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平城宮跡にて 平城宮跡 一面の夏草が繁り 往時茫々 復原された 朱雀門だけが 威容誇らしげに 屹立しているのだが いにしえの 大宮人の幻影を追いながら 蒼惶として 光のあわいをさ迷ってみる と 夏葎の原っぱを 切り裂いて 轟音すさまじく 電車が通り過ぎて行く ああ 眼前に展ける ランドスケープは 古代のなかの現代なのか 現代のなかの古代なのか 柳の木立の彼方 時間のベクトルは 煎られるような 油照りに曝され そのかみの 大宮人も 朱雀大路を ただ 逃げ水のように ゆらゆらと 揺れているだけだった
2006.02.28
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如月ごころ 如月の 風に逆らっている 今日という日 このわたしの 心性の行く先は カーナビに訊いても解らない 風に訊いても解らない せめてものこと 小さなポセットに そっくり詰め込んで きんいろ匂う 蝋梅の小枝にでも 吊り下げておこうか やがて やがて 弥生へと季節が巡れば あの住吉の浜に吹く 貝寄せの順風にまかせ 桜貝の光に染め上げ そっくり もとに戻しておこう このわたしの心性というものは
2006.02.27
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海・悲傷 一街衢 葬列くらき日も あかあかと 越前蟹は 市に売られつ 子を孕む 鱈なり あぎと(鰓)に鈎かけて 売られゆくなり 雪ふる日なり ふるさとに 海神伝説すでになく テトラポットは ただに白かり
2006.02.24
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蜘蛛は 瞋恚のほむらは鬼蜘蛛のそれにも似ているが 眼前に銀の糸を張る一匹は 黄と青黒の筋目で迷彩巧みな胴体を持つ だんだら模様の節足を拡げ 八つの単眼炯炯と獲物を狙う姿は 女郎蜘蛛の名にふさわしい> 体長寸余の雌蜘蛛 お腹の曲線はふっくらと優しげ でも騙されてはいけない 夏が過ぎ 秋は深まり 獲物の数もめっきり減った ふっくらとした雌蜘蛛のお腹も痩せた 抜けるように青く晴れ上がった十一月 蜘蛛は死ぬほど空腹だった 『ががんぼでも ゆすり蚊でもかまいません 羅刹よ 獲物をお恵みください』 晩秋の樟の葉裏から望む青空に 蜘蛛は幻惑し五感は空の青さに吸い取られ 抜け殻になった 銀の糸がからみ櫨の葉が真っ赤に燃えている ひたひたと寄せてくるのはマントラの唱和か 蜘蛛は遥かな意識の果てから 殺した虫達の おぞましい断末魔の記憶や 人間への憎悪の記憶やらをたぐり寄せていた あの血の池地獄へ真っ逆さまに墜としめた 己の所業の浅ましさ 『蝶もトンボもカンダダもごめんなさい』 蒼い中天に収斂した放心と安息 昇天した蜘蛛の魂は たしかに救済されたろうが 悪意の萌芽は地に熄むことがない
2006.02.23
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啓蟄 啓蟄とは虫たちの節気でもあり 人間の節気でもあろうか 春とは名のみ 風は寒いというのに 人も虫もごそごそと 冬眠中の脳細胞を少しだけ身じろぎさせる さて 僕の脳細胞も ほんのわずか 目覚めの静電気を発 したのだが このとき 遥か沖縄八重山列島の與那国島を 想っていたのには訳があった 與那国島にはヨナクニサンという巨大な蛾がいて ぼくは もともとヨナクニサンはコノハズクの仲間だと信じていた 進化の歩みの途次 順列・組み合わせをどう間違えたのか 蛾への経路を辿ってしまったのだ きっと 鳥のD・N・A を少しでも受け継いでいるものなら 冬眠と 暁を覚えぬ 春眠との狭間をまださ迷っていよう 純正の虫族の末裔な らば いまごろは 啓蟄に刺激されて ぱっちり目覚めて いるかも 蓑のような寝袋から顔を出して 春の予兆に瞬 きをしているかも知れない 『観察しなくては』 ぼくは昆虫科学館に駆けつけた そいつはしかし 想いのほか 標本針で「グサッ」と 刺され 古武士の風格でガラスケースに納まっているでは ないか 鎧は鱗粉にまみれ 『啓蟄かあーあー』と からからに乾いた喉の奥で呻きを発し くしゃみをひとつしたかに見えたが 身動きもならず 異形の複眼を剥くだけだった ほんとに 早春の昆虫科学館は 無残な気息に静まりかえっていた
2006.02.22
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最後の晩餐 現(うつつ)にもあらず 夢にもあらず 黒味を帯びた呉須の青は 古九谷調の藍でもない 謂城朝雨潤軽塵 いじょうのちょううけいじんをうるおし 客舎青青柳色新 かくしゃせいせいりゅうしょくあらたなり 器になみなみと注ぐのは 澄み切った 強い吟醸の酒がよい 肴には 炭火で焙った いわな一匹 はらはらと 山桜のひとひらが舞いおりて 盃に浮べば 染付けの呉須の青に累なる 薄紅のあるかなし 勧君更尽一杯酒 きみにすすむさらにつくせいっぱいのさけ 西出陽関無故人 にしのかたようかんをいづればこじんなからん 誰が 誰に 何処へ 夢にもあらず 現にもあらず 潺々(せんせん)と流れる 谷川の音が 何故か心を急かせるが これは最後の晩餐なのか 誰が 誰に 何処へ 自分が 自分に問うている
2006.02.21
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夢・テラコッタ 収穫あとの稲田に籾殻を積上げ陶器を焼いた ぼくらは野焼きといっている 風のメタモルフォーゼは 火を煽り 轟音とともに はじけ昇天する 一閃 おき燠(おき)に埋もれた テラコッタは目覚めるのです 地殻のはなくそにも及ばぬ粘土の切れ端は アヒルやら ウサギやら ネコやら それらしい 具象の形を与えられ 風と火の洗礼に感応し かすかな生命の灯をそよがせるのです 岐阜県神岡町のスーパーカミオカンデ 壮大な宇宙線観測装置で ニュートリノに超微量の質量が認められた 宇宙線の質量から 生命の質量へと 思考の水掻きを泳がせるとき 仮想現実(バーチャルリアリティー)は 漸くのこと 生命のないものから 生命あるもののメタモルフォーゼへと漂着した それは風や火の超能力なのか テラコッタの生命力なのか 中秋の月が耿耿とかがよう夜 アヒルの象(かたち)をした ウサギの象(かたち)をした あるいはネコの象(かたち)をしたテラコッタが 煙に燻んだ真っ黒けのからだを震わせ それぞれの生命をいとおしむように ゆっくりと歩き出したのです そして謳っているようでもある 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」 野面を這い 土に染入るように 命の旋律が 深く かすかに流れたのです
2006.02.20
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犬のきもち 文人とは書画を佳くし 詩文を嗜み 篆刻をも巧みにこなし 歌舞音曲にも通じていれば申し分ないらしい さて ぼくは 一匹の駄犬に過ぎないのだが ぼくの ご主人さまはと言えば どうも 文人を目指しているらしいのだ 最近は 音楽に凝っている いまも バッハの「トッカータとフーガ」のメロディーが ボリュームいっぱいに流れている かと思えば 昨日は「冬ソナ」のC・Dを買ってきた いつか ぼくに言ったことがあったっけ 『今日はねえ ジャズのコンサートに 行って来るからねえ おとなしく留守番しているのだよ』 ジャズだって? ぼくはそのとき思ったが こっそり パンフレットを見たら シャンソンのコンサートだった ぼくは さっきから鳴っている フーガのメロディーが苦手だ だって遁走曲なんてぼくには似合わないよ 老いたる駄犬とは言え ぼくは絶対 遁走なんてしないよ ぼくの身体には 猟犬の血が流れているのだもの 苦手のフーガばっかり 毎日聞かされているものだから 近頃 お尻や尻尾の毛が抜けてきたのさ ずいぶんストレスがたまっているみたい 散歩に出れば 子供たちに 『アトピー犬だあー』って冷やかされるし ほんとに困ったワン ワン
2006.02.17
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猫のきもち ヒップ・ホップ・ラップ ヒップ・ホップ・ラップ おれは野良猫 都会生まれで都会育ちの それでも野良猫 三丁目のスクランブルの 左角のオープンカフェの ストリート・ミュージックが とっても好きさ大好きさ ヒップ・ホップ・ラップ おれの彼女を知ってるか アーラ ローラ ♪ キーラ バーバラ ♪ みんな違うね セーラなんだよ おお セーラ かわいい三毛のお姫さま 天気もいいし 一緒に出かけようぜ 三丁目のスクランブルの 左角のオープンカフェの ストリート・ミュージックヘ スキップしながら 駆けてゆこうぜ ヒップ・ホップ・ラップ ♪ ヒップ・ホップ・ラップ ♪ 加賀毛鉤 (犀星風に詠める) 掌にとりて 加賀毛鉤をば あかず見れども 鴻毛の軽きに似て あるのは 毛の色合いの婉なる調べのみ これ 窈窕として 水藻のあわいに 漂えば いかな魚とて 凶々しき罠とは つゆ知らず ひとの 飲食(おんじき)の性(さが)は 哀しき みめ かぐわしき 毛鉤もて あゆ うぐい やまめ 釣られ また釣られゆく いのちの一滴 また一滴こそあわれなれ
2006.02.16
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半島のパラサイト 北から南へ 南から北へ 一望千里の半島に ムグンファの花が 白 赤 紫 群れをなし いまを盛りと咲いている 人は誰しも 夢の深みに ひっそりと そこばくの 憂いや悲しみを蔵しているもの ムグンファも いま 淋しさを少し怺えている 北から南へ 南から北へ 王はパラサイト そして 人民はデラシネとなって ただ一途に それが さだめででもあるかのように 口を噤み よるべのない たつきをつづけているではないか 北から南へ 南から北へ 春 夏 秋が過ぎ 厳寒烈風の冬は 必ず巡って来る ムグンファは告げよ 王には告げよ 巧詐不如拙誠 パラサイトの詐りはやめよと そして人民には伝えてよ デラシネの漂泊をやめよと 俘囚の枷を絶つのだと 年々歳々 季節は確実に訪れるが 半島のムグンファが 色鮮やかに 希望の花を咲かせるのは いつ その日がきっと 来ることを信じたい
2006.02.15
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(つれづれ草丸のつぶやき) 詩を書きながら考えること いつか、テレビのインタービュー番組に出たことがあった。 テレビ局のアナウンサーが「あなたにとって詩とは何ですか。」 と聞いてきた。紋切り型の質問そのものである。 「ん?」とっさに答えることができる質問ではなかった。アナウ ンサーが想定する答えがあったのかも知れない。 「詩は私の全てです。」 「詩は私の命です。」 「詩は愛です。」 そんな気障なこと言えるわけがない。大岡信だって、谷川俊太郎 だって、そんな風に答えたら良識を疑われるだろう。恐らくはイン タービュー番組でのマニュアルに、そんな想定問答があるのだろう。 かといって、「詩は私の趣味です。」というほど軽いものでもな いのである。その微妙なニュアンスが理解できていないアナウンサ -の問いに正直腹が立った。 「過ちを真摯に反省し・・・」 「改善に真摯に取り組み・・・」 「ご意見は真摯に受け止め・・・」 後ろ向きな対症療法ばかり、口先だけで議論していても、しよう がないのに。 もっと前向きに真摯を真摯に語ろう。 言葉というものは難しい。 詩というフレームのなかに、言葉をどのように凝縮させたらいい のだろうか。 俳句には季題があるし、短歌には三十一文字という制約がある。 このことは、かえって俳句や短歌の作者に対して自己制御装置の 働きをしている側面がある。 現代詩には形式上の制約がない。それだけに、言葉のリンクの上 にアクセル踏みっぱなしでは、詩のイメージは分散してしまって、 読む人に感動を与えることが少ない。 一つの言葉を選択するために、一篇の詩を創るために、何冊かの 本を買って読み、図書館に通うこともある。 言霊(ことだま)という言葉がある。 言葉には不思議な霊威が宿るという、日本語のなかの古い概念の 一つである。 磯城島(しきしま)の大和の国は 言霊の助くる国ぞ 真幸(まさき)くありこそ (柿本人麻呂 万葉集巻十三) 言葉は、時には弊害を生み、幸いの水先案内ともなる。 そのことを、よく自覚していたい。
2006.02.08
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穴掘り 穴掘りがいた 村人が死ぬと 墓穴を掘った 村のしきたりで 長さ 七尺 幅 三尺 深さ 四尺の 穴を掘った これが仕事だから 三十年の余も掘った 百以上掘った やがて 年老いた 穴掘りは いよいよ 自分の穴を 掘ることにした 長さは 五尺 幅は 二尺 深さは 三尺 しかなかったが 老いてしぼんだ 穴掘りの身体を 収容するには充分だった その穴のなかで 穴掘りは 昇天した 村人は 穴掘りの上に 土をかけ弔ったが 穴が いつもより ひとまわり小振りなことに 気が付かなかった 前々から こんなものだと 誰も 疑うことはなかった
2006.02.07
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雪が降る しんしんと雪が降る 人を思索へと誘うのは それが 純白そのもの あまりにも無垢ゆえか この真っ白に 拡がる 天の紙幅に わたしは枯淡な水墨画と曼荼羅 の世界を想い描いている 臨済宗大本山京都東福寺塔頭退耕庵主 安芸安国寺住伊予六万石領主 安国寺恵瓊 戦国乱世の頃 毛利家の使僧として その外交手腕は 天下に知られていた また 僧のままで大名になった 唯一の人物であったが 時代の帰趨を読む洞察力は 神業に近かったという 星の光芒 吹く風の音 降りしきる雪の匂い 大地と 樹木の交響 むかし 人はこれら自然が発する声を叫 びを 感知し識別し 天地自然との交感によって吉凶 を占い 未来をも予見できたのだった 人はより自然 に近く 自然は人に寄り添っていた いつの頃からか 人が人の縄張りを形成するや 人の専横は自然の声に 耳を傾けなくなった 世がなべて権勢に狂奔する頃 天声を人語とし 人語 を天声とする 天人の摂理を 恵瓊は会得していたの だろうか 禅の境地は 自然のこころに 通じていた ものに違いない 本能寺の変の十年前に信長の死を予 言し 秀吉の将来を予見していた 爾来四百有余年 星移り 世は変わり 人は自然性を 喪うどころか 自然を裏切ることともなれば 人に自 然の声が聞こえなくなるのも また ものの道理でも あろうか しんしんと降る雪が思索の層を深めてくれればいい 安国寺恵瓊の予知能力と 洞察力がうらやましい 因みに 恵瓊 関ケ原の合戦では 西軍に味方し 捕らえられ処刑された 遺偈 清風払名月 名月払清風
2006.02.06
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阿修羅の眉根 南都興福寺 有名な三面六臂の 阿修羅像がある 写生しようにも つたない絵筆の技では とてもおぼつかない 梵語では非天 仏法を守る八部衆の一 インド神話では 人類に危害を加える 魔神なのである なのに 妖し気に空間を占める しなやかな六本の腕と指 どうしてこうも優美なのか どうしてこうも優美で なければならないのか 阿修羅の額には 白毫はない そして かすかに寄せられた眉根に 漂う翳 善神でもない 仏でもない 荒ぶる魔神の 異形を体してはいても 普き仏法への 渇望は 絶えることはなかったろう 三十四億の畜生界 億劫(おくごう)の光陰を 想いめぐらし 阿修羅の瞳は いまも もの哀しく 憂いに満ち 遥か遠くの世界を 見やっているようだ
2006.02.03
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こころ 心という字の源は 心臓らしい 金文でも篆書でも 心臓の形をしている だからといって 自分の心臓を摘出して おお これが俺のこころだったかと 納得した人など誰もいない そんなことは不可能 なように ほんとに悲しいことなのだが 自分の心というものは この齢になっても いまだに よくわからないのです 「を」を買いに バーチャルな インターネットの 市場に 言葉を注文した 『「を」を2ダースください』 「を?」 「尻尾のことですか?」 『いいえ 格助詞の「を」です』 「何にお使いですか」 「前頭葉のサプリメントに」 「それはいいお考えです」 女店員が 可愛い包装紙にくるんで 赤いリボンで結んでくれた さあ 「を」をちりばめて たくさん詩をつくろう
2006.02.02
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おこぜ 水盤に水を張る そのなかに おこぜを一匹泳がせた 目の下五寸 陶製のおこぜだ おこぜは身じろぎもしないが 背びれを抜けて 如月の 生気がとおり 蝋梅の かおりが 水面を ゆっくり流れた
2006.02.01
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