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2019.06.01
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​   『西行花伝』辻邦生(新潮文庫)

 以前瀬戸内寂聴の書いた西行の小説を読んだ時にも触れましたが、西行という歌人は、私のような和歌素人でも、少し気になる人であります。
 今回、冒頭の長編小説を読んで(文庫で700ページ余りです)、もちろん何首もの西行歌が記されてあったのですが、何といいますかー、どの歌もとってもよい、と。
 ずっしり重い歌から一筆書きのような歌まで、どれをとっても、「歌の力」(これこそが本編のテーマの一つでありましょうが)に惚れ惚れします。

 以下に何首か書いてみようと思って、どれを選ぶかかなり迷ってしまいますが、二首だけ書いてみますね。(これ以上書いていくとキリがなくなりそうですから。)

  道の辺の清水流るる柳陰しばしとてこそ立ちどまりつれ
  さびしさにたへたる人のまたもあれな庵ならべん冬の山里

 実は本書を読んでいて、私は途中で別の文章を少しつまみ食いしました。
 まー、つまみ食いと言っても、そもそも私がなぜ西行に魅力を感じるようになったかの原因となった有名な文章ですから、完全にはつまみ食いとは言えませんが、それは、おそらくご想像通りの、小林秀雄の評論「西行」であります。

 むかーし、たぶん高校生の頃読んで、おそらくちっともわからなかった評論で、でも何かかっこいいことがここには書いてあると感じた文章です。

 その小林の「西行」を、この度本小説を読んでいる途中に読んだんですね。
 すると、えらいものですねー、何かぐんと小林の言っていることがわかるような気がするんですねー。(まぁ、主観的な感想ですからー。)

 そのうえ辻邦生の小説を読みながらリアルタイムで私が感じていた「西行をめぐる三つの謎」について、なんと小林秀雄も同じ問い掛けをしているではありませんか。(まぁ、しょせん主観的な読解ですからー。)
 私の感じていた「西行をめぐる三つの謎」とは、こうです。

  1.歌道と出家の関係について(なぜ出家したのか)。
  2.なぜ出家後も専一修行しないのか。
  3.西行の歌の本質は何か。

 しかしこうして改めて箇条書きしてみると、西行を論じるにあたっては、当然出てくるべき疑問という感じがしますねー。
 特に私と小林秀雄が同じ思考経路をたどったというわけでもなさそうです。(なーんだ、というか、当たり前ですよねー。)

 しかしまあ、小林秀雄も辻邦生も、これらの問いにそれぞれ答えています。
 読んでいて切れ味が鋭いと思うのは、やはり小林秀雄の書きっぷりですね。
 それはもちろん評論と小説の差に加えて圧倒的な長さの違いのせいでしょうが、うっかりしていると、辻邦生が何十ページもかけて肉付けした内容が、小林は一行ですでに書いているじゃないかなんて思ったりしますが、もちろんそれは間違いですね。
 辻邦生も頑張って書いています。

 さて上記に挙げた三つの謎は、実は、一番と二番はセットでもあるんですね。本文中にその説明は至る所に描かれていますが、一つだけ抜き出してみますね。晩年の西行の独語の場面です。

​ 陸奥の旅のあと、歌がまたとなく重く感じられるようになったのは、このことと無縁ではない。歌こそが真言なのだ。歌こそが、森羅万象のなかに御仏の微笑を現前すものなのだ。私はこの頃、歌を詠むとき、仏師が仏像を作るのと同じ気持ちになる。歌の現前す相は如来の真の御姿だと言っていい。​

 「歌こそが真言なのだ」というのが中心ですね。歌道修業が仏道修行である、と。
 また、三番については、小林秀雄は「自意識が彼の最大の煩悩だった」といっています。全く上手な言い回しで、例えば私が西行に感じる魅力の源泉は、多分これなんだろうなあと大いに納得するものです。

 一方辻邦生も、やはり同種の内容の答えを、これも本書のいろんなところにいろんな角度から書いていますが、その一つを抜き出してみます。本書の中心の語り手が、師匠である西行を語る場面です。

​ 師は思いの丈を詠み切れた歌を最良の歌と考えていた。その点では迷いはなかった。師の歌は、激しい思いのなかへ踏み込んでゆくという趣がある。遠い風景を静かに見ているのとはまるで違う。心が身悶えしていると思えることがある。​

 ……ともあれ、700ページにも及ぶ長編小説を読んでいますと、終盤はやはり気持ちの上ではどこか高ぶってきますね。
 ましてや本書は西行伝ですから、終盤は晩年の西行の描写となり読んでいてぐいぐい盛り上がってきます。本文中に散りばめられていた「伏線」も次々に回収されて、いよいよ西行の「きさらぎの望月」の死に、一歩ずつ近づいていくわけですね。

 そして最後には、静かな深い感動が込み上げてきます。
 小林秀雄も、有名な歌で評論「西行」を終えていますが、それは少し考えれば、やや小林らしからぬ感傷性ではないかと感じたりもするのですが、この歌であります。

​願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ​


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Last updated  2019.06.01 08:14:10
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analog純文 @ Re[1]:父親という苦悩(06/04)  七詩さん、コメントありがとうございま…
七詩 @ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
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