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きょう(きのう)は、同居人と初デートをした10回目の記念日でした。別に大したこともしないのですが、だれにも教えたくないおいしい串カツ屋さんで食事をし、初デートのときに入ったバーでお酒を飲む、それだけのイベントです。こちらは11月29日が命日のごとく存在するのですが、毎年曜日が変わりますから、運悪く、バーが休業日だったり、串カツ屋さんが予約でいっぱいだったりしましたが、何とか10年、それなりに記念行事をこなしてきました。相変わらず串カツはおいしかったー。1年に1度の楽しみです。事務所を移る前は、1~2ヵ月に1度は出向いていたのですが、事務所を移転してからは交通の便が悪くてそうそう行けなくなってしまいました。年に1度のこのイベントか、得意先の接待にしか使わなくなってしまって。でも、本当においしい! 脱サラのおとうさんと、料理と、陶芸と、写真が趣味のおかあさんが切り盛りしているカウンターだけのお店ですが、ネタがいいし、細工が絶妙!季節のネタ「カキ』(伊勢湾産)一番右のソースは、何が入っているかいまだ解明できておらず、模索中。衣、パン粉、ソースが見事なまでにマッチしている。また、串カツの後に食べるみそ汁とご飯は絶品。みそ汁の具は豆腐、薄揚げ、ネギ。最高。デザートは柿。ワインをしこたま飲んだ肝臓に心地いい。教えたいけど教えたくない、身も心も満足できる至福のひととき。食べ物やお酒がおいしいのは、体が元気だからだし、横にいる人が食べ物をおいしくしてくれるからだし、そんな心地よさを味わえるのは生きているからで。心の底から幸せだと思う。モノやカネや家柄や出身校やそんなものからは得られない満足が得られるのは、おいしい食べ物と、それがおいしいと心から思える環境を得ているから。生きる意欲は、そんな、何気ない暮らしの中にあるように思う。継続的に幸せを実感できたとき、そばにいる人の尊さを実感します。決して「幸運」や「不運」という言葉と同レベルに置かれることのない幸せを、心の底から感じます。来年の記念日はどうなっているでしょう。きょうより少し、明るくなっていたいな。“幸せ”の質を、もっと身近なものにしたいものです。
2006.11.30
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学校給食の不払いが激増し、18億円(全体の0.5%)にものぼっているそうだ。払わない理由が理解し難い。●ペットのグルーミングにお金がかかったので●車のローンがあって、給食までお金が回らない●今月は携帯電話の料金が高かったので理由になっていない。極めつけは●義務教育なんだから、給食もただで出すべき●お金を取るんだったら、もっといいものを食べさせろっていうんだよ異常な感性。ちなみに「義務教育」の「義務」は「親が子どもに教育を受けさせる義務」だから、根本的に間違っている。こうした異常な発想や教育(ではないが)方針は随所に見られる。★お金を払っているんだから、給食のときうちの子に「いただきます」を言わせないでと教師に言う★むごいので、葬式に参列させない★死を見せたくないので、学校で動物を飼わないでと学校に言う★授業参観の際、自分にかかってきた電話に平気で出てしゃべる親がいる★塾の教師にしつけをしてくれと言う枚挙にいとまがない。子どもに高額なおもちゃを買ってくれと言われたら、7割以上の親が「買い与える」と答えたというアンケート結果には愕然とした。自分が死んでも生き返ると思うか、という問いに小学生の8割が、中学生も5割が「はい」と答えたという。親の異常は子どもを異常にする。元はといえば、社会が異常だから、こうした親を生んでしまったというのは間違いないが、必要最低限の倫理観やモラルやルールを理解し、それをボーダーとして生きていかなければ法治国家の体をなさなくなってしまう。近いうちに、日本はとんでもないことになる。(もうなっているか…)
2006.11.29
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不格好な話がマスコミを賑わしている。いわゆる“復党”問題だ。郵政民営化に反対して解散総選挙となり、党の公認を得られずに立候補、当選はしたが、離党勧告を受けて党から離れていた議員たちが、早々と党に戻るという。「復党願い」と「誓約書」の提出が必要だそうだ。平沼議員が誓約書の提出を拒否した以外は全員が提出したとか。日本は政党政治だから、党は党としての思惑も下心もあり、それに従うのが党員としての義務だろうが、この場合の議員の対応は極めて不可解だ。郵政民営化に反対した時点で議員たちが向いていたのは集票マシンの郵政一族で、これらを無視しては選挙は戦えない。小泉(前)首相に諸手を挙げて賛成したら、次の選挙で生き残れない。ところが、小泉さんに反対したら、何をするかわからない。しかし、まさか解散総選挙になろうとは、よもや思わなかったのだろう。賛成したら次の選挙が心配で、反対して解散となったら、郵政一族が必要で…、結果的に当選したのだから、考え方は正解だったのだ。小泉さんは強行に民営化への一歩を進めた。既得権益の砦が崩れたのだ。すると、郵政民営化に反対した議員は、自分自身に向くようになった。議員でいる間の生活、政治家としての立場や人気(献金の集まり具合)、次の選挙の資金、マスコミへの露出度……。で、復党である。わかりやすい。余りにもわかりやすい。何ふり構わぬ所行である。美学も信念も理念もあったものではない。平沼議員とて、「思想信条を曲げない政治家として」と言っているが、中川幹事長との力関係において自らが屈するのがいやだったに過ぎない。教育委員会と学校は責任のなすりつけ合い、大人は自分勝手な犯罪や子どもの虐待、聖職たる医者は、警察官は、教師は、あり得ないようなハレンチな事件を犯し、「死ぬな」と諭すべき校長が自殺し、湯水のごとく公金を無駄遣いする公務員は何ら責任を取らず……。その昔、日本人には一分があった。どんな立場で、どんな職業であっても、それなりの一分を守っていたし、守ろうと努力する人としての美学を持っていた。安倍総理が言う「美しい国」とぴったり一致するとは思わないが、外国人が日本人を、日本を称するとき、「美しい」が使われた。昔の日本は美しかった。それがいまは…。一分…人としての面目…日本人がなくしてしまった日本人たるゆえんである。では、日本人は何者になってしまったのか。末恐ろしい状況である。
2006.11.28
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大阪は少しあったかかったので、鍋をするのに躊躇したのですが、同居人が材料を買い込んでくれていたので、決行することにしました。具材のメインは「鶏つくね」。鶏ミンチ、ニラのみじん切り、ショウガのみじん切り、全卵を合わせてよくこね、塩、酒、みりん、薄口醤油で味付け、ごま油で香り付け、つなぎは片栗粉。鶏ミンチが締まった感じだったら、水を少々。野菜は、キャベツ、ニラ、もやし、しめじ、しいたけ。木綿豆腐、京薄揚げも必須アイテム。豚ロースも添えました。スープは鶏ガラスープに塩、薄口醤油、酒、みりん、オイスターソース、コショウ、香り付けはごま油。テーブルコンロに土鍋をかけ、しばしぐつぐつ。鍋が沸騰したら出来上がり。器に取り分けたら粗挽き黒コショウをかけて食します。鶏つくねには、ニンニクやごまを入れても。魚介類が入ってもいいし、ゴボウやかぼちゃなどの根菜類も大丈夫。具材とスープの味を変えれば、飽きません。シメは中華麺(太麺)がベスト。もちろん雑炊もOK。おすすめのシメは、ご飯を入れ、1cm幅に切ったベーコンを散らし、粗挽き黒コショウをふりかけ、とろけるチーズを投入して蓋を閉め、火を消します。1分後、チーズが溶けたところを食します。食材の旨味が存分に溶け込んだ鶏ガラスープとベーコンとチーズは、面白いほど合います。いかがざんしょ。
2006.11.27
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小学生のころから、スポーツが好きだった。スポーツテストでは、全種目が最高ランクだった。学校の最高記録のボードに随分長い間ランクインしていた。元来、勉強嫌いだったことも手伝って、スポーツ選手になるのが目標になった。「将来の夢はパン屋さん」レベルの話だが。中学に入ったとき、課外クラブは「テニス部」と決めていた。はやりのアニメの影響だが、子どもの考えることは、所詮その程度のものだ。体育館に集められ、希望のクラブのプラカードの前に並ばせられた。テニス部は24人(女子)。「えっ!」である。2年と3年を合わせたら、100人くらいになる計算である。コートは一つ。コートに立つのは果てしなく難しいことだと思えた。萎えた。簡単に萎えた。希望者の少ない部は……、あった!「ソフトボール部」だ。8人しかいない。私が入って9人。3年になれば、かなりの確率でレギュラーになれる。よこしまだが、現実的だ。そっと並んだ。調整勧告(希望者の多い部を希望すると、少ない部をすすめられる)もなく、調整勧告に応じて入部を希望してくる子もなく、9人で決定。それなりに練習し、それなりに試合をし。「スポーツ選手になりたい」という思いは相変わらずあったものの、ソフトボールの選手になりたいとは思ったこともなく、じゃ、具体的に何の選手に? と言われても、現実と理想のギャップが大き過ぎると思えたので、高校以降の話かな、くらいにしか思えなくて。私はピッチャーで3番だったけれど、キャッチャーで4番の子が体も大きく、キャプテンだったので、彼女が最も目立つ存在だった。3年の秋、引退試合になる大会で、明らかに「スカウトマン」とおぼしき人が何人か試合を見ている。私は、キャッチャーで4番のキャプテンを見に来ていると思っていた。が、試合が終わると、彼女ではなく私に声をかけてきた。「君、1日に何球投げてる?」「100球です」「300球投げなさい。それと、体重を10kg増やして」「えっ!」「君はいい球持ってるけど、体重が軽いから浮きやすい。体重を増やすと重い球が投げられる」「……」胃腸が弱い私には、拷問のような課題だった。食べても、食べても太らない体質だったし、太った自分がピッチャーとして活躍していたとしても、何もうれしくないだろうと思って、ソフトボールはやめた。高校では「帰宅部」だった。親がうるさかったし、クラブは何かとお金が要る。スポーツ選手への夢も萎えてしまっていた。高校に入って間もなく、昼休みに図書館に行こうと思って校庭を横切ろうとすると、「おい! ◯◯(私の名)、お前、投げられへんか?」と声をかける者がいる。振り返ると、体育の教師で、バレーボール部のコーチのその男が私を見ている。ソフトボール部のない学校であるにもかかわらず、ソフトボール大会をやっている。生徒対先生でだ。いま考えると、罠だったのだ。少し前に実施されたスポーツテストのハンドボール投げで学校の記録を塗り替えた私や、有望なのにクラブに入部しない人間をスカウトするための罠だったのだと思う。そんなことが理解できない私は「え、いいですけど」と承諾して投げてしまった。どつぼである。バレー部のコーチはもとより、他のクラブの先輩方が私のクラスに押し掛けてきて、断るのに四苦八苦した。もし、バレーボール部に入っていたら……、うちの学校はバレーでは全国一になる常連組だったので、私の人生は大きく変わっていたかもしれない。そんな妄想を抱くことなく大人になり、ボウリングをすればお尻が痛くなり、ゴルフをすれば肩や横腹が張る、という常人になり下がってしまった自分がいる。合掌。
2006.11.26
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きょう、ゴルフの練習に行きました。よく行く小料理屋のママのお嬢様(既婚者で子持ち)と行く約束をしていたので、久々に体を動かそうかと。都会の、距離のないゴルフ練習場だし、本コースに出る予定もないなので、別に目標とか、目的とかはありませんでした。練習場での練習は5年振りくらいだし、本コースも3年くらい前に一度、その前は5年くらい前といった感じで、一線から遠ざかっている状態ですので、軽い気持ちで練習場に行きました。お嬢様は、背丈も体重も筋力も、通常の女性の体とは異なり、華奢で小さく、弱々しい感じです。ところが! ボールを打つことに関しては、男の人より男性的です。あ、女性だから、玉を打つという非情ができるのか。…戯れ言はさておき、ボールを前に飛ばすことについては、信念があるようです。チャレンジ精神は異常なほど旺盛です。自分が若いなら、脳が柔軟なら、現状と違ったことにチャレンジし、理想に近づく努力をしようとしたかもしれません。でも、でも。そうならなかったのも、闘いに負けたということかもしれません。もちろん、チャレンジに年齢制限も、限界もないことはわかっています。が、チャレンジには力が要ります。体力、精神力、思考力、想像力、そして人間力…。頑張ろ。
2006.11.25
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久々の「プリズン」シリーズ。同居人の話を総合すると、留置場、拘置所で会った同類項の傾向は、とみに変化しているようだ。以前からの系統を踏む「暴力団系」は相変わらずプリズン事情をよく知り、どういうわけか他の房の情報も熟知している牢名主的存在として君臨する。「外国人系」は、よその国で犯罪を犯しているにもかかわらず、平然としているそうだ。同居人の房にいたのは中国人だったそうだが、とにかくいい加減でぐうたらな人間で、他人とのコミュニケーションもしなければ、遠慮もない。犯罪をするために日本にやってきたという匂いもする輩のようだ。「覚醒剤系」は最近とても多いらしい。ほとんどが無職で、それでどうやって高いヤクを手に入れることができるのか疑問を持つばかりだが、一家の主だという者もいるというから驚きだ。検挙される人間など、氷山の一角だろうから、日本はかなり覚醒剤に汚染されているようだ。北の陰謀がシミのように広がっていっているということだ。これは、最近の傾向のように思うが、「神経症系」もかなりいるとのこと。「神経症」は言い換えれば「ノイローゼ」ということになり、正常な精神状態を欠いた常人ということになるが、じっくり調べれば、「統合失調症」という「脳障害」も含めた「精神病」の者がちょくちょく入ってくるそうである。ゆえに、事件の内容も極めて奇妙である。ある、殺人容疑者の例を一つ。妻も子もありながら、精神障害のため長い間無職だった彼は、生活保護を受けつつハローワーク通いをしてようやく仕事が見つかった。それが飲食系の職場だったため、練習を兼ねて家で夕食をつくっていた。そこへ妻が帰宅した。包丁を持って振り返ったら、急に妻が倒れ込んできたので、包丁をわきに挟んで妻を受け止めた。運悪く、妻の胸に包丁が刺さってしまった…。彼は、「妻は貧血だった」と言っていて、事故扱いになりそうだという。にわかには信じ難いが、万が一、彼が統合失調症ならあり得る話である。殺そうとした感情や行動を、何らかの理由をもって正当化しているのかもしれない(天から声がした「妻は死にたがっている」など)。正常な人間が、ちょっとした間違いで罪を犯し、プリズンに入ってしまったら、心が病んでしまうこと間違いなし、である。そこには後悔も、反省も、正義も、更生の意識もなく、再犯の可能性が極めて高い人間たちと、罰の現実と、極めて悪いオーラが渦巻いているだけである。そんな拘置所も、刑務所も定員オーバーで四苦八苦している。そこにいる輩(死刑確定の受刑者以外)は、確実に娑婆に出てくる。既に出てきた者もたんまりいる。我々のまわりで虎視眈々と犯罪の機会をいまもうかがっているのだ。合掌。
2006.11.24
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材料がシンプルで、味付けも簡単で、しかもモリモリ食べられるのがこのメニューです。本来、「はりはり鍋」というと、京菜の「水菜」と「鯨」の鍋。鯨が手に入らないので、別のタンパク質と合わせざるを得ません。いろいろやってみましたが、これはいける、と思ったので、ご紹介します。材料:水菜/和牛切り落とし/京薄揚げ 調味料…鶏ガラスープの素、醤油、塩コショウ、 オイスターソース、酒、みりん、 ごま油、片栗粉※「京薄揚げ」というのは、少し肉厚の薄揚げ。手に入らなければ、絹厚揚げでも、普通の薄揚げでもOK。つくり方:.水菜をざく切り(3等分くらい)に、薄揚げは2~3cm幅に切ります。土鍋に水を張り、沸いてきたら鶏ガラスープの素、塩、酒、みりん、醤油、オイスターソースで味付けし、味が決まったら水溶き片栗粉で少しだけとろみをつけ、ごま油を落として香りづけします。土鍋をテーブルコンロにかけ、材料に火を入れながら食します。牛肉はすぐ火が通るので、しゃぶしゃぶ程度で上げるのがコツ。器に取ったら、お好みで粗挽き黒コショウを振りかけて。片栗粉で濃度をつけるのは、牛肉がパサパサになるのを防ぎたいから。こうすれば、安い切り落とし肉でもおいしくいただけます。モリモリ食べても材料費はわずか。歯ごたえのある水菜は“噛む”という動作が必要で、噛めば“食べた”ことが実感できるので、食後の満足度がUPします。シメはお餅がベスト。水菜に砂がついている可能性があるので、できれば土鍋のスープを別の鍋に取ってください。このとき、底からすくうのではなく、上の方のスープを静かにすくうようにして。中華麺でも大丈夫ですが、煮すぎないようにしないと、味が濃くなります。モヤシやネギを入れると、味わいが変わっておいしくいただけます。水菜はまだちょっと値段が高いですが、きょうのはりはり鍋は、二人で3束、78円×3=234円、京厚揚げが128円、和牛切り落としが250gで700円ほどでした。1,000円ほどで大満足の夕食でした!ぜひ試してみてください。
2006.11.23
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私の業界(広告)は、バブル崩壊後、ご多分に漏れず価格の暴落が続いている。そんな額で仕事を受けていては、会社の維持も、社員の生活の面倒も到底見られるはずがないというような額にまで下落してしまっている。では、なぜそんな額になったのか……。会社が維持できないような額にしてしまったら、総倒れになるではないか……、本来はそうなのだ。しかし、それでも仕事を受ける業者がある。それを可能にしているのには訳がある。異業種の参入である。異業種とはいっても、とても近い存在だ。本来は末端の単純作業を担っていた印刷業者が「企画、デザイン部門を持ちましたので、制作もさせてください」と売り込む例が多い。映像なら、ポスプロといったところか。バブル前からそうした動きはあったが、成功する試しがなかった。印刷の、編集やMAの延長線上では料金にならないからだ。料金にならないといい人材は集められないし、勢い、いいものはつくれない。で、仕事が来ない、というのが常識だった。が、いまは仕事があるようだ。何が変わったのか。それは、景気低迷によって、社会全体の質が低下してしまったのだ。「安かろう悪かろう」がまかり通る世の中になってしまったからだ。それともう一つ。パーソナルコンピューターの普及で、プラス「クリエイティブソフト(デザイン、音楽制作、編集)」の普及によって、ズブの素人に、しかも審美眼のない人間に“自分にもできる”という妄想を抱かせたことが、プロの仕事を軽視する状況をつくってしまったのだ。そうした質の低下は各分野で起きている。政界。本来、政治や法律の勉強など全くしていない素人以下の人間が政治家になっている。財界。「自分は社員のやっていることは知りませんでした。経営は、自分だけでやっているわけではありませんでした」と、上場企業の最高責任者が裁判で堂々と言う世の中。よしんば実情はそうであっても、そう言えないのが最高責任者なのだ。そんな輩がうじゃうじゃいることは、推して知るべしだ。教育界。だれも責任を取らない。生徒が自殺しても、原因を「いじめ」にしたくない。文科省の決めた、根拠の不明な「いじめの定義」に当てはまらな部分を躍起になって探し、少しでも引っかかっていたら、「原因不明」と報告する。それは、学校の、市町村の教育委員会の、都道府県の教育委員会の地位を下げたくないから。どうでもいいのだ、そんなことは。教育委員会の仕事は、国政や自治体の与党の思想に左右されない、偏重のない教育を子どもたちが受ける権利を遂行させることにあるのであって、教育委員会の組織下にいる人間たちの文科省に対する評価や、天下り先によって増減する収入の心配を子どもの人生と引き換えにしてしまっている。私は、自分が納得できない仕事は受けないし、不当な値引きには応じない。一度許してしまうと、それが自社の定価になってしまう。会社を運営していけないような価格が定価になると、通常の業務では、存続していけないということになる。そのようなことを言うと、人は「強気の商売してるね。わがままちゃう?」と言う。「わがまま」じゃない。「私は、クライアントが得したと思う企画とモノを提供します。その対価として正当な額だと思います」と言う。それで発注がないのなら、それでいい。存在価値がないということだ。でも、正当な額で受けた仕事には責任を持つ。決して、「全く効果がなかったよ」などと言われることはない仕事をする。それを実践してきたから、19年間も存続できたのだと勝手ながら考えている。そんな覚悟で政治家をしていますか? 経営者をしていますか? 先生をしていますか? 公務員をしていますか?否でだろう。自分なりの信条を持っているからわがままを言える。言ったわがままには責任を持つ、そんなことが断言できる日本人は、果てしなく少なくなった。レベルの低くなった国民の目を欺き続けて彼らは生き延びていくのだろう。合掌。
2006.11.22
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街を歩いていると、いろんな「~しないでください」を見かける。「ここにゴミを置かないでください」「危険ですから、ここから身を乗り出さないでください」「この塀の内側に入らないでください」「花壇にゴミを投げ入れないでください」「落書きをしないでください」「物を投げ捨てないでください」……当たり前のことばかりである。そんなことをする方がおかしいということをわざわざパネルにしてある。アメリカでは、断崖絶壁の超危険な場所に、そんな注意書きはないという。各々が自らの責任で危険な場所に足を踏み入れるのだから、各々で判断すべきだというのである。訴訟大国・アメリカが、である。日本は、何でも「行政」の責任にしたがる。ちょっとした事故があったら、“注意書きをしなかった責任者が悪い”という。それを嫌う企業はさまざまな手法で対処するが、元来、責任意識も賠償の痛手も感じていない行政は対処もいい加減で槍玉にあげられやすい。しかし、である。よく考えたら、不注意で、遵法意識も薄く、自分の責任を他人に転嫁する無責任な人間が、たまさか行政の管轄範疇で事故に遭った(偶然か必然かさだかではないが)場合、行政を訴えて賠償金をせしめたとしたら、注意深くて思慮深く、自分の行動に責任を持ち、税金をきちんと払う善良な人間に賠償金の負担がのしかかるということになる。これは納得できない。それを防ごうとすると、巷の多くのもの(道路、マンホール、歩道、橋梁、街灯、地下鉄、河川などなど)を対象にして起こり得るすべての事故への警告を考え、パネルを製作する必要があるということになる。これもまた、公金の無駄遣いである。しかし、人々は利己主義のもと、自分の権利を主張する。日本人の知的レベルがこれほどまでに下がってしまったのは、何が原因だろうか。権利には義務が伴うことが無視されてしまったのは、何故だろうか。どう考えても正当とは言えないほどの「左偏重の教育」と「マスコミ」だろう。権利ばかり主張して、国民として、有権者として、親として、人間としての義務を説いてこなかった教育がそして、それを是としたマスコミが、いまの日本をつくってしまったのだろう。しかし、国民に責任がないわけではない。法治国家に生きる人間として、当然守るべき法規を余りにも簡単に無視する輩がいる。例えば、「信号無視を見とがめられ、警察に静止を求められた車両が逃走した」などというのはその典型である。その結果、対向車線にはみ出し、対向車と追突して死亡事故に至ったといったような悲惨な事故に至った場合、マスコミはニュースで必ず「◯◯警察署は、“追跡は正当で、過剰なものではなかった”とコメントしています」と言う。当たり前である。静止を求めた車がそれを振り切って逃げたとしたら、追いかけるのが正常で、追いかけなければ「逃げ得」、つまり、違法がまかり通る世の中になってしまう。問題なのは、警察に静止を求められているにもかかわらず、逃げられる神経である。これは、利己主義以外の何者でもない。左偏重教育の「罪」の終焉形であろう。しかし、責任を取る者はない。「公務員」という法律に守られた人間が、自らの勝手な思想を子どもらに押し付けて自己満足の世界に浸るという犯罪にも近い行為を行ったことを裁く法律も、そんなバランス感覚のある法曹界の人間も、それらに対抗できるほど知識のある市民もいないのが日本だから。それを野放しにした60年間は、これからの日本に想像を絶するほど重く、重く、のしかかるのである。
2006.11.21
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書き込みをしてくれた高校生にカキコしていたら、自分も食べたくなったので、ブログに書きます。オムレツのバリエーション。●納豆オムレツ添付のだしと辛子を入れて納豆をよくかき混ぜます。青ネギをどっさり入れて混ぜ合わせてスタンバイ。卵3個にマヨネーズ(大さじ1)と塩少々、水(もしくは牛乳/大さじ3)を加えて混ぜた卵生地をサラダ油を敷いたフライパンに流し入れ、オムレツをつくります。半熟のいい塩梅になったら、納豆をのせて卵で巻き込みオムレツに仕上げます。マスタードとマヨネーズか、マヨネーズと醤油のソースをつけていただきます。*私は、かき混ぜない納豆と青ネギを卵に混ぜ込んで焼く方が好きです。添付のだしと辛子、マヨネーズを混ぜたソースをつけながらいただきます。●ホウレン草&ベーコンオムレツフライパンにバター15gを溶かし、ベーコンを炒めます。ホウレン草を投入し、しんなりするまで炒め、塩と粗挽き黒コショウで味付けします。キッチンペーパーを敷いた皿に上げ、水分を切ります。「納豆オムレツ」と同じ要領で焼いたオムレツにホウレン草&ベーコンを包みます。ソースは、ケチャップか、ケチャップが甘くて苦手な人は、トマトソース(ハーブや調味料が入っているもの/市販品)がおすすめ。●チーズオムレツ卵生地をフライパンに流したら、すぐさまピザ用チーズをのせます。通常の手順でオムレツに仕上げたら、ソースをつくります。フライパンにオリーブオイルを大さじ1程度入れ、薄くスライスしたタマネギを炒めます。油が回ったら、シメジ、椎茸、マッシュルームなどのキノコ類を投入して炒めます。トマトソースを加え、塩コショウで味を整えます。オムレツにソースをかけ、全体に粗挽き黒コショウをかけたら出来上がり。●ジャーマンポテトオムレツジャガイモを皮付きのままラップし、チンします(電子レンジの「根菜」メニューで)。布巾でジャガイモの皮をむき、適当な大きさにカットします。フライパンにバターを入れ、輪切りにしたソーセージか1cm幅にカットしたベーコンと一緒に炒めます。味付けは、塩と粗挽き黒コショウ。これを、卵生地(3個分)で巻き上げ、オムレツをつくります。このままでも十分おいしいのですが、物足りないと思う場合はこのソースで。フライパンにバター(15g)を入れ、薄くスライスしたタマネギを炒めます。お好みのキノコ(しめじ、まいたけ、マッシュルームなど)を加えて炒め、生クリーム(150cc)を投入、塩とブイヨン(顆粒)少々、粗挽き黒コショウで味付けをし、少し煮詰めます。濃度がついたらソースの出来上がり。オムレツにかければ豪華な雰囲気に。●フーヨーハイ風タマネギ、椎茸、ニンジンを細切りにします。フライパンにサラダ油を敷き、むきえび、とともに野菜を炒めます。卵3個をときほぐします。塩コショウと薄口醤油少々で味付けします。卵生地に炒めた材料を加え、サラダ油を敷いたフライパンで焼きます。オムレツ形にしても、丸形にしてもOK。小鍋に水を入れ、中華だしの素と塩コショウ、薄口醤油、オイスターソース、ごま油を入れ、片栗粉でとじてあんをつくります。オムレツにあんをかけて出来上がり。卵というのは、食卓になくてはならず、あれば食卓を彩り、食欲を満たす、まさに万能食。あっぱれ!!
2006.11.20
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先日、「徹子の部屋」に田中宥久子(たなか ゆくこ)さんが出演していた。以前にも何度かテレビで拝見したことがあったが、以前ヘアメイクをしていた、ということと、現在、自らが考案した若返りマッサーを実践し、本やDVDを出していることくらいしか知らなかった。「徹子の部屋」では、実際に彼女が考案した「造顔マッサージ」というのをモデル(おばちゃん)を使って実演していた。よく考えたら、マッサージなど生まれてこの方、一度もしたことがなかった。床屋で顔そりをした後にちょこっとやってもらう程度しか経験がなかったし、実際にどんな効果があるのか疑わしいとさえ思っていた。ところが、田中さんのマッサージは“リンパ液をスムーズに流してむくみを取る”そして“顔の筋肉を鍛えて、たるみを解消する”という、極めて単純な理論だったし、今年60歳という田中さんの顔に一切たるみがなかったので、「やってみるか」という気になった。久し振りにバスタブにお湯をためて半身浴をし、垢すりをして体と髪を洗った後、湯舟につかりながら入浴時専用のマッサージクリームをたっぷり手にとり、顔全体に塗った。まずは目の周り。こめかみからまぶた、目の下を通ってこめかみへ。こめかみで少し力を入れてそのまま耳の横、首筋へと指を下へすべらせる。これでリンパ液が流れるのだとか。3回繰り返し。同じようにして鼻の横(小鼻より目頭寄り)、ほお骨の下、口の周り、あご、おでこ(順番は自信なし)と続け、これは自分の判断で鎖骨の内側のくぼみ(リンパ節がある場所)をマッサージしてバスタイムを終了。次の朝、全く違う顔をした自分に出会うことになった。顔の筋肉に張りが出たのか、むくみが取れたのか、どちらかは不明だが、明らかにすっきりした顔の自分が鏡の中にいた。何より、顔色がすこぶるいい。くすみがとれ、透き通るような白さが戻った。「年だから……」と諦めていたことが、間違いだと気づいた。それ以来、夜、メイクを落とすときに実行している。毎年この時期に起こっていたカサつきやつっぱり感も解消されている。しそ酢やCoQ-10も功を奏しているのかもしれないが、このマッサージは効果があると確信している。手には不思議な力が備わっていて、体のどこかに当てるだけで気の流れを正常化したり、当てた場所の細胞の働きを活性化させたりするらしい。そうしたパワーがあったのか、自分の肌に触れ、気にかけて上げたことで肌の機嫌がよくなったのか……、ま、どちらもあると思う。吉田さんの本やDVDはたくさん出ている。「7歳若返る」から「10歳若返る」にランクアップしているそうなので、購入してみようと思っている。気になる人はぜひ。
2006.11.19
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日本は「少子高齢化」が加速しているといいます。2005年の合計特殊出生率が1.25、増減の境目が2.08と言われていますから、確実に子どもは減っていくことになります。なぜ、子どもが減っていくのでしょう。考えました。男性は遺伝子的に不安定な生き物です。性染色体が女性はXXで、比較的安定していますが、男性はXY。このせいか、その昔、男の子は幼少の頃の死亡率が高く、生まれる人数は多いけれど、帳尻は女の子と同じになっているというのが当たり前でした。ところが、医学の進歩により、出生時に生死をさまようような乳児も助かってしまう世の中になりました。ゆえに、男性の数の方が女性より多くなっています。男性の生殖機能が優先される状況にありながら、子どもが増えないというのはどういうことなのか……。幾つか答えが見えてきました(飽くまでも私見ですが)。●「おかま」の激増男が「性」を獲得するのはいつなのか、それは、妊娠8ヵ月くらいにやってくるそうです。母親のおなかの羊水の中で、男の子は自分のオチンチンから体液を噴射し、自分に浴びせます。その行為をもって自分が「男性」だと認識するのだとか。ところが、母体に精神的な不安や栄養状態の不良、飲酒、喫煙などによる体機能の異常があると、おなかの子どもがそれに影響されて、体液噴射という性を分ける重要な行為を行う機会を逸してしまいます。その結果生まれるのが「おかま」です。おかまは女性と交わらない。交わらないと、子どもはできません。●薄着若い女性はとめどもないほど薄着です。へそ、背中、首筋、足……、体の機能と弱点を全く無視するように、年がら年じゅうおっぴろげています。特に「腰」はいけません。それでなくても日本人は草食動物で「冷え性」なのに(肉食人種は体温が高い)、腰を冷やすと骨盤内がうっ血し、子宮や卵巣に悪影響を与えないわけがありません。結果は、不妊症、習慣性の流産、妊娠中毒症を招き、少子化への道をひた走ります。●激減した生命の危機人類(生物全般)は、生命の危機を感じたときに生殖機能を活性化させます。種を絶やさないためです。日本は、戦後60年間ずっと平和で、過剰に人権や自由を主張する勢力のおかげで、生命の危機にさらされることがありませんでした。殺虫剤をかけられて、ケイレンしつつ尻から卵を落とすメスのゴキブリに、そして猛暑の余り、生存を心配する杉が種の保存をかけて次の春に放つ大量の花粉に投影される本能は、実は人間にもあります。マラソンなどのハードな運動をした後、男性は無性に女性を求めると言います。戦地に赴いた兵士もしかりだそうです。しかし!残念ながら、いまの「日本」というフィールド上に、国民皆が生命の危機を感じる機会はほとんどありません。●ジェンダーフリー最近、小学校では、「男児・女児を平等に扱う」そうです。言葉だけ聞くと正当なのですが、実態を知るとおおよそ正常とは言い難い内容です。体操服や水着に着替えるのは同じ教室、おとぎ話の「桃太郎」に登場する「おじいさん」「おばあさん」は、「おじいさん」が先である必然性はないので「おばあさんは川へ洗濯に、おじいさんは……」となる、など、どんな教育も男女一緒……。異常です。子どもにも、子どもなりの性の芽生えがあります。“恥ずかしい”、“◯◯くんと自分は違う”、そんなふうに考え、子どもはそれぞれの「性」を成長させます。成長がなければ、その後の異性への接触に対する期待にはつながりません。「性」には、どちらが優先、などというフォーマットはありません。求める方が優位になる、下位になるかの駆け引きをします。求められる方も駆け引きをして相手に接する。そういうごく当たり前の性関係を排除しようとしているのが意味のわからぬ「性の平等」です。こうした教育の終焉は、「性への意識の低下」です。●命の軽視核家族家が進み、「死」との遭遇の機会がなくなったことが「命を軽んじる」風潮の土台を築いてしまったと思います。また、兄弟間のけんかや親からの体罰、近所の子どもとの交流、教師の威厳が教えてくれた「自分の位置づけ」とか、自分を見守ってくれている大人の視線に対する安心感といったものが感じられなかったために、「命」も「死」も形骸化され、短絡的に「楽」と思われる道を選ぶのだろうと思います。「あの世」などはない、「すぐに生まれ変われるわけがない」「残された者は、この世の終わりのごとく悲しむ」ということを子どものころから教え込ませる必要があるように思います。●堕胎日本では毎年生まれてくる子どもの数が100万人程度です。ところが驚いたことに、堕胎される子どもの数は30万人近いのです。3割です。これは何を意味するのでしょうか。堕胎された子どもすべてが健全に育つとは限りませんが、合計特殊出生率をアップさせるのは間違いありません。生まれるときの障壁の排除、生きる意味の教育、他人が生きていることの意味や「死」の意味の伝授、次世代が活躍することへのバックアップ…。もちろん対象になるのは、前頭葉が未発達な12歳以下の人に限りますが(前頭葉 前頭前野は12歳で土台が成熟し、根本まで遡って変化させることはできなくなります)。日本の未来は、わずか1000万人余りにかかっている…嗚呼・・・
2006.11.18
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人に話していて、食べたくなりました。どちらかというと、鶏鍋より、残ったスープでつくるチキンピラフの方が好きだったりして。レシピをば。●鶏鍋「材料」鶏モモ肉/白菜/大根/キノコ類(やまぶしたけ、しめじ、えのきなど)/白ネギ調味料:チキンブイヨン/うす口醤油/醤油/酒/塩/粗挽き黒コショウ「つくり方」土鍋に水を入れて火にかけ、チキンブイヨンを投入。沸騰してきたら、調味料で味付け。大根は下ゆでしておいた方が早く煮えます。切り方はいちょう切りに。白菜はざく切り、キノコ類は石づきをとって小房に分けて。白ネギは斜薄切り。鶏モモ肉は少し大きめの一口大に。材料を投入して蓋をし、煮立ったら出来上がり。「シメにラーメンを」シメに炭水化物を入れたいところですが、翌日の朝、ピラフをしたいものですから、ぐっと我慢。もし、ピラフを諦めるなら、中華麺を入れてモヤシを投入、あれば(というか用意しましょう)チャーシューと青ネギをたっぷり加えて、ラーメン風に。これはうまい!●チキンピラフ「材料」米/ベーコン/タマネギ/コーン(缶)/マッシュルーム(生でも缶でも)/バター/塩/うす口醤油/粗挽き黒コショウ/浅葱かパセリ(みじん切り)/鶏鍋の残りスープ「つくり方」通常どおり米を洗い、水を切って炊飯器の内釜へ。鍋の残りスープが煮詰まっているようなら、水を加えて調整。これをザルでこしながら内釜へ注ぎます。通常炊飯の目盛りに足りなかったら、水を足します。味を見て、薄くなったようなら、塩、うす口醤油で調整しましょう。ここに、1cm幅に切ったベーコン、薄くスライスしたタマネギ、コーン、マッシュルームを加えて蓋をし、スイッチON!炊き上がったら全体をよくかき混ぜ、バターと粗挽き黒コショウを振り掛けて再び蓋をし、10分程度蒸らします。器によそったら、小口切りにした浅葱か、パセリを振り掛けて彩りを添えます。鶏の旨味がたっぷり入ったスープがご飯をふくよかに炊き上げます。あー、食べたい!
2006.11.17
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最近、自転車が増えたと思いませんか?少し前、こんな話をするとだれもが「経費節減のために企業が自家用車から自転車に乗り換えたのだろう」と言われました。事実、身辺には、自家用車やバイクをやめて自転車を導入する企業がありました。でも、この状況は違います。明らかに、歩くのをおっくうがっているのです。少しの距離でも自転車に乗る。私の住んでいる地域は、信号が変わるとドドドーッと自転車が走り出し、歩行者や自動車はそれに圧倒されるばかりです。「上海や……」いや、それ以上かも。なぜなら、ものすごいスピードと、歩行者と至近距離で走り抜けるマナーの悪さは、日本、いや大阪独特ではないでしょうか。さらに危険なのが「さすべぇ*」です。(*「傘立て」。自転車のハンドルに傘が固定できる専用器具)猛進してくるおばちゃんの自転車には、「さすべぇ」とそれに差した傘が、揺るぎようのない状態で固定されています。傘の先が歩いている私の頭を突きます。「痛っ!!」そんな声にもおばちゃんは動じることなく一切無視し、前方のみ注視してペダルをこぎ続けます。また、2ケツも危険。いわゆる二人乗りです。最近の自転車は車体が軽くできているので、二人乗りには不向きです。ヨレヨレしながら走ってきた2ケツの自転車が接触したとき「痛っ!!」思わず声を上げると、後ろに乗っていた若い女性が振り向き、『バ~カ』と言わんばかりの顔をされました。こちらが歩行者であるときばかりではありません。車に乗っているときは、さらなる注意が必要です。ヘッドフォンで音楽を聞きながら携帯メールをし、自転車に乗っている高校生、何の確信があるのか知りませんが、信号を無視してものすごいスピードで飛び出してくる男子校生の自転車、何台も並走して走る女子高生の自転車、とろとろ走り、どっちへ行くか不明なおばちゃんの自転車、よろよろで、ひっくり返られると大惨事になると、恐怖を抱くおじいちゃんの自転車……。その上、不法駐輪です。私の最寄り駅の周辺は駐輪禁止エリアになっていますが、隣接しているショッピングセンターに行く客のため、駅のロータリー周辺は日中、何百台かの自転車で埋め尽くされます。車椅子などは問答無用、松葉杖も通常歩行もままならない状態になってしまいます。通勤時間帯は、監視員のような年配者が出て、自転車に「迷惑駐輪はやめましょう」のステッカーを1台、1台に貼り付けていきますが、ま、効力はないでしょう。監視員がステッカーを貼り付けているその横で、駐輪しようとしているおばさんがいます。「そこは、駐輪禁止ですよ」「ちょっとだけよ」「どれくらい?」「買い物の間だけよ」「何分くらいですかね」「2時間程度よ」……これが、大阪のモラルの実態です。久しく苦々しく思っていました。うれしいことに、今年から自転車に対する違反の罰則が厳しくなりました。当然です。自転車は「軽車両」です。「道路交通法」で、軽車両の違反行為には厳然とした罰則規定があります。切られるのは「赤切符」です。運転免許証のある運転者には、行政処分というのがあり、この場合は「青切符」です。「赤切符」は刑事処分で、「前科」になります。これまでは、懲役刑しかなかったため、“そこまでするほどのことでは……”と見逃されてきましたが、目に余るものがある現状に対応するため、「罰金刑」が加えられ、これに沿って取り締まりが強化されました。気をつけてください。代表的な違法行為はこれらです。●二人乗り(6際の未満の子ども一人は可)●夜間の無灯火●並走(「並走可」の表示のあるところ以外)●走行可能表示区域以外での歩道の走行●自転車通行ゾーンが設定されている横断歩道でのゾーン外走行●飲酒運転●傘を差しての走行●整備不良(ヘッドライトやブレーキなど)もちろんもっとあります。最も気をつけていただきたいのが「警笛」。自分の走路上に人がいるからといって警笛を鳴らすのは違反です。警笛は、相手に危険が差し迫っている場合のみ鳴らすことが許されています。「そこのけ、そこのけ」状態の警笛は違法なのです。遵法意識やモラルの低下した日本では、自転車は凶器です。自動車は辛うじて免許を取るという関門があるので、一応法律を理解していますから、凶器的な扱いをする人は少ないのですが、自転車はもう「ほとんど」と言っていいほどだと思います。「死亡ひき逃げ事故」が日常化する前に、善処されたし。
2006.11.16
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ハチのカレーの味が戻りました。わかっているだけでも1ヵ月、酸っぱいままでした。きょう、とにかく早く出かけたので、1順目に入ることができ、出てきたカレーを恐る恐る口に運ぶと……、おいしい!戻っていました。いつもの味です!でも……、辛さが増しているように思いました。いつもはそんなことないのに、涙がチョチョ切れます。心なしか、ほかのお客さんの鼻をすする回数もいつもより多いような……。あのとき、ママに何があったのかわかりませんが、無事、味が戻りましたので、これ以上詮索するのはやめます。一時は、プロフィールの「好きな食べ物」と「はまっているもの」からハチの名前をはずさないといけないかと悩みました。これで安心です。松尾さんには、過去のブログで心配させてしまいましたので、謹んでご報告いたします。また、食しに行ってください。あー、よかった!
2006.11.15
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このテーマで書き続けてはや6回目。そろそろ最終回にしたいと思っていますが……。これが原因で起こっている事件が余りにも多いので、もう少し引きずるかも。で、前頭葉の未発達で、実際にどんな現象が出現するかというと……(社会人編)●「羞恥心の欠如」電車内で化粧をする、電車内で飲み食いする、どこにでも座り込む、公衆の面前で(女子が)パンツが見えても動じない、背中(お尻)が見えるファッションに抵抗がない、人前で大声で私的な話ができる など●「マナー・モラル意識の欠如」ポイ捨て、電車・バス内での携帯電話での会話、禁煙エリアでの喫煙、狭い道路での横並び歩き、公共の場での大声の会話、違法区域での駐輪・駐車、路上での唾吐き、電車内での無神経な咳、くしゃみ など●「自分の位置づけ認識の欠如」親への暴力、教師への暴言・暴力、年長者への尊敬心の欠如、親の威厳・尊厳・資格・義務の欠如、友人関係を築けない など●「自己抑制心の欠如」すべてのキレる現象・逆ギレ、意識しない欲望の発露(賭け事、ピンク産業系への入れ込み…)など●「集団生活が困難」自己中心による不調和、精神的な集団への同調の不調、会話や行動の調和の困難 家族との不調 など●「遵法意識の欠如」禁止区域(ほとんど)での自転車の並走・二人乗り・違法駐輪・傘を差しての走行・子どもを二人以上乗せての走行、違法期間の飲酒・喫煙、あらゆる犯罪の実行、犯罪後の逃走・隠蔽 など●「血縁者との関係構築心の欠如」子殺し・親殺し、親戚縁者との法的闘争、絶縁、親戚との交渉断絶、先祖軽視・蔑視 等●「反社会性の発露」愉快犯、類似犯、重大犯罪の実行と後悔の欠如、再犯、指名手配犯の逃走 等いろいろ書きましたが、最もわかりやすい現象は、「逆ギレ」です。「逆ギレ」する人は、あらゆる犯罪や反社会行動に走る可能性があるということです。いえ、あなたが悪いのではありません。ご両親が前頭葉を生育させる教育を施してくれなかったことが原因です。あてはまることがあったなら、あなたは欠陥人間になってしまったということです。決してあなたのせいではありません。とはいえ、犯罪を犯してしまう可能性のある人物であるということに違いはありません。それを自覚して、できるだけの訓練をして生きていってください。でなければ、他人を、そして、自分をも傷つけてしまう狂気を備えた人物であるのですから。
2006.11.14
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自殺の連鎖反応が起こっている。先日、ビートたけしと爆笑問題が司会を務める討論風番組が放映された。番組中に、「いじめ」についてインタビューを受ける小学5、6年生14人が登場した。「いじめられたことがあるか」…ある:10/14人「いじめたことがあるか」…ある:9/14人いじめたこともいじめられたこともあるという人間がいることになる。「人からされていやなことは、人にしてはいけない」という教育を受けていないのかもしれない。それにしても、いじめた後にいじめられていやな思いをしたなら、「いじめはやめよう」という声を上げそうなものだ。いじめられた後にいじめるなど、考え難い。「死にたいと思ったことがあるか」…ある:6/14生活苦があるわけでも、親から虐待を受けたわけでもなく、何不自由なく暮らしているのに、死にたいと思った…何を意味するのだろうか。受けたいじめが苦痛で死にたいほどつらかったということなら、「いじめをやめよう」という動きにつながるはずで、でも、再びいじめる側になるのは致し方ないという。「いじめられる側にも問題がある」「どんな?」「お風呂に余り入らないとかで、臭くて気分が悪くなる」「改善しようとしないなら、いじめられても仕方ない」「死のうと思って死ななかったのは?」「死んでもよかったんだけど、ビミョーに怖くて」…子どもの感覚は一体どうなっているのか。テレビを見ていて感じた。これは、いままで気付かなかったことだった。それは、子どもと大人の間に、「いじめ」や「死」に対する感覚に大きなギャップがあるということだ。「いじめ」は昔に比べて陰湿になり、犯罪的要素が高まり、人権や人間の尊厳をズタズタにするものになっているにもかかわらず、「罪」の意識に極めて乏しいし、恥ずかしいこと、モラルに反することと認識する規範意識が欠落している。「死」に対しては、死が“すべての終わり”で、その後できるはずのこと、経験できる幸福な体験をすべて断ち切ってしまうことであり、周囲の人を悲しませることであるという当然の思考に至っていない。“すぐに生まれ変われて、そこには幸せな暮らし、楽しい学校生活が待っている”といった、荒唐無稽なことを真剣に考えているようだ。これは、テレビゲームなどの超現実世界や映画、漫画といった架空の世界が余りにも身近にあり、“現実ではない”と教えてくれる大人がいなくなったことが原因と考えられる。一緒に住んでいたおじいちゃんが亡くなり、冷たく、動かなくなった遺体に触って泣いた経験があったら、飼っていた大好きな犬が死んで、この世の終わりほど悲しくつらい思いをした体験があったら、「死」をこうも軽々しく考えるはずがない。我々の小学時代、口げんかをするとすぐに「死ね!」と言うのがはやった。そのころ大ヒットした雑誌漫画「ガキデカ」の影響だが、それを担任が見とがめた。そのころはまだまだ多かった、乳幼児期に亡くなってしまった兄弟について真剣に考える時間を与えられた。子どもながら、兄弟の死について、自分が生きていることについて、皆それなりに思いを持っていた。人の体験や悲しみを通して、皆が「死」を見詰めた。それ以後、「死」は禁句になった。うっかり言ってしまった子には周囲の子が注意した。家では祖父母や両親が「うそをついたり、悪いことをすると地獄に落とされる」とか「悪いことをするとつかまる」ということを繰り返し教え込んだ。余談だが、人間を犯罪からの視点で3つに分類し、1.正しく生きるのに、罰の恐れを必要としない人2.罰の恐れがなければ法律を破る可能性がある人3.罰を恐れるが、犯罪抑止ほどの効果はない犯罪者制裁、いわゆる「罰」という概念が犯罪抑止に効果的なのはどういう人種かを調べると、「2」になる。「1」は遵法者なので、「罰」が抑止効果になっているのではなく、本人に備わっている理性が犯罪抑止をしていることになる。「3」は、罰についての意識(知識)が低く、さまざまな犯罪に対して遵法意識が欠如している。子どもたちは「3」である。一応、「いじめ」は悪いことで、いじめた者には何らかの制裁(教師にしかられるなど)があるかもしれないが、そのことがいじめるのを思いとどまらせるほどの効果がないのである。子どもには、小さなころから家庭教育において「ルールと遵法精神」「モラル」「社会性」「人間教育」を繰り返し、繰り返し行う必要がある。それを体現するのが学校であり、社会である。与えられた猶予は12歳である(本ブログ「前頭葉・前頭前野の成熟度1-5」参照)。早ければ早いほどいい。事が学校で起こる「いじめ」ならまだ救いようがあるが、いじめがたやすくできる子どもは、将来「犯罪」を犯す可能性が高いと考えて間違いない。手遅れにならないうちに、家庭は、学校は、「ルール」と「モラル」を教え、罪と罰を説く『恐怖教育』を実践する必要があるのではないだろうか。
2006.11.13
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週末、友達のデザイナー(男性)と、イラストレーター(女性)と食事に出掛けました。日本一長い商店街として知られる「天神橋筋商店街(1丁目)」の脇にある『月 GA-TSU』というお店。初めて出向いたのですが、気軽に食べられる創作料理と焼酎、梅酒が豊富な瀟酒な店です。「ナスのひき肉挟み揚げ」一般的にはフライにするが、これは天ぷら。白だしにつけて食べる。食器の使い方もセンスがあるし、箸も趣きがあって、“使い捨て”ではない様子。割り箸がもったいないと常日頃思っている私にはちょっとうれしい感じです。そして何より! スタッフがイケメン揃い。男前に滅法弱い私は、3人いるスタッフの顔を眺めてニヤニヤ。帰る間際に意を決し、店長さん(最も私好み)に「写真撮っていいですか?」「え、いいですよ。どうぞ」店長さんに向けて携帯カメラを構えようとする私に、「え、ボクですか?」「あったり前じゃないですか。何を撮るっちゅーんですか」で、パチリ。写真では、立体的なお顔が表現できず。「よろしかったら、これ」とご自分の名刺を出してくれました。「開高……、開高健さんの親戚とか」半分冗談で言うと、「そうなんです」驚く私に向かって、イラストレーターの女の子が「え、だれですか?」無理ないかもしれません。私より10歳以上年下の彼女が17年も前に亡くなられた作家を知らないのは。「“何も足さない、何も引かない”ってコピーを書いた。サントリーの。戦地に行ってベトナム戦争を取材した。釣り好きの……」懸命に説明しようとしますが、一向に思い出しも理解もされず。「よくご存じですね」と店長。「大好きな作家さんでしたから。ほとんどの作品を読んでいると思います」「そうですか」そんな会話を交わした後、また訪れる約束をして次の会食に(2回も会食するのか!)向かいました。3時間ほどの会食の後、ハッとしました。バッグを忘れてきたのです。大したものは入っていませんでしたが、仕事に必要な「犯罪心理学」という本と、楽天で購入した育毛剤「柑気楼」のおためしミニボトルが入っていて、何となく見られるのが恥ずかしかったので、お店の人に自転車を借りて猛ダッシュして引き取りに向かいました。1時間も前に閉店しているはずでしたが、入り口からはぼんやりと灯りが漏れていたので、自転車をとめて中をのぞくと、店長さんが一人でカウンターに座って帳簿つけか何かをされていました。「お邪魔します」「あ、気づいて追いかけたんですが、間に合わなくて」「済みません。ありがとう」ちょっと得した気分。異様に踏み込みの重いママチャリを立ちこぎしながらニンマリするのをとめられない私でした。また行こ。創味酒房 月 GA-TSUTel.06-6352-5589大阪市北区天神橋1-12-3 西田ビル1FOpen:11:00~14:00/17:00~23:00Closed:日・祝日*グルナビにも広告掲載されているようです。店長! 書きましたよ!
2006.11.12
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予想外なことが起こっていて、高校生がよく訪問してくれます。で、自分の高校時代は……と、思い返す機会が増えました。思い出しました。高校時代のいろんな出来事を。名門(私にはそぐわない感じでしたが)女子校にいた私が経験した、さまざまな出来事を書き綴ります。●痴漢との闘い制服がセーラー服だったことと、名門女子校と認知されていたため、通学の電車の中で痴漢には毎日のように遭遇しました。「大人しいから声を出さない」「抵抗しない」と思われていたのでしょう。同じ人物から何度も痴漢されて思い余った私は意を決しました。前に立ち、後ろ向きに手を回してきて私の体の前面部分を触ろうとするその男の耳元に近づいて「おっさん、また触ってんの」。その男は次に開いたドアで電車を降り、再び出くわすことはありませんでした。●大食い私は小さなころから大食いでした。朝食を食べて来るにもかかわらず、1時間の通学でおなかがすいてしまいます。持ってきたお弁当は1時間目の授業が終わってすぐに食べてしまいます。2時間目終了後の休憩時間には、食堂の「定食」(ご飯と揚げ物2品をパックに詰めた簡単なものですが)ができ上がります。急いで買いに言って、アツアツの定食を机にしまいます。その場で食べたいのですが、ぐっと我慢。当然、3時間目の授業は上の空です。3時間目が終わると机から定食を取り出し、パクつきます。実は、4時間目が終わるまで待てるのですが、食事の時間はみんなが机を合わせて集団で食べるので、それがいやで3時間目が終わって食べます。食事の時間は図書館に行ったり、購買部で立ち読みしたりして過ごします。で、まだあります。1日の授業が終了したら、購買部で残ったパンを購入し、また食べます。●おなかが……朝食1回、昼食が2回、夕食が2回と、大食いだった私が、「これはいかん」と自戒し、昼だけは1食だけにしようと決意。しかし、食堂は混むので、何とか早弁をしたい。というわけで思いついたのがこの手。4時間目が終わる10分前になるとおもむろに立ち上がり、おなかに手を添えて「先生、おなかが……」“すいた”を“痛い”と勘違いした(狙ってますが)教師が、「お、はよ行ってこい」私は若干苦痛気味に教室を出ます。向かう先は一つ。食堂です。すいた食堂でうどんやピラフを堪能し、満足して教室へ。既に授業が終わった教室では、「大丈夫?」とクラスメートが心配して聞いてくれます。「うん。もう大丈夫」。何度かそんなことをしていたとき、食堂から出てきた私は、さっき、私を心配そうに送り出してくれた教師に出くわしてしまいました。「おい、なんでこんなとこから出てくるんや」「保健室からの帰りに、ちょっと下見に」「何の下見や」「きょうの定食のメニューを」クリアしました。●居眠り私は、よく居眠りをしました。朝礼を講堂ですることがありました。香とパイプオルガン、校長の眠たい講話は高校生には拷問です。心地よい眠りの世界と現世を行ったり来たりしている私に、担任が大きな声で話しかけます。「済みません」と、目を覚まして座り直した私に「早く!」と言います。何が早くなのかわけがわかりません。壇上を見上げると、校長がこちらを見ています。事情がわからず立ち上がると、講堂じゅうに笑いが起こります。結局、何かの表彰だったりするのですが、夢うつつの私は、意味もわからず笑いの渦の中で「尊敬」とか「賞賛」のかけらもないまま賞状などを受け取っていました。授業中も同じで、寝ていて起きたら“笑い”です。理由はいまだに知りませんが、教師に怒られたことはありません。きっと、私の居眠りは、人によい笑いをもたらしたのでしょう(と思っていないと救われない)。まだあります。いずれ。
2006.11.11
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「僕は死にます。いじめた人も死んでください」そんな遺書を書いた子どもがいました。遺書自体が本当かどうかわかっていないようですが、この文言は、いじめられた側の叫びのような気がします。いじめを苦にして死んだ子どもは、「自分が死んだらいじめた側が後悔し、一生罪を背負って生きていく」と思っているかもしれません。でも、そんなことはあり得ない。「あーあ、死んじゃった」と舌を出すだけで、また違う子をいじめるのです。罪の意識がないから、いじめができるのです。連日、いじめの問題がマスコミや情報番組をにぎわしていますが、取り上げるのはいじめられる側のことだけ。“いじめた経験のある若者”が顔を最大限ぼかしてインタビューに答えていたくらいで、実際に、現在いじめをしている子や大人に直接話を聞いているというようなテレビ局はありません。いじめる側の意見をぜひ聞きたい。“だってうざいんだもの。いじめられる子が悪い”と言い切るなら、顔を出して正当性を主張してほしい。できるはずがありません。正当じゃないから楽しいのです。いくらいじめられて心がズタズタになったとしても法に訴えることは難しいと思います。「恐喝」「脅迫」のような、明らかに罪だと言えるやり方をしないのがいじめです。しかも最近の子は、「お前、うざいんだよ」とストレートに言わず、「うれしいなぁ、お前、お金持ってきてくれるんだって?」などと、婉曲にお金をせびったり、優し気に近付いてきたりするそうです。いつも思うのですが、法律は正しいもの、弱い者を助けるためにあるのではありません。極論すれば、法律を知り、法の抜け穴を利用して悪いことをする人間のためにあるのです。でも、いじめた側に何らかのペナルティを科さなければいじめは野放しになります。せめて、“罪の意識”を芽生えさせる努力を大人がしないといけません。そして、罪を犯せば罰があるということを知る必要があります。日本だけだそうです。いじめをする側の親が「いじめられるより、いじめる側になった方がまし」と思うのは。日本もバカげた人種がはびこる国になってしまいました。外国なら、自分の子どもが他人をいじめていることを知ると烈火のごとく叱るそうです。「動物にもとる行為だ! なぜそんな恥ずかしいことをしたのだ!」と。以前の日本なら、そうでした。いつからこんなことになってしまったのか。実は、子どもがいじめをするのは、大人のせいです。大人がいじめをするから、子どもも同じことをするのです。学校の教師が同僚や校長からいじめられて自殺する人数は、子どもの10倍もいるのだとか。子どもより教師の数の方がはるかに少ないのですから、割合で比較するとさらに何十倍かになるでしょう。大人が大人をいじめる。大人が子どもをいじめる。だから、子どもが子どもをいじめるのです。子は大人の鑑、子は社会の鑑。虐待、性的虐待、性的暴行、誘拐、盗撮、猥褻行為……大人がする破滅的なこれらの行為を見て育った子どもは罪の意識もなく、罪を犯す人間になるでしょう。それを防ぐことができるのは、親だけです。親は犯罪者をつくらないという覚悟で子どもに善悪を教える義務と責任があります。それができる親が、日本にどれだけいるのでしょうか……。
2006.11.10
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「自殺」ということではありません。ま、そんな経験もありますが。病気とかけがで“生死の境をさまよう”という状況です。私は一度だけあります。十数年前、独立(起業)してわずか1年半。無理をしたのでしょうね。体力的にも、精神的にも。1年半、ベッドで眠ることなどほとんどない毎日。机につっぷすか、床にごろんと寝転がるか。机の上や床に寝るのは、体のどこかが痛くて目が覚めるのを狙って。3時間以上眠ることなどできないほど忙しくて、わざと無理な体勢で眠っていました。1ヵ月ほど“しんどいなぁ”という状況が続き、これは何でもおかしいなと思っていました。食事をしても味がしないのです。脂肪分の多い食べ物は全く受け付けなくなりました。無理に食べても吐いてしまう。「元気ないなぁ」そう言う知り合いに、簡単に状況を説明したら、メロンを贈ってくれました。最初は爽やかな香りや味がうれしかったのですが、すぐに胸がつまるようになり……、それさえも受け付けなくなりました。土曜の朝、鏡を見て……「しまった!」と思いました。ずっと、悪いのは胃腸だと思っていたのに、白目が黄色くなっている……肝臓です。「家庭の医学」で見ていました。目が黄色くなる代表的な病気は「肝炎」です。少し前(見ていた「家庭の医学」の発刊が5年くらい後)の医学では、死亡率が70%と書いてありました。10人に7人が死ぬ……。少しくらい医学が進んでいても、100%治癒などということはあり得ないと思いました。そのまま、気絶にも似たような状況で倒れ込み、次に意識が戻ったのは3時間後くらいだったでしょうか。その日は夕方に打ち合わせがあり、その後接待をしようと思っていました。お酒です。肝臓に最も悪い。黄色い白目に気づかれまいと伏し目がちにしながら打ち合わせを済ませ、得意先を食事に誘いました。得意先は会社や上司の愚痴を言いながら食べて飲みます。私は……恐る恐るビールを口に含むと……まるでメチルアルコールです。戦後、アルコールを欲する余り、いけないとわかりながら飲んで失明する人が相次いだという(飲んだことはありませんが)、体に悪いことが明白なアルコールの味がします。ほとんど飲まず、食べずの私に得意先は「いやだったら、無理をしなくていいのに」と憤慨した様子。非礼を詫び、家に帰りついた私は、動くこともできず寝込みました。でも、次の水曜日までは仕事が入っています。何とかして仕事をこなし、木曜日に病院に行こうと決めました。白目が黄色いことに気づいた人もいたし、元気がない、痩せた、顔色が悪いと、気遣う人もいましたが、とにかく水曜日までの5日間を過ごした私は早起きして洗濯と掃除、ごみ捨てを済ませ、シャワーを浴びた後、近くの大きな病院に向かいました。2時間待って受けた診察の後……即座に入院することを勧告され、すったもんだの挙げ句入院した病院から保険のことで親に連絡し、驚いた親が病院に様子を見に来たとき、院長から親が聞いた言葉「2、3日が峠です」というのはとりもなおさず“死にかけている”ということだと思いました。直接その言葉を聞いたのはずっと後ですが、翌日、慌てて叔父を連れてやって来た父の顔に、涙があふれている叔父の顔に、私の死の予兆が見えていました。覚悟はできていました。もしものことがあってもいいように、掃除や洗濯を済ませました。マンションの契約書や預金通帳、売り掛け、買い掛けの伝票も携えての入院だったので、親にそれを託し、1年半ぶりに電灯の消えた静かな部屋(病室)で、心からほっとしながら目を閉じました。「ようやく眠れる……」久し振りに訪れた安堵の瞬間でした。生きるということは闘いです。一人で仕事をし、生きていくということは、だれかから仕事の代償としてお金をもらうということ。仕事がお金になるというのは、直結しているようでしていないものです。「あなたが書いたコピーのおかげで1万円の商品が100個売れて20万円儲かったので、5万円支払います、そんな世界ではありません。また、“あなたが言うように、1万個売れると信じて100万円払いますよ”という世界でもない。また、私のコピーが、“売る”という目的ではなく、“この企業は信用できる”という購買の前の意識醸成であることもあります。それを企業が認識するかどうか……認識しない企業がほとんどですが……そこから始めないと、客の“買う”というアクションには至らないものなのです。つまり、我々の職業にお金を出してくれるのは“賭け”にも似た感覚を持てる人(企業)で、その人の感覚が価格を決めるということなのです。コンビニで、お客がいないのに店にいるだけで時給がもらえるという状況、これは、コンビニ側がお客に“営業している”ということをアピールするという仕事をしてもらっているとは言えますが、仕事がお金になるということに直結していないのは明白です。闘いに破れ、病院のベッドに横たわった私は生まれて初めてのような安堵を得ました。きっと、命と引き換えにして“何もかもが諦められるという究極の状況にあったのだと思いますが、本当に安らかな眠りを得ることができました。幸いか不幸かわかりませんが、いまもこうして生きています。あのときのような安らかな眠りはその後一度も経験していませんが、異質な喜びは無数に体験しました。代わりに、“不幸だ”と思うような大きな出来事もなかったようです。死ななかったことがよかったかどうかは、その後の生き方で決まると思いますが、私の場合はよかったのだと思います。その後、同居人も得ましたし、何より、きょうまで生きてこられましたから。私の生命力、あっぱれ。
2006.11.09
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子どもの前頭前野の成長が阻害されているという現状を過去4回書き連ねてきました。で、どうなるのか、ということです。最も健全なのが「思春期障害」でしょうか。大人になろうとするときに、指針も見本もなく、周囲の期待や結果を意識する余り、できるだけよい子になろうとすれどもその形が見えず、精神に破綻を来すというもの。身近にこの病気にかかった人がいるのですが、その人は真面目で、優等生で、責任感があり、実力もある。でも、親に叱られたり、理不尽な無理強いをされたことがないので、選択してきた進路ややり方に自信がない。中学高学年あたりからどんどん不安になり、高校生になって人生の選択をしなければならない局面で発症しました。そういった例が一般的でしょうか。「最も健全」と書いたのは、周囲にとっては、ということで、本人にとっては「最悪」かもしれません。ただ、ケアの仕方がよければ、最も常人に近づける人種だと思います。次にましなのが「家庭内暴力」。これは、被害者が少ないという意味で。その子をそうしてしまった人間(家族)だけに向けられる狂気なので、社会にはほとんど悪影響がありません。(でも、「親」という最も尊敬し、尊重しなければならない相手を傷つけるというのは、「最悪」と言えるかもしれません)ひどいのが他人への「いじめ」や「暴力」。イライラやストレスのはけ口がないために、自分よりも善良な人間を標的にしたいじめや暴力を行使してしまうという犯罪に近い行為です。完全否定されるべきは、自分より弱い者を「虐待」するという行為。身体障害者や老人、幼児を標的に、ストレスのはけ口のごとく攻撃を加えるという行為はどんな理由があっても許されるべきではありませんし、それを許す世の中であってはいけません。これ以外にも、さまざまな形で前頭葉の未熟さが社会に悪影響を与えていると思いますが、そうして育てられた人間は事の善悪も、前途の方向性もわかっていないのですから、周囲が善処を促せるような社会にならなければなりません。その最低条件は、教育の現場にいる教師を総点検し、無能な教師、子どもに害を及ぼす教師は排除し、配置転換及び排除するくらいの改革が必要かもしれません。というのも、私の同級生で、教師になった人間ほど未熟で、不完全で、自己中心的な人物だったのです。教師になりたかった理由が“頭を下げなくていい”“公務員になれる”“一度立場を得たら、生涯安泰”などおおよそ教育者らしからぬ感覚を持っていました。それから、環境の劣悪な家庭の監視と指導です。親になる大人が大人でない世の中です。確固たる教育方針も、自分なりの理念もなく、ある日突然親になるという事実を突きつけられる。パニックになることもあるし、現実感を欠いたままその日を迎えることもあります。どちらにも言えることは、親になる資格がないままに現実だけがやってくるということです。こんな家庭環境で、健全な子どもが育つわけがない。じゃ、何が必要なのか……。親になるということの教育です。悲しいながら、親が身をもって、親が親たるゆえんを認識していないということです。ここで期待したいのは、親が親たる姿を示し続けた世代に、親の姿を示してもらうことです。幼稚園生、小学生に、戦中世代が威厳のある親の姿を見せてくれれば、子どもの人生観が変わると思います。……となると、曾祖父母世代になってしまうのか……そんな年齢になってしまうと、小さな子どもに厳しくなれるはずもなく……。となると、日本の未来は……。
2006.11.08
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先日、「いじめ」について書いたら、高校生から訪問されました。「うれしいなー」と浮かれていたら、ニュースで不穏なことを言っているのを聞きました。「いじめによる自殺予告がありました」。文科省の大臣宛に直接、(多分)中学生がいじめを訴える手紙を送ったということ。この子はとても賢明な子なのでしょう。自分の置かれている状況を客観視できる。本来なら。こういう子は自殺などという行為には及ばないはず。でも、いまの世の中はそういう常識の範疇を超えています。賢明な子ほどいじめられるそうです。我々が子どものころは、障害者や成績の悪い子、見た目の悪い子といった、「劣る子」がいじめられました。でもいまは、「できる子」の方がいじめられるそうです。最悪です。いじめる側にある子は、嫉妬心、劣等感の塊のくせに、恐怖心を打ち消すために征服欲を前面に押し出す。他人から攻撃されないうちに自分から攻撃する、あるいは、自分の存在感を確認するために、他人を下位に置こうとする。そうした子はかわいそうです。存在意義を、生まれてきた喜びを、大人から伝えられていない子どもなのでしょう。好きでいじめる側になったのではない。自分の存在意義を見つけるための苦肉の策だったのです。実は、哀れな子どもなのです。しかし、哀れな子どももかわいそうですが、そんな子どもにいじめられる健全な子どもはもっとかわいそうです。親から、「自分がされていやなことはしてはいけない」という当たり前にしていまの世の中では清浄過ぎる教育を受け、それを守る余りにいじめに耐え切れなくなる、それがわかっているから、いじめる側がいい気になる…、悪のスパイラルです。そしてそれを見て見ぬふりをする教師、学校、教育委員会……。最悪です(2度目)。国レベルで教育体制に根本的な改革が必要なのは間違いありませんが、もう一つ必要なことがあります。いじめられたら、わかってくれる人に相談することと、ダメだと思ったら「逃げる」こと。前にも書きましたが、異常な人間を相手に、頑張ることはありません。いじめる人間は「異常」です。その人間を取り巻く人間(親とか学校とか)も異常です。そんなものを相手に耐える必要はない。正常な環境を求めるべきです。そのとき、「自分は間違っていないのに、どうして…」などと思ってはいけません。異常の方がまかり通る世の中です。いまは。そのうちに、正常が正常と認知される世の中になると思いますが、いまはダメです。だって、お金が第一の政治家、既得権益にしがみつく役人、欲望のままに行動する教師、権利を利益に替える警察官、子どもより、再婚相手を重視する親……、異常です。いま、いじめに悩んでいるという人は、病院の精神科を通して、警察に通報してもらうのが一番かも。私も、できる限り話を聞きますが。
2006.11.07
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“「同棲」というと、かぐや姫の「神田川」を思い出す”、という人たち(50代)にとっては、男女の同居、いわゆる「同棲」はネガティブなイメージでとらえられていることだと思います。確かに、10代、20代の若い人が「同棲」するということに大人は躊躇すると思います。“恋愛は一生モノ”ではないことを知っているからです。次に出会った人に、同棲経験があることが知れるのをいやがるからです。確かに、私が20代なら、好きになった人にほかの女性との同棲経験があると聞いたら、きっといやな気持ちになるでしょう。理由は、“それほど好きになった相手がいた”という事実、“自分の好きな人のことを自分より知っている人がいる”という事実に対する嫉妬、“その人と自分は常に比べられるに違いない”という不安、“記憶は消せない”という現実……。いずれにしても、若い時代の同棲は、結婚を前提としないなら避ける方が賢明だと、年を重ねたいま、思います。では、30代、40代になってからの同棲はどうでしょう。結婚していることと同じ、いわゆる事実婚であっても、入籍しない理由は何だろう……。責任の回避、決断力の欠如、社会意識の欠落……。確かにそれはあると思います。でも、これまでどおり自由でいたい、紙切れに縛られたくない、ほかに好きな人ができたら別れられる……そんなことは、一度も思ったことがありません。妻という立場や社会的な後ろ楯がないだけにかえって誠実でいないといけないと思っています。これら以外に決定的な理由があります(私の場合)。それは、自分にとって相手の、相手にとって自分の、「必要不可欠度」です。“なくてはならない”と思う気持ち、そしてそれが永続的に存在するだろうという確信がないのです。親や兄弟の離婚経験を見ているからとか、結婚して不幸になった友人がいるといった経験からそう思っているということではありません(全くないとは言えませんが)。相手と自分の関係においてそうなのです。相手が違っても同じだったかどうかはわかりません。この同居が、最初にして最後の経験になるだろうと思っていますので、今後解明するかどうかもわかりません。前に結婚について書き込んだブログの中でも書きましたが、私には、子どもをつくることができないという事情があります。家族を持つことができない自分に結婚する理由が見当たらないのです。「ほかに好きな人ができたら、別れて」「何言ってるねん。ボクにはお前しかおらん」そんな会話を繰り返してきましたが、8年近く、同じ生活が続いています。いつまで続くかはわかりません。でも一緒にいる間は幸せでいたいと思います。相手が苦しんでいたら寄り添い、困っていたら手を貸して、楽しいものを一緒に見て笑い、そばに人がいる幸せをいつも感じていたいと思います。……皆さんはどう思いますか?
2006.11.06
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子どものころの経験を思い出してみると……。いじめはありました。ン十年前のことですが。自身がいじめられたことは……なかったように思います。私が鈍感で、単に気づかなかっただけのことかもしれません。気づかない相手はいじめがいがないので、いじめる側が諦めたのかも。小学生のころ、2回転校しました。転校直後は、やはり変な目で見る子がいましたが、幸い、そういうことを気にしない性格なのと、転校できたことがうれしかったので(転校直前、病気で1ヵ月学校を休んだせいで勉強についていけなくなっていて、逃げ出したかった)、余り考えずにクリアできました。それと、どこにも世話焼きの子がいるもので、“転校生“という珍しい代物は恰好の標的になりました。いやな意味ではないのです。“世話の焼きがいがある”という意味で。私の場合、隣の席の男の子が親切にしてくれました。その子は、子役の役者として関西圏のドラマなどに主演している子で、周囲が彼を見る目が違っていたので、よりいじめ回避につながったのかも。中学生になって、文化の違いを見せつけられました。3つの小学校から生徒が集まる中学校だったのですが、私が卒業した小学校以外の子(特に男子生徒)が障害者を特別視するのです。私の学校の生徒にはあり得なかった現象です(皆、正常な教育を受けていたのだと思います)。出席簿の順が、私が前で障害者の子が後ろだったので、また、その子が私を慕ってくれたので、いつも一緒にいました。すると、見ず知らずのよそのクラスの男の子にスカートをめくられるということが続きました。意味がわからず、「私ももてるようになったものだ」とのんきなことを考えていました。それでもなお、その子といることをやめなかったので、自然といじめはおさまりました。中学3年生のとき、別のクラスの女の子(足に障害を持っていて、知的障害も少しありました。家が貧しく、中学卒業後、ある工場への就職が決まっていました)が、泣きながら私の教室に来て、私を呼びます。私しか、助けてくれる人間はいないと思ったのでしょう。「どうしたん?」「●●さんと、▲▲さんと、■■さんが……」全部女の子の名前。「何かされた?」「臭い、汚い、あっちいけって……」ピキンと来ました。怒りがこみ上げてきます。でも、よそのクラスのことです。私がしゃしゃり出る場合ではないと判断し、「ちょっと待っといて」と彼女に言い残して職員室に走りました。そのクラスの担任は、学校でも人気のあるいい教師です。何とかしてくれるだろうと、疑いなく思っていました。事情を話した私に、その教師が言いました。「事を荒立てんといてくれ」耳を疑いました。そんなことをこの教師が言うとは。「受験前で、みんなイライラしてるんや。そっとしといてくれ」「何でですか! ◯◯さん(いじめられた子)の学生生活は中学で終わるんですよ!」「そやけど、受験は大変やろ」完全にキレました。“担任がやらないなら自分がやる!”という決意で振り返ると、そこには私のクラスの担任がいました。“暴力教師”と言われた彼に、暴力の必要ない指導法を教えた私の耳元で彼は「やれ。俺が責任を取る」とささやきました。私は意を決し、猪のごとく問題のクラスに向かって走りました。出入り口に仁王立ちし、「●●、▲▲、■■、出てこい!」呼び捨てです。びっくりした3人が私のところに来ました。私の形相に怖じ気づいたように言います。「××さん(私)、どうしたん?」「お前ら、何やっとんや! ◯◯さんに臭い、汚い言うたそうやな」「そんなこと、言うてへん……」「泣きながらうちのクラスに来たがな!」「……」「あの子の学生生活はこの学校で終わるんや。あんたらにいじめられた思い出を最後にさせるんか。そんなことになって、気持ちええんか!」「……」そこに、いじめられた子が戻ってきました。「謝れ。私の前でこの子に謝って、“2度としません”と誓え。謝るまで、帰らへん」「そんなつもりやなかってん……」「どんなつもりやってん!? あんたらがそんなつもりやない言うても、この子がいじめられたと思ったら、いじめたことになるんや。謝れ!」「ごめん……。そんなつもりやなかってん。もう2度としません」「許したるか? 謝ってくれたけど」「うん、うん」いじめられた子もなぜか“ゴメン、ゴメン”と言っています。きっと、私が余りにも恐かったので、いじめた子をかわいそうに思ったのでしょう。「△△(このクラスの学級委員長)、来い!」学業優秀なこの子は、私も仲良くしていた友達です。でも、呼び捨てにしました。事と次第をすべて見ていたその子はすごすごとやってきました。「あんた、このこと、知ってたか?」「知らんかった……ごめん」きっと知っていたと思います。顔を見れば明らかです。「学級委員やったら、ちゃんとクラスの面倒見ろ。あんたに相談でけへんから、私のとこに来たんやで。しっかりしぃ」「ごめん……」いじめた子らも、学級委員も、いじめられた子も号泣です。「きついこと言うてごめんな。仲良くしてぇや。中学最後のクラスメートなんやから」教室を後にし、私の担任に報告に行きました。担任は、私の顔を見るなり、指で輪をつくり「ん?」と問いかけます。私も輪をつくってうなずきました。高校のときには、いじめが原因でやめた子がいました。私にはちょっとなじめないグループがありました。何をするにも一緒で、人の悪口や批判を聞こえよがしに大きな声でするその子たちも一人一人は至って普通の優しい子です。しかし、寄ると触ると目障りな感じがするグループでした。7人ほどいたメンバーの一人が突然やめるというのです。私が知ったのは、やめる当日でした。担任と一緒に教壇に立ち、挨拶をします。「事情があって学校をやめます。いままで、ありがとうございました」そう言うその子を見るメンバーの目は冷ややかで、明らかに何らかのトラブルがあったことがわかりました。やめる子はそのまま学校を後にしました。私は職員室に走りました。担任に「いじめられたんじゃないですか? 同じグループの子たちに」「そんなことはないでしょう。高校は義務教育じゃないから、やめたいという人を引きとめることはできないのよ」その高校はいわゆる“名門校”で、合格倍率が2.5倍という狭き門をようやく通過した人間が、1年足らずで退学するということをどう受けとめているのか……。「ご両親も納得されてるんですか?」「地元の高校に編入させるっておっしゃってたから、了解済みでしょう」そう言われては、私が口出しできることでもなく、引き下がるより仕方がありませんでしたが、いじめた側に何のペナルティもないのは納得がいきませんでした。どんなトラブルがあったのかはその後もわかりませんでしたが、いじめた側はのうのうと学生生活を過ごし、卒業していきました。でも、それでいいのだと思います。世の中からいじめをなくすことはできないでしょう。いじめる側にならないようにすることはできても、いじめられる側にはだれもがなり得ます。そんなとき、ある程度闘うことも、我慢することも必要ですし、だれかに助けを求めることも大切ですが、ダメだと思ったら、逃げることです。“逃げるが勝ち”です。常識から逸脱したような、犯罪にも等しいような行為をする相手から逃げたところで、本当に“負けた”ことにならないでしょう。“逃げる”=“人生の敗者”などと思う必要もなく、プライドを傷つけられたと思う必要もない。新天地で楽しいこと、幸せと思える時間を持つことの方がずっと重要です。考えなければならないのは、いじめる側の歪んだ感情がどうして生まれたかということです。その原因は家庭にあるのか、学校にあるのか、本人の人格の崩壊なのか。ケアしなければならないのは、いじめられた側ではなく、いじめる側です。いじめる側をケアしないと、一生、いじめられる人間を生み出す狂人のままです。違うでしょうか?
2006.11.05
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通常、人は自分自身を自慢することは少ないと思います。特に私は、家族から褒められて育っていないので(というより、蔑まされて育ったというのが正解で)、自慢するとイタい人間に思われるような思い込みがありまして……。ま、ブログで自分自慢するくらい、世間から許してもらえるものと信じてやってみます。自分が自分を褒めずにだれが褒めてくれるかってことですよね。●腹筋100回ゆっくりやれば、200回可能。中学以来、特別なトレーニングなし。●足首が細い男性の腕時計ならはめられます。女性用の「ゲルマブレス」も入りました。●カラスの足跡なし!25歳を境に出ると言われる目尻のシワ「カラスの足跡」、ありません。高校生の子どもがいてもおかしくない年ですが。あ、エステなどには行ったこと、ありません。●酒強し焼酎ならハーフボトル、ワインなら2本。●股下78cm、身長162cm。これって微妙。長いとは言えない。でも、身長175cmの同居人と同じ。同居人、短!?●徹夜OKいまは無理ですが、最長9日間徹夜しました。わずかな隙に眠っていたようですが。一度もベッドに入らなかった日数です。●傷なし!手術経験なし。ピアス、タトゥーなし。◯◯◯なし。●早起き寝るのがどんなに遅くなっても、遅刻なし。目覚ましが鳴る前に起きるのが信条。しかし、超低血圧。目が開いたと同時に立ち上がりますが、いつもフラフラ。●好き嫌いなし何でもOK(食べ物よ)。ゲテモノなど形状の異様なもの以外はOK。●箸上手箸の扱い方は絶品。勝てるものならかかってこい!●原始的体質自然治癒力を頼りに生活しています。どうしても耐えられなくて病院に行くと「悪いときに来てください。もう治っています」と言われます。読み返してみると、自慢とは言えないことばかり。何か、身につけるよう努力します。あ、資格がありました。●速記士●秘書2級●漢字検定初段●運転免許●未生流/ワープロ(第1回検定認定)/英検……意味ないじゃん。自信喪失。再度励みます。*心理学的に、自分を分析する機会を持つことはとてもいいことだそうで。よし悪しにかかわらず、自分を振り返る時間を持ち、自分を卑下も過大評価もしないことが重要のようです。
2006.11.04
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“子どもの前頭前野が発達を阻止されている”というテーマで過去3回書き込みました。前回、“次回は最終回にできる”と書きましたが、またしても脇道にそれる話を。人間の前頭前野の成長に欠かせない事柄が幾つかあります。一つは「他人とのコミュニケーション」。他人との触れ合いの中で自分の位置付けを知り、役割を知り、他人の心を察する心が養われます。二つ目は「厳しさ」。しつけるときに、ある一定の厳しさが必要です。“優しく言い聞かせてもわかる”という大人がいますが、犬がそうであるように、人間も、会話の中で自分の位置付けを感じ取ります。優しくされると“相手より自分の方が優位”と誤認します。自分が屈服せざるを得ない存在がいること、そして最初のその存在が親であることは、極めて重要です。三つ目は「挫折」。子どもは小さな挫折を繰り返します。“高いところのものが取れない”“取りたいものが重くて持ち上がらない”“持っていきたいが、大き過ぎて持てない”そうした物理的なことから“駆けっこで同じ年の子に負けた”“あの子はできたのに、自分は計算できない”“自分より歌のうまい子がいる”といった、身体能力的なこと、“遊びに行きたいのに、親が外に出してくれない”“お菓子を食べたいのに、ママが取り上げる”“パパがママと仲良くしている”など大人との力関係の中で味わう挫折までさまざま。挫折が自分の弱さ、未熟さを知る機会になり、挫折をした者の痛みを知ります。そして、挫折をするごとに心をたくましくしていきます。四つ目は「情愛の体験」。親との関係においてはもちろん、保育園の友達や先生など、自分にかかわる人から情愛を受けるという経験は、相手に情愛を与えられる人間になるために必要不可欠です。五つ目は体を使った「闘争」。人間を含め、動物は戦う生き物です。生存のためには戦わざるを得ません。その本能を有無を言わせず封印すると、体力がピークになったとき、爆発します。有効なガス抜きがスポーツです。運動を通して正常な闘争を経験すると、負ける悔しさ、勝つ喜びが、前頭前野を成長させてくれます。予断ですが、暴れる若者のほとんどはスポーツの経験がありません。あっても、途中で挫折してやめてしまっているはずです。これら5つの要素の一つでも欠いてしまって成長した中学生以上の子どもは、「危ない」と考えるべきです。非行、家庭内暴力、陰湿ないじめ、犯罪……当事者になってしまう前に、対策を講じる必要があります。ボーダーラインを越えてしまったら、決して正常な状態に戻ることはありません。なぜなら、“ボーダーラインの向こう側に戻ろう”と自覚するのが前頭前野ですから。その前頭前野が未成熟な人種が、こうした考えを持つことができないのは、言うまでもないことです。また最終回が延びてしまいました。スミマセン。
2006.11.03
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「かまどや」などで購入する弁当に入っている魚(「焼き」しか経験がないが、「煮」も該当するかも)には骨がない。「鮭」「鯛」(弁当の中で見たことはないが)といった比較的大型の魚ならいざ知らず、「秋刀魚」「鯖」など、小骨の多い小さな魚まで小骨1本ない。中国で、骨抜き作業をしているらしい。いわゆる“人海戦術”だ。当然である。コンピューター制御の「骨抜きマシン」などあるはずがない。女工(差別用語?)さんが、「毛抜き」ならぬ「骨抜き」で、1本1本抜いているとか。やらせているのは日本企業。工場を中国につくって安い賃金で手間のかかる、そして精度を要求する作業を女工さんに課している。気持ち悪いのだ。「塩焼きサンマ」に1本も骨がないのが。そして、“開けて閉じた”形跡があるのが。焼き魚なら、背骨や小骨があることは予測できるし、我慢できる。全くないのは違和感がある。“骨がないありがたさ”より、“ゴム手袋の手がほじくった気持ち悪さ”の方が勝つ。といいつつ、先日「白身魚フライ」のランチで驚愕した。フライにする「白身魚」は「タラ」とか海外から輸入された銀ダラに似た味の「メルルーサ」といったものが主流で、大抵骨がない。そのランチに出てきた「白身魚フライ」には「皮」がついていて、多分「チヌ」だと理解した。「チヌ」は「黒鯛」と呼ばれる高級魚だ。通常、700円ほどのランチに2切れ(+エビフライ3尾)も出てくるはずがない(夜の営業で余ったものだろう)。が、身がほっこりして、味わい深く、うれしさこの上ないのだが、全くいただけないのが「骨」がどっさり出てきたことだ。しかも、ものすごく固く、長い骨が。「白身魚フライ」に「骨」が残っているこことは、経験したことがないほどの衝撃だった。しかも、上あごに思いっ切り刺さって気づく、という衝撃の状況だったため、前後不覚の酩酊状態に陥った。しかし、である。そんな衝撃を受けながらも、どちらがいやか、と聞かれたら、やはり“骨抜き”か。「日本人が食べるんだから」と、中国人美女が「ペペッ」と唾を吐きかけているということも、もっと汚いものをすり込んでいることも、“あり得ない”ことではない。逆に、“骨が残っている”という状況は、とりもなおさず“人の手に毒されていない”ということを意味する。生命の基本である「食」、大丈夫だろうか……。
2006.11.02
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数日前に書いたブログ「結婚する意味って」……にご意見をいただきました(男性から)。結婚することは、“責任を持つ覚悟をすること”だそうです。「結婚する相手の人生に」「相手の親に」、です。もちろん、“好きな人とずっと一緒にいたい”という気持ちがベースにあってのことです。素晴らしいことです。こういう考えを持って一人の女性と共に人生を歩もうとすることは、よき時代の日本の男の美学の体現です。この時代に、古きよき時代の行動美学を実践している人があることは、日本の未来を明るくすることだと感動します。理論的には。私も若いころは、“同棲”などという“ふしだら”“いい加減”“中途半端”“義務の放棄”とも言える行為は受け入れ難いと思っていました。「同棲」を容認する男は、とんでもない無責任男だと思っていました。しかし……。“相手に責任を持つ”ということの意味合いが、いまひとつ、わからなくなっています。所詮、男と女は違う生き物です。感情のバランスも、相手に対する思いの強さも、心にひっかかってしまう要素も全く違います。“幸せ”“快感”“快適”などと思うポイントも違えば、“不快”“許せない”“仕返ししてやる”というレベルも理解できないほど違います。その落差を理解する必要があるかないかで言うと、落差を経験しない若いときは必要がなく、落差を知ってしまった年代になると、必要があると言えると思います。なぜなら、落差を認識しない年代に出会い、一緒に暮らすことになった男女は、ほぼ同じ感性が養われるチャンスがあるから、二人で同じものを見ることができるからで、落差を知ってから出会った男女は、落差を埋める努力をしてからでないと、怖くて一緒にいられない、あるいは、一緒に生活するテスト期間がないと、人生の一大事には踏み切れないという感覚があるのだと思います。単純な言い方をすれば、女は結婚すれば男に興味をなくしますが、男はますます女に興味を持ちます。なぜなら、女が既婚者に興味を持つからです。“タガメ”の本能に近いものがあるのかもしれませんが、“だれかが選んだ男”は、“女が選んだ経歴(結婚)のない男より、魅力がある”という前提になっているのです。妻は夫にしか意識が向かなくなり、夫は、新たな女性に意識を向けるから、二人に距離が生まれる。対して男は、結婚をした女性には興味をなくします。(一概には言えない時代になってきましたが)結婚をすると、男女が置かれる状況、受ける待遇は全く違ってしまいます。そして何より、男は「逆境」に弱く、自分を取り巻く状況が変化すると、頭で考えていた「覚悟」や「責任」の質がいとも簡単に変質してしまうということを女性が認識しているので、そうそう簡単に「結婚」という単純にして簡単、でも、余りにも“絶対的”な形式を取れずに日々を過ごしてしまいます。「同棲」と「結婚」が“同一線上”にあるように解釈している方も多いようですが、全く異質なものだと思います。ご意見を下さった男性の奥方がおっしゃっておられましたが、“結婚に向く人とそうでない人”がいるそうです。なら、結婚に向く人は決して同棲はしないでしょう。両者に差がないからです。しかし、結婚に向かない人にとっては、両者の間には決定的な差があります。なぜなら、結婚に向かない人間は、「家庭」「家族」を肯定できない人種だからです。そんな、もろくて実態のないものを信じていないからです。幼少のころの体験からでしょう。「責任」「覚悟」が変態する瞬間を知っているから相手が自分に対して、自分が相手に対してそういう誓いができないのでしょう。(この感覚を持っている女性は怖い! 家庭が崩壊することを何よりも忌み嫌っています。家庭崩壊の糸口を見つけた瞬間、結婚を、相手の存在を全否定し出します。よしんば、元の鞘におさまったとしても、不安と疑念が常に頭の中で渦巻き、二度と平和な日々が訪れることはないので、こういう女性と結婚した男性諸氏、ご注意を)となると、やはり結論は「家庭」なのでしょうね。相手と“家族になりたい”と思えたら、結婚できるということでしょう。いつまでも恋人のままでいたい、相手に対して女であり続けていたいと思ったら、結婚はできないでしょう。とはいえ、うちの状況はちと違います。同棲8年目に入りましたが、最初からナニは1年に1度もないというペースで(というか、間6年間は1度もなく)、彼の癖は膝枕で、毎朝布団をはぎ取られて風邪を引きかける毎日で、経済的にも、家事的にも、親戚づき合い的にも何ら優位性というか、メリットというか同棲を続ける意味合いが全くありません。しかも、公文書に押印する機会が何度もあったり、救急車のごとく、深夜、救急病院に搬送したり、ハイヤーのごとく、仕事場に送り迎えしたり、口を開いたら「メシ」という腹すかし体質に対応したりと、きっと結婚よりひどい状況を続けていると思います。……、これはいかん。「結婚する意味って…」と問いかける前に「同棲する意味」を考えなければならない自分に気づきました。近いうちに「同棲する意味って……」をアップします。
2006.11.01
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出張先として圧倒的に多いのが東京です。何せ、日本第二位の大都市・大阪から出張するのですから(人口では神奈川に負け、経済成長率では名古屋に負け、大阪府・大阪市ともに巨額の借金を抱え、ひったくり発生件数日本一を24年間も続けていて……何が第二位の都市なのか……)、相手はその上であるのが自然です。出張するときには、1、2日対応できなくなる断りを得意先に入れるわけです。「出張しますので、対応できなくなります」「どこ?」「東京です」「テロに気をつけてね」そんな(定番中の定番の)会話をするのですが、それをしてしまった以上、“迷惑をかけた”的な状況に対して何らかのリアクションをしなければなりません。で、“お土産”、となるのですが、東京駅構内で目につくのが「東京ばな奈」です。購入する人も多い。でも! 「東京」と「バナナ」に関連性を見いだせるはずもなく、「クーヘン」とか「シュークリーム」とか「花の子ぶた」とか「うさぎ」とか、仲間を増殖しつついい匂いをさせながら、構内で幅をきかせています。「東京ばな奈」を否定するつもりはありませんが、私が買って帰った東京土産としてダントツに喜ばれたのが東京銀座・松崎屋の「松崎煎餅」です。一袋500円の「特選手焼(辛子)」(5枚入り)は最高!3枚食べて、2枚になっていますが……厚みといい、噛みごたえといい、味わいといい、これこそ「煎餅」! と手をたたきたくなります。日本茶にはもちろん、ビールや焼酎、バーボンにもむちゃくちゃ合います。そして何より、500円で得意先をうならせることができるのが、貧乏企業にはありがたい!東京に行ったら、ぜひ手に入れてください。東海道新幹線改札口から在来線へ向かう途中にある「東京銘品館」を入ってすぐのところにあります。「黒ごま煎餅」もおすすめです。ちなみに、東京の食べ物でおすすめしたいものがあります。実際、「食は大阪」だと思います。大阪では、まずい店はやっていけない。でも、東京にはある。まずい店がたくさん(というより、まずい店の方が多い)。そんな中で、東京でハズレがないのが、「とんかつ」と「うなぎ」。大阪に比べてちょっと値段は高めですが、それでも惜しくないと思える味です。浅草や上野の老舗のうなぎ屋や、洋食屋のとんかつは絶品です。あー、食べたい!(あー、いやしい!)
2006.11.01
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