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Yeats in America (エピローグ) フランキーはここまで 栄光の幕を開けることで マギーに力を尽くしてきた 世界チャンピオンには 不幸にもあと一歩届かなかったが それでも なかなかのものだった ここで舞台の幕引きをすれば 栄光は伝説ともなり 永劫消えることがないのかも知れない (失意と屈辱に塗れた日々を送るマギーも それを望んでいる) 荒れ果てた心を抱えて フランキーは ローマン・カトリック・チャーチの告解室にいた 「神父さん わたしは それをやるだろうと思う」 深夜 病院に忍び込むフランキー 口の利けないマギーと 二人だけに通じる合図 二つずつの瞬きを交わして 暗黙のうちに了解する フランキーは黙って 人工呼吸装置から酸素を逃がし マギーの舌の付け根に アドレナリンを皮下注射した 「これはシンプルなラブストーリー 父と娘のラブストーリーだ」 映画「ミリオンダラー・ベイビー」の 監督兼主役クリント・イーストウッドは 言っているのだが・・・ 白人・ヒスパニック・黒人・アジア系・先住民族 人種や民族の坩堝のなか 巨大なサラダボウルを前にして レストラン<アメリカーナ>の レシピは? メニューは? 怒りと 諦念と 誇りを内包して マギーたちの アメリカンドリームは 志半ばでクラッシュした しかし フランキーにとって 祖国アイルランドの栄誉と 民族の魂を忘れることができようか 傷心を胸に秘めて ジムをたたみロスを去ったフランキー ボストンバッグの底には いまも イェーツの詩集が ひっそりしまい込まれているに違いない それには こう書かれているだろう 『冷厳な眼を生と死にあびせて 羇旅の人よ ゆけ』 『人間はあまたたび 彼の二つの永遠の相 即ち民族と魂の間に生き死ぬ そして古代アイルランド人は それを知悉していた』と 映画「ミリオンダラー・ベイビー」は F・X トゥールの短編集「Rope Burns] (日本語訳「テンカウント」早川書房刊)におさめられた 同名の短編をベースにしている。トゥールは試合でリン グにあがったボクサーの応急処置にあたるカットマンを していた人物。その経験をいかして書きあげられた 「Rope Burns」はボクシング人生の真髄を いきいきと捉えた作品集としてNYタイムズやLAタイ ムズのブック・オブ・ジ・イヤーにも選出されている。 評論家・作家・麗澤大学教授の 松本健一氏は次のように言っている。 『・・・老ボクシングトレーナーのフランキーは、い つもアイルランド詩人イェイツの詩集をよんでいる。 イェイツにとって「アイルランド」は、自らの「魂の 祖国」だった。・・・イーストウッドはアメリカの ナショナル・アイデンティティーとしての「愛蘭土」 を映画にうたいこんだのである。 ・・・アイルランド人は、アメリカを「理想の国」に 作ってゆこうとした。(そこに、アイルランド移民の 子のケネディ大統領がいつまでもアメリカの星である ゆえんがある)。 その意味で、『ミリオンダラー・ベイビー』はアメ リカの核心に「アイルランド」を据えた『風とともに 去りぬ』の後の物語なのである。・・・』 (05・6・22 産経新聞より)
2006.03.31
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Yeats in America (運命の転機) 第3ラウンドのゴング ワンツーのコンビネーションを受け ビリーはダウンするが マギーも右目を傷める 第4ラウンド マギーは何度もパンチを打ち込む ビリーは持ちこたえ 頭突きを ひっきりなしに仕掛けてくる 傷めた右目のダメージから マギーの視界がぼやけてきた 第5ラウンド マギーのコンビネーションで ビリーの頭は揺れ 観衆は足を踏み鳴らした ラウンド終了のゴングが鳴る が その わずかの隙を狙って あろうことか ビリーは 右パンチで マギーの左耳を強打した マギーの内耳は損傷し 身体の平衡を失った リングはゼットコースターのように揺れ マギーは足から崩れ落ちた そして リングの金属製の支柱に 思いっきり 首の後ろをぶつけてしまった それは過酷な運命の予兆だった 最初に頚骨が折れ ついで脊椎が折れた 以後 マギーは 話すことと わずかに頭を動かすこと以外 何一つできなくなってしまった 四肢は麻痺し 人工呼吸装置なしには呼吸もできない それだけではなかった やがて床ずれが悪化し 潰瘍のできた両足は切断され 彼女にとって 一日一日が屈辱だった マギーはフランキーに頼んだ 「わたしを始末して」と 「何てことだろう 神よ マギーは俺の命なのだ 希望は捨ててはいけない」 数日後 マギーは 舌を噛み切り 失血死をはかるが 未遂に終わった いまやマギーは 口をきくことすらできなくなった (つづく) イェーツと能楽 劇作家としてのイェーツは、秘書役の エズラ・パウンドが入手したフェノロサ 訳の<能>に触発されて<鷹の井戸> (1916年初演)など四編の舞踊劇を連作 した。詩、音楽、舞踊が一体化した象徴 的演劇への長年の夢が、東洋古典劇の中 に見事に実現されているのを知ったイェ -ツの驚きと喜びは大きかった。 <鷹の井戸>は日本では新作能<鷹姫> として翻案上演されている。
2006.03.30
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Yeats in America (次章) 格上の相手に 果敢に立ち向かってゆくマギーの姿に 観客は熱狂 「モ・クシュラ!」 大声援が会場にわきあがる それを背に マギーは英国チャンピオンに快勝する ヨーロッパ転戦でも めざましい戦績をあげ 「モ・クシュラ」という新しい名前は ボクシングファンの間で いまや 知らぬものはない そして アメリカに凱旋した二人 ニューヨーク・タイムズ紙のスポーツ欄は 「MO CUISHLE 世界初の ミリオンダラー・ベイビーなるか」 と報道した 百万ドルのファイトマネーを賭けた タイトル・マッチの日がやってきた 対戦相手は 汚い手を使うことで知られた ロシア生まれのドイツ人ボクサー 「青い熊」 ビリー・アシュトラコフ 会場はラス・ヴェガス バグパイプのサウンドがアリーナ中に広がった 「モ・クシュラ」「モ・クシュラ」のコールのなか グリーンのガウンを翻して マギーが颯爽とリングにあがる ガウンの色はアイリッシュ・グリーン アイルランドのナショナルカラーである 10ラウンドのタイトル戦が始まった 第1ラウンド マギーは右パンチを相手の腹にぶち込んだ 観衆は総立ちで声援を送ったが 熊はカウント9で起き上がった 「せめてゆけ あのどでかい胸が紫色になって 取れちまうまでジャブを入れてやるんだ」 リングの傍らから フランキーが励ました 第2ラウンド マギーの強烈なジャブが ビリーの腹をへこませ ビリーは苦痛に呻り声をあげる (つづく)
2006.03.29
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Yeats in America (序章) ロスアンジェルスのダウンタウン 「ヒット・ピット」は小さなボクシングジム トレーナーのフランキーは 頑固一徹な変わり者だが 教会のお祈りは欠かさない 修復不能な 家族との深い確執を引きずって いまだに癒え切らぬフランキー すでに百通をこえる 娘への手紙は いつも送り返されてくる そんなフランキーの許に 弟子入り志望のマギーがやってくる マギーは三十一歳 女性プロボクサーとしての 最後のチャンスに賭けている ミズーリの田舎出の彼女に 幼い頃死に別れた父は 思い出のなかで いまも語りかけてくれるが 母と弟と妹は怠け者 トレーラーハウス住まいの ホワイト・トラッシュだ 夢を託せるものはボクシングしかない 己の存在証明であるかのように ジムの片隅で練習に打ち込むマギーに フランキーはついに心を揺り動かされる フランキーとマギーの リング上の熱いコラボレーションが始まった 初試合はKO勝 それからというもの 連続十二試合KO勝 ついに英国チャンピオンとなり 二人はロンドンに乗り込む もともとフランキーはアイルランド移民 ジムのなかででも アイルランドの詩人イェーツの 詩集を手放すことなく愛読する 生粋の愛蘭土魂を持った男だ こんなフランキーだから ゲール語の「MO CUISHLE」と ケルト文字で刺繍したリングガウンを この日のために新調し マギーにプレゼントしたのだった モ・クシュラは(私の血)という意味だった(つづく) (註) イェーツ(William Butler Yeats) アイルランドの詩人、劇作家。ダブリン に生まれ美術学校に進むが、詩人になる 決心をし退学。1887年、家族ととも にロンドンに移り、世紀末文化のただな かに身を投ずる。アイルランド伝説に題 材を得た劇作とあいまって、詩人として も「緑の兜」(1910)から「クール の白鳥」(1917)にいたる詩集は、 愛、老年、死、詩の個人的主題を、社会 的・神話的主題と自在にからませて個性 的な声調でうたう。英語圏における20 世紀最大の詩人の一人。23年ノーベル 文学賞受賞。(1865~1939)
2006.03.28
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My Library 今日読んだ本 茨木のり子詩集 『見えない配達犬』 童話屋 *茨木のり子の詩のなかでは、 「わたしが一番きれいだったとき」 が一番すきだ。 わたしが一番きれいだったとき 街々はがらがら崩れていって とんでもないところから 青空なんかが見えたりした わたしが一番きれいだったとき まわりの人達が沢山死んだ 工場で 海で 名もない島で わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった わたしが一番きれいだったとき だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった 男たちは挙手の礼しか知らなくて きれいな眼差だけを残し皆発っていった ・・・・・・・・ わたしが一番きれいだったとき わたしはとてもふしあわせ わたしはとてもとんちんかん わたしはめっぽうさびしかった だから決めた できれば長生きすることに 年とってから凄く美しい絵を描いた フランスのルオー爺さんのように ね *この詩にはいつもこころのなかで涙ぐむ。 藤原正彦 『国家の品格』 新潮新書 「英語より、国語。」 「英語を小学校から教えることは、日本を滅ぼす 最も確実な方法です。ものごとには優先順位が あります。先ずは内容が先なのです。そして 内容を鍛えるには、「国語」を徹底的に固める しかありません。」 *等々の意見にはナットクです。
2006.03.27
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花の道 東風吹かば においおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ (菅原道真) 願はくは 花の下にて 春死なん その二月の 望月のころ (西行) 梅の花 桜の花 花の下を歩むときには 頭をただ空っぽにして 何も考えない方がいい 歌舞伎の花道 大相撲の花道 そこに舞うのはたかが紙吹雪 男の花道なんて とてもおこがましい話で 花の吹雪を浴びていると ついそんな気にもなるが 花道の主役は やっぱり 花そのものなんだよね My Library 今日読み終えた本 井上靖 『風涛』 新潮文庫 日本征服の野望を持つ元の世祖フビライは 隣国の高麗に多数の兵と船と食料の調達を命 じた。高麗を完全に自己の版図におさめ、そ の犠牲において日本を侵攻するというのが、 フビライの考えであった。高麗は全土が元の 兵站基地と化し、国民は疲弊の極に達する。 大国元の苛斂誅求に苦しむ弱小国高麗の悲惨 な運命を辿り、《元寇》を高麗・元の側から 歴史に即して描く。 (カバー記載文より) 蒙古帝国の「蒼き狼」太祖チンギスハン から遥かな時を経て、いまモンゴルから やって来た「青き龍」や「白い鵬」が、 日本の国技、相撲の世界を席捲している。 朝青龍であり白鵬である。だから、歴史 は面白い。 (つれづれ草丸記)
2006.03.24
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オードリー けやき並木の放列 いまは葉っぱをすべて落して かすかにふるえる梢の枝枝 並木道の傍らの 喫茶店『ティファニー』で 熱いコーヒーを飲んでいる こんなロケーションには やっぱり『冬のソナタ』が ふさわしいのだろうが 不思議と脳裡をよぎるのは チェ・ジウではなく オードリー あなたのことだった 宝石店『ティファニー』には およびもつかぬが こんな小さな喫茶店で オードリー いまあなたを想い出している グレゴリー・ペック扮する 新聞記者のだぶだぶズボンを 想い出している そして 純愛とは何か考えている 青春の無残について考えている ふるえるけやきの梢と梢 その隙間に風花が舞って あなたは純白のブラウス 睫毛にかかるひとひらの雪片 ドアーを開け あなたがゆっくり近づいて来る
2006.03.23
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母の野性 ディープインパクト 牡 三歳の競走馬 デビュー後六戦六勝 皐月賞 ダービーにも勝利し 無敗のままで 三歳クラシックレース 三冠を賭けて菊花賞に挑む ディープインパクトの 唯一の欠点は ゲートを嫌がる癖だという ゲートという近代化されたツールには 馴染めないらしい (馬に訊いたわけではないが・・・) ディープインパクト 母の名は ウインドインハーヘア アイルランド産の彼女は 初子を受胎後に レースに復帰して ドイツのG1レースに勝ったという 猛女である そもそも 野生の草食動物は 妊娠中で お腹が大きくても 肉食獣に狙われたら 全速力で逃げる という習性がある ウインドインハーヘアにも こんな 野性の血が 色濃く 残っていたに違いない ディープインパクトは 空を飛ぶ 豹のような 駆けりをする 母から受け継いだ 野性を味方にして 圧倒的な強さで 菊花賞を制覇するか (05・10・18) これを書いたのは、菊花賞の5日前であった。 その5日後の10月23日。場所は京都・淀 のターフ。ディープインパクトはファンの期待 を一身に背負って、見事菊花賞を制し、無敗の まま三冠を達成したのだった。 そして、12月25日の有馬記念。 古馬ハーツクライにコンマ1秒差。デビュー以 来初めて敗戦の苦汁を嘗めた。 しかし、三ヶ月の休養を経た四歳初戦、3月 19日の阪神大賞典では、二着馬に3馬身半の 差をつけて圧勝した。 次の目標は春の天皇賞。 有馬記念では成し得なかった古馬G1を制し 国内最強の称号を手に海外へ。無敗三冠に続く 最強馬伝説がスタートした。
2006.03.22
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クレソンを摘みにゆこう ...せり・なずな・ごぎょう・はこべら... 七草粥はとっくに過ぎ 三寒四温の風が吹く いまごろは 泉のほとり 湧き水のあたりへ クレソンを摘みにゆこう 『植物図鑑』は閉じよ アンダンテ・カンタービレ ♪ ゆるやかに歌うように ♪ クレソンを摘みにゆこう ...ほとけのざ・すずな・すずしろ... 七草粥はとっくに過ぎ 春一番の風が吹く いまごろは 泉のほとり 湧き水のあたり クレソンを摘みにゆこう 『歳時記』は閉じよ アンダンテ・カンタービレ ♪ ゆるやかに歌うように ♪ クレソンを摘みにゆこう 手篭いっぱいのクレソンを摘もう
2006.03.20
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詩人が案出した数式 これは数学ではない。何故なら学と言うほど 体系が確立したものではないから。また算数で もない。何故なら、与えられた数値を公式に副 って加減乗除するルーティンワークでもないの だから。 これは、時には眼前に潜在し、時には眼前に 実在する数値から、何らかの予測を試みる実験 なのである。ここにいう数値は、化学実験にお ける試薬や触媒のようなもので、文化・文明的 な、あるいは歴史的な背景を持っていたりする。 だから、これは、理科系の数値実験ではなくて 文科系のそれなのである。 (歴史は繰り返すの数式) 数式; X×0,5=0,5X または、その逆数2X (Xについての考察) 昭和15年、あの太平洋戦争が始まる一年前。 日本国民こぞって歌った歌がある。 金鵄かがやく日本の 栄えある光身にうけて いまこそ祝えこの朝(あした) 紀元は二千六百年 ああ一億の胸は鳴る 歓喜溢るるこの土を しっかと吾ら踏みしめて はるかに仰ぐ大詔(おおみこと) 紀元は二千六百年 ああ肇国(ちょうこく)の雲青し (以下省略) 唱歌『紀元二千六百年』の歌詞である。 昭和15年は西暦1940年。その頃わが国では 西暦は使わず元号としての昭和と皇紀という年号を 使っていた。皇紀というのは、初代天皇である神武 天皇即位の年を元年とした暦年である。 『日本書紀』によれば、神武天皇の即位は西暦紀 元前660年にあたる。 660+1940=2600 昭和15年、つまり西暦1940年はまさに皇紀の 紀元に換算すれば2600年となる。 ここで2600という歴史的数値をXとおけば 0,5X=1300 となる。 紀元1300年は西暦640年。数年の誤差は あるが、『大化の改新』が始まったのが、西暦 645年。この年蘇我入鹿の専横に対して中大 兄皇子・中臣鎌足がクーデターを起こし、蘇我 氏宗家が滅亡した。 平成18年、西暦2006年は紀元2666年 ここで2666という歴史的数値をXとおけば 0,5X=1333 となる。 紀元1333年は西暦673年。一年の誤差は あるが、『壬申の乱』が起こったのが、西暦の 672年。天智天皇の死後,大海人皇子と大友 皇子が皇位をめぐって戦い、大海人皇子側が勝 利。大海人皇子は天武天皇として即位する。 つまり、2600・0,5・1300という 数値からは乱世を予測できるのであるあ。 天武天皇なきあと、女帝として持統天皇 元明天皇、元正天皇、孝謙天皇とつぎつぎ に現出するのも、女帝、女系天皇について 論争されている現在、歴史に通底している 何かを感じるのである。
2006.03.17
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花占い 三寒四温の春の風に 一番一番の花が咲く 二十四節気の小寒から穀雨までの間の 各気、各候に咲く花の順序を告げ知ら らせる『二十四番花風信』の風という 考え方が、古くから中国にはあった。 一番 小寒 一候の風に咲く 梅花 二番 小寒 二候の風に咲く 山茶 椿のこと 三番 小寒 三候の風に咲く 水仙 四番 大寒 一候の風に咲く 瑞香 沈丁花のこと 五番 大寒 二候の風に咲く 蘭花 六番 大寒 三候の風に咲く 山礬 そめしばのこと 七番 立春 一候の風に咲く 迎春 黄梅のこと 八番 立春 二候の風に咲く 桜桃 ゆすら梅のこと 九番 立春 三候の風に咲く 望春 辛夷のこと 十番 雨水 一候の風に咲く 菜花 十一番 雨水 二候の風に咲く 杏花 十二番 雨水 三候の風に咲く 李花 十三番 啓蟄 一候の風に咲く 桃花 十四番 啓蟄 二候の風に咲く 棣堂 山吹のこと 十五番 啓蟄 三候の風に咲く 薔薇 十六番 春分 一候の風に咲く 海棠 十七番 春分 二候の風に咲く 梨花 十八番 春分 三候の風に咲く 木蓮 十九番 清明 一候の風に咲く 桐花 二十番 清明 二候の風に咲く 麦花 二十一番 清明 三候の風に咲く 柳花 二十二番 穀雨 一候の風に咲く 牡丹 二十三番 穀雨 二候の風に咲く 茶靡 ときんいばらのこと 二十四番 穀雨 三候の風に咲く 棟花 栴檀のこと さて、今日三月十六日「啓蟄・三候」の風により 花咲くのは『薔薇』となる。 植物の文化史にもお国柄がある。ここで薔薇とい うのは、これはわたしの推測だが,木瓜つまりは 同じバラ科のボケの花かと思うのですが。 それは、ともかくとして薔薇の花言葉が 「愛・美」であることからしても愛と美について 考えてみたいのです。
2006.03.16
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ある冬の日に 小匙一杯の屈託を秘め それでも 冬はやって来た 鳥は天心に溶け 水魚は交わり でも小匙一杯分の屈託は わたしが 彼方にあくがれる 心象の 冬の樹林へと 分け入ることを拒むのです そして 冬日はあまりにも短く 白亜紀 ジュラ紀 カンブリア紀 累々と堆む一億年の夜と昼に 埋もれてしまった始祖のものたちへ いかな オマージュを捧げようか 冬の陽が あの化石層群に 急ぎ足で堕ちてゆくころ よるべもないわたしは 街にでる 今宵のガス燈は 早々と消えればいい やがては堅い芽を膨らませる 街路樹の整列も いまは 静かに眠るだろう そうすれば わたしも 今日の屈託を振り払って 冬の夜の眠りにつこう 朝の来ない夜はない 春の来ない冬はない あんずよ 花つけ 地ぞ早やにかがやけ 犀星
2006.03.15
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ウォーホルのいる街で 『そうだ ウォーホルのいる街で 夕陽を見よう』 相棒が誘ったので 出かけた 美術館と道路一本隔てて 屋台村のような街区が のっぺらぼうに拡がっている 『ここの もつ煮込みうどんが旨いんだ』 相棒の口車にのって 屋台村のようなところに入った 唐辛子の利いた こってり味のもつ煮込みうどんを ふうふう言いながら呑み込んだ それから アンディ・ウォーホルを見た 『おゝ ディマジオのかあちゃんだ』 元草野球監督の相棒が奇声をあげた 『マリリンの赤ちゃんを生みたかったなー』 『んん?』 『造次顛沛 爬羅剔抉 現代ってつらいよなあ』 相棒の言いっぷりが いかにもしんみりしていたから 『そんなもんかなー』と その時は俺もそう思った 美術館を出ると 街角の店屋で鯛焼きを買った フォークロアな夕焼けをバックに 太陽がずんずん沈んでゆく そいつを眺めながら鯛焼きを食った 尻尾の先まであんこのつまった鯛焼きを ふたりで食った (註) 爬羅剔抉(はらてっけつ) 1:かき集めて抉り出すこと。 2:隠れている人材を捜し集めること。 3:悪事・欠点をあばき出すこと。 造次顛沛(ぞうじてんぱい) あわただしい場合と、つまずきたおれる場合。 ほんの少しの間。しばらくの間。 (広辞林より)
2006.03.14
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鳥の時間 かわせみが見たくて楢山に来た この秋 楢山にいくつ団栗の落ちたことやら 降り積もる枯葉が わたしの歩調に合わせて乾いた音をたてる 冬ざれの疎林のなか きこえるのは 過ぎた時間と過ぎようとしている時間 その接点に 軋み歯ぎしりする枯葉の音だけ 楢山の奥 小さな泉で かわせみを見たのはいつのことだったろうか 水面すれすれに光る ルリ色の飛翔 あれが幻覚でなかったことを もう一度 この目で確かめたかった 人の命数に比べ鳥の命数はたかだか数年 鳥は人の数十倍速い時間を生きている そんな自然の摂理の内にあって かわせみは あの日 ほんの一瞬 たまゆらの 生命の影を見せた だけのことだったかも知れぬ 泉は透き通る冬の水をたたえ 静止した時間は 水の底ひに沈んで声もない なのに ついに あの奔る光 あのルリ色の飛翔を 再び見ることはなかった 楢山に囲繞された 鳥の時間は 知らぬ間に わたしの視界を はるかに超えていたようだ *My Library これは詩ではない。でも いつか 詩の周縁につながるかも知れない ところの記録・備忘である。 いま 感動を! 今日買った本 詩集『見えない配達夫』 茨木のり子 童話屋 今日読み終えた本 『博士の愛した数式』 小川洋子 新潮文庫
2006.03.13
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My Library これは詩ではない。でもいつか 詩の周縁につながるかも知れない ところの記録・備忘である。 いま 切実に! 読みたい本 『ダ・ヴィンチ・コード』 ダン・ブラウン著 角川書店 『どうで死ぬ身の一踊り』 西村賢太著 講談社 『根津権現裏』 藤澤清造 観たい映画 『クラッシュ』 『プロミス』 『父親たちの星条旗』 クリント・イーストウッド監督 今秋公開 スティーブン・スピルバーグ製作 『硫黄島からの手紙』 12月公開 ” 渡辺謙 中村獅童ら出演 今日買った本 『風 涛』 井上靖著 新潮文庫 今日読み終えた本 『役小角仙道剣』 黒岩重吾著 新潮文庫 律令制度に虐げられる人々を救うために、異能を駆使して 権力者に立ち向かう。鬼神の如き活躍を慕って多くの弟子達 が葛城山中に集結、遂に一大勢力となった役小角を狙って、 時の権力者・持統天皇や藤原不比等、物部氏率いる刺客が迫 り来るが・・・傑出したパワーで古代史に名を轟かした異才 の半生を描く古代ロマンの巨編。 (帯より)
2006.03.10
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よだかの星異聞 (承前) よだかが飛んで行ったのは 斑鳩の里あたりでした トンビは夢のように美麗な お寺の棟に止っておりました 『鳶さん 鳶さん わたしは とてもとても もう鳥の世界にいても 辱めを受けるばかりですから それこそ ほんの 小さいのでいい 星になりたいです わたしのようなものでも 星になれるでしょうか』 『なかなかなあ 星になった鳥の仲間といや ざっと見わたしても 白鳥 鷲 鶴 鳩くらいのものだからな』 『からすもおります 鳶さん』 『からすでも あれは 超エリートな やた烏だよ どうしてどうして そんじょそこらの凡俗烏では とても 星にはなれんのだよ』 トンビは訳知り顔で言うのです 『よだかの鳥よ おまえは鶺鴒を知っておろうが むかし伊邪那岐 伊邪那美二人の神様は 結婚はしたものの どうしたら子供ができるか よう知らなんだそうな その時 鶺鴒の夫婦が行って 教えてあげたんだそうな それで 二人は無事結ばれたそうじゃ そんな鶺鴒でさえ 星になるどころか せいぜい 「恋教え鳥」とかいう 名札をもらっただけだからなあ』 『よだかの鳥や こんな話もあらあな 天竺の雪山というところに 寒苦鳥という鳥がいるそうな ここは夜とても寒いので 「夜が明けたら巣を作ろう」と 決心するんじゃが 日が昇ると朝日が暖かいので つい 忘れてしまうんじゃな 揚げ句 巣を作らないままで また夜を迎えて震えている 「明日こそ巣を作ろう」と思いながら 次の日になると忘れてしまう そうやって 一生巣を作らずに 空しく鳴きつづけているそうな』 『よだかの鳥よ おれは 愚かな寒苦鳥のようには なりとうはないのでな 毎日一万回 「南無大慈大悲観世音菩薩」と 念仏唱えて願掛けしているのよ このお寺には霊験あらたかな 観世音菩薩がおられてな せめて百日百万回お願いすれば 毎日油揚げが食えて 飢えずにすむようになろうかと 鳥の悲しさ お寺のなかには入れぬから 観世音菩薩に届くように 屋根の棟瓦に首を突っ込んで 念仏唱えているわけさ』 よだかは何だかがっかりして 鳶に相談したことを後悔しました でも 鳶が百万回なら 自分は千万回念仏唱えてみようと 真剣に考えました そして 決死の覚悟で 空に向かって飛び立ったのです キシキシキシッと高く高く叫んで その声はまるで鷹でした よだかは どこまでもどこまでも まっすぐに空へのぼって行きました 寒さに息は胸に白く凍りました はねがすっかりしびれてきました そしてなみだぐんだ目をあげて もういっぺんそらを見ました そうです これがよだかの最後でした 『ただこころもちはやすらかに その血のついた大きなくちばしは 横にまがっては居りましたが たしかに少しわらって居りました それからしばらくたって よだかははっきり まなこをひらきました そして自分のからだが いま 燐の火のような青い美しい光になって しずかに燃えているのを見ました すぐとなりはカシオピア座でした 天の川の青じろいひかりが すぐうしろになっていました そして よだかの星は 燃えつづけました いつまでもいつまでも 燃えつづけました 今でもまだ燃えています』 宮沢賢治の「よだかの星」の結末です ところで これは余談ですが あの鳶は 冬のある寒い日に お寺の棟瓦に首を突っ込んだまんま 凍死してしまったらしい 今でも お寺の屋根の棟には 鳶の尻尾の名残が伝わっている 棟瓦の端っこに据え付けられた 「鵄尾」がそれです 鵄というのは鳶のことです 『トンビに油揚げ』とか 『鳶が鷹を産んだ』とか 諺の端っこにだけ参加するよりは 鳶族にとっては ずいぶん名誉なことだったのです (おわり)
2006.03.09
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よだかの星・異聞 『よだかは、実にみにくい鳥です』 宮沢賢治の「よだかの星」は こんな出だしで始まるのです 例えば よだかに対する ひばりの批評はこうだ 『きっと、蛙の親類か何かなんだよ』 鷹も 難癖をつけて 『市蔵という名に改名しろ』と 脅迫するのです すっかり気落ちしたよだかは 弟のかわせみに別れを告げ 空高くのぼって オリオン星に あなたのところに連れてってと 頼むのですが 『馬鹿を云うな。おまえなんか 一体どんなもんだい。 たかが鳥じゃないか。 おまえのはねでここまで来るには 億年兆年億兆年だ』と てんで 相手にしてくれません 大熊星も 鷲の星も よだかを馬鹿にして 嫌味ばっかり言うのです (失望 落胆したよだかは はねを閉じ よろよろと 地に堕ちたのでしょうか それともなお勇を鼓して 天に昇ったのでしょうか) これからがわたしの噺です わたしの情報によれば かわせみに別れを告げる前に よだかは トンビのところにも 立ち寄ったらしいのです (つづく)
2006.03.08
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* きのう3月6日は二十四節気の一つ 啓蟄でした。 ・・・立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨・・ ・ ・ ・ 立 大 おーい 虫よおー 夏 寒 梅がさいたぞおー ・ ・ 春一番だぞおー 小 小 啓蟄だよおー 満 寒 眼を覚ませよおー ・ ・ おや 芒 冬 ゴキブリかあー 種 至 いいんだよ ・ ・ おまえは 夏 大 至 雪 ・ ・ 小 小 暑 雪 ・ ・ 大 立 暑 冬 ・ ・・霜降・寒露・秋分・白露・処暑・立秋・・・ 啓蟄の蒼き回天 根の国の夢食みしもの 地にうごめけり
2006.03.07
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とかげの尻尾 身体髪膚すべて言語を持つ (とかげの尻尾は切れても元どおりに再生する) (これはbodyに尻尾が再生するのであって) (切れた尻尾にもbodyは再生するだろうか) 置かれた状況とは関係のないことを考えていた ガラス窓に外の面の秋の陽が翳っていた あれは外科病棟の医務室 よく太った執刀医が 手術の経過を説明していた 説明してもらっているという意識はなかった 眼の前のいかついデスクの上 シャーレーに置かれた血まみれの肉塊 丼鉢一杯くらいの嵩だったろうか それは 妻のbodyから切除された それは 妻の片方の乳房だった 『これが癌の病巣です』 よく太った執刀医が ゴム手袋をした手で 肉塊をなぞった いや なぞったように 見えただけのことかも知れない 生命あるものから分離してしまった このモノはいったい (まだ有機物と言えるのだろうか) (これが人の身体の一部だろうか) 一見 食品スーパーに並んだ パック入りの牛肉や豚肉と変わらない そのモノを前にして わたしは 執刀医に向かって 『ありがとうございました』 と言えばいいのか 『ご苦労様でございました』 と言えばいいのか ただ途惑うばかりだった
2006.03.06
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もの言わぬ歴史の語り部 朝夕の散歩コースの傍らに古い神社がある。 平素、格別の注意を払うことはなかったのだが、 ある朝、ふと神社の案内板を見ると、祭神誉田別 尊、崇道天皇とあった。 誉田別尊(ほむたわけのみこと)は、第十五代 応神天皇の御名だが,崇道天皇については知識も 記憶もなかった。 子供の頃、歴代の天皇名を暗誦していたことが あった。まだ小学生の頃の話だから、おそらくは 父や兄達の口真似に過ぎなかったろう。もちろん 子供のこととて、当時の、第百二十四代今上天皇 までを、暗誦し切ることなど出来るわけもなく、 せいぜい五十代ぐらいまでだったろう。 歴代を追って暗誦できなくても、個々の天皇の 名は、不揃いな記憶として、断片的に残っていた のであったが、そのなかにも崇道天皇はなかった。 私が知らなかっただけのことで、歴史に詳しい 人にとっては、周知のことだったのかも知れない。 [崇道天皇のこと] 第四十九代光仁天皇には、三人の親王があった。 即ち、山部(やまべ)親王 早良(さわら)親王 他戸(おさべ)親王 である。 山部親王の母は 夫人高野新笠 早良親王の母も 夫人高野新笠 他部親王の母は 皇后井上(聖武天皇の内親王) このうち、他部親王は母とともに死に追い込まれ 山部親王が桓武天皇として第五十代の皇位を継承 する。一方、桓武天皇は父光仁天皇の生前の意向 に沿い、弟早良親王を皇太子とするものの、子の 安殿(あで)親王を皇嗣にしたいという思いが深 かった。 延暦八年(785年)。 桓武天皇の寵臣で、長岡京造営の中心人物でも あった藤原種継が暗殺される。この事件に関わっ たとして、早良親王は淡路へ配流されるが、その 途次で憤死したのだった。 その後立太子した安殿親王は病身、夫人、皇后 皇太后があいついで没した。また、洪水や悪疫も 流行した。これらは、早良皇太子の怨霊の仕業と 理解され、これを畏怖した天皇は、淡路の早良皇 太子の墓に再三勅使を送り、幣帛を供え、鎮魂に これつとめ、崇道天皇という追号を贈ったのだっ た。桓武天皇は「安国と平らけく」を願い、安住 の都を求めて平安京への遷都を敢行したが、遷都 後も凶事は絶えることがなかったという。京都の 御霊神社は、早良皇太子の霊を鎮めるために創建 されたものだという。 散歩コースの傍らにある、この古い神社も、千 二百数十年以前の、皇位継承にまつわる、もの言 わぬ語り部として、歴史を今に伝えていたのだっ た。
2006.03.03
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一筆啓上 娘へ 一筆啓上 三月とは言え 戻り寒波のせい 風花が舞っている 梅の開花もすっかり遅れ 蕾をぎゅっと結んだまま そんな季節だからこそ 遅咲きのあなたのことを 離れたところから 少し気遣っている いつか こっそり あなたの書棚を覗いたことがあった 北欧の妖精の物語が ぎっしり並んでいた あれは あなたが幾つの頃だったか あれから何年も経ったが いまにして思えば 非現実の物語の世界に夢を見たい そんな 屈託があったのだろうか それは何だったのだろうと ごめん 埒もない父の思い過ごしなら こんなこともあったね あなたは捨て猫を 何匹も拾ってきた そのうちの一匹に 「チェルノブイリ」と命名しましたね 父には原発事故が起こった都市の名しか 思い浮かばなかったのだが 『ロシア語で「よもぎ」のことを 「チェルノブイリ」と云うのよ』 と教えてくれた 拾ってきた猫の 避妊手術のために 犬猫病院に行ったことも再々 先に結婚しすでに子供がある二人の弟達 やっぱり淋しいんだろうな 猫を可愛いがるあなたを見て 父はつくづくそう思ったのでした ごめん 余計なお節介だったら 桜咲く頃 菫咲く頃までに この秋菊香る季節までに などとは言いませんが 父はあなたの 幸せな結婚を望まずにはいられません 今更 思い出したように 季節のせいでしょうか 一筆啓上 父より
2006.03.02
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歪な風景 今日も平城宮跡に来た 朱雀門のデッサンを仕上げようと 原っぱをセントバーナード犬が散歩している 遥かな故郷アルプスとは 似ても似つかない風景に 何やら不服そうな表情を漂わせ 夫婦連れの観光客もいた ピンクのコスモス畑を遠望して 『蓮華草がきれいだね』と言ったりして 復原中の大極殿を見学した 直径七十センチの主柱が四十四本 一本残らず罅が入っている 『この木材は何年寝かせたものでしょうね』 ガイドに訊いてもわからない 『吉野の山から伐り出した檜ですから 罅は 建物の強度には影響ないそうですよ』 あたり一面の風景が 今日は何もかも歪に見えるので デッサンは止めにした (大津皇子の影法師に会いたい) 磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど 見すべき君がありと言はなくに うつそみの人なる我や明日よりは 二上山を弟世(いろせ)とわが見む (大来皇女 万葉集 巻二) 帰りに本屋で 折口信夫の「死者の書」を買った
2006.03.01
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