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2006年の日本は、「いざなぎ景気」を超えるほどの好景気だと言われました。ある分野では、そうかもしれません。でも、その分野に属する人間はごくわずかで、そのわずかな人間が利益をむさぼり、その下級に属する人間には過酷な条件で発注する、あるいは、発注を条件に無理難題な課題を与えらるという、景気を実感する機会も与えられずに過ごすことを余儀なくされた人種が、不公平感を抱いて過ごす年末になることは予想に難くありません。世の中全体が、大きな「いじめ」の構造になっている。………。改めて、このテーマをアップします。きょうは、お脳がお昼寝しているようで…。
2006.12.30
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夏場の平均気温が沖縄よりも高いという亜熱帯の大阪にも雪が舞い降りる1日となりました。関(三重県)越えをして実家に戻る私としては、とてもありがたくない年末です。昨年は辛うじてクリアしましたが、一昨年は通行止めでえらい目に遭いました。今年は250kmを難なく走破できますやら。昨夜は、原稿を担当しているラジオ番組の忘年会でした。たくさんの情報が集まるマスコミならでは、というか、マニアックだけど、とてもおいしいお店でした。食べたのは鶏鍋。鶏肉(牛肉で言うならスジ。淡泊で歯ごたえがすごい)、キャベツ、ニラ、薄揚げ、ニンニクスライス。出汁は当然鶏。濁っているので、丸鶏をじっくり煮込んで出汁をとったのでしょう。「天下一品」の濃厚さの半分くらいですが、鶏の臭みもほんのりあって、旨味が半端じゃない。一緒のテーブルにいた26歳の女の子は、眉間に皺を寄せ、「おいひぃ」と感激すること10数回。一人暮らしの彼女にとっては、あったかい鍋は心と体にしみるのでしょう。心からほっこり、まったり、満足できる味でした。テレビに比べればおとなしいものの、さすがマスコミだけに宴会はそれなりに盛大で(というか、酔い方がやかましいだけ)、ワイワイ言いながらの楽しい3時間でした。「忘年会」が年を追うごとに少なくなっています。10数年前までは、10回近く誘われたものですが、最近は多くて3回、今年は2回でした。忘年会が多い方がうれしいとはいいませんが、少なくなるのは寂しい感じです。というのも、誘われなくなった理由が、“規模を縮小した”とか、“招待者の見直し”といった、いわゆる「リストラ」的なものではなく、誘ってくれていた会社が倒産したとか、社長が行方不明になったといったような、結構究極の理由であることが多くて、この時期になると気持ちが暗くなります。「栄枯盛衰」「盛者必衰」です。「普通」と思うことが「幸福」で、「当たり前」と感じることが、実は薄氷を踏むようなきわどい偶然の重なりの上に成り立っているということを、実感した1年でした。明日は、今年最後の書き込みになるかな。
2006.12.29
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【愁える来訪者】私の事務所に遊びにくるタレントさんがいる。テレビやイベントなどに声や顔を出す、売れっ子のナレーター&MCである。関西圏の人なら、一度は彼女の声を耳にしたはずというほどあちこちの媒体に登場している。その彼女は霊感が強いらしい。強いといっても、“見える”とか“お告げが聞こえる”というポジティブなものではなく、“憑かれる”系のようだ。彼女が言うには、「ここに来ると、必ず持って帰ってしまう」そうだ。「ここ」は私の事務所を指す。家のみならず、事務所にもいるのかとまいった。後に、違う人にもっとハードな話をされたのだが、それは後日。最初に遊びに来たときは、帰るときにどうも肩が重い、と感じていたそうだ。疲れが取れないし、やる気も出なくて「どうしたのかな」と不思議に思っていたら、訪れたカットサロンで「すごい強いのが憑いてるよ」と美容師さんに言われたとか。その美容師さんは強烈な人で、自分の中に霊を入れて(吸い出す、といった感じだろうか)、外に吐き出すことができるらしい。そうしてもらったら、重かった肩もよくなり、見違えるように気力がみなぎってきたと。でも、そのときは、うちで憑いたとは思わなかったそうだ。2度目に遊びに来たときも同じ症状が出たが、折よくロケで香港に行くことになり、「環境を変えればよくなるかも」とほっとした気分になったそうだ。香港についてすぐ、プライベートタイムにお寺に詣ったら、すっかり元気になり、ロケの間じゅう楽しめたとのこと。日本に戻って、くだんの美容師さんに話したら、「あなたの恵方にあるお寺だったからよかったのよ」と。お寺が彼女を守ってくれたということか。2度目の事件で、彼女はわが事務所に何かがいたのだと、そして、それが自分に憑いたのだと確信したそうだ。3度目以降は、わが事務所に来る前に何か防衛策を取っているようで、恨みつらみを言われたことはない。食事のために外で会うときは、私から「きょうは私の肩にのせてきたから、そっちに上げるわ」と肩を近づけて言う。彼女は本気で逃げる。彼女は「事務所にいる」と言うが、実際は、私の肩や背中にいて、彼女が来ると、彼女にのり移るのかもしれない。いずれにしても、ぞっそしない話である。きょうも来客が数人来た。もしかしたら、皆、何者かをのせて帰っていったのかもしれない。合掌。
2006.12.28
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その7【新築マンションの先住の者ども】マンションの一室にあったわが部屋は、玄関横の部屋を事務所スペースにあてていたが、事業拡張計画に伴って事務所を別に移したため、住まいとしてのみ使うことになった。しかし、一人暮らしの部屋としては広過ぎた。住まいだけとなって5年ほど経過したとき、強姦まがいの侵入者があったり、空き巣に入られたりといった事件が立続けに起こり、不用心であることもあって、住まいを移そうと決意。不動産屋に物件を見にいった寒い日の夜のこと。のんびりテレビを見ているときから、どうも騒々しいと気付いていた。具体的にはラップ音くらいなのだが、周囲を動き回る何かの気配がする。「何か」といっても、例の「落ち武者」であることは明白なのだが、これほど早い時間から騒々しいというのは初めてのことだった。シャワーを浴びているときも、私の回りにだれかがいる。「エッチやなぁ。だれ? 出て行ってよ」そう言うと、出ていったのか静かになる。かなり素直で真面目な人物のようだ。いよいよ就寝の時間になった。灯りを消し、布団に入る。すると、さきほどまでの喧騒がうそであるかのように静まり返っている。「あれ、おかしいなぁ」と不思議に思ったのも束の間、布団の外に出していた手をムンズとつかまれた。何をしたいのかがわからず、つかまれたまましばらく動かなかった。しかし、次のアクションがないので、「痛いなぁ、放してよ」と腕を引いた。すると、意外にもあっさり放してくれた。このことを皮切りに、部屋じゅう再び騒々しくなった。大勢が歩き回っている。何人くらいいるのかを分析しようと耳を済ましていると、足元に違和感を覚えた。私の体を挟むようにして両側に重みを感じる。布団が凹んでいるのがわかる。ゆっくり上がってくる。足だ。私の体の左右を踏みながら、頭側に上がってきているのだ。腰のあたりまできたとき、足がとまった。目を開けても何も見えないが、あっちからは私が見えているのだろうな、そんなことを考えていると、お腹から胸にかけて、ずっしりと重くなった。「ま、まさか、乗ってきたの?」ということは、私の顔のすぐ前に落ち武者の顔があるということになる。さすがにそれは気持ち悪い。布団から出たいのだが、重くて動けない。「ちょ、ちょっと、苦しいやんか! どいてよ」すると、すぅっと重みが消えた。これまた素直な人物のようだ。「で、何しにきたん。大勢で」しかし、騒々しさはおさまらない。「あ、そうや。もうすぐこの部屋から出て行きます。長い間住ませてもらって、ありがとうございます。次の住人とも仲よくやってください」そう言うと、にわかに静かになった。『挨拶をしろ』ということだったようだ。入居のときもきちんと挨拶をしておいたらよかった。そうすれば、もう少しおとなしくしてくれていたかもしれない。しかし、ちょっとエッチな行為はどういうことだろう。自分たちの生きた時代と余りにも違う現代にいることから、現代の女に興味を持ち、私のことを少し知りたかったのかもしれない。ひょっとしたら、私に恋をしてしまった落ち武者がいたのかも……。
2006.12.27
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その6【新築マンションへの来訪者】●ラップと不思議な灯りすっかり落ち武者たちの出没が当たり前になったころ、長年の友人がわが部屋に遊びに来た。テレビをつけて話をしているときはよかったのだが、元来、怖がりのこの友人は、耳や目を異常に働かせる。布団に入ってスタンドだけにし、二人して寝転んで話し込んでいると、ラップ音がする。私は気付かぬふりをして話を続けようとしたが、「ちょ、ちょっと待って! 何か音がした…」「どこにぃ」「あのあたり…」彼女が指差したのは、正確な位置だった。いつもラップ音がする向こう側がトイレという位置の壁だ。「あの向こう側、何?」「トイレ」「えっ、だれか入ってるんとちがうん?」「そんなわけないやん」「見てきて!」「はい、はい」何もないことはわかっていたが、見に行った。トイレのドアを開けると、背後から「ギャッ」という声が聞こえた。ラップ音よりその声の方がよほど怖い。うつ伏せになったまま固まっている彼女の背後から言った。「今度は何?」「ス、スタンドの灯りが…」「どうしたんよ」「暗くなった…」それもよくある現象である。スタンドのみならず、部屋の灯りが細くなる現象が以前から起こっていた。「古いスタンドやから、通電がおかしくなっているんよ」「ほんま?」「怖がりやなぁ」そう言って彼女をなだめて、布団に潜り込んだ。ラップも灯りも、落ち武者が自分の存在を示すためにやっているいたずらなのだろう。それから朝まで、幾度となく彼女の「ギャッ」「えっ!」「うそぉ」といった驚嘆の声が聞こえてきた。翌朝、目の下にクマをつくっている彼女を見て、申し訳なく思った。●カギの怪前出の彼女とともに、小学時代からの級友がもう一人いる。彼女は保母で、前出の彼女は看護師である。ある日、保母の級友と、彼女の部屋に宿泊した看護師の級友の二人が私の部屋にやってきた。しばらく談笑した後、食事に行くことになり、玄関まで歩を進めた私はあることに気がついた。「あれぇ、カギ閉めてくれへんかったん?」「え、閉めたよ…」保母の級友が顔をこわばらせた。「開いてるよ。ひょっとして、○○さんの部屋とつまみ(サムターン)の動作が反対なのかな」「違う、一緒よ。確認して閉めたもん」「そう」看護師さんの親友は無言である。以前体験したラップやスタンドの件を思い出してゾッとしているのだろう。以前、何回か鍵が開いていることがあったのだが、自分のかけ忘れや勘違いとして処理していた。落ち武者の仕業であると確信した。私の部屋に来た人は皆ラップ音を聞いている。何かの気配を感じた人もいたかもしれない。そして皆、二度とわが部屋には来たがらなかった。この部屋には10年間住んでいた。幾度となく落ち武者たちが出没したが、引っ越しが決まってからの出没は、ほかの場合と違って、とても迫力があった。それは、寒い夜のこと……。 〈つづく〉
2006.12.26
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その5【新築マンションに棲みつく者ども】10人ほどの人間(落ち武者と推察した)がどやどやとやってきた事件からほどなく、私は正月の帰省で部屋を5日ほどあけた。夜になって久々に部屋に帰ってきた私は、解錠してドアレバーをおろし、何気なくドアをあけた。するとドアの隙間から、ふわっと抜け出てきた空気は、おおよそ私の部屋のものとは思えない、臭気というか、温度というか、よくわからない違和感にいやな感じがした。ドアの前でたじろいでいる私の耳に、ふいに何かが届いた。男の声である。大勢で何かを話し合っているのか、同時に何人もが話しているといった感じの声が確かに聞こえる。暗闇の向こうに、一体何があるのだろうか。「落ち武者だ!」とっさにそう思った。そのままでは中に入ることができない。思い切って声を出した。「ただいま!」すると声がピタッとやんだ。灯りをつけた。当然だれもいない。足音もしない。「すんませんな。皆さんでお集りのところ。申し訳ありませんけど、きょうからまたおります」空間に向かって大きな声で言った。その夜は、無事何もなく過ごすことができた。しかし……、さらなる出来事が襲ってくる予感がした。なぜなら、落ち武者たちは、確実にマンションの敷地のどこかにいると思えたからだ。言い換えれば、落ち武者たちの棲み家の上に断りもなくマンションを建て、勝手に住んでいる無礼者はこちらなのだ。よきにつけ、悪しきにつけ、落ち武者たちが出没することは、想像に難くなかった。怒らせることも、おだてることも禁物だと思った。そうして、落ち武者たちとの共生が始まった。私はそれでよかった。しかし、うちに遊びに来た友人を恐怖に陥れるという事件がたびたび起こった。小学生時代からの友人が来たときは……。 〈つづく〉
2006.12.25
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その4【新築マンションに蠢く気配】昼の日中から、裸足で侵入してきた謎の物体のことが心の奥にタールのようにへばりついたまま数日を過ごした。まだまだ時間がかかると思われる仕事にキリをつけ、事務所の灯りを消してリビングに行き、テレビをつけて寝室の準備を始めた。当時の自宅は、寝室のコーナーを開放するとリビングのテレビが見えるようなレイアウトになっていたので、布団に入った私はしばしテレビ画面を見ていた。が、頭の中は仕事のことでいっぱいだった。目に入る空虚な画像が意味をなさないと気づいた私は、リモコンでテレビをOFFし、灯りを消して眠ることにした。真っ暗な中でもまぶたの内側に文字や画が浮かぶ。企画の仕事のことが頭から離れないのだ。そうしてしばらく過ごしていると、また、あの音だ。ピタピタピタピタ。玄関側から寝室の方へ歩いてきている。しかし、それだけではなかった。シャシャシャシャ。何か、繊維質のものが挟まっているような、濁った音がした。さらに、パタ、パタ、パタ、パタ。少し硬質なものの音がした。ピタピタに比べると、テンポがゆっくりしているように思える。寝室の横のフローリングのリビングを歩き回っているような気配がする。正確に聞き分けることはできないが、10人くらいいるような気がする。はたと気がついた。寝室を開放していたので、リビングと一続きの状態になっている。足音の主には私が見えているはずである。私には何も見えない。外から入るおぼろげな灯りのせいで、家具やテレビのフレームくらいは見えているが、侵入者の姿は見えない。予想どおり、足音が寝室に入ってきた。畳がわずかにしなるような音がする。頭の上に回った。そのまましばらく音がやんだ。パタ、パタ、パタ。まず硬質な音がし、ピタピタピタピタピタ。シャシャシャシャシャ。明らかに先ほどよりは速いテンポで幾つかの音がうごめく。頭の上の足音も、慌てたように寝室から離れた。音は再び玄関側へと消えていった。音や気配のなくなった部屋で、いましがた起こったことを思い返した。いまのは、一体何だったのか…。「ピタピタ」は裸足の小姓、「シャシャ」は藁草履の傭人、「パタパタ」は武将……そんな想像をした。すぐ隣にある「国立病院」や、その東隣の打首及びさらし首場の存在が、戦国武将にまつわるようなストーリーを考えさせてしまったのだ。しかし、その想像がほぼ間違いではないということがこの後に起こった事件で立証されることになる。 〈つづく〉
2006.12.24
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その3【新築マンションに潜む者】母の奇行の後に見た、灯籠と祠の怪を解明できないまま数日を過ごした私は、その理由の一端を体感することになった。そのころ私は、事務所スペースを設けた自宅で仕事をしていた。神経を集中しないとできない仕事をある程度こなし、一休みして気持ちをリフレッシュしようとしたときのこと。リビングのコーナーにある和室の部屋に寝転んで、腕枕をして壁に向かって考え事をしていると、聞こえてきたのだ。遠くから。ピタピタピタピタ。玄関からこちらに向かって廊下を歩く音。裸足だ。ピタピタ…ヒタ。キッチンに入った!キュッ(蛇口をひねる音)、ザーーッ(水が出る音)。確実に水が出ていると思った。慌てて言った。「もったいない! 止めなさい!!」キュッ!!(蛇口をしめる音)少し置いて、ピタピタピタピタと、玄関に向かって歩いていく足音がした。立ち上がって、キッチンの流しを見た。洗い桶の中に、たまっていないはずの水がたまっていた。この事件を皮切りに、歴史をいまに映すような事件が多数起こる。ピタピタの意味も早晩わかるのだ。こうして、長い闘いが始まった。 〈つづく〉
2006.12.23
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その2【新築マンションの秘密】母が異常な現象を見せた後、煙幕の向こう側に黒い塊があるような、気味の悪い気持ちを抱いたまま実家で10日間ほど過ごしたが、気遣いの要らぬ一人暮らしが恋しくて早々にマンションに戻った。しばらくは安静にしたいと思ったが、運がいいのか悪いのかマンションに戻った次の日には仕事の依頼が舞い込んだ。私が入院したことなど知るよしもない、イレギュラーな得意先だった。その後、入院の事実などなかったかのように、毎日違う得意先から連絡が入り、忙しい日々に戻っていった。しかし、月に1度の検診はしばらく必要で、そのときばかりは自分が3ヵ月の長きにわたって入院していたことを思い出さざるを得ない。何度目かの通院後、マンションに戻った私は、何かに導かれるようにエレベーター横の階段を上がって、エレベーターの裏側を見た。そこにあったのは、苔むした「灯籠」だった。ポツンと一つだけ。なぜだかゾッとした。そして、灯籠と反対の位置にある、階段ホールの裏側に目を向けた。ギョッとした。祠(ほこら)があった。しかも、新しいものだった。部屋に戻った私は考えた。灯籠と祠の理由を。安土桃山時代には戦場だったその土地に住んでいた人は、戦火に巻き込まれた家族がいたり、落ち武者の悲惨な姿を見たりしたはずである。そうした家庭では、庭に灯籠など仏に灯火を献ずる習慣が生まれた。時代が移り、古い家を壊してマンションに立て替えようとしたが、灯籠を撤去しようとすると、それに手をかけた人間が次々と具合が悪くなったり、死亡したりした。撤去を諦め、灯籠を隠すようにマンションを設計した。しかし、災いが広がらないように手だてを講じる必要に迫られ、祠を立てた。さしずめそうした流れではないかと想像した。妄想に過ぎないかもしれないが、そんなストーリーが隠されていてもおかしくないと思えた。灯籠を見てゾッとした感覚は、心に薄じみをつくった。「もしかしたら…」と想像する思考範囲を激しく広げた。そして、それが現実になるときは、間もなくやってきた。 〈つづく〉
2006.12.22
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子どものころから心霊現象を体験することが多い。住んでいる場所とか、一緒にいる人と関連することはあると思うが、割とわかりやすい体験をしている。最近もあったので、その中の幾つかを披露しようと思う。その1【新築マンションの怪】以前、安土桃山時代に繰り広げられた戦争に深くかかわりのある地域に住んでいた。我がマンションと道を隔てた東側の敷地には、総合病院があったが、その時代には、戦争で亡くなった落ち武者の無縁仏の墓地だった。その東側には、公園があり、そこはその時代の打首及びさらし首場だった。高度経済成長のただ中にあった昭和の世に、無縁仏の墓は掘り返され、造成された土地に建ったのは、大阪屈指の大病院だった。病院の向かいの新築マンションに入居した私は、わずか1ヵ月で大病を患い、くだんの大病院に入院した。約3ヵ月の入院生活中、父が観葉植物に水をやりに家に入ってくれたが、そのたびに首をかしげて言っていた。「冬なのに、すごい湿気があるようだ。観葉植物が渇水でしょげているのではなく、カビか何かにやられてしょげている」と言った。私はさほど、そんな言葉を気に留めることはなかった。物理的な理由としては、コンクリート打ちっ放しの外観から、コンクリートが乾き切るまでの2、3年は湿気があるのが当たり前だと思ったからだ。しかし、精神的にはひっかかるものがあった。居住したわずか1ヵ月の間に、何かしら違和感を抱いていたのは事実だったからだ。約3ヵ月間の入院生活を経て退院できるまでに回復し(実はある理由で主治医に病院を追い出されたのだが)、退院の日を迎えた。母と父が退院する私を迎えに来てくれた。母は霊感が異様に強い。さまざまな逸話がある人だが、自分ではその能力にほとんど気づいていない。退院の日、病院で使ったものたちを3人で私の部屋に運び、すぐさま実家に向かうことになった。旅行鞄二つと紙袋二つ程度の荷物を部屋に上げた。部屋に入った途端、母がブツブツ何かを言い始めた。「おかしい、おかしい…、何か変や、いやや…」私は奇妙に思ったものの、退院したての自分の体調も気になっていたため、母の独り言を無視し、言葉をかかぶせて注意をこちらに向けようとして言った。「かあさん、トイレに行ったら? 家まで40分以上かかるから」母は、視点の定まらぬ目でこちらを向いて言った。「あ、そうやね」母はトイレに入った。しかし、ドアを全開にしたまま用を足そうとする。いくら熟年夫婦とはいえ、父がいるのだから、それはまずいだろうと「閉めたら?」と私がドアを閉めようとすると、「開けといて!!」えらい剣幕で制止する。その剣幕に抗うことができずそのままにした。その後、実家に戻り、その日はそのことに触れずに過ごした。翌日、やはり確認しようと思い、母に聞いた。「私の部屋、どうだった?」「ん? 広いし、きれいな部屋やったよ」「そう? うちの部屋に入った途端、“気持ち悪い”“なんかおかしい”って言うてたやん?」「そんなこと、言ってへんよ」「言ってたよ。トイレ入ったときも、開けっ放しでしようとしたりして」「私、あんたの部屋でトイレなんか行ってないよ」「……」唖然、暗然、茫然。母には記憶がないらしい。私の部屋に入った途端、何者かに取り憑かれたのかもしれない。その出来事が示すことは、その時点では全くわからなかった。しかし、ほどなく理解することになる。驚くべき現象を体験するに至って……。 〈つづく〉
2006.12.21
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大阪大学・大学院の教授だった、政府税制調査会の本間正明会長が批判の矢面に立たされている。妻以外の女性と国家公務員官舎に住んでいたとか。ご本人は「同居」は否定されているが。マスコミはこぞって「公務員官舎や議員宿舎の批判をしていた会長自らが、市価の1/7の官舎に入居したのは許せない」といった論調で批判している。しかし、よく考えると、本間会長が公務員官舎に入居しただけなら、これほど批判は出なかっただろうし、マスコミも取り上げなかっただろう。そこに「女性」、しかも、「元ホステス」という花柳界の人物だったことが「スキャンダラス」なイメージを醸すため、マスコミが飛びついたのだ。「(元)国立大学の教授が…浮気? 不倫?」といった、醜聞的ネタに日本人は尋常でないほど興味を示す。全く理解しがたい。しかし、である。本間会長とくだんの女性との仲は、本間氏を知るマスコミの人間なら、知らない人はいないというほど有名な話だったようだ。しかも、かなり以前からの。ではなぜ、いまごろマスコミにちくった奴がいたのか。本間氏は、増税反対論者だった。増税の前にむだを削減するすることが先だと提言していた。これを面白く思わないのは、増税をして自分たちの立場を守りたい官僚たち、それから、道路特定財源の一般財源化に反対した道路族に代表される族議員たちである。コバンザメのようにはっついている省庁の財源を確保するためには、増税するのが一番なのである。さらに、本間氏は安倍首相の肝入りで税調会長になったわけだから、安倍首相を蹴落としたい議員、反対派閥の議員、野党の議員も安倍首相の足元をすくう絶好の機会だと飛びつく可能性がある。つまり、本間会長をたたくということは、将来、増税を推進させてしまうということにつながる。本間会長は、日本にとって必要な頭脳である。つまらないことでたたいて、会長辞任などということになると、想像のつかないほどの損失だと思う。本間会長個人の醜聞と、日本国民全体に影響を与える増税を引き換えにするほど、日本人はバカではないと信じたい。
2006.12.20
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連日「ノロ」関連のニュースが報道されています。とうとう、北海道では学級閉鎖になった学校が出たとか。報道を聞けば聞くほど、“予防は不可能”と思えて仕方がありません。経口感染のみならず空気感染もし、しかもわずか5~10個のウィルスでも発症する可能性があるとか。弱点は、85℃以上の熱と塩素系の消毒剤のみ。幾ら加熱調理をしたものしか食べないとしても、食器や調理人の手にウィルスが付着していればアウトだし、発症しなくても感染している人を見分けることは不可能。塩素系消毒剤といっても、一部を除いて、色柄物には使えないので、衣類やタオルは廃棄処分するしかないということになります。ま、そこまでしなくても、発症すれば家から出ずに1週間ほどこもっていることを心掛ければいいんじゃないでしょうか。家人への感染は、100%じゃないにしても、避けられないことですが。昔なら“胃腸に来る風邪”として、病院にも行かず、下痢や嘔吐が治まるのを待ったものです。実際、病院に行っても治療薬がないので、点滴やビタミン剤を打つにとどまるはず。最も避けたいのは、下痢や嘔吐といった激しい症状があるくせに、動き回って感染を拡大させること。できるだけ行動範囲を狭めて、感染経路を断たなければ無尽蔵の感染者を生み出すことになります。症状が出たら、関係機関(学校、職場、飲食店など怪しいと見られる場所、保健所などなど)に連絡し、水分補給(薄い食塩水)と葛湯や重湯などを食してウィルスが体外に速やかに排出されるように努め、安静にしていることです。年末の忙しい時期に、実に疎ましいことですが、これも人間に下された天罰と受けとめ、甘んじて受け入れましょう。もちろん、乳幼児やお年寄り、病中の人はさにあらずではありますが。
2006.12.19
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巷では、忘年会が盛んに開かれているようです。よく行く居酒屋さんでも、常連さんの、ケチな忘年会がちょくちょく開かれているようです。そもそもどうして「年を忘れる」必要があったのでしょうか。昔、日本ではcash on deliveryという方式ではなく、“売り掛け”“買い掛け”という、いわば“ツケ”の商売が通常でした。そのころの“期限”が“年末”だったのです。年末までに仕事を終え、掃除を終え、すべて(酒、米、油、醤油などなど)の支払いを終え、新年を迎える、それが日本の習わしでした。言い換えれば、そうした処理がうまくできなかったものも新年迎えると、ある程度チャラにできるという考え方がベースになっていたのだと思います。そうした考え方がいまにつながったのが「忘年会」でしょうか。売り上げや、人間関係や、ボーナスの低さや、有給休暇の未消化分や、そうした“やり残し”を出来る限り「チャラ」にするために、ハメをはずしてストレスを解消させるのが目的なのが「忘年会」なのではないでしょうか。リーマンにとって悲しくもむなしいことではありますが、物理的に考えると致し方ないのも事実で。幸いにも、そうした理不尽な忘年会の誘いはなく、気の置けない人との“飲み会”程度で済んでいるので、“今年を忘れねば”と思わねばならないほどではないのが救いでしょうか。あ、違う意味で、2006年を忘れたいと思ってはいるのですが……。お酒は、好きな人と、おいしく、楽しく、ゆっくり飲みたいものです。
2006.12.18
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30年来の友人のお母さんが余命幾ばくもないと聞いて、会いに行ってきました。68歳のお母さんはとてもそんな年には見えず、痩せて、言葉もおぼつかず…。お見舞いの後、彼女と二人で食事に行きました。彼女は何かを言おうとすると、言葉に詰まります。母親の死は確実にやってくる、でもそれを受け入れたくないという心の葛藤が言葉を詰まらせ、涙をあふれさせます。彼女は看護師です。幾つもの死を見てきました。救命救急センターにもいたことがありました。一般的な看護師より、その経験は豊富だと思います。その彼女が言いました。「人の死を見て、家族の心を慮ってきたつもりだったけど何もわかってなかったことに気づいた」と。私は、余命1ヵ月という祖母の世話を、1ヵ月間続けた経験があります。不思議と悲しくなかったのです。残りの日々を、楽しく、幸せな気持ちにさせることに終始していたせいか、涙を見せることなく見送れました。もちろん、亡くなった後は、泣いて、泣いて、涙のない日はありませんでしたが。で、考えました。自分が死んだら、どうなるんだろうと。経営者なので、会社関係の処理、保険や自宅の処理や申請、持ち物の処理……、大変な労力を要することは予想に難くありません。涙を流すだろう人もそれなりにいて。ま、悲しみの多くは時間とともに薄れるものでしょうけれど、逆縁の不幸は両親が亡くなるまで続くもの。何より、世の中に対して何もできなかったことを悔いながら死んでいく自分自身を想像すると、悲しみや後悔などという単純な言葉では言いあらわせない、苦痛のような感覚を覚えます。人間として生を受け、自分がこの世にあった事実は、自分が生んだ子孫と、わずかばかりの功績と、永遠に続く命のつながりが示してくれるもの……。自分には何もないことを痛感しました。もう若くもなく、物理的にできることも限られている今、これから、何をどうできるかわかりませんが、命のある限り、生きる意味のある生き方をしなければならないと思うきょうこのごろです。振り返ることなくしゃにむに生きてきた人生の時間軸を少し見直す時期に来ているのかもしれないなと思います。「死」そのものよりも、「生」の意味を考えることが「死」の意味と質につながることだと思えるので。
2006.12.17
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寒い日の食べ物と言えば、「鍋」「おでん」「シチュー」!同居人と生活を始めて以来、「シチュー」といえばブラウンソースのビーフかタンシチューだったけれど、昨年から、クリームシチューを何度かつくっています。ワインと食すには、ビーフ(タン)シチューの方が合うけれど、クリームシチューも何だか懐かしくて、ほっとしたおいしさがあります。きょうは、チキンのクリームシチュー。タマネギ、ニンジン、ジャガイモ、ホワイトぶなしめじ、グリーンアスパラが具材。お昼はガーリックトーストと一緒に食べました。チキンは一口大に切って塩コショウし、サラダ油と同量のバターでソテー。皮目にきれいな焼き色がつくまで焼いたら、大量のタマネギを加えてソテーします。タマネギは、出来上がってからも多少の存在感がほしいので、大1個は薄くスライスし、もう一つはくし形に切ります。乱切りにしたニンジンも加えてソテーしたら、白ワインを加えてアルコールを飛ばした後、水を加え、ブイヨンを投入してしばらく煮込みます。ジャガイモは、ホクホク感抜群だけれど煮崩れしやすい「男爵」を使いたいので、煮込まずに電子レンジで加熱したものを、ルーを加えるタイミングでホワイトぶなしめじとともに投入。盛りつけたら、電子レンジでチンしたグリーンアスパラを添えて出来上がり。夜か、夜食には再びシチューが登場するはず。そのときは、ご飯にシチューをかけて、とろけるチーズをたっぷりのせてオーブンで焼き、ドリア風に仕上げます。アツアツのドリアをハフハフ言いながら食べるのは冬ならではのおいしさ。ドリアをつくったら、また画像をアップしよっと。………。夜食としてつくりました。とろけるチーズとパセリを少々。オーブントースターで5分ほど。ハフハフ言って食べました。満足、満足。
2006.12.16
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小学生時代からの友達がいる。彼女はいまも独身で看護師として頑張っている。「親友」と呼ぶには、余りにも一緒にいる時間が短く、しかし、年に1度くらいしか会わないにもかかわらず会ったときは、気の置けない関係を感じる。気を使うことも、遠慮することも、思いやることも家族のようなレベルでさり気なくできる。どういうわけか、ふと連絡をしたくなって電話やメールをすると、必ずと言っていいほど彼女は人生の一大事に直面している。一昨日、何気なく思い出してメールした。前回の連絡は半年前だった。その前は、その1年半前だった。返信メールを見て驚いた。お母さんが癌で余命幾ばくもないというのだ。半年前に連絡したときは、お母さんが脳硬塞で倒れ、入院したという事件の直後だった。その前は、彼女を保証人にして借金をしたお父さんが自己破産し、彼女の給与が差し押さえられかけた事件の直後だった。いずれも不幸中の幸いとでも言うのか想像したほどおお事にならずに済んだ。しかし今回は…。彼女の人生は本当に数奇である。小説にしたら、かなりの長篇に仕上がるはずである。その運命は、自分ではなく、周囲に翻弄され続け、自分らしい生き方を選択する余地を与えられなかった感がある。彼女の中では納得し、すべてを飲み込んで生きてきたのかもしれないが、端で見ていると胸が痛くなるほど悲しく、奥歯がきしむほど悔しく、ほぞを噛む思いのごとくはがゆい。昨夜、きょうお母さんのお見舞いに行くという約束をした後、“彼女にとって自分は何だろう”と考えた。大変な状況に直面している彼女を手助けしたことはないし、助けてほしいとも言われたこともなかった。話を聞き、しばしそばにいたくらいのことだ。だから、ずっと変わらぬ関係を続けてこられたのかもしれない。果たしてそれでいいのだろうか。考えても、何ら結論は出なかった。きょう、近くにある天神さんの前を通ったとき、賽銭をして祈った。「お母さんが苦しまずに天に召されますように」「彼女に幸せがやってきますように」きょうは、しばらく彼女のそばにいよう。
2006.12.15
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週明けからどうも体調が悪い。朝、起きられない。全身がだるい。肩(首・背中も)凝りがひどい。おなかの調子が悪い。お酒がまずい。肌が過敏になっている。起床時、胃が痛い。……風邪なら、それらしい症状が出てもおかしくないころだから、風邪ではないと思う。ま、まさか……ノロッたのか!!!心あたりはないが、その可能性はなくはない。たった5個ほどのウィルス(通常は10万個とか100万個)が体に入れば感染するという強靱な生命体なだけに、しかも、乾燥に強く、汚物や吐瀉物が乾燥すると空気中に浮遊し出し、空気感染を引き起こすという訳のわからないウィルスなので、どこで、どうやって感染したかわからぬまま、ひどい下痢や嘔吐に見舞われるということになる。そんなひどい症状は出ていないが、このしんどさは何かが体内に入ったと考えるのが正しいような気がする。もし感染していたとすると、1、2日で症状が治まり、徐々に回復するらしいが、1週間ほどはウィルスが体内にとどまっているので、安易に動くと人に感染させてしまうことにもなる。ノロの天敵は、塩素系の洗剤と熱(中心温度が85℃以上)だそうだ。気をつけなければならないのが洗濯。ウィルスがついた衣服やタオルなどを洗濯機で洗濯すると、すべての洗濯物にウィルスが回ってしまう。感染者の衣服は別にして、塩素系の洗剤で洗って干すしかない。また、ノロは貝類に付着していることが多いので、生ガキなどは避けて、きちんと加熱したものを食すようにしなければならない。今年はノロの感染者が急増しているらしいので、気をつけたいものだ。で、私はノロウィルスの感染者? それもいやだが、そうじゃないのもいやだ。じゃ、何? 怖っ!
2006.12.14
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先日、久し振りにハチのママとゆっくり世間話をしました。ママはいつも嘆いています。お客さんの非礼や所業を。「ボーッとしている男性は、出世しないわね」気配りができない男性、所作の美しくない男性はダメだというのです。「肩書きができたような(出世した)男性は、若いときからちょっと違ったわよ」経験から出る言葉は説得力がある。トドメは、「50にもなってボーッとしている男は、早晩、奥さんに捨てられるわね」キツイ! 実にキツイ言葉。でも、納得。「いま、“この人は将来が楽しみ”と思う人は、長生きしてどうなるか見届けたいわね」見届けてください、長生きして。カレーをつくり続けて。そんなママが切り盛りする「ハチ」が危機なのです。腰痛です。ママがひどい腰痛に悩まされているのです。一昨年は手首の腱鞘炎で、週3日の営業に切り替え、今回は腰痛。年末の営業を終えたら、中期休暇を取るそうです。一応、1月半ばまで休業ということですが、検査の結果によっては、もっと延びるかも。140cm前後の小さな体で、大きな寸胴鍋いっぱいのカレー、それとは別に鍋2つに山盛りの肉を煮て(合計10kg)、5升の米を洗って炊き、10本のニンジンをいちょう切りにして酢漬けをつくり、60枚(実数は40枚ですが、2度使いするのがあるので)の皿とコップとスプーンを洗い、店の掃除を日夜繰り返すのですから、これはまさに重労働です。しかも、立ちっ放しで。腰や膝を痛めるのは至極当たり前のことです。いまとなっては、杖をついて歩いているそうです。かわいそう。そんなママが言います。「一見さんが増えたわ。でも、一見さんでまた来てくれるのは1割ね」だと思います。で、言いたい。物見遊山で来ないでください。「一見さんは食べるのに時間がかかるから、常連さんから“きょうは40分も並んだよ”って怒られるの」そうです。常連さんは10分で食べますが、一見さんは平気で30分も40分もかけて食べます。常連さんには迷惑千万で。「ママ、一見さんが増えた理由、わかります?」「わかんないわよ」「ネットですよ。ブログやHPでハチさんを取り上げてるのをよく見ますよ」「そう。コンピューターどころか、テレビもあんまり見ないし、FAXもないし、携帯もほとんど切っているような人間だから、そんなこと知らないのよ」そうなのです。店にあった固定電話には、イタ電が何十本もかかってくるようになり、解約してしまったそうで、常連さんが「不便だから、携帯を持って」と進呈した携帯電話も仕事中は切っているという情報オンチ人間のママですから、一見さんが増えた原因などわかるはずもなく。「この間、一見さんが“おばちゃん、おばちゃん”って何回も言うから、“あなたにおばちゃんって言われる筋合いはないわ”って言ってやったの」そんな無礼なことを言う輩がいたのですね。私は何度も書きました。「ママと呼ばないと、大変なことになる」と。ママのトドメの言葉は「もう来なくて結構」です。そう言われた人は、自分が非礼な人間だと認識して二度とハチには行かないでください。ハチのカレーの辛さは尋常ではありません。「辛いものは得意」「辛くて食べられなかったものはない」くらいの人は行かないでください。なぜなら、“未体験の辛さ”だからです。想像を絶するのです。「行きたい、行きたい」とせがむ得意先を連れていったら、意識不明になりました。弊社の社員は、気絶しました。よしんば食べ切れたとしても、滝のような汗と、急激な腹痛と、体温上昇と、脱力感にて、午後は何もできなくなるのは必至。ですから、興味本位で来ないでください。1日60食が限界なのですから、半分以上食べ残して帰る一見さんが10人いると、食べたくて仕方がない常連さん5人があぶれずに済むのです。タクシーを飛ばしてくる常連さんがかわいそうです。40分も並ばされる常連さんが不憫です。よろしくお願いします。あー、食べたい!!!!
2006.12.13
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先日、取材で人気のフレンチレストランに行ってきました。大阪北浜の証券取引所の南側、金融機関のビル群の谷間のようにひっそりとした路地に面して間口を構えるのが「ラ・トォルトゥーガ」。98年、靱公園の北側にオープンしたこのお店、当時から大人気でしたが、5年前にいまの場所に拡大移転してからますますファン層が拡大して、予約なしには店にも入れないという状態になっています。オーナーシェフの萬谷さんは、独学で中国料理、スペイン料理、日本料理を修得し、フレンチに出会ってからは、フレンチ一筋というこだわりの料理人。無口で職人気質っぽいのですが、笑うと少年のようなかわいらしさと無邪気さがあふれ、こんな人がつくる料理、さぞやストレートで素朴なんだろうな、と勝手に思ってしまいます。お店のインテリアは、南米・パナマのインディオに伝わる伝統的な手芸品「モラ」を額縁に入れて絵画のように飾ってあったり、赤茶色を基調とした調度類や内装が醸し出す南米テイストで満たされています。「フレンチ」というと格式張ったイメージがありますが、ブルゴーニュのビストロを指向するというシェフのこだわりやマインドがあふれる空間はあったかで居心地のよさは満点。昼は2,100円のランチコース、夜はア・ラ・カルトメニューになっています。ランチは「本日のスープ」「選べる前菜」「選べるメインの肉料理」「デザートorチーズ」「パン」「エスプレッソ」と内容充実。この店の料理名には「○○牧場の」「○○さんの」など生産者や産地がついているものが多く、そのわけは、萬谷さんが自分の足で探し、食し、納得がいくものだけを仕入れているから。センスや技術だけではなく、そうした、料理に対して真摯に取り組む姿勢が味となり、その味に魅了された人々が通いつめるということになるのでしょう。まずは、大好きな人とランチに出かけてみてはいかがでしょう。お腹も、心も満たされるひとときが味わえるはず。ラ・トォルトゥーガ大阪市中央区高麗橋1-5-22tel.06-4706-752411:30~14:00 18:00~22:00(予約制)日曜定休
2006.12.12
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最近、世の中にはなにふりかまわない輩があふれている。★復党した造反議員実に不格好である。有権者をバカにしているとしか思えないが、そんな議員を通してしまう有権者がいるのだから、どっちもどっちか。★私利私欲にまみれた知事ども「官製談合」「贈賄」「収賄」「便宜供与」…醜い行為である。利権に群がる輩と、私利私欲にまみれた権力者、社会の悪である。★4度も天地神明に誓った大学教授1度ならまだしも、4度も同じたぐいの犯罪を犯しておいて、容疑否認もないだろう。こんな病気の人間を拘束しておけず、何人もの被害者を発生させる日本の法律は…。法治国家とは名ばかりとしか思えない。★「金儲けの何が悪い」と言う元役人金儲けが悪いのではない。手法がまずいのだ。彼は、社会の声を「貧乏人のひがみ」と思っているのだろうが、いくら貧乏人の意識が低くても、正当に稼いでいる人に文句は言うまい。これが元役人だというからなげかわしい。官僚王国・日本の末路が見えてきそうだ。★会見で嘘を並べる教育委員会「いじめは確認できませんでした」「アンケートからは、いじめがあったとは言えないという結論です」。なわけがない。そんな会見、開く意味もない。頭の中は、「退職金」「再就職先」のことで頭がいっぱいなのだ。金の亡者に教育はできまい。★休みながら給与を受け取る公務員「被差別」を後ろ楯に、やりたい放題である。奈良、大阪、京都で実態が発覚したが、他府県でも似たようなことがあろう。日本の抱える闇の一つだ。部落制度が廃止されたのは100年も前である。いい加減正面から向き合って、きちんとした方向を国民皆が向く努力をしなければならない。北の指導者が「初ゴルフに挑戦し、11ホールでホールインワンを達成した」というニュースが国内で流されたそうだ。笑けてしまう話だが、おおまじめにやっているとしたら、なりふりかまわぬ愚行である。なりふりかまわぬ行為を日本人が「恥」としなくなっているのは確実である。連日、ニュースなどテレビでなりふりかまわぬ行為が丁寧に発表されるが、それを見た青少年には「正義」と「悪」、「誇り」と「恥」の区別がつかなくなるのは想像に難くない。まともな大人が子どもに、恥を恥と教えることが急務だと思う。
2006.12.11
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新米収穫後のこの時期に、秋田で食べられるのが「きりたんぽ」。つぶしたお米を棒につけたものをいろりで焼いて鍋などに入れるというものですが、比内地鶏など、味のしっかりした具材から出た出汁がごはんにしみて、とてもおいしいし、あったまります。今回は、チンゲン菜が食べたいと同居人が言うので、豚バラ肉と合わせることにしました。「きりたんぽ」は両親の旅行土産。自分でつくった方がおいしいのだろうけれど。具材は、豚バラ、大根、チンゲン菜、エノキ茸、椎茸、木綿豆腐、京薄揚げ、きりたんぽ。味はかつお出汁に薄口醤油、塩、酒、みりん、醤油というオーソドックスなもの。ゆえに、「かんずり」を入れて風味をプラス。器の左奥にあるのが「かんずり」の瓶。新潟の調味料。辛みと酒粕などの風味がスープの味わいを上級にしてくれる。キノコ類は「ヤマブシ茸」が入るともっといいと思います。大根とチンゲン菜というあっさり系の具材なので、鶏の骨付きもも肉や豚バラなど、コッテリ系の動物素材を合わせると、旨味が増します。芋類やゴボウなど香りのする素材、春雨、麩などお好みの具材をプラスして試してみてください。寒い夜にうってつけの鍋です。
2006.12.10
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自動車通勤から電車通勤に切り替えて3年ほどになる。いまでも必要があれば車で出勤するが、通勤ラッシュ時は時間がかかり過ぎるので、極力電車にするようにしている。電車通勤は、◯通勤時間がよめる◯運転による疲労がない◯仕事の準備や読書などができる◯睡眠できるというメリットがある反面、不快な思いをすることも多々ある。●リュックサック満員電車では、極めて迷惑だ。二人分のスペースを最も混み合う胸の位置でとられるのは納得がいかない。しかも、大きなリュックを背負っている者ほどオタク的で周囲に配慮ができない連中だ。●栓座席の前のつり革スペースが開いているにもかかわらず、ドア付近が異様に混んでいる。原因は、一番端の座席の前に立っている人間が前後で「栓」になっていて、中に人が進めないのだ。栓になる人間は、無神経で周囲への配慮がない。●座り込みドア付近に座り込む若い人がいる。しかも、内側を向いているので、近くに立てない。混んでいる社内ではまったくもって邪魔である。●大声赤ん坊が満員電車で泣いているのは、親に問題があるにせよ、致し方ないと諦めがつく。しかし、いわゆる大阪の「おばちゃん」やおばちゃん以上とも思える「女子高生」や「おっさんギャル」の大声でのおしゃべりには閉口してしまう。声が耳障りなだけでなく、話の内容にうんざりしてしまうのだ。愚の骨頂のような話が耳に入ると、心にすきま風が吹く。●もたれる人混雑に乗じて、もたれてくる輩がいる。若い女性とおやじにやられた経験がある。とにかく、全身でもたれかかってくる。勘弁してほしい。揺れた拍子に肩すかしをしたら、よろけていた。また、季節ならではの不快もある。★遠足(春と秋)小学生の遠足や社会見学のある春と秋はうんざりである。混雑する、うるさい、乳臭い。引率の教師がまたダメである。何のために電車を使うのかわかっていない。「公衆道徳」「社会ルール」を知るための「社会経験」でなければならない。ま、家庭できちんと教育されていたら、問題ないことなのだが。★体臭(夏)すごい人がいる。体質なら仕方がないだろうが、ケアすれば何とかなるなら、何とかしてほしい。★旅(秋)春も夏もいるのだろうが、どういうわけか大きな荷物を引きずっている旅行者をたくさん見かける。空港にダイレクトにアクセスできるルートへの乗り換え駅があるからだと思うが、とりあえず荷物が邪魔である。“何も通勤時間帯に乗らなくても…”と思うし、それほどの荷物を持っていくのは海外だろうから、“それほど金持ちなら、ほかの交通手段を使ってもいいのではなかろうか”とも思う。★咳とくしゃみ(秋~春)周囲の迷惑を顧みず、口をふさいだり、マスクをすることもなく、グヮホン、グヮホンとやる輩がいる。風邪は、わざとだれかに移すと傷害罪に問われるかもしれないという犯罪に等しい行為である。受験を控えた学生や、体の弱った老人に移してしまったら、人生を台無しにするかもしれないという重罪感を持ってほしいものだ。無理だとはわかっているが。いい年の女性が化粧をしていたり、飲み食いしていたり、無造作にゴミを捨てたり、乗降口で無意味に踏ん張って乗り降りする人を妨害したりと、不快な思いをすることは枚挙にいとまがないが、それらのすべては「感性」が「鈍くなった」証だと思う。自分がされていやなことは人にはしないものである。されてもいやだと思わないのは、感性が狂っているとしか思えない。日本人は、公衆道徳をなくしてしまった民族である。善処する道はあるのだろうか。「教育再生」……必須課題であることは間違いない。が、大人がこれでは、子どもの健全な成長は望めない。だれを対象にして何から着手し、どう進め、どこに終着点を置くか……極めて難しい問題である。
2006.12.09
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年間70万匹以上のペットが殺処分されているそうです。何かの事情で飼い主とはぐれたとか、不治の病に冒されてやむなく、といった理由ではなく、「飼えなくなった」「手に負えない」など、短絡的な理由から、自治体の殺処分場に飼い主自らが持ち込むというのがほとんどだそうです。昔(モノクロテレビの時代)、日本はまだまだ貧しく、野良猫、野良犬が町にあふれていました。「狂犬病」という言葉もいまよりはるかに現実感があり、役所の野良犬狩りもたびたび目にしました。当然、各家庭にいる犬や猫は「ペット」などとは呼ばれず、「飼い犬」「飼い猫」でした。犬猫以外のペットというと、金魚か虫くらいで、ニワトリなどは食すために飼われていただけで、情をかけるようなこともなく…。我が家にもチャボがいました。当時は極めて貴重だった卵をいただき、最後は祝いの席のお料理として…。私が生まれる前の話なので、その現場は目撃していませんが、“我が家”における出来事であることは事実です。そんな時代ですから、飼い犬、飼い猫は外から突然やってくるということが多かったと思います。“玄関を開けたら、突然入ってきた”とか、“隣の家との間に捨てられていた”などは日常茶飯事。動物を飼う実力(経済的、空間的)もないくせに、安易に動物を引き取っていたように思います。“飼う”ほどの責任感はなく、“食べさせる”程度の認識だったように思います。でもそれは、「子ども」も同じで、“育てる”という教育的見地ではなく、“食べさせる”もしくは“養う”という、生命維持的見地くらいの認識で、食べ物も寝るスペースもカツカツといった、劣悪な環境で育てられたのです。そんな状態ですから、飼い犬、飼い猫も必死になって生きていたと思います。ごはんにだしをとった後の「じゃこ(雑魚)」をのせたものとか、人間が食べた後の魚の骨とか、いまから考えると想像がつかないほどのひどいエサでしたが、文句や恨みつらみを言うでもなく、残すこともなく食べていました。そんなひどい状態なのに、なのに、飼えなくなるのです。きっと、物理的ではなく、心がすさんで飼い犬、飼い猫が疎ましくなったのでしょう。子どもには理解できませんでしたが、親はいとも簡単に犬や猫を捨てようとします。でも、そうして家にやってきたので、“また新しい飼い主が見つかるよ”という親の言葉に半分納得し、半分は解せぬ思いで飼い犬や猫を手放しました。私は、自分の目で手放した飼い犬の最後の目を見ました。いまでも覚えています。悲しげな視線を送りながら、尻尾を振ってなついてきた最後の姿を。散歩中のペットを見ると、いまでもその光景を思い出します。そして、“自分はペットを飼う資格がない”と痛感し、心が萎えます。だから、ペットは飼いません。自分の心の空白や寂しさを埋めるために動物を飼うことの正当性がどうしても認められないし、また手放さざるを得ないような状況にならないとも限らないからです。一つの命を抱え込む度量も技量もないと思うから。人間の堕胎(人口中絶)件数は、公の数字で30万件、実数で120万件弱、出生児数が100万ほど。日本人は、我が子さえも簡単に滅することのできる民族に成り下りました。貧困に喘ぎながらも多産を是としたモノクロテレビの時代の方がよほど尊い。そんな民族に、動物を飼う資格などあるはずがありません。子どもに、「自殺するな」「命を粗末にするな」などと言っても、それは無理な話です。言う大人自身がその意味を理解していないのだから。
2006.12.08
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最近、若い人を見ていて気になることがあります。ほとんどの人が常時口を開けているということ。原因はペットボトルにあるようで、口を開けたまま嚥下すると、顎の筋肉がその形状で固定化してしまい、閉じづらくなるらしいのです。常時口を開けている人は、自然と鼻ではなく口で呼吸する「口呼吸」になっています。いまや日本人の半数が、小学生以下になると何と8割が口呼吸をしているそうです。この「口呼吸」が問題。口呼吸がさまざまな病気の原因になっている可能性があるのです。人間が吸い込む空気にはさまざまな病原菌が含まれていますが、鼻呼吸の場合、病原菌の多くは鼻の粘膜に吸着され、白血球が消化処理し、痰や鼻汁として体外に排出されます。ところが、口から吸い込んだ空気は、そのまま喉から肺へと運ばれ、病原菌も直接入り込みます。するとのどの粘膜や肺がさまざまな病原菌に冒され、こうした病原菌が血液に侵入して全身に運ばれてしまうそうです。また、口呼吸だと、冷たく乾燥した空気が直接喉や肺に入るここから、喉を乾燥させ、リンパ組織を損傷して免疫力低下を起こします。こんな状態で風邪の細菌やインフルエンザウィルスが侵入したら、ひとたまりもありません。鼻毛や粘膜が高機能フィルターの役割を果たす鼻をフルに使って、風邪に対抗しましょう。あなたは「鼻呼吸」ですか? 口呼吸ですか?意外に気付いていない人も多いそうですから、ぜひチェックしてみてください。当てはまる項目はありますか?■口呼吸チェック・朝起きると口が渇いている/喉がヒリヒリする・食べるときにクチャクチャ音が出る・いつも口が半開き・唇が渇く・いびきや歯ぎしりをする・下唇が分厚い・口角が下がっている・歯のかみ合わせが悪い・歯並びが悪い/歯間が隙間だらけ口呼吸を鼻呼吸に変えて、風邪予防!*花粉症やぜんそくなどアレルギー疾患も口呼吸が原因であることが多いそうです。要注意!
2006.12.07
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寒さが厳しくなってくると、土鍋から湯気の上がるさまに心が和みます。で、きょうは「うどんすき」にしました。かつおだしに酒、みりん、塩、薄口醤油、醤油でうどんつゆより少し濃い目に味付けしただしに半月に切った新鮮な大根をたっぷり入れて味を含ませたら、京うす揚げ、ホウレン草、しいたけを加えて煮立ったところで冷凍うどんを投入。再沸騰したら牛肉を入れて出来上がり。牛肉は切り落としの安物なので、煮込まずにしゃぶしゃぶ状態で食します。全所用時間25分。薬味は、一味、七味、ゆずこしょう、粗挽黒こしょう、コチュジャンと、お好みで。我々は粗挽き黒こしょうでいただきました。大根が入っているので、バターなどコクの出る素材を合わせてもおいしさ増強!ボリュームを出すのに、卵でとじるというのも。大阪では、これをご飯のおかずにするのです。うどんとごはん…大阪ならでは。お好み焼きとご飯というのもあります。あ、私はもちろん肴にしますが。最近、寒さと帰宅時間の関係で、どうしても鍋が多くなります。ですので、できるだけ鍋をつくって鍋のバリエーションをご紹介することにします。献立を考えるのが面倒になったら、見に来てください。ベースは、かつお、ブイヨン、鶏ガラ、豆乳、味は、ちり、すき、味噌、醤油、オイスターソース、プラスアルファにトマト、バター、キムチ、みぞれとさまざまな味覚の鍋をご紹介します。あー、おなかいっぱい。
2006.12.06
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経営者になって結構な年数になるので、「ボーナス」は久しくもらっていない。この時期になると、街の至るところで「ボーナス商戦」が繰り広げられる。が、私には関係がない。とはいっても、「セール」は気になる。通常の価格よりも安く買えるなら、それに越したことはない。軽い財布を持って百貨店に行くが、「商戦」というだけあって、高額なものが鎮座ましましている。やはり関係ない。単なるセールではないのだ。でも、売れるのである。高額なものがポンポンと売れるのである。ゲーム、衣服、ジュエリー、グルメ。「ボーナス」の存在を抜きにしては語れない。ところが、「ボーナス」が出る企業は少ないらしい。戦後の好景気「いざなぎ景気」を抜くほどの好景気の中にあってである。中小零細企業は口をそろえて「週休1日、10時間労働、有給休暇なし、残業手当なし、でもボーナスは出ない」と言う。なぜなのか。大企業である。原因は。大企業の連中は、自分の給料に全く関係ないにも関わらず、理由なく値切る。とにかく「安くして」である。そう言われた中小零細企業にとっては給料やボーナスに直結する事態である。しかし、安くせざるを得ない。得意先を失うわけにはいかないからだ。身を削るようにして価格を下げる。そうまでした側にはボーナスがなく、値切った側に多額のボーナスが出る。理不尽である。大企業は、「下請けなど幾らでもある」と思っている。そこにいる人間の生活などつゆ考えない。消費者金融と同じだ。相手を見るとき、「カネ」というフィルターを通してしか見られないということだ。仕事には、「やる気」や「情」や「奉仕」というカネでは計れないものがあり、それが質を高める。しかし、大企業のマニュアル人間には、それを見極める能力もセンスもない。“安かろう悪かろう”の意味もよくわからないが、“安いのは悪いに違いない”と、文句ばかり言う。“金は出さないが口を出す”である。で、出来上がったものは結局、“悪かろう”だ。そんな、能力のない大企業の社員にボーナスが出て、技術も能力もありながら、バカ社員のために値切られてボーナスをもらえない下請けは、本当に不幸である。もともと、ボーナスは企業の余剰金だったはずだ。税金を払うくらいなら、社員に還元してやろう、という位置づけだったはずである。なら、いまこそ、「税金を払うくらいなら、常々身を粉にして頑張ってくれている下請け企業に還元しよう」と考えてほしい。下請けは、あなた方ができないことをやってくれているのだから。あなた方は、下請けがいなくなれば、確実に困るのだから。違いますか?
2006.12.05
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ちょっと高級な中国料理店での体験です。象牙様(樹脂の可能性が高い)の太くて重くて長い箸で、雰囲気満点で高級な中国料理を食べたとき、「えっっっっ!」と驚きました。「おいしいのに、食べられない!」本当に不思議でした。高級過ぎたための緊張なのか、それとも空腹度の問題なのか…。そんなことも忘れてしまったあるとき、大好きな銘柄の赤ワインを飲む機会を得ました。ちょっとしたパーティーだったので、無造作に置かれたトレイの上のワイングラスを手にとり、口をつけたときです。「味が違う……」こんなこともありました。おいしいふぐの店でコースを注文し、「湯引き」「てっさ」「てっちり」と進み、最後にふぐの旨味が余すことなくしみだしている出汁にご飯を投入してつくった「ぞうすい」を食したときのこと。一口、二口でおなかがいっぱいになっていまう。「おいしいのに、食べられない」この三つの事象に共通するのは、“食器の分厚さ”です。箸も、グラスも、茶碗も、分厚いのです。食べ物と一緒に舌に触れたとき、舌が食べ物と誤解するのではないでしょうか。味がなく、分厚く、冷たいそれは、舌には“まずい”ものという認識がなされたのではないかと思います。また、分厚い食器は重い。指や手首にかかる負担も胃腸に負担をかけているのかもしれません。これを応用して、ダイエットはできないか……。重い箸、重い食器、分厚いコップ、冷たい食事……。文字を見るだけでも“おいしくない”と思えそうですが、ちょっとしたことが脳に大きな影響を与えます。ダイエットを志している人は、副作用もなく、費用もかからず、だれに迷惑もかけないこの方法を試してみるのもいいのではないでしょうか。
2006.12.04
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対処法を知るには、原因を知ることが大切。冷え性の代表的な原因は「貧血」「低血圧」「ホルモンバランスの崩れ」「自律神経の不調」。女性の場合は「貧血」が多いのですが、最近は「自律神経の不調」を起こしている人が目立っているよう。自律神経は、体温、血圧、心拍、消化器などを司り、正常な身体機能を保つには、この働きがとても重要になってきます。自律神経には交感神経と副交感神経があり、簡単に言えば、交感神経は身体機能の活性化を促し、副交感神経はリラックスを促します。この両者の働きが鈍ると、体温や血行に異常を来し、冷え性などの症状へとつながります。●夏も冬もエアコンが欠かせない●入浴はシャワーで済ませる●ダイエットをしている●運動はほとんどしない●座りっ放しの仕事をしている●眠りが浅く、目覚めが悪い●ついつい夜更かしをしてしまう●夜型の生活●食事が不規則●夏バテしやすいこんな症状がある人は、自律神経の不調を疑ってもいいかもしれません。自律神経の正常化には、サウナ&水風呂や、エアコンの使用を控える、適度な運動をする、汗をかく癖をつけるといったことが必要です。余りにもひどいときには、病院で診断を受け、薬物療法も必要になりますから、心配なら受診を。「ホルモンのバランスの崩れ」は不定愁訴など年齢が絡んでいることが多いので、これも病院へ。「貧血」と「低血圧」の場合、手軽にできる対症療法があります。★腹巻きなどでおなかをあっためる内臓は常に温めておく必要があるので、大量の血液が集まってきます。貧血の人は低体温である場合が多いので、その傾向が強まります。腹巻きや遠赤セラミックが入った下着をつけるなど、おなかを温めると血液にかかる負担が低くなり、手足に回ってくるので、冷えの改善につながります。★コーヒーを2時間おきに飲むコーヒーのカフェインは覚醒作用があり、交感神経を刺激しますので、血行がよくなり、体温上昇を促します。朝食時、朝10時、お昼の3時に飲むと、仕事が終わる5時まで、体をあったかくしてくれます。★就寝時は靴下を履かない冷え性の人は就寝時にも靴下が手放せないと言いますが、これを続けていれば、体は冷えたままです。なぜなら、足の裏は高機能センサーだから。足の裏で気温を感じ、寒いと体温を上げるように体内機能が働きます。靴下を履いていると「外は暖かい」と勘違いし、体を冷やすか、現状維持としか判断しません。眠る前に足湯をし、マッサージをして温めてからベッドへ。★腹式呼吸腹式呼吸で深く息を吸い、吐くと、体温が上昇します。朝、目覚めたら、ベッドの中でゆっくり腹式呼吸をして心肺機能を活性化させましょう。朝の身支度がぐっと楽になります。「しょうが湯」や「スパイシー料理」など、体を中から温めてくれる食べ物を意識して食し、体を冷やす砂糖やビールなどを控えるというのは、既に実行されていると思います。続けるのが難しいけれど、効果的面の運動もできるだけ実行したいもの。眠る前に、熱過ぎない「白湯(さゆ)」を一杯。これだけでも違ってきます。
2006.12.03
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ある意味、キレイになるためには絶対に必要な要素だと思います。それは、表情筋を鍛えるということ。といっても、美容研究家が推奨しているような、ひどい顔になる運動ではなく、もっと簡単なことです。ポイントは三つ。●カンタン筋肉マッサージ●動かない表情筋を動かす●美人の表情づくり最も簡単な「美人の表情づくり」から説明します。鏡を目の前に置いてください。まず、軽くあごを引きます。すると、まぶたが少し開いたはず。もっと開けます。おでこにしわをつくらない程度で、ギョロ目にならないよう気をつけて。コツは、眉毛の土台になっている「眼輪筋」をゆっくりおでこ側に持ち上げるように。次に、口を閉じ、少し口角を引き上げます。口角にある「口角挙筋」が上手に使えると、ほっぺが持ち上がって、表情が若返ります。ほほ笑んでいるような表情になりましたか?宝齢線が深く出るようなら、手当てが必要。これは後ほど(カンタン筋肉マッサージ参照)。最後に、あごを左右どちらかに15°程度引きます。左右どちらか表情に自信のある方を前にして。どうです? いきいきとした表情になったでしょう。常にこの表情になるよう心掛けると、筋肉の血流がよくなり、顔色がよくなると同時に、精気のある、若々しい表情になります。「動かない筋肉を動かす」というのは、いろんな表情をやってみて、動きづらくなっている筋肉を意識して動かすようにするということ。特に、首に筋を立てるときに使う「口角下制筋」や舌の付け根の「オトガイ舌筋」などの筋肉(物を飲み下すときに動く筋肉)、耳の上にある「側頭筋」などは、引き締まったフェイスラインをつくるのに重要な筋肉です。筋肉を柔らかくすると、表情が明るく、若々しくなります。最後の「カンタン筋肉マッサージ」は、毎日、朝か夜の手入れのときに実行すると、俄然肌の具合がよくなってきます。これは、田中宥久子さんという元ヘアメイクをされていた方が提唱されている方法です(DVD、書籍が多数出版されています)。洗い流すタイプのパックなど、指が滑り過ぎないクリームを塗るといいようです。1.こめかみから目頭、こめかみへと目の回りを指先で優しく刺激したら、こめかみで少し力を入れ、3本の指を耳の横、エラを通って首へと下ろします。リンパ液を流すイメージで。2.眉毛の骨を下から押すように、眉頭から眉尻へ。こめかみで力を入れたら、リンパ液を流す動作。3.おでこの真ん中に両手の3本の指を立て、力を入れながらこめかみ側へ。こめかみで力を入れたら、リンパ液を流す動作。4.小鼻の少し上を両側から指で押さえます。押さえながらほお骨を通ってこめかみへ。あとは同じ。5.両手の手の平をほお骨に当て、手根骨で強く圧迫しながらこめかみへ。あとは同じ。6.両手の3本の指をあごの中央にあて、口の回りを強く圧迫しながら鼻の下へ。ほお骨のしたを通ってこめかみへ。あとは同じ。7.同じようにあごの下に手の平を当て、フェイスラインに沿って圧迫しながらこめかみ側へ。あとは同じ。順番に自信がないのですが、このマッサージによって顔のむくみがとれるので小顔になり、フェイスラインがシャープになります。また、血行やリンパ液の循環がよくなるせいで、肌に透明感が出てきます。入浴時は効果てきめん。簡単なことですが、意識するのとしないのとでは随分違います。筋肉が堅くて能面のような表情をしている人は、どうしても老けて見えます。筋肉を柔らかくして若返り、一度試してみてください。
2006.12.02
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毎年、この季節になると、電車に乗るのに恐怖する。自動車通勤していたときには気づかなかったが、電車通勤に切り替えた途端、風邪を引いた。きょうも、隣に座った若い女性が鼻をズルズルすすり、携帯メールをしながら、コンコン咳をしていた。メールに夢中だからではなく、そういう心遣いができないのだと思うが、ハンカチで口元を押さえたり、マスクを着用するといった配慮は全くない。思い余って別の席に移った。我がホームレールだけではないと思うが、平生からとにかくマナーの悪い路線である。酔っぱらった若い女の子が開いたドアの外に向かって吐瀉物をぶちまけたり、シートと背もたれの間の隙間にゴミがいっぱいつめこまれていたり、向側の座席の友達と大声で無駄話をし、車両じゅうの顰蹙を買うおばちゃんがいたり、優先座席で携帯を手に持ち、メールだかゲームだかをしていて、車掌に注意されたのに完全無視をかます初老のじじいがいたり、とにかくマナー知らずの輩が傍若無人に振る舞う。少々のことなら我慢するのも仕方ないと諦めるが、風邪はいけない。病気の中でも稀なくらい激症を伴う感染症である。同じ車両に乗り合わせた複数の人間に感染させる可能性があることを、風邪を引いたものは自覚すべきである。運悪く、命を落としてしまう人も中にはいるかもしれない。毎年、インフルエンザで亡くなる老人や子どもは少なくない。第一、故意に人に風邪を移すと「傷害罪」になるのだ。しかし、風邪を移され、発症したときには、移した張本人がいるわけではない。“あいつのせいだ”と思っても、確証があるわけではなく、捕まえることもできない。なら、風邪を引いて咳をしたり、鼻をズルズルすすっている段階で、勧告もしくは警告できる法律があればいい。“このまま咳を続けていると、近くの人間に感染させる可能性があると推測できる”という状況で、その対応をしないことは、それだけで罪だと思う。警察は手が回らないだろうから、NPO法人でもつくって取り締まってほしいものだ。ちなみに、風邪の感染の予防の第一歩は手洗いである。風邪の細菌やインフルエンザウィルスはどこにでもいる。電車のつり革、手すり、ドアノブ…至るところにいる。外出したら、手洗いをする癖をつけないといけない。それから、裸でトレイに並んでいるようなパンは絶対買ってはいけない。万が一、くしゃみなどでパンに感染者のだ液がついていたら、直接胃腸に細菌が入ることになり、内臓がものすごいことになる。オフィスや家でも、感染者にお茶を入れてもらったり、手でつかんだお菓子などをもらってはいけない。感染者の手には無数の細菌がついている。また、心得として、水をたくさん飲んで、血液をサラサラにしておくことも、感染防止に有効だ。細菌の侵入を察知すると、マクロファージが血液を通って細菌の元に駆けつけ、細菌をやっつけてくれるのだが、血液がドロドロだとなかなか細菌に到達せず、ようやく駆けつけたときには細菌が増殖してしまっていて、手に負えないといった状態に。こうしたことに注意したおかげか、3年以上風邪とは縁がない。是非とも公衆道徳を心得て、風邪を蔓延させないよう努力したいものだ。
2006.12.01
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