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大河が終わって、およそ一月。 今一度、本著を読み直して、 色々なシーンを思い出していました。 久し振りに、力を入れて見続けた大河でした。 そして、終盤が結構面白かった。 関ヶ原の裏で、このような動きがあったことを、 不勉強な私は、これまで知りませんでした。 もし、関ヶ原の戦が長引いていれば、歴史は変わっていたのか……それでも、何やかや言っても、お家存亡の危機に何度も見舞われ、所領を転々としながらも、結局、最後の最後まで生き残り、福岡という大都市を気付き上げたのですから、黒田家はスゴイと思います。そんな中でも、やっぱり一番印象に残ったのは、官兵衛が、一年に及ぶ土牢幽閉を耐え抜き、復活していったことと、竹中半兵衛によって命を救われた長政が成長し、黒田家を守り抜いたこと。見事な父と子のドラマでした。
2015.01.28
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父親という存在。 それについて、本著の「はじめに」には、次のように記されている。 つまり、その子にとって、不可欠だという瞬間は、 子どもが受精卵として誕生する前にほぼ終わっている。 それから以降は、いわば、いてもいなくてもいい存在なのだ。(p.4) 母と子の関係が、社会や時代を超えた普遍性を持つのに対し、 父と子の関係は、社会や時代、心理的、社会的状況により左右される。また、父親の存在感が希薄な時代となり、父権の崩壊と共に、母系社会への回帰が起きていると、著者は言う。それでも、「外界から子どものもとにやって来る最初の他者」である父親は、子どもの成長に多大なる影響を与えるとも。 うつ病などの精神疾患で父親が働けないという場合にも、 子どもは父親に対して複雑な想いを抱えやすい。 父親に愛着をもつ場合でも、 父親が社会的に無力で、役割を果たしていないということを感じると、 子どもは父親を手本として尊敬し、自我理想とすることが困難になる。 愛着する対象が立派な大人であり、 自分を守り、導いてほしいという期待は裏切られ、失望を味わう。 そこには悲しさとともに怒りが伴う。 愛着する父親に、そうした感情を向けまいとすればするほど、 心の中にやり場のない思いが蔓延するようになる。 ここで重要な役割を果たすのは、母親だ。 母親が病気になって仕事ができない父親のことを否定的に見て、 不満や嘆きを漏らしていると、 子どもは、父親のことを、母親を苦しめる存在とみなし、 父親を肯定的に受け入れることがますます困難になる。 しかし、母親が父親のことを心から愛していて、 たとえ病んでいても、いたわりを忘れず、敬意をもって接していると、 子どもたちも父親に対する敬意を保ち続け、 今は病気のために働けないが、精神的に自分たちを支えてくれているのだとか、 父親も病気と闘っているのだと受け止めて、 逆境にあってもくじけない手本として、尊敬の対象としての父親を失わないで済む。 それは、子どもたちにもっと豊かな価値やもっと大きな愛を手に入れさせる。(p.167)「父親のイマーゴから開放される」(p.296)、「作られたイメージを疑う」(p.298)「肯定的な父親像を取り戻す」(p.300)、「楽園にいた頃」(p.303)、「子どもは父親を愛したい」(p.306)が、本著のクライマックスである。心に響く、読み応えがある一冊だった。
2015.01.21
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ちょっと前から、首が痛い。 肩も、こるといった状態でなく、痛い。 頭も、時々重く痛い。 なので、本著を手に取った。 表紙には、「めまい」「ウツ」「頭痛」「パニック」「自律神経失調症」 「慢性疲労症候群」「血圧不安定」の文字が躍っている。 これらの症状の原因が、「首」にあるということなのだろう。 そして、ページを捲った。本著は、やはり「首コリ」が色々な不調の原因となっていることがあり、「首コリ病」を治すことで、症状が改善することを説明する一冊だった。「首コリ病」は、「頚性神経筋症候群」というもので、その症状や原因、予防や診察・治療等について記述されている。しかしながら、医学界では首の重要性が十分認識されていないと書かれている。著者の松井先生は、「健康な首を作る方法」や「診察や治療の流れ」を、本著においても、具体的に示されているのに、なぜ医学界はそんな現状なのか?その点が、最も疑問として残った。
2015.01.21
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副題は「理論と証拠にもとづいた理解・臨床・介入のためのガイドブック」。 岡田さんの『愛着障害』とは違い、決して単なる読み物ではない。 「愛着」や「愛着障害」、そしてその「介入」について、 これまでにどのような研究が行われてきたかを徹底的にまとめた一冊。 まるで、たくさんの論文を読んだような気分になる本だが、 各章の最後に「要約」を付けてくれているので、 頭の中を整理しながら、読み進めることができるようになっている。 それでも、なかなか手強い一冊だった。 *** ジーナ・ボリスは、親子関係のどのような特徴が 子どもの愛着にとって重要なのかを考察しています。 彼らは、次のように主張しています。 すなわち、子どもの愛着にとって最も影響するだろうと考えられる養育者の行動とは、 情動面での利用可能性、養育と暖かさ、保護と安心感を与えることなどでしょう。 それに対して、愛着にそれほど影響を与えないのは、 教育、遊び、実用的な世話、しつけなどです。(p.41)「愛着」というものを考える時、なかなか興味深いポイントだと思いました。 ボウルビーは、子どもの近接性を求める愛着行動に対する 愛着対象の応答(行動)を養育と呼びました。 愛着の体制化は、子どもが受ける養育の質によって規定されます。 子どもに対する親の応答性という観点からすると、 安定した愛着を形成している乳児の母親は、感受性が高く応答的ですが、 不安定-回避型の乳児の母親は拒絶的で侵入的であることが見いだされており、 不安定-抵抗型の乳児の母親は、乳児への反応が関与に乏しく予測不可能でした。 非体制型の愛着は、養育者が怖がらせるような行動や 怖がっていることを示すことと関係していることが見いだされています。(p.57)「愛着対象」による応答(養育)が、乳児にどのような「愛着」を規定するか、端的に示してくれています。 愛着障害が何であるかについて正確にはまだわかっていないことがいくらかあります。 ですが、3つの基準が明らかになっています。 1.この障害は5歳以前に明らかになる、 2.子どもは、重度のニグレクトや頻繁に養育者が代わることを経験している、 3.発達の重要な時点で、弁別された愛着対象を持っていない。 愛着障害の抑制性と脱抑制性のタイプは、同じ先行条件を持ち、 同時に存在することもあるが、その性質や発達の過程は異なっています。 両タイプは、愛着行動システムを超えた社会的関係にわたって見られます。 抑制性の愛着障害は、養育がよい方向へ変化することで 緩和されることがあるかもしれませんが、脱抑制性は持続するかもしれません。 愛着障害の一部は側面は、非体制性愛着と類似しています。(p.244)「愛着障害」については、まだまだ知らないことが多いけれど、本著を読んで、もっと知りたいと思いました。
2015.01.19
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久し振りに青沼さんの本を読んだ。 どんどんページを捲っていき、一気に読了。 絵も良いし、読みやすい。 引っかかるところがない。 でも、「引っかかるところがない」というのは、 必ずしも、良いこととは限らない。 つまり、「?」もないけれど、「!」もないということ。 折角、女性にとっては大きなテーマである「更年期」を扱ってるのに……「子育て」と「更年期」では、やはりアプローチを変えるべきだった?
2015.01.14
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伊坂さんのエッセイ。 コーヒーショップでノートパソコンを広げ、小説を書いたり、 ネットのポータルサイトのニュースを見て、色々心配したりといった 仙台での、日々の暮らしの光景が目に浮かぶ。 その心配事の一つが、床屋さんでの会話。 2009年2月10日のエッセイ。 宮城県沖地震が来るというお話し。 それは、こんな風に書かれている。 が、宮城県沖地震がいずれ来ることは間違いない。 仙台市のホームページを見ると、宮城県沖地震はこの200年間で6回、 平均すると37年周期で発生しているらしい。 つまり、前回の大地震が1978年だったから、その37年後、 2015年あたりに起きる可能性が高いのだろうか? 今までで一番、間隔が長かった時で、42年間だったらしいから、 2020年までにはかなりの確率で、地震が来るというわけだ。(p.84)今から10日余り前に、2015年になった。でも、その前、20011年に震災は起こった。 依然、阪神大震災の被災者が、 「被災地以外の人間にこの気持ちが分かってたまるか、 と感じるところはある」と言っていた。 そうなのかもしれないな、と今は思う。 震災だけに限らない。 理不尽な出来事に巻き込まれた人には、 その当事者とならなければ分からないことがたくさんあるに違いない。 「想像力」はとても大事なことだけれど、 それは安易に使ってはいけない言葉のように、感じてきた。 僕には、大きな被害に遭った人たちの大変さは、ずっと分からないままだと思う。(p.163)阪神大震災の発生から、もうすぐ20年。私が、高嶋さんの「M8」等の作品を読んでいたのは、2008年から2009年の頃。その頃は、「TSUNAMI 津波 」も「ジェミニの方舟」も、空想の出来事だったはずなのに……。私も「心配事が多すぎる」になってしまいそうだ。
2015.01.12
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本著は、画期的な一冊である。 なぜなら、「うつ」や「不安障害」について書かれた本はたくさんあるのに、 「適応障害」についての著作は、本当に少ないからだ。 私も「適応障害」と題したものを読むのは、本著が初めてである。 著者も本著の「はじめに」で、次のように書いている。 実際、適応障害についての専門書は、ほとんどないといってもいいくらいである。 適応障害についての理解は、専門家でさえも驚くほどお粗末なのである。(p.9) 私が困るのも、「適応障害」と「うつ病」の区別が曖昧な著作が結構多いことである。 適応障害は、小さな子どもから若者、大人、老人まで、 どの年代のどの人にでも起こりうるものである。 その人その人の状況やストレスの種類によって、 まるで別物であるかのように思われていたり、別の病名がついていたりする。(中略) 適応障害では、これまで普通にできていたことが苦痛でたまらなくなったり、 できなくなるということがよくみられる。(中略) こうした場合、「うつ病」と診断されることも多いわけだが、 本来のうつ病は、体重が減少したり、体の動きがゆっくりになったり、 表情が仮面のように乏しくなったりといった身体的な症状をともなう。 ところが最近増えてきているのは、会社には行けないが、 それ以外のことなら、割合元気にできてしまうというもので、 「新型うつ病」とよばれたりする。 しかし、その実態は「うつ病」というよりも、「適応障害」だということが多い。 うつ病との大きな違いは、ストレスが取り去られると、元気を取り戻せるという点に表れる。 うつ病の場合には、きっかけとなった出来事があるにせよ、 そのことが解決してストレスがなくなっても、すぐには元に戻らない。 回復にある程度の時間がかかる。 年齢が高くなると、回復に要する時間も長くなる。(p.5)著者によると、本著の目的は、ストレスや適応障害について分かりやすく解説し、環境的ストレスと本人の特性との相互作用として適応障害を捉え、それを具体的に描き出し、ストレスや試練、逆境を乗り越えていくための技術のエッセンスを伝えることだという。「愛着障害」についても、かなり触れられている。そのうち、第4章「パーソナリティ・タイプと適応障害」では、回避性、依存性、強迫性、自己愛性の各パーソナリティと、演技性、境界性の各パーソナリティ障害について、「特徴と陥りやすい落とし穴」「適応を改善するポイント」が示されている。私自身は、「強迫性パーソナリティと適応戦略」を読んで、愕然とさせられた。要するに、身に覚えがあるということだ。また、第7章「職場で起きやすい適応障害」では、容量オーバーや主体性を奪われることで適応障害となることや、「管理職ストレスとうまくつき合う方法」が示されている。後者については、記述されていることが少ない内容であり、参考になる。 だが、もう一つタイプがある。 それは人並み以上に適応力や体力にも恵まれ、 精神的にも肉体的にもタフだと見られていた人がと、 うつになってしまうという場合である。 周囲はまさかあの人がと、予期していなかったということが多い。 だが、誰よりも予期していなかったのは、本人である。 自分がまさか、うつ病になろうとは夢にも思っていなかったはずだ。 それだけに思うように体も頭も動かないという状況に直面しても、 自分に何が起きているのかさえ、分からないということが多い。 それゆえ、とことん症状が強くなって、周囲が異変に気づくまでじっと我慢して、 どうもないふりをしているということにもなりがちだ。 その分、追い詰められやすい。(中略) 一、二週間であれば、ストレス・ホルモンが放出されることによって、 脳や体の活動性を高め、負荷が増大した状態を乗り越えることができる。 しかし、さらに長期間同じ状況が続くと、 ストレス・ホルモンが今度は脳の神経細胞を障害する方向に働き始める。 神経細胞は萎縮したり、死滅したりし始める。 また、神経伝達物質の枯渇も起きてくる。 いくら鞭打っても、伝達物質自体が尽きてしまっては、 脳も体も思うように動かなくなってしまう。(中略) ほんの少しずつ無理が重なっていくことで、結局うつに追い込まれていくことになる。 うつになって脳の萎縮まで起き、回復に何年もかかる状態になったところで、 誰も面倒をみてくれるわけではない。(p.179)この部分は、読んでいて、苦笑いするしかなかった……。
2015.01.12
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メンタルヘルス・マネジメント検定試験2種受験に向けた 重要ポイント&問題集で、公式テキスト第3版に対応したもの。 各項目について、その内容を図表にして示したりしながら、 ポイントを簡潔にまとめており、たいへん分かりやすい。 ただし、公式テキストのボリュームに比べると、 まとめとはいえ、かなり精選・圧縮されてしまっているので、 掲載仕切れなかった内容もかなり出てきてしまっている。 そのため、各章末に掲載されている確認問題を解いてみると「?」となる。それ故、本著のみを用いて勉強するだけでは、決して十分とは言えず、やはり、公式テキストは必読のものである。次は、公式テキストを読み返しながらまとめ、過去問に挑戦する予定。検定試験(2種と3種のダブル受験)まで、あと約2か月になった。
2015.01.11
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ネットで色々なサイトを見ているうちに辿り着いた一冊。 不勉強な私は、著者の西部邁さんも佐高信さんも知らなかったし、 「西部邁・佐高信の学問のすゝめ」も見たことがありませんでした。 それでも、本著を読んでみようと思ったのです。 それは、本著で扱っているのが、私が読んだことのあるものが多かったから。 勝間さんの『断る力』、村上さんの『1Q84』、内田先生の『街場のメディア論』、 竹中さんの『「改革」はどこへ行った?』、塩野さんの『日本人へ リーダー篇』と 『日本人へ 国家と歴史篇』、稲盛さんの『生き方』が、二人の対談のターゲット。竹中さんの著作は他のものしか読んだことがなかったけれど、他の方々の著作は、全て読んでいたので、どんなことが書かれているか興味がありました。もちろん、副題が「妙な本が売れる変な日本」ですから、それらを読んできた私も、「変な日本」の一翼を担っていることになります。 ***全ての著書について記していくと、膨大な量になってしまいそうなので、今回は、塩野さんの2冊の著作についての、お二人の対談についてのみ、私が思ったこと、感じた事を書いてみたいと思います。 佐高 非常に僭越な言い方をすれば、帝王たるものは、 本当は西部さんや私の本を読まなければならないわけですよね(笑)。 西部 シーッ(笑)。 (p.163)なるほど、佐高さんと西部さんは、こういう感覚をお持ちの方なのですね。 佐高 だから、私も世評高い『ローマ人の物語』など読んでないし……。 西部 (ヒソヒソと)大きい声で言ったらダメですよ。 佐高 いや、読む気もしないというのは、 つまり、この西部さんが指摘された 女の嫉妬はすごいということしか書いていないことから推察すると ローマ人の本もたいしたことないと思ってしまう。(p.168)そうか、佐高さんは読んでないんですね。西部さんもかな? 西部 例えばこういうセリフがあります。 アレキサンダー大王とカエサルが偉かったのは、 主観的大義を客観的正義に変えたからだという。 大義とは大いなる正義のことね。 それはその通りだった。 でも、われわれが論じてほしいと思うのは、 どうして自分が思ったサブジェクティブな正義が オブジェクティブな正義に変わったのかということですよ。(p.174)「われわれ」というのは、西部さんと佐高さんのこと?歴史学者でも社会学者でもない筆者が書かれた週刊誌のエッセーに、そういった一歩踏み込んだ学術的内容(?)までを欲し、それに相応しい内容が書かれていないと、途端に欲求不満に陥る方もおられるのですね。 西部 パクス・ロマーナとは何か。 この本にはこういう説明があります。 パクス・ロマーナの根本は、要するに敗者をしっかりとローマに同化させたことだと。 でも、同化しきれないからこそ滅びたのではないか。 塩野さんの他の本によれば、ローマの版図が広がるにつれて ラテン語がものすごく低俗化していったという。 それはそうだと思う。 ちょうどアメリカが世界支配を拡大化するにつれて、 実験国家アメリカは非常に人工的になってくると同時に、 ジャパニーズ・イングリッシュなどが発生して、 どんどん英語の表現が平板になるのと同じです。 ローマの精神そのものが、バルガーな、低俗なものになったことがあるのではないか。 佐高 だから、この本を読んで、それ以外のものを読む気にはならないですね。 西部 小さい声で。 佐高 小さい声で言わなくても、優等生じゃないんだからいいじゃない(笑)。 つまり、彼女は平定される者の立場には、ぜんぜん立たない人ですよ。(p.176)パクスロマーナや帝国の滅亡についての諸々は、週刊誌のエッセーでは、もちろん、その都度説明するわけにはいきませんが、『ローマ人の物語』には、もちろん書かれています。まぁ、読む気にもならないと言って、読んでおられないのですから、どうしようもないです。 西部 せっかくローマの偉大な帝王の群れを扱っているんですから、 もう少し突っ込んでほしいと言いながらも、 ローマの本をしっかり読めば、 そういうことも書いてあるのかもしれませんけどね。 古代ローマ後半のネロとか、ローマの五賢帝の最期の皇帝、マルクス・アウレリウスの 不肖の息子コンモドゥスの狂気とかを読むと、 このエッセイに基づく私の批判がいささか色褪せるかもしれない……。 佐高 西部さん、最期日和っちゃった(笑)。(p.189)さすがに、読んでないのに、あれこれ言うのは「ちょっとマズイかも……」とは、気づかれたようですね。
2015.01.11
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「はじめに」で紹介されている、明石家さんまさんの言葉が印象的。 努力は報われると思う人はダメですね。 努力を努力だと思ってる人は大体間違い。 好きだからやってるだけよ、で終わっといた方がええね。 これが報われるんだと思うと良くない。 こんだけ努力してるのに何でってなると腹がたつやろ。 人は見返り求めるとろくなことないからね。 見返りなしでできる人が一番素敵な人やね。(p.5)また、『「努力は報われる」は半分本当である』(p.18)という表題について、 才能は遺伝的に決まっています。 つまり、「努力は報われる」はウソ、ということになります。(p.21)と著者は述べています。認めたくない人もいるかも知れませんがが、これは事実でしょう。その例は、著者が本著にちゃんと記しています。「99%努力しても1%のひらめきがなければ無駄」(p.22)なのです。 努力というと普通の人は、苦労した分だけ成果が出る、 と思い込まされているのではないでしょうか? しかし、「苦労すること=努力」ではないのです。 真の努力というのは本来、成果を出すために必要な 1.目的を設定する、2.戦略を立てる、3.実行する、 という3段階のプロセスを踏むことです。(p.41)そう、何でも時間をかけてやればいいってモンじゃない。「努力」という弾をこめて、銃を撃ちまくっても、その狙いが、ちゃんと標的の方向を向いていなければ、決して、弾が当たることはないということです。 つまり、人間の判断力を奪うには、 睡眠時間を奪い、食べ物を満足に与えず、がんがんストレスをかければいいのです。 それだけで、ほぼ洗脳できてしまいます。 努力という言葉は人を縛り、 無料、あるいは安価な労働力として使いたい人が用いるブラックなレトリックなのです。 真の努力とは、本当に目的を達成したいのであれば、 広義の努力-適切に目的を設定し、戦略を立て、実行することです。 洗脳されたくない、と思っている人は、 なにがあってもきちんと睡眠をとり、しっかり食べて、 ストレスはためないという生活を送るよう心がけることが肝要です。(p.57)逆に、ストレス過多で、メンタルヘルス不全に陥った場合には、思うように睡眠がとれなくなったり、食欲が減退したりしてしまいます。そんな時には、自分の生活を振り返って、「努力」が正しい方向に向かって適切に行われているかを、確認してみる必要があります。 つまり、努力をしなくたって楽しそうに生きている人というのは、生まれつき決まっていて、 MAO-Aの活性が低く、セロトニンが多い人かもしれませんね。 あんまり先のことを心配せずに割と行きあたりばったりでやっている、 それでも、それなりに幸せというタイプです。 一方、セロトニンが少ない人は、なんとなくいつも不安で、 先のことを考えて努力していないと気が済まなくて、 少しうまくいかないことがあると憂鬱でキレてしまうという傾向が高くなるでしょう。 おそらく、ほとんどの日本人は後者にあたるでしょう。 ですので、あなたもその可能性が高いはずです。 ただ、確かに幸せ感情は低いかもしれませんが、 自分が地道に成し遂げたことを振り返って 充実感を感じられるのは後者の人々かもしれません。 その幸せ感情、幸せの度合いというのは、定量的にはなかなか比べにくいものです。(p.219)この後、著者は「長生きしたけりゃ努力はするな」という表題で、記述を続けていきます。「長寿の秘訣は、戦わないこと、無駄な努力をしないこと」を、戦国大名の中では長寿で、75歳でなくなった徳川家康と、争いに敗れた今川氏真、島津義久、武田信虎、宇喜多秀家、松平忠輝を比べ、説明しています。 人生最後の時を過ごす患者たちの緩和ケアに携わった、あるオーストラリアの女性によれば、 人間は死の間際になると自分の人生を振り返って後悔を口にするのだそうです。 そして、たいてい同じ内容であることに彼女は驚きを感じたといいます。 口にされた後悔の中でも最も多かったものの1つが、 「あんなに一生懸命働かなくてもよかった」なのだそうです。 仕事ばかりせず、もっと家族と一緒に過ごせばよかった、というのです。 また、「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てばよかった」 「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」というのもベスト5に入るそうです。 (p.222)この部分を読んだとき、軍人皇帝・セヴェルスの最期の言葉を思い出しました。「生きる」ということは、難しいですね。
2015.01.11
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傷病手当金を受給していたのだから、 メンタル系の傷病(うつ病・適応障害・不安障害等)と診断され、 医療機関に通院し、医師の指示する治療を受け、服薬していたのは確かでしょう。 でも、それで半年間寝たきりだったのは分かったけれど、闘病記述はほぼなし。 パソコンを開いても、光が網膜にちらついて目眩がしたり、 読書をしようと本を開いても、焦点が合わず活字を追えなかったり、 映画もテレビも、光と音がぐるぐる脳を回って、すぐ投げ出したり、 30分も起きていると、もう疲れ果ててベッドに横たわったりしてた……くらい。 精神科の診察は、風邪の治療とは違うと思う。 風邪であれば症状を診て、薬を処方し、二、三日も寝ていれば自然に治っていく。 しかし精神疾患は心のなかの問題であり、 結局は自分自身の意志で治していかなければならない。(p.26)この辺りを読んでいるときには、共感しながら活字を目で追っていました。でも、次第に違和感を覚え始めたのです。 社会人として働くことへのストレス。 自分の才能のなさを認めてしまったことの絶望感。 彼女にフラレてしまったことの喪失感。 自分の性格的なもの。 いろいろなものが積み重なっているように思えた。(p.27)ここでも、まだ先に書かれていることに期待していました。しかし、桟橋で石油会社の重役に出会い、ワゴン車で日本縦断をし、福岡の旅館でリゾートバイトをし、あいりん地区ではアィリエイトで稼ぎ……次第に、この作品も「稼ぐための商品」としか感じられなくなっていきました。 もちろん、どんな作品であろうとも、代価を得るために書かれた作品なら「商品」であり、基本それでイイのです。ただ、「うつ病」というものが、タイトルの最初に押し出されていることに、何かしら、引っかかりを覚えてしまうのです。それは、先に記したように、うつ病との闘病に関する描写が少ないから?もちろん、作者は、意図的にその様な部分を外して、その先のことをメインに、作品を仕上げたかったのかもしれません。だが、「うつ病」と銘打つからには、それなりの関連記述が必要なのでは?タイトルに「うつ病」と付けさえしなければ、「うつ病」というタイトルだけで、本著を手にした人を落胆させることもなかったでしょう。私も、この内容なら、ネットで読めば十分だったと思いました。やっぱり、タイトルは大事ですね。
2015.01.07
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池波さんが、教科書出版社から相談を受け、 「世界史をわかりやすく学べる教科書」の叩き台を何項目か作ったとき、 出版社の人が、それを懇意にしている先生たちに見てもらったところ、 「わかりやすすぎる」という反応だったとのこと。(p.129) 何とも、冗談みたいな話ですが、 現在の教育における重要トピックスを上手く拾い上げ、 とても平易に、しかも明解に説明してくれていることからすれば、 本著も、「わかりやすすぎる」一冊と言えるかもしれません。しかし、本著に書かれているような、戦後の教育の大きな流れや、教育委員会、文部科学省、日教組、勤務評定、全国学力テスト、教科書検定、学習指導要領、評価、偏差値、教員採用、いじめ、PTA、給食、教育費、そして、新しい学校制度等々については、現職の教員でも全て知っているとは限りません。そういう点で、一般の方々は勿論のこと、ぜひ、現職の先生方にこそ、読んでもらいたい一冊だと思いました。 *** もちろん、1980年以前にも同じような問題は多々ありました。 私が小学校の頃にもクラスに一人や二人は授業中に教室を歩きまわる生徒がいましたし、 先生をからかったり、先生に逆らったりする生徒もいました。 番長を中心とした不良グループもいれば、程度の差こそあれ、いじめもあったのです。 なかったのは名前です。 「校内暴力」「新しい荒れ」「学級崩壊」といったネーミングによって社会問題化します。 しかし、重要なのは社会問題化したから対応するといった場当たり的な対処ではなく、 学校現場では常にそうした問題があることを前提に、 それらに適切に取り組み続ける姿勢なのではないでしょうか。 私たちもマスコミ報道があると「いじめが急激に増えた」と思いがちですが、 いじめは常に起こっているものという認識を持つことが大切です。(p.220) ただ一つたしかにいえることは、 日本の教育においては、いじめ対策にしても学力向上への取り組みにしても、 現場の教員のがんばりに期待する、という内容がこれまでは多すぎたということです。 大切なのは、精神論で「みんながんばれ」というだけでなく、 人員を増やしたり、使い勝手のいい制度に柔軟に変更したりすることで 現場の充実をはかることです。(p.224)これまでにも、多くの方々が指摘されていたところのことですが、世間の人々は、学校や先生に非難の言葉を投げかけることが、その解決に繋がると信じて、こういった冷静な判断を、なかなか受け入れようとはしませんでした。そんな中、池上さんが発してくれたこの言葉は、その流れを変えてくれるかもしれません。 元気で健康に働く意欲もあるのに働けないことは絶望につながります。 自分が社会から否定されているように感じ、 仕事の知識や技術を身につけられず将来不安も高まるからです。 これが、若者が過激な行動や思想に走っていく一つの理由にもなっています。(p.343)本著の中でも、「深いなぁ」と感心させられた一文。世の中を動かしていく源泉について、その核心を見事に指摘されています。
2015.01.07
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池波さんの作品を、まだ一冊も読んでいないと気付き、 取り敢えず、一冊読んでみました。 ただし、本著は池波さんが書かれたというものではなく、 「はじめに」によると、語りおろされたものとのことです。 その内容は、「食」に関すること、 「衣」に関すること、 そして「住」に関することと幅広く、 池波流の数々が、つぶさに紹介されています。今では、多くの人が知らないような、忘れ去られたものもありますが、決して古くはない。それどころか、「なるほど、そうだったのか!」と膝を打つものが目白押し。また、そのどれもが、粋で格好良い。 「人間は自分のことはわからない……」 ものなんだ。だから、他人が言ってくれたことはやっぱり素直に聞かないとね。(p.145)自分の日常を、ちょっと振り返って、襟を正すには、絶好の一冊。
2015.01.07
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ドフラミンゴを目指すルフィーたち。 コロシアム軍団が結束し、 錦えもんはカン十郎と合流する。 ゾロはピーカ、フランキーはセニョール・ピンク&工場長と対決。 一方、ロビンとキャベツは、グラディウスとデカ人形を、 キュロスはディアマンテを食い止め、ルフィーを援護。 そして、ルフィーとローは、遂にドフラミンゴのいる ドレスローザ「王宮のある大地」4段目に到達。そんな中、今巻一の働きをしたのがウソップ。ルフィーとローを待ち受けるシュガーを、「大成長グレート黒カブト」「必殺遠距離蓑虫星」で再び殲滅。これには、ヴィオラも大感激!!一方、サボと戦っていた藤虎は、微妙な動きを見せ始める。そして、トレーボルがドフラミンゴの下に駆けつけると、遂に決戦開始。ルフィーとローがドフラミンゴに挑みかかる中、明らかになっていくドフラミンゴの過去、そしてローとの出会い。そして最後は、コラソンがローに言った謎の言葉。 ロー お前は…!! あいつと一緒にいちゃいけねェ人間だ!!!隠し名“D”の持つ意味は?ルフィーとローの関係も明らかになる!?
2015.01.03
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