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昨年11月24日にトルコ軍のF-16がロシア軍のSu-24を待ち伏せ攻撃で撃墜、脱出した乗組員のひとりを地上にいた部隊が殺害した。その殺害を指揮したとされているアレパレセラン・ジェリクがトルコで逮捕されたとする情報が流れている。 彼の所属する「灰色の狼」は1960年代に「民族主義者行動党」の青年組織として創設された。トルコにおける「NATOの秘密部隊」は「対ゲリラ・センター」だとされているが、「灰色の狼」はその1部門とも言われている。(注) 撃墜後、トルコへ戻ったジェリクは自分たちが実行したと公言していたが、街を自由に歩いていた。撃墜は10月10日にレジェップ・タイイップ・エルドアンが計画したとする情報があり、撃墜の当日から翌日にかけてポール・セルバ米統合参謀本部副議長がトルコのアンカラを訪問、トルコ軍の幹部と討議したとも言われている。つまり、トルコ政府とアメリカ政府が撃墜の黒幕だった可能性が強く、ジュリクを逮捕するのは難しい状況だったと見られている。 年が明けてもトルコ政府だけでなくアメリカ政府も好戦的な姿勢を維持、1月22日にはアシュトン・カーター国防長官が陸軍第101空挺師団に所属する1800名をイラクのモスルやシリアのラッカへ派遣すると語り、翌23日にはジョー・バイデン米副大統領が訪問先のトルコでアメリカとトルコはシリアで続いている戦闘を軍事的に解決する用意があると口にしている。 2月に入ると、サウジアラビアの軍用機や人員をトルコのインシルリク空軍基地へ派遣し、シリアで地上戦を始めることもできるとトルコ外相は語り、サウジアラビア国防省の広報担当は同国の地上部隊をシリアへ派遣する用意があると表明した。その直後、アメリカのアシュトン・カーター国防長官はサウジアラビアの表明を歓迎すると発言している。 しかし、2月10日にヘンリー・キッシンジャーがロシアを訪問、ウラジミル・プーチン露大統領と会談してから雰囲気に変化が見られるようになった。そして22日には「テロリスト」を除外した停戦に合意したとする発表がある。 それに対し、トルコ軍は国連の安全保障理事会が承認しない限り、シリア領内へ部隊を入れないという意思を表明しているのだが、シリア政府によるとトルコ軍はすでにシリアへ侵攻、戦闘を始めているという。シオニストの影響下にあるアメリカ政府やイギリス政府もバシャール・アル・アサド大統領の排除を諦めてはいないようだ。 ジェリクが逮捕されたとする情報が正しいなら、トルコ支配層の内部で何らかの流れが生まれている可能性があるだろう。傭兵会社のブラックウォーター(現在の社名はアカデミ)を創設したエリック・プリンスがトルコを訪れてエルドアン大統領と会談したと伝えられているが、本ブログで前にも指摘したように、トルコ軍が対応できない事態が生じているのか、その軍を大統領が信用できない状況が生まれているのかもしれない。エルドアン大統領とアメリカのバラク・オバマ大統領との関係は悪化しているようだ。(注)Douglas Valentine, “The Strength Of The Pack”, Trine Day, 2008 / Peter Dale Scott, “American War Machine”, Rowman & Littlefield, 2010
2016.03.31
2年ほど前から監禁されていた中学生に対し、「なぜ逃げなかったのか?」という質問を投げかける人がいるらしいが、心と行動の不一致は珍しくない。そういう人は、やってもいないことを「自白」するはずがないと考え、冤罪事件はこの世に存在しないと思っているのだろう。そして、自分たちの生活環境を悪化させ、破滅へと導く政府を倒そうと活動しているに違いない。 もっとも、マスコミで働く人びとの場合、庶民の生活環境を悪化させ、破滅へと導く政府を支持することは個人的な利益にかなっているようだ。少なくとも目先の収入と地位には結びついている。そうした利益を失うリスクを冒してまで支配層と対峙する記者や編集者は希有な存在。学者や専門家と呼ばれている人も事情は同じである。 第2次世界大戦後に支配システムが揺らいだ一時期を除き、「ジャーナリズム」が「権力を監視する番犬」だったことなどないだろう。「記者の方から政治家や役人にクンクンすり寄り、おいしい餌、特ダネ漁って」きた。「記者クラブ」は支配層が記者たちに餌を与える場だ。 「安全保障関連法(戦争法)」を強行採決するなど日本をアメリカの「戦争マシーン」へ組み込みつつある安倍晋三。彼の祖父にあたる岸信介は首相だった1960年に5月20日午前0時6分から開かれた衆議院本会議で新安保条約を強行採決、それに反対する約10万人が国会を取り巻くという事態になった。 6月7日に岸首相は読売新聞の正力松太郎社主、産経新聞の水野成夫社長、NHKの前田義徳専務理事、毎日新聞の本田親男会長、東京新聞の福田恭助社長をそれぞれ個別に官邸へ呼び、アメリカ大統領を歓迎する雰囲気を盛り上げるために協力するように求めた。この日、駐日大使のダグラス・マッカーサー2世も各新聞社の編集局長を呼んで「懇談」し、翌8日には共同通信、時事通信、中日新聞、北海道新聞、西日本新聞、日経新聞、さらに民放の代表を招き、9日には朝日新聞の代表にも協力を要請したという。(朝日ジャーナル、1960年6月19日号) 6月10日にはホワイトハウスの報道官だったジェームズ・ハガティが羽田空港に降り立つ。アメリカ大使館は警察の警備担当者が1時間ほど整理に時間が必要だという申し入れを無視、ハガティを乗せた自動車を護衛なしで出発させ、デモ隊の中に突っ込んだ。 当然のことながら自動車はデモ隊に囲まれる。その際にデモ隊のリーダーが自動車によじ登り、挑発にのるなと叫んだという。そこへアメリカ海兵隊のヘリコプターが飛来、ハガティ一行を乗せて飛び去った。 そして6月15日、児玉誉士夫の率いる「維新行動隊」が国会周辺のデモ隊に襲いかる。ターゲットは学生でなく、参議院第2通用門の近くにいた新劇の俳優、キリスト教徒、一般の参加者などだった。 当日のデモに参加した東京大学教養学部の自治会に所属する学生など全学連主流派の約8000人は南通用門から国会構内へ突入、あるいは誘導されて警察隊と衝突し、東京大学文学部国史学科4年だった樺美智子が死んだ、あるいは殺された。 警察病院における検死では胸部圧迫と頭部内出血が彼女の死因だとされ、転倒に伴う圧死だと警察側は主張しているが、家族の希望で行われた解剖では目にひどい鬱血が認められ、膵臓の出血もひどかった。つまり、樺は首を強く絞められたうえ、倒れたところを激しく踏みつけられたことが示唆されている。 学生の死は日米両国政府の描いていたシナリオを狂わせることになったようで、16日に開かれた臨時閣議においてドワイト・アイゼンハワー大統領の招待延期をアメリカ側に要請することが決められている。 そして17日、東京の7新聞社、つまり朝日新聞、産業経済新聞、東京新聞、東京タイムズ、日本経済新聞、毎日新聞、そして読売新聞は「暴力を排し、議会主義を守れ」という「共同宣言」を掲載した。その出だしは次のようになっている:「6月15日夜の国会内外における流血事件は、その事のよってきたるゆえんを別として、議会主義を危機に陥れる痛恨時であった。」 その矛先は「議会主義」を破壊した岸政権でなく、その破壊行為に抗議したデモ隊に向けられている。6月19日に新安保条約は「自然承認」され、23日に岸信介は辞意を表明、その後を引き継いだのが池田勇人だ。 本ブログでは何度も指摘したが、この当時、アメリカの軍や情報機関で大きな影響力を持っていた好戦派はソ連に対する先制核攻撃を計画していた。実行が予定されていたのは1963年の後半。この計画を止めたジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された。 ケネディから後を継いだリンドン・ジョンソンはベトナムへ本格的に軍事介入、1965年2月には北ベトナムへの爆撃、いわゆる「北爆」を開始した。1967年7月、その爆撃を取材するために北ベトナムへ入ったのがTBSで放送していた「JNNニュースコープ」のキャスターを務め、報道局解説室長だった田英夫。この取材でアメリカ軍が負けている事実が伝えられてしまった。事実の報道がタブーなのは今も昔も同じだ。 1968年3月、TBSはディレクターの萩元晴彦と村木良彦に配転を命じ、宝官正章ディレクターは無期限休職、梁瀬潮音と大原麗子には職責の処分があった。村木が配転を命じられた先は「スタジオ管理課」だ。 宝官、梁瀬、大原の場合、成田空港建設反対闘争の取材が絡んでいる。その際、反対派の農民をマイクロバスに同乗させたが、農民が持ち込んだプラカードを機動隊は「角材」だと見なして捜索する。これは「過剰警備」であり、「取材妨害」だという見方もあるのだが、TBS側はこの出来事を有耶無耶にしようと目論み、墓穴を掘ることになる。 1968年3月には田英夫がキャスターを降板、組合は「田さんを取り戻せ!」というキャンペーンを始めるが、そこに萩元、村木、宝官、梁瀬、大原といった名前はなかった。「事なかれ主義」の為せる業だろう。
2016.03.31
日本には「戦争特需」という表現がある。戦争は儲かるということなのだろうが、第2次世界大戦の終わりに日本の諸都市がどのようになったのか、沖縄で何があったのかを忘れてしまったようだ。 アルゼンチンの大統領だったネストル・キルシュネルに対し、大統領時代のジョージ・W・ブッシュは「経済を復活させる最善の方法は戦争」だと力説、「アメリカの経済成長は全て戦争によって促進された」と話していたという。この証言はオリバー・ストーンが制作したドキュメンタリー、「国境の南」に収められている。 しかし、ベトナム戦争はアメリカを衰退させる大きな要因だった。戦争が儲かる、あるいは経済成長を促進させるという主張には、戦争で勝利するという前提がある。歴史を振り返ると、戦争に勝った国は領土を拡大し、資源を奪うことができ、賠償金を要求したり、その国にある財宝を奪ったりしてきたが、負ければ無惨。「勝てば官軍、負ければ賊軍」ということであり、それを熟知している日本人は「強そうな」勢力や人物につき、必然的に多数派となる。 日本の場合、1917年11月にロシアで「十月革命」が成功した後、翌年の8月にイギリス、フランス、アメリカと一緒に軍隊を派遣している。「二月革命」はイギリスなどの資本家にとって都合の良いものだったが、その直後にドイツが戦争に反対していたボルシェビキの指導者を亡命先からロシアへ帰国させ、社会主義の看板を掲げる体制が出現、慌てたわけだ。その時にイギリス、フランス、アメリカは約7000名の規模だったが、日本は1万2000名を送り込み、10月には7万2000名まで増やしている。 その年の11月に大戦は終了するが、日本軍は1922年まで留まった。憲政会の中野正剛が質問して広く知られるようになったが、この干渉戦争で日本軍は1万2000キログラムの金塊(177箱)を持ち帰ったと言われている。そのうち143箱は旅順の火薬庫に保管した後、朝鮮銀行の下関支店に運ばれ、そこから大阪造幣局へ移され、またルーブル金貨は朝鮮銀行か横浜正金銀行で日本の通貨に換金されたと推測されている。 中国を侵略した際には「金の百合」という財宝略奪プロジェクトが実行され、その一部は日本へ運ばれたが、残りはフィリピンに隠されたと言われている。戦後の混乱期、日本国内でも宝石や金塊などが発見されて話題になり、ナチス時代のドイツが行った金塊略奪(ナチ・ゴールド)との絡みで日本の略奪財宝の話が出てくることもあった。 大戦後、「山下兵団の宝物」に関する詳しい情報を最初に聞き出したのはエドワード・ランズデール大尉(当時)だと言われている。この人物は戦時情報機関OSSに所属、つまりウイリアム・ドノバンやアレン・ダレスの下で活動していた。後にランズデールはCIAの秘密工作に参加することになる。 財宝に関する情報を上官へ報告するため、ランズデールは東京へ向かう。そこでダグラス・マッカーサー元帥、チャールズ・ウィロビー少将、コートニー・ホイットニー准将に報告、さらにワシントンへ飛び、ジョン・マグルーダー准将や大統領のスタッフに説明した。マグルーダー准将はドノバンOSS長官の部下だった人物。 ランズデール中佐(当時)は1950年に「テロ部隊」OPCの責任者としてフィリピンに戻り、フクバラハップ(抗日人民軍)の制圧を指揮したとされているが、実際は日本軍が隠した略奪財宝を回収することが目的だったという見方もある。 「山下兵団の宝物」が世界的に知られる切っ掛けは、フェルディナンド・マルコスの失脚。1986年2月、ネオコンの大物であるポール・ウォルフォウィッツの指示でフィリピンを支配していたマルコスがアメリカ軍によって連れ出され、文書や証言が出始めたのである。マルコスがいなくなった宮殿から財宝に関する文書が出てきたほか、「マルコスの資産」やその源泉をめぐる裁判が起こされたことが大きい。裁判にはジョン・F・ケネディ政権で司法次官補を務めたノーバート・シュレイが弁護士として関わる。 シュレイが1991年1月7日に書いた覚書によると、当初は吉田茂とダグラス・マッカーサーが資金を管理し、警察予備隊(自衛隊の前身)を組織する際に200億円が使われたという。憲法の問題があるため、資金的な問題を解決するために闇資金を利用したというのである。平和条約と安保条約が発効した後、闇資金(いわゆるM資金)は日米両国で管理することになる。(Norbert A. Schlei, “Japan’s “M-Fund” Memorandum”, January 7, 1991) この覚書が書かれた翌年の1月、シュレイの依頼主が囮捜査で逮捕され、シュレイ自身も巻き込まれてしまう。1997年に控訴審でシュレイは無罪になるが、この裁判でシュレイは弁護士活動を封じられ、破産状態に追い込まれた。 日本では政府だけでなく、「アカデミー」の世界も有力マスコミもこの問題はタブーだが、世界的には広く知られている。戦争は略奪で儲かるのである。中東/北アフリカやウクライナの戦闘で石油の話が出てくる理由と同じだ。そうしたことを庶民はよく知っている。だからこそ、日露戦争で勝利したと信じる庶民は講和条件に対する不満を爆発させ、内相官邸、警察署、交番などを焼き討ちし、戒厳令が敷かれるという事態に発展したわけである。安倍政権が従属するネオコンは弱く、ロシアや中国に勝てないということを知られたなら、戦争に反対する意見が大きく増えるかもしれない。
2016.03.30
日本経済が破綻していることを安倍晋三政権も隠しきれなくなってきたようだ。安倍政権の基本政策は庶民に資金が回るタイプの公共投資を縮小させ、規制緩和で巨大資本がカネ儲けしやすい仕組みを作る新自由主義経済が基本。この政策を推進した国では内外の巨大資本が大儲けし、政府組織の腐敗勢力と手を組んだ一部の人間が「オリガルヒ」とも呼ばれる富豪になって庶民は貧困化している。つまり、貧富の差が拡大する。これは「自己責任」でなく、政策の問題。安倍政権の場合、政策の軸は「大胆な金融緩和」だ。 その政策に基づいて日銀の黒田東彦総裁が推進したのが「量的・質的金融緩和(異次元金融緩和)」。教科書的な理屈ではインフレになるはずだが、その前提と現実が合致していない。1970年代から米英が進めた投機市場の肥大化政策の結果、資金は金融の世界へ吸い込まれ、人びとが実際に住んでいる現実世界へは回ってこないため、そうした現象は起こらないのだ。その代わり、投機市場でバブルが発生する。バブルによって富裕層の名目資産は膨らむ。日銀にも優秀な人は沢山いるはずで、こうしたことが起こることは予想していただろう。景気回復につながらないことは知っていただろうということ。 庶民にカネが回らない以上、国内で商品は売れない。商品が売れないことがわかっていれば国内の生産設備へ資金が回るはずはなく、国外へ持ち出すか、金融の世界へ回すことになる。 米英の巨大資本は現実世界から金融の世界へ資金が移動しやすくなるようにオフショア市場(タックスヘイブン)のネットワークを1970年代から整備した。そのひとつの結果として、巨大資本、富裕層、犯罪組織などは資金を隠し、課税を回避することが容易になり、庶民の負担が増えることになった。 そのネットワークはロンドンを中心にして、ジャージー島、ガーンジー島、マン島、ケイマン諸島、バミューダ、英領バージン諸島、タークス・アンド・カイコス諸島、ジブラルタル、バハマ、香港、シンガポール、ドバイ、アイルランドなどが結びついている。かつての大英帝国だ。 第2次世界大戦後、ドルが世界の基軸通貨になった。当初は金本位制を採用していたのだが、1971年にリチャード・ニクソン米大統領はドルと金の交換を停止すると発表、ブレトン・ウッズ体制は崩壊、1973年から世界の主要国は変動相場制へ移行してドルの価値は低下していく。 ドルの価値を安定させ、基軸通貨を発行する権利を巨大金融資本が握っている連邦準備制度を維持できないと現在の支配システムは崩壊してしまうため、アメリカ支配層はドルを回収する仕組みを作っていく。そのひとつがペトロダラ−。 20世紀の世界は石油を中心に動いた。その石油の取り引きをドル決済に限定し、産油国へ流れ込んだドルをアメリカ財務省証券の購入といった形で回収しようとしたのだ。これが機能すれば、アメリカ支配層はドルを発行することで際限なく購入できる。 この仕組みを作るため、ニクソン政権は最大の産油国であるサウジアラビアと協定を結ぶ。サウジアラビアを軍事的に保護し、必要とする武器を売却、支配一族の地位を永久に保証するというもので、一九七四年に調印された。これと基本的に同じ内容の取り決めを他のOPEC諸国もアメリカと結んだという。これが「ペトロダラー」。この仕組みができあがった直後、1975年3月にサウジアラビア国王が暗殺され、その後は親米色の濃い人びとがサウジアラビアで主導権を握ることになる。 国王暗殺の3年後、サウジアラビアはアメリカからF-15戦闘機を購入しようとするが、この時に国王の個人的な特使としてアメリカ議会でロビー活動をしていたのが29歳だったバンダル・ビン・スルタン王子。 バンダルは1983年から2005年まで駐米大使を務め、05年から国家安全保障会議事務局長、12年から14年にかけて総合情報庁長官を務めた。「バンダル・ブッシュ」と呼ばれるほどブッシュ家と親しく、イスラエルとも緊密。ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された当時も駐米大使としてアメリカにいて、疑惑の目で見られている。アル・カイダ系武装集団を操る黒幕とも言われていた。 投機市場もドルを回収する上で重要な役割を果たしてきたが、その仕組みを作り上げる上で重要な役割を果たしたのがマーガレット・サッチャー英首相。フリードリッヒ・フォン・ハイエクと親しく、ミルトン・フリードマンがチリで実践した新自由主義をイギリスにも導入しようとした。 富裕層や巨大資本を富ませる一方、庶民を貧困化させることが明らかな新自由主義を導入することは本来なら難しかったのだが、1982年にフォークランド(マルビナス)諸島で勃発したアルゼンチンとの戦争で勝利、「英雄」と祭り上げられたことを利用して新自由市議的な国家改造に着手したのである。 その後、サッチャー英首相に続いてアメリカのロナルド・レーガン大統領、西ドイツのヘルムート・コール首相、そして日本の中曽根康弘首相などが次々と新自由主義経済を採用していく。 投機の過熱化と現実社会の破壊は1920年代にも起こった現象。そこで1933年に証券業務と商業銀行業務を分離させるグラス・スティーガル法が制定されたのだが、ビル・クリントン政権下の1999年11月にグラム・リーチ・ブライリー法が成立し、事実上、葬り去られた。 1980年代に本格化した「規制緩和」と「私有化」の推進で不公正な富の集中が起こっていくが、そうした中、S&L(アメリカの住宅金融)が破綻し、犯罪組織や情報機関との関係も浮上する。このスキャンダルではジョージ・H・W・ブッシュの息子、ニール・ブッシュの関係していた。後にニールはボリス・エリツィン時代に巨万の富を築いたボリス・ベレゾフスキーとビジネスで手を組むことになる。 ニールの兄、ジョージ・W・ブッシュが2001年に大統領となる。ブッシュ・ジュニアはその前から投機経済にのめり込み、「ブッシュのサイフ」とも言われたエンロンも投機で潤った会社のひとつ。 この会社は2001年の夏に破綻が発覚、10月にはSEC(証券取引委員会)が調査に着手しているのだが、重要書類は9月11日に世界貿易センターと国防総省本部庁舎が攻撃された際に焼失、関係者は何とか逃げ切れたようである。この破綻も「9/11」のため、さほど注目されなかった。 ブッシュ・ジュニア政権も庶民が潤うような政策をとる気はなく、不動産バブルを再び演出する。不動産相場は永遠に上昇するという幻想の中で庶民も不動産を購入、相場の上昇で生じた「含み資産」で物を買うというマルチ商法まがいの仕組みだ。当然のことながら破綻は時間の問題で、2008年には投資銀行のリーマン・ブラザースも破産、ほかの巨大銀行も厳しい状況に陥るが、自業自得ではあった。 ところが、その巨大銀行をアメリカ政府は救済、ツケを庶民に回した。司法長官だったエリック・ホルダーによると、問題の金融機関は巨大すぎて潰せず、重役たちを起訴することもできないらしい。庶民には厳しく、富裕層には甘く、が新自由主義流だ。法の下での平等などは存在しない。 リーマン・ブラザーズが倒産する前年、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を始めたとニューヨーカー誌に書いている。そして2011年に中東/北アフリカでアル・カイダ系武装集団とNATOを組み合わせて侵略戦争を開始、2013年11月にはウクライナでネオ・ナチを使ってクーデターを始めている。
2016.03.30
シリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すため、外国勢力が2011年3月から侵略戦争を始めている。シーモア・ハーシュによると、アメリカのバラク・オバマ政権とトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン政権は2012年のはじめにアサド政権を打倒するための工作に関して秘密合意に達し、トルコ、サウジアラビア、カタールが資金を提供、アメリカのCIAがイギリスの対外情報機関MI6の助けを借りてリビアからシリアへ武器/兵器を送ることになったという。この国々が支援したのがアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)だ。 アサド政権を倒す目的のひとつは石油パイプライン。カタールからサウジアラビア、ヨルダン、シリア、トルコを経由してEUへ運ぶパイプラインを建設、ロシアのエネルギー資源にEUが頼らずに済む体制を築くはずだったのだろうが、アメリカ支配層の目論見は崩れつつある。昨年9月30日にロシア軍が始めた空爆でアメリカ支配層などが手先として使っていたアル・カイダ系武装勢力やそこから派生したダーイッシュの敗北が決定的になってきたからだ。 ロシア軍の支援を受けたシリア政府軍は古代都市であると同時に戦略的な要衝でもあるパルミラを3月下旬に奪還、アル・カイダ系武装勢力やダーイッシュは敗走した。2011年3月に西側諸国、ペルシャ湾岸諸国、イスラエルが始めた侵略戦争は失敗に終わる可能性がきわめて高くなった。 パルミラが奪還される直前、3月18日にドイツのアンゲラ・メルケル首相、アメリカのバラク・オバマ大統領、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領、そして投機家のジョージ・ソロスが会談している。その結果、トルコが難民を国内に留める代償としてEUは2年間で60億ユーロ(約7500億円)をトルコへ支払うことになった。 アゼルバイジャンの石油をトルコからギリシャ、アルバニア、そしてイタリアへとつなぐTAPパイプラインも考慮されたようだが、ここで想定されているアゼルバイジャンの石油はトルコとジョージア(グルジア)と契約済みで、EUへの新たな供給源としては不適切だという。つまりTAPはロシア産石油の代わりになる石油を運んでこないということ。アメリカの支配層にコントロールされていると言われるメルケルは、ドイツだけでなくEUも窮地に陥らせてしまったようだ。 シリアのアサド政権を倒すという作戦は失敗に終わったように見えるが、アメリカ支配層やメルケルのようなEUの「エリート」には引き下がれない事情がある。シリアで停戦合意が成立した際、アル・カイダ系武装勢力やダーイッシュなど「テロリスト」への攻撃は続けられるという条件を無視し、アサド政権はロシア政府という後ろ盾をなくしたと伝えていたマスコミもあるが、これは侵略勢力の希望的観測だった。ここにきてバルカン半島のようにシリアを解体して支配しようという話が伝えられているが、最後は「狂犬戦術」に出るかもしれない。
2016.03.29
元ニューヨーク市長のルドルフ・ジュリアーニによると、2009年1月から13年2月まで国務長官を務めた「ヒラリー・クリントンはISISを創設したメンバーだと考えることができる」らしい。 このISIS(Islamic State in Iraq and Syria)は、ISIL(The Islamic State of Iraq and the Levant)、IS、ダーイッシュ(アラビア語の略称の日本語表記)とも呼ばれている。アメリカ主導で編成された連合軍が2003年にイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を倒した後の2004年にAQI(Al-Qaeda in Iraq)がイラクで活動を開始、06年にはAQIを中心にしてISIが編成され、シリアに活動範囲を広げてからISと呼ばれるようになった。 本ブログでは何度も書いているが、ロビン・クック元英外相は「アル・カイダ」をCIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルだと説明している。こうした訓練は1970年代の終盤にジミー・カーター政権の大統領補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーが考えた戦略に基づいて始められた。 アル・カイダはアラビア語で「ベース」を意味し、「データベース」の訳語としても使われているようだ。なお、クックはこの指摘をした翌月、保養先のスコットランドで心臓発作に襲われて死亡した。享年59歳。 2011年3月にシリアでも体制転覆を目指す勢力が戦闘を始めている。アメリカ軍の情報機関DIAが2012年8月に作成した報告書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者/ワッハーブ派、ムスリム同胞団、そしてAQI(アル・ヌスラと実態は同じだという)であり、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。ムスリム同胞団はワッハーブ派の強い影響を受けている。 2012年8月の時点でダーイッシュは注目されていないわけだが、DIAはサラフ主義者に警戒、バラク・オバマ大統領に警告している。2011年10月から統合参謀本部議長を務めていたマーチン・デンプシーもダーイッシュを危険視、ロシアやシリアとも手を組むべきだと考えていたようだ。国防長官だったチャック・ヘーゲルも武力による政権転覆には消極的な姿勢を見せていた。 そうした動きに好戦派は反発、ネオコン/シオニストと一心同体の関係にあるイスラエルでは、駐米イスラエル大使のマイケル・オーレンが2013年9月にバシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだと語っている。 2014年3月にイラクの首相だったノウリ・アル・マリキは、反政府勢力へサウジアラビアやカタールが資金を出していると非難、その翌月に行われた選挙でアル・マリキを支える「法治国家連合」が全328議席のうち92議席を獲得して第1勢力になるが、マリキは首相に指名されなかった。アメリカ政府の意向だと見られている。 そうした中、ダーイッシュを西側メディアは大きく取り上げるようになる。2014年1月にファルージャで「イスラム首長国」の建国が宣言され、6月にはモスルを制圧した。その際にトヨタ製の真新しい小型トラック「ハイラックス」を連ねてパレード、その後継を撮影した写真が世界規模で流れた。 アメリカ軍はスパイ衛星、偵察機、通信傍受、人からの情報などでダーイッシュの動きを把握していたはずだが、反応していない。パレードしている車列などは格好の攻撃目標のはずなのだが、アメリカ軍は何もしていない。 AQIにしろ、アル・ヌスラにしろ、ISIにしろ、タグを付け替えただけで実態は同じなのだが、ダーイッシュという新たなプロジェクトを本格的に始める前、2012年にCIAや特殊部隊はヨルダン北部に設置された秘密基地で戦闘員を育成するための訓練を実施している。少なくとも、その一部はダーイッシュに参加した。 イランの義勇兵組織、バスィージのモハマド・レザ・ナクディ准将によると、ダーイッシュの司令部はイラクのアメリカ大使館。また、ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官は、アメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたとCNNの番組で語った。 こうしたダーイッシュとジュリアーニ元ニューヨーク市長が結びつけたヒラリー・クリントンは巨大軍需企業のロッキード・マーチンと緊密な関係にあり、ウォール街の巨大資本から資金を得ているだけでなく、ネオコン/シオニストから支援されている候補者。リビアで武装集団がムアンマル・アル・カダフィを惨殺した際、「来た、見た、死んだ」とCBSのインタビューの中で口にしたことでも話題になった。 また、クリントンはムスリム同胞団とつながりがある。彼女の側近だったヒューマ・アベディンを介しての関係だ。ヒューマの母親であるサレハはムスリム同胞団の女性部門を指導、父親のシードとアル・カイダとの関係を指摘する人もいる。両親はふたりともペンシルベニア大学で博士号を取得している。また夫のアンソニー・ウィーナー元下院議員。セックス・スキャンダルで2011年に議員を辞職した。 ヒラリー・クリントンとダーイッシュとの関係をしてきたジュリアーニは1994年1月から2001年12月までニューヨーク市長を務めている。つまり、世界貿易センターと国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された2001年9月11日には現役の市長だった。そのときに2棟の超高層ビルが崩壊しているのだが、事前に崩壊を知らされていたとABCの取材に答えている。 旅客機が突入した程度で超高層ビルが崩壊すると専門家は想定せず、消防士も救助のためにビルの中へ入っていった。大火災で崩壊した前例はなかったのだが、ジュリアーニに対して誰かが崩壊すると警告したわけだ。ジュリアーニには、そうした警告をする知り合いがいるということだろう。
2016.03.29
シリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すために送り込まれたアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)は戦略的に重要なパルミラから追い出され、敗北は決定的な状況だと見られている。 そうした中、CIAの支援を受けている戦闘集団とアメリカ軍の支援を受けている戦闘集団が軍事衝突していると伝えられた。CIAはサウジアラビア、カタール、トルコ、イスラエルなどと同じようにアル・カイダ系武装集団やダーイッシュを支援してきたが、それに対してアメリカ軍は現在、そうした「テロリスト」と戦うグループを支援しているという。アメリカ軍が支援している部隊の戦闘員は「4名か5名」よる増えたのだろう。詳細は不明だが、そうした戦闘があっても不思議ではない。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、アメリカのバラク・オバマ政権とトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン政権は2012年のはじめにアサド政権を打倒するための工作に関して秘密合意に達し、トルコ、サウジアラビア、カタールが資金を提供、アメリカのCIAがイギリスの対外情報機関MI6の助けを借りてリビアからシリアへ武器/兵器を送ることになったとしている。この国々が支援したのがアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ。 2012年8月にアメリカ軍の情報機関DIAが作成した報告書によると、反シリア政府軍の主力がサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラと実態は同じ)で、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているという。この段階で「穏健派」は存在しない。 今年1月にヨルダンのアブドラ国王がアメリカの議員を会談したときのメモがイギリスのガーディアン紙にリークされたが、その中で、2011年2月にリビアで戦闘が始まった直後からイギリスは特殊部隊を派遣、またイスラエルはアル・カイダ系のアル・ヌスラを黙認していると語っている。 シリアで戦闘が始まった当初、イギリスやフランスも積極的に工作へ関わり、トルコのインシルリク空軍基地ではアメリカの情報機関員や特殊部隊員、イギリスとフランスの特殊部隊員が戦闘員を軍事訓練しているとも伝えられていた。後に中心はアメリカ、サウジアラビア、カタール、トルコ、イスラエルになり、アメリカの主体はイスラエルと一心同体のネオコン。その後、こうして作り出された傭兵部隊を危険だと考える軍幹部が現れた。 アメリカ軍の情報機関DIAの局長を2012年から14年まで務めたマイケル・フリン中将は退役後、アル・ジャジーラに対してダーイッシュの勢力が拡大したのはバラク・オバマ政権が決めた政策によると語り、ダーイッシュを押さえ込むためにロシアと手を組むべきだと主張、このフリンから国際情勢についてアドバイスを受けているというドナルド・トランプもそうした発言をしている。 また、2011年10月から15年9月まで統合参謀本部議長だったマーチン・デンプシー陸軍大将もアル・カイダ系の武装集団やそこから派生したISを最も危険だと考えていたが、アサド大統領の排除を優先しているバラク・オバマ大統領はデンプシー議長の警告に耳を貸さなかったという。そこで、アメリカ軍は2013年秋からアル・カイダ系武装集団やダーイッシュに関する情報を独断でシリア政府へ伝え始めたとハーシュは書いている。 アメリカ軍がそうした動きを見せた頃、つまり2013年9月に駐米イスラエル大使だったマイケル・オーレンはシリアのアサド体制よりアル・カイダの方がましだと公言した。このオーレンはベンヤミン・ネタニヤフ首相の側近で、イスラエル政府によるアメリカ政府への警告だった可能性がある。また、イスラエルのモシェ・ヤーロン国防相は今年1月19日、INSS(国家安全保障研究所)で開かれた会議で、イランとダーイッシュならば、ダーイッシュを選ぶと発言したという。 口先だけでなく、イスラエルは実際にアル・カイダ系武装集団やダーイッシュを支援してきた。例えば、2015年1月18日にはダーイッシュを追い詰めていたシリア政府軍とヒズボラの部隊をイスラエル軍は攻撃し、イラン革命防衛隊のモハメド・アラーダディ将軍を含む幹部を殺している。シリアへの空爆をイスラエルは何度も実行している。 2015年10月にはイラクでダーイッシュと行動を共にしていたイスラエル軍のユシ・オウレン・シャハク大佐が拘束され、シリアでは反政府軍の幹部と会っていたイスラエルの准将が殺されたという。負傷した反シリア政府軍/ダーイッシュの兵士をイスラエルは救出、病院へ運んだうえで治療しているとも伝えられている。 昨年9月にデンプシーの後継議長に就任したジョセフ・ダンフォードはロシアを敵だと公言しているが、アメリカ軍(正規軍)はデンプシーやフリンのように考える人が少なくないのかもしれない。
2016.03.28
日本における報道統制を批判する社説が3月5日付けのワシントン・ポスト紙に掲載された。安倍晋三政権は自分たちにとって都合の悪いニュースは封印していると主張、「3人のジャーナリスト」の辞任も紹介されている。間違いとは言えないのだが、違和感を覚えることも確かだ。 社説の中で情報を封印しようとしている例として経済問題や「慰安婦」の問題が示されているのだが、こうした問題以上に徹底しているのがアメリカ支配層にとって都合の悪い情報の封印だ。アメリカによる軍事侵略、「テロ活動」、TPPなどにについて批判的には伝えない。 例えば、フランクリン・ルーズベルト政権がスタートした直後、1933年から34年にかけてJPモルガンなどウォール街の巨大資本が反ルーズベルト/親ファシズムのクーデターを計画したとするスメドリー・バトラー海兵隊少将の議会における告発、イタリアにはグラディオという「NATOの秘密部隊」が存在することを認めたジュリオ・アンドレオッチ政権の報告書を日本のマスコミは取り上げたのだろうか?寡聞にして知らない。このグラディオは1960年代から80年代にかけ、「極左」を装って爆弾攻撃を繰り返して「左翼勢力」にダメージを与え、アメリカ支配層は支配体制を強化した。 1982年にロナルド・レーガン大統領が承認したNSDD55によって承認されたCOGプロジェクトは憲法の機能停止を含むもので、一種のクーデター計画だ。アメリカの軍や情報機関の好戦派がソ連に対する先制核攻撃を計画していたドワイト・アイゼンハワー時代に核戦争後の「秘密政府」を動かす8名が選ばれ、その流れの中で1979年にFEMAが設置された。それを発展させようとしたのがCOGだ。 この計画では核戦争が勃発しなければ憲法の機能を停止させられない。そこで1988年に大統領令12656が出され、COGの対象は核戦争から「国家安全保障上の緊急事態」に変更された。2001年9月11日の出来事をジョージ・W・ブッシュ政権は「国家安全保障上の緊急事態」だと判断、「愛国者法」によってアメリカ憲法の機能を停止させる。この法律が素早く出された理由は、少なくとも1982年から準備を進めていたからだ。安倍政権の内部から聞こえてくる「緊急事態条項」もそこから出ているのだろう。 このプロジェクトを日本のマスコミが取り上げたという話は聞かないが、知らなかったという弁明は通用しない。例えば、1987年7月に開かれた「イラン・コントラ事件」の公聴会でジャック・ブルックス下院議員がオリバー・ノース中佐に対し、「大災害時に政府を継続させる計画に関係」について聞いている。 委員長だったダニエル・イノウエ上院議員は質問を遮り、「高度の秘密性」を理由にして強制的に終わらせようとする。ブルックス議員はマイアミ・ヘラルド紙などが伝えていると反論、その計画はアメリカ憲法を停止させる内容を含んでいると説明しているが、委員長は質問を打ち切ってしまった。 このやりとりは公開の場で行われているが、その前にメディアも伝えていた。1991年には日本のテレビ局とも提携していたCNNがこの問題を番組で取り上げたが、日本では無視されるか否定的な伝え方をされていた。 その後、西側のメディアは戦争の旗振り役に徹するようになる。ユーゴスラビア、アフガニスタン、イラク、リビア、シリア、ウクライナ、すべて侵略戦争を正当化するために偽情報を流している。日本は中でも酷い状況だ。 ジャーナリストのむのたけじは1991年に開かれた「新聞・放送・出版・写真・広告の分野で働く800人の団体」が主催する講演会の冒頭、「ジャーナリズムはとうにくたばった」と発言、その後、マスコミから疎んじられるようにようになったという。(注1) この指摘は事実だが、西側のメディア全体に当てはまる。第2次世界大戦の直後、アメリカでは情報を操作するためのプロジェクト、「モッキンバード」がスタートしたと言われている。ジャーナリストのデボラ・デイビスによると、その中心にいたのはアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズ、フィリップ・グラハムの4名。(注2) ウィズナーとヘルムズは戦時情報機関OSSの時代にダレスの側近だった。グラハムはワシントン・ポスト紙のオーナー。ダレスとウィズナーはウォール街の弁護士で、ヘルムズの祖父であるゲイツ・ホワイト・マクガラーは国際的な投資家。グラハムの義理の父親であるユージン・メーヤーは1946年に世界銀行の初代総裁に就任している。 グラハムの妻でメーヤーの娘であるキャサリン・グラハムはウォーターゲート事件でリチャード・ニクソンのを辞任に追い込んだことで知られ、日本では「言論の自由」を象徴する人物として崇拝している人もいるようだが、その彼女は1988年にCIAの新人に対して次のように語っている: 「我々は汚く危険な世界に生きている。一般大衆の知る必要がなく、知ってはならない情報がある。政府が合法的に秘密を維持することができ、新聞が知っている事実のうち何を報道するかを決めることができるとき、民主主義が花開くと私は信じている。」 ウォーターゲート事件を追及した記者のひとりとして有名なカール・バーンスタインは1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、その直後にローリング・ストーン誌で「CIAとメディア」という記事を書いている。(注3) その記事によると、当時、400名以上のジャーナリストがCIAのために働き、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。 フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテも有力メディアとCIAとの関係を告発している。それによると、ドイツだけでなく多くの国のジャーナリストがCIAに買収され、例えば、人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開しているという。 ウルフコテによると、ジャーナリストとして過ごした25年の間に教わったことは、嘘をつき、裏切り、人びとに真実を知らせないことで、ドイツやアメリカのメディアがヨーロッパの人びとをロシアとの戦争へと導くこと。現在、引き返すことのできない地点にさしかかっていることに危機感を抱いたようだ。(注1)むのたけじ著『希望は絶望のど真ん中に』岩波新書、2011年(注2)Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979(注3)Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977
2016.03.28
パルミラはシリアの古代都市であると同時に戦略的な要衝でもある。そのパルミラをシリア政府軍がロシア軍による空爆の支援を受けながらダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)から奪還したと伝えられている。シリアの象徴を奪い返したというだけでなく、戦略的に見てもダーイッシュの敗北は最終段階に入ったと見られている。 その攻防戦が行われていた頃、アメリカ国務省の記者会見でパルミラ奪還が質問され、広報担当者は口ごもってしまい、話題になっている。本ブログでは何度も書いてきたように、アル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュは西側諸国、ペルシャ湾岸諸国、イスラエルが手先として利用してきた傭兵部隊。つまり、ダーイッシュの敗北はアメリカ支配層、少なくともネオコン/シオニストなど好戦派にとって大きな痛手だ。 ズビグネフ・ブレジンスキーやネオコンなどロシア制圧を目指している勢力はロシアとEUを分断することに力を入れている。その関係を決定する大きな要因が石油で、ウクライナの合法政権をクーデターで倒した理由のひとつはそこにある。ウクライナを経由するパイプラインをアメリカ支配層がコントロールしようとしたわけだ。ポーランドもアメリカの属国で、ロシアは期待できない。 黒海を横断、ブルガリア、セルビア、ハンガリー、スロベニアを経由してイタリアへ至る「サウス・ストリーム」というパイプラインをロシアは建設しようと計画したが、アメリカの圧力でブルガリアが建設の許可を出さず、ロシアは見切りをつけてトルコを経由しようとした。そのトルコとロシアは現在、関係が悪化していて、この計画も実現が難しそうだ。そうしたこともあり、ロシアは中国との関係を強めた。これはアメリカ支配層の誤算だった。 それに対し、アメリカの支配下にあるカタールはサウジアラビアとヨルダンを経由し、トルコからEUへ運ぶパイプラインを計画した。これが実現すればEUに対するロシアの影響力を弱めることができるのだが、その計画をシリア政府は拒否する。イランからイラク、シリアを経由してEUへというパイプラインの建設をシリアは進めていて、ライバルの計画を認めなかったということだ。カタールの計画はアメリカが支援、イランの計画はロシアが支援している。アメリカやペルシャ湾岸産油国がシリアの体制転覆に執着している一因はここにある。 イスラエルがシリアの体制転覆を目指す理由のひとうもエネルギー資源にある。ゴラン高原の石油/天然ガスを支配しようと目論んでいるほか、地中海東岸に膨大な天然ガスが眠っていると言われ、それを支配しようとしている。そのためにはパレスチナのガザ地区やシリアは邪魔だ。 現在、EUの「エリート」はアメリカ支配層のコントロール下にあるが、完全な属国にしてしまえばロシアと手を組むことを阻止できる。そのひとつの手段がかつてイタリアで実行された「緊張戦略」、つまり「テロ攻撃」を演出、治安対策という名目でアメリカが支配する体制を築くということだ。 TTIP(環大西洋貿易投資協定)もアメリカ巨大資本がEUを支配するための仕組みである。TPP(環太平洋連携協定)も同じことが言え、この2協定にTiSA(新サービス貿易協定)を加えてヨーロッパと東アジアを支配しようとしている。
2016.03.27
ブリュッセルで3月22日に引き起こされた爆弾攻撃に加わったひとりと言われているベルギー生まれのイブラヒム・バクラウィをトルコ当局は昨年6月にシリアとトルコとの国境近くで「逮捕」し、護送要員もつけず、民間の旅客機でオランダへ「国外追放」したと伝えられている。 バクラウィは「テロリスト」だと認定されていた人物。トルコ政府の行動は不自然だ。「テロリスト」を全く警戒していない。トルコの当局者はシリアとトルコとの国境近くで彼と合流し、オランダへ送り出したということだろう。トルコ政府がベルギー政府へ警告したかどうかという次元の問題ではない。「テロ」の首謀者だと疑われても仕方のない状況だ。 オランダの空港で警備を請け負っているICTSの担当者はバクラウィの通過を許しているのだが、彼が正規のパスポートを所持していたとするならば、すぐに「危険人物」だということがわかったはず。ICTSにも疑惑の目が注がれている。 前にも書いたように、ICTSは1982年にシン・ベト(イスラエルの治安機関)の元メンバーらによって創設された会社。オランダ、ドイツ、スペイン、イタリア、ポルトガル、日本、ロシアなどの空港でも仕事をしている。 アメリカはサウジアラビアやイスラエルと共同でシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始したと2007年3月5日付け「ニューヨーカー」誌で書いたシーモア・ハーシュは「ロンドン書評」誌の2014年4月17日号で次のように伝えた。 ハーシュによると、アメリカのバラク・オバマ政権とトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン政権は2012年のはじめ、シリアでの政権打倒工作に関する秘密合意に達したという。トルコ、サウジアラビア、カタールが資金を提供、アメリカのCIAがイギリスの対外情報機関MI6の助けを借りてリビアからシリアへ武器/兵器を送るという取り決めだったようだ。 2016年1月7日付け「ロンドン書評」誌でハーシュは、武器/兵器をシリアへ送り出す拠点になっていたのがベンガジのアメリカ領事館だったとしている。ここは2012年9月11日に襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使も殺された場所だ。 スティーブンスは戦闘が始まってから2カ月後の2011年4月に特使としてリビアへ入国し、11月にリビアを離れ、翌年の5月には大使として戻っていた。領事館が襲撃される前日、大使は武器輸送の責任者だったCIAの人間と会談、襲撃の当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っていたという。 オバマ政権とエルドアン政権が秘密合意に達した当時の状況について、アメリカ軍の情報機関DIAは2012年8月に作成した報告書の中で、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラと実態は同じだとしている)であり、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。つまり「穏健派」は事実上、存在しないということ。 その年の初めにアメリカが合意した秘密工作は「過激派」への支援にほかならず、その主力であるサラフ主義者/ワッハーブ派はシリア東部にサラフ主義の支配地を作りあげると警告、実際、その通りになった。その勢力をアメリカ主導の連合軍が攻撃しなかったことは必然だ。2012年8月当時、DIA局長だったマイケル・フリン中将はアル・ジャジーラのに対し、ダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策によると語っている。その「過激派」をロシア軍が空爆、大きなダメージを与えて戦況は一気に政府軍が優位になり、侵略勢力は混乱した。 ブリュッセルの爆破事件は不明な点が多いが、イブラヒム・バクラウィのような戦闘員を使ってきたのはアメリカ、イギリス、トルコ、サウジアラビア、カタール、そしてイスラエルのような国々。アメリカの支配層に従属しているEUのエリートはそうした工作を黙認してきたと言えるだろう。
2016.03.27
アメリカ海軍の特殊部隊SEAL出身で、傭兵会社のブラックウォーター(現在の社名はアカデミ)を創設、現在はフロンティア・サービス・グループの会長を務めているエリック・プリンスがトルコを訪れたという。この人物は熱心なキリスト教原理主義、つまりカルトの信者として知られ、姉のベッツィーが結婚した相手であるディック・デボスは「アムウェイ」の創設者だ。 アメリカの巨大資本が世界を支配する下地を作る過程で「規制緩和」や「私有化」が推進されたが、情報機関や軍も例外ではなかった。そうした流れの中、ブラックウォーターは1997年に創設され、2003年にアメリカ軍が主導する連合軍がイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を破壊して占領を始めてからイラクで活動を開始、その名前が暴力的な振る舞いと共に広く知られるようになった。アフガニスタンなどでの活動も有名だ。 トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領がプリンスと会う理由として考えられるのは、トルコ軍が対応できない事態が生じているのか、その軍を信用できない状況になっているかだろう。 そうした事態を推測させる出来事が昨年11月にあった。26日にジュムフリイェト紙のジャン・デュンダルとエルデム・ギュルを、また28日にはウブラフム・アイドゥン憲兵少将、ハムザ・ジェレポグル憲兵中将、ブルハネトゥン・ジュハングログル憲兵大佐を逮捕しているのだ。エルドアン政権と軍との関係は良くなさそうだ。 エルドアン政権はシリアのバシャール・アル・アサド政権を倒そうしている勢力に加わり、アル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)を支援してきた。軍事訓練を行う場所を提供、兵站線はトルコからシリアへ延びている。シリアやイラクで盗掘した石油が運び込まれているのもトルコだ。 物資の輸送はこうした活動を管理しているのがトルコの情報機関MIT。その輸送を行っていた車両を昨年1月にトルコ軍の憲兵隊が摘発、その事実をトルコのジュムフリイェト紙が報道、その報復としての逮捕だった。さらに、エルドアン政権はザマン紙を乗っ取って露骨な宣伝を始めたが、読者は強く反発した。 シリアの体制転覆が予定通りに進まず、経済的にもエルドアン政権は厳しい状況に陥っている。そこで難民を使ってEUを強請り、今のところ成功しているようだが、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュの戦闘員をEUへ送り込む目的は強請りだけでなく、より大きな戦略があるとも見られている。 今年1月にヨルダンのアブドラ国王がアメリカの議員を会談したときのメモがイギリスのガーディアン紙にリークされ、その中で「テロリスト」がヨーロッパへ渡っているのはトルコ政府の政策の一部だと説明している。西側の政府やメディアは無視しているが、これはほかの事実と合致する。このほか、2011年2月にリビアで戦闘が始まった直後からイギリスは特殊部隊を派遣、またイスラエルはアル・カイダ系のアル・ヌスラを黙認しているとも語ったようだ。 国王の話自体は驚きでないが、こうした情報が西側の有力メディアへリークされ、それを報道したことは興味深い。1992年初頭にネオコン/シオニストが国防総省のDPG草案という形で作成した世界制覇プラン、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」に基づく工作や作戦を止めようとする勢力が支配層の中でも増えている可能性が高い。
2016.03.26
サウジアラビアと同様、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン政権がアル・カイダ系武装勢力やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を支援していることは広く知られている。シリアやロシアの政府だけでなく、アメリカのジョー・バイデン米副大統領も公の席で認めている事実だ。 2014年10月2日、バイデン副大統領はハーバード大学で講演、その際にシリアにおける「戦いは長くかつ困難なものとなる。この問題を作り出したのは中東におけるアメリカの同盟国、すなわちトルコ、サウジアラビア、UAEだ」と述べ、あまりにも多くの戦闘員に国境通過を許してしまい、いたずらにダーイッシュを増強させてしまったことをトルコのエルドアン大統領は後悔していたとも語っている。 勿論、エルドアン大統領はダーイッシュへの支援を後悔していない。最近はEUを揺さぶるために使っている。 3月22日のブリュッセルにおける爆破に参加したとされるイブラヒム・バクラウィとハリド・バクラウィの兄弟はベルギー生まれ。兄のイブラヒムは2010年に強盗で逮捕された際にAK-47で警官を銃撃、懲役9年を言い渡され、ハリドは2011年にAK-47の不法所持で逮捕され、カージャックの罪で懲役5年を言い渡されていた。刑期を終える前に外へ出られたわけだ。昨年6月にイブラヒムはシリアとトルコとの国境近くで拘束されて「国外追放」になり、ベルギー経由か直接かは不明だが、オランダへ入国したという。「国外追放」の際、トルコの当局者が同行せず、送り先の国の当局者へ引き渡すという手続きをとらなかったとするならば、それはトルコ政府が「テロリスト」をEUへ送り込んだと言うべきである。 バクラウィ兄弟のような、あるいはそれ以上に戦闘経験を積んだ数百人程度のメンバーがEUへ送り込まれたと言われているが、その作戦は「ダーイッシュの首都」とも呼ばれていたシリアのラッカで練られ、戦闘員や「自爆攻撃」の要員をリクルートしていたとする情報がある。 2014年にラッカをシリア政府軍が攻撃した際にカタール、サウジアラビア、トルコの将校が拘束され、その後の尋問でトルコの情報機関MITが自爆攻撃の背後にいることが判明したという。トルコ人「テロリスト」のネットワークが数年前からヨーロッパで張り巡らされ、その工作には犯罪組織が協力、イスラエルやサウジアラビアのグループが関係してるという。 こうしたネットワークを考える場合、「NATOの秘密部隊」を忘れてはならない。イタリアで1960年代から80年代にかけて「極左」を装って爆弾攻撃を繰り返し、クーデターを計画した「グラディオ」やローマ教皇ヨハネ・パウロ2世をメンバーが銃撃したトルコの「灰色の狼」が有名だが、全NATO加盟国にそうした秘密部隊は存在、そのネットワークはまだ機能しているはずだ。(詳しくは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を参照。) この秘密部隊の始まりは第2次世界大戦の終盤、ドイツ軍がソ連軍との戦いで敗れて敗走しはじめてから米英情報機関が組織した「ゲリラ戦部隊」のジェドバラ。大戦後、アメリカ支配層の一部は破壊活動を継続するため、CIAの外部にOPC(当初の名称は特別プロジェクト局)を作るが、そのベースになった。この極秘機関は1950年10月にCIAへ吸収され、翌年1月にはアレン・ダレスが副長官としてCIAへ乗り込み、「計画局」になる。1970年代に行われた議会の調査で秘密工作の一部が露見、1973年に「作戦局」へ名称が変更され、2005年にはNCS(国家秘密局)になった。この人脈が「NATOの秘密部隊」を操っている。 シリアを侵略しているアル・カイダ系武装集団やダーイッシュを支える兵站線がトルコからシリアへ延び、それをMITが管理していることも知られている。その輸送車両を昨年1月にトルコ軍の憲兵隊が摘発、その事実をトルコのジュムフリイェト紙が報道したのだが、エルドアン政権やその背後にいる勢力を怒らせたようで、11月26日に同紙のジャン・デュンダルとエルデム・ギュルが、また11月28日には摘発したウブラフム・アイドゥン憲兵少将、ハムザ・ジェレポグル憲兵中将、ブルハネトゥン・ジュハングログル憲兵大佐を昨年11月28日が逮捕された。3月25日に編集者の裁判が始まったはずだが、公判は非公開。 裁判の内容を秘密にしなければならないほどのことをエルドアン政権はしているわけだが、その政権をアメリカなど西側は放置している。そのひとつの結果がブリュッセルでの爆破事件だが、トルコを含む好戦派を押さえ込まない限り、似たことが今後も続くと覚悟する必要がある。 アメリカにも元DIA局長のマイケル・フリン退役中将のようにダーイッシュの危険性を訴えている人も出て来たが、軍人にしろメディアの人間にしろ、西側では沈黙している人が圧倒的に多い。
2016.03.25
ブリュッセルで地下鉄と空港が爆破された約1時間後、ベルギーの有力テレビ局は監視カメラがその瞬間をとらえた映像と称するものを流したのだが、駅の映像は2011年4月のミンスク、空港の映像は同年1月のモスクワ。つまり偽物だった。「相変わらず」ということである。 ちなみに、空港の警備を請け負っていたICTSは1982年にシン・ベト(イスラエルの治安機関)の元メンバーらによって創設された会社。オランダ、ドイツ、スペイン、イタリア、ポルトガル、日本、ロシアなどの空港でも仕事をしている。警備の問題も問われることになるだろう。 今回の爆破はダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)が実行したとされているが、この集団はアル・カイダ系のAQI(DIAによるとアル・ヌスラと実態は同じ)から派生、西側諸国、ペルシャ湾岸産油国、イスラエルなどが支援、手先として利用してきた。最近ではサウジアラビアやトルコとの関係が特に緊密だが、勿論、アメリカがこうした武装勢力を力で押さえつけようとしているわけではない。 AQIは2004年、サダム・フセイン体制をアメリカ主導の連合軍が軍事的に破壊したことを受け、イラクで組織された。2006年にはAQIが中心になってISIが編成され、活動範囲をシリアへ広げてからダーイッシュと呼ばれるようになった。ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、ダーイッシュはアメリカの友好国と同盟国がイラン系のヒズボラと戦わせるために作り上げた戦闘集団。サウジアラビア、イスラエル、トルコなどを指しているのだろうが、アメリカ自身も加わっている。 2012年にアメリカの情報機関や特殊部隊はヨルダン北部に設置された秘密基地で反シリア政府軍の戦闘員を育成するための訓練を始め、ダーイッシュが登場してくる。この新しいタグを付けた集団は2014年1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にはファルージャやモスルを制圧した。偵察衛星、無人機、通信傍受、人間による情報活動などで武装集団の動きをアメリカの軍や情報機関は知っていたはずだが、何もしていない。トヨタ製の真新しい小型トラック「ハイラックス」を連ねたパレードをさせている。 アメリカ軍の情報機関DIAが2012年8月に作成された報告書によると、シリア政府軍と戦っている戦闘集団の主力はAQI、サラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団であり、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。1970年代の終盤からアメリカ支配層の手先として戦ってきた「イスラム過激派」の主力はサラフ主義者であり、歴史的にムスリム同胞団はサラフ主義者の影響を強く受けている。 こうした武装集団を使い、アメリカ/NATO、サウジアラビア/ペルシャ湾岸産油国、イスラエルはシリアのバシャール・アル・アサド政権を倒そうとしている。その実態を誤魔化すために作られたタグが「穏健派」。そうした集団が事実上、存在しないことをDIAも指摘しているわけだが、西側の政府やメディアはそのタグを使い続けている。 その後、シリア東部からイラク北西部にかけての地域をダーイッシュが支配するようになるが、それは2012年の報告書で予測されていた。それを承知の上でバラク・オバマ米大統領は反シリア政府軍を支援したわけだ。そこで、報告書が作成された当時にDIA局長を務めていたマイケル・フリン中将は、ダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が行った決断によると主張しているわけだ。フリン中将は退役後の現在もダーイッシュの危険性を強調、アサド排除を優先する勢力を批判している。 まだダーイッシュなるタグが存在していなかった2011年3月、国内で戦闘は始まった直後にムアンマル・アル・カダフィは「地中海が『混乱の海』になるだろう」と警告しているが、この警告は昨年2月に注目される。ダーイッシュは難民50万人をヨーロッパへ送り込むと脅したことを受けてのことだ。 カダフィは終始、政府軍と戦っている勢力を「アル・カイダ」だと主張していた。実際、その通りだったことは本ブログで何度も書いている。より正確に言うと「アル・カイダ系武装集団」で、リビアの場合はLIFGと呼ばれていた。 ブリュッセルでの爆破をダーイッシュが行ったとするならば、西側諸国、トルコ、ペルシャ湾岸諸国、そしてイスラエルが黒幕でなかったとしても、大きな責任がある。中東/北アフリカでアメリカ支配層から自立した国を戦乱で破壊すれば難民問題が発生することは明白で、ヨーロッパが代償を払わねばならなくなることもロシアから警告されていた。そうした警告を無視、アメリカ支配層の命令に従ったのがEUの「エリート」たちだ。 トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は攻撃の4日前、ブリュッセルを含む都市が狙われているとEUに警告したというが、これは「脅し」であり、「アリバイ工作」でもあるだろう。
2016.03.24
トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン政権はアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)を支えてきた。活動の拠点を提供、シリアで侵略戦争を続ける部隊に武器/兵器を含む物資を送り込み、シリアやイラクで盗掘した石油を受け入れて売りさばいてきたのである。 盗掘石油はカネになったようだが、昨年9月30日に空爆を始めたロシア軍は戦闘の司令部や兵器庫を破壊するだけでなく、盗掘石油の関連施設や燃料輸送車を破壊、トルコ政府の稼ぎは大幅に減っているようだ。しかも、その前からロシアとの関係が悪化、通常の経済活動は危機的な状況になっている。そこでエルドアン政権は難民を使ってEUを強請り始めた。昨年9月にまとまった数の難民をEUへ送り込み、カネを出せと脅したのだ。 難民の中には戦火から逃れている人もいるだろうが、それだけではない。シリアでは侵略される前から干魃で土地を離れる人がいたようで、そうした人も含まれているはず。さまざまな国から仕事を求めてEUへ渡ろうとしている人もいる。アメリカが始めた戦争で経済は破壊され、残された仕事は傭兵など限られているだろう。勿論、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュの戦闘員も含まれている。 トルコが難民を国内に留める代償としてEUは2年間で60億ユーロ(約7500億円)を支払い、トルコ政府のファシズム化政策に口を出さないことにしたというが、それで済むとは思えない。要求はエスカレートしていくだろう。EUの決定は自殺行為だとも言われている。ブリュッセルの爆破事件に絡み、エルドアン大統領は事前に警告したと発言しているようだが、「脅し」と言うべきだろう。 トルコと同じようにシリアのバシャール・アル・アサド政権を倒そうとしているサウジアラビアは2013年7月にロシアを脅している。バンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官(当時)がロシアを極秘訪問、ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)のイゴール・セルグン長官やウラジミル・プーチン大統領と会談したのだが、そこでバンダル長官は次のようなことを言ったという。「来年、黒海のソチで開かれる冬季オリンピックを守ると保証できる。オリンピックの破壊活動をすると脅しているチェチェンのグループは自分たちのコントロール下にあり、自分たちとの調整なしにシリア領へは向かわない。」 つまり、自分たちのシリア侵略を妨害する行為を止めれなければ、サウジアラビアの指揮下にあるチェチェンのグループにソチ・オリンピックを攻撃させると脅したのだ。それに対し、プーチンは「ここ10年間、チェチェンのテロリスト・グループをあなたたちが支援していることを知っている」と応じ、シリア支援を強化した。 ソチ・オリンピックは2014年2月7日から23日にかけて行われたが、その時にネオコン/シオニストはウクライナでネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を使い、クーデターを成功させる。憲法を無視したプロセスでビクトル・ヤヌコビッチ大統領が追放されたのはオリンピックの最終日だった。それでもロシアはネオコンやサウジアラビアの脅しに屈せず、今では逆に追い詰めている。 それに対し、EUの「エリート」はアメリカ支配層に従って戦火を拡大させ、それが自分に降りかかってくると脅しに屈してカネを支払っている。買収されている弱みがあるのかもしれないが、最悪の対応だ。これからも強請られ、要求を呑まないと「テロ」が実行されると推測する人もいる。
2016.03.23
3月22日の爆破事件で37名以上が死亡したというブリュッセルはベルギーの首都であると同時にNATO本部の置かれた都市でもある。NATOが創設された当初、SHAPE(欧州連合軍最高司令部)はパリに置かれていたのだが、1966年にフランス政府はNATOの軍事機構から離脱を決め、翌年にはSHAPEをパリを追い出している。その当時のフランス大統領はシャルル・ド・ゴールで、アメリカとは一線を画す姿勢を見せていた。 フランスでは第2次世界大戦後、早い段階でアメリカがヨーロッパを支配する仕組みを作っていることに気づいていた。例えば、1947年に誕生した社会党系の政権は、政府を不安定化することを目的とした右翼の秘密部隊が創設された主張している。その年の7月末か8月上旬には米英両国の情報機関に操られた秘密部隊が「ブル(青)計画」と名づけられたクーデターを実行する予定で、シャルル・ド・ゴールを暗殺する手はずだったと言われている。 このクーデターが計画された当時、フランスの情報機関SDECEはCIAにコントロールされていたようだが、ド・ゴールが大統領になると自立する。1961年には反ド・ゴール派の秘密組織、OAS(秘密軍事機構)が創設され、アルジェリアでのクーデター計画が話し合われている。アルジェリアの主要都市を支配し、パリを制圧するという内容で、4月に決行されるが失敗する。ド・ゴールは計画の背後にアメリカの情報機関がいると判断した。 本ブログでも指摘してきたが、1961年にアメリカ大統領となったジョン・F・ケネディは情報機関や軍の好戦派と対立、フランスでの動きに関しても、ジェームズ・ガビン駐仏大使に対し、必要なあらゆる支援をする用意があるとド・ゴールへ伝えるように命じている。アルジェリアを拠点にしてクーデター軍がパリへ攻め込んだ場合、ケネディ大統領はアメリカ軍を投入するという意思を示したわけで、CIAは驚いたようだ。(注1) こうしたケネディの迅速な動きもあってアルジェリアでのクーデターは失敗、ド・ゴールはSDECEの長官を解任、その暗殺部隊と化していた第11ショック・パラシュート大隊を解散させた。クーデター派の残党が1962年8月にド・ゴール暗殺を試みるが、これも失敗する。これが1966年にフランスがNATOの軍事機構から離脱した背景だ。 一方、アメリカでは1963年11月にケネディ大統領が暗殺される。その葬儀から帰国したド・ゴール仏大統領は情報大臣だったアラン・ペールフィットに対し、ケネディに起こったことは自分に起こりかけたことだと語ったという。(注2) 今回、ブリュッセルで引き起こされた爆破事件の4日前、昨年11月13日にフランスのパリで引き起こされた「襲撃事件」の容疑者をベルギーの当局が逮捕している。それと今回の事件とを関連づける見方もあるが、今回の爆破には1週間以上の準備期間が必要だとみられ、逮捕と結びつけるべきでないとも指摘されている。AK-47で撃たれたはずの頭部に変化が見られない 昨年、パリでは2度の「テロ」があった。まず1月7日に「風刺画」の雑誌を出しているシャルリー・エブドの編集部が襲われ、11名がビルの中、また1名が外で殺されている。襲撃したのはふたりで、AK-47、ショットガン、RPG(対戦車ロケット弾発射器)で武装し、マスクをしていたという。歩道上に倒れていた警官が頭部をAK-47で撃たれて殺されたことになっているが、映像を見る限り、その痕跡はない。骨や脳が飛び散ったり、血が吹き出たりしていないのだ。地面に当たって破片が致命傷を負わせたとしても大量の出血があるだろう。事件の捜査を担当したエルリク・フレドゥが執務室で拳銃自殺したことも疑惑を深める一因になっている。 2度目は11月13日。パリの施設が襲撃され、約130名が殺され、数百人が負傷したとされているのだが、その痕跡が見あたらない。映像をチェックしても「血の海」と言える光景はなく、遺体がどこにあるのかといぶかる人もいる。こうした事件の場合、「治療の甲斐なく死亡」という人がいるはずで、死者数は増えていきそうなもの。ところがそうしたことはなかった。犠牲者の氏名も明確でない。 昨年1月に襲われたシャルリー・エブドは「反イスラム」だと言われても仕方のない編集をしていた。「言論の自由」を掲げて預言者モハメッドを愚弄するなどイスラム教徒を挑発する漫画を掲載する一方、ユダヤ教には敏感。 例えば、サルコジの息子がユダヤ系の富豪と結婚、自身もユダヤ教に改宗したことを風刺した漫画を描いたモーリス・シンの場合、2009年に「反ユダヤ」だとして解雇されてしまった。シャルリー・エブドを創設したオンリー・ルセルは、彼の後継者が雑誌を親シオニスト/反イスラムにしてしまったと批判している。 西側のメディアは「私はシャルリー・エブド」というキャッチコピーを流したが、その編集部が行ってきたことはイスラムに対する「ヘイト・スピーチ」だとする批判は消えない。本ブログでも指摘したが、公的に認められた襲撃のシナリオに対する疑惑も残されている。ある種の人びとから見ると昨年1月の襲撃がフランス社会に与えた影響は小さかったのだろう。そして11月の事件が起こる。この襲撃が引き起こされる数カ月前からフランスのユダヤ人共同体の中では国内でテロ攻撃があると警告されていたという。当然、フランス政府もこうした情報を入手していたはずだ。 フランスから流れて来る情報によると、攻撃参加者は重武装、高度に組織化され、アメリカあたりの情報機関員や軍人から短期間に訓練を受けたようなレベルではなかったという。1月の襲撃で歩道の警官を襲った人物の動きもプロフェッショナルを感じさせた。 また、事件のあった地域にはアル・カイダ系武装集団アル・ヌスラ/AQIやダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)の幹部が住み、その活動資金はカタールが出しているという。 今回のケースでも襲撃グループのリーダーとされているアブデル・ハミド・アバーウドはシリアとベルギーをギリシャ経由で行き来し、それを西側の情報機関は把握していただろう。 西側諸国、ペルシャ湾岸産油国、イスラエルなどは現在、狙いを付けた国の体制を破壊するためにアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュを使い、シリアに対する攻撃はトルコが重要な拠点であり、そこでもそうした武装集団のメンバーは自由に行動しているようだ。トルコでは、政府とそうした武装集団との緊密な関係に触れることは許されない。 戦略的に重要な位置にあるシリアの破壊を国外の侵略勢力が諦めるとは思えないが、彼らはそのためにもEUを不安定化させようとしている。アメリカの支配層が最も恐れているのはロシアとEUが手を組むことだ。シリアを攻撃している一因も、EUが石油をアメリカの影響下にあるサウジアラビアやカタールに依存するように仕向けることにある。(注1)David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015(注2)David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015
2016.03.23
ベルギーの首都ブリュッセルの地下鉄と空港で爆発があり、30名以上が死亡したと伝えられている。詳細は不明だが、これまでの流れを考えると驚きではない。西側諸国、ペルシャ湾岸産油国、イスラエルなどが中東/北アフリカやウクライナを戦乱で破壊し始めた時からこうした展開は予想され、警告されていた。 戦乱は難民を生み出し、EUへ流れ込むことは必然だった。そうした難民の中にアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)など軍事訓練を受けた相当数の戦闘員が紛れ込んでいることも知られていた。つまり、今回のような爆破事件が引き起こされることは「想定内」だった。事件後、ベルギーでは原発への攻撃を懸念する声が高まっているが、これも予想されていた。「隣国から攻められる」と主張しながら原発にのめり込む国があるとするならば、そこの主権者は正気でない。 中東/北アフリカの自立した政権を倒す計画はネオコン/シオニストのもの。1991年に国防次官だったポール・ウォルフォウィッツはイラク、イラン、シリアを5年以内に殲滅すると口にし、その翌年には国防総省の内部でウォルフォウィッツたちはDPGの草案という形で世界制覇のプランを作成している。旧ソ連圏だけでなく、西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、膨大な資源を抱える西南アジアを支配しようという計画。EUや日本も自立することは許さないということだ。 昨年4月にECIPS(情報政策安全保障欧州センター)は違法難民の問題について警鐘を鳴らしていたが、西側の政府やメディアはそれを無視していた。トルコに留まっていた難民をトルコ政府がEUへ送り出して「危機」を演出したと言われているが、それに西側の政府やメディアも関係していた可能性がある。 西側メディアが難民の問題を大きく取り上げたのは昨年9月上旬。トルコの海岸に横たわる3歳の子どもの遺体を撮した写真が「悲劇」の象徴として使われるが、その父親は難民の密航を助ける仕事をしていた。 難民がなだれ込むだけでも社会に大きな問題を引き起こすが、そこに破壊活動を目論む戦闘員が紛れ込んでいるとなると事態は深刻。イタリアでは1960年代から80年代にかけて「NATOの秘密部隊」が「左翼」を装って爆弾事件を繰り返しているが、似た雰囲気も感じる。こうした破壊活動は「緊張戦略」と呼ばれている。 イタリアで活動してきた秘密部隊はグラディオ。社会不安を煽り、左翼にダメージを与え、治安体制を強化(ファシズム化の促進)しようとしたのだ。アメリカ支配層がヨーロッパを属国化させる計画とも言える。イタリア政府は1990年にグラディオの存在を公式に認めざるをえなくなるが、全体としてこのプロジェクトは成功だった。 現在、アメリカの支配層は巨大資本が国を支配するシステム、ファシズム体制を世界に広げようとしている。彼らはEUを屈服させるために不安定化を図るだろうと言われていたが、少なくとも結果として、そうした流れになっている。中東/北アフリカを戦乱で破壊する目的のひとつがEUの不安定化だった可能性はある。 ところで、アメリカ支配層が仕組んだ戦乱で破壊された国のひとつがシリア。2011年3月に戦闘が始まった当時から「内戦」でも「革命」でもなく、外国勢力に雇われた傭兵による侵略だと指摘されていた。シリアを属国化するためにバシャール・アル・アサド政権を倒そうと計画、その口実として西側の政府やメディアはアサドを「独裁者」として描き、自分たちは「民主化」を求める「穏健派」を支援しているかの如く宣伝してきた。 しかし、そうした「穏健派」が存在しないことはアメリカ軍の情報機関DIAがバラク・オバマ大統領へ報告している。2012年8月にDIAが作成した文書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けていると説明しているのだ。 ムスリム同胞団は統一された組織でなく運動だというが、その一部が1954年10月にエジプトでガマール・アブデル・ナセルの暗殺を試みて失敗、その後に同胞団は非合法化されている。多くのメンバーはサウジアラビアへ逃れ、そこでワッハーブ派の強い影響を受けたという。アル・カイダ系武装集団に加わっている戦闘員の多くもワッハーブ派だ。 つまり、どのようなタグが付けられていようと、シリア政府軍と戦う主力メンバーは「過激派」とされるワッハーブ派。DIAの警告を無視してオバマ政権はワッハーブ派を支援してきたのである。そこで、2012年の報告書が作成された当時にDIA局長だったマイケル・フリン陸軍中将はAQI/アル・ヌスラやダーイッシュの勢力拡大をアメリカ政府の決定が原因だと言うわけだ。 本ブログでは何度も書いていることだが、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュを作りあげ、訓練し、武器/兵器を供給、食糧などの物資を提供してきたのは西側諸国、ペルシャ湾岸産油国、イスラエルなど。 この構図は1970年代の終盤、ジミー・カーター政権で大統領補佐官を務めていたズビグネフ・ブレジンスキーが考えた作戦に始まる。ソ連軍をアフガニスタンへ誘い込み、そこでサラフ主義者(ワッハーブ派)を中心とした武装集団と戦わせようとしたのだ。そのためにCIAなどは軍事訓練を行い、対空ミサイルを含む武器/兵器を提供していた。 1997年から2001年までイギリスの外相を務めたロビン・クックによると、こうした軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルがアル・カイダ。アラビア語で「ベース」を意味し、「データベース」の訳としても使われている。この指摘をした次の月にクックは保養先のスコットランドで心臓発作に襲われ、急死した。享年59歳。 ジョージ・W・ブッシュ政権は「テロとの戦争」を正当化するためにアル・カイダ系の傭兵集団を「悪役」として利用、リビアのムアンマル・アル・カダフィを倒すときには空からNATO軍、地上ではアル・カイダ系のLIFGが連携して戦った。その後、LIFGの幹部たちはダーイッシュのメンバーとして戦っているようだ。 現在のEUは、アメリカの支配層に従うと自分たちの国がどうなるかを示している。
2016.03.22
アメリカやイギリスの支配層はロシアを締め上げるため、その周辺に軍隊を配備してきた。1904年にハルフォード・マッキンダーが発表した「ハートランド理論」(注1)が元になった戦略だとされている。後にヨシフ・スターリンはソ連の周辺を制圧するが、その理由のひとつは米英の戦略に対抗することにあった。 1990年に東西ドイツが統一される際、ジェームズ・ベーカー米国務長官はソ連の外務大臣だったエドゥアルド・シュワルナゼに対し、NATOを東へ拡大させることはないと約束したことが記録に残っているのだが、1991年12月にソ連が消滅すると、アメリカ支配層は約束を破り、東へ勢力を拡大しはじめる。 そして2014年2月22日、アメリカの支配層はウクライナの再制圧に乗り出す。選挙で合法的に選ばれたビクトル・ヤヌコビッチ大統領をネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)によるクーデターで排除したのだ。反クーデター派の抵抗に遭って思惑通りには進まなかったが、それでもアメリカはロシアの喉元にナイフを突きつけている状態である。米英の支配層はこうした戦略を112年にわたって続けてきたのだが、ソ連がキューバにミサイルを持ち込んだときには激しく反発、核戦争を始める姿勢を見せていた。 ソ連がキューバにミサイルを持ち込んだ理由のひとつはアメリカ内部で計画されていた先制核攻撃にある。例えば、1949年には、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという内容の研究報告が統合参謀本部(JCS)から出され、1954年になると戦略空軍総司令部(SAC)はソ連に600から750発の核爆弾を投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を作成した。 1956年にSACが作成した核攻撃計画に関する報告書によると、モスクワ、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)、タリン(現在はエストニア)、キエフ(現在のウクライナ)といったソ連の都市だけでなく、ポーランドのワルシャワ、東ドイツの東ベルリン、チェコスロバキアのプラハ、ルーマニアのブカレスト、ブルガリアのソフィア、中国の北京が攻撃目標に含まれていた。 1957年初頭に作成された「ドロップショット作戦」では300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊することになっている。(注2)この作戦が作成された当時、JCS議長はライマン・レムニッツァー、またSACの司令官はカーティス・ルメイ。レムニッツァーは大戦中の1944年、アレン・ダレスとナチス高官に接触し、降服について話し合っている。また、1955年から57年にかけて琉球民政長官を務め、沖縄の軍事基地化を進めている。 1959年の時点でソ連は事実上、ICBMを保有していなかったが、レムニッツァーやルメイといった好戦派は1964年になればソ連もICBMを配備できると見通し、テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、1963年の終わりに奇襲攻撃を実行しようとしていた。 ICBMを実戦配備できていないソ連が報復するとしたなら、アメリカの近くから中距離ミサイルで攻撃するしかない。そこでアメリカもソ連もキューバを注目したはず。まずアメリカの好戦派は1961年4月に亡命キューバ人部隊をキューバのピッグス湾(プラヤ・ギロン)へ上陸させるが、失敗する。攻撃部隊や作戦内容が貧弱だっただけでなく、事前に情報が漏れていた。これで侵攻作戦が成功するはずはない。 亡命キューバ人部隊が撃退された直後、チャールズ・キャベルCIA副長官(当時)は航空母艦からアメリカ軍の戦闘機を出撃させようと大統領に進言したが、アメリカ軍が前面に出た侵攻作戦の要求を大統領になって間もないジョン・F・ケネディは却下し、キャベル副長官は1961年11月、アレン・ダレス長官やリチャード・ビッセル計画局長と一緒に解任された。大統領はCIAの解体も考えていたようで、その代替機関として想定されていたDIAが1961年10月に創設されている。 レムニッツァーたちはその後もアメリカ軍によるキューバ侵攻、さらにソ連への先制核攻撃を目論んでいる。そうした攻撃を正当化するために立てられたのが「ノースウッズ作戦」だ。作戦に関する文書は大半が破棄されたと言われているが、レムニッツァー議長が国防長官あてに作成した1962年3月13日付けの機密文書が残っていて、作戦の概略が説明されている。 それによると、まずキューバ軍を装ってアメリカの施設や船舶を攻撃、さらにフロリダ州マイアミなどの都市で「テロ」を実行、ドミニカなどキューバの近隣国でも破壊活動を展開して恐怖を煽り、最終的には、アメリカを離陸した旅客機をキューバ近くで自爆させてキューバ軍に撃墜されたことにし、軍事侵攻の口実にしようというシナリオ。 ノースウッズ作戦についてレムニッツァー議長はロバート・マクナマラ国防長官に説明するが、拒否されたと言われている。その後、ケネディ大統領はレムニッツァーの議長再任を拒否、米ヨーロッパ軍司令官に指名する。1962年11月のことだ。翌年の1月に着任し、同時に欧州連合軍最高司令官となった。 好戦派の動きをケネディ大統領は懸念、上院外交委員会のアルバート・ゴア上院議員、つまりビル・クリントン政権で副大統領を務めたアル・ゴアの父親を中心にするグループが軍内部の好戦派を調べはじめる。 キューバを軍事侵略し、ソ連を先制核攻撃するという好戦派の計画を阻止したケネディ大統領は1963年6月10日、アメリカン大学の卒業式で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行った。単に「平和の理念」を語ったのではなく、アメリカが軍事力で世界に押しつける「パックス・アメリカーナ(アメリカ支配による平和)」を否定、アメリカ市民は「まず内へ目を向けて、平和の可能性に対する、ソ連に対する、冷戦の経過に対する、また米国内の自由と平和に対する、自分自身の態度を検討しはじめるべき」だと語りかけ、「関係者すべての利益になる一連の具体的措置と有効な協定に基づく、実際的で達成可能な平和に力を注ごう」と主張する。 大統領はソ連とアメリカとの間で全面戦争が起これば、いずれの国も破壊されると主張し、冷戦の段階でも「両国はともに無知と貧困と病気を克服するためにあてることができるはずの巨額のカネを、大量の兵器に投じている」と警鐘を鳴らし、相手国に対して「屈辱的な退却か核戦争」を強いるのではなく、緊張の緩和を模索するべきだと語る。 さらに、自分たちの遠大な関心事は「全面完全軍縮」だと表明、核実験の禁止を訴え、他国がしない限りという条件付きで、アメリカは大気圏の核実験をしないと宣言、戦争と軍備の廃棄はアメリカの利益と人間の利益に合致していることを強調し、「自信を持ち、恐れることなく、われわれは人類壊滅の戦略に向かってではなく、平和の戦略に向かって努力し続けるのです」と演説を締めくくっている。(注3) ケネディ大統領がテキサス州ダラスで暗殺されたのは演説の5カ月後、1963年11月22日のことだ。アメリカの好戦派は大統領暗殺の黒幕はキューバ、あるいはソ連だと宣伝して戦争を始めようとするがこれは失敗に終わる。FBIがCIAの工作に関する情報をリンドン・ジョンソン大統領へ伝えたことも一因だ。 アメリカの支配層は戦争を計画しただけでなく、キューバ革命の象徴的な存在であるフィデル・カストロの暗殺を試みている。CIAがカストロの命を狙ったのは合計638回だというが、この工作にはアメリカの犯罪組織が協力していた。 フランク・チャーチ上院議員を委員長とする「情報活動に関する政府による作戦を調査する特別委員会」は犯罪組織の大物に証言させようとする。そのひとりがジョン・ロッセリ。委員会へ呼び、1975年6月24日と9月22日にカストロ暗殺計画について、76年4月23日にはケネディ大統領の暗殺について聞いている。その3カ月後、7月28日から行方不明になり、後にマイアミ近くの海に漂っていたドラム缶の中から腐敗した死体が発見されている。 シカゴを拠点とする犯罪組織の大物、サム・ジアンカーナも委員会でケネディ大統領暗殺について証言する予定だったが、その直前、1975年6月19日に射殺されている。ジアンカーナを誰が殺害したのかは謎だが、夜遅くに部屋へ招き入れていること、健康上の理由から彼はスパイスを使った食べ物を口にしなかったのだが、ソーセージの胡椒炒めを料理していたことから、射殺に彼の信頼している人物が関係していると推測する人は少なくない。(注1)ハートランド理論でマッキンダーは世界を3つの地域に分けて考えていた。ヨーロッパ、アジア、アフリカの「世界島」、イギリスや日本を含む「沖合諸島」、そして南北アメリカやオーストラリアのような「遠方諸島」だ。「世界島」の中心が「ハートランド」で、具体的にはロシアを指している。 広大な領土、豊富な天然資源、そして多くの人口を抱えるロシアを締め上げるため、西ヨーロッパ、パレスチナ、サウジアラビア、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ「内部三日月帯」を、その外側に「外部三日月地帯」をマッキンダーは想定した。パレスチナにイスラエルを作った理由のひとつはこの辺にあるだろう。(注2)Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012(注3)長谷川潔訳『英和対訳ケネディ大統領演説集』南雲堂、2007年
2016.03.22
バラク・オバマ米大統領がキューバを訪問したという。勿論、真の友好関係を望んでいるわけではないだろう。オバマを操っているアメリカの支配層は全世界で意に沿わない体制、政権を倒そうとしている。例えば、ユーゴスラビアはアメリカ軍の別働隊とも言えるNATOを使い、アフガニスタンやイラクはアメリカ軍による直接的な軍事侵略で破壊された。最近は2種類の傭兵を侵略に使っている。つまり、アメリカの傭兵会社から戦闘員を雇ったり、「アル・カイダ」という戦闘員の登録リスト(注1)を使って武装集団を編成、侵略させている。 アメリカ支配層のラテン・アメリカ支配は1898年から始まる。先住民の殲滅を終えた彼らは南への侵略を目論み、キューバのハバナ港に停泊していたアメリカの軍艦「メイン号」の爆沈を利用してスペインと戦争を開始、植民地を手に入れたわけである。 スペインが南アメリカを侵略、財宝を奪い、ボリビアのポトシ銀山などを支配し、膨大な量の金や銀をスペインへ持ち帰り始めたのは16世紀。こうして奪った富や十字軍が盗んだ中東/北アフリカの知識がなければ、ヨーロッパの「繁栄」はなかっただろう。資本主義は強奪の上に成り立っている。そうした富の源泉にアメリカの支配層は目をつけたわけだ。 スペインとの戦争で勝利したアメリカはキューバの「独立」を認めさせ、さらにプエルトリコ、グアム、フィリピンを買収する。この年、ハワイも支配下においた。フィリピンは中国市場へ乗り込む橋頭堡になる。 その後、1901年9月に暗殺されたウィリアム・マッキンリー大統領を引き継いだセオドア・ルーズベルトはベネズエラへ内政干渉するなど「棍棒外交」を展開した。アメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドレー・バトラー少将は退役後に戦争を不正なカネ儲け、有り体に言えば押し込み強盗だと表現したが、そうした政策を自らが体験してのことだ。(注2) このセオドア・ルーズベルトが日露戦争の「和平会談」で仲介したのはロシア支配を目論んでいたからにほかならない。「明治維新」以降、アングロ・サクソンが日本を侵略の手先に使っていたことは本ブログで何度か指摘した。 アメリカの支配層はラテン・アメリカを支配するために現地の腐敗勢力と手を組み、富を搾り取り続けてきた。この仕組みを危うくする民主主義をアメリカの支配層が嫌い、海兵隊を送り込んだり、第2次世界大戦後はCIAが秘密工作を実行して民主的に選ばれた政権をクーデターで倒し、独裁体制を樹立させる。 例えば、アメリカの巨大企業、ユナイテッド・フルーツ(1970年にユナイテッド・ブランズ、84年からチキータ・ブランズに名称を変更)に支配され、「バナナ共和国」と呼ばれていたグアテマラでは、1954年にクーデターでヤコボ・アルベンス・グスマンを排除した。 グスマンは1950年11月に行われた選挙で勝利、翌年3月に大統領へ就任した人物。この事態に危機感を持った巨大資本はアメリカでロビー活動を開始、ジョン・フォスター・ダレス国務長官、アレン・ダレスCIA長官、ウォルター・ベデル・スミス国務次官が動く。ダレス兄弟の子分だったグアテマラ駐在大使のジョン・ピューリフォイはアルベンスの買収を試みて失敗、クーデターを実行することになった。 現地でクーデターを指揮したのはフランク・ウィズナー、その副官はチャールズ・トレイシー・バーンズ。ふたりともアレン・ダレスの側近で、ダレスと同じようにウォール街の弁護士。つまり巨大資本の代理人。ウィズナーは破壊工作(テロ)を目的とした極秘組織OPCを率いていた。 グアテマラの国民はクーデターに反発していたのでカウンター・クーデターという方法もあったのだが、軍人が買収されていたため、軍人と武器を扱いなれていない庶民との戦闘になることは明らかだった。元軍人のグスマンは内戦になると多くの庶民が犠牲になることを見通し、1954年6月に大統領官邸を離れるのだが、その判断が正しかったとは言い難い。 アメリカ支配層を後ろ盾とする独裁体制が成立すると労働組合の結成が禁止され、ユナイテッド・フルーツで組合活動の中心にいた7名の従業員が変死、コミュニストの疑いをかけられた数千名が逮捕され、その多くが拷問を受けたうえで殺害され、その後40年で殺された人の数は25万人に達するという。これがアメリカ流。その後もアメリカ支配層はラテン・アメリカで民主主義の芽を摘み続ける。 世界を新自由主義で支配する流れの始まりになったクーデターが1973年9月11日に実行されている。1970年の選挙で勝利、大統領になったサルバドール・アジェンデを排除することが目的だった。 クーデターはCIAの一部が秘密裏に実行したのだが、その黒幕は巨大資本の意向を受けたヘンリー・キッシンジャー。実行部隊を指揮したのはオーグスト・ピノチェト。クーデター政権ではアメリカの巨大資本にとって邪魔な人びとが粛清され、シカゴ大学のミルトン・フリードマン教授の「マネタリズム」に基づく政策を実行していく。その政策を実際に実行したのがいわゆる「シカゴ・ボーイズ」、つまりフリードマン教授やアーノルド・ハーバーガー教授といった経済学者の弟子たちだ。 こうした人びとは国有企業を私有化を進め、労働者を保護する法律を廃止、労働組合を禁止、そして外国からの投資を促進した。1977年になると軍事独裁政権は組織された反対勢力を一掃することに成功、79年には健康管理から年金、教育まで全てを私有化しようと試みている。こうした政策の中心にいたのが1979から財務大臣を務めたセルジオ・ド・カストロだ。(注3) 規制緩和でチリの民間部門は外国の金融機関から多額の資金を調達、債務危機の下地が作られていく。1982年にその危機が起こると外国の金融機関は銀行の「国有化」を求めてくる。国有化された彼らの債権は私有化された国有企業の株券と交換され、年金基金、電話会社、石油企業などチリの重要な企業を外国の投資家は格安のコストで支配することになった。(注4) 1999年にベネズエラの大統領に選ばれたウーゴ・チャベスもアメリカの巨大資本に嫌われていたひとり。2002年のクーデター計画では、イラン・コントラ事件でも登場するエリオット・エイブラムズ、キューバ系アメリカ人で1986年から89年にかけてベネズエラ駐在大使を務めたオットー・ライヒ、そして1981年から85年までのホンジュラス駐在大使で、後に国連大使にもなるジョン・ネグロポンテが黒幕だと言われている。この計画は、事前にOPECの事務局長を務めていたベネズエラ人のアリ・ロドリゲスからチャベスへ知らされたため、失敗に終わった。 WikiLeaksが公表したアメリカの外交文書によると、2006年にもベネズエラではクーデターが計画されている。「民主的機関」、つまりアメリカの支配システムに組み込まれた機関を強化し、チャベスの政治的な拠点に潜入、チャベス派を分裂させ、アメリカの重要なビジネスを保護し、チャベスを国際的に孤立させるとしている。 クーデターでチャベスを排除することにアメリカは失敗したが、2013年3月、チャベスは癌のため、58歳の若さで死亡する。その後継者になったのがマドゥーロ。そして今、アメリカ資本とつながる富裕層はマドゥーロを排除しようとしている。 2011年12月にチャベスはアメリカ政府が南アメリカの指導者を癌にしているのではないかと発言している。確かに、癌を誘発する物質やウイルスはあるようで、不可能なことではない。しかも、ここにきて「疑惑の人」が浮上している。チャベスの側近として食べ物やコーヒーなどを運んでいたレムシー・ビリャファニャ・サラサールだ。この人物は後にアメリカへ亡命、保護されている。(日本語訳) 2009年6月にはホンジュラスでクーデターがあり、マヌエル・セラヤ政権が倒されている。約100名の兵士が大統領官邸を襲撃し、セラヤ大統領を拉致してコスタ・リカへ連れ去ったのだ。このクーデターに少なくとも2名のSOA(注5)卒業生が中枢で活動している。 現在、アメリカ政府はホンジュラスのクーデター政権を容認しているのだが、現地のアメリカ大使館は国務省に対し、クーデターは軍、最高裁、そして国会が仕組んだ陰謀であり、違法で憲法にも違反していると報告している。つまり、クーデター政権には正当性がないと明言している。この正当性のない政権は翌2010年、最初の半年だけで約3000名を殺害したという報告がある。 クーデターを支援していたひとり、ミゲル・ファクセは麻薬取引が富の源泉であることもアメリカ側は認識していた。ちなみに、ミゲルの甥にあたるカルロス・フロレス・ファクセは1998年から2002年にかけてホンジュラスの大統領だった人物である。 こうしたことを続けているアメリカの支配層がキューバと友好的な関係を築こうとしているとは思えない。アメリカ支配層が根拠もなく拉致し、拷問、さらに殺害する場所にしているグアンタナモをキューバへ返還することから始めるのが当然だとする意見もある。革命を指揮したフィデル・カストロ、あるいはエルネスト・チェ・ゲバラの息子などはアメリカを信じていないようだが、当然だろう。(注1)1997年から2001年までイギリスの外相を務めたロビン・クックによると、アル・カイダとはCIAから訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルで、戦闘集団というわけではない。アル・カイダはアラビア語で「ベース」を意味、「データベース」の訳としても使われている。(注2) Smedley D. Butler, “War Is A Racket”, Round Tabel Press, 1935(注3)James S. Henry, “The Blood Bankers”, Four Walls Eights Windows, 2003(注4)James S. Henry, “The Blood Bankers”, Four Walls Eights Windows, 2003(注5)The School of the Americas。1946年にパナマで創設されて以来、ラテン・アメリカに多くの軍事政権を生み出してきた。この学校では、反乱鎮圧、狙撃訓練、ゲリラ戦、心理戦、情報活動、尋問テクニックなどを教え、卒業生は帰国してから反体制派、つまり巨大企業のカネ儲けに邪魔な人々を迫害、排除するために、拷問、レイプ、暗殺、誘拐、虐殺などを繰り返してきた。1984年にパナマから追い出され、2001年には名称がWHISEC(Western Hemisphere Institute for Security Cooperation)へ変更。
2016.03.21
アリゾナ州タクソンで開かれたドナルド・トランプの集会でアフリカ系の男性から殴られたコンビがいる。ひとりは星条旗模様のシャツを着たブライアン・サンダースという男性で、もうひとりはKKKのように白いフードを被り、ナチス式の敬礼をしながら歩いていた。サンダースによると、トランプのファシズム、人種差別、嘘、女性蔑視に抗議していたというのだが、殴りかかった男性から見れば、アフリカ系の人びとに対する挑発だったということだろう。 3月11日にイリノイ州シカゴで開かれた集会ではトランプの演説が妨害され、シークレット・サービスのエージェントがトランプを守るために壇上へ駆け上がるという事態になった。トランプはエージェントを制して演説を続けたが、その抗議を行ったのはムーブオンという団体で、投機家のジョージ・ソロスから資金を得ているという。リチャード・バーマンというワシントンのコンサルタントも反トランプの宣伝で重要な役割を果たしているようだ。 このムーブオンではトランプが女性や少数派への平等な権利を否定していると主張、「金曜日にシカゴで起こった暴力的な抗議活動」は、ヒラリー・クリントンかバーニー・サンダースを大統領にするために彼らがこれから行う同じような行動の前兆になるかもしれないとしている。サンダースはともかく、クリントンはウォール街の代理人として国民の生活を破壊し、世界規模で軍事侵略しようとしている。 トランプを特に嫌っているのがイスラエルの好戦派と一心同体のネオコン。トランプが大統領になった場合、イスラエルの対する多額の援助が減らされる可能性はある。ネオコンの中心的な存在でビクトリア・ヌランド米国務次官補の夫、ロバート・ケーガンは民主党のクリントンを支援しているが、これはネオコン全体の動きだ。 ちなみに、クリントンは巨大軍需企業のロッキード・マーチンから多額の資金を得ていることで知られ、NATO軍とペルシャ湾岸産油国の雇った戦闘集団がリビアのムアンマル・アル・カダフィを惨殺した際、「来た、見た、死んだ」とCBSのインタビューの中で口にしたことでも話題になった。平和的とは言い難い人物だ。 アメリカの議員は活動資金を得るだけでなく、個人的な富を築くためにイスラエル・ロビーを介してイスラエルへの忠誠を誓っている。ウォール街と深く結びついているクリントンは巨大資本の利益を第一に考えているはずで、本音ではTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)を支持しているだろう。この仕組みは巨大資本が国を支配できるようにすることが目的で、主権国家を否定することになる。 ところで、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトは1938年4月29日、ファシズムについて次のように定義している。 「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」 この定義に従えば、TPP、TTIP、TiSAはファシズム体制の別名とも言えるだろう。 こうしたファシズム体制を世界へ広めるためには自立した体制を破壊する必要がある。1991年12月にソ連が消滅したことを受け、92年初頭に国防総省でネオコン/シオニストが作成したDPGの草案は、アメリカの潜在的ライバル、つまり旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどがライバルに成長することを防ぎ、膨大な資源を抱える西南アジアを支配しようという内容になっていた。 最初に破壊、解体されたのはユーゴスラビア。その際にアメリカ支配層は「人権」を口実に使った。アフガニスタンでは「女性の人権」、イラクは「大量破壊兵器」、シリアやリビアでは「独裁者による民主化弾圧」。こうした口実で破壊と殺戮を繰り返してきた。 ウクライナでは選挙で合法的に選ばれた政権をアメリカ支配層(ネオコン/シオニスト)はネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を使ったクーデターで倒し、そのクーデターを受け入れないウクライナの東部や南部の人びとの抵抗を西側の政府やメディアは口汚く罵ってきた。勿論、憲法の規定は無視されたが、そのクーデターを「リベラル派」や「革新勢力」は支持している。 アメリカによる破壊と殺戮に協力している「友好国」には、奴隷制を維持している独裁国家のサウジアラビア、先住のパレスチナ人を弾圧している人種差別国家のイスラエル、言論の自由を否定しているトルコなどが含まれている。その破壊と殺戮を止めようとしてきたロシア政府も西側の政府やメディアから攻撃され、やはり西側の「リベラル派」や「革新勢力」は同調している。 ところで、アメリカの大統領選で「有力候補」と言われるためには、相当額の資金を投入する必要がある。昨年、民主党のヒラリー・クリントンが集めた寄付金は約1億1400万ドルだとされているが、本当の総額は不明だ。これだけの資金を庶民が集められるはずはなく、何らかの形で富を独占している支配層とつながっていなければ不可能だろう。民主党や共和党の候補者に「革命」を期待する方が無理な相談だ。 しかし、勿論、違いもある。トランプは富豪のひとりであり、買収することは難しく、それがネオコンに嫌われる原因。昨年10月、ブルームバーグTVの番組で世界貿易センターが倒壊したのはジョージ・W・ブッシュ政権の時だと発言、ブッシュ大統領と9/11との関係を示唆したと感じた人もいたようだ。そうしたひとりが番組の司会者にほかならない。トランプが大統領になり、隠されてきた9/11に関する情報が開示されたり再調査される事態になることを恐れている人もいるだろう。 この9/11を利用してネオコンは実権を握り、アメリカ国内でファシズム化を促進、国外では軍事侵略を繰り返してきた。自立した体制を破壊してきたのだ。トランプはそうした支配層のファしずく化プロジェクトを明らかにする可能性がある。
2016.03.20
サウジアラビアはイエメンでも苦境に陥っている。フーシ派(アンサール・アラー)を倒すために軍事侵攻したのだが、泥沼から抜け出せない状態だ。侵攻勢力はアメリカの傭兵会社アカデミ(旧社名はブラックウォーター)の傭兵を雇ったが、今年1月17日にサウジが主導する司令部が攻撃されて120名以上の傭兵が死亡、その中にはアメリカ人も含まれていた。31日の戦闘では約200名のスーダン人傭兵が死亡、新たな司令官として赴任していたアメリカ人のニコラス・ペトラス大佐も戦死している。 そうした戦況だということもあり、2月9日にアカデミはイエメンからの撤退を決め、ダインコープが新たに部隊を派遣することになったようだ。その雇い主はアラブ首長国連邦で、30億ドルが支払われるという。 この傭兵会社を所有しているのは投資会社のケルベロス(地獄の門を守る犬)。創業者はイスラエル系のステファン・フェインバーグで、ジョージ・H・W・ブッシュ政権で副大統領を務めたダン・クエールも経営に参加している。イエメンへの侵略にはイスラエル軍も参加している。 ところで、サウジアラビアが空軍と特殊部隊をイエメンに派遣したのは2009年。アリ・アブドゥラ・サレーハ政権と戦っていたフーシ派(アンサール・アラー)を倒すことが目的だったが、この年、イエメンではAQAP(アラビア半島のアル・カイダ)が組織されている。本ブログでは何度も書いているように、アル・カイダとは傭兵のリストであり、その雇い主は主にサウジアラビアだ。 イエメンで戦闘が始まった原因は、アメリカ主導の連合軍によるイラクへの先制攻撃にあった。この攻撃に抗議するため、フーシ派のメンバーはモスクで反アメリカ、反イスラエルを唱和するようになり、政府は弾圧に乗り出す。首都のサヌアでは800名程度が逮捕される事態になり、戦闘が始まる。 イエメンでの戦闘を西側のメディアはフーシ派をイランの傀儡として描いているが、歴史的にフーシ派とイランとの関係は薄く、そうした話は単にサウジアラビアの侵略を正当化する口実に使われただけ。 サウジアラビアは兵器の威力で勝利しようとしているようで、アメリカから提供されたクラスター爆弾を使用している。MOAB(GBU-43/B)級の大規模な爆発も報告されているが、重量が約1万0300キログラム(2万2600ポンド)だという代物で、爆撃にはC-130輸送機などが使われるようである。が、当F-16戦闘機と見られるエンジンの音が聞こえるだけで、そうした輸送機は近くで目撃されていない。勿論、F-16にMOAGを積むことは不可能。そこで出てくるのが小型中性子爆弾説だ。イスラエルの核開発に関する内部告発をしたモルデカイ・バヌヌによると、1984年までにイスラエルは中性子爆弾を大量生産していたという。 こうした破壊力の兵器を使っていながら、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアなどの侵略勢力は劣勢。シリアと同じように、イエメンでも侵略戦争に失敗したようだが、これをどのように収めるかは大問題だ。
2016.03.19
本ブログでは何度も書いているように、アメリカ軍の情報機関DIAは、シリアに「穏健派」が事実上、存在しないことを承知している。この機関が2012年8月に作成した報告書の中で、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者/ワッハーブ派、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラと実態は同じだとしている)であり、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。 アメリカをはじめとする西側の政府やメディアはシリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すために「穏健派」を支援すると主張し続けているが、そうした勢力はないに等しく、結局、「過激派」を支援することになる。 その「過激派」とは、アル・ヌスラのようなアル・カイダ系の武装集団や、そこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)。2012年から14年までDIA局長を務めたマイケル・フリン中将はアル・ジャジーラのに対し、ダーイッシュの勢力が拡大したのはバラク・オバマ政権が決めた政策によると語っている。 ダーイッシュの歴史はイラクのサダム・フセイン体制がアメリカ主導の侵略軍に破壊された直後、2004年10月から始まる。当時はAQIと呼ばれた。2006年10月にAQIが中心になってISIが編成され、シリアでの戦闘に加わった13年4月からIS、ISIS、ISILなどと呼ばれはじめた。 ところで、AQIは「al-Qaeda in Iraq」という英語表記の略称。ISIは「Islamic State of Iraq」であり、ISISは「Islamic State in Iraq and Syria」、ISILは「The Islamic State of Iraq and the Levant」だ。ちなみに、ダーイッシュはアラビア語の略称(の日本語表記)。ちなみに、イスラエルの情報機関モサドは機関を意味するヘブライ語(の日本語表記)だが、英語表記にすると「Israel Secret Intelligence Service」。これを略すとISISになる。これは随分前から指摘されていたが、偶然以上の何かを感じさせる。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが2007年3月5日付けニューヨーカー誌に書いた記事よると、その段階でイスラエルはアメリカやサウジアラビアと手を組み、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始したという。 2011年3月にシリアで戦闘が始まるが、その段階からトルコが侵略の拠点を提供、今ではサウジアラビアとともに最も好戦的な国だ。サウジアラビアは石油利権の拡大とシーア派の殲滅が目的で、トルコはオスマン帝国の復活を妄想していると言われている。アメリカのネオコン/シオニストは1992年に世界制覇プランを国防総省のDPG草案(いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリン)という形で書き上げたが、それの実現を目指している。旧ソ連圏は勿論、西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、膨大な資源を抱える西南アジアを支配しようという計画だ。 ウォルフォウィッツ・ドクトリンが書かれる前年、1991年にそのポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)はイラク、シリア、イランを5年以内に殲滅すると語ったという。遅くともこの段階でネオコンはこの3カ国を侵略、破壊するつもりだ。その作戦を実現するために、2001年9月11日の攻撃は好都合だった。 このネオコンと一心同体の関係にある国がイスラエル。2013年9月、駐米イスラエル大使だったマイケル・オーレンはシリアのアサド体制よりアル・カイダの方がましだと語っている。オーレンはベンヤミン・ネタニヤフ首相の側近だ。今年1月19日には、INSS(国家安全保障研究所)で開かれた会議でモシェ・ヤーロン国防相がイランとISIS(IS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)ならば、ISISを私は選ぶと発言したという。
2016.03.18
最近、ある人物の経歴詐称が問題になっているらしい。「経営コンサルタント」という肩書きを使っているが、実際の生業はナレーター、コメンテイター、キャスターのように見える。ナレーターはともかく、日本のコメンテイターやキャスターは庶民を支配層が望む方向へ導くことが仕事。経歴を詐称したという人物には御誂え向きだ。 経歴から考えて、この「コンサルタント」は流暢な英語を話せるようで、和風の顔の日本人が整形手術でバタ臭い顔になったと言うだけではない。「本名」が本当に本名なのかどうかも明確でなく、この疑惑を伝えた週刊誌の信頼度もさほど高くないことを頭に入れておく必要があるだろう。 今回の問題で騒いでいる日本のマスコミは日米支配層のために働くプロパガンダ機関にすぎず、そのためには平然と嘘をつく。原発は安全であるかのように宣伝、事故が起こった後はその影響を隠し、侵略戦争を正当化するためにも嘘を繰り返してきた。彼らが成立させようとしているTPP(環太平洋連携協定)はTTIP(環大西洋貿易投資協定)やTiSA(新サービス貿易協定)とセットで、アメリカの巨大資本が国を支配するシステム(ファシズム体制)を作りあげる仕組みだ。 こうした犯罪的な嘘を平然とついているマスコミがひとりの人物の経歴詐称であたふたするとは珍妙だ。嘘を平然とつき、庶民を騙せなければ、少なくとも現在のマスコミに登場することはきわめて困難。今春、少しでも安倍晋三政権に批判的なテレビ出演者が粛清されたと話題になった。それに対し、安倍政権の意向に反しないコメントをする人物なら経歴を調べることすらしなかったのだろうか? マスコミだけでなく、企業がこの「コンサルタント」をCMに使っていることも興味深い。インテル、キリンビバレッジ、日産自動車、大和証券グループ、三菱自動車が使ったようだが、何も調べなかったのだろうか? ところで、安倍首相のマスコミへの恫喝が問題になったのは2001年のこと。この年の1月30日にNHKはETV特集「問われる戦時性暴力」を放送したのだが、その内容が安倍たちの政治的な圧力で改変されたとされているのだ。 この改変問題は裁判になり、2007年1月に東京高裁は判決を出した。それによると、松尾武放送総局長や野島直樹国会担当局長が国会議員などと接触、「その際、相手方から番組作りは公正・中立であるようにとの発言がなされた」ため、「松尾総局長らが相手方の発言を必要以上に重く受けとめ、その意図を忖度(そんたく)してできるだけ当たり障りのないような番組にすることを考えて試写に臨み、直接指示、修正を繰り返して改編が行われたものと認められる。」 松尾総局長と野島局長を呼び出したのは中川昭一や安倍で、「一方的な放送はするな」「公平で客観的な番組にするように」と求め、中川氏はやりとりの中で「それができないならやめてしまえ」などと放送中止を求める発言もしたと伝えられている。そうした会談を受け、松尾、野島、そして伊東律子番組制作局長が参加して「局長試写」が行われる。 2001年はネオコン/シオニストに担がれたジョージ・W・ブッシュが大統領に就任した年で、9月11日にはニューヨークの世界貿易センターやワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されている。その直後、調査らしい調査をしていない段階で実行したのは「アル・カイダ」だとブッシュ政権は断定、アフガニスタンやイラクを先制攻撃する口実に使った。この出来事とネオコン、イスラエル、サウジアラビアとの関係が指摘されていることは本ブログでも指摘してきた。 今回の「疑惑」とは関係ないが、一般的にカウンセラーやコンサルタントはアメリカ支配層が自国を含む世界の政府要人などを買収する際にも登場する。いわゆる「エコノミック・ヒットマン」だ。アメリカではロビーストもそうした工作を行う。
2016.03.18
ロシアは3月15日から戦闘機などを帰還させ始めたが、そうした中、トルコからシリアの北部や北西部で戦っているアル・ヌスラなど侵略部隊への物資輸送が行われ、それをロシア空軍機が攻撃して車両のほぼ全てを破壊したようだ。 ウラジミル・プーチン露大統領はシリアからロシア軍の主要部隊を撤退させると宣言したが、資金的な援助、武器/兵器の提供、軍事訓練のほか、攻撃能力も維持するとしている。戦闘部隊の規模を縮小するということで、侵略に対する反撃、あるいは今回のような兵站線への攻撃をやめることはないということだろう。日本のマスコミは、シリア政府がロシアの後ろ盾を失うという「希望的観測」を流していたが、正しくない。 侵略を主導してきたアメリカ/NATO、サウジアラビア/ペルシャ湾岸産油国、イスラエルは今でもバシャール・アル・アサド大統領を排除して傀儡政権を樹立、シリアを分割して支配、あるいはリビアのように破綻国家にしようとしている。アメリカ支配層に服従しない政権は許さないということ。その中でもトルコやサウジアラビアは軍事侵略による体制転覆をあくまでも目指している。 その好戦的な両国では体制が揺らぎ、シリアにおける和平の実現は自分たちの破滅に結びつきかねない。トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン政権は、情報機関が行っていた違法な物資の輸送を摘発したウブラフム・アイドゥン憲兵少将、ハムザ・ジェレポグル憲兵中将、ブルハネトゥン・ジュハングログル憲兵大佐を逮捕させ、言論弾圧はメディア乗っ取りという段階に達している。最近は政権に批判的な学者を言いがかりで逮捕した。すでに末期症状だ。 サウジアラビアは原油価格の下落による収入の減少で財政が悪化、同国の2014年における財政赤字は390億ドル、15年には980億ドルの赤字へ膨らんだという。状況に変化がなければ、同国の金融資産は5年以内に底をつくと予測されているが、そうなるとドルを支えているペトロダラーの仕組みが崩壊、投機市場も収縮して金融パニックになる可能性があるだろう。ワッハーブ派のカルト国家であるサウジアラビアの現体制が倒れた場合、カルトの信者が民主的な国を作る可能性は小さい。 原油の相場下落はアメリカとサウジアラビアがロシアを攻撃するために仕掛けたと言われている。WTI原油の場合、2014年6月に1バーレルあたり110ドル近かった価格が年末までに大きく値下がりし、年明け直後に50ドルを切り、今年1月15日には30ドルを割り込んだ。2014年9月11日にアメリカのジョン・ケリー国務長官とサウジアラビアのアブドラ国王が紅海の近くで会談した理由のひとつは相場下落の相談だったと推測されているのだが、ロシアの体制は揺らいでいない。 サウジアラビアの場合、アメリカのシェール・ガス/オイル業界を破壊することも目的だったと言われ、これは現実になっている。サウジアラビアとアメリカの利害が対立しているということ。1970年代からサウジアラビアはペトロダラーの仕組みを支える柱として機能、ドルを基軸通貨の地位に留める上で重要な役割を果たしてきた。アメリカにとってサウジアラビアはイスラエルと同じように中東/北アフリカの重要な友好国だったわけだが、その関係が揺らぎ始めたように見える。 イスラエルはシリアを空爆するなど侵略戦争に荷担していたが、現在は一時期のような積極性は見られない。1月19日、INSS(国家安全保障研究所)で開かれた会議の席上、イランとダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)ならば、ダーイッシュを選ぶと発言したイスラエルのモシェ・ヤーロン国防相は1月26日、トルコが盗掘石油の購入という形でダーイッシュに資金を提供していると非難したという。この1週間に状況を大きく変化させる出来事があったのだろうか? 2月10日になるとヘンリー・キッシンジャーがウラジミル・プーチン大統領と会談するためにロシアを訪問、22日にアメリカ政府とロシア政府は27日からシリアで停戦することで合意したと発表した。ロシアの要求通り、アル・カイダ系武装集団、ダーイッシュ、あるいは国連がテロリストと認定しているグループに対する攻撃は継続することが認められている。 ロシアを訪問しているイスラエルのルーベン・リブリン大統領はシリア情勢について、ロシアが撤退した後にイランやヒズボラの影響力が強まるのではないかと懸念を示したという。実際、イラン側は特殊部隊や狙撃手をシリアやイラクへ派遣するとしている。ネオコンをはじめとするアメリカの好戦派による露骨な世界制覇戦略はロシアと中国を結びつけただけでなく、中東ではイラン、シリア、イラクの関係を緊密にした。
2016.03.17
2011年3月11日に東電福島第一原発が事故を起こした後に福島県で甲状腺癌が増えているとする報告は少なくない。岡山大学の津田敏秀教授が発表した論文やテレビ朝日の報道ステーションによる報道だけではない。昨年5月18日に開かれた福島県県民健康調査検討委員会で配布された資料には次のような記述があることを、おしどりマコとケンのブログが伝えていた。「平成23年(2011年=引用者)10月に開始した先行調査(一巡目の検査)においては、震災時福島県にお住まいで概ね18歳以下であった全県民を対象に実施し約30万人が受診、これまでに112人が甲状腺がんの「悪性ないし悪性疑い」と判定、このうち、99人が手術を受け、乳頭がん95人、低分化がん3人、良性結節1人という確定診断が得られている。[平成27年3月31日現在] こうした検査結果に関しては、わが国の地域がん登録で把握されている甲状腺がんの罹患統計などから推定される有病数に比べて数十倍のオーダーで多い。」 少なからぬ子どもがリンパ節転移などのために甲状腺の手術を受ける事態になっているのだが、原発事故の影響を否定したい人びとは「過剰診療」を主張。それに対し、手術を行っている福島県立医大の鈴木真一教授は「とらなくても良いものはとっていない」と反論している。原発事故による影響はないという結論を維持するためには甲状腺癌が増えていることを否定しなければならず、そのためには過剰診療を主張するしかないということだろう。 黒田東彦日銀総裁を「ピーターパン」と揶揄する人が外国にはいる。黒田総裁の打ち出した「量的・質的金融緩和(異次元金融緩和)」が実体経済を好転させないことは明白で、「クレージー」と表現されていた。それに対し、彼は反省するどころか「飛べるかどうか疑った瞬間に永遠に飛べなくなってしまう」と日銀主催の国際会議で語ったのだ。原発事故でも「被害はない」ということを疑った瞬間に被害が現れるとでも思っているのだろうか? 患者数の増加はチェルノブイリ原発が事故を起こした後のパターンと似ているのだが、増え方は激しい。事故後に放出された放射性物質の量を考えると、そうしたことは当然。福島第一原発のケースの方が大幅に多かった可能性が高いのだ。 環境中に放出された放射性物質の総量は、1986年4月26日に起こったチェルノブイリ原発事故の1割程度にすぎない、あるいは約17%に相当すると発表されているが、算出の前提条件に問題があり、元原発技術者のアーニー・ガンダーセンは少なくともチェルノブイリ原発事故で漏洩した量の2〜5倍の放射性物質を福島第一原発は放出したと推測している。(アーニー・ガンダーセン著『福島第一原発』集英社新書) 放出量を算出する際、漏れた放射背物質は圧力抑制室(トーラス)の水で99%を除去できるとされていたようだが、実際はメルトダウンで格納容器は破壊され、圧力は急上昇してトーラスへ気体と固体の混合物は噴出、そのスピードは爆発的で、水は吹き飛ばされたはずと指摘されている。また燃料棒を溶かすほどの高温になっていたわけで、当然のことながら水は沸騰していたと推測されている。 いずれにしろ放射性物質を除去できるような状態ではなかったが、そもそも格納容器も破壊されていたようで、環境中へダイレクトに放射性物質は出ていたはず。チェルノブイリ原発事故より放出された放射性物質の量は6倍から10倍に達するとも考えられる。その後も放射性物質は止まらず、大気や太平洋を汚染しているとしか考えられない。 そうした総放出量の評価はともかく、住民が大量被曝したことは間違いない。原発の周辺の状況を徳田虎雄の息子で衆議院議員だった徳田毅は2011年4月17日、「オフィシャルブログ」(現在は削除されている)で次のように書いている: 「3月12日の1度目の水素爆発の際、2km離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。それは衣服や乗用車に付着した放射性物質により二次被曝するほどの高い数値だ。」 また、事故当時に双葉町の町長だった井戸川克隆は、心臓発作で死んだ多くの人を知っていると語っている。セシウムは筋肉に集まるようだが、心臓は筋肉の塊。福島には急死する人が沢山いて、その中には若い人も含まれているとも主張、東電の従業員も死んでいるとしているのだが、そうした話を報道したのは外国のメディアだった。 原発の敷地内で働く労働者の状況も深刻なようで、相当数の死者が出ているという話が医療関係者から出ている。敷地内で容態が悪化した作業員が現れるとすぐに敷地内から連れ出し、原発事故と無関係と言うようだ。高線量の放射性物質を環境中へ放出し続けている福島第一原発で被曝しながら作業する労働者を確保することは容易でなく、ホームレスを拉致同然に連れてきていることも世界の人びとへ伝えられている。だからこそ、作業員の募集に広域暴力団が介在してくるのだ。 放射能汚染の人体に対する影響が本格的に現れてくるのは被曝から20年から30年後。チェルノブイリ原発事故の場合は2006年から2016年のあたりからだと見られていたが、その前から深刻な報告されている。 ロシア科学アカデミー評議員のアレクセイ・V・ヤブロコフたちのグループがまとめた報告書『チェルノブイリ:大災害の人や環境に対する重大な影響』によると、1986年から2004年の期間に、事故が原因で死亡、あるいは生まれられなかった胎児は98万5000人に達する。癌や先天異常だけでなく、心臓病の急増や免疫力の低下が報告されている。 福島第一原発の事故による深刻な影響が早い段階から予想され、実際は予想を上回るペースで現れている。こうした現実を見ようとせず、被害を少しでも減らす努力をすべきだと警鐘を鳴らす人びとを攻撃するマスコミの罪は重い。
2016.03.16
ロシアのウラジミル・プーチン大統領は3月14日、シリアでの作戦は所期の目的を達成したとした上で、セルゲイ・ショイグ国防相に対してシリアに展開しているロシア軍の主要部隊を15日から撤退させるように命じたという。 アメリカ/NATO、サウジアラビア/ペルシャ湾岸産油国、イスラエルなどシリアを侵略してバシャール・アル・アサド体制を倒し、傀儡政権を樹立させようとしている勢力はアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を使い、2011年3月からシリアで戦争を開始、徐々に支配地域を広げていた。 西側の政府やメディアは「独裁者」のアサドが「民主化運動」を鎮圧するために「流血の弾圧」を行っていると宣伝していたが、そうした事実がないとする情報は早い段階から流れていた。シリア駐在のフランス大使だったエリック・シュバリエによると、実際は限られた抗議活動があっただけで、すぐに平穏な状況になっていたという。 その調査結果をシュバリエはパリへ報告したのだが、アラン・ジュペ外相は報告を無視しただけでなく、シリアのフランス大使館に電話して「流血の弾圧」があったと報告するように命じたという。当然、メディアもそうした現実を知っていたはず。その上で支配層のために偽情報を流したということだ。 その後も西側はシリア政府による「民主化運動の弾圧」を盛んに宣伝、その情報源としてダニー・デイエムなる人物やロンドンを拠点とする「SOHR(シリア人権監視所)」を使っている。 デイエムはシリア系イギリス人で、シリア政府による「流血の弾圧」を主張し、外国勢力の介入を求めていたのだが、2012年3月に化けの皮が剥がれる。「シリア軍の攻撃」を演出する様子を移した部分を含む映像がインターネット上へ流出してしまったのだ。 現在でも西側メディアに登場するSOHRは2006年に創設され、背後にはCIA、アメリカの反民主主義的な情報活動を内部告発したエドワード・スノーデンが所属していたブーズ・アレン・ハミルトン、プロパガンダ機関のラジオ・リバティが存在していると指摘されている。 デイエムにしろ、SOHRにしろ、シリア政府を悪魔化してリビアと同じようにNATOで空爆するため、その口実を作ることが役割だったのだろう。そのプロパガンダが失敗したわけだが、西側メディアはその後も偽情報を流し続ける。 2012年10月にはアメリカ国防総省からも150名程度のチームが秘密裏にヨルダンへ派遣されていることを認める発言が流れてきた。後にドイツのシュピーゲル誌は2012年の後半からヨルダンでFSA(自由シリア軍)を訓練していると伝え、イギリスのガーディアン紙はアメリカだけでなくイギリスやフランスも訓練に参加しているとしている。 西側ではFSAを反政府軍の「穏健派」の象徴として扱っているが、アメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)はそうした武装集団は存在しないとしている。2012年8月にDIAが作成した報告書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラと実態は同じだとしている)であり、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしているのだ。つまり、政府軍と戦っているのはアル・カイダ系の武装勢力だと言っている。 つまり「穏健派」の実態は「過激派」であり、アメリカ政府が方針を変えなければ、その勢力はシリア東部にサラフ主義の支配地を作りあげるとDIAは予測していた。実際、その通りになった。2012年8月当時にDIAの局長だったマイケル・フリン中将は退役後、アル・ジャジーラのに対してダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決定した政策によると語っている。 シリアでの戦闘を「内戦」と表現することも間違いだ。例えば、ジョージタウン大学のハイララー・ダウド教授によると、反政府軍のうちシリア人が占める割合は5%。残りの95パーセントは外国人傭兵だとしている。シリアの北部、トルコとの国境に近いコバニでの戦闘で死亡した74名の反政府軍兵士の場合、15名はウクライナ、8名はチェチェンの出身者だったとシリア政府側は主張している。死亡した戦闘員が携帯していた身分証明書で確認したという。ただ、全体としてみればサウジアラビア出身者が多いようだ。 2013年8月には政府軍が化学兵器で住民を殺したという話を西側は流す。その直後に現地を調査したキリスト教の聖職者マザー・アグネス・マリアムはいくつかの疑問を明らかにしている。例えば、攻撃が午前1時15分から3時頃(現地時間)にあったとされているにもかかわらず犠牲者がパジャマを着ていないのはなぜか、家で寝ていたなら誰かを特定することは容易なはずだが、明確になっていないのはなぜか、家族で寝ていたなら子どもだけが並べられているのは不自然ではないのか、親、特に母親はどこにいるのか、子どもたちの並べ方が不自然ではないか、同じ「遺体」が使い回されているのはなぜか、遺体をどこに埋葬したのかといったことだ。(PDF) 攻撃の直後、ロシアのビタリー・チュルキン国連大使はアメリカ側の主張を否定する情報を国連で示して報告書も提出、その中で反シリア政府軍が支配しているドーマから2発のミサイルが発射され、ゴータに着弾していることを示す文書や衛星写真が示されたとジャーナリストがフェースブックに書き込んでいる。 そのほか、化学兵器とサウジアラビアを結びつける記事も書かれ、12月になると、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュもこの問題に関する記事を発表、反政府軍はサリンの製造能力を持ち、実際に使った可能性があるとしている。また、国連の元兵器査察官のリチャード・ロイドとマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授も化学兵器をシリア政府軍が発射したとするアメリカ政府の主張を否定する報告書を公表している。ミサイルの性能を考えると、科学的に成り立たないという。 2013年8月の化学兵器使用について、トルコの国会議員エレン・エルデムらは捜査記録などに基づき、トルコ政府の責任を追及している。化学兵器の材料になる物質はトルコからシリアへ運び込まれ、そこでダーイッシュが調合して使ったというのだ。この事実を公表した後、エルデム議員らは起訴の脅しをかけられている。 この化学兵器話を口実にしてNATOがシリアを攻撃するのは決定的であるかのような話が流れ、9月3日には地中海からシリアへ向かって2発のミサイルが発射された。このミサイル発射はロシアの早期警戒システムがすぐに探知、その事実が公表されるが、ミサイルは途中で海へ落下してしまった。イスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だと発表しているが、ジャミングなど何らかの手段で落とされたのではないかと推測する人もいる。 その後も西側支配層はアサド政権を倒そうと必死。自分たちの利権を拡大するために傀儡政権を樹立、シリアを分割して弱体化、それぞれを侵略勢力が食い物にする、あるいはリビアのように破綻国家にしてしまうといったシナリオが流れている。ロシア軍が撤退した場合、そうした目論見が息を吹き返すと懸念する人もいるが、ロシア軍はタルトゥースの海軍基地やフメイミムの空軍基地は閉鎖せず、撤退期限も示されていない。 昨年9月30日に始まったロシア軍の空爆も「軍事演習レベル」のもので、小規模。また防空システムのS-400は配備されたままのはずで、T-90戦車も残されるだろう。また、地中海やカスピ海の艦船からミサイルで攻撃することも可能。アサド政権が「後ろ盾を失った」わけではない。西側支配層の中でシリアをあくまでも破壊した勢力はロシアが屈服したと宣伝、手下を使うのではなく、リビアのように軍事侵攻したいと思っているかもしれないが、今回の撤退決定は政治的なデモンストレーションと見るべきであり、そうしたことを行えば「第3次世界大戦」に発展する可能性がある状況に変化はない。
2016.03.15
2011年にNATOがLIFGなどアル・カイダ系武装集団と地上軍と利用した破壊したリビアは破綻国家になり、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)が影響力を強めている。このダーイッシュを率いているとされているアブ・バクル・アル・バグダディは現在、そのリビアにいるとする情報がある。LIFGのリーダーだったアブデル・ハキム・ベルハジも今ではダーイッシュの一員だという。 もっとも、アル・カイダにしろダーイッシュにしろ、西側支配層がつけたタグ、あるいは「御札」にすぎず、大した意味はない。アメリカ/NATO、サウジアラビア/ペルシャ湾岸産油国、イスラエルなどが手先として使ってきた武装集団がリビアへ移動しているというだけの話だ。そのリビアを欧米の支配層は支配、略奪しようとしている、つまり植民地化しようとしていると言われている。その手先として働いているとも言える。 昨年10月に彼を含むダーイッシュのメンバーを乗せた車列をイラク空軍機が爆撃、その際にアル・バグダディも重傷を負ったとされている。ダーイッシュ幹部の会議に出席するためだったという。イランでの報道によると、CIAとMIT(トルコの情報機関)は治療のためにアル・バグダディをラッカからトルコへ運び、そこからリビアのシルテへ運ばれたと報道されている。 アル・バグダディはリビアにいるとイランでは伝えられているが、ダーイッシュ側は今年2月にイラクのファルージャにいたと主張している。その際の様子だとする写真も公表されているのだが、明確でない。今のところ、彼はリビアにいる可能性が高いだろう。 そのリビアがアメリカの攻撃対象国になったのは2001年9月11日の後。当時、国防長官だったドナルド・ラムズフェルドの周辺が作成したリストにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランが載っていた。1991年にラムズフェルドと同じネオコン/シオニストのポール・ウォルフォウィッツが5年以内に殲滅するとしていた国はイラク、イラン、シリア。この3カ国もラムズフェルドに含まれているが、リビアをウォルフォウィッツは口にしていない。 シドニー・ブルメンソールからヒラリー・クリントンへ送られた2013年2月16日付けのメールには、12年9月11日にベンガジの領事館が襲撃されてクリストファー・スティーブンス大使を含むアメリカ人4名が殺された事件に関する情報が含まれている。前にも書いたように、フランスの情報機関からの情報として、その襲撃に必要な資金を提供したのはサウジアラビアの富豪だと書かれていた。攻撃を実行したのはサラフ主義者/ワッハーブ派の武装集団、アンサール・アル・シャリアだと言われている。 2011年2月にベンガジで戦闘が始まるが、その前からイギリスやフランスも積極的に動いていた。1988年から93年にかけてフランスの外相を務めたロラン・デュマによると、2009年にイギリスでシリア政府の転覆工作に加わらないかと声をかけられたという。声を掛けてきたふたりが誰かは語られていないが、ニコラ・サルコジ政権やフランソワ・オランド政権がシリアでの平和を望んでいないとデュマに判断させるような相手だったという。 シリア駐在のフランス大使だったエリック・シュバリエによると、西側のメディアやカタールのアル・ジャジーラがシリア政府が暴力的に参加者を弾圧していると伝えていた当時、実際は限られた抗議活動があったものの、すぐに平穏な状況になったことが調査で判明していたという。 ちなみに、2007年3月5日付けのニューヨーカー誌に掲載されたシーモア・ハーシュのレポートによると、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの3カ国が始めた秘密工作のターゲットはシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラだ。リビアは含まれていない。 シュバリエが調査結果をパリへ報告すると、アラン・ジュペ外相はそれを無視しただけでなく、シリアのフランス大使館に電話して「流血の弾圧」があったと報告するように命じたという。先に軍事侵略の計画があり、それを正当化するために「流血の弾圧」を宣伝していたのが実態だった。 リビアの体制転覆作戦は2010年には始動している。この年の10月、リビアで儀典局長を務めていたノウリ・メスマリが機密文書を携え、チュニジアを経由して家族と一緒にパリへ降り立ったのが幕開け。マスマリは治療を受けるという名目で出国、パリではコンコルド・ラファイエット・ホテルに宿泊、そこでフランスの情報機関員やニコラ・サルコジ大統領の側近たちと会談している。 11月にフランスは「通商代表団」をベンガジに派遣するが、その中には情報機関や軍のスタッフが含まれていた。現地ではメスマリから紹介されたリビア軍の将校と会ったようだ。リビア政府は会談の直後にマスマリに対する逮捕令状を出している。この月にはフランスとイギリスが相互防衛条約を結び、リビアへの軍事介入へ第一歩を踏み出した。 リビアも産油国であり、こうした動きに石油利権が絡んでいることは間違いないだろうが、それ以上に金も注目されている。2011年3月21日付けのフィナンシャル・タイムズ紙によると、リビアの中央銀行が保有する金の量は少なくとも143.8トン、現在の相場で換算すると65億ドル以上になるという。しかも、通常の国とは違い、その保管場所はリビア国内のようで、これを奪うためには軍事占領しなければならなかった。 ブルメンソールが2011年4月2日にヒラリーへ送ったメールにも143トンの金について書かれている。相当量の銀も保有、総評価額は70億ドル以上だとされている。ムアンマル・アル・カダフィはアフリカを自立させるために金貨ディナールをアフリカの基軸通貨にしようとしていたが、そのための金や銀だ。ディナールを発行するリビアの中央銀行は国営。私的な金融機関が支配する西側世界とは違い、政府を潰さない限りディナールを止めさせられない。 アル・カダフィがアフリカを自立させることを西側の支配層が恐れたのは、今でもアフリカを彼らは食い物にしているからだ。歴史的にフランスはアフリカに大きな利権を持っている。表面的には植民地でなくなっているが、実態は植民地だということ。これはアフリカ以外でも言える。アメリカの支配層が自立した国、自立した指導者を憎悪する理由でもある。 西側の経済システムは資本主義だが、その基本は富の独占。禁欲から変質した強欲が支配するシステムであり、庶民から富を搾り取る仕組みになっている。 富が偏在すれば社会は崩壊、経済も破綻する。そのシステムを続けるためには外部から略奪してくる必要があり、植民地は建設された。現在、西側の支配層は軍事侵略を本格化させる一方、さらに庶民から搾り取るための仕組みを作り上げ、国内の反対勢力を押さえ込むためにファシズム化を推進している。 しかし、そうした略奪は限界に近づいている。植民地体制の強化では間に合わず、国内での搾取を進め、そしてロシアや中国を侵略、略奪しようとしてるが、これはきわめて困難で、無理をすれば核戦争になる。ネオコンあたりはロシアや中国は核戦争を恐れて屈服すると思っているようだが、これは妄想だ。この狂った「予定」に危機感を持つ人が支配層にも増えてきている。
2016.03.14
トルコのアンカラで3月13日に大きな爆発があり、約27名が死亡、多くの負傷者が出ていると伝えられている。レジェップ・タイイップ・エルドアン政権は2011年3月からシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒す工作に協力、戦闘員の訓練施設を提供するだけでなく、武器/兵器を含む物資をシリアへ運び込む拠点となり、またシリアやイラクで侵略軍が盗掘した石油を受け入れ、売りさばいてきたが、そうした実態が広く知られるようになり、最近は事実を隠蔽するために言論弾圧を強化している。 しかし、インターネットの発達した今、情報をコントロールすることは難しく、国内でも反発が強まっていた。それを押さえ込むためにエルドアンは独裁色を強めているが、そうした中での爆破事件だ。事件の詳細は不明だが、2月24日にイスタンブールの警察が市内中心部での爆弾テロに対する警戒を強化するように呼びかける文書を出し、3月11日にはアメリカ大使館が「テロリスト」の攻撃をアメリカ国民に警告、アンカラのバフチェリエブレリ地区を避けるようにとしていた。この地区には政府が乗っ取ったザマン紙の本社もある。 民心が離反した国の政府は力尽くで人びとを押さえつけようとする。治安体制の強化だが、それを正当化するために爆破事件など何らかの「テロ」を実行することがある。例えば、コミュニストの力が強かったイタリアでは1960年代から80年代にかけて「極左」を装った爆破事件が繰り返されている。 いわゆる「緊張戦略」で、実行したのはグラディオ。イタリアにおける「NATOの秘密部隊」の名称で、イタリアの情報機関と緊密な関係にあった。その背後にいたのがアメリカの情報機関(ジェドバラ人脈)だ。 第2次世界大戦が終わった直後からアメリカではソ連を先制核攻撃しようという計画が練られ、1957年には300発の核爆弾をソ連の100年に落とす「ドロップショット作戦」を始動させている。テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授(経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスの息子)によると、1963年の後半にはソ連を先制核攻撃する予定になっていたという。その頃になれば、先制攻撃に必要なICBMを準備できると信じていたようだ。 こうした計画の裏では、CIAのアレン・ダレスや軍のライマン・レムニッツァーやカーティス・ルメイが蠢いていた。レムニッツァーは1955年から57年にかけて琉球民政長官を務め、60年には統合参謀本部議長に就任しているが、61年に大統領となったジョン・F・ケネディとは対立、議長の再任は拒否された。 キューバ政府を装ってアメリカで「テロ」を実行、それを口実にしてキューバへアメリカ軍が侵攻しようという「ノースウッズ作戦」をアメリカの好戦派は計画していたが、これをケネディ大統領は承認せず、1962年にレムニッツァーをヨーロッパへ追放、アメリカ欧州軍司令官に据える。1963年に彼はNATOヨーロッパ連合軍最高司令官に就任した。 1963年にNATOはサルディーニャ島に秘密基地を建設、秘密工作の拠点にする。この年の夏にCIAローマ支局長としてウィリアム・ハーベイがイタリア入り、彼の副官になるのがF・マーク・ワイアット。彼はCIAとグラディオの連絡役だったという。 そのワイアットによると、ケネディが暗殺される前、彼はダラス行き旅客機の中でハーベイと遭遇している。ワイアットの家族によると、生前、彼はハーベイがケネディ大統領の暗殺に関係していたと強く疑っていた。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015) トルコもNATO加盟国であり、秘密部隊が存在する。「灰色の狼」だ。昨年11月24日にトルコ軍のF-16がロシア軍のSu-24を撃墜、脱出した乗組員のひとりが殺害されているが、その実行者は「灰色の狼」のメンバーだった。1981年5月13日にサンピエトロ広場でローマ教皇ヨハネ・パウロ2世を銃撃したモハメト・アリ・アジャも「灰色の狼」に所属していた。 1970年代からグラディオの存在は指摘されていたが、1990年にはジュリオ・アンドレオッティ内閣がその存在を公的に確認している。その後、ギリシア、ドイツ、オランダ、ルクセンブルグ、ノルウェー、トルコ、スペインでも「NATOの秘密部隊」の存在が確認されたが、こうした国々に限らず、全てのNATO加盟国に存在している。( Daniele Ganser, “NATO’s Secret Armies”, Frank Cass, 2005)
2016.03.14
アメリカの大統領選で共和党の候補者指名争いでリードしているドナルド・トランプに対する攻撃が激しくなりつつある。3月11日にはイリノイ州シカゴで開かれた集会で演説が妨害され、シークレット・サービスのエージェントがトランプを守るために壇上へ駆け上がるという事態になった。 トランプはエージェントを制して演説を続けたが、その抗議を行ったのはムーブオンという団体で、投機家のジョージ・ソロスから資金を得ているという。この団体ではトランプが女性や少数派への平等な権利を否定していると主張、「金曜日にシカゴで起こった暴力的な抗議活動」は、政敵を撤退させ、ヒラリー・クリントンかバーニー・サンダースを大統領にするために彼らがこれから行う同じような行動の前兆になるかもしれないとしている。 この団体は自らの行動を「暴力的」と表現しているが、ライバル候補は一斉にトランプを非難、メディアも同調している。「暴力的な抗議活動」を実行した団体ではなく、その対象になった人物を攻撃しているわけだ。もし、戦争に反対している団体なら「テロリスト」だというタグを付けられ、家宅捜索、メンバー逮捕ということになっていても不思議ではない。 ムーブオンが容認しているヒラリー・クリントンは軍需企業や金融資本を後ろ盾にしている人物で、政策は好戦的。アメリカ軍が直接侵略するだけでなく、アル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)を手先として利用して破壊と殺戮を展開する戦略を支持、「カオスの女王」と呼ばれている。 そうした好戦的なヒラリーを批判する人は少なくない。2011年2月にはCIAで分析官を務めた経験のあるレイ・マクガバンは彼女がイラクやアフガニスタンへの軍事侵略をに賛成したことに抗議するため静かに立ち上がったところ、殴打された上、逮捕されてしまった。暴力を振るわれた痕跡はアザとして残っていた。勿論、このときにヒラリーに対し、有力メディアは批判らしい批判をしていない。この「二重基準」を批判する声もある。 トランプは「デマゴーグ」だと批判されている。「計算尽くの罵詈雑言」で人気を獲得したことは事実だろうが、政治家は多かれ少なかれそうした側面はある。その対象がロシア、イラン、イラク、シリア、中国といった国々やその首脳部だった場合、問題にならないだけだ。庶民の権利を主張する人たちへの攻撃も西側では容認されてきた。 現在、アメリカでトランプを最も警戒しているのはネオコン/シオニストだ。そのネオコンで中心グループに属しているロバート・ケーガン、つまりビクトリア・ヌランド米国務次官補の夫は民主党のヒラリー・クリントンを支援している。 ネオコンは以前から大きな影響力は持っていたが、ホワイトハウスで主導権を握ったのは2001年9月11日の出来事以来。その「9/11」とジョージ・W・ブッシュをトランプは絡めて語る。この攻撃をアフガニスタンの洞窟にいた人びとが実行したとする公式見解を信じていない人は少なくない。アメリカの一部支配層がサウジアラビアやイスラエルと手を組んで実行したと考えているひともいる。 しかも、トランプの外交政策は元DIA(国防情報局)局長のマイケル・フリンがアドバイスしているという。フリンが局長だった2012年8月にDIAはシリア情勢に関する報告書を政府に提出、その中で反シリア政府軍の主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラと実態は同じだとしている)であり、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとされている。しかも、退役後にフリン中将はアル・ジャジーラのに対し、ダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策によると語った。 「9/11」を利用し、アメリカの一部支配層は1980年代に始めたCOGプロジェクトを顕在化(ファシズム化)させ、1991年にネオコンが計画した軍事侵略を開始した。その過程でアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュを、ある時は過激な「敵役」、ある時は穏健な「味方」として利用してきた。トランプはこの流れを示唆している。 こうしたことに加え、ネオコンにとってトランプが厄介なのは、彼が富豪で買収が難しいということ。立場としては鳩山由紀夫と似ている。残された手段は脅し、そして最終手段は暗殺だろうが、トランプには軍や情報機関の一部、恐らく支配層の一部がついている可能性があり、簡単ではない。
2016.03.13
政府に乗っ取られたトルコのザマン紙はレジェップ・タイイップ・エルドアンの露骨な宣伝機関になったが、読者は急減している。乗っ取りの前は1日の販売部数が65万部だったが、今では6000部にすぎないという。99.4%減。ドイツでもアメリカ支配層の宣伝機関化したメディアに対する反発は強く、読者や視聴者が離れているというが、これほどではないだろう。 エルドアン政権はシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒すため、アル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)を支援してきたが、ネオコンのポール・ウォルフォウィッツは国防次官だった1991年にシリアを5年以内に殲滅すると口にしている。 クラークの発言は2007年10月だが、その年の3月5日付ニューヨーカー誌にシーモア・ハーシュは、アメリカがサウジアラビアやイスラエルと共同でシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始したと書いている。その手先がワッハーブ派/サラフ主義者だ。実際にシリアで先頭が始まるのは2011年3月。 トルコとダーイッシュとの関係は公然の秘密で、2014年10月2日にはジョー・バイデン米副大統領がハーバード大学で、シリアにおける「戦いは長くかつ困難なものとなる。この問題を作り出したのは中東におけるアメリカの同盟国、すなわちトルコ、サウジアラビア、UAEだ」と述べ、あまりにも多くの戦闘員に国境通過を許してしまい、いたずらにダーイッシュを増強させてしまったことをトルコのエルドアン大統領は後悔していたとも語っている。勿論、「後悔」などしていないが、トルコがダーイッシュを支援してきたことは事実。 シリアで先頭が始まった直後からトルコのインシルリク空軍基地は侵略軍の拠点で、アメリカの情報機関員や特殊部隊員、イギリスとフランスの特殊部隊員が戦闘員を軍事訓練しているとも伝えられている。 戦闘員はトルコやヨルダンなどからシリアへ侵入しているようだが、トルコが中心のようだ。そうした戦闘員が戦うために必要な物資を輸送するルート、つまり兵站線もトルコからシリアへ延びている。昨年9月30日にロシア軍が空爆を始めるまで、シリア北部の制空権はトルコ軍が握っていたので、この兵站線は守られていた。 トルコはダーイッシュなどがシリアやイラクで盗掘した石油を受け入れている。この密輸で黒幕的な役割を演じているのがエルドアン大統領の息子であるビラル。この人物が所有するBMZ社が盗掘石油を輸送、その背後にはジェネル・エネルギー社が存在していると言われ、現在イタリア当局からマネー・ロンダリングで捜査の対象になっている。 ダーイッシュなどへ物資を運ぶことをトルコは禁じている。そこで昨年1月に憲兵隊が摘発、その情報を写真とビデオ付きでジュムフリイェト紙は5月に報道した。その報復で昨年11月26日に同紙の編集長を含むふたりのジャーナリストを政権は逮捕、3月25日から裁判が始まるという。 11月28日には、違法な物資の輸送を摘発したウブラフム・アイドゥン憲兵少将、ハムザ・ジェレポグル憲兵中将、ブルハネトゥン・ジュハングログル憲兵大佐を政府は逮捕した。 この件では調査していたジャーナリストが変死している。2014年10月19日にイランのテレビ局、プレスTVの記者だったセレナ・シムが「自動車事故」で死亡している。死の前日、彼女はMITからスパイ扱いを受けたと言われている。生前、彼女はトルコからシリアへ戦闘員を運び込むためにWFP(世界食糧計画)やNGOのトラックが利用されている事実をつかみ、それを裏付ける映像を入手したと言われている。 昨年9月30日に始まったロシア軍の空爆で侵略勢力は窮地に陥った。トルコも例外でない。そこでロシア軍機をトルコ軍機が撃墜したのだが、それでロシアは怖じ気づかず、ミサイル巡洋艦のモスクワをシリアの海岸線近くへ移動させて防空体制を強化、さらに最新の防空システムS-400を配備し、約30機の戦闘機を「護衛」のために派遣してシリア北部の制空権を握る。アメリカが供給している対戦車ミサイルTOWに対抗できるT-90戦車もさらに配備した。最新鋭戦闘機のSu-35も送り込んでいるようだ。 ロシアとの関係を悪化させたトルコは経済的に苦しい状況で、粛清したはずの軍からも批判が出ている。トルコのエルドアン体制が崩壊するかもしれない。
2016.03.12
東京の下町がアメリカ軍の投下した焼夷弾で火の海になり、多くの住民が焼き殺されてから71年になる。約300機と言われるB29爆撃機による攻撃は1945年3月9日から10日日にかけて実行され、深川、城東、浅草などがターゲットになった。そうした地域の周囲に焼夷弾を落として火の壁をつくり、逃げ道を奪ってから攻撃、10万人、あるいはそれ以上とも言われる住民が殺された。 日本の軍需産業は中小企業が生産拠点となっていたからだとする人もいるが、軍需産業の中枢は大手企業の工場。そうした工場より庶民の住む地域が狙われていることから非武装の住民を殺すことが目的だったと推測、都市部の爆撃は「無差別」でなく、「計画的」だったとする人もいる。この作戦を指揮したアメリカ空軍のカーチス・ルメイは広島と長崎に対する原爆投下の責任者でもある。 原爆はソ連に対する恫喝だったという見方がある。西側支配層の中には第2次世界大戦中(あるいはそれ以前)からソ連を敵視していた勢力がいて、そのひとりがイギリスのウィンストン・チャーチル。本ブログでは何度も指摘しているように、チャーチルは首相時代にソ連を奇襲攻撃しようと考えていた。 1945年2月にヤルタでチャーチルはフランクリン・ルーズベルト米大統領やソ連のヨセフ・スターリン人民委員会議長と会談、その2カ月後にルーズベルトが執務中に急死、5月7日にドイツは降伏文書に調印した。その直後にチャーチルはJPS(合同作戦本部)に対してソ連へ軍事侵攻するための作戦を立案するように命令している。 そこで考え出されたのが「アンシンカブル作戦」で、7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦は参謀本部に拒否されて実行されず、チャーチルは7月26日に退陣する。 それでもチャーチルのソ連を破壊したいという願望は消えず、1946年3月5日にアメリカのミズーリ州フルトンで、「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで鉄のカーテンが大陸を横切って降ろされている」と演説、「冷戦」の幕開けを告げた。デイリー・メール紙によると、翌年の1947年にはアメリカのスタイルス・ブリッジス上院議員と会い、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んでいたという。 チャーチルが首相の座を降りる10日前、アメリカのニューメキシコ州でプルトニウム原爆の爆発実験(トリニティ実験)が行われ、8月6日に広島、そして9日に長崎へ原爆が投下されている。そのときの大統領はハリー・トルーマン。1944年の大統領選で民主党の幹部はルーズベルトと気心の知れた反ファシストのヘンリー・ウォーレスを外し、トルーマンを押し込んでいた。 このトルーマンに多額の資金を提供していたアブラハム・フェインバーグは有名なシオニストで、後にイスラエルの核兵器開発を資金面から支えることになる富豪のひとりだ。ルーズベルトの急死によって、アメリカ政府は反ファシストから反コミュニストへ切り替わった。なお、ルーズベルトがシオニストと緊密な関係にあったとする話はシオニスト側の宣伝だと言われている。 副大統領就任から80日余りでの大統領に昇格したトルーマンだが、この間、彼がルーズベルト大統領と会ったのは2度だけだ。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)ちなみに、チャーチルは父親の代からシオニストの黒幕、ロスチャイルドのカネにどっぷり浸かっている。 こうした背景を考えれば、トルーマンがマンハッタン計画を知らなかったとしても、彼を操っていた勢力は熟知していたと考えるべきだろう。トルーマンが原爆の広島や長崎への投下を承認したのは当然と言える。米英支配層の一部はすでにソ連との戦争を始めていたのだ。いや、ナチスをウォール街など西側の巨大資本が支援していたことを考えると、ドイツのソ連侵攻は西側の巨大資本が望んでいたことだと言えるだろう。1932年の大統領選挙でルーズベルトが勝利した後、JPモルガンなどウォール街の支配者たちは、ニューディール派を排除するためのクーデターを計画していた。これは本ブログで何度も指摘してきた。 第2次世界大戦後、アメリカは中国に国民党の政権を樹立させようとしていた。武器/兵器を提供するだけでなく、大戦中に破壊活動を目的として作られたジェドバラの人脈が中国でも秘密工作を実行しつつあった。その人脈は1948年にOPCを創設、中国では上海を拠点にしていた。 ところが、内戦はコミュニストが優勢になり、1949年1月には解放軍が北京に無血入城し、5月には上海を支配下におく。そして10月には中華人民共和国が成立した。こうした情勢になったことから、OPCは拠点を上海から日本へ移している。活動の中心は厚木基地だったと言われている。1949年には国鉄を舞台にした「怪事件」が起こった。つまり7月の「下山事件」と「三鷹事件」、8月の「松川事件」だ。 そして1950年6月に朝鮮戦争が勃発する。この戦争でもルメイは大規模な空爆を実施、朝鮮の78都市と数千の村を破壊、多くの市民を殺している。ルメイ自身の話では、3年間に人口の20%にあたる人を殺したという。大量殺戮としか言いようがない。 このルメイはソ連を先制核攻撃したがっていた。1949年に出されたJCS(統合参謀本部)の研究報告では、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とす(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)という内容が盛り込まれている。 アメリカが水爆の実験に成功した後、1954年にSAC(戦略空軍総司令部)は600から750発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を作成した。この年の終わりにはヨーロッパへ核兵器を配備している。 1956年にSACは核攻撃計画に関する報告書を作成する。この計画によると、ソ連、中国、東ヨーロッパの最重要目標には水爆が使われ、ソ連圏の大都市、つまり人口密集地帯に原爆を投下することになっていた。軍事目標を核兵器で攻撃しても周辺に住む多くの人びとが犠牲になるわけだが、市民の大量虐殺自体も目的だ。ちなみに、この当時のSAC司令官はルメイ。この人物、大量虐殺が好きなようだ。「核の傘」論は戯言にすぎないということでもある。 この計画で攻撃目標とされたのはモスクワ、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)、タリン(現在はエストニア)、キエフ(現在のウクライナ)といったソ連の都市だけでなく、ポーランドのワルシャワ、東ドイツの東ベルリン、チェコスロバキアのプラハ、ルーマニアのブカレスト、ブルガリアのソフィア、中国の北京が含まれていた。中国へは沖縄から攻撃する予定だったのだろう。実際、沖縄ではアメリカ軍が基地を建設、核兵器を持ち込んでいる。 アメリカによる沖縄の軍事基地化は1953年4月に公布/施行された布令109号「土地収用令」に基づいている。土地の強制接収は暴力的なもので、「銃剣とブルドーザー」で行われたと表現されている。 1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めたライマン・レムニッツァーは後に統合参謀本部議長に就任、ルメイを同じようにキューバへの軍事侵攻、ソ連への核攻撃を目論んでいた。第2次世界大戦の終盤、ルーズベルト大統領の意向を無視する形でアレン・ダレスたちとナチスの高官を保護する「サンライズ作戦」を実行した人物でもある。 レムニッツァーとルメイは、1961年にアメリカ大統領となったジョン・F・ケネディ大統領と激しく対立する。ケネディはキューバへアメリカ軍が軍事侵攻することを認めず、ミサイル危機を話し合いで解決してしまった。アメリカ軍がキューバ軍を装って「テロ」を繰り返し、キューバに軍事侵攻するというストーリーの「ノースウッズ作戦」も大統領に拒否され、ダレスをはじめとするCIA幹部は解任、レムニッツァーは議長の再任を認めず、NATOへ追放する。その後、「NATOの秘密部隊」は要人暗殺や擬装テロを繰り返すことになる。 レムニッツァーやルメイのような好戦派は1963年の後半がソ連を核攻撃するチャンスだと考えていた。先制攻撃に必要なICBMが準備できる見通しで、ソ連が追いつく前に戦争を始められると考えたわけだが、その年の6月にケネディ大統領はアメリカン大学の学位授与式(卒業式)でソ連との平和共存を訴える。ケネディ大統領がテキサス州ダラスで暗殺されたのは1963年11月のことだ。その翌年、日本政府はルメイに対し、「勲一等旭日大綬章」を授与している。
2016.03.11
アメリカ大統領選で民主党の候補者選びはヒラリー・クリントンを軸に動いている。昨年6月11日から14日かけてオーストリアで開催されたビルダーバーグの総会にヒラリーの旧友、ジム・メッシナが参加した時点で欧米支配層は彼女を最有力候補に選んだと言われていたので、予想通りの展開だと言えるだろう。 しかし、共和党の候補者選びは波乱のようだ。選挙戦の最中、アメリカ支配層のタブーである「9/11」に言及、ロシアと協調する姿勢を見せているドナルド・トランプが優勢で、ネオコン/シオニストは慌てているようだ。「9/11」はサウジアラビアやイスラエルがアメリカの一部支配層と手を組んで実行したと疑っている人は少なくない。この攻撃を利用してアメリカ支配層は国内でファシズム化、国外で軍事侵略を本格化させ、世界「全体」を巨大資本が直接支配する体制を樹立させようとしている。その「全体主義」に庶民は反発している。 アメリカでは議員の多くが多額の献金と引き替えにイスラエルへの忠誠を誓っていると言われているが、トランプはその忠誠を誓っていないという。ネオコンに嫌われる最大の理由だろう。 そうしたこともあり、ネオコンの中心的な存在でビクトリア・ヌランド米国務次官補の夫、ロバート・ケーガンは民主党のヒラリー・クリントンを支援していると伝えられている。本ブログでは何度も書いたことだが、彼女は巨大軍需企業のロッキード・マーチンと緊密な関係にある人物。好戦派に支えられた候補者だということになる。 そのヒラリーに信頼された友人で、クリントン家の顧問にもなっているシドニー・ブルメンソールのメール・アカウントがハッキングされ、4通のメールがロシア系メディアのロシア・トゥデーにリーク、報道された。2013年3月のことだ。 ヒラリーは2009年1月から13年2月まで国務長官を務めていたが、その当時、公的な通信に彼女の個人的なメール・サーバーを利用したことが15年3月に発覚して問題になる。その内容を国務省は公表、ロシア・トゥデーが公表した4通のうち長官時代の3通は本物だということが確認された。2012年9月12日付け、同年10月6日付け、同年12月10日付けだが、2013年2月16日付けのメールは長官を辞めた後のため、公表の対象になっていない。現在、その4通目が問題になっている。2012年9月11日にベンガジの領事館が襲撃されてクリストファー・スティーブンス大使を含むアメリカ人4名が殺された事件に関する情報が含まれているのだ。 襲撃の目的は明確でない(サウジ系とカタール系の対立との説もある)が、実行したのはサラフ主義者/ワッハーブ派の武装集団、アンサール・アル・シャリアだと言われている。フランスの情報機関からの情報として、その襲撃に必要な資金を提供したのはサウジアラビアの富豪だとメールには書かれている。その情報をクリントンは隠した。勿論、アメリカ支配層に属すほかの人びとも彼女と同じだろう。 アフリカのマリではアル・カイダ系武装集団AQIMが活動している。そのAQIMとサウジアラビアの金主は2012年7月から8月にかけて南ヨーロッパで接触、モーリタニアでカネの受け渡しがあり、そのカネがアンサール・アル・シャリアやその同盟組織へ流れ、戦闘員を雇ったり武器弾薬を購入するために使われたという。 ベンガジの領事館が襲撃される前月、2012年8月にアメリカ軍の情報機関DIAはシリア情勢に関する報告書を作成、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラと実態は同じだとしている)であり、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けている。 2011年10月にリビアでムアンマル・アル・カダフィ体制が倒された後、相当数の戦闘員が武器/兵器と一緒にシリアへ移動、一体化していた。リビアでアメリカ大使を殺害した集団をシリアでアメリカ政府は支援、その武装勢力を操っているサウジアラビアをアメリカ政府は友好国と見なしているわけだ。DIAの報告書が作成された当時にDIA局長だったマイケル・フリン中将はアル・ジャジーラに対し、ダーイッシュの勢力が拡大したのはバラク・オバマ政権が決めた政策によるとしている。 現在、サウジアラビアはトルコやイスラエルと同じように、シリアでの戦争を続けようとしている。ネオコンも同じだろう。シーモア・ハーシュは2007年3月5日付けニューヨーカー誌でアメリカ、サウジアラビア、イスラエルの三カ国がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始したと書いているが、この工作を続けようとしているのだろう。 アメリカの外交戦略はネオコンの強い影響を受けているが、そのネオコンで中心的な役割を果たしてきたひとり、ポール・ウォルフォウィッツは1991年にイラン、イラク、シリアの3カ国を5年以内に殲滅すると口にしていたという。当時、ウォルフォウィッツは国防次官だ。 イラン、イラク、シリアが狙われた理由はアメリカ支配層から自立していたからで、おそらく買収に失敗したのだろう。シオニストは「大イスラエル」、サウジアラビアはシーア派の殲滅、トルコはオスマン帝国の復活などを夢想しているようだが、石油利権は3者に共通しているだろう。ネオコンが夢見る世界制覇も石油支配がカギを握っている。
2016.03.10
トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン政権は今でもシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒そうと必死で、アル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)への支援を続け、言論統制を強化している。 その過程でトルコはロシアとの関係が悪化、シリアやイラクで盗掘した石油の輸送が難しくなっていることも加わり、経済的に苦しい状況だ。そうした中、トルコ政府は「難民問題」を演出、さらなる難民の流入を恐れるEUから66億ドルを「援助」として提供させることに成功したという。シリア領内に「難民キャンプ」を作り、侵略軍の「盾」にしようと目論んでいるとも言われている。 昨年10月7日から8日にかけてエルドアン大統領が来日した際、安倍晋三首相は「シリアの難民危機」で日本はトルコを支援すると確約したという。恐喝を助けるということなのだろうか? 11月13日には安倍首相がトルコを訪れてエルドアン大統領と首脳会談、両首脳は日本とトルコが共同で制作した映画「海難1890」を見たらしい。筆者はこの映画を見ていないが、映画の解説によると、1890年にあったエルトゥールル号の遭難事件とイラン・イラク戦争時の逸話を合体させた作品だという。 1890年といえば、日本が東アジア侵略を本格化させつつあった頃だ。薩摩藩と長州藩を中心とする新政府は1871年7月に廃藩置県を実施、中央集権体制に向かうが、その翌年に琉球国を潰して琉球藩を設置、79年に沖縄県を作る。琉球国を併合したわけだ。 新政府が琉球国を日本だと認識、あるいは当初から日本に併合しようと考えていたとするならば、琉球藩を設置してから廃藩置県という順番だったはず。常識的に考えると、廃藩置県を実施してから琉球国を併合しなければならない事情が生じたということになる。 カギを握る人物のひとりが1872年に来日したチャールズ・リ・ジェンダー。フランス系アメリカ人で厦門の領事を務めていた人物だ。彼は外務卿だった副島種臣に台湾への派兵を勧め、それ以降、1875年まで外務省の顧問を務めることになる。ちなみに、このアメリカ人は2003年に公開されたトム・クルーズ主演の映画「ザ・ラスト・サムライ」のモデルだとされている。(実態は映画と全く違っていたようだが。) 日本は1874年に台湾へ派兵するが、その口実として使われたのが1871年10月の宮古島漁民の難破事件。台湾に漂着した漁民の一部が殺されたとして日本政府は清に抗議、被害者に対する賠償や謝罪を要求、そして軍隊を台湾に送り込んだのだ。この口実を成立させるためには、宮古島が日本でなければならない。つまり琉球国を併合して日本にしなければならなかった。 台湾へ派兵した翌年、日本は軍艦を江華島へ派遣する。そこは李氏朝鮮の首都を守る要衝。挑発のために軍隊を送り込んだわけである。その結果、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功、無関税特権を認めさせ、釜山、仁川、元山を開港させている。条規の批准交換にル・ジェンダーも陪席したという。リ・ジェンダーは外務省の顧問を辞めた後も日本に滞在して大隈重信に助言、離日したのは1890年。その年から99年まで朝鮮王朝の王、高宗の顧問を務めた。 その当時、朝鮮では興宣大院君(高宗の父)と閔妃(高宗の妻)が対立していた。主導権を握っていたのは閔妃の一族である閔氏だったが、1894年に甲午農民戦争(東学党の乱)が起こり、その体制が揺らぐ。それを見た日本政府は「邦人保護」を名目にして軍隊を派遣、その一方で朝鮮政府の依頼で清も出兵して日清戦争につながった。この戦争に勝利した日本は1895年4月、「下関条約」に調印して大陸侵略の第一歩を記すことになる。 清の敗北で閔妃がロシアへ接近することを阻止するため、まず日本政府は閔妃を買収しようとして失敗、「強硬策」に転換した。アメリカの支配層が他国を侵略する場合、まず「エコノミック・ヒットマン」を派遣して買収を試み、それが失敗すると本当の暗殺者を派遣することになっている。その常道に従って日本も動いたことを状況は示している。強硬策=王妃殺害と考えるのが常識的だということだ。 王宮を襲撃した実行部隊は日本陸軍の600名と「壮士」と呼ばれる民間人47名が参加したが、その作戦は三浦梧楼公使の独断だと言い張っている人もいるらしい。本当に独断で行われたなら、三浦がその後、枢密院顧問や宮中顧問官という要職につくことはなかっただろう。
2016.03.09
アメリカで行われている大統領選で、共和党の候補者争いでトップを走っているのはドナルド・トランプである。これまで共和党の議員や大統領選びで大きな影響力を及ぼしてきたのはラスベガス・サンズを所有、日本の政治家とも関係の深いネオコン/シオニストのシェルダン・アデルソンだが、トランプはネオコンから嫌われている。ロイターによると、そのトランプに外交政策のアドバイスをしているのは前DIA(国防情報局)局長のマイケル・フリンだという。 本ブログでは何度も指摘しているように、フリンが局長だった時代、つまり2012年8月にDIAはシリア情勢に関する報告書を政府に提出している。反シリア政府軍の主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラと実態は同じだとしている)であり、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。 シリアのバシャール・アル・アサド体制の打倒を目指すバラク・オバマ政権は傭兵を使う。その戦闘集団に「穏健派」というタグをつけ、支援していたのだが、その「穏健派」の実態は「過激派」だとDIAは警告、アメリカ政府が方針を変えなければ、その勢力はシリア東部にサラフ主義の支配地を作りあげると予測していた。実際、その通りになり、それをロシア軍が敗走させているのだ。退役後、フリン中将はアル・ジャジーラのに対し、ダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策によると語っている。 2015年2月にはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官もCNNの番組でアメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたと主張していたほか、2011年10月から15年9月まで統合参謀本部議長を務めていたマーチン・デンプシー陸軍大将はダーイッシュを危険であり、オバマ政権の政策を危ういと判断したいた。 1991年にネオコンのポール・ウォルフォウィッツ国防次官はイラク、シリア、イランを5年以内に殲滅すると語ったというが、実際にイラクを先制攻撃したのは2003年。ジョージ・W・ブッシュ政権は2002年に開戦する予定だったが、統合参謀本部の幹部が抵抗して約1年、延期された。大義がなく、作戦が無謀だという理由だった。戦争犯罪人になりたくないという気持ちもあったのだろう。 イラク侵攻に批判的だった将軍には、例えば、グレグ・ニューボルド中将、エリック・シンセキ陸軍参謀総長、アンソニー・ジニー元中央軍司令官、ポール・イートン少将、ジョン・バチステ少将、チャールズ・スワンナック少将、ジョン・リッグス少将などがいる。 ネオコンやズビグネフ・ブレジンスキーの人脈は最終的にロシアを侵略、支配するつもりで、ジョセフ・ダンフォード現統合参謀本部議長はロシアを敵だと公言しているが、フリン中将たちはロシアと手を組み、ダーイッシュのような武装集団と戦うべきだと考えている。ネオコンが最も恐れているのは「9/11」に関する情報が外へ出てくることだと推測する人は少なくない。
2016.03.08
アメリカ軍はシリアへB-52戦略爆撃機の派遣を検討しているようだが、現在でもアメリカ支配層はシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒すことが最優先のはずで、その攻撃目標はシリア軍やその援軍ということになるだろう。そもそも、アメリカ軍はシリアの要請を受けて軍事介入したわけでなく、最初から侵略以外の何ものでもない。 シリアでアメリカが空爆を始めたのは、2014年9月23日のこと。その様子を取材したCNNのアーワ・デイモンは翌朝の放送で、最初の攻撃で破壊されたビルはその15から20日前から蛻の殻だったと伝えている。その後もアル・カイダ系武装勢力やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)を本気で攻撃していないようで、そうした勢力は支配地を拡大させていた。 アメリカ政府はアサド体制を倒すために「穏健派」を支援するとしていたが、2012年8月にアメリカ軍の情報機関DIAがバラク・オバマ政権に提出したシリアの反政府軍に関する報告書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラと実態は同じだとしている)であり、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているのが実態だった。 本ブログでは何度も書いてきたが、西側の政府やメディアが宣伝していた「穏健派」は幻影にすぎないということだ。そこで、DIAはアメリカ政府が方針を変えなければ、その勢力はシリア東部にサラフ主義の支配地を作りあげると警告していたが、実際、その通りになった。報告書が作成された当時にDIA局長を務めていたマイケル・フリン中将はアル・ジャジーラに対し、ダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策によるとしている。2015年2月にはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官がCNNの番組でアメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたとも語っていた。アメリカ軍は「テロとの戦争」が戯言だと認識した上で政府の命令に従って作戦を実行してきたわけだ。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、2011年10月から15年9月まで統合参謀本部議長を務めたマーチン・デンプシー陸軍大将はアル・カイダ系の武装集団やそこから派生したダーイッシュを最も危険だと考えていたが、オバマ大統領はその警告に耳を貸さず、アサド排除に執着していた。そこで仕方なく、2013年秋からアル・カイダ系武装集団やダーイッシュに関する情報をアメリカ軍は独断でシリア政府へ伝え始めたという。ロシア軍の空爆開始はデンプシーが議長を辞めた直後、9月30日だ。 ロシア軍は戦闘爆撃機だけでなく、早い段階にカスピ海の艦船から26基の巡航ミサイルを発射、全てのミサイルが約1500キロメートル離れた場所にあるターゲットに2.5メートル以内の誤差で命中したとされている。その後、地中海に配置されている潜水艦からもミサイル攻撃を実施したという。 ロシア軍の空爆が効果をあげ、戦闘能力への評価や信頼度が高まる中、アメリカ軍も燃料輸送車を攻撃するのだが、盗掘した石油の輸送に携わっている「善良なドライバー」を殺さないため、攻撃を開始する約45分前に空爆の実施を知らせ、トラックから速やかに離れるように警告するパンフレットをまくという茶番を演じた。しかも、アメリカの有力メディアはロシア軍が公表した石油関連施設の破壊や燃料輸送車への攻撃を撮影した映像をアメリカ軍によるものとして公表していた。 西側の手先としてシリアを侵略していたアル・カイダ系武装集団やダーイッシュが敗走しはじめると、トルコ政府やその黒幕はロシア軍による空爆を止めさせようと考えただろう。内部告発支援グループのWikiLeaksによると、レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は10月10日にロシア軍機の撃墜を計画したという。 その後、11月17日にロシアの旅客機がシナイ半島で撃墜され、11月24日にロシア軍のSu-24をトルコ軍のF-16が待ち伏せ攻撃で撃ち落としたが、これでロシア軍は引き下がらなかった。即座にミサイル巡洋艦のモスクワをシリアの海岸線近くへ移動させて防空体制を強化、さらに最新の防空システムであるS-400を配備し、戦闘機を増派してシリア北部の制空権を握ってしまった。地中海には潜水艦も配備、対戦車ミサイルTOWに対抗できるロシア製のT-90戦車も増やした。 ネオコン/シオニストなどアメリカの好戦派は1991年12月にソ連が消滅して以来、自分たちに対してロシア軍は手出しできないと思い込んできた。例えば、アメリカ支配層に近いフォーリン・アフェアーズ誌は2006年3月/4月号でキール・リーバーとダリル・プレスの論文「未来のための変革と再編」を掲載したが、そこではロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できると主張されていた。その翌年、ニューヨーカー誌でハーシュは、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアはシリアやイラン、そしてレバノンのヒズボラに対するにした秘密工作を始めたと書いている。 シリアにおける攻撃によってロシア軍の戦闘能力は高いことが明らかになり、「脅せば屈する」という戦術がロシアには通用しないことも明白になった。アル・カイダ系武装集団やダーイッシュなどの傭兵では太刀打ちできないということだ。 そうした状況の中、1月22日にアシュトン・カーター国防長官は陸軍第101空挺師団に所属する1800名をイラクのモスルやシリアのラッカへ派遣すると語り、その翌日にはジョー・バイデン米副大統領が訪問先のトルコで、アメリカとトルコはシリアで続いている戦闘を軍事的に解決する用意があると語っている。 ところが、手先の地上部隊が予想以上のスピードで敗走、アメリカ政府は戦闘態勢を立て直す時間を稼ぐために停戦の話し合いに乗るが、ワシントン・ポスト紙でさえ、アレッポを政府軍がおさえたことで戦争自体の決着がついた可能性があると報道する状態になってしまう。そこで国連主導の和平交渉は2月3日に中断した。 その後、ロシア側の意向、つまりアル・カイダ系武装集団、ダーイッシュ、あるいは国連がテロリストと認定しているグループに対する攻撃は継続することを認めるという条件で停戦した。 そうした中、サウジアラビアはシリアの侵略軍へ地対空ミサイルを供給する動きを見せる一方でイエメンでの停戦を模索、トルコは相変わらずロシアを挑発、言論統制を強めている。シリア側からトルコを砲撃するという子どもだましの偽旗作戦も実行しているようだ。そうした子どもだましの話を西側の政府やメディアは叫び続けてきた。また「新たな真珠湾」を目論んでいるかもしれない。
2016.03.08
街の書店で本を買わなくなって久しい。理由は簡単で、欲しい本が手に入らないからである。インターネットが広がる前、必要な洋書があると出版社に手紙を書き、値段を聞いて為替を組んで送り、本を送ってもらっていた。本を手にするまでに2、3カ月は必要だったが、それでも大手書店を通じて購入するよりは早く、安く買えた。ある有名書店を介して頼んだ本が届くまでに1年以上かかったこともある。 その当時、1980年代は日本のマスコミが急速に腐敗した時期でもある。いわゆる「バブル」でカネ回りが良くなり、マスコミは広告収入で潤っていた。記事や番組の中身には関係なくスポンサーがつく状態で、手間暇をかけるより手を抜いた方がトラブルのリスクは小さく、「コストパフォーマンス」が良いと経営陣は判断していたようだ。体制に批判的なメディアを支えていた総会屋が粛清されたことも大きい。日本の言論とはその程度だったということでもある。 この時期は欧米でもメディアの劣化が進んだ。そのひとつの理由が印刷システムが大きく変化したこと。植字工が活字を拾う活版印刷からDTPなどコンピュータを使用した方式へ変更され、労働組合活動の先端を走っていた印刷工の組合が弱体化、体制色の濃い編集部門が主導権を握った影響を無視できない。 編集部門にも気骨のある人物はいて、例えば、ベトナム戦争でも一部のジャーナリストはアメリカ支配層の意に反する報道をしている。それに反発した支配層は1970年代からメディア支配を強化、権力者に立ち向かおうとする反骨精神旺盛な人びとが次々と排除され、規制緩和で巨大資本によるメディア支配が進められていった。 ウォーターゲート事件を追及した記者のひとりとして有名なカール・バーンスタインは1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、その直後にローリング・ストーン誌で「CIAとメディア」という記事を書いている。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)その記事によると、当時、400名以上のジャーナリストがCIAのために働き、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。 バーンスタインが働いていたワシントン・ポスト紙は情報統制と深く結びついている。アメリカの支配層は第2次世界大戦が終わって間もない1948年頃、「モッキンバード」と呼ばれる情報操作プログラムをスタートさせている。その中心人物は4名。大戦中からアメリカの情報活動を指揮していたアレン・ダレス、その側近で戦後は破壊工作を目的とする極秘機関OPCを指揮したフランク・ウィズナー、やはりダレスの側近で後にCIA長官となるリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムである。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979) ちなみにダレスとウィズナーはウォール街の弁護士、ヘルムズの祖父にあたるゲイツ・ホワイト・マクガラーは国際的な投資家で、グラハムの義父、つまりウォーターゲート事件で「言論の自由」を象徴する人物に祭り上げられているキャサリン・グラハムの実父であるユージン・メイアーは世界銀行の初代総裁だ。 この4名のほか、CBS社長のウィリアム・ペイリー、TIME/LIFEを発行していたヘンリー・ルース、ニューヨーク・タイムズの発行人だったアーサー・シュルツバーガー、クリスチャン・サイエンス・モニターの編集者だったジョセフ・ハリソン、フォーチュンやLIFEの発行人だったC・D・ジャクソンなどもモッキンバードの協力者だという。ジョン・F・ケネディ大統領暗殺の瞬間を撮影した「ザプルーダー・フィルム」を隠すように命じたのはC・D・ジャクソンである。 フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテも有力メディアとCIAとの関係を告発している。それによると、ドイツだけでなく多くの国のジャーナリストがCIAに買収され、例えば、人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開しているという。 ウルフコテは2014年2月にこの問題に関する本を出しているが、その前からメディアに登場し、告発に至った理由を説明していた。ジャーナリストとして過ごした25年の間に教わったことは、嘘をつき、裏切り、人びとに真実を知らせないことで、ドイツやアメリカのメディアがヨーロッパの人びとをロシアとの戦争へと導き、引き返すことのできない地点にさしかかっていることに危機感を抱いたようだ。西側、特にアメリカやイギリスの有力メディアに情報を頼ると、必然的に侵略戦争へと導かれることになる。 アメリカの支配層は第2次世界大戦の前からメディアを支配していた。1932年にウォール街と対立していたニューディール派を率いていたフランクリン・ルーズベルトが大統領に選ばれた後、金融界の大物たちはニューディール派を引きずり下ろし、ファシズム体制の政権を樹立するためにクーデターを計画した。その際、ルーズベルトは病気で職務に耐えられないというキャンペーンを目論んでいたとしていたという。これはスメドリー・バトラー少将が議会で証言、その記録が残っている。(本ブログでは何度も取り上げたので、今回は詳細を割愛する。) 米英の支配層は人心を操作するためにメディアを作り出した。有力紙の典型とも言えるイギリスのタイムズ紙を創刊したひとりはロスチャイルド財閥を後ろ盾としていたセシル・ローズ。同紙は一般に「エリート」と見なされている人びとを操るために使われ、センセーショナルな記事が特徴のデイリー・メールなどは「騙されやすい人びと」が対象だったという。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013) そうしたメディアが自分たちに刃向かうことを支配層は許せなかったと言える。日本での出来事を振り返ると、まず目につくには1972年の出来事。毎日新聞の政治部記者だった西山太吉と外務省の女性事務官が逮捕されたのだ。 沖縄の「返還」にともなう復元費用400万ドルはアメリカが自発的に払うことになっていたが、実際には日本が肩代わりする旨の密約の存在するという事実を西山は明らかにした。後にこの報道を裏付ける文書がアメリカの公文書館で発見され、返還交渉を外務省アメリカ局長として担当した吉野文六も密約の存在を認めている。 密約情報を西山は外務省の女性事務官から入手していた。マスコミは密約の内容よりも西山と女性事務官との関係に報道の焦点をあて、「ひそかに情を通じ」て情報を手に入れたとして西山を激しく攻撃する。 1974年1月の一審判決で西山は無罪、事務官は有罪になるのだが、2月から事務官夫妻は週刊誌やテレビへ登場し、「反西山」の立場から人びとの心情へ訴え始めた。真偽不明だが、この女性は自衛隊の某幹部に協力していた人物で、情報の漏洩自体が工作だったという噂がある。その後、反毎日キャンペーンをマスコミが展開、同紙の経営にダメージを与え、倒産の一因になったと見る人もいる。 沖縄の「返還」では別の密約が存在している。佐藤栄作首相の密使を務めた若泉敬によると、「重大な緊急事態が生じた際には、米国政府は、日本国政府と事前協議を行った上で、核兵器を沖縄に持ち込むこと、及び沖縄を通過する権利が認められることを必要とする」というアメリカ側の事情に対し、日本政府は「かかる事前協議が行われた場合には、遅滞なくそれらの必要をみたす」ということになっていたという。(若泉敬著『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』文藝春秋、1994年)当初、この話は隠されていた。 1987年5月3日に朝日新聞阪神支局が襲撃された事件も興味深い。散弾銃を持ち、目出し帽を被った人物が侵入、小尻知博を射殺し、犬飼兵衛記者に重傷を負わせたのである。「赤報隊」を名乗る人物、あるいは集団から犯行声明が出されていることから「赤報隊事件」とも呼ばれている。 この事件が引き起こされる4カ月前、朝日新聞東京本社に散弾2発が、また4カ月後には同紙の名古屋本社寮にも散弾が撃ち込まれ、1988年3月には静岡支局で爆破未遂事件があった。いずれの事件とも真相は未だに不明だ。その後、こうした事件がなくなったのは実行グループが効果を認めたからではないかという見方もある。つまり、マスコミは屈服したということ。 むのたけじは1991年に開かれた「新聞・放送・出版・写真・広告の分野で働く800人の団体」が主催する講演会の冒頭、「ジャーナリズムはとうにくたばった」と発言したという。その後、この団体からは疎んじられるようにようになったらしいが、この指摘は正しい。(むのたけじ著『希望は絶望のど真ん中に』岩波新書、2011年)
2016.03.07
東電福島第一原発がいわゆる「過酷事故」を起こしたのは今から5年前、2011年3月11日のことだった。環境中に放出された放射性物質の総量は、1986年4月26日に起こったチェルノブイリ原発事故の1割程度、後に約17%に相当すると発表されているが、算出の前提条件に問題があり、元原発技術者のアーニー・ガンダーセンは少なくともチェルノブイリ原発事故で漏洩した量の2〜5倍の放射性物質を福島第一原発は放出したと推測している。(アーニー・ガンダーセン著『福島第一原発』集英社新書) 放出量を算出する際、漏れた放射背物質は圧力抑制室(トーラス)の水で99%を除去できるとされていたようだが、実際はメルトダウンで格納容器は破壊され、圧力は急上昇してトーラスへ噴出した気体と固体の混合物は爆発的なスピードで、水は吹き飛ばされていたと指摘されている。 また、燃料棒を溶かすほどの高温になっていたわけで、当然のことながら水は沸騰していたはずで、放射性物質を除去できるような状態ではなかったとも言われている。そもそも格納容器も破壊されていたようで、環境中へダイレクトに放射性物質は出ていたはず。チェルノブイリ原発事故より放出された放射性物質の量は6倍から10倍に達するとも考えられる。 その後も放射性物質は止まらず、大気や太平洋を汚染しているとしか考えられない。事故当時、イスラエルのマグナBSPがセキュリティ・システムや原子炉を監視する立体映像カメラが原発内に設置されていた。これはエルサレム・ポスト紙やハーレツ紙が伝えている。事故後に残った50名には、事故の約3週間前にイスラエルでシステムに関する訓練を受けた2名も含まれていたという。 そうしたカメラが設置されていたものの、溶融した燃料棒がどのような状態になっているか不明だとされている。原発で爆発があった直後、政府や東電は上空から撮影した映像などから臨界状態になっていることを確認していた可能性が高いのだが、外部へは公表していない。内部の状況が判明しても発表することはないだろう。溶融した燃料棒は格納容器を突き抜けて地中へ潜り込み、それを冷やす形になっている地下水が放射性物質を海へ運んでいるとも考えられる。 2051年までに廃炉させることになっているようだが、東電福島第一原発の小野明所長でさえ、飛躍的な技術の進歩がない限り、不可能かもしれないと認めたという。イギリスのタイムズ紙は廃炉には200年が必要だとしているが、数百年はかかるだろうと推測する人は少なくない。2051年までに廃炉という主張はホラ話、あるいは妄想にすぎない。その間に新たな大地震、台風などによって原発が破壊されてより深刻な事態になることも考えられる。 東電福島第一原発の場合、放出された放射性物質の相当量は太平洋側へ流れたとされているが、それでも日本列島の汚染は深刻。原発の周辺の状況を徳田虎雄の息子で衆議院議員だった徳田毅は2011年4月17日、「オフィシャルブログ」(現在は削除されている)で次のように書いている: 「3月12日の1度目の水素爆発の際、2km離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。それは衣服や乗用車に付着した放射性物質により二次被曝するほどの高い数値だ。」 12日に爆発したのは1号機で、14日には3号機も爆発している。政府や東電はいずれも水素爆発だとしているが、3号機の場合は1号機と明らかに爆発の様子が違い、別の原因だと考える方が自然。15日には2号機で「異音」、また4号機の建屋で大きな爆発音があったという。 こうした爆発が原因で建屋の外で燃料棒の破片が見つかったと報道されているのだが、2011年7月28日に開かれたNRCの会合で、新炉局のゲイリー・ホラハン副局長は、発見された破片が炉心にあった燃料棒のものだと推測している。 NRCが会議を行った直後、8月1日に東京電力は1、2号機建屋西側の排気筒下部にある配管の付近で1万ミリシーベルト以上(つまり実際の数値は不明)の放射線量を計測したと発表、2日には1号機建屋2階の空調機室で5000ミリシーベル以上を計測したことを明らかにしている。 また、事故当時に双葉町の町長だった井戸川克隆は、心臓発作で死んだ多くの人を知っていると語っている。セシウムは筋肉に集まるようだが、心臓は筋肉の塊。福島には急死する人が沢山いて、その中には若い人も含まれているとも主張、東電の従業員も死んでいるとしているのだが、そうした話を報道すしたのは外国のメディアだった。 原発の敷地内で働く労働者の状況も深刻なようで、相当数の死者が出ているという話が医療関係者から出ている。敷地内で容態が悪化した作業員が現れるとすぐに敷地内から連れ出し、原発事故と無関係と言うようだ。高線量の放射性物質を環境中へ放出し続けている福島第一原発で被曝しながら作業する労働者を確保することは容易でなく、ホームレスを拉致同然に連れてきていることも世界の人びとへ伝えられている。だからこそ、作業員の募集に広域暴力団が介在してくるのだ。 福島第一原発が事故を起こす前、通常運転していた時代にも現場の作業は社会的な弱者に押しつけられていた。下請け労働者、生活困窮者、ホームレスといった人びとを危険な作業に就かせるという仕組みは原発の歴史と同じ長さを持っている。その間、放射線が原因だと疑われる病気で死亡したり、癌にかかった労働者は少なくない。 そうした現場へ労働者として入り込んで調べ、その実態を『原発ジプシー』(現代書館、1979年)として明らかにした堀江邦夫、被曝しながら働かされる労働者の写真を約40年にわたって撮り続けている樋口健二といったジャーナリストはいる。が、マスコミは総じて「安全神話」を広めることに熱心で、多くの人は知らんぷりしてきた。 ローリングストーン誌の日本語版で樋口は次のように語っている。「原発には政治屋、官僚、財界、学者、大マスコミが関わってる。それに司法と、人出し業の暴力団も絡んでるんだよ。電力会社は、原発をできればやめたいのよ。危ないし、文句ばっかり言われるし。でもなぜやめられないかといえば、原発を造ってる財閥にとって金のなる木だから。」「東芝はウェスティングハウスを買収、日立はGE、三菱はアレバとくっついて、『国際的に原発をやる』システムを作っちゃったんだ。電力会社からの元請けを三井、三菱、日立、住友と財閥系がやってて、その下には下請け、孫請け、ひ孫請け、人出し業。さらに人出し業が農民、漁民、被差別部落民、元炭坑労働者を含む労働者たちを抱えてる」「原発労働は差別だからね。」 放射能汚染の人体に対する影響が本格的に現れてくるのは被曝から20年から30年後。チェルノブイリ原発事故の場合は2006年から2016年のあたりからだと見られていたが、その前から深刻な報告されている。 ロシア科学アカデミー評議員のアレクセイ・V・ヤブロコフたちのグループがまとめた報告書『チェルノブイリ:大災害の人や環境に対する重大な影響』によると、1986年から2004年の期間に、事故が原因で死亡、あるいは生まれられなかった胎児は98万5000人に達する。癌や先天異常だけでなく、心臓病の急増や免疫力の低下が報告されている。 福島県の調査でも甲状腺癌の発生率が大きく上昇していると言わざるをえない状況。少なからぬ子どもがリンパ節転移などのために甲状腺の手術を受ける事態になっているのだが、原発事故の影響を否定したい人びとは「過剰診療」を主張している。 手術を行っている福島県立医大の鈴木真一教授は「とらなくても良いものはとっていない」と反論しているが、手術しなくても問題ないという「専門家」は、手術しなかった場合の結果に責任を持たなければならない。どのように責任をとるのかを明確にしておく必要がある。 事故直後、福島の沖にいたアメリカ海軍の空母ロナルド・レーガンに乗船していた乗組員にも甲状腺癌、睾丸癌、白血病、脳腫瘍といった症状が出ているようで、放射線の影響が疑われ、アメリカで訴訟になっている。カリフォルニアで先天性甲状腺機能低下症の子どもが増えているとする研究報告もある。 日本の原発問題は核兵器の開発と結びついている。これは情報機関員の間では常識になっているようで、CIAやNSAは監視を続けている。軍も積極的に賛成しているわけではない。CIA、NSA、アメリカ軍などを押さえ込む力のある勢力が日本の核開発に協力しているということだ。 ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、2011年3月11日の時点で日本は約70トンのプルトニウムを蓄積、平和的宇宙探査計画を高性能核兵器運搬手段を開発するための隠れ蓑にしたという。実際、佐藤栄作首相は核兵器の開発に乗り出していたことが判明し、そうした事実をIAEAは見て見ぬ振りをしてきた。 東電福島第一原発が事故を引き起こす3日前、つまり2011年3月8日付けのインディペンデント紙は石原慎太郎のインタビュー記事を掲載、その中で石原は外交力を核兵器と結びつけている。核兵器で威圧することが外交だというのだ。 東京電力は深刻な事故を起こした。環境を汚染し、少なからぬ人の健康を害しただけでなく、殺している可能性が高い。本来なら警察や検察は東電を家宅捜索し、重役など関係者から事情聴取しなければならない。経済産業省も捜査の対象になって当然。損害賠償も当たり前で、被害状況を考えれば倒産だ。そうしたことができなかったということは、日本が法治国家でないことを明確に示している。
2016.03.06
トルコの新聞、ザマンの経営権を政府が握った。昨年11月26日にはジュムフリイェト紙の編集長を含むふたりのジャーナリストが逮捕され、3月25日から裁判が始まる。トルコ政府は言論弾圧に拍車をかけていると言えるだろう。 ジュムフリイェト紙の場合、トルコからシリアの反政府軍、つまりアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)へ供給するための武器を満載したトラックを憲兵隊が昨年1月に摘発した出来事を写真とビデオ付きで5月に報道、その報復だと見られている。 報復は新聞社にとどまらず、レジェップ・タイイップ・エルドアン政権はウブラフム・アイドゥン憲兵少将、ハムザ・ジェレポグル憲兵中将、ブルハネトゥン・ジュハングログル憲兵大佐を昨年11月28日に逮捕した。シリアへ侵攻している武装集団を支える兵站線がトルコからシリアへ延び、それをトルコの軍や情報機関MITが守っている「国家機密」を明らかにすることは許さないということだ。 もっとも、この「国家機密」は「公然の秘密」でもある。例えば、2014年10月19日に 「自動車事故」で死亡したイランのテレビ局、プレスTVの記者だったセレナ・シムは死の前日、MITからスパイ扱いを受けたと言われている。その直前、彼女はトルコからシリアへ戦闘員を運び込むためにWFP(世界食糧計画)やNGOのトラックが利用されている事実をつかみ、それを裏付ける映像を入手したと言われている。 ジョー・バイデン米副大統領は2014年10月2日にハーバード大学で講演した際、シリアにおける「戦いは長くかつ困難なものとなる。この問題を作り出したのは中東におけるアメリカの同盟国、すなわちトルコ、サウジアラビア、UAEだ」と述べ、あまりにも多くの戦闘員に国境通過を許してしまい、いたずらにダーイッシュを増強させてしまったことをトルコのエルドアン大統領は後悔していたとも語っている。勿論、「後悔」などしていないが、トルコの責任は指摘している。 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官もCNNの番組で、アメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたと語っているが、友好国や同盟国にサウジアラビア、イスラエル、そしてトルコが含まれている可能性は高い。 また、2014年11月にはドイツのメディアDWもトルコからシリアへ食糧、衣類、武器、戦闘員などの物資がトラックで運び込まれ、その大半の行き先はダーイッシュだと見られていると伝えている。ロシア軍は上空から兵站線や盗掘石油の密輸ルートを撮影、公表しているが、それ以前からトルコとダーイッシュやアル・カイダ系武装集団との連携は指摘されていたのだ。 アメリカ政府の場合、遅くとも2012年8月にトルコとアル・カイダ系武装集団との関係は知っていた。アメリカ軍の情報機関DIAが作成した報告書の中で、シリアにおける反乱の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、AQIであり、反シリア政府軍を西側(アメリカ/NATO)、湾岸諸国、そしてトルコが支援しているとしている。 アメリカ政府はシリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すため、「穏健派」を支援するとしてきたが、事実上、「穏健派」はシリアの反政府勢力に存在しない。反シリア政府軍を支援すると言うことはアル・カイダ系武装集団を助けることを意味し、現在の状況は予想されていたのだ。文書が作成されたときにDIA局長だったマイケル・フリン中将は文書が本物だと認めた上で、そうした勢力をDIAの警告を無視して支援してきたのは政府の決定だとしている。 昨年10月7日から8日までの期間、エルドアン大統領は日本に滞在していた。ロシア軍機の撃墜を決める直前ということになる。その直前に「難民危機」が起こっているが、これはトルコ政府が演出したもの。EUへの脅しに使っている。この「危機」で日本はトルコを支援すると確約したらしい。 日本でアメリカ側の誰かと接触していた可能性もあるだろう。11月13日にはトルコのイスタンブールで安倍晋三首相はエルドアン大統領と首脳会談、その11日後にロシア軍機を撃墜した。トルコで両首脳は日本とトルコが共同で制作した映画「海難1890」を見たらしい。この当時、日本政府もトルコとダーイッシュなどとの連携を知っていたはずだ。 この公然の秘密をトルコ人が口にすることをトルコ政府は禁止したがっている。そのひとつの結果がメディアに対する攻撃だ。今回、エルドアン政権に乗っ取られたザマンは与党を支持していた新聞なのだが、独裁色を強める政府を批判するようになり、報復されたわけである。この乗っ取りに抗議する人びとに対し、警察隊は放水や催涙弾で鎮圧を図った。 現在、トルコ政府はサウジアラビア王室と共同でシリアを軍事侵攻する姿勢を見せて威圧、トルコ領内にある核兵器を盗み出す可能性が指摘されているほか、サウジアラビアは数年前に核兵器をパキスタンから購入したと間接的に表明している。 当初、トルコ政府は自分たちがNATO加盟国だという立場を利用、ロシアはNATO軍との衝突を避けるはずだという思い込みで強硬策を打ち出してきた。その思い込みは9月30日にロシア軍がシリアで空爆を始めた段階で崩れたのだが、それに気づかず、ロシア軍を追い払うために10月10日にロシア軍機の撃墜を計画する。 詳細は不明だが、11月17日にはロシアの旅客機がシナイ半島で撃墜され、11月24日にはロシア軍のSu-24をトルコ軍のF-16が撃墜している。トルコ政府はロシア軍機が領空を侵犯したと主張しているが、説得力がないことは本ブログで何度も書いた。11月24日から25日にかけてポール・セルバ米統合参謀本部副議長がトルコのアンカラを訪問、トルコ軍の幹部と討議した事実との関連性が話題になっている。 NATO軍の内部には、ロシア軍が反撃に出たら攻撃しようと構えていたグループもいそうだが、ロシアは別の手段を講じて反撃した。即座にミサイル巡洋艦のモスクワをシリアの海岸線近くへ移動させて防空体制を強化、さらに最新の防空システムであるS-400を配備し、戦闘機を増派してシリア北部の制空権を握ったのである。それ以降、シリアの領空を侵犯したら撃墜するという意思表示だ。さらに、対戦車ミサイルTOWに対抗できるロシア製のT-90戦車も増やし、シリア沖にいる世界で最も静かだという潜水艦がミサイルを発射してダーイッシュを攻撃したとも伝えられている。西側は沿岸に近づけない状態だという。 トルコのエルドアン政権はNATOを利用して自分たちの軍事的な野望を実現しようとしたが、思惑通りには進んでいないようだ。最大の理由はロシアが軍事的な脅しに屈せず、挑発に乗ってこないことにある。苦境に陥ったエルドアン政権は言論弾圧で乗り切ろうとしている。「日米同盟」を利用して自らの軍事的な野望を実現しようと目論み、自分たちにとって不都合な事実を隠すために「秘密保護法」を導入、言論の弾圧を強化する安倍政権とよく似ているが、両国のメディア自体は全く似ていない。トルコでは言論弾圧に抵抗する人びとがいるが、日本のマスコミは政府の政策に疑問を持つことさえなくなったように見える。勿論、そうした日本のマスコミを批判するためにアメリカの有力メディアを持ち出すことは、さらに救いがたい。彼らこそが偽情報を流す震源地であり、「嘘の帝国」を支える柱のひとつだ。
2016.03.05
このプロパガンダに失敗した侵略勢力は化学兵器の話を使おうとする。2013年8月21日にダマスカス郊外が化学兵器で攻撃されたが、西側の政府やメディアはシリア政府軍が使ったと宣伝、NATOを軍事介入させようとする。この主張が嘘だということはロシア政府だけでなく、現地のメディア、シーモア・ハーシュの報道、国連で兵器査察官を務めていたリチャード・ロイドとマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授の調査研究などで明確。昨年10月21日にはトルコの議員が公正発展党の事件への関与を指摘する報告書を公表した。勿論、公正発展党の最高実力者はレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領(2013年当時は首相)だ。 しかし、西側のメディアはNATOによるシリア攻撃は確定的であるかのように報道していた。そして2013年9月3日、地中海の中央から東へ向かって2発のミサイルが発射されている。 このミサイル発射はロシアの早期警戒システムがすぐに探知、明らかにされるが、ミサイルは途中で海へ落下してしまう。イスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だと発表しているが、ジャミングなど何らかの手段で落とされたのではないかと推測する人もいる。 ウクライナのクーデターでも西側の政府やメディアは偽情報を流し、2014年4月10日にはアメリカ軍のイージス駆逐艦ドナルド・クックが黒海へ入り、ロシアの領海近くを航行させて威嚇している。 それに対し、ロシアは電子戦用の機機を搭載したスホイ24を米艦の近くを飛ばしたのだが、その際、イージス・システムを機能不全にしたと言われている。その直後にドナルド・クックはルーマニアへ緊急寄港、それ以降はロシアの領海にアメリカの艦船は近づかなくなった。 昨年9月30日にはロシア軍がシリア政府の要請に基づいてシリア領内で空爆を開始、侵略部隊に大きなダメージを与え、トルコからシリアへ延びている兵站線を攻撃、シリアやイラクで盗掘した石油をトルコへ運ぶ燃料輸送車も爆撃している。この攻撃でロシア軍は武器/兵器の優秀さをアピール、西側はショックを受けたと言われている。先制第一撃でロシアや中国の反撃能力をなくすことは不可能であり、戦争になれば西側が敗れる可能性が高いとする分析が出てきたのだ。通常兵器で勝てないなら、戦略核兵器を使うことになる。それをネオコンは良しとしているようだが、そう考えない人が支配層にもいる。
2016.03.04
アメリカの支配層が国連に決別した背景には、自分たちの力に対する過信があった。例えば、外交問題評議会が発行、エリート層の機関紙とも言えるフォーリン・アフェアーズ誌に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文「未来のための変革と再編」の中で、ロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できると主張している。両国が保有する武器/兵器は時代遅れで、アメリカが装備している「近代兵器」の敵ではないと考えていたようだが、実際は違った。アメリカの兵器は単なる「高額兵器」にすぎなかったのである。 軍事力でアメリカがロシアや中国を圧倒しているとする分析が間違っていることをロシア軍はシリアやウクライナで明らかにしている。2011年2月にリビア、3月にシリアでアメリカ/NATO、サウジアラビア/ペルシャ湾岸産油国、イスラエルなどは侵略戦争を開始する。その手先になったのがアル・カイダ系の武装勢力やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)だということは本ブログで何度も指摘してきた。 この侵略戦争を西側の政府やメディアは「民主化運動の弾圧」だと主張してきた。そうしたストーリーをもっともらしく見せるために西側のメディアが使ったのはダニー・デイエムなる人物やロンドンを拠点とする「SOHR(シリア人権監視所)」。デイエムはシリア系イギリス人で、外国勢力、つまりNATOの介入を求めていた。 ちなみに、SOHRは2006年に創設され、背後にはCIA、アメリカの反民主主義的な情報活動を内部告発したエドワード・スノーデンが所属していたブーズ・アレン・ハミルトン、プロパガンダ機関のラジオ・リバティが存在していると指摘されている。 ところが、「シリア軍の攻撃」を演出する様子を移した部分を含む映像が2012年3月にインターネット上へ流出してしまい、嘘がばれる。リビアでは10月にムアンマル・アル・カダフィ体制がNATOとアル・カイダ系武装勢力LIFGの連合軍に倒された直後、反カダフィ勢力の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられ、その実態を少なからぬ人が理解した。(YouTube、デイリー・メイル紙) リビアでカダフィ体制が倒されると、戦闘員は武器/兵器と一緒にトルコ経由でシリアへ入る。その拠点になったのはベンガジにあったCIAの施設で、アメリカの国務省は黙認していた。その際、マークを消したNATOの輸送機が武器をリビアからトルコの基地まで運んだとも伝えられている。 ベンガジにはアメリカの領事館があるのだが、そこが2012年9月11日に襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使も殺された。スティーブンスは戦闘が始まってから2カ月後の2011年4月に特使としてリビアへ入る。11月にリビアを離れるが、翌年の5月には大使として戻っていた。領事館が襲撃される前日、大使は武器輸送の責任者だったCIAの人間と会談、襲撃の当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っていた。 アメリカはシリアへ増援部隊を派遣したわけだが、そうした中、2012年8月にアメリカ軍の情報機関DIAはシリア情勢に関する報告書を作成した。それによると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラと実態は同じだとしている)であり、西側、ペルシャ湾岸の諸国、そしてトルコの支援を受けているとしているが、その通りだ。事実上、「穏健派」は存在しないことをDIAも知っていた。 サウジアラビア、トルコ、イスラエルといった国々と同様、アメリカ政府はシリアのバシャール・アル・アサド体制の転覆を最優先し、その目的を実現するために「穏健派」を支援するとしていたが、その「穏健派」は幻影だということ。「穏健派支援」は「過激派支援」にほかならず、アメリカ政府が方針を変えなければ、シリア東部にサラフ主義の支配地ができあがると見通していた。実際、その通りになった。報告書が作成された当時にDIA局長だったマイケル・フリン中将はアル・ジャジーラに対し、ダーイッシュの勢力が拡大したのはバラク・オバマ政権が決めた政策によるとしている。2011年10月から統合参謀本部議長を務めていたマーチン・デンプシーもダーイッシュを危険視、ロシアやシリアとも手を組む姿勢を明確にしていたという。 こうしたことを本ブログでしつこく指摘するのは、西側では政府や有力メディアだけでなく、「リベラル派」や「革新勢力」もこうした事実を見て見ぬ振りだからだ。何しろ、この事実を認めてしまうと、一気に9/11までさかのぼり、アメリカ支配層と全面対決しなければならなくなる。 デイエムの嘘が発覚した直後、2012年5月にホムスのホウラ地区で住民が虐殺され、西側の政府やメディアはシリア政府に責任があると主張していた。ところが現地を調査した東方カトリックの修道院長は反政府軍のサラフ主義者や外国人傭兵が実行したと報告している。「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている。」と語っているのだ。ロシアのジャーナリストやドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙も同じように伝えていた。
2016.03.04
ウォルフォウィッツ・ドクトリンができあがって間もなく、日本では「安全保障研究所(安保研)」と「日本平和・文化交流協会」が自民党と軍需産業とのパイプ役になり、両組織で中心的な役割を果たしたのが秋山直紀。防衛事務次官だった守屋武昌と山田洋行との問題で注目されていた。この守屋が辺野古での新基地建設、米陸軍第1軍司令部の座間基地への移転などの巨大利権に関係、小泉純一郎の懐刀と言われた飯島勲と結びついたとする話も流れている。 その一方、ネオコンは日本の属国化を推進しはじめる。そのはじまりは1994年。マイケル・グリーンとパトリック・クローニンは「日本が自立の道を歩き出そうとしている」とカート・キャンベル国防次官補を介してジョセフ・ナイ国防次官補やエズラ・ボーゲルに接触、1995年に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」が発表された。 1997年には「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」が作成され、99年には「周辺事態法」が成立、2000年にはネオコン系シンクタンクPNACがDPGの草案をベースにした「米国防の再構築」が発表されているが、この年にはナイとリチャード・アーミテージのグループが「米国と日本-成熟したパートナーシップに向けて(通称、アーミテージ報告)」を作成している。 9/11を利用してアメリカ支配層は国内でファシズム化、国外で軍事侵略を本格派、日本では2002年に小泉純一郎政権が「武力攻撃事態法案」、03年にはイラク特別措置法案が国会に提出され、04年にアーミテージは自民党の中川秀直らに対して「憲法9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」と言明した。 2005年には「日米同盟:未来のための変革と再編」が署名されて対象は世界へ拡大、安保条約で言及されていた「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念」は放棄される。そして2012年にはアーミテージとナイのコンビが「日米同盟:アジア安定の定着」を発表した。アメリカの支配層が国連に決別したと言える。
2016.03.04
辺野古で新基地を建設しようとする計画にもシリアでの戦闘は影響を及ぼしている可能性がある。守りという視点から見ると、沖縄に基地を集中させることは得策でなく、それでも集中させているのは先制攻撃を想定しているからだろうが、ロシアと中国を先制第一撃で反撃できないほどの打撃を加えることができないことが明確になっている現在、実際に戦争が始まると沖縄を含む日本の基地は使い捨てになってしまう。 勿論、軍事的な価値が低下しても利権という要素は残る。すでに多額のカネを各方面にばらまいているはずで、新基地の建設を止めるわけにはいかないのだろう。巨大企業が大儲けするチャンスを潰すわけにはいかないはずだ。 ロッキード社(現在はロッキード・マーチン)でトライデント(潜水艦発射弾道ミサイル)の設計主任をしていたロバート・オルドリッジも言っているように、「軍縮への真の障害は、会社利潤なのだ」(ロバート・C・オルドリッジ著、山下史訳『先制第一撃』TBSブリタニカ、1979年)が、そこに帝国建設や世界支配の野望、あるいはカルト的な妄想が結びついている。 1991年12月にソ連が消滅すると、アメリカの支配層は冷戦に勝利したと喜び、自分たちが「唯一の超大国」を支配していると考えるようになり、次は世界制覇を実現しようとする。1992年初頭に国防総省でネオコン/シオニストが作成したDPGの草案は世界制覇計画。その中心にポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)がいたことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、ウォルフォウィッツは1991年の段階でイラク、イラン、シリアを5年以内に殲滅すると口にしていたのだが、DPGの草案ではアメリカの潜在的なライバル、つまり旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどがライバルに成長することを防ぎ、膨大な資源を抱える西南アジアを支配しようと考えていた。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された(9/11)直後には、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺でイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを先制攻撃する計画ができあがっている。
2016.03.04
イスラエルの高官が率いる代業団が1月の後半から2月の前半、秘密裏にサウジアラビアの首都リアドを訪問し、サルマン・ビン・アブドルアジズ・アル・サウド国王をはじめとする王室のメンバーと会談したという。その後にサウジアラビアのアデル・アル・ジュベイル外相がハリド・アル・フマイダン総合情報庁(GIDまたはGIP)長官を伴ってイスラエルを極秘訪問、シリアやレバノンでの軍事作戦やイランに対する工作などが話し合われたという。話し合いの中でサウジアラビア側はパレスチナでイスラエルが何をしようと気にしないとも口にしたようだ。 こうした動きの一方で、ロシアとアメリカも接触していた。昨年9月30日にロシアが始めた空爆が効果的で、シリアに侵略していたアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)の戦闘部隊が壊滅的な打撃を受けただけでなく、トルコからシリアへ延びていた兵站線やシリアやイラクで盗掘された石油をトルコへ運ぶルートも寸断され、侵略勢力(アメリカ/NATO、サウジアラビア/ペルシャ湾岸産油国、イスラエルなど)の予想を上回るスピードで崩壊していった。ワシントン・ポスト紙でさえ、アレッポを政府軍がおさえたことで戦争自体の決着がついた可能性があると報道している。 当初、アメリカ政府は停戦を実現し、その間に侵略部隊の体勢を立て直そうとしたようだが、間に合わくなり、国連主導の和平交渉は2月3日に中断した。アメリカ支配層が国連へ事務次長として送り込んだジェフリー・フェルトマンが体制転覆工作に深く関わってきた人物だということは本ブログでも指摘したことがある。 侵略勢力としては、自分たちの侵略軍への支援は継続したまま、ロシアの攻撃を止めさせて戦況を好転させたいところだろう。軍事攻撃で民主化はできない、平和はこないという主張はもっともらしく聞こえるが、侵略軍に対する外国勢力の支援に触れないなら、単なる侵略の応援団にすぎない。 本ブログでは何度も書いているが、アメリカ軍の情報機関DIAでさえ、2012年8月に作成された報告書で、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、アル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラと実態は同じだとしている)であり、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。しかも、報告書が作成された当時にDIA局長だったマイケル・フリン中将はアル・ジャジーラに対し、ISの勢力が拡大したのはオバマ政権が行った決断によるとしている。また、ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官はCNNの番組で、アメリカの友好国と同盟国がISを作り上げたと語っている。 国連が停戦交渉を中断する一方、2月10日にヘンリー・キッシンジャーがウラジミル・プーチン大統領と会談するためにロシアを訪問、2月22日にアメリカ政府とロシア政府はシリアで2月27日から停戦することで合意したと発表した。しかも、ロシアの要求通り、アル・カイダ系武装集団、ダーイッシュ、あるいは国連がテロリストと認定しているグループに対する攻撃は継続することが認められている。キッシンジャーの動きから考えて、全面核戦争をどう考えるかでアメリカ支配層は割れているようだ。 サウジアラビア、イスラエル、さらにトルコやアメリカのネオコンも停戦をつぶし、どうにかしてアサド大統領を排除し、傀儡政権を樹立させたがっている。石油戦略、大イスラエルの実現、オスマン帝国の復活など思惑はいろいろだが、シリアやイランの現体制を破壊したいという望みは同じだ。 サウジアラビアはトルコへ戦闘機を派遣、自国の北部では大規模な軍事演習を実施、アラブ首長国連邦、バーレーン、クウェート、オマーン、カタール、パキスタン、マレーシア、エジプト、モロッコ、ヨルダン、スーダン、そして勿論トルコも参加している。サウジアラビアからは、パキスタンから核兵器を購入済みだという話も発信された。とにかく軍事的な緊張を高めようとしている。 サウジアラビアとイスラエルとの同盟関係は昨日今日に始まったことではない。前のGID長官、バンダル・ビン・スルタンもイスラエルを秘密裏に何度も訪問していた。イランやシリアなど中東情勢について話し合ったと言われているが、この2カ国にアメリカを加えた「三国同盟」は遅くとも1970年代の終盤に始まっている。 ジミー・カーター政権で大統領補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーの戦略に基づいてワッハーブ派/サラフ主義者やムスリム同胞団を中心とする武装集団が編成され、CIAが戦闘員を訓練、武器や兵器を供給、資金源として麻薬密輸の仕組みも作り上げられている。(詳しくは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を) 2007年3月5日付ニューヨーカー誌にシーモア・ハーシュが書いた記事によると、アメリカはサウジアラビアやイスラエルと共同でシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始していた。その手先がワッハーブ派/サラフ主義者やムスリム同胞団だ。 アメリカのファシズム化を一気に進めただけでなく、世界規模で侵略戦争が始まる切っ掛けが2001年9月11日の出来事。西側の政府や有力メディアは封印しているが、この攻撃ではサウジアラビアやイスラエルの関与が疑われ、当然、疑惑の目はこうした国々と同盟関係にあるネオコンにも向けられている。そうした疑惑を持つ人が増えているひとつの結果が大統領選挙におけるドナルド・トランプの善戦だろう。
2016.03.03
アメリカの大統領選はまだ政党の候補者選びの段階だが、早くも投票マシーンへの疑惑が浮上している。共和党のドナルド・トランプへの投票が他の候補への投票としてカウントされているというのだが、前の選挙でもこうした操作は可能だと指摘されていた。 前にも書いたように、トランプはジョージ・W・ブッシュ政権を支えていた勢力、つまりネオコン/シオニストを刺激する発言を続けている。そうしたこともあってか、ネオコンの中心的な存在でビクトリア・ヌランド米国務次官補の夫、ロバート・ケーガンは民主党のヒラリー・クリントンを支援している。 そのクリントンは巨大軍需企業のロッキード・マーチンから多額の資金を得ていることで知られ、NATO軍とペルシャ湾岸産油国の雇った戦闘集団がリビアのムアンマル・アル・カダフィを惨殺した際、「来た、見た、死んだ」とCBSのインタビューの中で口にしたことでも話題になった。平和的とは言い難い人物だ。 言うまでもなく、ヒラリーの夫はビル・クリントン元大統領。1992年の大統領選挙でジョージ・H・W・ブッシュの再選を阻止して大統領に就任したのだが、すぐにスキャンダル攻勢が始まる。 このキャンペーンは「アーカンソー・プロジェクト」と呼ばれ、その中心には大富豪として知られ、情報機関と密接な関係にあったリチャード・メロン・スケイフがいた。ミドル・ネームにあるように、メロン財閥の一員だ。 キャンペーンは1992年3月8日付けのニューヨーク・タイムズ紙に掲載されたジェフ・ガースの記事から始まる。翌年の7月には200万ドル以上の横領容疑でFBIの家宅捜索を受けたディビッド・ヘイルなる人物が司法取引でクリントン夫妻を巻き込む主張を始め、いわゆる「ホワイト・ウォーター事件」も開幕した。 この事件は途中でケネス・スター特別検察官側の偽証工作が発覚してクリントン攻撃に利用できなくなる。そして始まったのがセクハラ疑惑だが、この件ではネオコン系のニュート・ギングリッジ下院議長(当時)に資金を提供していたシカゴの大富豪、ピーター・スミスも反クリントンキャンペーンに参加している。 スター特別検察官はフェデラリスト・ソサエティーという法律家の集まりに所属していた。ジョージ・W・ブッシュ政権がイラクを先制攻撃した後、アメリカの捕虜虐待が問題になるが、司法省の法律顧問として拷問にゴーサインを出したジョン・ユーもこの法律家集団のメンバーだ。 この集団は1982年にエール大学、シカゴ大学、ハーバード大学の法学部に所属する法律家や学生によって創設された。ネオコンや巨大資本と緊密な関係があり、議会に宣戦布告の権限があるとする憲法はアナクロニズムだと主張、プライバシー権などを制限、拡大してきた市民権を元に戻し、企業に対する政府の規制を緩和させることを目指してきた。「愛国者法」の制定でも中心的な役割を果たした。 スキャンダル攻勢のため、ビル・クリントンは大統領の職務に集中できる状態ではなくなり、弁護費用で破産寸前に追い込まれたと言われている。そうした状況の中、1997年に国務長官がウォーレン・クリストファーからマデリーン・オルブライトに交代、新長官は98年秋にユーゴスラビア空爆を支持すると表明、99年3月にはNATO軍が先制攻撃している。2001年9月11日の攻撃を利用してジョージ・W・ブッシュ政権は侵略戦争を始めるわけだが、その前にクリントンは偽情報を広めながらユーゴスタビアを侵略したのだ。ちなみに、クリントン夫妻は現在、大金持ちのようだ。 この「9/11」をブッシュ・ジュニアと絡める形で口にしたトランプをネオコンは嫌い、ヒラリー・クリントンを支援している。昨年6月11日から14日かけてオーストリアで開催されたビルダーバーグの総会に参加したジム・メッシナなる人物はヒラリー・クリントンの旧友で、顧問に就任している。
2016.03.03
アメリカの大統領選挙で共和党はドナルド・トランプが優位に立っているようで、支配層の一部が動揺しているという。最大の理由は「9/11」。昨年10月、トランプはブルームバーグTVの番組で、世界貿易センターが倒壊したのはジョージ・W・ブッシュ政権の時だと発言しているが、これはブッシュ大統領と9/11との関係を示唆したのだとも考えられている。トランプが大統領になった場合、隠されてきた9/11に関する情報が開示されたり、再調査する可能性があるが、それを恐れている人たちがいると言われている。マイケル・フィン元DIA局長が国際問題に関してトランプにアドバイスしているとも言われ、この情報が正しいなら、アメリカ、サウジアラビア、イスラエル、トルコなどとアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)との緊密な関係も知らされている可能性は高い。 ブッシュ大統領を支えていたネオコン/シオニストは遅くとも1992年初頭の段階で世界制覇プランを国防総省のDPG草案という形で作成した。中心的な役割を果たした人物がポール・ウォルフォウィッツ国防次官だったことから『ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。その前年、ウォルフォウィッツはイラン、イラク、シリアの3カ国を5年以内に殲滅すると口にしていた。 このDPG草案をベースにしてネオコン系シンクタンクPNACは2000年に『米国防の再構築』という報告書を発表、「パクス・アメリカーナ」、つまりアメリカによる絶対支配の構造を維持するべきであり、大幅な戦略変更を実現するためには「新たな真珠湾」、つまり大きなショックが必要だと主張している。 2000年にはアメリカで大統領選挙があった。投票妨害や票数のカウントに不正があると指摘された選挙だが、結局、最高裁の力でジョージ・W・ブッシュが大統領に就任した。そして、その年の9月11日、「新たな真珠湾」攻撃が引き起こされる。ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのだ。この攻撃を切っ掛けにしてブッシュ政権は国外で侵略戦争、国内でファシズム化を進めはじめる。 アメリカの支配層はファシズム化の準備を遅くとも1982年に始めている。ロナルド・レーガンが大統領が出したNSDD55によって「COGプロジェクト」が承認されたのだ。 このプロジェクトは二重構造になっていて、ジョージ・H・W・ブッシュ、ドナルド・ラムズフェルド、リチャード・チェイニー、ジェームズ・ウールジーたち上部組織と、ホワイトハウスの役人、将軍たち、CIAの幹部、「引退」した軍人や情報機関員など数百人で編成される下部組織に分けられていた。 このプロジェクトのベースになったのはドワイト・アイゼンハワー政権で計画された核戦争後の「秘密政府」。これが発展した形で1979年にFEMAが組織された。(Andrew Cockburn, “Rumsfeld”, Scribner, 2007)そこからCOGは始まるのだが、1988年に出された大統領令12656によって対象は核戦争から「国家安全保障上の緊急事態」に変更される。そして2001年9月11日に「国家安全保障上の緊急事態」が起こったと判断されたわけだ。 この「緊急事態」が起こる半年前、3月4日にアメリカでは「9/11」を彷彿させるドラマが放送されている。人気シリーズ「Xファイル」のスピンオフ、「ローン・ガンメン」の第1話「パイロット」だ。旅客機がハッキングされてコントロール不能になり、世界貿易センターへ突入させられそうになるというストーリーだった。このドラマでは危ういところでビルを避けることができた。 放送のあった3月、財務長官だったポール・オニールはイラクへの軍事侵攻と占領について具体的に話し合い(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)、NSC(国家安全保障会議)でイラク侵攻計画を作成していることを知ったという。(Len Colodny & Tom Shachtman, “The Forty Years War,” Harper, 2009) 9月11日には4機の旅客機がハイジャックされたと言われている。そのうちの2機、つまりAA(アメリカン航空)11便とUA(ユナイテッド航空)175便がニューヨークの世界貿易センターにあった高層ビル2棟に激突、AA77便がペンタゴンへ突入し、UA93便はピッツバーグとワシントンとの中間で墜落したことになっている。 AA11便が大きくコースを外れたのが8時20分で、突入したのは午前8時46分。UA175便は8時42分にコースを外れ、突入したのは9時3分。コースを大幅に外れた時点で異常事態が発生したと判断するのが当然で、本来なら、FAA(連邦航空局)はNORAD(北米航空宇宙防衛軍)と連携して迅速に対処しなければならない。 この間、NORADは反応せず、戦闘機も緊急発信しなかった。NMCC(国家軍事指令センター)が機能しなかったことが原因だと言われている。NMCCの最高責任者は統合参謀本部議長で、当時はヘンリー・シェルトン大将。問題の時刻にはヨーロッパへ向かう途中で、大西洋上空にいた。 そこでリチャード・マイヤーズ副議長が指揮しなければならなかったのだが、この人物もペンタゴンにはいなかった。ちなみに、事件の数日前、マイヤーズはシェルトンの後任議長に内定している。 2001年6月頃に国防総省で出された文書にも戦闘機が緊急発進しなかった理由だと言われている。いかなる要撃も国防長官、つまりドナルド・ラムズフェルドの許可が必要だという命令だった。9月11日にチェイニー副大統領がNORADに対して要撃を許可したのは10時31分だった。(Peter Dale Scott, “The Road To 9/11”, University of California Press, 2007) 旅客機が突入した高層ビルは9時59分の10時28分に崩壊している。まるで解体作業のようで、違和感を覚えた人は少なくないだろう。実際、多くの専門家が疑問を表明している。そして午後5時20分、攻撃を受けていない7号館が、やはり解体作業のように崩壊した。 崩壊したビルの鉄骨は溶けているのだが、そのためには1500℃まで上昇する必要がある。航空機の燃料は突入してすぐに燃え尽きたはずで、このケースでは900℃前後だったと見られている。ビルの構造と航空機の強度を考慮すると、航空機によって力学的に破壊されたという説明にも説得力はない。 7号館の崩壊はさらに謎だ。このビルにはシークレット・サービスやCIAのオフィスもあり、エンロン関係の資料も保管されていたと言われている。この崩壊でエンロンの不正を追及することは困難になった。 ペンタゴンが攻撃されたのは9時27分。AA77が突入したとされているが、映像の中に旅客機が見当たらない。周辺に設置されていた監視カメラが撮影したはずの映像は公表されていない。 公式発表のような形で旅客機がペンタゴンへ突入したとすると、大きく右へ旋回しなければならず、超低空で、しかも街灯を倒すことなく飛行したことになる。ペンタゴンの壁に開いていたのは直径約五メートルの穴で、防衛システムが機能しなかったことも謎。ペンタゴンには対ミサイル装置が5セット設置されているが、反応しなかったのである。 そのほかにも謎は多く、「9/11」の公式説明に納得していない人は多い。2003年9月にはイギリスの議員で1997年から2003年まで環境相を務めていたマイケル・ミーチャーも疑問を呈していた。 イギリスでアメリカのネオコンと結びつき、イスラエルを資金源にしていた政治家はトニー・ブレア。昨年9月12日に行われた労働党の党首選でジェレミー・コルビンがブレア人脈を破った。コルビンは労働党を本来の姿に戻そうと考えている人物で、党の幹部はコルビンに投票しそうなサポーターを粛清、つまり投票権を奪うなどの妨害活動を続けていた。ミーチャーとコルビンは近い関係にあったようだが、ミーチャーは10月20日に急死してしまう。 アメリカ支配層が国内でファシズム化、国外で軍事侵略を始める切っ掛けになった出来事が9/11。この攻撃には多くの疑惑があり、少なくとも公式見解には説得力がない。そうした疑惑を政治家や有力メディアは封印してきたが、トランプが人びとの疑問を噴出させる引き金になる可能性があり、アメリカの支配システムが揺らぐだけでなく、サウジアラビアやイスラエルへ波及することは間違いない。
2016.03.01
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