2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全22件 (22件中 1-22件目)
1
毎日の習慣で、朝、鏡を見る人も多いと思います。顔洗ったり、歯磨きしたり。洗面所から1日が始まるヒト、アンタはエライ!アタシなんか、子供が生まれてこの2年以上、朝、鏡なんか見なかったもんね。歯は、キッチンの流しで磨き化粧なんかしないから、顔も洗わない。出かける時でいいや、なんてね。で、忙しいから、そのまま出かけちゃったり。 結局、ようやく顔洗うのは、夜のバスタイム。そんなこんなで、この前、久々に鏡見て、愕然としました。髪はボサボサ(とかしてないし、美容院も1年前)顔はガサガサ(化粧水もつけてない)口角は下がり(子供を叱ってばかりだから)目がショボショボ(誰も褒めてくれないからかな)もう、ビックリくりくり、クリックリ!よ。いつのまに、こんななっちゃったのォ、ってカンジ。浦島太郎ですよ。そりゃあ、年とともに衰えるのは仕方ないけど、高齢出産だしね。はい、ちょっとばかりトシです。あ、オンナは若い方がいいって、言ってるんじゃないのよ。若くてピチピチほんの短い間。その頃は、体だけで、中身空っぽだったでしょ?え? アタシだけ?失礼しました。そうじゃなくて、年取ってたって、素敵な人、いっぱいいますよね。生き生きして、笑顔が少女のようで。外見は衰えようと、日々経験は、増えていくから、そんな積み重ねで、内面から輝いて、オンナはますます素敵になるの。アタシだって、この前までそんなヒトだったんです。(ウソウソ)で、内面が充実していれば、自然と外に現れてくるから、鏡見て、ビックリ!なんてことにはならなかったはず。(もちろん、最低限のお肌のお手入れも必要よ)て、ことは、アタシ内面が××だったわけね。子供と過ごす毎日は、忙しくても、しあわせだったはずなのに。でもね、考えてみたら、子供のことばっかりで、自分のこと全然構ってあげてなかった。お肌のお手入れ、もそうだけど、心のお手入れ、というのかな、心を大切にしてなかったような気がします。子供達がくれる感動は、それはそれはたくさんあります。心にも響く。でもそれは、本能的な部分への刺激で、それとは別の、自分が好きなこと、自分が自分らしくいられることでの感動も必要なんです。そうしてると、生き生きしていられるから、目にも光が宿る。そういう自分は素敵だと思うから、ますます輝く。おお、素晴らしいサイクルではありませんか。何も、だから外で働け、とか、趣味に没頭しろと言ってるんじゃないの。子育ては親の勤めだし、特権だと思っているから。でも1日に1度は、自分のこと構ってやってもばちは当たらない。それが、この前の日記、朝のティータイムかな。それと、朝の鏡タイムもプラスしました。鏡の中の自分にこう言うのです。「がんばってるね、素敵よ。まだまだ行けるよ」ま、言葉は、何でもいいんだけど、自分を肯定する言葉で、褒めてあげる。それで、時間があるようなら、身だしなみも整えて。別に忙しいならいいんだけどね。そうやって、自分の顔を確認していると、変わってくるのよ、コレが、不思議なことに。そうすると嬉しくて、ますますキレイになる。これホントです。やっぱり、子供達にとってもキレイなお母さんは嬉しいはず。そのためにも、頑張らなくちゃ、年のこともあるしね。一緒に歩いて、お孫さんですか、なんて言われたら悲劇だし。ちなみに、子供達のおばあちゃんは、アタシと5歳しか違わないのよ。何故かしらねえ。うふふ。って、笑ってる場合じゃない、向こうも若く見えるから、どっちがどっち、ってことになったら大変。ま、それはそれとして、毎朝の良い習慣、しあわせになるために、続けたいものです。
2003/11/30
コメント(0)

主婦にも休日が欲しい~っ!多くの主婦はそう思うでしょうね。普段、勤めているヒトならなおさら。だって、ウチの亭主、自分が休みだからって、遅くまで寝てたり、起きてくると、ヒトの都合かまわず、「めし~、お茶~」って、腹立つよねえ。こっちは、24時間365日休みなしよ。赤子がいるんだからねーッ!とまあ、内容はいろいろあるにしろ、どこの家も、似たようなことあるんじゃないかな。え? そんなことない。だんな様は日頃、キツイ仕事でお疲れだから仕方ないのです。休みの日くらい、家でゆっくりしていただきたいのです。そう言えるあなたはエライ!心が健康なのね。そう、私だけの家じゃないし、普段あまり、家に居れないのだから、休みの時くらい好きにしてね、と言うのがホント。なのに、どうして、こんなイライラするのかな。それは、他に原因があるのかもしれない。普段、帰りが遅くて、子供の面倒を全然みてくれない。脱いだものは、その辺に放りっぱなし。寝る前に子供を興奮させる。それで、子供が寝ないと、いつまで起きてるんだと怒鳴る。その他、いろいろ。そういうことに不満を持ってる。う~ん、違う。仕事の帰りが遅いのは、彼のせいじゃないし、遅く帰っても、子供と遊びたいのは当たり前だし。仕事で嫌なことがあっても言わないから、ストレスたまって、子供にあたるのかも。脱いだもの、そのままにするのは、育った環境のせいであって、お義母さんがいけないということ。私に責任はない。だったら、なぜ腹が立つの?それは、ただ、私が普段たいへんだ、ということをわかってほしいだけなんだろうな。いつも、ご苦労様って、ねぎらってもらえれば、横になって鼻くそホジッていようと、見もしないTVをつけっ放しにして、また寝ちゃっても許せるんだろうな。家事やるのは自分の役目だと思ってるし、子供がいたら、休めないのも仕方ないとも思ってる。じゃ、逆に、いつもお仕事ごくろうさま、なんて、こちらから、ねぎらいの言葉かけたら、そんなことないよ、なんて手伝ってくれるかも。単なるコミュニケーション不足なんだろうな、きっと。だからって、急に変われったてねえ、照れるぜ!「アナタあ~、いつもごくろうさま~」なんて、言えるか! でも言わなくちゃ通じないのですよ。恥ずかしくても、クセになるまで練習、練習。いつも、ご苦労様。ごくろうさま、ごくろうさま・・・。ほら、なんだか言えそうになってきたでしょう。ロールプレイング風に状況設定して、練習すると、なお、いいかも。夫、ゴロゴロしてる。妻、そっと近寄っていく。肩に手を置いてにっこり微笑む。「アナタ、いつもごくろうさま」で、できるかな。私、こういうキャラじゃないし。でも、なんか、考えてるだけでも、いいのです。ちょっとは、亭主に感謝の気持ち、持つことができました。それと、疲れをためないために、主婦の休日も必要です。なんか、豪華ホテルに泊まって、とか、好きな洋服買って、とか、ミセス雑誌には、載ってるけど、そんなの現実には無理でしょう?ウチ、ビンボーだし。だったら、今日は、洗濯しない日、とか、今日は、公園行かない日、とか、可能な範囲で、自分に宣言するんです。だって、子育てや家事にキリはないもの。どこかで、自分で線引いて、休まなくっちゃ。亭主にも優しくできやしない。という、私も、ちょっと前まで、キリがない家事をキリキリしながらこなして、イライラしてたんです。主婦も休んで、なんて聞くとハラがたって、「休みなんか、取れるワケないじゃん!」なんて、怒ってた。心が病気だったのね。たかが、洗濯1日しないだけで、掃除1日しないだけで、食事、出来合いですませたからって、どれくらいの違いがあるのだろうって、気がついて、そしたら、ラクになれた。そうやって自分の予定を、うまくコントロールしてラクになって、にこにこしていられるなら、いいじゃないですか。でも、何日も掃除しないとか、洗濯サボるとか、いつも、ホカ弁というのはおすすめしません。健康に悪いよ。考えてみると、主婦って、家族の影の支配者みたいなもの。楽しいよね。いつもにこにこしてたら、家族全体が明るくなれる。プンプン怒ってばかりじゃ、家族もおもしろくないだろうし、自己嫌悪に陥るし。やっぱ、家庭は明るいほうがいい。適当に休みとって、にこやかでいられるよう、頑張りたいと思います。今日はそんなこと考えましたです。はい。
2003/11/29
コメント(2)
誰だって落ち込む時、ありますよね。何か失敗しちゃったり、わけもなく憂鬱になっちゃったり。そんな時、どうしてますか?音楽を聞く。テレビのバカ番組を見る。散歩に行く。雑誌を読む。写真集を眺める。ネットサーフィンをする。いろいろやってるなあ。あ、これ私のことです。でもね、最近、どれも即効性ないなあって気がついたの。それなりに気分転換になるけど、はあ、気が紛れた、でもね・・・っていうカンジ。長く続ければ、体質改善される健康食品みたいなもの。それは、それでいいんですけど、やっぱり、即、気分変えたい、このまま落ち込んでたんじゃ人に迷惑かけちゃうって時、即効で効くお薬ないかなあって思ったの。で、よく考えたら、気分転換に効く各種行動は、全部、自分の好きなことなんだけど、でもみんな自分のためにやってたのね。でも、自分のためにやってることって、自分の中で完結しちゃうから、ひどい落ち込みには効果が薄いの。落ち込んだ時って、なんか人の温かさが欲しくなるでしょ。大丈夫、よくやってるよって、イイコイイコして欲しい。それには、そういってもらえるような状況を意図的に作り出すのがいいんです。ヒトのために何かするのが効果的だって、気付いたのです。家族、恋人、友達のために料理を作る。掃除を徹底的にやって、きれいになった部屋に誰か招待してもてなすとか。駅の階段でおばあさんの荷物を持って助けてあげる、とか。何でもいいから、世のため、人のためになることすればいいんです。そうすれば、きっと誰かほめてくれるから、自分の存在価値が自覚できて、お、自分もなかなかやるじゃない、ってことになる。誰もほめてくれない、自分は孤独だって人。大丈夫よ。アナタのした、イイこと、道路掃除でも、ネットで、ワンクリック寄付でも、きっとどこかで神様が見てるから。(笑)自分はいいことした。人の役に立った。これって大事なことよ。生きていく理由のひとつです。誰だって、この地球の住人の一人なんだから。自分は関係ないやって思っても、地球町内会(?)に自動登録されちゃってるの。だから、たまによいことして、地域に、家族に、貢献してほめられる。いい気持ちになって、落ち込みも解消。一石二鳥じゃないですか。あ、あくまでもこれ、私の意見ね。私は、これでけっこう乗りきってるってお話。みんな、それなりにしあわせに効くお薬みつけてくださいね。
2003/11/28
コメント(4)

ひとりのティータイム、好きなんです。お気に入りの紅茶をていねいに煎れて、おいしいお菓子をひとつ選んで・・・。う~ん、たまりません。それが子供が生まれてから、そういう時間を取るのが難しくなってしまいました。お茶の時間どころか、ごはん食べる時間もない。お~い、メシ食わせろよ!そんな毎日で、煮詰まってきちゃって、もう、ちょっとしたことで、イライライライラ。で、これじゃイカン! と思ったのです。イライラしてても1日は24時間、にこにこして過ごしても、1日は24時間なんだから、それなら私は、にこにこを選ぼうって決めた。この「決めた!」っていうのがポイントよ。自分で自分に宣言すれば、多少は変われるというもの。昨日の自分にさよならして、新しい自分、こんにちわ、です。え? そんなに簡単に変われない?でも、決めなきゃ変われないでしょ?うまく行かなかったら、それはそれでいいんです。だって、やると決めたのが自分なら、やめると決めるのも自分です。出来なかったあ~、失敗失敗、で、また次回に期待すればよいのです。それを深刻に、ああ、自分はなんてダメなヤツなんだ、なんて落ち込むなんて時間の無駄!ダメだった部分に関しては、またTRYすればよいのです。だって、自分を変えるのは、自分にしか出来ないでしょう?他の誰かさんに励ましてもらうことは出来ても、最終的にやるのは、自分なんですから。失敗なんて誰にでもあるもの。自分に甘く甘く、うんと甘やかしてもう一度やってみる、これがしあわせの秘訣かも。ただ、他人に迷惑をかけることに関しては、自分に甘くちゃだめですよ。時間に遅れてごめんなさい、とかね。約束は守りましょう。で、にこにこでいようと決めた私。何ができるかな、と考えた。好きなこと、リラックスできて、気分転換できて、時間もお金もあまりかからない。もし、子供が泣き出して中断しても、すぐあきらめられること。お、ありました。お茶の時間です!大好きなティータイムを取るようにしよう。でも、10時は家事の時間、3時は子供のおやつ。深夜は、赤ちゃんの夜泣き。そうなると朝です。早朝、子供たちが起きる前、ちょっとだけ早起きしてお茶を飲もう! そう決めました。これなら、時間がちょっとでもできるし、ゆっくりできる時はゆっくり楽しめばいいしね。そんなわけで、早朝ティータイムが、今の私の「しあわせ時間」です。今朝はキーマンで。最初はストレート。2杯目はミルクを加えて。お菓子はなかったので、ゆうべのご飯をおにぎりにして。おにぎり~?いいの、いいの。私のティータイムは、自分勝手にやらせていただきますわ。だって、お腹空いちゃったんだもん。
2003/11/27
コメント(2)
今日はいい天気、絶好の布団干し日和です。このところ雨続きで、干せなかったから、今日はウキウキなんです。以前住んでいた所は、1階だったんで、布団用物干しを買って、それこそ狂ったように干し続けました。ちょうど上の子を妊娠していて、臨月になっても毎日のように干していのです。子供が生まれて、病院から帰ってきた時も、その日の午後から、また干し始めて、それから毎日毎日。1度、干し始めると、干さない日の布団がなんだか湿っぽくて気持ち悪くて。だから、やめられなくなっちゃったんですよね。で、そのうち、下の子を妊娠して、もっと広い所に越してきたんですけど、今度は2階でベランダが狭くて、布団干し竿が置けないので、手すりに直接かけると敷き布団2枚と掛け布団1枚が限度で。ちょっと面倒です。それでも、やはり臨月だろうが、産後4日目だろうが、干してましたね。こうなると、フカフカの清潔な布団はいいんだろうけど干す、という行為が買えって体に悪いんじゃないかと・・・。でも、やめられない。これはもう、癖、というかタバコなんかと一緒で「布団干し依存症」と言えますね。はあ~。バカですね。で、どうしてこんな風になっちゃったかというと、思い当たることがあるんです。以前、フルタイムで働いていた頃、それこそ朝8時から夜9時10時頃まで、仕事仕事で、休みも滅多に取れず、布団を干したくても干せなかったのね。そんな時、メル友に、夢は何って聞かれて、答えたのが、こういうことだったの。「おひさまの匂いのする布団で寝ること」それから、まもなく妊娠がわかって、キツイ仕事だったのでやめて、家にいるようになった私。当然、時間があるので毎日布団が干せるようになったんです。何気なく口にした願いがかなっちゃったんです。あれから3年。毎日布団が干せる私はしあわせ者です。ちょっと、やりすぎなんですけどね。で、思うに、願いは口に出しちゃえってこと。あるいはノートにでも書いて、自分から外に出しましょう。そうすると、不思議なことに、いつかかなうのです。布団干し、なんてショボイ願いだからかなったって思いますか。違いますよ。私の場合、ほぼ全勝です。でも自分に不相応な願いはだめですよ。誰かに言われたから、みんながそうしてるからこうしたいっていうのじゃなく、自分は、こうしたい、こうなりたいっていう心からの願いじゃなくちゃ。自分が自分らしくいられる、こういうのが自分にとってしあわせっていう願いね。だまされたと思って、願いを端全部ノートに書いてみてごらんなさい。近いうちにいくつか、5年10年たったら、ほぼ全部かなっているから。神様がかなえてくれるのか、それとも自分で知らないうちに努力してるからかなうのか、それはわからないんですけど、(各々の宗教観てものもあるしね。そこらへんの解釈はおまかせします)「夢は必ずかなう」それを伝えたかったんです。
2003/11/26
コメント(4)

忘れてしまいたい事、思い出すのも嫌な出来事ってあるよね。人によって、内容はさまざま。心に深い傷を負っている人もいるでしょう。そのことで、体に変調をきたすほどなら、すぐに精神科の治療を受けたり、カウンセリングを試してみてくださいね。一人で悩んでたらだめですよ。ネットで相談できるところもあるから、検索してみてね。そんな深い悩みじゃなくて、ちきしょお~、アイツ、ゆるせな~い!バカバカ、アタシって、またやっちゃった~!みたいな、日常茶飯事的な、ヤな思い出の忘れ方ね。どうしたら忘れられるのかな。飲んでぇ~、飲んで~、呑まれてぇ~、飲んで~♪と河島英五しますか。お酒飲んで忘れちゃう、それもひとつの手ではありますね。でもね、憂さ晴らしのお酒って、忘れたくなるようなことを、新たにしでかしちゃうことが多いんで(アタシの場合)あまりおすすめしません。じゃ、どうやったら忘れられるの?この嫌な、2度と思い出したくない、誰にも知られたくない、死んでもヒトに話したくない、この思い出。結論から行くと、忘れる方法、そんなもんありませ~ん!ごめんね、アタシが無知なだけなのかな?ヤな思い出も、いい思い出も、どんなことでも、1回脳に入っちゃったら2度と消すことは出来ないみたい。痴呆のお年寄りが、はるか昔のことを、フッと思い出して話し出したりすることがあるでしょ。どんなに体が衰えようとも、脳って、私たちが想像できないくらい高度に出来ていて、1度インプットされたら、絶対消えないようです。ただ、うまく使いこなせないと、忘れちゃったり肉体面で衰えてきたりすると、情報伝達がうまく行かなくなってくるんだろうな。PCでもうまく使いこなさないと、しまったはずのファイルがどっか行っちゃうでしょ。それと似てる。だから、嫌な思い出もどっかに残ってるのよ。そういう意味で、忘れる方法はありません、と言ったのです。でも、忘れられなくても、解消する方法はあるので、ご安心ください。私なりの方法なので、合わないと思ったら忘れちゃって。あ、忘れるのは無理か。1.まず、嫌だったことを思い出す。 こんなことがあった、こんなこと言われた、など。2.そのとき、自分はどう感じたか、を考える。 本当は悔しかった、泣きたかった、傷ついたなど。3.自分を子供に話しかけるように慰める。 本当は悔しかったんだよね、言い返さなくて、えらかっ たね。 でも、本当は反論したかったんだよね、とか。4.そして、 過去は変えられない と強く思う。 何度も何度も思う。自分に言い聞かせるように。5.その後、嫌な思い出をトイレに流す。 もちろん想像上で。 ああ、嫌な思い出がみんな、吸い込まれて行く。 ぐるぐるぐる~。スポッ。さあ、ヤなことみんな、ザアッと流れて行っちゃったね。ああ、すっきりした。バカみたいだけど、結構、コレ効くんです。アタシが単純だからかなあ。1度やってだめだったら、何度も何度も繰り返す。そうすると、最後には、そんなこと何度も想像してる自分も、バカみたいに思えてきて、笑えちゃう。自分を笑えるまでになったら、心が健康になった証拠。ほら、楽になったでしょう?何度も言うけど、心がホントに病気になっちゃった人は、お医者様か、資格のあるカウンセラーに相談してね。この方法は試さないでください。で、こんな単純なことで、嫌な思い出がどっか行っちゃった、脳天気なアナタ。ついでに実際のトイレ掃除はいかがです?キレイなトイレは気持ちがいいし、臨時収入があったりといいことずくめらしいよ。トイレ掃除について、詳しくは、ビッグベアさんのサイト(そのほか・癒しの森)マドレ・ボニータさんのサイト(出産、育児・マドレボニータ、美しい母プロジェクト)で探してみてね。どちらも広場トップから行けますよ。では、今日も"Are you HAPPY?" "Year!"でまいりましょう。
2003/11/25
コメント(1)
ウチは、夫が日曜、祝日関係ない職場なのと、まだ子供が小さいので、世間のカレンダーと違う動きをしてしまうことが多い。だから祝日、休日は出かけてから、しまったあ~!と気付くことが多い。休みの日に大変混み合う地方に住んでいるので、世間がお休みの日は、なるべく外出しないよう心がけている。そ、それなのに、お出かけする約束を昨晩してしまったので、困っている。こういう日の道路は、普段の3倍混んでいるので、途中で下の子が、おっぱいなんて時、非常に困る。上の子はお菓子でも与えておけば、多少のことはガマンできるのだが、多少のことにガマンできない、ワタクシ、母は、だんだん機嫌が悪くなってくる。「おい、なんで、クルマで来るんだよ。電車で来い、電車で!」「おらおら、ヨロヨロ運転するんじゃないよ。このボケ!」ということになる。だから、今日はどこにも行きたくない。公園も混んでいる。上の子よりずっと大きい子達が遊んでいるので、危険だ。(小さい子に譲る子なんていないのだ)ああ、どこもいきたくないよう。でも、上の子はおりこうに着替えを済ませ、今か今か、と待っている。嘘や、人を騙すことはいけないと教えている。その自分が、約束をやぶってはイカンのだ。はあ~、とりあえず、クルマを走らせるか。
2003/11/24
コメント(2)

久々に『笑っていいとも増刊号』を見たら、柏原崇が出ていた。このヒト、こんなにカッコよかったかしら?ドキドキ。口数少なくて、でも笑わせてくれて。いいよね~、こういうオトコ。「男は30過ぎたら自分の顔に責任持て」なんかそんな言葉があったような。25だったかな?それに柏原クンが30過ぎてるのかどうかよくわからないけど(ファンの方教えてください)彼は、若い頃よりずっといい。整った顔立ちだけがもてはやされた昔よりこう、なんていうか静かな中にも、1本筋が通っているような印象。いや、コレは勝手な思い込みかもしれないけどね。でも、人間の中身って絶対顔に出ると思う。悪い事してるヒト、弱気なヒト、善良なヒト、ある程度大人になると、みんなわかっちゃう。お年寄りでも、きりっとした顔立ちの人、いるでしょう。そういう人見ると、ああ、この人は自分の信念にそって人生を歩いてきたんだろうなって思う。逆に情けない顔をして、しょぼくれている人いるよね。それなりに人に、世の中に貢献してきたんだろうけど、この人は、自分を持ってなかったんだ。流されてきた人生だったんだなって思う。時代背景や家庭の事情など、もちろんあるだろうけど、人はどんな状況であろうとも、心は自由だと思う。だから、その時の事情で望む方向へ歩いていけないとしても、そちらの方向へ少しずつ少しずつ、軌道修正していくことは可能だ。それが顔に表れるのだ。だから、『自分の顔に責任を持ちなさい』と言うのだろう。今の私、どんな顔してるだろう。あなたはどんな顔してますか。顔のつくりはいろいろでそりゃあ、柏原クンのようではないにしろ、好きなこと追いかけて生き生きしていて欲しい。やりたいことが決まってないなら、見つけるために努力していて欲しい。そうやって人は、いい顔になって行くのよ。柏原クンのようにね。(思い込みと、独断と偏見でお送りしました。 ホント、カッコいいんだから、柏原崇)自分の顔に責任を持とう!ところで、唐突ですが、楽天市場に前から迷ってた『栗きんとん』がお試し価格で出てるのよね。どうしようかな~。ポイントも5倍付くっていうし、(金額の基準があるのかしら?)買っちゃおうか。う~ん、迷う。冷凍栗きんとんお試し価格皆さんも、迷ってくださいませ。ついでにコレも買っちゃおうかな。一緒にすれば送料もお得だし。簡単においしいモンブランができるらしい。100セット限定♪栗たっぷり手作りセットというわけで、お騒がせしました。でもさ~、柏原崇が「君のために作ってみたよ」なんて、手作りモンブラン出してくれたら最高だよね~て、そんなことあるわけないか。では、また。
2003/11/23
コメント(1)
2003/11/22
コメント(1)
ああ、家族旅行へ行った時、あれは夏の終わり・・・。未だ完結しない家族旅行でびっくり!」を楽しみにしてくださっている皆さん。ごめんなさい。そのうち完結させます・・・っていうか、もう飽きちゃったでしょ?で、今日は、番外編でお楽しみください。ダンナの職場は、年中無休なので、連休など取れば、旅行に行ったことがすぐバレてしまう。パートのオバちゃんなんかもウルサイので、土産物は忘れてはならない。超豪華ホテルで過ごした後は、キビシイ現実に引き戻される私達であった。ちょうど通り道に「○○農園直売所」を見つけ、寄って行くことにした。そこでは、地元の農産物が安く売られていて、直径10センチ、長さ30センチはあろう大きなズッキーニもよくスーパーで売られている大きさのズッキーニも仲良く100円均一ころがっていた。ズッキーニは好物で、まだ今ほどポピュラーでなく、紀ノ国屋で1本350yenで売られていた頃、安いというので、わざわさ信州の無人野菜スタンドまで買いに行き、20~30本まとめ買いしていたほどだ。(いや、単にツーリングに行きたかっただけかも)とにかく10年経った今でもズッキーニ、というと目の色が変わってしまうのだ。で、目の前にある巨大ズッキーニ。一体、どうやったら、こんなに大きくなるのか。カボチャの仲間なので、ほっといたらこうなるんだと思うのだが、ズボラなうちの母が家庭菜園をやってた時だって、ここまでにはならなかった。それが、100円である。う~、欲しい。どうしよう。その横には、普通の大きさの物がお行儀よく2本袋に入って、それも100円。したきりすずめに「大きなつつらと小さなつつらとどちらにしますか?」と迫られている気分。当然、正直爺さんである私としては、小さい方、と行きたいのだが、大きな方も捨てがたい。でも、一体どう料理したらよいのだろう。育ちすぎできっと味も落ちているに違いないし・・・。昨夜、豪華ホテルに泊まったセレブな私達であるが、100円のズッキーニで悩むとは、なんとも庶民丸出しである。両方買えば話は早いのだが、せっかくこういう安い市場で買い物をするのだ。出来るだけ上手な買い物をするのが、主婦の務めではないか。で、結局、適正サイズが味もよろしいだろうというので、小さい方、2本100円でお買い上げー。チーン!後日、TVでプロバンス地方の料理を紹介していて、大きなズッキーニは輪切りにして、中をくりぬいて肉を詰め、厚手の鍋で蒸し煮にしていた。おいしそ~。大後悔。ところで、会社の人への土産はどうした。忘れちゃいけません。隣接する、土産物屋で、たくさん入っていて、日持ちして、安い、その上見栄えもするお菓子を購入。その時、息子が「これ、かう」と持ってきたのが、長野限定のクッキーだ。ディズニーのキャラクターのパッケージに持ち手が付いていて、子供が下げるとなんとも可愛い。ニコニコして持ち歩いているので、買ってやることにする。それに「限定」という言葉に弱い私なのだ。先程100円の野菜でさんざん悩んでいたのに、これだもの。親バカ、である。ちなみに息子は、アレルギーがあり、クッキーは食べられない。当然私が頂くことに。ふっふっふっ。さて、楽しい旅行も終わり、いつもの毎日を送る私達。土産物のクッキーも1枚減り、2枚減り、でとうとう最後の1枚に。「はんぶんコ、しようね」と約束していたのだが、(息子ではなく、ダンナとです。一応新婚なのよ)ここまで来てしまったら、いまさら1枚だけ渡しても、約束はどうした、と家庭争議のモトなので、ここはひとつ、全部食べてしまって、証拠隠滅だ!とばかりに、最後の1枚の封を切ろうと取り出す。ン? なんかヘン。軽い、ぺらぺらしている。えっ? カラ? 誰が食べたの?まさか、ダンナが?違う、封はしっかり閉じてある!なんと、チップとデ-ルの絵が描かれたクッキーは袋だけで、中身が入ってなかったのである!がーん! ショックー!1枚あたり54円のクッキーが!(細かい)1枚足りな~い、うらめしや~。(番町皿屋敷)それもこれも、夫に内緒で全部食べちまおうという心がけが悪かったのか!あまりのショックに、(ダンナに相談するわけにもいかないし)そのまま包装紙を引き出しの隅に放り込んで、忘れていた。あれから1ヶ月以上経過したある日、子供がパッケージだけおもちゃにしていたのをふと見ると、「不良品は代替品とお取替えします」と書いてあるではありませんか。そうだった、文句言って換えてもらえばよかったんだ。早速、子供が買って楽しみにしていたのに残念だった、などとウラミツラミを書きつつり、包み紙と共にポストに投函した。それから3日、恐るべき対応の速さで、代替品とお詫びの品が送られてきたのである。それらのお菓子を開けたときの喜びと感動!380円のクッキーが、この「長野賛歌」「小布施 栗の収穫」に化けるとは!わらしべ長者とはこのこと?!ああ、ズッキーニを買った時のように、常日頃から、小さなつつらを選ぶ心がけがよかったんだ。(?)などと、よろこびのあまり、我を忘れた私は、夜勤で疲れて眠り込んでいるダンナを起こす。「ねえ、見て見て! こんなにたくさんもらっちゃった~。クッキーの最後の1枚が不良品で、そして、それを送ったらね・・・」「え? 何だよ、最後の1枚って。クッキー? 忘れてた。オレ、食べてないぞ。オマエ全部食べちまったのか?」し、しまったー!喜びのあまり、ダンナの分までこっそり食べちゃったのを白状しちゃったじゃないのよ!罰として、今回のお菓子はダンナ管理することになった。食べたい時には、割り当て分を1コずつ出してもらう。はあ~。儲かったんだけど、ちょっとツライ。これからは、内緒でお菓子食べるのよそう。じゃなくて、内緒で食べたことを見つからないように注意しようっと。
2003/11/21
コメント(1)

今日、私の住む街は雨降り。いつもは子供たちと散歩したりする時間だけど、どこへも行かないで、家でゆっくりしています。このところ、聴いていなかったCDなどかけて、くつろいでおります。Birdはデビューの頃から好きで、よくクルマの中で聴いていました。new アルバム、「DOUBLE CHANCE」はちょっとイメージが変わって、レトロっぽい雰囲気。ほこりっぽい道をのんびり散歩してるみたい。(わかりにくい?ですね)ちょっとけだるくて、それでもいつもの店で仲間が待ってるから、行ってみるかあ、ってカンジ。(ますます?でしょ)とにかく、オトナのあなたに超おすすめ。Birdは声が好き。くつろげる。JAZZのスタンダードなんか歌わせたい。これで、子供たちが仲良く遊んでてくれると最高なんだけど。ああ、「わんわん」のビデオ見せろとベソかきだした。bird DOUBLE CHANCE
2003/11/20
コメント(0)

昨日、なんでもすぐ手に入れられるネット・ショッピングが楽しい、と書いたけど、それはそれで、すごく楽しいのよ。全国の名産、特産がすぐ手に入るし、本だって、コンサートのチケットだって、座ったまま買えるんだから。でもね、コンサートのチケットなんていったら、アータ、昔は前の日から、徹夜して並んで買ったモンよ。銀座の鳩居堂の側のプレイガイドにいい席が出るらしい、なんて、ウワサが流れようものなら、ネクタイ締めたサラリーマンの冷たい視線もなんのその、行列作って、歩道に座り込んでた。だいたい20時間は並ぶから、ヒマでしょうがない。ギター持ってきたヤツなんかいると、円陣組んで、一緒に歌ったりね。徹夜してまで並んでチケット買うヤツラはみ~んな顔見知りだったから。で、やっと手にしたチケット、最前列だけどウ~ンと端のスピーカーの前だったりして。武道館なんかだったらもう最悪。ステージなんか見えやしない。それだったら、ステージ真裏の3階席の方が、まだ見えるっていうの。そっちの方が安いし。そのうち、真ん中の席は、日劇の方に出ていたよー、なんて情報が入ってきたりして、がっくり。でも、並ぶってこと自体がひとつのイベントで、コンサートとは別の楽しみがあったなあ。え? 誰のコンサートかって?以前書いたユーミンじゃないよ。たくろうです。吉田拓郎。大好きでしたねえ。そのことはまた書くとして、好きなアーティスト、いっぱいいるから。で、話は戻るけど、今は並ばなくてもネットで買えるでしょ。(もしかして、いい席は今でも並ぶのかな?)それは便利だし、時間の節約にもなるし、合理的な考えよ。空いた時間に別のことできるし。でもね、苦労して並んで手に入れたチケット、それはもう宝物なの。勲章とも言えるかな。今思えば、バカみたいだし、ナ~ニやってたんだかって思うけど、いいの、若者はそれで!そういうバカみたいな時間がヒトを成長させるのよ。暑かったり寒かったり、眠くてぼおっとして、そのうち東の空が白々としてきて。ああ、もうすぐ手に入れられる、タクロー、アタシ頑張ったよ、なんてね。そういう、つまらないことに一生懸命になった経験が肥やしになるの。(なったかな?)じゃあ、ネットで何でも手に入れて、大きくなった若者はどうなっちゃうのかな。なんか、感謝のない人間になっちゃいそうで。何でも苦労しないで、手に入るってのもどうかなあ。欲しくて欲しくて、あちこち走り回ってやっと手に入れたり、やっぱ、どこにもなくてがっかりしたり。でもさ、手に入れられないものほど、輝いてたりして、それ、目標にして頑張れるし。手に入れられないのも楽しみのうちかも、と今日のアタシは思いましたです。はい。で、ネット・ショッピングやめるのかって?やめないよお、若者じゃないもーん。
2003/11/16
コメント(7)

このところ本やCD、雑貨、紅茶などいろいろネットで買っている。人ごみが苦手、販売員に勧められると断れない、あとから他の店でもっと安く売っているのに気付き後悔する、という買い物三重苦から逃れられるのが、ネット通販のよいところだ。それに近所では手に入らない、おいしいものが簡単に手に入る。子供連れて遠くまで出かけて、疲れて、騒ぐ子供を叱りつけ・・・。そんなことをしてまで買い物にいきたくないもの。それが、ワンクリックでピピピ、よ。やめられませ~ん。でも、簡単に買えるから、限度を超えて買い物し出したらコワイ。今にネット破産、なんて出てくるかも。だって、お金だってネットで借りられるんでしょう?それにカード番号盗まれない保障はないしね。夫に内緒で買い物して、離婚、なんてね。実は、昨日内緒で買ったモノ、見つかっちゃって・・・。気まずいムードだったよ。コレです。だって、かわいかったんだも~ん。ごめんなさい。今度から相談します。て、ゆーか、あまりに、くだらないものだったんであきれたみたいだった・・・。う~家庭崩壊か!
2003/11/15
コメント(3)

昔、バイトしていたレストランに、コウちゃんというコックがいて、朝、出勤してくるなり「イヤー、昨日は疲れちゃってさあ」と言う。なんでも、昨日の休日は子供を連れてショーに行って来たのだということだった。ショー? 一体なんのこっちゃ、とテキトーにあしらっていると、「Coo-Cooも子供ができたら、おかさんといっしょとかゴレンジャーとか、子供の喜びそうなショーの一つにも連れて行ってやらなきゃいけない」とエラそーに話し始めるではないか。当時、すでに結婚していた私であったが、子供なんてちっとも欲しいとは思わなかったので、そういう話には関心がなかった。でも、そのコウちゃんが、疲れた、と言う割には嬉しそうだったので、「子煩悩なんですね」と言うと、やっぱり自分の子は可愛い、と目じりを下げた。5年前、まだ大学生だったコウちゃんがこのレストランでバイトにしていた時、向かいの甘味処にいた女の子が可愛いと評判だったそうだ。女たらしのマスターに「ひっかけちゃえ」とすすめられ、ほんの遊びのつもりで「ひっかけちゃった」ところ,すぐに子供が出来、結局結婚する羽目になったマヌケな男である。(この無責任なマスターは10年後、女房に逃げられ、バチが当たることになる)そんな「できちゃった」子供であるが、可愛くてしかたがないらしい。へえ~、そんなもんかいな、と思っていたが、う~ん、コウちゃん、アンタは正しかった!やっぱり「自分の子供は可愛い」のである。どんなに疲れていようと、どんなに人ごみが嫌いであろうと、「可愛い子供にはショーを見せよ!」である。で、昨日、初ショー体験した、私達であるが、疲れた~。子供がたくさんいるってのは、どうしてこんなに疲れるのだろう。きゃ~きゃ~、わ~わ~、で疲れるその上に、そういうところへ来る親は皆、親ばか、バカ親であるから、少しでもいい席取ろう、とか1枚でも多く、キャラクターと一緒に写真を撮りたいとか、闘志むき出しで、そいつらと対抗するのも疲れる。で子供が喜んでいるかというと、あまりのエネルギーに圧倒されたのか、上の子は、手のひらをきゅっと結んで、開こうとしない。来る前にマックでハッピーセット食べてニコニコしていたのに、顔も緊張のあまりこわばっている。それとは逆に、マックでは何も食べさせてもらえず、怒り気味だった下の子0歳は、にぎやかなココが気に入った様子。手をぱちぱちたたいて喜んでいる。さて、ショーが終わり、お土産ももらって、帰る頃、トイレに寄った。手を洗っていると、隣の席で盛り上がっていたお母さん達が「ちょっとおかーさん、トイレだから待っててね~」と元気よく入ってくるなり、はあ~、疲れた、と大きなため息。「やっぱ、疲れますよね、こういうの」「ええ、でも子供のためですからねえ」な~んだ、やっぱりみんな疲れるんだ。そうだよね。いい大人がこんなの見て面白いわけない。子供の喜ぶ顔見たくて一生懸命なんだ、みんな。一緒にいられるうちに、少しでも楽しい思い出作ってやろうと必死なんだ。ショーの間、なんだよ、押してくるなよ、あ、そんな大きな声出したら、うちの子、怖がるじゃないのよ、と苦々しい気持ちになっていたのが、ちょっと許せた。で、キンチョーしっぱなしだった上の子は帰ってから食事も取らずに寝てしまい、とうとう朝まで起きなかった。ショーを心ゆくまで堪能した下の子は、コーフンしてなかなか寝付けず、夜中に何度も起きて泣いた。も~アンタたち、寝るか、起きるか、どっちかにして頂戴。アタシはいつ寝たらいいのよ。あ~、ホント親はつらいよ、でした。 kekkyoku kuucyan naicyatte,sakky ha gokigen
2003/11/14
コメント(2)

雨が降る前の海って好きです。静かだし、色がいいよね。灰色の空を映して、とてもきれい。 久しぶりに海へ行きました。人影もなく、私達で砂浜をひとり占めしました。あの、夏の日の喧騒はどこ行ったの?ってカンジ。秋の海もなかなかいいよ。静まり返って、冬を待ってる。海に降る雪を始めて見たのは、青森に行った時だった。JRの浅虫駅を過ぎたあたりで、急に降り出して、灰色の海に、白い雪がたくさん舞ってた。白い蝶がダンスしているみたいだった。そういえば「SNOW DANCE」という曲、知ってる?大好きだった。ドリ・カムはいつも夢をくれる。だから、離れられない。1時間ほど遊んだら、雨が降ってきた。細かい霧のような雨だった。さあ、そろそろ、おうちにかえろう。nandaka wakaranai nikki ,atamano nakato onnajida
2003/11/11
コメント(1)

岡本太郎という芸術家が「芸術はバクハツだ!」と言っていた。大阪万博の時、太陽の塔を作ったヒトだ。そのほか、コップの底に顔があってもいいじゃないか、という洋酒のおまけも彼の作だったかな。ちょっとうろ覚えなんですけど。私は芸術家ではないのだが、このひとことで、芸術の真髄が表現されているような気がする。自己の内面から、バクハツするように湧いてきた何かを表現するのが、きっと芸術なんだろう。絵や彫刻なんかで、自己を表現するできる人は幸せだと思う。自分が考えていることを、言葉にすると壊れてしまいそうなことってあるよね。そんな時、絵とか、音楽でもいいか、そういう五感に訴える手段で表現できたら、気持ちがいいだろうな。そしたら、言葉がいらないもん。英語話す人にも、スペイン語話す人にも、誰にでも気持ちがストレートに伝わるから。言葉って誤解があるでしょう?ちょっとした言い方ひとつで、相手を怒らせてしまったり。そんな時、アッシの気持ちはコレで~す!ってきれいな絵や美しいメロディーで表現できたら、大抵のお願いは聞いてもらえそうだ。だから、そういう自己表現するための技術、絵なり音楽なりを身に付けさせてやるのは、親の義務だと思う。なにも、教育ママになったりすることや、お稽古事を推奨しているのではない。そうではなくて、子供のうちに一緒に絵を書いたり、歌を歌ったりして、その子が「好き」と思えることを見つけられるよう手助けしてやれたらなあ、ということ。そういう下地のある子は、物心ついた時、「コレやりたい」がきっと出てくる。それをできる限り応援してやればよいのだ。人生は何か、と言われたら、きっとそれは単純な毎日の繰り返しだ。起きて、食べて、寝て、勉強して、働いて、結婚したり、子育てしたり・・・。そんな時、自分が他の誰でもない、個性を持った一人なんだ、と認識するためには、コレが私です、と言える、何かを持っていなくちゃ、きっと辛くなる。趣味の範囲でいいから、絵を描くと気持ちがやすらぐとか、歌を歌うと気持ちいいとか、ちょっとしたことでいいから、自分を表現する方法があれば、長くて短い人生、最後まで、生き抜けるんじゃないかなあ。もちろんプロを目指したっていいんだけど、それは持って生まれた才能が必要だし。岡本太郎のようにね。てなワケで、たまには一発歌いに行くか!カラオケじゃ芸術には程遠いけど、「バクハツ」には違いないから。ハハ。あれ? 子供の話だったっけ?ま、いいや。このワイン、濃厚で「バクハツ」的な味わいらしいよ
2003/11/07
コメント(2)
感謝すること、その感謝を「ありがとう」と言葉で伝えること、していますか。5歳のエミちゃんは、生まれてからずっと小児病棟で生活してきました。大変な病気を抱えていましたが、人なつこくて、みんなの人気者でした。ところがある日、容態が急変してしまいました。懸命の治療にもかかわらず、病状は好転せず、「先生ありがとう。お母さんありがとう。みんなありがとう」と言って、息を引き取ったそうです。まだ、日常会話もたどだどしく、誰が教えたわけでもないのに、最後に言った言葉が「ありがとう」でした。子供ってすごい、と思いました。傍から見れば、たった五年で生涯を終える子供は可哀相です。もっと生きていられれば、美味しいものもたくさん食べられたろうに、学校に行ったり、旅行に行ったり楽しい経験もたくさんできたのに、なんて不幸な生涯だったのだろう、って。でも子供って違うんです。エミちゃんはしあわせだったんです。誰かと比べてではなく、自分の心で感じたいろんな出来事を、素直に感謝できていました。だから、最後の言葉が「ありがとう」だったのです。あれも欲しい、これもしたい、とないものねだりするのは大人です。周りの大人が、人と比べることを教えるなら、子供も真似してそうなるでしょう。そんな風に育てられた子供は不幸です。すべてのものを手に入れることなど、決してできないから。生まれたままの真っ直ぐな心は、あらゆることに感謝できます。将来、こうなったらしあわせになるだろうなあ、と考えることなく、毎日を、今を、1分1秒を感謝できます。うれしい気持ち、たのしい気持ちをそのまま表情に、言葉に表せるのです。病気は、その子の現実としてあって、辛い治療に苦しんだこともあったでしょう。でも、自分の心に素直だったエミちゃんは、辛いことよりも、ご両親や、周りの人たちがしてくれる嬉しいこと、楽しいことで心を満たしていたに違いありません。では、私達大人はどうでしょうか。「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えているでしょうか。もしかして、感謝すること自体、忘れているかも知れません。。あたりまえ、と思って、つい見過ごしてしまったり、わかっているのに、照れくさくて「ありがとう」が言えなかったり。エミちゃんの話を聞いて、もっと感謝しよう、言葉にあらわそう、と思いました。自分の周り、そういう目で見回すと、感謝できることっていっぱいあります。美味しいご飯、ありがとう。ぽかぽかお日様、ありがとう。家族の笑顔にありがとう。お父さん、お母さん、命をありがとう。美しい自然、空気、水、神様ありがとう。数え切れません。リストにでもして、ひとつひとつ感謝したら毎日、しあわせでいられそうです。こうなったらしあわせ、コレが手に入ればしあわせ、ではなくて、今ある状況、持っているもので満足したいですね。それが、しあわせの秘訣かも。もちろん、とてつもなく不幸な状況にあって感謝できるものなんて、ひとつもない、死んだ方がマシだ、って思ってるヒトもいるかもしれませんね。でも、本当に、感謝できるものひとつもありませんか?5歳で亡くなったエミちゃんが失った「命」を持ってるのに。思うように使える時間を与えてもらってるのに。子供から学べることっていっぱいありますね。自分だって子供だったのに何で忘れちゃうんだろう。子供を持って初めて、自分もかつて子供だった、ということを思い出しました。ピュアな子供の心をいつまでも持ち続けたいものです。最後になりましたが、大切なことを思い出させてくれたエミちゃんのご冥福を心からお祈りいたします。さて、このエミちゃんのことは、あるメルマガで知りました。「家庭の心理学」という素敵なメルマガを届けてくださるゆうすけさんが、楽天広場に来てくれました。読んでみたいと思う人は、是非訪ねてみてください。メルマガの購読はもちろん無料ですよ。では、下のアドレスにGO!http://plaza.rakuten.co.jp/nakaoyuusuke/
2003/11/06
コメント(3)
さあて、やってまいりました、愛好会シリーズ第二弾!前回の「地ベタ愛好会」引き続きまして、「野宿愛好会」でございます。えっ? なんだか似てる?そうかもしれませんね。地ベタをゴロゴロしているうちに、よっしゃ、今夜泊まっちゃうか~、ってのが野宿ですね。横文字にすれば、キャンプ、アウトドア・ライフですか。スマートですね。でも「野宿」って方が、なんとなく温かみがあるじゃないですか。キャンプっていうとなんだか、小中学生の飯ごう炊さんとか思い出しましてね、団体行動苦手なワタクシといたしましては、あまりいい印象ないんですよ。「やっぱ野宿だよ、野宿。どんどんやろうじゃないのよ」って言葉をくださったのは、我が野宿の師匠、寺崎 勉氏でありました。かれこれ20年くらい前、当時日本で唯一の「野宿のプロ」でいらっしゃいました。つまり、野宿をしながらバイク旅をして、文章書いてお金もらうヒト、だったワケです。一応、本も何冊か出しているんで、夢の印税生活者ですね。麻原ショウコウ似の風貌が結構アヤシク、女性にはともかく男性ライダーには、カリスマ的存在で崇拝者も多かったです。そんな寺崎氏とひょんなことから知り合いまして、もともとの素養もあったのか、野宿の道、まっしぐらです。野宿の気楽さ、自由度の高さは、貧乏旅行にピッタリです。もちろん節度を持って、安全にも気を配るのは個人の責任ですよ。ゴミを散らかす、野グソを埋めない、なんてのは言語道断!生態系を壊さないように、洗剤の使用などにも注意します。このあたりは、スマートなアウトドア派の方々と同じです。初心者は彼らから学ぶべし。でも、おしゃれなキャンプ場で出会うビーパル君となんか違うのよ、雰囲気が。やっぱ、ドロ臭いというか、キタナイというか。そりゃ、汚れますわ。1日中、時には林道走って、風呂だって昨日は入ってないし、水道のあるところ、泊まるの久しぶりだも~ん。でも、そういう、見た目のコキタナサとは別に、何か違うのよね~。装備だって、一応いいもの使ってるんです。ストーブだってピークワンだし・・・。野宿者のニオイってものがあるんです。生活のニオイみたいなもの。こうなると、ホームレスの皆さんと感覚的に非常に近いものがありますね。アウトドア生活は、日常生活から、抜け出して、非日常を楽しむという感じですが、野宿生活は、日常生活が野宿になっちゃった、ってカンジ。非日常が日常化する世界、なんです。アブナイ、アブナイ。はまっちゃったら抜け出せないよ~。最初は「旅の宿が野宿だった」のが、そのうち「野宿するために旅をする」になってしまうのですよ。病気です、病気。治った様に見えても、一度感染してしまうと、ひょっとした時に、出てくるんですね。公園でピクニックしていてもここはネグラによさそうだな、とか。ああ~、たまには外で寝たい。確か、寺崎氏も言ってました。「野宿は3日やったらやめられない」と。
2003/11/05
コメント(2)
最近お気に入りの公園があり、毎日のように出かけている。町からちょっと離れているので、人も少なく、空気もおいしい。広々としていて、ちょっとしたピクニック気分で、お弁当を持っていくこともある。お気に入りの原っぱは、南向きで、夕方までよく日が当たり暖か。8ヶ月の娘もぽかぽかして気持ちよさそうだ。2歳の息子は、走り回って大喜び。街中の公園では、死角になる場所あり、一時も目を話せない感じだが、ここは、視界を遮るものがなく安心できる。うっかりすると、誘拐されてしまうかもしれないもの。嫌な時代だ。シートの上に座って空を眺めていると、だんだん体が斜めになり、ついには片肘ついて横になってしまう。はあ~、極楽、極楽。地ベタに横になるってのは、ホントにくつろげる。え?私だけ?そんなことないです。皆さんもやってみてください。1度やったらやめられないよ。思えば、かれこれ15,6年前になるだろうか。バイクであちこち行っていた頃、泊まるといえば野宿だった。良くて、キャンプ場、水場があるから便利だ。たまには風呂にゆっくり入ろうか、という時だけ宿に泊まる。お金がなかったからね。でも時間はあるから、少しでも長く旅するためには、宿になんてお金かけてられない。きっと、その時「地ベタ」が好きになったんだと思う。アウトドア、といえばカッコいいけど、「野宿」だったねえ。立派な道具なんて何ひとつなかったし、バイクだから少しでも荷物減らしたいし。でも一人旅でもテントだけは4人用使ってた。狭すぎると休まらないのと、防犯上。一応女なんで、中で着替えるから。今夜の宿を決めたら、明るいうちにテントを張り、火を起こし、ご飯を炊く。ご飯さえあればね。あとは何とかなる。あっ、これは今も同じね。だんだん日が暮れてくるから、1杯やりながら、自然に体は横に。焚き火の炎を見つめながら、旅の夜空に思いを馳せるのです。その時、座ってると何となく背中の方が不安で、(やっぱり1人はコワイというのも多少あって)片肘ついて横になる、という体制が安心できた。大地に抱かれてるような心地よさがあったんだと思う。と、いう訳で、その時以来、「地ベタ」が好きなのです。子供ができたら、もうしばらくはキャンプなんてしないだろうな、と思って、道具をみんな処分してしまったけれど、やっぱり、また行きたくなっちゃったよー。どうしよう。しばらくは、公園でピクニックしてれば紛れるかな。この際、「地ベタ」愛好会立ち上げて、みんなで横になるか。ある晴れた日、原っぱで、大勢が並んで横になってたら不気味だよね~。三崎のマグロ市場みたい。で、その周りを小さな子供達が駆け回ってるの。あ、アヤシイ・・・。
2003/11/04
コメント(4)

私の祖父は教師だった。最後には校長まで勤めた人で、近所を歩くと、よく、自分は教え子だったという人に遭遇したものだ。だから悪いことも出来ない。(別にしようとも思わなかったけどね)私が小学校の頃は、すでに退職していて、近所の子供を集めて、勉強を教えたり、日曜日には、遊びに連れて行ったりしていた。でも、当時引っ込み思案で人見知りの強かった私は、大勢の子供が集まって来るのは苦手で、一緒になって出かけたり、勉強を教わったりすることはなかった。でも祖父と2人きりで遊んだ思い出は多い。きっと、そんな私のために特別に時間を取ってくれていたのに違いない。学校から帰ると、真っ直ぐ祖父母の部屋へ行く。すると「遠山の金さん」や「銭形平次」を見ていた祖父が、古い電話帳を取り出し、クイズを出してくる。地面に棒が一本立っている絵を私に見せ、コレは何か、と私に尋ねる。答えに詰まると、「泥に棒が立っている。コレは、どろにぼう、泥棒じゃ」と得意気だ。まるで、ちびまるこちゃんの友蔵じいさんのようだが、こんなクイズをひとしきり出したあとは、庭で日時計を作ったり、花の種を一緒に植えたり、日が暮れるまで遊んだものだった。映画にもよく連れて行ってくれた。当時、映画はまだ娯楽の中心で、私の生まれた小さな町にも2件の映画館があった。祖父はどこかから、入場券を手に入れてきては、私やいとこ達を映画に連れて行ってくれた。母と行く時は、ディズニー専門の映画館で、「101匹わんちゃん」や「森は生きている」など害のなさそうな映画を見たものだが、祖父と行くのはパチンコ屋の隣の、上映中にチンジャラ、チンジャラ出玉の音が響いて来る、ロードショー専門の映画館だった。内容も「ゴジラ対モスラ」とか人気のTVアニメの劇場版など、アタマの固い母親に嫌われる内容で、祖父と映画に行く、と言うと、母は顔をしかめた。もちろん、母と行くディズニーも好きで、それぞれの作品の内容は、今も心に残っている。でも、映画の内容はきれいさっぱり忘れているものの、楽しかった思い出が残っているのは、祖父と出かけた方だ。それでも1つだけ、キョーレツに思い出に残っている映画がある。「日本沈没」という映画だ。祖父と映画に行くと言うと、いつものように母は嫌な顔をしたのだが、構わず出かけた。大規模な地殻の変動によって日本が沈没してしまう、という話で、子供にとってあまり興味のある内容ではなかったが、映画の前に買ってもらえるポップコーンやジュースに釣られて、祖父について行った。ところが、地震の話はともかく、主演の藤岡弘といしだあゆみのラブシーンがあり、子供心にどうしたものか、見ていいのか悪いのか困ってしまった。祖父はといえば、全く動じる様子はない。元教職者が子供にこんなもの見せていいのかね、と大人になっって初めて気付く赤面の内容だったのだが、きっと祖父は、とても自由な考えの持ち主だったのだなあ、と今思う。帰ってから、映画は面白かったかと尋ねる母に、難しすぎてわからなかった、と答えて、祖父と目で合図し合ったのも懐かしい思い出だ。祖母は大正生まれのしゃれたヒトで、三味線を弾いたり、日舞を舞ったりと、夫が退職した後も、家に閉じこもることなくわが道を行く、というカンジの人だった。祖母と私も仲良しで、一緒に喫茶店に行ったり、デパートに行ったりしたものだ。ところが、祖父と祖母は仲が悪く、いつも喧嘩ばかりしていた。1日に1度は「おとーさん!何言ってるんですっ!」と祖母が祖父を怒鳴る声が、私達のいる部屋まで聞こえてきた。(祖母の方が強かった)毎日毎日、喧嘩していて、子供だった私は、2人は本当に仲が悪いのだと信じていた。それから月日は流れ、2人ともかなり高齢になり、祖父は1日の大半を眠って過ごし、祖母も持病で入退院を繰り返していた。人生の最後に近い日々を、昔ほど喧嘩をしなくなった2人は、狭い部屋で顔を突き合わせながら、静かに暮らしていた。そんな中、祖母がまた入院することになった。何度目かの入院なので、祖父も私達も、いってらっしゃい、という感じで、気軽に見送った。ところが、その晩、祖母は帰らぬ人となってしまったのだ。急なことだったので、高齢の祖父を起こしてショックを与えてもいけないと、叔母が次の朝知らせることになった。翌朝、叔母が「おかあさん、亡くなったのよ」と伝えると、祖父は「えっ」と言ったきり黙り込んでしまった。だって昨日普通に出て行った祖母だったから、それが急変して亡くなるなんて、信じろという方が無理かもしれない。それも、自分は何も知らずに眠り込んでいたのだから。祖母の亡骸が部屋に帰って来ると、祖父は白い布をそっとめくり、「おかあさん、おまえはこんなにきれいな顔をしていたんだなあ」とぽつりと言い、涙を流した。喧嘩ばかりしていた2人だったのに。ああ、長年連れ添うというのは、こういうことを言うんだ。生まれて初めて、夫婦の固い絆を見た瞬間だった。その後、つれあいを亡くした祖父は急に呆けてしまい、その2年後、祖母の後を追うようにして逝ってしまった。出あって、恋をして、結婚する。子供ができ、子育てを終えると孫ができ、それからは2人きりで、口には出さなくても、お互いを思いやり、いつも頼りあい、支え合って、生き続ける。同じ人とずっと添い遂げるというのは、きっと大変なんだろうな。自分にできるだろうか。ダメダメ、すでに1回失敗してるし。なぜか、急に祖父母のことを思い出してしまった、秋の夕暮れでした。今も私の心の中に生き続ける、大好きなおじいちゃんとおばあちゃんです。
2003/11/03
コメント(1)

松嶋奈々子が演じるヒロインが、お金持ちのオトコつかまえるために、合コンを繰り返す「やまとなでしこ」というドラマ、覚えてる?小さい頃貧乏で、大きくなったら絶対お金持ちと結婚するんだ、と夢見る彼女。で、結局、金持ちの医者をふって、ビンボーな魚屋と結婚するんだけど、その彼は実は有能な数学者だった(ついでにハンサム)という夢のような話ではあ~うらやましい、でも自分だったらどうする?って考えさせられました。結婚の条件に「3高」あげる女の人がいるけど、高学歴、高収入、あと背が高いだったっけ。今の世の中、もう学歴だけじゃダメで、いつリストラされてもおかしくないから、そうなると高収入というのもあやしくなり、3項目の「高身長」だけ残ってもねえ~。愛も冷めるか。それでも「やまとなでしこ」の主人公が言ってたように、顔がいいとか、カッコイイとかは親からもらったものだから評価の対象にならない、高学歴、高収入は本人の努力がなければ得られないものだから、そういうオトコと結婚すれば将来安泰だ、という見方は正しいのかもしれないな。自分も将来のこと、しっかり見据えて、オトコと付き合っていれば、今頃、全く違う人生歩んでいたんだろうなって思う。付き合うオトコは皆ビンボーだったし、今のダンナも・・・。自分の周りには、そういうオトコしか寄ってこないんだよね。類は友を呼ぶってのは、一理あるって思う。自分と全く世界の違う人間、精神的にも、物理的にも遠い所にいる人間とは、どこかですれ違っても、一生出会うことはないだろう。だから、たとえお金がなくても、夢だけは持っているオトコが寄って来る。無意識に自分で引き寄せちゃってるのよ。でもね、なんかへこんだ時、お金さえあれば気晴らしできるのにって思うことがある。趣味でも、グルメでもショッピングでも、うんとお金かけて、パア~ッとやれば気分も変わる。家のことは、お手伝いさんにやらせて、時間作れば旅行にも行けるし、ちょっとしか時間がなくても、会員制スポーツクラブで汗を流すとかね。カリスマ美容師にヘア・メイクしてもらえば、カワイクなって、ダンナにも愛されるし、ダンナに興味がなくなれば、ホストに入れ込んだっていいしね。だって、お金はいくらでもあるんですもの・・・。う~ん、うらやましい。選ぼうと思えば、こういう人生もアリだったのに。(?)でも、そうやって気晴らししても、しなくても人生の時間は過ぎて行くんだよね。だったら、気晴らしだけの人生ってどうなの?ってアタシは思うワケ。何かを掴もうと必死になって努力する人生の方が、豊かで、満足が得られるのではないかな。気晴らししてても、「何か」は掴めないもん。って、そんなだから、いい年して何も持ってないのよね。でも、心の底では、これが自分の望んでた生活だって思ってる。お金が余るほどある生活って1度も想像したことないから。だから、お金持ちになりたい人。お金持ちになって、贅沢三昧してる自分の姿を、ウンと想像してください。きっとかなうよ。カッコイイオトコつかまえたいなら、そのことを。人生は、なぜか想像した通りに展開して行くから。そうしないと、アタシのようになっちゃうよ。40過ぎて離婚して、子供2人も産んで、一回り以上年下のオトコと暮らしてる。人生はお金やモノじゃないって、ずっと思ってた。で何かって言われても、まだ模索中で・・・。ただ、いくつになっても、転がり続けるのはやめたくないね。「やまとなでしこ」が探してたのは、自分を幸せにしてくれるオトコ。最初は、それはお金持ちのオトコだと思ってた。でも本当に自分が望んでたのは、チャラチャラ気晴らしをさせてくれるオトコじゃなくて、夢をどこまでも追いかけていくオトコと、一緒に夢を見ることだった。めでたし、めでたし、チャン、チャン。やっぱ、人生は、花よりダンゴじゃなく、金より夢よ!そりゃあ、ないよりあった方がいいけど、武士は食わねど高楊枝。清く正しくいきましょ。
2003/11/02
コメント(1)
しあわせになりたーい!誰もがそう願う。この私だってそう。「しあわせ」という文字を見つけると本であろうが、インターネットのサイトであろうがしあわせになりたい一心で飛びついてしまう。では自分は今、不幸か?というとそうでもない。生涯の(今度こそそうであって欲しいのだが)パートナーを見つけ、年甲斐もなく、2人の可愛い子供にも恵まれ、一応、雨露しのげる家で暮らし(賃貸ですけど)これでダンナがパチンコさえ行かなけりゃ、貯金も出来るくらいの収入もある。(やめないので、いつも赤字です。困ったもんだ)皆、それぞれ事情はあるだろうが、似たり寄ったりで、そこそこしあわせなんじゃないのか。それならどうして巷に「しあわせモノ」があふれかえっているのかな。どうして性懲りもなく、飛びついちゃうんだろ。それは、もっとしあわせになりたーい、からである。そこそこのしあわせでは満足できずに、次から次へと新たなしあわせ(刺激)を求めてしまうのだ。これを「しあわせ渇望症候群」と言う(つーか今命名した)。平和ボケ、物質ボケした日本人の特徴的な行動だ。徴兵制はなし、望む物質は金さえ出せばなんでも買える。人間、手に入ると思うと、もう欲しくなくなるのだ。では、何が欲しいかといえば「しあわせ」なのだ。自分はそこそこしあわせ、でももっと何かありそう。なんだかわからないけど、満たされていないよーな気がする。そうだ、あの本にあったように独立して起業しようか。成功して、お金持ちになって、外国でゆったり暮らそうか。それとも・・・。そうか、あのメルマガにはネットで設けるってあったな。儲かったら好きなことして暮らせそう。そうやって次々新しい情報を仕入れ、深みにはまって行くのだ。これを「しあわせオタク」と言う(またまた命名、今日は冴えてる)。しあわせオタクは、しあわせになりたいのだが、次から次へと本を買い、メルマガを購読するので、情報量が多すぎて、何から手をつけていいのかわからなくなってしまう。そして何も出来ない自分をダメなヤツだと思い、そんな自分をなんとか慰めようと、今度は癒し系サイトにはまるのだ。どうしたらしあわせになれますか?答えは、人マネでは決して幸せにはなれません!経験者の言うことを参考にするのは賢いことだが、まず自分なりの基準を持たなくちゃ。自分のモノサシでしあわせについて、よく考えてみることだ。自分の好きなことは何か。何をすれば楽しいのか。得意なことは何か。自分の1番大事な物は何か。等々。そうするとおぼろげながら、自分のやりたいことがわかってくるはずだ。そうなってから、あらためて情報を収集した方がいい。そうしないと絵に描いたもちを、それこそたーくさん持ちながら、一生お腹が空きっぱなしの人生を歩むことにもなりかねないからね。でもさ~、人生って、必ず何かやり遂げなくちゃいけないの?そんなシャカリキにならなくても充分しあわせなんじゃないの?誰か別の人の基準に合わせようと無理してない?自分のまわりをよく見て、じっくり考えてみてください。「しあわせオタク」やってきて、ちょっと息切れしたワタクシがお送りいたしましたあ~。
2003/11/01
コメント(6)
全22件 (22件中 1-22件目)
1