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八月の図書館・・・ガラス壁一面に 朝顔は天に向け梯子を掛けている ひとは知識の泉を汲み上げている
2006.08.31
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アナクロニズムと言われるかも知れないが、今日は 冒頭に旧い軍歌を三つ掲げてみた。 『海行かば』 海行かば水漬(みづ)くかばね 山行かば草蒸すかばね 大君の辺にこそ死なめ のどには死なじ * 「海行かば」は明治13年始めて軍歌として 制定された。曲は東儀秀芳。その後一般に 広く歌われるようになったのは、昭和12年 信時潔作曲のもので、終行は「かえりみは せじ」である。将官に対する敬礼曲として用 いられたというが、太平洋戦争中は、国民 のレクイエム的心情に適う曲として、広く歌 われたのではないだろうか。 (葬礼用の軍歌) 『命を捨てて』(海軍) 命を捨ててますらおが たてしいさおはあめつちの あるべき限り語りつぎ 言いつぎゆかん後の世に 絶えせず尽きずよろず世も 『吹きなす笛』 吹きなす笛のその音も 捧ぐる旗のその色も もののあわれを知り顔に 今日はものこそ哀しけれ 千百万の敵軍も とりて来ぬべきますらおと 思える我らが袖までも 涙の雨にぬれにけり 何故、いま軍歌なのか。 死者を悼むこころの深奥にあるものは、今も昔も 戦時下でも、平和時でも変わることはない筈。 平和を、当然であるかのように享受している今日 戦争というものへの理解、向き合う姿勢、戦死し た人達への哀悼の気持ちの有り様が、最近余り にも形骸化しているのではないだろうか。 戦争も戦死者も、概念の上のみで<昔あったもの>、 言葉としてだけ<昔あったもの>なのではない。 そのことを、旧い軍歌を通じて振り返ってみたかっ たのである。軍歌を礼賛する訳では決してないが 「鎮魂」への深い思いが前記の三編には込められ ていると思う。 さて、(起承転結)で言えば、軍歌のことは(起承) である。本当に言いたいのは(転結)に当たる次 のできごとについてである。 8月28日、歌舞伎俳優、市川海老蔵の映画デビュー 作「出口のない海」(佐々部清監督、9月16日公開) の完成披露試写会が歌舞伎座で行われた。 歌舞伎座前には15メートルのレッドカーペットが敷か れ、監督や出演者を乗せたハイヤーが次々と横付け されるなか、海老蔵はさっそうと、タキシード姿で現れ た。そして”時の人”安倍晋三氏も駆けつけたというこ とである。 この映画は横山秀夫原作。 元甲子園優勝投手で、人間魚雷「回天」に乗り込んだ 特攻隊員(海老蔵)の姿を描くもの。まさに「出口のな い海」の犠牲(いけにえ)の悲話ではないか。 歌舞伎俳優のテレビドラマや映画出演は、格別珍しい ことではない。映画が表現しようとしている世界からは 余りにも乖離した一連のパフォーマンスは、最近の風 潮を示している。 あるべき「鎮魂」の姿は、為にするパフォーマンスに利 用されてはならない。軍歌の「鎮魂」の純粋性から見れ ば、現今の平和日本は、いかにも本質を見失った危険 な姿として映るのである。
2006.08.30
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「夢ぼっくい」 こんな語は広辞林にも載っていない 「焼けぼっくい」から連想すれば解りやすいが いわば 忘れ得ぬ過去への想いめぐらしでもあろうか 夢の破片はトンボ玉のようだ キラキラ いつまでも風化することがない 『ミモザ通りカナリヤ亭』 いつも あなたは そこからあらわれた すたすたと背筋を伸ばして 慥かにそこに住んでいたのか そこでショーバイしていたのか 家族の一員だったのか それとも店の使用人だったのか 訊くこともなかったのだが ・・・・いつも記憶はここで行き止まる・・・・ 情事のあとのような けだるい昼下がり あの喫茶店の場所と名は はっきり覚えている 名曲喫茶だったが今はもうない あなたがリクエストしたのは あのころ流行のジャズでもなければ クラシックでもなかった 何故か曲名だけは忘れない 「夢去りぬ」という曲だった 哀愁をおびた調べは カンツォーネだったろうか ファドだったろうか ・・・・記憶はいつもためらい勝ちに途切れる・・・・ たわいもない会話のあとだったろう 「バイ バイ」 お互いに背を振り返るでもなく 別れ際の未練などなかったのに でも いま 何故か 「夢ぼっくい」の尻尾を追いかけている あの「夢去りぬ」は何だったのか あなたにとって ぼくにとって 『ミモザ通りカナリヤ亭』は何だったろう 拾い集めても集め得ぬ 夢の破片を拾い集めている (トンボ玉拾遺 ;1) 1955年封切のアメリカ映画のなかに「夢去りぬ」 がある。 原題は ”The Girl the Velvet Swing” 20世紀フォックス 監督 リチャード・フライシャー 音楽 ヒューゴ・フリードホーファー ライオネル・ニューマン 出演 レイ・ミランド ジョーン・コリンズ ら チャールズ・サミュエル の実話小説「赤い ベルベットのブランコに乗った女」の映画化。 1900年代のニューヨークを舞台に一流 建築家の射殺事件をめぐるドラマ。 (20世紀アメリカ映画事典より)
2006.08.28
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( イラストは8/25付 産経新聞より ) スイ・キン・チ・カ・モク・ドッ・テン・カイ・メイ 天界に差別の受難星月夜 草丸 8月24日、チェコ、プラハ、国際天文学連合総会。 太陽系の惑星から冥王星を除外する案が採択、可決。 冥王星は1930年の発見以来76年で惑星の地位を 失い、世界中の教科書は書き換えられる。 プルートンもイカロスの如失墜し 草丸 9=12=8=太陽系惑星(=53という説もある) 天文好きの小学生が言った。「頭が混乱してグチャ グチャになる」と。 いつか、どこかに「天文学者になればよかった」と いう名の喫茶店があったっけ。名前が面白かった のでよく通った。あとで知ったことだが同名の曲が あるのだそうな。いまは、思っている。子供の頭を 混乱させるような「天文学者にならなくてよかった」。 でも、子供たちよ。がっかりすることはない。 『見上げてごらん 夜の星を・・・ 』。 天文学者が何と言おうと、冥王星はいままでと変 わることなく光っているのだから。
2006.08.25
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~昔 男ありけり~ 商人であることに疲れたと男は思った もう ものを売ることをやめようと思った できれば 無償の行為にだけ生きようと たとえば こんな夢想を夢見てみた 季節は夏 夜明けにはまだ間があった 男は山懐の森の奥 清冽な水の湧く泉に向かった 夜明けとともに花が開く そのとき蓮の花は声を発するという その声を聞いてみようと思いたった 山の端から ようやく太陽が顔をのぞかせた 泉一面に自生する蓮が 今しも 蕾を天へともたげ始めた 薄明の泉のをちこちから 「ポン」「ポン」小鼓を打つような 平明な音が拡がった 蓮の花が一斉に開花したのだった 音は断続し あるものは高く あるものは低く ときには清澄に ときには逡巡し 一様ではないが しかし 一定の階調で 泉の面を流れた これが蓮の声だったか 声を発するとき 蓮は少し人間に同化したようだ 少し人間に同化した蓮の呼吸に 男も少し感応し得たと思った 蓮に頼んで 蓮の糸を頒けてもらおう そしてその糸で布を織ってみよう それは天の啓示のように男の脳裡に響いた 男は金色の蜘蛛を飼っていた 金色の蜘蛛は金色の糸を吐いた 金色の蜘蛛の糸と 染めあげた蓮の糸をあや織りにして この世でまだ誰も見たこともない 織物を創ってみよう ~男は当麻寺の中将姫のことを想った~ ~曼荼羅は無理としても~ 男の夢は 暁の光のなかで うつつのものとして 虹のように果てしもなく拡がって来るのだった
2006.08.24
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煉瓦建築は何かしらのロマンを背負っている。 明治・大正・昭和・平成、時代の変遷につれ、竣工してから 今日まで、その建築をめぐる幾多の人間のロマンは、うた かたのように生まれては消え、忘れられ、また語り継がれ ても来た。煉瓦建築が時代の遺品であるように、その奥に ひそむロマンも時代の遺品であると思えばこそ、魅力を感 じるのであろう。 蝉しぐれのなか 静謐なたたずまいで その煉瓦造りの建物は立っていた 旧制第四高等学校(設立時正式名称=第四高等中学校) 開校6年後の明治26年10月竣工 煉瓦造二階建316坪8合 当時の文部技師の報告によれば 「本校ノ建築ハ其結構ノ大ヲ極メタルニアラズ、其輪奐ノ美 ヲ尽セルニアラズト雖、土地開豁規模整正専ラ授業管理 衛生ニ適セシメンコトヲ図リ、当世期ニ発達セル学校建築 法ニ基キ、其最モ本邦ニ適当ナルモノヲ採択シ、学校経済 ヲ主トシ、務テ堅牢ヲ事トセシモノナレバ学校建築ノ模範ト 為スニ足ルベキモノアルハ明言スルヲ憚ラズ」 ということである。 本校の有名な寮歌は「北の都」 北の都に秋たけて 吾等二十(はたち)の夢数ふ 男女(おとこおみな)の棲む国に 二八(にはち)に帰るすべもなし そのすべなきを謎ならで 盃捨てて嘆かんや 酔える心の吾れ若し われ永久(とこしえ)に緑なる (時習寮寮歌) 遠い時代の青春の夢の跡は、いま「石川近代文学館」として 保存、使用されている。
2006.08.23
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走る!なぜ?ゴールがそこにあるから(写真はK市の繁華街にある野外彫刻)
2006.08.22
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<キリギリスを真似て管弦を奏でるでもなく> 熱砂の八月 ありんこの兵士が 紫の帆をあげ駈けて来る ありんこにも 砂に浸みる 微かな 微かな 汗はあるだろう 咥えているのは 今日の戦利品 兵士の身体の何層倍も大きい ムラサキシジミの翅 鋼製の連結器のように 屈強な口角に咥えて駈ける姿は 六輪駆動の戦車だ 紫の帆をあげて 千里を駈け ありんこの兵士が 意気揚々 いましも基地に帰還した
2006.08.21
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俳句、和歌、詩はリンクすることが多い。 有名な漢詩、杜牧の「江南春」。 千里鶯啼緑映紅 水村山郭酒旗風 南朝四百八十寺 多少楼台烟雨中 江戸中期の俳人で芭蕉の門人のなかでも 十哲の一人に数えられた服部嵐雪の句。 はぜ釣るや水村山郭酒旗の風 晩唐時代の女流詩人杜秋娘の詩「金褸衣」。 君に勧む金褸の衣を惜しむなかれ 君に勧むすべからく少年の時を惜しむべし 花開きて折るに堪えなば直ちにすべからく折るべし 花無くして空しく枝を折ることを待つなかれ 詩人佐藤春夫はこの詩をこのように訳した。 綾にしき何をか惜しむ 惜しめただ君若き日を いざや折れ花よかりせば ためらはば折りて花なし 唐の詩人コウイ(734~?)の詩「秋日」。 返照閭巷(りょこう=村里)に入り 憂え来るも誰と共にか語らん 古道人の行くこと少(まれ)に 秋風禾黍(かしょ=コーリャン)を動かす 松尾芭蕉はこの詩を基として次の句を作った といわれる。 あかあかと日はつれなくもあきの風 此の道や行人なしに秋の暮 歌人の会津八一は、この詩を短歌にした。 いりひさすきびのうらはをひるがへし かぜこそわたれゆくひともなし 詩は詩のジャンルのなかでリンクするだけではなく 小説にも展開する。その典型を井上靖の散文詩 と小説「猟銃」にみることができる。 小説『猟銃』の書き出しはこうである。 < 私は日本猟銃倶楽部の機関誌である「猟友」という 薄っぺらな雑誌の最近号に「猟銃」と題する一編の詩 を掲載した。 斯う言うと、私は狩猟に多少なりとも関心を持ってい る人間のように聞えるかも知れないが、もともと殺生 を極度に嫌う母親の手に育てられて、未だ曾て空気 銃一挺手にした経験はないのである。 > この小説の原型ともいうべき、作品のイメージ、思想は 散文詩『猟銃』に凝縮されている。その書き出しはこう である。 なぜかその中年男は村人の顰蹙を買い、彼に集る 不評判は子供の私の耳にさえも入っていた。 ある冬の朝、その人がかたく銃弾のバンド(腰帯) をしめ、コールテンの上衣の上に猟銃を重くくいこ ませ、長靴で霜柱を踏みしだきながら、天城への 間道の叢をゆっくりと分け登ってゆくのを見たこと があった。 それから二十余年、・・・ * この項漢詩に関する部分は「漢詩に遊ぶ」松下緑 (集英社文庫)を参考とした。
2006.08.11
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今日の「できごとろじー」は詩との接点がやや 希薄だが、それでも書かずにはいられない。 WBA世界スーパーフライ級王者・名城信男 (24 六島)の初防衛戦が、奈良の東大寺の 大仏殿前広場で開かれる計画が浮上している という。 今年5月、1985年に解散したグループ「ゴ ダイゴ(GODAIGO)」が21年ぶりの再始動 ライブを開いた。 99年には大黒摩季が年越しライブを。 94年にはボブ・ディラン。 80年にはさだまさしがここでそれぞれコン サートを開催しているという実績がある。 ここらへんまでは、許容の範囲内であると は思う。 しかし、スポーツとはいえボクシングは最も 過激な格闘技ではないか。 特設ステージを大仏殿正面の階段に設け てライトアップ、石畳や芝生を客席がわりに した特設ステージに変えることは可能とのこ とである。 問題は、物理的にできるか、できないかで はなくそれこそ心の問題である。 東大寺は、華厳宗大本山、1998年ユネ スコの世界文化遺産にも登録された。 大仏はいうに及ばず。 山門・南大門には運慶、快慶の作とされる 「金剛力士像」が左右に納められている。こ の像も戦いの場での力を誇示するものでは なく、平和護持の表象であろう。 世界に争いの絶えない今、政治では及ば ない平和への願いを、文化や、宗教が補完 しなければならない。経済に埋没することは 慎むべきである。 さもなければ、近鉄奈良駅前の行基像も 涙するのではないだろうか。
2006.08.11
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佐伯泰英の「居眠り磐根 江戸双紙」という時代小説を 読んでいる。 今は、江戸深川の長屋住まいで浪人暮らしの坂崎磐根 だが、もとは、豊後関前藩のれっきとした武士で、直心影流 の剣術を修め、豪剣備前包平二尺七寸を使う剣の達人で ある。 時は、1770年代、豊前中津藩では、前野良沢、杉田玄白 らが「解体新書」を世に出そうとしていた頃の話。 磐根は、日々の生計のため、近くの鰻屋で、蒲焼や白焼き 用の鰻割きの内職をしている。当時の江戸では、鰻専門の 料理屋はまだ少なくて、店は大いに繁盛している。 この小説は、18巻にも及ぼうかという長編で、波乱万丈の ストーリーがなかなか面白い。 さて、鰻に話を戻すこととする。小林一茶の句に 包丁で鰻よりつつ夕すずみ というのがある。一茶は1763年~1827年の人だから一茶 が俳人として名を成した頃には、鰻料理は市井にかなり普及 していたのだろう。ただ、万葉集にも鰻の歌があるくらいだから 食文化としての鰻はずいぶん古いに違いない。 漢詩には、鰻は登場しないようだ。 漢詩に出て来るのは泥鰌(どじょう)である。 梅尭臣(1002~1060)という中国の詩人は、さまざまな動物 を詠んだということだが、泥鰌の詩もそのなかの一つである。 泥鰌は魚の下にして かつて嘉賓に享せず またはなはだ健滑なるを嫌い 治洗(料理の下拵え)庖人を煩わす 煎炙すればまたはなはだなまぐさく 未だかつてたやすく唇に向かわず 江侯(梅尭臣の詩友)は昔南に官たり 家善く此の珍を蒸す 昨日我をむかえ餐せしむ 箸を下せば紫鱗(魚類の王さま)に勝る すなわち知る至賤の品(げてもの)も ただ甘辛を調する(味つけ)に在りと (原詩の難字・難訓はかな書きとした) 八月に入って暑い日が続き、食欲不振。 何回か鰻を食べたが、そろそろ鰻のこってり味にも 飽きてきた。人間とは贅沢なものだ。鰻よりも、いまは 竹串に刺し、こりこりした歯ざわりの泥鰌の蒲焼が食べ たくなってきた。
2006.08.10
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8月6日は、被爆61年目の「原爆の日」だった。 広島の平和記念公園では、「原爆死没者慰霊式・ 平和祈念式」が開かれた。 「こども代表」として、日米の国籍を持つ広島の小学 6年生スミス・アンジェリアさんが「平和の誓い」を述べ たのが印象的であった。 9日の長崎での式典では、永井隆さん作詞による曲 「あの子」を、爆心地の山里小学校の生徒が合唱した のも、感動をよんだ。 思えば、広島、長崎以後原爆が投下されたことはない。 一瞬の間に、広島では十数万人、長崎では7万数千人 の人命が風塵と化した。この悲劇は、人類にとって、忘れ られてはならない、二度と繰り返されてはならない悲痛な 歴史の1ページである。 しかし、一方では、ロシアのチェルノブイリのように、原 発事故がもたらす放射能汚染の後遺症に苦しむ、多くの 市民がある。 また、湾岸戦争、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争、イラク 戦争で使用された劣化ウラン弾によって、癌や白血病が多 発する地域があり、放射能被爆の危険は、いまも世界各地 に拡散している。 世界に、全面平和はいつ訪れるのか。 『原爆の日』を契機として、核廃絶への思いを新たにしたの であった。 折りしも、感動的な一編の詩に出会った。書き留めておきたい。 わたしのふくらみはじめた心は花のよう わたしの髪に飾られたサフランの 薄紫の匂いが好き わたしは小さな橋をわたり ムハマド先生の学校に行く わたしの胸の やわらかいふくらみに いつの頃からか冷たい罅(ひび)が入り ひびは日ごとに深くなり ひびは日ごとに固くなり やわらかなこころが声をあげ 胸の芯に切り込まれた冷たい罅が わたしの心にとげを刺す わたしは朝 山羊の乳をしぼり 小さな橋をわたって学校へ行く おはよう わたしの友達 わたしの先生 日ごとに深くなり 日ごとに冷たくなり 日ごとに固くなる わたしの胸のいたみ ある日「がん」だといわれたの その言葉が何であるかを わたしは知らない わたしはいつか死ぬのだと かあさんが泣く 山羊のシロの乳が こんなにもおいしい朝なのに ~私の胸のふくらみに/劣化ウラン~ (作;御庄博美 6・8・6付 毎日新聞より) 事故がもたらす放射能被爆の後遺症に
2006.08.09
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八月に入ると ふるさとの盆踊りが 懐かしく思い出される 越中八尾の「風の盆」は あまりにも有名だが 9月1日からなので 夏のフィナーレを感じさせ 胡弓の音とともに 哀愁を漂わせる 八月の盆踊りは まだ盛夏を思わせる 極楽の余りの風に 境内の 盆踊り唄 流るるこよい 但馬 丹波 越中地方では八月に吹く西風を 称んで「極楽の余り風」ということを最近ものの 本で読み感心した。 づかづかと来て踊り子にささやける 高野素十 盆踊りで思い出される一つに「めでた絵」がある これは絶対日展や二科展に出品されたことの ない民衆画であり土俗の絵画である。 結納や盆踊りの寄付や開店祝いの際の目録として 貼り出された。 絵柄は大きな鯛を抱えた恵比寿様、 米俵の上で打ち出の小槌を手にした大黒様、 宝船に乗った七福神、 などおめでたいものばかりだった。 お祝儀のほかに目録も持って行くのがしきたりだった。 神社の境内に棚をしつらえてずらりと目録が張り出される のは壮観だったがいまはこんな絵を描ける名人ももういな くなった。 そして、浮世の風も、盆踊りの風景もすっかり変わって来た ようで、ちょっぴり淋しいのである。
2006.08.04
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真夏の太陽が照り輝く ドーバー海峡を眼下に パピヨンが帰ってゆく 大英帝国の威信と王室の伝統と 人間としての自由と 人それぞれの選択はどうあれ ときには エイズ患者の施設を訪れ ときには アンゴラの地雷原を歩んだ プリンセスの姿に 世界は 爽やかな 共感を 覚えた筈です 舞台はパリ 情熱はより激しく 悲劇はより深く より高い理想は 一瞬のうちに 消え去ったのでした でも 天国に召された プリンセスの魂は ウエストミンスターの鐘の音が たとえ熄むことがあっても 消えることはないでしょう いま 髣髴として 眼に泛ぶのは 華麗に しかし どこか哀愁をたたえ パリから故国へと 海峡を飛翔する 八月のパピヨンです * パピヨン=蝶
2006.08.03
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誰かさんのサプライズなんて 『およそ つまんないよ』 詩人のPさんが言った 先日K河のずっと上流で 『かわせみがホバリングしているのを見たよ』 詩人は世間の人事や権力図やスキャンダルには あまり関心がない 『このこと 誰も信用してくれないけどね ぼくにとっては未知の体験だったよ』 Pさんはつけ加えた 自然界には人が見落としている不思議が いっぱいある そういえば わたしも 先日 ジャグリングする金魚を見たのだ お店の水槽に キャリコの琉金がいてね 赤と黒と白の更紗模様が見事 三つに分かれた長い尾びれといい ふっくらしたお腹の線といい 実にチャーミング お店のママは この金魚をキャサリンと称んでいた 『キャサリンご挨拶よ』 ママがガラス棒で水槽のへりをつつくと キャサリンは急いで水中ででんぐり返るや 円いお腹を上に向け やおら 送気チューブから吹き出る 小さな気泡を 両の胸びれで お手玉するのだ 何回も 何回もね 水槽という 極く ごく限られた宇宙しか知らない金魚が いつ どこで学習したものか 中国 琉球 日本へと連なる DNAがそうさせるのか まさに 至芸の曲技といっていい 金魚がジャグリングするんだもの かわせみのホバリングだって 信ずるしかないではないか * ホバリング=hovering=空中停止 * ジャグリング=juggling=お手玉の曲芸
2006.08.02
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