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本日は光講座(@ニーナカロライ)に参加してきました。あ、ニーナに関しては色々言われる方がおりますが、私はまあ、自分の勉強に一環としてとらえております。いろいろな人に会うことがブループリントの一部としてあるので、そのためかなぁと。なのでそこにどっぷりつかってそれだけの世界にする気はございません。ご安心ください。閑話休題。で、びっくりしたのが高校の時のクラスメイトが参加していたこと。私はすぐに気付かなかったけど、Tさんが気付いてくれました。高校を卒業してから疎遠になっていたのに、何たる偶然(必然)なんでしょうねぇ。感想として…、いろいろな悩みとか感じ方とそれに対するアドバイスのシェアなんですけど、そのアドバイスはやっぱり聞いてよかったし、参加したことによる収穫はあったなぁと思いました。自分のとらえ方はやはり自分がつくった枠(こうでなくっちゃ、ああでなくっちゃ)にとらわれているのを再発見したし、また自分が乗り越えてきたものにたいして、まだまだ自分がわだかまりを抱えているのがわかりました。同時にね、以前から書いている渋井真帆さんのセミナーがすごく自分の助けになっていることを感じました。考え方、とらえ方、見え方、行動の仕方。それらが今スピに片足突っ込んだ私にとって、すごく理解するのに助けになっている。そしてスピに足を突っ込んだ人が必ずはまる落とし穴を回避したり、落ちた後にすぐまた出て歩くのに役に立っているのを感じます。やっぱり結局無駄なものは無い、今までのものは別々に存在するのではなく、ちゃんとつながっているなぁと改めて思いました。あと男女の在り方とか物事のとらえ方とか色々と得るものが多かったです。スピ系の講座、というよりより良い生き方の講座的な感じが大きいですね。霊能力とかとはまた違うものなのでこれはこれで在りの世界だたと思いました。
2009.01.31
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きのう書いたブログを返して見ると…、「半年前と変わってないじゃん!自分!!」って思いました。結局おんなじところでぐるぐるとしているだけ。アカンじゃない。無謀と思える行動力はどうしたのよ、自分。まあ、仕事のことなんで、自分がやりたいだけではなかなか進まない、ってのはあるけれど。それにしても最近の滞り方はちょっと、多少の景気が関係あるとしてもイエローカードものなのかなぁと思って見た。同時になかなか良い悪いのジャッジも手放せていないのにも気づいた。理想というか、頭で考えたことが計画通りに出来ないと自分にダメ出しをする癖も、何かとやらない言い訳を考えて転化する癖もそう簡単には手放せないものだなぁとつくづく思ってしまいました。別の言い方をすると、結局本気でやる気がないから、とか自分本来の流れにないから、とかいうことになるんでしょうけど。それよりやっぱりまずどこに行きたいか、何をしたいのかが顕在意識ではっきりしていないのが余計に迷走している原因かも。とにかくブレストをするかなぁ。まずは行動を起こさないと。ささやかな一歩でも。
2009.01.29
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最近、本当に自分は何がしたいんだろうと思うようになった。常にどこか冷めていて、一生懸命にやろうという気が起きない。一生懸命やろうとすると必ず空回りしたり、腰を折られるようなことがあり、イマイチ本腰を入れれないことも多い。本来自分がやるべきことではないのかもしれない、と思いつつも、いったい何をしたいのか、何をするために生まれたのかと考えざる得ない。転職情報を見るたびに条件だけで仕事を見ていることに気づき、自分が心からやりたい仕事と思うことがほとんどない。心からか関われてうれしいと思う仕事をしたことはほとんどない。「これこそ!」と思って仕事しても、現実を見てだんだん冷めてしまい結局「収入のため」に仕事を『こなす』だけになり、仕事を『する』ことをしなくなってしまう。本当は仕事を『こなす』のではなく、仕事を『する』ことをしたいとつくづく思う。そのために好きなことに係れること、と思うが、今は何が「好き」でちょっとやそっとの障害や大変なことさえも乗り越えれるのかがわからなくなってきている。「すき」と思ったこともどこかで「何か違うだろ」という感覚が抜けない。どうしても「好き」を作っている感覚がある。どうしても何かが違うような気がする。うまく言えないがどこか他人事のように感じることがある。いったいなぜだろうかと思った時に、結局本気でやっていない、気が入らない仕事をしている、実感が得られない仕事をしている、というのもあると思う。誰かの、何かの役に立っている仕事をしている実感があれば、違うと思う。仕事とは必ずどこかの誰かの役に立っている、というのは知っているが実感として得られるか否かでやはり気の入れ方は変わってくると思う。そういうのを最近は実感している。やはり知識があり、それを実感できることが何よりも幸せなのだと思う。それが感じられないと人はだんだん心が硬直して冷めてしまうのだとつくづく感じる。もし仕事のモチベーションが上がらないのであれば、やはり体感・実感を感じることが薄いのだと思う。自分が役に立っていると実感できるとき、人は最大の力を発することができるのかもしれない。と、最近感じる。あ、私にとってはなので、ほかの人は別のことでモチベーションが上がることもありえるんですよね。とにかく自分は今の場所ではこれ以上は成長を見込めないと思うのでやはり何処かを探そうとおもう。 まあ、それなりに勉強にはなったけどね。
2009.01.28
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この間から憎しみと恨みのリリースと同時に、他人批判も湧き出ています。そりゃーもー、ワシャワシャと。でも冷静に見て私の他人批判って結構、いやかなり自己中。半分自己弁護に近いものがあるのに気付きました。自分の悪いのを見たくないから他人の配慮のなさを悪者にするという責任転嫁に近いです。批判って結構エゴによる自己弁護の近いんだなぁと改めて認識。すべてを自分のせいにして背負ってしまう必要はないけれど、批判しまくるのも自分を冷静に見れていないってことなんですよね。反省するべきところは反省する。他人に責任転嫁はしない。(もっとも直してもらわなくてはいけないところはあるとは思いますが)別の言い方をすれば他人の気になるところは自分が見たくなくて見ないふりをしているところでもある。それを乗り越えれば気にならなくなる。だから批判して文句(陰口・悪口)を言うのではなく、自分を振り返って見つめて反省して行動を直そうとすることが大事なのかなぁ。とにかく頭の中で誰かを批判し始めたら、リリースをすることの繰り返し。思った以上に他人に対してあれこれ言いたがる自分がいてちょっとうんざりしているが、以前はそれが当り前として、自分を見つめてこなかった。それがいまやるべきこととして、あらわれている感じがします。さー、このリリースが一通り終わったら一体今度はなにが出てくるんでしょうね。冷静に第三者の目線も持って対応したいと思います。
2009.01.27
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ここんところずーっとリアル系な夢を見ています。其の壱どこかの温室みたいな場所で植物が生い茂っている。胃腸のように雌株とオス株がある植物があって、その間にある電燈にびっしりと種が付いていた。除去しようと梯子を上ったら、その種がほとんどついていなかった。其の弐会社で仕事をする夢。でも場所は何故か別の場所で、別の仕事。メンバーだけ同じ。其の参自分の部屋で日が昇っているのに半分だらだと寝ている。カーテンの外は明るい、気温は高め。ぼんやりと布団の中で「あー、休みだからだらだら寝れていいなあ」と思っている。はっきり目が覚めると、実際は曇り空で全然日がさしていなくて、気温も低めでびっくりとか…。夢の中の部屋は実際の部屋より一回りは大きい部屋で寝ているから、夢だと気づくはずなんだけどね(笑)でも夢って起きたばかりだと覚えているのにだんだんと忘れますね~、やっぱり。「変な夢~」って思っていろいろ考えていると覚えていますが。今朝がた見た夢はすっかり忘れました。起きてすぐ夢日記をつけれるといいですが…。つけようかなぁ。
2009.01.26
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なりたいものは~、たくさんあるけど~♪って谷山浩子さんの歌が頭の中でリフレインしています。ちなみにこの「しっぽのきもち」はみんなのうたでやっていたり、ほかの誰かが歌っていたりで結構知れ渡っているとは思います。知らない人は聞いてみてください。きっかけはYOUTUBEでなんとなく「谷山浩子」で検索したら曲名が出てきたのですね。その時は聞かなかったんだけど、その曲名だけで頭の中で勝手に曲がプレイ。ずーっと私の頭の中で歌っています。つーか、実際私も口ずさんだり…。まあ、明るくてかわいい曲なのでまあ、いいかなぁと。ついでに「恋するにわとり」まで歌ったりして、かなり浮かれポンチな私。この谷山浩子さんの歌は結構ホラーな歌もあったりで、明るいだけではありません。昔(高校生の頃)は結構好きでいろいろ聞いてました。今は…あんまり(笑)どうしても合わなくなる曲ってありますよね。仕方がないことですが。でもなぜこの「しっぽのきもち」がリフレインしてるのかは不明。つーか、いい加減どうにかしてほしい…。
2009.01.25
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すんごくスピっぽい話です。ま、人生哲学的な話でもあります。生ぬるいっちゃー、生ぬるいはなしかも??私たちの周りには愛があふれています。どこに行ってもどちらを向いても、愛があふれています。でもその愛は一つの形、一つの色、一つの輝きではありません。たくさんの形、たくさんの色、たくさんの輝きを放っています。人によっては好きでない形、色、輝きもあるでしょう。人によっては受け取る形、色、輝きを決めてしまっている人もいるでしょう。そのために「それは愛でない、闇だ、ネガティブだ」と思っている人もいるでしょう。でも本当はすべて愛です。ただ私たちが知らない形や色や輝きをしているだけ。私たちが勝手に敵対しているだけ。「すべてのものに愛を見よ」私たちは本当はそれをできるのです。ただ愛を見ないことを学んでいるのです。その場合どうなるかを学んでいるのです。生ぬるい上辺だけでなく、すべてを乗り越えて愛を見るために。つらく悲しく厳しく苦しいすべてを乗り越えて、愛を見るために。そして愛に気づきましょう。その愛を受け取りましょう。それが究極の目的なのかもしれません。すべてに愛を見るのは本当に心が強くないとできません。心の傷が完治していないと強くなりません。完治させるためにはまず傷があることに気づくことです。そして癒しましょう。つまらないエゴは手放しましょう。心の傷を後生大事に取っておく必要はないのです。癒して直して乗り越えてよいのです。そして望むなら、心底望むなら私たちはそこに行けるのです。ただ中途半端な気持ちだと、そこには行けないだけです。選ぶのはあなたです。今の場所を選んでもいいし、愛を見て受け取る場所に行くことを選んでもいいのです。どちらもあなたに許されてます。さて、あなたはどうしますか?
2009.01.24
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だらだら~っと会社の昼休みに読んでいたので、結構時間がかかりました。「日本を創った12人」そもそも今の日本はなんでこんなになっているんだろう、と疑問と不満を持っていたいました。そんな中で、蝶々さんの本(どの本か忘れましたが。サイトかな?)の中にこの本を読んだらそういう疑問が氷解した、というようなことが書いてあったので、よし!と思って読んだのですね。たまたま目の前に文庫本が現われてくれたし。読んで、納得。納得というか、理解したというか。でもだからと言って諦めたり投げたりしていませんが。強いて言うならば、わけのわからない物体の取扱説明書を見たら、使い方がわかってなっとくすっきりという感覚に近いのかな。でもこれ奥付見たら、10年近く前の本なのよね。全然古くない、というか全然日本進化してねーぞ!やばくねといった感じですね。とにかく今の日本全体に感じるのあれこれという精神の不思議を知りたい方にはお勧めします。というか読め!まあ、一概に良い悪いを言うのはナンセンスだとやはり思うので、とにかく日本の精神の根源とか現状把握をしたいのであれば、お勧めです。本当にいま、越えていかなきゃいけないことが多くて大変。でも大丈夫なのではないのかな~となぜか思ったりしています。ま、読んで損はありません。未読の人はぜひ。
2009.01.22
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この間から「憎しみ・恨み」のリリース(解放)が始まってまして、先日「自分を見つめる その四拾壱」書いた翌日にちょっと変な感覚がやってきました。それは会社で、被害妄想的な怒りや憎しみがわき出てくるので、とにかく「私はこの感情を手放します」というのを心の中でずーっと唱えていました。その時にその感情たちにたいしてふと「今までこれがあったから守られていることもあったんだろうなぁ」「本当は自分が全て望んで体感しているんだよなぁ」としみじみした時に、その感情たちがとても愛おしく感じたのです。その途端、いきなりすべてのありとあらゆるものが本当はすべて愛おしくて、嫌いという対象や感情はそのままで、そのネガティブ感情そのものがありがたくて大好きなんて気持ちになったのです。そして楽しくて楽しくて仕方がない。すべてのポジティブもネガティブも存在してくれてありがとう。それを味わい体感することができてうれしいって気持ちでいっぱいに。思わず自分に「ちょっとまったーーーーー」ってストップ掛けてしまいましたよ。だってあまりにも今の自分とかけ離れていて。あまりにも現実感覚と乖離しすぎていて。しばらくしたらその感覚は去って(沈んで?)、とりあえず今の現実感覚にもどっては来ましたが、でもその幸せな状態のかけらはまだどっかに残っていて、今もちょっと不思議な感覚です。なんでまたこんな感覚になったのか、よくわからないのですが、結構新しい発見でした。嫌いなものは嫌いなままでもよい。その感情が愛おしい。その感情を味わせてくれるその嫌いなものが愛おしい。うん、嫌いと愛おしいって同時にありうるんだ。それで全然問題ないんだ。ということが、腑に落ちました。スピ本とかでは書いてあったので、知識はあったけど、こういう感覚なんですね~。あ、わからない人はわからないですね。有り得ない、なんて思ってますよね。ただのきれいごとだと。それでもいいです。この感覚も人が説明して理解するものではないのですから。でも気になるのは、同じように感じた人っていますか?教えてください。
2009.01.21
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え~、大変申し訳ないのですが、一応私のブログにコメントを書き込める欄はありますが、人によっては書き込みができない人がいます。というのもスパム防止のために、いくつかのドメインを書込み禁止にしてあるからです。一時期半端なくスパムの書き込みがあって、消去するのが面倒になったんですね。なのでドメインで制限をしました。一番表の「メッセージ」を送るからでしたら、ドメイン関係なくメッセージが送れますので、気になる方はそちらからお願いいたします。その際に使用中のドメイン(@マークから後ろですね)を教えていただければ、今後書き込みができるようにしたいと思います。お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします。
2009.01.20
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自分の中にまだまだいろいろな感情が抑圧されていることがわかったのは、土曜日のこと。うつ病ですっかりネガティブな子供の戻ってしまった母の言動から、思い出したことでした。うちの母の悪癖に自分の都合の悪いことは記憶の忘却&改ざんをすることがあります。現在うつ病であることを認められない母はこれの繰り返しを行い、自分から逃げて甘えて誰かにどうにかしてもらおうとしています。それは置いておいて。その記憶の忘却&改竄によって、常に悪者にされ続け(加えて父や兄には私の訴えは嘘に聞こえたのでした)高校生の私は憎しみや恨みを募らせて、毎日のように何時どのように殺してやろうかを考えて過ごしていた時期があったのです。それを病院へのお見舞いから帰ってから、父との会話で思い出しました。ちなみのその旨を伝えたら、父は黙ってしまいました。いつの間にか出てこなくなったのですが、今回のことで思い出してしまいました。更にその恨みや殺してやりたいという思いが克服されたのではなく、ただ単に封じ込めて見ないふりをしていただけで、まだまだ私の中にため込まれていたのでした。最初に怒り・そして悲しみがあり、挙句の果てに憎しみと殺意に変わってしまっていたこの気持ちを私はすでにないものとしていました。そんなことなかったのです。まだまだ私の中にその時の痛みと同時に巣くっていたのです。それに付随して私の幼いころの問題行動(?)は全て、母が見ないふりをしていた母のネガティブ(闇)の部分を転写して、母に気付きを与えるために見せていただけなのに気付きました。それでも逃げ続け、自分の認め合くない部分から目をそらし、見ないふりし続ける母。でも私は問答無用に目の前でそれを表現し続け、母は現わされるそういう面を見たくなくて、感情のまま子供である私を悪者にし、なじって心を傷つけつづけるという行動に出ました。そして今改めて自分でそれを見つめるために母が鬱という病まで背負い込む羽目になってしましました。同時にその時に私自身、背負い込んでしまった自分自身の闇と向き合うことになっています。でもこの闇はやはり自分の中から出て、歪んだ愛でしかなくて、あくまで愛と光の側面でもあるのだと思います。私自身、目をそらし続けてきたその闇は、つらく悲しいだけだったのですが、今はただ単に心が痛いくらい愛おしいものでもあるのです。自分の中の闇は切り捨てるものではなく、どこか遠くにやるものでもなく、包み込んで手放すものなんだと、今改めて感じています。感謝して手放す。(またはそれを心から意図する)それが昔はとても辛くてできないことでした。今はできるようになっています。ささやかですが成長しています。今憎しみ、悲しみ、殺意を抱いていても、いつかはそれを感謝して手放せるようになるものなのだと、それがどんなにすごいことなのか、改めて感じます。でもまだまだ、私の中に封じ込められているネガティブな感情はまだまだあるみたいなので、先は長いです。一つ一つ向き合っていこうと思います。
2009.01.19
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また二本立てでした。(たぶん)どうも前後があまりつながらないので二本立てかな~、と思っているだけで、違うかもしれません。どこかの場所のじぇいど♪さんの事務所が舞台でした。なんか上のステーションっぽい感じ。パソコンを触っていて、なぜかHPにじぇいど♪さんちの家計簿が裏でアップされていて、じぇいど♪さんが「やっぱりこれは削除」と削除しているところ。それを見ながら私が「え~、せっかく探り当てたのに」と残念がっている。理由が「いろいろとみんながうるさく言ってくるのが面倒くさくなったから」ということ。ちゅまちゃんも「そうだね~、その方がいいね」と言って賛同。そして何か二人でいろいろと打ち合わせをしていた。その後ちゅまちゃんはどこかに出勤(?)もう一つが続きっぽいけどちょっと違う感じ。これも上っぽいんだけど、どこかの事務所(工房?)で調査員のお仕事(?)を手伝うことにした私。「やりたいから手伝わせて」といったら参加できることに。「でもうちでは時給200(円?単価不明)しか出ないよ」といわれ「えっ??お金出してもらえるんですか?」とびっくり。一応スクラップ?工場か工房みたいなところで仕事しながらのお手伝い。一つ目の事件が工房の男性工員が事故で入院していたのを、自分でやった事故なのか、製品不良なのかを調べていく。病院みたいなところでその部品を受け取って、それを調べていくと実はその部品に問題があり、自分の過失でない事故であると解決。その途中何人かと調査すすめたんだけど、携帯を下から上に持ち込んだのが私と「カナタくん」と呼ばれる男の子の二人のみで離れて連絡をとるときどうするのか?と疑問を持つ。ちなみに全員で4人くらいのチーム。それが解決したあとに、また別の事故、今度は男の子が起こしたものを調べることに。カナタくんから受け取った部品は球形のランプみたいな部品。中に赤い車のおもちゃ見たいなものが入っていて、それが動いてフィラメント?に接触すると明かりがつく仕組み。「見たことある?」と聞かれ「私はないけど、とりあえずどこで誰がつくったものか調べないと。とりあえず部品デポに言って探してみよう」と提案。部品デポはいろいろな部品が大量に置いてあるデパート、というかホームセンターでありとあらゆる部品が手に入るところ。同時にだれが作ったかの情報も手に入る。その話をしながら病室と事務所のあるところから階段を下りていくと、だんだん部品やらスクラップなどが階段にも散乱している場所でそこを下りると、スクラップ工場みたいになっていた。どうもビルの上の方から病院、住居(?)事務所、工房、工場になっているような感じ。そこを下りて外に出ようというところで目が覚めました。はい、そういう不思議な夢でした~。結構リアル感があって、いろいろ理屈が合ってしっかりした感じでした。足の下のスクラップの感覚とかね、本当にリアル。起き立てのときはもっとたくさん覚えていたのですが、やはり日常生活を送っているとぽろぽろ忘れますね~。ちなみに今日のクリスタルボウルで寝ている時もなぜか今セッションルームにいるのに、私の部屋にいると誤解している誰かに「ちーがーうー、ここは誠さんとこのセッションルーム!だからぁ…」と説明していたのは覚えてます…。しっかり寝たなぁ~。っていったい誰に何の説明してたんだろ??
2009.01.18
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は~いって自ら答えないと駄目ですね。その事実も悲しい。まあ、そんな自分を自覚しているあたりマシなのかもしれないなぁとちょっと慰めてみたりさて、何かやろうとしても、「日が悪い」「疲れている」「忙しい」「暇がない」「先立つものがない」なんて言って後延ばしにしていませんか?でもそれを別の言い方をすれば、「本気で思っていない」だけなんですよね。本気であればすべてぶっ飛ばして行動してしまうものなのです。やりたくないことをただ単に外聞を考えて「本当は○○したほうがいいとは分かっているんだけどね~」なんて言っているだけです。というのをテレビ東京系でオンエアされている「世界を変える100人の日本人」という番組を見てつくづく思いました。1月9日放送の特番の中でネパールに農業を根付かせた人がいるのですが、この人がたしか65歳になってからネパールに渡って農業を根付かせてしまったのです。もちろん試行錯誤の4年間を経て、失敗もあり、涙もあり、そして今ではマスの養殖から農作物はもちろん学校まで作っているという、すごい人です。何よりも還暦を過ぎてから縁もゆかりもなかったネパールに渡ってしまったというから、やはり年齢などは言い訳に過ぎないのかも、と思ってしまったのです。必要なのは愛と信念と行動力。中途半端な気持ちでは全然足らない。たとえ何があっても、世界中が敵に回ったとしてもやり遂げようという強固な信念と誰かを救いたいという気持ちが大事。それがあれば年齢も体力も時代も飛び越えられるのかもしれません。その信念と愛注ぐことができるものに出会える幸運も必要かもしれませんが。でも私たちは出会えたとしても、一歩踏み出す勇気がなくて、見逃しているだけなのかもしれません。言い訳してそこまで守らなくてはいけないものって本当はないんですよ。それはただの幻想なんですよ。それに気づいていますか?さあ、その一歩を踏み出す覚悟と熱意と行動を起こしましょう。「頭は冷静に、心は熱く」そんなものに出会えていない、という貴方。まずは目の前のものに愛と信念を注いてみてはいかがでしょうか。たとえ他人からバカにされても、理解されなくてもいいではないですか。それができたことがあなたの励みになるのですから。そんな気になれないなら、なれそうなものを探しに行きましょう一緒に、ね。
2009.01.17
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なぜかとても気になるもの、ツボにはまるものの一つに19世紀のイギリスがあります。とても好きなんですよね~、なぜかあの時代が。漫画などであの時代のものがあって読むと、基本的にはまります。「エマ(1)/森薫/ビームコミック」(全10巻)とか「レディー・ヴィクトリアン(1)/もとなおこ/秋田書店」(全20巻)とか「伯爵カインシリーズ/由貴香織里」などは結構ハマりました。小説はまだですが、いろいろと読んでみたいな~と思っています。…っていったい何ででしょう。だからと言って特に集めるとか、調べまくるとかそういうのはないんですよね。ただなんとなく好きで、漫画などあるとすごくハマるですよね~。ピーターラビットも好きだなぁ。でもあの前とかは逆にあまり興味なくて…。16世紀とか大航海時代とか…、シェイクスピアとか…。なのでせいぜい18世紀後半くらいからですね、興味があるというか親しみがあるのは。というかあの時代にはそのあたりにいたのかなぁ。…なんて考えたり。でもヒプノでも鑑定でもイギリスは出てこないんですよね~。今のところ。でも惹かれるので関係はありそう。ほかはエジプトとか古代文明のあるところ(インド以外)ですね。マヤ文明辺りにも惹かれますね。中国も時代によっては気になるけど、三国志は別にどうでもいい(笑)だからだいぶ偏ってますね。あなたが気になる時代と場所はどこですか?
2009.01.15
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本当はきのう書こうと思ったのに、ほかに書きたいことがあったので一日延ばしました。そしたら本日も書きたい夢が…。ま、結果オーライかな。1月13日の夢。前後は忘れましたが、突然今の母親は義理であることが発覚。本当の母親と兄弟に会いに精霊界の城へ。お城について両親に歓迎され、他の兄弟6人とあいさつ。元からその6人とは面識があり、本当は兄妹とわかってちょっとびっくり。でも歓迎される。そのうちなぜか反乱?戦争?トラブル?で何かばたばたが始まる。6つの城(浮島?)をテレポートシステムを使って行き来し、なんとか収まる。それを制圧するとなぜか母親がいない。テレポーテーションシステムを使って探してもいないので、システムを使わずに外に歩いて出たと推測し、兄弟と一緒に外に出る。ようやく母親に追いつくと、「だって、闇の精霊である私と夜(を司る)の娘である貴女とは一緒にいることは許されないから」という話。そこにほかの兄弟と光の精霊である父王が来て…。というところで終わり。なんか最近覚えている夢は精霊・妖精がらみが多いんですけど、いったいなぜ??あとは今朝見た夢。大半は忘れてしまったけど覚えているところだけ。大事な人たちがある事件によりいなくなり、俺は人のふりしてなんとなく生きていた。そこに転校生がやってくる。そいつは何か自分に話しかけたそうだけど、こちらは興味がないので無視をしていた。とある事件があって人が住まなくなった隣の家。そこに「○○がでる」とうわさになり、時折人が怖いもの見たさの肝試しに来る。そういう4人グループが来ため、大事な人が一時的に住まなくなった家を荒されるのが嫌で、手を元の妖怪の手(大きさとして手だけで下に付く大きさ)に戻し、襲う。といっても恐怖を植え付けて失神させただけ。相手が気絶したところを引っ張り出そうとしたら、「やっぱり君はそうなんだね」とクラスメイトみたいな知り合いみたいな人が現れる。「話がしたいんだけど」という彼を「こいつらをどこかに放り出して始末した後なら」と応え4人グループをどこかにほうり出す。手を元の人間の形に戻し、「待たせたな」と言ってそのクラスメイトの前に立つ。「俺はね、ずっと疑問だったんだ。あんな事件があっていろいろ言われているけど本当は違うのではないかって。その疑問を解消したくてこちらにきて色々調べていたんだけど」「何も話すことはない。言ってもどうせ無駄だし」という夢。ちなみにこちらでは男で本当は人間でない何かでした。ちなみに事件は起きたの見ていたはずなのに、思い出せません。それによって大切な人たちがいなくなっちゃったのに。なぜかここ三日くらいやたら夢をみます。一昨日はどこかのマンションかビルに本当は自分のものだからと相方に鍵を開けてもらって入るとその中でフラ(ハワイのね)教室があって、それをおこなうというような夢。ちなみに他にもいろいろ部屋があって、いろいろな人が住んでました。覚えているのがすごいと思うのですが、本当は基本2本立てぐらいで見ています。たいてい初めの一本は忘れているんですけどね。最近2本目を見始めると「あ、2本目だ」とわかります。不思議ですね~。誰か夢分析できる方がいたら、解説してみてください。
2009.01.14
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40回目です…。数だけだとすごいけど、全然足らない、って自分では思ってます。いい加減頭と数字で考える癖を直したいのだが、いつの間にかそんな風になっているのだけど、なかなかその癖は直らない。もちろん知識と数字で考えることも大切な場面もある。仕事においてはそれは大事な要素でもある。でもそれだけじゃ何にもやっていけない。直感で動いた方がいいこともたくさんあるのに、その場面なのに、頭の知識がごちゃごちゃと文句を言って行動を阻害しようとする。特に休みの時に頭を使って言い訳するとその後はあまり良くない。逆に直感的に動くと結局いいものに巡り合える。でも何故かやたら理屈で考えて行動しようとする。「ビジネス」を勉強した時の名残なのだが、ある程度必要だけど、本質的には不要だったと今では思う。ただ、理屈や理論をこねまわして、一件よく見えるときでも何となく気が進まない時は、やはり何か第六感で分かっているので、それに従った方が無難なことも少なくない。もちろんただ臆病で足踏みしたい時もある。その見極めがまだつかない。今はまだ力を温存する時期なのか、本当は行動すべきなのに怖気ついたり、未知のものに怖がっているだけなのかも見決められない。結局まだまだ自分軸にブレがあって、きちんと定まっていないというのもあるかもしれない。自分で自分を信頼しきれないこともあるかもしれない。でも本当はそれ自体も外からかき回されたこと。本来の自分と分断され、障害物を置かれためにそう思ってしまうだけ。この障害物や分断や自分自身にたどり着けないように施されたトラップを外して、自分とつなぎ直すことが大切なのかもしれない。本当の自分を見つめる、それが怖いのかもしれない。でも何があっても大丈夫なはずなんだけど…。と、思っているあたりまだまだかもしれない。そんなこんなんでまだまだ自分を見つめる行為は続くのです。テーマはたくさんありまくるので。
2009.01.13
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今日になって思ったのが、何かの流れがまた少し変わった?ということ。自分の中の問題もあるし、母親の病状もあるとは思うけど、それとはまた別に何かが抜けたというか、ひと段落ついて次に入ったというかそんな感じがしました。扉や壁だと思っていた場所が急に開けて視野が広がった、とでも言うのでしょうか。昨日までちょっとした緊張状態だったものが、今日になってなんとなく緩んだというか、いきなり温かい高い所に放り出されたような、なんか変な感じがします。なんとなくステージが変わったような感じもします。一体これは何なのだろう。昨晩が満月だったことも関係しているのかなぁ。それとも日付がぞろ目だったこと?でもそれくらいなら今までいろいろあったしねぇ。うまく言えないけど、何か新しいことが始まるような何かそんな雰囲気というかエネルギーがあるように思われます。でももちろん今までの現実が無しになって、まったく新しいことが急激に起こることはないと思うけど、昨日までの続きで現在があるのだけれど、それでも何か一つの区切りがあるように感じます。私の勝手な感覚なので、ほかのスピの力がある人のようにうまく説明は出来ないのですが、現実世界では何の変化もないように見えるのですが、とにかく何か流れが違っているような感じを今日は受けました。そう感じるあたり自分の中身も色々と変わってきているんだろうなぁ。まあ、生きていて変化しないものは何一つないので、それもありなのかもしれません。とにかくそれを感じたことを書いてみたかったので、本日書きました。本当は自分と向かい合いたかったのだけど、途中まで書いて、なんとなく違う感じがしたのでこちらに。昨日まで自分の中で向かい合っていたことが、なんかちょっと違うような気がしたのです。うん、こうやって書いてみると本当にちょっとした変化がまた起きているようです。自分の中と向かい合うことはまた後日。逃げるのでなくずーっと問いただしていることがあるのでそれを書きたいですね。
2009.01.12
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「CREA」という雑誌を買いました。メイン特集の「最強お腹やせバイブル」というタイトルに惹かれてどちらかと言えば王道的な記事が多かったような気がします。ただ多角的に取り上げられていたから、自分に合うのが選べる感じにになってました。どちらにしても『自分で自分を把握する』ことが一番大切という感じがします。まあ、ぶっちゃけ三食減らしても、高カロリーなおやつを馬鹿食いしてたらやせないって当たり前のことを把握してない人が多いのかなぁと思ったのでした。ちなみに私は三食しっかり食べておやつ食べるからやばいんだろうけど…。やめられない分消費しなくてはね。そう思って簡単、でも体幹を鍛えるエクササイズをさっそくやってみました。うーん、効きそう。ちなみにこの雑誌、かなり久しぶりに全部通して読んだけど、昔々と比べて面白くなってました。今回は特に巻末の方の著名人のエッセイに色々と考えさせられることがありました。佐伯チズさんの「お金と上手に付き合うには」と渋井真帆さんの「本当の自分と天職を知る方法」。どちらも自分を活かして生きるために必須と言えば必須なこと。でも案外きちんと考えずに適当に逃げてしまっていること。(私だけか…)同時に常に考えつづけていることでもあます。でも考え過ぎると逆にどつぼにはまってしまって、身動きが取れなくなることも昨日書いた「欲しくない」ということもこのあたりが関係しているのかもしれませんね。一時的な快楽なのか、今後それを見て自分がアガるものなのかを見極めている感じはします。ただ数字で考える癖がまだ残っているので、それはどうかと…。何も考えないよりは必要なことなんですけどね。「天職」に関してはとにかく自分で自分に問いかけ続けることが大事かなぁ。とにかく私は出口が見えずにもがいている人に光を与えることをしたいと思っている。占いとかで「こうしたら?」ということをもっと具体的に提案できる仕事…ってどんな仕事やねん。わからん。アドバイザーかコーチか…。ん??こうやってみるとすべて自分を見つめてちゃんと知ることが必要なことばかりでは??お金も仕事もダイエットも。たとえ見たくなくても自分をしっかり把握するために見つめることが、今の女性(特に自分)には必要なのかもしれませんね。
2009.01.11
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世の中は冬のバーゲンシーズンです。いつもならあれこれ買おうと出かけるのですが…。出かけたのですが、どうもなんか買いたくない。買いたくない、というより欲しくない。確かにたくさんの服や靴やカバンやらがあふれてます。しかも不況のせいか今回はなかなか売れてないらしく、まだ沢山残っていたりします。が、欲しくない。欲しいけど予算が~~、ってこともない。いいかな?と思っても、あ、この金額なら要らないや、って思っちゃう。または最初からちょっとな~~って思う。それくらい魅力がない。まあ、ないよりはあった方がいいのだろうけど、それでも自分が着たい服はないし、気にいる服もない。一体全体どうしてだろう。夏まではあれこれ欲しがったけど、でも思い描くものがなくて買わなかったが、なんか今はそんなことはない。せいぜい下着くらいかな。欲しいのは。それ以外はあまり魅力がない。でもアイテムとして何点か買い足しとかないと後で困るといけないなぁ、と自分のワードロープを見て思う。服を買うのはそれくらい魅力がなくなった。ううん、買うという行為に魅力がなくなったのかもしれない。そんなことをつらつら思う冬でした。
2009.01.10
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私が良くチェックしているブログで、よくエラソーな人を「そりゃおかしいやろ!!」と批判する人がいます。このエラソーな人は特にスピ系に多いんですけどね。でもスピ系に限らず、物事を先に行っていたり、他人と比べて「偉いんだぞ!!」と言いたい人、肩書きにしがみついている人は業界問わず組織の中に属している限り、世間にたくさんいらっしゃるんですけどね。たぶんそれ以外に誇れるもの…ではなく見栄を張れるものがないんでしょうね。誇れることは内面からにじみ出てくるので、あまり声高に叫ぶ必要はないのですけど…。閑話休題。エラソーな人の行動を「そりゃあかんやろ!」ということ自体は何とも思わないのですが、ただそういう人を批判して、自分はそういうことせずにどうしている・こうしているというのも過ぎれば読む側には同じ穴の貉に見えてくるから不思議です。謙虚でなく、謙虚に見せることを誇示しているように見えます。思わず「で?」なんて思ってしまいます。批判をしたい・することは否定しませんが(人のこと言えないし)やはりそれを比べる対照が批判する自分だとなんか変な感じがするのは私だけでしょうか。でもそこに引っかかる当たり、自分にも似たような要素があるのかもしれません。「人の振り見て我が振り直せ」というのはよく言いますが、本当に改めて自分まで振り返ってしみじみと考えてしまいました。まあ、こういう事は言っても簡単に理解できず、後で「こう言うことだったんだなぁ」と一人でしみじみとするしかないんですけどね~結局批判する人、というのは批判される人と同じ要素を持っているか、それを恥じて封じていることが多いのかもしれません。出てこないけど。だから出されるとムカつくので、怒りたくなり、批判するのかも。(…私だけか??)要素のない人だと提案型の話し方になるからなぁ…。う~ん改めて本当に座右の銘にしようかなぁ。「人の振り見て、我が振り直せ」貴方はどう思いますか?
2009.01.08
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初めて知ったのですが、YOUTUBEで祝詞があれこれあるんですね~。びっくりです。面白くってあれこれ聞いてしまいました。本職の方からしたら、あれこれ文句付けたいかもしれませんが、一般の人間の入り口としては興味深いです。何せ最近うちの近所の神社を始めてして、禰宜さん宮司さんなど常駐していないところが多くて、お祓いなんて大手の神社や祓い系の場所に行かないと受けれない。なので祓詞や祝詞などはそうそう聞かないのでとても新鮮でした。でもね、昔々はうちの近所の神社もちゃんと宮司さんいたんだけどなぁ…。今ではお正月の時もいらっしゃらないのかよくわからないです。虫封じなどではどこかからか派遣されてくるみたいなんですけど…。私が知っている常駐しているところは近くは羊神社くらい。ここも無人のことが多いとか…。どうなっているんでしょうねぇ。誰か教えてください。
2009.01.07
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昨年後半くらいから、スピ系のものに足を突っ込み、色々とワークを受けたり、交流会に出かけたり、イベントに参加したり色々し始めました。それまで一応すぴこんには出かけていたけど、いまいちどうも足を突っ込みきれなくて、しいて言うなら遊園地の外を行ったり来たりしながら園内をうかがっていたようなものでした。でも参加するとやはり色々と楽しいですよね。そこで強く感じたのは、より今の現実を一生懸命生きていこうとそういう気持ちでした。うん、スピやって現実に対応できなくなるのは、やっぱりどっか間違っていると思う。スピ系に足突っ込んで、より現実を楽しく客観的に、前向きに生きていくのが本来の姿だと実感(私はね)依存しない限りたとえ逃避かも知れなくても、本人が楽しく生きられる原動力になるなら、それは否定するものではないと思います。そういう意味ではゲームもコミケもスポーツも何でも楽しめる分だけ存分に楽しめるものがあるのはとてもいいことだと思います。それはさておき。ブームだの、何だの言って表面だけ見て批判するのは簡単。もちろん気をつけないと落とし穴はあるし、泣きを見る可能性もないとは言えない。でもそれだけではないんですよね~。だからじわじわと浸透していっているように感じます。大事なのは自分をちゃんと確立して自立することと、でしょうね。それはスピ系にかかわらず、本当は必要なことですけど。それにしても自分で意外だったのは、本当に関われば関わるほど、見方がシビアになっていること。うん、浮かれポンチにはならないなぁ。前世知ろうと、アストラルトラベルやら上やらにアクセスすればするほど、冷静に今の現実を頑張って生きようとなる。でも悲観論よりは楽観的(根なし草ではなくてね)に変わっていく。それが本来の姿なのかもしれませんね。
2009.01.06
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現在は不況と言われています。ちなみにそれは車などの製造業及び関連事業に関してはまさにその通りで、本当にこの一年どうなるんだろうか…、と考えずにはいられません。でも同時にどうもいまいちピンとこない人もいるでしょう。実際に求人誌では数は少なくなっている、と言えども相変わらず多くの求人情報が載っています。(実際に間口はそんなに広くないでしょうけど)介護市場、飲食店などでは今はよい人材確保のチャンスとばかり動いていたりします。つまり皆が一様に不景気なわけではない、ということなのです。もちろん国のメインの基幹産業である製造業はモノが売れないので不況です。しかし今回の一番の問題は製造業に携わっていた人たちがスムーズにそのようなサービス業に移行できない、という点にあるように思います。特に製造業での派遣切りはあまりにも性急でせわしなかったために、準備ができずに多くのホームレスを作り出しました。これが10月あたりからそれとなく話が出ていたらどうでしょう?今回ほど多くの人数が路頭に迷うことがなかったかもしれません。もちろん製造業に固執してやはり今回のように行き先に困る人は出たとは思いますが、これもどの大問題になることはなかったと思います。また派遣の方ももう少し世界の経済状態に注目して、何も言われなくても危機感を感じ、先に動いていたらここまで困ることがなかったようにも感じます。そういった面も含めて、今回の不況が妙に実感乏しく感じられる一因に大企業が急激に物事が動いた点も挙げられます。それと同時に何かがなんか違うぞ、と感じる面もあるのです。一番がこの間からずっと感じているのが今回の不況をメディアがこぞって煽っている感じがすることです。そうして世界不安を大きくしようとしているように感じます。ですからその煽りに乗らず巻き込まれずあわてずに、でも状況を見定めることが必要になっていると感じます。もちろん今まで通りの経済はまかり通らなくなるかもしれません。だからといって絶望する必要はないし、新しい何かが生まれるならそれに移行したほうが良いと感じるのです。とにかく目を見開いて、行く先を見定めて、絶望や煽りに巻き込まれず、第三者的視点を持ち、落ち着いて行動することです。不必要に不安がる必要はありませんが、シビアに物事は見極めていきましょう。そうすれば落とし穴を避けることは可能のはずなのですから。
2009.01.05
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他人を羨む前に、自分が何をしているのかを振り返りましょう。其のうらやましい人と同じことをしていますか?貴方は自分から動いてますか?何もせずに頑張って動いた人の正当な報酬を羨んではいけません。同じような幸運が欲しければ、その人と同じ行動をしてみましょう。必ずあなたにも幸運がやってくるはずです。自分の不運を嘆く前に自分がどのように動いたかを振り返りましょう。貴方はわざわざ悪いことを呼び込むような動き方をしていませんか。それに気づいたら今度はそれような行動をしないように気をつけましょう。そうするだけで不運は貴方を通り過ぎていくのです。他人を呪う前にあらゆる手を尽くしたかを振り返りましょう。其の貴方の思いは勝手な思い込みかもしれません。キチンとコミュニケーションをとったり、ありとあらゆる方法を試してみましょう。正しい努力の上には正しい評価がついていきます。方向違いの努力では評価はされません。一度自分をじっくりと振り返りましょう。貴方がどんなに他の人・モノ・運のせいにしても、結局はすべては貴方から出て貴方に帰ってきているだけのこと。認めたくない気持ちもあるでしょうが、すべては自分から出ていると認め、行動を変えるだけであなたの不運は減っていくのです。認めずにいるか限り、あなたはいつまでたっても不運の中にいるのです。それが心地よくてそうしたいのでしたら、それもかまいません。本当の貴方はどうなりたいのでしょうか。ゆっくりじっくり自分と向き合ってみましょう。
2009.01.04
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本日は熱田神宮に初詣に行ってきました。ちなみに地元の神社にはちゃんと元旦に行ってきました。そういえば、本日は3日なんですよね。なのでまだまだ参拝客が多くて大変でした。やっぱり来週にすればよかったかなぁ~。お垣内参拝に参加したかったんですよね。去年はもう1週遅くても大丈夫だったんだけど、なぜか今日行きたくて行きたくて…。やはりお垣内参拝もすごい人でした。しかし私の番になると、こちらへふわーと風が吹いてきました。そこでご挨拶とお願いごとをお神酒とご神饌をいただいて、お茶の振る舞いにも参加してきました。もう一週遅いとお神酒はカップを頂けますが、お茶はないんですよ。でもゆっくりと熱田の神様と対話したかったら、三が日は避けた方がいいですねぇ、やっぱり。しかしもこれだけで約1時間もかかってしまった帰りは高島屋によって、バーゲンでJEAN-LOUIS SCHERRERの上下セット+キャミの下着を買いました。すごくきれいなレース(機械だけど)がついていて着け心地も良く、大満足でした。これは節分用ですね。その後anpheに寄ったけど、二日目なのとサイズの関係であまり良いのがなく、断念。speedoに明日か明後日に寄ろうかなぁ。ちなみに今回のお正月用の下着はspeedoで調達。きれいなペールグリーン系のにしました。はい、せっかくのバーゲンにアウター(服)を買わずアンダーウェアを買い漁ってます。だってサイズがなくなるの速いんだもん。それとなんか今、アンダーウェアを入れ替えたい気持ちの方が大きいのもあります。服は…、まあ、もう少し後でもいいかなぁと…。あ、初詣の話がどっか行ってしまった…。明日は氷上姉子神社へ行こうかなぁ、どうしようかなぁ。
2009.01.03
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本年もよろしくお願いいたします。今年一回目はどうしようかと思ったが、やはりご挨拶だけでも♪本当ならガブリエルさんのイラスト乗せようと思ったのに、キンコーズに行き忘れた私。うーん、のっけからおバカ連発です。なので携帯からの写真。こんな感じです。ま、よろしくお願いいたします。
2009.01.01
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