全31件 (31件中 1-31件目)
1
国鉄時代に「急行型」と呼ばれた電車が存在しました まあ残念なことに? 交直両用機の展示しか無かったので(悔) 細かいツッコミが出来なかったりしますが まあ、この1輌を保存してくれていたから ちょっとだけ話題を 基本的に国鉄では 通勤型 近郊型 急行型 特急型 の4段階に割れられて製造されるのですが その中で、ソコソコの人数を詰め込んで中距離の移動を目的として製造されたのが急行型 比較的短い編成を幾つも繋げて、途中駅で行き先を分割したり また逆に、別の所から来た列車と連結する運用もこなせるよう 前面に連結用の扉と幌を付けた この形状の顔をした電車の事 しかし! 昭和43年10月のダイヤ改正 よく言われる「ヨンサントオ」で 長距離を走る特急を優先して走らせる って言うか、より高い特急料金をボッタくれる走らせ方に変更がされ 急行と呼ばれる列車が数を減らしていき まあ、なんと言うか この急行型と呼ばれる電車が、次々とニートになっていったと言うか?(涙) そんな時! 首都圏のラッシュ対策で困っていた国鉄は・・・ 群馬や埼玉北部から電車通勤する人達を捌ききれなくなって来ていて(困) 近郊型の電車を大量投入したいけど お金が無くて、思うように増備できない(貧) そんな時 なんか、その辺の側線を温めている急行型の電車が余ってんじゃね? って事で、普段なら車庫まで回送させてた電車を通勤用にあてがったり 急行料金なしで乗れるよう、通勤時間にブッ込んでみたり と・・・ 乗る方としてはラッキーかもしれない? けど・・・ 客室とデッキが分けられた 昔の客車みたいな構造で 駅での乗り降りの事なんて、あまり考えてない 急行型の電車は 停車駅での乗り降りに時間が掛るため 遅延の元凶となって その上、トップスピード重視のギア比を設定していたため 駅間の短い区間で走らせると、加速が悪い急行型電車は スピードが上がるまでに時間が掛るうえ やっとスピードが上がった時には、もうブレーキを掛けないといけない所まで進んでたりと 運転速度を遅らせる元凶にもなってて(泣) ついには「上尾事件」と呼ばれる 乗客がブチ切れて、電車を破壊したり 駅長さんを監禁して立てこもったりと言う・・・ まぁ、この時は ストライキばかりしてて まともに動かない電車に怒りをため込んでいた通勤客が 満員の急行型電車に詰め込まれるのを我慢して乗ってたら なんか突然 「ここで運転取りやめます」って言われたのが原因だったんですけど やはり・・・ 通勤用に、このタイプの電車をブッ込むには無理があったらしく とは言え! 地方路線に回す 新しい電車を造る余裕のない国鉄 そして、その路線を引き継いだJR西日本(特に北陸地区)は ニート状態の急行型と 同じくニートになっていた寝台特急に使う電車の魔改造に突っ走ることに・・・(滝汗) とりあえず両端の座席は ロングシートにして、乗客の詰め込みが出来るように出来るようにしました!! で・・・ つり革を付ける予算も無いから 握り棒を設置してみました みたいな(笑) でも、たまに 臨時で急行運用に入ったり 臨時の急行や快速等の座席指定の列車に充当したりと そんな時のために座席番号が(滝汗) って言うか、この席を引いてしまった人は ボッタくられたとか言う以前に 絶望の底に沈むことになったらしい?(って言うか、カネ返せ!) しかも・・・ ちゃんとシルバーシート(現・優先席)まで設定されていて 日常的に 通常の通勤通学 そして、各駅停車として使用する気満々 最後の最後まで 純粋に急行型本来の姿を保ったまま 保存された電車は殆ど存在しないと言われている また、一部が私鉄に譲渡されて こんなのに魔改造されたりしたけど・・・ 元々は急行用 長距離をソコソコのスピードで連続運転 しかも、1回の運用で最長で1000km近い距離を走ったりと 転校も気候も違う場所を行き来し続けていたため 比較的新しく見えても 老朽化が物凄く激しく お金を掛けて魔改造したのに、電車としては寿命が来てたとか 新たしく中古の急行型電車を買ったのに 気付いたら、さらに古い他社の中古車を買って置き換えることになってたとか もう、訳が分からない状態に(泣) まあ、そんな中で唯一成功を収めたのは 京阪神地区で「新快速」として使用した・・・ ニート状態の151系と呼ばれる ただ、色を塗り替えただけで あと、新大阪すら通過して 京都と大阪間をノンストップで 30分切って走るというチート技をやってのけた電車だけかもしれない? (あと余談ですが、現在も停車駅こそ増えたけど特急キラーとして有名なうえ 米原から京都に向かうなら1時間に1本の新幹線を待つより運転方数の多い新快速に乗った方が早いという) なお・・・ 運転台付近は 窓の位置が高くて そしてカーテンが閉まっている事が多いので 電車の中で暇を持て余したチビッ子達は 一番前まで来て ガッカリする事になるという(涙) そして逆に、車掌さんは 車内の様子が全く解らないので・・・(隠) やはり この手の電車を通勤用に使うには無理があった と!(泣) 更に! JRになってからは ワンマン運転に対応できないという理由から 物凄い勢いで数を減らしていき よくよく考えたら 物凄い数が生産されたのに 保存されたものが殆どないって・・・ なんか、物凄く不憫な存在なのかもしれない? まあ個人的には・・・ 父方の実家に行くとき コレにすし詰めにされて(泣) 長時間座る事も出来ず通路に立たされ って言うか、指定席くらいとっとけよと・・・(怒) 貰って来た給料を全部ゴルフとマージャンで擦っちゃう父に 反感を覚えた思い出しかないので あまり好きじゃないんですよね このタイプの電車 何と言うか、そう刷り込まれてしまったと言うか・・・にほんブログ村
2024.08.31
コメント(2)
てっぱく2024編 2009編でツッコミを入れた箇所は なるべくスルー じゃなくて簡潔にまとめています で! 国鉄時代の電車の型式には 100番台、200番台、300番台の数字が割り振られるていると それは直流用車両 500番台と600番台が交流用車両 そして、その間の400番台が交直両用機 って言うか、どっちの電源でも使える電車と・・・ 数字で仕様を判別できるようになっていたのですが JRになってからは、全くと言って良いほど無視されています(笑) まあ、両方の電源を使う区間を持っているのは JR東日本と、JR西日本、そしてJR九州だけですから と言う事で! 上の画像の特急用車両が485系と呼ばれるので 交直両用機 と・・・ 言う事になるのですが 一般の人からすると どうやって見分けるんだよ そんなの? と・・・ だって 直流用の特急用車両 181系と 何処が違うの? 何? ボンネットの所を溶接しているかどうかの違いかよ? と・・・ ツッコミ入れる人は、まず居ないと思う(笑) コレは 単に製造した年や、メーカーによって 細部が異なっているだけで 基本的に ほぼ同じ仕様の車体を使っています と言うのも 同じモノを大量に造れば安くなるんじゃね? という国鉄スペック?(笑) コストダウンって何ソレ食べると美味しいの と・・・ いう? 国鉄の中の人達の考えのもとに設計されているから で! 一番の違い って言うか、見分け方は 電動車の屋根の上 受け取った交流電流を、直流電流に変換するための装備が付いているかどうか? まあ・・・ この設備のせいで、重量が重くなるだけでなく 車体の価格が一気に数倍になるので(滝汗) って言うか、電車自体が動く変電所になる? と言った方が良いのかもしれない? そ、そりゃあ・・・ 日本全国を交流電流にしちゃおうぜ計画がとん挫するわけで・・・ で せっかく、直流電流で電化しちゃった東海道本線や山陽本線 そして東京から東北方面に行くには・・・ 途中までは直流電流で造ったけど、先の方は交流電流だしみたいな 長距離を走る特急は 両方の電気を使えるようにしないといけなくなった と・・・(困) で! 造られたのが400番台の数字を持つ電車と言う事に なるですが 専用の車体を造るお金なんて無いし、元々あった直流用車両の部品を 可能な限り転用出来るようにした結果か こーなってしまった と・・・ で! ぱっと見で、一発で区別が出来るのは その筋の人達だけ と・・・(困) ちなみに! 交流と直流の切り替え区間には デットセクションと言うモノが存在して そこで、一旦電線が切れているんです で・・・ 勢いを付けて通過すれば 止まることなく走行できる 一瞬だけ、モーターの出力がゼロになって スピードが落ちるけど 解る人なんて居ない みたいな!(笑) と・・・ そんな感じで 力技で突き抜ける手法がとられていて このデットセクションには決して停まらないように と! 義務付けられているんです(停まると電車が壊れます) あと・・・ 微妙な違いですが 交流用電車(交直流用を含む)の方が 色々と装備を搭載しないといけない分 若干床が高くなっています でも、言われなければ 誰も気づきません そう・・・ 乗る時に ドアの所に若干の段差が有るのか(交直両用) ソレが無いか?(直流用) って所くらいしか、一般の人には・・・ って! 国鉄時代に、特急とか 料金が高いから殆ど乗ったことの無い自分は そんなもの、気付く事なんて全く・・・(泣) なお・・・ 床下の低い直流用の特急用車両は その分、屋根も低くなっていて って言うか、元々 中央本線や上越本線などの直流区間では トンネルの多いから屋根を高く出来ないので 背が低くなっていると言うのもあるのですが 両方を繋ぐと 屋根と床の高さが番う なんかヘンな編成が爆誕するらしい?(笑) で、実際に JRになってから お金があるJR東日本は、上越&東北新幹線があるから 特急を走らせるメリットが無いし ボッタくれる新幹線使ってほしいから、値段の安い特急は廃止したいし 車庫の中でニート状態になってる特急用車両が余っていた それに対して 特急王国のJR九州は 現在でこそ黒字だけど、まだ一昔前は赤字体質から抜け出せていないから 新しい特急用車両を造る余裕がない それだけでなく、交流区間と直流区間が混在するし 関門トンネルを超えてJR西日本のテリトリーに入る特急も存在するため お金のかかる交直両用機の製造をしないといけない(困) と・・・ 言う事で 先頭車だけなら 交流でも直流でも関係ないから という理由で、JR東日本の側線を温めていた 国鉄時代の特急用車両の生き残りを譲って貰う事になり その・・・ 高さが違う編成が爆誕する事になったらしい(笑) 連結面とか 一体どうなっていたのか? 物凄く興味がありますが 既に廃車解体されてしまっているらしいので・・・(悔) あと余談ですが 当時の特急って乗った事が無かったので知らなかったのですか シートのリクライニング 左右で分割じなゃなかったのか!(驚) って言うか、コレ リクライニングのレバーが付いて無いから 倒れないんじゃね? まあ、一部の車両に 簡易リクライニングと言うなのに レバーを引けば少しだけ倒れるけど 体を起こすとシートまで起き上がっちゃうタイプのモノが造られたり 意外と、利便性は悪かったんだな? 最新のものに慣れちゃうと そう感じるぞ!! で! 一番前の席に行っちゃうと ドアが付いて無いので、降りられなくなる(正面の扉は乗務員用です) 繁忙期で、自由席が通路に人が溢れるような状態になると おトイレにすら行けなくなる恐怖!!(漏) で! やべぇよ! シート裏 モケット生地が貼ってあるのに そこに灰皿が付いているとか コレ・・・ ついうっかり燃やしちゃった人 居るだろ(困) 更に! せめて、エアコンのフィルターくらい掃除しようよ!(願) 展示車両だと言っても 見た目は、どうにかしよう・・・ 突っ込む所、ソコじゃなくて! クーラーに3段階の調整ボタンがついてる!(驚) 特急なんて殆ど乗ること無かったから 知らなかったよ! って言うか、父方の実家に行くときは いつも急行だったし(予算の関係上) 帰りしなも、父方の実家で特急のお金だけ貰って 急行の自由席で・・・(涙) みたない生活してたし、あの当時! って話は置いといて! 今さらながら・・・ 自分 国鉄時代に特急って 乗せてもらった事 無かったんだな? と・・・ その現実を思い知らされることになるとは で! 車内の設備が、物凄く珍しく思えちゃって・・・(笑) 冷水器なんて 付いてたんだ!(驚) 当時は・・・ まあ、淀川水系の水道水よりはましだけど なんか臭そうなので出てきそうだけど それでも、当時に載っていれば凄く思えたんだろうな きっと にほんブログ村
2024.08.30
コメント(2)
自分の活動範囲だと まずお目にかかることの無い 交流区間用電気機関車 基本的に 直流区間は青 交流区間は赤 交直両用があずき色と 間違って使用しないよう塗り分けをしていた国鉄 いや 元々は「ぶどう色3号(こげ茶色)」に塗っていたけど これには諸説あって ぶどう色にしていた理由は 戦前のブレーキパットの品質が悪くて、飛散した粉末で車体が錆びるのを判りづらくしたという説と ベアリングが普及する前 軸箱にグリスを入れて潤滑させていたけど、そのグリスが飛びまくるから茶系統の色にして目立たないようにしたという説 単に戦時色(敵の攻撃機から見えづらくするため)と言う説 と・・・ 最初期は木造車体の客車や電車が多かったから、木の表面に塗っていたニスの色に合わせたという説 まあ、色々とあったりしますが どれが正しいのか 自分は判りません(悔) まあ、そんな話は置いといて! 戦前、鉄道省は幹線の電化を急いでいました 大重量の貨物輸送を安定して行うため、電気機関車を投入しようと で! 手っ取り早い直流で電化を進めていったのですが 戦後になって 変電所を大量設置しないといけない直流電流はお金が掛かる それに対して交流電流なら 大容量の電気を少ない変電所で送れるから 苦労して地方の山奥に変電所を造らないで済むし、トータル的にコストダウンになるんじゃね? と・・・ 中の人達は考えたらしい しかも! 世界的にも交流電化を進めるのがトレンドとなりつつあったので 日本全国的に、交流電化を進めちゃおうぜ計画が発動したらしい と! 言う事で 気合いを入れて 交流用電気機関車を造りました まず初めに、まだ蒸気機関車がイキっていた非電化区間から交流区間を広げていく事になり 主に東北方面や九州は交流で電化を進め・・・ て行ったのですが! ココで一つ大きな問題が発生します 変電所の設置は少なくて良いかもしれないけど 電気機関車自体に変電設備を装着しないといけないので 製造コストが掛かり過ぎる ただでさえ、戦地から帰って来た復員兵の人達の受け皿として 大量に人を雇ってしまった国鉄は 昭和30年代には、少しずつ経営が苦しくなっているのが もう解っている だけど! 国営鉄道だから、運賃を上げるのに 国会の承認が必要になってて 国会議員のセンセー達は 選挙の票稼ぎのために、絶対に値上げさせない方向で一致団結してて(泣崩) ドンドンとボンビーになって行ってた当時の国鉄(泣) 更に! 国労と動労と言う反社的な労働組合が誕生 そして、最悪の・・・ 内部告発が合戦が始まり って言うか、本来は 内部を良くしていこうと、気付いた点を報告して改善していこうという そう言う話から始まったらしい のですが・・・(困) 問題点を出すことをノルマ化してしまった事で 派閥や部門ごとの「チクり合い」のシステムと化してしまい 他の組織の足を引っ張ったり チクられた仕返しで、みたいな事態に発展 意図的に貶めようとする方向にまで進んで内部崩壊していき・・・(泣崩) しかも! 戦前に電化を急いだ東海道本線と山陽本線と言うドル箱路線は 高密度&高速度での運転が要求されるようになっていて 貨物列車ですら 時速100キロでぶっ飛ばす! 時速100キロ以上でぶっ飛ばすことを前提として設計された専用台車を履いた貨車まで誕生してて って言うか、生鮮食品や鮮魚を運ぶための冷凍&冷蔵車は パンタグラフが付いてないし 交流と直流の切り替えが出来ないから 中に大量のドライアイスや氷を詰め込んで・・・(冷) それらが溶ける前に、目的地に到着しないといけない(困) そんな中で交流電源に切り替えてたり 全ての電車と電気機関車を交流専用機に改造するお金なんて 何処にも残ってないので(貧) 日本国内すべての区間を交流電化する夢は 立ち消えになってしまったんですよね なので! 自分が活動する範囲では 赤色の交流区間用電気機関車を見ることは無いんです だから 全くと言って良いほど、馴染みが無いと言うか・・・ そして次回 その交流と直流で・・・ たぶん、識別が出来る人は一体どれくらいいるのだろうと言われる? 特急用車両の話に繋がっていく?にほんブログ村
2024.08.29
コメント(2)
てっぱく2024編 リッター当たり、2~3キロとか言われた最悪の燃費(凍) 大東亜戦争が始まると 燃料統制が始まり 下り坂ではエンジンを切って惰性で走ってた しかもATではなく、MT車 基本的に、地方の閑散路線を1輌で走るために造られている 必要に応じて、後ろに客車を繋いで走ればいい みたいな だから連結すると、全ての車両に運転手さんが乗って タイフォンの合図で加速したりブレーキ掛けたり 変速したりと・・・ 冬場になると、エンジンを始動するのに物凄く苦労するとか 色々と伝説を残している鉄道省のガソリンカー 戦時中は 一部の車両が木炭動力に改造されました そして戦後になって やっとディーゼルエンジンに換装され 新型の性能が上がって来ると このタイプの 元・ガソリンカーのディーゼルカーは 地方私鉄に格安で譲渡されていくようになり まぁ、大体の場合 その地方私鉄が廃止なった時に解体(泣) あるいは、新しい中古車をゲットした時に解体(泣) 新型の車両を購入できたときに解体 エアコンも扇風機も付いて無いし 改造するとしても木造の屋根の強度が足らなくて無理! と・・・ 現存しているもモノが殆ど残っていない(困) そんな中 関東鉄道に譲渡され その後に個人宅で保存されていた この機体 足回りだって こんなのだから・・・ 結構凄いんですよ 揺れが! とは言え 2007年まで鹿島鉄道で、この台車を履いたディーゼルカーが現役で走ってました ので 意外と、その凄さを体験していた人は多いかもしれない? あと余談ですが ドライブシャフトが横から良く見えて 良いよね コレ! 展示用に、わざとグレーに塗ってくれてて 判り易くなってるし エンジンも、わざとぎれーに塗って そしてライトアップしてくれているので 構造が判り易くなっているのですが コレ・・・ やっぱし、平成生まれの人が・・・ 令和生まれの子供に ちゃんと解説できるのか? これからの時代 全く読めなくなってきたと言うか?(焦) ちなみに! 運転台の方も・・・ コレ 遊覧鉄道のモノではありません! なんか 檻に閉じ込められたような機関士さん で! エンジンを換装され ATに変わり、操作系も変更になって 更にブレーキも手動だったものが、空圧式に変わり・・・ 色々と運転台のレイアウトも変わっているのですが 中に入るため扉の大きさ いくら戦前の日本人の体格を基本にしているとはいえ あの狭い所を どうやって通ってたのか? 物凄く疑問! ちなみに、非常ブレーキのハンドルが付いているため 運転席には、外から入ることが出来ません 車内から出ないと入れないんです 改造されて 左側から入れるようになったとはいえ かなり窮屈だよね コレ まあ、そんな事よりも!!(叫) 何という計らいだろう この展示 東京府・・・ って、鉄道省の時代の路線図だよ コレ!(ハアハア) 過去に何度か取り上げたネタ 南武線が、まだ国有化されていない! 南武鉄道の時のモノだぞコレ! 更に・・・ 宿河原連絡線こそ書かれていないけど 向ケ丘遊園駅が稲田登戸を名乗っていた頃の表記が、そのまま! 読売ランド前駅も「西生田」になってる! あと、いつかはネタとして取り上げたいと思ってる・・・ 国鐵が私鉄に負けた「町田」 鉄道省が「原町田」 そして小田急が「新原町田」だった頃のモノ 東急の新玉川線(現・田園都市線)が存在してなくて 国道246号線を走ってた多摩川電気鉄道だった時代 京王線も、まだ国道20号線を走っていて 現在のJRの上を橋で渡って東口まで走っていて 終点が「四谷新宿」になってる!(凄) これ!(ハアハア) 解る人、どれくらいいるんだろう? って言うか、自分も 色々な資料や文献でしか知識を得てない部分ですからね この辺りは! 写真すら見たことの無いモノも結構多かったりしますから その上! 現・JR青梅線が 青梅鉄道になる前 御岳電気鉄道の時代だぞ 終点が御岳になってる!! JR五日市線も、五日市鐡道の時代で終点が武蔵岩井になってるし 拝島と立川の間で並走している路線図になってる!!(涎) その他にも 静鉄(静岡鉄道)の市内線と駿遠線が記載されていたり 甲府から山梨鉄道がが描かれていたり 鉄道省の木原線(現・いすみ鉄道)が 現在の久留里線と接続予定の線が描いて有ったり 銚子のアレも? 銚子鉄道時代の線が書いてある その他にも 現・えちぜん鉄道(旧・京福電鉄)が永平寺門前から描かれていたり 東尋坊まで線路が敷いてあった時代の記載が! って・・・ その他にも草軽(草津と軽井沢を結んでいた軽便鉄道)とか 今は無き線路がイッパイ! 悔しいのは・・・ 関西方面の路線図が無い事か? って、そこまで書いてあったら 自分 この地図の前で1時間近くハアハアしちゃいそうだから(困) とりあえず自粛させてくれてありがとう!(涙) まあ・・・ これだけ、素晴らしい資料が残っているのに 平成以降の人達は 理解してくれるのか? 解らない所が悔しいぜ! でも ココで、ちょっとでも 当時の様子を勉強して 一流の同業者の道を歩む切っ掛けになってくれれば!(願) だから! 残り少ない夏休み チビッ子達を連れて行って すし詰めで勉強させようぜ まあ、そのチビッ子の人生にとって 何の利益にもならない可能性が高いけど(笑) なお すぐ横に 巨大なスクリーンがあって まるで走っているかのような映像を見ることが出来ます が・・・(滝汗) ずっと見てると 確実に酔うので 得た知識と一緒に 胃の中のモノもピー 危険ですので 十分に注意しましょうにほんブログ村
2024.08.28
コメント(2)
てっぱく2024編 そう言えば・・・(滝汗) 今年は令和6年 って! あのコロナのせいで 失われた2年と言うか、約3年間が無かった事にされてしまったような気がするので すっかり忘れるところでしたが ヤバイぞ? そう・・・ もう、令和生まれのチビッ子が小学生になるのか?(焦) 最近の子供は成長が早いから、一気に6歳にな じゃなくて! で・・・ 平成のオトーサン&オカーサンが令和生まれのチビッ子を連れて てっぱくに来る時代になってしまった と!! 右文字・・・ 読めないんじゃね? って! 「おちゃのみず」じゃなくて「おちなのみづ」なんだ(驚) ローマ字はZU(ず)の音表記なのに DU(づ)文字を使う あ! 外人さんは「DU」を「デュ」とか「ドゥ」って読んじゃうから? まあ、そんな事は置いといて! 昭和生まれで詩文ですら この鉄の棒で 何度もぶつかって痛い目を見てるから(泣) 平成とか令和の人達は・・・ たぶん、展示車の補強用に立ててるだけと そう思っているのかもしれない? で! クーラーの風 ココから出て来るんじゃね? と・・・(滝汗) 解っているのかな? ちょっと心配になって来た まだ扇風機なんて贅沢な装備 ゲタ電に付けるとは何事だ! と・・・ 脳筋の精神論者が国鉄を支配していた頃 走っているときだけ ココから外から取り入れた空気が入って来ると同時に 車内の空気を外に・・・ あとになって 送風用のダクトが取り付けられるまで 夏場とか ただの地獄と化していた車内 しかも! 床のワックスと 車内に壁に塗られたニスの匂いで 気持ち悪くなって吐きそうになる あの地獄の様相を 知らない世代の人達 乗車率250%とか400%とか普通だったらしい昭和30年代とか40年代(唖) つり革の数もすくなく 掴まる所さえなく・・・ って、捕まらなくても 足が宙に浮いた状態で、倒れる事も無かったとか言われる とんでもない時代 その時の金属疲労も有るんだろうな?(笑) つり革や網棚に触らないで! と・・・ 運が悪いとポロリしちゃう(滝汗) まあ、自分が生まれた頃にも 既に103系が配備され始めていて 横浜線や南武線、青梅線 大阪では片町線(現・学園都市線)に、内装の壁が難燃性樹脂製のモノに換えられた 73系が走ってただけなので そこまで苦しい思いはしてなかったけど この展示車両を見て 今の人達は 一体どういう風に思うのでしょう? で・・・ 令和生まれのチビッ子達に どう説明するのか? ちょっと興味が って言うか、自らが体験したことの無い物を 下手するとネットでググっただけ知識をコピペしているだけかもしれない状態で 伝え教えることが出来るのか? たぶん・・・ 学校でも この展示車両が現役だった頃に実際に乗った事のある先生方は 既に退職してしまってて・・・(遠い目) もう、ディーゼルの方になると 絶対に理解できない世界になっているのではないかと? と、色々と考えちゃう次回に続くにほんブログ村
2024.08.27
コメント(2)
ん? なんだっけ コレ 新しく追加された展示用車両ですが あまり見かけない姿 で・・・ 型式がEF55 ん?(焦) あれ(滝汗) こんな形だったっけ? って言うか、イマイチ思い出せないぞ? 大型機なのに 誘導輪が無い? って言うか、ステージも小さい なんだろう? この違和感は 魔改造の匂いがプンプンと漂って 誘導輪が1つしかないから 貨物用機? 旅客用だと、誘導輪が2つになります まだベアリングを使っていないから たぶん戦前の電気機関車なのは間違いない 車体のデザインが奇麗だから 昭和に入ったばかりの頃の製造のはず? ちなみに・・・ 館内は結構暗いので 実際に自分の目で見えるのは これくらいの明るさの中で 現物を見ている状態 って! 画像を撮るの 結構大変なんですよね F2.8と比較的明るめのレンズを持って来て 手持ち夜景モードとか使って撮って やっと、このレベル とは言え、3枚撮って デジカメ内のCPUで合成するから 手ブレを襲えるのが 結構大変で(泣) って話は置いといて! ん? (焦) なんか・・・ 前側の形状 ヘンじゃね? って、ここでやっと思い出した!!(焦) 10年くらい前に 追加で展示されるようになってたんだ コレ って言うか、昭和初期の電気機関車で 21世紀に入ってまで現役で(主にイベント列車として)走ってた このEF55 まだ戦争の足音が近づいてくる前 特急用として流線形車体が流行っていた頃 スピードアップのため 色々とテストを兼ねて造ったらしい? まあ・・・ 当時だから、スパコンも無いし 3次元解析も出来ないし 3D CADも無いし デザイン重視で、板金職人さんが叩き出して って! 空気抵抗を減らすため リベットまで廃止して って・・・ 当時としては革新的な技術だったらしい そう まだ溶接技術も未熟だった時代に この形状を造るのは かなり大変だったらしい? のですが・・・ あんまし効果がかなった 10%弱は空気抵抗が減ったけど スピードアップには繋がらなかった って! 一番の原因は ベアリング・・・(滝汗) まだ、この当時 日本はベアリングを造ることが出来ません なんと・・・ 軸箱の中に真鍮製の板を敷いて 焼き入れをした主軸を置いて グリスをたっぷり入れて・・・ そりゃあ、摩擦抵抗が大きすぎて スピードなんて出る訳が無く・・・ たぶん? 戦後の技術で造れは 結果は大きく変わっていたかもしれないけど この当時の技術力では・・・(焦) って言うか、蒸気機関車ですら 戦後になってベアリングを使うようになって あっという間に時速120キロまで出せるようになってたりしますから それまでは時速100キロの壁を超えるのが困難だったというのに・・・(泣) 色々と所説を唱えている方々が居らっしゃいますが 自分としては コレ・・・ 空気抵抗がどうとか言う以前の話だよ 間違いなく(滝汗) と! で・・・ 期待したスピードアップが出来なかっただけでなく フルカバーにしてしまったためにメンテナンスが大変で 更に! 電気機関車なのに、蒸気機関車のように 片方向にしか進むことを前提として造ってないから 終着駅で転車台を使って向きを変えないといけない とか・・・ お金を掛けて、不便な電気機関車を造ってしまった(泣崩) と・・・ 言う事で、たった3輌造ったところで 製造打ち切り で! どういう訳か? 戦時中に、鉄資源の供与のために解体されることを免れたため 3輌とも生き残る事になり 連結器が無いと不便だから と・・・ いう理由で 連結器を・・・ って! 最初期の形に復元するため、連結器を外して こんな所に置いてあったよ!(驚) 何かの特別展示の時とかに 使えるようにしているのか? で! バックできないのは、あまりに不便だし 戦後の車両不足の際に、やっぱし魔改造 簡易運転台とライトを付けました と・・・ うん? そりゃあ・・・ 知らないよ この形状 写真とか画像 見たこと無かったし で・・・ この顔で 上越線で各駅停車の運用に入った事もあるらしい!(驚) 残念ながら 2号機と3号機は解体処分されてしまい 残っているのは、この1輌のみ ちなみに・・・ 戦時中に機銃掃射にあり 弾痕が今でも残っているらしいのですが 見つけることが出来なかった!(悔) にほんブログ村
2024.08.26
コメント(2)
てっぱく2024編 人車鉄道の客車です 身体に画が描いてあるような人とか 明治から昭和初期の、ちょっと人間離れしていた人達が 手で押して走られていた鉄道用車両です ちなみに・・・ 上り坂は 乗っている人に手伝ってもらって押していたという(笑) そして下り坂では 右側のブレーキペダルを 脚力だけで踏み込んで スピードを抑制・・・ 運が悪いと、カーブで減速しきれずに車体ごとポロリ 人夫さんは遠心力で飛ばされて、近くの田んぼとかにポロリ とか・・・(滝汗) どう見てもバランスの悪い この台車の上に乗ってる車体で どうやって安定した走りをしろと言うのか?(滝汗) 意外と 調べてみると 身近にも、大量に走ってたらしいぞ 何せ設備投資が安く済んだので 近所の大工さんに箱を造って貰って、それに車輪を付けて て・・・ そんな魑魅魍魎のような鉄道が大量に走っていた時代 鉄道院(現JR)では イギリスやドイツ そしてアメリカから買った客車を基本にして 国産の規格を造って 客車を製造しようとする動きが! って、結局は その辺の大工さんが造ってたものが多かったらしいんですけどね(笑) まだ専門のメーカーが成長していなかった時代ですし だから! 窓とシートのビッチなんて 全くあってねぇし!(笑) って言うか、面積の大きいガラスを製造する技術が無かった当時の日本 そして統一規格なんてモノも決まってなかった当時 仕方なかったのかもしれない? とりあえず、シートが木の板から クッション性の高いモケット生地になっているだけ マシ? ちなみに社内の電灯は 走行中しか点かなかったりするので 明り取りの窓が屋根に 俗に言う、ダブルルーフ車と呼ばれる車体が主流になって なお・・・ てっぱくで、ちょっと残念なのが そう 葡萄色2号の簡易鋼体客車の保存はしてあっても 鋼体化が完了した青15号の客車が保存されていないって事 そう 全然から さすがに木造の車体じゃヤヴァイんじゃね? って言うか、特急「富士」と言う看板列車が脱線した時 客車が木で出来ていたため 多数の犠牲者を出してしまい(弔) さすがに、事の重大さに気付いた鉄道省は 客車の鋼体化に着手するのですが 戦争が始まってしまい そんな余裕がなくなり 木のボディの上に ペラペラの鉄板をリベット止した簡易鋼体車輛を製造していく事になるんです まあ・・・ 突然のように鋼製客車を造っても 蒸気機関車のパワーが足りなくて牽引できなくなってしまったり 幹線以外の路線では 路盤が弱すぎて、重たい鉄製ボディの客車が走っただけで 線路が曲がって脱線してしまう危険性があって(焦) 一気に作業を推し進めることが出来勝ったと言うのもあるのですが 戦後になって 今度は・・・ その簡易鋼体車両の火災でお亡くなりになる痛ましい事件が発生!(涙) 急いで、鋼体化を進めていく事になるのですが この時に 鉄製ボディに変わった客車を 見た目で判断できるように 青15号で塗り分けるようにした まあ、自分が小学生だった昭和50年中盤くらいまでは まだ、鋼体化が完了した青15号の客車と 簡易鋼体の葡萄色2号の客車が 向日町の操車場に大量に置いて有って 山陰本線や福知山線、小浜線なんかは まだかなりの量の客車列車が、色々と混じりながら走っていたのですが そう 近代化(鋼体化)改修の歴史を知らしめるためにも 青15号の客車 何処からか入手してきて 保管展示して欲しかったな? ちなみに! 簡易鋼体化工事に伴い 塗装も難燃塗料に塗り替えていたりします そう・・・ 戦時設計で、塗料も戦地向けに優先的に持って行かれてしまっていて 普通の塗料で塗っていたせいで 空襲を受けた時に、ちょっとでも日の出が上がると・・・ 車体が骨だけになってしまうとか そのせいで、戦後の復興期に客車が足りず 人と物の輸送が出来なかったとか 色々とあった そう言う歴史的な背景も すこし掘り下げてくれると ココに来たチビッ子達は 素晴らしいスペックを持った同業者に育ってくれr ちなみに・・・ 相変わらず 窓とシートのピッチは(笑) コレが改善されていくのは 鋼体化が完了した頃からの話になるので やっぱし、その違いと歴史を学ぶためにも 展示内容を少し考えて欲しいような気が!(悔) あと、出れば・・・ 梅雨時や夏場は 車内で死にそうになる あのワックスの香りを再現して欲しかったな(匂) つづくにほんブログ村
2024.08.25
コメント(2)
この向きからだけ見ると ただの旧型客車にしか見えない の! ですが 実は、日本に2両しか残っていない貴重な存在だったりします でも、ここからは 館内の薄暗い照明の中で撮らないといけないから 結構大変なんですよね てっぱく しかも、いつの間にかLED照明に変わったので デジカメの設定をどうしていいのか いまいち解らなくて(泣) って話は置いといて! 1等車のマークがついています って、戦前から戦後にかけて 最上級クラスの車体です で・・・ 敗戦後に こんがり狐色にならずに済んだ車両のほとんどは 進駐軍に接収されました もちろん、米軍の将校が乗るために使用されました とりあえず! 自家発電式(走行すると、昔の自転車みたいに発電機が回って電気が)ですが クーラーも付いてます!(驚) 過去に事故があり 木造の車体が粉々になった事件があり いち早く、鋼体化されています その内装は カーテンが掛かっていて すべてを見ることが出来なくなっています が! なんと!!(焦) とある事あって 中を見せなくなっています 平成に入った頃には・・・ 車内の桃山式の内装を治せる職人さんが すべて他界してしまい(泣) もう、誰も直すことが出来なくなりました(困) 可能な限り 当時の写真を見ながら再現したけど 完全に元の姿に戻すことが出来なかったらしい(泣) って言うか、この車体 青梅の鉄道公園に保存されていたのですが 台風の時に崖下にダイブしてしまった過去があるらしく!! 貴重な保存機を みんなで涙目になって復元したらしい 俗に言われる 展望車 現在に観光列車は違って 運転中にデッキに出る事は無かったらしい? 単に・・・ 出発前に、デッキに出て 手を振るための(笑) そう言うための設備だった と・・・ 阪急の正雀工場にいる匠の人達なら ソレっぽく作っちゃうのでは?(笑) と言う冗談は置いといて でも、まさかね・・・ もう、国内に この展望車の内装を治せる職人さんが誰も存在しないって そっちの方が 自分にはショックだったな(焦) まさかのロストテクノジーになっていたとは! って言うか、そう言う時代になってしまった? これからますます、いろんなものの保存と言うのが 難しい時代になってくる そして、造り手が居なくて消えていく技術が増えていくと? 悲しい時代が、もうすぐそこまで来ていると・・・にほんブログ村
2024.08.24
コメント(2)
てっぱく2024編 なんか・・・ 新しく台車が展示されるようになった 何か凄いものなのかと? そう思って興味がわいたけど さて・・・(焦) 一体何の台車だったっけ? そう ぱっと見で思い出せない 形状的には、急行用とかの 優等列車に使われる電車のモノっぽいけど なんか違う ちょっとチャチだし それほど大きくもないし エアサスとか ダンパーまで付いているから そこそこ、お金が掛かっているのは分かるけど コイルばねが剥き出しだったり ところどころ溶接構造になってて なんか安っぽく見える って! アレ用のヤツか! 関西では、ごくわずかに まだ生き残ってる車体があるけど 関東では、だいぶ前に絶滅した アレか・・・ 国鉄が気合入れて 省エネ電車を造りました でも・・・ 省エネって何ソレ食べると美味しいの? 国鉄の開発の人達は・・・(焦) なんか、地下鉄で チョッパ制御方式とか言う、ブレーキ掛けると発電して電気を戻すシステムが流行ってるらしいぞ で・・・ 我が国鐵は、ソレが出来ないから乗り入れる時に電気代を払わされてるとか ただでさえ経営が厳しい時に 余計なお金を取られるのは(困) と・・・ そう考えたのかどうかは知りません! と言う事で!! 外注に丸投げしました!(笑) とにかく、省エネの電車を大量に発注するから安く造ってちょ!(願) と・・・ やった結果が 高コストで逆に電気を喰い 更に維持費は、製造メーカーがウハウハ状態になれる代物が爆誕!(笑) エアサス使ったのに 揺れが酷くて 特に横方向の揺れが!(泣) 乗り心地に関しては 旧式の103系より悪化したのではないかと思うくらいのひどさ(泣) なんというか? サスペンションが沈み切ってから やっと、突っ張りが効く? で! 跳ね上がって、伸びきった後に 遅れて・・・ どこかにTEMSって書いてあるんじゃね? と言う冗談は置いといて!(笑) そのうちに改良が重ねられて 良くはなって行ったけど 奥多摩で仕事してた時 青梅線(と、中央快速線)では絶賛で最前線で稼働中 半自動ドアも付いて無いから、極寒の冬場とか 駅度と待っている間に車内がキンキンに冷え切って 暖房のために大量に出来ん機を喰らいまくり・・ そんなアレ新型に置き換わった時 物凄く嬉しかった記憶が!! ちなみに 魔改造され 大阪環状線や大和路線(関西本線)に配備されていた物に関しては ちゃんと改良されていて 昔の嫌なイメージは無くなっていたんですよね で! そう言えば・・・ この電車の本体が、保存されたという話は聞いたことがありません! とりあえず、機関区内に保管されている車体はあるらしいけど 展示されている車体を見た記憶がない 生首(運転台)だけの保存と言うのも 聞いた記憶がないのですが・・・(自分が知らないだけなのかもしれない) で・・・ どーして、台車だけが ココに こうやってきれいに整備されて保存されたのか? 物凄く謎だ! って言うか、ココに電磁されている台車の事を 夏休み中にチビッ子連れで来たオトーサンオカーサン達が ちゃんと説明できるのか?(焦) いや・・・ あまりに製造コストがかかり過ぎて 当初の製造目標台数にすら届かない たった1000輌程度の生産台数だけど 旧式の103系よりも製造コストが1.5倍近くになり 破たん寸前の国鉄にトドメを刺した? みたいな ちょっとした黒歴史をもつ電車の台車 ちなみに、この台車・・・ 汎用性も低かったらしく 他車への転用もされず その後に造られた電車にも、全く使用されず 「こう言う風に造ったらお金が掛かります」と言う、悪い意味での見本市のような?(滝汗) 戒めのためだろうか? ココに展示されるようになったのは・・・にほんブログ村
2024.08.23
コメント(2)
時系列が いつもの如く また狂いだします?(笑) そう 時は3月 とりあえず、次の仕事は決まってたけど 締めの関係で、自宅警備員 じゃなくて、無職だった頃 次の職場まで2時間かけて通勤しないといけないので リアルタイムで、どういう風に通勤するか? そのテストを兼ねて あさ4時半に起きて 5時45分に家を出て 7時40分過ぎに職場に(途中の乗り継ぎ駅で何度か迷いました) うん、行ける! 間違いなく、この時間で間に合うはず? と・・・ 事前のテストを兼ねて職場まで行ったついでに そのまま帰っても 特に、何もやる事が無いし(困) あんまし、お金も無いし(この後、ゼーキンとか国民年金の一時払いとか、大量に支払う物があるので無駄遣いできないし) でも・・・ 途中駅で乗り換えて そんなに遠くないし そしてJRの運賃も大したこと無いし 入場料だって?(焦) し・か・も! 空いている平日に堂々と行けるなんてチャンス って・・・(滝汗) そう言えば、2009年に奥多摩から撤退して あんときも無職だったな(笑) 平日だから と・・・ 同じことをぃって ココに来なかったか? で! なんで平日にチビッ子が沢山来ているんだ? って言うか、学校行けよ!(怒) 親御さんたちも、さっさと学校連れてけよ! なんて事を思ったの なんか思い出しちゃった(遠い目) あれから15年かぁ~ 自分 どうして進歩という物が無いのだろう? とか思いつつ てっばくまで来ちゃいました しかも開館の20分前 いや! ちょっと待て!!(叫) どーいう事だ? 平日の 会館前 なんでチビッ子連れの人達が並んでる って言うか、何度も言うけど ガッコー行けよ! って言うか、行かせろよ! 色々と心の病で、学校行けないチビッ子なら それはソレで、ココでリフレッシュするのは大いに許すけど なんて思ってたら・・・(焦) その辺に居るチビッ子と 親御さん・・・ 日本語をしゃべってないだと?(唖) 10中8~9 恐らくは、お隣の島の人だぞ あと、わずかに大陸の人もいるッポイけど いや・・・ 半島と大陸のチビッ子は お受験で家の中に監禁されているはずだから 日本まで連れてきてもらえるはずがない! と言う事は、相当・・・ 中央に近い人の子供 って言うか、お金で地位と職業の選択権を買えて 徴兵制とか逃れることが出来るご身分の家の出身者?(あくまで自分の偏見です) でも なんで? 日本の鉄道とか見に来る? って事は、島の人達か? なんて思いつつ 開館時間を待ってたり なお! 現在、てっぱくは 入場するのに、電子チケットがメインとなりました 事前にスマホで決済をして スマホの画面に表示されたQRコードを見せれば、すぐに入れてくれるという なので! 入場待ちした挙句に またチケット売り場で並ばされるとか そう言う面倒な事が無くなって 本当に楽になりました!(嬉) とりあえず、スマホが使えない人たちのために 物理チケット売り場もありますが 券売機の数が少なく って言うか、長時間並ばれせて 「解らせ」 じゃなくて! 次からは、すぐに入場できる電子チケットを使おう と! そう仕向けるように・・・ って、冗談は置いといて おかげで! 空いているうちに、さっさと入れる この至福!(喜) いいよね、こう言うの! で・・・ なんか15年前と だいぶ、展示内容が変わってるっぽいけど て!(涙) 思い起こせば 43年ぶりだよ お召し機の61号機を こうやって、すぐ目の前で見るの! 昔は 向日町の機関区に、同じくお召し機の60号機と一緒に留置されていて 運がいいと、京都駅のホームに停まっているところを見れたのに もう、それも・・・ ずっと昔のことになってしまって(泣崩) まあ、こうやって 実機が保存されて残っているだけどもヨシとするべきなのかもしれない? しかも、この61号機 じつは!(驚) 去年の5月まで車籍が残っていたという・・・(唖) ただし コレはコレで格好いいけど ピカピカに磨いちゃうとね なんか・・・ 実物と違ってしまっているようで ちょっと悲しいな? なお、このEF58と言う電気機関車 非常に人気が高かった 昭和の人達にとっては! とは言え・・・ 実は失敗作(滝汗) 戦後、旅客輸送が増えすぎて 機関車が足りなくなった ちなみに蒸気機関車はGHQから新規製造を禁止されていたので 電気機関車とディーゼル機関車を いち早く大量増備する必要があり・・・ 戦前最強のEF57と言う電気機関車の設計をベースに・・・ したのは良いのですが 敗戦国の悲しい性? 何しろ物資が足りない ので・・・ 同じく戦前に造られた貨物用の電気機関車EF15と言うタイプの台車と台枠に・・・ 戦時中に「とりあえず、走ればいい」 って言うか、戦争が終わるまで(3年くらい)持てば良い と言うコストダウンしまくりのEF13と言う電気機関車の余剰部品を乗せて って、まともな電気機関車が出来る訳もなく 実際に完成させて走らせてみたら そのあまりの酷さに 運転手さん達が乗車拒否してしまったという って言うか、車体も・・・ 手で押しただけで曲がってしまうという ドンだけ粗悪品をブッ込んだんだ? というレベルだったらしい? もちろん故障も多くて 使い物にならなかったらしい(困) ただし! 敗戦後 国策として、NSKとNTNに国産ベアリングを製造を命じて 日本で初めて ベアリングで車軸の回る電気機関車として登場させた あ! そうそう・・・ 戦争するのに国内でベアリングを製造が出来なかった日本は ドイツからSKFのベアリングを輸入していたけど、それだけでは数が足りなくて そして事もあろうに(困) アメリカのティムケンのベアリングを購入していたと・・・(滝汗) で! 在庫分のベアリングだけで戦争に勝とうと・・・(唖) 結局、ティムケンのベアリングが入手できなくなって 潜水艦でSKFのベアリングを・・・(たぶん、インド洋やフィリピン近海で撃沈されて大量に沈んでる) そんな中! 朝鮮戦争が始まると 更に輸送力不足が問題になり・・・ GHQからも、電気機関車の増備が求められるようになり・・・ 急いで改良を重ねて 現行の車体に乗せ換えた後 暖房用の蒸気発生装置を搭載したり ブレーキの強化 電気回路を新しいモノに交換してと色々と 特急運用から、貨物の牽引まで使える万能機に変わっていくのですが 基本的に 戦前設計の足回りをベースにしているだけあって 小回りが利かない(泣) メンテナンスが大変! 元々、蒸気機関車と同じメタル軸受けにグリスを刺してと言う使い方を前提としていたから ベアリングに注油するのも困難!(泣) と・・・ 国鉄の中の人達は結構大変だったらしい?(涙) あと、運転席の通気性の悪さ 更に前に絞った車体形状のせいで 後ろが見えない!(隠) とか・・・ 色々と問題を抱えていたらしい とは言え オトーサンたちに語らせると 早口になっちゃう(笑) そういう電気機関車 新しく、ココで展示されることになったらしい? ただ残念なのは 壁に近す過ぎて 超広角レンズを持って行ったにもかかわらず 画像が撮りづらいと言う事か?(泣) でも、まあ・・・ 展示会場で 外の光が入って 明るいのは、この付近だけなので・・・ 大変なんだよ!(困) ココから先 思っていた以上に画像を撮るのに苦戦して 東京モーターサイクルショー依頼 また、アレをやらかすことになるとは この時点では全く予想すらしてなかった と・・・にほんブログ村
2024.08.22
コメント(2)
二瀬ダム2024夏編・ファイナル! さすがに今回は(7月)は・・・ 暑すぎて そう! 天気予報に騙されて(泣) とりあえず、薄曇りしてたけど 基本的に暑かった で・・・ 体力的に いや! 汗が止まらなくて 画像は460枚程度で勘弁しておいてやる でも、普通に全ての画像を使おうとしたら たぶん、1週間じゃ処理しきれない(笑) まるまる1週間、同じような画像が続くような事になってしまうので とりあえず、端折る事にしておいて!! さっさと提体の所まで来ました って、本来なら このあと 三峰神社まで上がろうかと思ってたのですが そろそろ体力の限界 そして何より 帰りしな エンジンにかかる負担を考えると ココまでにしておこう そう 暑すぎてエンジンが不調を訴えたことが 過去に何度かあるので って言うか、nine-T PUREとか ゴールデンウイークなのに暑すぎて そこで、ライディングトレーニングに参加してたら エンジン冷えなくて、ついに(泣) そのまま3か月入院 で・・・ 車検になってしまい そう 確かに車検の諸費用を払いに行ったはずなのに 店長の罠にはまり ついうっかり、他のバイクに跨ってしまったために(泣崩) なんて事も有ったし(滝汗) 速度3号なんて、冷却ファンが回りっぱなしになって ついに焼き付いて(唖) そのままオーバーヒートしたし エフハチは、冷却水ブチ撒いたし バジン号も、冷却ファン回し過ぎてバッテリー上がったし F800Rは、明らかに3500回転でヤバい音が出たし! そう 暑すぎる時は 乗らないようにしてるんですよ!(困) って言うか、ここ数年 夏場はね 本当に・・・ 乗っている自分よりも、バイクのエンジンの方が心配で って言うか、冷却できないのが問題あり過ぎて! いや・・・ 単に自分が ハズレを引きまくっていると?(笑) こういう時も、ヘンな運だけは異常に高いと!(滝汗) まあ・・・ 外車に手を出すからには こう言うのは当たり前 イタ車よりはマシ(笑) って、割り切って そう言うバグを楽しまないといけない それができない人は 絶対に手を出しちゃダメ って話も置いといて! ん? アレ・・・ なんか、ヘンな工事が始まってる? さて 今度は、一体何の工事をしているのでしょう? 遊歩道の柵が 一部壊れたりしたのか? それとも、また塗り直すのか? 前回の塗装から10年経ってますからね とは言え この手の柵の塗装とか たった10年で塗り直すことは無いはずなので 地質調査? ん??(滝汗) ま、まさかね? なんか、また ひび割れでも見つかったのか? それとも定期的にボーリング調査しているだけなのか? そう この斜面のせいで 二瀬ダムは 当初の設計案が 2度もダメ出しを喰らい 普通の重力式コンクリートダムとして 提体を真っすぐに造る予定だったのが 日本でも例の少ない 重力式アーチダムになりました とにかく! この斜面が崩れまくるため 何度、落石を除去しても 無限地獄の如く 新しい落石と、土砂崩落が続き また谷が埋まっていく 固定式ケーブルクレーンタワーまでもが 地滑りで傾いてしまったりとか! で・・・ 仕方ないから、斜面の上に乗っている土砂を削りまくって その上 駒ヶ滝トンネルの基礎となった作業用トンネルに斜面の水を流して 地滑り対策して 更に横坑を掘りまくって水抜きをして トドメに大量の杭を打ちまくって 地滑りが停まるまで3年近く 工事が遅れてしまったという(泣) で! やっと完成して、水を貯め始めたら 側溝で崩れました って言うか、崖の上の集落に避難指示が出て 東京電力の宿舎が傾き(滝汗) 最後はお金の力で住民を説得して 一部の商店には、観光客向けに一番おいしい場所を提供してあげたりとか 保証を積み重ね バブルん時になっても 大滝村のテニスコートとか 保証の対象として まあ、色々と ココの斜面に泣かされています で! まさかね? 竣工から60年過ぎて・・・ う~ん・・・ 通行止にしているわけでは無いから ひび割れが見つかったとか そう言うわけでは無さそうだな? たぶん ボーリング調査をして 深い所まで穴を掘って 地下の様子がどうなっているのか? それを調べているだけ ですよね?(尋) いや・・・ それよりも 一応、公共工事だから コーンを置いて 区分を消しているけど こうやって置きっパにしていると アルミ製の脚立とか 盗難に遭いそうで怖いんですけど(焦) 大丈夫なのか? 監督さん!! とりあえず どんな工事をしているのか ちょっと興味があるから 見に行ってみよう って… 普通に穴を掘って 地下のサンプルを回収する地質調査っぽいな? なお・・・ この炎天下の中 周りをビニールシートで覆ってしまっているので 作業員さんが熱中症にならないよう 扇風機が設置されてて・・・ って! 普通に大変そうだな? 今年は!! って言うか、派遣されている作業員さんからすれば なんで、こんな暑い時期に!!(泣崩) みたない所があるかもしれない? せめて、もう少し涼しい時期になってからにしてほしい と! そう思っているかもしれない(厳寒期は寒すぎるから勘弁してほしいし) なお・・・ そんなに深くは掘らないんだな? で! サンプルを回収するのは たった3m程度 とは言え、恐らく その深度に断層が有ったり 地質が変わっているのかと? で! 万が一 地滑りの傾向が見つかったら!(滝汗) って言うか、作業時に何かあった時も含めて・・・ 緊急連絡先が・・・ 近くに全くない! と!!(困) いや、ちょっと待て! 緊急連絡先に二瀬ダムの管理事務所が入ってイなってどういう事? 工事の発注者じゃないの?(焦) とにかく 作業員さんの健康と身の安全も含めて 無事に終わってくれることを祈るばかりです いや・・・(滝汗) 奥にあるポリタンク まさかね? ボーリングマシン用のガソリンが入っているとか言わないよね きっと、水ですよね? 穴を掘る時に 抵抗を減らす潤滑のために流すための 一応・・・ 外にもバケツとタンクを用意してるしね・・・(焦) 何にせよ! 未だに、地滑りは完全に収束しているわけでは無いのか?(焦) そう言えば、この斜面にアンカー打ちしたのも 結構最近の話ですしね そして、今後も まだ、地滑り他の闘いは続いていくのか?! 見た目以上に ダムを維持するのも大変なんだな と・・・ そう感じてしまうのですが でも、廃止されるのは ちょっと色々と困るから ネタの元になる物ががなくなのは困rにほんブログ村
2024.08.21
コメント(2)
さすがに夏場なので 周りの木の葉が茂っていて ケーブルクレーンの路盤跡なんかは 全くと言って良いほど 見ることが出来ません!(隠) それにしても・・・ どうして、この導水管だけは ずっと付けたままなのでしょう? 何かの調査をしているような気配はないのですが そして! 吊り橋の主塔が建っていた橋台跡も この時期は薮の中 殆ど見えないだけでなく たぶん・・・ 上から近づけなくなっているはず まあ、そのおかげで? いつもよりは画像を撮っている枚数が少なかったりするのですが どうしてだろう? 身体が勝手に・・・(滝汗) もうお腹いっぱい撮っているような気がするし それに、過去にも同じような画像を板寮に取っているのに 反射的に撮っちゃってる(困) で・・・ 帰ってから画像のチェックとか整理が!(泣) あ! 誰が悪戯で コーンと長い棒状のような物をジャンプ台に投げ入れた跡がある(怒) って、前から落ちてたのですが ただ単に 自分がすっかり忘れていただけともいう(笑) まあ、こういう時 確認のために 比較できる資料として撮っておくんだ 毎回! と・・・ そう自分に言い聞かせておくことにしよう? そう言えば この「お立ち台」 じゃなくて、放水時の 観察用のステージ そして点検用の梯子 だいぶ老朽化が進んできているようですが ココ なんかもう・・・ 普通に 上に乗るのすら怖くて そのまま放置しているようにすら見える(焦) なお ちょうど、あの場所から いま自分が立っている場所を見上げてみると こんな感じ(2013年の「みてんべぇツアー」の時のモノ) くっ! 今年のツアーは 気が付いたら、定員になってたから!(血涙) まあ、さすがに この時から11年 もう、この点検用ステージに立たせてくれなくなっているかもしれない? って言うか、その年によって 見学コースが少しずつ変わるから 全くないとは言えないけど さすがにね あの姿を見とる ちょっと・・・ あの上には立ちたくないような?(怯) でも、ハウエルバンガーバルブから放水しているときに ココに立てたら(悶) まあ、ずぶ濡れになるのを覚悟したうえで と・・・ 言う事になるのでしょうけど? ちなみに放水中は 提体内部に激しい負圧が生じるそうです って言うか、ぶっ放している水に 提体内部の空気が引っ張られて そのままだと、真空状態になってしまうので こうやって通気口が! ココから空気を取り入れていないと かなり悲惨な事になるらしい! ココから空気を取り入れていても 放水中のツアーに当たった人達は けっこう凄い事になるらしく(滴) くっ! 一度で良いから 放水中のツアー 行きたいのですが こればかりは運なので それよりも! 7月に入ったら、毎日のように二瀬ダム公式HPをチェックしてないといけないのに それを怠った自分が一番悪い!(悔) まあ、その話は置いといて 本当に懲りねぇな じゃなくて飽きないな 自分 もう・・・ 過去の画像をチェックするのが嫌になるほど 同じような画像を撮っているのに なんでまた・・・ 決して定点変化の確認をしている訳ではありません そう・・・ ホントに 身体が勝手に 特に放水しているときは テンションが上がって なんか知らないけど 撮りまくってる 栃本発電所の更新工事で ここ数年は、出す量を放水も絞ってたり 別ルートで出してたりとか 本気モードを見れてなかったから とまんねぇ!(困) 色んな意味で! で・・・ 帰ってから地獄を(泣崩) そろそろ、誰か止めて!? つづくにほんブログ村
2024.08.20
コメント(2)
二瀬ダム2024夏編 そういえば・・・ 減勢工の先端に溜まっている水って 何処から来た物なのでしょう? 単に雨が溜まったもなのか? それとも、一時的に越水された水が ココに残ったのか? 越水した水だったとしたら・・・ まあ、これだけ毎日の様に暑いので 水温が上がって(溶) 仮に魚とか、水中の生物が流されて来たとしてら 既に他界してしまったてるかもしれない?(泣) でも・・・ もしかしたら 何か魚影とか見えるかもしれない? って・・・ 居そうにないな?(悔) って言うか、水圧で押し流されて下流に流されているはず? 仮に ココに残っちゃう魚がいたのしたら? 本当に運が悪すぎるとしか・・・(滝汗) まあ、仮に残ったとしても 鳥の餌食になって 美味しく頂きました って事になっているかもしれない? 帰ってから 画像を拡大してみたりしたけど 生命体っぽい物は 写ってませんでした って・・・ 合角ダムじゃあるまいし ポロリしちゃったブラックバスが みたない事は まず無いはず? ほんの20年くらい前は 普通にダム下に入れたらしいのですが 現在は って言うか、自分が二瀬ダム付近でハアハアし始めた頃には 既に封鎖されていて 間近で見ることが出来なくなってしまってたのが 本当に残念で仕方ないです! 今年も「みてんべぇツアー」が開催されますが ダム下に入るの事は出来ないらしく・・・(悔) まあ、それ以前に 予約しようと思ってたのに ちょっとしたタイミングのずれで 既に満員になってて!!(泣崩) 全ては 罠張り意識の強い東京発電(東京電力の子会社)が悪い! そう・・・ 日曜日に、わざわざ こんな山奥まで社員を出したくない? って言うか、休日出勤手当を出したくないから 立会いの人員を送ってくれないとか いや、ほら・・・ みてんべぇツアーの参加料、150円(収入になるといけないので、協賛金と言う形になってる) だけど・・・ マス釣りなんとイベントは不要だから 参加料金1500円にしてでも、東京発電の社員 無理矢理出勤させて ダム下に入れるようにしようよ!(願) まあ、国土交通省(ダム管理)と 経産省(電力会社)で タテワリギョーセーとかやってるから(困) 連携が悪いのかもしれないけど? でも 少なくとも、浦山ダムは イベントの時 ダム下の発電所内に入るために、東京発電の社員を呼び出してるし(ただし、発電所内の管理棟の中に、ダムの管理事務所の人が入れなかったりしますが) 思わず! 何とかしてよ!!(願) と・・・ 管理事務所の方を眺めて まあ、東日本大震災の時 エレベーターが動かなくなって ダムの提体内に閉じ込められてしまった職員さんを脱出されるのに 東京発電さんに電話して ダムシテを通ってもOKって 許可が下りるまで、数時間を要したような事を言ってるので(滝汗) って言うか、職員さんの生命の危機が掛かっているのに 許可を出すのに、そんなに時間が まあ、あの時は 電話が通じなかったりとか 福島原発がアレになってて、東京電力がパニクってて それどころじゃなかったのもあるのかもしれませんが?(困) って、話は置いといて そういえば、いまだに これが何の遺構なのか? 実は解っていません 仮排水口なのではないか? と・・・ 勝手に思ってるだけですが 仮に これが減勢工の完成した後に造られた設備だとしたら 想定外の土砂崩落で破壊されたとか 緊急放水の時に壊れてしまったとか そう言う可能性も有りますが 通常の放水量に関しては けっこうシッカリと計算されていて 下流域に被害が出ないよう そして、減勢工が処理しきれなくて 溢れることが無いよう 入口から入った分が 全部 キッチリ流れるように・・・ 計算・・・ じゃなくて! 全長20mくらいの模型を作って 何度も水を流して 角度とか穴の大きさを! って、昭和30年代初頭に そんな3次元解析ができるようなスーパーコンピューターとか存在しないし 職人さんが手作業で コンクリートの表面に似た って言うか、現物に近い摩擦抵抗の模型を作って ソコに毎日のように水を流して ん? ここ、もうちょっと角度付けた方がええんとちゃう? あ、ココここ! もう少しく穴を大きくせんと詰まってまうから みたいな 本当にやったらしい!(唖) ただし! 減勢工の先に こんなに砂利をてんこ盛りにする事は 当時の開発者の方たちも 全く想定してなかったてしょうし あの壊れた遺構に関しても まあ、それよりも!(滝汗) すぐ脇に転がってる巨大な岩が・・・(怯) アレ あとから落ちて来たもの? ですよね? 盛っていた砂利が流されたおかげて 出てきたけど あんなのが落ちて来るとか そう言うのも想定はしてなかった って言うか、さすがに あの岩まで模型で再現してなかったはず・・・ つづくにほんブログ村
2024.08.19
コメント(2)
水量調整のための放水なので 特に水が濁っているとか そう言う訳ではありません まあ、そんな事より!(ハアハア) あれだけ積み上げていた砂利は 今・・・ まあ、既に半分くらいは流されてしまっていたりしますが こんだけ「てんこ盛り」してた砂利が どうなってしまったのか? やっぱし気になりますよね? と・・・ 言う事で 秩父湖大橋の上を進みながら って、まあ さすがに暑いからか? お出かけしている人の姿も少ないし とりあえず、三峰神社に行く人はソコソコ居るみたいですが この暑い時期に好き好んでココまで来る人って少ないしね?(涙) とりあえず、車の流れをそれほど心配する事もなく 進める? でも・・・ 危険だから良い子は絶対に真似しちゃダメだぞ って言うか、あんましマネされて 誰かが転落したり 秩父湖大橋の上を走ってる車と接触事故を起こしたりすると (歩行者通行禁止の)規制が入ったり 金網が前面に張られたりとか 同業者にとって 非常に困ってしまう事態に陥る可能性があるので あと余談ですが・・・ この白線の内側を歩きながら ハアハアして、下の様子を撮ってる同業者の方って まだ1度も見た事が・・・(滝汗) さすがに、ライトアップの時は見かけたけど 日中に堂々としている人は 見た事が・・・ って! 右岸の岩壁にある穴・・・ 穴の周りに生えてる木 ずいぶん成長したよね? って! 中の人がまた引っ張りを入れる気だぞ いや! そんな事は無いぞ ちゃんと、さっさと話を進める気ですからね 今回は? そう 建造時に使われていた吊り橋の橋台跡とか この時期は周りの木に覆われてしまっていて 見ることが出来ないから 引っ張り要素が少なくて悔しい って、色々と見えてたら引っ張る気満々だったとか そ・・・・ そそそ、そんな事は無いぞ!(泳ぐ目) って! 思ってたより残ってた 積み上げていた砂利 これだけの量の放水をやっているから 殆ど流されてしまっているのではないかと そう思っていたのですが でも 2年前の画像と比べると やっぱし全然違うな! って言うか、コレ・・・ 一度、わざと減勢工を越水させて 周りの砂利を吹き飛ばしてるな? この感じだと で・・・ また微妙な所に乗っかったまま残ってたりするんですけど 砂利が! 現時点では・・・ 減勢工手前の穴に水を落として ソコに開いている導水管で なかなか良い勢いだな? って・・・ 見ていたら 暑さの事を少し忘れて? って言うか、気分が落ち着いて涼しくなってきたような気がする? 噴き出してくる汗の量は変わらないような気がするけど つづくにほんブログ村
2024.08.18
コメント(2)
二瀬ダム2024夏編 栃本発電所の更新工事が今年の春に終わりました ので! もう、下流の工事個所のことょ気にすることなく 久しぶりに? 本気出してブッ放せるようになった二瀬ダム 自分の汗と同じくらいの勢いで じゃなくて! ここまで気持ちよく放水しているのを見るのは 本当に久しぶりだな!(嬉) やっぱし・・・ ちょっと気を使って 控えめに出している時と迫力が違いますしね!! ハウエルバンガーバルブの方も ほぼ全開? 水の太さが違う!! 見ているだけで 涼しくなってきそうだぞ でも・・・ 普通に暑いし 曇りとか言う天気予報は 全く外れてて 直射日光が肌に痛いぞ!(刺) 勢いあまって オーバーフローしている姿も たぶん5年ぶりくらいじゃない? コロナのせいで 暫くの間 堪能しに来ることもできなかったしね! そして・・・ 減勢工にぶち当たるまで 端っこまでぶっ飛ばしている姿も 本当に久しぶりだな! 暑いのを我慢して ココまで来た甲斐があった と! そう思う事にしておこう 夏場の、この時期・・・ 長瀞のライン下りとか 観光客向けのイベントの目白押しなので 荒川の水位をある程度上げておかないといけない それと同時に 台風シーズンが来る前に 少しでも水位を下げておかないといけないという ダム側の事情 夏場の貯水率100%と言うのは 冬場の貯水率の70%程度の事(そのダムによって異なります) なんかね・・・ 今年は台風の発生する場所が いつもより東側にズレていて しかも! 5月の台風1号の時から 進むルートがヘン! って言うか、秋の台風みたいな感じで上がって来る 本来なら、またこの時期は 台湾とかフィリピンの方に行くはずなのに 本州直撃コース そして関東にとって一番ヤバいのが 相模湾から上陸されると 必ず大被害が発生する 2007年の台風9号の時も 2019年の台風15号の時もそうでしたが やはり相模湾から上がってきて(泣) 今年は・・・(滝汗) そのルートで2~3発くらい来そうな感じがしてて(怯) よくよく読むと 自分の文章と同じく タイトルと的を得てない解説がついている 案内板(笑) そう どうしてココにダムを造ったのか? それは戦後間もないころに日本を襲ったカスリーン台風の被害で やっと戦後復興をし始めていた東京や埼玉が甚大な水没被害に遭ったから(沈) その対策として建造されたのが 二瀬ダム もちろん、発電や飲料用の水の確保も主眼に置かれていますが その難工事に関しては以前に書いたので 今回は省略するとして そう ココで気になるのが 減勢工の先に積み上げていた 山のような砂利 栃本発電所の更新工事に伴い 川の流れを緩やかにするため そして万が一 工事中に二瀬ダムが緊急放水しなければならなくなった時 一時的だけど 工事個所に水が一気に押し寄せないように 川幅を狭めておく? たぶん、そんな所でしょう? そのために積み上げていた砂利がどうなってしまったのか? それを見たくて また今回も 牛歩戦術?(笑) で・・・ 秩父湖大橋の上を少しずつ進んでいきます って、またこれから数日 同じような画像ばかりが来るのか?(困)にほんブログ村
2024.08.17
コメント(2)
そう言えば今年は・・・ 暖冬だったせいで 降雪量が少なくて 上越地区の水に頼り切ってる・・・ 特に都心部に関しては 夏場に水不足になるんじゃないか? と! そして、また あの都庁に居る煽りオバチャンが大騒ぎするのではないかと 思っていたのですが 春先に大量に雨が降ったのもあり そして、熱いけど ゲリラ豪雨が何度も襲ってきて(困) 水不足って言葉は 何処に行ってしまったのでしょう? みたない雰囲気になりつつあります まあ・・・ 降り過ぎて災害になってしまっている地域も有るので そこにお住まいになられている方にとっては また別の話になるのですが そんな中! 秩父方面の荒川水系に関しては お盆休みの時期で なんと! 二瀬ダム、浦山ダム、滝沢ダムとも 100%に近い貯水率がある(驚) と・・・(利根川水系の事は知りませんが) まあ、そんな中 「南海トラフ地震が起きちゃうかもしれない」 1700分の1の確率が、1700分の1.04くらいになりました! みたいな確率だそうですが 起こらないとは言えない で! 予想していた通り テレビと言う洗脳マシーンに脳を焼かれたご年配の方たちが 水とお米とトイレットペーパーを買い漁るという(困) またかよ? また店頭からなくなったよ(笑) 近くのスーパーとドラッグストアの棚が空になったよ(笑) 転売ヤーを助けるような真似しないでよ! って言うか、地震が発生する可能性が高い地域が何処か知ってるの? 注意が出てない地域の人までが お盆休みに、開店前のスーパーで気が狂ったようにお米と水を買おうとして行列を作って いや! それ以前に! お孫さんの夏休み出された社会科の宿題で 日本の地図を覚え直して来ようヨ!(願) 現時点で、元から品薄だったお米だけはダメだけど その他は、一部の商品を除いて普通に入荷し始めてるけど・・・ 想定されてない地域の人まで大騒ぎしすぎだぞ! まあ、物流が停まって 暫くは色んなものが入手できなくなるかもしれないけど? 面白い事に 自販機のミネラルウォーターは値段が高いから売れ残ってるんですよね(笑) あと、麦茶とか スポドリも普通に売れ残ってる ウィル★ンソン炭酸とかも普通に安売りしているけど 残ってる・・・ って言うか、本当に テレビの洗脳・・・ アレ、どうにかしないといけないのでは って、関係ない話はココまでにしておいて そう言えば二瀬ダムに来るのも 本当に久しぶりだな? この日 久しぶりに気温が32℃程度しか上がらないという天気予報 しかも「曇り」と言ってたので この機を逃すと走りに行けなくなる って言うか、ココの所の殺人的な暑さ 人間よりも、バイクのエンジンに厳しすぎるから 35℃以上の予報が出たら 自分は乗らないようにしているんです で! やっと32℃までしか上がらない と・・・ 言ってたのに騙されました!(怒) 滝のように汗が噴き出してきます メッシュジャケット 今年も買う予算を捻出することが出来なかったので かなり厳しいんだよ ほんとに まあ、その話も置いといて ん? ちょっと待て イチローズモルト まあ・・・ たぶん? 秩父の人なら知ってるけど 全国区だと 「あのお方」のラベルが付いているサン★リーモルツと勘違いする人が出るかもしれない?(滝汗) 地元では結構有名なウイスキーです 不思議な事に、日本よりも海外での評判が高いらしい!(凄) お値段も、結構高いです! 気軽に手を出せる商品ではありません(困) ただ自分は ウイスキーは臭いから嫌いなので ハイボールですら、間違っても飲まないくらい ウイスキーは嫌いなので 飲んだことが無いのが、ちょっと残念です って、こんな山奥で売ってるのか!(驚) 以前は秩父ワイン(にちらも日本よりも本場欧州での評価が半端ない)もココで売ってたよね? 最近は看板見かけなくなったけど ココで売ってたよね! なお、ワインは 嫌いじゃないけど、栓を開けたらすぐに飲まないといけないので 飲みきれないから買わない と・・・ って話も置いといて! タバコ・・・ 今時、ガラスケースに実物を置いて 対面販売しているって 昭和が生き残ってる! 昔はね? って言うか、11年前までは 駒ヶ滝トンネルの信号待ちの間に ココでタバコとかお酒を買って みたない光景が広がっていたのですが もう、そういう光景は 今は見られなくなりました で・・・ 年間の売り上げ 一体どれくらいあるのでしょう? ドライブインは撤退しました 旅館の廃業しました 何故か設立されたパン屋も・・・(涙) そんな中 いまだに、頑張っている商店 たぶん、地元の人たちも殆ど利用していないのではないかと思うのですが 二瀬ダムの管理事務所に人達ですら・・・(焦) まあ、たまに 自販機くらいは使うかもしれないけど? そう言う自分も 自販機しか利用しませんが で! 空き缶は持って帰るようにしてます とりあえず、天気予報に騙されて あまり暑いから 自販機の飲み物を買って水分補給を済ませてから 今年は、水が多めの! そして、気持ちよくぶっ放してくれている 二瀬ダム2024夏編 明日からスタートです にほんブログ村
2024.08.16
コメント(2)
なんと! 1世代前の・・・(笑) レインロックスーツです たしかコレ 10年くらい前に発売になって 現行型(販売終了)に変わったのがコロナん時なので 最終生産ロットだとしても 5年くらい前の物 が! 倉庫の中に残ってた と!(焦) ちなみに10月になって 新型が入荷されると 2世代前のモノって扱いになる(笑) って言うか、現行型の評判は結構良いのに この形は 鳴かず飛ばずで あまり売れていた記憶もないし 意外と着ている人の姿も少なかったりする まあ・・・ 確かに軽くなって、生地が柔らかくなったというのは 物凄く良いのですが なんか色々と安っぽくなってんじゃね?(困) タグ一つにしても コストダウンしすぎな気がするんですけど って言うか・・・ それまでの、安心と信頼のベトナム製から 見た目は良いけど、それなりの出来あいのモノ って言う・・・ お隣の大陸製に変わりました(泣) って言うか、おかしいだろ 10年くらい前と言えば アパレル関連と言えば・・・ 人件費が上がって来て 値段の吹っ掛けも横行してきたので(困) 大陸に見切りをつけて ベトナムとかフィリピン製のものに切り替わっていった時代なんじゃね? なのに、どーして時代に逆行した?(謎) まあ、あの頃のドイツは お隣の大陸と仲が良かったから?(焦) 内部の防水シールも 薄くて なんか、その辺の国産メーカーが大陸で作らせているレインウエア並みにグレードダウンしたし(泣) これ・・・ たぶん3年持たないだろうな? なるべく、雨の日に乗る回数を減らさないとね(困) 絶対に13年間とか持たないよ コレ! せっかくの 唯一無二の「防雨性能」を謳っていたレインロックスーツ2だったのに モデルチェンジして 3にならずに番手が消えました と! 同時に・・・ 「防水性」に格落ちした理由が良く解る有な気がする(泣) 袖部分の作りとか見てても 間違ってもレインウエアを着用して 時速200キロ越えで走るような事をさせる気は微塵のかけらも無さそうだし? って言うか、それまでのレインロック2が異常すぎだというべきかもしれませんが?(笑) その上! 正面のファスナーも 今まではダブルになってて 防水性 って言うか、ココまでしなくても良いんじゃね? って言うくらい、保護性能が高かったのに 普通の防水ファスナー ってコレ 大体3年で(ひび割れしてきて)ダメになるヤツだし コストダウンがパネェ!(泣) 更に金具が剥き出しだから バイクのタンクに当たって傷を付けちゃうという・・・(困) まあ、コストダウンしてくれたおかげで? 首周りのスッキリして マジックテープでヘルメットのインナーを傷つけたり インカムを壊す危険性は減ったのは良いけど なんかね?(涙) あと! フードが取り外し式になったという点は ココだけは評価できる? けど・・・ 全体的に生地が薄くなり ちょっと小さくなった? で! 折りたたんでフードの中に入れるのが ちょっと・・・ 心もとないというか? 奇麗に入らない?(泣) これもコストダウンの弊害か? で・・・ あまり売れずに消えて行って 現行型が売り切れても、2世代前の在庫が残ってた と・・・ まあ、とりあえず 今年の白馬は これで行く 雨に降られること前提で、これで! たぶん 初めて使うから 防水性に関しては大丈夫だろう? あとは・・・ せめて3年 持ってくれるかな?にほんブログ村
2024.08.15
コメント(2)
なんと! 今年で13年間も使ってる BMW純正のレインロックスーツ2 唯一 防水ではなく 防雨を謳ったレインウエアなのですが! さすがにね 夜間走行用の反射塗料が剥げてしまったり 経年劣化が激しくなってきました が! 防水性に関しては まだまだ現役で 行ける? と、思って つい先日 雨の中を走ったのですが 内側の目張り って言うか、コーキングの部分が 全て? って言うか、殆ど ひび割れしたり 剥がれてしまってたりして 縫い目から水が入ってくるようになってしまいました!(泣) まあ・・・ 表側は 登山用のテントなんかに使うシーリング材を縫い目に塗れば まだ3年くらいは使えるかもしれない? 内装も防水テープを貼れば また行けるかもしれない? けど・・・ そう言った延命措置を施すと 今度はコンパクトに畳めなくなったり 無理矢理畳むと、防水テープが剥がれたりするので もう13年も使って 十分に元は取れたし そろそろ休ませてあげるか? 本当に長い事ありがとう!!(多謝) ちょっと硬くて ゴワゴワして ちょっぴり重たくて 使いづらい所もあったけど コレ・・・ 普通にサーキット走行とかでも使えるくらい 高速度域での耐久性まだ考慮されてて スンゴク良かったんですよね そして何より RSタイチさんとか、ゴールドウインさんとか、ラフアンドロードのレインウエアが 1シーズンで防水性がアウトになるのに対して その耐久性がパネェ! って・・・ 安心と信頼のベトナム製だったし コレ! 繊維産業に関しては、ベトナムとかフィリピン製はしっかりしてて良いよね! やっぱし大陸製のやつとは大違いだな? ポケットのファスナーの防水も しっかりとしてて 全く水が入って来ないし 腕のファスナー部分も ファスナーの金具がスッポリ入るように 袋状になってたり ドイツ国内でも、時速200キロ以上で巡行する事を前提に(唖) って言うか、日本の道路交通法の範囲内では オーバースペックすぎる堅牢さ まあ・・・(焦) レインウエアを着用して そんな速度領域で走る事を前提に造ってる何ソレ怖い!(滝汗) バタ付き防止に 調整用のゴムも 首と腰と裾の部分の3か所に入ってて すんごいスピードでぶっ飛ばすことを想定して造られているレインウエア(唖) ただ首周りに関しては 日本人の首の長さだと ちょっと・・・ って言うか、あまりに生地が頑丈過ぎて ヘルメットにインカムとか付けていると ケーブルの端子を破損してしまうという(笑) って言うか、13年前は インカムとか 普及してなかったから そんなモノを使用する事は考えなかっただけともいう? って言うか、自分も 2種類のドラレコ付きインカムを この襟首に壊されました って言うか、今時UBS-A端子とか 強度の無いものを差し込むタイプのモノだと この襟のせいで 一発でポキ って逝って(端子の位置にもよる) また 内蔵されているフードも 結構頑丈で!(凄) このおかげで 白馬でどれだけ助けられたことか? って言うか、今年も 白馬は雨が降る事て前提で出かけないといけないので コレが使えなくなると結構辛いんですよね あと余談ですが このフード部分 実は裏技があってね ウエアを丸めて フード内にスッポリと収納出来て 持ち運ぶときにマジで便利だったりするんですよ!!(惚) これ 本当に便利だったんですけどね まあ・・・ さすがに、もう防水性が無理っぽいので 新しいのを買う事にして お店の方に出かけてのですが ゴメンナサイ! モデルチェンジで2025年モデルに切り替わるから 現行型(2世代後の製品)在庫 残ってないんです 10月にならないと新しいのが入って来ない・・・(滝汗) と!(泣崩) そして次回・・・ まさかの在庫処分品が?にほんブログ村
2024.08.14
コメント(2)
鉱山道路2024編・ファイナル! 狩掛けトンネル手前部分とか 一部が既に立入禁止になっていて(困) そのまま大黒抗跡の方まで来てしまいました まあ、とりあえず 「ここから鉱山道路」の看板の画像だけ撮って帰ろう 大黒抗に関しては、去年 とりあえず画像を撮ったし と・・・ そんな時でした ドコドコっドコッ! 重低音が迫ってくる(焦) って言うか、間違いなく落石が迫ってる!! ど・・・(滝汗) どこからだ? とりあえず 身を低くして 頭はヘルメットをかぶっているから 直撃さえ喰らわなければ、何とかなる? はず?? そして次の瞬間! ごすっ! 15cmくらいの岩ですが 直撃を喰らえば確実に骨折!(痛) 頭に当たっていれば 運が悪ければ・・・(顔面蒼白) たった3m程度しか離れていない所に落ちてきた(怯) って言うか、これ1個だけ?(滝汗) まだ他に落ちてこないとは限らない!!(泣) ちょ、待っ!! ヤヴァ過ぎるよ コレ!!(泣) まるで狙ったかのようなタイミングで落ちて来たヨ 以前にも、道伸窪抗跡への入口の所で ギリギリの所を落石が通り過ぎていったことがあるけど 全てを通して「よい子は絶対に真似しちゃダメだぞ」 興味本位でココに来ると 最悪の場合 無事に帰れなくなりますからね って、そんな事を言ってる自分も 足元が崩れて、転んで(泣) 脚・・・(痛) とりあえず! このバス停跡(中津川の寮に住んでいた鉱員さんを乗せて来るバスが走っていたらしい) そして、第一警備と呼ばれる守衛所 雁掛トンネルが開通する前は・・・ 中津抗から運んできた鉱石をトラックに積むためのホッパーがあったらしい場所 ここに停めておくのは 止めておいた方が良いな? って、良く見渡せば 結構な量の落石が転がってるし 危険なので 少しだけ場所を移動します そして! やっぱし、この画像を撮って帰らないと ココに来たという実感が沸かないしね!! ああ、でも(焦) もう、この看板も あと少しで見納めになってしまうのかもしれない? やっぱし、撤去されてしまうのでしょうか? なお 大黒橋の先には6tダンプや軽トラのレンタカーか大量に置いて有って 恐らくは 大黒抗跡から解体が始まるのではないかと? そう思わせる光景が広がっています って言うか・・・ 既に・・・ 精製工場の窓ガラスが全て外されているッポイ? 間違いなく 解体を始めるため 危険なガラスを先に撤去してしまった って事なのでしょう? 母屋の解体が始まるのも そう遠くないはず? ただ・・・ 索道・大黒線の起点となっていた この木造のホッパー これも解体するのか? もしかしたら、そのまま放置してくれるかもしれない? って言うか、タイミングが良ければ 周りの建屋が無くなって この設備が良く見えるなんて事が有るかもしれない?(ハアハア) って、ちょっと期待しちゃってる自分がいたり 更に! 今までは全く見えなかった 右岸に渡るための仮設橋の姿も見えていたりする って、既に 一部の建屋は解体が始まっているのかもしれない で・・・ 視界が広がっているのかも? ただ悔しいのは 右岸に残っていた線路と バテロコやトロッコが 10年くらい前には 既に撤去されてしまっていると言う事(悔) 廃出用のベルトコンベアも たぶん・・・ 近いうちに撤去され 穴も埋められてしまう可能性が! まあ、そうしないと 廃坑道に入ろうとする人が出てきますからね(困) ただでさえ! 無許可で侵入して、内部の様子をアップしている人のHPも見た事が有りますし(唖) 坑道は使用してなくても、生成プラントが普通に稼働しているにも関らず って言うか、従業員さんが出社する前に 入っちゃってる人が居るので(驚) そう言った対策も大変なんだろうな?(涙) もう来年は この光景を見ることが出来ないのかもしれない? 単なる更地になっていて 入口にバリケードが設置された 殺風景に光景が広がっているのかもしれない?(涙) まあ、今年も台風が来て また当面の間 中津川で通行止になってて 工事が遅れるかもしれませんが? 余っていた石灰石を積み上げて 直接構内に降りれる道を造ってしまっている点からしても もう、長くは無いな ココ まあ、また秋に って言うか、9月に入って 八丁峠まで上がれるように道路が回復した頃に 再訪してみたい気もしますが まあ、それは スケジュールの調整が出来るかどうかにかかってる まあ、それよりも! 人の手から離れることによって 落石の危険性が高くなるから 今まで以上に危険な道路な変わり果てる可能性が高いんですよね(怖) そう 本当に 興味本位で見に来ることだけは絶対に止めましょう この鉱山道路は ただ、この先の展開が まだ気になるので たぶん自分は また怪我をしないよう 細心の注意を払いつつ・・・ 続ける気か? にほんブログ村
2024.08.13
コメント(4)
って言うか・・・ 朝通った時は 軽トラが1台置いてあったけど ただ置きっパになっているだけだと思っていた の・・・ ですが! なんか本坑で新しい設備を造ってる しかも! 作業員さんらしき姿も見えてる そう! 普通に仕事してる(焦) ゴールデンウィーク最終日とは言え 日曜じゃないから! 振替休日の月曜日だから 基本的に 採石場とか鉱山って 日曜日だけが休業日です 土曜日も稼働しているところが多いです 祝日・・・ 何ソレ食べると美味しいの? 三六協定・・・(滝汗) ちゃんと守ってるけど? 週休2日しなくちゃいけないという決まりは無いぞ 規定労働時間さえオーバーしなければ良いんだし? とりあえず! セメント工場や生コン屋さん そして港での石灰や砕石の船積みのは 週明けの朝3時頃から荷受けを始めるので 連休取っちゃうと、出荷が間に合わなくなるし(慌) ダンプの運転手さんも、日銭を稼ぐために土曜の日没ギリギリまで荷物を積みに来るし 週明け1番で荷を下ろして 朝8時とかに荷受けに来て、1回でも多く往復して稼がないと・・・ 高沸している燃料代と、アドブルーとか言う余計な液体の代金と 整備費用を払えなくなるから!(滝涙) みたいなところがあるので・・・(泣) まあ、仮に廃坑になっても 鉱山を経営する会社自体の営業時間に関しては変わらないんだろうな? って言うか、以前にも 5月6日の振り替え休日に稼働しているところを見た事が有るし って、まあ・・・ 職員さんが仕事をしているところに 遠巻きとは言え ウロウロしているのは 迷惑になるから 本坑付近は、とりあえずスルーする事にしました(悔) まだ、解体作業は開始していませんが 恐らく? 坑道を埋め戻すための準備とか あるいは水没させて、誰かが勝手に入らないようにするとか その他、採掘途中で地上に上げていない石灰石をどうするかとか? 坑道内のベルトコンベアや昇降機 そして線路をどうするかとか 色々と準備があるのかと思う 何しろ! 廃坑道の中に入りたがる人も結構いたりしますから アレ・・・ 本当に危険です! 絶対に止めましょう! そう・・・ 採掘中は、酸素を坑道内に供給しているので 普通に呼吸できますが ポンプが停まると、酸素が行き届かない場所が出てきます また・・・ 昔は硫黄の採掘もおこなっていた鉱山なので 硫化水素と言う危険な気体が出てこないとは言い切れません それに、二酸化炭素も濃度が高ければ 一瞬で連れて逝かれるぞ 苦しいとか思う前に三途の川を渡ってるから(怯) 建屋を壊すよりも 穴を埋める事の方が本当に大変なんですから 特に! 興味本位で入っちゃう人が出て来る可能性がある限り また・・・ 本坑近辺も 崩落の巣だったりします そう言った場所に勝手に人が入らないよう 色々と対策をしないといけない 更に! 坑道内から、色々と基準を超えた水とかが出ないよう 排水設備や・・・ ろ過装置の設置 シックナー(沈殿槽)に関しては まだ30年間、稼働させないといけないとか 後処理が大変なんです!! なのに! 興味本位で来ちゃったり ここぞとばかりにハアハアしに来る廃墟系とか そう言うのも対策しないといけない(忙) 郵便局跡の駐車場にも 勝手に車を置かれないよう トラロープを張ったりとか 鉱山の中の人達の気苦労を考えると さすがにね 仕事をしているときに、余計な気を使わせてしまうのは ちょっと・・・ と、思って まあ、いいや とりあえず今回は ココまでにして そろろそ撤収するか? 郵便局跡も 恐らくは、鉱山事務所と並んで 最後まで工事関係者の事務所として使うはずだから 解体されるのは、ずっと先になるはずだし(と、油断していると・・・) そして何より! 運動場跡に放置されている 廃設備は、まだ搬出される気配がない! たぶん、コレを一番最初に退かさないと 本坑の設備を解体した時に出る廃棄物を置く場所に困るはずだし って言うか、現在 屑鉄が 結構いい値段で取引されているから ココに放置されているモノは 絶対に捨てずに 売りに出して換金するはずだし(笑) 本坑内部で使用されている設備は 恐らくは、グループ会社の他の鉱山で再利用するために 可能な限り壊さずに持って行くはずだし(結構セコイんです、この親会社) ダンプ用の(トラックスケール)検貫機とか コレ・・・ ちゃんと稼働する物なら 転売すれば数百万から数千万円くらいになりますからね!(凄) って、前の会社の客先で 夜逃げする前に、工場内のトラックスケール売り払って 3,500万円ゲットして そのお金を基でに・・・(滝汗) って、実際にありましたし!(唖) ここのトラックスケールは、比較的最近になって更新していた記憶が有るので 絶対に売るはず? あるいは、別の工場か鉱山に持って逝って使うはず? って、あ!(驚) 今まで全く気が付かなかったけど 車が1台埋まってる たぶんY30系のヘドリックかゲロリア ドアミラーが付いているから 430系じゃなくてY30系だな? バブルの走りだった頃の車が! って言うか、この車を出したころから 小僧が買うようになって(特に地方の、農家の小僧が好んで乗るイメージが定着してしまって) 品格が落ちて行って 元からのユーザーが興ざめして離れていって クラウンにボロ負けするようになったんですよね(トヨタは、その手の小僧グルマとして格落ちのマーク2三兄弟を出してあしらってたし) 最後はヨンジュウ・ゴジュウ(万円引き)は当たり前! って、どこぞの家電量販店の値引みたいな乗りだけで売る車になり果てて・・・ って、話は置いといて! そして・・・ 2019年の台風以降に 大量に積まれたままになってる消石灰 これは 一体どうする気なのでしょう? まさかね・・・(滝汗) 坑道を埋め戻すのに いや? 元在った場所に戻すだけなんだけどね そして! 専属で、荷物輸送を行っていた運送会社の・・・ って、ちょっと待て!(叫) ガソリンと経由・・・ まだタンクの中に残っているのか? いや! 解体工事が始まったら 確かに? こんな山奥までトラックで廃材を引き取りに来る業者さんや 鉱山関係者の自動車用のガソリン そして・・・ ユンボや重機の燃料の事を考えると まだ貯蔵している可能性が?(焦) とりあえず30年を超えると、タンクを掘り出して検査しなければいけないという 消防法で定められた決まりもありますが たぶん・・・ 前回の検査から30年超えてなければ使ってもOKのはずだし! きっと・・・ ココは一番最後まで残っているかもしれない? で! タンクを抜き取って、その辺に積んである消石灰で埋める?(焦) 更に! 自販機! そう言えば・・・ 2022年の台風で、中津川三峰口操車場線が通行止めになって それから1年近く、誰も入って来れなかったはずなのですが・・・ って、うわ!(叫) まだ電気が通じてる! しかも・・・ 一部の商品が、また中に入っているッポイ?(ほとんどは売切れランプが付いてますが) ハアハア・・・・ こ、コレ・・・ まだ生きてるのかな? ちょ・・・ ちょっと気になって!(ハアハア) でも、お金を入れても出てこなかった怖いし(怯) と、とりあえず 仮に飲まれちゃっても精神的ダメージの少ない 10円玉を入れてみて・・・(ハアハア) は、入った! って言うか、動いてるよ コレ で・・・ 残り100円を入れて・・・(手に汗) 売り切れてない、缶コーヒーのボタンを ボ★ガ博士、お許しください(って言うか、まさかこのネタをやる夏アニメがあるとは思わなかったよ) ガコッ で! 出てきた!!(叫) だけど(怯) 2年近く、ディスペンサーサーヒースの人が補充に来てないって可能性がある事は・・・(滝汗) ま、まさかね 賞味期限・・・ まあ基本的に 缶の鉄分の味と言うか、苦みが増してるだけで 飲めるはずだから って言うか、南アルプスの山小屋とか 2年前の缶ビールとか 普通に売ってるし(笑) とは言え・・・ 怖えぇぇぇぇっ 本当に大丈夫なのか? コレ・・・ よ、よかったぁぁぁぁっ!(泣) 来年の2月までOKだった! とは言え ココで飲んでも空き缶を捨てていくわけにはいかないので 持って帰って、家で飲もう(と言いながら、まだ缶を開けていません) とは言え 残務処理に来ている職員さんの唯一のライフラインかもしれないから これ以上、買うのは止めておこう そして次回! 戦慄の事件が発生する?にほんブログ村
2024.08.12
コメント(2)
鉱山道路2024編 さて バイクを停めてある場所まで戻ります 小倉橋の所まで上がって行く手もありましたが ココまでに思っていた以上に時間を消費してしまっているので その辺りは次回以降にするとして ん? あれ・・・(焦) そう言えば ここの河原に 何故か大量の石灰石が山積みになっていたんでした 確か、コロナ前くらいから 積んであったと思うのですが どういう理由なのかは不明です 川が増水した時 流されてしまうのではないかと? ちょっと心配なのですが で・・・ また何で こんな場所に 器用に石灰石を山積みにしたのか? 河川改修工事をしようとして ユンボが入るための足場代わりに 平場でも造ろうとしたのか? それにしても ココで何をしようとしていたのか? 謎だ!? この付近に 何か建造物があったという資料は存在しないので それを埋めるために積んだ と・・・ そう言う訳でもなさそうなのですが まあ、この事は そのうちに理由が判るかもしれないので 今回は、りとあえずスルーしておくことにして? さっきの 厚生年金保険の社宅への 正規ルート?(笑) の所まで戻って来ました って! 道路標識が・・・(焦) 登り勾配注意って・・・ 確かにコレは! と言うのは冗談ですが? 何かの衝撃で標識の向きが変わってしまい まるで、この坂道がヤバい みたいな感じになってしまった?(焦) いや、それよりも! 上にあった、炊事場みたいな場所から排出された水を この坂道の石垣の途中から 塩ビ管とサクションホースを使って 直接道路に配水してるとか(唖) まあ以前(現役で使われていた時代)は 手前に速攻が掘ってあって そこに流していたのでしょうけど? そのサクションホースを跨がないと登れない急坂 確かに 登り勾配注意の標識は言い得て妙 で! 屋根を刺さうる柱が無くなっているとは この角度からだと全く解らないので ハアハアした廃墟系が この坂道を登って行って 建屋の中に入ったところで プチっ(もうトマト食べれないよ) って、ならない事を祈りたい 確かにルールを守らないのがいけないとはいえ さすがにね 事故が起きるのだけは(泣) たぶん・・・ 扉が開いているから 誘われて入っちゃうヤツ 絶対に居るよね(困) ちなみに・・・ 過去画像を漁ってみたら 2013年頃は、半分しか開いてませんでした(正確には扉を崖下に投げ捨てたクソ野郎が居る) って事は、それ以降に 誰かが不法侵入したって事なのかと?(困) で! それ以降も たぶん繰り返し、誰かが入ったり近寄ったりしているのでしょうけど 冗談抜きに ヤヴァイ状態だぞ 本当に、いつ倒壊してもおかしくないからね! 鉱山の人も、本坑関連の設備を解体が優先になるはずだから この手の社宅は後回しにするかもしれないけど だからと言って、入って良いわけでは無いし その結果 本当にプチっとなっても 全て自己責任になりますからね! さて 本坑の方に向かって、さらに下っていきます それと同時に 旧道跡の方をもう一度・・・ って!(叫) ちょっと待て さっきは下から登って来たから 角度的に見えなかったのもあって気付かなかったけど!! 小倉沢小中学校の校庭・・・ って言うか 理科棟の側壁 ちょっと待って! 土砂崩落を起こしてて あと少しで 建物ごとズルッと逝く 木造の校舎は解体してしまったという話を聞きますが 理科棟だけが残っている理由って・・・(怯) も、もしかして! 解体しようとすると 斜面ごと崖下に逝く危険性が高いから 下手に重機やユンボを接近させることが出来ない(落) って言うか、その重さで 理科棟と一緒に、崖下に逝ってしまう可能性が? って事なのか? ちなみなに、この理科棟 昭和34年以降の増築されたモノらしく その際に、土盛りをして 基礎を強化したらしいのですが その基礎部分の下にある 土が流出してしまってる!!(怖) コレ・・・ 次に台風とかが来て 地下数が増水した時とか かなりの確率で逝く 冗談抜きで・・・ 建屋ごと神流川にダイブする危険性が!! 工事をしているとき(基礎を固めているとき)の写真が公開されていたりしますが 基礎の杭打ちをしている気配が全くない! ので・・・ たぶん、建屋が コンクリを打った 地面の上に乗っているだけ その可能性が高そうなのですが・・・(昭和30年代の建築基準法なんて) 更に! 近くには防火水槽が埋めてある おそらく・・・ ココの強度はソコソコの物を誇っているはずだとしても(学校は2回も火災で燃えているので、防火水槽は屈強な物が設置されているはず) まあ、これから先の数年 不法侵入を試みようとする廃墟系やDQNは それぞれの建物で 頭上や足元を常に注意しないと 自らの生命の危険性が!(仏) 廃坑となった事によって おそらく・・・ 解体工事が完了するまでは 数名が常駐するかもしれないけど それはあくまで工事の監督役として来るだけであって 周辺の建物や地面の状況は管理できなくなる 仮に建物倒壊や地面の崩落で負傷しても 工事関係者の方に助けてもらえるかと? そう聞かれたら あくまで自分でレスキューを呼んで と言う可能性が高いはず? しかも不法侵入・・・ 工事関係者としては、関係者以外の人が立ち入らないようにに措置をして無かった と、監督署から指摘されるのを嫌うため ここは「作業範囲外ですから」と 言い切っちゃう可能性が高いですからね って、あ!(驚) まだ他に建物が残ってる って、コレが 伝説の? 警備会社が入ってたと言われる 用務員事務所跡なのか? で・・・ アホな不法侵入野郎が拘束され デジカメのデータ全て消された挙句、地元警察の人と一緒に大滝村役場近くの交番でカツ丼 何にせよ! これからは、更に人の手を離れていく事になるので 今まで以上に危険がイッパイ! 絶対に鉱山の敷地内や、使っていないから建物の中には入らないように しましょう! そして次回! ああ・・・ やっぱし 5月6日(振替休日)は 日曜じゃないから(悔) にほんブログ村
2024.08.11
コメント(4)
慰霊碑向かいの社宅跡です どういう訳でしょう? 左側の崖に生えていた木が 次々とダイブしてきている様子です(焦) って言うか、呼ばれちゃったのか? 慰霊碑に で・・・ ココに建ってた社宅を(潰) と言うのは冗談ですが この場所 建っている建物が、何度か変わっているようで 昭和30年代だと 慰霊にの前に直接降りる階段が有ったり 立派な門が建ってたり ですが この状態からすると たぶん? 2回くらいは建物が変わってる? って言うか、やっぱし(怯) 色々と怪現象が有ったり 夜中に呻き声や(サブイボ) 発光現象とか 夜中に、誰も居ないのに「とんとん」とドアを叩く音が毎晩 で(怯) ついに住んでいた人が正気を保てなくなって と言うのも冗談です まあ・・・ 間違ってもそういう現象が起きない事だけを願いたい!!(涙) 恐らく ココに建っていた社宅の 屋根裏に設置されていた碍子が・・・ 一つだけ取り残されて? なお・・・ 自分だったら 夜は電気を消したら絶対に耐えれないだろうな こんな場所に住んでいたら!(泣) 登山の時ですら、指定された幕営地で テントの中に寝ているときに 何度か夜中に・・・(凍) 顔を覆われて窒息しそうになったり 誰も歩いてないはずの真夜中の3時過ぎに、ヘッドランプも点けずに歩いて行足音を聞いたりとか 結構怖い目を見ているのに なんかヤバそうな慰霊碑が目の前に建っているとか 絶対に無理だな とりあえず? 電気が通っていると言う事の素晴らしさがせめてもの救いかもしれない って言うか、こんな山奥なのに 戦前から普通に電気が通っていたらしい この鉱山 戦争の足音が近づいてくると 軍の人が常駐して、鉄鉱石の採掘や搬出を急がせたらしい 更に! 地形図の改ざん(米軍に位置を知られないため)や 採掘中に出て来る有毒な物質をそのまま処理もせずに川に流したり 結構やりたい放題の事もやっていたらしい(困) まあ、戦後も 復員した元・軍関係者が幅を利かせていた時代もあるそうで まあ、そんな時代に 劣悪な環境と 食糧難の中 殉職されてしまった人の数も、相当数存在していたはずで(涙) で! その慰霊碑が ここの向かいに建ってて そんな場所に住んでて 正気を保てる自身は無いな 自分には!(泣) で! とりあえず「お約束」の冷蔵庫が ココにも捨ててあります(困) あと・・・ 自動車のシートも一つ シートはともかく(たぶん不法投棄したモノだろうし) 冷蔵庫は ココにあった社宅に住んでいた人のモノなのでしょうか? フロントのタンクと コンプレッサーは取り外されていますが 前にも書きましたが 結構、冷蔵庫が高価で 貴重だった時代に 捨てていったと言うのが理解できない所があって もしかすると ココに住んでいた人のモノではなく 道路側か見えない場所だから 他所から来た人が不法投棄していったモノなのかもしれません? その他にも 一体 何の基盤なのでしょう? なんとなく ブラウン管テレビ用のモノっぽい感じが って! って、やっぱしそうか!(泣) 昭和40年代初頭の3種の神器も 時代が進んでバブルの頃になると 今度は勝手に廃棄できない家電に変わっていきます で! 山の中に不法投棄する人が続出する時代になっていき(困) って、わざわざココまで捨てに来たのなら 慰霊碑の中の人達に呪われちまえ!(怖) という冗談も置いといて! ん? この区画 その他の場所と違って なんか建物の基礎の形が ちょっと違う? って言うか、掘り炬燵 付いて無いし あと大きめのコンクリートの基礎の上に 親柱を建てたような跡が有ったりとか 建物の構造自体も違っているような気がする? って、あ!(叫) 奥の方に おトイレの跡 発見! って言うか、こんな場所におトイレ? いや・・・(怯) やっぱし、穴の中から腕が「にゅっ」と出てきそうで いやだ こんな場所で用を足すの って言うか、お食事中の皆様 本当にゴメンナサイ!(平謝) 恐らく・・・ 中の物は全て撤去済み ですよね? って言うか、残ってたら怖い! で・・・ 外した便器が、並べてあるのですが 当時の日本人の体格が小さかったとしても この穴の中 外さずに上手く落とす自信が もう一回ゴメンナサイ! お食事中の皆様!! あと・・・ 導水管が通っているのですが もしかして、水洗 って、その話は もうやめよう! 掘り炬燵ではなく 恐らく 貯水用の瓶? それとも流し場? それらしき物も残ってる って、やっぱし 普通の社宅では あ゛!(驚) 昭和の・・・ 子供向けの学習机の残骸が落ちてる! って、チビッ子住んでたのか ココ!! さすがに学習机とか 重すぎてココまで不法投棄に来る人は居ないだろうし? で? 本当に 夜中・・・ 怖くなかっのたか? チビッ子達!(泣) その他にも どうして ココに生えている木は みんな慰霊碑の方向に向かって折れているのでしょう? 台風の影響とか 2014年の大雪の時の影響とかもあるかもしれませんが? あまりにも倒れている方向が揃いすぎてて怖い!(泣) まあ、木の成長し方が 積雪の多い地域の 雪の重みで曲がってしまってる育ち方に似ているけど ココの部分だけ と言うのも なんかヘンですよね?(焦) まあ・・・ あまり長居するのは良くないかもしれない? ので さっさと撤退しよう って! さっきの厚生年金保険で建てられた社宅の方に進むと ちゃんと木は真っすぐ育っていたりするので やっぱし! 何かヤヴァい物があるのではないかと? あと・・・ 何か画像に 眼に見えないものが写ってないか この文章を書くながら怯えて・・・ 今晩、眠れなくなったらどうしよう?(泣) あまり話題にされない区画 ですが って言うか、やっぱし? 慰霊碑が怖くて 近寄らない人が多いのかもしれない? でも配水用の側溝が掘ってあった跡とか 他にない色んな物が残ってる この付近 恐らく・・・ 2007年ころから、全く見えなくなってしまった構内案内図に 慰霊碑は描かれてないけど たぶん赤丸の位置に存在していたはずの 社宅 一体、どういう生活をしていたのか? 色んな意味で・・・ あ! でもなんか、(霊的な意味で)怖そうだから 深入りするのは止めておこう?にほんブログ村
2024.08.10
コメント(2)
鉱山道路2024編 ん? なんだコレは 今までに見たことの無い遺構 だし? 水槽・・・ 流し台跡? って言うか、炊事場? 恐らく 排水用のドレンが付いているので 水道のような物があって ココで炊事が出来るようになっていた? って言うか、厚生年金保険の社宅も 上級職員さんが住んでいたとはいえ 各家庭に水道は通っていなかったのかもしれない? で・・・ ココで共同の水場を利用していた可能性が? で! 井戸か? いや・・・ 上澄みだけを流すような塩ビ管が出ているので 簡易水道用の「ろ過装置」なのかもしれない? って言うか、上級職員様向けの社宅は 装備が違うな? やっぱし まあ、ちょっと外れにある 崖の上にあるだけに 水の便を考えたら これらのものが無いと不便すぎるので 必然的に装備されたものなのかもしれけませんが? まぁ、それよりも!!(焦) 下から見た時は それほどでもないように思えたけど この建物・・・ 結構ヤヴァイ状態だな 壁は悪戯で剥がされたという感じではなく 自然崩壊ッポイ? って言うか、壁板が周辺に散乱して残っていないってどういう事? よく考えたら この鉱山の社宅は 土壁や漆喰を全く使っていないんですよね 本当に木材で枠を造って 板張りしただけのモノしか存在しない 中津川は昭和40年代に入るまで林業だけで 余裕で場所なので 良いお客さんとして 鉱山が大量に木材を買ってくれて そして、鉱山側も木材に困る事は無かったのてじょぅけど? って言うか、自前で 坑道の補支柱に使うための材木を運搬するための林鉄まで敷設した言うくらいなので いくらでも木材が手に入ったとはいえ 難燃性と、断熱性とか そういう事は一切・・・(焦) って、ああ・・・ 完全に床が抜けちゃってる!(落) とは言え 木の状態は それほど悪く無さそうなので シロアリにやられたって訳では無さそう? たぶん 単に重力に負けたか? あるいは、床下に野生動物が住みつかないように 意図的に撤去したか? そんなところかもしれない? でも・・・(滝汗) ヤヴぁ過ぎるよ!(怯) コレ 屋根を支えている柱が既に逝ってしまっている って言うか、紛失してしまっていて コレ・・・ いつ屋根が崩れ落ちるか分からない状態になってる! たぶん・・・ ちょっと多めの雪が積もると 圧壊する可能性が高そうな気がする って言うか、怖すぎるので 近くに寄るのは絶対に止めておこう 下手に近づいて その時に倒壊されたら 自分・・・ 仮に巻き込まれなかったとしても 吹き飛ばされて来た残骸で負傷する可能性があるし そして何より この建物を倒壊させた犯人として 交番でカツ丼 その他にも 斜面の崩落で クシャッと逝ってしまった建物の残骸が散乱しているので ココは決して安全な場所ではない! そう いつ落石に襲われるか? 常に気を張っていないといけなさそうな場所だ(怖) まあ、何より 廃墟に入るような趣味は持っていないので ココで撤退する まあ次に来るときは この建物もきっと・・・ 形を成していない事だろう? と思うけど それにしても! 上から眺めてみると 思っていた以上に高い場所だな ココ! たぶん現役当時は ちょぅと、足元に 下の社宅の屋根が有ったので ソコまで高くは感じなかったのかもしれませんが 足元の建物が無くなって初めて気づく高低差? って言うか、高い所が大好物な自分は(「ナントカと煙は」って言いますし) ちょっとテンション高くなっちゃう って、話は置いといて! ちょっと寄り道しちゃったけど 慰霊向かいの社宅跡? に・・・ つづく! って・・・ 夏季休暇前で忙しくて 長文書く時間が無くて小刻みに引っ張る形になってます と! 引っ張りを正当化するための言い訳をして にほんブログ村
2024.08.09
コメント(2)
とりあえず 慰霊碑は無事なようなので 手を合わせてから まあ・・・ ちょっと怖かったのが 廃坑になってるのに 新しい板塔婆が増えてたらどうしよう(怯) と! かなりビビりながら(泣) あまり注視しないように・・・(逃) 何しろ コロナ前でも、数年に一度は 真新しい板塔婆が建てられていることが多くて とても厳しい労働環境で 平成末期まで殉職者が出続けていたと・・・ って言うか、労基にも何度も入られていたのかもしれない?(査) あと! 怖いから慰霊碑の画像は撮ってません! そう・・・ 見えないものが写ってたりすると嫌なので!!(泣) そんな慰霊碑の前にも・・・ 社宅が建てられたらしい? まだ道路が舗装される前 雁掛トンネルが開通される前の写真なんかを見ると 立派な門が付いた家が建っているぼっい姿が写っているので 供養のための葬儀場やお寺でも存在していたのか? でも、昭和38年頃の地図には 慰霊碑の前に何も描かれていないんですよ ソレが謎で って、あまりに怪奇現象が多すぎて 撤去(怯) でも、昭和40年代に入る頃に また何か新しい建物が出来たっぽいんです って言うか、そこに住んでいた人・・・ 一体どう気持ちで(怖) って言うか、夜中とか 絶対に窓の外を見たくなかったのではないかと? いや・・・ 夜中におトレイ行くのとか 「にゅっ」と 用を足している穴の中から手が出てきそうで もし、子供連れのご家族だったら そこに住んでいたチビッ子は・・・ 一生消えないレベルの? 心に傷を負うようなトラウマを植え付けられてしまっていないか? ちょっと心配 どうも、厚生年金融資の社宅が建てられたころ 合計で3棟が建てられたらしい? 階段の設置や 石垣なんかも結構立派なので やはり、ソコソコの地位がある人が住んでいたような気がする? 掘り炬燵の跡も残っている って、たぶん・・・ 3家族が入れるような社宅? そして掘り炬燵も 今まで見てきたような物より ちょっとだけ豪勢なような気がする? って言うか、一回り大きいような気がする? 残念なことに この他に 何も痕跡が残っていない せめれて基礎部分とか 石場置きの建物だったとしたら 基礎石くらい残っていてくれれば その建物の大きさが分かったのに(悔) とは言え やはり、昭和30年代から40年代の日本人体格をベースに建てられているッポイので 現在のモノと比べると 結構小ぶりな社宅だったような気がする? あと・・・ もう一つ不思議なのが これだけ、色んな残留物が有るのに 廃棄された畳が1畳も残っていないんですけど(焦) まさか全て板の間だったのか? 社宅・・・ 現代の木造ワンルームマンションなら解るけど あの当時・・・ まあ、周辺に畳職人さんが居なかったと言う事もありそうなので 結果的に板の間の社宅になっていた可能性も有りそうですが とりあえず上の階層に・・・ って、アレ?(焦) どういう事だろう? 確か以前は この階段 倒木や折れた枝とかで埋まっていて 登るのが困難だった記憶があるのですが なんか普通に歩ける状態になってる! って・・・ この付近も 建物は残っていないとはいえ 何かしら整理する予定があるのか? で・・・ 倒木なんかを片付けたのかもしれない? 慰霊正面の社宅? 跡地・・・ 既に原生林に還ろうとしてる 相変わらず その辺に、廃棄していったモノが散乱してますが って言うか、ココに不法投棄していった とか・・・ そういう事ではないと思うのですが 建っていた社宅を解体した時に 残されていた家電とかを そのまま放置・・・(涙) って言うか、この鉱山ではお約束ともいうべき? 冷蔵庫とブラウン管テレビの残骸・・・ 現在で言う所の、リサイクル料金を払って 正規の業者さんに廃棄を依頼しないといけない家電 それが、大体 そのまま捨てて行ってある感じ? いや? オイルショック前とか昭和40年代だと 3種の神器(テレビ、冷蔵庫、洗濯機)とか言われて 物凄く大切にしてた物じゃないのか? 価格だって物凄く高かったはずだそ ちなみに自分の家は 小学校に入る(昭和50年頃)まで おテレビ様はいらっしゃらなかったぞ!(笑) ここの鉱山の方たちが 秩父市や、その他の対玉懸内でも 良い暮らしをしていたとはいえ、そのまま捨てていくとは いや・・・ 持って行くのが大変すぎて 泣く泣く手放していって可能性はありますが まあ、そう言うモノの残骸が 放置されている姿は 相変わらず? みたないところがあります この区画 まさかね・・・ 夜な夜な、慰霊碑から出て来る目にみえないものに魘されて 全ての家財を置いて夜逃げ と言うのは冗談です で! 振り返ってみれば!!(驚) あれ? 以前は、この付近も倒木とかが多くて 進む事も出来なかったし そして・・・ 厚生年金の社宅なんて ココから入れるようになっていたとか まったく解らなかったけど!!(焦) やっぱし・・・ コレを解体するため 周辺の整理が始まった? と言う事なのか? つづく にほんブログ村
2024.08.08
コメント(2)
鉱山道路編2024編 ちなみに・・・ 昨日の鉄塔なのですが この索道とは全く関係がありません そう 通っている位置が違いすぎますし 規模の小さすぎる って言うか、道路の真横 人の高さくらいの所に 索道のバケットがバンバン通っていたら それは恐怖の対象でしか無いし(怯) それになりより この位置を通っていたとしたら 慰霊碑にぶつかってしまうので(困) 索道の鉄塔と言う事は たぶん違うはず? 1キロ索道は 支柱が木で出来ていたらしいですし 山の上を通っていたので ルートが違う! 戦前の概略図に書かれている索道・六道線の跡? と、思ったけど きっと違う! だってこの鉄塔 使われているアングル材やボルトを見る限り 戦後のモノっぽいし 索道用としては ちょっと華奢な感じがしますし 一瞬 火の見櫓なのでは? とも思ったのですが 上に上がる梯子が無いし 背が低いので、火の見櫓としての機能は・・・(隠) そして高圧線? の可能性も、まずないはず って言うか、この付近を高圧線が通っていたなんて話は聞いたことが無いし 慰霊碑付近の写真が公開されていますが 何処にも電線や索道は写っていないうえ 木製の電柱が建ち並んでいる光景が映し出されている ので・・・ 天辺の構造からしても 火の見櫓にしては狭すぎるし 人が1人立つのが精いっぱい 仮に索道だとしても この細さだと ワイヤーとシーブが取り付けられている支柱を支えるには たぶん強度が足りそうにないし って言うか、バブル以前の 地方のスキー場でも リフト用には、こんな細いのは使って無かったはずだぞ? しかも! 鉄塔の下は 波板で囲って 何かの施設として使っていた? 倉庫代わりにしていた? みたない感じがする まさかね? ココで温泉でも掘って一発当てようとしてボーリング調査 って言うか、温泉を掘るなんて話は聞いたことが無いですし お隣の中津川は、温度こそ低いけど(鉱泉クラス) 一応、鉄分の多い(現在の基準では)温泉と呼べる水が湧いていたりしますが 小倉沢で 温泉とか・・・ そう言う話は聞いたことが無いですし 仮に温泉が湧くようだったら その辺の坑道を掘る時に大量に出て来てるはずだし なんか入口っぽい物を造ったような跡が有るので・・・ 鉄塔の下には何かしらの設備が納められていた? と・・・ 考えるべきか? って? 構内放送用の・・・ いや! それは普通に、その辺の電柱にスピーガ付けてたはずだから 間違っても、その線は無いな? ちなみに! ちょっと驚くかもしれませんが こんな山奥 戦前でも僅かながらラジオの電波を受信出来たそうで そのおかげで! 玉音放送を、この鉱山で働きながら聞いた人もいるらしい! とは言え ラジオ塔とかTVの電波受信用の増幅器としてのアンテナ・・・ と言う訳ではなさそうな気がする? あと考えられるとすれば 安全スローガンの看板を建てるために造った鉄塔? まあ、そんな所なのかもしれない? でも、それにしてはハイスペックすぎる気がするのですが? で! 攀じ登るための足場にするための某が溶接されていたり 何かしら? 木の角材が取り付けて有ったり まあ、この辺りは あとになって、何か別の用途に転用されたのかもしれませんが? せめて、下に降りることが出来れば 何かしら判るかもしれませんが とりあえず、さっき転んだせいで まだちょっと脚が痛いし 降りるのは何とかなりそうだけど 上がって来るのが困難になりそうなので(泣) あのボルトは 一体何を止めていた物なのでしょう? ブレスを固定していた物にしては ちょっと長すぎるし そして何故か・・・(焦) 足場代わりにするために その辺の石を拾ってきて 支柱とブレスの間に嵌め込んだ跡が有るし(驚) って言うか、本当に 一体何のために使っていた物なのか 解らないことが多すぎるんですけど この鉄塔 現地でガス溶断した鉄板を バリ取りもせずにリベット止めした? 手作り感が半端ない接合部 ブレスだけはたぶん・・・ アングルに大きめの穴をあけて 現合合わせで止めていったような感じ? そして・・・ 碍子が付いてる! って、やっぱし電柱・・・ じゃないよね? すぐ隣に電柱が建ってるし それに 高さ的に 慰霊碑と接触してしまう高さなので やっぱし、電気系統のためのモノではなく そして索道でもない! これだけは確実だけど いや、本当に コレ 一体何のために使っていたのか? その回答に辿り着くまで かなり時間が掛りそうだな? って言うか、たぶん これは撤去されずに ずっと残りそうな気がするので? 年月が経つにつれ その真実が分からなくなっていくような気が? つづくにほんブログ村
2024.08.07
コメント(2)
主に役職者向けに支給された社宅だった と・・・ そういう事を聞いたことがありますが 本当の事は知りません で? 周辺の社宅はすでに撤去されてしまっているのですが 何故かココだけ残ってる 加入している厚生年金の方から出資ししてもらっただけに もしかしたら所有権が掛かっているとか? だから? 勝手に撤去すると 色々とマズイ? 事になるとか? そう言う理由があるのかもしれない? でも・・・ いつの間にか 木に飲み込まれかけているんですけど この社宅(焦) あと20年くらいで 木と同化するのではないかと?(笑) いや、そこまで建屋自体が持たないかもしれないけど? 開けっ放しになっている窓から 中の様子が少しだけ見えますが ああ(焦) 天井が重力に負けてる あと数年もしないうちに落ちて来るんだろうな? コレ!!(潰) あと・・・ 壁紙は張ってなくて 木の板が剥き出し状態だったっぽいな? ココ そして たぶん おトイレと思われる建物が 横にあって 圧壊寸前の状態になっています(涙) その他・・・ 恐らく 悪戯で投石された跡(泣) これ 器物破損で十分に立件される犯罪ですからね! ちゃんと所有者(鉱山)がいるので 誰も使っていないからと言って、石を投げて良いなんてことはありません!(怒) 現状保存が鉄則です! ちなみに ココから上がっていったようですが 立入禁止とは書かれていませんが バリケードが設置されています たぶん・・・ 当時は、周りに木なんて生えていなかったから 丘の上に聳え立つ 見晴らしの良い社宅だったのでしょう? 見た感じ 2階建てで8世帯が入居できる 結構凄い建物だったのかと? 恐らく裏手に玄関があるのでしょうけど さすがにココを登っていく気にはなれないので 脚・・・ まだ痛いし!(泣) そして何より 自分 やっぱし廃墟は好きじゃないし 人の住んでいた気配が残ると言うか? 思念が残っていると言うか? そういう感じが どうしても好きになにれなくて まあ、この建物は 解体されるとしても あとの方になると思うので まだ、結構長い間残っているかもしれない? 物理的に圧壊しない限り! さて、そう言えば慰霊碑の方はどうなっているのでしょう?(焦) この鉱山でお亡くなりになられた殉職者の方のお骨が安置されていた場所 今では既に、中に安置されていたお骨は移動されてしまっているらしいですが それでも、平成末期になっても 唯一残っている石灰の採掘をしている坑道で 新たなな殉職者が数年に一度(悲) 増え続けていたのを弔うため 定期的に手入れをされていた 慰霊碑 ココに残ったままにされてしまうのか? あるいは、別の場所に移動するのか? ちょっと気になるので と・・・ 思っていたら なんだアレは!!(叫) 鉄塔? 今まで全く気付かなかったぞ この存在に!!(焦) 自分の目は どんだけ節穴だったんだ? って言うか、聞いてないよ この鉄塔の存在 思わず慰霊にの事なんて、すっかり忘れて駆け寄ってしまう次回に続く!!にほんブログ村
2024.08.06
コメント(2)
鉱山道路2024編 左岸を通っていた時代の旧道跡 って言うか、小倉沢小中学校の前を通っていた頃の道路跡 以前にも何回か書きましたが 橋台の跡だけは残っているんです! ちなみに すぐ隣(橋台の手前側)に 下駄屋さんが存在していたらしいのですが 下駄屋の橋と呼ばれたという記録を見た事が無いんですよね・・・(焦) 今では跡形もなくなっていますが 当時も、存在自体が希薄な下駄屋さんだったのか?(涙) で! 対岸(左岸)にも 橋台跡は残っているのですが やはり、その先から 路盤が消失しているんです! 昭和27年ころの写真では しっかりと道路が写っているんですけど 一体どうなってしまったのか?(謎) しかも! 小倉沢小中学校の行程から この橋に直接降りれる階段も設置されていたはずなのに その姿や 取り付けられていたはずの路盤の姿も残っていない! って言うか、校庭の石垣が 橋台跡に乗っかってしまっている(焦) って! 学校の校庭の拡張工事でもしたのか? で! 旧道が埋まったのか? って、あ! ちょっとだけ 路盤の石垣跡っぽい物が残ってる! でも、良く見ると・・・ 学校の校庭の石垣と 路盤っぽいモノの石垣 昭から年代が違ってる! って言うか、校庭の石垣の方が新しい コンクリートで隙間を埋めたタイプのモノだし 使っている石も丸みを帯びているから 昭和30年代以降のモノっぽい? って事は、もしかすると ただの土手だった小学校校庭の基礎部分を補強するために 石垣を造った際に 旧道が埋まった? 既に右岸道路が出来てたし 旧道は、自動車が通れない幅しか無かったから 橋を落として、道路自体も無くなった? そう考えるべきなのかもしれない? まぁ、何となくなんですけど 一部は崩れちゃってるけど こんな感じ? 大きな岩盤の上に道路を造っていたのではないかと? そんな気が? あくまで自分の想像にすぎませんけど とは言え・・・ 2005年から 何度も、ココを通りながら やっと気付いた? って言うか、少しだけ見えてきた? そんな感じがします とりあえず! なんか今年は 今までになかったものが色々と見えて来るので 橋台跡の正面まで行ってみましょう さすがに 下駄屋さんの跡は 絶対に見つける事は出来ないですけど たぶん、現行の道路を造る時に 埋められてしまった可能性が高そうですし(悔) 橋台跡の上まで来ました ここで脳内変換を行って・・・ って言うか、心の目で見れば じゃなくて、ちゃのうフィルターほ通せば 絶対に見えてくるはずDA!!(叫) たぶん、こんな感じ! まあ、これは・・・ 確かに オート三輪なら通れるかもしれないけど 4輪は厳しそうだな? 360cc時代や550cc時代の軽トラなら、普通に通れるかもしれないけど? 車の重さに耐えられたかどうか それも怪しい所だし って! 渡った先の左岸 その先が校庭の石垣で埋まってる! って、やっぱし・・・ 校庭の拡張工事があったか? それとも、補強のために法面に石垣築いたか? って言うか、向かって左側にあったはずの 校庭から降りてくるための階段が無くなってる! と言う事は! 石垣を造る時に 階段も埋められてしまった? って事になるのか? あるいは・・・ 理科棟を建てるときの基礎工事で 法面の強度を上げるため 石垣を巻いた で・・・ 階段と旧道が焼失したのか? ちょっと悔しい事に 手元にある資料では 理科棟を建設する前の写真に旧道と橋が写っているのですが その肝心な理科棟が完成した後の写真では 旧道と橋の部分が、ちょうとうまい具合に途切れている写真しか無いので その辺りが確認できないんですよね(悔) とは言え やっと少しだけ? 旧道と橋の事の片鱗が見えてきた あとは!(叫) 近隣の建物を解体する時 周辺の木の木を切ってくれると 個人的には物凄く助かるのですが それはソレで また寂しい物があると言うか たぶん・・・ この建物を解体する時 何かが起こる? かもしれない? ちなみに! 廃墟なので、自分は近づきません って、その予定だったのですが あとで、想定外の事が? つづく にほんブログ村
2024.08.05
コメント(2)
本坑の、ちょっと手前の所まで来ました って言うか、林道・金山志賀坂線の起点です! 一部の地図には 鉱山住宅(跡) 第一合宿の入口までが中津川三峰口停車場線と記載していることも有るので もしかすると、ここから数百メートルは 供用区間になっているのかもしれません まあ、その話は置いといて 大雨が降ったら この林道・金山志賀坂線の起点から 出合交差点までの区間化通行止になるので(困) 帰れなくなるから要注意 って、大雨が来ることを知ってて って言うか、土砂崩落が発生する可能性が高いのを知ってて わざわざココまで来る人泣いていないから そして、廃坑直前の鉱山の人達も さっさと避難しちゃっていたはずだから あ! でも・・・ この鉱山の最盛期の頃は その雨の中、秩父市内に出かけようとしたり 逆に帰ってこようとして 土砂崩落に巻き込まれて命を落とした方も 結構いたらしい?(涙) 多くの人が乗っていたマイクロバスごと流されてしまったとか かなり凄惨な事故もあったそうで(弔) って・・・ 出合交差点から数キロ先にある慰霊塔が、その場所なのか? って言うか、あの場所・・・ 特に霊感とか持っている訳でもない自分が 明らかにヤヴァイ気の流れを感じて・・・(凍) サブイボが全身に走った(怯) って言うか、気分が悪くなった その昔 京都の愛宕山や延暦寺で感じた 本当にヤバイ気の流れと同じものを感じて・・・(滝汗) って、ほんの数メートルだけなのですが 全身が気怠くなり、何かに引き流されるような気がして マジでヤヴァイ気の流れと言うか!!(泣) でも、その気の流れから出てしまえさえすれば 特に何も感じなくなる? あれは・・・(怯) まあ、あまり思い出したくないので ココまでにしておこう そう ココは常に死と隣り合わせの道路だと言う事を忘れてはならない と、だけ 言っておこう だから・・・ 本当に怖いからヤメテ! この血文字の様な書き方!(泣) って言うか、いつになっても消えないし この文字!!(恐) ちなみに・・・ 通行止の看板も ずっと置きっパにしていると 誰も気にしなくなるんですよね あと・・・ 差込み看板の道路情報とか 今時、残っているところ 余程、地方の山間部でもない限り 減りましたよね? 現役の道路では・・・ そして! その奥に 小倉沢小中学校への橋が架かっています とは言え、この橋 実際には3代目? らしいので・・・ 小学校の橋とか呼ばれている訳ではありません 元々この付近は・・・ 道路は左岸(橋の向こう側)を通っていて 大正時代は、そのまま銭湯跡や秀峰寮跡の裏山を通っていたらしいので そして、小学校が出来た後 この先で右岸(こちら側)に渡る橋が架け直され って言うか、山の中を歩いて学校に通ったり 鉱山で働く人が山の中を通らなくてすむように? 道路が造り直されたのかもしれ・・・ 雁掛トンネルが開通して 自動車が通れるようになった後に 新しく、この位置掛け直したのかもしれない? まあ、実際には 神流川が増水して それまでの橋が流されたから って理由かもしれませんが? 元々、この場所にあった訳ではないため 小学校の橋って呼ばれている訳ではありません って言うか、橋に・・・ 袂に建っている建物の名前が付けられていることが多いのに ココだけ違うって言うところが? ちょっと珍しいんですよね ココでは! で・・・ 現在は! こうやって、空きパレットで造られたバリケードで塞がれて(涙) その姿を見ることが出来なくなっています 2008年頃までは こうやって橋の様子を見ることが出来たのですが 一部のルールを守れない廃墟系が この先にあった 小倉沢小中学校跡に不法侵入しまくって(困) って、2005年くらいまでは この学校跡に警備会社が常駐していたらしい なので! ハアハアしながら、勝手に入ろうとして 捕まって デジカメや携帯電話の画像データを全部消去されられたとか メモリーカード没収されたとか そして、お巡りさんに引き渡されて 原稿用紙200枚の反省b 反省文と言うのは冗談ですが しっかりと、ブラックリストに名前が載る事になったらしい まあ、その警備会社が撤退した後 相次ぐ廃墟系やDQNの不法侵入に腸が煮えくり返った鉱山の人が あっと言う間に解体してしまったようで(泣) 今は姿形が残っていません が! コロナ前に、別の場所から堂々と入って行った 2人組を観たことがある 日曜日で、事務所に人が居なかったら通報する事は出来なかったけど 小中学校が無くなっても まだ、その事を知らず? 不法侵入を繰り返す連中が全く減らないと言うのが、あまりにも残念過ぎると言うか!(困) 現在は 完全な資材置き場になっています どこぞの廃墟系HPで木造校舎の学校の姿を見て ハアハアしに行こうとして 何かのタンクとか 廃材とか 電気の変圧器とか その手のモノが置かれているだけの姿を見て おもわず体育座りする事になるのでしょうけど 校庭だけに? と言う冗談は置いといて! でも・・・ まだ? 理科棟と呼ばれる建物だけは 辛うじて残っているらしい? ちなみに、この小倉沢小中学校 火事で2回も燃えているらしい? 2回目の火事の時は かなり厳しいお咎めがあったらしいのですが 鉱山ので働く父兄の方や 中津川の集落から通っていた子供たちの親御さんからの嘆願で あっという間に再建されたらしいのですが(凄) 初代とされる学校の姿が写された写真だけは見た事が無いんですよね あと・・・ 左岸を道路が通っていた頃の旧道跡なのですが 今回 初めて、その路盤跡がクッキリ見えたよ!(驚) 今までは、どういう訳か 良く見えなかったのに そう この橋脚が建っている平場が旧道跡 なのですが・・・ 残念なことに その先が 突然のようにロストしてしまっています 崩落してしまったのか? 小倉沢小中学校の石垣だけは残っているのですが その手前に 数メートルの平場(旧道の路盤)が残ってないんです!(焦) ココだけが謎なんですよね つづく にほんブログ村
2024.08.04
コメント(2)
旧・小倉橋の橋台跡 以前は、このちょっと先に 名盤が落ちていたのですが 何処に行ってしまったのか?(涙) ちなみに まだ道路が未舗装だった時代の 旧・旧・小倉橋が掛かっていた時代とは 路盤の高さが違っているらしい? ので さすがに、その痕跡を見つける事は出来ません そして! 現行の(新)小倉橋 この橋に架け替える時 また路盤の高さが 少し変わっていたりする可能性も有るので? 未舗装だった時代とは 全くと言って良いほど この付近の景色は変わってしまっているようです 消防用具入れ 元々は、旧・小倉橋の向こう側に設置されていたらしい? 橋が無くなってしまった事から こちら側に移動してきたらしいのですが たぶん・・・ 10年とかそういうレベルじゃないな? 全く手入れしてないな?(困) 継ぎ手のパッキンが硬化しちゃってるし! 自社消防団だけでなく 旧・大滝村の消防団の方々も 存在を忘れているのでは? いや 単に、ここ数年 通行止になってて ココまで点検に来れなくなっていることが多かったうえ (消防団員の)人手不足で そのままにされてしまっているかもしれない? そう 自分が・・・ 最後に消防団の人達が来ている姿を見たのは たぶん15年くらい前・・・(焦) だったと思う なんて思いながら ふと右の方を見てみると ん? あれ? なんで、ココに石垣が? って言うか、出っ張りが? って、あ! まさか? 共同の炊事場跡? 道路が舗装されて拡幅されたから 公開されている昭和30年代の写真のモノとは 形状も位置も違っているけど 木製のデッキの上に 屋根付きの流し台が設置されていた物が コンクリートで固められた石垣のモノに改造された? って言うか、自動車が通れるようになってからも まだ暫くの間は 料理場と言うか流し台は 道路を渡って ココで共同で使っていたのか? って、コレの不思議なところがあって やはり、かなり極寒の地だったはずの この地 お湯なんて出てこない たぶん水は、溜め起きしておいた水瓶のモノを使う で! 奥様方が凍てつく中で? って言うか、普通に凍傷になってしまうような気がするのですが って! 良く見たら さっきの消防用具入れの部分も 路肩に出っ張りが設置されている まだ木製だった時代の料理場は2か所だったはず 拡幅工事後の、石垣の上の料理場も たぶん2つのはず? って! 形状こそ変わってしまっているけど まだ残ってたのか! 当時の遺構が こんな場所にも!!(驚) で! この段々になっている石垣の上にも 長屋風の社宅が並列に建っていて って! 今・・・ 公開されている当時の写真と 残っている石垣と イメージを合わせて って! ちょっと距離感がイマイチ解からないのですが(広角レンズを使っているので、実際の距離よりも長く見えてしまうのが一因) 手前の石垣に1軒 2番目の石垣に2軒 3番目の石垣に3件 そして食堂 で、秀峰寮 その奥に 薪の積んである廃社宅跡のリホームされる前のもの そして更地になっている場所にも1軒 で! 自分が上がった平場に1軒 で! 人が一人通れるがギリギリの木製の橋が架かってて その先に あの、柵の付いた社宅のリホームされる前の建物が! って・・・ なんとなくイメージが湧いてきたぞ! まあ、奥行方向に関しては まだ謎な部分が多いけど ただし この砂防ダムは ずっと後の時代になってから造られたモノっぽいので 当時は、どうなってたのかは不明ですが 少なくとも 今みたいに 水が澄んでいるけど 全く流れていない 謎な状態ではなく 普通に流れがある川だったのではないかと? そうでないと・・・ 共同の炊事場から出る排水が ココに溜まって 大変な事に(匂) それと以前! ココで釣りをしている人の姿を見た事が有りますが・・・ 魚・・・ 居るのか? ココ って言うか、漁協さんが意図的に放流しない限り 絶対に無理だと? まあ、昔は 本当に? 天然の魚がいたのかもしれませんが? なんとなく・・・(焦) 鉱山の人達が美味しく頂きました とりあえず、狩りつくされて絶滅しm と言う冗談は置いといて たぶん この手前の塀が建っている辺りが 第一食堂と呼ばれた建物があった辺り? でも・・・ これも時代によって そして道路が舗装されたり 周囲の建物と一緒にリホームされたりとかで どう変わっていったのか? まだ調べ切っていない所が多いんですよね って、悠長な事を言っているうちに 全て解体されて そして石灰で埋め尽くされちゃう日が 近づいているようなんですが・・・(困) って、あ! 誰かかドアをぶち抜いて 中に不法侵入した跡が!(困) やっぱし こういう事もあるから 鉱山側としても 予算さえ通れば、可能な限り早く撤去したいのかもしれない? 窓ガラスが割れているところから 少しだけ中が見えてたりしますが ああ・・・(涙) 誰だよ! こんなに荒らしまくったのは! 発泡スチロール、粉々に砕いて って言うか、何がしたいんだ コレをやったヤツは!(怒) たぶん、冷蔵庫 わざと倒して・・・(泣崩) 使っていないから何をやっても良いと思ってるのか? コレ・・・ 犯罪ですからね(不法侵入と器物破損) 地震の時に倒れたとか そう言う訳ではないはずですから コレ ちなみに、この建物 リホームされているようですが この街の置き場が、昔の写真と殆ど変わってイなので もしかしたら 波板の外板を張っただけのリホームなのかもしれない? お隣の2軒は たぶん、物理的に持たなかった? で! ココ(枯れ沢)から先は 完全に地形自体が変わってしまっているッポイので イメージがイマイチ沸かなかったりしますが(悔) この先は 道路の方が下がったらしい? で 社宅の増築と 道路の延長のために掘削された掘割 大正5年の国土地理院地図だと あまり当てにならないけど ココを掘削することが出来てないので 豆腐屋の橋の付近に 旧橋が架かっている様子が描かれていて 道路が右岸に渡っている って・・・ 本当に、この付近 調べ始めると まだ謎な部分が多いな でも・・・ そう遠くない先 道路を除いて 全てが無くなってしまう可能性が高いと言うのが ちょっと残念と言うか? つづくにほんブログ村
2024.08.03
コメント(2)
鉱山道路2024編 左側の石垣が・・・ 戦前から、昭和30年代初頭頃まで 自動車が入って来れるようになる前のに建てられた 旧社宅の基礎部分になっていたらしい? ちなみに 風呂屋の石垣は 木造だった旧・旧・小倉橋を架けているときの写真が公開されているのですが もっと高く写っているので 舗装されたときに路盤自体が すこし底上げされたのかもしれない? 更に凄いのが! たぶん・・・ 小鹿野町や両神村、荒川村ですら まで電気が普及しきっていなかったかもしれない時代に 全ての社宅に電気が通っていたらしい!(凄) まあ・・・ 坑道内の照明と 昇降用器具 更にには索道や、地下坑道内を走る電気機関車用の電力を賄える設備があったから 戦後間もない頃でも、普通に電気が通じていたのかもしれない!(凄) さすが当時の遺構は もう、この石垣しか残っていないっぽいのですが・・・(悔) 埋められちゃう前に 何か見つけることが出来きレば!!(望) さて 銭湯跡の所まで降りてきました って! 屋根の一部が崩落してしまっているのは 去年の秋に 通りすがりで見ていたので 特に驚きませんが 誰だよ! 悪戯で、屋根の上にパレットの破片を放り投げたヤツは!!(怒) って、あ!(叫) 秀峰寮跡の隣の家にあった丸太 銭湯跡の入口前に転がってた! って言うか、誰かが居たずれでココまで持って来て そして投げ入れたっぽいぞ! BBQで使わなかったのは・・・ って! それも許されない行為だけど クズ共がぁっ!(激怒) ここで一体何をしようとしていた? って言うか、まさか・・・ 屋根の上から侵入しようとして 足場代わりに積み上げようとしたとか?(滝汗) ま・・・ まさかね? さすがに、ソレは命知らずすぎるし? それとも? 鉱山の人達が 廃墟系やDQNが奥に入らないよう バリケードを造るために ココに持って来た? の・・・ だったら 許せる!(叫) けど・・・ たぶん違うんだろうな?(悲) そして 反対がに回ってみます が!!(叫) 屋根・・・ 落ちてる!(泣) ついに完全に抜けちゃってる! まさか本当に廃墟系が屋根から侵入しようとして踏み抜いたのなら ザ★ア と言う所ですが 望遠レンズで見てみると 屋根を支えていた梁 蟻道がイッパイ通ってる!! って言うか、シロアリかよ!(泣) 自分の実家も まさか屋根の方からシロアリに喰われるとか 想像してなかったことが起きたけど ココも! って、屋根を覆っていた波板が 2007年の台風でめくれ上がり そして2010年の台風で吹き飛ばされ 屋根から雨が直接侵入するようになっていましたからね(困) 白アリ・・・(喰) ヤられたか? 奴らに!!(困) ああああぁ(泣崩) もぅ、これは 長く持たないな 今年の冬 ちょっとでも積雪するような雪が降ったら 重さで逝ってしまうな たぶん? 屋根が喰われてしまったと言う事は 柱にも被害が出ているはず 放っておいても 数年で自壊するのは ほぼ間違いなさそうです(涙) あとは、どこまでシロアリ被害が出ているか? と言うところが焦点になるのかと? なお・・・ 唯一? 追い剥ぎされずに残った この看板 そして! 止まったままの 電力計・・・ って、本当に止まったままですよね? ちょっとずつ 電気が流れてるとか 誰かが使ってるとか?(滝汗) それもと、誰も居ないのに 人以外の何かが?(ガタブル) とか 絶対にそう言うのは無いですよね?(涙尋) と言う事で 中の人が必死になって 過去の画像を漁りました そう・・・ 絶対に1回か2回は撮ってるはず! で・・・ いやぁ 大変だったらしいよ? そう 2005年のモノからチェックを始めて やっと見つけ出したのが2017年(泣崩) いやぁ・・・(涙) 良かったよ コレ・・・ メーターが1目盛でも動いてたら 自分(サブイボ) もう2度と怖くて近寄れなくなるところだたよ!! いや? 2005年から2017年の間に 動いていたかもしれないけど? って、想像すると怖くて 夜、寝れなくなっちゃうから これ以上 この話は止めよう(逃) その昔ね・・・ たぶん 普通に、風で回っていただけだと思うけど あの換気扇が回っていたことがあってね・・・(怯) って、だから! 蒸し返すの止めよう この話は!! なお、銭湯跡の前の道路に 旧・小倉橋を使っていた時代の 道路の跡が!! コンクリート製の橋になる前は 木造の橋で しかも、社内外注さんが 中津川で伐採してきた木を使って手作りで造ってしまったらしい? そして! 風呂屋の橋と呼ばれていたらしい 旧・小倉橋 真っすぐな橋が嫌いな秩父市に抹s じゃなくて 老朽化と、大型車が通行困難なため 架け替えられてしまったらしいのですが まだ、その当時の跡が残ってたんですね? 今まで何十回も通っていながら 気が付かなかったとか 自分も、落ちぶれた物だな?(涙) そして、とりあえず バイクを置きっぱなしにしている 切り通しの所まで 一旦戻ります ココから先待って進んで 戻って来るのも大変ですしにほんブログ村
2024.08.02
コメント(2)
ガラガラガラ・・・ パラパラパラパラパラ ガスン バラバラバラっ・・・ 背後から乾いた音が って、いやあぁぁぁぁぁっ!(叫) 久々に聞いたよ 赤岩の一部が剥離してが崩落する音 これで2回目だよ! 前の時は、小さな? 岩が弾んで吹っ飛んで逝く姿が見えたし!(怯) 今回は・・・ 振り返った時には 既に岩が落ちた後だったから 転がり落ちる様子を見ることは無かったけど(怯) ハッキリ言います 危険です あの岩 今でも登山で来る人が そこそこ居るらしいですけど とりあえず正規ルートから外れた場所が 崩落するとはいえ この付近 本当に危険な場所が多いです そんな危険で険しい山の中で 採掘にいそしんでいた 鉱山の方々 しかも! 朝8時から、夕方4時までの日勤と 夕方4時から日付が変わるまで夜勤があって その稼働時間外に、坑道内の整備や 発破のためのダイナマイトを仕込みに行く人たちまでいたそうで 現代の基準でいえば ブラック・オブ・ザ・ブラック? 令和の基準で労基に入られたら、一発で操業停止になりそうな・・・(滝汗) って話は置いといて! 消防団の倉庫の脇には 大量の石灰が積まれています 戦前から昭和30年代前半 自動車が入って来れるようになる前は 現在とは若干 この辺の地形が違っていて 道路沿いに、数件の長屋が建っていたらしい ハーモニカ長屋と呼ばれたらしい その社宅 リホームされた際に、基礎の地盤を土盛りして 道路よりも一段高く変更されたらしい? まあ・・・ その土盛りされた部分も 今は石灰の下に埋まっていて もう2007年以前の地形すら分からなくなってる(涙) って言うか、17年前の地形を知ってる人も少なくなってきていると?(焦) よほど、毎年来ている暇な・・・(滝汗) ケフンフケン って、それは自分の事か? ちなみに! ココに建っていた3棟の社宅を解体しただけで これくらいの廃材が出ます!(山) 現在残っている施設を解体すると・・・ 運び出すの ちょっと大変すぎないか? と言う事で? いや、そういう事なのか? 2014年の大雪で圧壊した 右半分の木造2階建ての社宅は・・・ なんとなく嫌な予感がするのですが こんな状態で 1年くらいは放置プレイ状態でしたが 石灰を上から積み上げて 全てを覆いつくし 無かった事にしてないですよね?(疑) これから先 現存している建物を解体していく事になった時 とりあえず、母屋は重機の餌にして まさかね? 本当に、残ってる石灰・・・(郵便局跡の横に積んである分) 全部乗せ とか? そ・・・ そういう事は さすがに、しないと思うのですが まあ、そのうち 林道・金山志賀坂線が全通復活でもすると また多くの人が通るようになる(特に紅葉のシーズンは) で! この付近の廃墟に入り込もうとする で2010年から2014年頃までの 荒れた光景が復活 しかも、不法侵入した人が怪我をして とか・・・ 鉱山側の管理責任を問われる事態も発生する可能性があります(困) だから・・・ やっぱし、近いうちに 全て覆いつくされる日が?(悲) ただ、一つ気になった点があって 何故か、大雪の重さに耐えた 左側の木造社宅 どうして、この半分だけ倒れずに残っていたのか? と・・・ ずっと疑問に思っていたのですが 内部の天井とか もう、重力に負けてしまっているところが大量にあるのに どうして倒れないのか? と・・・ 思っていたら なんか鉄筋を入れて補強したような場所が見えているんですよね!(驚) 単なる気のせいかもしれないけど? もし本当なら? コレ・・・ 解体するの 工事を始めてから いや!(泣) ちょっと待って!(叫) そんなの聞いてないよ!(涙) みたいな・・・ 業者さんの悲痛な叫び声が聞こえてきそうで 大変だろうな? 予算だって、そんなに潤沢に有る訳じゃ似ないし 元々から、ここの鉱山は 採算が合わなくて 浦山にある事務所は、マジでケチで あちこちに見積もり取りまくって1銭でも安くしようと って言うのは内緒だよ! 自分も、前の会社の時 間接的にだけど、見積もり送ったり そして現地まで調査に来たことがあるけど 出した見積もりを、そのまま他にf 価格が合わなければ、鉱山で働いている人に無茶振りして作業させるとか って、これ以上言っちゃうと 公取の案件になっちゃうから(黒) あと、もう一つ 今では、跡形すら全く残っていないけど って言うか、消防団の倉庫になってしまったから その存在すら抹消されてしまっていますが その場所に 食堂が存在したそうで!(驚) ただし、営業内容に関しては まだ、解っていなくて・・・(たぶん社員食堂なのではないかと?) この付近 これ以上、石灰を積み増しされると もう全てが、都市伝説と化していく事になる? 最初の頃(2005年~2009年くらいの間) ちゃんと 記録しておかなかったことを 今になって かなり後悔していると言うか・・・(悔)にほんブログ村
2024.08.01
コメント(4)
全31件 (31件中 1-31件目)
1