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今村均大将は 明治十九年(一八八六)仙台市に生まれた。 父は裁判所の判事である。 それはインテリの家庭で 庶民より遥かに安定的ではあるが、 しかし借財を負っていたので 決して裕福とは言えない育ちだった。 昭和十六年には第十六軍を率いて蘭印を占領し、 昭和十七年十一月からは第八方面軍を率いて ガダルカナルとラバウルを守る。 しかし、 昭和二十年(一九四五)には戦い敗れて降伏し、 米豪蘭三カ国の戦犯裁判にかけられる。 勝者の裁判の結果だが十年の刑に処せられ、 昭和三十年に刑期を終えてようやく自宅に帰る。 以後、世田谷の自宅にあって回顧録を書き、 昭和四十三年(一九六八)八十一歳で死去する。 軍司令官にとっての勝利とは あたえられた作戦目的を達成したかどうかなのだが、 アメリカ及びイギリスの陸軍大学校及び海軍大学校での 教材に”常に作戦目的を達成した将軍”の実例として、 日本からは海軍の小沢治三郎中将と 陸軍の今村均大将が挙げられている。 彼はたいへんな英知に恵まれた人だった という印象が残る。 仏教でも言うが英知をもった人は迷いが少なくなる。 また、 周辺の事物に対する観察と解釈が当っているから 対策に無駄がない。 行動に失敗がない。 回顧録を読む読者は今村均の肩にとまって 今村均と共に現場に立ち、 やがて快刀乱麻を断つように事態が収拾されるのを 一緒に体験することが出来る。 それは今後自分一人で人生を歩む時の良い指針になる。「今村均氏の軍人生活」 日下公人 PHP
2017年07月31日
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儒学という思想は、 もちろん孔子の教えですが、 ある観点からすると、 社会進化論とは一八〇度方向の違う思想だ ということができます。 特に時間の考え方について、 儒学と社会進化論は、正反対の方向を向いている。 儒学は、黄金時代を遠い遠い過去の時代に求めます。 つまり、 中国の神話的古代と歴史的な古代の接点ともいうべき時代 ――殷や周の時代――に理想的な政治が行われていて、 以後人間の社会は堕落の一途をたどっている と考えるのですから、 人間の社会は野蛮な状態からより文明的な状態へ 進化をつづけているという考え方とは、 全く反対の考え方だといわざるを得ません。 社会進化論はいうまでもなく、 未来により高度な文明を望み見ようという 積極的な思想ですから、時間軸をとってみると、 この二つは全く相容れない思想だということになリます。 しかしある一点において、 この二つの思想は大変よく似ている。 その一点は何かというと、 要するに役に立たない者はだめだという思想です。 儒学のなかでも、 特に江戸時代の主流だった朱子学の教えによりますと、 人間というものは、 国家社会のために有用な人間でなければいけない。 有用な人間、要するに社会と他人のために 役に立つ人間がいい人間であって、 役に立たない人間はだめな人間だというのです。「利と義と」 江藤淳 TBSブリタニカ
2017年07月28日
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その本性を、 私が精神によってどう理解しているかを、 ありのままに述べようとしたなら、 おそらく私はこう説明したことであろう。 物体とは、 なんらかの形によって限られ、 場所によって囲まれ、 他のすべての物体を そこから排除するようなしかたで 空間をみたすようなもの、 また、触覚、視覚、聴覚、味覚、 あるいは嗅覚(きゆうかく)によって 知覚されるようなもの、 なおまた、 多くのしかたで動かされるが、 しかし自分白身によって動くことはけっしてなく、 何か他のものの接触を受けて、 それによって動かされるようなもの、 こういうものいっさいのことである、と。 それというのも、 自分を動かす力、また、感覚する力、 あるいは、考える力をもつことは、 けっして物体の本性には属しない、 と私は判断していたからである。「省察」 世界の名著 デカルト 中央公論社
2017年07月27日
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人の賢不肖は学と無学とに在らず。 我れ友を取るや、 未だ嘗(かっ)て此を以て限りと為さず。 人の難に急ぐ者の如き固より論を待たず。 言、信ある者、 剛にして能く断ずる者、 世事に老(た)けたる者、 一芸に長ずる者、皆我が益友なり。 但だ無学の人、 吾輩を忌嫌すること一に蛇蝎(だかつ)の如し。 親近せんと欲するも而も得べからず。 是れ我が憂なり。「先哲講座」 安岡正篤 竹井出版
2017年07月26日
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日本の国内問題については、 彼は、今まで専制政治に慣れて来た国民に 急に政治的権利を与えることの危険を指摘し、 国際問題については、 孤立を勧めはしなかったものの、 諸外国の干渉を排し、 中国の運命に陥らないようにと忠告していた。 彼にとって、日本国民は、 彼の著書に説かれているような、 また、自由民権運動によって主張されるような、 諸権利の主体としての自由な個人ではなかった。 それゆえに、いつでも、 日本の政治家たちに対する スペンサーの疑惑および不満は、 自分の保守的な勧告が 無視されているのではないかという点にあった。 一八九二年(明治二十五年)八月、 金子堅太郎に宛てた手紙は、 次のように書き始めらわている。 「恐らく貴下も御記憶のことと思いますが、 当時の日本大使森氏から日本国憲法の草案を示された際、 私は同氏に極めて保守的な勧告を申し上げ、 今日まで専制政治に慣れて来た日本人が 俄(にわか)に立憲政治の能力を得るというのは 不可能であると申したのであります。 私の勧告を十分に考慮されなかったのではないかと 私は惧れています。 日本の国情に関する最近の報道によって推測する限り、 貴国はあまりに大きな自由を一度に与えたことに由来する 禍害に直面しているように思われます。……」世界の名著 36 コント スペンサー 中央公論社
2017年07月25日
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私を訪れるべき認識は、 そのときはまだ、 ほんとうには訪れていなかった。 パリで、 「よく耕された」顔をした女の人が、 日本文学を指して「une literature majeure」 ――「主要な文学」といったのは、 それからさらに何年もたってからである。 たしかにすべての(国民文学)が 「主要な文学」であるわけではない。 すべての国の料理が、 世界で流通する「主要な料理」 ではないのと同じである。 「日本文学」といったときの「日本」が、 「モンゴル文学」といったときの「モンゴル」や 「リトアニア文学」といったときの 「リトアニア」とちがって、 たんなる形容詞ではないのは、 「日本文学」は、世界の読書人 ――数は非常に限られてはいるが、 文学について考えるとき その存在をぬきには考えられない、 世界の読書人のなかで、 一応名の通った(国民文学)の一つとして 流通しているからである。 しかも、日本文学が そのように世界で知られるようになったのは、 世界の古典の『源氏物語』があるからだけでなく、 近代文学さえもあったからである。「日本語が亡びるとき」 水村 美苗 筑摩書房
2017年07月24日
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近代化を支えたイデオロギーは 何と何であったかというと、 私は大体二つのイデオロギーだったと思うのです。 その一つは伝統的なイデオロギーで、 近代以前から日本人の教養の背骨となっていた儒学です。 明治になって文明開化の時代となってからも、 実はこの儒学のバックボーンは、 明治人の心を強く支えておりました。 『それから』の中には、 この儒学的な考え方に育まれた ジェネレーションの代表として、 代助という主人公の父親が描かれております。 それと同時に、 もう1つの社会進化論という思想の影響も、 明治日本を考える上で無視することができません。 これはイギリスの哲学者、 ハーバート・スペンサーの唱えた思想であります。 社会進化論は、英語で申しますと、 Social Evolutionism となります。 このハーバート・スペンサーという人は、 チャールズ・ダーウィンの唱えた生物学上の学説である 進化論を人類の歴史に応用して、 人類の歴史は、未開、野蛮かつ混沌の状態から、 高度に秩序立った文明社会へと進化していく。 その過程で適者生存の原則が適用され、 強いものが生き残って、 自然淘汰が行われていく。 この自然淘汰の結果、 より未開、より野蛮、より混沌とした要素は、 より秩序立ち、より文明的で、 より進化したグループに追い落されていく、 という理論を立てたのです。 この考え方が明治の文明開化に 非常に大きな影響を与えました。 この社会進化論を日本にもたらしたのは、 実はアメリカの若い学者たちでした。 明治十年代のはじめに東京大学にやって来た アーネスト・フェノロサという人がおりました。 このフェノロサは東大で哲学を講じたのですが、 そのときはじめて、スペンサーの Social Evolutionismが日本に導入されたのです。「利と義と」 江藤淳 TBSブリタニカ
2017年07月21日
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だいじな点は、 特定のある一つの能力を革新することが、 残りの全能力階層に 射程の長い影響をあたえうるということである。 変化は能力階層の上に向かって伝播することができる。 すなわち最初に変化した能力を使用できる もっとも高いレベルの能力は、 この変化と中間レベルに生じた変化とを うまく利用できるように、 いまやふたたび組織立てられる。 また一方、変化は 能力階層の下に向かって伝播することもできる。 これは高いレベルに生まれた新能力と もっと低いレベルに潜在する変更能力とが もたらす結果なのである。 これらの潜在能力は以前はもちいることができず、 より高いレベルの新能力のおかげで 使用可能になったと推量される。「組織とグループウェア」 西垣通 NTT出版
2017年07月20日
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財を理(おさ)むるには、 当(まさ)に 何(なん)の想(そう)を著(つ)くべきか。 余謂(よい)う、 「財(ざい)は才(さい)なり、 当(まさ)に 才人(さいじん)を駆使(くし)するが如(ごと)く 然(しか)るべし」と。 事(こと)を弁(べん)ずるは才(さい)に在(あ)り。 禍(か)を取(と)るも 亦(また)才(さい)に在(あ)り。 慎(つつし)まざる可(べ)けんや。「言志後録」 佐藤一斎 講談社
2017年07月19日
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歴史的変化においては力学的法則性はありえず、 反証の可能性も少ない。 したがって「歴史的分析」は、 ポッパーの意味での「科学」ではありえない。 歴史は、予測可能性の比較的高い「連続」の局面と、 自己組織活動が現れて予測不能な飛躍の生じる 「切断」の局面とからなる。 したがってここでいう「歴史的分析」とは、 連続と共に切断に関心を払うものにほかならないし、 切断の局面からは複数の展開の可能性が分岐する。 また歴史的変化は本質的に非可逆的であって、 非常に弱い意味での発展的性格をもっているが、 それ以上の強い意味では、 歴史的分析は発展論でも衰退論でもありうるだろう。 かくて歴史的分析は連続と発展の記録では必ずしもなく、 切断ないし衰退の記録でもある。「文明の多系史観」 村上 泰亮 中公叢書
2017年07月18日
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スペンサーの社会理論は、 しばしば社会ダーウィン主義(Social Darwinism) と呼ばれてきたために、 ダーウィンの社会進化論の社会現象への適用 のように速断され易い。 しかし、ダーウィンの『種の起源』 (On the Origin of Species by Means of Naturak Selevtion, or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life)が出版されたのは、 一八五九年十一月のことであり、後述のように、 スペンサーの綜合哲学体系の構想は、 この頃にはほぼ完成していた。 スペンサーは、『自伝』において、 「ダーウィン氏の見解と私自身の見解との間の関係 についての一般的な誤解」を解こうとしている。 スペンサーは、生物進化論について、 器官の用不用の法則とこの法則および 環境の影響によって生ずる変異の遺伝的転移の 二要素を骨子とするラマルク主義を固執し続けたが、 それは、環境によってつくられた特色が 次の世代に伝達されることは、 社会、文化の領域では自明であって、 生物学においてそのことを否定するのは、 社会進化の必然性の論拠を否定することになる からにはかならなかった。 ダーウィンは、 自然科学者としての自己の研究領域を越えて 生物進化論を拡大適用しようとはしなかった。 これに反して、スペンサーは、 物理的、有機的、社会的一切の現象を綜合して説明する 単一原理として進化論を提示しようとしたのである。「スペンサーと日本近代」 山下重一 御茶の水書房
2017年07月14日
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国際化とは、換言すれは、 危機の恒常化でなけれはならない。 国際化というと、 今日ではなんだかハイカラなことで、 すべてプラスばかりというような雰囲気が 一部にありますが、 これはいうまでもなく 間違った考え方であります。 国際化するということは、 とりも直さず異質な価値体系、 生活様式、商売のやり方等々と、 常に接触せずには生存を維持できなくなった、 ということでありますから、 手放しで国際化、国際化と 浮かれているわけにはいかない。 それは本質的に危険なことであり、 自衛の方策を講じておかなければ、 日本人の自立自存の基礎が 根本から揺らぎかねない。 「利と義と」 江藤淳 TBSブリタニカ
2017年07月13日
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夜の十一時が境となる。 従って日常生活はこの十一時を限度に終わって 就寝するようにしなければなりません。 肝臓は午前一時から三時の間に エネルギーを蓄えるものです。 この時間には一番休息を与える必要があります。 一時頃になっても酒を飲んだり マージャンをしたりしておりますと、 非常に肝臓を痛めます。 また腎臓は午後五時から七時の間が充電の時間です。 心臓は午前十一時から午後一時の間がそれに当たるので、 昼食後演説をしたり過激な運動をすることは 最も心臓に良くありません。 最後に肺ですが、これは午前五時から七時です。 従って毎日遅くとも六時には起床して 深呼吸をするとよろしい。「先哲講座」 安岡正篤 竹井出版
2017年07月12日
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認識というものは しばしば途方もなく遅れて訪れる。 きっかけとなった出来事や、会話、 あるいは光景などから、 何日、何年――場合によっては何十年もたってから、 ようやく人の心を訪れる。 人には、 知らないうちに植えつけられた 思いこみというものがあり、 それが、(真理)を見るのを阻むからである。 人は思いこみによって考えるのを停止する。 たとえ(真理)を垣間見る機会を与えられても、 思いこみによって見えない。 しかもなかなかその思いこみを捨てられない。 (真理)というものは、時が熱し、 その思いこみをようやく捨てることができたとき、 はじめてその姿――(真理)のみがもちうる、 単純で、無理も矛盾もない、 美しくもあれば冷酷でもある、 その姿を現すのである。 そして、そのとき人は、 自分がほんとうは常にその(真理)を 知っていたことさえも知るのである。「日本語が亡びるとき」 水村 美苗 筑摩書房
2017年07月11日
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私は、 世界にはじめと終りがあるか、 それとも 永遠に続くと考えるかという 二つの世界観を成立させた場所が、 それぞれ砂漠と森林であったと考えている。 物の考え方というものは、 個人のものだけでなく、 社会を構成するものであるから、 社会の動きにともなって、 考え方も空間的な伝播をしており、 かならずしも現在の砂漠地帯と森林地帯とに 対応しているのではないが、 地球の上にはこの二つの世界観が存在している。 そして、われわれの日常の行動が、 このどちらかの世界観に規定されておこなわれている。 また、時には、 二つの世界観に交々支配されていることもある。「森林の思考・砂漠の思想」 鈴木秀夫 NHKブックス
2017年07月10日
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心身統一法の根本条件を実行すると、 心と体が期せずして結合統一され、 その結果「生命要素」がぐんぐん増大して、 健康はもちろん、 運命の方面までも極めて良好に向上する。 「心身統一法」というドクトリン(教義)は、 健康と運命とを完全にする 生命要素というものをつくることを、 そのプリンシプル(根幹)にしている。 生命要素とは、 健康と運命を両立的に完成するのに必要な 「生命の力」である。 心身統一法によってその内容量をふやす力、 第一が体力である。 第二が胆力。 第三が判断力。 第四が断行力。 第五が精力。 第六番目が能力。 この六つの力が 生命の中にその内容量を豊富にしていない限り、 完全健康と完全運命を自分の人生にできない。「成功の実現」 中村天風 日本経営合理化協会
2017年07月07日
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これらの思想には、 たしかに、十九世紀の二つの遺産である 内省的主観化と歴史的客観化とを 守ろうとする誠実さがあり、 二十世紀の社会を存続させようとする責任感がある。 しかし、 シンクレティズムと私が呼んだこと に示されているように、 これらの思想には、最も基本的な問題について 矛盾するはずの二つの思想的姿勢が共存し、 両者を状況的(シチュエーショナル)論理が 調停している、 という構造上の共通点がある。 たとえば、 サルトルに対してカミユやメルロー=ボンティが指摘し、 丸山真男に対して吉本隆明が指摘したように、 根本理念の不整合性について奇妙な感覚の鈍さがある。 「プロレタリア解放の唯一の希望が共産党である以上、 実践として共産党を支持する」と言ったサルトルと、 「共産党が社会党と並んで 西欧的意味での民主化を果たす役割を認めるから 共産党に対しても寛容でありたい」 と言った丸山真男とは、 まさしく共に、 政治的プラグマティズムを思想の領域に持ち込んで、 しかもそれを十分に思想化する努力を払わなかった点に 共通性があった。 これらのシンクレテイストに 非難されるべきものがあるとすれば、 それは何よりも、 全体の知的状況から創造的な生産性を奪い去ってしまった という点にあるだろう。「文明の多系史観」 村上 泰亮 中公叢書
2017年07月06日
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広島と長崎の原爆について、 こう語られるのだった―― 「日本政府は、ヒロシマ原爆より六ヵ月も前に、 すでに降伏を決定していた。 スターリンを介して、 トルーマン大統領に和平の交渉をすすめていた。 米国政府はそれを知っていながら、 それが表にあらわれない前にというので、 広島と長崎に原爆を投じた。 そして一般には、日本人を降伏させるために、 ヒロシマ、ナガサキの原爆が必要だった と思いこませようとした。 しかし、じつのところは、 原爆投下には三つの動機があった。 一つは原爆の性能のテストであった。 二には、ソ連を牽制(けんせい)し、 脅威をあたえるためであった。 三には、 ヴェトナムをはじめ東南アジアの民族に恐怖をあたえ、 民族独立の指導者たちに、 アメリカに抵抗する希望を失わせることにあった。 ソ連の指導者たちは、 とうにアメリカの真意を見ぬいていたが、 西洋一般の人々や、 東南アジアの民族主義者たちや、 それから日本国民も、 ヒロシマ、ナガサキは戦争終結のためだという 米国政府の作りあげた神話をうけいれたようだった。 じつは、 広島と長崎の市民を大量虐殺したことは 無法な罪悪行為であった。 その罪に対して、 西洋人ことごとくが責任を負わなければならない。 西洋人の共通の名において行なわれたからである」と。「人間バートランド・ラッセル」 日高一輝 講談社
2017年07月05日
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一つの国を立てるためには、 国民の自己発見がなければならない。 そのためには、 自己発見の手がかりを与えてくれる 思想家がいなければならない。 特に、 現在のASEAN諸国や幕末明治初期の日本のように、 異質の文明をとり入れることによって 新しく国を立てていくという むずかしい状況になったとき、 この自己発見は、 よほどしっかりしていないと達成できません。 結局何もかも欧米のものがいいのだと信じこんで、 そちら一辺倒になってしまえば 自分というものが失われてしまいます。 逆に、古い価値をただひたすらに守らなければいけない といいつづけていれば、 国の存立そのものが危うくなる。 そういう二律背反の中に置かれて、 国民の役に立ち、 これからの国の行く道を指し示すような思想を、 ほかならぬ自国語で平易に語り聞かすことができる 思想家を持つか持たないかは、 たしかにその国にとって 決定的な別れ目だといってよいでしょう。「利と義と」 江藤淳 TBSブリタニカ
2017年07月04日
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人間の真価を直接に表すものは、 その人の所持するものではなく、 その人の為すことでもなく、 ただ、 その人が在るところのものである。 偉大な人物とは、真実な人のことである。 自然がその人の中に、 その志を成し遂げた人のことである。 彼等は異常ではない。 ただ、真実の階梯(かいてい)を踏んでいる。 (スイス)アミエルの日記「先哲講座」 安岡正篤 竹井出版
2017年07月03日
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