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「バランスをとる」ことをきちんとしていますか?何事にもバランス感覚は必要になってきます。物事に一途になることも時には大切ですが、一途になりすぎるとかなり問題が出てきます。例えば誰かを好きになった時、一途に追いかけるのは通常でしたら問題はないですしほほえましいものです。恋人同士なら嫉妬深く行動に口出しをしてもある程度までなら許容されます。しかしこれが相手の生活に支障が出るくらい追い掛け回したり、口を出したりし始めたらそれはもうストーカー犯罪になります。「好きだから」と言う理由だけで許される問題ではありません。同時にアイドル等の芸能人に対する追っかけも同じようなものです。自分の生活の出来る範囲でのミーハーはメリハリを付けますが、生活や家族を後回しにしては家庭が破綻してしまいます。占いも行動の参考にはしても、のめり込んで一から十まで占いのとおりにしていては意味がありません。幸運を呼ぶためのことが逆に不幸を呼んでしまいかねません。結局自分できちんとバランスが取れなければ、自分で自分の首をしめることになりかねません。それは自分で自分を不幸に追いやってしまうようなものです。それでも構わないと言う人を無理に止めることはしませんが、それで貴方の大切な人やモノまで傷つくとしたら貴方は平気でしょうか?抑制する所は抑制し、突っ走る所では突っ走る。抑制しすぎても自分を不幸にしますし、突っ走るばかりでも結果的に自分を不幸にしてしまいます。特に仕事は仕事の中の何かだけに比重を置いてしまうと、最初のうちは上手くいきますが結果的に歪が生まれバランスが崩れて大変な目に合います。仕事は自分の利益と他人の利益のバランスが取れないとやっていけない事なのです。バランスをとる事はとても大切で難しい事でもあります。でも上手くとれればより自分を幸せにする事が出来ます。次回は「取捨選択をする」です。
2006.01.30
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貴方は社会の中で貴方のいる会社の役割を知っていますか?会社の仕組みを知っていますか?会社の中での貴方のいる部署の役割を知っていますか?貴方のいる部署の中の貴方の役割を知っていますか?基本的に現在よっぽど余力がある会社以外、余分な人材を会社は置かないそうです。ですから貴方が会社に属しているなら、会社は貴方に何かしらの役割を期待しています。貴方はそれをちゃんと把握していますか?把握してその期待に応えようと努力していますか?またそれ以上の成果を出していますか?一度じっくり考えてみてください。それを把握した上で色々な提案をしてみましょう。貴方のいる会社の仕組み、部署の役割に沿った提案なら受け入れられるはずです。もちろん斬新な提案をするならば、それなりの根回しは必要かもしれません。もし貴方の望みが今いる会社の仕組みでは叶えられないとしたら、貴方は会社を替わることも選択肢に入れたほうが良いでしょう。もし貴方が貴方の役割に不満ならば、別の役割が出来ると言う事を上の人に示してください。そうすれば別の役割が与えられるでしょう。ただ不平不満を言っているだけでは何も変わりません。自分に期待されている事、求められている事をきちんと理解してそれ以上の成果を出しませんか?明日は「自分のこと好きですか?」の予定です。
2006.01.29
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おみくじを引いたことありますようね?あれって同じような時期に引くと内容がみんな同じってコトないですか?2006年に入ってから初詣を現在3箇所(氏神様、成田山、熱田神宮)行ってきたのですが、引いたおみくじは枝葉は違っても根本的に同じ内容でした。不思議ですよね。実はこう言うのは2回目。前回11月頃にどうも気持ちが塞ぎこみがちだったので、成田山と熱田神宮に行ってきたんです。その時もおみくじの内容は同じようなものでした。しかも今回引いたのは内容的に前回の続きっぽいんです。思わず色々考えてしまいました。最近身の回りで色々な変化がおきた事、自分のやりたい事、臨んでいる事、そのためにどうしたら良いのか試行錯誤していること、踏ん切りがつかない事。その時「ああ、私は神様に愛されている」ってふっと直感的に理解しました。「私たち」って言い方の方が正しいかな?だから本当に真剣にこれから先の事を考えて考えていると神様はふっと行く末に灯りをともしてくれて「こっちだよ」って色々な手段で教えてくれているんだって。でもそれは神様を信じていなければわからないし、ピンと来ない。ピンと来なければ、その愛情を受け取る事も出来ない。そのために灯りがみえず迷ってしまう人もいる。ちなみにここで言う「神様」って特定の宗教の神様のことではありません。何か私たちを守ってくれている大きな大きな存在のこと。神様は私たちの目先の利益を叶えてはくれないけど、長期的な世の中のためになる願いは叶えてくれる。そのためには特別にキツイ事も与えられる。そうふっと理解したんです。そしたら何か身体が軽くなった気がしましたね。おみくじ一つで何でそこまで思考が行くか分からない人もいるのでしょう。でもそれくらい考えるような内容が統一して書いてあったんですよ。まあ、何をどう考えるかは個人の自由ですが私にとってはそういうことがありました。
2006.01.28
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「知識があるのは悪い事?」ちなみに私は知識がある事自体は悪い事だとは思っていません。知識は私たちが生きていくのに大切な知恵でもあります。知識がないばかりに騙されたり、貧乏くじを引かされる事もあります。最近ではライブドア事件で他の株の急落で慌てて売って損をした人達も「株式市場」と「株式投資」に対して正しい知識があれば、株価急落に踊らされてパニックになったりしなかったのではないかと思います。余談ですがそもそも株式会社と言うものを知らなければ株式投資などは出来ません。知りたい方は超・入門編として「マンガ女のお金の超常識/原作:渋井真帆/マンガ上田惣子/WAVE出版」をお勧めします。すご~~~く分かりやすいですよ。閑話休題。そういった訳で知識は無いと困るものでもあります。しかし知識だけで世の中がわたっていけるかと思うとそうではありません。実際に経験した体験がとても大切になってきます。人間関係にしても皆が皆ステレオタイプに同じ価値観を持ち、同じ様に考えているわけではありません。実際に付き合ってみないと分からないことは多々あります。人間関係がこうすればよくなる、といったような本に書いてある事を100%やったからと言って、人間関係は上手く行かないときは行かないものです。ですから「知識だけ詰め込んだ頭でっかちではダメ」と言われているのです。知識を得たら実際にそれが役に立たないと意味がないですし、実際にその知識を身に付けるためにも使ってみる必要があります。同時に知識も偏った知識だけを集めていては意味がありません。自分にとって心地よい知識・都合のいい知識だけを集め、自分にとって耳の痛い、都合の悪い知識を捨てていては偏った人間になってしまいます。知識が多くあると言う事に溺れてもいけません。知識が多くあっても使えなかったり、出し惜しみをしていては宝の持ち腐れです。それでは人との話題のネタになる「トリビア」の方がまだマシです。色々な角度から考えるための多種多様な知識は私たちを助けてくれます。自分の考え方に新しい光を入れてくれたり、八方塞に見えた状況に新しい穴をあけてくれたりします。そのためにも自分の心をオープンチャネルにしておく必要があります。ありとあらゆるものから色々な知恵や知識を吸収することはとても大切です。ただそれを知恵や知識として頭の中に入れておくだけでは意味がありません。色々体験してその中で役立つものをきちんと引き出して使いましょう。知識があるのは悪い事ではありません。知識が多くある事に溺れずに、謙虚な気持ちでまだ知らない事がたくさんあるという気持ちでいれば、知識は貴方を助けてくれる大事なワラになるでしょう。次回は「バランスをとる」です。
2006.01.27
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自分の不幸を数えるのを辞めましょう。または出来ない事を数えるのも辞めましょう。自分で自分を暗い気持ちにさせる必要はありません。「私って○○がないからダメなんだ・・・」「××と違って何も出来ないから」というような事を口癖にしていませんか?人間は出来ること、出来ないことがそれぞれ違います。また持っているものと持っていないものもそれぞれ違います。その事に優劣なんてないのです。他の誰かが出来る事・持っているものを自分が出来ない・持ってないことに卑下する必要はありません。逆に自分が出来る事・持っているものを他の人は出来なかったりもってなかったりするのでお互い様なのです。自分が持っていないものや出来ない事に憧れを抱いたり、手に入れようと努力するのは当たり前のこと。そのためにみんな色々と試行錯誤して頑張っているのです。それに気づかずに持ってない・出来ないということだけをクローズアップして、劣等感を持ったり嫉妬したりすると、どんどん自分の気持ちが惨めに醜くなります。気持ちが惨めで醜くなるとそれが外見にも表れてきます。顔の表情も惨めで醜くく変形しますし、何よりかもし出すオーラが暗く醜くなります。同時に人が寄り付かなくなります。心当たりのある人は今すぐできないこと・もっていないことだけをクローズアップさせるのは止めましょう。そして自分の出来る事・持っているものを一つ一つ数えていきましょう。それはもしかしたら出来るないことより多いかも知れません。また出来ない事・持ってないものより少ないかもしれません。でもそれを卑屈に思う必要はありません。それだけ出来る・持っているということに誇りを持ちましょう。今まで出来ない事・持っていないことだけをクローズアップさせる視点を持ってきた人の中には、直ぐに出来る事・持っているものが数えられないと言う人もいるかもしれません。そうしたら「自分しか出来ない・もっていないものが必ずあるハズ!」と固く信じてください。そうすると自然にそれが分かってきます。同時に他人の不幸を数えて自分に優越感をもつのも辞めましょう。自分の幸せは自分で決めるものです。他人と比べないと幸せでないなら貴方は何かを間違えています。自分で自分を幸せにするのも不幸にするのも自分です。不幸に浸って悲劇の主人公を行うより、よりハッピーで幸せな人生の主人公になりませんか?明日は「自分のこと好きですか?58」です。
2006.01.26
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完全に発表会モードでした。昨日今日はタンゴの発表会での構成の振り付け。昨日は先週のおさらいと基礎練習がありました。シェネで身体の使い方をもう一度おさらい。身体の何処が使えていないかの確認も兼ねてまして、やはり私は踊っている時の頭の位置がおかしいそうです。気をつけていても無意識になんか変な事をしているそうです。自覚しなさい、と先生は仰ったけどそれこそ無意識にやっているクセは指摘して戴かないと自覚のしようがないのですが・・・。今日はタンゴの発表会向け構成が2/3まで終わりました。客観的に見れないのでなんともいえませんが、結構格好いい構成だと思います。ただ移動とかがあるので実際の舞台の大きさが分からないと不安な所はあります。それにしても動きを指示されて直ぐにそれが出来ないと怒鳴れらるのはちょっと嫌かな~。動きを重視して踊るのがおろそかになるとそれでも怒鳴られるし・・・。確かに動きに気をとられて「踊る」どころでなくなるのはまずいとは思いますが、頭の中で動きを整理して位置がきちんと把握出来ないと余計むちゃくちゃになるんですが・・・。先生が一人で全ての構成を考えなくてはいけないので大変なのは分かりますが、当たらないで欲しいとちょっと思います。さて来週は何処までやるんでしょう・・・。
2006.01.25
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「自分を育てる」事をしていますか?より理想的な自分に、よりカッコ良い自分になるようにしていますか?人間は幼い頃から愛されて肯定されて育てられると、自己肯定の出来る自分をきちんと確立できる前向きな素敵な人間になるそうです。そういう人は自分で自分を育てるのも得意だそうです。一方で肯定されずに育てられると自分で自分を肯定できず、いつも自信がなく自己卑下や否定だけするイタイ人間になるそうです。このタイプの人は自分で自分を成長させにくい人が多いようです。最初にこれを聞いたとき、愛されなかったとは言わないけど自己否定されて育てられてきた私にとって、自己肯定できず自信のない不安定な人間である理由が理解できました。今まで虚勢を張って自己肯定しながらも不安で何処か自信なくて直ぐ揺らいでしまう自分がどうしてなのか分からなかったのです。心理学の本を読んでもたくさんの枝葉の知識はあってもそれを統括する全体像が見えずにいたからです。もし貴方が同じように自己否定(ダメだし)だけされて育ってきたとしてもそれを理由に自分を成長させる事を放棄してはいけません。特に貴方がいい年した大人なら尚更です。自分でもう一度自分を育て直しをすればいいのです。自分を育てるのに遅いと言う事はありません。今からでもやる価値はあります。そうは言っても自己否定されて育ってきた人間にとって突然「自己肯定しろ」「自分を育てなおせ」といわれてもどうすれば良いか分からず戸惑うだけでしょう。ではどうしたら良いのでしょうか。心理学の世界に「育てなおし」と言う治療方法があるそうです。広島か何処かの大学の心理学の教授が確立した治療法だったと思います。幼い頃に親に十分に甘えられなかったために不安定な大人(アダルトチルドレン)になってしまった人が対象です。教授を擬似親に見立てて、幼い頃に出来なかった親への甘えたかったことを子供に帰ってやる事によって心の欠如を埋めて、自分が受け入れられていると言う安心感を与える事によって他人に対する不信感を減らしていく事だったと思います。きちんと覚えてなくて申し訳ないのですが。同じような事を自分でする事は可能です。それは実際に体験しなくても想像力で出来るのです。方法は自分で幼い自分を思い描いて、その自分を大人の自分がぎゅっと抱きしめる事をイメージしましょう。幼い自分は当時、甘えられなかった自分や悲しい思いをしている自分です。大人の自分は本当は自分が親にして欲しかった事を幼い自分にしてあげてください。1回ではなかなか上手く出来ないかもしれませんが、何回かやるうちに出来るようになり、自分自身も安定してきます。これは2~3回くらいで大丈夫な人と何回もやらないとダメな人がいるので回数はあまり気にせず行う事をお勧めします。ちなみにこれは自己セラピーの方法でもあります。自己否定しやすい人は一度やってみてください。効果はあります。(私の経験上)一人で上手く出来ない人はセラピストに手伝って貰うのも良いでしょう。私が以前に「自分で自分のことが嫌いでも自分を見捨ててはいけない」と書いたのは自分で自分を育て直すことが出来るからです。これで自分の自己否定から抜け出したら自分で自分をもう一度育ててあげましょう。なりたい自分や理想の自分をはっきりとイメージする事から始めると何をしたら良いのかが分かってくるはずです。次回は「知識があるのは悪い事?」です。
2006.01.23
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仕事をするのには創意工夫が大切です。言われた事を言われたとおりやっているだけなら本当に誰がその仕事をしても同じです。例えば貴方が残業が嫌いならどうやったら残業せずに仕事が出来るかを考えましょう。そうは言っても後輩や他の誰かに仕事を丸投げするのでは意味がありません。他人に迷惑をかける仕事をしているといつか必ずしっぺ返しが来ます。自分の仕事は自分でキッチリやりましょう。どのような順番で仕事をすれば効率よく出来るのか、どうすれば早く正確に出来るのか、本当にこの手順でないといけない仕事なのか。そういったことを考えながら仕事をするとより効率をあげる事が可能です。特に私は面倒くさがり屋で残業も嫌いな人なので、とにかく面倒な手順は簡潔にしてしまいますし、残業しないためにもどうやれば効率的に仕事が出来るかを考えています。それで失敗する事もありますが、やらなきゃ行けない手順ならいかに早くできるかを考えると、逆に周りが驚くほど早く仕事をこなす事が出来たりもします。特に最近、古風な会社や成熟期を迎えた会社は分かりませんが、成長著しい攻めに入った会社は効率的に仕事をする事を望みます。生産性が乏しかったり、必要以上に残業する人は「使えない人間」との烙印が押されかねません。そうなればやりたい仕事からますます遠ざかってしまいます。「仕事の量が多すぎる」「仕事の順番や手順が煩雑だからどうしても時間が掛かる」というように外的要因に文句を言うだけでなく、それでも効率的に出来るような仕事の仕方を考えましょう。仕事は創意工夫次第ですごく効率的に早くする事が出来ます。一つやってみて失敗したからと凹んでいるヒマはありません。いくつもの方法を試してみて自分の方法を確立してしまいましょう。そして「貴方になら仕事を安心して任せれる」と言われる人になりませんか。明日は「自分のこと好きですか?57」の予定です。
2006.01.22
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19巻読みました~。いつも硬いテーマで硬い文章を書いているのでもしかしたらマンガなんて読まないと思われている方もいるかも知れませんが、私、実はマンガ好きです。で、フルーツバスケット(19)。正確には今日ではなくて今日まで必ず1日1回は読んでいたのですが・・・。フルバを読んでていてコミックス1冊に一つくらいは「ああ、そうだよねぇ、そんな事あるよねぇ(あったなぁ)」って思います。今回は翔君のモノローグがちょっと切なかったですね。特に113話。「何かを得たり知る為には何かを犠牲にしたり傷つけなきゃ果たせないのかもしれないどうしたってやるせない事だけど」「相手の心を傷つけるなんて最低」といった人もいますが、傷つくと分かっていてやる人はあまりいません。正直言って。他人と自分は違う人間で、傷つくポイントも違って、傷つけた後でしかそのポイントは分かりません。でもここで言う「傷つける」って本当は「悲しませる」って言うのが正しい言い方のような気がします。フルバは正直読んでいて自分の体験とかフィールドバックされちゃってキツイ時もあります。以前友人に「フルバはキレイ事だけじゃないから好き。でも結局お話だからキレイ事なんだけど」といったら「分かる」って言ってくれたのがちょっと嬉しかった覚えがあります。ツライ体験とかきつい事とか「そんな事あるし、それは仕方ないよね。大変だったよね。でも前に進んでいこう?」と言われているような感じがすごいするんですよね。だから人気あるんだとも思うし。人間はみんな不完全で、でも不完全なままでもよくてそれでも強く立って生きていこうというメッセージが込められている気がする。何か結局硬めの文章になってしまった。まあ、これが現在の私なのでしょう。本当なら皆さんマンガの感想を書くのかも知れませんが私はこれが精一杯。明日は「ビジネス村のルール」の予定です。
2006.01.21
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「全てから学ぶ」がテーマです。なんかこう書くととても硬い気がします。私の文章自体が硬いから相乗効果的に硬いイメージがあリますが・・・。最近自分の周りに起こる些細な日常から、いくらでも私たちは自分を成長させることが出来るのではないかと思うのです。ただそれに気づく事が出来るかどうかが一番の分岐点のような気がします。例えば通勤通学の最中に大変迷惑な人がいたとします。「ムカツク~」だけで終われば、ただ嫌な人がいたという印象しか残りません。でも『あんな風になりたくない』と思って自分の行動を考えれば自分を見つめなおすいい機会になります。また「何故あんな事をするんだろう」と考えれば他人に対する洞察力が養われる事になります。街中にある水を使ったオブジェさえ人によっては仕事のためのアイディアの宝庫になったり、問題解決の糸口になったりします。でも何故人によって周りの事柄がどうでもいい事だったり大変意味があるものになったりするのでしょう?一番はやはりその人の意識の持ち方のような気がします。聞いた話ですが、人は何か問題を抱えているとそれを解決してくれるであろう物事がクローズアップされたり、それが目に入りやすくなるそうです。同じ道を歩いていても疲れて甘いものが欲しくなるとやたらコンビニとかケーキ屋さんが目に入リませんか?人生に悩んでいるとやたらと人生相談や占いの看板が目に入ったりしませんか。そういうことと同じだそうです。世の中の出来事全てが先生というような謙虚な気持ちでいたら色々学ぶことが出来ますし、逆に今の自分が良ければ他は知らないというような気持ちでいたら同じ経験でも何も得られず成長しないものです。もちろんその時その場で怒ったり泣いたり笑ったり悲しんだりするのは当たり前の事です。でもその物事の後で「これって私に何を教えてくれたんだろう」と少しでも考える事で学べることはあると思います。何処かへ出かけて習い事や勉強するだけが学ぶことではないと思います。ちょっとした心の持ちようで毎日の生活の中で少しづつ自分を素敵に成長させる事が出来ると考えると毎日楽しくなりませんか?次回は「自分を育てる」です。
2006.01.20
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答えを「探す」のを辞める。貴方は何か問題が起きたら答えを「探して」いますか?それとも答えを「導き出して」いますか?もし貴方が答えを探す人ならばいつも「答えが見つからないから分からない」と言っていませんか。そして他の人が簡単に答えを見つけていると嫉妬していませんか?でもその他の人は答えを「見つけて」いるわけではないのです。MLIの経済塾で渋井真帆さんが言っていました。「世の中の事で分からないことを色々調べても分からないって言う人は何処かに『これが答えです』というものを探しているから分からないのよ。世の中のことに『これが答えです』という回答は何処にも出ていないの。『答え』は色々な情報や物事の断片をつなぎ合わせて自分で自分なりの答えを導き出すものです。」これを聞いたとき、私はなるほど!と思いました。確かに物事が上手く行かない時は「正解の答え」を探してさまよっていたからです。そしてその答えが見つからずにイライラしていました。けれどこのことを知ってから自分のイライラの少なくても半分はなくなったのです。実はこれ生きていく上ですごく大切だと思いませんか。例えば人間関係に正解なんてないし、世の中の出来事にもその時々に応じて「こうした方がベスト」という選択肢はあっても「正解」という答えは出ないものです。「正しい答え」というのは試験の問題という狭い世界にしかありえないのです。倫理的にとか道徳的にこれが正しいと言うものはあってもそれが何時の時代のどんなケースにも当てはまるとは限らないですし、その時々で違った答えが出てくるものなのです。それに気づかずに正解を探して歩いても何処にもある訳無いのです。ですからまず「答えを探して歩く」のを辞めましょう。そして色々な立場から物事を考えてみるのです。答えは情報を集めて推測して(=考えてみて)実行してみないと出ないものです。もし貴方が情報を集めている過程で「これが正解」というものを見つけたら逆に疑ってみる事をお勧めします。基本的にありえないことなのです。世の中に起きることには「選択肢」があって「答え」が落ちているわけではありません。答えと言うものは自分で導き出すのだという事を覚えてください。またいつも無理に答えを出す必要はありません。答えが出ない時は情報が足らないのです。そんな中で答えを導き出しても判断ミスをしやすいので気をつけましょう。次回は「自分のこと好きですか?56」です。
2006.01.19
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昨日今日と発表会のためのタンゴの振り付けでした。大体の振り付けは終わっているけど「発表会」という舞台の上での構成上、変更するところがあるんですよね。今回はザクっと2グループに分けて入れ替わる構成にするようです。一方ハレオ(ブレリア)はグループ分けないみたいです。そのための移動のパソがつきました~。「とって」と一言いってパソをつけてもらったのですが、10コンパス以上いきなりつくと足がついて行かない・・・。リズムは分かるし、パソ自体は単純なパソばかりだから分からないはず無いのだけど、一度に覚えきれない・・・。結局後で他の人に教えていただきました。冷静になると別になんとも無いのに何故取れないんだろう???それ以外に今回厳しく言われているのが「踊りの質を上げるように!」ということです。ただ振りつけられたとおりに右左に動いているなら初心者と同じ。もっと「踊る」様に、必死になるのではなく冷静に表現して。ということをとても厳しく、口をすっぱくして言われています。先生の仰る意図はわかりますし、確かにその辺りの追求が確かに甘いと思います。が、一番大変なのは客観的な目が養われていないからそれが自分で把握できない事です。客観的な目があると多分もっと先生がおっしゃっている事を踏まえて踊れるのかなぁと思ったり。まあ今無いものを仮定しても仕方ないので、今はたくさん頭使って踊るように気をかけるだけです。さて来週までに新しいパソを復習しておかなければ・・・。明日は「自分を変えたい」の予定です。
2006.01.18
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「後悔するという事と反省するという事」、似ているようで全く違う事はご存知ですよね。「後悔する」というのは後になって悔やむ事です、文字通り。心に深く傷のような形で刻み込まれるのでその過去に心が囚われているとも言えます。「反省する」とは今までの行動の思い返して省みる事なので「後悔する」というよりは前向きなのかもしれません。ただ、過去を省みてもこれからの自分の行動に活かせなければ意味がありません。でもこの二つまるっきり別のようでいて、実は繋がってもいます。何かをやってしまったとき、それを「後悔し」て深く心に刻み込まれ無ければ「反省し」て次に活かす事も難しいのです。心に深く刻み込まれる事無く「反省する」事だけしても結局は人間は忘れやすいので忘却の彼方に葬り去られるだけです。もちろん後悔するようなことはしない方がいいに決まっています。しかし後悔するようなハメに陥ったために人生が良い方に変わった人もいるので、一概に悪く見るのもどうかとは思います。でも過去の失敗したことに囚われてずーっとそこから進展しないような後悔の仕方は健全ではないと思います。人間は過去の物事に囚われて生きる生き物ではないのです。過去の失敗をそれこそ「反省し」てこれから先をどう生きるかを考える事が大切なので在って、それを何時までもウジウジと引きずってこれから先までダメにしてしまってはいけません。同時に過去のことを悔いることなく「これはこれで仕方が無い」と受け入れる事も出来ます。しかし私の経験からみると「仕方が無い」と肯定して悔いる気持ちが少ないと逆に反省しても次に活かされる事が少ないように思います。それを考えると「悔いる」という気持ちにも生きていく上で意味が在るように感じます。もちろん後悔しないように生きる事と決意する事はいいことだと思います。しかし自然に沸き起こる「後悔」という気持ちを無視してはいけません。自分の沸き起こる感情に振り回されてしまってはいけませんが、感情を殺してしまっては人間ではないものになってしまいます。「後悔」というものが沸き起こった時に次にその体験をどう「反省」して活かすかが大切なのではないでしょうか。次回は「全てから学ぶ」です。
2006.01.16
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仕事をしている中で大切なのは、いつも仕事は一人でしているのではないと言う事。つまり必ず誰かと仕事をしているのを忘れないで下さい。営業の方だったらお客さんと仕事をしていますし、同じグループとして会社の同じ課員とも仕事をしています。事務の人なら同じ会社内で他部署や上司とともに仕事をしています。もし貴方が会社や取引先で「分かって貰えない」と感じたならそこでいじけて悲劇の主人公ぶっていてはいけません。「どうしたら分かって貰えるか」を考えましょう。そのためには相手がどうすればわかってもらえるのかをリサーチする事が大切です。どういう考え方なのか、どういうスタンスで話をしているのかをリサーチしたらそれを踏まえて話をすると分かって貰いやすくなります。「自分が悪いんだ」「あの人分かって貰えないから悪い人。自分の敵」と思って落ち込んだり、悪人にしたりむやみやたらと敵を作ってはいけません。それこそ本当にそれはただの自己中さんです。もし自分の提案が上司に受け入れられないと感じたなら、上司が何を持って自分の提案を却下するのかをきちんと把握しましょう。それを分からずに提案を続けても「出来ない奴だな」と思われて終わりです。同時に貴方が上司なら部下がどういう言い方したら理解できるかを把握しましょう。とにかく仕事が上手く行かない相手にあったら相手をよく知るようにしましょう。全てはそこから始まります。明日は「自分のこと好きですか?55」です。
2006.01.15
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「優先順位をつける」貴方は自分のやりたい事、変えたい事、欲しいものに優先順位をつけていますか?もし貴方が物事の優先順位をつけずに漫然とその時のやりたい事をし、欲しいものを買い、なんとなく動いているとしたらそれはとても時間もお金も勿体無いことです。「何をどうしたら良いか分からない」「優先順位なんてつけられない」と言う貴方はただ単に整理する事が苦手なだけです。一度優先順位をつけてみましょう。やり方は簡単です。メモ帳等の紙と書くものを用意しましょう。あまり大きな紙よりメモ帳程度の小さめ大きさの紙のほうがいいでしょう。その紙に思いつく順番でいいのでやりたい事や欲しいものを紙一枚につき一つ書いてください。この一枚にひとつというのが大事です。全部書き終わったらまず最初の2枚をとって内容を見比べます。貴方の今の気分でいいのでどちらがより今やりたいかを決めましょう。そしてやりたい事を左に、そうでないほうを右に置きます。これは左右は逆でも構いません。次に一枚とってそれを並べてある二つのまずやりたいほうと比べます。置いておいた方と今時分が持っている方、どちらをやりたいと思いますか?もし持っている方ならそれを更に左に、そうでないなら右に置いてある方と比べましょう。もしそれよりやりたくないならその右に、置いてあるものよりやりたいなら真ん中におきましょう。これを書いた数だけやれば優先順位がつきます。あとはやりたい順番にやるだけです。このときお金と時間がない事を言い訳に後回し、と言うのは辞めましょう。そしてやった事はそのメモを破り捨てていきましょう。ちなみにこれは毎日やってもいいですし、1週間に一度やっても良いのです。そしてまた何かしたい、欲しいと思ったらメモに書いて順番に並べましょう。出来れば日付も入れたほうが良いかもしれません。そして1ヶ月に1回は全て見直しましょう。古い日にちでずーっとやっていない事はありませんか?もしそれがあって今はもうやりたくないならそのメモ用紙は破り捨てましょう。そうでないならそれを一番にやってみてはいかがでしょうか。こうすれば本当はやりたかったのに忘れていた事もやり忘れはなくなるのです。しかしどうしてもやりたいのに何故かやれない事もあります。何故か時期や場所を限定してしまう事はあるのでそれは無理をする事はありません。また時期を見てやればいいのです。一度じっくりと自分のやりたい事を全て考えてみてはいかがでしょうか。明日は「ビジネス村のルール」の予定です。
2006.01.14
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私たちは毎日色々な事を「自分で選択する」ことをしているのを自覚していますか。1日をとってみても朝起きる時間から着る服、会社(学校)へ行く道も帰る道も、食べるものも寝る時間も自分で選択しているのです。「学校は行きなさいと言われているから行っているだけで、自分で行く事を選択したわけじゃない」という学生の方もいるかもしれません。しかし本当は「行きなさい」と言われてそれに従う事を貴方は選択しているのです。「行きなさい」と言われても行かない選択をする事も出来たはずです。そちらの道は確かに評価されなかったり必要以上のパワーが必要だったりしますけど、それを受け入れる覚悟があれば貴方は選択することも可能だったのです。現在の自分は自分が今まで選択して来た結果でもあります。もし貴方が今の自分に不満を持っているならば、貴方は自分に不満を持つような選択を今までしてきた事になります。ここまで読んで「でも~~~がこうしろって言ったから」「私が悪いんじゃない、○○が悪いんだ」と言う気持ちを持ってしまった貴方、もし貴方が15歳以下なら仕方が無いのです。15歳以下の貴方達はまだ親の保護下にありそれが無いと生きていけないし、経験も視野も少ないので選択出来る幅が少ないのです。ですから親の言動は大きく貴方達に影響をし、貴方に選択出来る範囲さえ決まってしまうからです。貴方と親との相性がよければ問題は無いのですが、相性が悪かったり親に問題があるとどうしても貴方が望むほうにいけないことは在るのです。しかしその選択せざるおえない事を文句だけ言うのではなく、その選択をするしかないという経験をすることで、自由に色々な事を選択できるようになってから後悔しないための選択が出来るようになるのです。16歳から24歳くらいの方ならその何かに責任をなすりつけるのは卒業しましょう。貴方はもうそろそろ色々選択が出来るはずです。もちろん自分で選択すると同時にリスクを負います。貴方はその選択したときのリスクを勉強する時期に来ているのです。自分で選ぶ=自立するには必ずプラスもマイナスも受け止める義務があることを身をもって体験しないといけません。「自分が自由に選びたいけどマイナスのリスクは欲しくない」と言う貴方はまだまだ自立するには早いのかもしれません。もし貴方が25歳以上ならそれは自分を貶める言い訳に過ぎません。貴方は貴方を言い訳して責任逃れをしようとする人間になることを選択しているだけです。確かに責任を感じる事は無いかもしれませんが、同時に自分が望む自分になる(幸せになる)ことを放棄してしまっているのことに気づいてください。自分で自分を不幸にしていると考えるとそれってどう思いますか。そんな自分を好きですか?今からでも遅くありません。自分でもう一度幸せになる道を選んでみてはいかがですか。自分を幸せにする道、自分を素敵にする道、自分が納得できる道、自分が後悔しない道。貴方は選択する自由があります。どうしても一つしか道が見えなくて、それしか選ばないといけない時でも「自分が自分で選んだ」と言う事を忘れないで下さい。そしてそれを反省しても後悔しないようにしましょう。次回は「後悔するという事と反省するという事」です。
2006.01.13
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ドラマ「白夜行」の予告でのセリフなんですが、この予告がTVで流れるたびに私はこれが妙に気になって仕方が無いのです。何でこんなに気に掛かるんでしょう?実際に何か事件がおきた時、私たちの目に見えるのは私たちに視覚・聴覚が捉えた物事だけです。その物事が起こった裏事情や当事者達の深い心理までは目に見えません。その物事が起こるまでの背景や犯罪心理学の視点での解説は、たくさんの報道番組やメディアなどで取り上げられますが当事者の気持ちは分かりません。実際に報道された事が真実なのかさえ私たちは調べる事さえ出来ないのです。日常の中では仲のよさそうな人たちが他のところへ別々に出るとお互いの悪口しか言わない事もあります。尊敬している振りをして内心嫉妬と憎悪を膨らませている人もいます。他人に対して擬人暗鬼になれ、といっているわけではありません。疑心暗鬼になって人間不信を一方的に募らせてしまうのは、ただでさえ萎縮している心を余計に疲れさせてしまう事です。逆に厳しく、いじめているように見えて実は深い愛情をもって相手を鍛えている事もあります。私たちは目の前に現われた事実だけはゆるぎなく存在するので、それのみに視線が行きがちです。しかし自分達の目の前に現われて実際に見ることが出来る事だけが全てではありえない。それをちゃんと心の何処かで分かっていないと、相手の事(心)をきちんと捉えきれなかったり、自分の考えが及ばなかった事で相手を責めてしまったり傷つけてしまったり・・・。そういったことが分かっているのに出来ていないからこのタイトルのセリフは自分の心に引っかかったのかな、と思いました。もう一度自分の心と周りの心を見つめなおそうと思います。ちなみにこのドラマは見ていません。どうもドラマって苦手なんですよね。明日は「自分のこと好きですか?54」です。
2006.01.12
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いよいよ発表会へ向けて動き出しました。ちなみに今年は3月24日(金)です。春分の日の後だからちょっとは暖かいかな?通常3月の頭の花冷えの時期にあって舞台の袖とか楽屋までの廊下がすごく寒いんです。ウチのクラスは今年2曲出場する事が確実に決定。・・・参加費がかさむのがちょっとツライ。出るのは(そこまでの練習は辛いけど)辛くないんですが。火曜日はブレリアの復習。ところどころ繋ぎめで「次なんだっけ?」と思って間違えてしまいました~。先生にしっかりそこをチェックされました。すみません・・・。タンゴは速さについていけないだけで振りは全部、身体に染み付いていて一安心。後は基礎練習で腕の使い方を再度確認。広背筋を使うトレーニング。でもこれがなかなか踊りの中で生かされない~~~。でも踊っている最中に「あ、広背筋!!」って思っても修正はなかなか利かないので大変です。でもきちんとした身体の使い方が出来ていないのはかなり自覚できてきたので、それを実際に動く時に気をつけれるようになるにはあと一歩かも。水曜はタンゴの頭の部分をパート分け。本日は全員がそろわなかったのでクラスをきちんと分けての動き出しは出来なかったけど、大体どうするかを決めました。なのでその振り付けとパソを全てのパートを来週までしっかり覚えておかないといけないわけです。現時点で誰がどのパートを担当するか決まってないので慌てないように。しかし相変わらずパソをとる事が遅いので今日もレッスン後に皆に聞きまくり。でも代教をやっているNさんと、覚えるのが早いFさん以外みんな取れてなかったみたい。ちょっとほっとしました。自分達で客観的に見ることは出来ないけど、この掛け合いが上手くいったら格好いいだろうなぁ、と思う振りなんです。毎度思うのですが先生ってすごい~~~。今週の反省は身体の軸の維持が出来ない事。特にまた重心が後ろへ傾いていて足が動かしにくいという悪い癖が出てしまいました。修正しないとエスコビージャがやりにくい!!気をつけないと!来週も気合入れて頑張ります。
2006.01.11
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「大変な事は悪い事?」と思っていませんか?確かに大変な目にあって要らない苦労はしたくは無いですよね。特に思いがけない悪い事に巻き込まれてしなくて良い苦労なんてことは尚更する必要はありません。しかし自分がやりたい事や好きな事をやるために出てくる大変な事は悪い事でもなんでもないのです。むしろこれは自分がステップを一つ上がるための大事な出来事なのです。別の言い方をすると自分がステップアップ出来る所まできたという大事な証し。その時は確かに苦しいですし、大変な苦労もします。もしかしたらその時はとても苦しくて逃げ出したくなるかも知れません。打ちひしがれてもう立ち上がっていく事も困難な気がするかもしれません。しかしここで逃げてしまっては自分をステップアップさせる事は出来ないのです。その大変な事を避けていては何時までたっても自分を一つ上のステージにあげる事は出来ません。早い話自分が次の上のステージに上がる事が出来る状態にならない限り大変な事は起こりません。ですから大変な事が起こっても逃げずに上を見てその解決方法を探らなくてはいけません。もしかしたらはっきりとした解決方法はなく、「こうしないとダメなんだ」と言う信念だけで気がついたらその大変な事を抜け出していたと言う事もありえるのです。そしてその大変な事は後からじっくりと考えると自分にとって「とても良いこと」だったりします。何かの転機である事が良くあります。人生を180度変えるようなことでなくても自分にとって深く意味があるのです。その時はほんのわずかの角度変更だとしてもその先ズーーット行った時、どれくらいの差があるか分かりますよね。もしここしばらく自分にとって大変な事が起きていないのなら、貴方はのほほんと現状維持をしているか、もしくはずるずると落ちていっているかもしれません。でも貴方は現状維持のつもりでも皆がステップアップしてしまえば相対的に地盤沈下していることもあるので気をつけましょう。もし今自分が大変な時期を迎えているとしたら、それは今貴方が次の上のステージに上がろうとしているのかもしれません。逃げ出さずにじっくりと向き合ってください。そうすれば光さす道に出られるはずです。次回は「自分で選択をする」です。
2006.01.09
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会社という組織の中で働いている人は一体どの位いるのでしょうか。たぶん働いている人の半分くらいの人は何処か会社づとめをしているかと思います。ちなみにこれは契約社員の人も派遣社員の人もバイトの人も含みます。毎日毎日、毎週毎週または毎月毎月同じようで違う仕事の繰り返しの人もいるかと思います。特に女性に対してはあまり責任のある仕事が回ってくることも多くありません。同じような事をメリハリも無く繰り返し行っていると段々「言われた事だけやっていればいいや」と言う風になってしまう人も多いでしょう。人によっては「責任が無い仕事ばかりだからラク~。いわれたことだけやっていればいいしぃ~」とお気楽に考えているかも知れません。でも会社にしてみれば「言われた事をやるのは当たり前」な事です。厳しく言えば「言われた事をやるのは当たり前で、そこにプラスアルファが無いならいつでも取換えのきく消耗品と同じ」なのです。会社の中の仕事自体は無いと困ります。でもやる人は誰でもいいのです。例えば自転車でペダルのネジが無くなったら困ります。でも新しいネジがあればそれで済むのと同じです。もし貴方が「この会社、私がいてもいなくても同じだなぁ~」と思ったら貴方じゃ無くても誰でも良い取換えのきくような仕事の仕方しかしていないだけなのです。自分が会社のお荷物になりたくなければ貴方は会社にプラスアルファを提供しなくてはいけません。会社はプラスアルファが無ければ貴方を優遇してくれません。細木数子さんも言ってました。「テイクアンドギブじゃダメ。ギブを先にしないと!そしたら得る事があるんだよ」まず言われた事はしっかりやる。その上でプラスアルファを提供する。仕事をする上で必要なルールです。明日は「自分のこと好きですか?53」です。
2006.01.08
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物事をよい方に考える。毎日を過ごしていると自分にとって良い事と悪い事がおきます。よい事だけだといいのですが、悪い事がおきてどうしても気分が悪くなったりムカついたりします。どう公平に見ても相手に非があり、怒りが収まらない時はもうどうしようもありませんから思いっきり怒ってしまいましょう。怒りと堪えて貯めている方が精神的にも健康的にもとても悪いので、思いっきり発散させる方をお勧めします。ただし誰かにグチを言う場合は聞き手側の気分は気を使ってあげてください。しかしそうでない場合は物事を良い方に考えてみる事をお勧めします。例えばどうしても欲しいものが予約までしたのに買え無かったとします。はっきり言ってすごく嫌な事ですよね。しかもお店の人のミスで仕入れられていなかったとしたらすごく怒りますよね。ちなみにそのお店の人はしっかり叱りましょう。自分の仕事を正しいプライドを持って出来ないと言うのは社会人としてやはり問題大有りですから、叱って正解です。でも考え方によってはそこでその商品が買えなかったからこそ、出会えるものもあったりします。ですからそこでその商品が買えないのは何か他に呼んでいるものがあるのかもしれません。また何か大失敗をしたとします。それに対してずっとくよくよしていたのでは何時までたっても進歩がありません。その失敗をちゃんと受け止め何が悪かったかを考え、今度はそれをしないようにすれば逆にそれは自分の欠点を知り克服するために必要な事だったとなるでしょう。物事はいつでも一面だけのものではありません。見る人の数だけ色々な捉え方があります。ですから大切なのは自分のマイナスの見方だけでなく他のプラスの見方を捜すということです。そうすれば少しづつ自分の見方が変わってくるのです。明日は「ビジネス村のルール」です。
2006.01.07
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「自分との約束」と聞いてイコール「自分で決めた事」と思った方はとてもよく色々考えている方だと思います。自分との約束=自分で決めた事を実行することです。基本的に自分で何かをする、または何かを辞めると決めたと言う事は実際にそれを実行しなければなりません。本当はとても簡単な事ですよね。自分でやる(辞める)と決めたらそのとおりにすればいいのですから。子供なんかはこういったことは結構簡単にやったりします。(親や先生に決めさせられたことは出来ない事多いですが)しかし大人になると何故か自分で決めた事さえ実行するのが難しくなる事があります。習慣になっていて無意識にやってしまったりしてなかなか長続きしなかったり、自分の習慣に組み込めなくて途中で断念してしまったりします。または言い訳をして結局実行しなかったりすることも在ります。自分で自分がやると決めた事ですから、貴方が自分で決めた事が出来なくても誰の迷惑になったりしませんし気楽に「まあいいや、またの機会に」と思っていたりしますよね。ところで貴方は大好きな人や大切な人(愛する恋人)と決めた事を何かと言い訳をしてやらなかったりしますか?出来る訳無いことを決めさせて方が悪いといってやらない人もいるかも知れませんが、普通は習慣になっていたことを曲げてまでその決めた事を実行しませんか?それは大好きな人・大切な人と決めた事=約束事だからですよね。大好きな人・大切な人に「すごいね、良く出来たね」等と言われて誉めて欲しいし、誉められたりしたら嬉しいから余計に守りますよね。逆に出来なくて「こんな事も出来ないんだ」とがっかりさせたい人なんていないと思います。同じように自分で決めた事=約束事は自分が好きならば・好きになりたいなら守って実行した方がいいと思いませんか?そして出来たら自分で自分を誉めてあげればいいのです。自分で決めた事をきちんと行う(辞める)ってのは他人が絡まない分とても大変な事です。怠け心が顔を出したり、習慣でついやりそびれたりします。そんな大変な事が出来る自分はとても格好良いと思いませんか。そして誰も自分との約束の肩代わりはしてくれません。自分で決めた事は自分で行い、出来なくてもその結果を受け入れるのは自分です。その結果は直ぐに出るとは限りませんが、その何十年後の未来までも受け入れるのであれば自分との約束をするもしないも本当は自分次第なのです。そこまで考えた時貴方は貴方との約束(決めた事)をどうしますか?次回は「大変な事は悪い事?」です。
2006.01.06
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「今年一年どう在りたいかを考える」今年向こう一年自分がどんな風にいたいか、どんな風になりたいかを考えませんか?自分を変えたいとただ闇雲に思っているだけでは実は全然変わる事が出来なかった、ということになりがちです。ですので一度じっくり考えてみてはいかがでしょうか。自分を変えるには「こうなりたい」という明確な動機が必要です。この動機は不純なものでも構いません。どちらかと言えば不純なものほど自分を突き動かす原動力になりますので、不純な動機大歓迎です。その「こうなりたい」と言うのは今の自分とまるっきりかけ離れていても問題は無いです。とにかくそれをはっきりさせないと「変わりたい」と思いつつ色々やってみても長続きしませんし、本当に変わる事はできません。次に「こうなりたい」という姿に自分は成れる!と信じましょう。「でも他の人に知られたら『出来る訳無い』って言われる」といった貴方、別にこの自分が「こうなりたい」と言うのは他人に言わなくていいのです。自分の中で一人内緒に「こうなりたい」と想い、強く「こうなれる!」と思えば良いのです。もしどうしても言いたいのでしたら貴方の言う事に対して否定的な言い方をしない人を選んで言うといいでしょう。貴方の言った事に対して否定的な言い方をする人は何を言っても否定します。そんな器の小さい人に構っていては自分を変えることは出来ません。また「言霊のちから」を使うのも良い方法です。これは他人に向かって言う必要はありませんのでどうしても周りの人が批判的なことを言うひとばかりだから宣言が出来ないという人にもお勧めします。やり方は何処ででもいいので出来るだけはっきりと自分がこうなりたいと言う気持ちを載せて「私はこうなります!」と断言するだけです。それだけで少しづつ動き始めるのでやってみる事をお勧めします。それから「こうなりたい」と言うのと今の自分を見比べてみましょう。ここで落差があると落ち込んでいる暇はありません。その落差をどうやれば越えて近づけるか自分で考えて戦略を立てなくてはいけないからです。そしてその立てた戦略を一つ一つ確実に実行していきましょう。ちなみにその戦略を今年一年の内に全部終える必要は在りません。というか出来ないと思います。でも少なくても1つは確実に出来るはずです。そうすれば自然に自分は変わっているはずなのです。1年の計は元旦にありと言いますが、元旦に計画を立てられなくてもまだ今年は11ヶ月以上あります。その残り11ヶ月をどう過ごすかの計画を立てるのは今からでも十分に間に合います。一度じっくり自分がどうなりたいか考えてみてはいかがでしょうか。明日は「自分のこと好きですか?52」です。
2006.01.05
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今日が新年の踊り初めでした。といっても先週の水曜が昨年最後でしたからあまり休みって感じでは無かったです。今日は基礎練習がメインでした。なのに新年初めから先生に「視線がおかしい」とご指摘受けました~。「何処を見ていいのか分からなくきょろきょろしている。自分の居所がわかっていないみたい」とのご指摘、さすがです。踊っている時に何処に視線をやればいいのかが分かっていないのは事実です。『この振りしている時はどっちに視線を向ければいいのだろう??』と思って困ってしまうのです。顔の方角と視線が上手く行かないのです。例えば何処かへ進む振りならばそちらの方面をみないといけないのは分かるのです。けれど普通に踊っている時に正面を見たほうがいいのか、斜め前なのかとかそういったのがイマイチ把握できないのです。最初はみている人(観客)を考えないでいるから視線が定まらないと思ったけど、そうでもないみたい。自分がどう踊りたいかも無いから余計にどうすればいいのか分からないのかなぁ~、と今ちょっと思ったけどどうなんでしょう。そういえば他の方たちは何処を見て踊っているのでしょうか??誰か教えてください。
2006.01.04
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明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。2006年になりました。今年も出来る限りブログを更新していこうと思いますので皆様よろしくお願いします。今年も相変わらず基本3本立てのテーマで行きたいと思います。何かまた思いつきで何かが時々増えるかと思いますがその時は笑ってみていただければ幸いです。今週水曜日のフラメンコレッスン報告から通常に戻る予定です。では今年もよろしくお付き合いくださいませ。
2006.01.02
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