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6月12日にフロリダ州オーランドにあるナイトクラブ「パルス」が襲われ、50名以上が殺されて53名が負傷したとされる事件は最初から奇妙な情報が流れていた。死体はどこだという疑問、現場の状況から考えてオマール・マティーンが単独で行うことは無理だという指摘、襲撃者は4人だという証言、マティーンは2013年には10カ月にわたってFBIから監視されていたとするジェームズ・コミーFBI長官の発言などだが、ここにきて出て来たのは、5時13分に警察のSWATが突入するまで誰も死んでいないという情報。FBIの文書に基づき、アンドリュー・ナポィターノ元ニュージャージー州高裁判事がFOXニュースでそう語っている。 5時15分に容疑者は倒れたと報告されているので、2分間で50名以上を射殺、53名を負傷させたことになる。SWATの銃撃で客が殺された可能性もあるが、それにしても、そうしたことが可能だろうか?
2016.06.30
安倍晋三政権は「戦前への復古」と「アメリカへの従属」を目指しているが、これは矛盾していないどころか、コインの裏と表の関係にある。幕末から日本の支配層は基本的にイギリスやアメリカの巨大資本を後ろ盾としてきた、つまり強い影響を受けてきたのだ。この関係が機能しなかったのは、ニューディール派政権だった1933年3月から45年4月、あるいはジョン・F・ケネディが大統領だった1961年1月から63年11月くらいだろう。 現在、この従属関係を「日米同盟」と呼ぶが、かつては「対米協調」と表現されていた。そうした政策を打ち出した代表的な政権は1929年7月から始まる浜口雄幸内閣。アメリカ巨大資本の要求に従った政策、フランクリン・ルーズベルトやベニト・ムッソリーニが言うところのファシズム(注)を導入、例えば、緊縮財政と金本位制への復帰を実行した。最近の表現を使うならば、新自由主義的な政策を導入したのだが、これによって貧富の差が拡大、東北地方で娘の身売りが増え、欠食児童、争議などが問題になる。 こうした経済政策の中心にいた人物がJPモルガンと緊密な関係にあった井上準之助であり、こうした背景を抜きにして、1932年の血盟団による井上準之助や団琢磨の暗殺、また1936年の二・二六事件を理解することはできない。二・二六事件では、昭和天皇も井上たちと同じ立場だということが明らかになった。 ウォール街が支援していたハーバート・フーバー大統領をルーズベルトは1932年の大統領選で破ったのだが、その3年前にニューヨークで株式相場が暴落、経済破綻が顕在化していた。 第1次世界大戦(1914年から18年)でライバルのヨーロッパ諸国は疲弊したが、アメリカは戦場とならずに物資の販売や金融で大儲け、自動車の大衆化が進み、映画やラジオの登場など技術的な進歩で豊かになっているように見えた。 しかし、富が一部に集まる政策が推進され、社会は衰退する。大戦後に兵士が帰国すると街には失業者が溢れ、ストライキやデモが続発していた。そうした中、1919年にボストン近郊で起こった現金輸送車襲撃未遂事件が起こり、ニコラ・サッコとバルトロメオ・バンゼッティが逮捕された。1920年4月にマサチューセッツ州サウスブレーントリー駅近くで起こった強盗殺人事件でも有罪とされた。 いずれの事件もふたりを有罪とするような証拠、証言はなく、1925年には別の事件で収監されていたセレスチーノ・マデイロスという男が「真犯人は自分たちだ」とする書面を提出しているが、裁判官は無視して死刑を言い渡している。ふたりが「アナーキスト」だったということが理由だと見られている。ふたりは1927年の8月に処刑された。 勿論、1950年代から60年代にかけて公民権運動が高まるまでアメリカでは人種差別が公然と行われ、決して「自由で民主的な国」とは言えない。そうした国の内部で庶民の不満は強まり、1932年の大統領選でニューディール派を勝たせることになる。 当時、日本の支配層が従属していた相手は「自由で民主的な」アメリカ人でなく、富を独占し、人種差別を行う人びと。フランクリン・ルーズベルト政権の誕生は、日本の支配層がウォール街に従属するという関係を崩した。この関係が復活するのは、1945年4月にルーズベルトが執務中に急死してからだ。 このアメリカと日本が戦争を始める切っ掛けは、言うまでもなく「真珠湾攻撃」。この攻撃がいかに無謀だったかを語る人は多いが、日本はすでに戦争をはじめていた。1927年5月に山東出兵、31年9月に柳条湖事件と呼ばれる偽旗作戦を実行して侵略を開始、中国東北部に「満州国」と称する傀儡国家を樹立させた。1937年7月の盧溝橋事件後、宣戦を中国の全域に拡大、そして41年12月の真珠湾攻撃だ。 しかし、日本が東アジア侵略を始めたのはその遥か前、1872年に琉球国を潰して琉球藩を設置したところから始まる。本ブログでは何度か指摘したが、1871年7月に廃藩置県を実施済みなわけで、この琉球藩設置は台湾へ派兵する口実作りの可能性が高い。実際、そのころ来日していた厦門の領事のチャールズ・リ・ジェンダーは外務卿だった副島種臣に台湾への派兵を勧めていた。そこから江華島への軍艦派遣(朝鮮に対する挑発)、日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦へとまっしぐらだ。この背後にはイギリスとアメリカが存在していた。 東アジアを侵略している間に盗んだ財宝も曖昧なまま、アメリカ支配層と山分けした可能性が高い。その過程で吸った甘い汁を日本の支配層は忘れていないはず。アメリカ支配層の最近の動きを見ていると、過去の「成功体験」を再現しようとして失敗しているようで、日本がアメリカの真似をして再び中国を侵略しようとしたなら、取り返しのつかないことになりそうだ。 こうした道へと日本を導いているのが安倍政権。危険な流れを察知した人びとが小沢一郎の率いる民主党を選挙で勝たせたのだが、それをマスコミと検察が潰し、菅直人や野田佳彦は国民の期待を裏切って現在がある。ここで諦めたなら、支配層の思う壺だ。【注】(1) ベニト・ムッソリーニは1933年11月に「資本主義と企業国家」という文章の中で、巨大資本が支配するシステムを「企業主義」と呼び、資本主義や社会主義を上回るものだと主張した。これが彼の考えたファシズムであり、全体主義だとも表現されている。(2) 1938年4月29日にフランクリン・ルーズベルトはファシズムについて次のように定義した。「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」
2016.06.30
イギリスで実施されたEUからの離脱を問う国民投票は統治システムの問題に直結している。イギリスの場合は例外的に通貨の発行権を保持したままEUへ加盟したが、この権利をイギリスが加盟の条件にしたのは主権と深く関わっているからだ。それでもイギリスで離脱派が勝利した一因は、難民の大量流入による労働環境の悪化、つまり賃金の低下や失業率の上昇、それにともなう犯罪の増加にある。社会保障費の負担増も深刻だろう。難民の中にはアメリカなどが訓練した「テロリスト」が含まれていることも社会を不安定化させる要因になる。 そうした難民を増加させた最大の理由はアメリカが主導した中東/北アフリカでの侵略戦争にある。「人道」、「民主化」、「独裁」といったタグや御札を使ってアメリカは人びとの心理を操り、破壊と殺戮に賛成させた。未だにその呪術から抜け出せない人もいるようだ。 この侵略の始まりは1999年3月のユーゴスラビアに対する先制攻撃。このときはNATO軍が実行したが、実質はアメリカ軍。この攻撃のキーパーソンはファースト・レディだったヒラリー・クリントンである。 国務長官を戦争に消極的だったクリストファー・ウォーレンから好戦派でズビグネフ・ブレジンスキーの弟子にあたるマデリーン・オルブライトへ交代するように夫のビル・クリントン大統領を説得、また彼女のそばにはネオコンで国務副長官の首席補佐官だったビクトリア・ヌランド、ムスリム同胞団と関係が深くインターンとして働いていたヒューマ・アベディンという好戦派もいた。この4人は今も強く結びついている。 もしヒラリー・クリントンが次期大統領に決まった場合、平和は遠のく。中東/北アフリカに留まらず、ラテン・アメリカ、そしてロシアや中国との戦争も視野に入ってくる。そうなれば、イギリスがEUから離脱してもしなくても、EUは破滅しかねない。そうした危機感を持つ人はEUの「エリート」内にもいる。 今回の国民投票が実施される前、ジェイコブ・ロスチャイルドやジョージ・ソロスのような富豪は有力メディアで離脱すると不利益を被ると庶民を脅迫、フィナンシャル・タイムズ紙には、国民投票の結果を政府は無視できるという主張が掲載されていた。 これだけを見ると支配層はEUから離脱したくないように見えるが、女王エリザベス2世は主権を取り戻すためにEUからの離脱を望んでいたと言われている。ロスチャイルドやソロスのような人びとは反撃を目論んでいるだろうが、それほど簡単に投票結果をひっくり返すことはできないだろう。ロンドンの金融界(シティ)は中国の元をビジネスの中心に据えるつもりだと推測する人もいる。 ドイツやフランスなどには、イギリスの離脱を利用してアメリカから自立しようとする勢力もいそうで、今回の国民投票をアメリカにとっての「ベルリンの壁」だと見る人もいる。アメリカを中心とする支配システムが揺らぎ、場合によっては崩壊する可能性があるということだ。
2016.06.29
グローバリズムとは世界支配を目指す巨大資本の旗印であり、別名ファシズム。イタリアに君臨したベニト・ムッソリーニは1933年11月に「資本主義と企業国家」という文章を書き、その中で巨大資本が支配するシステムを「企業主義」と呼んだ。これは資本主義や社会主義を上回るものだと主張、それが彼が言うところのファシズムだ。全体主義だとも表現されている。 1938年4月29日にフランクリン・ルーズベルトはファシズムについて次のように定義した。「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」 巨大資本が国を支配する世界を築き上げようとしているという点で現在は1930年代と酷似している。そうした支配システムの震源地はアメリカのウォール街であり、ハーバート・フーバー大統領はそこを拠点とする巨大資本の代理人だった。 フーバーはスタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働き、利益のためなら安全を軽視するタイプだったところを見込まれて「出世」していく。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013) このフーバーが1932年の大統領選挙でニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに破れたことで、ウォール街の本性は明確になる。スメドリー・バトラー海兵隊少将の議会証言によると、JPモルガンを中心とする巨大資本は1933年から34年にかけて反ニューディール派/ルーズベルト大統領のクーデターを計画した。何度も書いているように、関東大震災以降、JPモルガンは日本に大きな影響力を持った。その代理人が駐日アメリカ大使だったジョセフ・グルー。ジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの義理のいとこであり、1942年まで日本にいた。離日の直前、岸信介からゴルフに誘われている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007) バトラー少将から話を聞いて取材したジャーナリストのポール・フレンチによると、政権転覆を狙っていた勢力は「コミュニズムから国を守るため、ファシスト政府が必要だ」と語っていたと議会で証言している。 クーデター派はドイツのナチスやイタリアのファシスト党、フランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」に親近感を持ち、彼らの戦術を参考にしていた。つまり、新聞を利用して大統領を攻撃したうえで50万名規模の組織を編成して恫喝、大統領をすげ替えることになっていたという。 この計画を知ったバトラー少将はクーデター派に対してカウンタークーデターを宣言、内戦を覚悟するように伝えた。そうしたこともあってクーデターは中止されるが、その計画を問題にするとやはり内戦になる可能性が高く、大統領は追及できなかった。 第2次世界大戦の終盤、ドイツや日本が各国で奪った金塊や財宝を回収する作戦をアメリカ政府は開始するが、それと並行して、ナチス時代のドイツと違法な取り引きをしていたアメリカの有力企業やナチスに同調していた有力者を調査しようとしたとも言われている。ウォール街の大物たちが責任を問われる可能性があったのだが、1945年4月にルーズベルトが執務室で急死したため、そうした事態にはならなかった。(Simon Dunstan & Gerrard Williams, “Grey Wolf,” Sterling, 2011) アメリカで政治的な騒乱が起こった原因は巨大資本によるファシズム化の目論見が崩れたことにあり、ヨーロッパでは庶民の怒りを抑え込むために巨大資本がファシストを支援したことにある。ナチスに支配されたドイツが1941年4月までにヨーロッパ大陸を制圧、5月10日にナチスの副総統だったルドルフ・ヘスがスコットランドへ単独飛行したイギリス側と何らかの話し合いをしたと見られているが、その翌月の22日にドイツ軍はソ連侵略、つまりバルバロッサ作戦を開始した。このタイミングからヘスがイギリスへ向かったのはソ連を攻めるにあたり、西からの攻撃を避けるために話し合うことが目的だったとも推測されている。 1942年8月にドイツ軍はスターリングラード(現在のボルゴグラード)市内へ突入するが、11月からソ連軍が反撃に転じ、ドイツ軍25万人は包囲されてしまう。生き残ったドイツ軍9万1000名は1943年1月31日に降伏、2月2日に戦闘は終結し、ドイツの敗北は決定的になった。 その後、ソ連軍は西に向かって進撃を開始、慌てたアメリカ軍はシチリア島へ上陸、43年9月にイタリアは無条件降伏した。そして1944年6月にアメリカ軍はノルマンディーへ上陸する。この「オーバーロード作戦」が練られたのは1943年5月、ドイツ軍がスターリングラードの戦いで敗北した後のことだ。この時点でドイツ側はアレン・ダレスなどウォール街の代理人たちと接触を始めている。 安倍晋三首相は「ナショナリスト的な発言」をしているが、行動はグローバリスト、つまりファシストにほかならない。
2016.06.29
アメリカやサウジアラビアなど、シリアのバシャール・アル・アサド政権を倒そうとしている勢力が防空システムのMANPADや対戦車ミサイルTOWをシリア政府軍と戦っている集団へ供給している。サウジアラビアの外務大臣がシュピーゲル誌のインタビューで明言している事実だが、そうした武器/兵器がアル・カイダ系のアル・ヌスラやダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)へ流れていることも知られている。こうした現実を正当化するためなのか、ニューヨーク・タイムズとアル・ジャジーラは、CIAやサウジアラビアが供給した武器/兵器をヨルダンの情報機関オフィサーが盗み、闇市場で売っていると伝えている。 本ブログでは何度も書いてきたが、トルコからシリアの侵略部隊へ伸びている兵站線があり、トルコの情報機関MITによって管理されている。その物資を運んでいたトラックの車列を2014年1月にトルコの憲兵隊が摘発、その事実をトルコのジュムフリイェト紙は昨年5月に写真とビデオ付きで記事にした。 この間、ドイツのメディアDWは2014年11月にトルコからシリアへ武器や戦闘員を含む物資が運び込まれている事実を報じ、またイランのテレビ局プレスTVの記者だったセレナ・シムもこうした人や物資の動きを調べていた。トルコからシリアへISの戦闘員を運び込むためにWFP(世界食糧計画)やNGO(非政府組織)のトラックが利用されている事実をシムはつかみ、それを裏付ける映像を入手したと言われているが、彼女は2014年10月19日に「交通事故」で死亡した。その前日、彼女はMITから脅されていたという。 武器/兵器が運び込まれていることは公然の秘密で、それらがアル・ヌスラやダーイッシュへ流れていることをアメリカ政府も熟知していたはず。アメリカ軍の情報機関であるDIA(国防情報局)が2012年8月に作成した文書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。 DIAによるとアル・ヌスラはAQIの別名。AQIを中心とした再編成でダーイッシュは組織されたとされている。つまり、アル・ヌスラとダーイッシュの実態は同じで、その主要メンバーはワッハーブ派とムスリム同胞団。歴史的にムスリム同胞団はワッハーブ派の強い影響を受けている。アメリカ政府が言うところの「穏健派」は存在しないということでもある。 この報告書が作成された当時のDIA局長、マイケル・フリン中将はアル・ジャジーラの取材に対し、ダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策によると語っているが、それにはこうした背景がある。 1991年にポール・ウィルフォウィッツ国防次官(当時)が5年以内にイラク、シリア、イランの3カ国を殲滅すると語り、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されてから10日後、国防長官の周辺でイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを先制攻撃する計画ができあがっていたと語っているウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官は、ダーイッシュがアメリカの友好国と同盟国によって作り上げられたと語っている。 ヨルダンは王制の国だが、軍や情報機関は国王の指揮下にはなく、アメリカの手先として活動している。例えば、1970年9月にヨルダン軍はPLOを攻撃したが、これをフセイン国王は反対していた。それに対し、攻撃の1年前、1969年9月にヨルダン軍の幹部は国王に対し、PLOを攻撃させなければ拘束すると脅していた。この攻撃を命令したのは米大統領補佐官だったヘンリー・キッシンジャーだ。 ヨルダン軍はヤセル・アラファトPLO議長の自宅を戦車で砲撃して破壊したが、議長は間一髪で避難することに成功した。そうした状況を見たエジプトのガマール・ナセル大統領はヨルダン国王に対し、国王が軍を掌握できていないのならエジプト軍に命じて停戦させると伝え、クウェートの国防大臣だったシェイク・サード・アブドゥラ・アッサリムをアンマンへ派遣した。 ヨルダン軍の特殊部隊を欺くためにシェイク・サードはアラファトと服を交換、シェイク・サードとしてアンマン空港へ移動させ、カイロへ迎え入れた。9月27日のことだ。その翌日、ナセルは心臓発作で急死している。 ヨルダンの軍や情報機関はそうした存在であり、その幹部がアメリカ政府の意向に反する形で武器/兵器を横流ししていたなら、厳罰に処せられる。勿論、そうしたことが行われる可能性はあるが、アメリカ政府やサウジアラビア王室がアル・ヌスラやダーイッシュを支援していることは広く知られている話で、そうした情報はアメリカの軍や情報機関からも出て来ている。ニューヨーク・タイムズとアル・ジャジーラの「報道」は一種のダメージ・コントロールだと考えるべきだろう。
2016.06.29
トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領はロシアのウラジミル・プーチン大統領に書簡を送り、昨年11月24日にトルコ軍のF-16戦闘機がロシア軍のSu-24爆撃機を撃墜、乗組員ひとりを死亡させたことを謝罪したという。これまでロシア政府からの謝罪要求をトルコ政府は無視していた。 ここにきて謝罪した直接的な理由として、アメリカ政府から指示があったと見る人は少なくない。アメリカは「停戦」を利用して手先の侵略軍を再編成、特殊部隊も投入して次の攻勢の準備をしているのだが、ロシア軍はアメリカ側の要請を無視してアル・カイダ系武装集団に対する空爆を実施したと言われている。ジョン・ケリー国務長官の時間稼ぎに対するロシア政府の忍耐は限界を超えたということだろう。 シリアでもアメリカは「停戦」を利用して侵略軍をテコ入れし、バシャール・アル・アサド政権を倒すという1991年以来の計画を実現しようとしている。2月19日付けシュピーゲル誌に掲載されたサウジアラビア外務大臣へのインタビューで、シリアの戦況を変えるために携帯型の防空システムMANPADを供給しはじめたと公言、対戦車ミサイルTOWも大量にシリアへ持ち込まれた。この背後にアメリカの好戦派が存在している。最近、アメリカやフランスは特殊部隊を送り込み、トルコ軍がシリア領内へ侵攻している。シリア政府によると、ドイツも特殊部隊を侵入させたという。 侵略戦争が始まった時点でトルコからシリアの侵略軍へ兵站線が伸びていた。シリアやトルコの油田地帯を制圧すると、盗掘した石油をシリアへ運び込み、売りさばかれていることも知られている。Su-24の撃墜もこうした構図の中で引き起こされた。ロシア軍の空爆を止めさせる材料としてトルコ政府の謝罪がアメリカ政府は欲しかったのかもしれない。 また、トルコ自体もロシアとの関係改善を望んでいるだろう。ロシアを怒らせた結果、経済活動に悪化している。例年なら夏のバカンス・シーズンにはロシアから観光客が訪れるのだが、現在の状態では期待薄。トルコにとって大きなダメージになる。エルドアン政権は情報機関MITを使って言論弾圧を強め、軍部を締め付けているが、それによって孤立の度合いを高め、クーデターが噂されるほど不安定な状況だ。大統領は追い詰められている。 ロシアとの関係を決定的に悪化させたのがSu-24撃墜だが、これに関してトルコ政府は警告を無視してトルコ領空へ向かっていた国籍不明機をトルコ領内で撃ち落としたと説明していた。 この主張によると、ロシア軍機は1.17マイル(1.88キロメートル)の距離を17秒にわたって飛行したことになるが、WikiLeaksなどが指摘していたように、この数字が正しいならSu-24は時速398キロメートルで飛行していたことになる。Su-24の最高速度は時速1654キロメートルで、非現実的な低速。もし最高速度に近いスピードで飛んでいたなら、4秒ほどで通り過ぎてしまう。 ロシア政府の説明によると、Su-24はダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を攻撃してから帰還する途中で、トルコとの国境から1キロメートルの地点を高度6000メートルで飛行、トルコにとって何ら脅威を与える状況ではなかった。そのSu-24を攻撃するためにトルコ軍のF-16はシリア領空を侵犯したとも説明している。 また、トルコ軍機は午前8時40分に離陸、9時08分から10時29分まで高度4200メートルで飛行して午前11時に基地へ戻っているのに対し、ロシア軍のSu-24は午前9時40分に離陸、午前9時51分から10時11分まで高度5650メートルで飛行して16分に目標を空爆、24分に撃墜されたとロシア側は説明している。つまり、ロシア軍機が離陸する1時間前にトルコ軍機は発進しているわけで、領空侵犯に対するスクランブルではなかった。 内部告発支援グループのWikiLeaksによると、エルドアン大統領がロシア軍機の撃墜を決めたのは10月10日。また、11月24日から25日にかけてトルコのアンカラでトルコ軍幹部とポール・セルバ米統合参謀本部副議長が会談していることも注目されている。アメリカの許可なしにトルコがロシア軍機を撃墜するとは思えず、この出来事はアメリカが黒幕だったと見る人が少なくない。 トルコがシリア侵略に荷担したのは2011年からだが、ネオコン/シオニストは遅くとも1991年に侵略を目論んでいる。この年、ネオコンの中心グループに所属するポール・ウォルフォウィッツは5年以内にイラク、イラン、シリアを殲滅すると口にしていた。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官の話だ。この当時、ウォルフォウィッツは国防次官だった。 ネオコンが主導権を握っていたジョージ・W・ブッシュ政権は2003年3月、統合参謀本部内の反対を押し切り、予定より約1年遅れでイラクを先制攻撃した。2007年3月5日付けニューヨーカー誌に掲載されたシーモア・ハーシュのレポートによると、その時点でアメリカ、サウジアラビア、イスラエルの3カ国はシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始していたという。 2009年1月に大統領はバラク・オバマに交代しているが、そうしたことには関係なく、アメリカは2011年の春にシリアやリビアへの侵略を本格化させる。クラーク元最高司令官によると、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されて間もなく、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺ではイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを攻撃する計画を立てていたという。 リビアのムアンマル・アル・カダフィはNATOとアル・カイダ系のLIFGが連携して倒し、戦闘員や武器/兵器はトルコ経由でシリアへ移動している。一連の侵略戦争にヒラリー・クリントンが重要や役割を果たしてきたことも本ブログでは指摘してきた。 2012年8月の段階でシリア政府軍と戦っている戦闘集団の主力はアル・カイダ系のAQI、サラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団であり、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)は政府へ報告している。内戦ではないということであり、「穏健派」はいないということ。必然的にアメリカによる反政府軍支援は「過激派」支援になる。こうしたことをDIAは警告していた。 それに対し、ネオコンはこうした勢力と手を組んできた。このネオコンと一心同体の関係にあるイスラエルの駐米大使だったマイケル・オーレンは2013年9月、シリアのアサド体制よりアル・カイダの方がましだと語っている。また今年1月19日には、INSS(国家安全保障研究所)で開かれた会議でモシェ・ヤーロン国防相がイランとダーイッシュならばダーイッシュを選ぶと発言したという。 シリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すために軍事介入すべきだとする覚書にアメリカ国務省の外交官51名が署名したという記事が伝えられているが、この外交官とはヒラリー・クリントン、マデリン・オルブライト、ビクトリア・ヌランド、ヒューマ・アベディンたちの仲間。この人脈とエルドアンとの関係が切れたとは言えないだろう。今回の謝罪の裏で戦争の準備をしている可能性もある。
2016.06.28
イギリスで実施されたEU離脱を問う国民投票、いわゆるBrexitに関する話を日本の新聞(テレビは受像器がないのでチェックしていない)は連日、1面トップで伝えている。その本質に迫る内容ならまだしも、表面的な話ばかりで、日本が抱えている大きな問題を隠すことが目的だとしか思えない。 Brexitの投票が行われる前からEUではロシアとの関係やTTIP(環大西洋貿易投資協定)をめぐり、対米従属はへの批判が出ていた。グリーンピースがTTIPの関連文書を明らかにして実態が確認されたこともEUの「エリート」に対する怒りを高めただろう。EUから離脱するべきだという意見を強めた難民問題もアメリカが進めている中東/北アフリカ侵略のひとつの結果。アメリカ支配層に従属することで自分たちの収入と社会的な地位を確保しようとしている「エリート」の私利私欲によってEU全体が危機的な状況に陥っている。そうした「エリート」への怒りがBrexitの結果にも反映されているだろう。が、そうしたことを深く掘り下げていないのだ。 アメリカに従属する日本の「エリート」の場合、経済面で深く結びついていた中国との関係を悪化させ、石油や天然ガスの供給源として優位な位置にあるロシアとの関係改善にも消極的。そしてTPP(環太平洋連携協定)やTiSA(新サービス貿易協定)。TPPに含まれるISDS(投資家-国家紛争調停)条項によって、日本は主権をアメリカの巨大企業へ贈呈することになる。 つまり、巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制を政府や議会が作ったなら企業は賠償を請求でき、健康、労働、環境など人びとの健康や生活を守ることは困難になる。99%とも99.99%とも言われる「普通の人びと」は巨大資本の「御慈悲」にすがって生きるしかないわけだ。本ブログでは何度も書いているように、TPP、TTIP、TiSAはファシズム化の仕組みにほかならない。(注) それだけでなく、安倍晋三政権は憲法を改めることで庶民からさまざまな権利を奪おうとしている。マスコミは漠然と「改憲」というタグを使っているが、天皇制の廃止などは想定されていないはずだが、第9条だけがターゲットになっているわけでもないだろう。第9条を変えるだけでは戦争できない。どうしてもやるなら、憲法を無視するしかない。 戦争するためには第76条も邪魔である。ここでは次のように規定されている:1 すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。2 特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。 つまり、軍事法廷は設置できない。軍隊内で問題が生じた場合も通常の法廷で裁かれることになり、事実上、戦争の遂行は困難になる。とくに侵略戦争の場合は難しい。第9条で「国の交戦権は、これを認めない。」とされているので、作戦上、必要だとして建造物を破壊した場合、損害賠償を請求する民事裁判が起こされることも想定できる。 第9条をはじめとする日本国憲法の条文を早い段階で問題にしたのひとりが昭和天皇。1946年10月16日、そして新憲法が施行された3日後の1947年5月6日に天皇はダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官と会談、その憲法が軍隊を禁止し、戦争を放棄していることを危惧したという。(豊下楢彦著『昭和天皇・マッカーサー会見』岩波書店、2008年) マッカーサーは第9条を擁護するが、アメリカで1950年4月に状況が大きく変わった。ウォール街の大物弁護士だったジョン・フォスター・ダレスが国務省の政策顧問に就任、「事実上対日講和を担うことになった」(豊下楢彦著『昭和天皇・マッカーサー会見』岩波書店、2008年)のである。この人物は巨大資本の代理人であり、情報機関で破壊活動を指揮していたアレン・ダレスの兄でもある。 1950年4月下旬、吉田茂は大蔵大臣の池田勇人をアメリカへ派遣し、「日本政府としては、日本側からそれをオファするような持ち出し方を研究してもよろしい」というメッセージを伝えたという。 しかし、その内容は吉田の発言と矛盾する。池田と一緒に「首相特使」として渡米した吉田の側近、白州次郎はアメリカと池田らと別行動をとり、国務次官補に対しては「日米協定で米軍基地を日本において戦争に備えることは憲法上むずかしい」と伝えている。池田と白州は相反するメッセージをアメリカ側へ伝えたことになる。(三浦陽一著『吉田茂とサンフランシスコ講和(上)』) ちなみに、1947年4月9日付けの『寺崎日記』によると、「陛下は吉田白州のラインに疑念を持たるヽなり」と書かれている。 ダレス兄弟やグルーを代理人とするアメリカの巨大金融機関は1933年から34年にかけてフランクリン・ルーズベルト大統領が率いるニューディール派を排除してファシズム政権を樹立するためにクーデターを計画している。(スメドリー・バトラー海兵隊少将らの議会証言)1945年4月にルーズベルト大統領が執務中に急死して以降、アメリカでは親ファシスト派が主導権を握り、ジョン・フォスター・ダレスの登場でその流れは決定的になった。 日本国憲法は天皇制を維持するためにアメリカ支配層が作り上げた急ごしらえの最高法規だが、親ファシスト派から見るとニューディール派的な条文は目障りのはず。日本をアメリカ軍の手先として使うためにも第9条は特に邪魔な存在だ。 1963年後半にソ連を先制核攻撃する計画があったことは本ブログで何度も指摘してきたが、この計画は実行できなかった。それ以降、先制第1撃で相手国を殲滅、反撃されないとう状況はなくなるが、1991年12月にソ連が消滅してから状況が変わり、翌年の初めに国防総省のDPG草案という形で世界制覇プラン(ウォルフォウィッツ・ドクトリン)が作成された。アメリカが「唯一の超大国」になったと認識したうえで、自立した体制、潜在的なライバルを破壊し、力の源泉である資源を支配しようと考えたのだ。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃(9/11)されると、ジョージ・W・ブッシュ政権は「アル・カイダ」の犯行だと詳しい調査もせず、すぐに断定、アル・カイダ系武装集団を「人権無視」で弾圧していたイラクのサダム・フセイン体制を倒すため、2003年3月に先制攻撃する。 イラクを攻撃する際にブッシュ政権が嘘を広めていたことがすぐに判明するが、そうした中、2004年にリチャード・アーミテージ副国務長官(当時)は自民党の中川秀直らに対し、「憲法9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」と言明した。 ロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できると主張するキール・リーバーとダリル・プレスの論文がその2年後、フォーリン・アフェアーズ誌(CFR/外交問題評議会が発行)に掲載されている。アメリカの好戦派はキューバ危機の当時と似た精神状態になっていると言える。つまり、核戦争が勃発する危険性が高まっている。 ソ連が消滅、残ったロシアの大統領は西側巨大資本の傀儡だったボリス・エリツィン。アメリカに手向かうことはできないと考え、ウォルフォウィッツ・ドクトリンが作成されたのだが、それに伴ってアメリカ支配層は日本に強い従属を求めるようになる。 1994年に日本で公表された「日本の安全保障と防衛力のあり方(樋口レポート)」に満足できなかった彼らは武村正義官房長官が排除、国防大学のスタッフだったマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベル国防次官補を介してジョセフ・ナイ国防次官補やエズラ・ボーゲルと会い、1995年には「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」が発表される。日本をアメリカの戦争マシーンへ組み込む工作の本格化だ。 1997年には「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」が作成され、1999年には「周辺事態法」が成立、2000年にはナイがリチャード・アーミテージらと「米国と日本-成熟したパートナーシップに向けて(通称、アーミテージ報告)」を作成した。 9/11をはさみ、2002年に小泉純一郎政権が「武力攻撃事態法案」を国会に提出、03年にはイラク特別措置法案が国会に提出された。そして2004年の憲法第9条に関するアーミテージの発言につながる。2005年には「日米同盟:未来のための変革と再編」が署名され、12年にアーミテージとナイが「日米同盟:アジア安定の定着」を発表している。 こうした流れの中、小泉政権の正体に気づいた国民は小沢一郎が率いていた民主党に流れる。これをアメリカ支配層が危惧したのであろう、日本のマスコミや検察が小沢攻撃に動き始めた。 まず、週刊現代の2006年6月3日号は「小沢一郎の“隠し資産6億円超”を暴く」という記事を掲載、2009年11月には「市民団体」が陸山会の04年における土地購入で政治収支報告書に虚偽記載しているとして小沢の秘書3名を告発、翌年の1月に秘書は逮捕されている。また「別の市民団体」が小沢本人を政治資金規正法違反容疑で告発、2月に秘書3人が起訴された。 後に検察が「事実に反する内容の捜査報告書を作成」するなど不適切な取り調べがあったことが判明、事実上の冤罪だということが明らかになるものの、小沢一郎に「悪人」というイメージを固定することに検察やマスコミは成功した。 小泉の後、自民党の安倍晋三、福田康夫、麻生太郎が首相になるが、民主党を叩き切れない。そして2009年9月に小沢と近い関係にあった鳩山由紀夫が首相になる。小沢に対する怪しげな告発が行われるのはその直後だ。 東シナ海を「友愛の海」にしようと語っていた鳩山由起夫首相が検察とマスコミの力で首相の座から引きずり下ろされたのは2010年6月。次の菅直人政権は棚上げになっていた尖閣諸島(釣魚台群島)の領有権をめぐる問題に火を付け、中国との関係を悪化させ、南シナ海でも軍事的な緊張が高まる。 2015年6月1日に開かれた官邸記者クラブのキャップとの懇親会で安倍晋三首相は南シナ海に言及している。「安保関連法制」は「南シナ海の中国が相手」だと口にしたというのだ。週刊現代のサイトが紹介、外国でも話題になっていたが、日本のマスコミは大した問題だと考えていないようだ。【注】(1) ベニト・ムッソリーニは1933年11月に「資本主義と企業国家」という文章の中で、巨大資本が支配するシステムを「企業主義」と呼び、資本主義や社会主義を上回るものだと主張した。これが彼の考えたファシズムであり、全体主義だとも表現されている。(2) 1938年4月29日にフランクリン・ルーズベルトはファシズムについて次のように定義した。「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」
2016.06.28
EUからの離脱を問う国民投票が6月23日にイギリスであり、離脱派が勝利した。ジェイコブ・ロスチャイルドやジョージ・ソロスのような富豪が直前に行った「警告」は効果がなかったようだが、彼らがこれで引き下がるとは思えない。14日付けのフィナンシャル・タイムズ紙には、国民投票の結果を政府は無視できるという主張が掲載されていたが、あらゆる手段を講じて国民投票の結果を覆そうとするだろう。 今後、どのような展開になるのかは不透明だが、TTIP(環大西洋貿易投資協定)の成立が難しくなったとは言える。これはアメリカとEUとの協定で、最近はEU全体で反対の意見が高まっていた。そうした中、最も積極的だったのはイギリスの支配層。そのイギリスがEUから離脱するということになると、TTIPでヨーロッパを巨大資本に隷属させるという計画は挫折する。 EUも決して民主的な仕組みではなく、それに対する反発のひとつの結果が今回の国民投票で現れた。何度か引用しているが、堀田善衛はEUの前身であるECについて「幹部たちのほとんどは旧貴族です。つまり、旧貴族の子弟たちが、今ではECをすべて取り仕切っているということになります」(堀田善衛著『めぐりあいし人びと』集英社、1993年)としている。1993年のマーストリヒト条約発効に伴って誕生したEUも基本的に同じだ。 イギリス以外のEU加盟国は通貨の発行権を放棄しているため、イギリスより状況は悪い。各国の事情に即した政策を打ち出しにくく、巨大金融機関の食い物にされてしまう。この通貨発行権は支配の根幹に関わる。 アメリカの場合、政府は通貨の発行権を持っているのだが、これを行使していない。その切っ掛けは1907年の恐慌だという。 その始まりはニッカー・ボッカー信託によるユナイテッド・コパー社株の買い占め。これに対してロックフェラーが大量の銅を市場へ放出して銅相場を下げ、ニッカー・ボッカー信託は倒産の危機に陥った。同信託は手形交換所協会に助けを求めたが、その協会を支配していたジョン・ピアポント・モルガンは支援を拒否、連鎖倒産が始まり、相場は暴落する。 その翌年にセオドア・ルーズベルト大統領が国家通貨委員会を設立、委員長にネルソン・オルドリッチ上院議員を選んだ。この人物はジョン・ロックフェラー・ジュニアの義理の父であり、モルガンとも緊密な関係にあった。オルドリッチはジキル島にあるモルガンの別荘に巨大金融機関の代表を集めて秘密の会議を開き、そこで連邦準備制度の青写真が作り上げられる。そして1913年に連邦準備法が制定され、この法律によってアメリカの通貨政策は民間の銀行が支配することになった。ドルが基軸通貨になると、そうした銀行を世界に対する影響力は大きくなっていく。 巨大金融資本に国が支配されるという問題にメスを入れようとした大統領がジョン・F・ケネディ。1963年6月4日に大統領令(EO11110)へ署名、連邦準備制度の枠外で銀兌換紙幣を発行するように命令したのである。通貨発行権を政府が取り戻そうとしたと言えるだろう。 当時、ケネディ大統領はキューバへの軍事侵略を阻止、ソ連との核戦争を話し合いで解決、巨大企業の活動を制限する。そして1963年6月10日にケネディ大統領はアメリカン大学の卒業式で「平和の戦略」と呼ばれる演説をしてソ連との平和共存を訴えた。 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、その年の後半を目処に、アメリカの軍や情報機関の好戦派はソ連への先制核攻撃を目論んでいた。アメリカが攻撃に必要なICBMを準備でき、ソ連が準備できないタイミングはそこしかないという判断だったようだ。好戦派がキューバ侵攻に執着した一因は、そこから中距離ミサイルで反撃されるのを恐れたからだろう。 そして1963年11月22日、ケネディ大統領はテキサス州ダラスで暗殺された。リー・ハーベイ・オズワルドの単独犯行という公式見解がありえないだけでなく、現場にいた人の証言で、オズワルドが銃撃に参加することもできなかったと考えられている。政府機関を動かすことのできる力を持つ集団が関与していなければ、この暗殺は不可能だ。 ケネディ大統領の葬儀から帰国したシャルル・ド・ゴール仏大統領は情報大臣だったアラン・ペールフィットに対し、自分に対して起こりかけたこと、つまり暗殺未遂と同じことが行われたと語ったという。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015) アメリカの支配層は1947年にフランスで誕生した社会党系の政権を倒すために「ブル(青)計画」と名づけられたクーデターを計画、その際にド・ゴールを暗殺しようとしていたと言われている。 1961年には反ド・ゴール派の秘密組織、OAS(秘密軍事機構)が創設され、アルジェリアでのクーデター計画が話し合われている。アルジェリアの主要都市を支配し、パリを制圧するという内容で、4月に決行されるが失敗する。ド・ゴールは計画の背後にアメリカの情報機関がいると判断した。この時、ケネディ米大統領はジェームズ・ガビン駐仏大使に対して必要なあらゆる支援をする用意があるとド・ゴールへ伝えるように命じた。 結局、このクーデターは失敗し、ド・ゴールはSDECE(情報機関)の長官を解任、その暗殺部隊と化していた第11ショック・パラシュート大隊を解散させた。クーデター派の残党が1962年8月にド・ゴール暗殺を試み、これも失敗した。この暗殺未遂とケネディ大統領暗殺の構図は同じだとド・ゴールは考えたわけだ。なお、1966年にフランス政府はNATOの軍事機構からの離脱を決め、翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出している。 NATOは1949年に創設されたが、これは米英支配層がヨーロッパを支配するための仕組み。1991年にフランスのフランソワ・ミッテラン大統領とドイツのヘルムート・コール首相は「ヨーロッパ軍」を創設しようとしたのはアメリカから自立しようとしたのだろう。アメリカがこの構想を潰した理由もそこにある。自立させないということだ。 ヨーロッパを統合しようという動きは1922年に創設されたPEUから始まる。第2次世界大戦後に米英支配層はACUEを設置、その下にビルダーバーグ・グループもできている。軍事力だけでなく、通貨の発行権も主権と深く結びついている。ユーロという通貨を導入したことでEU各国はEU、その背後の米英支配層に従属することになった。 かつてはアメリカを動かしていたイギリスだが、ここにきてイギリスの支配層はアメリカへ拠点を移動させ、イギリスという国は単なるアメリカの属国になりつつある。そうした動きが表面化したのは2010年と言えるだろう。 この年にアメリカではFATCA(外国口座税務コンプライアンス法)が発効し、アメリカ以外の国の金融機関はアメリカ人の租税や資産に関する情報をアメリカ側へ提供する義務を課す一方、アメリカは自分たちが保有する同種の情報を外国へは提供しないことを決めて自らが巨大オフショア市場(タックス・ヘイブン)になることにした。 昨年9月、ロスチャイルド家の金融持株会社であるロスチャイルド社のアンドリュー・ペニーは税金を払いたくない富豪は財産をアメリカへ移すように顧客へアドバイスするべきだと語っているのも、そうした背景があるからだ。 こうした米英支配層の基本的な考え方はファシズムにほかならない。それがどのようなものなのかをふたりの人物に語ってもらおう: ベニト・ムッソリーニは1933年11月に「資本主義と企業国家」という文章の中で、巨大資本が支配するシステムを「企業主義」と呼び、資本主義や社会主義を上回るものだと主張した。これが彼の考えたファシズムであり、全体主義だとも表現されている。 1938年4月29日にフランクリン・ルーズベルトはファシズムについて次のように定義した。「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」
2016.06.27
シリアやイラクで劣勢になっているダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)はマレーシアやフィリピンなど東南アジアにエネルギーを集中させるように呼びかけている。今年1月14日にインドネシアの首都ジャカルタで何回かの爆破と銃撃戦があったが、ダーイッシュが攻撃を認めているようだ。 この地域にはワッハーブ派/サラフ主義者のネットワークがあり、アメリカの手先として破壊活動を行ったこともある。例えば、インドネシアでは1965年9月30日に小集団の若手将校が6名の将軍を誘拐のうえ殺害してジャカルタの主要箇所を占拠、それを鎮圧するという名目でスハルト将軍が率いる軍隊が出動、スカルノ政権を倒し、親米政権を作り上げたが、その際にもイスラムが登場している。 このクーデターではコミュニストと見なされた人など30万人から100万人が虐殺されているが、その黒幕はアメリカの支配層。コミュニストと手を組み、外国資産の国有化を始め、非同盟運動に参加していたスカルノを排除することが目的だった。 まずプロパガンダで攻撃を始め、1957年にCIAは秘密工作を始めている。訓練基地、あるいは兵站基地として工作の拠点になったのはフィリピン、台湾、シンガポール、そして沖縄。1958年にスカルノが日本を訪問すると、軍事蜂起を仕掛ける。その際にアメリカ軍が支援したが、失敗した。 その一方、アメリカの支配層は貴族階級の若者に目をつける。フォード財団はそうした若者をアメリカに留学させて訓練した。このプロジェクトに協力した大学にはカリフォルニア大学バークレー校、マサチューセッツ工科大学、ハーバード大学、コーネル大学などが含まれていた。訓練を受けた若者は「バークレー・ボーイズ」とか「バークレー・マフィア」と呼ばれている。(スーザン・ジョージ著、小南祐一郎、谷口真里子訳『なぜ世界の半分が飢えるのか』朝日選書、1984年)スハルトのクーデターには留学生だけでなく、イスラム教徒も参加、その背後にはスポンサーとしてサウジアラビアがいた。 この出来事に関する議論をジョコ・ウィドド大統領は支援しているのだが、リャミザルド・リアクドゥ国防相は公開討論に反対、アメリカ支配層の意向を受けて中国との軍事的な緊張を高めようとしている。1965年のクーデターはまだ「歴史」になっていない。 クーデター当時、アメリカへ留学していたひとりにロロ・ソエトロという人物がいる。ハワイ大学で学んでいたのだが、そこで知り合ったアン・ダンハムと結婚した。このアンは1961年8月に子どもを産んでいる。バラク・オバマだ。インドネシアで虐殺が行われていた1966年にソエトロは帰国、翌年にはアンと子どもが後を追う。アンはインドネシアでフォード財団やCIAと関係の深いUSAIDの仕事をしている。
2016.06.26
6月23日にイギリスで実施されたEUからの離脱を問う国民投票の結果、離脱に賛成する人が僅差ながら勝利したが、日本も似たような問題を抱えている。沖縄の独立だ。 沖縄/琉球は17世紀から薩摩藩の植民地的な存在になったのだが、その薩摩藩が長州藩と連合して樹立させた「明治政府」は当初、琉球を日本領と考えていなかっただけでなく、日本領にしようともしていなかったように見える。新政府は1871年7月に廃藩置県を実施するが、このときに琉球国を一緒に処理しようとしていない。明治政府が琉球国を潰すと決めたのは1842年の5月から6月にかけてで、沖縄県を誕生させたのは79年。 明治政府が1842年に琉球国を併合しようと決めた理由として考えられるのは、廃藩置県の3カ月後に起こった出来事。宮古島の漁民が難破して台湾に漂着、その際に54名が殺されたとされているのだが、これを口実にして台湾へ出兵することを計画、そのためには琉球国を日本に組み込む必要があったのだろうということだ。 日本は1874年に台湾へ派兵、75年には李氏朝鮮の首都を守る要衝、江華島へ軍艦が派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功してアジア侵略は始まるのだが、こうした流れの中に興味深い人物が存在している。厦門のアメリカ領事だったチャールズ・リ・ジェンダーだ。このアメリカ領事は外務卿だった副島種臣に台湾への派兵を進め、それ以降、75年まで外務省の顧問を務めた。 その当時、朝鮮では高宗の妻だった閔妃の一族が実権を握っていたが、その体制を揺るがす反乱が1894年に始まる。甲午農民戦争(東学党の乱)だ。この戦乱を利用して日本政府は軍隊を派遣、朝鮮政府が清に軍隊の派遣を要請したことから日清戦争へつながる。 閔妃がロシアとつながることを恐れた日本政府は1895年に日本の官憲と「大陸浪人」を使って宮廷を襲撃、閔妃を含む女性3名を殺害、その際に性的な陵辱を加えたことが日本への憎しみを増すことになった。暗殺に加わった奇兵隊出身の三浦梧楼公使たちは日本の法廷において「証拠不十分」で無罪になり、後に三浦は枢密院顧問や宮中顧問官という要職についている。 日本との戦争に敗れる前に清はイギリスの侵略戦争で疲弊していた。清との貿易で大幅な赤字に苦しんでいたイギリスは麻薬を売りつけ、利権を奪うことを決めて軍事侵略している。1840年から42年にかけてのアヘン戦争と56年から60年にかけてのアロー戦争だ。アヘン取引ではイギリス人だけでなく、アメリカ人も大儲けしていた。 アヘン取引で大儲けした会社のひとつがジャーディン・マセソン商会で、1859年にこの会社はトーマス・グラバーを長崎へ送り込んでいる。ほどなくして彼はグラバー商会を設立、長崎のグラバー邸は武器取引に使われたが、そこには坂本龍馬、後藤象二郎、岩崎弥太郎たちも出入りしていたことが知られている。 グラバーが日本へ送り込まれた年にイギリスの駐日総領事だったラザフォード・オールコックは長州藩から5名の若者をイギリスへ留学させることを決める。1863年に選ばれたメンバーは井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)の5名だ。 1865年にはイギリスが麻薬取引の拠点にしていた香港で香港上海銀行が創設され、66年に横浜へ進出、さらに大阪、神戸、長崎にも支店を開設している。「大政奉還」はその後の1867年だ。「明治維新」の背後には、中国を征服して富を奪おうとしていたイギリスが存在している。日本がアジアを侵略し始める段階でイギリスと深い関係にあるアメリカの領事が関係していることを「偶然」で切り捨てることはできない。 日本は1894年から95年にかけて清と戦った後、1904年から05年にかけてロシアと戦争している。この戦争では「棍棒外交」という侵略政策進めたセオドア・ルーズベルト米大統領が講和勧告を出し、韓国における日本の優先的な地位、旅順や大連の租借権、長南と旅順口とを結ぶ鉄道の経営権の日本にいたする譲渡、サハリン南半分の日本への割譲、沿海州やカムチャツカの漁業権の日本に対する譲渡などが決まった。賠償金の支払いは認められていない。 講和条約が結ばれた2カ月後、桂太郎首相はアメリカで「鉄道王」と呼ばれていたエドワード・ハリマンと満鉄の共同経営に合意した。これは小村寿太郎の猛反対で破棄されたが、この一件でも日露戦争の裏が透けて見える。 この当時、イギリスは日本の軍事力増強を助けていたが、戦費の調達はロスチャイルドと関係の深いクーン・ローブに頼った。この銀行はふたりのドイツ系移民、アブラハム・クーンとソロモン・ローブがニューヨークで設立したのだが、その経営を任されたジェイコブ・シッフはロスチャイルド家に近かったのだ。シッフは日銀副総裁だった高橋是清と親しくなる。 日露戦争が始まった1904年、イギリスの地理学者ハルフォード・マッキンダーは世界制覇戦略を公表する。いわゆる「ハートランド理論」だ。 彼は世界を3つ、つまりヨーロッパ、アジア、アフリカの「世界島」、イギリスや日本のような「沖合諸島」、そして南北アメリカやオーストラリアのような「遠方諸島」に分けて考える。「世界島」の中心が「ハートランド」で、具体的にはロシアを指している。 ロシア征服が世界支配の核心だと考え、西ヨーロッパ、パレスチナ(1948年にイスラエル建国を宣言)、サウジアラビア(サウード家のアラビアを意味するサウジアラビアが登場するのは1932年)、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ「内部三日月帯」、その外側に「外部三日月地帯」を想定、そのふたつの三日月地帯でロシアを締め上げようとした。 実際、この当時、イギリスの支配層は世界制覇を目論んでいたのだが、そのためには兵力が不足していた。ライバルのフランス、ドイツ、ロシアに対抗するために約14万人の兵士が必要だと見られていたが、実際の兵力は7万人しかいない。そこで目を付けられたのが日本で、1902年には「日英同盟協約」が結ばれている。 1923年9月1日に関東大震災があり、東京周辺は大きな打撃を受けた。その復興資金を調達するため日本政府は外債の発行を決め、JPモルガンに頼った。ロスチャイルド家の力で生まれたアメリカの巨大金融機関だ。この金融機関と最も親しかった日本人と言われているのが井上準之助。彼は1920年の対中国借款交渉を通じてJPモルガンと深く結びついていた。 1932年に駐日大使として赴任してくるジョセフ・グルーは、いとこがジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガン総帥の妻。戦後、グルーは日本の民主化を止め、ファシズム化へ方向転換させたジャパン・ロビー(ACJ)で中心的な役割を果たすことになる。(詳細は割愛) 明治維新以降、日本は米英の巨大資本の強い影響下にあるが、1933年3月から45年4月にかけてはニューディール派のフランクリン・ルーズベルトがアメリカ大統領だったことから、日米の従属関係が機能しなかった。これが日米開戦の一因だろう。(日本でフランクリン・ルーズベルトを罵倒することは安全。) そのルーズベルト政権を倒し、ファシズム体制へ移行させようとするクーデター計画が1933年から34年にかけてあったことは本ブログで何度か指摘した通りで、その中心的な存在がJPモルガン。その巨大金融機関の代理人として送り込まれてきたのがグルーであり、戦前と戦後を結ぶキーパーソンだ。 1941年12月に日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃してアメリカに宣戦布告、グルーは大使の任を解かれたが、42年になって岸信介がグルーをゴルフに誘っているのは興味深い事実。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007) 岸の孫である安倍晋三首相は「戦前への復古」と「アメリカへの従属」を目指していると言われているが、これを「矛盾」と考えるべきでないことを歴史は示している。「戦前への復古」とは「ウォール街への従属」を意味しているのだ。アメリカを均一な存在と考えてそれを「善」と位置づけ、「自立した軍国主義の日本」を想定してそれを「悪」と位置づけ、その「善」と「悪」が戦ったとする見方は間違いだろう。 こうした歴史の中、日本やアメリカの支配層に蹂躙されてきた琉球/沖縄だが、そのエリートたちは支配に協力してきたという。例えば、戦争の最終盤には「それまで、皇軍協力を叫んできた知識人・教職員が率先して米軍政に走」(森杉多著『戦争と教育』近代文藝社)り、後には「祖国復帰運動」を展開することになるが、ここにきて「指導者」が率いるのではない運動が生まれているようだ。日米への従属を拒否し、独立を目指す人も増えているようだ。イギリスのEU離脱は日本の問題でもある。
2016.06.25
6月23日にイギリスで実施されたEUからの離脱を問う国民投票は離脱派が勝利したようである。投票日の直前になって離脱を支持する人の率が急に伸び、残留を望んでいた支配層は慌てていた。そこでジェイコブ・ロスチャイルドやジョージ・ソロスのような富豪は有力メディアで離脱すると不利益を被ると庶民を脅迫、14日付けのフィナンシャル・タイムズ紙には、国民投票の結果を政府は無視できるという主張が掲載されている。16日には残留派のジョー・コックス下院議員が射殺され、日本のマスコミは今回の事件が国民投票に影響を与えるのは必至だと宣伝していたが、そうした動きは見られなかった。 EUからの離脱はイギリス以外の国でも議論されている。EUは少なからぬ問題を抱えているからだ。例えば、EUへ参加した国々は移民の大量流入による財政負担の増大に苦しみ、労働環境は悪化、それに伴って犯罪が増大することになる。しかもイギリス以外の国は通貨発行権が剥奪され、自国の事情に沿った政策を実施することが困難だ。TTIP(環大西洋貿易投資協定)も人びとにEU離れを促しているだろう。 EUは1993年のマーストリヒト条約発効に伴って誕生した。その前身であるEC(欧州共同体)について堀田善衛はその「幹部たちのほとんどは旧貴族です。つまり、旧貴族の子弟たちが、今ではECをすべて取り仕切っているということになります。」(堀田善衛著『めぐりあいし人びと』集英社、1993年)と書いているが、その旧貴族をカネと暴力で支配しているのが米英の支配層。EUは民主的と言い難い組織なのである。 本ブログでは何度も書いてきたが、イギリスのロンドン(シティ)は金融の重要な拠点として機能、1970年代からロンドンを中心にしたオフショア市場/タックス・ヘイブンのネットワークを張り巡らせてきた。そのネットワークにはジャージー島、ガーンジー島、マン島、ケイマン諸島、バミューダ、英領バージン諸島、タークス・アンド・カイコス諸島、ジブラルタル、バハマ、香港、シンガポール、ドバイ、アイルランドなどが含まれている。この仕組みが築かれたことにより、スイス、ルクセンブルグ、オランダ、オーストリア、ベルギー、モナコなど古いタックス・ヘイブン(租税回避地)の重要度は低下した。 ところが、数年前から富豪たちは資金をアメリカへ移動させ始めている。租税を回避し、表にできない資金をロンダリングするために巨大企業や富豪たちは資金をアメリカへ持ち込んでいるのだ。 ロスチャイルド家の金融持株会社であるロスチャイルド社のアンドリュー・ペニーは昨年9月、サンフランシスコ湾を望む法律事務所で講演した中で、税金を払いたくない富豪は財産をアメリカへ移すように顧客へアドバイスするべきだと語っている。現在、最大のタックス・ヘイブンはアメリカなのである。 こうしたことは政策として実行された。つまり、2010年にアメリカではFATCA(外国口座税務コンプライアンス法)が発効し、アメリカ以外の国の金融機関はアメリカ人の租税や資産に関する情報をアメリカ側へ提供する義務を課す一方、アメリカは自分たちが保有する同種の情報を外国へは提供しないことにしたのだ。この結果、アメリカは強大なタックス・ヘイブンになり、ロンドンの存在意義は薄らいだ。イギリスはEUへ呑み込まれる運命にあったと言えるだろう。 前にも書いたが、EUはヨーロッパを統合するという米英支配層の計画に基づいて作られた。1922年に創設されたPEUに始まり、第2次世界大戦後にACUEが作られ、その下にビルダーバーグ・グループもできている。 1949年に創設されたNATOもこの計画に深く関係、その軍事同盟に吸収された秘密部隊は西ヨーロッパをコントロールするために破壊活動を行ってきた。中でも有名な組織がイタリアのグラディオで、1960年代から80年代にかけて極左集団を装って爆弾攻撃を繰り返している。(注) ソ連の消滅が視野に入った1991年にフランスのフランソワ・ミッテラン大統領とドイツのヘルムート・コール首相は「ヨーロッパ軍」を創設しようとしたのだが、この目論見をアメリカは潰している。NATOはアメリカ支配層の意思で動く軍事組織であり、EUの軍隊をアメリカは望んでいない。 今後、EU離脱国が増えてEU崩壊へ進むようなことがあると、NATOを維持することも難しくなる。そうならないよう、経済的な攻撃だけでなく、何らかの軍事的な工作を仕掛けてくる可能性もある。そのための「秘密部隊」だ。【注】CIAの破壊活動部門を後ろ盾とするグループが1962年8月にシャルル・ド・ゴール仏大統領暗殺を試みて失敗、その4年後にド・ゴール政権はNATOの軍事機構から離脱することを決め、翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出した。フランスがNATOへ完全復帰したのは2009年。
2016.06.24
マスコミの支援を受けて安倍晋三政権が成立を目指しているTPP(環太平洋連携協定)はアメリカ国内での反発が強く、どうなるかわからない。ヒラリー・クリントンが大統領になれば弁護士流の屁理屈で成立を目指すだろうが、簡単ではないだろう。 TPPはTTIP(環大西洋貿易投資協定)やTiSA(新サービス貿易協定)とセットで、アメリカを拠点とする巨大資本/企業が協定に参加した国々を支配するシステム。本ブログでは何度も書いているように、ファシズムだ。(注) 安倍政権にはTPP以外の「実績」として、安保関連法制、秘密保護法、マイナンバー制度、量的・質的金融緩和などがある。 安保関連法制は日本をアメリカの戦争マシーンに組み込むことが目的。そのアメリカでは1992年の初め、国防総省のDPG草案という形で世界制覇の基本プランが作成された。そのプランを実行するために不足している戦闘員を補強しようということだろう。 1991年12月にソ連が消滅するとアメリカの支配層は自国が「唯一の超大国」になったと認識、世界に存在する自立度の高い体制、潜在的なライバルを破壊し、力の源泉である資源を支配しようと考えた。潜在的なライバルと見なされたのは旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなど。膨大な石油資源を抱える西南アジアも支配の対象とされた。 1994年に国防大学のスタッフだったマイケル・グリーンとパトリック・クローニンがカート・キャンベル国防次官補を介してジョセフ・ナイ国防次官補やエズラ・ボーゲルに会い、日本が自立の道を歩き出そうとしていると警告、それを受けて1995年に発表されたのが「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」。ここから日本をアメリカの世界制覇戦争へ組み込む準備が始まった。 1997年には「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」が作成され、99年には「周辺事態法」が成立し、2000年にはナイやリチャード・アーミテージが中心になって「米国と日本-成熟したパートナーシップに向けて(通称、アーミテージ報告)」が発表される。 2001年9月11日にはニューヨークの世界貿易センターやワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、それを利用してアメリカ支配層は憲法を仮死状態にし、国外では侵略戦争を本格化させた。そして2002年に小泉純一郎政権は「武力攻撃事態法案」を国会に提出、03年にはイラク特別措置法案が国会に提出され、04年にアーミテージは自民党の中川秀直らに対して「憲法9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」と言明、05年には「日米同盟:未来のための変革と再編」が署名されて対象は世界へ拡大、安保条約で言及されていた「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念」は放棄された。その延長線上に安保関連法制はある。 2003年3月にアメリカ軍がイギリス軍などを引き連れてイラクを先制攻撃したときもそうだったが、戦争は嘘と共にやって来る。その嘘を広める役割を負っているのがメディアだ。その後、アメリカをはじめとする西側メディアは侵略戦争を正当化するため、偽情報を流し続けているが、ロシアが立ちふさがり、アメリカ支配層の世界制覇はまだ実現していない。時間の経過と共にメディアの嘘を知る人は増え、無惨なことになった。それでも西側、特にアメリカや日本のメディアは形振り構わず嘘をつき続けている。 アメリカの支配層は自国だけでなくターゲット国のメディアもコントロールしているのだが、それでも心配なのか、安倍政権は秘密保護法を成立させた。これは自分たちの悪事を隠すことも目的だろう。自分たちの刃向かう人間を見つけ、排除することをアメリカでも日本でも支配層は願う。そのために個人情報を集め、分析する必要があり、マイナンバー制度はそのために使われるはずだ。 安倍政権が宣伝している「アベノミクス」の柱。以前にも本ブログで書いたが、これは資金を世界の投機市場へ流し込むだけで、日本全体の景気を良くすることはない。豊かになるのは世界の巨大企業や富裕層だけである。そうした人びとに日本の庶民は「喝上げ」されているとも言える。 こうした政策を推進してきた安倍政権を支持するということは、日本をファシズム化、自分たちは監視されながら支配層に従い、貧困化など気にせずにカネを貢ぎ続け、アメリカの侵略戦争に協力して命まで捧げることを意味する。そうした日本人が半数近くいるらしい。【注】「ムッソリーニにとってのファシズム」 ベニト・ムッソリーニは1933年11月に「資本主義と企業国家」という文章の中で、巨大資本が支配するシステムを「企業主義」と呼び、資本主義や社会主義を上回るものだと主張した。これが彼の考えたファシズムであり、全体主義だとも表現されている。「ルーズベルトにとってのファシズム」 1938年4月29日にフランクリン・ルーズベルトはファシズムについて次のように定義した。「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」
2016.06.23
ドイツ外相のフランク-ヴァルター・シュタインマイアーはNATOを戦争挑発者だと批判した。武力で威嚇したり、ときの声を上げれば状況を悪化させるだけで、ロシアとの国境近くで戦車を示威行進させるようなことをするべきでないと語ったようだ。 1990年に東西ドイツが統一される際、アメリカのジェームズ・ベイカー国務長官はソ連のエドゥアルド・シュワルナゼ外務大臣に対し、統一後もドイツはNATOにとどまるものの、東へ拡大させることはないと約束したことが記録に残っている。この約束をミハイル・ゴルバチョフは無邪気にも信じた。このとき、ソ連外相が外交の素人だったエドゥアルド・シュワルナゼだったことも騙された一因だろう。 西側支配層はソ連を潰し、そこにある富を奪うつもりで、1991年7月にロンドンで開かれたG7の首脳会談で新自由主義を強要する。これにゴルバチョフは難色を示したことから新たな傀儡としてボリス・エリツィンが選ばれた。エリツィンはその月にロシア大統領に就任している。 その期待に応え、エリツィンは12月にウクライナのレオニード・クラフチュクやベラルーシのスタニスラフ・シュシケビッチとベロベーシの森で秘密会議を開いてソ連からの離脱を決め、ソ連を消滅させた。 その直後から旧ソ連圏では「独立」が仕掛けられ、1999年にはチェコ、ハンガリー、ポーランド、そして2004年にはブルガリア、エストニア、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、スロバキア、スロベニア、2009年にアルバニア、クロアチアといった具合にNATOへ加盟していく。当然、NATO加盟国はロシアに接近していくが、SACEUR(NATO欧州連合軍最高司令官)だったフィリップ・ブリードラブのような好戦派はロシアの脅威が増していると表現している。 加盟国を東へ拡大させるだけでなく、NATOは今年6月6日から17日までロシアの目と鼻の先で大規模な軍事演習「アナコンダ」を行った。「第3次世界大戦」の予行演習とも言われ、NATOに加盟していないウクライナ、ジョージア(グルジア)、マケドニア、コソボ、スウェーデンからも参加したという。 すでにロシアは自分たちの戦闘能力がいかに高いかを示して警告しているが、軍事的な威圧、挑発をアメリカ/NATOは止めようとしていない。すでに経済が破綻、ドルが基軸通貨から陥落しそうなアメリカとしては、侵略しか残された道はないのだろう。 今から10年前、2006年に出されたフォーリン・アフェアーズ誌(CFR/外交問題評議会が発行)に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文では、ロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できると主張していたが、その話を今でも信じているのかもしれない。かつて日本人が「神風」を信じたように。安倍晋三政権はこうしたアメリカの侵略戦争に荷担する準備を進めているが、世界的に見ると、シュタインマイアー外相のようにアメリカの狂気から離れようとする人が増えている。
2016.06.22
東京電力の福島第一原発が事故を起こした際、その当時社長だった清水正孝が「炉心溶融」を使わないよう社内に指示していたことを広瀬直己社長は認め、謝罪したという。その結果、近くの住民だけでなく日本人全体の被曝量は大きく増えた可能性があり、その罪は重い。場合によっては、より深刻な事態もありえた。 2011年3月11日14時46分に地震が発生、その約1時間後に全ての電源が失われて炉心を冷却できなくなったとされている。その時点で炉心溶融は不可避だった。「過渡期現象記録装置データ」から元東電社員の木村俊雄は地震発生の1分30秒後あたり、つまり津波が来る前から冷却水の循環が急激に減少し、メルトダウンが始まる環境になったとしているので、実際の進行は公式発表より速かったかもしれない。 事故前に原子力安全基盤機構が作成していた炉心溶融のシミュレーション画像を見ると、全電源喪失事故から30分ほど後にメルトダウンが始まり、約1時間後に圧力容器の下に溶融物は溜まり、約3時間後に貫通して格納容器の床に落下、コンクリートを溶かし、さらに下のコンクリート床面へ落ち、格納容器の圧力が上昇、外部へガスが漏洩し始めると予想されている。 地震の翌日、3月12日の0時49分には格納容器の圧力が大きく上昇、15時36分には1号機で水素爆発があった。その様子を上空から撮影した写真がないとは思えない。その写真を見れば、青い光が写っていただろう。そこで確認できたはずだ。14日11時1分には1号機とは異質の激しい爆発が3号機であった。 1号機で爆発が起こる1時間半ほど前に開かれた記者会見で経済産業省の中村幸一郎審議官は炉心溶融の可能性があると発言している。中村審議官がメルトダウンの可能性を口にした段階で記者もそうした状況を予想していなければおかしい。原発に関心を持っている人なら「そうだろうね」と思っただろうが、その翌日から広報担当は別の人物に交代した。その時点でこの交代に何も感じない記者がいたとするならばかなり鈍感な人物。炉心溶融について追及しなかった記者たちも読者や視聴者に謝罪しなければならない。 溶融した炉心がどうなっているかは未だに不明。5月には東京電力の常務執行役で「福島第一廃炉推進カンパニープレジデント」だという増田尚宏は溶融した燃料棒を含む塊(デブリ)600トンがどこにあるか不明だと認めている。 おそらくデブリは地中に潜り込み、地下水がそれを冷却している状態。チャイナ・シンドローム状態になっているということだ。40年で廃炉することが難しいと東電も認識しているようで、例えば、福島第一原発の小野明所長も飛躍的な技術の進歩がない限り、不可能かもしれないと語っている。 イギリスのタイムズ紙は廃炉までに200年という数字を出しているが、数百年はかかると見るのが常識的。その間のコストは膨大で、リスクは高い。今後、健康、環境への影響も顕在化し、「種」としての存続が問題になることも考えられる。ある程度、情報を出さないとまずい深刻な事態になっているのかもしれない。 ところで、清水は2008年6月に勝俣恒久の後任として社長になった。勝俣は清水の義父にあたるという。この人事の背景には2007年7月の新潟県中越沖地震があった。地震の最大震度は6強とされているが、柏崎刈羽原発の敷地内にある地震計は震度7を計測、緊急停止している。被害は大したことがなかったとされているが、実際は非常に危険な状態だったとも言われている。 2007年には電力会社が重大な事故を隠蔽してきたことが発覚、これも東電の社長交代につながったのだろう。例えば、3月には「1978年11月2日に福島第一原発3号機において制御棒5本が脱落し、7時間半も臨界状態が続いていた」と推定されることを東京電力が公表している。そのほかにも東電では1979年2月12日に福島第一原発5号機で1本、80年9月10日に同原発2号機で1本、93年6月15日には福島第二原発2号機で1本、93年6月15日には福島第二原発3号機で2本が脱落し、98年の定期検査中には34本が一気に15センチメートルほど抜け、そして2000年4月7日には柏崎刈羽原発1号機で2本脱落したことが明らかになった。 情報の隠蔽は常態化、東電、経産省、内閣、マスコミ、どこも信用できない。日本では内部告発者はほとんど出てこないが、秘密保護法は情報の隠蔽を正当化して万一にも内部告発者が現れないようにしている。広瀬社長の「謝罪」も空しい。
2016.06.22
イギリスがEUから離脱するかどうかが話題になっているが、EUから離れたいという声が高まっている国はイギリス以外にも少なくない。金融拠点のひとつであるロンドンを抱える国がEUを離れるインパクトは大きく、その影響が世界へ波及することは避けられないものの、EUの実態はEUへの幻想を壊し、離脱派を後押しする。 そうした出来事のひとつがギリシャのEU残留。そのような決定で利益を得ているのは国内外の富豪や巨大企業だけであり、庶民の生活は悪化するばかり。EU幻想に取り憑かれたウクライナ西部の住民はキエフでのクーデターを支持、東部や南部に住むロシア語系住民を殲滅しようとしたが、ファシストが支配する西部や中部の地域は破綻国家になっている。 当初、イギリスがEUからの離脱を言い始めた理由は他の加盟国、例えばドイツやフランスを脅すためだったと言われているが、それが現実になりそうな雲行きになり、富豪は慌てている。ジェイコブ・ロスチャイルドやジョージ・ソロスのような富豪は有力メディアで離脱すると不利益を被ると庶民を脅迫しているが、それほど彼らを怒らせているのは世界支配のプランが崩れてしまうからだろう。 アメリカをはじめ、西側の支配層は現在、巨大資本が世界を支配する世の中を作り上げようとしている。巨大資本が支配する世界は当然、統制経済になる。ベニト・ムッソリーニは1933年11月に「資本主義と企業国家」という文章の中で、このシステムを「企業主義」と呼び、資本主義や社会主義を上回るものだと主張した。これが彼の考えたファシズムであり、全体主義だとも表現されている。そのベースになる考え方はイタリアの経済学者ビルフレド・パレートから学んだのだという。 後に西側では全体主義をファシズムとコミュニズムを一括りにするタグとして使うようになるが、これは巨大資本の情報操作。本来は企業主義(企業支配)と結びつけるべきものだった。巨大資本が定義した意味で全体主義というタグを使うのは、情報操作に踊らされていることを意味する。 1933年11月といえば、アメリカの巨大資本が反フランクリン・ルーズベルトのクーデターを計画していたころ。その5年後の4月29日にルーズベルトはファシズムについて次のように定義している。「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」 ここに書かれているようなことをアメリカの支配層は目論んでいる。その突破口になる協定がTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の3点セット。このうちTTIPはアメリカとEUの協定で、EUから離脱した国には適用されない。勿論、EUが解体されればTTIPは雲散霧消だ。 ところで、前にも書いたように、ヨーロッパ統合は米英支配層の計画だった。1922年に創設されたPEUに始まり、第2次世界大戦後にACUEが作られ、その下にビルダーバーグ・グループもできた。NATOの創設は1949年だ。EUの前身であるECについて、堀田善衛はその「幹部たちのほとんどは旧貴族です。つまり、旧貴族の子弟たちが、今ではECをすべて取り仕切っているということになります。」(堀田善衛著『めぐりあいし人びと』集英社、1993年)と書いている。EUでも同じことが言えるだろう。その旧貴族をカネと暴力で支配しているのが米英の支配層であり、その支配のためにNATOやUKUSAは存在する。 こうした仕組みを作り上げた米英の支配層は当初、イギリスが主導権を握っていた。そのイギリスで1891年に「選民秘密協会」が創設されている。セシル・ローズ、ナサニエル・ロスチャイルド、レジナルド・ブレット(エシャー卿)、ウィリアム・ステッドが中心メンバー。ブレッドは心霊主義の信者としても知られるビクトリア女王の相談相手で、後にエドワード7世やジョージ5世の顧問を務めることになる。 ジョージタウン大学の教授だったキャロル・クイグリーによると、1901年までローズがこの結社を支配していたが、それ以降はアルフレッド・ミルナーが中心になる。そのミルナーはシンクタンクのRIIA(王立国際問題研究所)を創設した。後にRIIAのアメリカ支部と見なされるようになるアメリカのCFR(外交問題評議会)は設立直後、JPモルガンに乗っ取られた団体だ。 モルガン一族が富豪の仲間入りする切っ掛けは、ジュニアス・モルガンなる人物がロンドンにあったジョージー・ピーボディーの銀行の共同経営者になったこと。1857年にその銀行が倒産寸前になるが、そのときにピーボディーと親しくしていたナサニエル・ロスチャイルドが救いの手をさしのべている。 1864年にピーボディーは引退し、モルガンが引き継ぐ。その息子がジョン・ピアポント・モルガン。この息子はロスチャイルド財閥のアメリカにおける代理人となった。この人物の名前から彼の金融機関はJPモルガンと名づけられたわけだ。 本ブログでは何度も書いているように、関東大震災の復興資金調達で日本政府が頼ったのがこのJPモルガンで、それ以降、日本の政治や経済に大きな影響を及ぼすことになる。有り体に言うなら、ウォール街の属国になり、ファシズム化が始まった。だからこそ血盟団による暗殺や二・二六事件が引き起こされたのだろう。 ニューヨークの株式市場で相場が大暴落した1929年から大統領を務めたハーバート・フーバーはウォール街の巨大金融資本を後ろ盾にしていたが、その経歴をさかのぼるとロスチャイルドが現れる。スタンフォード大学を卒業した後に鉱山技師として働いた鉱山を所有していたのがロスチャイルドだった。そのとき、利益のためなら安全を軽視する姿勢が気に入られたようだ。 相場は大きく変動するときがチャンス。下がれば損をするというものでもない。暴落のタイミングを知っていれば、つまり暴落を仕掛けられれば大儲けできるのだ。1929年にもそうしたことが起こったと言われている。相場の下落で儲かるだけでなく、二束三文で価値あるものを手に入れられる。その時に政府をコントロールできていれば、やりたい放題だ。 そうした意味で1928年や32年の大統領選挙は重要だったが、32年の選挙でフーバーは再選に失敗する。ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選したのだ。当然のことならが、JPモルガンをはじめとする巨大金融資本はショックを受けた。 当時、大統領の就任は3月。選挙から4カ月のギャップがある。その間にルーズベルトはフロリダ州マイアミで銃撃事件に巻き込まれるが、弾丸は隣のシカゴ市長に命中、市長は死亡した。引き金を引いたのはレンガ職人のジュゼッペ・ザンガラなる人物で、足場が不安定だったことから手元が狂ったとも言われている。この銃撃犯は直後の3月20日に処刑されてしまい、真相は不明のままだ。 ルーズベルトが大統領に就任した後、支配層はニューディール政策の実行を妨害する。その最前線にいたのが最高裁判所だった。そして1934年にクーデター計画が発覚する。名誉勲章を2度授与された伝説的な軍人で信望が厚かったスメドリー・バトラー海兵隊少将は議会でこの計画を明らかにしたのだ。 バトラーによると、クーデター派はルーズベルト政権を倒すため、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、フランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしていたという。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領をプロパガンダで攻撃、50万名規模の組織を編成して圧力をかけ、大統領をすげ替えることになっていたという。現在、アメリカの支配層がカネ儲けに邪魔な政権、体制を倒すために使う手法と基本的に同じだ。バトラー少将の知り合いだったジャーナリストのポール・フレンチもクーデター派を取材、その際に「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」と言われたと議会で証言している。 このクーデター計画を聞いたバトラー少将はカウンター・クーデターを宣言する。50万人を動員してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分はそれ以上を動員して対抗すると告げたのだ。つまり、ルーズベルト政権を倒そうとすれば内戦を覚悟しろというわけである。その結果、クーデターは中止になるが、クーデター派を追及して内戦になることを恐れたルーズベルト政権は曖昧なまま幕引きを図った。大戦の終盤、ルーズベルトはドイツや日本の略奪財宝を回収するのと同時にナチスと巨大企業との関係を明らかにしようとしていたと言われているが、これはルーズベルトが執務室で急死したため、実現しなかった。 何度も書いてきたが、JPモルガンと日本とを結ぶキーパーソンはジョセフ・グルー。駐日大使として1932年に赴任してきたが、彼のいとこのジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻だ。またグルーの妻、アリス・ペリーは少女時代に日本で生活、華族女学校(女子学習院)へ通っている。そこで後に大正(嘉仁)天皇の妻(貞明皇后)になる九条節子と友人になったという。 グルーは1932年から41年まで駐日大使を務めているが、妻と皇室との関係も利用して松平恒雄、徳川家達、秩父宮雍仁、近衛文麿、樺山愛輔、吉田茂、牧野伸顕、幣原喜重郎らと親しくなったという。1941年12月に日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃してアメリカに宣戦布告した直後、グルーは大使の任を解かれたが、42年になって岸信介(つまり安倍晋三の祖父)はグルーをゴルフに誘っている。それから間もなくしてグルーはアメリカへ戻った。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)大戦後、グルーはジャパン・ロビーの中心メンバーとして「右旋回」、つまり戦前回帰を推進する。安倍首相やその仲間たちはこの政策を促進しようとしているだけである。
2016.06.21
シリアでもアメリカは「停戦」を利用して侵略軍をテコ入れし、バシャール・アル・アサド政権を倒すという1991年以来の計画を実現しようとしている。2月19日付けシュピーゲル誌に掲載されたサウジアラビア外務大臣へのインタビューで、シリアの戦況を変えるために携帯型の防空システムMANPADを供給しはじめたと公言、対戦車ミサイルTOWも大量にシリアへ持ち込まれた。最近はアメリカやフランスが特殊部隊を送り込み、トルコ軍がシリア領内へ侵攻したと伝えられている。シリア政府によると、ドイツも特殊部隊を侵入させたという。 アメリカはダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を悪玉にし、アル・ヌスラのようなアル・カイダ系武装集団を善玉として扱うようにロシア政府へ要求している。停戦で時間稼ぎしている間に戦闘態勢を立て直し、それからシリア政府を倒して傀儡体制を樹立させるか、リビアのように破綻国家にしようと考えていると見られている。 現在、アメリカが言うところの「穏健派」はアル・ヌスラなどと渾然一体で、恐らくアメリカの特殊部隊も一緒にいる。その分離が終わるまでロシアは空爆しないでくれと言っているようだが、分離する気はないだろう。アレッポでの戦闘で、この渾然一体となった武装勢力は一緒に戦っている。その渾然一体となった武装集団をロシア軍は攻撃した。時間稼ぎは許さないという警告だと見られている。 アメリカが停戦を利用してシリア政府を倒すための準備を進めていることはロシアのような情報機関がなくても明白。本ブログでも「ロシア軍が再び攻撃を強化するという話」を紹介していた。シリア政府に対するアメリカ政府の攻撃が本格化するのを座して待つことはないだろうということだ。実際、その通りになった。今後、ロシア軍は戦闘態勢を戻す可能性が高い。今年6月9日から12日にかけてドイツのドレスデンで開かれ、アメリカ空軍の大将で欧州連合軍最高司令官を務めたフィリップ・ブリードラブも参加したビルダーバーグ・グループで話し合われた内容もロシアの行動に影響したかもしれない。 現在、アメリカが「穏健派」扱いしているアル・カイダ系武装集団だが、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された(9/11)直後、ジョージ・W・ブッシュ政権は「アル・カイダ」なるものが実行したと断定、「テロリスト」の象徴にした。 しかし、イギリスのロビン・クック元外相が指摘したように、「アル・カイダ」とはCIAから訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルであり、戦闘集団ではない。アル・カイダはアラビア語で「ベース」を意味、「データベース」の訳としても使われている。つまり、傭兵の登録リストだ。そうした意味で、ダーイッシュも実態は同じ。 リビアで地上軍の主力だったのはアル・カイダ系武装集団のLIFGだったが、シリアの場合はアル・ヌスラが中心。ただ、リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制が2011年10月に倒された直後から戦闘員と一緒に武器/兵器をシリアへ運んでいるので、実態は同じ。つけられたタグが違うだけだ。アメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)で2012年8月に作成された報告書によると、アル・ヌスラはAQIがシリアで活動するときに使う名称にすぎない。 このAQIは2004年10月にイラクで活動を始めた。2003年3月にアメリカ軍がイラクを先制攻撃してサダム・フセイン体制を倒し、殺戮と破壊で国が混乱する中、勢力を拡大していった。このAQIが中心になって2006年10月にISIが編成され、活動範囲をシリアへ拡大した13年4月からISISとかダーイッシュと呼ばれるようになる。この名前が広く知られるようになったのは2014年に入ってから。1月にファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にモスルを制圧したのだが、その際、トヨタ製小型トラック「ハイラックス」の新車を連ねた「パレード」を行い、その様子が世界に伝えられてから。当然、アメリカの軍や情報機関は偵察衛星、無人機、通信傍受、人間による情報活動などで武装集団の動きを知っていたはずだが、何もしていない。 アメリカはダーイッシュのパレードを傍観しただけでなく、この武装集団を作り上げたのはアメリカの友好国と同盟国だとウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官は、CNNの番組で語っている。2012年から14年までDIA局長を務めたマイケル・フリン中将は退役後、アル・ジャジーラのに対し、ダーイッシュはバラク・オバマ政権が決めた政策によって勢力を拡大したと語っている。2012年8月の報告書でホワイトハウスに対し、そうしたことを警告していた。 ISIからISIS(ダーイッシュ)へ呼ばれ方が変わり、活動範囲がシリアへ拡大する直前の2012年、アメリカの情報機関や特殊部隊はヨルダン北部に設置された秘密基地で反シリア政府軍の戦闘員を育成するための訓練を始め、その中にダーイッシュのメンバーが含まれていたと言われている。 アル・カイダ系武装集団がアメリカ支配層の手下だということになると、2001年9月11日の出来事は何だったのかということが問題になる。サウジアラビアの関与が話題になっているが、イスラエルの影も当時から指摘されている。勿論、アメリカ政府の内部に協力者がいなければ不可能だ。 ここでロシアや中国との戦争を避けようとしたなら、ネオコンをはじめとする好戦派は非常に厳しい状況に陥りそうだ。1933年から34年にかけて計画した反ニューディール派/親ファシズム派のクーデター、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺、9/11など内戦の恐れから曖昧にされたと思われる出来事を含む秘密工作が噴出してくるかもしれない。彼らは必死だろう。
2016.06.20
今年6月9日から12日にかけてドイツのドレスデンで開かれたビルダーバーグ・グループの会合にフィリップ・ブリードラブ米空軍大将が出席した。言うまでもなく、この人物は今年3月までSACEUR(NATO欧州連合軍最高司令官)を務めていた人物で、ロシアとの軍事的な緊張を高めることに熱心だった。そうした目的のため嘘もついていた。退役後、6月にはフォーリン・アフェアーズ誌(CFR/外交問題評議会が発行)に論文を書き、その中でも「ロシアの脅威」を主張している。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、ヨーロッパにおける軍事的な緊張を高めてきたのはアメリカ/NATOである。1990年に東西ドイツが統一される際、アメリカのジェームズ・ベイカー国務長官はソ連のエドゥアルド・シュワルナゼ外務大臣に対し、統一後もドイツはNATOにとどまるが、東へ拡大させることはないと約束したことが記録に残っている。「純真」なゴルバチョフはこの約束を信じたが、約束は守られなかった。 ソ連が消滅してから8年後の1999年にチェコ、ハンガリー、ポーランド、そして2004年にブルガリア、エストニア、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、スロバキア、スロベニア、2009年にアルバニア、クロアチアといった具合だ。当然、NATO加盟国はロシアに接近していくわけだが、それをブリードラブのような好戦派はロシアの脅威が増していると表現する。 そして2014年2月22日にアメリカはネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を主力とする勢力を利用してウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ大統領を暴力的に排除した。つまり、クーデターを成功させた。ウクライナはズビグネフ・ブレジンスキーがロシアを制圧する要石だと認識していた国だ。(クーデターについての詳細は割愛する。) このクーデターを現場で指揮していたビクトリア・ヌランド国務次官補はヒラリー・クリントンと親しく、彼女の夫はネオコンの大物として有名なロバート・ケーガン。ヌランドはヤヌコビッチを排除する工作を展開している最中、ジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使と電話で「次期政権」の人事について話し合っているのだが、その音声が何者かによって2月4日にインターネット上へアップロードされた。その中でヌランドが高く評価していたアルセニー・ヤツェニュクは実際、クーデター政権で首相になっている。 その会話には2012年6月から国連事務次長を務めているジェフリー・フェルトマンの名前も仲間として登場した。フェルトマンは1991年から93年にかけてローレンス・イーグルバーガー国務副長官の下で東/中央ヨーロッパを担当してユーゴスラビア解体に関与、04年から08年にかけてはレバノン駐在大使、2009年からアメリカ国務省で近東担当次官補を務めた人物。レバノン駐在の大使だった当時、イラン、シリア、ヒズボラを露骨に敵視していたことでも知られている。 ネオコンとは対立関係にあったロバート・ゲーツ元国防長官の回顧録によると、ソ連が消滅した際、リチャード・チェイニーはソ連やロシア帝国だけでなく、ロシアそのものを消し去りたがっていたという。社会、文化、歴史、そしてロシア人そのものを地上からなくしたいということだろう。チェイニーを含むネオコンのロシアに対する憎悪は尋常でない。 ヒラリー・クリントンもそうした尋常でない嫌露派のひとりだ。本ブログでは何度も書いたが、この人物は世界に破壊と殺戮を広める上で重要な役割を果たしてきた。ビルダーバーグ・グループは昨年の会合にヒラリーの旧友を呼び、今年はブリードラブが出席している。欧米支配層はロシアや中国に対して戦争を仕掛けるつもりだろう。 アメリカには戦争好きの外交官だけでなく、戦争ビジネスやカルト教団と結びついた好戦的な軍人がいるが、その一方でロシアよりダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)やアル・カイダ系武装集団を危険だと考えているマーチン・デンプシー元統合参謀本部議長やマイケル・フリン元DIA局長のような軍人もいて、実際、統合参謀本部の反対でイラクに対する先制攻撃は約1年間、延期されたと言われている。ただ、ヒラリー・クリントンのような人物が大統領になった場合、どこまで抵抗できるかという問題がある。 フォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文では、ロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できると主張している。核戦争でアメリカは生き残れると考えているのだろうが、この論文をヒラリー・クリントンたちが信じているとするなら、人類にとって深刻な事態だ。
2016.06.19
フロリダ州オーランドのナイトクラブが6月12日に襲撃されたとされる事件でもCIAのコネクションが浮上してきた。単独犯行ではなかったのではないか、死傷者数が嘘ではないかと言われているが、とりあえず実行者とされている人物はオマール・マティーン。その父親、シディク・マティーンはアフガニスタン生まれと報道されているが、トルキスタンからアフガニスタンへ移住したとも伝えられている。どこで生まれたかはともかく、シディクは1979年から89年にかけてアメリカの手先としてアフガニスタンでソ連軍と戦い、CIAとつながった可能性が高い。それが事実なら、マティーン親子にFBIは手を出しにくかっただろう。 オマールは2007年にロンドンを拠点とする世界的規模の安全保障会社G4Sに雇われ、事件の時点でも彼はこの会社で働いていた。銃の扱いに慣れていたことが想像できるが、「イスラム過激派」というイメージに合致しないとも言える。会社の性格からして、そうした様子がうかがえれば解雇されたか、雇う目的があったはずだ。 しかし、彼は2011年と12年に巡礼のためにサウジアラビアを訪れ、13年には10カ月間、FBIに監視されていたとされている。監視についてはジェームズ・コミーFBI長官も確認、この間にFBIは信頼できる情報屋をマティーンに近づけていたともいう。 これが事実なら、G4Sへ情報が伝わっていないとは思えない。2014年にシリアで自爆したモネル・モハンマド・アブ・シャルハがマティーンと同じようにフロリダ州フォート・ピアースに住んでいたこともあり、その際にもマティーンは捜査対象になっている。捜査の過程で会社にも接触していたはずで、必然的に情報は伝わっているだろう。この辺の話に不自然さを感じる人はいるだろう。 シディクはアフガニスタンでソ連軍と戦ったというが、そうした戦闘員はサウジアラビアに雇われたワッハーブ派/サラフ主義者やムスリム同胞団が中心だった。アメリカの軍や情報機関はこうした傭兵に爆弾製造や破壊工作の方法を教え、都市ゲリラ戦の訓練もしている。携帯型対戦車ミサイルTOWや同じく携帯型のスティンガー対空ミサイルを含む武器/兵器はアメリカから提供された。 ロビン・クック元英外相によると、アル・カイダとはCIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル。「アル・カイダ」はアラビア語で「ベース」を意味し、「データベース」の訳語としても使われているようだ。なお、クックはこの指摘をした翌月、保養先のスコットランドで心臓発作に襲われて死亡した。享年59歳。 当初、アフガニスタン政府からの支援要請を渋っていたソ連政府が機甲部隊をアフガニスタンへ投入してきたのは1979年12月のことだが、パキスタンのバナジル・ブット首相の特別補佐官を務めていたナシルラー・ババールが89年に語ったところによると、アメリカ政府がアフガニスタンの反体制派への資金援助をはじめたのは73年のこと。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005) それをさらに進めたのがジミー・カーター政権(1977年から81年)で大統領補佐官を務めたズビグネフ・ブレジンスキー。ソ連軍をアフガニスタンへ誘い出し、疲弊させようと考えたのである。この戦略に基づき、1979年4月にCIAはパキスタンの情報機関ISIから支援を受けながら秘密工作を開始した。(後年、ブレジンスキーはこの工作を自慢げにインタビューで話している。) マティーンがFBIに監視されていた2013年にはボストン・マラソンのゴール付近で爆破事件があったが、このときに実行者とされたタメルラン・ツァルナエフとジョハル・ツァルナエフの兄弟もオマール・マティーンと似た背景がある。 ふたりの母親によると、FBIは3年から5年の間、息子たちを監視下におき、彼女にもしばしば接触、「過激派のウェブサイト」を息子が利用していると警告していたと主張している。 また、兄弟のおじにあたるルスラン・ツァルナエフは1992年から2年間、CIAとの関係が指摘されているUSAIDの「顧問」としてカザフスタンで働き、そのルスランが結婚したサマンサ・フラーの父親はグラハム・フラーというCIAの幹部だった。 このふたつの事件にかぎらず、「テロ事件」には不可解な点が少なくない。1960年代から80年代にかけてイタリアではNATOの秘密部隊「グラディオ」による「極左組織」を装った爆弾攻撃が相次いだ。このグラディオの存在は1990年にイタリア政府も公式に認めている。グラディオの背後には米英の情報機関(破壊活動部門)が存在、今でも活動中だ。
2016.06.19
シリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すために軍事介入すべきだとする覚書にアメリカ国務省の外交官51名が署名したという。1999年にアメリカはユーゴスラビアを先制攻撃、殺戮と破壊をもたらした際、その推進役はマデリン・オルブライト国務長官だった。外交官が「ハト派」で軍人が「タカ派」とは一概に言えないということであり、文民統制が機能していても侵略戦争は起こりうるということだ。 現在、アメリカが進めている世界制覇プロジェクトが始まったのは、ソ連が消滅して間もない1992年の初め。国防総省のDPG草案という形で基本計画は作成されている。アメリカが「唯一の超大国」になったと認識したうえで、自立した体制、潜在的なライバルを破壊し、力の源泉である資源を支配しようと考えた。潜在的なライバルと見なされたのは旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなど。膨大な石油資源を抱える西南アジアも支配の対象とされた。 このDPG草案が作成された当時の大統領はジョージ・H・W・ブッシュ(父親)であり、国防長官はリチャード・チェイニー、国防次官はポール・ウォルフォウィッツ。国防総省内のシンクタンク、ONA(ネット評価室)で室長を務めていたアンドリュー・マーシャルのアイデアに基づき、ウォルフォウィッツが中心になって書き上げられたと言われている。そこで、この考え方は「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」と呼ばれている。これを元にした報告書「米国防の再構築」をネオコン系シンクタンクのPNACは2000年に発表、それに従ってジョージ・W・ブッシュ(息子)政権は政策を遂行した。 DPG草案が作成される前年、ウォルフォウィッツはシリア、イラン、イラクを5年で殲滅すると口にしたという。これは欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の元最高司令官、ウェズリー・クラークの話だ。予定通りに進まなかったのは、ブッシュ・シニアが再選されず、ビル・クリントンが大統領に就任したからだと見られている。この政権はブッシュ政権に比べてネオコン/シオニストの影響力が弱かった。 そうした中、ネオコンと強く結びついていたのがヒラリー・クリントン。後にウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを仕掛けたビクトリア・ヌランドとも親しい。また、ズビグネフ・ブレジンスキーの弟子にあたるオルブライトが1997年から国務長官を務めることになったのはヒラリーの働きかけと言われている。また、ムスリム同胞団と関係の深いヒューマ・アベディンをヒラリーは側近にしている。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されるとジョージ・W・ブッシュ政権は本格的な調査もせずにアル・カイダが実行したと主張、そのアル・カイダと敵対関係にあったイラクを2003年に先制攻撃してサダム・フセイン体制を破壊、ウォルフォウィッツが1991年に口にした3カ国のうちひとつが仕留められた。 しかし、その段階では攻撃対象国はさらに広がっていた。この攻撃から10日後にペンタゴンを訪れたウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官は、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺でイラク、シリア、イラン、レバノン、リビア、ソマリア、スーダンを攻撃するプランができていたという。 イラクを破壊した後、遅くとも2007年の段階でアメリカはサウジアラビアやイスラエルと共同でシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始した。これは調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが2007年3月5日付けニューヨーカー誌に書いている。 2011年3月にアメリカはイギリスやフランスといったEU加盟国やサウジアラビアをはじめとするペルシャ湾岸産油国、トルコ、そしてイスラエルとシリア侵略を開始した。侵略の拠点になったのがトルコにある米空軍インシルリク基地で、侵略部隊の戦闘員はそこで軍事訓練を受けていたとされている。教官はアメリカの情報機関員や特殊部隊員、イギリスとフランスの特殊部隊のメンバー。 そこから国境を越えてシリア領内へ侵入するのだが、兵站線もトルコからシリアの前線まで伸びている。2014年1月にはトルコ軍の憲兵隊が武器/兵器を含む物資を法律に違反してトルコからシリアへ運ぼうとしていたトラックの車列を摘発、その事実をジュムフリイェト紙は昨年5月に映像付きで報道した。 この工作はレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領がトルコの情報機関MITを使って行っていたことで、報道したジュムフリイェト紙のジャン・ドゥンダル編集長とアンカラ支局長のエルデム・ギュルを昨年11月26日に逮捕、その2日後に摘発を指揮したウブラフム・アイドゥン憲兵少将、ハムザ・ジェレポグル憲兵中将、そしてブルハネトゥン・ジュハングログル憲兵大佐が逮捕された。編集幹部のふたりには今年5月、懲役5年以上の判決が言い渡された。 シリアを侵略しているアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)へトルコから物資が運び込まれていることは以前から知られていて、2014年11月にはドイツのDWがその事実を報じている。 イランのテレビ局プレスTVの記者だったセレナ・シムもこうした人や物資の動きを調べていたひとりで、トルコからシリアへダーイッシュの戦闘員を運び込むためにWFP(世界食糧計画)やNGO(非政府組織)のトラックが利用されている事実をつかみ、それを裏付ける映像を入手したと言われている。そのシムは2014年10月19日に「交通事故」で死亡したが、その前日、MITから彼女はスパイ扱いされ、脅されていたという。 昨年10月21日にはトルコの国会議員エレン・エルデムらは公正発展党の事件への関与を指摘する報告書を公表し、アダナの検察当局はサリンがトルコからシリアへ運び込まれたとする情報を調べ始めたとしている。エルデムらによると、捜査記録には化学兵器の材料になる物質がトルコからシリアへ運び込まれ、そこでダーイッシュが調合して使ったとしているという。この事実を公表した後、エルデム議員らは起訴の脅しをかけられた。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制が崩壊した後、リビア軍の倉庫から武器/兵器が持ち出されてトルコへ運ばれているが、その中には化学兵器も含まれていた。 輸送の拠点になったのはベンガジにあるCIAの施設で、そうした事実をアメリカ国務省は黙認、輸送にはマークを消したNATOの輸送機が使われたとも伝えられている。2012年9月11日に襲撃されたベンガジのアメリカ領事館も拠点のひとつ。そこで、殺されたクリストファー・スティーブンス大使はその前日、武器輸送の責任者だったCIAの人間と会談、襲撃の当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っている。 アメリカ政府は自分たちの手下を使ってダーイッシュを攻撃しているとしているが、昨年9月30日にロシア軍が空爆を始めるまで攻撃した振りをしていただけ。実際に攻撃したのはシリアのインフラで、アル・カイダ系武装勢力やダーイッシュに対しては物資を「誤投下」していた。侵略軍が支配地を広げていたのは、こうした事情があったからだ。 バラク・オバマ政権は「穏健派」が存在しているかのように宣伝しているが、これはアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)も否定している。2012年8月にDIAが作成した文書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラはその別名だとしている)で、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けていると報告しているのだ。 この報告書が作成された当時のDIA局長、マイケル・フリン陸軍中将によると、DIAの警告を無視してアメリカ政府が決定した政策によってAQI/アル・ヌスラやISは勢力を拡大、支配地を作り出せたのである。 アル・カイダ系武装集団やダーイッシュの勢力拡大を懸念した軍人はフリン以外にもいた。2011年10月から15年9月まで統合参謀本部の議長を務めたマーチン・デンプシー陸軍大将もそのひとりで、バラク・オバマ政権の政策を懸念して2013年秋からシリアを侵略していた武装集団に関する情報をホワイトハウスの許可を得ず、シリア政府へ伝え始めたという。このデンプシーが統合参謀本部議長を辞めた直後にロシア軍が空爆を始めたのは偶然だろうか? 1970年代の終盤にズビグネフ・ブレジンスキーはソ連軍をアフガニスタンへ引き込むために秘密工作を実施、そのソ連軍と戦うためにサウジアラビアのカネで集められた戦闘員の中心はワッハーブ派やムスリム同胞団。その戦闘員をアメリカは軍事訓練、武器/兵器を供給した。このときの「成功体験」にすがり、アメリカの好戦派は同じことをシリアでも行っている。そう言えば、1980年のモスクワ・オリンピックをアメリカはボイコットしていた。 1980年代に石油相場を下落させ、ソ連経済を揺さぶることに成功していたが、今回は失敗、アメリカとサウジアラビアが深刻な事態に陥って相場は上昇した。このように過去の「成功体験」は失敗の原因で、破滅に導きかねないことをアメリカの支配層は認識しているのだろうか? シリアでの戦闘は内戦でなく侵略戦争であり、侵略軍であるアル・カイダ系武装集団やダーイッシュの後ろ盾はアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、サウジアラビア、イスラエルなどだ。状況によってタグを付け替えるが、実態は同じ。だからこそシリア国民はアサド政権を支持し、これだけの侵略を受けても耐えてきたのだ。
2016.06.18
EUへ残留するか離脱するかを問う国民投票がイギリスでは6月23日に予定され、残留派と離脱派がキャンペーンを続けている。その最中、残留派の下院議員ジョー・コックスが射殺された。5月下旬から離脱を支持する人の率が一気に高まり、残留派を上回る中での出来事だ。 日本のマスコミは今回の事件が国民投票に影響を与えるのは必至だと宣伝しているが、今のところ影響は見られない。例えば、オンライン調査会社によると、事件直前の13日から16日に行った調査では残留39.7%、離脱51.7%だったのに対し、直後の17日には残留32.4%、離脱51.5%。残留派の率が低下しているが、その分「わからない」が増えている。事件直前に実施された他の調査では残留と離脱の差がこれほど大きくないが、それでも離脱派が残留派を上回る傾向はある。 現在、EUはアメリカ支配層にコントロールされているが、この関係は意図的に作り出された。その歴史をさかのぼると1922年に創設されたPEU(汎ヨーロッパ連合)が現れる。その中心にはオットー・フォン・ハプスブルク大公やウィンストン・チャーチルがいた。こうした動きに同調していたカトリック教徒はバルト海からエーゲ海までを統一し、ハプスブルク家が支配する現代版「神聖ローマ帝国」を建設しようと考えていた。いわゆる「インターマリウム」だ。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)これはハートランド理論と矛盾しない。 インターマリウムはイギリスの情報機関MI6と結びつき、第2次世界大戦が始まるとドイツ情報機関の支配下に入る。それでもイギリスとの関係は切れなかった。大戦の終盤になると、MI6はインターマリウムをソ連と戦わせる組織として育成していく。 アメリカはイギリスの支援で戦時情報機関OSSを設置、その長官にウォール街の弁護士だったウィリアム・ドノバンが就任する。その友人でやはりウォール街の弁護士だったアレン・ダレスもOSSの幹部になり、スイスで秘密工作を指揮し始めた。大戦後、ダレスたちはナチスの元高官や協力者の逃走を助け、保護、雇用しているが、これは必然だった。バチカンがこうしたアメリカの工作に手を貸した理由もここにある。 大戦後、ダレスやチャーチルはヨーロッパを統合するためにACUE(ヨーロッパ連合に関するアメリカ委員会)を設立している。その翌年、NATO(北大西洋条約機構)も創設され、すでに存在していた秘密部隊を吸収した。その当時、ヨーロッパ統一運動を指導していたグループにはユセフ・レッティンゲルも含まれている。 NATOはソ連の軍事侵攻に備えるというより、ヨーロッパを支配するための仕掛け。そうしたこともあり、ソ連の消滅が視野に入った1991年にフランスのフランソワ・ミッテラン大統領とドイツのヘルムート・コール首相は「ヨーロッパ軍」を創設しようとしたのだが、この目論見はアメリカに潰された。 ACUEはヨーロッパ統一運動の資金源だが、ACUEへ資金を提供していたのはフォード財団やロックフェラー財団など。ACUEには下部組織があり、ヨーロッパ運動、ビルダーバーグ・グループ、そしてヨーロッパ合州国を目指す行動委員会が含まれている。(Richard J. Aldrich, “The Hidden Hand”, John Murray, 2001) 昨年6月11日から14日かけてオーストリアで開かれたビルダーバーグ・グループの会合にヒラリー・クリントンの旧友、ジム・メッシナが参加したことから、欧米の支配層はアメリカの次期大統領としてクリントンを考えていると言われたことは本ブログでも紹介した事実。ビルダーバーグ・グループの創設者はユセフ・レッティンゲルとオランダ女王の夫であるベルンハルト殿下だ。 もし、自立した形でヨーロッパが統一されたなら意味はあるだろうが、実態はアメリカ支配層がヨーロッパを支配する仕組みにすぎない。EUの前身、EC(欧州共同体)について堀田善衛はその「幹部たちのほとんどは旧貴族です。つまり、旧貴族の子弟たちが、今ではECをすべて取り仕切っているということになります。」(堀田善衛著『めぐりあいし人びと』集英社、1993年)と語っている。その旧貴族をカネと暴力で支配しているのが米英の支配層だ。
2016.06.18
アメリカの大統領選挙で民主党の候補者はヒラリー・クリントンになった雰囲気だが、騒動の火種は消えていない。クリントンと候補者争いをしていたバーニー・サンダースがここでクリントン支持を口にした場合、サンダース自身が信頼をなくすだけでなく、サンダースを支持していた人々が民主党から離れる可能性があり、7月25日の党大会まで選挙運動を続けるのは民主党の幹部にとっても好ましいことだろう。 サンダースは最低賃金の問題など内政に関する主張を続けるらしいが、問題は国際面。これまでネオコン/シオニストはアメリカの国際関係に関する政策を資金提供の代償として自由にしてきた。その結果が武力を使った中東/北アフリカにおけるイスラエルのライバル体制破壊であり、ロシアや中国への軍事的な圧力、挑発だ。 アメリカの好戦派はアメリカ/NATO軍だけでなく、ワッハーブ派/サラフ主義者、ムスリム同胞団などをメンバーとする傭兵集団を使っている。この傭兵システムを考えた人物がズビグネフ・ブレジンスキー。西側メディアの報道が正しいなら、サンダースはアメリカの軍事侵略、ロシアや中国との戦争を止めさせようとはしていない。 ところで、民主党幹部たちが昨年5月26日の時点でヒラリー・クリントンを候補者にすると決めていたことを示唆する電子メールが公表されている。本ブログでは何度か取り上げたように、昨年6月11日から14日かけてオーストリアで開かれたビルダーバーグ・グループの会合にヒラリーの旧友であるジム・メッシナが参加、欧米の支配層は彼女を大統領にする方向で動き出したと言われていたわけで、この電子メールの内容は驚きでない。 この内定を揺るがしたのがサンダース。急速に人気を集め、支持率はヒラリーと拮抗するまでになった。ただ、そうした動きが現れる前に選挙人登録は終わっていたため、支持率が投票に反映されたとは言い難い。例えば、4月に投票があったニューヨーク州の場合は昨年10月9日までに民主党と共和党のどちらを支持しているかを登録しておかないと予備選で投票できず、投票できなかった人が少なくない。 支持政党を登録していなくても投票できるカリフォルニアで予備選が行われる直前の行われた世論調査ではサンダースがクリントンをリード、幹部たちを慌てさせたようだ。民主党支持者ではサンダースが57%、クリントンが40%、無所属の人ではそれぞれ68%と26%だとされている。 そうした状況の中、予備選の前夜にAPは「クリントン勝利」を宣告した。「スーパー代議員(上位代議員、あるいは特別代議員と訳されている)」の投票予測でクリントンが圧倒し、勝利は確定しているというのだ。この「報道」がカリフォルニアにおける予備選でサンダースへの投票を減らしたことは間違いないだろう。 カリフォルニア州の場合、本ブログではすでに紹介したように、投票妨害とも言えそうなことが行われていたという。政党の登録をしなかった人びとはサンダースを支持する人が多く、民主党の登録をしている人はヒラリー支持者が多いが、登録しているかしていないかで投票用紙が違う。 投票所によっては投票用紙を受け取ろうとすると、政党無登録の人には予備選に投票できない用紙を自動的に渡す投票所があったという。投票するためには民主党支持変更用紙を要求しなければならない。予備選に投票するにはどうすべきかと尋ねられた係員は、政党無登録の人には民主党用の用紙は渡せないと答え、民主党支持変更用紙のことには触れないよう指示されていたケースもあったようだ。 ビル・クリントン政権(1993年から2001年)を戦争へと導いた人物はヒラリー・クリントンだった。そのヒラリーと強く結びついていた女性が3人いる。1997年から国務長官を務め、偽情報を広めながらユーゴスラビアを先制攻撃したマデリン・オルブライト、ムスリム同胞団と結びつき、ネオコンのアンソニー・ウィーナーと結婚したヒューマ・アベディン、ウクライナでネオ・ナチを手先として使い、クーデターを成功させたネオコンのビクトリア・ヌランド国務次官補だ。 オルブライトはチェコスロバキアで生まれた。父親は外交官だったが、1948年に国外へ脱出してアメリカへ亡命、デンバー大学で教鞭を執った。その時の教え子の中にコンドリーサ・ライスがいる。マデリーンはコロンビア大学でポーランド出身のブレジンスキーから学んでいる。友人のひとりがブルッキングス研究所で研究員をしていたロイス・ライスで、その娘がスーザン・ライス。 アベディンの母親サレハはムスリム同胞団の女性部門を指導、父親のシードはアル・カイダと関係していると主張する人もいる。ヒューマ自身、サウジアラビアがホワイトハウスへ送り込んだスパイだという噂もある。アベディンは1996年、ジョージ・ワシントン大学の学生だった時にインターンとしてヒラリーの下で働き始め、それから20年にわたってヒラリーの国際認識に大きな影響を及ぼしてきた。このアベディンはヒラリーと親しいウィーナーと結婚しているが、この人物は筋金入りの親イスラエル派/シオニスト。 また、ヌランドが結婚したロバート・ケーガンはネオコンの中心グループに所属、今回の大統領選挙ではヒラリー支持を明らかにしている。 ヒラリー・クリントンが戦争ビジネスや巨大金融資本と緊密な関係にあることは広く知られているが、ネオコンやムスリム同胞団とも結びついていることがわかる。アル・カイダ系武装集団ともつながっている可能性がある。 ワッハーブ派を国教とし、ムスリム同胞団に大きな影響力を持つサウジアラビアはアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の雇い主でもある。そのサウジアラビアからヒラリー・クリントンは選挙資金の約20%を得ているとする記事が6月12日、ヨルダンの公的な通信社ペトロ・ニューズのサイトに掲載され、話題になった。 この記事はすぐに削除され、何者かがハッキングしてサイトへ掲載したと通信社側は主張しているが、サウジアラビアが共和党と民主党、双方の議員に資金を提供していることは知られていること。イスラエル、あるいはイスラエル系の富豪だけがアメリカの政治家を買っているわけではない。この記事の真偽は不明だが、本当かもしれないと思わせるものがヒラリー・クリントンにはある。 勿論、リビアのアメリカ領事館襲撃に絡む武器や戦闘員の輸送に関する問題も相当の破壊力を持っている。世界を核戦争で破壊しかねない人物だけに、今後、さまざまな話が浮上しそうだ。
2016.06.17
6月12日にアメリカのフロリダ州オーランドにあるナイトクラブが襲撃された際、50名以上が殺され、53名が負傷したと警察は発表している。そこで、少なくとも103発の銃弾が発射されたことになるが、そこに疑問があると、ロナルド・レーガン政権で財務次官補を務めたポール・クレイグ・ロバーツは指摘している。 軍用小銃M16からフルオート機構を外した民間用のセミオート小銃AR-15が襲撃には使われたとされている。この小銃のマガジンには30発の弾丸が入っているようなので、3回は再装填する必要がある。1回の再装填には5秒必要らしい。状況から考えて現場にいたであろう退役軍人はそうした知識を持っていたいはず。オマール・マティーンの単独犯行という前提に立つと、20メートル以内に軍事訓練を受けた人がいれば取り押さえることが可能だという。 それに対し、ネットワーク局のABCが伝えた証言によると、襲撃には4人が参加したという。これだけの人がいないと死傷者数を説明できないとも言える。この証言者の説明によると、銃撃の際には死んだ振りをしながら襲撃者の話を聞いていたという。銃撃戦が終わった後に病院で治療を受け、出て来たところで記者に話したようだ。襲撃者のひとりは電話で何者からか指示されていたともいう。 現場が建物の中ということもあるが、それにしても大量の死傷者が出たことをうかがわせる映像が存在していないとロバーツは書いている。確かにその通りで、バッグに入れられた状態で運び出される死体、救急車で運ばれる負傷者という光景が事実上、ない。 同じことが昨年11月のパリにおける襲撃事件でも指摘されていた。約130名が殺され、数百人が負傷したとされているのだが、その痕跡が見あたらなかった。 昨年1月にパリにあるシャルリー・エブドの編集部が襲撃された事件では、歩道に横たわる警察官の頭部を襲撃犯のひとりが自動小銃のAK-47で撃って殺害したとされているのだが、頭部に損傷が見られず、周辺に血、骨、脳などが飛び散ることもなかった。空砲だった可能性が高いと考えられている。 容疑者の特定が早すぎないか、プロフェッショナル的な技術をイエメンやシリアでの訓練や実戦で身につけられるのか、襲撃に使った装備をどこで調達したのか、スキー帽で顔を隠している人間が身分証明書を自動車に置き忘れているのは「9-11」のときと同じように不自然ではないのか、襲撃しながら自分たちがイエメンのアル・カイダだと叫んでいるのもおかしくないか、襲撃の後、どのように非常線を突破したのか、事件の捜査を担当した警察署長のエルリク・フレドゥが執務室で拳銃自殺したのはなぜなのか、容疑者のひとりで射殺されたアメディ・クリバリが2009年にエリゼ宮でニコラ・サルコジと面談できたのはなぜかといった疑問がこの事件にはある。 こうした事件を見ていると、どうしても1960年代から80年代にかけてイタリアで実行された「偽旗作戦」を思い出してしまう。NATOの秘密部隊、グラディオが「極左」を装って爆弾攻撃を繰り返し、アメリカの巨大資本にとって邪魔な勢力に致命的なダメージを与え、治安体制を強化した作戦だ。このグラディオの存在は1990年にジュリオ・アンドレオッチ政権が公式に認めている。 この秘密部隊を操っているのは米英の情報機関で、全てのNATO加盟国はそうした秘密部隊を設置することが義務づけられている。例えば、トルコの秘密部隊は「対ゲリラ・センター」だと言われているが、「灰色の狼」も含まれているとする話もある。(Douglas Valentine, “The Strength Of The Pack”, Trine Day, 2008 / Peter Dale Scott, “American War Machine”, Rowman & Littlefield, 2010)そのほかデンマークはアブサロン、ノルウェーではROC、ベルギーではSDRA8といった具合だ。 こうした秘密部隊を動かしている人脈は第2次世界大戦の終盤に米英が設置したゲリラ戦部隊のジェドバラからはじまり、大戦後はOPCとして存続する。この秘密機関は1950年10月にCIAへ吸収されて計画局になり、その破壊活動が露見した1970年代には作戦局へ名称が変更され、今は国家秘密局になっている。 OPCは東アジアでも活動、1949年1月に解放軍が北京へ無血入城する前に拠点を上海から日本へ移動させた。その中核になったのがアメリカ海軍厚木基地だ。なお、1949年には労働運動の中心的な組合が存在した国鉄で怪事件が起こっている。7月5日の下山事件、7月15日の三鷹事件、そして8月17日の松川事件だ。そして1950年6月25日朝鮮戦争が勃発する。 戦争勃発の3日前、日本を訪問中のジョン・フォスター・ダレスたちはニューズウィーク誌東京支局長だったコンプトン・パケナムの家で「夕食会」を開いている。出席したのはダレスとパケナムのほか、ニューズウィーク誌のハリー・カーン外信部長、国務省東北アジア課長ジョン・アリソン、そして日本側から大蔵省の渡辺武、宮内省の松平康昌、国家地方警察企画課長の海原治、外務省の沢田廉三だ。 その翌日、つまり開戦の2日前から韓国空軍は北側を空爆して地上軍は海州(ヘジュ)を占領したと言われている。その当時、ダグラス・マッカーサーに同行して日本にいた歴史家のジョン・ガンサーによると、半島からマッカーサーに入った最初の電話連絡は「韓国軍が北を攻撃した」というものだったという。(F. William Engdahl, “Gods of Money”, Progressive, 2009) 戦況はすぐアメリカを後ろ盾とする韓国軍が不利になり、28日にはソウルが朝鮮軍に占領され、馬山、大邱、浦項を結ぶ三角地帯に押し込められてしまう。朝鮮半島の大半が占領される事態になったのだ。 そこでアメリカはソ連が欠席している国連の安全保障理事会で「国連軍」の派遣を決めて反撃を開始、まず仁川に上陸して北上、南部を占領していた朝鮮軍は孤立する形になって壊滅した。ところが、そこで約30万人の中国軍が「義勇軍」として参戦、38度線まで押し戻している。 本ブログでは何度か指摘したが、CIAやOPCは巨大金融資本によって作られた機関。そのOPCはフランクリン・ルーズベルト政権とは違い、国民党の指導者で麻薬取引に関係していた蒋介石を支援していた。OPCがCIAに入り込んだ後、1951年にCIAの軍事顧問団は約2000名の国民党軍を率いて中国領内に侵攻したが、人民解放軍の反撃で失敗している。国民党軍は1952年中国へ侵入しているが、これも失敗した。 1953年7月に朝鮮戦争は休戦、翌年の1月には国務長官のジョン・フォスター・ダレスがNSC(国家安全保障会議)でベトナムにおけるゲリラ戦の準備を提案、軍事介入の準備を始めている。その計画を潰しかけたジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月に暗殺され、副大統領から昇格したリンドン・ジョンソンは本格的な軍事介入を始めた。朝鮮戦争とベトナム戦争は一体のもので、対中国戦の一環と考えるべきだろう。その対中国戦は今でも続いていると見ることもできる。言うまでもなく、イギリスの中国略奪作戦は19世紀のアヘン戦争が始まりだ。それが後にロシア/ソ連占領計画(ハートランド理論)と合体した。
2016.06.16
舛添要一東京都知事が6月15日に辞職願を出したという。政治資金の公私混同疑惑が問題になり、与党の自民党や公明党から引導を渡されたようだ。疑惑を検証するための百条委員会を設置したなら、そうした過去も明るみに出る可能性があり、都議会で否決されたのは必然だ。マスコミからも舛添は攻撃されていたが、その公私混同は石原慎太郎よりマシだとする声もある。 石原は思想統制にも熱心で、都立高校の公式行事で「君が代」斉唱と「日の丸」掲揚を強制、方針に従わなかった教師に対して懲戒処分を強行していた。旧日本軍は兵士から思考力を奪うために理不尽なことを強制し、屈服させて非人間的なことでもできる人間を作り上げようとしたが、同じことを学校でも行ってきた。最初は生徒、次は教師だ。生徒をロボット化する仕組みを作り上げる際、少なからぬ教師が官僚の手先、あるいは「仮想敵」として利用された。現在、教師の立場が大きく揺らいでいる一因は、かつて教師が生徒を守れなかったことにある。 そうした思想統制だけでなく、石原は都市計画行政を私物化していると批判されていた。ところがそうしたことをマスコミはほとんど問題にせず、捜査当局も関心を示していない。 そうした違いについて、あるテレビ局の人間は「視聴率」に理由を求めた。舛添の疑惑を取り上げると視聴率が上がるが、石原は変化しないというのだ。視聴率が上がる、つまりスポンサーからカネを取りやすくなることを理由にするとは破廉恥だが、その視聴率が信頼できないことは少なからぬ人から指摘されている。 マスコミが沈黙してきたのは石原知事時代の公私混同だけではない。新銀行東京の杜撰な融資による破綻、オリンピック誘致を名目とした放蕩三昧、そして臨海副都心開発の破綻と責任についても知らん振りを決め込んできた。 この開発は、都庁の移転など「箱物行政」を推進した鈴木俊一知事の置き土産。1979年に初当選した鈴木は巨大企業が求める政策を打ち出し、新宿へ都庁を移転させて巨大庁舎を建設したほか、江戸東京博物館や東京芸術劇場も作り、89年に臨海副都心の開発を始めて破綻させた。 1999年から東京都知事を務めたのが石原。2001年には「臨海副都心事業会計」を帳簿の上で改善するために黒字の「埋立事業会計」「羽田沖埋立事業会計」と統合、赤字と借金の一部を帳消しにしている。2012年に石原は知事を辞めているが、その翌年、13年から20年度までに約2465億円を返済しなければならないという。その一方で石原は福祉政策を切り捨て、学校や図書館などの予算削減、職員の給与引下げを推進した。築地市場の移転という形で食の安全が脅かされ、東京オリンピックによって新たな破壊と治安体制の強化も図られようとしている。 その間、2011年3月8日付けのインディペンデント紙に石原慎太郎のインタビュー記事が掲載された。その中で彼は外交力とは核兵器なのであり、核兵器を日本が持っていれば中国は尖閣諸島に手を出さないだろうと石原は発言している。東電福島第一原発が「過酷事故」を起こしたのはその3日後だ。 その時点で既に菅直人政権は中国との関係悪化を仕掛けている。2010年9月、「日中漁業協定」を無視する形で尖閣諸島の付近で操業していた中国の漁船を海上保安庁が取り締まったのだ。漁業協定に従うなら、日本と中国は自国の漁船を取締り、相手国漁船の問題は外交ルートでの注意喚起を行うことになっているが、これを海上保安庁は無視した。 ところが、2011年3月に福島県沖で大きな地震があり、東電福島第1原発で炉心が溶融するという事故が起こって日中関係悪化の流れは断ち切られた。その流れを復活させたのは石原親子で、まず2011年12月12日に石原伸晃が「ハドソン研究所」で尖閣諸島を公的な管理下に置いて自衛隊を常駐させ、軍事予算を大きく増やすと発言、翌年4月には石原慎太郎が「ヘリテージ財団」主催のシンポジウムで講演、尖閣諸島の魚釣島、北小島、南児島を東京都が買い取る意向を示している。2012年11月にヘリテージ財団アジア研究所北東アジア上席研究員のブルース・クリングナーは、「日本国民のあいだに中国への懸念が広がりつつあるという状況」を歓迎している。 ところで、舛添の前任者である猪瀬直樹も資金をめぐるスキャンダルで2013年12月に知事を辞めている。徳洲会グループから無利子/無担保で受け取った5000万円をめぐる問題で説明不能になったのだが、このグループから多くの政治家に資金が流れていることは以前から知られていた話。「国家安全保障基本法案」、「特定秘密保護法案」、TPPといった国のあり方を根本的に変える法案や政策が出てくるのと同じタイミングで問題化したことに胡散臭さを感じる人は少なくなかった。 今、目の前に迫っているのは参議院選挙。日本に主権を放棄させるTPP、日本の市民から生きる権利を奪う改憲なども関係してくる。そのベースには1992年にアメリカ国防総省で作成されたDPGの草案、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」であり、それを推し進めればロシアや中国との核戦争は不可避である。その戦争に日本が参加するため、安倍晋三政権やその黒幕は参議院選挙で勝たなければならない。そのためにはあらゆる手段を講じるだろう。
2016.06.16
アメリカのフロリダ州オーランドにあるナイトクラブ「パルス」を6月12日に襲撃したのは4人だとする証言をABCが伝えている。この証言をしているのは襲撃の際、現場にいた人物で、死んだ振りをして助かり、病院から出て来たところで記者に話したようだ。襲撃者のひとりは電話で何者からか指示されていたともいう。この事件では当初から襲撃したのはふたり以上だとする証言がYouTubeなどにアップロードされ、当局の発表に疑問が投げかけられていた。 当局が発表した襲撃者はオマール・マティーンだけ。2013年には10カ月にわたってFBIから監視され、その際にFBIは信頼できる情報屋をマティーンに近づけていたともいう。この情報はジェームズ・コミーFBI長官も確認したと伝えられている。また2014年にシリアで自爆したモネル・モハンマド・アブ・シャルハがマティーンと同じようにフロリダ州フォート・ピアースに住んでいたこともあり、その際にもマティーンは捜査対象になったともされている。襲撃者が4人で、そこにマティーンが含まれていたとするなら、残る3人とそのグループに何らかの指示を出していた人物は何者なのだろうか? 襲撃者は「ISIS(ダーイッシュ)への爆撃を止めろ」と口にしていたとも目撃者は口にしていたという。この話が正しいするなら、なぜ今なのかという疑問が生じる。こうした襲撃はいつでも可能だったからだ。 ダーイッシュは2014年1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言して注目され、6月にモスルを制圧する際には真新しい小型トラック「ハイラックス」を連ねた「パレード」を行い、その様子を撮影した写真が配信されている。これだけ派手なことを行えばアメリカの軍や情報機関も気づくだろう。アメリカには偵察衛星、無人機、通信傍受システムがあり、人間による情報活動などでも情報を収集、武装集団の動きを知らなかったとは思えない。 この年の8月には拘束していたジェームズ・フォーリーの首を切り落としたとダーイッシュは宣伝しているが、これは映像が公開された直後からフェイクだと指摘されていた。首の前で6回ほどナイフは動いているものの、血が噴き出さず、実際に切っているようには見えないからだ。フォーリーの斬首映像はシリア領内を空爆する口実作りだと推測する人もいる。 アメリカ軍が空爆を始めたのは9月23日だが、当日、現地で取材していたCNNのアーワ・デイモンは翌日朝の放送で、ダーイッシュの戦闘員は空爆の前に極秘情報を入手し、攻撃の15から20日前に戦闘員は避難して住民の中に紛れ込んでいたと伝えていた。破壊された建造物は蛻の殻だったというのだ。 その後もアメリカ軍はシリア政府の承認を受けないまま空爆を続けるが、ダーイッシュやアル・カイダ系武装勢力にはダメージを与えていない。破壊したのはシリアのインフラばかりで、住民も犠牲になっている。しかも、物資をダーイッシュやアル・カイダ系武装勢力へ「誤投下」しているとも報告されてきた。その間、シリア政府軍は劣勢になり、支配地を減らしている。 そうした状況を一変させたのが昨年9月30日に始まったロシア軍による空爆。この攻撃は実際にダーイッシュやアル・カイダ系武装勢力を攻撃、トルコからシリアへ伸びている兵站線も大きなダメージを受けた。さらに、シリアやイラクで盗掘された石油の精製設備やそれをトルコへ運ぶ輸送車も破壊されている。この石油密輸にトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領やその周辺が関係していることは本ブログでも何度か指摘した。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは2007年3月5日付けニューヨーカー誌に書いているが、その段階でアメリカはイスラエルやサウジアラビアと手を組み、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始している。その手先はアメリカが1970年代の終わりから傭兵として使っているサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団だと考えるの自然だ。 2012年8月にアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)が作成した報告書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者/ワッハーブ派、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラと実態は同じだとしている)であり、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けている。 2011年春にアメリカはNATO諸国、ペルシャ湾岸産油国、イスラエルとリビアやシリアに対する軍事侵略を始めるが、リビアでNATOとアル・カイダ系武装集団LIFGとの連携が明らかになってしまう。しかも、ムアンマル・アル・カダフィが惨殺された直後、ベンガジでは裁判所にアル・カイダの旗が掲げられ、その映像はYouTubeにアップロードされた。その事実はイギリスのデイリー・メイル紙も伝えている。 2012年になるとアメリカは「アル・カイダ」というタグを使いにくい状況になるが、そこで新たに編成され、売り出されたのがダーイッシュだ。昨年9月末にロシア軍が登場するとアメリカ側がダーイッシュなどを攻撃していないことが明らかになり、侵略軍は劣勢になる。 そこで停戦になるが、それを利用してアメリカ側は侵略軍を再編成、あらたな侵略戦争を始めつつある。アメリカの侵略戦争は新たなステージに入ったと言えるだろう。そこでもダーイッシュは悪役を演じているが、今回は本当にアメリカ軍もダーイッシュを攻撃しているようだ。クルドを利用しようと目論んでいるようだが、アメリカ政府はロシア政府に対し、アル・カイダ系武装集団を攻撃しないように申し入れているという。かつては「テロリスト」の象徴にされていた「アル・カイダ」を「穏健派」として扱えと言っているのだ。 ダーイッシュから見るとアメリカ政府は自分たちを裏切ったということになる。「派遣切り」されたとも言えるだろう。オーランドの攻撃はその報復だった可能性もあるが、アメリカの支配層はこれを利用して治安体制の強化、軍事侵略の正当化に使うだろう。
2016.06.16
外国船でも「無害通航」が認められている海域を中国海軍の情報収集船が6月15日に航行したと日本のマスコミは大きく取り上げていた。東アジアでは現在、アメリカ、日本、インドが軍事演習「マラバル」が行われている。6月10日から13日までは佐世保、14日から17日にかけては沖縄沖だ。 演習に参加した艦船の中には、アメリカ海軍の空母「ジョン・C・ステニス」、インドのステルス・フリゲート艦「サヒャドリ」や「サトプラ」、日本からはヘリコプター空母「ひゅうが」などが含まれている。ロイターによると、アメリカの空母を追跡していた中国の情報収集船を演習海域から遠ざけるために空母は演習から離脱、それを追いかけたようだ。 本ブログでは何度も書いてきたが、こうした軍事演習のベースには1992年初めにアメリカ国防総省で作成されたDPGの草案がある。1991年12月にソ連が消滅、アメリカの支配層は自分たちが「唯一の超大国」になったと認識、残された自立国家を破壊して世界を制覇、その地位を不動なものにするため、旧ソ連圏だけでなく、西ヨーロッパ、東アジアなどを潜在的なライバルとみなして潰し、膨大な資源を抱える西南アジアを支配しようとしたのだ。この計画は「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 この計画はライバルが消えたという前提で作成されている。西側巨大資本は傀儡のボリス・エリツィンを使ってロシアを属国化、最も警戒すべき地域は東アジアだと認識していた。そこで東アジア重視が主張されるようになった。DPGの草案をベースにしてネオコン系シンクタンクPNACが2000年に発表した報告書『米国防の再構築』でも東アジア重視は謳われ、2001年にスタートしたジョージ・W・ブッシュ政権はその方針に基づく政策を打ち出している。 ウォルフォウィッツ・ドクトリンと呼ばれる理由は、DPGを作成した中心が国防次官だったポール・ウォルフォウィッツだったからだが、その計画は国防総省内部のシンクタンク「ONA(ネット評価室)」のアンドリュー・マーシャル室長が考えたと言われている。 マーシャルはシカゴ大学で経済学を学び、1949年に国防総省系のシンクタンク「ランド・コーポレーション」に入って核戦争について研究、リチャード・ニクソンが大統領だった73年にONAが創設されると室長に就任した。ジェラルド・フォード政権の時代、CIAの内部には「Bチーム」が置かれる。既存の分析部門が気に入らず、ソ連の脅威を誇張するために作られたのだ。このチームを率いたのはハーバード大学教授で親イスラエル派/シオニストで知られているリチャード・パイプス。メンバーにはウォルフォウィッツも含まれていた。このチームを指導させた当時のCIA長官はジョージ・H・W・ブッシュだ。 このHWの息子は大統領になるとすぐに中国脅威論を主張し始めるが、これはマーシャルに言われたことを言っていただけ。2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されるとアフガニスタンをすぐに攻撃、統合参謀本部の抵抗を抑え込んで03年にはイラクを先制攻撃する。ヨーロッパ連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官だったウェズリー・クラークによると、1991年にウォルフォウィッツはイラク、イラン、シリアを5年以内に殲滅すると語っていた。 1990年代にはネオコンの影響力が弱いビル・クリントンが大統領に就任するが、当選前からスキャンダルで攻撃されている。それでも戦争には消極的だったのだが、その政権を戦争へと向かわせたのがヒラリー・クリントンだったことは本ブログでも紹介した。そしてユーゴスラビアを先制攻撃、国を解体し、コソボは麻薬や臓器の売買も行われる犯罪国家になった。 エリツィン時代のロシアはアメリカの支配層が行うことに異を唱えるような存在ではなく、資本主義世界は残虐な正体を現してしまった。ロシア自体も無惨なことになっていたのだが、21世紀に入ってウラジミル・プーチンがロシアを自立した国家に復活させてしまう。これでウォルフォウィッツ・ドクトリンのシナリオが狂い始めた。 しかし、それでもアメリカの支配層は「予定」を変えない。プーチン時代になってもロシアは弱体なままだと認識していたようで、2006年に出されたフォーリン・アフェアーズ誌(CFR/外交問題評議会が発行)に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文では、ロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できると主張していた。軍事的に圧力を加えれば、ロシアも屈服すると見ていたのだろう。この分析が間違っていることは昨年9月30日以降、明確になっているが、西側の支配層は戦争への道を進み続けている。 2007年3月5日付けニューヨーカー誌に掲載されたシーモア・ハーシュの書いた記事によると、この時点でアメリカ、イスラエル、サウジアラビアはシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始していたという。実行部隊としてサウジアラビアと緊密な関係にあるムスリム同胞団とワッハーブ派/サラフ主義者が想定されるのは当然だ。その延長線上にアル・カイダ系武装集団/ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)を使ったリビアやシリアに対する軍事侵略がある。 東アジアでも軍事的な緊張が高まる。その切っ掛けを作ったのは海上保安庁。小沢一郎や鳩山由紀夫がマスコミと検察の力で排除され、菅直人が首相になって3カ月の後2010年9月、「日中漁業協定」を無視する形で尖閣諸島の付近で操業していた中国の漁船を取り締まったのだ。 漁業協定に従うなら、日本と中国は自国の漁船を取締り、相手国漁船の問題は外交ルートでの注意喚起を行うことになっている。言うまでもなく、海上保安庁は国土交通省の外局。つまりトップは国土交通大臣を務めていた前原誠司だが、この前原は事件直後、トラブルを解決する役割の外務大臣になる。 ところが、2011年3月に福島県沖で大きな地震があり、東電福島第1原発で炉心が溶融するという事故が起こって日中関係悪化の流れは断ち切られた。その流れを復活させたのは石原親子だ。 まず、2011年12月12日に石原伸晃が「ハドソン研究所」で尖閣諸島を公的な管理下に置いて自衛隊を常駐させ、軍事予算を大きく増やすと発言する。翌年の4月には伸晃の父親である石原慎太郎都知事(当時)が「ヘリテージ財団」主催のシンポジウムで講演、尖閣諸島の魚釣島、北小島、南児島を東京都が買い取る意向を示し、中国側を刺激した。 マスコミも日本と中国との関係が悪化するような雰囲気を作り上げ、アメリカの支配層を喜ばしている。例えば、2012年にヘリテージ財団アジア研究所北東アジア上席研究員のブルース・クリングナーは「日本国民のあいだに中国への懸念が広がりつつあるという状況」を歓迎している。 ライバル同士を戦わせ、疲弊させて漁夫の利を得ようというのはアメリカやイギリスの常套手段。日本と中国も戦わせたいはずだが、その思惑を田中角栄が潰していた。両国をいがみ合わせるために仕掛けた尖閣諸島の問題を田中政権は「棚上げ」にしてしまったのである。日中友好はアメリカの支配層にとって脅威だ。ロシアとEUとの友好関係を破壊しているのも同じ目的からだ。 ここにきてアメリカは盛んにロシアや中国を挑発している。例えば、昨年10月27日にアメリカ海軍は駆逐艦ラッセンを南沙諸島へ送り込んで12カイリ(約22キロメートル)の内側を航行させ、今年1月には駆逐艦カーティス・ウィルバーを西沙諸島へ派遣して同じように12カイリの内側を航行させ、5月10日にも駆逐艦ウィリアム・P・ローレンスを南沙諸島に派遣、永暑礁から12カイリ以内を航行して中国を刺激した。 昨年6月1日に安倍晋三首相は赤坂の「赤坂飯店」で開かれた官邸記者クラブのキャップによる懇親会で「安保法制は、南シナ海の中国が相手なの」と口にしたと報道されている。東アジアの情勢が緊迫しているのは事実だが、この発言の意味を安倍首相は理解していないで口にしたような気もする。現実と戦争ゲームの区別がついていないのかもしれない。大変な内容なのだが、有力マスコミがそれを大きく取り上げなかったことも事実だ。 マスコミはアメリカや日本による挑発には沈黙を守る一方、中国の脅威を誇張、あるは捏造して軍事的な緊張を高めている。「マラバル」も挑発のひとつだが、マスコミが大きく取り上げるのは挑発に対する中国側の対応だ。開戦になった場合、「日本は我慢に我慢を重ねたが、堪忍袋の緒が切れて戦争を始める」と言うつもりだろう。 ところで、「マラバル」と同じタイミングでNATOは6月6日から17日までロシアの目と鼻の先で大規模な軍事演習「アナコンダ」を行っている。NATOに加盟していないウクライナ、ジョージア(グルジア)、マケドニア、コソボ、スウェーデンからも参加したという。「第3次世界大戦」の予行演習とも言われている。
2016.06.15
6月12日にフロリダ州オーランドのナイトクラブを襲撃、SWATに射殺されたというオマール・マティーンもFBIに監視されていた人物だったと報道されている。マティーンの両親はアフガニスタン出身で、2011年と12年に巡礼のためにサウジアラビアを訪れ、13年には10カ月間、FBIが彼を監視していた。監視についてはジェームズ・コミーFBI長官も確認している。この間、FBIは信頼できる情報屋をマティーンに近づけていたともいう。2014年にシリアで自爆したモネル・モハンマド・アブ・シャルハがマティーンと同じようにフロリダ州フォート・ピアースに住んでいたこともあり、その際にもマティーンは捜査対象になっている。 秘密工作を行う場合、情報機関は組織防衛のため、ライバルの機関を工作に巻き込むことが少なくない。例えば、かつて韓国の情報機関が日本に滞在していた金大中を拉致した際、自衛隊を巻き込もうとしていた。これは稚拙だったが、情報機関の基本的な手口ではある。どこかの機関、組織、勢力がFBIを目障りだと考え、FBIを巻き込む事件を引き起こした可能性もあるだろう。 マティーンがFBIに監視されていた2013年にはボストン・マラソンのゴール付近で爆破事件があった。3名が死亡、百数十名が負傷しているが、この事件も不可解な点が少なくない。爆破の直前、爆破を想定した訓練があるというアナウンスが流れ、周辺には大きなリュックを背負った複数の人物がいたのだが、なぜかタメルラン・ツァルナエフとジョハル・ツァルナエフの兄弟が容疑者として追われ、兄のタメルツランは射殺されたが、逮捕された際には歩いていたともされている。弟のジョハルは重傷を負った状態で拘束された。 ふたりの母親によると、FBIは3年から5年の間、息子たちを監視下におき、彼女にもしばしば接触、「過激派のウェブサイト」を息子が利用していると警告していたと主張している。兄弟のおじ、ルスラン・ツァルナエフは1992年から2年間、CIAとの関係が指摘されているUSAIDの「顧問」としてカザフスタンで働き、そのルスランが結婚したサマンサ・フラーの父親はグラハム・フラーというCIAの幹部だった。 2015年1月にはフランスの週刊紙、シャルリー・エブドの編集部が襲撃された。この事件にも少なからぬ謎、疑問点がある。例えば容疑者の特定は素早すぎないか、プロフェッショナル的な技術をどのようにして身につけ、襲撃に使った装備をどこで調達したのか、射殺される際の稚拙な行動と整合性がないのではないか、スキー帽で顔を隠している人間が身分証明書を自動車に置き忘れているのは「9/11」のときと同じように不自然ではないのか、襲撃しながら自分たちがイエメンのアル・カイダだと叫んでいるのもおかしくないか、襲撃の後、どのように非常線を突破したのか、事件の捜査を担当した警察署長のエルリク・フレドゥが執務室で拳銃自殺したのはなぜなのか、クリバリがニコラ・サルコジを面談できたのはなぜかなどだ。襲撃者と射殺されたふたりは別人ではないかと疑う人もいる。 この事件では、歩道に横たわる警察官の頭部を襲撃犯のひとりが自動小銃のAK-47で撃ったことになっているが、その場面を撮影した映像によると、あまりリアルでないドラマの一場面のように頭部は無傷のように見える。つまり、血が吹き出すことはなく、骨や脳が周辺に飛び散ってもいない。この時に生じた頭部の傷が原因で死亡したとするなら、歩道はすぐ血の海になっていただろう。 パリでは11月13日にも襲撃があり、約130名が殺され、数百人が負傷したとされているのだが、その痕跡が見あたらないとして疑惑(例えばココやココ)が指摘されていた。映像をチェックしても「血の海」と言える光景は見当たらない。オーランドの襲撃でも同じことが指摘されている。 昨年12月2日にも銃の乱射事件があった。カリフォルニア州サン・バーナーディーノの福祉施設で14名が殺され、22名が負傷、実行犯とされるふたりも殺されたようだ。当初の報道ではライフルを持ち、小銃を持ち、戦闘服を着た複数の白人男性が銃撃したとされていたが、その後、夫婦ということになった。当局の発表によると、妻はインターネット上でダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)に忠誠を誓う書き込みをしていたという。乱射事件の当日、警察の特殊部隊SWATが訓練を予定していた。 ボストンで爆破事件が引き起こされた前年、2012年にはフランスのトゥールーズでユダヤ人学校が襲われている。この事件で犯人とされているモハメド・メラはアル・カイダとの関係が指摘されているが、その一方でフランスの情報機関DGSEや治安機関DCRIの協力者だという情報も流れている。 2011年にも不可解な襲撃があった。7月に与党労働党の青年部が企画したサマーキャンプが襲撃されて69名が殺された(オスロで殺された人を含めると合計77名)のだが、その前にノルウェー政府はリビア空爆に参加している部隊を8月までに引き揚げると発表していた。アンネシュ・ブレイビクなる人物の単独犯行だとされているが、複数の目撃者が別の銃撃者がいたと証言している。 本ブログでは何度も指摘しているように、リビアは空からNATO軍が攻撃、地上ではアル・カイダ系のLIFGが主力部隊だった。2011年10月にムアンマル・アル・カダフィは侵略軍に惨殺されるが、その直後にベンガジでは裁判所にアル・カイダの旗が掲げられ、その映像がYouTubeにアップロードされ、デイリー・メイル紙も伝えている。ダーイッシュはアル・カイダから派生した、あるいはタグを付け替えた集団にすぎない。こうした集団を殲滅するという口実で他国を侵略してきたのが、こうした集団の雇い主だった。 今回の襲撃にどのような背景があるのかは不明だが、一般論として言うならば、社会を作り替え、コントロールするために爆弾攻撃を使うのはアメリカ好戦派の常套手段。有名な例には、1960年代の初めにキューバへの軍事侵攻を正当化する目的で考えられたノースウッズ作戦、1960年代から80年代にかけてイタリアで爆弾攻撃を繰り返したNATOの秘密部隊「グラディオ」による緊張戦略がある。グラディオの存在は1990年にイタリア政府が公式に認めている。
2016.06.14
アメリカのフロリダ州オーランドにあるナイトクラブ「パルス」が6月12日午前2時ころに襲撃され、警察の発表によると少なくとも50人が死亡、53人が負傷したという。襲撃したとされているのはオマール・マティーンなる人物で、SWATとの銃撃戦の末、死亡したという。ライフルが使われたともされている。 これに対し、YouTubeなどにアップロードされた目撃者の証言の共通項をまとめると、襲撃したのはふたり以上で、マシンガンが使われた可能性がある。また銃撃の際、ドアは開かないように押さえられ、外へ逃げられなかったという。 これまで似たような銃撃事件が欧米で何度か引き起こされているが、その多くは公式発表に対する疑惑が指摘されている。今回も、当局の発表を鵜呑みにすべきではないだろう。
2016.06.13
シリアの「停戦」は終わり、ロシア軍は戦闘機部隊をシリアへ戻しそうだ。シリアとロシア両政府は戦略を見直したのだろう。アメリカの好戦派はバシャール・アル・アサド体制の打倒に執着、この停戦を利用してアメリカの好戦派は侵略部隊に武器/兵器を供給、戦闘員を増派するだけでなく、戦闘能力の高い新部隊を新たに編成してヨルダンからシリア領内へ入れたと伝えられている。アメリカ側はかつて「テロリスト」だとしていたアル・カイダ系の武装集団を「穏健派」だと称し、ロシア側へ攻撃しないように申し入れたとも言われている。ロシア政府はシリアでの戦闘が「第3次世界大戦」へ発展しないように配慮しているようだが、アメリカの好戦派はそれを逆手にとっている。 トルコからシリアの侵略軍へ伸びている兵站線はロシア軍の攻撃でダメージを受けたものの、まだ存在している。アル・カイダ系武装勢力やそこから派生したダーイッシュへ戦闘員を増派しているだけでなく、アメリカ、イギリス、フランスは自国の特殊部隊員を送り込んでいる。トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン体制はシリア領内にクルドの支配地を作り、そこへトルコにいるクルドを移住させるつもりだとも言われている。 勿論、状況がここにきて急変したわけではない。例えば、2月19日付けシュピーゲル誌に掲載されたサウジアラビア外相へのインタビューでは、シリアの戦況を変えるために地対空ミサイル、つまりMANPADを供給しはじめたと公言、また昨年10月、BBCのフランク・ガードナーはTOW500基を反シリア政府軍へ提供したことをサウジアラビアの高官は認めたとツイッターに書き込んでいる。 アメリカやサウジアラビアはロシアを経済的に締め上げるため、1980年代に成功した作戦、つまり原油価格の暴落をしかけたと言われている。ところが窮地に陥ったのはロシアでなくサウジアラビアやアメリカだった。 つまり、アメリカのシェール・ガス/オイル業界が壊滅的なダメージを受け、サウジアラビアでは2014年の財政赤字が390億ドル、15年には980億ドルへ膨らんだという。この状況に変化がなければ、サウジアラビアの金融資産は5年以内に底をつくと予測され、そうなるとドルを支えているペトロダラーの仕組みが崩壊し、投機市場も収縮して金融パニックになる可能性がある。アメリカを中心とする支配システムは崩壊しかねないということだ。 アメリカ/NATOやサウジアラビアは石油相場を利用した攻撃を諦め、軍事力に絞った可能性が高いのだが、シーモア・ハーシュが2007年3月5日付けのニューヨーカー誌でシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を始めたとして挙げた3カ国、つまり飴零下、サウジアラビア、イスラエルのうちイスラエルはロシアに接近している。 イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相が国防大臣に据えたアビグドル・リーバーマンは狂信的なユダヤ至上主義者だが、ロシア政府とのパイプを持っている。6月7日にはネタニヤフ首相がウラジミル・プーチン露大統領と会談した。重要な問題で何らかの合意があったわけではなく、イスラエルとパレスチナの和平プロセスを進めるべきだと指摘されたようだが、イスラエルがロシアを重視していることは間違いないだろう。 アメリカの大統領選挙は民主党のヒラリー・クリントンと共和党のドナルド・トランプの争いになりそうだが、クリントンが勝てば、軍事的な緊張はさらに高まる。 この陣営で最も注目されている人物はヒューマ・アベディン。彼女の母親サレハはパキスタン出身だが、ルーツはサウジアラビア。ムスリム同胞団の女性部門を指導している。ムスリム同胞団のモハメド・ムルシ元エジプト大統領の妻であるナグラ・アリ・マームードと近い。ヒューマ父親であるシードはアル・カイダ系の団体と関係、ヒューマ自身はサウジアラビアがホワイトハウスへ送り込んだスパイだと疑う人もいる。 アベディンは1996年、ジョージ・ワシントン大学の学生だった時、インターンとしてヒラリーの下で働き始めている。19歳だった。それから20年にわたってヒラリーの国際認識に大きな影響を及ぼしてきた。 ファースト・レディーだったヒラリーはマデリーン・オルブライトやビクトリア・ヌランドというネオコン/シオニスト系の好戦派とも親しくしていた。夫であるビル・クリントンとは逆の立場だ。ヒューマが結婚したアンソニー・ウィーナーは筋金入りの親イスラエル派/シオニストで、ヒラリーと親しい。ムスリム同胞団とネオコンが敵対関係にあるとは思えない。ちなみに、ウィーナーは下院議員だったが、2011年にセックス・スキャンダルで辞職している。 ムスリム同胞団は運動であり、統一された組織はないとされているが、エジプトの同胞団員は1954年10月にガマル・ナセル大統領の暗殺を試みて失敗、少なからぬメンバーがサウジアラビアへ逃げ込んだ。そこでムスリム同胞団はワッハーブ派/サラフ主義者(サウジアラビアの国教)の強い影響を受けている。1970年代の終わりにズビグネフ・ブレジンスキーの秘密工作を実行するために編成された戦闘集団の中心メンバーはワッハーブ派やムスリム同胞団だった。 この構図はその後も大きくは崩れず、DIAが2012年8月に作成された報告書によると、11年春からシリア政府軍と戦っている戦闘集団の主力はAQI、ワッハーブ派、ムスリム同胞団。支援は西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコから受けていたとしている。 ヒラリー・クリントンが大統領に選ばれた場合、彼女のスポンサーである戦争ビジネスや巨大金融資本だけでなく、ネオコン、ワッハーブ派、ムスリム同胞団の強い影響を受けることになる。ヒラリーと親しいヌランドの動きを見れば、ネオ・ナチもここに加わる。そして西側の有力メディアはこの集団を「民主化勢力」と呼ぶのだろう。
2016.06.13
東京電力福島第一原発のメルトダウン事故後に出された避難指示を安倍晋三政権は解除しつつある。「生活環境がおおむね整った」と主張しているようだが、原発事故は解決の見通しが立っていないわけで、無責任としか言いようがない。5月には東京電力の常務執行役で「福島第一廃炉推進カンパニープレジデント」だという増田尚宏は溶融した燃料棒を含む塊(デブリ)600トンがどこにあるか不明だと認めている。 日本のマスコミはデブリが格納容器の底部にあるかのような絵を掲載していたが、どこにあるか不明だとその当時にも批判されていた。増田の発言は常識的な見方を認めたにすぎない。地中へ入り込み、つまり「チャイナ・シンドローム」の状態で、それを大量の地下水が冷却、高濃度汚染水が太平洋へ流れ込んでいる可能性が高いだろう。 2051年までに廃炉させることになっているようだが、東電福島第一原発の小野明所長でさえ、飛躍的な技術の進歩がない限り、不可能かもしれないと認めているわけで、そうした主張をすること自体が無責任。30年前の4月26日に起こったチェルノブイリ原発事故の場合、とりあえずデブリが建造物の中に留まり、メルトダウンした原子炉がひとつだけなのだが、それでもデブリの回収、そして廃炉の目処は立っていない。 イギリスのタイムズ紙は福島第一原発を廃炉するまでに必要な時間を200年としているが、これは比較的に楽観的な見方。数百年はかかるだろうと推測する人は少なくない。その間に新たな大地震、台風などによって原発が破壊されてより深刻な事態になることも考えられる。 福島県の調査でも甲状腺癌の発生率が高いことを認めざるをえない状況。秘密保護法もあり、医療関係者は沈黙しているが、それでも深刻な実態は隠しきれないだろう。 衆議院議員だった徳田毅は事故の翌月、2011年4月17日に彼の「オフィシャルブログ」(現在は削除されている)で次のように書いている: 「3月12日の1度目の水素爆発の際、2km離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。それは衣服や乗用車に付着した放射性物質により二次被曝するほどの高い数値だ。」 言うまでもなく、徳田毅は医療法人の徳洲会を創設した徳田虎雄の息子で、医療関係者には人脈があり、これは内部情報。これだけ被曝して人体に影響がないはずはない。内部被曝も深刻だろう。このブログが書かれた時点でも一部の医療関係者が被害状況を匿名で断片的に話すだけだったが、秘密保護法が成立した現在、こうした情報が漏れ出てくる可能性は小さくなった。勿論、情報が漏れなくても被害は広がっていく。 事故当時に双葉町の町長だった井戸川克隆によると、心臓発作で死んだ多くの人を彼は知っているという。セシウムは筋肉に集まるようだが、心臓は筋肉の塊。福島には急死する人が沢山いて、その中には若い人も含まれているとも主張、東電の従業員も死んでいるとしているのだが、そうした話を報道すしたのは外国のメディア。 事故の直後、福島の沖にいたアメリカ海軍の空母ロナルド・レーガンに乗船していた乗組員にも甲状腺癌、睾丸癌、白血病、脳腫瘍といった症状が出ているようで、放射線の影響が疑われ、アメリカで訴訟になっている。カリフォルニアで先天性甲状腺機能低下症の子どもが増えているとする研究報告もある。 ロシア科学アカデミー評議員のアレクセイ・V・ヤブロコフたちのグループがまとめた報告書『チェルノブイリ:大災害の人や環境に対する重大な影響』(日本語版)によると、1986年から2004年の期間に、事故が原因で死亡、あるいは生まれられなかった胎児は98万5000人に達する。癌や先天異常だけでなく、心臓病の急増や免疫力の低下が報告されている。 日本の政府やマスコミによる宣伝とは違い、福島第一原発の事故はチェルノブイリ原発の事故より遥かに深刻。福島第一原発から環境中へ放出された放射性物質の総量はチェルノブイリ原発事故の1割程度、あるいは約17%だとする話が流されたが、算出の前提条件に問題があり、元原発技術者のアーニー・ガンダーセンは少なくともチェルノブイリ原発事故で漏洩した量の2〜5倍の放射性物質を福島第一原発は放出したと推測している。(アーニー・ガンダーセン著『福島第一原発』集英社新書) 放出量を算出する際、漏れた放射性物質は圧力抑制室(トーラス)の水で99%を除去できるとされていたようだが、実際はメルトダウンで格納容器の圧力は急上昇、気体と固体の混合物は爆発的なスピードでトーラスへ噴出したはず。トーラス内の水は吹き飛ばされ、放射性物質を除去できなかっただろう。 また、燃料棒を溶かすほどの高温になっていたわけで、当然のことながら水は沸騰していたはずで、やはり放射性物質を除去できなかったと考えねばならない。そもそも格納容器も破壊されていたようで、環境中へダイレクトに放射性物質は出ていたはず。ガンダーセンが示した放出量の推定値は控えめだと言わざるをえない。 今後、数百年間は太平洋を放射性物質で汚染し続けるであろう大事故を東京電力やその背後の利権集団は引き起こした。その原発で被曝しながら働かされる労働者の写真を撮り続けた樋口健二はローリングストーン誌の日本語版で次のように語っている。「原発には政治屋、官僚、財界、学者、大マスコミが関わってる。それに司法と、人出し業の暴力団も絡んでるんだよ。電力会社は、原発をできればやめたいのよ。危ないし、文句ばっかり言われるし。でもなぜやめられないかといえば、原発を造ってる財閥にとって金のなる木だから。」「東芝はウェスティングハウスを買収、日立はGE、三菱はアレバとくっついて、『国際的に原発をやる』システムを作っちゃったんだ。電力会社からの元請けを三井、三菱、日立、住友と財閥系がやってて、その下には下請け、孫請け、ひ孫請け、人出し業。さらに人出し業が農民、漁民、被差別部落民、元炭坑労働者を含む労働者たちを抱えてる」「原発労働は差別だからね。」 その「金のなる木」は日本どころか地球の生態系に大きなダメージを与えつつある。それで飽き足らない安倍政権は核戦争を辞さないというアメリカの好戦派に従っている。
2016.06.12
アメリカの支配層は強引にヒラリー・クリントンを民主党の大統領候補にしようとしている。有力メディアは「スーパー代議員(上位代議員、あるいは特別代議員と訳されている)」を持ち出し、バラク・オバマ大統領はクリントンを支持すると発表した。このまま「初の女性大統領」にするつもりなのだろう。 2016年のアメリカ大統領選挙でヒラリー・クリントンを当選させるのではないかとする話が流れたのは約1年前のこと。本ブログでは紹介済みだが、昨年6月11日から14日かけてオーストリアで開かれたビルダーバーグ・グループの会合にヒラリーの旧友、ジム・メッシナが参加したことが根拠になっている。 ヒラリー・クリントンは1990年代、夫のビル・クリントンが大統領だった時代からアメリカを戦争へと導いてきた。戦争ビジネスや巨大金融機関を後ろ盾にしているだけでなく、ネオコン/シオニストやムスリム同胞団と結びついている。アル・カイダ系のネットワークとも結びついているとする人もいる。(Diana Johnstone, “Queen of Chaos,” CounterPunch, 2015など) リビアやシリアを侵略している武装勢力の戦闘員は多くの国から参加しているが、その中心はサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団。ワッハーブ派はサウジアラビアの国教で、ムスリム同胞団は歴史的にワッハーブ派の強い影響を受けている。(すでに何度か書いたことなので、今回は割愛する。) アメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)は2012年8月、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIだとするアメリカ政府へ報告している。シリアのアル・カイダ系武装集団としてアル・ヌスラが有名だが、DIAによると、アル・ヌスラはAQIの別名。こうした武装集団は西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。 つまり、アメリカ政府が主張するような「穏健派」は事実上、存在せず、「穏健派」への支援は「過激派」の支援を意味するということをDIAは警告したと言える。後に、この報告書が作成された当時のDIA局長、マイケル・フリン中将はアル・ジャジーラの取材に対し、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策によると語ったのも、そうした事情があったからだ。 ヒラリー・クリントンはさまざまな問題を抱えながら、当局から追及されずにすんできた。支配層に守られているということだが、中でも大きな問題はリビアのアメリカ領事館襲撃に絡むものだろう。 彼女が国務長官を務めていた2011年春にアメリカはリビアやシリアに対する侵略を本格化、その年の10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制はNATO軍の空爆とアル・カイダ系武装集団LIFGを主力とする地上部隊の連係攻撃で倒された。その時にカダフィは惨殺されたが、それをCBSのインタビュー中に知らされたヒラリーは「来た、見た、死んだ」と口にし、喜んでいる。 その直後、反カダフィ勢力の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられ、その映像がYouTubeにアップロードされ、イギリスのデイリー・メイル紙も伝えていた。現在、リビアではLIFGがタグをダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)に付け替え、大きな影響力を及ぼしている。この段階でアメリカ/NATOがアル・カイダ系武装勢力と手を組んでいることは隠しようがなくなった。 カダフィ体制が崩壊した後、リビア軍の倉庫から武器/兵器が持ち出されてトルコへ運ばれているが、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、輸送の拠点になったのはベンガジにあるCIAの施設。つまり武器の輸送はCIAが黒幕だった。そうした事実をアメリカ国務省は黙認、輸送にはマークを消したNATOの輸送機が使われたとも伝えられている。運び出された武器/兵器の中に化学兵器も含まれ、これをシリアで使い、政府軍に責任をなすりつけてNATO軍が直接、介入する口実にしようとしたと言われている。 DIAがシリア情勢に関する報告書を出した翌月、2012年9月11日にベンガジのアメリカ領事館が襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使も殺された。領事館が襲撃される前日、大使は武器輸送の責任者だったCIAの人間と会談、襲撃当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っている。 スティーブンスの行動を見ると、彼はこうした工作を熟知していたと考えられる。彼が知っていたということは上司のヒラリー・クリントン国務長官も報告を受けていて知っていたことを意味する。 2012年11月、デイビッド・ペトレイアスがCIA長官のポストを辞しているが、この人物はクリントンと緊密な関係にあることで有名。スティーブン大使から報告されるまでもなく、ベンガジでの工作をクリントンは知っていたと見るべきだろう。 アル・カイダに替わる新しい「テロリスト」のタグが出現するのは2014年1月のこと。イラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国が宣言され、6月にはモスルを制圧したのだ。その際にトヨタ製の真新しい小型トラック「ハイラックス」を連ねてパレード、その後継を撮影した写真が世界規模で流れ、その後の残虐行為もあり、有名になった。 この当時、すでにヒラリーは国務長官を辞めていたが、2014年2月22日にはウクライナでネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を中心とする集団がクーデターを成功させ、ビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除した。そのクーデターを指揮していたひとりがヒラリーと親しいビクトリア・ヌランド国務次官補だ。 共和党の大統領候補、ドナルド・トランプに対する批判を全て否定するわけではないが、戦争という点に関して最も危険な人物はヒラリー・クリントンである。まず、戦争に消極的だったビル・クリントン政権を戦争へと導いたのはヒラリーであり、そのパートナーだった人物がマデリン・オルブライトだ。 オルブライトに影響を及ぼしたのはズビグネフ・ブレジンスキーとモートン・アブラモウィッツ。彼女が親しくしている人物のひとりがブルッキングス研究所で研究員していたロイス・ライス。後に国連大使を経て安全保障問題担当大統領補佐官に就任したスーザン・ライスの母親だ。オルブライトの父親はチェコスロバキアの元外交官で、アメリカへ亡命してデンバー大学で教鞭を執った。そのときの教え子の中にコンドリーサ・ライス、つまりジョージ・W・ブッシュ政権で国務長官を務めた人物がいる。ヒラリー・クリントンが平和を望んでいると考えるべきではなく、ドナルド・トランプより危険だ。 いかなる理由があろうと、もしバーニー・サンダースがクリントン支持を口にしたならば、これまでの発言は全て嘘であり、彼は「不正は嫌だといいながら、不正を犯してでも手に入れたがる」(シェークスピア著、安西徹雄訳『マクベス』光文社文庫、2008年)タイプの人間だったということになるだろう。
2016.06.11
国際的に自由な航行が認められている海域(日本が主張する領海の外)、尖閣諸島から12カイリ(22キロメートル)より外の海域を中国海軍のフリゲート艦1隻とロシア海軍の駆逐艦など3隻が6月9日に航行、安倍晋三政権は中国だけに抗議したという。 その2日前にアメリカ空軍の大型電子偵察機RC-135が東シナ海を飛行、中国軍はJ-10戦闘機を緊急発進させ、5月10日にはアメリカ海軍が駆逐艦ウィリアム・P・ローレンスを南沙諸島に派遣、永暑礁から12カイリ以内を航行させている。これは中国側から見ると領海侵犯で、中国軍は2機の戦闘機と3隻の軍艦を派遣したという。 また今年4月21日、アメリカ海軍の対潜哨戒機P-8はカムチャツカのペトロパブロフスク近くを飛行、ロシア軍のMiG-31戦闘機が要撃して50フィート(約15メートル)の距離まで接近したと報道されている。ペトロパブロフスクはウラジオストクと並ぶロシア太平洋艦隊の重要な軍事拠点で、新しい潜水艦が配備された直後だった。22日にロシア軍は日本海で軍事演習を実施している ロシアはアメリカ/NATOからの先制攻撃に備える動きを見せているが、潜水艦は反撃で重要な役割を果たすことになる。2006年にフォーリン・アフェアーズ誌(CFR/外交問題評議会が発行)はロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できるとするキール・リーバーとダリル・プレスの論文を掲載している。この分析が正しいかどうかはともかく、地上の施設が全て破壊されたとしても潜水艦は生き残る。 東アジア地域での軍事的な緊張が高まっていることに対応、ロシア政府は千島列島の松輪島にある放棄されていた軍事施設を復活させ、ロシア軍の太平洋艦隊の基地にできるかどうか調べ始めたとも伝えられている。 1983年1月、総理大臣に就任した直後の中曽根康弘はアメリカを訪問、そこでワシントン・ポスト紙のインタビューを受け、「日本列島をソ連の爆撃機の侵入を防ぐ巨大な防衛のとりでを備えた不沈空母(実際には「巨大空母」だったようだが、本質的な差はない=引用者注)とすべきだ」と発言、さらに「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配する」とし、「これによってソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語ったという。この発言をロシアは今でも覚えているだろう。 すでにロシア軍は超音速で飛行し、西側の防空システムでは対応できないというイスカンダル・ミサイルを配備、昨年11月にロシア軍がリークした戦略魚雷も注目されている。このリークは意図的なもので、軍事的な挑発を続けているアメリカへの警告とも受け取られている。 この新型魚雷は潜水艦から発射され、遠隔操作が可能。海底1万メートルを時速185キロメートルで進むことができ、射程距離は1万キロに達する。空母を沈められるだけでなく、アメリカの海岸線にある都市を攻撃することができる。勿論、日本の原発はひとたまりもない。 安倍晋三首相は2015年6月1日、赤坂の「赤坂飯店」で開かれた官邸記者クラブのキャップによる懇親会で「安保法制は、南シナ海の中国が相手なの」と口にしたと報道された。こうした好戦的な政策を続けるなら原発は全て止め、燃料棒などは安全な場所で保管しなければならない。 今回、中国とロシアの艦船がほぼ同時に尖閣諸島(釣魚台群島)の近くを航行した。これを偶然で片付けることはできないだろう。本ブログでは前に書いたが、日本とアメリカが中国と戦争を始めた場合、ロシアが出てくることを想定する必要がある。 尖閣諸島の近くを中国とロシアの艦船が航行したことを受け、安倍政権は中国だけに抗議したという。選挙戦対策のつもりかもしれないが、チョットしたことで「第3次世界大戦」が勃発しかねないほど国際情勢が緊張している。 かつて、日本の新聞は販売部数の伸ばすため、つまり私利私欲のために戦争熱を高め、東アジアに殺戮、破壊、略奪を広めることになった。最後には日本人も塗炭の苦しみをなめている。政治家や官僚だけでなく、マスコミも過去から何も学んでいない。 ちなみに、ビルダーバーグ・グループがドイツで開催している今年の会合には、偽情報を平然と口にしながら軍事的な緊張を高め、ロシアと西側を戦争させようとしていたフィリップ・ブリードラブ元NATO欧州連合軍最高司令官も出席している。
2016.06.10
アメリカの大統領選でまた胡散臭い話が出てきた。カリフォルニアなどで予備選の投票が行われる前夜から有力メディアは民主党の候補者はヒラリー・クリントンで確定したと宣伝していたが、実際の投票ではバーニー・サンダース支持者の投票を妨害するかのようなことが行われていたというのだ。 投票に必要な登録は半年前までにする必要があるらしく、4月に投票があったニューヨーク州の場合、昨年10月9日までに民主党と共和党のどちらを支持しているかを登録しておかないと予備選で投票できなかった。ヒラリーに対する逆風が吹き始めるのは登録期限の後で、世論調査とは違う結果が出ている。 カリフォルニア州の場合は投票できるようだが、投票の際にいかがわしいことが行われているとする情報(例えばココ)が伝わっている。ここでも政党の登録をしていない人びとはサンダースを支持する人が多く、民主党の登録をしている人はヒラリー支持者が多い。カリフォルニアで支持政党を登録しなかった人は420万人いたという。 投票所の場所が変更されているケースもあったようだが、中には投票用紙を受け取ろうとすると、政党無登録の人には予備選に投票できない用紙を自動的に渡す投票所があったという。投票するためには、民主党支持変更用紙を要求しなければならない。予備選に投票するにはどうすべきかと尋ねられた係員は、政党無登録の人には民主党用の用紙は渡せないと答え、民主党支持変更用紙のことには触れないよう指示されていたケースもあったようだ。 こうした態勢を整えた上で、ヒラリー選出を望む支配層はサンダースへの投票を諦めるように心理戦を仕掛けたように思える。APが行ったクリントンの「勝利宣告」の目的のひとつはそこにあるだろう。その宣告の根拠は、まだ投票していない「スーパー代議員(上位代議員、あるいは特別代議員と訳されている)」の投票予測だ。 ヒラリーへの逆風が強まっている一因は、彼女の好戦性にある。民主党のふたりと共和党のドナルド・トランプの中でもっとも危険な人物はクリントン。世界を核戦争で破壊させかねない人物だ。 アメリカが露骨な侵略戦争をはじめたのは1999年3月のこと。先制攻撃でユーゴスラビアを破壊したのだが、この時の大統領はビル・クリントンだった。当初は戦争に消極的だったクリントン政権だが、その雰囲気は1997年1月に変わる。国務長官が戦争に消極的なクリストファー・ウォーレンから、好戦的なマデリーン・オルブライトへ交代したのだ。このオルブライトと親しく、この人物を国務長官にするよう大統領へ働きかけていた人物がファースト・レディーだったヒラリーにほかならない。ヒラリーはビルに対し、ユーゴスラビアを攻撃するように説得していた。 ヒラリーと個人的に親しいことから国務省次官首席補佐官としてクリントン政権に入っていたビクトリア・ヌランドは2014年2月22日にビクトル・ヤヌコビッチ大統領をクーデターで排除した人物。ヌランドの結婚相手はネオコンの中心グループに属しているロバート・ケーガンだ。 夫のビル・クリントンを戦争へと導いていた当時、ヒラリーは若い女性を側近に据えている。ムスリム同胞団と結びついているヒューマ・アベディンだ。彼女の母親サレハはムスリム同胞団の女性部門を指導、父親のシードはアル・カイダと関係していると主張する人もいる。ヒューマ自身、サウジアラビアがホワイトハウスへ送り込んだスパイだという噂もある。このアベディンは下院議員でヒラリーと親しいアンソニー・ウィーナーと結婚しているが、この人物は筋金入りの親イスラエル派/シオニスト。2011年にウィーナーはセックス・スキャンダルで議員を辞職している。 ネオコン、イスラエル、サウジアラビア、ムスリム同胞団、アル・カイダのネットワークがヒラリーを中心に広がっているわけだが、それ以外に戦争ビジネスや巨大金融資本とも彼女は結びついている。単なる「胡散臭い」人物ではない。 そのヒラリーの旧友、ジム・メッシナは昨年6月11日から14日かけてオーストリアで開かれたビルダーバーグ・グループの会合に参加している。このグループは欧米の富豪たちが利害を調整する場とも言われ、この段階でアメリカの大統領選挙はクリントンが軸になると言われるようになった。 ビルダーバーグ・グループの第1回会議は1954年5月にオランダのビルダーバーグ・ホテルで開かれ、コミュニズムやソ連に関する問題などが討議された。グループの名称はこのホテル名に由来する。ホテルのオーナーはオランダのベルンハルト王子で、初代会長に就任しているが、実際の生みの親はユセフ・レッティンゲルだと考えられている。 レッティンゲルは戦前からヨーロッパをイエズス会の指導の下で統一しようと活動、大戦中はロンドンへ亡命していたポーランドのウラジスラフ・シコルスキー将軍の側近を務めた。シコルスキーはコミュニストを敵視、戦争中はイギリス政府の支援の下、亡命政府を名乗っていた。レッティンゲルはイギリスの情報機関MI6のエージェントでもあったと言われている。 レッティンゲルたちが進めたヨーロッパ統一運動の活動資金の半分以上を出していたのはACUE。この団体は1948年にアレン・ダレスやウィンストン・チャーチルを中心とする米英の支配層によって創設され、その下部組織の中にビルダーバーグ・グループも含まれている。EUはこの計画から生み出された。今年は6月9日から12日にかけてドイツのドレスデンでビルダーバーグ・グループの会合が開かれている。
2016.06.09
トルコから入ってくる侵略軍と戦っているはずだったクルドの武装勢力がアレッポで自分たちの役割を放棄、撤退しているという情報が流れている。トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領はシリア領内にクルドの国を作り、そこへトルコ領内にいるクルドを移住させようとしているとする説もあり、シリア政府とロシア政府は戦略を見直す必要が出て来たのかもしれない。 現在、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)が自分たちの首都と位置づけているラッカが陥落しそうで、その西にあるアレッポへ拠点を動かそうとしているとも言われている。そのアレッポもシリア政府軍が制圧しつつあったが、トルコからダーイッシュの援軍が送り込まれ、「停戦」でロシア軍が手を緩めたこともあって政府側に一時期の勢いが感じられない。そこで、ロシア軍が再び攻撃を強化するという話が伝えられている。 アル・カイダ系武装集団のアル・ヌスラへの攻撃をアメリカ軍は止めるように要求していたが、このアル・ヌスラだけでなくダーイッシュもアメリカ軍の特殊部隊、トルコ、クルドが手を組んだという情報もある。アル・カイダ系武装集団やダーイッシュは以前からアメリカの好戦派、サウジアラビア、トルコ、イスラエルの手先として動いてきたが、ここにきてクルドが合流したのかもしれない。イラクとクルドはイスラエルから支援を受けてきたので、こうした動きがあっても不思議ではない。
2016.06.08
カリフォルニアで予備選が行われる直前に実施された民主党の候補者選びに関する世論調査では、バーニー・サンダースがリードしていたようだ。民主党支持者ではサンダースが57%、クリントンが40%、無所属の人ではそれぞれ68%と26%だとされている。APが予備選の前夜に「クリントン勝利」を宣告した理由はここにあるという推測はあながち的外れではないだろう。 APが行ったクリントンの「勝利宣告」は「スーパー代議員(上位代議員、あるいは特別代議員と訳されている)」の投票予測が理由として挙げられている。現段階でクリントン544に対してバーニーは47で圧倒しているとされているという。ただ、投票はされていないので、確定したものではない。 このスーパー代議士の割合は全体の約15%。予備選/党員大会で大差がついていないかぎり、結果を左右することになる。その構成メンバーは民主党全国委員会から438名、現役を含む歴代大統領、副大統領、議会指導者、委員会委員長が20名、下院議員193名、上院議員47名、州知事などが21名で、合計すると719になる。 おそらく、アメリカの支配層は民主党の候補者選びがこれほどもつれるとは思っていなかっただろう。欧米の富豪たちが利害を調整する場とも言われているビルダーバーグ・グループが昨年6月11日から14日かけてオーストリアで開いた会合に、ジム・メッシナというヒラリー・クリントンの旧友が出席していたことから、この段階でアメリカの大統領選挙はクリントンが軸になると見られていた。スーバー代議士は権力システムに組み込まれた人びとであり、支配層の影響下にある。支配層の意向が反映される一種の安全装置として機能している。 最終的な結果はわからないが、バーニーの善戦はアメリカの選挙システムが支配者の意思を反映させるようにできていることを広く知らせることになった。 元々民主党の候補者は「ボス」が密室で選んでいた。そうしたこともあり、ベトナム戦争への批判が高まる中、1968年の大統領選挙で戦争に賛成していたヒューバート・ハンフリーが民主党の候補者になり、共和党のリチャード・ニクソンに敗れることになる。そこで透明性の高いシステムへ変更、1972年の選挙ではアメリカ軍をベトナムから即時撤退させると主張するジョージ・マクガバンが選ばれた。この人物は第35代大統領のジョン・F・ケネディに近い政治家としても知られていた。 この結果に危機感を抱いたのが民主党を操っていた権力システム。ヘンリー・ジャクソン上院議員を中心とする勢力は党内に「CDM(民主多数派連合)」という団体を創設、その事務所ではネオコン/シオニストのリチャード・パイプスが顧問を務め、パイプスの弟子にあたるポール・ウォルフォウィッツやリチャード・パールがスタッフとして送り込まれていた。 1972年の選挙ではマクガバン陣営にスパイが送り込まれていたが、そのひとりがルチアーナ・ゴールドバーグ。この人物はジャーナリストを装ってマクガバン陣営を監視していた。 アメリカが先制攻撃で他国を侵略しはじめたのは1999年3月。NATO軍という形でユーゴスラビアを攻めたのだが、その背後でヒラリー・クリントンが暗躍していたことは本ブログでも紹介した。ヒラリーは夫であるビル・クリントン大統領に攻撃を働きかけただけでなく、国務長官を戦争に消極的だったクリストファー・ウォーレンから、彼女が親しくしていた好戦派のマデリーン・オルブライトへ1997年1月に交代させている。 モニカ・ルウィンスキーのスキャンダルが浮上したのはこの年の10月。当時、ビル・クリントンを追及していた特別検察官は自分たちの偽証工作が発覚するなど手詰まりだったが、この件で何とか面目を保つことができた。リンダ・トリップなる女性がルウィンスキーとの電話での会話を録音、それを公表したのだが、録音を勧めた人物がルチアーナ・ゴールドバーグだ。 ジャクソン議員たちが創設したCDMは1976年にCPD(現在の危機委員会)の創設を助け、さらに「力による平和連合」やAEI(アメリカ企業研究所)といった団体とも手を組んでネットワークを広げていく。 マクガバンを破って再選されたニクソンだが、任期の途中、ウォーターゲート事件で失脚し、副大統領だったジェラルド・フォードが昇格した。1974年8月のことだ。 フォード政権はニクソンが進めていたデタント(緊張緩和)を止めるために粛清(いわゆるハロウィーンの虐殺。詳細は割愛する。)を開始する。その粛清で中心的な役割を果たしたのがドナルド・ラムズフェルド、リチャード・チェイニー、ポール・ウォルフォウィッツたちネオコン。 支配層は民主的なシステムは危険だと判断したようで、1982年にスーパー代議員の制度が導入された。この制度を導入した勢力はマクガバンだけでなくビル・クリントンも好ましくないと考えていたようだが、その制度によってヒラリー・クリントンは大統領への道を歩き続けることができる。
2016.06.08
アメリカ/NATOがロシアとの国境近くで進めている「ミサイル防衛」について話し合おうとロシアのウラジミル・プーチン政権の申し入れをアメリカのバラク・オバマ政権は拒絶したと伝えられている。5月27日に広島の平和記念資料館を訪問したオバマ大統領は「核なき世界を追求する勇気」について語ったというが、彼に勇気はないらしい。 ルーマニアやポーランドで新たなミサイル基地をアメリカ/NATOが建設する目的がイランにあるという戯言を信じる人はほとんどいないだろう。アメリカ/NATOとしても、それで騙せるとは思っていないはずだ。「ミサイル防衛」は先制攻撃に対する報復攻撃に対処することが第1の目的だろうが、射程が1000キロメートルから2400キロメートルという攻撃的なミサイルへ切り替えることも難しくない。 すでに国民の支持を失っているドイツのアンゲラ・メルケル首相はオバマ政権の意向を受けてなのか、ロシアを対抗国と位置づけるドクトリンを作成したという。ドイツ国民の考え方とは全く逆だ。 フィリップ・ブリードラブ米空軍大将はNATO欧州連合軍最高司令官だった当時、好戦的な雰囲気を高める発言を繰り返していた。例えば、2014年11月12日にはロシア軍兵士と戦車のウクライナ侵攻を主張しているが、全くの偽情報だったことがすぐに判明している。アメリカの統合参謀本部にはネオコン/シオニストの戦略を無謀で危険だと考えるグループが存在しているが、NATOは一貫して「関東軍的」。 こうした考え方はブリードラブだけのものではなく、彼の下で欧州連合軍副最高司令官を務めたイギリス陸軍のリチャード・シレフ大将はロシアの周辺国で軍事力を増強してロシアを威圧するべきだと主張、イギリスのマイケル・ファロン国防相は軍事的緊張の高まりをロシアに責任を押しつけている。 勿論、こうした発言に批判的な声も聞こえてくる。例えば、2015年3月6日付けのシュピーゲル誌によると、ドイツ首相府の高官はブリードラブのコメントを「危険なプロパガンダ」だと非難したという。 しかし、ブリードラブが所属する好戦的な勢力の意向に沿うドクトリンを今回、メルケル政権が作成したようで、ドイツ政府内ではかなり強引な政策決定がなされているように見える。そうした強引なことをしなければならない弱みをメルケルが握られている可能性もあるだろう。 現在、ロシアが配備しつつある兵器はアメリカ/NATOを性能の上で圧倒している。例えば、弾道ミサイルのイスカンダルは射程距離は280から400キロメートル、飛行速度はマッハ6から7で、西側の防空システムは対応できないと考えられている。 シリアでの戦闘ではカスピ海から発射された巡航ミサイルがシリアのターゲットへ正確に命中、潜行中の潜水艦から発射されたミサイルによる攻撃も見せた。実戦配備が近いとされているS-500は弾道ミサイルが大気圏へ再突入する前に撃ち落とすことが可能だとも言われている。そうした兵器の配備が完了する前に決着をつけたいと考えても不思議ではないだろう。 ドイツの「バルバロッサ作戦」のような電撃作戦、イギリスで作成されていた「アンシンカブル作戦」のような奇襲攻撃、アメリカが目論んだ「ドロップショット作戦」のような先制核攻撃、あるいはグラディオのような秘密部隊を使ったゲリラ戦で攻撃することもありえる。 軍事的な緊張が高まると、1995年1月のような事態がさらに進んで開戦になるかもしれないだろう。そのとき、ノルウェーの北西沖にある島から「科学目的」のロケットが発射されたのだが、その軌道がロシアの想定するアメリカの大陸間弾道ミサイルと同じで、ロシア軍が反撃して核戦争になる寸前だったと言われている。ヒラリー・クリントンがアメリカの大統領に選ばれた場合、そうした危険性が高まることは間違いない。
2016.06.07
逆風に苦しんでいるヒラリー・クリントンがアメリカ大統領選の民主党候補者選びで勝利したと通信社のAPが6月6日に宣言した。7日に予定されているカリフォルニア州など6州で予備選/党員大会ではクリントンとバーニー・サンダース、どちらが勝利してもおかしくないほど競っていて、結果によってはジョー・バイデン副大統領が登場してくる可能性もあると言われていた。今回の「報道」はカリフォルニアで混乱を起こすなという支配層からのメッセージだと見る人もいる。 クリントンは2001年1月から09年1月まで上院議員、09年1月から13年2月まで国務長官を務めているが、ファースト・レディだった1993年1月から2001年1月にも重要な役割を果たした。大統領だった夫のビル・クリントンは大統領選の段階からスキャンダル攻撃を受け、手足を縛られた状態。弁護費用のために破産寸前だったと言われている。 攻撃の中心にいた人物はメロン財閥のリチャード・メロン・スケイフ。情報機関と緊密な関係にあることで知られ、1993年から97年にかけて反クリントン工作の「アーカンソー・プロジェクト」につぎ込んだ資金は240万ドルだという。スケイフはシンクタンクなどへ多額の寄付をしていることでも有名で、その中にはヘリテージ財団やCSISが含まれている。 親イスラエル派で有名なニュート・ギングリッジ下院議長(当時)のスポンサーだったシカゴの大富豪、ピーター・スミスも反クリントンのキャンペーンに資金を提供していことからもネオコン/シオニストとビル・クリントン大統領との関係が良くなかったことは推測できるが、実際、ビル・クリントン政権は前のジョージ・H・W・ブッシュ政権とは違ってネオコンの影響力が弱く、さまざまな提言を外部から行っていた。 それにもかかわらず、国務省次官首席補佐官としてネオコンのビクトリア・ヌランドが入っている。この女性はヒラリー・クリントンと親しく、そうした関係が影響したのかもしれない。何度も書いてきたが、ヌランドの結婚相手はネオコンの中心グループに属しているロバート・ケーガンだ。 クリントン政権が発足した当初、国務長官は戦争に消極的で、ユーグスラビアに対する先制攻撃にも反対していたウォーレン・クリストファー。この政権が戦争へと舵を切ったのは1997年に国務長官がクリストファーかららマデリン・オルブライトへ交代してからである。オルブライトは1993年から97年まで国連大使を務めているが、この人選にもヒラリーが関係していた可能性はある。 オルブライトはコロンビア大学でズビグネフ・ブレジンスキーに学んだ好戦派で、国連大使だった1996年には経済制裁で死に至らしめられたイラクの子ども約50万人について意見を求められ、アメリカが目指す目的のためには仕方がないと言ってのけている。 1998年にはユーゴスラビア空爆を支持すると彼女は表明、99年3月にNATO軍は先制攻撃を実行している。オルブライトを国務長官にするように働きかけたのはヒラリー・クリントンだが、ヒラリー自身もユーゴスラビアを攻撃するよう、夫に働きかけていたと伝えられている。 国務長官時代の2011年春にアメリカはリビアやシリアに対する侵略を本格化、その年の10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制はNATO軍の空爆とアル・カイダ系武装集団LIFGを主力とする地上部隊の連係攻撃で倒された。その時にカダフィは惨殺されたが、それをCBSのインタビュー中に知らされたヒラリーは「来た、見た、死んだ」と口にし、喜んでいる。 その直後、反カダフィ勢力の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられ、その映像がYouTubeにアップロードされ、イギリスのデイリー・メイル紙も伝えていた。現在、リビアではLIFGがタグをダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)に付け替え、大きな影響力を及ぼしている。シリアでロシア軍が空爆を開始して以来、ダーイッシュにとってリビアは最も安全な場所になったとも言われている。 カダフィ体制が崩壊した後、リビア軍の倉庫から武器/兵器が持ち出されてトルコへ運ばれているが、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、輸送の拠点になったのはベンガジにあるCIAの施設。つまり武器の輸送はCIAが黒幕だった。そうした事実をアメリカ国務省は黙認、輸送にはマークを消したNATOの輸送機が使われたとも伝えられている。運び出された武器/兵器の中に化学兵器も含まれ、これをシリアで使い、政府軍に責任をなすりつけてNATO軍が直接、介入する口実に使用としたと言われている。 ベンガジにはアメリカの領事館があるのだが、そこが2012年9月11日に襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使も殺された。領事館が襲撃される前日、大使は武器輸送の責任者だったCIAの人間と会談、襲撃当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っている。 スティーブンスの行動を見ると、彼はこうした工作を熟知していたと考えられる。彼が知っていたということは上司のヒラリー・クリントン国務長官も報告を受けていて知っていたはずだ。 2012年11月、デイビッド・ペトレイアスがCIA長官のポストを辞しているが、この人物はクリントンと緊密な関係にあることで有名。スティーブン大使から報告されるまでもなく、ベンガジでの工作をクリントンは知っていたと見るべきだろう。 ヒラリーが国務長官を辞めた約1年後、2014年2月22日にアメリカの好戦派はウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ大統領を暴力的に排除した。その手先になったのがネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)で、そうしたグループを指揮していた人物が国務次官補になっていたビクトリア・ヌランドだ。 ヌランドがジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使と電話で「次期政権」の人事について話し合っている音声が何者かによって2月4日にインターネット上へアップロードされ、その中でヌランドが推薦していたアルセニー・ヤツェニュクは実際、クーデター後に首相となった。 ヌランドはパイアットとの会話の中で「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」と口にしたが、これは話し合いでの解決を模索していたEUへの不満から出た言葉。ヌランドはあくまでも暴力で決着をつけたがっていた。カダフィと同じようにヤヌコビッチを処分したかったのかもしれない。 ヌランドと親しいヒラリーは巨大軍需企業ロッキード・マーチンの代理人とも呼ばれ、巨大金融資本も後ろ盾になっている。また、親イスラエル派として知られ、国務長官時代の2009年6月にはホンジュラスでマヌエル・セラヤ政権がクーデターで倒された。クーデターの中心になったロメオ・バスケスはSOAの卒業生。 対反乱技術、狙撃訓練、ゲリラ戦、心理戦、軍事情報活動、尋問手法などの訓練をする目的でSOAがパナマで創設されたのは1946年のこと。1984年に同国を追い出されてアメリカのジョージア州フォート・ベニングへ移動、2001年には「治安協力西半球研究所(WHISCまたはWHINSEC)」と名称を変更した。 現在、アメリカ政府はホンジュラスのクーデター政権を容認しているが、当時、現地のアメリカ大使館は国務省に対し、クーデターは軍、最高裁、そして国会が仕組んだ陰謀であり、違法で憲法にも違反していると報告している。つまり、クリントン国務長官も実態をしっていた。この正当性のない政権は翌2010年、最初の半年だけで約3000名を殺害したという報告がある。 クーデターを支援していたひとり、ミゲル・ファクセは麻薬取引が富の源泉であることもアメリカ側は認識していた。ちなみに、ミゲルの甥にあたるカルロス・フロレス・ファクセは1998年から2002年にかけてホンジュラスの大統領だった人物である。 また、クリントンはムスリム同胞団とつながりがある。彼女の側近だったヒューマ・アベディンを介しての関係だ。ヒューマの母親であるサレハはムスリム同胞団の女性部門を指導、父親のシードとアル・カイダとの関係を指摘する人もいる。両親はふたりともペンシルベニア大学で博士号を取得している。 ヒラリー・クリントンはファースト・レディーの時代から戦争やクーデターを推進、イスラエルべったりの姿勢を隠そうともしていなかった。クリントンが大統領に選ばれた場合、ロシアは「新バルバロッサ作戦」を許さないため、侵略に応戦する準備を本格化させると見られている。現在、クレムリンの周辺に残っている西側支配層と結託した人脈を潰しにかかると推測する人もいる。
2016.06.07
ドキュメンタリー映画「シチズンフォー」(アメリカでは2014年10月公開)が日本で話題になっているという。NSA(国家安全保障局)の監視プログラムに関する情報を明らかにしたエドワード・スノーデンをテーマにした作品だ。 スノーデンはCIAの元技術アシスタントで、後にブーズ・アレン・ハミルトンという会社で働く。技術コンサルタント会社だとされているが、情報機関とは緊密な関係にあり、約2万6000人の社員を抱える巨大企業。その一部がNSAの仕事をしている。彼の内部告発が庶民にとって価値あるものだったことは確かだが、NSAの活動自体は以前から知られていた。その最新情報を明らかにしたということだ。日本の場合、この内部告発で最大の問題はNSAの活動についてマスコミ、学者、活動家といった人びとの大半が長い間、興味を持たなかったことにある。(某大手新聞の記者の場合、外部組織に幹部として出向していた時は興味を示したが、新聞社に戻ってから興味をなくしたらしく、筆者に会うことも避けるようになった。1990年代のことだ。) NSAが創設されたのは1949年5月だと言われているが、その3年前にアメリカとイギリスとの間では電子情報機関に関するUKUSA(ユクザ)協定が結ばれている。イギリス側の機関はGCHQ(政府通信本部)。その後、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド(第2当事国)の情報機関も参加するが、これらはNSAやGCHQの下部組織で、それぞれの国の政府を米英が監視する「国家内国家」としても機能してきた。そのほかドイツ、フランス、イタリア、ベトナム、日本、タイなど「第3当事国」も存在するが、UKUSAのメンバーと言えるのはアングロ・サクソン系5カ国。 当初、NSAもGCHQも存在自体が秘密にされていたが、1972年にランパート誌の8月号にNSA元分析官の内部告発が掲載され、NSAの存在が知られるようになった。その際、NSAは「全ての政府」を監視していることも明らかにされている。スノーデンの内部告発に各国政府が驚くということはありえないということだ。 GCHQに関する情報を明らかにしたのはジャーナリストのダンカン・キャンベルとマーク・ホゼンボール。ふたりは1976年、イギリスのタイム・アウト誌で調査結果を発表している。その結果、アメリカ人だったホゼンボールは国外追放になり、キャンベルはイギリスの治安機関MI5から監視されるようになった。 その数年後、キャンベルはタイム・アウト誌のクリスピン・オーブリー記者と電子情報機関の元オペレーターを取材するが、その際に両記者と元オペレーターは逮捕されてしまう。オーブリー(Aubrey)、元オペレーターのベリー(Berry)、そしてキャンベル(Campbell)の頭文字をとって「ABC事件」とも呼ばれている。 そうした弾圧をはねのけてダンカンは調査を続け、1988年8月には地球規模の通信傍受システムECHELONの存在を明らかにした。それまでの通信傍受システムと決定的に違う点は、全通信が対象になっていることだと指摘していた。 このシステムの存在が浮上する切っ掛けはロッキード・スペース・アンド・ミサイルの従業員による内部告発。米共和党のストローム・サーモンド上院議員の電話をNSAが盗聴対象にしていたと暴露したのである。(Duncan Campbell, 'Somebody's listerning,' New Statesman, 12 August 1988 ) このECHELONは1990年代になってニュージーランドでニッキー・ハガーが本にまとめ(Nicky Hager, "Secret Power," Craig Potton, 1996)、注目された。この本に刺激されてヨーロッパ議会も報告書を出した。 日本ではこの報告書を「産業スパイ」の次元で語る人も少なくなかったが、ヨーロッパ議会の問題意識は全く違う。監視システムや暴動鎮圧技術のターゲットは、反体制派、人権活動家、学生運動指導者、少数派、労働運動指導者、あるいは政敵になる可能性が高いと警告しているのである。つまり、ECHELONは民主主義にとって脅威になると指摘していた。 アメリカの支配層は情報を集めるだけでなく、蓄積し、分析するシステムの開発も進めていた。1970年代の後半になると、不特定多数の個人情報を収集、分析、保管することのできるシステムが開発されている。 中でも能力が高いことで有名だったシステムはNSAの元分析官が開発したPROMISだが、日本の法務総合研究所もそのシステムに注目、1979年と80年、2度にわたって『研究部資料』にレポートを載せている。この当時、駐米日本大使館に一等書記官として勤務していたのが原田明夫。言うまでもなく、原田は後に法務省刑事局長として『組織的犯罪対策法(盗聴法)』の法制化を進め、事務次官を経て検事総長に就任している。 1980年代になると、個人の学歴、銀行口座の内容、ATMの利用記録、投薬記録、運転免許証のデータ、航空券の購入記録、住宅ローンの支払い内容、電子メールに関する記録、インターネットでアクセスしたサイトに関する記録、クレジット・カードのデータなどあらゆるデータの収集と分析をコンピュータで行うようになる。それだけでなく、街中に設置されたCCTVで人びとは監視され、GPSが搭載された携帯電話、ICカードを使ったプリペイド乗車券で動きを追跡できるようになった。こうした個人情報を一括管理するために使われると見られているのが「住民基本台帳」や「マイナンバー制度」。 実際の行動だけでなく、スーパー・コンピュータを使って書籍、音楽、絵画などの嗜好を含む膨大な量の個人データを分析して「潜在的テロリスト」、つまり支配層にとって好ましくないタイプ、つまり戦争に反対するような人間を見つけ出そうという研究も進んでいる。当然、そのシステムには教育機関も組み込まれるだろう。 アメリカでは第2次世界大戦後、FBIのCOINTELPROやCIAのMHケイアスなど国民を監視するプロジェクトを推進され、1974年12月にはCIAが封書を開封していたことが発覚している。この工作の責任者はアレン・ダレスの側近でファシストやイスラエルと緊密な関係にあったジェームズ・アングルトン。CIA長官だったウィリアム・コルビーはアングルトンを解任するが、ジェラルド・フォード政権でそのコルビーが粛清された。その後任長官がジョージ・H・W・ブッシュ。戦争に反対し、平和を望む人びとをFBIやCIAは一貫して危険視してきた。 NSAやCIAの監視は世界規模に広がり、そうした情報機関と結びついているIT企業は自社製品にトラップドアなどさまざまなバグを組み込み、各国のエリート層を脅すための材料を持っている。スノーデンが内部告発した際、MI5の元オフィサーで内部告発者でもあるアニー・マショーンはスノーデンにとって安全な場所はロシアだけだと語っていた。
2016.06.07
世論調査の結果の信用するなら、今でも安倍晋三政権は半数近い人びとに支持されている。安全保障関連法や秘密保護法を強引に成立させ、住民基本台帳やマイナンバー制度を導入、TPP(環太平洋連携協定)を実現させようとしていること、つまり日本をアメリカの戦争マシーンに組み込み、支配層の犯罪的行為を隠蔽、国民を監視、管理、挙げ句の果てにアメリカを拠点とする巨大資本に日本を贈呈しようとしていることを気にしていないということだ。 個別の問題に対しては反対の声が強いことを考えると、安倍政権が庶民にとって好ましくない政策を推進していることを国民は理解している。銀行に対する投機規制が大幅に緩和され、資金の「地下ルート」とタックス・ヘイブンのネットワークが全世界に張り巡らされている現在、いわゆる「アベノミクス」が日本全体の経済活動を回復させないことを少なからぬ人が予測していただろう。安倍首相が嘘をついていることを理解していながら支持しているわけだ。 支持する理由としてまず挙げられているのは「他に適当な人がいない」。勿論、そうした印象を作り出しているのはマスコミだ。新自由主義的な政策からの決別を願う人びとによって小沢一郎を中心とする民主党は支持され、検察やマスコミからの小沢が攻撃される中、鳩山由紀夫政権が登場した。その政権を倒したのも検察やマスコミ。その後に首相となった菅直人や野田佳彦は国民の願いを裏切った。この裏切りも「他に適当な人がいない」と思わせる一因だろう。 安倍政権の背後に存在している権力システムが「民意」を封殺していることは明白で、そのシステムを選挙で変えられないことも人びとは理解しているだろう。何らかの強い「理想」、あるいは「目標」を持っていれば別だが、そうでなければ、雰囲気や空気を読み、成り行きに従った方が得だと考えても不思議ではない。とりあえず、目先の利益を優先するということだ。 そうした雰囲気や空気と呼ばれるものを作り出しているマスコミで働く記者や編集者も雰囲気や空気を読み、自主規制や自己検閲を強化してきた。これは日本が大陸を侵略、アメリカとの戦争に突入する過程でも見られたことだとされている。 第2次世界大戦後、マスコミを取り巻く空気を変えたと思われる出来事はいくつかある。例えば、1961年2月に中央公論の社長宅が襲われて1名が殺され、1名が重傷を負った「風流夢譚事件」、72年には毎日新聞の政治部記者だった西山太吉が逮捕されている。西山記者は外務省の女性事務官からえた情報に基づき、沖縄の「返還」にともなう復元費用400万ドルは日本が肩代わりする旨の密約の存在することを明らかにしたが、情報の入手方法が問題視された。後にこの報道を裏付ける文書がアメリカの公文書館で発見され、返還交渉を外務省アメリカ局長として担当した吉野文六も密約の存在を認めている。 この事件でマスコミは政府側の誘導に従い、密約の内容よりも西山と女性事務官との関係に報道の焦点をあて、反毎日キャンペーンを展開した。これが同紙の経営にダメージを与え、倒産の一因になったと見る人もいる。この漏洩は自衛隊の某情報将校が仕掛けたという噂もあるが、それが事実でなかったとしても、権力の暗部に触れるとマスコミという企業の存続に関わりかねないということを知らしめることになった。 1987年5月3日に朝日新聞阪神支局が襲撃された事件も空気を作る上で重要や役割を果たした。散弾銃を持ち、目出し帽を被った人物が支局に侵入、小尻知博を射殺し、犬飼兵衛記者に重傷を負わせたのだ。「赤報隊」を名乗る人物、あるいは集団から犯行声明が出されているものの、実行犯は不明のままだ。この事件が引き起こされる4カ月前、朝日新聞東京本社に散弾2発が、また4カ月後には同紙の名古屋本社寮にも散弾が撃ち込まれ、1988年3月には静岡支局で爆破未遂事件があった。 マサチューセッツ工科大学のノーム・チョムスキー教授は、メディアが権力者の利益に沿った報道をするようになる理由を5つ上げている。(Edward S. Herman & Noam Chomsky, “Manufacturing Consent”, Pantheon Books, 1988) まず第1に創業のコスト。新しいメディアが出て来にくいため、中低所得層の立場から報道するメディアは少なくなるという指摘だが、これはインターネットの発展である程度は緩和された。 第2に広告収入の問題。スポンサーに逆らうことは困難だと指摘している。2008年11月、トヨタ自動車の相談役だった奥田碩は首相官邸で開かれた「厚生労働行政の在り方に関する懇談会」で、「正直言ってマスコミに報復してやろうか。スポンサーでも降りてやろうか」と発言、マスコミの編集権に経営者が介入するやり方があるとも口にしている。広告を通してメディアへ電通が大きな影響力を行使していることは世界的に知られるようになってきた。(例えばココ、その日本語訳はココ) チョムスキーが第3に挙げているのは情報源の偏り。以前からマスコミは「オーソライズ」という単語をよく使う。政府、企業、そして政府や企業と結びついた「専門家」たち「権威」からのお墨付きをえることで保険をかけようというわけだ。 第4は支配層からの攻撃。政府からメディアへ接触してくることもあるが、「公的」な機関や広告会社からの圧力もある。アメリカの企業は1970年代から80年代にかけてメディアを監視する機関を充実させた。官僚は昔から「質問」という形で圧力をかけ、それを相手が忖度するのだが、同じことを政治家もしているようだ。マスコミ内部でも似たようなことが行われているだろう。 第5はイデオロギーだ。かつて、アメリカでは「コミュニズム」を攻撃用のタグとして使い、効果を上げていた。その背景では学校やメディアが日頃、行っている反コミュニズムの洗脳/プロパガンダがある。逆に、肯定的なタグとして使われているのが「国際化」、「グローバリゼーション」。つまりアメリカ化だ。アメリカを「自由と民主主義の国」だという刷り込みも続いている。事実を検証することなく、反射的に、例えばロシアやウラジミル・プーチンを否定的に語る「嫌露派」が「リベラル派」や「革新派」のいることを考えると、まだイデオロギーの影響力は無視できない。 即効性はないが、こうした状況を打破するためには、事実を明らかにしていくことから始める必要があるだろう。
2016.06.06
参議院選挙が迫ってきたが、投票率が劇的に高くなるようには思えない。投票しても庶民の意思は反映されないという雰囲気が日本にはあり、それが投票率を低くする一因になっているのだろう。「民意」が反映されない状況を政策として作ってきたということもある。 少なからぬ人が引用しているが、2014年4月に発表されたプリンストン大学とノースウエスタン大学の研究結果によると、アメリカは民主主義でなく、「経済エリート」に動かされている「寡頭政治」にすぎないとしている。常識を学者も認めたわけだ。 アメリカでは富が0.01%のグループに集中、そこに属す富豪たちの影響力は強くなり続けてきた。19世紀にも不公正な手段で先住民や国民の財産を手に入れ、巨万の富を築く人びと、例えば石油業界を支配したジョン・D・ロックフェラー、金融帝国を築いたJ・P・モルガン、鉄鋼業界のアンドリュー・カーネギー、ヘンリー・クレイ・フリック、鉄道のエドワード・ヘンリー・ハリマン、金融や石油で財をなしたアンドリュー・W・メロンなどが現れて「泥棒男爵」と呼ばれた。 このときは富の集中が問題視されて反トラスト法につながるが、蓄積された富は実業の世界へ投入され、生産活動の基盤を築かれたことも事実。結果として工業を盛んにすることになったが、富の集中が進めば経済活動は破綻、それを誤魔化すために投機が盛んになる。その結果が1929年10月24日の株式相場暴落。いわゆる「暗黒の木曜日」だ。投機で経済破綻を隠すことができなくなったのである。 この経験から投機が規制されたのだが、第2次世界大戦後、こうした規制は緩和され続け、今では消滅したに等しい。オフショア市場/タックス・ヘイブンも整備され、アメリカがその先頭を走っている。生産に回される資金は大幅に減少、巨大資本は宿主を死滅させる寄生動物になった。 しかし、「暗黒の木曜日」当時はまだ選挙システムが機能、1932年の大統領選挙で巨大資本に支援されていたハーバート・フーバー大統領の再選をニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが阻止、巨大企業の活動を規制して労働者の権利を認めようと試み、ファシズムや植民地に反対する姿勢を見せた。 アメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将の議会証言によると、大統領選挙の後、JPモルガンを含むウォール街の大物たちは反ルーズベルトのクーデターを目論んでいる。 バトラーから話を聞き、関係者を取材したジャーナリストのポール・フレンチは議会で金融資本側の本音を聞き出している。「コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要がある」と主張していたというのだ。 クーデター派はイタリア、ドイツ、フランスのファシスト団体の活動に興味を持ち、特にフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」に注目していたというが、それに対してバトラーは「ファシズムの臭いがする何かを支持する兵士を50万人集めるなら、私は50万人以上を集めて打ち負かす」と宣言、内戦を覚悟するように伝えている。 この後、ルーズベルト大統領は内乱を恐れたのか、クーデター派を追及していないが、第2次世界大戦の終盤、ドイツや日本が占領地で略奪した財宝の回収を目的としたにセイフヘブン作戦に絡め、巨大資本とファシストとの関係を明らかにしようとしていたと言われている。1945年4月12日にルーズベルト大統領が急死しなければ、巨大資本は戦争責任を問われることになったはずだ。大統領急死の翌月、ドイツは連合国に降伏した。 1961年にアメリカ大統領となったジョン・F・ケネディも巨大資本との関係は悪く、イスラエルの核兵器開発にも厳しい姿勢で臨んでいた。本ブログでは何度も書いてきたように軍や情報機関の好戦派は疲弊していたソ連に対する先制核攻撃を目論んでいたが、それを阻止、ソ連との平和共存を主張していた。その過程で好戦派の中心的な存在で、巨大資本の代理人だったアレン・ダレスをCIA長官の座から引きずり下ろし、ライマン・レムニッツァー統合参謀本部議長の再任を拒否してNATOへ追放している。このままケネディ政権が続けばベトナム戦争へ本格介入することもなかっただろうが、1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された。それ以降、アメリカに真の大統領は存在しないと言う人もいる。 アメリカの場合、民主党も共和党も巨大資本の支配下にあり、事実上の一党独裁。おそらく中選挙区制時代の自民党に存在していた派閥より両党の関係は近い。当時の自民党は政党連合に近かったとも言えるだろう。そのシステムを破壊したのが小選挙区制と政党助成金の導入だ。衆議院選挙で小選挙区比例代表並立制が導入され、政党助成法が成立したのは1994年のことだった。ジョセフ・ナイ国防次官補が「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表、日本を戦争マシーンへ組み込む動きが本格化したのは、その翌年のことだった。 政権交代を口実にして小選挙区制が導入されて大量の「死票」が発生、つまり民意が反映されにくくなり、企業や団体の政治献金を制限(あるいは禁止)するとして政党助成法が成立してから資金の流れが一本化され、政党内で権力の集中が起こって、過半数の有権者の意思が政策に反映されにくくなった。 比較的少ない得票率で圧倒的な議席を獲得できるのが小選挙区制で、「レジーム・チェンジ」には適した選挙制度だが、日米支配層の意に沿わない結果もありえる。2009年9月に鳩山由紀夫政権ができたときがそれだ。 その前に自民党政権への批判が高まり、小沢一郎が首相になりそうな雲行きだったが、2006年から東京地検特捜部とマスコミが小沢攻撃を始めた。この攻撃は鳩山が首相の座を降りる2010年6月まで続く。その後の民主党政権、つまり菅直人や野田佳彦は安倍晋三を登場させる露払いにすぎなかった。アメリカと同じように、日本も民主主義国家ではない。
2016.06.05
アメリカ海軍太平洋艦隊が行う演習RIMPACに中国海軍はミサイル駆逐艦やミサイル・フリゲート艦を含む艦隊を派遣するという。南シナ海で両国は対立、軍事的な緊張を高めているが、自制心は働いているということだろう。 しかし、アメリカと中国は南シナ海で対立していることも事実。南シナ海はアメリカ支配層の戦略上、重要な場所にある。 つまり、中国が進めている「一帯一路(シルク・ロード経済ベルトと21世紀海のシルク・ロード)」で海上ルートが始まる場所であり、イギリス地理学者、ハルフォード・マッキンダーが1904年に公表、恐らく今でもアングロ・サクソンの基本戦略である「ハートランド理論」で最終ターゲットのロシアを締め上げる「内部三日月帯」に含まれている。 この三日月帯は西ヨーロッパ、パレスチナ(1948年にイスラエル建国を宣言)、サウジアラビア(サウード家のアラビアを意味するサウジアラビアが登場するのは1932年)、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島/日本をつなぐ。 また、南シナ海を押さえれば、アメリカが言うところの「東アジア版NATO」で中核になる日本、ベトナム、フィリピンを寸断できると中国は考えているだろう。逆に、アメリカもここを押さえれば中国の戦略にダメージを与えられると思っているはずだ。 5月10日にアメリカ海軍は駆逐艦ウィリアム・P・ローレンスを南沙諸島に派遣、永暑礁から12海里(22キロメートル)以内を航行して中国を刺激した。今年1月には駆逐艦カーティス・ウィルバーを西沙諸島へ派遣、やはり12海里の内側を航行させ、昨年10月27日には駆逐艦ラッセンを南沙諸島へ送り込んで12海里の内側を航行させている。好戦派のジョン・マケイン上院議員などは中国をRIMPACに招待するなと言っていた。 南沙諸島や西沙初頭は領有権が問題になっている地域で、軍事的に不安定。そうした場所に軍艦を送り込む意味をアメリカ側も十分に承知した上での行動のはずで、挑発と言わざるをえない。5月の場合、中国軍は2機の戦闘機と3隻の軍艦を派遣したという。中国は南シナ海にADIZ(防空識別圏)を設定するという情報も流れている。 アメリカでは親イスラエル派が多額の資金を政治家へばらまいているが、その中でも有名な富豪が民主党担当のハイム・サバンや共和党担当のシェルドン・アデルソン。日本の政治家はアデルソンとの関係があり、2013年11月には自民党の幹事長代行だった細田博之に対してプレゼンテーションを行い、東京の台場エリアで複合リゾート施設を作るという構想を示したという。自民党側は利権の臭いを嗅ぎつけたようで、その翌月にはカジノ解禁を含めた特定複合観光施設(IR)を整備するための法案を国会に提出した。 この頃、日本では軍事分野で大きな出来事があった。例えば、防衛白書で中国や朝鮮への強い警戒を示し、今後10年間にわたる自衛隊の増強方針を打ち出した「国家安全保障戦略」と「防衛計画の大綱」では、アメリカの海兵隊をモデルにした「水陸機動団」の編成を明らかにしている。アメリカ軍の普天間飛行場を名護市辺野古へ移設するとした政府の沿岸の埋め立て申請を沖縄県の仲井真弘多知事が承認したのは12月27日のことだ。細田にカジノ計画を説明する直前、2013年10月にイランを核攻撃で脅すべきだと発言したアデルソンがこうした日本の動きと結びついても不思議ではない。 年明け後、2014年2月にアデルソンは日本へ100億ドルを投資したいと語る。世界第2位のカジノ市場になると期待、事務所を開設するというのだ。そして5月、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は日本政府高官に対し、アデルソンへカジノのライセンスを速やかに出すよう求めたとイスラエルのハーレツ紙が2015年2月5日付け紙面で伝えた。 その後も安倍政権の好戦的、独裁的な政治姿勢に変化はなく、首相は2015年6月1日、赤坂の「赤坂飯店」で開かれた官邸記者クラブのキャップによる懇親会で「安保法制は、南シナ海の中国が相手なの」と口にしたと報道された。 安倍の背後で蠢いているアデルソンを動かしている戦略がある。本ブログでは何度も書いているが、1992年初頭にアメリカ国防総省のDPG草案という形で作成された世界制覇プランだ。彼らネオコンはアメリカが「唯一の超大国」になったと認識、潜在的なライバルを潰しにかかる。旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどだ。さらに、膨大な資源を抱え、ライバルを生み出す基盤になる西南アジアも支配しようと考えた。 当時の国防総省は特にネオコンの力が強く、長官はリチャード・チェイニー。DPG草案を書き上げた中心人物は国防次官だったポール・ウォルフォウィッツ。そのため、これを「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」と呼ぶ人もいる。 欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官を務めた経験のあるウェズリー・クラークによると、ウォルフォウィッツは1991年にイラン、イラク、シリアの3カ国を5年以内に殲滅すると口にしている。 1992年の大統領選挙でジョージ・H・W・ブッシュは再選されず、ビル・クリントンが選ばれた。この新政権は当初、ネオコンの影響力が弱く、ウォルフォウィッツ・ドクトリンは棚替えになった状態だった。クリントン大統領は選挙の頃からスキャンダルで攻撃され、大統領になってから弁護費用のために破産寸前だったと言われている。 クリントン大統領が国務長官に選んだウォーレン・クリストファーは戦争に消極的な人物だったが、1997年に長官がマデリン・オルブライトへ交代すると状況は一変する。オルブライトはコロンビア大学でズビグネフ・ブレジンスキーに学んだ好戦派で、国連大使だった1996年には経済制裁で死に至らしめられたイラクの子ども約50万人について意見を求められ、アメリカが目指す目的のためには仕方がないと言ってのけた人物だ。このオルブライトを国務長官にするように働きかけたのがヒラリー・クリントン。 1998年にオルブライトはユーゴスラビア空爆を支持すると表明、99年3月にNATO軍は先制攻撃を実行している。偽情報を流して好戦的な雰囲気を作りだし、先制攻撃で破壊と殺戮を繰り広げるというパターンはここから始まる。2008年にバラク・オバマとヒラリーが民主党の候補者選びで争っていた時、サバンはヒラリーを選んだ。 中国が領海だと主張する南沙群島の海域へアメリカ海軍がラッセンを送り込んだ日、ロシア軍は2機の偵察機Tu-142を朝鮮半島の東にいたアメリカ第7艦隊の空母ロナルド・レーガンの近くを飛行させている。タイミングから考えて、Tu-142の飛行はラッセンの南沙群島派遣と関係している可能性がある。 日本とアメリカが中国と戦争を始めた場合、ロシアが出てくることを想定する必要があるということだ。そのロシア軍の東アジア側の拠点はペトロパブロフスクやウラジオストク。今年4月21日、アメリカ海軍の対潜哨戒機P-8はカムチャツカのペトロパブロフスク近くを飛行、ロシア軍のMiG-31戦闘機が要撃して50フィート(約15メートル)の距離まで接近したと報道されている。ペトロパブロフスクはウラジオストクと並ぶロシア太平洋艦隊の重要な軍事拠点。新しい潜水艦が配備された直後だった。22日にロシア軍は日本海で軍事演習を実施している。 また、ロシアは千島列島の松輪島にある放棄されていた軍事施設を復活させ、ロシア軍の太平洋艦隊の基地にできるかどうか調べ始めたという。ロシア軍は超音速で飛行し、西側の防空システムでは対応できないイスカンダル・ミサイルを配備、昨年11月にロシア軍がリークした戦略魚雷も注目されている。この魚雷は潜水艦から発射され、遠隔操作が可能。海底1万メートルを時速185キロメートルで進むことができ、射程距離は1万キロに達する。空母を沈められるだけでなく、アメリカの海岸線にある都市を攻撃することができる。勿論、日本の原発はひとたまりもない。 1991年12月にソ連が消滅した後、ボリス・エリツィン時代のロシアはアメリカの巨大資本に支配されていた。その段階で兵器が実戦で使われることはないと考えたのか、アメリカでは性能の良さではなく、価格が高い兵器の開発を進めてきた。その結果、今ではロシアはアメリカより兵器の性能で遥かに先を歩いていのだが、それでもネオコンは軍事的な緊張を高めている。「アメリカは神軍」とでも思っているのだろうか?
2016.06.04
6月3日にモハメド・アリが74歳で死亡した。生まれたときの名前はカシアス・クレイだが、これは「奴隷の名前」だとして改名している。アリがイスラムに関心を持ったのは1959年のことで、それ以降、NOI(ネイション・オブ・イスラム)の集会に参加するようになり、62年に会ったマルコムXの影響を強く受けた。当時、マルコムXもNOIに属していた。 1964年にアリはNOIへの参加が認められるのだが、その数週間後にマルコムXはNOIと袂を分かつ。NOIの背景に疑問を持ってのことだと言われているが、この年の3月にマルコムXはマーチン・ルーサー・キングと友好的な雰囲気の中、会って握手している。アリはNOIに残り、マルコムXとは疎遠になる。後年、それをアリは悔いていた。 マルコムXが攻撃的だったのに対してキングは非暴力の立場という違いはあったが、目指していた方向は同じだった。人種差別に反対し、貧困問題に目を向け、戦争に反対していたのだ。その後、ふたりは問題に対する取り組み方も接近していく。 ふたりが握手する4カ月前、ソ連との平和共存、大企業の経済活動への規制強化、ベトナム戦争からの完全撤退を打ち出していたジョン・F・ケネディ大統領がテキサス州ダラスで暗殺され、リンドン・ジョンソン大統領はベトナム戦争へ本格的に介入していく。 戦争へ本格的に介入する口実にするためにアメリカの特殊部隊は1964年8月に「トンキン湾事件」を演出した。アメリカの駆逐艦が北ベトナムの魚雷艇に砲撃されたとアメリカ政府は宣伝、議会は「東南アジアにおける行動に関する議会決議(トンキン湾決議)」を可決して1965年2月からアメリカ軍は「ローリング・サンダー作戦」、つまり北爆を開始したのだ。 こうした展開の背後にはOPLAN34Aと呼ばれる計画が関係していた。これは1964年1月にジョンソン大統領から承認されたもので、統合参謀本部直属の秘密工作部隊SOGが編成された。メンバーは陸軍のグリーン・ベレー、海軍のSEALs、そして空軍特殊部隊の隊員。同年2月に破壊工作はスタートする。 マルコムXが暗殺されたのは北爆が始められた2月のこと。キングは1968年4月に暗殺される。その2カ月後に殺されたのがケネディ大統領の弟で大統領選に出馬していたロバート・ケネディだ。 巨大資本に支配され、「民意」など無視されるアメリカ。モハメド・アリはそのアメリカの歴史を写し出す鏡でもあった。
2016.06.04
ドイツ議会は6月2日、1915年から16年にかけてオスマン帝国がアルメニア人を虐殺したと認める決議を可決した。トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領からの圧力でアンゲラ・メルケル独首相は採決を約1年にわたって先送りしていたが、難民問題でトルコがEUを恐喝する中、実施したことが注目されている。 オスマン帝国はアルメニア人を国外追放したり、強制収容所へ入れるなどし、約150万人が虐殺された、あるいは餓死を強いられたとも言われているのだが、トルコ側は大げさだとして虐殺を否定、ユダヤ系団体のブネイ・ブリス(ユダヤ人分化教育促進協会)、ADL(名誉毀損防止組合)、アメリカ・ユダヤ人委員会、JINSA(国家安全保障問題ユダヤ研究所)はトルコ側に同調してきた。今回の決議はシオニストの圧力を押し切って実施されたという側面もある。 シオニストはイスラエルを第一と考える人びとだが、そのイスラエルで最も好戦的な政党であるリクードが同国で主導権を握ったのは1970年代だった。アメリカのキリスト教系カルト(原理主義者)と手を組んだことが大きい。現在のイスラエル首相、ベンヤミン・ネタニヤフもリクードだ。 ベンヤミン・ネタニヤフの父親、ベンシオンはコーネル大学とヘブライ大学の名誉教授だったが、学生時代からゼエブ・ウラジミール・ジャボチンスキーの「修正主義シオニスト世界連合」で活動、後にジャボチンスキーの秘書になっている。その思想をベンヤミンは引き継ぎ、「大イスラエル」、つまり南はナイル川から北はユーフラテス川までをイスラエルの領土にすべきだと考えていると言われている。 ネタニヤフの側近であるマイケル・オーレンは駐米大使時代の2013年9月、シリアのバシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだと語っているが、エルドアン政権やサウジアラビアのルマン・ビン・アブドルアジズ・アル・サウド国王、そしてアメリカのネオコンもアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュを使い、リビアに続いてシリアのアサド体制を倒そうとしている。 トルコはシリアを侵略している戦闘集団の拠点で、トルコからシリアまで兵站線が伸びている。サウジアラビアは戦闘員を雇い、武器/兵器を供給、ロシア軍が介入するまでイスラエル軍は侵略軍を支援するためにシリア政府側を空爆してきた。トルコとイスラエルは侵略軍の負傷者を治療していることも知られている。 そうした同盟者であるトルコとイスラエルだが、エルドアン大統領はオスマン帝国の復活を妄想していると言われ、「大イスラエル」構想とどのように折り合いをつけるのか不明だ。サウジアラビアの利権とも衝突する。 ドイツ議会アルメニア人虐殺に関する決議をする直前、欧州委員会のジャン・クロード・ユンケル委員長のスポークスパーソンは5月30日にロシア訪問を発表、アメリカ政府を怒らせている。6月16日から18にかけて開かれるSPIEF(サンクトペテルブルグ国際経済フォーラム)に出席するというのだ。 昨年6月のSPIEFにはギリシャのアレクシス・チプラス首相が参加、ウラジミル・プーチン露大統領から天然ガス輸送用のパイプライン、トルコ・ストリームの建設に絡んで50億ドルを前払いすると提案されたが、断ったと言われている。 その3カ月前、3月17日にアメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補がギリシャを訪問してアレクシス・チプラス首相と会談していた。友好的なものではなかっただろう。 5月14日から16日にかけてヌランドはキエフを訪問してペトロ・ポロシェンコ大統領、アルセニー・ヤツェニュク首相、アルセン・アバコフ内務相、ボロディミール・グロイスマン最高会議議長らと会い、アメリカはウクライナの政府、主権、領土の統合を完全に確固として支持すると語ったと言われている。5月12日にキエフ入りし、ポロシェンコ大統領に対し、クリミアやドンバス(ドネツクやルガンスク/ナバロシエ)の奪還を目指す作戦を実行してはならないと言明したジョン・ケリー国務長官を無視しろと釘を刺すことが目的だったとされている。 2014年2月23日にウクライナではネオ・ナチが前面に出たクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ大統領が排除されたが、それを指揮していたひとりがヌランドであり、結婚相手はネオコンの大物として知られているロバート・ケーガン。ヒラリー・クリントンとも親しく、この関係を利用して共和党のヌランドが民主党政権で要職に就くことができたと見られている。 ウクライナはロシアとEUを分断するための重要な国で、ズビグネフ・ブレジンスキーたちは重要視していた。実際、クーデター後にウクライナは天然ガスや石油の輸送を妨害している。トルコ・ストリームの建設計画はウクライナを迂回することが目的だった。だからこそ、アメリカはこの計画を許すことができなかったわけだ。このパイプラインに関しては、トルコにもNATOから追放するとアメリカ政府は脅したようだ。結局、このパイプライン建設は破談になった。 こうしたアメリカの戦略はEUにとっても良くないのだが、買収や恫喝で操られている「エリート」はそうした戦略も受け入れていた。フランソワ・オランド仏大統領やアンゲラ・メルケル独首相もそうしたグループに属しているが、そうではない人たちもいる。親米派と見られているニコラ・サルコジ元仏大統領もロシアへ接近している。 ドイツの自動車メーカー、フォルクスワーゲンは昨年9月4日からロシアでエンジンの生産を始め、ドイツはウクライナやシリアの問題でアメリカと一線を画そうとしていた。そのフォルクスワーゲンが排ガス規制を不正に回避するためのソフトウエアを一部の自動車に搭載させたとアメリカの環境保護局が発表したのは、その2週間後だ。 フランスでは大手石油会社、トタルの会長兼CEOだったクリストフ・ド・マルジェリがアメリカに反発していたことは有名。2014年7月に彼は石油取引をドルで決済する必要がなく、ユーロの役割を高めれば良いと主張していた。モスクワ・ブヌコボ空港で事故死したのはその3カ月後、10月20日のことだ。 アメリカの支配層が推進している新自由主義に反発するエリートもEUにはいる。例えば、IMFの専務理事だったフランス人のドミニク・ストロス-カーンは2011年4月、失業や不平等は不安定の種をまき、市場経済を蝕むことになりかねないとし、その不平等を弱め、より公正な機会や資源の分配を保証するべきだとブルッキングス研究所で演説した。さらに、進歩的な税制と結びついた強い社会的なセーフティ・ネットは市場が主導する不平等を和らげることができ、健康や教育への投資は決定的だと語っただけでなく、停滞する実質賃金などに関する団体交渉権も重要だとも発言している。そのストロス-カーンは2011年5月、アメリカ滞在中に冤罪で逮捕、起訴された。 庶民の間ではエリートよりも反米感情は強く、その怒りの受け皿になっているのが一般に「右翼」と呼ばれているグループ。ただ、その中にはさまざまな種類の団体が存在、中にはアメリカにコントロールされている人びともいるだろうが、有力メディアから攻撃されている国民戦線のマリーヌ・ル・ペン党首は本当にフランスを自立させようとしている可能性が高い。 「極右」というタグをつけられた集団を単純にナチスと同列に扱うべきではない。少なくともアドルフ・ヒトラー時代のナチスはドイツだけでなくアメリカの巨大資本から支えられていたわけで、実態を見る必要がある。ナチスが復活したなら、「民主主義」や「自由」を名乗るだろう。 例えば、ウクライナのネオ・ナチを率いるアンドレイ・パルビーたちは1991年に自分たちの政党を創設した際、ナチスを思い起こさせるような「ウクライナ社会ナショナル党」という名称にしたが、後にスボボダ(自由)へ党名を変更している。アメリカ側の意向だったと言われている。 昨年6月にロシア政府の提案を断ったギリシャ政府だが、今年の5月27日から28日にかけてプーチン露大統領はそのギリシャを訪問、歓待を受けた。この1年、ギリシャは巨大金融資本の食い物になる道を歩いてきたが、最近はトルコが仕掛けた難民問題への対応で四苦八苦の状態だ。アメリカが張り子の虎にすぎないことがわかってきたことも大きいかもしれない。 ネオコンと一心同体の関係にあるリクードに対しても厳しい見方が出ている。例えば、1998年から2002年までモサド(イスラエルの情報機関)の長官と務めたエフライム・ハレビーはネタニヤフがアビグドル・リーバーマンを国防大臣にしたことについて、ネタニヤフ政権が終わるカウントダウンが始まったと分析している。 現在、イスラエル系富豪やネオコンの活動家から最も支持されているアメリカの大統領候補はヒラリー・クリントンだが、電子メールの問題は根が深く、これから何が起こるかわからない。バーニー・サンダースとの差はなくなったと言われ、カリフォルニアの投票結果によってはジョー・バイデン副大統領が登場してくる可能性もないとは言えない。 トルコ政府だけでなく、アメリカやイスラエルの支配層にとっても好ましくない決議をドイツが可決したのは示唆に富んでいる。
2016.06.03
トルコでは5月31日に元ミス・トルコのメルベ・ビュユクサラチに対し、レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領を侮辱したとして禁固14カ月、執行猶予5年の判決が言い渡されたと伝えられている。大統領の強権ぶりや疑惑を揶揄する詩をインスタグラムで共有、一種の「ヘイト・スピーチ」を行ったということなのだろう。 この裁判が始まったのは昨年5月だが、その時、トルコのジュムフリイェト紙は同国の情報機関MITがシリアへ侵略しているダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)へ武器/兵器を秘密裏に運び込んでいると報道している。 2014年1月に起こった出来事が報道の元。ダーイッシュやアル・カイダ系武装集団を支援するための兵站線がトルコからシリアへ延びているのだが、その輸送をしていたトラックの車列をトルコ軍の憲兵隊が摘発したのだ。 昨年11月26日にジュムフリイェト紙のジャン・ドゥンダル編集長とアンカラ支局長のエルデム・ギュルは「国家機密」を漏らしたという理由で逮捕され、今年5月には懲役5年以上の判決が言い渡された。その日、裁判所の前でドゥンダルは銃撃されたものの、銃弾は当たらなかった。編集者が逮捕された2日後には、武器/兵器の密輸を摘発したウブラフム・アイドゥン憲兵少将、ハムザ・ジェレポグル憲兵中将、ブルハネトゥン・ジュハングログル憲兵大佐が逮捕されている。 何度も書いてきたが、2011年3月にシリア侵略が始まった当時からトルコは侵略勢力の拠点で、兵站線がトルコからシリアへ延びていることも知られていた。これは西側のメディアでさえ報道している。例えば、ドイツのDWは2014年11月、トルコからシリアへ戦闘員が送り込まれ、武器、食糧、衣類などの物資がトラックで供給されている事実を報じている。その大半の行き先がアル・カイダ系武装集団やダーイッシュだということも公然の秘密だった。 イランのテレビ局プレスTVの記者だったセレナ・シムもこうした人や物資の動きを調べていたひとりで、トルコからシリアへダーイッシュの戦闘員を運び込むためにWFP(世界食糧計画)やNGO(非政府組織)のトラックが利用されている事実をつかみ、それを裏付ける映像を入手したと言われている。そのシムは2014年10月19日に「交通事故」で死亡したが、その前日、MITから彼女はスパイ扱いされ、脅されていたという。 昨年10月21日にはトルコの国会議員エレン・エルデムらは公正発展党の事件への関与を指摘する報告書を公表し、アダナの検察当局はサリンがトルコからシリアへ運び込まれたとする情報を調べ始めたとしている。エルデムらによると、捜査記録には化学兵器の材料になる物質がトルコからシリアへ運び込まれ、そこでダーイッシュが調合して使ったとしているという。この事実を公表した後、エルデム議員らは起訴の脅しをかけられた。 エルデム議員は治安当局の盗聴テープも入手したとしている。それによると、昨年9月22日から10月17日の間だけで戦闘員やその家族約1400名がトルコからシリアへ入ったと見られ、またダーイッシュの戦闘員は負傷するとトルコへ運び込まれ、治療されているという。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制が崩壊した後、リビア軍の倉庫から武器/兵器が持ち出されてトルコへ運ばれているが、その中には化学兵器も含まれていた。 輸送の拠点になったのはベンガジにあるCIAの施設で、そうした事実をアメリカ国務省は黙認、輸送にはマークを消したNATOの輸送機が使われたとも伝えられている。2012年9月11日に襲撃されたベンガジのアメリカ領事館も拠点のひとつ。そこで、殺されたクリストファー・スティーブンス大使はその前日、武器輸送の責任者だったCIAの人間と会談、襲撃の当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っている。 ダーイッシュはシリアやイラクで石油を盗掘して資金作りに利用しているが、その盗掘石油が運び込まれる先はトルコ。エルドアンの息子、ビラル・エルドアンが大株主のひとりであるBMZによってジェイハンへ運ばれ、そこからタンカーでイスラエルへ輸送し、そこで偽造書類を受け取ってEUで売りさばくという仕組みだとも言われている。 BMZの背後に存在しているジェネル・エネルギー社はジャージー島に登記されている会社で、ジェネル・エネルジ・インターナショナルが所有している。この投資会社はバラレスという投資会社に買収された。バラレスはアンソニー・ヘイワード(元BP重役)、金融資本の世界に君臨しているナサニエル・ロスチャイルド、その従兄弟にあたるトーマス・ダニエル、そして投資銀行家のジュリアン・メセレルによって創設された会社だ。 エルドアンは言論を弾圧しているだけでなく、憲兵隊や検察も強権で黙らせている。その手先が情報機関であり、その背後にはアメリカの好戦派、サウジアラビア、イスラエルなどが存在している。そうした事実をトルコ国民は知り始め、反発は強まっている。軍の内部でも反発は強く、クーデターの噂もある。元ミス・トルコの摘発はこうした背景のなかで起こった。言論を弾圧しなければならない切迫した事情がエルドアンにはあるということだ。
2016.06.02
イラクでもダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)は劣勢になり、ファルージャがイラク政府軍に奪還されそうだ。これまでダーイッシュは住民を「盾」として利用してきたが、4月の段階で飢餓状態に陥っていたと言われている。今回は特殊部隊が攻撃、一部住民は脱出に成功したようだ。 ところで、ダーイッシュが広く知られるようになったのは2014年6月のことだろう。イラクのファルージャやモスルを制圧したのだ。1月にファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言していたが、ダーイッシュは6月にトヨタ製の真新しい小型トラック「ハイラックス」を連ねた「パレード」を行い、その様子を撮影した写真が配信されて名前を売った。 2014年にファルージャを制圧しようとしていたダーイッシュに対し、アメリカの軍や情報機関は傍観していた。偵察衛星、無人機、通信傍受、人間による情報活動などで武装集団の動きをアメリカ側は知っていたはずだが、何もしていないのだ。小型トラックのパレードは格好の攻撃目標だったはずである。ファルージャやモスルをダーイッシュが占領することを望んでいたとしか思えない。 モスルとファルージャが制圧された当時、イラクの首相はヌーリ・アル・マリキ。イラクでは2014年4月に議会選挙があり、マリキを支えるシーア派聯合が328議席のうち157議席を獲得しているが、アメリカ政府の意向を受け、フアード・マアスーム大統領はマリキを首相に指名することを拒否、アル・アバディが9月から首相を務めている。 マリキは選挙の前の月にサウジアラビアやカタールを反政府勢力へ資金を提供していると批判、ロシアへ接近する姿勢を明確にしていた。イラクで首相の人選をめぐって揉めている最中、ダーイッシュは名を売り始めるが、これはタグの問題。 アメリカ軍を中心とする軍団の侵略でイラクのサダム・フセイン体制が倒された後、イラクでもアル・カイダ系の武装集団AQI(イラクのアル・カイダ)が2004年10月から活動を開始、06年10月にはAQIが中心になってISIが編成され、活動範囲をシリアへ拡大した13年4月からISISとかダーイッシュと呼ばれるようになる。この間、2012年にアメリカの情報機関や特殊部隊はヨルダン北部に設置された秘密基地で反シリア政府軍の戦闘員を育成するための訓練を始め、その中にダーイッシュのメンバーが含まれていた。。ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官は、アメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたとCNNの番組で語っている。 アメリカ軍が戦闘集団を訓練していた2012年の8月、アメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)は反シリア政府軍に関する報告書を作成している。それによると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。DIAによると、アル・ヌスラはAQIがシリアで活動するときに使う名称にすぎない。ISIもタグが違うだけで実態はAQIだということだろう アメリカ軍の情報機関DIAの局長を2012年から14年まで務めたマイケル・フリン中将は退役後、アル・ジャジーラのに対してダーイッシュの勢力が拡大したのはバラク・オバマ政権が決めた政策によると語っている。 アル・カイダ系武装集団の歴史をさかのぼると1970年代終盤にズビグネフ・ブレジンスキーがアフガニスタンで始めた秘密工作に行き着くことは本ブログでも繰り返し、書いてきた。サラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団を中心として集めた戦闘員をCIAが訓練、武器/兵器も供給していた。この武装集団はサウジアラビアから資金を提供されるだけでなく、麻薬の密輸で稼いでいた。 1997年から2001年までイギリスの外相を務めたロビン・クックによると、アル・カイダとはCIAから訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルで、戦闘集団ではない。アル・カイダはアラビア語で「ベース」を意味、「データベース」の訳としても使われている。つまり、傭兵の登録リスト。雇い主のプロジェクトによってタグは変えられるが、実態は傭兵だ。 2013年8月にダマスカスの近くが化学兵器で攻撃され、西側の政府やメディアはシリア政府軍が使用したと宣伝、NATO軍が軍事介入する口実にしようとしたが、すぐに嘘だということが発覚する、その後、リビアから持ち出された化学兵器がトルコ経由でシリアへ運び込まれたという話が伝えられている。(詳細は割愛) この「偽旗作戦」に失敗したアメリカ軍は2014年9月23日からダーイッシュを攻撃するとしてシリアで空爆を始めるが、その日に現地で取材していたCNNの中東特派員、アーワ・デイモンは翌日朝の放送でダーイッシュの戦闘員は空爆の前に極秘情報を入手し、攻撃の15から20日前に戦闘員は避難して住民の中に紛れ込んでいたと伝えていた。 この空爆はシリア政府の承諾を得ずに行われたもので、単なる侵略。攻撃対象はシリアのインフラで、武器/兵器を含む物資を「誤投下」でダーイッシュへ渡していると伝えられた。その後もアメリカ軍は「擬装攻撃」を続けるが、こうしたことを快く思わない軍人もいた。そのひとりが2011年10月から15年9月まで統合参謀本部議長だったマーチン・デンプシー陸軍大将。アル・カイダ系の武装集団やそこから派生したダーイッシュを最も危険な存在だと考えていたが、バシャール・アル・アサド大統領の排除を優先しているバラク・オバマ大統領は彼の警告に耳を貸さない。そこで、デンプシー議長は2013年秋からアル・カイダ系武装集団やダーイッシュに関する情報を独断でシリア政府へ伝え始めたという。 このデンプシーが議長を退いた直後、2015年9月30日にロシア軍が空爆を始める。この攻撃は実際にダーイッシュやアル・ヌスラなどを攻撃して戦況は一変した。シリアを侵略していた武装集団の司令部、戦闘員、武器/兵器庫だけでなく、トルコからシリアへ延びている兵站線、そして戦闘集団やトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン政権の資金源になっている盗掘石油の関連施設や輸送車両も破壊されたためだ。 アメリカの好戦派、サウジアラビア、トルコなどは「停戦合意」を利用して携帯型の防空システムMANPADを含む武器/兵器を大量に供給、アメリカの特殊部隊が増派、劣勢を挽回しようとしているが、目論み通りには進んでいないようだ。 ロシア軍の戦果を見てイラク政府はロシアへの接近を再び試みる。慌てたアメリカ政府は10月20日にジョセフ・ダンフォード米統合参謀本部議長をイラクへ乗り込み、アメリカを選ぶのかロシアを選ぶのかと恫喝、イラク政府からロシアへ支援要請をしないという言質をとったとされているが、それでもロシア軍の攻撃を知ったイラク人がアメリカ軍を見る目は厳しくなった。 イラクでは昨年10月、ダーイッシュと行動を共にしていたイスラエル軍のユシ・オウレン・シャハク大佐が拘束されたと伝えられているが、今年に入ってからイラクの治安当局は南部の都市ナジャフで「アメリカ人ジャーナリスト」を拘束、その女性はバラス・タミル・アビバというイスラエルの情報機関員だということが判明する。現地の裁判官はアメリカの圧力で釈放するように命じるが、内務大臣は拘束し続け、バグダッドへ移送するように指示する。結局、アメリカ政府の圧力で女性は釈放され、アメリカ軍が保護したというが、アメリカの信頼度が大きく低下したことは間違いなく、露骨な「八百長攻撃」は難しくなっただろう。
2016.06.01
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