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大江健三郎が 「日本軍守備隊長が住民に集団自決を命じた」と 「沖縄ノート」に書いた。 そんな命令は出していないと当の隊長が言い、 その場にいた住民も自決はやめろと逆に隊長に諭され、 集まった住人はそれで散会したと証言した。 自決命令が出たことにしたのは、 それで住民に遺族年金が支給されるためだった。 隊長が個人の名誉を犠牲にした 好意的な嘘だったことも分かってきた。 対して大江は取材は一切しなかった。 聞きかじった「好意的な嘘」を逆手に、 日本軍は悪とする時流に乗った 嘘話を仕立てた悪意が浮かんできた。 文学者以前に人間性も疑われる悪行を、 このノーベル賞作家はやっていた。 こんなにもはっきりしている 大江の名誉毀損訴訟はしかし、 一審でも控訴審でも隊長側が敗訴した。 理由がひどい。 大江が捏造した話は 「当時流行っていたから悪気はない」。 隊長の諌めを聞いたという住民の証言も、 裁判官が 「信用するに足りないと思った」で 切り捨て。「偉人リンカーンは奴隷好き」 高山 正之 新潮社
2017年02月28日
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古い小さな車の運転席で、 彼女は私にたづねてきた。 「私は日本について何も知りません。 日本のマスターズ・カントリーはどこなんですか~」 マスターズ・カントリー? 私は何のことだかわからず、 バックミラーの中の彼女の顔を見るしかなかった。 すると、 いぶかしげな私の視線にとまどったらしい彼女。 「あ、ごめんなさい。『どこですか』ではなくて 『どこだったのですか』と聞くべきでしたね」 まず驚いたのは、 マスターズ・カントリー(ご主人様の国)という言葉。 彼女は 日本がヨーロッパかアメリカの植民地になっていて、 マスターズ・カントリーを持っている と思っているらしい。 ところが私が不思議な顔をしたので、 「昔はそうでしたね」と言い直したに違いない。 「日本は一度も植民地になったことがないんですよ」 説明する私に、 今度は彼女のほうが信じられないという顔をして、 バックミラー越しではなく、 直接まじまじと私を見るのだった。 それは当然なのだ。 発展途上国の移民である彼女にとって、 日本の歴史など何の関心もないに違いない。 それは私も含め日本人の大多数が、 彼女の国の歴史に興味がないのと同じことだ。 家に着き、玄関を入って振り返ると、 私が鍵を開けたのを確かめた彼女は、 合図のクラクションを鳴らしてくれた。 ガタガタの小さな車は、 オランダ人や私のような先進国の外国人が住む (つまり彼女のような 旧植民地から来た人たちは住まない) 分譲住宅地の並木道を走り去って行った。 彼女は私のことをどう思ったのだろう。 そのあとも気になってしかたなかった。 「同じ有色人種なのに、 なぜ日本人はマスターズ・カントリーの住人と 同等に生活できるの?」と思ったのではないか。「一度も植民地になったことがない日本」 デュラン・れい子 講談社
2017年02月27日
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一口に言へば、 我々が現在のやうに日本語を読み書きすることが出来る といふことそれ自体が、 この「無視の構造」に支へられてゐる。 それが及ばした影響から言つても、 またそれの根をなす事柄の深さから言つても、 これは単なる「国語表記の諸問題」などといつた、 少数の専門の人々にだけかかはりのある問題ではない。 この「無視の構造」は、 まさに小林氏の言ふ「私達の文化の基底に存し、 文化の性質を根本から規定してゐた」 我々の祖先の言語経験の本質である。 そして漢意とは、 実はこのことに他ならないのである。 先程も見た通り、 漢意は単純な外国崇拝ではない。 それを特徴づけてゐるのは、 自分が知らず知らずの内に外国崇拝に陥つてゐる といふ事実に、頑として気付かうとしない、 その盲目ぶりである。 「我はからごゝろもたらずと思ひ、 これはから意にあらず、 当然理(シカアルペキコトワリ)也と思ふ」と、 これこそが漠意の本質的な構造であつた。 これが、 訓読と仮字を生み育てた「無視の構造」 そのものであることは、 あらためて断るまでもあるまい。 先ほどの話をおし縮めれば、 訓読も仮字も、 つまりは「我は漢字(からのもじ)もちゐずと思ひ、 これはからの字にあらず、 ただ当然(あたりまへ)の字也と思ふ」 ことによつて生まれた方法だ といふことになるのである。 もつとも日本人の心を損ふものとして 宣長の難じた漢意が、 実は我々の文化を、 その最大の危機から救つたものであつた といふのは、 誠に皮肉なことである。「からごころ」 長谷川三千子 中公文庫
2017年02月24日
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営魄(えいはく)一を抱いて能く離るるなからんか。 気を専らにし、柔を致して、能く嬰児ならんか。 滌(てき)除玄賢して能く疵(きず)なからんか。 民を愛し国を治めて能く無為なからんか。 天門開闔(こう)して能く雌たらんか。 明白四達して能く無知ならんか。 これを生み、これを畜(やしな)ひ、 これを生んで有せず。 為して恃まず。 長として宰せず。 是を玄徳と謂う。「東洋学発掘」 安岡正篤 明徳出版
2017年02月23日
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ギリシャ・ローマの人間はバビュロン文化、 とくにエジプト文化における 正確な年代学や暦の計算法をよく知っており、 したがって星辰の大掛りな観察や、 広大な時間間隔の正確な測定に現われている 強い永遠の感情も、 現在的瞬間の無意味という感情も、 よく知っていたくせに、 そのどれも内的に自己のものとしなかった。 時として、哲学者がこのことをいうことがあっても、 彼らはただ聞くだけであって、 探求することはなかった。 ヒッパルコスやアリスタルコスのような アジアにおけるギリシャ諸都市の 少数の立派な学者の発見したことは、 ストア派やアリストテレス派によって排せられ、 非常に狭い専門科学のそとにあっては 注目されもしなかった。 プラトンもアリストテレスも、 天体観測所を持っていなかった。 ペリクレスの晩年に、 アテナイで一法令が発布され、この法令によって、 誰でも天文学的理論を流布した者は、 エイサンゲリヤという厳しい告発を受けたのである。「西欧の没落」第一巻 O・シュペングラー 五月書房
2017年02月22日
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秀吉らがキリスト教をそこまで嫌ったのは、 彼らの狭量さの延長にある非人道性だった。 同じ神を信じていない者は「人に非(あら)ず」で、 だから奴隷(どれい)にしても構わない、と主張する。 追放令の発端は有馬晴信などキリシタン大名が 火薬の素(もと)の硝石を得るために、 捕えた敵軍の将兵や領地の女を海外に売っていた、 一説には女五十人で硝石一樽(たる)だったというが、 それを秀吉が知ったことからだった。 怒った彼はコエリヨを呼び、 海外に売った日本人を連れ戻せと命じたが、 コエリヨは応じない。 それで伴天連追放令を出したという順になる。 この顛末(てんまつ)は徳富蘇峰の 『近世日本国民史』に詳しいが、 追放令が出る五年前に日本を出た 天正遣欧少年使節の一行も欧州の地で 「み目よき日本の娘たちが秘所丸出しでつながれ、 弄(もてあそ)ばれ、売られていく」 のを目撃している。 徳川時代、日本に出入りしたオランダ人を 「日本人は憎悪(ぞうお)した」と スウェーデン人植物学者ツュンベリは報告している。 なぜなら「彼らが奴隷売買をし、 同じ人間を不当に扱っているからだ」と「オバマ大統領は黒人か」 高山 正之 新潮社
2017年02月21日
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其処での漢字は、 もはや「中国語」といふ生きた言語の組織の一部として、 音と意味とを同時に表はすものではなく、 その視覚形態から直接に一定の意味を伝達すべき、 単なる一情報単位となる。 但し、 その各情報単位の内容を、 それの並んだ通りに羅列しても 「自然言語」(すなはち日本語)にはならない。 或る一定のプログラムに従つて、 しかるべく配列し、 結び直すことが必要となる。 その転換に用ゐられるプログラム言語が、 いはゆる乎古止(おこと)点、返り点その他で あつた訳である。 日本人にとつて、漢文は、 ちやうど足し算引き算を習ふやうにして その計算法をマスターすべき一つのシステムにすぎない。 そして、 それを「自然言語」に転換するプログラムの総体が 「訓読」といふものだつたのである。 したがつて、 訓読は普通の意味での「翻訳」ではない。 普通の翻訳は 二つの自然言語の間に行はれる操作であるのに対して、 訓読では自然言語は唯一つ、 日本語しか認められてゐないからである。 この一見些細な相異は、 実は重大な意味をもつてゐる。 と言ふのも、まさにこのことによつて、 我々の祖先は、 漢文の内から「異言語の支配」といふ危険な要素を 取り除くことに成功したのだからである。 一国を二重言語国家としてしまふやうな危険な力は、 「自然言語」の内にこそある。 音声をうばはれ、 単なる一つの情報計算法となつてしまつたものには、 さういふ力はもはやないのである。「からごころ」 長谷川三千子 中公文庫
2017年02月20日
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世の中を達観仕候に、 一種の公平温厚底の人、 才もなく術もなく、 しかも高位に居して人心服し、 天下安寧に化(か)すること有るやに存候。 公平の徳大なるが故にいたす所に之れ有るや。 公平の二字は宰相の人、 なくて叶はざることに候。 公平温厚の二条はずれて、 高位に居て終を全くするものなきやに存候。 是を以て見れば才は徳に及ばぬことと存候。「偉大なる対話」 安岡正篤 福村出版
2017年02月17日
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第三に、 日本が科学技術研究のメッカになるよう、 官民あげての努力が必要である。 現在の日米摩擦で語られる「シンメトリック・アクセス」 というアメリカ側の主張には、一部の真理がある。 つまり、アメリカの研究機関で学んだり、 研究に従事したりしている日本人研究者の数と比べて、 日本にくるアメリカ人研究者の数ははるかに少ない。 外国の研究所での研究成果で ノーベル賞をとった日本人はいても、 日本での研究でノーベル賞をとった外国人は皆無である。 つまり、日本は、世界的にみて、 科学技術研究のメッカからは ほど遠いというのが現状なのである。 これからさき、情報(コンピューター原理)、 バイオサイエンス、超電導などの 未開のフロンティアがたくさんある状況で、 日本は的確に固有の分担領域を見定めて、 高度な研究システムを準備し、 巨額の資金を投じ、 世界的規模の研究の場を もち備えるようにならねばならない。 それぞれ専門分野をたがえた 複数の国際高等研究所の設立も必要であろうし、 あわせて、既存の大学の研究機能の強化も 抜本的に図られる必要があろう。 日本の好もしくないイメージを生んでいる点で、 日本の国公立大学の制度的閉鎖性イメージは、 いまのところ致命的な効果を生んでいるとさえいえる。 さりとて、 民間の研究所が開放的であるともいえないところに、 日本の研究システムの問題があろう。「フローの文明・ストックの文明」 矢野暢 PHP
2017年02月16日
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毎日新聞の浅海一男が戦時中に書いた 与太記事「百人斬り」はその後、 朝日新聞の本多勝一が検証もしないで もっと憎々しげに脚色して紙面に載せた。 両少尉(しようい)の遺族が この二つの新聞のいい加減さを訴えたが、 最高裁は朝日が提出した望月五三郎の 『私の支(しな)那事変』にぞっこん惚(ほ)れ込んで 「百人斬り」はあったと判示してしまった。 野田少尉の下にいたという望月某は、 実は本多勝一並みにいい加減で、 こう書いている。 「野田少尉の命令で」支那人農民を引き据える。 少尉が軍刀を一閃(いつせん)させ 「首が飛んで胴体ががっくり前に倒れる。 首から噴き出した血の勢いで 小石がころころと動いている。 目をそむけたい気持ちも 少尉の手前じっとこらえる」と。 ところがちょつと調べると望月某はその当時、 野田少尉の部隊にはいなかった。 何より打ち首で 「胴体ががっくり前に倒れ」ないことは前述した通り。 小石ころころは創作が過ぎる。 朝日新聞はこんな見え透いた嘘(うそ)でも 今の最高裁の無能な判事なら騙(だま)せると読み、 そして読み通りになった。 最高裁の上に再考裁が要る。 (二〇〇七年八月三十日号)「オバマ大統領は黒人か」 高山 正之 新潮社
2017年02月15日
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すぐれた東洋の歴史学者、 パレスチナ考古学専門家である三笠宮殿下の言葉がある。 国際宗ぐ教学宗教史学会の第十一回国際会議で 「日本からの挨拶」として、 殿下は次のように述べられている。 「私の忌憚のない印象を申しますと、 世界は今日(一九六五年九月)、 それぞれ異った習慣や思想・概念や 宗教間では不信と疑惑で満ち溢れています。 そこで、この不信と疑惑を排除するには 一体どんな方法が最良なのでしょうか。 唯一の方法は、誰もが相互理解を計ることである と私は信じます。 われわれにとって、常に一番大切なことは、 相手方の立場に立って物事を判断することであり、 相互理解のために お互いの共通点を見出すことであります。」「ジャパン・ウェイ」 N・P・ジェイコブソン 理想社
2017年02月14日
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開花は人間活力の発現の経路である。 それで現代の日本の開花は 前に述べた一般の開花と どこが違うかというのが問題です。 もし一言にしてこの問題を決しようとするならば 私はこう断じたい。 西洋の開花(すなわち一般の開花)は内発的であって、 日本の現代の開花は外発的である。 ここに内発的というのは 内から自然に出て発展するという意味で ちょうど花が開くようにおのずから蕾(つぼみ)が破れて 花弁が外に向かうのをいい、 また外発的とは外からおっかぶさった 他の力でやむを得ず一種の形式を取ることを 指した積りなのです。「私の個人主義」 夏目漱石 講談社
2017年02月13日
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私達は、 漢字漢文を訓読といふ放れわざで受け止め、 鋭敏執拗な長い戦ひの末、 遂にこれを自国語のうちに消化して了つた。 漢字漢文に対し、 このやうな事を行つた国民は、 何処にもなかつた。 この全く独特な、 異様と言つていゝ言語経験が、 私達の文化の基底に存し、 文化の性質を根本から規定してゐたといふ事を、 宣長ほど鋭敏に洞察してゐた学者は、 他に誰もゐなかつたのである。 ここに、「からごゝろ」で宣長が 我々に遺した宿題を解くべき糸口がある。 ここに指摘された「言語経験」こそは、 漢意といふ現象の全体を支へてゐる事実である。 すなはち、それは、 我々の読むこと書くことそれ自体が、 「中国の文字」によつて行はれてゐるといふ 事実なのである。 すでに小林氏は『本居宣長』の巻中に、 漢字漢文の訓読の問題を取り上げ、 詳しく論じてゐる。 しかし、『補記』のなかで、 かうして「からごゝろ」の一条と 結び合はされることによつて、 それが本当に問題の核心である所以(ゆえん)が 示されることになつたと言へよう。「からごころ」 長谷川三千子 中公文庫
2017年02月10日
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とかく大事を成就することは、 一心不定の死を惜(おし)み候所より生じ申し候。 其のわけは戦国の人 無学不術にして然(しか)も大事を創建候こと、 他の技能あるに非ず。 唯(ただ)死を愛(おし)むを恥とする 一箇の偏心より結局大事を遂げ申候やに候。 当世の人も、 武夫たる者死を愛(おし)まぬ偏心を 腹中に貯へ申候へば、 多少の怯心(きょうしん)を省き 一心定まり申すべく存候。 その上を学術にて修飾仕候はゞ、 実の人才にも成り申すべく候と考え候。「偉大なる対話」 安岡正篤 福村出版
2017年02月09日
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ギリシャ人の世界意識にあっては、 一切の経験はただ特殊な個人的な過去ばかりでなく、 一般的な過去もまたすぐに変えられてしまい、 無時間的に不動な、神話的に形成された、 その時その時の瞬間的な現在の背景となったのである。 そこでアレキサンドロス大王の歴史は、 ギリシャ・ローマ的な感情から、 もはやその生前からディオニュソス伝説と、 ごたまぜとなり始めたのであり、 またカエサルは、 自分がウェヌス(ヴィナス)の子孫であることを 馬鹿気たことだと少しも思わなかったのである。 われわれ西洋の人間には、 こういう心的状態を自分の中に体験することは まるで不可能となっているといわなければならない。 われわれは時間的隔りに対して強い感情を持っている。 そこで、キリスト出生の前後で年を数えることは 当然のことなのである。 しかし、われわれは歴史の問題にっいては、 こういうギリシャ・ローマの事実を 単純に無視してしまう権利はないのである。 日記と自叙伝とが個人に対して持っている関係は、 外国の民族、時代、風俗などの あらゆる種類の心理的比較分析をふくむ 非常に広範な歴史研究が、 文化全体の精神に対して持っている関係と同じである。 しかし、ギリシャ・ローマの文化は、 この特殊な意義における歴史の器官としての 記憶を有していなかった。 ギリシャ・ローマ人の「記憶」 ――この場合、もとよりわれわれは 自分の魂の像からきたところの概念を、 そのまま自分の知らない魂にあてはめている ――はまったく異なったものである。 というのは、覚醒存在における排列的な見透しとしての 過去と未来とがないからであり、 われわれにまったく未知の力でこれを満しているものは、 ギリシャ・ローマの生活のあらゆる作品において、 とくに彫塑において、 ゲーテのいくたびも嘆賞した「純粋現在」だからである。「西欧の没落」第一巻 O・シュペングラー 五月書房
2017年02月08日
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人間が地上にあらわれてからかれこれ百万年がすぎた。 もし人間が出現してから今日にいたるまでの歴史 ――先史時代の洞清から摩天楼まで、 またたいまつからネオンまで、 ひうち石でつけられた火から 現代の電子化ンジまでの歴史を探究するとすれば、 人間の本性のうちで最も重要な因子が明らかになる。 すなわち、 それは創造への衝動であって、 これがあるがために人間は発明ということを やってのけるのである。 この能力を天賦(タレント)と混同してはならない。 天賦の才のないものさえふくめて ほとんどすべての人間は、 それが美学・科学・技術あるいは 社会の各規準の面からみて価値があろうがなかろうが、 いずれにせよ、 創造をやっていこうとする本能的な衝動、 ――つまりいやでもおうでも、 なにかを作らずんばやまずといった 強い欲求をいだいているのだ。「人間を考える」 ピエール・A・ラドワンスキー 南雲堂
2017年02月07日
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オランダが英国の助けを得て 再び植民地支配に戻ってきたときだった。 逆らうことを知らない 気弱なはずのインドネシア人が、 スラバヤに上陸した英軍旅団を迎え撃った。 その先頭にはペタが立ち、 日本軍から得た兵器で戦った。 爆弾を抱えて「ジバク」と叫んで 戦車に突っ込んだ者もいた。 それからの四年半、 オランダは空軍も動員して 貧弱な装備のインドネシア人を殺しまくった。 八十万人が殺されたが、 人々は決して逃げ出そうとはしなかった。 見かねた米国が 戦後復興援助(マーシャルプラン)の打ち切りを 言い出して、 オランダはやっとインドネシアの独立を認めた。 しかしその条件がふるっている。 オランダは過去三百五十年間の 非人道的な植民地支配には一切の謝罪も賠償もなし。 逆に道路や港の整備、石油施設などの 引渡し代償として六十億ドルを請求した。 スカルノはそれを呑んだ。 阿漕(あこぎ)を絵に描いたようなオランダが、 今年の八月十七日の独立記念式典で 「再び植民地化しようと 軍隊を送ったのは間違いだった」と謝罪した。 東南アジアを侵略し搾取したのは 日本だと欧米は言い募り、 共産党系朝日新聞もそれに同調してきた。 しかし真犯人の一人が今やっと自供した。 共犯の英米仏も素直に白状したらどうだろう。 とくにアジアを裏切り、 日本を裏切って白人国家についた中国も 今が懺悔のいい潮時と思うが。 (ニ〇〇五年九月八日号)「スーチー女史は善人か」 高山 正之 新潮社
2017年02月06日
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第二に、日本は、 テクノ・グローバリズムの哲学を固め、 それに沿って国家として行動すべきである。 テクノ・ナショナリズムをきびしく排斥する姿勢は、 たとえ一時的にアメリカとの関係を悪化させようとも、 世界的にみたとき高い評価を受けることになる。 科学技術の問題を日米二国間だけの摩擦から解放し、 もう少し広い視野で考えてみることは、 とくにいまの段階でだいじなことだといえよう。 ただ、テクノ・グローバリズムの内容は問題である。 これは長期的には、 一種の「世界科学技術秩序」の構想に進む かたちになろうが、 それは科学技術者ならすぐ語れても、 外交的にはなかなかむずかしいことである。 しかし、その精神は貴重であるといえる。 とくに第三世界にたいして どのような科学技術面での貢献ができるかが、 日本の知性の大きな宿題になることであろう。 「世界科学技術秩序 (a World Order of Science and Technology)」 はいいとしても、 もしそれが豊かな先進国だけの秩序だ ということになると、 a Wor1d order of Richmen,Science and Technology となり、略すとWORST(最悪)となってしまう。 これでは困るのである。「フローの文明・ストックの文明」 矢野暢 PHPそれに
2017年02月03日
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小林氏がこころざしたのは、 ただ、本居宣長を、出来るかぎりこまやかに、 なぞつて繰り返さうといふことであつた。 このやり方を見て嘲笑(わら)ふ人もある。 今日の学者や批評家は、 「まなぶ」といふことがもともと 「なぞつて繰り返す」ことであつたのを忘れてゐて、 それを何かひどく単純で つまらぬことのやうに思ふのである。 しかし、「なぞつて繰り返す」といふことは、 本来、ただ複写機(コピー)のボタンを押して 紙の出て来るのを待つやうなことではない。 「解釈」といふことの内にすでにひそむ我執を、 洗つて洗つて洗ひつくして、 自分が何の変哲もないただの板切れ一枚になつたとき、 突如それを共鳴板として「宣長の肉声」が響き出す ――さうなつたときがおそらく、 小林秀雄氏の 『本居宣長』を書き始めたときであつたらう。「からごころ」 長谷川三千子 中公文庫
2017年02月02日
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ここに一人の人間がいて、 もし彼が 周囲の人々の共鳴を得るに値するような意志を固め、 それを実現したいとする確固たる意志を 心底から確立すれば、 それに対する彼自身の集中力が 異常なまでに高まっていく。 そういう心情になった人は、 チャンスも絶対に見逃さないという レディ(ready)の状態にあるだけに、 人の気付かないような一見些細な情報や 裏に隠れた現象でも、 すべて逃すことなく捕え、 ときにこの世に現われる超常的な確率をも 掌中に引き入れていくことにもなる。 それに加えて、こういった姿勢は、 やがて人の気迫・エネルギーといったものとして それを外部に発散し、 外部の人々をも巻き込んでいくようになり、 そこから先輩・関係者・周辺からの 無尽の具体的な協力が得られる。 そう云ったものを十年、二十年にわたって積分すれば、 そうした初心を持たない人達に比べて 何千倍、何万倍もの広さと深さになって 展開していくことは、 常識人には容易に推察できるであろう。「柔考超代」 城阪俊吉 日刊工業新聞
2017年02月01日
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