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また、囚われる。見えないものに。こうじゃなきゃいけないと何故か勝手に作りだされる、枠組みに。アレをしなくては、これをしなくては。こうじゃなきゃ、ああじゃなきゃ。一つ一つ壊していって、少しづつ自由を取り戻して行きながら。でも気がつくと自分の幻想にまた囚われる。自分が自分であること。それは当たり前のことなのに、それが出来ない。幻想が何時の間にか入り込み、自分を縛って行く。何故こんな幻想があるのか、何故こんな幻想を作り上げてしまうのか。思うがままにいきたいのに、それを邪魔をする。幻想は。自分が世間と上手くやっていくための約束事だった。親に愛される為の約束事だった。無言の圧力だった。それがいつの間にか暴走し、ありとあらゆる場面で縛り付けて動けなくした。そしてまた、恐怖と怖れでさらに幻想を強固にした。自分が見ている世界は自分が作ったまやかしなのかもしれない。本当の世界はもっと広くて自由なのかもしれない。ただそこに出るまでもう少し時間がかかる。一つ一つ壊して、作られ続けるならさらにそれを壊して。その幻想の元になるものも癒して。自分を取り巻く幻想界を抜け出すために。
2010.01.31
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昨晩は何故か全然寝つけれず困りました。寝つけれない時は基本一度起き上がって、アレこれやってみたりします。大体一度気分転換が出来れば、寝つけれるのですが。ところが昨晩ありとあらゆる事をやっても寝つけれず困りました。仕方ないので、身体だけ横にしておけば、身体だけ休めれることはできるだろう、と思ってボーっとしていたら、気がついたら寝ていましたが。でもアレは多分明け方だったな~。かなり長い間ごろごろしていたからなぁ。たまにこういうことがあって、翌日仕事だったりするとかなり困るのですが、今はそんな事無いのでまあ助かりましたが。前回新月の時で、今回は満月の時か~。何か素直に寝かせてくれないかなぁと最近つくづく思う。身体は動かしているのにねぇ。ちなみに最近色々と夢は見ているようです。起きる直前までは覚えているんですけどねぇ、それ以上がなかなか 笑
2010.01.30
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言葉は取り消すことが出来ない。こういうブログなどで書いたことは「削除」ボタンで簡単に消せる。都合が悪くなったら削除すればいい。そう思っている人が多いかもしれません。でも読んだ人にとってはいつまでも残ったり、傷になったりもする。そうなった場合、やはりそれは自分がいかにそのつもりが無くても、その罪悪感や後悔で胸が痛むのは、甘んじて受ける必要がある。自分が発したものなのだから、自分がそれを受け取るのは道理だ。ポジティブと呼ばれる色々な他者からの感情も、ネガティブと呼ばれる他者からの投げつけられる感情も全て。Web上で消えても、実際にエネルギーは消えなかったりする。それに対して言い訳して逃げる人もいるかもですが、そうじゃない人もいる。逆に傷ついたと言ってその傷を売り物に、相手を屈服させようとしたりする人もいる。でもそれはただ自己満足の為に、相手の尊厳を踏みにじって良い訳ではない。自ら認め、謝罪されたら、それはそれで許す必要もある。後の痛みは自分で向き合って癒すしかない。相手の謝罪だけでは本当の心の傷は癒えない。でも言葉は難しい。自分の意図したものと違う捉えられ方をすることも多くある。その時相手に対して怒るか、相手の意図を確かめて改めて理解してもらうように言葉を繋ぐかはその人次第。ただ、人も一定では無い。時には受け入れ、時には受け入れられないこともある。時間が必要なこともある。何も考えず発した言葉が相手を傷つける。そしてその傷は発した自分にも帰ってくる。時には倍以上となって。それはただ当たり前のこと。それだけの話。それは口から出た言葉だけでなく、手で書きつづった言葉も同じというだけの話。+++++++++ちょっと最近聞きかじったトラブルについてのことと、あと簡単にコメント削除や修正をしまくるある人の行動も含め、思ったこと。消せばいい、相手に知られなければ良いと安易に考えるのでなく、その前にそんな行動をしなくていいように人間力や言葉を使う力を養うことが大切かな、と。一時期それで苦しんだことがある故に、そう思う。それだけのこと。
2010.01.29
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久しぶりに献血に行ってきました。前回6月なので、7か月ぶり??秋口からこちら、どうもイマイチ体調と月モノの調整がきかず行きそびれていたな、そーいえば。行って何が驚いたかと行ったら、インフル対策で出入り口の手の消毒があるのはともかく、マスクまで用意してあって、「マスクをして下さいね」と言われたこと。あ~、そこまで来ているのか~~~。ま、大人しく指示に従いましたが。そうそう、献血前の検査で血を採られるのですが、その時に「針刺されるの見るの嫌~~~」とお話したら、「それでも献血に来るんだから偉いわねぇ」と言われました。え~??でも献血は別でしょ??と思った私。だってこれくらいの協力はしておかないとねぇ。また成分献血で血漿を取ってもらいました。そうそう、血漿だけ分離すると黄色い透明な液体になるんですよねぇ。ちなみにDVDは「ライラの冒険」を見ていたのですが、毎回思うのだけど、ファンタジー好きで見るけど、ファンタジーの画像って妙な既視感が毎回あるんですよねぇ。ここ1年くらい。それはさておき終わってから、献血10回目ということで、記念品を戴いてしまいました。ガラス製の杯、だと思う、これは。ちなみに私はこーゆー記念品などを毎回貰う度に、「こんなものくれるくらいなら、日常消耗品をくれないかぁ。もしくはもっと必要な個所にお金使ってくれないかぁ」と思ってしまいます。困るんですよね、毎回処理が。……一度拒否してみるか??ちなみに家に帰るまではなんともなかったが、家に帰ってから、疲れが出てしまいました。眠いっ!
2010.01.28
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気持ちが上がったり下がったり、グルグルしたり安定したり急降下したりと変な感じ。騒ぎたい私、悲観したい私、それはともかく動きたい私、冷静な私。それこそ分裂人格が入れ替わり立ち替わり、それぞれ反応しているようなめちゃくちゃな感じ。エネルギーダウンしているせいか、波動が堕ちているためか、何処とも繋がらない。ちょっとだけ寂しい。でもその分今に集中できる。それで良いんだと思う。今どっか別の場所に引っ張られたら、それこそ困る。ただ単に今を生きるための時期に入ったのかもしれない。山があり谷がある。それが今の生きる現実。
2010.01.27
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きっとうまくいく、大丈夫。そう言い続けていても、上手くいかないことが続くと嫌でも心は折れる。信じていても信じきれなくなる。弱いと思う。何処が間違っていたのか、何がいけなかったのか。そう思い始めておかしくなり始める。結果が付いてこないと、信念とはやっぱり揺らぐし、それでもと強く思っても上手くいかない。努力の方向性を見失う。どちらを向けばいいのか分からなくなる。そして動けなくなる。盲信と信念は違う。でも似ている。そうしてもう一度原点に戻り直す。そしてまた歩き出す。方向を見失う。繰り返す。何時になったら、この輪から抜け出せるのか。どうやったら抜け出せるのか。そしてまたぐるぐると回り続ける。++++++何となく今の状況。「抜けた」と思っても結局基の場所に戻ってしまう。元に戻らなくても次の輪に嵌ってグルグルしたりする。何だろうこれ。
2010.01.26
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とにかく働きたい(もちろん先立つもの危機もあるが)と思って片端から求人で引っかかったものにアクセスしている。そこで気付いたのが気持ちと行動の矛盾。働きたい、という方向は同じだが、どうやって、ということが統一できない。とあるカフェでバイトしたい。とにかく手っ取り早く稼ぎたい。短期の週払いのバイトないかな。長くずーっと勤めたい。事務職に就きたい。派遣再登録しよう。まるで右に行こうとしながら左に曲がって進んで後退しているような、めちゃくちゃな状況。統一が出来ない。取りあえず2方向まで絞ったが、それでもむちゃくちゃなのは変らない。アクセルを踏みながらブレーキを思いっきり踏んでいるような変な感じ。進むにも勧めない。でもこれは私の中身と結局同じ。分裂人格と名付けた私の中の色々な側面が、あっちこっちに行きたがって訳のわからない状態になっている。だからと言って今までの生きた中で、「こうしたい」と方向性を決めて動くたびにあちこち引っかかって、結局ダメにボロボロになるのを経験した為に、余計に統一が出来ないと言うのはある。「なるようになる」と半分投げて、任せていた時の方がスムーズに進む気もする。でも「方向を決めないと何処に行くか分からない」とも言われて、無理矢理決めることもある。間違っている、というわけでは無くて。自分にどちらが合っているかだと思う。私のように内面に矛盾を抱えまくっている人間は、逆に行く末を運命に預けた方が良いのかもしれない。内面統一出来ている人は、ちゃんと方向性を決めないと、変な方に行くのだと思う。それはともかく、無理矢理でなく、自分の中身と向き合うことが大事なんだと思う。矛盾をそのままにして放置するでなく、まずはその状態を認めて、少しづつ対話していくしかないのだと思う。でも本当は自分は何を考えているのか。何をしたいのか。常識や価値観や他人の作ったあれこれの評価では無くて。働きたい。でもそれはそれがすべてでは無くて、何かをするためのツール(お金)を手に入れるため。ツールを得て何をしたいのか。まだそこが見えない。まずは色々なことを体験する為に。その為に改めて頑張ろうと思う。ひょっとして一生をかけれる、かけたいと思う仕事など見つからないかもしれない。でもそれでいいと思う。まずは「しなくちゃ」から解放されよう。
2010.01.25
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ガッツリ堕ちてどうしようもない状態に陥っていた時に、ふと手に取った本があります。「自分を愛するたましいのレッスン/ソニア・ショケット」買って1回ほど読んで、それで本棚に放ってあった本です。あ~、こんな本あったんだなぁ~って思ってぱらぱらめくって。改めて、自分は自分を大切にしてないな、と思い至ったりして。引っかかったのは「ステップ5 たましいに栄養を与えましょう」という章。エネルギーが枯渇するとネガティブになったり、疲れやすくなったりすると言う点ですね。毎日の生活はポジティブなものであれ、エネルギーを消耗させるので、その補給方法を考えなくては行けないと言う話です。本には映画を見たり音楽を楽しんだり、と書いてあります。とにかく楽しいと思うことをしましょう、と。それがエゴだと思わず、心から思い切り。確かにそれはおざなりになっていたなと思い至り、取りあえず小説や漫画を片っ端から読んでみました。YOUTUBEでアニメや音楽を聴いたり。余計なことは考えずとにかく没頭できるもの。シンクロしたり何か思い出したりしない、徹底的にエンターテイメントとして楽しめるもの。逃避とか思わず、遠慮なく。確かにそうしたら、その後は気持ちが少し楽になっていました。また、思いつめていたかな。~~~じゃないといけないと思い込んで。自分の中の分裂人格たちと向き合わなくちゃいけない、ネガティブと向き合わないといけないと気負い過ぎていたのかも。ただ、何処か冷静に見つめる目もあって。その心の動きをただ眺めていた観察者もいる。この一連の流れが分裂人格のものだったとしても、一番大事なのはやはり自分自身だなと思った。「自分の本当の望み」が何なのか。本当は空っぽで無かったとしても。それはそれで受け入れるものだし、空っぽでもいいのだと思うようになった。無理に埋める必要もなければ、埋めなくてはと思うものでもない。このネガティブなアレこれが出てきて、出尽くしたとは思わないけど、目を背けたいことも無しにしてしまいたいことも、そして無意識に意識の改ざんをしようとしている私も、色々出てきて、泣きそうだが。それでも私は私を愛しているなと思った。そのネガティブな行為をする私自身が愛おしいな、と思った。今まで目を背けたり抹殺したいと思っていたりしたが、その想いさえも愛しいものなんだなと思う。そこで一歩前進なのかもしれない。
2010.01.24
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昨日の記事にコメントを書き込んでいただいたのを見て、つくづく思ったのですが、やはり同じような状況になったことのない人の言葉って、そこにいる人間には響かないんですよね。在り来たりの言葉。在り来たりの価値観。他人を批判したり、贅沢だと言えば、多分その人は同情や正しいことを言えた気になってすっきりするんだろうな、とは思います。贅沢だとか、なんとか言われても。貧しいとか苦しい人を引き合いに出されても。ああ、そういう状況の方が生きることだけに力を注げるから、変に考えずに済んで楽だろうな、と思う。でも響かない。動く力にはならない。ふーん、としか思わない。ああこの人は幸せに生きている人なんだな、他を知らないんだな、と思うだけ。人の言葉を聞いて読んでわかった気になっているかもしれないが、実は全然分かって無いと思う。知識だけの言葉は上滑りする。毎回そう思う。知識だけ、というのが分かっている人の言葉は、逆に力になったりするが。それくらなら逆に分からない、と言った方が納得する。分からない、理解できない。その人の正直な言葉の方が、底に堕ちた人は届きやすいし、響きやすい。もしくは怒り。自己満足の感情的な怒りではなく、その人の心からの相手を思うエネルギーだけが、その人を動かす。中途半端に声をかけるくらいなら、放っておいた方が無難だ。真剣に向き合う気が無ければ、声をかけることなどしない方が良い。「ああ、そういう時期もあるよね」そう言ってスルーされた方が余程その人の為になる。そういうものだ。昨日とりあえず底を打ったみたいで、なんとかちょっとだけ浮上。まあ、堕ちるとこまで落ちたら後は上がるしかなくなりますからね。中途半端に持ちこたえよう、上がろうとすると、余計にダメみたいだな。
2010.01.23
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何がって、生きるのが。何故生きているのか分からない。何故ここに居るのかわからない。どうしたいと言うこともない。死にたいとも思わない。ただ生きているのが面倒になる。何時になったら寿命が来るのか、何故死なずに生きているのか。身体は嫌でも生きようとする。それに引きづられて仕方なしに生きている。何も欲しくない。何もしたくない。ただ終わりたいだけ。自分の中には何も欲求が無い。こうしたいと言うものもない。もし、命が誰かに分け与えられるのなら、今日一日分を残して、全部分け与えてしまうのに。そうしたらここから離れられるのに。なにも要らない。なにもほしくない。常に私の中心は空っぽのまま。何も満たせない。何も見当たらない。虚無。そう、本能的な、本質的な欲求が私には欠けている。なぜみんなが生きたいとか、アレしたい、これしたいと言うかが解らない。衝動とか、そう言ったもの全般。ただそれを言っても仕方ないので言わないだけ。だからとりあえず何か欲求があるふりをしているだけ。何もないのを見ないふりをしているだけ。私は本当のところ、口に出している事は何も求めていないのだ。求めているふりをして、それに対して普通の人の反応をしているだけなのだ。手に入ったと見えるのがただの幻想。本当に欲しいものなど何もない。だから手に入っても本当には喜べない。あるのは虚無だけ。++++++++++まあ、約10年周期のものなのですが。毎度ながら私自身が本当は何も求めてないのが、改めて分かることです。今回10年前と違うとしたら、以前ぽっかり空いていた、底なしの空洞がなくなっている事くらいですかね。何をしても埋まらない、埋めようのなかった空虚がどこにも見当たらないことです。それ以外は特に変わらないな。本当に何になりたいと言うわけで無く、何を手に入れたいと思うわけでもなく。哀しいとか苦しいとかそういう感情も一切感じることもなく。ただ無いな、と思うだけ。仕方ないので毎回無理やり適当な目標みたいなのを作って、それに執着するふりをして、そうすると何時の間にか、擦りかえられて表の意識は執着していくので、そうやって無理やり生きているようなものです。何か人として生きて行くための何かが、私はごっそり抜けおちているんですよね。通常見ないふりをしてますが。本当に約10年ごとにそれを思い知らされます。人によっちゃ、ただの鬱と言って終わるんだろうなぁ。
2010.01.22
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たぶん、反動だと思うのだが、今は収縮期に入っている感じがする。収縮期、というのも変だな。ある一部では拡大しているのだから。収縮というより、広げ過ぎたものの後始末というか。逆に収縮してしまったものを広げ直すと言うか。なんかそんな感じ。バランスが崩れてしまっているものの修正かも。視界や視野も訂正されつつある。というか歪んでいるのになぜ気付かないかな、私。でも毎回そんな感じだな。粛々とそういうことが行われている気がする。何処か見えないところで。引っ張られ過ぎていたところから離れる。元の形に戻っていく。必要あればまたそちらは拡大される。それだけの話。調整期。その一言に尽きるかもしれない。
2010.01.21
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「お前なんかに何が分かる!この悔しさや哀しさや憎しみや恨みの一体何が分かると言うんだ!」別ブログのあまりにも軽いコメントを見て、その時代の私がそう叫びました。うん、彼女には何も分かって無いと思うよ。ハッキリいってその重さを洞察する力もないだろうね。表面だけ見て表面的なことしか言えない人だと思うよ、この書き方はね。軽く言っているようでも思いの深さを知る人には、やはりそれなりの言葉の深さが出ます。また自分しか見てない人の言葉と、相手を見て考える人の言葉もその差が歴然としています。ご本人には全くわからなくても、聞く側には分かるのです。それとは別に「お前に何が分かる」というのも被害者意識の一つなのかな?と考えてみたり。でも痛みとか恨みとか憎しみとかって、やっぱりそれなりの愛情の深さがあったから感じること。深い愛を知らない人は恨みも憎しみも持っていないのかもしれない。更に大きな愛を持つ人は、恨みも憎しみも含みながら、さらにそれを上回る愛がそれさえも包み込んでいる。「確かに私の中には貴方への恨みも憎しみも怒りも苛立ちもすべてあるわ。でもそれは全て愛から出ているし、私の愛はそれを含んでもなお貴方を愛していると言えるものなのよ」とあるハイヤーさんに言われたことです。やられた、と思いました。そう考えるとその時代の自分が恨みや憎しみを持っていると言うことは、十分に精いっぱい生きた、ということなんだろうね。例えその意識が今は一種の被害者意識に囚われていたとしても。深い闇の底に沈んでいたとしても。そのことさえも良くやったよね、と言える。その深い闇の底に落ちてしまうくらい、貴方がその時感じたのは大変なすごいことだったんだよね。信じられないくらいの衝撃だったんだよね。だからそうなってしまったんだよね。ぎゅっと抱きしめて受け入れる。それからそっと手放すもの。「被害者意識」から抜け出せ、手放せ、とは言うけれど、そう簡単には抜けられない。衝撃があれば手放しやすいかもしれないが、常に気をつけないと、また囚われる。その意識に触れて抱きしめる。何度も何度も。そして何度も何度も手放す。ネガティブと言われる感情を、取りあえず持っていて良いよ、と自分に許可を出す。無理に手放さなくていいよ、持ちたいだけ持っていて良いよ。仕方ないからね。でも十分に堪能したら、要らないと思ったら手を離そうね。無理やり離すことも切り捨てる必要もない。強要されなきゃ、執着することもない。そう言うものかもしれない。
2010.01.20
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散歩、というか、に出かけました。本当は献血にでも行こうかと思ったけど、どうも鼻風邪が治らないので、これはちょっと遠慮しようと思って。行った先は某公園。久しぶりに行ったら、科学館が増改築中でした。で、多分プラネタリウムになるであろう丸い建築物を、建設中でした。なんか、不思議に惹かれたなぁ。これ↑は公園側から見たもの。手前の半円形のが、今のプラネタリウムですね。さらにちっちゃいのが、望遠鏡があった筈。反対側のビルの谷間から見たそれは、なんか不思議な感じがしました。とてもよく知っているような、見知った感じがして。あ、そっちも写真撮れば良かった。忘れてた。その後公園側からボーっとしばらくその建築中のものを見ていた私。変な人です。公園ではいきなり木に抱きつきたくなり、べたっと張り付いてみたりしました。で~、何故か小フーガみたいな曲を歌いたくなったりして、歌っていたりする。訳分からん。そのままさらに別の公園へ移動。そっちも歩き回りながら、なんか歌っていたな~。歌っていたと言うか、メロディを口ずさんでいたと言うか。ちなみにその口ずさむメロディはいつもその場でしか、歌えません。帰って来てからだとキレーさっぱり忘れてます。別公園の方はぐるっと回った後、奏楽堂近くでぼーっとしてました。あ、この奏楽堂、真中には今は入れません。八角形に組まれた床板を見て、なんか見覚えがあるな~と思ってみたり。天井が平らなのですが、ここがドーム状だったらそのまんまだな~って訳のわからんことを考えてみたり。周りではワンコを連れた一団が居たなぁ。わんこ達は可愛かった。そして帰ってきました。ちなみにその間中自己探索は行ってたりして。……疲れたかも。
2010.01.19
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次に出てきたのが【梟人間】と命名した人格さん。ハッキリいってこの人が出て来た時も私はパニックになりました。【眠り姫】が徐々に外に興味を持ちだし、少しづつ成長し始めていた時でした。そのことに【ゴスロリ娘】は焦りを感じ始め、強くなりたいと剣を習い始めたのがこの時期だな。なかなか上達しないことにフラストレーションを発しながらも、諦めないことを学んでました。そんな折、【眠り姫】の首を落とし、胴に刀を突き刺したのが、この【梟人間】さんです。出て来た時は人の形でありながら全身が毛で覆われた獣の姿に、日本刀を持った姿でした。最初に首が転がり落ちて行く様を見た時、私はパニックになりました。彼は最初私たち全員を殺す気だったようです。でも私が「本当にそれがしたいのか」というようなことを聞いた時、向きを変えました。隣の部屋を開け、そこに居た両親を惨殺したのです。【眠り姫】を殺害した時には感じなかった血のにおいや生々しさを、そこではものすごく感じました。部屋の向こうは何故か断崖絶壁になっており、その人格はそこの崖に両親の死体をひっかけ、その後は宙を睨んですごしました。そう言えば私、この両親殺害に関しては何も感じなかったな。げ、やっぱり、位の感想。そちらより【眠り姫】への凶行の方がパニックだった。動こうとしないその人格さんの隣に行って、何か話しかけても何の応えも変化もありませんでした。茶色い獣の姿にズタボロの翼をもったその人格さんは宙を睨み、狂気の瞳で何を見て感じているのか分かりませんでした。ただその人格さんからは純粋に強大なエネルギーをもっていると感じただけでした。それが丸1日過ぎた時に変化がありました。巨大な白い梟がやってきたのです。襲いかかるそれを、私は最初もっていたロッドで叩き落とし撃退しようとしました。しかしそれは直ぐに復活しました。一方隣の人格さんはそれを待っていたらしく、じっとしてました。なのでそのまま展開に任せてみました。襲われた、と思った次の瞬間、それと融合したらしく、全身真っ白の姿に変化してました。その瞳は以前の狂った獣の瞳では無く、何処か知的なものを感じました。それでもしばらくはそこから動こうとしませんでした。そのまた翌日くらいになると、自らこちらの人格さんたちがいる部屋に入ってきて、部屋の隅に陣取って、日本刀の手入れを始めたのです。相変わらず言葉は発しず、意思の疎通もままならない、ほかの人格たちも無視という状態でした。でもステーキをさし出してみたら、それは器用に日本刀で切り分けて食べてくれました。名前も不明、意思疎通も不可能のその人格さんを取りあえず私は【梟人間】と命名したのです。ちなみにこの人格さんが私の中の何の象徴なのか、未だに良く分かっていません。冷酷さ、潔さ、怒り、正義のような気もするが本当に分からないのです。ちなみに昨日の怒りは【高校生】と【ゴスロリ娘】に属している気がするが…。ほかに「怒り人格」が居ても不思議じゃないので、とりあえず保留。自分の中身って思った以上にカオス状態です。
2010.01.18
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今日の昼間ちょっとムカつくことがありました。なので一通り怒っていたのですけどね。……で、怒り過ぎて頭痛がする orzただのバカ……。で、毎回引っかかるのですが、どうも私はちゃんと物事や相手に向き合おうとせず、逃げたり自分の言動に責任を持ってないと感じる言動にどうもイラッと来るんですよね。なので自分の言葉ややったことを無かったことにしようとする言動、その他すべてに反感を持つんですよ。言った以上、やった以上どんなにつらくても向き合えよっ!ちゃんと自分の言動の始末をつけろよっ!相手のこときちんと見てないだろ!自分被害者意識で逃げてんじゃねぇよ!って。いや、何でこんなにムカつくか、私もよく分かって無いんですけどね。そもそもの原因は母親だとは思うんですが~、どうもそこだけだと根拠が甘いような~。あの人無責任のくせして他人への責任追及はめちゃめちゃするので、其の反感が元だと思うんですが~。なんだろね、本当に。幾ら探っても良く分からないのだ。実際に自分がやると言ったことをやらない人、勝手にどんどん自分でルール改善して言っちゃう人は嫌いだな。でも、これがその人だけの問題なら私も幾らでも放っておく。その人の勝手だもん。だがそこに他の人が関わっていたり、物事が大きく動く場合はダメだね。たとえそれがどんなに小さな事が始まりだったとしても。挙句の果てその物事が大きくなったことに対して逃げ体制の場合は、首根っこひっ捕まえてそれをきちんと認識させないと気がすまないね。「てめえの考えなしな行動の結果がこうなったんだよっ!良く認識しろっ!!」と言ってやりたい。…………こりゃ現世だけじゃないのかな。何時かそうやって大変な目に在ったことがあるのかもしれないな。些細なことが大事になって、その責任に圧倒されたことがあるか、逆にその始末のおわれて死にかけたか。両方かもね。だから中途半端なことをするのが嫌なのかもしれない。でも結構半端な人間なんだけどな、私。自分のこと棚に上げて、って思うこともある。私には逃避癖あるからね。結構逃げたくて逃げたこともある。でも結局逃げれば逃げるほど、状況はまずくなる一方だ。だからある程度まで言ったらちゃんと向き合う努力をする。でも向き合うとあっさり解決したりする。逃げるからダメなんだな。それを知っているからかもしれない。だから逃げる人に対して、腹が立つのか?そうかもしれないが、どうもよく分からない。ちなみに、謝罪せずに延々言い訳や自己弁護したがる人もムカツク。間違いや誤りが何故認められないのかって思う。やっぱりこれも逃げているって思うからかも。だけどここまで怒ることか~??私は私が一番不可解だ。ま、怒っちまうものは仕方がない。これからも追求し続けるしかないな。参った。
2010.01.17
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私が【ゴスロリ】と命名した分裂人格がいる。私が【眠り姫】が人形姿でいた時に、もう一人の女の子の手を引いて歩いているのを感知してました。誰かわからず、誰か知らず。ただその時に居たのです。彼女がちゃんと活性化したのは【眠り姫】をベッドに寝かせてから。何故かそこはまるでセットの部屋みたいになっていて、壁の一番上が切れてました。そこに座ってました。しばらく足を組んで頬杖をついて私たちの方を一部始終見てました。もちろんそこから動くことなく。黒い靴に横じまのタイツ、ミニのフリルスカートに黒いフリルのついたボブスリーブのブラウス。髪もくるくるパーマをかけて上に二つ結んでいました。動きがあったのは【眠り姫】が取りあえず目覚めてから。まだベッドから出る気はない彼女は取りあえず、チビインチャ達に任せて彼女に話しかけました。「降りてきたら?」「何言ってんだ、ばーか」思いっきりバカにした目付きでこちらを見てました。このままじゃ埒があかないので、翼を出して飛んで行き、隣に座りました。擦るとそんな事をする訳ないと思っていた彼女はびっくりして、そのまま下に飛び降りました。「飛んでくるなんてヒキョーだろっ!」「じゃあ、呼んだら降りて来なさいよ」そう言ってベッドの置いてある所に降りました。そうはいってもこちらをバカにしたような、喧嘩売りの口調は直りません。挙句の果てベッドから出てこない【眠り姫】の悪口まで言い始めました。彼女にチューニングして分かったのは、弱い心、傷ついた心を隠すため・守るために強がって周りを攻撃するようなことをしている、ということ。それゆえにプライドを振りかざすとういう行為もしてました。そしてこの弱い・傷ついた、傷つきやすい心とは【眠り姫】をさしていました。【ゴスロリ娘】は【眠り姫】から派生した分裂人格でした。ただ彼女はあくまで強がっているだけで、本当の強さも誇りも何もないのです。なので私は一度彼女の強がりやプライドをぶち壊しました。そしてその弱さを引っ張り出しました。泣き崩れる彼女をどう扱っていいかわからず、しばらくその様子を見てました。そこで動いたのが【眠り姫】でした。滅多に降りようとしないベッドを下りて、【ゴスロリ娘】の手を取り、ぎゅっと握りました。【眠り姫】は【ゴスロリ娘】が自分を守る立場にある人格だと分かっていたようです。なのでいたわるように手を握り、そのままじっと泣くのを見守ってました。その様子を見て、私は二人まとめてハグして「大好きだよ、愛しているよ」と伝えました。うん、嫌うって選択肢はないな。例えどんなんでも、愛しているな。それから【ゴスロリ娘】は喧嘩売る口調で話すことはしなくなりました。同時に彼女は私の女性性も属しているらしく、私に「スカート履けっ!女らしくしろっ!!」とことあるごとに言われます。うーん、これは今殆どジーンズかパンツしか着てないせいだな。そーいえばこれが終わった後に、ハイティーン向けのお店の前を通りがかったら、ミニのフリルスカートが在るのを見て、「こーゆーの履いてよっ」と文句言われました。「いや、アラフォーだからさすがにそれは似合わないし、みっともないから無理」と答えたら「えええ~~~~っ!!貴方そんなおばさんなのっ!!」と言われました。 orzいや、本読んで知ってましたけどね。分裂人格は主人格が何歳になるかなんて、ましてや大人だなど知らないって。知ってましたが、さすがに本当にびっくりして言われると、ミョーな気分になるね。ちなみに【ゴスロリ娘】はぱっと見12歳くらいです。【眠り姫】は見た目大人の女性ですが、中味は全然子供です。この時点で中味は10歳になるかならないか……。先は長い……。
2010.01.16
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昨日・一昨日のマイミクさんのブログを読んで考えている事がある。「許す」ってなんだろう。「許さない」ってなんだろう。マイミクさんは怒っていた。動物を扱う会社なのに、社長や社員が迷い犬が来た時に「放り出せ」と言ったことに。「お金にならない」と言ったことに。結局迷い犬の飼い主さんが見つかって、その子は戻っていたのだが、その会社の人たちの対応が悪かったことを怒っていた。そして天使たちが「許しなさい」と言ってたから許さなきゃ、みたいなことが書かれていた。でもさ、その「許さなくてはいけない」って何?“何を”許そうと思っているのだろう。自分が納得できてないのなら、「許さない」という選択を取ることが間違いだとは、私は思わない。さらの会社の人の対応が改まらなければ、「許さない」というのは当然だと思う。それなのに「許さなくては」って思う方が間違っているのではないだろうか。それで「許した」と言ってもただの自己満足・欺瞞じゃないのかな。「許した」ということで光と勘違いし、自分を陶酔させるほど醜いものは無い。結局「許せない自分」を許してないのだから、歪みが生じる。許せない、と思うなら気が済むまで許さないのも一つの選択。それが逆恨みで無く正当なものであればそれはそれで構わないのではないか、と思う。何時までも引きずって恨みにならない限り、私は悪いとは思わない。逆恨みの場合は自分の被害者意識に問題があるのだと思う。ただ逆恨みと分かっていても、納得できず許せない場合は取りあえず存分に怒り狂うのもありだと思う。ただ相手が改善したのに何時までも「許さない」のは、自分の中身の問題だと思う。それこそカルマの問題。そこはちゃんと自分で見つめる必要があるとは思うけど。でもそのありようも自分であることを忘れてはいけないのだと思う。全て自分。醜くても可愛くても憎らしくても愛しくても、すべて自分。思わず拒否をしたくなっても、本当に逃げることはかなわない。それをひっくるめて今の自分であることを「許す」ことが大事なのかも。それこそ本当の自己受容が必須なのかもしれない。そう言えばビジネスのある本に叱る時は「その人」を否定してはいけない、その人の「行為」を否定しなさい。と言うのがあった。これも結局そう言うことなんだろうねぇ。言ったこと、やったことを許す必要などない。でもその人自身は許してあげなさい。まあ、あくまで私の勝手な考え方ですけどね。上手く出来なくても、そんな自分を先ずは受容しないとね。ただそこに安穏とせずに、そっから先は自分で上がっていく必要はあると思いますが。
2010.01.15
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ふと今まで自分の中に巣くっている闇とおぼしきものを引っ張り出してきた。ただ引っ張り出してそれで清算したつもりは全くない。清算するにあたって、まずすべて表沙汰にしただけだ。訳のわからないまま「人格統合」だの「カルマ清算」などと言っていても仕方ないから。借金がある人が借金の総額を知らなければ、ちゃんとした返済計画を立てられないのと一緒だ。だからまず私が分かっているだけでも引っ張り出してきた。そしてそれに思わずめまいを起こしかけた。この子たちをどうやって光に昇華させればいいのだろうか。だが引っ張り出した闇たちは意外にも分裂人格の中に入って無い。多少は影響があるが、基本ある程度までカルマ解消しているのかもしれない。それ以外の闇は出てきた分裂人格たちが教えてくれた。彼女らはまず闇にまみれた姿で現われてくる。一般的に「闇」と聞いて思い浮かべるものから外れている闇もある。自分が切り捨ててきたものが出てくるから。弱さ、センシティブな感性。それらも闇の中に落ちていた。彼らが出てくるたびに思わず途方に暮れる。これを一体どうすればいいのだ?マジで一瞬逃避したくなる。しないけど。思わず自分の望む方へと導こうとするが、そんな風にはならない。基本的に私の言葉や望みは彼らは無視する。無視はしなくても本気に取らない。そう言うものだ、と本にはあるが、改めて見ると本当にどうしたらいいのか分からず惑う。仕方ないのである程度色々やったら、彼女らを観察する。彼女たちにピントを合わせると、彼女たちの属する性格が見えてくる。始め「人格統合」を知って、分裂人格たちに名前をつけたりするのに抵抗があったが、確かにこれは名前を付けた方が無難だと思う。彼女たちにはやはりそれぞれ「性格・性質」があり、同時に一人の人間としての存在しうるのだ。そう言う意味では確かに「人格」がある。でも同時に自分であり、自分で無い。それこそ分断されて、分かれて存在してしまっている。それぞれが持つ闇もそれぞれによって違う。でもそれも本当に「闇」と言っていいのかどうか、私は悩む。確かに私にとっては現時点で困った性質、と位置付けて見ないふり、切り捨てをしようとして来た。でもそれはそれで本来は輝くべきものではないかと思う。本当なら一緒に成長して、自分の大事な一部としてあるものだと思う。でもそれをしてこなかった。してこなかったというより、成長させ方を知らなかったので、成長しなかったともいう。そして闇に落したのは私自身だ。またそこから拾い上げる事が出来るのも私だ。何度も何度も「人格統合」の本を読み直す。そうでないと私は私の分裂人格たちを、自分の都合の良いように歪めてしまいそうになる。それが私が受けて来たものだから、そのカルマをまた自分に向けて行ってしまいかねない。それだけはやめたい。でも最初はどうしてもそのカルマから抜け出せない。ハートにも基づいた行動ってなんだろう。愛ってなんだろう。そもそも私に主人格など本当にあるのだろうか。常に分裂人格に乗っ取られて、ほかの分裂人格と対峙しているだけなのではないだろうか。不安はある。指導を受けないで行おうとしているので、余計に不安は募る。だからと言って後ろを向いてしまってはダメなことは分かる。それぞれの分裂人格たちの性質はそのままに。何度も読んでわかったつもりになり、でも対峙する都度ぼろが出る。愛に基づいて行動する出来るようになった時点で、分裂人格は分裂人格で無く、ハイヤーセルフ化するものらしい。分かるような分からないような。まだ私の中の私たちはそこまで行っていない様なので、余計に腑に落ちないのかもしれない。頭でわかるのと、本当に理解するのは違う。だからまだ中途半端な状態で棚上げ。どうすればいいか等、本当に分かる人は少ないのかもしれない。ただ私は今起きている私の内部を見つめ続ける。たとえどんなに醜悪な醜態をさらす自分であろうとも。これはメモ的な吐き出しです。良し悪しの判断、アドバイスなどは不要です。似た様な吐き出しがある方はご自由にどうぞ。
2010.01.14
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昨日少し書いた分裂人格たちについて。【眠り姫】と呼んでいる人格さんですが、この子は一番最初10月のワークショップで出会いました。5歳くらいの等身大の人形として、鉄格子のはまった牢のような部屋に居ました。昭和30年代位の何も写さないテレビの前に、昔の待合室にあったような長椅子に座ってました。最初に感じたのは「拒否」。放っておいて。何も要らない。何したくない。何も見たくない。部屋を明るく変えようとも、服を変えようとも、下手したら元の暗い部屋に戻され、服も戻され、完全な拒否しか帰って来ず、どうしたらいいか途方にくれました。通常この手のインナーチャイルドに会ったら、それから毎日会いに行くことを約束するものらしいのですが、私はその約束はしませんでした。その時はそれが出来ないのが分かっていたから。なので約束したのは、「毎日は来れない。でも事あるごとに来るし、見捨てないから」ということ。実際にその後毎日は行けず、時々しか行きませんでした。部屋を変えようとも、何かプレゼントを持って行こうとも反応せず、下手したら部屋にもおらず、探しまわる羽目にもなりました。そこまで拒否されてました。そして「人格統合」の本を読んだ時に、ああ、プレゼント渡したり、部屋を綺麗にするだけじゃ意味が無いんだ、とわかり、その日から結局私はその子を腕に抱いて歩きまわることに。拒否しまくっているので側に居ても分からない。しかも“人形”になってしまっている。そしたら先ずわかるにはずーっと抱いていてあげるのが一番だ。そう思ったのです。そしてその取り組み3日目くらいから“人形”は女の子に変りました。それでもその子は「拒否」なのです。でもその「拒否」は無視して腕に抱いたまま、あっち行ったりこっち行ったりしてました。色々話しかけながら。ある日突然その子は言い出したのが「降ろして、眠い」でした。腕から降ろすとその子は部屋の隅に行って膝を抱えて寝ようとしました。「ちょっと待って!寝ても良いけど、ここはやめてっ!!」ハッと気づいてそう言って、フリルがふんだんに使われた白いベッドを用意し、女の子にもhリフルの白いパジャマを用意して、それを着せ、そして寝かせました。でも彼女から感じたのは結局拒否。外なんて知らない。世間なんて知らない。何も知らない。眠らせて。全てを拒否して眠り続ける彼女をどうしたものか。無理に起こして起きないし、と途方に暮れかけた時にふと、ちょっと前にケアしたチャイルドたちを思い出しました。そして彼女たちに見てもらうことに。そして私は彼女が何故そこまで周囲を拒否するのかわからず、その理由を知るために彼女にチューニングをしたのです。そしてその彼女が持つ「物語」を知った途端、彼女は女の子から女性の姿に変りました。それでも昏々と眠り続けてます。彼女の持つ「物語」を知った時、あまりのことに私は最初思いっきり拒否してしまいました。あまりにも受け入れ難かったし、重荷だと思ったから。でも彼女が自分に居ると言うことは、彼女は確実に私の一部で私に影響を及ぼしている。それがわかったため、それを受け入れることを私は決めました。「物語」のことを詳しくここには書きませんが、彼女の心が壊れて行った過程は、今の私が幼いころに意識が分裂していったこととシンクロし、辛さと世間一般を拒否する気持ちが理解できました。多分私にとって幼いころのそれは普通には受け入れ難く「物語」として出てくるしかなかったのかと今は思います。でも彼女は理解して共感しただけでは目覚めません。更にチューニングすると彼女の意識はさらに下の海の底を漂い歩いているのを知りました。なので私もそこまで降りて行き、色々話しかけましたが、効果ありません。茫洋とした視線でふらふらとさまよう彼女には何の効果も無かったのです。そしてふと思いついたのです。私は彼女の前に窓を作り、そこで彼女の嫌いな世界(外)を写し、そしてそこを破壊し始めました。そして彼女が拒否している他の人たちも全員殺して見せました。すべて破壊しつくしてから聞きました。「貴方の嫌いな外も、貴方を追い詰めた嫌いな人達も全部壊して殺したよ。 これであなたの嫌いなものは無くなったよ。 貴方が望むならまた殺しも壊しもするよ。 さあ、貴方は何をしたい?」彼女は驚いて立ちつくしました。少し考えて途方に暮れてました。「目覚めたい」「じゃあ、戻ろうか」そう言って海の底に居た彼女が目覚めたのでした。これが年末年始に私の内部で起こっていたことです。
2010.01.13
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最近色々と自分の中に沸き起こる感情を一つ一つチェックしている。その中で最近一番気になるのが「怖い」という感情。とにかく何かと足を引っ張っている感情なので、一体これはなんだろうとずーっと観察しているのだが、その根っこがつかめない。外が怖い。世間が怖い。行動するのが怖い。結果が出るのが怖い。変るのが怖い。傷つくのが怖い。失敗が怖い。幸せが怖い。ハッキリ言ってちょっと待たんかいっ!!です。でもなぜこんなに怖いのか。幼いころからそう言った異常な恐怖は持っていたので、その辺りに原因があるのかと思ったのだが、どうもここまでの「恐怖症」になるほどの原因は見つからない。確かに何かをして失敗しては泣いていたが、幼稚園の頃など失敗したことより、失敗して泣いたことに対して怒られたくらいしか出てこない。失敗して傷ついて泣いちゃいけないという恐怖が失敗が怖いと結びついたのかもしれないが。ただ怖いという質が一つづつ、少しづつだけ違うようだと言うことしかわからない。外や世間が怖いと言うのは、行動した結果、自分の期待したのとは真逆の更に恐ろしいと感じる事があっての引き籠っていく方の恐怖。結果が出るのが怖いのは、期待した結果が出無かったと言うがっかりが嫌だと言うものだろうし、変るのが怖いのは未知のものは知らないから怖いと感じるのは当たり前見たいなところはある。また期待していたものと違っていたらどうしよう、という不安でもある。幸せが怖いと言うのはそれを手放した時、失った時の絶望感を感じたくない、というあたりから来ていると思う。すべては自分が傷つくのが怖い、というあたりから発生しているだろうと言うのは見当がつく。ただ甘いだけなんだろうか。世間知らずなだけなんだろうか。色々と知れば知るほどに恐怖というほどの怖さは、解消されていくはずなのだが。今分かっているのは、この辺りの恐怖や不安を感じている事自体を「おかしい」と言われたために、感じてはいけないんだ、と思って切り捨てようとしたことくらいだ。でも切り捨てられず、何かある度に浮上し、自分の足かせとなっている。些細な失敗でさえも自分を許せずにいる自分。完璧じゃないと愛されない、という強迫観念が原因かと思ったが、どうもそこ辺りもあいまいだ。失敗=価値が無い、存在してはいけない みたいな図式が何時から出来上がったのか、実は良く分かって無い。幼いころからの積み重ねの結果であって、直接的にこれというモノが無いのかもしれない。こうすれば大丈夫、と言われた通りにやって、結局真逆の結果が出たことがあったのを思い出す。確かこの前も行動すること自体が怖くて怖くて、やりたくないと言ったのに、強く言われてやっとの思いでやったのに、それさえもダメで。「うそつき、大丈夫だって言ったのに」と泣いて親を責めて。だが親はそのうち泣きやまないことに逆ギレしたんだと思う。貴方のやり方が悪いから、貴方が行動しないのが悪いから、などと責められたことがある。傷ついて泣いた事をそれがおかしいと責め立てられ、それが行動するのが怖いに結びついたのか。でも腑に落ちない。どうもイマイチ違うような気がする。ハートが納得しない。理由というか原因に行き当たると、ハートで「ああ、これだ」と分かるのだが、今回はそれが無い。では違う?一因ではあるけれど。だがここで切り捨てると結局また何かの時に浮上する。何処かで私はこの「怖がり」を切り捨て、意識下に押し込めようとしたのだ。だからこそ未解決課題として浮上して言る。どうすればよいかわからない感情たちを何時からか、こうやって切り捨て無きものにしようとして来た。だがそれは解決じゃない。開くまで先送りでしかない。だから私はこの感情に足を取られながらも、認識しながら行くしかない。現時点で私の中に居る分裂人格は3人認識できます。【眠り姫】、【ゴスロリ娘】、【梟人間】。外、世間、幸せに対する恐怖は【眠り姫】に属し、行動、傷つく、失敗の恐怖は【ゴスロリ娘】に属している様子。【梟人間】さんは恐怖なんて持ってないですからねぇ……。代りに怒りとか憎しみ等の激しい感情と同時に反する冷静さ冷酷さを持ってます。変ることに対する恐怖はまだ出てこない人格に属している様子。先は長い……。
2010.01.12
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まあ、初詣という時期じゃないんだろーけど行ってきました。自転車で 笑いや、車で行こうかとも思ったけど、成人の日だし、祝日だし、多くて停めれないかな~って思って。実際に行ったら駐車場はいるのに長蛇の列でしたw自転車で正解。片道1時間はかかるのだが、まあ、それは運動ということで。南門まで行って、それ境内に入ったのですが、すごい人でした。まだまだやっぱり……。というか「踏歌神事」があった影響もあるみたい。しまった早起きすればよかった。でもだいぶ人数が少ない状態でしたね。三が日に行くと、それこそお参りするのに人数制限が出るから。私のお目当ては「新春御垣内特別参拝」で、今日まででした今年は平日も行っていたみたいですねぇ。去年・おととし辺りは土日っていう感じでしたが。通常のお参りでは入れない御垣内に入ってご挨拶をしてきましたwうん、やっぱり空気感が違ってすがすがしかったです。それからおみくじを引きました。ら、ここでは「大吉」…………10日かそこらで運勢って変わるのか??それとも御垣内でご挨拶をしたので、そのおこぼれ? 苦笑まあ、どちらしても気を引き締めないといけないようですが。その後いつもの龍神社、御田神社、清水社に行ってきました。今回清水社の裏の神池に来る人が多くてびっくり。並びました。指輪と何時も身につけている水晶だけ洗って、帰ってきましたが。そーいえばまた清水社のそばで歌いたくなって歌っていた私。良いんですけどねぇ。曲名が思い出せない……。多分カノンだとおもう。その後は宝物館の展示に寄ってきました~。御垣内参拝についていたのよ、入場券が。神事に使う面やら、鏡とかいろいろ。何故か弓が気になって仕方がない私。朱漆弓とか梓弓とか。弦を張って無いのなんですけどね、なんか持った時の手応えとか、引く時の感触とかが見ているだけで何故か分かって、うずうず。更に日本刀の刀身の展示にいたっては、うっとりと見てしまいましたよ orzちなみに細身の太刀が好みですその美しさと言ったら~。って半分血かね?父方の方は遡ると刀鍛冶をやっていたそうだから。その後別宮の八剣宮、下知我麻神社でご挨拶をして帰ってきました。うーん、やっぱりお正月の時期は平日に行った方がいいな、これ。……ちなみに今回、裏はありませんよ。感知力が鈍っているので。せいぜい何時もより派手?な白い服装で挨拶してたのを感知したくらいですからwあ、たまにこういう記事を書くとなんか不思議な気持ちだ。ガッツリ自分の中の闇の方を見ていたから余計に。
2010.01.11
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ここ数日を振り返り、自分を苦しめたカルマパターンの大半が、親からの遺伝カルマだと気付いてちょっと愕然とした。年をとったせいか子供がえりした両親の行動を見ていてつくづくそれを実感する。もっとも彼らの分裂人格が暴走しているだけなのだが。同時にそのカルマパターンを自分のものとするために、本来の見えるものを見ないように目を覆い、聞えるものに耳をふさぎ、感じるものをも遮断し、思考パターンさえも遮断して狭いところに押しやったのにも気づいた。確かにそれらを持ってしたらカルマパターン回避しちゃうからね。そう気付いたら一体自分は何を考えてこの環境に生まれ、経験し清算しようと思ったのだろうと思わず遠い目になった。それはさておき。価値観のすり替えというのは早い話、他人の価値観を自分の価値観として取り込むことです。私の場合、昨日の自己否定と対になっている。自分が価値が無い、自分が嫌い反動で、自分がどうしたら価値があるのか、好きになれるのかを模索し続けた。そうして「良い」と言われるものを取り入れ、そしてそれを自分の価値観だと自分に勘違いさせ、自分軸があるようにふるまった。それは生き方だったり、見え方だったり、考え方だったりした。誰かが憧れている状況を目指すことだったり。もちろんそれを取り入れることが出来た辺り、似た様な価値観を既に持っていた、というのはあるとは思う。経験からはじき出した考え方だったり、上手く言葉にできないながらも感じていたことだったり。最初はそれで共感して嬉しかっただけだった。そしてその価値観は実際に仕事などで役に立った。そのルールを知っていれば、楽に仕事や物事を乗り越えられたからだ。その考え方がとてもありがたかった。だがやがて気付かないうちに、その価値観に私が振り回され始めた。そうしなくちゃいけない、ああしなくちゃいけない。中途半端な完璧を求める私が、それを追い始めた。けれど本当に私のハートの奥底から求めているものと違うために、上手くいかない。それにより余計に焦り、変な方向へ自分を追い詰めた。頭で考え、その通りにしても、なっても逆に自分のハートが反発し始めた。そして状況が壊れた。その時私が真っ先にしたのは、他者への責任のすり替えだった。被害者意識に凝り固まり、他者や環境や周りを責め始めた。そこから抜け出すために更に失敗を重ねる羽目になった。今思うと、それまでの不要な逃れたいはずの価値観にがんじがらめになった状況で、さらなる価値観を増やしたために、オーバーフローしたのだと思う。手放さなくてはいけない、不要なものを手放すことが出来ず、更に方向性が違うものが来たら壊れるに決まっている。しかしこの失敗や壊れたことを認めたくない私は、更に何か理論や価値観や状況を探してこじつけて変に正当化した。そして失敗を擦り替えて反省をしなかった。そうして強がっていた。弱い自分が認められずに。失敗さえも拒否し、見ずに切り捨てようとした。その根底にあるのは失敗してはいけない、間違ってはいけないという強迫観念だった。それがあってはいけない、という刷り込みが逆に私を失敗へと導いた。自分の中の失敗への恐怖は何時から在ったかは定かでない。ただ異常に間違えることへの恐怖が幼いころからあった。もしかしたら前世に何かあったのかもしれない。ただ親の失敗や誤りに対する異常な怒りが拍車をかけたとは思うが、その根底にあるこれが何に起因するか良く分かって無い。それ故に失敗から学ぶことが出来なかった。更に厄介なことに私は私の頭の中で理論的に物事を組み立てることが得意だった。なので他者価値観を自分の価値観に擦り替えることは、結構簡単にしてしまっていた。それゆえに、長い間、つい最近まで自分が他人の価値観で生きていたことに、気付けなかった。情報が悪い訳ではない。私が情報に対する対応が間違えていただけだ。そもそも私が良いと思った物事に異常に感情移入してしまったり、浸ってしまったりするのも原因だと思う。もっともこれも自分の思うに任せない現実からの、一時逃避の手段として発達させてしまったものなので、その根っこは自己否定にあるとは思う。ただ状況にガッツリ浸る、感情移入して疑似体験するというのは、時として良いこともあるので、使い方次第かなとは思うのだが。その使い方をとことん間違えていたのは自分だな。気付けなかったが。他者の価値観、情報を自分のものと擦り替えて生きてきたため、逆に自分の望みが見えなくなってしまった。自分が何を求めているのか。それよりも他者の価値観で成功を収めて見せることが、他者肯定と自分肯定の得方だと勘違いしてしまっていた。その方が楽だったんだと思う。自分を見つめて本当の望みを知ることより、他者の価値観を自分の望みと擦り替えた方が簡単に行き先が見えたから。大体これは20代後半からつい最近までの生き方だな。そうなってしまったのは、漫画を描くことを手放してからかな?「何を伝えたいか」それが見えずに、話を作ることが出来ず投稿が出来なくなってからだと思う。その辺りがターニングポイントだったのは確かだ。もっともそれまでも死への憧れを持ち、生きることを半分捨てていたような生き方だったから、出来なくて当たり前と行ったら当たり前なのかも。あ、これは自分整理の用のメモです。良し悪しの判断や批判・批評・アドバイスなどは必要ありません。ちなみに無理やり感情その他を切り離して書いている訳じゃありません。当時のぐちゃぐちゃな気持ちは思い出せるし、胸はムカムカするし、まだ清算は終わって無いですが、冷静に客観的に見ているだけです。こういうことが出来るようになった辺り、進歩ってするもんですよねぇ。人間何時になっても。
2010.01.10
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自分嫌いというか自己否定というか。これはけっこうおおっぴらにしたので、あまり歪みになって無いかもしれないが、やはりやっぱり闇の属すると思うので、書いてみる。自分嫌いになるきっかけはやっぱり親からの否定が根本にあったと思う。自己肯定は大事、とは言うがやはりその根っこには必ず他者、とりわけ親の肯定が必要となる。叱られようが怒られようが、それでもあなたが大事というのが分かる環境においては、子供は自己肯定しやすく、更に自分好きになることが多い。逆に子供の存在を根本否定するような環境においては、幾ら愛していると必要だと言われても、自己肯定が出来ず(揺らいで)挙句の果ては自分嫌いになることが多い。私の場合も親からの否定が根本だと思う。一時期頻繁に親に「私のこと好き?」と聞いて回った時期がある。多分幼稚園とかそれくらいの時期だと思うが、良く覚えてない。機嫌の良い時は「好きに決まっているでしょ」という返事をもらえたが、何かあって不機嫌な時は「もう、鬱陶しいわね。あんたなんか好きな訳ないでしょ!居なくなっちゃえばいいのに」「良い子じゃない貴方なんて要りません」というような返事が返ってきた。自分が要らない存在である、ということほど子供を不安や恐怖に陥れるものはないと思う。居る存在になるために色々と子供なりの努力をする。それが「良い子になる」というものだったとおもう。ただ普通に良い子になって、それで「良い子ね」と褒めてもらえたら、逆にそれはそれで終わったのだと思う。ウチの場合は幾ら良い子をしていても、親の機嫌によって八つ当たり気味に詰られたりすることもあり、また親の良い子の基準がころころ変わることもあって、普通に「良い子」をやれなかったことも多々ある。同時に反発もあったので、それこそこの辺りはすでに愛されたい私と反発する私に分裂状態だったが。小学校低学年だと思う。ある日父が私に向かって「お前らなんか寄生虫だ。人が一生懸命働いて貰った給料を食いつぶしやがって」と言った。この頃の経済状況を私は知らなかったが、もしかしたら大変だったのかもしれない。「そんな事はないよね?本当は大事だよね?」というようなことを聞いた覚えがある。が、帰って来たのは罵倒だった。「そんな訳あるか。誰が大事だ。何もせずに食い散らかしやがって。居なくなればいいんだ」多分その後泣いたと思う。覚えてない。母がいきなり泣き出した私に驚いて、父に問い質し、何か言っていたのをかろうじて覚えている。それでもそれ以来完全に父を信頼することは無くなった。「本当は要らない子」それが自分の中に深く根を下ろした。誰かに必要としてほしいという欲求と、誰も必要としていないというあきらめが入り混じったのもこの辺りからか。いじめや、自殺願望、殺害願望、生存願望その他が入り混じっていくうちに、気がついたら私は「自分嫌い」になっていた。たび重なる失敗や、友人関係が続かないこと、親からの感情的な否定の数々、その他色々無ことの結果だと思う。何か一つが原因じゃないな。複合だな。自分の望まない状況だけが周りにあるように思い、自分が望むように居ることが出来ないことも原因か。でも一番の原因は常に自分の悪い面しか見れなかったことだと思う。卵か先か鶏が先か、みたいな議論になるが、母が常に人の悪いところを見つけて、感情的に罵ったこともあるし、それにムカついて何が悪いみたいな感じで直さなかったのもある。どちらにしても水掛け論にしかならないな。ただ母と私はそうやって悪いカルマにグルグルになり、更に落ちて行ったってのもあるのかも。自分のこと好きならなきゃだめだよ。そう言う人もいたが、逆に自分の嫌なところしか見えないのに、どうしたら好きになれるのかと聞いたら、逆ギレされたことがある。どちらにしても私の中のインチャというか、分裂人格たちの暴走、というかカルマパターンが止められず、それが自己嫌悪にもなっていたのかもしれない。この辺りはイマイチまだきちんと見れないな。何かを見たくないのかもしれない。何がきっかけで、この状態からはい上がろうと思ったのかは覚えて無い。多分「もう嫌だ」という主人格の叫びがあったのことは間違いない。同じころかな。突然分かったことがある。それまで私は私の事など誰も好きじゃない、理解などしてくれない、一人なんだと思っていた。でもある日突然、「たとえ私がどんな状態でも、どんなところに居ようと、世界中の人々が私の敵になったとしても、神様は決して私を見捨てないし一人にしないし、絶対的に愛してくれる」ということが直感的に理解された。直感的に、としか言いようがない。これが多分魂とかハートとかの深いところに突き刺さった。涙があふれた。この世界では独りかもしれないが、見えなくても私は一人じゃないし、一緒に居て見守ってくれているんだ。わかった途端、自分で自分を救う気になった。それまで不運とか、環境の悪さに泣いていただけだったが、そこから少しでもはい上がるためにやれることをしようと思った。神様はそこからはい上がるのを待っていてくれる。だから私は私を見捨てずに、ここから出て行くんだ、と思った。もちろんそこから先はまだまだ長かったが、変な絶望感は減ったのは確かです。不必要に他人を求めなくなった。常にだれか側に居てほしいと思い続けていたが、もちろん当分はそれは続いたが、そのうちそれはどちらでもよくなった。本当の自分嫌いから出るまでは時間がまだ掛かったが。ちなみに私は自分が自分嫌いなのは許してました。自分で自分の悪いところしか見えない場合、嫌になるのは当たり前だからと。無理に自分好きになろうとはしなかった。あ、これは自分整理用のメモのようなものです。良し悪し、批判・非難・アドバイス、綺麗事などは必要ありません。ただ同じような吹き出しがある方はご自由にどうぞ。
2010.01.09
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今、自分の過去の闇というか暗い部分を掘りくじ返していると、かなり大変そうに見えるらしい。大変、なのか?多かれ少なかれ大変なことはみんな沢山あったと思うので、自分だけが大変とは思わないし、私から見れば「耐えられない」という過去を持った人もいる。何て言うんだろう。ただそれだけなんですが、私にとっては。過去は過去、今この時点で振り返ってアレこれ見落としていたものが見えてきて、それが改めて勉強になっていると思う。その当時辛かった気持ちや恨みや憎しみは覚えているが、今はそれに浸ることも憑依されることもないので、ただそれだけのものに見える。そうは言っても、昨日の掘り返しの影響か憎しみや怒りをもった人格が現われて、それなりに大変だったのだが。自殺願望が何時からあったかは覚えてない。早く死にたい、という気持ちは幼いころから在ったので、昔からそうだったのかもしれない。今思うとこれも全部【眠り姫】に属しているような気がする。周りが嫌で壊したり、変えたり出来ないから、逆に自分がこの世界からいなくなりたいという欲求。一番ひどいいじめの最中は逆に死ぬ気はなかったので、其の後から出てきたんだと思う。高校のころは自殺するならどの方法が良いかを友人と話したこともある。少なくても私の周りは一度や二度はどうやって死ぬかを考えたことがある人が多かったと思う。思うに任せない現実に、どう変えればよいかわからない物事に、どこか絶望している人の多い世代なのかもしれない。今なら、このころの私にその方法というか手順を教えられるが、この頃はそういった情報から隔絶されていたのかもしれないが、その術を知らなかったし、どうしたらいいかわからなかった。何でわからないの。貴方自身がおかしいだけじゃない?そう言われたこともあったかな。自殺への行動をとらなかったのは、私が小心者だと言うのもあるが、同時にある話を聞いたからである。「自殺したら今と同じ状況の場所にに何時までも閉じ込められる」今の場所が嫌で死にたいのに、死んでからもそんな場所に留められることほど、私にとって嫌なことはなかった。だから、少しでもましな状態になって死にたいと思った。でも死への憧れは無くなる訳じゃなく。そして少しだけましな状態になった時、これくらいなら耐えられるという状況になった時、再び自殺願望が出てきたのは当たり前かもしれない。何時どうやって死のう。表に出さずにそう思い続けていた時、不意にその頃の友人に、「自殺だけはしちゃダメだよ」と言われた。「……分かった」それだけしか返さなかった。後で聞いたが、この友人もその時同じような状況に在ったらしい。しかしこの『友人との約束』というは私の中で絶対に守らないといけないものとして、カテゴライズされていたため、その後自殺は禁じ手になった。でも死にたくて仕方がない。殺されるんだったら、構わないか。そう思って知人友人たちに結構歯に衣を着せぬ言い方をするようになったし、通りすがりに対しても傍若無人にふるまうこともあった。誰かが逆上して刺してくれたら死ねるのに。そう思っていたが、そうは問屋がおろさなかった。そしてそのうちニュースで大事故や大災害で死者○名とでる度に、(ああ、あの場所に居れば死ねたのにな。羨ましいな)と思うようになった。そんな状況だったから、将来なんかどうでもよかった。それなのに悪い遊び系の無茶や無理は出来ない優等生体質で、このまま生き続けたらどうしようと怯えてもいた。30間近になるまで、本当にそんな感じに生きていたな。今思うと何か、どうしようもないなと思うけど、その時はそれがすべてだった。色々な物事に縛られ、身動きできず、そこから逃れるために死を欲していた。どうすればいいかも分からず、考え方や動き方まで昔に縛られて、母親の見えない支配力に縛られ、籠の中に居た様なものだった。本当につくづく思うのだが、本当に必要なのは学校で習うこと(も大事だけど)それだけではなく、自分で道を切り開いて行く術(思考・行動)が必要なんだな、と思う。逆に言うと生きる力を奪いたければ、親や政府や上に立つ人の言うことを聞いていればよいと洗脳することだ。更にそうしないと怖いことになると身体に教え込むことだな。そうして自ら考えて行動することを封じてしまえば、その国は滅ぼすのはたやすい。それは置いておいて。自殺願望が無くなったのは習い事(フラメンコ)を始めてからだったな。将来スペインに行きたいと思ったのが、きっかけ。それまでせいぜい半年先の未来のことしか考えなかったが、それから数年先を考えるようになった。死にたいと言うのがばからしくなった。未来を、ああしたいこうしたいと言うとそれまで母や父の価値観やモデルケースに無いものだったらしく、「そんなバカなこと出来る訳ない!そんな事よりこうしなさい」と、こちらが諦めるまで罵られ、先に潰されてしまうことが多かったから、未来に希望が無くなったんだと言うことに気づいた。自分たちの思い通りにならないと言っては罵り、仕方なしに言うことを聞けば根性がないと言って罵る。アレはただ単に自分たちのストレス解消でしかなかったんだな、と思う。じゃなきゃこちらの心が折れるまで徹底的に感情的に罵倒なんてしなかっただろうし。更に心が折れてたのを見て、更に感情的に罵倒するなんて非情なことしないだろうし。だから私はそのうち両親と話すことは諦めた。話しても文句を言ったり罵倒したり非難しかしなかったからだ。誰も普通の会話をしないどころか、非難しか言わない相手に話そうなど思わない。ただそれだけだ。しまったな、この辺り未だ感情の整理がついてないや。哀しくて悔しくて仕方がない。受け入れてくれないとか、受けれいて欲しいとかより、最初っから話を受け付けなかったことが嫌だったな。ろくに聞いてもくれず、自分の先入観で人非人扱いされたのが嫌だったな。子供を自分の理想の生き方を押し付けようとしていただけだったな。自分がその生き方が出来なかった代わりに。「私はあんたの生き人形じゃない」とか「あの人は私が必要なんじゃない。“娘”という名の自分の理想代理人形が欲しいだけだ」そう思っていたな。そして多分、もし私とそっくりのあの人の理想の行動をする誰かと入れ替わったら、気づかずに喜んで終わりだろうな。そうある意味確信していた。私は必要な存在じゃない、居なくていい人間だ=死にたい。その図式があったのを思い出した。哀しいな。ちなみに自殺願望と昨日の殺人願望と生きる願望がグルグルしていた時期は10代後半から20代後半までです。あ、これは私の闇掘り返しの整理用なメモみたいなものです。批判・避難・アドバイス・綺麗事は必要ありません。貴方が今親となって違う意見を持っていたとしてもです。でも同じような吐き出しがある方はご自由にどうぞ。
2010.01.08
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昨日の日記見て、このころの私って本当にものが見えて無かったな、って思った。見えているつもりで全然見えてない。自分の感情に囚われ、親の意見に囚われ、常識に囚われがんじがらめになっていたな。まるで目隠しというか、競走馬で怖がり?の馬が良くしている目のところを視野狭窄させるアレをつけて居るみたいだなって思った。なんか変なタイトルがついてますが、もろそのお話。実際の現実で人を殺したことなど無いのだが、自分のインナーワールド、空想の世界ではやはり人殺しをしている事はある。最初はあまりのことに相手に「居なくなっちゃえば良いのに」と思ったことからが始まりだな。自分の至らなさを指摘する人もそこに含まれていた辺り、本当に何も見えない子供だったと思う。一番はその至らなさを解消する術が良く分からなかったのが問題なんだと思う。何時からか私は自分は完璧でないといけないと思い込んでいた節もある。これも幼稚園児くらいからなので、多分母親に愛されたい自分がそう思ったんだと思う。そしてそれはいつの間にか独立した分裂人格になって言ったんだと思う。この分裂人格はまだ私のインナーワールドでは見つからないが(今は眠り姫【逃避】とゴスロリ娘【強がり】がいるorz)この完璧になりたい人格はやはり努力を知らない私で。見た目とか変なプライドに凝り固まって、努力したつもりになり、他からの指摘に耐えられないと言う困った人格です。だから他者からの至らないところの指摘が意地悪に見え、揚げ足取りに見え、それをする相手を憎んだ。そしてその憎しみは相手が居なければいいのに、というところまで行く。結果自分の思い通りにならないものを憎む私が居た。この私と親を憎んだ私は同一になったのかまた違うのかは今は未だよく分かって無い。この憎む私は過去の失敗さえも完璧から外れるからと、失敗を憎み抹消することを望み、結果失敗から学ぶことを阻害していた。もちろんこにの憎しみはいじめた人たちにも向けられており、いじめられている時期、何度か家に帰ってからいかに殺してやるかを考え続けた。実際に何度か奴らを殺すのを想像してすっきりとしても居た。だか私の中の罪悪感を感じる部分がそれを拒否し、その後すぐにその罪悪感で死ぬほどの苦しみを感じてもいた。このセンシティブなところは多分【眠り姫】人格だったと思う。【眠り姫】はその名の通りそとを拒否してなかったことにしたい私なので、そのうち意識下にどんどんと潜っていってしまう。高校の頃、母親にコントロールされているのを感じた私はそこから逃れたい自分と、やはり愛されたい自分に別れて常に極端から極端へと移動していた。もちろん完璧になりたい私がその事実さえ、みないふりをしていたが。そうして私は母を憎み、罵り始めた。お前なんか居なければよかったのに。お前の子供に何か産まれたくなかったのに。選べるならお前の子供生まれて来なかったのに。ちなみに母親への否定の一番最初は幼稚園の頃だったが。何がきっかけだったか思い出せないが、「私がお母さんになったら子供にお母さんと同じことなど絶対にしない。お母さんみたいに絶対ならない」と言ったのだ。これは今冷静に思い返してみると、幼稚園児が母親に向かって母親失格だと宣言したのだからすごい。フツーは考えないな。もちろん母はこれにショックを受けたんだと思う。「そんな事を言う貴方は一生結婚なんかできないんだからねっ!一人さびしく生きて行くんだからねっ」と、言って呪いをかけるのもどうかと思うのですがね。置いておいて。そんな状態で精神的にも実はかなり危なかったと思う。結構極限に追い込まれたことも時々あって。カッターナイフ見ながら、手首をきって、全部血を入れ替えたら変ることが出来るかな、と過去これいきなり腕を斬って血管をだけ取り出したらどうなるだろうと思っていた。一人部屋でカッターナイフを見ながら、いきなり面白くもないのにくすくす笑い出すようなこともあった。でも正気は手放せなかった。そしてある時からどうやったら親を殺せるか、どうやったら遺体を見つからないところに捨てに行けるかとか、そんな事を考えるようになった。父が免許が無かったのでウチには車が無かった。だから家で殺したらその遺体を捨てに行くまでが大変だとか、それなら何処かに呼びだして殺した方がいいのだろうかとか、そうすると一人で帰ってくると怪しまれるとか。そのうち関心はいかに惨殺するかに移っていき。どうせ殺すなら苦しみぬいて死ねばいいと、いかに苦しみを長引かせる殺し方が出来るかとか、首を締めたら苦しんでくれるかとか、抵抗されたら困るから先にどうしたらいいかとか、そんなことをほぼ毎晩のように考えていた。母を先にさしたら父が邪魔するかもしれないとか、父を殺すには寝込みを襲った方が良いよなとか。実際に寝ている両親の部屋の近くまで行き、その様子を空想して留飲を下していたりもした。現実の私はバカの為に刑務所入るなんてばからしいから、自ら手を下すのはバカだと言って手は出せなかったし、逆にそんな事をしたら自分の人生が壊れて終わるのは痛いほど分かっていたので、やらなかった。小心者で行動に移せなかっただけかもしれない。私は幸せになるのだ、そうじゃなきゃいけないんだと思っていた。そんなこんなで空想の両親殺害を何度試みたか、覚えてない。ただ5ケタまではいってないと思う。視野狭窄された中での思考は憎しみや怒りなどがグルグルして増幅しやすい。その状態で闇の波動が高まってバランスが取れなくなるのは当たり前だった。それがいつの間にか無くなったのは、両親との関係が改善されたという理由では無い。どうせなら徹底的に奴らを利用してやろうと思ったからだった。今思うとこれが離れることが出来ない両親への依存であり復讐であるのかもしれない。何故私が家出などをせずに留まることを選んだのかは、ただ単に小心者であっただけかもしれない。すべてが怖かったのだ。世間も外も他人も全て何もかも。これは私の中の【眠り姫】人格に全て基づいている。ちなみにこの意識下の殺人は社会人になってからもたびたび行われた。気に入らない同僚だったり、差別する正社員だったり。でも大体20代半ばで終わっている。これはあくまで闇掘り返しの自分整理用のメモみたいなものです。良し悪しの判断や批判やアドバイスなど必要ありません。もちろん同じ時期に同量の光のこともありました。じゃなきゃ本当に狂っていたと思う。必死で何か縋るものを求めて彷徨っていたなぁ。
2010.01.07
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そう言えば常に私の中にはそうやって真逆な双方向への気持ちが行き来していた。何に関しても。もちろん釣り合いが取れている訳ではなく、真中では無く、極端から極端へと走っていく。それはどんな場面にも現われていて。それはそれで「貴方はおかしい」と言うようなことを言われ続けていたな。ある時思い切って「じゃあ、どうしたらいいの?」と聞いたことがある。そしたらヒステリーを起こされて「それくらい自分で考えなさい!甘えるんじゃないっ。どうしてそれくらい出来ないの」と言われ、突き放されたな。いや、幼い頭で考えて分からないから聞いたんだが。多分親も分からなかったんだろうね。そしてそれを認められなかったから、逆に子供が考えるべきもの、という風に逆切れして逃げたんだな。今はそうやって分かるが当時はそれはそれで傷ついた。そして自分なりに試行錯誤はやってみるがやはりそれは限られた知識や知覚の範囲内だから限界があって。そう言えば小学3・4年生のころ一時期アレルギーだか何かで蕁麻疹が全身に出来て大変だったことがある。寝ても覚めて痒くて。あまりのまだら模様に「みっともないから」と母親が学校を休ませたくらいだった。アレルギー元が分からずに、ほぼ毎日病院へ行って血液検査しまくったな。もしかしたら自分の中の親への気持ちが折り合いつかなくなって出た症状だったか?そして授業についていけなくなって、勉強嫌いが始まったのもこの辺りか。そしてこのころ父親が中国に単身赴任し始めたな。逆にその時の方が役割、というのかがあって関係が安定していたような気がする。もっとも母親との関係はあくまで小康状態ってやつだったが。そしてその二律背信な不安定な状態のまま中学に行ったのもあって、集団いじめの対象になったな。クラス全員が敵だった。とばっちり食らうのが嫌で、私を避けたやつもたくさんいるし、親切な振りして近寄って、いじめる子たちに密告して、更にいじめが加速させる奴も、それを見て笑い転げている奴もいたな。でも学校は休まなかった。休んだら負けだと思った。死ぬ気もなかった。奴らを喜ばせることだけはするものかと思った。死ぬくらいなら奴らを殺してから死ぬんだと思った。このころはいじめの走りだったから、学校の先生たちも真摯に対応してくれた。母もやはりそれはそれで一生懸命にはやってくれたが、逆にこれがきっかけで色々起きたが。その努力もあったと思う。そしてクラスの一見不良グループと見える子たちが、その状態から救ってもくれた。彼女たちはクラスから離れている事が多かったから、クラスでおきている事を知らなかったというのもある。彼女たちのグループに入れてもらったら、いじめる子たちは怖いのか手を出さなくなった。周りで避けていた奴、いじめを加速させた奴も手のひらを返した。笑っていた奴らは見世物がなくなったからと、私やそのグループを非難した。後で知った話だが、私のいじめの直接加担した奴も誰かにそそのかされていたようだった。いじめるとヒーローだみたいな扱いが、見世物よろしく見ていた人達からあったようだ。それのよっていじめをしていたらしい。でもいじめが終わったからと言って、私の中の二律背信はなくなるはずがなく、やはりそれを気に入らないと手を出そうとした奴はいる。気持ち悪いと言って変なうわさを流した奴もいる。それが怖くて仕方がないこともあった。だから逆に強くて他人を攻撃し見下す自分が出来た。裏では常に怖がって、傷つけられるのを恐れて泣いている自分。泣いていると余計にいじめられるから泣くな、と言った人がいるな。傷ついても泣いちゃいけない。でもそう簡単に泣くことを止めることはできなかった。人によって違うと思うが、私の場合感情が昂ぶるとどうしても泣いて言葉がでなくなった。それを見ると人は泣かせた自分が悪者に見えるのが嫌だったらしい。この辺りからだな、本心を言ったり、他の人と違うことを言ったら阻害されていじめられるというのが、インプットされ他人を信じてはいけないと思うようになったのは。もっとも私が本心を言うことによって相手が傷つくと考えなかったあたり、私も子供だが。そしてそれを教えてくれる人もいなかったな。親はヒステリックに怒って詰るだけだったし、同じように私も自分の価値観と違うことを言われると拒否していたから。友達も精神的に成熟して居る人などおらず、居ても母と同じような反応しかしない私から離れて行ったからな。そして私はその思うに任せない現実にどう対処して良いかわからず被害者意識を募らせていた。そうするしか私は私のを救う術を知らなかったのかもしれないが。ちなみにイジメで発生した人間不信はハッキリいって30代前半まで引きずってました。20代半ばまでは、死ぬときはいじめた人間を探しだして殺してから死ぬんだって強く思っていたし。改善に取り組んで目立った症状がなくなったのは20代後半だが、潜在的にはなかなか大変だったな。認めたくなくて見ないふりもしていたいし。かなり人間関係に影響を及ぼしていたんだと思う。そう考えると全然普通に他人とハグ出来るくらいまでになった自分はすごいな。昔は他人や友人が直ぐ近くに来るだけで、ビクッとしていたり、緊張していたりしたしな。でも人込みは平気でぶつかっていくんだから本当に矛盾していたな、私。ちなみにいじめに関しては父は口だけ一人前で講釈をし、自ら動くことはしなかった。仕事で忙しいのに子供のことまでなんで面倒を見ないといけないんだ。みたいな態度だったな。だから余計に関係は冷え切っていたが。あ、これ自分の整理用ですので意見とかアドバイスは必要ありませんから。取りあえず自分の闇をほじくり返して、冷静に見返すためのプロセスですから。とは言ってもやっぱりイジメ云々では未だ感情が色々残っているね。悔しい気持ちとか、恨む気持ちとか、憎む気持ちとか、殺したい気持ちとか。鉈か何かで奴ら全員を滅多刺しにしたい感情とか。逆恨み的なのも残っているな。メインのいじめは半年間毎日、その後中学卒業するまで何かと受けたものだからなかなか難しいのかね、やっぱり。
2010.01.06
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分裂人格で一般的?に一番存在するのが「優等生」の良い子人格タイプだそうです。特に日本では「良い子」じゃないと母親にも教師にもみんなにも愛されないからね。愛されたくて喜ばせたくて「良い子」を演じる人って多いです。でも素の自分はその「よい子」のワクに収まりきるもんじゃないですよね、みんな。だから親や教師の前では良い子をやって、裏で素を出すタイプも結構多く、この手の人たちは本当の良い子を見るといじめている人が多かったなぁと。言うのはちょっと置いておいて。ウチの場合は必要以上?に「良い子じゃないと愛されない」というのがあって、必死に「良い子」になるべく色々と行動してました。でももちろん良い子の枠から外れるのは当たり前にあって。そうすると異常に叱られると言うか、ヒステリーを起こされました。普通にね、悪戯したなら分かりますが、不本意ながらの失敗や、良い悪いの判断が付かない時期でさえヒステリックに怒られることがありました。もちろんフツーに対応されることもありましたが。同時にこのころあったのは「見捨てられたら生きられない」という恐怖。「良い子じゃなら要りません。スーパーの裏に捨てきてやる」と言うようなことを何度言われてのだろう。だから必死で生きるためにも母親の望む子になろうともした。喜ばれる子になろうともした。そうしたら愛してくれるし捨てられずに済む。でももちろん自分自身というのはそういう規格どおりには収まらないし、反発もした。「何で私が私らしくいちゃいけないの?」「なんで良い子にならなくちゃいけないの?」「もっと自由にしていたい」「捨てたきゃ捨てれば良いじゃん。どうせ私を育てるのなんて世間体だけでしょ。愛情なんてないんだからさ」たぶん幼稚園とか小学校低学年とかそれくらいのころからこの二つの意識はありました。大抵の人は反発する自分を無いものにして、意識下に閉じ込めちゃったりするんでしょうが、私の場合それが出来なかったんです。だから良いこと反発とを行ったり来たり。反発している幼い自分は本当に親に見捨てられたら生きていけない。だからと言ってこの気持ちのまま良い子は出来ない。だからと言ってちょっとでも良い子のワクを外れるとヒステリーを起こし、狂ったように叩く親を好きになれず、時には育児放棄されかかり、それはやはり憎んだり怒ったりするしかなく。あまりこのころは自分が悪い、という意識はなかったな。「何でダメなの?」が口癖だったかも。理由もなく上から「ダメなものはダメ」とだけ言われ、押さえつけられることの方が多く、理不尽だと思っていたな。それなのに無理やり謝らされたこともあって、そのことで兄を憎んだりもした。こいつ(母親)が狂っている、この人は私が嫌いなんだ、私など必要じゃないんだ。そう思っていたな。そして、こいつらが居なければ私は幸せになれるのに、と。だからと言って本当に幼いころの無条件に愛されたことを忘れることが出来る訳なく。愛されたいし愛したいと言う気持ちと、相手を憎み恨む気持ちとを捨て切れずに行ったり来たりしていたな。ちなみに母は自分の感情がコントロールできない情緒不安定な人です。本人はヒステリーを起こすとその後は自分は理性的に怒ったと記憶改竄する人でもある。自分で認めないけどね。こうやって振り返ると小学生低学年でかなり情緒不安定な人間だったな。センシティブ過ぎてダメだとかそれでまた散々罵られたが。自分がその時感じたことを抑えることも、感じないように麻痺させることも出来なかったから、余計に大変だったかも。そーいえば「自分を育ててくれる人が他に居るならば、この家から出て行くのに」と真剣に考えていたのもこの時期だな。ただ、他に誰が自分を育ててくれる人がいるか分からなかったので、家から出られなかったが。そう言えば叱られる=嫌われたと言うのはいつごろから感じていたのだ?多分叱られている最中に「貴方なんて嫌い」と散々言われたんだろうな、覚えてないけど。このころたぶん既に人格が二つに分かれていたんだろうね。親を憎む私と、愛する私と。折り合いをつけるすべも分からずに、そのままどうすればいいかわからず放置するしかなかったな。あ、ちなみに「母親に向かってなんてことを」とか「貴方は母親を許さないと」とか言う綺麗事は言わなくて良いですからね。自分整理用のメモですから。
2010.01.05
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昨日の続きです。メモ書きみたいな半分自分整理用なので、苦手な方はスルーして下さい。インナーチャイルドワークで出てきたチャイルドたちとは、居なくなってしまったマリア以外は何かあるごとにコミュニケーションをそれなりに図ってました。だけどやはりワークが終わってひと月もすると上手くコミュニケーションが取れない状態になって行きます。そんな中さつきのひかりさんが火曜の一斉ヒーリングで「天使の保育園」というテーマでインナーチャイルドの癒しを行うと言う記事が目に飛び込んできました。そもそも一斉ヒーリングに興味を持って一度やってみたのが始まり。今さかのぼって確認したら3回目くらいから参加してる、私 orz知らんかった。それでそのヒーリングの時に受けたワークショップの手順でチャイルドに会いに行き、天使の保育園に行ってみようと思い立ったのです。自分が経験したことはけっこうきっちりと思い出せる、という特異な記憶力が可能にしたと思うのですが、ヒーリングを受けている時に一種の瞑想状態に入りました。最近は寝落ちるけど、当時はエネルギーを受けるとそう言う状態に入りやすかったのかも。その辺りのことを今読み返していたらなんか不思議な気分になった。(2008年1月~2月、4月辺り)なんかあまりにも思いつめていて不安定だったんだな、って思いました。色々なことがコントロールできなくて、なすがままに振り回されて。分裂人格に振り回されていたのが良く分かる。その前後辺りにインチャ達に「もう、こっちに来なくて良いよ」みたいなことを言われたことがあります。それ以来どうも会いに行けなくなったような……。この辺りでまた新たに就職して忙しくなったのもあったけど。そうそう、このころ私はガッツリと自分と向き合うことをしてました。自分の訳のわからない行動や暗い思考その他とずーっと向き合い、何故なんだろうって紐解いていました。でも理由が分かって手放せるものと手放せないものがあり。親からの刷り込みの価値観とかその鎖とかは解放出来るけど、それ以外は全然だめで。やはり上と下との落差というか波はおさまらなくて、結構自分の中身を見れば見るほど疲弊してましたね。あまりの自分の心のバラバラであっちこっち行ってしまった繋がりの無さに、どうすればいいのか皆目見当もつかず。このままでは内面から壊れて行ってしまう、という危機感もあり混乱してました。混乱しているのと同時にでもどこかできちんとしなければみたいな気負いもあり。本当にこのころまだまだごちゃごちゃだったかも。そしてさつきのさんのヒプノセラピーを受ける機会に恵まれて、取りあえずその心のバラバラにあっちこっち行っているのはひとまとめにしてもらったのですが。しばらくそれからもウダウダは続きましたが、だんだんと落ち着いて行ったのは覚えてます。少なくても多重人格並みの切り替えみたいなのは無くなりました。でも結局これはあっちこっちてんでバラバラなのが取りあえず一つの器に入っただけで、結局何も統合されてなくて。強いて言うならあるアパートで別々の部屋で、それぞれ自由気ままに隣人の事など知らないという感じだったのが、大きな家の部屋に独自の場所は持ちつつも、隣り合っているからお互いが見えるようになったような状態ですね。でもお互い全然関与していない状態です。それでどうしたものかと思って、見つけたのが伊藤美海さんのワークでしたね。それを受けるまでにまた延々、ウダウダしていたり。受けたら受けたで最初のイメージと違っていたので反抗してみたり。そして改めて「人格統合」の本を読んでやるしかないと思ってみたり。なんかもう本当に疲れる、自分。でも見捨てないけどね、何があっても。でも今これ書いている私も分裂なのかも?古いの読み返していたら、当時の自分が良く分からなくなっていた。そっちも分裂人格なのか?私って何?
2010.01.04
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分裂人格のことを見て行くとやっぱり気になるのは多重人格というもの。正確には「解離性同一性障害」って言うんですが、これは表に出てくる人格がまるっきり接点が無く、同一性が失われている状態ですね。ぶっちゃけ分裂人格ってこれによく似ています。違うとしたら一応表から見ると同一性があって、一応全ての意識が繋がっていること。例え不本意なことや記憶を自分で抹殺していたとしても。そしてかつて私は本当に、一歩間違えればこの「解離性同一性障害」になっていてもおかしくないくらい、中身が分裂してました。それこそ本当に自分のコントロールが効かないんです。極端に言うならば、ある時こうと言っておきながら、翌日にはまるっきり正反対のことをしている、そしてさらに翌日にはまた別なことをする、と言うような状態。うちの母などはこれをやりながら記憶の改竄をするので、自分で分裂状態に気づいて無かったりします。私は何故か記憶力がそれなりに良かったため、記憶の改竄もできず、忘却の彼方に追いやることもできず、ただそのやったことに対する罪悪感や整合性の無さに苦しみ続けていたのです。そして色々な自分になりつつも、記憶を失うこともなく、でも自分のやること考えることの整合性が取れず、そんな状態の自分をずーっと見続けて、精神的に疲弊していた時期があります。その時辺りからヒプノとかインナーチャイルドワークとかに惹かれていたのですが、実際に門戸を叩くことはしませんでした。近くでそう言うところを見つけられなかったのが大きな原因です。何故か東京まで行こうとは思わないんですよね。多分これもある種分裂人格に乗っ取られていたのかもですが。でもこの自分を何とかしなきゃいけない、という危機感だけは持ち合わせていました。それがちょっとだけ楽になったのはすぴこん(現スピマ)でインナーチャイルドワークショップを受けてからですね。同時に「なに見え」を知ったのもこの辺り。そしてさつきのさんの一斉ヒーリングに参加し始めてたのが翌年(と言っての2ヶ月後くらい?)かな?テーマが「インナーチャイルド」だったのがそもそものきっかけでした。ちなみにそのワークショップをやっていたのは佐々木恵美子さん。誘導瞑想をしてインナーチャイルドに会いに行くというものでした。そのワークショップで言われたのは「今日出てきたインナーチャイルドちゃん達はずーっとあなたの中に居ます。ですからちゃんと定期的に遊びに行ってコミュニケーションをとってくださいね」と言うようなことでした。それからたびたびインナーチャイルドのいる場所に行って、遊んだり声をかけたりしてましたね。その中で肌も髪も瞳も服も真っ黒のマリアというチャイルドが居たのですが、この子はある時大人になりどっかに行ってしまいました。そう言えばこの子も周りを拒否するチャイルドでした。ほぼ毎日遊びに行っているうちに、肌の色も元に戻り、大人になって何処かに行って会えなくなったのですが、そんな事が起きても私の中の混乱は収まるところを知らず、結構内面はきつい日々を送っていましたねぇ。強いて言うならば周りに対する不信感が和らぎ、感情の起伏が少し落ち着いたため、そういう意味では楽になりました。えーと、続きます。すいません、半分自分整理用にこの手の話が続きます。書くと客観的に冷静になれるのですよ。苦手な人はスルーして下さいませ。
2010.01.03
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年末伊藤美海さんの「人格統合Vol.1」を読んでから、ワークショップを受けた時に出てきたインナーチャイルド?のケアを再開しました。再開した、と言うのも間違いだな。時あるごとに様子は見に行っていたから。でもどこかに隠れて出てこなかったりしていました。そんな中また発見することが出来ました。完全拒否の人形のような女の子。とにかくコミュニケーションが出来ないので、取りあえず胸に抱いてあっちこっちうろうろ。何故かその時もう一人感激屋の女の子の手を引いて歩いていたり。それが2・3日すると人形のようだった子が、一応普通の女の子のようになりました。でもやっぱり全て嫌、寝ていたい、何も知らない、何も見たくない、見たいなまま。小さい子供のまま時間が止まっていると言うのが本に在ったので、それだろうと思って、あれこれ話しかけていました。この子はとにかくすべて拒否して籠っていたい子なのですが、そのきっかけが基本何かの失敗とかすると出てくるようなのです。でも多少の失敗くらいは普通は当たり前でなんともないはずなので、ずーっとじゃあこれすれば大丈夫だから、アレすれば大丈夫とか言って成長を促していたのです。で、気づいたことがあります。私の中に居るもう一人、というか上の人にはこの感性はないんですよ。何か失敗したからと言って逃げるとか、落ち込むとか。いや、落ち込むはあるけどそれはそれできちんと捉えて、次への対応をしっかりしていく人なのです。ここにこの人格と上の人との間に繋がりがなく、断絶して分裂しているのに気付きました。私とこの拒否人格、私と上の人は繋がりがあるのですが、上の人と拒否人格は繋がりが無いんです、どっこも。人格同士の干渉というか情報交換が行われないと、ある人格の時経験したことが別の人格に行かされず、カルマが繰り返されると言うことが起きるそうです。でも確かにコミュニケーションも繋がりもなければそうなります。なのでこれはヤバい、と思い、上の人に協力と言うか話をしてくれるようにお願いしました。そもそもこの拒否人格を抱いて歩いている時、上の人は時々預かってくれたりするので、上の人はこの拒否人格を知ってはいるようです。コミュニケーションはとれないけど。そんなこんなが起きた中、この拒否人格はやっぱり嫌と私にテレパシーで伝えてきて、何処か部屋の隅の寒いところで寝ようとしました。それはさすがにダメでしょう!と言うことで天蓋と言うか幕付きの真っ白なお姫様が使うようなフリルたっぷりのベッドを用意。そこに寝かせるにあたって、拒否人格の少女の服も白いふりふりの服に交換。そしてそのベッドで寝てもらうことにしました。でもずーっと彼女は寝っぱなし。私はそこに行って寝ているままに色々話しかけいました。そしてその翌日くらいかな?そのベッドに行ったらいきなり少女が女性に変ってました。暗い茶色のストレートロングの髪に、長いキャミソールドレスのようなものを着ていました。思わずいきなりの変化にどうしようと思い、取りあえず起こしてみようとしたら「彼女はそのまま寝かせておきなさい」と言う人が orz…………ザドキエル様、何でいきなり私のインナーワールドに居るんですかぁ。仕方ないのでそのまましばらく寝かせることに。どーしようかと迷っていたら、昔ケアした白い服を着たインチャ達がわらわらでてきました。この子たちあるワークショップで出てきた子供たちなのですが、一時期良くコミュニケーションをとっていたのですがある時を境に「もう来なくていいよ」と言われてしまい、会えなくなっていたのでした。その子たち(女の子3人と男の子一人)は私に向かって「僕たちが見ているから大丈夫だよw」と言いました。なのでその拒否人格は普段はお任せしつつ、会いに行くという状況です。ちなみに今日は何故かその女性の周りにお花を飾って綺麗にしておりました。上の人をその状態の時に呼んできてもらったら、何故か子供たちを見て「何だ?この子供たちは?」と言う感じで、何故か男の子をメインに睨みあいに……。男の子は男の子で「お前が一体何しに来た?」状態で睨むし。そもそも上の私は子供嫌いじゃないはず何にどーして?って感じです。つまりここでもインチャと上の私の間には溝があって、繋がりが無いんです。これを繋がりを持たせるのか~、と思わず遠い目に。取りあえずお互い説明だけして、協力をお願いすることに。上の私はあっさり受け入れ状態ですが、男の子の方が何かまだ警戒中。ちなみにこの男の子は上の私とは全然接点が無い別人格!と言うのがこれではっきり分かりました。現時点でここまでですね~、私の取り組みは。ちなみに拒否人格には取りあえず「眠り姫」と言う名前を付けました。「オーロラ姫」の方が良かったか?今日見たら何故か白金色の羽生えているし orz何故こんな状況なのかずーっと探っていたら飛んでもね~DLが来るし。あ、知りたい方は別ブログの「こちら」へ。後わかっているのは昨年ヒプノで接触したインチャが、何故か12・3歳くらいで、また黒い服を見てこの様子を見ているのは見つけました。どーなるのかなぁ、これ。時々ちょっと書きますねw
2010.01.02
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明けましておめでとうございますw本年もよろしくお願い申し上げます。ちなみに本日氏神様で引いたおみくじは末小吉でした。…………つまり凶ってこと?あ、凶が入って無いところだとそうなります。内容もあまりにもダメダメだったため、結んで帰ってきちゃいましたw(通常はお守りとして持ち歩くのですが)ま、こんな年初ですが今が一番最低なら、きっとこれからいいことあるに違いない 苦笑たぶん。
2010.01.01
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