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運転免許を持っている人なら、実感したことがあると思いますが、運転者は常に警察から“犯罪者”もしくは“犯罪者予備軍”という扱いを受けています。違反を発見したら、いかなる事情も関知せず即キップ。路上駐車、飲酒運転、スピード違反、携帯電話、いねむり・過労・危険運転、改造、無灯火、整備不良……数限りない違反項目を設けて、日夜目を光らせています。それはごもっとも。凶器を操っているのですから。でも、警察にとって、運転者ほどくみしやすい相手はないと思います。免許を取得するときに、「違反はダメよ」としつこく教えられ、「違反したら、即犯罪者よ」という警察のささやきに同意書を書いてしまったのですから。捕まった違反者に警察は「だから言ったでしょう」と嘲り笑いをします。そして、ごっそり反則金or罰金を持っていきます。仕方ない……。それが「運転免許」を取り巻く現状です。そこで、犯しやすい交通違反と、事の顛末を列記します。運転する人は、気持ちの準備と同時に遵法精神を養ってください。*いずれも「普通車」の場合。●スピード違反(速度超過)15km未満…減点1/反則金9,000円15km以上20km未満…減点1/反則金12,000円20km以上25km未満…減点2/反則金15,000円25km以上30km未満…減点3/反則金18,000円*ここまでは「反則金」。反則金の納付により、裁判が免除されます。*これ以上は「罰金」。刑事処分を受けるとともに場合によっては裁判を受けますが、比較的軽い罪と認定されても交通裁判所で罰金を払うことで略式裁判を受けたことになり、前科者として記録が残ります。30km以上35km未満…減点6/罰金50,000円前後円(査定で変動有)35km以上40km未満…減点6/罰金60,000円前後(〃)40km以上50km未満…減点6/罰金80,000円前後(〃)50km以上…減点12/罰金90,000円前後(〃)※高速道路は別の基準があります。●飲酒運転酒気帯び運転(呼気1リットル中のアルコール濃度検出量0.15mg以上0.25mg未満)…減点6/罰金300,000円以下(査定)酒気帯び運転( 〃 0.25mg以上)…減点13/罰金300,000円以下酒酔い運転…減点25/罰金500,000円以下(懲役の可能性あり)●携帯電話保持(交通の危険なし)…減点1/反則金6,000円使用(交通の危険あり)…減点2/反則金9,000円●駐車駐停車違反(駐車禁止場所)…減点1/反則金10,000円駐停車違反(駐停車禁止場所)…減点2/反則金12,000円放置駐車違反(駐車禁止場所)…減点2/反則金15,000円放置駐車違反(駐停車禁止場所)…減点3/反則金18,000円*「放置駐車」とは、夜間の長時間駐車など。●信号無視赤色…減点2/反則金9,000円点滅…減点2/反則金7,000円●歩行妨害横断歩行者等妨害等…減点2/反則金9,000円反則金は、信号の設置や道路の整備などに使われているとか。よく違反する人は、“道路整備に貢献している人”と言えるのかしら。いずれにしても、違反せぬよう注意せねば。反則金や罰金を払うために借金するなんてことにならないように。
2006.10.31
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思うことがある。男というのは、ある一定の年齢を超えると(統計的には55歳前後)、ギャグのリアクションが皆一様になる。相手が下位なら威圧的で、相手が上位なら自虐的である。その変化点が実に面白い。初老ともなると、社会的な地位を得て(中途半端に)、恐いものも少なくなる(しかし“かあちゃん”・妻はとても恐いらしい)。では、「上位」とはどんな相手なのか。「女」である。妙齢の女性に滅法弱い。女性の気を引こうと、自虐ネタを連発し、どつぼにはまっていく。女性の方は、苦笑するものの、別に気にかけてはいない。もっともである。何の対象にもならない相手にかかずらわるのは面倒だし、何らいいことはない。するとすかさずおやじはおべんちゃらをし出す。居酒屋ならお酒をおごる。会社ならランチをおごる。出張したらお土産を買ってくる。“名店のお菓子”を手に入れてくる。そうした男性たちが集まると、どんな話をしているのか…居酒屋での見聞ではあるが、社会経験豊富な人種でありながら、実に浅薄な話に興じるのが特徴である。「○○ゴルフ場のそばは旨い!」「新庄はスターや!」「最近、芋(焼酎)が飲めるようになったわ」「そば入りの野菜炒めして」(焼そばと言え!)皆、人の話を聞かない。思い思いのことを口々に言う。ところが、端で見ていると奇跡とも思えるようなタイミングで話に接点ができる。するとみんながそろって大盛り上がり。と、それも束の間で、再び口々に別々のことをしゃべり出す。酒に酔うと、ろれつの回らない口で寒いギャグを言い、フラつく足で意味なくうろうろし、トイレに入れば床も便器もベチャベチャ。最後は「お、おかあちゃんに怒られる。帰ろ」と、ぞろぞろと店を後にする。何だかなーである。酒に弱く、女性に弱く、おかあちゃんに弱いおやじ、自虐ネタを炸裂させるも、実は打たれ弱いので、くれぐれもキツいことは言わないように。じっくり恨まれて、じんわり仕返しをされます。それがおやじの真骨頂。しかし! 優しくすると、思わぬ誤解を招いてしつこく慕われます。言葉、プレゼントの次は、視線攻撃、果てはタッチ攻撃へと移行します。妙齢の女性は注意されたし。※ブログアップの仕方を誤ってしまいました。昨夜から今朝にかけてアクセスしてくださった方、申し訳ございません。
2006.10.30
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過去3回にわたって、同じテーマを論じてきましたが、ちょっと疲れましたので、これから年末に向けて必要になってくる冠婚葬祭の知識をピックアップ。用語ごとに解説してみます。●「忌中」逝去から49日目までの間。「忌明け」=「満中陰」。7日(中陰)ごとの供養を7回繰り返すのが忌中のならわしで、「なななぬか」7日法要×7回=49日法要=満中陰となり、この法要をもって故人が成仏したことを意味し、満中陰法要を行うと忌明けとなって、通常の生活に戻ることを意味します。●「喪中」実は、日本人でこの考え方を踏襲しなければならない人種は極めて少ないはず。なぜなら、「喪中」は「儒教」の考えだから。日本においては、「宗教」といったときに「儒教」は出てこないのではないでしょうか。我々の年代では、「儒教」は「倫理」で学習するもので、「宗教」ではなく「思想」に近いものでした。ところが、実生活では「忌中」に近い存在としてとらえられていて、“その間、してはならないこと”して認識されているものに「歳暮」「年賀状」の差し控え、というのがあります。敬虔な仏教徒なら、無視すべきものであるはずですが、なぜか年末になると、皆一様に「喪中の案内」を送ります。●「歳暮」関西と関東では習慣が違うようですが、どちらの場合でも、12月初旬から大晦日、実際には20日前後に届くように贈るのが通常のようです。●「年賀状」昔は、除夜の鐘を聞きながら筆を取って書くのが通常でした。ゆえに、「あけましておめでとうございます」となります。郵政省(いまでは郵政公社)の意向により、“年賀状を元旦に配達する”ということで官製年賀はがきの販売数を確保するとともに、年に一度の怠惰な生活を許される貴重な日に読みたい、という(仕組まれた)庶民の要望により、年末の25日くらいに投函し終えるというのが一般的になりました。伊勢湾の初日の出●「お年賀」年明け早々、お世話になっている方のお宅を訪問し、贈り物を手渡す風習。歳暮が間に合わなかった場合もお年賀を渡すことで不義理がクリアされます。最近、都会では余り見なくなった風習です。●「注連縄(しめなわ)」「門松」「注連縄」は、清浄な場所、神域と現実世界を区別するためにかけられるもの。「門松」は、年神を迎え入れるための“目印”という意味合いがあります。どちらも「松の内」ではずします。関西では、小正月(1月15日)にはずすことが多いようです。●「寒中見舞い」1月5日ごろから立春(2月4日ごろ)に出す書状。年賀状の返信は松の内(1月7日)までに出すのが常識。間に合わなかったら、「寒中見舞い」として出します。●「七草粥」1年の無病息災を祈って、1月7日に食べる粥。「せり」「なずな」「ごぎょう」「はこべら」「ほとけのざ」「すずな」「すずしろ」の七草を入れます。
2006.10.29
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“子どもの前頭前野が発達を阻止されている”というテーマで前2回を書きましたが、その結論の前に、触れずにはおけないことを書きとめておきたいと思います。前頭前野の発達を阻害された日本人、そうした人種の出現は、突然変異種が誕生したとか、何か大きな事件があって、そのときを境に、生まれる子どもすべての前頭葉が退化してしまった、時代の趨勢で何となく皆がそうなってしまったなどということではありません。れっきとした原因と事実経過があるのです。マスコミを中心に極端に左傾した時代がありました。左傾思想とそれを指示する各種団体(日教組、弁護士団体、マスコミ内グループ等々)は、昭和30年に成立した55年体制以降じわじわとその勢力を拡大、左傾教育全盛期に教育を受けた1960年代生まれの左傾人種が教育者となった頃から飛躍的に勢力が増強します。そしてピークは、この人種が管理職になり始めたここ十数年。「人権」「権利」「個性」「平等」などその奥に、裏側に知るべき、認識すべきことが無尽蔵にあるテーマを、ただ単に表面だけの薄っぺらな主張を掲げて子どもたちを惑わせ、言いたい放題、やりたい放題で、教育現場を混乱させ続けました。つまり、この20年の間違った教育の延長線上に、前頭葉問題があるのです。ほかにも原因があります。悪しき教育を受け、それが間違いであると気づかずに生きてきてしまった親たちが子どもを育てるわけですから、家庭でさえ左傾化した環境にあるのです。親が子どもを育てるという「義務」を忘れて、人間としての自らの「権利」だけ主張し、「しつけ」さえも学校に押しつけて平気な顔をし、さらには、「しつけ」が「学校の義務」と言ってはばからないバカな親の行いすべてが、前頭葉問題の根底にあります。そんな最低最悪な状況を一変させたのは小泉内閣の誕生でしょう。久々に、国民が同じ方向を向いた瞬間でした。期待できない政府に対して不満を抱く国民の意識には左傾思想はしみ入るように浸透します。が、小泉首相に期待を抱いてしまった人々には、政府を批判する左傾思想は逆効果。ますます人々は小泉首相への思いを強めていきました。現実感のある小泉首相の言葉に、人々はハッとしました。実際の経済社会が猛烈にして熾烈な競争社会であるにもかかわらず、現実には存在し得ない“平等”という環境を無理矢理つくり上げられた世界(教育現場)に疑問を抱くのは当然のことです。しかしもう遅い。12歳でほぼ完成するという前頭葉が未成熟に終わった人種は、厳然とそこかしこにいます。しかも、この人種の年齢層が実に幅広いことが最近わかってきました。この人種が起こすさまざまな事件によって。……また長くなりました。次回は最終回にできると思います。しばしお待ちを。
2006.10.28
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子どもの前頭前野が発達できない危機にさらされているという話の続きです。危機の原因の六つ目は、社会全体の「コンプライアンス(遵法精神)」の欠如です。“先進国”であり、“法治国家”である日本に生まれながら、「社会常識」「ルール」「モラル」を家庭できちんと教えられることなく育つ子どもが多過ぎます。その上、メディアが垂れ流す情報は、法を犯す大人の無様を超えた卑劣極まりない姿です。“交通違反を警察官に見とがめられ、追跡を逃れる途中に人身事故。飲酒運転だった”“学校教師が担任のクラスの児童に猥褻行為”“市長が家族の企業に市の事業を優位に発注”“市役所職員が、ヤミ手当、ヤミ年金、カラ出張で不当な利益を得た”“大学病院で患者をモルモット扱い。経験のない医師による内視鏡手術で、患者死亡”「大人」「教師」「権力者」「公務員」「医師」といった、世の中の規範となるべき人種の犯した罪は子どものコンプライアンスの芽生えを一生にわたって阻害します。七つ目の原因は、六つ目にも影響を与えているのですが、行き過ぎた「人権主義」です。“髪を茶色く染めた生徒に教師が「校則に反する。黒くしてこい」と言ったところ、親が怒鳴り込んできて「髪を染めるのは人権だ。撤回しろ」と迫った”などという事件はその典型です。そもそも「校則」の意味を説明できない教師が多過ぎます。一つは“ルールを守る意味の認識と遵法の訓練”です。社会に出ると、罰則を伴った「法律」というルール、会社の中では「社則」というルール、さまざまな施設や契約には「利用規約」というルールというように、ありとあらゆる「ルール」にがんじがらめにされた生活を送らねばなりません。そうしなければ、意図しない「投獄」や「解雇」「告訴」などにさらされてしまいます。それが「法治国家」なのです。二つに“権利と義務の認識の機会提供”です。日本国民には教育を受ける機会が等しく「権利」として与えられています。また、中学卒業までは教育を受けるのは義務とされています。一方、人間は、あまねく「人権」を保証されています。しかしそれを得るには、「義務」を伴います。日本国憲法には、「労働(勤労)」「納税」「教育(これは国の義務)」と規定されていますが、これらのどれをも果たし得ない子どもに対して、大人と同じ感覚の人権を保障する必要があるでしょうか。優先するのは「個人の人権」ではなく、「教育を受ける権利と義務」でしょう。学生として全うしなければならない「教育」に対する姿勢や時間を阻害するようなファッションや化粧を規制するのは、社会生活を営む上で必要不可欠の、“自分の果たすべき役割を認識させる機会を提供している”ということなのです。三つに“不要な競争要素の排除”があります。学校は、学力、運動能力、創造力、生命力といった「人間力」を競い合う場です。その中で、子どもが社会における自分の優位性を発見し、伸ばしていくことが学校の大きな役割です。子どもにとっては、これだけでも大変な競争意識を抱くはず。そこへ、「ファッション」や「化粧」などといった、知識やセンスを身につけるのに時間もお金もかかる要素を、また、子どもが興味や関心を集中させやすい要素を排除することは、学校としてやらなくてはならないことでしょう。戻ります。前頭前野発達の危機の八つ目は、国全体の「愛国心の欠如」です。この問題については、別の機会に詳しく述べたいと思いますが、ここでは、この現象が子どもの心にもたらす弊害のみを述べます。「国」は国民にとって「絶対」であるべきです。国民皆が国をつくり、運営しているという精神を共有すべきであり、それが欠如すると社会不信や社会不安を招きます。その不信感や不安感は、増幅されて子どもの心に投影されます。「絶対」であるべき「国」を信じることができず、親は無関心で、教師は無責任、社会を守るべき政治家や官僚、警察官、医者が不祥事を繰り返す世の中に、子どもが自分の“輝かしい未来”を見出すことは不可能です。その絶望感は、大人のそれとは比べ物になりません。また長くなりました。次回は、前頭前野の未成熟によって、何が起こっているかを書いてみたいと思います。(長くて済みません)
2006.10.28
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前頭葉というのは、脳の中でも最も前・おでこの部分にある大きなエリアです。ここは感情や思考を司り、「秩序」「規律」を守ったり、他人に対して「思いやり」「謙遜」「譲歩」「尊重」など自分以外の存在を認める人間性、社会性を機能させたりする人間ならではの頭脳であると言えます。もちろん、動物にも前頭葉と言われる部分はありますが、誕生してから死ぬまでの間に、人間ほど発達する種はありません。前頭葉の中でも「前頭前野」は司令塔と言われているとか。コミュニケーションや感情のコントロール、積極的な気持ちを抱いたり、善悪を見分ける能力、創造性やひらめき、芸術性を創出するなどの働きをするそうです。この部分に問題を抱える人が、増殖中です。12歳までにほぼ完成されるという前頭前野を働かせず、鍛えず、成長させずに年齢だけを重ねる子どもがものすごい勢いで増えているのです。その理由はたくさんあります。一つは、余りに早い時期に親や学校(教師)によって行われる「個性の尊重」や「自主性の尊重」です。子どもの「個性」や「自主性」が芽生えるにはとても時間がかかります。個性は、他人との比較や評価、挫折や賞賛から生まれ、自主性は、ときに規制され、叱咤され、ときに自らが後悔・反省するなどという幾多の経験と学習の中で培われるものです。個性も自主性もない、年端もいかない純粋な子どもが、お手本になる個性や自主性を示されることなく「尊重」だけを掲げられ、過度な期待をかけられると、表面だけを取り繕うことを繰り返し、そうしている間に人間としての意志や感情が崩壊します。二つ目の理由は、「競争の機会の欠如」です。近年、意味のない“平等主義”がはびこり、自分がどんな分野でだれに勝ち、だれに負けるという動物なら、その生命活動において当然認知する必要のある事実を知らされない環境が、自分を全能な者と誤解させるとともに、いいようのない不安感を抱かせる原因になっているのです。そのあらわれが“いじめ”です。力、運動能力、学力、生命力といった、当然駆使するべき武器を使わず、ただ“無視する”という陰湿な手段を使って他人に勝つことで、自分の不安を歪んだ形で解消しようとする子どもが増えているのです。三つ目は、「親の無関心」です。親の干渉は子どもにとって不快なものです。しかし、常に親が進むべき方向を示してくれることに、子どもは無意識の安心を感じ、指針を得ます。“友達感覚”などと言って、親が子どもにすり寄り、親が親らしい干渉や叱咤ができなくなったとき、子どもの前頭前野の成長はとまります。四つ目は、「メディアの発達」です。自分で考えることを拒むかのごとく、子どもの身の回りにはさまざまな情報が氾濫しています。いい情報、悪い情報を選別する能力のない子どもの身辺に、塵芥に等しい無益な情報があふれています。大人でさえ目を覆い、耳を塞ぎたくなるような情報が砂漠に水を落とすかのごとく、子どもの脳にしみいり、蝕みます。五つ目の理由は、「大人の堕落」です。清廉潔白で正義感の強い純粋な子どもにとって“あんな大人になりたい”というような嘘偽りのない大人がいなくなってしまいました。その代表は、政治家です。既得権益にしがみつき、金のあるところに群がり、不格好なまでの保身と、利益獲得のための発言を平然とやってのけ、偽善的な言動を元で不祥事を繰り返す政治家です。そして、教育者です。子どもを全身で受けとめ、間違いをただすことができない教育者です。純粋な子どもは、不純な大人の心を見抜きます。でも、純粋な大人の心もきちんと見ています。大人が堕落したこの時代に、まともな子どもが育つというのは、大人だけが抱き、要望する妄想でしょう。六つ目は……長くなってしまいましたので、次回に。エピソードも交え、具体的にご紹介できればと思います。
2006.10.27
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先日、よく行く居酒屋でワインを振る舞ってもらった。1994年/シャブリ。1993年モノを1994年によく飲んだ。よい出来だった。爽やかで、フルーティーで、クセがなく、どんな食べ物にもよく合う味わいだった。ところが、翌年に1994年モノを飲んだら、酸っぱいような、舌にあたる独特の感覚と、「フルーティー」とは言い難い、のどにひっかかるいやなエグ味があった。ところが!製造から12年たった今年、ワイングラスに注がれた飴色に近い色合いのシャブリを口に含むと……甘い! 酸っぱさも、エグ味も全くない。おおよそアルコールとは思えないほどの甘さとまったりとした味わいが口の中に広がる。これが“熟成”というものか。熟成された白ワインを飲んだことがない私は、「酒は生き物だ」ということを改めて認識した。ちなみに、私が最も好きなワインは南アフリカの赤ワイン「K.W.V. ルーデバーグ」だ。フランス人に統治されていた南アフリカでは、気候も、産出されるブドウも、フランスとは全く違う条件と質でありながら、製法をフランス流で通したため、とても面白いワインに仕上がっていた。このワインに出会ったのは20年前。それから数年は輸入食品店で購入できたが、いつしかその姿を消してしまった。久しく市場に流通していなかったこのワインと再会したのは、プリンスホテルでだった。「ルーデバーグをリストに見つけたのは久し振りです」と言うと、ボーイさん(ソムリエ?)が「味が変わりました。以前と違うワイナリーで、輸入元も変わりましたから」と教えてくれた。飲んでみると、確かに以前のような、独特のまったり感とほどよい重さ、渋くないのにブドウの酸味が感じられる独特の味わいがなくなって、ある意味“フツー”のワインになっていた。南アフリカという、ワイン製造における特殊な条件を加味すれば、“フツー”こそが稀であるとも言えるのだが。余談。白ワインは、辛口、甘口と表現するが、赤ワインは、軽い(ライトボディ)、重い(フルボディ)/渋味の程度、で表現する。ルーデバーグを飲ませてくれる店、ないだろうか。
2006.10.26
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このブログに何度か書いていますが、私には同居人がいます。同居生活はもう8年。「何で結婚しないの?」二人の関係を知っている人(わずかですが)からよくそう言われます。「じゃ、何のために結婚するの?」そう聞くと、皆、変な顔をします。“長年付き合ったら、同居するのだったら、結婚するのが当然だし、自然”という見解のようです。たまに、「子どもが欲しいでしょう?」とか「子どもができたら結婚する?」などと聞かれることもあります。確かに、子どもが欲しいなら、両親が入籍している方が社会生活がスムーズにいくのは確か。でも、“だから結婚する”というのもどこか感覚がズレていると思うのです。動機と結果が逆転しているような……。だって、“子どもはつくらない”と決めている夫婦もいるじゃありませんか。「愛する人とずっと一緒にいると思えるのは、安心でしょう」「愛を“婚姻届”という形にするのが結婚」「愛されているなら、永遠の愛を誓ってもらいたいでしょう」そんなことを言われても、実感がない。だって、みんな幻想ともいえるほどの錯覚でしょう。“安心”も“永遠”も単なる思い込みだし、婚姻届という紙が何か重要な意味を持つとも思えないのです。社会的な立場を得るに過ぎないというのは言い過ぎでしょうが、結局はそういうこと。人はどんなときに結婚を決意するのでしょうか。動機とも、目的とも、男女の行為の帰結とも言えるのは「家族になりたい」ということでしょうか。子どもや親や、親類を巻き込んだ形で家族になりたいなら、結婚するほかありません。細木数子が言う“子々孫々累々と続く”家系の枝の1本になるということ。これは、相当な覚悟が必要。子孫を残す覚悟、墓を守る覚悟を持たないといけません。私のように、子どもがつくれない理由を持つ女は、決して枝にはなれません。というわけで、今後も結婚はないでしょう。ま、ほかの動機と目的が見つかれば別の話ですが。人間には、永遠に変化しない気持ちや、絶対的な“何か”など、存在しないのですから。
2006.10.26
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人間ならずとも、動物には「警戒距離」というのがある。例えば、路上でカラスがゴミをついばんでいたとする。ある距離までカラスに近づくと、バタバタと飛び立ってしまう。この距離は、種による違いはあっても、同一種の中では個体ごとの誤差がさほどない。なぜなら、「本能」による行動パターンだからだ。もちろん人間にも「警戒距離」がある。前方が長く、横が前方の半分程度、後方がそれの半分程度、という比率はある一定の法則があるようだが、具体的な数字になると人によって違ってくる。その理由は、後天的な学習によるものだと思われる。本能でありながら、個体によって誤差が発生するのは、学習によって脳を大きく発達させることができる人間ならではの現象だと言えるようだ。兄弟や親から“攻撃”を受けた経験のある人間の攻撃距離は長く、一人っ子や、穏やかな環境で育った人間の攻撃距離は短いということである。事あるごとに攻撃を受けた経験のある人間にとって、「警戒距離」を長くして、危害が及ばない間に回避することは、安寧な生命活動の根幹となる。対して、生活にそんな危険性の存在しない人間にとっては、面白いゲームやおいしい食事、見たいテレビ番組等が生命活動の中心となる。自ずと、人に接することのない人間においては、実生活で対峙するのが人間ではないだけに、人間に対する警戒距離は縮まることになる。それにしても、最近「警戒距離」が極端に短くなっているように思えて仕方ない。電車の中。ドア際に立ちながら、外を見るでもなく、本を読むでもなく、内側を向いて立っている者がいる。通勤ラッシュ時などは、自分の寸前まで人が迫っているにもかかわらず、平気な様子。駅構内で、改札を出ようとするとき。異様に歩調ののろい人間がいる。背後ギリギリまで迫り、わざと大きな靴音をさせながらせっついて歩いているが、全く気づかない。正面から歩いてくる人間がいる。私は10メートル以上手前から、その人物を避ける方向を右か左かを探る。しかし前方の人間は真っすぐ突き進んでくる。わずか数10センチの距離に迫っても、軌道修正する様子がない。危険回避のため、致し方なくこちらがよける。エレベーターの中。途中の階から乗ってきた人間が私の前に立つ。前を向いたままバックしてくる。そのままでは当たる。しかし、振り返って気遣う様子もない。肩が当たるよう方向を変えて対処。相手の背中が肩に当たっても平気で バックしてくる。どれも異常である。こんなに歩きにくくなった、社会に存在しにくくなったというのは、最近のことだ。単に「警戒距離」が短くなった、ということなのか。そうではないと思う。日本人が「無神経」になったのだ。兄弟や親、教師、友達からの攻撃を受ける機会が少なくなり(皆無かも)、防御態勢を取る必要性が極めて薄くなったからだと思う。“それで何の問題があるのか!”と質問されそうだが、「警戒距離」は生命活動においては極めて重要だということを理解すべきである。攻撃されまいとする防御の姿勢は、動物にとって必要不可欠の攻撃態勢である。出会い系サイトで出会った30男と小学生が4日間も行動を共にするとか、出会い系サイトを介して会った女子高生に50代のビジネスマンが身ぐるみはがされるとか、出会い系サイトで知った男の家に行ったら、返らぬ人にされてしまったとか……。例が出会い系ばかりになってしまったが、世の中には似たような話がゴロゴロ転がっている。「警戒距離」を短くしてしまったのは、一言で言うと「平和」なのかもしれない。緊張感を欠いた社会が人間の本能を退化させ、安心感が、脳を、神経をユルユルにしてしまったと言えるのではないだろうか。生きていくために必要不可欠な緊張感がないと、バカな大人を生み、その弊害に苦しめられる子どもたちを生み、まともな大人を知らずに育つ子どもを生み、思考性において片輪(放送禁止用語)な人間を生む。だれがこれを改善できようか。教育者たらん者、いま一度考えよ。教育者の堕落が教育現場の堕落を、奇妙極まりない宗教の台頭を是としてしまっているのではないだろうか。教育の無限の可能性を体現してくれる教育者はいないのだろうか。教育者だった我が経験を生かす機会はなかろうか。
2006.10.25
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「血液型」と「性格」の関連性はよく説かれています。“A型は神経質で責任感が強く……”というような詳細な分析や、裏付けのない解説はできませんが、あるルートから仕入れた統計的なデータは披瀝できます。統計であるとはいえ、恣意的なデータを添付することもお許しいただき、興味の持てるあれこれを…。血液型別の“目立った現象”を列記しましょう。「借金をして、にっちもさっちもいかなくなったときどうするか」という状況で取る行動について。A型:一人で静かなところに行き、首つり自殺する。*家族に保険金を残すことが目的。自分だけがすべてを背負って死にたいと思う。O型:まずは自殺を考えるが、家族を置いて死ぬのは苦痛を残すことになると、家族全員で自殺。車に排ガスを引いて集団自殺。B型:逃げる。異郷の地で平然と暮らす。そのうち、逃げていることも忘れるくらい、地域にとけ込む。AB型:不明。日本人の血液型比率は、A:O:B:AB=4:3:2:1です。その比率を無視するような、血液型特有の統計があります。特筆するような統計を、血液型別に。公務員:A型経営者:O型政治家:A型浮浪者:B型AB型は1/10であるにもかかわらず、突出して比率の高い分野があります。それは……殺人犯の比率。他意はありません。飽くまでも統計の話で。動物と民族で面白いものをピック・アップするとB型:「カメ」「ゾウ」「インド人」A型:朝鮮半島の人々O型:「アングロサクロン」「中国人」「サル」血液型によって性格が決まるとは思いませんが、血液型ごとに性格が違うことは否めないと思います。独自の調査も含め、今後このことを追究していきたいと思います。ご存じのことがありましたら、ぜひご協力を。
2006.10.24
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同居人とつき合い出したのが10年前。以来、恋愛とはつゆ縁のない生活を続けてきました。韓流スターにも、キムタクにも、ヒーロー系俳優にも全く興味が持てず、若い男性タレントに熱を上げている我が親友の心理が全くもってわからず、漠然と“あー、このまま一生恋愛はしないのかな”と思っていました。10年前まではそれなりに、“つきあってほしい”とか“結婚してほしい”といった話があったのですが、同居人とつき合い出してからは、うそのようにピタリとなくなりました。それも、これも“年齢のせい”と思って、さほど疑問にも思わずに生きてきたのですが、出会ってしまったのです。運命の人に。鏡リュウジのタロット占いを何度やっても「運命の人」という結果が出るし、(鏡リュウジさんは、私が原稿を担当しているFMの番組にちょくちょくゲストで来てくれるので、占い好きではない私ですが、彼は信頼してます)「いずれ運命を共にする」とうれしい未来予測を出してくれました。そう、それはくだんの(前出)経済学者・佐山展生先生。目を星にし、先生の出演される番組を片っ端からチェックし、同居人にDVDに録画してもらい、事務所で再生してはニヤニヤする毎日が続きました。しばらくすると、肌がツヤツヤになり、表情に色気が出現し、しぐさが女らしくなりました。ホルモンの分泌が盛んになったのでしょう。すると不思議なことに、“つきあってほしい”“好きです”とあちこちから言われるようになりました。実に不思議です。恋愛から遠ざかっていた理由が“年齢のせい”だと思っていた私は、この現象が大いに不思議でした。そして、巷では「老人」と呼ばれるような年齢の人から好きだと言われるに至り、私は2つのことを悟りました。●恋をしているときは、異性をおびき寄せる●人間、枯れることはない。死ぬまで色気はなくならない。いい恋をしたいと思ったら、常にだれかに興味を持ち、ホルモンをいっぱい分泌してフェロモンを放ち、目を星にして異性を見つめるようにすればいいのです。多くの女優さんが“常に恋愛をしていたい”と言いますが、それは、この原理があるからに違いありません。デメリットがないわけではありません。おびき寄せてしまった男性たちを適当にいなすのは結構骨が折れます。それから、思いもよらぬところで好きになられて、変なうわさを立てられたり、思いもよらぬ人から告白されて断るのに窮することもままあります(告白してきた人が得意先だったりしたら、ちょっと厄介)。それはそうと、佐山先生と私の未来は……?
2006.10.24
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最近、自殺する子どものニュースが物議を醸している。「自殺」……余りにも苦しくて切ないことだ。それは、幾多の死をその目で見、やり場のない悲しみを覚えた人間だから感じる、身を切るような感覚だ。きっと、死んでしまった子どもたちは、それほどの痛みや悲しみを感じたことがなかったのだろう。よしんば、世のすべての事象を否定してしまうほどの悲しみを味わった人間なら、同じような感覚を他人に味わわせることに間違いなく躊躇するはずだ。ましてや、自分の愛する両親や、兄弟や、大好きな友達に悲しみを味わわせることなど、決してできないはずなのだ。しかも、自殺した子どもたちを取り巻く状況を見ると、「死」しか選択肢がなかったとは、どうしても私には思えない。生きていくこと、生き続けることのつらさ、苦しさ、難しさを知ってもいないのに、「死」の方が楽だと思うことなどはあり得ないことだ。子どもにとって「生」より「死」の方が恐怖であることは明白で、「死の先にあるもの」は、「生の先にあるもの」を想像するより困難なのだ。それでも子どもたちが死を選ぶのは、「死」を、体感を与えずに身近な存在にしてしまった、マスコミやゲームのせいだろう。リセットしたらまた生き返るとか、会いたい人には死んでからもまた会えるとか、あり得ないストーリーを“あり得ない”と前置きせずに流布してしまう、浅薄な情報社会のせいだと思う。貧しかった時代は、生きることが困難だった。ある意味、「死」は身近だった。しかし、人は生き抜いた。「生きる」ということにひたむきだった。「生を受ける」ということは、「寿命を全うすること」だと教えられずともわかっていた。祖父母や、年老いたペットが身をもって教えてくれた。「生」の素晴らしさ、輝かしさ、人が生きた証を残すことの意味を体感させてくれた。そんなことがわかっていながらも、どうにもつらくて、死にたいときがあった。地図を広げて、近くにある一番高い山を探した。「冬になったら、この山に行こう」と思った。雪の中で静かに凍死するためだ。睡眠薬を多量に飲めば死ねるということは、テレビドラマで知っていたが、入手方法がない。ガス自殺は周囲に迷惑をかける。首つりは苦しいし、リストカットは痛い。苦痛がなく、確実に死ねるのは凍死しかないと思った。近くにある高い山、それは、大台ケ原である。しかし、交通手段がない。小学4年生の子どもが行ける場所ではなかった。生きることが困難なら、死ぬことも困難だった。大抵はそれで思いとどまるものだ。子どもの「死の決意」など、その程度のもののはずである。しかし、子どもが死ぬ。それはなぜか。子どものころから大切にされ過ぎたからだ。痛みも、苦しみも、悔しさも知らずに生きてきたから、「生」の意味が理解できない。親に捨てられた子どもは、心ない大人に傷つけられた子どもは、本物の愛を知った子どもは、決して「死」を見ない。「生」に執着し、「生」を義務とし、「生」を喜びとする。生きる意味を教えよう。80余年の間に、人類の、地球の、宇宙のために自分ができることは無限大であることを、その壮大な夢物語を、子どもに伝えよう。それは、決して人間以外には成し遂げられないことであるということを。それが、生きていくために幾多の命を食していく人間の、生物としての務めだということを。そして何よりも、大人が、子どもにとって必要不可欠の存在になろう。道徳心も、謙遜も、向上心も、常識も、規範意識もすべて失ってしまったかのような、ゴミのような大人になることを、最も忌み嫌う人間になろう。せめて、教育者は。せめて、政治家は。もちろん、子どもを持つ親は。夢をなくした大人が、将来ある子どもの夢を潰すことは、最も忌むべきことである。能力ない大人は親になるべからず。子どもの将来は、バカな親の犠牲になってはならず!
2006.10.23
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人間、平穏な日常ばかり送っていられるものではない。自分は努めて平穏な日常にするようつましい生活をしているつもりだが、2年に1度の割合で、同居人が事件を勃発させてくれる。そのたびに、公文書に印鑑とサインをするはめになる。下4ケタが「1234」の電話番号がディスプレイに表示されると、背筋と脳裏に冷たいものが流れる。そんな生活を続けていると、私の方が心の病にやられそうなものだが、心の病を抱えているのは同居人の方だ。20年もの間、精神安定剤を飲み続けている。最初は便秘から始まったそうだ。下痢体質だったのに、何日も出ない状態が続いた。胃腸の検査をしたが、消化器には何の問題もなかった。医者は、「異常はないので、神経科に行ってください」と安易な判断。神経科に行くと、「ストレスのせいでしょう。毎日決まった時間にトイレに行くようにしてください」と言いながら処方してくれたのが精神安定剤。薬によって便秘は解消したが、問題なのは薬を飲まなかったらイライラし、再び便秘になるということだ。その経験が脅迫観念になり、以後、薬を手放すことができなくなった。「毎食後」という処方を「朝と夜」だけに変えてみたりしているようだが、やはりやめるには至らない。この薬に頼っている同居人の弱点は、“異常事態に直面したとき、判断の方向性を間違う”ということだ。正確には、“薬のせい”ではない。そういう人間だから、薬に頼ってしまうということだろう。“判断の方向性”とは、「借金を返すためにギャンブルで一発当てるのを狙う」とか「自分の自転車を盗まれたので、人の自転車を盗む」といった、常識から逸脱した感覚を持っている。それを正当だと思ってはいないようだが、異常性を認める意識レベルはかなり低いように思える。そんな状況であるにもかかわらず、同居人は先日、「プリズン」に入るはめになった。慌てて常用薬を差し入れようとしたが、「薬は差し入れられない」と担当警察官に言われた。「常用薬で、切れると不安定になるんです」「どんな薬?」“精神安定剤”に先入観を持っている人もいるので、「薬がないと、便秘になったりするようです」「胃腸薬?」「ま、そういう効能もあるみたいです」と、中途半端な会話になった。結局、「申し出があれば、病院に連れていって、新たに処方してもらう」と言われ、なすすべがなくなった。果たしてやはり、おかしなことになったらしい。勾留されて1週間ほどで、イライラがピークになり、暴れたそうだ。「お前、ヤク、やっとんのか?」と警察官に聞かれたとか。“ヤク”には違いないが、“覚せい剤”などの“麻薬”なら、もっと早くに症状が出ていただろうに、と警察の素っ頓狂振りにも驚かされた。無事娑婆に戻ってきた同居人は、早速“ヤク”を飲んでほっとした表情になっていた。教訓。ストレスで何らかの症状が出ても決して安易に精神安定剤に頼らないこと。精神安定剤は、“ヤク”よりも怖い“薬(やく)”である。何しろ、20年間やめられず、これからもきっとやめられない「麻薬」であるのだから。
2006.10.22
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仕事柄、芸能人に会う機会が多い。会って驚くこともあれば、感激することも、落胆することも“なーんだ、そんなもんか”と納得することもある。これまでに出会った芸能人の印象を書いてみる。●Gackt:オーラが尋常じゃない。肌の色がない! ものすごくいい匂いがする。背が高い(180cm弱か)。ウエストが激しく細い。胸板が厚い。しゃべり方はテレビと一緒。表情や目線もきちんと意識している。スタッフ(ラジオ)と気軽に握手とハグを交わす(男性のみ)。カーッ、美しい!! 生身の人間とは思えない!!! つくりもののようだ!!!!●小柳ルミ子:小さい! ものすごく小柄。ウエストなど、両手ですっぽりつかめそう。本番前、鏡をずっと見ていた。そのときはまだ賢也くんが横にいたが、1回も目線を送ることなく本番を迎えた。そう近くない“離婚”を予感させた。それから1年余りで離婚した。●北大路欣也:美しい! 頭の先から足のつま先まで神経が行き届いている。背後にさえ意識が向いていて、オーラを放っている。これぞまさしく芸能人! という感じ。舞台に映えるその顔は、常人の1.5倍はあるかもしれない大きさだが、美しいので気にならない。●太平サブロー:ハンサム! 黙ってお茶していると、ものすごくきれいな顔。テレビでは“陽気なオヤジ”だが、実際は顔の小さなハンサムなイケメン。芸能人にありがちな不必要なまでの自意識もなく、ごく自然で、スマートな振る舞いで、まさしく“男前”。●松居直美:気さくで庶民的。まだ赤ちゃんだった子どもを抱っこしたが、おとなしくて行儀のいい、親思いのお子ちゃまだった。直美ちゃん自身は、芸能人でいることが“大変だろうなぁ”と思うほど、自然体の人。メイクをしてもしなくても同じ。●京唄子:小柄。テレビで見ると、大柄に見えるが、意外なほど小さくて細い。顔は少し大き目だが、肌は白くてキメ細やか。会ったときはまだ鳳啓介さんが生きていて、一緒の出演だったのだが、絶えず啓介さんに注意していた。“ケイちゃん、襟がおかしいで”“カメラ振られたらこうせなあかんで”“あれ、わかってるな”。啓介さんが亡くなったのは、それから1年後。合掌。●ハイヒールモモ子:何と言ったらいいか……。ありのまま。根っからのサバイバー。食べ物への執着は半端じゃない。“もったいない”という観点から言えば、見上げた姿勢だが、楽屋に旦那さんやお子ちゃまを連れ立ち、番組で使用せずに余った食料品は根こそぎ回収する。“モモ子の後に食べ物なし”である。●西川きよし:低姿勢。スタジオに入ると、ずっと挨拶している。“おはようございますぅ”の声がスタジオの外から聞こえ出すと、スタジオのスタッフが準備する。きちんと人の目を見て挨拶するため、いい加減に応えることができない。グアムからの中継のとき、ホテルの廊下を歩いていると、“すんません、ヘレン、見ませんでしたか?”と聞かれてびっくりした。ヘレンさんはかの子さん(ヘレンさんとともに出演なし)とお嫁さんと3人で、グアムライフを謳歌していたことだろう。読み直してみると、関西の芸人さんが多い。不本意なので、次回はもっと都の芸能人を取り上げたい。今回はこれくらいで。(東京で偶然逢った芸能人が、ミヤコ蝶々、ハイヒールモモ子、千原兄弟・弟という全く意味不明な経験を持つ私だが、まだ少しはメジャーな芸能人の話はある…)
2006.10.21
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ご飯はもちろん、麺類にぴったりの和風カレーは、そば屋でのバイト経験がある同居人のリクエストでつくったのが最初。たまたまおいしい牛肉を実家からもらっていて、その使い道を考えつつ、“そろそろ食べないとなぁ”という時期に差し掛かっていたので、高級牛肉を贅沢に使った和風カレーをつくることにした。材料(4人分):牛肉…300g/人参…1/2本/玉ねぎ…1個椎茸…6枚/水煮タケノコ…150g/青ネギ(できれば九条ねぎ)…たっぷり/カレー粉…大さじ2から3/片栗粉…大さじ3しょうゆ・酒・みりん…適宜作り方1.牛肉は一口大に、人参は5cm長さの千切り、玉ねぎは薄くスライス、椎茸と水煮タケノコは細切りにしておく。2.鍋に水(1.2リットル)を入れ、だし鰹で出汁を取る。面倒なら、だしの素でOK。人参、タケノコ、玉ねぎを入れて煮る。3.玉ねぎが透き通ったら、しょうゆ・酒・みりんでそばつゆより少し濃いくらいの味に整える。4.牛肉、椎茸を入れ、アクが出てきたらアクを丁寧にひく。5.牛肉の色が変わったら、カレー粉を入れてお好みの辛さにし、同量の水で溶いた水溶き片栗粉でとろみをつける。6.5をご飯や温めた麺の上にたっぷりかけ、小口切りにしたネギをたっぷり添える。この和風カレーはとてもあっさりしているので、たくさん食べても胃もたれしない。もう少しこってり感が欲しいと思ったとき、カレーフレーク(市販のもの)を少し加えると濃度がぐんと増す。具は、薄揚げやイモ類、椎茸以外のキノコ類などお好みのものをチョイスして。フライパンでお好み焼きのように両面を焼いた焼そばにかければ、あんかけ焼そば風に。ご飯や麺以外でも、焼いた厚揚げにかけたり、鶏の唐揚げや卵焼きにかけたりして楽しめる。ぜひお試しを。
2006.10.20
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「イオンの力をちと借りまして」の続き。イオン導入器で、急激に変化した肌のケアをしたという話を前述のタイトルのブログで書きました。データ的なことをおさらい。CoQ10は、目安の表示どおり服用(薬じゃないので、食す)。イオン導入器は3~5日に1度実施(実施当初。効果があらわれてからは10日~1ヵ月)。酵素飲用は毎朝1度。水2リットルは毎日。半身浴は月に1度程度。こんなペースで努力しとりました。そして、前回のブログの最後に、「実は……」という一文を添えました。実は、の真相とともに、美肌の回復と維持になくてはならない美容液がありました。エステティシャンをしている後輩のアドバイスを元に選びに選んだのがこれです。(フリーページ「おすすめアイテム」に情報掲載)どちらかというと若い人より、35歳を超えた、保湿力が低下した肌にいいかもしれません。朝と夜のスキンケアに使うと、冷房ガンガンの寒いくらいの低湿度の環境でも、喉がカラカラになるほど乾燥した暑く熱せられた冬の室内でも、カサカサになることなく過ごせました。と、ここまではモノに頼った美肌創造術。**********ここからは、極めてキワモノ的な話です。信じる、信じないは読んだ人の自由。実感しました。女性は「ホルモン」が重要だということを。「重要」なんて、中途半端な言葉では表現できない……「要」です(スタレビではなく…古っ)。**********1年弱前、経済学者の佐山先生をテレビで拝見して、何とも言えない感覚を覚えた。“何とも言えない”というのは、それまでの数多い(とはいえないまでも、それなりにある)経験の中で感じたことのない、苦しいような、痛いような不思議な感覚。「好き」とか「憧れ」という一元的な語彙であらわせるような感覚ではなく、「逢いたい」と思いながら「逢ってはいけない」ようなたとえ逢えたとしても、一言も言葉を発してはいけないと規定されているような、閉塞感を伴った感覚だった。でも「会いたい!」!!!!!。会ってどうなることでもないことは百も承知。会うことで事態を悪化させることがある可能性が高いことも承知(好転させる要素も自信も全くなし!)でも、「会いたい!!!!!!!!!!!」で、考えた。「このままで会えるのかっ!」「ムリ!!!!!」鏡を眺めた。表情がダメ。ムッツリ、眉間に皺、いつも気に食わないことがあるようなおっさん顔。ニッコリ柳眉(になりたい!)を上げ、できるだけ目を見開いて、口角を上げる。いつもほほ笑んでいるような表情でお茶を飲む、電話に出る、カップラーメンを食べる。常に鏡を見る。努力のかいあって、しばらくして明るく、女性らしい表情に変化したと同時に、意図しない事態が起こった。身の回りにいるおやじたちから、求愛され始めた。40手前から70代まで、職業や性格、暮らし方に脈略なく、さまざまな人種のおやじからさまざまな形で求愛される。おやじ向けのフェロモンを出していたのだろう。それは全くいただけなかったが、肌の状態は、極めて良好だった。しっとりつやつやプクプクの質感、肌色の明るさは、自分でも気持ちいいと感じるほどだった。これは、ホルモンの作用以外の何者でもない。「ホルモン」といっても、究極の形になったことがないので、“多分「好き」と思う気持ちがいい”としか言いようがないが、人を好きになるのは、女性に劇的な変化をもたらすことは事実だと思う。恋をしよう。しかも、できるだけ高みに置ける相手に。「手が届かない」と思える相手であるほど「向上したい」と思うのが、女の性である。「向上」すなわち「美」である。あー、佐山先生!!!!
2006.10.19
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いまから3年前、とてもハードな仕事に携わることになり、月の半分くらいは半徹夜の状態が続いた。定期発行の印刷物を担当していたため、一向に状況が改善せぬまま半年ほどが過ぎたある日、鏡の中の自分を見て、ふと気づいた。「顔色が悪い……」顔色が悪いのではなく、クスんでいたのだ。毛穴も開いているように見える。慌てた。自慢ではないが、肌はきれいな方だった。トラブルも少なく、ほくろもなく、色も白かった。なのに……。大慌てに慌てた私は、以前後輩が言っていた言葉を思い出し、ネットであることを調べた。「イオン導入器」である。とりあえず、何かを始めなければならいと思った。楽天でイオン導入器を購入、ノンオイルのクレンジングと美容液を手に入れて、早速ケアを始めた。それまで、マッサージもせず、美容液すらつけたことがなかった私の肌は、即座に変化した。リフトアップすると同時に、肌がふっくらした。イオン導入器以外にも、美容液のたっぷりしみこんだマスクをかぶってみたり、美白効果があるという洗顔石鹸でせっせと洗顔したりした。コエンザイムを常用し、半身浴をするときは、美容液をたっぷり塗ってから入り、出る寸前に蜂蜜のパックをした。1日2リットルの水分補給を欠かさず、酵素を飲んで、腸の状態を改善しようとした。思いつきも含め、できるだけのことをやって半年が過ぎたあたりで、何とか以前の肌の状態に戻ったと実感できた。余りいろいろなことをやり過ぎて、何がよかったのか、何が効いたのかよくわからないが、最も大切なのは、「自分のことを考える」ということだと思う。余りにも手をかけなさ過ぎたのは事実だが、それまで、トラブルらしいトラブルはなかった。しかし、30も半ばを過ぎるとそういうわけにはいかなくなってくるということだ。ハードな仕事のせいで急激な変化を体験し、気がついたが、もしかしたら、ゆっくりした自然の変化なら、気づかなかったかもしれない。もっとすごい状態になってから気づいて、手の打ちようがなくなっていたかもしれないと想像して、ぞっとした。あれからおよそ3年、いまのところ安定した状態を保っている。が、いまだにイオン導入器のお世話にはなっている。きっと、今後一生続けなければならないだろう。一度機器やサプリメントの力を借りたら、やめる勇気は持てないだろう。「現状維持」には、どんどんハードな努力が必要になっていくはず。日夜努力するしかない。実は、この話には続きがある。私の肌に目覚ましい変化をもたらしたものがあるのだ。その話はまた改めて。
2006.10.19
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ぽっこりおなかを解消する絶好の方法(体験済み)、それは、「コンシャスライフ」。「コンシャスconscious」は“意識・自覚する”ということ。“何とかしたい”と思う部位を常に意識すると、自然と引き締まってくる。夏場はストッキングがいやで、ついついスラックスを履く毎日だった。スラックスは、ウエストへの負担が少ない。どうしてもウエストがダブつき気味になる。また、足を隠すので、膝上、膝、ふくらはぎ、足首が緩む。久々にスーパー銭湯に行って、大鏡で全身を映して愕然。「ゆ、ゆ、緩んでいる……」折しも、著名人に思いを寄せるようになっていた私は、「こんな緩んだ体をあの人に見せられない…」(妄想。見せる機会などありはしない)と、その日から、緩んだ部分を意識するようになった。スラックスはタイトスカートに履き替えた。膝が見え、ウエストから腹回りにピッタリフィットするものを履くようにした。電車に乗り、つり革を持って立っていると、座席に座っている人の視線が腹部当たりにくる。少しでも凸があると、格好が悪いので、腹筋に力を入れてひっこめる。オフィスでは、着席して力を抜くと腹回りがきつくなるので、自然と背筋が伸び、腹筋に力が入る姿勢になる。意識して腹筋を縮める。夜、居酒屋に行っても同じ。背筋をピンと伸ばし、腹筋に力を入れていると、不思議と聞き上手になる。腹筋に意識が向いているので、つまらぬ話をするという気分にならない。話を聞く立場になると箸がとまる。飲み物もチビリチビリになる。昼食とて同じ。腹筋に力を入れて過ごしていると、「あーおなかがへったー」といった状況にならない。食べても、少量で満腹になる。あ、語弊があるかもしれない。正確には、食べ物に意識が向かないので、満腹になったと思い込めるということかもしれない。総体的な飲食量が減った。それから! これがキメ手かもしれない。「ヘルシアウォーター」である。腹筋を意識すると、外側は引き締まって脂肪が落ちるが、内臓についている脂肪には影響を与えない。ぽっこりおなかのもう一つの原因である「内臓脂肪」を退治しないといけない。1日1本とはいかなかったが、2日で1本を続けた。2週間で目に見えて成果が出た。ピッタリだったタイトスカートにゆとりが出てきた。膝上、膝、ふくらはぎ、足首も引き締まった。こちらは、他人の視線を気にすることから、歩幅や足の運び方が変わり、効果的に筋肉を使うことによって引き締まったようだ。データ的には、体重3kg、ウエスト3cm、ヒップ4cmのマイナス。これと同じ原理で引き締めが可能なのが、あごから首にかけての引き締め、二の腕の引き締めである。こちらのやり方は改めて。「“コンシャス”すると、その部位に“テンション”がかかり、引き締まる」という法則を覚えておきたい。ただし、腹筋の少ない人は、まず腹筋を増やすことから。腹筋の増やし方も改めて。これ以上緩まないように“コンシャス”しながらボディコンシャスな女性を続けたい。
2006.10.18
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“女の子は父親に似たタイプの男性と結婚する”子どものころに母から、祖母から、近所のおばちゃんから言われたその一言が、ずうっと心の奥底に引っかかっていた。小さなころは、“どうしてかな、そんなものなのかな”くらいの感覚だったが、小学生の高学年にもなると、父親がそばにいるだけで、鳥肌が立つようになった私にとって、“父親に似た人と、結婚するはずがない”と、強く思うようになった。とにかくいやだった。どうにかして私に触ろうとする親父が。意味のないことを話しかける親父が。そして、風呂嫌いで、不潔で、水虫持ちで、酒飲みで、タバコ吸いで、怠け者で、仕事嫌いで、思考が浅薄で、的はずれの批評家で、公共道徳に欠けているくせに文句言いで、鼻が悪い。鼻が悪い父は、いつでもどこでも鼻をかむ。痰を切る。“こんな父に似た男など、好きになるはずがない”そんな思いを常に抱きながら男性を見た。女子校だったため、高校を卒業するまで男の毒牙にさらされることなく、純粋培養されたが、大人になり、社会に出るようになると、そうはいかない。あの言葉のとおりにならないという自信の反対側に、ひょんなことから、父親似の男性を好きにならないとも限らないというかすかな不安も、心の裏側にしみつくように存在していた。社会人になってからは、意図せずとも父とは正反対の男性とばかり付き合うことになった。正反対と言っていいほど、清潔で男らしく、仕事のできる男性ばかりが私の近くに来た。30を過ぎて、男性を見る目の裏側に、“結婚”を少なからず意識するようになった。正念場に至って、思いもかけず素敵な男性に会った。実は、最初にその人に遇ったのは、それより5年ほど前だったのだが、私的な会話をすることもなく、それ以後も何度か仕事を共にした。あるとき、運命的とも言える巡り合わせで、その人に接近する機会を得た。ハンサムで、長身で、おしゃれで、カッコよく、声も男前で、話し方も、視線も、会話もほどよい「色気」があるイケメンの彼は、私のように真面目に、地味に生きてきた女には合わない男だと思いながら、どういうわけかどんどん好きになっていった。くだんの“女の子は父親に似たタイプの~”という言葉は、もはや気にするべくもないことのように思えた。結婚することがなくても、このタイプの男性を好きになれる自分は、あの忌まわしい言葉を気にする必要が「0(ゼロ)」になったことを意味するとさえ思えた。「こんなに父親とかけ離れた男性だったら言うことはない……」いろいろあったが、それなりにクリアしつつその男性と暮らし始めて8年……。あることがあって(前出の『プリズン』事件のため)仕事を解雇され、家でゴロゴロする毎日を過ごし、風呂嫌いが炸裂して1週間以上風呂に入らないこともままあるという体と髪からは、すえた匂いを放ちつつしこたま酒を飲み、テレビを見ては意味のわからぬ批評と意味不明な解説を繰り返してはエキサインティングし、食事をするごとに鼻をかむ彼を見詰める私は、“女の子は、父親に似たタイプの男性と~”という言葉実現の瞬間を体感し……人生最大の落胆に包まれた。どうにも受け入れ難い運命の非情を嘆こうにも厳然とした物体が横にいるのだ、父親とそっくりの男が。これは運命の「輪」なのか。「輪廻転生(輪廻天昇)」。昇天。
2006.10.17
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鶏はいい。淡泊で、でも脂っぽくて、クセがなくて。豚もいいが、鶏は、身が柔らかくてジューシーでさらにいい。私が好きな鶏の食べ方は、皮をカリカリに焼いて塩とレモンで食べる、やげんなんこつ(形状が三角ではないもの)を焼く、もしくは揚げて塩とレモンで食べる、せせり(首の肉)を焼いて脂を落とし、塩で食べる、といった食べ方が好きなのだが、最近、もう一つ好きな部位と食べ方ができた。「白肝」である。それは、業者間では“奇形”と言われるらしい。それほど外見からはわからず、意図してつくることができるものではないということだ。「白肝」…肝、つまり肝臓が白いのだ。熱を加えると、体積が減ると同時に味わいもぐっと下がる。焼けばグニャグニャ、ドロドロ、煮ればトロトロと煮崩れてしまう。つまり、歯ごたえも味わいも“なきに等しい”という状況らしい。刺身にしか生きる道がないということ。しかし、ほかに生きる道がないといいながら、刺身にすると、意味不明なほど旨い!「おいしい」と言いたいところだが、「旨い!」。後天的なし好ではなく、本能が評価するのだ。柔らかな切り身を箸で丁寧に“ツン”とつまみ上げ、塩入りのごま油に“そろり”とつけ、もったいつけながら口に含み、舌の先で上あごに押し付けた刹那、つばきとともにとろけていく。とろけた液体は、舌と喉の奥をまったりととろかしていく。う、う、旨い!フォアグラを生で食べたことはないが、よしんば生で食べたとしても、これほど旨くはないだろう。なぜなら、フォアグラは堅く、歯にまとわりつくようにこってりしている上、果てしなく脂臭い。軽く仕上げようと熱を加えれば、脂ばかりになる。白肝は、そうした両者と比較にならないほど臭みがなく、脂臭くない。魚の肝(例えば「あん肝」)よりも爽やかだ。これは、焼き鳥好きにはたまらないはず。ふう、久々に旨いものに出会った。……お、OH! NO!!!!!!肝の切り身に存在するそのクレーターは何だ!……箸で探ると……ウゲゲゲゲッ!!!!血液の筋が……きっとそれは鶏の大動脈なのだろう。あ、「肝」は、「肝臓」だった・・・・。あー、、献花。
2006.10.16
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関西人にはなじみが薄い「納豆」ですが、我が家の食卓には毎朝のようにのっていました。奈良男と京女の両親だったのに。最近、ナットウキナーゼが血栓を溶かす働きがあるので、動脈硬化の予防に効果があると、関西でも普及が進んできました。気軽に、おいしく、食べられるメニューを幾つか。●ひっぱり(東北地方の料理のよう)1.納豆(50g)を100回以上かき混ぜて粘りを出す。添付のたれとからし、全卵1個を加え、さらに100回以上かき混ぜる(全体で300回を超えるくらいが理想)。たっぷりの青ネギと醤油を適量加えて、つけだれの出来上がり。2.冷凍うどんで「釜揚げうどん」をつくる。3.うどんをつけだれにつけながら食べる。*主婦のランチメニューにぴったり。納豆はよく混ぜて粘りを出さないとうどんに絡みにくくなります。●納豆汁1.けんちん汁をつくる。皮をむいて塩でもみ、水洗いしてぬめりをとってから下ゆでした小芋(里芋)、手でちぎって塩でもみ、そのままゆでて灰汁抜きしたこんにゃく、いちょう切りにした大根とニンジン、大き目の斜め切りにしたゴボウを水から煮る。2.材料が柔らかくなったら、酒とみりんを適宜加え、薄口醤油少々と油抜きした薄揚げか厚揚げを投入。3.味噌(合わせ)とひきわり納豆を加えたら出来上がり。4.白ネギの小口切りを散らして食す。*けんちん汁には味噌を加えませんが、納豆汁に味噌は必須アイテム。材料からもいい味が出ますので、カツオだしなどのだし類は不要。焼いた餅やきりたんぽ、ほうとうなど炭水化物を加えると、それだけで1食に。●納豆オムレツ1.卵2個を溶く。納豆についているたれと、納豆をかき混ぜずに加える。納豆をほぐすように卵に合わせる。2.フライパンにサラダ油小さじ1、ごま油小さじ2を入れ、よくなじませる。フライパンが熱くなったら、納豆入りの卵を流し入れ、手早くオムレツをつくる。3.納豆添付のからしと醤油、マヨネーズを混ぜる。4.オムレツを皿に盛ったら、3を添える。*ソースは、ポン酢や、煮切ったみりんと醤油を合わせ、一味を加えたほんのり甘い醤油だれでも合います。●納豆天ぷら1.薄く小麦粉を敷いたバットの上にかき混ぜない納豆をスプーンで一口大にとって並べる。上から茶こしで小麦粉をふるいながらかける(打ち粉)。2.天ぷらの衣をつくる(市販の天ぷら粉を使うと便利)。3.お玉に衣を少しすくい、そこに納豆をのせる。スプーンで納豆をひっくり返して全体に衣をつけ、熱した(170℃くらい)油の中へ。4.衣に火が通ったら出来上がり。5.天つゆにつけて食す。*天ぷら油は何度か使った物を使いましょう。残念ながら納豆の匂いが移るので、再利用できないことを覚悟してください。天つゆを、昆布茶に塩を加えた昆布茶塩にしても。●納豆サンド1.サンドイッチ用のパンにマーガリンを塗る。添付のたれ、からしを加えて軽くかき混ぜた納豆をのせる。2.かぶせる方のパンにはマヨネーズとマスタードを塗る。3.サンドイッチにしたパンをオーブントースターに入れて4分ほど。焼き色がついたら出来上がり。4.食べやすい大きさにカットして食す。*納豆に合う野菜は少ないのですが、大葉やレタスは大丈夫。もみのりを挟んだり、かぶせる側のパンにのりの佃煮を塗ってもおいしいようです。●ネバネバうどん1.納豆に粘りが出るまでよくかき混ぜる(100回以上)。添付のたれとからしを加え、さらにかき混ぜる。2.長芋の皮をむき、変色を抑えるために酢水につけたあと、すりおろす。3.オクラを塩ゆでにし、ヘタを取って小口から切る。4.冷凍うどんを沸騰したお湯に入れて温める。解凍できたら、氷水にとって締める。5.鉢にうどんを盛り、中心をへこませて納豆をのせる。上からとろろ芋をかけ、真ん中に卵黄をのせたら、おくらを散らす。6.麺つゆをかけ、全体をよく混ぜ合わせて食す。*もみのりを添えたり、キムチをのせたりしても、違った味わいに。いかがでしたでしょうか。手軽でヘルシーな納豆メニュー、ぜひ試してみてください。
2006.10.15
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同居人が留置場と拘置所に入ったことは、以前に書きました。留置と拘置のシステム、裁判にいついて解説したら、一部から“参考になるわぁ”と、言っていただいたので、調子に乗って今回は、勾留者が使う専門用語をご紹介しようと思います。何かの折に勾留される側になったとき、同じ房に勾留されている先輩方の会話が意味不明だったり、会話に参加できないことで「ハミ子」になったりしないように予備知識として覚えておいてください。(余計なお世話)1.自弁〈じべん〉…留置場(警察署内)では3度の食事が出されるが、警察署ごとに内容や味が違うらしく、どうしても口に合わないときや量に満足できないときなどは、自費で食事を購入できる(警察署の契約業者から)。購入した食べ物のことを自弁と呼ぶ。ちなみに、契約業者によって違うが、定食から麺類、パン、カップ麺、デザート、コーヒーまで幅広い(運が悪いと少メニュー、味悪しのことも)メニューが用意されている。前日に頼んでおく。2.弁当持ち〈べんとうもち〉…執行猶予中の人間のこと。再犯しないと、こう呼ばれることはない(檻の中の専門用語なので)。3.接見〈せっけん〉…留置場で、外部の人間が勾留されている者に会うこと。警察署内に「接見受付」という部屋があり、ここで申請書を書く必要がある。身分証明書と印鑑が必要。ちなみに拘置所では「面会」。4.官本〈かんぽん〉…留置場では、自由時間に読む本を貸してくれる。この本を官本という。小説、漫画の単行本が主体。勾留者が置いていったものも多いとか。5.雑居房〈ざっきょぼう〉…複数人数の拘留者を収容する舎房。これに対し、一人っ切りの舎房を「独居房」という。6.代用監獄〈だいようかんごく〉…留置場のこと。最近名称が改められ、「代用刑事施設」という。被疑者は逮捕から48時間は留置場に収容されるが、10日の勾留延長が決定すれば、拘置所に移送されなければならない。しかし、取り調べのためという名目で警察署内に留め置かれる。さらに10日間(特殊な犯罪の場合は15日間)の勾留延長が認められると、22日間も留置場に収容されて、取り調べを受けることに。冤罪の温床になると、弁護士会からこの制度が非難されているが、都会の拘置所は定員を大幅にオーバー(本来、8人部屋を10人で使用/同居人談)している状況で、この制度を廃止するのは物理的に難しいよう。7.臭いメシ〈くさいめし〉…ご飯が臭いのではない。以前は、舎房にあるトイレに囲いがなく、トイレの匂いが舎房全体を臭くしていた。食事をするときもその臭気を感じながらだったので、拘置所や刑務所で食べる食事は「臭いメシ」と言われた。8.刑務官〈けいむかん〉…拘置所や刑務所にいる看守を初めとした法務事務官のこと。警察官が地方公務員(警察庁所管)であるのに対し、刑務官は国家公務員(法務省所管)。9.看守〈かんしゅ〉…留置場、拘置所、刑務所で舎房、監房を監視・監督・警備する法務事務官のこと。留置場は警察官。警察署内は、事件の捜査をする「捜査部局」と留置場を仕切る「身柄管理部局」が分離していて、両者の連絡はすこぶる悪い。10.着手金〈ちゃくしゅきん〉…弁護士に弁護を依頼した際、事前に支払う費用。事件の内容や弁護士によって違うが、大体40万円くらいが相場か。いかがでしたでしょう。通常の生活をしていれば、触れることのない用語がまだまだあります。折を見てご紹介しますので、お楽しみに。
2006.10.15
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最初、その症状があらわれたのは高校3年生のとき。深夜、風呂に入った。体を洗い、洗髪を済ませてから湯船につかっていると、腹が痛み出した。「え、あったまってるのに?」不思議に思いながらも、もう少し温まっていたら痛みもおさまるだろうと、引き続き湯船につかる。と、いきなり襲ってきた激しい痛み。湯船から出て適当に体を拭き、風呂のすぐ向かいにあるトイレに駆け込んだ。体の深部まで達する疼痛と、腸が絞られるような激痛が同時に襲ってくる。「な、何? この痛みは……」気が遠のくような感覚。次にあらわれたのは吐き気。深夜なので、胃は空っぽ。なのに、突き上げるような吐き気が何度か起こる。腸の中が空っぽになったとわかるほど(下から)出し切ると、視界すべてが黄色になり、間もなく、視界がすうっと小さくすぼみ、点になってやがて真っ暗になった。「いかん、このまま死んではカッコ悪い……」裸のまま、髪もろくに拭かずにトイレにこもり、便座に腰掛けているというありさまであった。トイレから出て這うように自室に戻り、ベッドに潜り込んだ。何しろ、ほとんど目が見えない状態だ。パジャマを着る余裕もなく、裸のまま眠った。翌朝、早い時間に目が覚めた。布団の中の自分が裸であることに気づき、昨夜の悪夢を思い出した。「あの腹痛、何だったのだろう」その刹那、あることに気づいて驚いた。それまでに経験したことのないような爽快感がある。頭も、胃腸も、目も、雲一つない快晴のときの青空のようなすがすがしさである。このとき、それが自律神経の弱りによるものだとは知るよしもなかった。次に同じ症状が出たのは、10年後。早朝の仕事に出向くために起床する寸前のタイミングで恐ろしいほどの腹痛が私を襲った。トイレに駆け込んだ私の脳裏に、10年前の悪夢が鮮明に蘇った。「これでは、仕事を休まねばならない……」声も絶え絶えの状態で、受話器を取った。テレビ局のスタジオにいるスタッフに電話をつないでもらおうとしたが、なかなかつながらない。携帯電話などなかった時代だ。「まだいらしてないようですね」そんなわけはないはずが、そう言われては、「もっと探せ」と言うわけにはいかない。何度か電話をかけ直しているうちに、腹痛が起こってから2時間ほどが経過した。すると、また、あのすがすがしい気分に包まれた。「治った……」急いで着替え、テレビ局に向かった。幸い仕事に間に合い、事なきを得た。以後、痛みの度合いや症状改善までの時間に差はあるが、2、3年に一度のペースで同じような発作が起こっている。2回目に症状が出た後、別の理由で訪ねた病院で症状の原因を聞いてみた。「自律神経が弱っていたんでしょうね。症状は人それぞれですが、あなたの場合は消化器系が弱いので、そこに出たのではないかな」ということだった。正式に検査したわけではないが、ほかの医者にも同じことを言われた。また、症状が出る前、多忙や新しい仕事が始まるなど精神的に負担になる出来事が重なっていた。昔は、いまほど「癒し」や「リラクゼーション」が重要視されていなかった。若さにかまけて馬車馬のように働いていた。ゆっくり休むなどというのは年寄りだけに許されたわがままだと考えていた。最近は、ちょっと無理が続いたかな、と思ったとき、半身浴でゆったり体を休めた後水を浴び、体や髪を洗っている間に温度を上げておいたお湯に再び入っては水を浴び、を3度ほど繰り返したら、最後は水を浴びて出る、という入浴法を実践している。お湯と水の温度差によって自律神経が鍛えられるそうだ。(自律神経は、主に血圧、脈拍、体温、消化器系を司っているので、体温調整機能を正常化できたら、他の機能も向上するということ)エアコンによる冷暖房も、自律神経を“あかんたれ”にする原因だ。家の中で熱中症になったり、風邪を引くなどというのはナンセンスだが、できるだけ体を過酷な状況に置いて、本来の機能や働きを発揮させるというのも必要だと思う。たくましかった昔の日本人にも自律神経失調症という病があったのだろうか。もしかしたら、体や精神を甘やかしっ放しの現代人ならではの病ではないだろうか。自分の生活を顧みて思う。合掌。
2006.10.15
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仕事仲間に久し振りに会ったら、頬の肉が目に見えて落ちている。「ど、どうしたんですか?」年齢から推測すると、生活習慣病か、ガ◯か……。「腹筋ですわ」意外な返答。「腹筋っ???」「そう。毎日腹筋をするようにしてるんです」「そ、それで痩せたん?」「嫁がポッコリおなかを何とかしたいと始めて、ボクもそれを真似したら、面白いように痩せて」「何キロ?」「5キロくらい」「えーっ! そんなに? で、ユカリ(お嫁さん)さん、おなかへこんだ?」「最初は1回も腹筋できなかったのが、最近では30回くらいは平気になりました。ポッコリおなかもすっきりしましたよ」驚きである。腹筋ごときで痩せるとは。理論としてはわかる。筋肉量が増えると代謝が上がり、エネルギー消費量が増大する。これまでは、脂肪として蓄積していた余分な熱量を燃焼させることになり、食べた食料の熱量と消費する熱量のバランスが逆転すれば、痩せていくことになる。一念発起した。よし、腹筋だ。“太ってきた”わけではないが、加齢のせいの“緩み”が3年ほど前から気になっていた。ウエスト周りのダブつきも、生涯初の経験である。その夜、腹筋をした。正式に腹筋をするのは10年以上振りくらいになるだろうか。10年前も、意味があってやったわけではなかった。自分が一度に何度腹筋できるかなど、全くわからない状態だ。目標は30回。仕事仲間のお嫁さんを目指す!1、2、3、4……。あれ、30回……。つらくもないのでそのまま続けた。100回……。あらら、100回腹筋してもつらくない。キツネにつままれたような気持ちで、とりあえずやめた。よく考えたら、学生時代は毎日300回やっていた。腹筋は、そうそう衰えないということか。1回も腹筋できない人なら、30回で効果が出る。100回できる人間は……3000回以上しないといけないということになる。時間対効果を考えると、そんなに非効率なことはやる意味がない。となると、私のウエスト周りのダブつきは……。新しい方法を考えねば……。(この後、幸いにもあることがあって、ダイエットと引き締めが同時に実現できました。その方法は、また紹介します。ひひひ)
2006.10.14
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生まれてこの方、ダイエットをしたことがない。“する必要がなかった”ということではなく、性格上、“辛抱するのが無理”なので、チャレンジする意志が働かなかったということだ。季節や周辺環境の変化、年齢など、体重を増減させる要因は身の回りに存在する。私の場合も、43kgから51kgまでの振り幅で地道に増減を繰り返してきた(身長は162cm)。「や、やばい」と思い始めたのはここ3年くらいで、ホルモンのバランスが変化したせいか、これまで15%ほどだった脂肪率が確実に上昇しているのを自認した。女性の場合、食べ物や運動量だけではなく、ホルモンの影響を受けるので、注意されたし。 ホルモン量が激変するのは、20歳前後、30代半ば、50代。最近は、若年性更年期障害が増えているらしいので、30歳前後から注意する必要があるとか。 で、どうにかせねば、と、ダイエットのことを頭の端で考えるようになった。1年ほど意識して実践し、「これは・・・」と成果を確信したのが『満足ダイエット』である。我慢が一切必要のない、意志薄弱な私でもチャレンジできる(というか、何もしなくてもいいのだが)お手軽かつおいしいダイエットである。 『満足ダイエット』は、心の底から食べ物に満足したとき、脳が栄養の吸収を正常化させるので、体重の適正化が可能になるというもの。理論はこう。食物の制限を前提としたダイエットでは、脳は常に飢餓状態にあり、「次に食べ物が入ってきたら、満々吸収するぞ!」と必要以上に(その時点で必要とするエネルギー以上に)栄養を吸収し、蓄積しようとする。農耕民族の我々は、収穫の悪い年も生き残れるように、節約遺伝子というのを持っている。「食べられるときにできるだけ溜め込む」という機能がそもそも備わっているのである。それを無視して食事を制限すれば、もっと溜め込むよう脳が指令を送る。そのストレスが太る原因、という脳の働きを前提にしたもので、1日に一度、食べたいものを食べたいだけ食べ、「あー、おいしかった。大満足」と思えば、脳がストレスから解放されて、正常に働き出すそうだ。私のプロフィールにある「ハチのカレー」はかなりの量で、かなりの熱量だ。ややもすれば1500kcal以上もあるかと推測される。しかし、食べた後に「あー、おいしかった」と心から思える。週1以上の頻度で1年間通っても体重に変化はなかった。夜はもちろん大量の酒、昼食は「いい食べっぷりねー」と定食屋のおばちゃんに感心されるほどの量を食す。毎回、「あー、おいしかった」と大満足である。太るのは、「脳のストレス」と理解すればいいのかもしれない。ストレスをかけるから必要以上に働き、肥満へと導いてしまう。「我慢」は「肥満」の元。甘いものばかり食べたいのもストレス、食べ物ばかり意識してしまうのもストレス、「自分は太っている」と思い込むのもストレス、「ダイエットせねば」と思うのもストレス。ストレスはダイエットの大敵。ストレスから解放されるのは、「食べ物より関心の持てるものを見つけた」とき。「趣味」か、「恋」か、「心配」か。中でも「恋」は、特効薬だと思う。佐山先生に恋をした私は、10日ほどで3kg痩せた。キュッと締まった体で佐山先生に会う自分を想像して、キュッと締まった。あとは、佐山先生に会うのみ。・・・それは・・・あー、ストレスが・・・。
2006.10.14
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よく行く居酒屋に「エリちゃん」という生き物がいる。形状は小さな“おばちゃん”だが、言動や表情は、おおよそ人間ではなく、珍しくも愛らしい“小動物”である。チンパンジーの子ども、いや、オランウータンの子どもか。あぁ、“モンチッチ”が最も近いか。昭和40年代に大流行した「モンチッチ」だが、最近復活しているようなので、若い人にも理解していただけるだろうか。「エリちゃん」の特徴は、言葉が言葉になっていないこと。料理を供するとき「お待たせしました」と言うところ、「むん、むん」と背後で合図をするのみである。カウンター席に座っている私が異音に気づき、何だろうと振り向くと、丸い目をクルクルさせて持ってきた料理と私を交互に見ている。「あ、ありがとう」すかさずそう言うと、「う、ふ、ふん」と遠慮がちに料理をカウンターに置き、頭をゆらゆらさせながら、照れくさそうに立ち去る。また、女性に触りたがるのも「エリちゃん」の特徴である。連れの男性と話をしながらお酒を飲んでいると、肩のあたりに不思議な感触を覚えた。ふと見やると、「エリちゃん」が人差し指で私の肩を触っている。「気持ちいい」悦に入った表情で「エリちゃん」が言う。何のことだか意味がわからない。「何?」「この生地、絞りみたいで気持ちいい」私の着ている服が、クシュクシュのプレス加工をした生地だったのだ。しかし、気持ちいいというのはどういう感覚か理解できない。「気持ちいいってどんなふうに?」「カメレオンの肌みたいですやん」カメレオンを触ったことがあるということなのか…。それはそれで驚くべきことだし、それが気持ちいいというのもびっくりである。そして何より、「ですやん」に仰天する。「ですやん」というのは、「~じゃないですか」と同じニュアンスで、「知っているでしょう、ね」という同意を求める意思が含まれているということである。「エリちゃん」の日常は、常識は、感覚は、一体どのレベルにあるのだろうか。もっとも、カメレオンというのは話のなりゆき上登場しただけのことで、目的は、“女性の体に触る”ことに尽きるのかもしれない。以前、私の背中や腰をなでながら「むふー、むふー、むむふふー」と興奮していたことがあった。見たことのないような満面の笑顔で。触り終えた後も、頬まで紅潮しているという奇異な光景を記憶している。「息子のお嫁さんに触っても、興奮する」と、理解不能なことを言っていた。お客さんからビールを振る舞ってもらって、かわいらしい瞳をクルクル動かし、ビールをグビグビ飲む姿に、おやじ客はすっかりやられている。意味のわからない意見を唐突に言い、「~ですやん」を連発する愛らしい「エリちゃン」だが、最近、深刻な悩みを抱えてしまったらしい。姉妹親族で旅行したときに撮影した写真を見ていたとき、意図せず写ってしまった1ショットに頭頂部が透けている自分を見つけた。「えーっっ! うそーっっ、むん、むん、むむうう」仕方ないでしょう。もう50も半ば。孫もいるのですから。Junちゃん、どう?
2006.10.13
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北海道の料理ですが、手軽につくれておいしい!秋鮭が安く手に入ったときにつくってみてください。ホットプレートに油を薄く敷き、ざく切りのキャベツ、もやし、拍子木切りのニンジン、くし形に切ったタマネギ、しめじなどのキノコ類など好みの野菜をたっぷり敷き詰め、塩とあらびき黒コショウを全体に振り掛けます。野菜の上に塩、コショウした大きな鮭を切らずに載せます。蓋をして(蓋がなければ全体をアルミホイルで被って)弱火でじっくり焼きます。鮭にあらかた火が通ったら、味噌にみりん、酒、醤油、蜂蜜(お好みでニンニクのみじん切り)を加えた調味料を全体にかけ、バター(とろけるチーズもGood)をたっぷりのせたら再び蓋をし、調味料を温めます。バターが溶け、調味料が温まり、鮭に完全に火が通ったら出来上がり。鮭をほぐして野菜と一緒に食べます。北海道では、鮭の骨は取らないようですが、気になるようなら、骨抜きで抜けばOK。野菜の量はできるだけたっぷり。火が通ればぐんとかさが減るので。簡単だし、おいしいし、メインのおかずになるし、お酒のアテにもなるし。辛いのが好きな人は、調味料に蜂蜜を入れるのをやめて豆板醤を入れてもおいしいです。いかがでしょう。
2006.10.13
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光文社発刊の書籍。1,000円(税込み)B6判353頁。吉富有治著。大阪の「第3セクター」が365社……。その数字が示すのは、役人の役員就任先、出向先、天下り先である。大阪市と大阪府の職員の安泰の地、終の住処を意味する。役人にそんな特権を与えたのはだれなのか。ある意味、議員である。そしてある意味、そんな議員を選んだ市民及び府民である。監視すべき議会が見逃したのだ。そしてその結果が、特権を与えられたいい加減な役人の大盤振る舞いが生んだ想像を絶する負債(債務)とそれを負担する府民、市民の重い税負担である。凄まじい有利子負債を出しておきながら、役人には全くお咎めがない。そういう法律だからだ。そして大阪は破綻し、財政再建団体へと転落する……。そんな、近い将来の顛末を予感させる内容である。大阪はひどい。特にひどい。しかし、全国の自治体は大なり小なりこういう側面を持っている。官製談合、汚職、賄賂、口きき、ヤミ手当、カラ出張、カラ残業、私的流用、裏金……。深く、暗い闇が確固たる存在感で日本全国に広がっているのを実感できる。役所のシステムは、“知っていれば得をする”ではないのだ。“知らなければ損をする”である。十分な情報発信をしない。市井の民が自ら努力して情報を収集し、不明な点は問い合わせ、不誠実を問いただし、是正を求めて初めて当たり前の利益を享受できるという仕組みである。そんな、自治・行政不信を前提に生活しなければならない、そういう気持ちにさせられるルポルタージュである。大阪市民、府民必読。末期状態の【北】を見ていると、一国が滅びるのもたやすいことのように思える(実際には民を犠牲にし、政権はギリギリのところで長く生き残るであろうが)。ましてや、たかが900万人弱の人口で、神奈川県にも抜かれてしまった、ふがいない大阪が崩壊するのはかなりの確率で起こり得ることだと思えるのは病んだ人が増えたと体感できる現実社会のせいだろうか。
2006.10.12
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ライブドアの近鉄球団買収騒動あたりから、にわかにテレビに出演し出した経済学者と言えば、思い当たる人も多いと思う。「報道ステーション」、「サンデープロジェクト」といった純報道番組から、「がっちりマンデー」のような半バラエティ系まで、それなりにこなす異色の学者である。“異色”というには訳がある。なぜなら、バラエティには全くそぐわないし、報道には危険過ぎる。バラエティ番組に必要な柔和な表情、下賤な民にもわかりやすく解説する専門知識、学者であるにもかかわらず優柔不断的なある意味見る側にとって心地よいギャップ、いやみのない軽口、といった要素が全くない。常にストレートで無駄のない見解、揺るがない表情、究極とも思える客観的視点、鋭い視線……。日本がすっかり忘れていたような、“男の美学”を持った男性である。無謀にも先生のサイトからメールを送りそのようなことを書くと、「私は、そんな大した人間ではありません。死ぬときに、あー楽しかったと思いたいだけです」という返事が返ってきた。イチコロである。美学を持った男はこうでなくっちゃ。で、私は知り合いの出版社をたらしこみ、先生の本を出版する企画を企てた。取材を申し込むと、「既にそういった話が別で進んでいる」というすげない返答。トホホ。しかもこのたび、先生が代表取締役を務める会社がマザーズに上場することが決まり、先生の個人サイトも一時(かどうか……)休止となった。上場企業の「情報公開」の観点からすれば、個人の意見と経営者の意見の境目が微妙になってしまうというのも納得できる。サイトの更新もピタリととまってしまったので、いまでは枕の下の先生の写真に話しかけるのがオチという毎日である。先生、取材させてください!!!!!
2006.10.11
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私のプロフィールに「ハチのカレー」というのが登場する。これは、大阪・南森町にあるカレーの名店『ハチ』の唯一のメニュー「カレー」のことである。4年ほど前から通い詰めている。最初は週1以上のペースで通っていたのだが、昨年(一昨年?)から週3回のみの営業になってしまい、毎回長蛇の列ができるため、よほど時間の都合がつくときか、ベストタイミングで行くことのできる日でないと出向けなくなってしまった。最近は2週に1度のペースを余儀なくされている。ここのカレーの特徴は、“辛い”こと。超が幾つかつくほど辛い。しかし、おいしい。3日かけてつくるというルーは、何が入っているのか想像を許さない不思議な味わいがある。ご飯の上にドサッとのせられる肉は柔らかくなるまで煮込まれ、多少脂っぽいが、肉らしい香りを放っている。小さ目の皿に大量のご飯、肉、ルーの順で皿からはみ出さんばかりに盛られるとたぐいまれな迫力と存在感で迫ってくる。夏場は汗と鼻水にまみれながら食べなければならないが、それでもやめられない。たった10分ほどで食べ終わってしまうカレーのために40分並ぶという矛盾と理不尽を容認せざるを得ない。関西テレビに近いという立地もあって、芸能人が来店することも多い。室井佑月さんも常連さんの一人。ひと月ほど前に食べに行ったときは、松尾貴史さんが隣で大量の汗を流しながら食べていた。(そのときのことが、松尾さんのHPで詳しく紹介されている)そんなハチのカレーに異変が起こった!最初に気づいたのは2週間前。一緒に行った男性のデザイナーと、しばらく議論したが答えが出ず、とりあえず「何かの間違い」ということにした。そしてきょう、わずかな恐怖を覚えながらカレーを口に運んだ。「す、す、す、酸っぱい!」前回と同じである。隣のデザイナーが顔を上げて私を見た。「きょうもや!」「何でやろ」「わからん」「聞いてみてくださいよ」「恐い」ママが恐いという意味だ。決して悪い人ではないが、仕事中はいつも殺気立っていてうかつに声をかけようものなら、恐ろしいほどの罵声が返ってくる。「水下さい」「待って!! いま手が離せないでしょう」状況を見て言え、ということだ。客の心得の第一は「タイミング」。「ご飯、少な目に」「タマゴ下さい」「水、下さい」「ごちそうさま」(カレーが900円で、大抵の客は「ごちそうさま」の声を合図に1000円札を出す。ママは100円の釣りをすかさず客に渡す)すべて、ママが対応できそうな状態であることを計りつつ声をかけなければならない。小さな体でキッチンを動き回り、たった一人でわずか2時間ほどの間に50人以上もの客をさばくのだから致し方ない。それがいやなら行かなければいい。そんな客は、自分から行くのをやめなくてもママが「もう来なくて結構!」と言ってくれるだろう。話を戻そう。カレーが酸っぱいのだ。食後、ドトールコーヒーでくだんのデザイナーと討論会を開いた。「何があったんやろ」「香辛料の仕入先を変えたのかなぁ」「ママの味覚が変わってしまったのかも」「味を進化させたということかも」「前の方がおいしかったよ」「みんな、黙って食べてたけど、常連さんは気づいているはず。だれも聞かへんのかな」「恐いんや」「ママに聞いてみてよ」「どうやって?」「直接」「できるわけないやん。キミ、手紙出してや」「返事くれるかな」「くれそうにないなぁ」「そうや! ブログに載せてみる。事情を知っている人がいるかもしれへん」というわけで、事情を知っている人、なぜハチのカレーが酸っぱくなったのか教えてください。
2006.10.11
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昨夜の夕食は回転寿司だった。回転寿司といっても、「一皿105円均一」のようなショボいのではなく、一皿・2カン105円(あるやんか)から、1カン525円まで6種類の、回転寿司の中では高級なものだ。1カン525円というのは、本マグロのカマトロを初め、鯨の皮など脂ののった、涎が出そうなメニューばかり。水産会社が母体というだけあって、ネタは新鮮だし、種類は豊富だし、ノドグロやキンキ、ちひろ海老、はりいかなど寿司ネタとしては珍しいメニューもたくさんある。穴子も、煮穴子とあぶり穴子があるなど同じ素材でもモノによって(大きさや産地による特徴)調理法を変えたりして、さらにメニューは膨らむ。ということなので、すこぶる人気がある。きのうは10組目、1時間待ちだった。元来、イラちでせっかちな私が、1時間待ったというのは、奇跡に近いことだ。同居人の両親と出かけたのだが、「お父さん、食事のときに待つの、平気ですか?」と聞いた。「うん、さほど気にならないけどね。おいしいものを食べるためだったら」と、涼しい顔で言っていたが、私は知っている。待ち合い場の椅子の座面を、ずっとコツコツ叩いて気を紛らしていたのを。ようやく名前を呼ばれ、店内へ。ボックス席に落ち着く。回転する寿司の方に座ったのは、男性陣。ものすごい勢いで根こそぎ皿をひっつかんでいる。みるみるうちに皿が積み上がる。通常、7、8カンほど食べたら大満足の私だが、パワー炸裂の親子3人につられて、10カンほど食べただろうか(しかも、当然のことながらビールもがっつり飲んだ)。1時間待つというのはこういうことか。空腹のため、食べるのがついつい速くなるし、はや食いするから食べ過ぎる。まだ外に待っているお客さんがいると思うと、長居もできない。で、回転率が上がる。店の思うツボである。結局、1時間ほどかけて4人で35皿食べ、ビール6本、焼酎お湯割り4杯で約17,000円(安いのか高のかよくわからないのも店の戦略だろう)。怒濤のような1時間だった。獲物を狙う猛獣のような目で皿が流れてくる方を凝視する古希のお父さんには、戦前生まれのたくましさを感じた。そのお父さんをあごで使って自分の好みの皿を取らせるお母さんには、大阪のおばちゃんの強さを感じた。願わくは、もう少しゆったりした気持ちで食べたい。と言うなら、倍から3倍のお代を支払え、という声が聞こえてきそうだが。
2006.10.10
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先日、取材で「アウデ・カース」というオランダ家庭料理の店に行った。日本で唯一のオランダ料理専門店とあって、サッカーのW杯でオランダが決勝リーグに進出したときは、日本全国からマスコミが押し掛けたとか。場所は、大阪・北区西天満。堂島川の北側の道を天満警察から西へ向かうと、御堂筋に出る少し手前にこの店がある。ビルの1階が入り口になっていて、ドアを開けると地下へと続く階段がある。店内に足を踏み入れると、正面がオープンキッチン、階段の左右がテーブル席になっている。オランダは宗教上の理由から、質素な生活を心掛けているそうで、料理も至って素朴なもの。主食的に食べられているのはクレープを少し厚くしたくらいのパンケーキとじゃがいもを使った料理。口ひげをたくわえた割腹のいいマスターのよく通るいい声を聞きながら、素朴な家庭料理を口に運べば、ハイネケンビールも進むというもの。オランダ領事館の人やオランダに住んだ経験のある日本人、オランダからの観光客などで日夜賑わう名店だ。
2006.10.09
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前回、プリズンについて書きました。今回は裁判の顛末について。と、その前に、逮捕から裁判までの流れを確認しておきましょう。1.逮捕→48時間勾留(警察署内の留置場) *この間の面会はNG。弁護士のみ。差し入れはOK2.検事の判断により、勾留延長が認められると あと10日間拘留(警察署内の留置場) 不起訴の決定がなされると、釈放 *10日の間は差し入れ、面会OK(システムは 前回参照)3.起訴が決定し、さらに捜査の必要があると 判断された場合、あと10日間勾留(拘置所) *最近は、拘置所が混んでいるため、留置場に 残留させられる場合も(代用監獄)4.拘置所に入ってすぐに保釈請求すると、1~2日で 保釈(保釈金を即金で支払う) 保釈手続きをしなければそのまま10日間拘留され、 その後、裁判までずっと勾留。保釈が認められない 場合も同様 *拘置所でも面会、差し入れはOK。警察署と違って 勾留者が多いため、週末は大変混み合うというようなシステムになっておりまして、うちの場合は保釈手続きができたので、それ以降のことはよく知りません。同居人の話によると、裁判が長引いて何年も拘置所にいる人や、何度も繰り返し入っていて、どうしてか有名な拘置者(林真寿美など)のことをよく知っている情報通がいたりするそうです。語弊があるかもしれませんが、職を持たず、収入源のない人にとって拘置所は楽天地で、ベテランは新入りに炊事や掃除をさせるので、何もせずともタダメシを食べ、寝床にありつけ、無駄話ができるということになります。留置場や拘置所のおもろいエピソードはいずれ紹介するとして、裁判です。裁判所に行って、法廷の数の多さに驚きました。ものすごい数。80くらいあるのではないかと思います。しかも、法廷のドアの横に張り出してある「裁判リスト」には、7~8件載っています。単純計算して1日600件くらいの案件を処理しているということ。「窃盗」「強姦」「覚せい剤所持」「住居侵入」と、あらゆる罪名が書き連ねてあります。恐ろしい世界。開廷5分前にやってきた弁護士がふいに私に「証言をしてもらえませんか?」と言います。事前の打ち合わせなしに。「身元引受人として監視していきますと言ってください。裁判長の心証にいい影響を与えます」そんな単純なものかと思いながら、承知しました。法廷に入ってから証人の申請をし、宣誓書にサインさせられ、宣誓を読み上げて尋問に入ります。弁護士は当然、優しく、「責任を持って監視しますね」と、打ち合わせどおりの質問をし、「はい」と答えると、検事の反対尋問が始まります。「具体的にどうやって監視しますか?」答えようがありません。検事の顔が意地悪に見えます。「常に言葉で注意を促します。できるだけ行動を監視するようにします」できるわけがありません。相手は大人です。しかも、私の目を盗んでキャバクラに行った帰りに起こした事故で逮捕されたのです。とはいえ、社会的に言う裁判とはこうしたものなのでしょう。1回の裁判で結審し、次回は判決公判。幸い、執行猶予がついて、晴れて元の生活を取り戻しました。会社をクビになるという代償を払いましたが。常人にはあり得ない経験をしてしまいましたが、自分が加害者ではないことはよかったと思います。想像だにしないことが起こるものです。それが人生ということでしょうか。備えあれば憂いなし。人生の危機管理は大切です。
2006.10.08
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7年ほど前から同居人がいます。前頭葉の形成期(12歳でほぼ完成するとか)に問題があったようで、コンプライアンスとか、社会通念とか、常識とかがなく、とうとうというか、やはりというかプリズンに入ることになってしまいました。正確には、留置場と拘置所で済んだのですが。自分の人生にこうした事態が訪れるなどとは夢にも見ず、何をしようにも知らないことばかりで、無駄な時間と労力を費やしました。そこで、収監された人間に対応するときの注意点を列記します。これを参考に、万が一のとき(ないか)、慌てず、騒がず、無駄なく行動してください。逮捕されると、まず警察署の留置場に勾留されます。ここでは、●土日祝日の面会・差し入れはNG●面会時間は9:30~4:30●紐つきの衣類の差し入れはNG(自殺防止のため)●本の差し入れには種類に制限あり(漫画や雑誌などはNG)●シャンプーやボディソープ、カミソリなど入浴・グルーミング用品は大きく制限あり●お金の差し入れOK(警察から出されるまずい食事がいやなときは、自腹で別メニューをオーダーすることができたり、日用品を買い出しに行ってもらうことが可能です)●差し入れ、面会時には身分証明書と印鑑が必要●面会受付は原則1日に1人留置場にいる間、収監された人間は実況検分や検事の取り調べなどで不在にしていることが多く、わざわざ行っても会えないことがしばしば。事前に確認しようにも、警察(捜査現場)と留置場の連携が悪く、予定を教えてもらえないことがほとんどです。拘置所は、裁判待ちの人間たちが収監されるのですが、逃亡の恐れがないなど、条件が整っていれば、保釈金を支払って娑婆に出ることができます。保釈についても、その後やってくる裁判についても弁護士がついてないと、素人では何もできません。弁護士というのがまた厄介な代物で、「着手金」などという訳のわからないシステムで費用を事前に請求するのが通常らしく、“足元を見ている”としか思えないような、“実力を評価して費用を支払う”という、ビジネスの常識を全く無視した行為がまかり通っています。とはいえ、弁護士に頼るしかない無知で善良な市民の私は、従順に弁護士の言うとおりにし、同居人を保釈してもらいました。この後が大変。「裁判」という面倒な事態が待ち受けています。裁判の顛末は次回に。法治国家「日本」では、法律を遵守しましょう!
2006.10.07
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食欲旺盛な季節にぴったりの一品のレシピを紹介。本来は「炊き込みご飯」というカテゴリーだが、出来上がりがピラフ的だし、ちょっとお洒落なので甘んじて「ピラフ」と言わせていただいて。気温が下がったら、鍋が食べたくなるが、「とり鍋」をしたときには残った出汁を活用してぜひつくっていただきたい。とはいえ、まだ鍋をするには若干早いので、単体でつくるレシピを。つくりたいのは「ベーコンピラフ」。ベーコンを「秋鮭」に変えることができれば秋の風味がぐっとUP。一人暮らしの若者や単身赴任の男性におすすめ。材料(4人分):米…3合◆ベーコン…100g/タマネギ…1/2個◆ニンジン…1/2本◆缶コーン…1缶◆缶マッシュルーム…1缶ブイヨンorコンソメ(キューブ)…2個◆パセリ・バター・うす口醤油…大さじ1◆塩・あらびき黒コショウ…適宜つくり方1.ベーコンは1cm幅、タマネギはスライス、ニンジンはみじん」切りに。2.炊飯器の内釜に洗った米を入れ、タマネギ、ニンジン、コーン、ベーコン、マッシュルームとチキンブイヨン、しょうゆを加えてスイッチをON。水加減は「白米」の目盛りでOK。3.炊き上がったら、あらびき黒コショウと塩、バター、パセリを加え、かき混ぜてから10分ほど蒸らす。これだけ。「秋鮭」の場合は、骨抜き(毛抜きを大きくした道具)で骨を取り、小さく切って塩をしてしばらく置き、水分が出てきたらキッチンペーパーで水分を拭き取ってから改めて塩コショウをして炊飯器へ。これに半熟オムレツをのせてオムライスにしたり(その場合はデミソースか、タマネギやキノコを加えたトマトソースを添えて)、同じプレートにハンバーグなどを添えると、手軽な定食にスタイルに。残ったら、小さな俵形のおむすびにし、真ん中にとろけるチーズをしのばせてフライに。こうしてイタリア料理の「スップリ」風にアレンジするとお弁当にも。レトルトカレーにも合うし、シチューに添えてもバッチリ。缶マッシュルームをエノキやマイタケに変えれば秋の色合いはぐっと深まる。
2006.10.06
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FM局の放送原稿を書くという仕事がある。DJが自らの言葉のようにコメントするアレである。最近は、ラジオとネットは強力に連携していて、DJのコメント後、番組のBBSにはコメントに対する意見や感想などが続々と寄せられる。リスナーがどんな情報に興味を持っているかというと、とりもなおさず「食べ物ネタ」である。以前、関西の情報雑誌の仕事をしているデザイナーがこぼしていたことがある。「大阪は、ファッションや恋愛ネタはゼンゼンダメ。食べ物だけ」だそうだ。リスナーから寄せられるコメントの数と内容を見ると、納得。大阪人は「食べたい」のだ。しかも、おいしいものを(本当においしいかどうかは別にして、自分がおいしいと評価できる食べ物を)。小遣いの厳しいおやじたちは別にして、OLや、いまのところお金が比較的自由に使える独身のビジネスマンで賑わう人気の店では、黙って食べている人は少ない。「これ、何て言うか知ってるか?」「知ってるでぇ、ノレソレやろ」「お、知っとったか。ノレソレはやっぱり瀬戸内やで」「かぼすのポン酢で食べたらうまいんや」てな具合である。ある意味、しゃべるために食べているようなところがある。食材や料理の知識をどれだけひけらかせるか、というのが、飲み会においては結構重要な要素で、食べ物アナリストがうじゃうじゃいる大阪の飲み屋はすこぶるかまびすしい。というわけで、このブログで、食べ物ネタもふんだんに披露していこうと思う。ついでに、ラジオで紹介したネタも。よぉし、1回目はこれくらいにしておいたらぁ(吉本ギャグ)。
2006.10.06
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