるの? 聞く。 怖いけど聞く。 でも辛すぎたら一度止めてもらうかもしれない。 無理はしなくて良い。それは駄目。ハルがやれる範囲からやればいい。陽ちゃん、お願い出来る? 話しても無駄じゃない? 無駄はやりたくない。分かって欲しくない?一人で抱えてること。 ……分かってほしい。無駄じゃないよ、無駄なんてこと無いよ。絶対に何かなるし、ハルは逃げたくないもん。だから信じてみて、出来なくても良いから。 わかった、やってみる、と思う。 出来るかな?出来なかったらまた考えよう。一人じゃないし、リラの人達もいるし。 うん、そーだね、わかんなくなったら先生も聞いていい、っていった。 優実ちゃんとひーちゃんも同じこと言ってた。 じゃ、まず聞く。うん、私も一緒にいるから。出来る範囲でわかるところから。切り離さないように、してもすぐに繋ぎ直すように。
2013.01.23
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先日の勉強会で指摘されたこと。人の言った事を鵜呑みにする傾向があるよね、と。確かに人の言った言葉に対して、支配されて振り回されることは結構ある。ハッキリ言って、自覚してて、抜けたくても抜けられない。縛られて身動きが取れなくなることがある。改めて書くと、やっぱり異常だと思う、自分でも。でも抜けられない。何故?と思うと同時に、何時もその言葉に逆らって、怖いことが起きたらどうしよう、という恐怖心がある。言うとおりにしないと、怒られる、叱られる、叩かれる。だから言った通りにしないと。そう言う恐怖心と、後は、言われた事をそのままやって褒められようとする心理とあると思う。ただ2番目は裏意識としてあるかな、という感じで、メインが恐怖心。人の上から言われた事をやらなくて、怖いことや嫌なことが起きたらどうしよう、そしたらよけに親に叱られる、という感覚。抜けられない。グルグルとしてどうしていいのか分からない。中和すると良いとか、いつまでも子供の時の意識に縛られるのはおかしいとか、そう言うのは分かる。でも具体的に中和するってどうすることだ?って所で立ち止まる。そもそも自分の軸を持って人の意見を取り入れる、ってどういうことだ?わかってるつもりで私は何もわかって無いと思う。実際実践できないし、結局言葉に支配される。だから占いも見ないようにしている(その通りにしなきゃ、ってなるから)そしてその通りにできない自分を自責したり、悪いことが起きるんではないかってことで怖くなる。だから排除しつつ、でも誰かにアレコレ攻撃されるんじゃないかと不安になる。違う、と言っても結局そこから動き方が分からない。取りあえず、今何でも鵜呑みするのは恐怖心と支配されてきたからだということがわかる。わかるが抜け方が分からん。なので、今度聞く、予定。
2013.01.22
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それは沢山あって、自分でも持て余した結果、麻痺を掛けてきた。結果今何が本当に怖いのか、良く分かって無い。家に居ても安心などしたことがなく、両親が起きている間はびくびくとして過ごした居た。気に入らないことがあると、何時ヒステリーを起こすか分からない母親の目を盗んで動いた。父と兄は、私が何か悪い事をするから母がヒステリーを起こすと信じて疑わず、不条理な事さえも全部私が悪いことになる。何を言っても聞いてもらえないし、理解するどころか逆に説教をすることもたびたびあった。だから父と兄は味方ではなかった。周りの人たちや友人たちも母親の事を悪く言うと、口をそろえてお母さんの事を考えないのはおかしいと言って批判した。逆に私がおかしいと幾ら言っても、逆にお前がおかしいと批判して潰しにかかる人もいた。だから何も言わなくなった。言わなきゃ攻撃されない、言わなきゃ放っておかれる。何を感じても話しても、理解されないとうすら笑いを浮かべて、おかしいと良い、時には徒労を組んでいじめられたりもした。そう言うのがともかく怖かったし、だからもう口に出すのも嫌だった時期がある。友達と仲良くできないと、友達が多くないと、「あんたはおかしい、どうして普通の事が出来ないんだ」と母に言われるのも嫌だった。一見うちの母は普通の母だった。怒らない時は確かに普通の愛情深い母親に見えたと思う。外づらだけは良かったし。ただ一度怒りだすと異常だった。延々と子供を責め倒し、罵り倒し、時には痣にならない程度に叩き続ける。なので怒りだすとびくびくとして居た時もある。未だにヒステリックに怒鳴り出されると、心のどこかでびくっとしてフリーズする。そんな事もさえも、麻痺させて乗り越えて平気なつもりで居た。家は安全じゃない、外や学校の方が安全、と思っていた時期があったな。小学生の頃だと思うけど。きちんと思い出せない。他にフリーズして閉じ込めて、まだ見たがって無いことが沢山ある感じがする。蓋をあけなきゃ進めない。でも蓋を開けるのが怖いし、認めると進めなくなるから嫌だ、ってのもあって。怖いんだよ、歩けなくなることが。立ち止まって動けなくなることが。そこから逃げられなくなることが。それで止まってしまって、更に何も出来なくなる。それじゃ意味がない、から、だから、助けを求めて良い、と、昨日言われて、少しだけほっとした。誰も手を離さない、諦めなければ、一緒に居て道を探してくれる。超常的に、助け出されなくても良い。ただ一緒に居て、進んでくれる人達がいる、と、言うことが、本当は嬉しくて。何かようやく、求めていた所に、着いた、気がした。辛かった事を、認めて、私がおかしいんじゃない、という事を、分かってくれて、昨日はあまりも突然で、言ってくれて、受け止められなかったし、でも嬉しかったんだよ。まだ、怖いし、立ち止まるけど、でも、独りじゃ、無いなら、歩いていきたい、と、思う。で、ごめん、途中で乗っ取られ。律か陽ちゃんか。怖いってことがメインだから律、時々陽ちゃん、という感じで。もしかしたら、兄に言わせたら、そんなに酷い事など無かったといいかねないのだけど、客観と主観が違うのは、よくあることで、兄に言わせたら自分の方が酷い目にあっていた、というかもしれん。そう言えば、兄とはその幼い頃の話をしたことが無い。何となく、話をしたい気持ちもある。
2013.01.21
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に、いってきました。毎月恒例だけど、12月は諸事情でなかったから、2カ月ぶり。優実ちゃんが仕事で遅れてきて、もしかしたら来れないかも?という心配もちょっとした。私の話は何処スタートだったっけ。途中で優実ちゃんが来て、仕事モードだったからいきなり雰囲気が変わったのは覚えてる。伊藤先生のセッションの話から、ハルの陽ちゃんに対する応対とかの話しを聞いてもらった感じだったと思う。最初ハルの陽ちゃんへの接し方に疑問がある、ということから逆に陽ちゃんが今どう思っているかの話をした。殆ど乗っ取られ状態で話をした感じで、話が終わった後疲れた。陽ちゃんとリンクしてる時、途中でそこから離れそうになったのが2回ほどあった。とりあえず今は陽ちゃんの話だから、ってことで集中した。ちょいちょい顔を出していたけど(でもそれも優実ちゃんに指摘されるまで、気付けなかった)、ここまで勉強会で出たのは初めてだと思う。それと言われたのは、私は途中で訳が分からなくなると思考停止して放棄して、その先に進まないことが気になるということ。確かにそれはあって、どうしたらいいか分からなくてもてあましていた。そこをわかんなくなったら、どうしたらいいかを聞けばいい、ってことを教えてもらった。うん、それまで私は誰かに聞く、という発想が無かった。結局それらも全部自分でやらなきゃ、他人に聞いても教えてくれない、ってところに閉じこもっていた。違う、ちゃんと分かんないことは分かんないから教えて、って言わないとダメだってことを改めて教えてもらった感じ。それまで分からない事を分からないというと、逆切れされて怒られたり叱られたりしてたことが多すぎて、そう言う発想が無かった。そもそもの発端がアイデンティティクライシス(自己喪失)にある、って話に結局いきつく。その辺りの幼い時の苦しい話をすると、未だまだ逃げたくなるし、見たくないってのが出てくる。ともかく家を安全な場所だと思ったことが殆どない事に、気付かされた。今も本当は家にいるのがくるしい。けどその苦しいのを感じないようにしてて、麻痺をかけてる。その辺りがまだ見れない。逃げたくなる。ただそれもそのままじゃ駄目なんだろうな、というのをうすぼんやりと分かっていて、でも見ないようにしている感じなのが、わかる。でもそこから先がまたさっぱりで、順番に相談していきたい。ともかく今回メインテーマで出てきたのは、訳が分からなくなって、止まったら「助けてください」と聞くこと、ということ。ともかくそこをちゃんと見ていきたい。
2013.01.20
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朝起きたら11時過ぎていた……。それだけ疲れてたことに、気付けなかった。なんかだらだらするなぁとは、おもっていたけど。体力無さ過ぎ、どうしたらいいかな。そんな感じで一日基本ダラダラ過ごした。まあ、もう、仕方ないな、って思う。疲れてるモノは疲れてるし、無理する必要ないし。もちろん、そりゃ、もうちょっと、こう、とか思わなくもないけど、でも今の状態を優先していくことに決めたから、無理はしない。もっているモノの総入れ替えをしたい気分。今は捨てる・整理する体力と気力も無いけど。それでもちょこっとづつ、やれる範囲からやっている。進まんけど。
2013.01.19
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少しだけだけど、クレーム系の電話が怖くなくなったし、嫌じゃなくなった。そしてパニックになる事も少なかった、と思う。取りあえずこの3日間。クレームの電話でがーっと怒鳴られるように言われるとパニックになる話をして、どう対処というか、対応していけばいいかの道理を説明してもらった。それだけで、かなり落ち着いて電話に出れるようになった。同じようなことは管理層からも言われていたけど、それまでは「だって、でも」という感じで反発してた。この差って何だろう。だけど今回からは、「よし、こい」って気分にちょっとだけなった。もちろんまだパニックに近い状態にはなる。でもそれまでみたいに、何処かいっぱいいっぱいで、代わりにプライドかヤサグレが出てきて、応対するみたいなのは無かった。まだ3日だけだから、今後はどうなるか分からんし、また戻るかもしれない。けれど頭真っ白で「どうしよう、どうしよう」というようなものは少なくなった。まだパニックを止めるほどのところまではいってないので、これからどっかんと来るかもしれないけど、まあ、きた時は来た時だな。今のところはそんな感じになっている。
2013.01.18
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今まで無意識に「自分がなんとかしなくちゃ」という思考を持っていた。何から何まで、とにかく自分がどうにかしなくてはと思い込んでいた。「一緒にやっていけばいい。無理になんとかしようとしなくて良い」ということが良く分かって無かった。ようやく分かった。変な気負いとか義務感とかそう言うのが、溶けていった。先生に言われてようやく。今まではどうしても、「そうはいってもやっぱり」というところから、抜けられなかった。それと、自分で言い聞かせて駄目だったことが多くて、多分それはプライドが人格統合していたんじゃないか、って感じた。頭で分かっている、でも納得できない事は殆どそれを言い聞かせようとしているのが、主人格じゃないから、なのではないかと思う。そう言うことにようやく気付けた。遅い。そして今まではその事を責めていたが、それを受け入れて修正という方に行けるようになっている気がする。まだ、あくまで「気がする」レベルだけど、でも、ただ知識だけでどうにかしようというのとはちょっと違っている感じがする。感覚なので、どう言葉にしたらいいか分からないけど、エネルギーの使うのが、頭なのか、ハートなのかの差、って感じ。言いにくい。ともかく、ハルが動いたらそんな感じ。もっともいつまた戻るかなんて、知れたことじゃないけど、とにかく、この感じをちゃんと忘れずにいたい。
2013.01.17
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書き忘れてた。昨日、ハルの陽ちゃん拒否の話をした後に、ふと自分の中の他者拒否切り離しと似たエネルギーのような気がした。受け入れたくても受け入れられず、無意識に拒否していた事が沢山あって、でも本当は受け入れたくて、出来なくて困っていたことが幾つかある。他人の重い所も受け入れたいけど、同時にそんなものを持ちたくないとか。キツイところは感じたくないけど、人のためには動きたいとか。清濁併せ飲むようなことが、とにかく出来なくて、拒否感と受け入れないとという、妙な葛藤があった。それとハルの陽ちゃんを受け入れず逃げていたのと、似ている気がしたのだ。伊藤先生に言われて、ハルが反省して、今は陽ちゃんの隣に座って、ぽつぽつと「あれ、辛かったよね」という話をしている、感じが今日はしていた。小学校5・6年の仲間ハズレになったこと、続いての中学一年のほぼクラス全員からのいじめも、すごい辛い思い出で、そんなのをハルは受け入れられなかった。そして、陽ちゃんに丸投げして逃げていた。何を話してもなにをしても、上手く溶け込めずどんどん疎外されていって、話す人も居なくなって、話しかけても適当にあしらわれ、スルーされるのは、本当に嫌だった。何を話していいのか、話しかけても良いのか分からなったね。嫌だったよ。という話をしている。6年の途中からは、結構仲良い人も出てきて、それなりにハルは満足していたが、その後の中一の時がさらに辛かった。でもまだ、ハルはそこまではいけないな。まず小学校の時のことから順番に。寄り添うということ、同じ視線に立つということが分かって無かったけど、ようやくどう言うものかを何となく分かり始めた感じ。陽ちゃんは今までハルにムカついていたけど、隣に座って、ぽつぽつと話をするのを拒否してない。言葉は発さないけど、一緒にうなづいている感じがする。というか、私そこに入って無いぞ、やばくないか。何か後ろで様子見をしている感じだけど、それじゃなくて一緒に座って聞いていかないとダメだな。何やってんだ。ともかく、今は自分の中の受け入れを進める感じです。
2013.01.16
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マロさんが、担当ヒーラーから外れた。話を聞くと、仕方ないね、って頭では思う。でもなんか気持ちの上では悲しくてさびしかった。なんか離れていってもう話せないような気分になった。マロさんはリラを辞める訳ではないのにね。接触が少なくなるのが、淋しいんだと思う。ようやくちゃんと、抑圧なく、向き合えるようになって、これからだ、って思っていた。だから余計にさびしい。泣きたい気持。帰りのかなしい気持ちはそれもある。全部ごちゃまぜで、焦点合わなくて、ただ悲しかった。
2013.01.15
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伊藤先生のセッションの為に、リラまで行ってきました。もっとも前日の大雪で、交通が大丈夫かメッチャ心配したけど、それは全然大丈夫でした。今回は遅刻しなかったぞ(笑)今回先生に相談したのは、まずは自分がパニックになること。例えばセッションで相談したい課題を持っていく事とか、仕事中にクレームがあるとパニクって訳が分からなくなるとか。そのパニックになるのは何故かというと、ともかくやらなきゃ、きちんとしないと受け入れられないとか、嫌われるとか、そう言うのがあるという事をお話した。しかも具体的に、と最初に言われて、「今がその状態なんです」という返事をしてしまいました。事実だったんだが、本当に毎度そんな感じで、どうしようどうしようと焦っていたりする。それが一体何なのかというと、「自己喪失」によるものだそうです。自分に対する信頼感、安心感、そう言うモノの欠如が引き起こすということを説明して戴きました。仕事のクレームに対しては、相手と自分を切り離しているからこそ、そう言うことが起きるということを説明して戴き、その対処法を説明してもらった。相手の立場に立つことと、共感することが大事で、同じ風景を見ようとすることが大切になってくる事を、分かりやすく説明してもらった。会社の上司からもそう言う話はされていたけど、全然自分の中に入って無かったというか、知識としてだけ知っていた感じで、今回伊藤先生に説明されて、初めて腑に落ちて、具体的にどうやってみたらいいのかが、理解出来た感じがする。うん、どうしても私は自分の立ち位置から動こうとしてなかったんだな、って思う。それと後で気付いたのだが、被害者意識が出てくるのもあるのかもしれない。そしてセッションなどでは、毎日書くブログで、聞きたい事を赤文字でメモしておくことを教えて戴いた。なのでこれは絶対にやるつもりだ。そしてその人の出来る精いっぱいというのが、どう言うことなのか。特に私の場合はそうやって、セッション前に赤字にしたものを全部書きだして、そして順番をつけて、これだけ教えてください、というのが私のせい一杯ならば、それはそれで良いんだという事を、それでパニックになる必要はない事を説明していただいた。振り返るとすごく当たり前のような気もするが、その当たり前のことが全然分かって無くて、毎度グルグルしてるなと思う。そしてリラ自体が出来なくて当たり前、そしてそれを一緒になんとかしていこうというところだという事を、再度教えてもらい、すごく安心をしたのがありました。それとパニクるのはエネルギーの無駄だから、止めようね、という話で。「パニックになるのやーめた」と言うのを口に出して言って、戻るようにしようという事も教えて戴いた。具体的なリアルはそんなところで。あとはハルが陽ちゃんを受け入れられないということを相談させてもらった。ハルはアネゴ人格で他の人はなんとかしたいのに、もう一人の自分である陽ちゃんは受け入れられない、ということが起きてました。ただこのままだと、大事なお友達が出来た時に、その人の力になってあげられなくて、助けてあげられないままだということと。あとちゃんと自分が辛かった事を一緒に思い出していくことを。もう一度同じ目に会う訳では無くて、思い出して乗り越えていくことを説明して戴き、受け入れていくことを、ハルが決めてやっていくことになりました。後自分がやってきた事がどれくらいひどい事なのかも、ちゃんと自覚が出来たのも大きいと思う。最初、ハルの事を伝えていくつもりだったが、途中から完全にハルで話をしてました。相変わらずはがれにくいというか、自分だからあっさり持っていかれてしまいました。そんなもんだ。私の中でハルが一番人を求めてて、人を好きな人格だから、この子を育てていくことがやっぱり大事になるようです。セッション終わって帰り、何か胸の方が悲しい気持ちが一杯で、誰が何で感じてるのか分からないまま家に着いた。自分の酷さにショックを受けたハルの気もするし、ようやく辛さを知ってもらえた陽ちゃんの気持ちのような気もする。でも泣けないんだよねえ。途中でせき止めたというより、出なかった感じ。また少しづつ、ここは見ていくつもり。
2013.01.15
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昨日の自己卑下の出来ることが怖いとのことで。そう言えば以前に、出来るとなると、もっともっとと周りのプレッシャーが強くなって、苦しくなるというのがあったな、と思いだした。結局昨日不思議に思ったのと、最初に知ったのと人格が違うのかな、と感じた。頑張っても頑張っても、結果が出ずに「出来るはず」と言うというのが、「何で出来ないの?!」という叱責に代わる恐怖というかそう言うモノ。それでやらなきゃという頑張りでから回って、余計な悪循環になる。それから逃げる為に自己卑下プライド。でもその頑張るをやりたくて、自己卑下な部分を憎んだのは、アネゴや表のプライド。その中でもアネゴが未だに受けつけない。ので、会社にいる間、時間があるとアネゴのハルに「どう思う?」と何度もきいた。足を引っ張るっていうけど、貴方が頑張ると余計に陽ちゃんが疲れて動かなくなるけどどう思う?貴方が辛いとか嫌だと思う事を許さなかったから、陽ちゃんがそれを引き受けて苦しくて引っ込むようになったんだけど、どう感じる?駄目と言って、憎んで拒否すればするほど、結局貴方のやりたい事は駄目になるのだけど、このままでいいと思う?結局自分がやったことで、自分が苦しくなるのだけど、このままでいいと思う?ほぼ毎回返事はない。最初は聞かないように逃げていたけど、何度も問うので、それは止めたようだった。自分がやった結果、ハルが苦しくなって、廻り廻って余計に自分が苦しくなる、という事を分かって無かったようで、それを知ったハルは呆然としている。そこから先の進展はない。そもそもちゃんと理解したのが、夕方なので、そう簡単に進展はしないよな、って感じですが。じゃあ、どうすれば良い?どうするのが良かったの?だって、それじゃあ、駄目だって言われてたから、駄目って許さなかったのに、それが余計に苦しくなるなら、どうすればいいの?『ネガティブ~』の本読んだでしょ?うん。あの中に書かれていたように、まずは人から言われた駄目な事を無視するの。駄目じゃ無いにするのえ?そして何でも良しにしてみる。否定したりジャッジしない。出来るかな?それってどうするの?そんなこと、良いの?良いの。え?でも今までそれじゃ駄目だって。だからその今までは全部嘘だったの、わかる?分かんない。だよねー。わからんよねー。今までさ、何度か勉強会を見てきたよね?その中で、他の子たちにことを全部OKしてきたのを見てなかったっけ?……本当は駄目なのに、って思って見てた。その駄目ってのが、一番ダメなの。だからまずね、駄目ってのを放っちゃって。え?じゃあ、一緒に駄目ってのを放るこうとをしようか。それなら出来るよね、一緒にやって、一緒に放り捨てようよ。出来る?分かんない。え、でも大丈夫なの?大丈夫なの。だって他の人には大丈夫ってしてるでしょ?あー、うん。それを自分にするだけだよ、出来る?やってみる?分かんない、やってみても出来るか分からない。最初出来なくて良ーから、やってみない?やってみることが大事。それならいいよ、やってみる。口先じゃなければいいけど。そんな感じでまだ墓前してる最中だけど、約束してみた。けど、これ、半分強制してるか?ちょっと反省。でも、逃げずに見ることが少しでもできればOKかとも思う。うん、地道だな。
2013.01.14
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昨日、マイミクさんの記事のリンク先で、人は自ら傷つくことを選択している、という話を読んだ。リンク先をチェックしてなかったので、リンクできないけど。その中の話題で、エステでピリピリと痛みがある方が効いていると感じて、満足度が高い、という話題があった。それに絡めて、人は何かをしている時の方が、充実感があるという話でした。その話を読んで、今の状況が落ち着かないのは、何かに振り回されてないと、何かにガッツリ向き合ってないと、四六時中その課題が目の前にちらちらしてないと、やっている気にならないんだな、ってことだと気付いた。だから普通に穏やかだったとしても、本来はそれでいいはずなのに落ち着かないのかな、と思った。もちろん私の場合は、ただの麻痺で感じないという感覚があって、余計に落ちつかないのです。そういえば、人格統合の本にも会ったけど、どうしても動かない時はじっと我慢ってあったので、無理に動こうとしてしまう。更に動けない自分を責めて、自家中毒を起こしているのだな、と思った。動かない=何もしない、取り組みをしない、って訳では無くて、動かないのが取り組みの時もあるのかもしれない。動かないの質にもよるのかな、と思う。結局、何がどう違うのかな、とか判断に毎度困る。多角的視野も、考慮も出来ないから、まだまだ教えてもらわなくては、右も左も分からないから、どう仕様も無くて、そんな自分が歯がゆくて、でもここからしか進むしかなくて、妙な気分にもなる。そしてグルグル考え過ぎる。そういえば、私の中の自己卑下は、自分が頑張って出来ることが怖いと思っている節がある。出来る自分というのを認めたくない、という感じがした、今日。認めると存在意義がなくなる、というような。逃げ場がなくなるのが怖いのかな。なんだろうな、これ。自己卑下は本当は辞めたいと思いながら、自己卑下にアイデンティティを依存してるのか。本当にこの矛盾しきったものって何だろうな。自己卑下以外に何か存在意義があれば、手放せるのかな。それってなんかな?まだよく分かって無い。なので一緒にそこんところを下げていきたい。
2013.01.13
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表立っては、感情の揺らぎが無いので、陽ちゃんとの会話。ぽつぽつとういか、線ではなく点での接触だけど。今度リラの伊藤先生に会いに行くんだよ~、と話したら。「会いたくない」と言い出した。「会ってもどうしようもない、何をやっても意味がない、何も変わる事なんて無い だから私は会いたくない、勝手に会ってくれば」という感じで、更に内に籠って隠れようとして居た。一つ間違えるとドタキャンしかねないほどの拒否感だった。今更そこまで引っ張られることはないけど。隠れてても仕方ないんだけど、逃げても意味無いから。だから会いに行こうねー、と言ったら本当に隠れた。その為か、仕事してても自己卑下的な引っ張り感がない。今まで何をやろうとしてもやっても無駄、意味がない、と言って阻んできたのがこの人格だったか、と改めて感じた。陽ちゃん以外は、会いに行くことに異論はない。一番会いたがってるのは、多分ハルと貴夜ちゃんの気がする。後は様子見、と言った感じ。同時にハルの何にも問題がない、平気って言う切り捨てもある為、余計に感じ難くなっているかも。それと、現状に一つとして。頭の片隅で色々な物語をずーっと考えている、夢子的な状態がある。逃避の一種だと思うけど、これは昔からの癖。ただ沢山の物語を考え過ぎてて飽和しかかってるので、ちまちま時間がある時に書きだしている。書き出すと取りあえずその物語が、頭の中でグルグルしないから。これは同人をやっていた頃の、何時もお話を考えていた癖でもあり、幼い頃の現実逃避の手段でもあったもの。チャネリング的に物語が降りてくるので、仕事している以外の丸一日その物語に支配されてる事もある。大体1・2日で抜けるので、その時は無理にそれを押し止めたりはしないけど。これはもうずっとだな。今まで一切言ってないけど。
2013.01.12
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完全に停滞期に入った。逃避モードに入ったとも言えるかも。どっちが先って訳でもなくどっちも先だな。中が動かないというか、感じない麻痺モードに入った気もする。わずかな所を拾って、動いている感じ。感じた事を全て気のせいに出来るという、とんでもない状態。無理に感じたかも、で動くと余計な失敗を招いた覚えもあるな。無気力な訳でもなく、ちょっと疲れてるのかな。ただのサイクルかな、とか変に考えようとする。こんなの駄目、という声が聞える気がする。こうじゃなきゃ、という声が聞こえて、毎度このモードに入ると、無理に動こうとうするのだが。いや、その無理に動こうとするのがおかしいのか?そして気付く、ともかく自責癖があるから余計におかしくなる。変なトリックにハマって二進も三進も行かなくなる。理想と現実は違う。理想が出来ないからと言って、自分を蔑ろにしているわけでもなければ、ベストを尽くしてない訳でもない。出来ないことが現実。それを受け止める、というステップが踏めないのが一番問題なのか、これわ。ともかくグルグルする。無意識ジャッジしまくる。考えるのを止めて、とにかく観察し続けるモードに移動しておこう。人格との会話が出来ないが、逃避の可能性も頭の隅に置きつつ、取りあえずはただ見る。
2013.01.11
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今日は気付いたら自分の中を見るというのをやってみようとした。今はどんな反応をしているか、今は何を考えているのか。で、気付いたのだが、私は自分の中をじっくり観るというのが苦手だ。ともかく目先の何かに意識を逸らし、見ない事を選択している、というのに気付いた。もともと自分を見つめる、というのは大の苦手。目を逸らし続ける事をしていた。自分を深く探るのが嫌いなわけではなく、見たくないものを見るのが嫌、という感じだ。もちろんそんな事お構いなく、がんがん見てハートが痛い事もある。だからこの「見ない」パターンは、完全にカルマパターンと言える。しかし表だって、プライドみたいに主張するタイプのパターンではなく、静かに根付いているので、気付くのが遅れる。静かに目を逸らし続け、意思気も逸らし続け、完全に静かな逃避パターンだな、と最近の状況を振り返って思う。表だってやらかすなら、気付く。でも静かに影に隠れて行われるので、気付き難い。でもなんか違うと感じる。どの人格のパターンかは不明。強いて言うなら自己卑下の陽ちゃんかも、という感じ。アネゴも見たくないものから目を逸らすパターンがあるので、コラボかもしれない。ある、だとしたらどうすればいいか。そこを考える。ともかく流される思考に気付き、今へと戻ること。取りあえずそれしかない。もしかしたら夢子的なパターンを持っているのがいるのかもしれない。居ても不思議じゃないけど。ともかくそんな感じで今は目を逸らされ続けてる。連敗中。負けない。
2013.01.10
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気がついたら、色々な事を無意識にしていた一日でした。ブログ書こうと思って、PCの前に座って気がついた。当たり障りなく、自分のハートや内面を省みることなく。軽くショックを受けた。忙しい、ってのは言い訳で、なんかもう今日は振り回されて影響をうけまくって、色々やっていたんだな、と振り返って思う。そして余計なエネルギーを使い、疲れ果てた感じ。自分のハートや内面を意識しながらの方が、生きるのに疲れないんだな、と改めて思う。ああああああ~~~~、って感じ。そういえば、帰りも何んとなーく地下街歩いて、なんとなーく服を見て、気になった割には買わずに帰ってきてたり、その辺りでも感性がおかしくなっているのに気付けなかった。やばい。私的には相当ヤバイ。何かあっても「まあ、いっか~」で流し過ぎた。これって本当にどんどんおかしくなる手前だ。「何となく」で何でもかんでもどうでもよくなって、全てを放棄してしまいかねない。サイクルだとしても、気を引き締めないとそのまま駄々崩れしそうな感じ。いかんいかん。もう一度ちょっと気を引き締め直さなくては。ちなみに。「まあ、いっか~」の何が悪いか分からん人は、別にそのままでいいと思う。あくまで私の生き方として、ヤバいってだけです。はい。
2013.01.09
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今日は気がついたらちゃんと陽ちゃんに意識を向ける、というのをやってみた。声を掛けたり、側にいたり。でも基本反応が薄い。座ってただ見ているか、眠っているか。買い物に行って、「何か欲しいものない?」と聞いても、反応はほぼない。ともかく内側に引っ込んでいたい、外に出ていきたくない、人と会いたくない、というのがある。家の中に籠って、邪魔されず、独りで静かに出来ていれば他に何も要らない、と引き籠り自己完結。自己完結自体はよくないけど、今の時点では良いんだけど、でも、何て言うか、外からの反応の鈍さが気になるっちゃー、気になるんだよねぇ。そんな事をアネゴに相談してみた。そりゃー、もう、やるって決めた以上、やるしかないんじゃない?でも反応が、あまりにも鈍いよ。大丈夫かなぁ。大丈夫にするって決めたじゃん、だったらやらないと。一人だと難しいかも。手伝わない?……わかった、じゃあ、私も出来るだけ側にいる。でもあの子のためじゃないよ、やらなきゃだめだからやるだけだからね。いや、そんな義務義理でやらなくて良いけど。表面的なそんなので来られても、陽ちゃん困るだろうし。でも側にいないと余計にあの子が困ったことになるんでしょ。そしてもともと私のせいなんでしょ。じゃあ、やるしかないでしょ。そう言うと、ハルは陽ちゃんの隣に座った。ただ隣に座っただけで、陽ちゃんはめんどくさそうにハルをみた。何が変わるかって分からんけど、何らかのきっかけになればいい。そう言えば先日から地味~に、猫が欲しいのだが、ひょっとして陽ちゃんかなぁ。本当に、自分の事が把握しきれない。負けるな。
2013.01.08
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書くことが出てこない。ん~~~、と思っても出てこない。偶にこんなことがある。全てを蓋して、悪いことネガティブな事なんて無いよん、っていうような感覚。切り離し。多分アネゴ辺りのパターンだな、って思う。ま、だからと言って、そっから切り開けん私も困りものだけど。切り離しがなければ、辛い事を辛いと思わず、大変な事を楽しんでしまう感性もあるので、助かるは助かる。その分、場の雰囲気とか分からなくて、バカもやるけど。そういや、色々な場面で、表出してない人格ってあるけど、だからと言ってまるっきり影響がないわけじゃないんだな、って思う。特に自己卑下は、全面表出しなくても影響があって、足を引っ張られる感覚。何でそんなに引っ張るかなあ。謎。なんか本当になぞな事が多すぎる、自分。
2013.01.07
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やっぱり人格の表出しやすいサイクルがあるな、と感じる。今日も先月と同じような状況にハマった。だけど、陽ちゃんが引っ込んでいるためか、変な自己卑下思考ぐるぐるに浸ることは少なかった。まるっきり影響がないわけじゃないけど、捉え方が全然違う。変に深刻にならず、受け止めるというか受け流すというか。今までこのサイクルに入ると、深刻に受け止めたり悩んだりしないので、自責をしていたが、そんな必要ないかもな、とも感じる。何か改めて書いてみると、全ての事にいちいち「こうじゃなきゃ」と思い込んで、出来ないと自責を繰り返していたな。何だろう、これ。プライド、と今まで思っていたけど、もちろんその要素もあるけど、ともかく駄目だしして玉なことに浸っているパターンって、自己卑下のような気もするんだよね、最近。自己卑下の陽ちゃんはその裏に傲慢さを持っているから、誰かに言われるより先に自分を貶める。そのパターンに近いな。その根っこには現実と理想の差にショックを受けたり、なにをしもて駄目で苦しかったりした思いがあって、それを再度感じたくない自己防衛に近い感じがする。なので傲慢さうんぬんより先に、そっちのケアだな。陽ちゃん、辛い時はさ、一人で抱え込まなくて良いんだよ。一緒にそれはやっていくことだからね。うそ。だってそんなこと誰もしてくれない。口ばっかり。結局辛いこと嫌なことは、一人で抱えて頑張らなくては行けない。誰も側にいてくれない。だから一人で頑張ってきた、自分で守らなくちゃいけないから、自分で守ってきた。ごめんね、今まで一人にしてしまって。今度からはちゃんと側にいるから、一人で抱え込まないで。そんなはずはない。みんなそんなふりして、本当は逃げる。ちょっとでも辛くなると、平然と見捨てる。そして人を遠巻きにして、逃げられなかった私をバカにする。一人にしないなんて嘘。わかった。じゃあ、信じなくても良いよ、取りあえず。辛かったり悲しかったり自己卑下に入った時に、私が一緒にいるようにする。側にいることは大丈夫?……大丈夫。でもみんな嘘ばかり。誰も助けてくれなきゃ、一緒に居てくれない。本当にそんなこと出来るか、信じられない。信じなくて良い。そんなもの求めないから。辛かったら呼んで。呼ばなくても側に行くから、それからで良い。勝手にすれば。こんな感じで。始めて陽ちゃんを実感してから、半年以上たつけど、私はこのレベルだ。信用や信頼なんてほど遠い。だからこそ、隠れられたり、行方不明にしてしまったり何だろうな。なので、もうちょっと陽ちゃんと一緒にいるように頑張る、出来る範囲で。ああ、そうだ。陽ちゃん専用のぬいぐるみも買おうかな。
2013.01.06
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父と母に。やるなと言われることしか手を出さず、父を怒らせることを生きがいにしているかのような母の行動、怒られたことによって悲劇のヒロインの如く、変な世界に入り込む。些細なことでも自分の思い通りにならないとヒステリックに怒鳴り散らし、道理の合わない事を正論の如く喚き続けることと。二人の似ているのは誰が何と言っても聞く耳を持たず、自分が間違って無くて相手が間違っていて、人の話を聞いたりしようと丸っきりしないこと。不愉快だ不愉快だと二人とも言い合っているが、その前に自分を省みたらどうだ?といいたくなる。言った事もある。途端にお前は居候の癖にと怒鳴り出す。自分の非を認めること反省することを何よりも嫌い、自分の醜さを見せつけられる事を嫌い、他者責任になすりつけ、自分の悪いのを見ないようにして、意味不明の自己正当化に走りだす。ムカツク。死ね。そんなDNAが入ってるかと思うと、虫唾が走る。ウザイ。私はそれを憎む、許さない。自分の非を認められず、醜い自己正当化をする事を。私はそんな事自分には許さない。
2013.01.05
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年始、一人で初詣に出かけた。今までそんなの当たり前だった。でも今年、少しさみしい、と感じた。一人で気楽、でも寂しい。それを全面に感じると、動けなくなる。だから無かった事にして、感じないようにしてきた。無視してきた。そうか、じぶん、淋しかったんだ、って思った。もちろん一人を楽しむこともできる。でも誰かと一緒に居たい自分もいるんだな、って。一人じゃ嫌。でも拒否されるのも怖い。だから人をこちらから拒否する。一人で大丈夫と強がる。そこから動かない。本当にそれでいいのか、自分。
2013.01.04
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今日から仕事始めでした。そして気付いたが、陽ちゃんとの会話が全然なかった気がする。アカンじゃん、自分。そしてミスディレクションされててどーすんだ、自分。失敗。昨日一昨日と熱があってぼけてた事を言い訳にしてしまうが、それもちょっとどーかと思ったりグルグルするので、考えるのを止めた。分かってるのが陽ちゃんの感じる場面が少なかったってこと。そんな訳で、未だに主人格として接する、ってのが出来てない。頑張れ私。ハルを感じる場面はあちこちに在った。そうか、人格として把握してなかっただけで、やっぱりいたんだな、と改めて実感した。でもこちらも乗っ取られてばかりで、対話は出来てない。課題と出されてる、「対話する」ってのが、本当に苦手で出来てない。主人格強化しないと、進めん。でもでも、そうやって出来てないってことをちゃんと分かるようになってきただけ、進歩だと思う。今までその対話自体やれてるつもりだったから。全然できてねーよ、自分。思い上がるな。そしてあきらめるな。
2013.01.04
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熱が下がらないので、家で寝てました。嫌というくらい寝れますね、こーゆー時って。お弁当のおかずがないので、一応買いに出たが、すごい人だった。雪ふり天気なのもあって、他に行くところないのかなーと、他人事ながら思ったり。欲しいものがあったので見たけど、買う気にならなかったので、買わなかった。そうそう、スニーカーが欲しくて、丁度安くなっていたけど、足に合わなくて困った。親指の爪の部分が圧迫されて、また爪が変形したりする、ってのが分かったから、止めてきた。合う靴が本当に少ない、困る。明日から仕事、熱下がると良いなぁ。ちなみに熱だけです。喉の痛みも鼻も何もなく。なんでしょうねぇ。
2013.01.03
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何故か異常に眠いなぁ寝てたいなぁと思ったら、発熱してました。最近多いです、マジで。兄夫婦が来てたけど、ロクに話す気にならんかった。完全に拒否状態。でも、まあ、熱あって体がだるいんじゃ、人と話す気にならんくて当たり前だな、まずは自分を直さないとな、ってところで取りあえず自分にOKを出してみた。それでもなんか出かけたくなって出かけたけど、あっちこっち人が多くて、後トラブルが在った為にサクッと返ってきました。途中親へのイライラが出てて、何かとことん復讐したい思考があったな。もう親が鬱陶しくて、早く死ねとか、嫌どうせならこっちが苦しんだ分苦しんで死ね、私はそれ見て笑って過ごすから、っていうのが、流れて行った。かなり暗いそう言うのがあるのだけど、今あまり表に出てない。親との関係の取り組みも、今はやる気がない。全ての根本、ってのは知識としては知ってるし、多分それを避けては通れないだろうな、というのは嫌というほど、実感する瞬間がある。でも実際に話をしようと思うことが殆どない。その前に諦める。話を聞かない、自分優位でないと怒鳴り出す、やったことを知らないと言い張り、悪い事も親だからで正当化しようとし、謝罪すらしない上に妄想だといい切り、こちらの気持ちはほぼ握りつぶす。そんな奴相手に話をしたいという人がどれくらいいるだろうか、ってことだ。半分正当化なのも分かるけど、取りあえず垂れ流し的に書くが。人を人と思わず復讐や、暗い方へ思考を持っていって、それを楽しむのって誰だっけ、と半分ぼけた頭で考えてみた。ヤサグレっぽいな、とは思う。ただ通常のヤサグレ状態より更に上の、自己卑下が極まった時に現れる殺意の様な感じがあって、ここん所が未だハッキリしてない。あ、そーだ、休み中に楽天ブログのフリーページ使って、人格表作ろうと思ってて、毎回やらずにながされてるな、逃避系に。ま、そんなこんなで、色々と垂れ流してみた。親への殺意はそうそう消せないもんだね、何が動かさない限り。取りあえずそれとは当面付き合っていく。
2013.01.02
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本年もよろしくお願いします。で、初っ端から、初詣話~ww本当はもうちょっと早く起きて行く予定だったが、寝つきが悪かったので、起きられず結局予定より1時間くらい遅れて出ました。最初は氏神様。なーんか、今年も並んで参拝しましたわ。謎。一昨年まで並んだ覚えがないのだけど。一応おみくじ引いて、吉でした。願い事は後々叶うから、ゆっくりせい、というような内容。その後は最初大須観音に行く予定でしたが、やっぱり熱田神宮に行きたくなって、熱田神宮へ。今年の御垣内参拝が、正月すぎると土日しかないから、この三が日逃すといけないってのもあり、せっかく出かけるなら、ってことで。去年より1時間くらい遅れただけで、すごい人でした。やっぱり午前中に行くべきだよなぁ、12時過ぎたら駄目だよねぇ。でもって、御垣内参拝も盛況でした。結構並んだ。今までそんなに並んだ覚えないんですが。そうそう、私の前に並んでた外国籍のにーちゃん二人が御垣内参拝券持って無いみたいで、思わずおせっかいしたくてうずうずした。いや、英語喋れんのに話しかけてどーするよ、って感じで。途中、宮司さんに入れるかってのを英語で尋ね、参拝券無いとダメなのを分かって、列離れて行ったが。思い切って話かければよかったかなぁと、ちょっと反省。身ぶり手ぶりでなんとかなったかもしれんのに。相変わらずすがすがしかったです。で、いつもの龍神社、御田神社、清水社も参拝。そんで、その脇に新設されたなんとかの小道(正式名称忘れた)も通ってみた。本当は森を切り開いて作った小道なので、あまりどーかとも思ったのだけど。ハッキリ言って、えらくすがすがしい気が満ちてて、寒かったです。ええ、本当に刺すくらいの霊気でした。丁度本宮の裏手を通る道ですぐわきに道路が通っているのが分かるのだけど、何て言うか、本当に感じる人はちょっと覚悟していくことをお勧めします。で、その出口付近に、今まで参拝出来なかった、あることは知っていた一之御前神社に参拝が出来ました。スゲー。思わず感動した。今までかなり手間の方(拝殿に向かって左の脇)から屋根くらい見えないかな―とよく見ていたのだけど、参拝できるようになったのはびっくりです。ちなみに午後4時までです、参拝できるの。それ以降は施錠されます、はい。その後、八剣宮と、上知我麻神社にご挨拶して、そんで興正寺へ。地下鉄の路線関係上、そっちの方が生きやすかったのですねぇ。で、やっぱり去年より1時間以上遅くついたためか、こっちもスゲー並んでた。山門近くまで。ええ、意地で参拝しましたが。その後はお庭とかが公開されてたので、見て来て、ついでに茶室でお茶を戴いてまいりました。そして恒例で、ぐるっと山を回って来て、帰ってきましたが。なんかすごい疲れたので、そのまま帰宅~。大須観音はまた後日に行く事にしました。自転車で行ける範囲だしねぇ。参拝途中、自己卑下のあまり、アネゴ的性格を抑圧したことがあるなぁということに気づいた。その辺りで、ハルと陽の険悪さが出てるのかもしれんな、と思ったのでメモ。さて、明日も出かけるかどうしようか悩む所。
2013.01.01
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