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中曽根康弘は日本へ原子力や新自由主義を導入した政治家である。「右翼」と見なされているが、アメリカの支配層と深く結びついていた。 東京帝国大学を卒業した後、中曽根は1941年に内務省へ入省したが、それから間もなくして海軍経理学校へ入学、海軍主計少佐として敗戦を迎えている。1945年10月に内務省へ戻り、翌年9月には警視庁警視に昇進するが、その年の12月に依願退職。1947年4月には衆議院議員選挙に出馬、当選して政界入りを果たした。 政治家となった中曽根は河野一郎の配下に入り、そこで児玉誉士夫と知り合う。中曽根は児玉の子分になったと言う人もいる。その児玉は右翼の大物として知られていたが、ロッキード事件の際にCIAの手先だったことが判明している。この事件では中曽根の名前も出たが、検察は動かなかった。 中曽根と児玉との関係を浮き上がらせる事件が1972年にあった。中曽根と旧制静岡高校からの友人だった東郷民安が創業した殖産住宅の株式が上場を巡るスキャンダルだ。この上場を利用して中曽根は一儲けを目論み、児玉が絡んでくる。このふたりが東郷を破滅へと導くことになった。 その頃、中曽根は政治家の中でも「大物」になっていたが、彼が権力の階段を登り始めるのはMRA(道徳再武装運動)と関係するようになってからだ。この団体はCIAとの関係が深い疑似宗教団体で、岸信介や三井高維も参加。そこで中曽根はヘンリー・キッシンジャーを含むCFR(外交問題評議会)のメンバーと知り合い、1950年6月にはスイスで開かれるMRA世界大会へ出席している。 ちなみに、その3年後、内閣調査室の初代室長だった村井順がMRAの大会へ出席するためにスイスへ向かっている。村井はボンでアレン・ダレスCIA長官と会い、できて間もない内閣調査室に関する助言を得ることになっていたと言われている。 しかし、ボン空港に到着すると村井はイギリスの情報機関員と思われる人物につきまとわれ、ロンドンの税関では腹巻きの中に隠していた闇ドルを発見されてニュースになった。 ところで、中曽根は1953年にキッシンジャーが責任者だった「ハーバード国際セミナー」というサマー・スクールに参加している。このセミナーはロックフェラー財団やフォード財団をスポンサーにしていたが、CIAともつながっていた。 その当時、キッシンジャーはハーバード大学の大学院で学んでいた。1954年に博士号を取得、その翌年にネルソン・ロックフェラーがスポンサーについたキッシンジャーはCFRの核兵器・外交政策研究グループの責任者に選ばれる。 キッシンジャーが支配層に取り立てられる切っ掛けは1942年にアメリカ陸軍でフリッツ・グスタフ・アントン・クレーマーという人物に目をかけられたことにある。ドライバー兼ドイツ語の通訳を探していた第82歩兵師団のアレキサンダー・ボーリング司令官にクレーマーはキッシンジャーを紹介した。 ほどなくしてキッシンジャーは情報分隊(後の対敵諜報部/CIC)に配属され、1946年までそこに所属。そこでアレン・ダレスに誘われ、創設の準備段階だった極秘の破壊工作機関OPCで働くようになる。最初の仕事はハーバード大学で新組織のために働く外国人学生をリクルートすることだった。彼が「ハーバード国際セミナー」の責任者になった理由のひとつはそこにあるのだろう。 一方、1954年3月に中曽根は国会に原子力予算を提出し、修正を経て予算案は4月に可決された。その背景には、1953年12月にドワイト・アイゼンハワー米大統領が国連総会で行った「原子力の平和利用」という宣言がある。 中曽根は1982年から内閣総理大臣を務めることになった。1976年に逮捕された後も政界で大きな影響力を持っていた田中角栄の懐刀、後藤田正晴が内閣官房長官になったこともあり、マスコミは「田中曽根」と揶揄していたが、その実態は「岸影内閣」だとジャーナリストの山川暁夫は看破していた。後藤田は中曽根のブレーキ役だった。実際、後藤田の追い落としを狙ったと思われるスキャンダルが浮上している。 首相になった中曽根が目論んだのは新自由主義の導入だった。私有化の促進と規制緩和だ。その象徴が国鉄の分割と私有化。最強の労働組合を潰すことだけでなく、国の運営を国家機関から私的権力へ移そうというわけだ。その後、支配層が目論んだ通りに日本の労働環境は急速に悪化、貧富の差が拡大していくのだが、同時に日本経済の地盤も崩れていく。それは社会の崩壊でもあった。その新自由主義的な政策を引き継いだのが小泉純一郎、菅直人、野田佳彦、安倍晋三たちだ。
2019.11.30
アメリカのドナルド・トランプ大統領はシリア北東部の石油を盗み続けるために自国軍によるシリア占領を続けると公言している。アメリカ軍を撤退させるという宣言は事実上、撤回されたと言える。占領を継続する理由として、アメリカの国防総省はダーイッシュ(イスラム国、IS、ISIS、ISILとも表記)から油田を守るためだと11月7日の記者会見で主張した。 それに対し、記者の中から装甲車も航空機も保有しないダーイッシュから油田を守るためにアメリカ軍がいる必要はないという指摘が出た。さらに記者はシリア軍が油田に近づいたら攻撃する許可を得ているのかと質問、それに対して国防総省の広報官は敵対行為に対する「自衛権」は持っていると答えた。 言うまでもなく、シリア政府の承認を得ずにアメリカ軍はシリア領内を攻撃し、地上部隊を侵攻させた。つまり侵略軍にほかならない。自分たちには侵略を続ける権利があると言っているわけである。 油田地帯をアメリカ軍は占領しつづけられるだろうが、盗掘した石油の輸送は誰かに頼まざるをえないだろう。シリアのメディアSANAによると、盗掘された石油をクルドがタンク車を使い、イラク北部を経由してトルコ領へ運び出している。そのタンク車と仮設の石油精製施設をシリア政府軍が11月26日に空爆で破壊した。 ダーイッシュがイラクからシリアにかけての地域を支配するようになったのは2014年に入った頃だが、そうしたことが引き起こされると2012年8月の段階でアメリカ軍の情報機関DIAは警告していた。その時のDIA局長がトランプ政権の最初の国家安全保障補佐官であるマイケル・フリン中将だ。 その報告書はシリアで政府軍と戦っている武装勢力の中心がサラフィ主義者やムスリム同胞団だと指摘、アル・カイダ系とされるアル・ヌスラ(AQIと実態は同じだと指摘されていた)の存在も記述している。ちなみに、アル・ヌスラの主力はサラフィ主義者やムスリム同胞団だ。 これも繰り返し書いてきたが、ダーイッシュとアメリカとの関係は深く、その事実はさまざまな人に指摘されてきた。例えばアメリカ空軍のトーマス・マッキナニー中将は2014年9月、アメリカがダーイッシュを作る手助けしたとテレビで語っている。 またマーティン・デンプシー統合参謀本部議長(当時)はアラブの主要同盟国がダーイッシュに資金を提供していると議会で発言、10月にはジョー・バイデン米副大統領がハーバーバード大学で中東におけるアメリカの主要な同盟国がダーイッシュの背後にいると語っている。2015年にはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官もアメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたと述べた。 そして2015年8月、アル・ジャジーラの番組でダーイッシュの勢力を拡大させた責任を問われたマイケル・フリン元DIA局長は自分たちの任務について、情報の正確さをできるだけ高めることにあると反論。その情報に基づいて政策を決定するのはバラク・オバマ大統領の役目だと指摘している。 アメリカは自分たちが作り出した怪物を口実にしてシリア占領を続けようとしている。「マッチポンプ」だ。2005年に故ロビン・クック元英外相は「アル・カイダ」について、CIAが訓練したムジャヒディンの登録リストだと書いている。 アラビア語で「アル・カイダ」とはベースを意味し、データベースの訳としても使われる。その中からピックアップされた戦闘員を中心として編成されたのがアル・カイダ系の武装勢力で、その主力はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団。ジハード傭兵と言うこともできるだろう。ダーイッシュも基本的に同じだ。 少なくともシリアの場合、ジハード傭兵の雇い主はアメリカだけでなく、イギリス系、フランス系、トルコ系など複数存在している。その雇い主が2016年に分裂し、必然的に傭兵集団も分裂した。分裂した最大の理由は2015年9月末にロシアがシリア政府の要請で軍事介入したことにある。ロシア軍はジハード傭兵を敗走させ、その支配地域を縮小させた。そこでアメリカが新たな手先としたのがクルドだ。 壊滅状態になったダーイッシュは油田地帯をクルドへ明け渡した。油田地帯の中でもデリゾールを含むユーフラテス川沿いをアメリカは重要視、バラク・オバマが大統領だった2016年9月には近くに迫ったシリア政府軍を空爆して80名以上の兵士を殺害している。勿論、負傷者も多数出た。 その1年後、デリゾールの近くで作戦を指揮していたロシア軍のバレリー・アサポフ中将が砲撃で殺されている、アメリカ側からアサポフ中将の位置に関する正確な情報が戦闘集団側へ伝えられていた可能性が高い。 ところで、トルコ政府が雇っているジハード傭兵の主力はムスリム同胞団だと言われている。オバマ政権は傭兵を使った侵略計画PSD-11を作成したのは2010年8月だが、その主力はムスリム同胞団だった。そこで、それを快く思わないサラフィ主義者がムスリム同胞団を攻撃するという事態も生じている。 トルコは2016年の前半にアメリカ主導の侵略軍から離れてロシアへ接近、7月13日には外相がシリアとの関係正常化を望むと示唆、その2日後にアメリカはクーデターでレジェップ・タイイップ・エルドアンを倒そうとした。 この軍事放棄が失敗したのは事前にトルコ政府へロシアから警告があったからだ言われている。トルコ政府はクーデターはフェトフッラー・ギュレンの一派が実行したと主張、アメリカでCIAに保護されている同派の指導者、ギュレンを引き渡すようにアメリカ政府へ求めているが、拒否されている。トルコ政府はクーデター計画の背後にアメリカ中央軍のジョセフ・ボーテル司令官やジョン・キャンベルISAF司令官がいたとも主張している。 このクーデター失敗でトルコ政府とアメリカ政府との関係は決定的に悪くなったが、ムスリム同胞団が両国の関係修復で動く可能性もある。トランプ政権としても、エルドアン政権を再び自分たちの陣営へ引き戻したいだろう。
2019.11.29
オリンピックにロシアの代表を参加させるべきでないと11月25日にWADA(世界反ドーピング機構)は勧告した。当事者であるアスリートにとっては深刻なことかもしれないが、部外者にしてみると茶番だ。 来年に東京で開催されるオリンピックでのドタバタを見てもわかるように、このイベントはアメリカのネットワーク局の意向に従って動いている。圧倒的な資金源だからだが、そのネットワーク局が資金を持っている理由はアメリカなど西側の巨大資本がカネを投入しているからだ。WADAはIOC(国際オリンピック委員会)が1999年に創始した基金であり、当然のことながら、WADAも巨大資本の影響下にある。 オリンピックからロシアを排除する口実をWADAに提供したのはロシアで反ドーピング・センターの責任者を2005年から務めていたグリゴリー・ロチェンコフ。 ロシア側の説明によると、この人物は風邪薬を飲んだ直後に検体を採取されてパニックになったアスリートから陰性の結果を示す書類と引き換えに金品を要求するなど不正を働いていた。それが発覚して捜査の対象になり、2015年11月にアメリカへ逃げて「告発」したのだという。 この「告発」はアメリカ支配層の意向に沿うもので、代償としてアメリカにおける地位や収入が保証されているのだろうが、そのほか、自分の犯罪行為を追及するロシアへの報復という意味もあるようだ。 この問題はリチャード・マクラーレンというカナダの法律家が調査し、報告書を発表しているものの、具体的な証拠は示されなかった。MH17の墜落やシリアでの化学兵器話と同じ。つまり信頼度は低い。 アメリカはシリア政府軍が化学兵器を使用したという口実でミサイル攻撃を実施したが、それが嘘だと言うことをOPCW(化学兵器禁止機関)の現地調査チームはつかんだ。それをこの機関の幹部は改竄している。アメリカ支配層に命令されたのか、「忖度」したのだ。WADAがOPCWより独立しているとは思えない。 2016年8月にはブラジルでオリンピックが開催されている。その直前にドーピング話が持ち上がったのだが、もし何事もなくオリンピックが開かれたなら、アメリカ支配層にとって好ましくない光景が世界に発信されていた。 本来なら主催国の大統領としてスタジアムへ現れたのはジルマ・ルセフ。アメリカ支配層が押しつける新自由主義からの離脱を試みていた人物だが、スキャンダル攻勢で2016年5月に停職、8月に大統領の座から引きずり下ろされた。 当時のラテン・アメリカにはアメリカ支配層に嫌われていた大統領が名を連ねていた。ベネズエラ大統領のニコラス・マドゥロ、ボリビアのエボ・モラレス、エクアドルのラファエル・コレア、ニカラグアのダニエル・オルテガ、ウルグアイのタバレ・バスケス、チリのミシェル・バチェレだ。そしてロシアのウラジミル・プーチン。 ロシアを中心にアメリカからの自立を目指す指導者が並ぶ光景はアメリカ支配層の敗北を印象づける。ルセフの失脚とロシア排除によってこうした事態を避けることができたと言えるだろう。 事実上、2016年に大統領の任期が切れるバラク・オバマは当時、必死にロシアを攻撃していた。そこにロシアとの関係修復を訴えるドナルド・トランプが登場、トランプを引きずり下ろすために「ロシアゲート」を仕掛けたが、失敗した。ウクライナを舞台とする新たなスキャンダルも見通しは暗い。そうした中、WADAはロシアに対する攻撃を再び強めている。
2019.11.28
今年7月25日にドナルド・トランプ米大統領がウクライナのボロディミル・ゼレンスキー大統領との電話会談でジョー・バイデンの話をしたことを民主党は問題にしているが、ウクライナからはバイデン親子に関する疑惑が伝えられている。 バラク・オバマ政権では国務次官補だったビクトリア・ヌランドなどのネオコンがネオ・ナチのグループを使い、ウクライナでクーデターを仕掛け、2014年2月にビクトル・ヤヌコビッチ大統領の排除に成功した。その2カ月後にジョー・バイデン副大統領の息子であるハンター・バイデンは天然ガス会社ブリスマ・ホールディングス(本社はキプロス)の重役になる。 そのブリスマを2002年に設立したひとり、ミコラ・ズロシェフスキーは2010年からエコロジー資源大臣を務めているが、検察当局は彼をマネー・ロンダリング、脱税、汚職の容疑で12年に捜査を始めている。その年にズロシェフスキーは大臣を辞めた。 捜査が進めば起訴される可能性があったのだが、2014年にクーデターでヤヌコビッチ政権は倒される。その年の終わりにズロシェフスキーは国外へ逃げるが、資産はイギリスの当局に凍結された。その凍結が解除されたのは2016年。その翌年に帰国した。 ジョー・バイデンの圧力で検事総長を解任されたビクトル・ショーキンの下で、ウクライナの検察はブリスマを捜査していた。捜査の対象にはズロシェフスキー、バイデン親子、大統領だったペトロ・ポロシェンコ、ポーランド大統領だったアレクサンデル・クファシニェフスキーが含まれていたと言われている。 ウクライナ側の説明では、検事総長の解任をアメリカ大使館は2015年終わりから16年初めにかけての数カ月にわたり、求めてきたという。その工作の黒幕はオバマやジョージ・ソロスが関係しているNABU(ウクライナ反汚職局)だと言われている。 捜査の結果、ハンター・バイデンを含むブルスマの重役4名は少なくとも1650万ドルを会社から受け取り、ジョー・バイデンはロビー活動の報酬として、ロズモント・セネカ・ボハイ経由で90万ドルが支払われたという。 すでに本ブログでも書いたことだが、ロズモント・セネカ・ボハイはハンターやデボン・アーチャーが経営する会社。アーチャーはエール大学の出身で、そのときのルームメートがジョン・ケリー元国務長官の義理の息子であるクリス・ハインツだと伝えられている。 バイデンの問題をゼレンスキー大統領がどのように処理するのかは興味深いところだが、その後ろ盾と噂されている人物がオリガルヒのひとりであるイーホル・コロモイスキー。2014年のクーデターの際にはネオ・ナチ集団へカネを出していたクーデター派だ。 ところが、ここにきてロシアとの関係修復を訴えている。ウクライナで経済的な基盤を築くことに成功したので、それを利用してビジネスを展開しようと考えている可能性がある。ビジネスの相手ならアメリカよりロシアだと考えても不思議ではない。
2019.11.27
東京琉球館で12月14日の午後6時から「ラテン・アメリカに巣くう米資本とナチス」というテーマで話します。予約制とのことですので、興味のある方は事前に下記まで連絡してください。東京琉球館住所:東京都豊島区駒込2-17-8電話:03-5974-1333http://dotouch.cocolog-nifty.com/ ラテン・アメリカは資源に恵まれた国です。食べ物も本来は豊かで、トウモロコシ、サツマイモ、ジャガイモ、トマト、トウガラシ、インゲン豆、カカオ、カボチャ、アボカド、ピーナッツ、バニラなどはラテン・アメリカが原産だと言います。 そうした地域に住む人びとが貧困にあえいでいる理由は強大な権力に収奪されているからにほかなりません。最初はスペインやポルトガル、そして現在はアメリカに富だけでなく人としての権利を奪われているのです。 スペイン人やポルトガル人による殺戮、破壊、そして略奪が始まったのは1492年にクリストバル・コロン(コロンブス)がカリブ海のグアナハニ島に到達してからでした。 イギリスはまず北アメリカの東部を占領します。その中心的な存在は1620年にメイフラワー号でアメリカへ渡ったピューリタン(清教徒)、いわゆるピルグリム(巡礼者)・ファーザーズだと言えるでしょう。 ピューリタンはイギリス国教会から派生したカルバン派の一派で、アメリカへの移民はイギリス国教会の内部での対立が原因だと言われています。長老派、会衆派、バプテスト派などは清教主義に由来するようです。 イギリスでピューリタンは民主的な主張をする人びとと結びつき、1640年に「革命」をはじめる。この戦いで反国王派を率いて勝利に導いた人物がオリバー・クロムウェル。1449年には国王チャールズ1世が処刑された。 実権を握ったクロムウェルは手を組んでいた勢力の粛清に乗り出します。小農民や職人層が支持していた水平派を弾圧しました。 それと並行してクロムウェルはアイルランドなど周辺を侵略し、住民を虐殺します。虐殺前の1641年に147万人だったアイルランドの人口は52年に62万人へ減少しました。50万人以上は殺されたのですが、残りは「年季奉公」や「召使い」として売られたと言われています。 アメリカへ移民したピューリタンはフランスを追い出し、先住民を虐殺しながら西へ向かい、カリフォルニアなどをスペインから奪い取ります。 マシュー・ペリーを司令官とするアメリカ軍の艦隊が江戸湾に現れたのはアヘン戦争と呼ばれる侵略戦争から10年余り後の1853年。その3年後にイギリスはフランスと手を組み、再び中国(清)を攻撃しました。それから34年後の1890年にはウーンデット・ニー・クリーク(サウスダコタ州)でアメリカ陸軍が先住民の女性や子供を虐殺しています。 そして1898年の軍艦メイン爆沈を利用してラテン・アメリカへの侵略を本格化、アメリカの巨大資本が儲けるための仕組みが作り上げられました。 その後、支配の仕組みは時代に合わせて変化しますが、略奪という基本は変わらず、現在、その仕組みは新自由主義と呼ばれています。 その新自由主義を最初に国の政策として取り入れたのはチリだと考えられています。それを可能にしたのがオーグスト・ピノチェトによる軍事クーデターでした。 そのクーデターの実行グループの中心はアメリカの軍や情報機関が手先を育成するために創設したSOA(WHISC)と呼ばれる訓練施設の卒業生。そのグループを指揮していたのはCIAの秘密工作部門で、その背後には国家安全保障補佐官だったヘンリー・キッシンジャーがいました。 実権を握ったピノチェトと会うためにチリを訪れたひとりがイタリアでクーデター計画や爆弾攻撃に参加していたステファノ・デレ・キアイエなるNATOの秘密部隊グラディオのメンバーです。 NATOの秘密部隊にはファシストが関係していますが、第2次世界大戦の直後にアメリカの支配層がローマ教皇庁と手を組んでナチスの元高官や協力者を逃亡させていますが、その逃亡先がラテン・アメリカでした。 そうしたことからラテン・アメリカにはナチスのネットワークが張り巡らされ、民主的に選ばれた政権を倒すクーデターにも参加してきました。逃亡してきた世代の大半は死亡していますが、ナチズムやファシズムは消えていません。 アメリカの巨大資本、CIA、キリスト教系カルト、SOA卒業生は今でも連携、そのシステムが今回のボリビアにおけるクーデターでも機能しました。そのクーデターをアメリカの有力メディは支援しています。 そうした略奪者との戦いはラテン・アメリカで続いています。その戦いについて考えたいと思っています。
2019.11.26
香港で11月24日に区議会選挙があり、「民主化」を掲げる勢力が議席の約8割を獲得したと報じられている。が、その一方で半年前に始められた反中国活動は沈静化しつつある。 半年前に始められた反中国活動の背後にアメリカやイギリスの情報機関、つまりCIAやMI6が存在していると指摘され、活動を率いていた若者の中にはアメリカの国旗やイギリスの植民地であることを示す旗を掲げ、アメリカの国歌を歌うものもいた。これは本ブログでも書いた通りだ。 反中国の活動は予想されていたより盛り上がらず、過激化していく。建造物を破壊、交通機関を止め、中国系メディアのオフィスが襲撃され、石や火炎瓶が飛び交い、最近では洋弓で矢が射られている。 投げられた石があたって70歳の街路清掃人が死亡し、反中国派に抗議する57歳の男性、リャン・チーチャン(梁志祥?)が可燃性の液体をかけられた上で火をつけられるということもあった。 火だるまになった男性は体の28%を火傷して入院。回復しつつあると言われているものの、10日にわたって意識がなかったという。男性に火をつけたのは20名余りの反中国派で、すぐに現場から逃走した。 こうした活動を「デモ」で片付けることは正しくない。今回の選挙結果を「デモの民意が反映された」と言うべきでもない。 今回の選挙結果は中国政府への反発、それは侵略や犯罪の拠点として機能していたイギリス植民地時代への郷愁なのかもしれないが、学生と思われる人びとの破壊活動が支持されたのだとは思えない。 こうした破壊活動グループへの参加者が減ったのは支持者の減少を意味するのか、破壊活動が支持されないと考えて戦術を転換したからなのかは不明だが、破壊活動は米英とつながる会社からも批判されていたはず。 すでに香港は中国の経済発展に立ち後れている。置いてけぼりにされた気持ちになり、イギリスやアメリカに従属していた時代を懐かしんでも不思議ではない。そうした気持ちを反映した選挙の結果が香港に住む人びとの生活を向上させなかった場合には新たな問題が起こるだろう。そうした事態を想定、CIAやMI6は中国を揺さぶるために何らかの工作を考えているだろう。
2019.11.25
内部告発を支援してきたウィキリークスがOPCW(化学兵器禁止機関)の内部でやりとりされた電子メールを公表した。この機関は現地へチームを派遣、調査し、それに基づいて報告書が作成されたことになっている。 しかし、報告書では削除された部分あるうえ、偏った見方で書かれているため、その報告書の信頼度が低くなっているとしている。さらに、重要な事実がオリジナルの草稿とは違うように書き換えられているともいう。つまり改竄されていると批判しているのだ。 すでに、OPCWで専門家の中心的な存在であるイラン・ヘンダーソン名義の文書では、化学物質が入っていた筒状の物体は航空機から投下されたのではなく、人の手で地面に置かれていたことを証拠は示していることが明らかにされている。 OPCWが調査に乗り出したひとつの理由は、シリア政府軍が化学兵器を使ったとSCD(シリア市民防衛/通称白いヘルメット)やアル・カイダ系武装集団のジャイシュ・アル・イスラムが宣伝したことになる。 その当時、すでにシリア政府はロシア政府のアドバイスに従い、化学兵器を廃棄していた。つまりそうした種類の兵器を保有していなかった。SCDやジャイシュ・アル・イスラムの主張には説得力がなく、しかも事実と矛盾する。西側では英雄視されているSCDが偽情報を流したそれをOPCWの調査チームも確認したとも言えるだろう。本来なら最終報告書にもその事実が反映されねばならなかったのだが、何者かによって改竄されたわけである。 SCDやジャイシュ・アル・イスラムの話が信頼できないことは西側のメディアでさえ、伝えていた。例えば、イギリスのインディペンデント紙が派遣していたロバート・フィスク特派員は攻撃があったとされる地域へ入り、治療に当たった医師らを取材、その際に患者は毒ガスではなく粉塵による呼吸困難が原因で担ぎ込まれたという説明を受けている。毒ガス攻撃があったことを示す痕跡はないという。 また、アメリカのケーブル・テレビ局OANの記者も現地を調査し、同じ内容の報告をしている。ロシア系のRTは西側の有力メディアが化学兵器の被害者だとして報道した子どもとその父親を取材、やはり化学兵器が使用されたという話を否定している。 しかし、アメリカ、イギリス、フランスの3カ国はシリア政府軍が化学兵器を使用したと言い張り、2018年4月14日にシリアを100機以上の巡航ミサイルで攻撃、ロシア国防省の説明によると、そのうち71機をシリア政府軍は撃墜した。このシリアに対する攻撃を正当化するため、攻撃側は政府軍がドゥーマで4月7日に化学兵器を使用したと宣伝していたのだ。 OPCWの調査チームが現地へ入るころ、WHO(世界保健機関)は化学兵器の使用で多くの犠牲者が出ているとする声明を出した。その直後にミサイル攻撃は実施されている。OPCWの調査結果がそのまま公表された場合、SCDが嘘をついただけでなく、その嘘をWHOが拡散し、アメリカ、イギリス、フランスの3カ国がシリアをミサイル攻撃したということになる。 化学兵器の使用を口実にしてシリアを攻撃することは、バラク・オバマ政権の方針だった。オバマ大統領は2012年8月、アメリカ軍が本格的に介入する「レッド・ライン」は化学兵器の使用だと語ったのだ。 その年の12月には国務長官だったヒラリー・クリントンがシリア政府軍による化学兵器使用の可能性を口にする。自暴自棄になったバシャール・アル・アサド大統領が化学兵器を使うかもしれないと言ったのだ。 ところが、年明け早々、イギリスのデイリー・メイル紙に、化学兵器に使用を口実にしてアサド政権に対する軍事行動を始める作戦をオバマ大統領は許可したという記事が掲載された。(すぐに削除) 今回の暴露により、西側の政府や有力メディア、WHO、そしてOPCWもアメリカ支配層の意向に沿って行動していることが確認できたと言えるだろう。こうした組織の宣伝を信じること自体、犯罪的だ。
2019.11.25
アメリカ支配層の好戦派は暴力的に世界を屈服させようとしているが、それは強さでなく、経済的に弱体化していることの裏返しにすぎない。 アメリカ海軍はここにきて南シナ海で活発に動いている。例えば11月12日に巡洋艦チャンセラーズビルに台湾海峡を航行させ、対抗して中国海軍は17日に空母艦隊を台湾海峡へ派遣。20日には沿海域戦闘艦のガブリエル・ギフォーズを南沙諸島の近くへ、また21日には駆逐艦のウェイン・E・メイヤーを西沙諸島の近くへ派遣して中国を挑発した。 南シナ海で軍事的な緊張が高まる中、アメリカ議会は香港の反中国派を支援する目的で「香港人権・民主主義法」という反中国人法を通した。 反中国派の活動は香港で広がらず、過激化。建造物を破壊、交通機関を止め、石や火炎瓶を投げるだけでなく活動を批判する市民に可燃性の液体をかけて燃やして大やけどを負わせ、洋弓で矢を射るということも行うようになったのだが、その一方で孤立していった。ここにきて活動は封じ込められたようだ。次の一手としてアメリカは反中国人法を成立させようとしている。ロシアに対して行った手口と同じだ。 このブログでは繰り返し書いてきたが、香港の反中国派はアメリカのネオコンと連携している。黄之鋒(ジョシュア・ウォン)、羅冠聰(ネイサン・ロー)、周永康(アレックス・チョウ)などが前面に出てくるが、そうした若者の後ろには元王室顧問弁護士の李柱銘(マーチン・リー)、メディア王と呼ばれている新自由主義者の黎智英(ジミー・リー)、香港大学の戴耀廷(ベニー・タイ)副教授、あるいは陳日君(ジョセフ・ゼン)、余若薇(オードリー・ユー)、陳方安生(アンソン・チャン)などがいる。アメリカやイギリスの情報機関、つまりCIAやMI6がその背後で暗躍していることも秘密ではない。 反中国運動を支えているのは法輪功というカルトだとも指摘されている。このカルトが出現したのは1992年。その教義は仏教と道教を合体したものだとされているが、創始者の劉振営はキリスト教の福音主義者で、「エルサレムへ戻ろう」という運動を行っている。 この団体は反コミュニズムでも有名で、アメリカの支配層はその点を評価。アメリカの政府機関であるUSAGM(米国グローバル・メディア庁)から法輪功へ資金が流れているのもそのためだろう。 東アジアで中国やロシアへの締め付けを強めるためには、この両国との関係を強めてきた韓国を押さえ込む必要がある。11月22日に韓国大統領府はGSOMIA(日韓の軍事情報包括保護協定)を終了するという決定を停止すると発表したが、これはアメリカの圧力があったからだろう。 アメリカでは1980年代から企業が解体され、製造業は崩壊状態にある。公教育を破綻させたことで人の育成がままならない状態だ。アメリカの支配システムを支えているのは基軸通貨を発行する特権、軍事力、そして幻影を作り出す能力などだろうが、それも揺らいでいる。
2019.11.24
このブログは読者の皆様に支えられています。年の瀬が近づく中、心苦しいのですが、カンパ/寄付をお願い申し上げます。 私たちは幻影に取り囲まれています。その幻影を描き出しているのが新聞、雑誌、出版、放送を生業としている企業、いわゆるマスコミだと言えるでしょう。学校も重要な役割を果たしています。 こうした企業が発信しているのは情報でなく宣伝であり、学校で教え込まれている知識、考え方は支配システムを維持するために都合良く歪められ、場合によっては捏造されています。その先に待っているのは地獄。「言論の自由」を放棄している人びとに「社会の木鐸」を期待することはできません。 腐りきった支配者にとって事実は隠すべきものであり、事実を探り出そうとする人は危険人物だとみなされます。現在のマスコミにはそうした危険人物が入り込む余地はありません。アカデミーの世界でも事実を探し求め、真理を探究する人は希有な存在だと言えるでしょう。 アメリカの支配者が秘密にしていた事実を明らかにして報復された人は少なくありません。例えばアメリカの電子情報機関NSAの機密資料を外部へ持ち出し、監視システムの危険な状況を内部告発したエドワード・スノーデンはロシアへ逃げ込むしかありませんでした。イラクにおけるアメリカ軍の残虐行為や2016年のアメリカ大統領選挙における民主党の不正行為を明らかにしたウィキリークスのジュリアン・アッサンジはイギリス版のグアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所で拘束されています。 そうした情況ではありますが、微力ながら、できる限りのことはしたいと思っています。事実を知ることから全ては始まるのではないでしょうか。本ブログの支援をお願い申し上げます。櫻井 春彦振込先巣鴨信用金庫店番号:002(大塚支店)預金種目:普通口座番号:0002105口座名:櫻井春彦
2019.11.23
今から56年前、つまり1963年の11月22日にアメリカ大統領だったジョン・F・ケネディが暗殺された。ソ連との平和共存を訴え、ベトナムからの撤兵を決断、イスラエルの核兵器開発を止めようとし、巨大企業の横暴を批判、通貨の発行権を私的権力から取り戻そうとした人物が殺されたのだ。 そして現在、アメリカではロシアとの軍事的な緊張を高め、中東に派兵、ラテン・アメリカや東アジアで軍事的な恫喝を続け、イスラエルのパレスチナ人弾圧を支援、私的権力による独裁体制を樹立するための政策を推進しようとする勢力が圧倒的な力を持っている。 来年には大統領選挙が予定されているのだが、いわゆる「2大政党」、つまり共和党と民主党はこの枠組みの中で活動している。有力メディアも同じことだ。 こうした政党に属しながら侵略戦争に反対し、TPP(環太平洋連携協定)を批判、銀行業務と証券業務を分離させて投機を抑制していたグラス・スティーガル法を復活するべきだと主張している民主党のタルシ・ガッバード下院議員は議員仲間だけでなく有力メディアからも攻撃されてきた。 ガッバードほど度胸はないようだが、彼女と似たことを口にしているバーニー・サンダース上院議員も似たような状況にあり、2016年の大統領選挙ではヒラリー・クリントンを候補者に内定していたDNC(民主党全国委員会)からも足を引っ張られた。その策略を明らかにする電子メールを公表したのがウィキリークスだ。 現在、民主党の最有力候補と言われているのは前副大統領のジョー・バイデンだが、ウクライナにおけるスキャンダルでどうなるかわからない。 アメリカの支配層は自分たちを世界の支配者だと思い込んでいる。神に選ばれたと信じているのかもしれない。そこで自立しようとする政権は許さない。従属度が足りないと判断された政権は買収、恫喝、暗殺、クーデター、軍事侵略などの対象になる。ターゲットを属国化するためだ。2013年当時のウクライナもそうした状況下にあった。 そこでバラク・オバマ政権のネオコンはネオ・ナチのグループを使ってクーデターを仕掛け、2014年2月にビクトル・ヤヌコビッチ大統領の排除に成功した。ヤヌコビッチは2010年の大統領選挙で勝利している。クーデターの中心にいたひとりが国務次官補だったビクトリア・ヌランドだ。 このクーデターでは副大統領だったジョー・バイデンもキエフへ入るなど暗躍しているが、ヤヌコビッチが排除された2カ月後にその息子であるハンター・バイデンが天然ガス会社ブリスマ・ホールディングス(本社はキプロス)の重役になった。 すでに本ブログでも書いたことだが、後にブリスマはハンターやデボン・アーチャーが経営するロズモント・セネカ・ボハイなる会社へ2014年11月から15年11月までの間に350万ドルが支払われている。アーチャーはエール大学の出身だが、そこでルームメートだったのがジョン・ケリー元国務長官の義理の息子であるクリス・ハインツ。 当時、ウクライナの検事総長だったビクトル・ショーキンはブリスマ、そのオーナー、ハンター・バイデン、ジョー・バイデン、大統領だったペトロ・ポロシェンコ、ポーランド大統領だったアレクサンデル・クファシニェフスキーを捜査していたが、これは潰された。 ウクライナ側の説明では、解任を求める圧力は2015年終わりから16年初めにかけての数カ月にわたったという。圧力をかけてきたのはアメリカ大使館で、その工作の黒幕はオバマやジョージ・ソロスが関係しているNABU(ウクライナ反汚職局)だと言われている。 この話を浮上させたのはジョー・バイデン自身だ。2018年1月23日にCFR(外交問題評議会)で自慢したのである。10億ドル欲しければ検事総長だったビクトル・ショーキンを6時間以内に解任しろと恫喝、実際に解任されたと語ったのだ。その話をドナルド・トランプ大統領はウクライナのボロディミル・ゼレンスキー大統領との電話で口にしたが、それを民主党やアメリカの有力メディアは内政干渉だと主張する。 判明している事実からすると、トランプ大統領の発言を内政干渉だと言うわけにはいかないが、クーデターを仕掛けて政権を転覆させる行為は明らかに内政干渉。ショーキンを解任させたのは、発覚しそうになった不正行為の揉み消し工作のようにしか見えない。 バイデンが来年の大統領選挙で勝ち残れると考えるのは楽観的すぎるだろう。そうなるとエリザベス・ウォーレン上院議員が民主党の大統領候補に選ばれる可能性が出てくる。 ウォーレンはハーバード大学の教授から上院議員になった人物で、TPP(環太平洋連携協定)に反対、崩壊状態の公的な医療や教育を問題にしてきた。内政問題ではまともな主張をしている。 しかし、外交や安全保障問題になると違う。ネオコンを含むアメリカのシオニストは昔から資金を出す代償として外交や安全保障問題を任せるように求める。内政に口だしはしない。ネオコンから見てウォーレンは許容範囲の中にいる。 以前から指摘されているが、ウォーレンはパレスチナ問題でイスラエルを批判しない。今回のボリビアにおける軍事クーデターでは「クーデター」という用語を使わず、ヘアニネ・アニェスを「暫定大統領」として認めている。 これもすでに書いたことだが、アニェスは2013年4月14日、先住民の伝統行事を悪魔の儀式だとし、先住民は都市から乾燥した高原地帯へ行けとツイッターに書き込んだキリスト教系カルトの信者。ファシストとつながるアメリカ支配層の手先だ。 また、ベネズエラに対する兵糧攻めを支持し、選挙で選ばれたニコラス・マドゥロ大統領を独裁者だと批判する一方、「暫定大統領」を自称するアメリカの傀儡、フアン・グアイドを認めている。 アメリカは軍事侵略で世界に破壊と殺戮を広げ、略奪を続けている。エリザベス・ウォーレンがそうした行為を批判しているようには見えない。
2019.11.22
トルコとの国境から30キロメートルの幅でシリア領に緩衝地帯を設けることをロシアのウラジミル・プーチン大統領とトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領がソチで決めたのは10月22日のこと。それにともない、クルドの武装勢力はその地域から撤退することになった。 しかし、非武装のクルド系住民は撤退する必要がなく、今でも住み続けている。11月1日からトルコ軍とロシア軍の合同パトロールが始まったが、その後、パトロール中の部隊が一部クルド系住民からの投石を受けているようだ。火炎瓶を投げる人もいるという。 シリアでの戦乱や2011年3月にアメリカ、イスラエル、サウジアラビア、イギリス、フランス、トルコ、カタールなどがサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心とする武装集団を送り込んだところから始まった。それらは「ジハード」という看板を掲げている。 そのジハード傭兵は現在、イドリブなど一部に残っているだけ。2015年9月末にシリア政府の要請で介入したロシア軍に壊滅させられたのである。アメリカなどの侵略勢力は新たな手先が必要になり、目をつけたのがクルドだ。 ジハード傭兵は雇い主によっていくつかの系統に別れる。アメリカは自分たちの手駒をヘリコプターで救出、当初はアフガニスタンへ、その後はユーフラテス川沿いの油田地帯からイラク政府ににかけての地域へ運んだと見られている。 ジハード傭兵の一部はクルド軍に拘束されていたが、そのクルド軍は撤退する際にそうした傭兵を解放、トルコ軍とロシア軍で編成されたパトロール隊に対する襲撃に加わっている可能性が高い。 シリア政府にとってクルドはシリア人であり、敵ではないという立場だが、今でもクルドの一部がアメリカやイスラエルと連携していることは否定できない。そのクルドとトルコは歴史的に敵対関係にある。 当初はシリア侵略に加担したトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン政権だが、戦争が長期化してことで自国の経済が疲弊、戦争から離脱してアメリカからロシアへ乗り換えた。2016年6月にエルドアン大統領は前年11月のロシア軍機撃墜を謝罪し、7月13日には同国の首相がシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆する。 その2日後、トルコでは軍事蜂起(クーデター未遂)が引き起こされた。エルドアン政権はクーデターを試みたのはフェトフッラー・ギュレンの一派だと主張、アメリカでCIAに保護されている同派の指導者、ギュレンを引き渡すようにアメリカ政府へ求めているが、拒否されている。 それだけでなく、トルコ政府はクーデター計画の背後にアメリカ中央軍のジョセフ・ボーテル司令官やジョン・キャンベルISAF司令官がいたとも主張している。アメリカ政府がギュレンのグループを使ってエルドアン政権を倒そうとしたというわけだ。 本ブログでもすでに書いたことだが、トルコとの国境に近いラース・アル・アインでトルコ軍とシリア政府軍との間で激しい戦闘があったとも伝えられた。シリア政府は自らが支援を要請したロシアやイラン以外の国が送り込んだ軍隊を侵略軍と位置づけている。当然の主張だが、トルコ軍もアメリカ軍などと同じように侵略軍ということになる。 トルコとの国境近くに設定された緩衝地帯が不安定化し、トルコ軍が新たな作戦を始めた場合、シリア政府との関係は悪化し、ロシア政府も舵取りが難しくなる。アメリカの支配層はその辺を狙っているだろう。
2019.11.21
アメリカをはじめとする各国の有力者に未成年の男女を提供する一方、その事実を利用して恫喝する仕組みで重要な役割を果たしていたジェフリー・エプスタインが拘留中に死亡したのは8月10日のことだ。彼が死んだ房のシーツは紙のように弱く、首をつることは困難だという人もいる。首の骨が何カ所か折れているとも伝えられている。 死の前日に同房者はほかへ移動、問題の瞬間における監視カメラの映像は利用できない状態で、エプスタインが死んだ時に担当の看守ふたりは過労で居眠りしていたのだとされていた。勿論、睡眠薬を飲まされていた可能性も否定できない。その看守が11月19日に逮捕された。 シリアのバシャール・アル・アサド大統領は11月14日にロシアのテレビ局のインタビューで、エプスタインはアメリカやイギリスをはじめとする各国要人の秘密を知りすぎていたので殺されたと語っているが、同じように考えている人は少なくないだろう。 エプスタインの友人としてビル・クリントン、ドナルド・トランプ、イスラエルの首相だったエフード・バラク、ハーバード大学のアラン・ダーショウィッツ教授、そしてイギリスのアンドリュー王子などの名前が挙がっている。そのアンドリュー王子はBBCの番組で自分がエプスタインの友人だということを認め、エプスタインの邸宅は便利だったと語った。 そのエプスタインがどのような人間なのかをアンドリュー王子も知っていただろう。エプスタインは今回と同じ容疑で2005年に逮捕されているのだが、処罰は軽かった。その時に事件を地方検事として担当したアレキサンダー・アコスタによると、エプスタインは「情報機関に所属している」ので放っておけと言われたという。 エプシュタインの背後にいるのはイスラエルの情報機関だ。彼の妻だったギスレイン・マクスウェルの父親、ロバート・マクスウェルはミラー・グループの総帥だったと同時に、1960年代からイスラエルの情報機関のエージェントだったとも言われている。 その情報機関は「モサド」だと言われることが多いが、かつてイスラエル軍の情報機関の中枢にいたアリ・ベンメナシェによると、ロバート・マクスウェルはイスラエル軍の情報機関に所属、娘のギスレインやエプスタインも同じだという。(Zev Shalev, “Blackmailing America,” Narativ, Septemner 26, 2019)このロバートは1991年11月、カナリア諸島沖で死体となって発見された。 エプスタインの犯罪行為を3年前にアメリカのネットワーク局ABCは知っていたことが明らかにされている。アンドリュー王子やクリントンらとの関係を強要されていたという女性の告発を聞いていたのだ。その告発者は裏づけになる写真を持っていたという。その告発は握りつぶされた。 若い女性や男性を提供し、その事実を恫喝に使うという仕組みはエプスタインの前から行われていた。前任者と考えられているのは赤狩り時代にFBIのJ・エドガー・フーバー長官とジョセフ・マッカーシの間に入っていた弁護士のロイ・コーン。立場はマッカーシーの法律顧問だった。後にトランプの顧問弁護士になる。 コーンは禁酒法時代に密造酒で大儲けしたルイス・ローゼンスティールと「親子のように」緊密な関係にあり、犯罪組織のガンビーノ・ファミリーのメンバー、例えばジョン・ゴッチとも緊密な関係にあったとされている。 ローゼンスティールの同業者で親しい間柄だったのがサミュエル・ブロンフマン。その息子であるエドガー・ブロンフマンも情報機関とつながっていた、あるいは動かしていたと言われている。 ところで、アメリカの属国である日本においても似た仕組みが作られている疑いがある。
2019.11.20
アメリカから経済戦争を仕掛けられているイランでは政府に対する抗議活動が続いている。そうした抗議を続けている人をアメリカのマイク・ポンペオ国務長官は「誇り高き人」と表現して支援を表明した。11月16日のことだ。 言うまでもなく、経済戦争の目的は相手国の内部に不満を高め、不安定化させることにある。その不満を高めるようとしてイランで経済的な苦境に抗議する人びとを支援したつもりなのだろう。 ターゲット国を不安定化させるため、その国内に自分たちの手先になる人びとのネットワークを築くことも少なくない。かつて植民地にしていたような国に張り巡らされたネットワークは強力だ。 そのネットワークの中心にはエリート層が存在する。例えば軍、検察、警察といった暴力装置、アメリカ資本の手先として働いている製造業や金融機関の経営者、そうした階級に入って豊かな生活を予定している学生、労働者を管理するために働いている労働組合の幹部などだ。 ラテン・アメリカではこうしたネットワークを崩して民主的な政権が登場することもあるが、クーデターで潰されてきた。例えば1948年4月にコロンビアのホルヘ・エリエセル・ガイタンが暗殺されている。軍事クーデターがあった国には、例えば1954年のグアテマラ、64年のブラジル、73年のチリ、76年のアルゼンチン、80年のボリビア、2009年のホンジュラス、そして今回のボリビアなどが有名だが、それ以外にも少なくない。 ベネズエラではウゴ・チャベスが大統領選挙に勝利した1998年からアメリカ支配層は政権転覆を目論んできた。2002年にはジョージ・W・ブッシュ政権がクーデターを実行しようとした。 このクーデター計画で中心になったのはイラン・コントラ事件に登場するエリオット・エイブラムズ、キューバ系アメリカ人で1986年から89年にかけてベネズエラ駐在大使を務めたオットー・ライヒ、そしてジョン・ネグロポンテ国連大使だ。 エイブラムズはCIAが1980年代に中米で行った秘密工作に参加していた。その当時、ニカラグアでは反革命ゲリラのコントラを使って政権転覆を目論み、エル・サルバドルの「汚い戦争」にも関係している。 エル・サルバドルでは1980年3月にCIAの手先になっていた軍人や警官がカトリックのオスカル・ロメロ大司教を暗殺、その年の12月にはカトリックの修道女ら4名を惨殺、81年12月にはエル・モソテの村で住民900名から1200名を殺した。エイブラムズはそのエル・モソテの村での虐殺について1982年2月に上院外交委員会で偽証している。 ラテン・アメリカの場合、軍事クーデターの実行グループはアメリカ政府が創設したSOA(南北アメリカ訓練所)で訓練を受けた軍人、あるいは元軍人が中心になってきた。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、SOAはラテン・アメリカの軍人を訓練するためにアメリカ政府が1946年にパナマで創設した施設。そこではアメリカの軍人や情報機関員から対反乱技術、狙撃訓練、ゲリラ戦、心理戦、軍事情報活動、尋問手法などを学ぶのだ。 こうしたラテン・アメリカにおけるアメリカの手先を動かしているのはCIAだが、この関係からヨーロッパのネオ・ナチ、イスラム世界におけるサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団などともつながっている。 1980年代からアメリカはこうしたネットワークに「民主」、「自由」、「人道」といったタグをつけるようになった。そのタグをつけ、宣伝する役割を負っているのが有力メディアであり、宣伝の演出者が宣伝会社だ。それによって西側では民主主義を破壊する行為に反対する人は激減している。 表面だけを見ていると、本当に民主主義を実現しようと戦っている人びとなのか、あるいは民主主義を破壊しようとしている人びとなのかは区別がつかない。 その実態を調べる必要があるのだが、とりあえず見当をつける方法はある。西側の有力メディアが攻撃、あるいは無視している人びとは本物であり、そうしたメディアに支援されている人びとは偽物である可能性が極めて高い。
2019.11.19
ラテン・アメリカで新自由主義を巡る戦いが激しくなっている。新自由主義は一部の人びとへ全ての富を集中させる仕組みを作り上げ、富を独占する私的権力へ国を上回る力を与えることを目標にしている。それに対する反発が強まっているのだ。 ラテン・アメリカはアングロ・アメリカの「裏庭」だと言われてきた。ラテン・アメリカの資源をアングロ・アメリカを拠点とする巨大資本が独占するという宣言とも言える。 かつてのスペインやポルトガルの支配層と同じように、アメリカの支配層はラテン・アメリカの資源を略奪、私的な富の源泉にしてきた。そのラテン・アメリカが真の意味で独立することを彼らは許さない。 第2次世界大戦の後、アメリカの支配層はラテン・アメリカをナチスの残党たちを匿うために利用した。本ブログでは繰り返し書いてきたが、ウォール街やシティ、つまり米英の金融資本はナチスのパトロン的な存在だった。1933年から34年にかけての時期にウォール街の住人がフランクリン・ルーズベルト政権を倒すためにクーデターを計画した理由もそこにある。 ナチスに率いられたドイツは1941年6月にソ連侵略を開始する。バルバロッサ作戦だ。その時に東へ向かったドイツ兵は約300万人、西部戦線に残ったドイツ軍は90万人にすぎなかったと言われている。西側の守りを懸念するドイツ軍の幹部は軍の半分を残すべきだとしたが、アドルフ・ヒトラーがその進言を退けたという。そこで、ヒトラーは西側から攻めてこないことを知っていたのではないかと推測する人もいる。 ドイツ軍は1942年8月にスターリングラードの市内へ突入するのだが、11月になるとソ連軍が猛反撃を開始、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲されてしまった。生き残ったドイツ軍の将兵9万人余りは1943年1月に降伏する。この段階でドイツの敗北は決定的。そこでイギリスやアメリカは協議、ドイツに対する軍事作戦を作成、7月に両国軍は犯罪組織の協力を得てシチリア島へ上陸した。 スターリングラードでの戦いにドイツ軍が敗れると、ナチスの親衛隊はアメリカ側と接触を始める。そのアメリカ側の人間は情報機関OSSの幹部でウォール街の弁護士でもあるアレン・ダレスたち。 ダレスたちは1944年になるとドイツ軍の情報将校だったラインハルト・ゲーレン准将と接触しているが、その仲介役はダレスの部下で、ウォール街の弁護士でもあったフランク・ウィズナー。ちなみにOSSの長官だったウィリアム・ドノバンはダレスの友人で、自身もウォール街の弁護士だ。 大戦が終わった直後、ローマ教皇庁の要職にあったジョバンニ・バティスタ・モンティニなる人物がナチスの大物にバチカン市国のパスポートを提供し、逃走を助けはじめている。 モンティニは後のローマ教皇パウロ6世で、ヒュー・アングルトンというアメリカ人と親しくしていた。ヒューのボスにあたる人物がアレン・ダレス。ヒューの息子であるジェームズ・アングルトンはCIAで秘密工作に深く関与することになる。このローマ教皇庁が協力した逃走ルートは一般的にラッテ・ラインと呼ばれている。 ダレスたちは大戦後の1948年からナチスの元幹部や元協力者の逃走を助け、保護し、雇い入れる「ブラッドストーン作戦」を始めている。この作戦で助けられた人物の中には親衛隊の幹部だったオットー・スコルツェニーやゲシュタポ幹部で「リヨンの屠殺人」とも呼ばれていたクラウス・バルビーも含まれていた。 元ナチス幹部たちを逃がした先がラテン・アメリカ。ナチスの元幹部たちはまずアルゼンチンへ運ばれ、そこから分かれていき、アメリカの秘密工作に協力したと言われている。バルビーが1980年にボリビアでのクーデターに協力したことは本ブログでも書いた通り。 このクーデターにはステファノ・デレ・キアイエなる人物も協力している。NATOの加盟国には破壊活動を目的とする秘密部隊が存在、イタリアの組織はグラディオ。(Jeffrey M. Bale, “The Darkest Sides Of Politics, I,” Routledge, 2018) デレ・キアイエはグラディオの工作に参加していた。この秘密部隊は1970年にイタリアでクーデターを試みて失敗しているが、これにもデレ・キアイエは加わっている。クーデターに失敗した後、彼はスペインへ逃亡、1973年にはCIA主導の軍事クーデターを成功させたチリを訪問、オーグスト・ピノチェト政権の幹部たちと会っている。 こうしたネットワークはラテン・アメリカだけでなく、アングロ・アメリカやヨーロッパにも広がっていて、それは今でも消えていない。ウクライナでネオ・ナチが登場したのも必然なのだ。
2019.11.18
ボリビア軍の最高指揮官だったウィリアム・カリマンからの「最後通牒」を受けてエボ・モラレス大統領が「辞任」、メキシコへ脱出したのは11月10日。軍と警察が離反したことを受けての決断だった。12日には上院の副議長のヘアニネ・アニェスが「暫定大統領」を名乗り始めた。 アニェスが所属する勢力は議会の少数派であり、「暫定大統領」を名乗る資格はないはずだが、その宣言をアメリカ、ブラジル、コロンビア、グアテマラ、ドイツ、イギリスだけでなく、ロシアも承認した。その自称「暫定大統領」はベネズエラで同じように「暫定大統領」を名乗るフアン・グアイドを承認している。 ベネズエラの場合、軍はニコラス・マドゥロ大統領を支持したことからクーデターは失敗に終わったものの、火種は残っている。石油資源を持つベネズエラをアメリカの支配層が諦めることはないだろう。 モラレスは先住民系の人物である。ボリビアでは70%近くがヨーロッパ系と先住民系の混血だとされているが、20%は先住民系。ヨーロッパ系は5%ほどだ。 言うまでもなく、ボリビアを含むアメリカ大陸はヨーロッパ人に侵略され、現在に至っている。ラテン・アメリカは食糧や鉱物資源に恵まれた豊かな地域だが、その歴史は殺戮、破壊、略奪の連続である。その富をヨーロッパ人は奪ってきた。そうした歴史によってヨーロッパ系が支配階級、先住民が被支配階級という構造が形成された。 支配階級の手先であるアニェスは2013年4月14日、先住民の伝統行事を悪魔の儀式だとし、先住民は都市から乾燥した高原地帯へ行けとツイッターに書き込んでいる。 この人物はキリスト教系カルトの信者だと言われているが、彼女の周辺にはファシストが存在、そうした勢力をアメリカの情報機関が支え、その背後にはアメリカ系巨大資本が存在している。 先住民がクーデターに抗議するのは当然のことだが、その抗議活動を警察は弾圧、すでに20名以上が殺された。
2019.11.17
言うまでもなく、ボリビアのエボ・モラレス大統領が辞任したのは軍の最高指揮官だったウィリアム・カリマンから「最後通牒」を受けてのこと。選挙で最も支持されたモラレスが大統領を辞めたのは軍と警察、その背後にいるアメリカの巨大資本からの恫喝に屈したわけで、自発的に辞めたわけではない。だからこそ、現在でもクーデターに反対する人びとの抗議活動は続いている。その事実を隠すための仕事をしているのがアメリカをはじめとする西側の有力メディアだ。 このカリマンのほか、クーデターを指揮したマンフレド・レイェス・ビラ、レンベルト・シレス・バスケス、ジュリオ・セーザ・マルドナド・レオニ、オスカル・パセロ・アギレ、テオバルド・カルドソ・ゲバラはSOA(南北アメリカ訓練所)で訓練を受けた軍人、あるいは元軍人である。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、SOAはラテン・アメリカの軍人を訓練するためにアメリカ政府が1946年にパナマで創設した施設。そこではアメリカの軍人や情報機関員から対反乱技術、狙撃訓練、ゲリラ戦、心理戦、軍事情報活動、尋問手法などを学ぶ。 毎年700から2000名の軍人が訓練を受け、卒業生は帰国後、アメリカの巨大資本の利権にとって邪魔な人びとを排除するために「死の部隊」を編成したり、民主的に選ばれた政権を軍事クーデターで潰す際の中核になってきた。モラレス政権もその餌食になったわけである。 この仕組みで倒された政権には、チリのサルバドール・アジェンデ政権も含まれる。アジェンデは1970年の大統領選挙で勝利したが、アメリカの巨大資本による収奪を止め、チリ国民を豊かにする政策を進めた。そこでCIAの手先だったオーグスト・ピノチェトを中心とする軍人が1973年9月11日に軍事クーデターでアジェンデ政権を倒している。 このチリにはDINAという情報機関があり、これを中心にして軍事体制だったアルゼンチン、ボリビア、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイなどは情報機関が暗殺や誘拐をするための互助ネットワーク、コンドルを1975年9月に創設した。勿論、このネットワークの背後にはCIAが存在している。 1984年にSOAはパナマから追い出され、アメリカのジョージア州フォート・ベニングへ移動し、2001年にはWHISC(またはWHINSEC)へ名称を変更したが、行っていることに大差はない。 アジェンデ政権が倒されたケースでは、軍事クーデターを指揮したピノチェトがアメリカの手先として実権を握ったが、そうした露骨なことを最近は行わなくなっている。見え見えではあるが、民主的な演出をするようになった。 CIAの指揮下、ピノチェトが軍事クーデターを成功させた頃にアメリカの議会では情報機関による秘密工作や多国籍企業の活動などが問題になっていた。上院のチャーチ委員会や下院のパイク委員会による調査が有名だろう。 1970年代の終盤にアメリカ政府はアフガニスタンで秘密工作を開始、戦闘員としてサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を訓練、武器などを与えて送り込んだ。仕組みはSOAと同じだが、ラテン・アメリカで戦闘員は「死の部隊」と呼ばれていたが、アフガニスタンでは「自由の戦士」というタグがつけられた。 ロナルド・レーガン政権は侵略に「民主」、「自由」、「人道」といったタグをつけるようになる。一種のイメージ戦争だが、この作戦は「プロジェクト・トゥルース」や「プロジェクト・デモクラシー」と呼ばれた。 イメージ戦争ではメディアの役割が重要になる。レーガン時代から巨大資本によるメディア支配は急速に進んだ。1990年代に入ると広告会社の存在感が強まり、作り話が多用されるようになった。この戦術は有効で、大多数の人びとは支配層が作り出す幻影に陶酔している。
2019.11.16
バラク・オバマやヒラリー・クリントンを担いでいた勢力に支配されている民主党はFBI、CIA、有力メディアと連携してアメリカとロシアとの関係を悪化させようとしてきたが、思惑通りに進んでいない。「ロシアゲート」の嘘を隠しきれなくなった後、ウクライナを舞台にした新たな嘘で軍事的な緊張を高めようとしているが、その新たな嘘も明らかにされ始めている。 ウクライナではオバマ政権時代の2014年2月にネオナチによるクーデターがあり、2010年の大統領選挙で勝利したビクトル・ヤヌコビッチは排除された。そのクーデターの黒幕はオバマ政権のネオコンで、その中心は国務次官補だったビクトリア・ヌランドだ。 クーデターの最中、ヤヌコビッチを支持するクリミアの住民がバスでキエフに入るが、キエフの惨状を見てクリミアへ戻ろうとする。その時にクリミアの住民を乗せたバスが銃撃され、止まったバスから人びとは引きずり出され、棍棒やシャベルで殴られ、ガソリンをかけられて火をつけると脅された。 こうした話はクリミアに伝わり、3月16日のロシアとの統合を求める住民投票につながる。80%以上の住民が参加した投票の結果、95%以上が加盟に賛成した。 クリミアは黒海に突き出た半島で、セバストポリは黒海艦隊の拠点。ロシアはこの拠点を確保するため、1997年にウクライナと条約を結び、基地の使用と2万5000名までのロシア兵駐留が認められていた。クーデター当時、この条約に基づいて1万6000名のロシア軍が実際に駐留していたのだが、西側の政府やメディアはこの部隊をロシア軍が侵略した証拠だと宣伝、それを真に受けた人も少なくない。 軍事的に重要なクリミアの制圧に失敗したアメリカ政府はヤヌコビッチの支持基盤だった南部や東部で殺戮を開始する。ウクライナ南部の港湾都市オデッサでは5月2日に反クーデター派の住民がネオ・ナチのグループに虐殺された。 住民を建物の中に避難させたうえで撲殺、さらに火を放って焼き殺したのだが、この事件は4月12日にCIA長官だったジョン・ブレナンがキエフを極秘訪問したところから始まると考えられている。 その2日後にクーデター政権の大統領代行がウクライナ全域の制圧作戦を承認、4月22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪問する。この段階でバイデンはウクライナにおいて重要な役割を果たしている。それにタイミングを合わせるようにしてオデッサに対する工作が話し合われた。 オデッサで住民を殺したのはアメリカ/NATOを後ろ盾とするネオ・ナチだが、その環境作りに利用されたのは「サッカー・ファン」だ。 午前8時にその「ファン」を乗せた列車が到着、赤いテープを腕に巻いた一団(UNA-UNSOだと言われている)が「ファン」を反クーデター派住民が集まっていた広場へ誘導、広場にいた住民は労働組合会館の中へ避難するように言われ、その指示に従った。 住民が入った建物に向かって火炎瓶が投げ込まれ、内部は火の海になる。焼き殺された人は少なくないが、中へ入ったネオ・ナチに殺害された人もいたようだ。建物へ向かっての銃撃も映像に残っている。 この時に48名が殺され、約200名が負傷したと伝えられているが、これは確認された数字にすぎない。住民の証言によると、多くの人びとが地下室で惨殺され、犠牲者の数は120名から130名だろいう。 オデッサの虐殺から1週間後の5月9日にクーデター軍の戦車がドネツク州マリウポリ市に突入し、住民を殺している。9日はソ連がナチスに勝ったことを記念する戦勝記念日で、街頭に出て祝う住民がいた。そうした人々を攻撃したわけである。そこからドンバスでの戦闘が始まるのだが、軍や治安機関の中にもクーデターに繁多する人はいて、ドンバスの武装勢力に合流している。 そうした中、2014年4月にジョー・バイデンの息子、ハンター・バイデンは天然ガス会社ブリスマ・ホールディングス(本社はキプロス)に就任した。その頃、ジョーはキエフを訪問していたわけだ。 後にブリスマはハンターやデボン・アーチャーが経営するロズモント・セネカ・ボハイなる会社へ2014年11月から15年11月までの間に350万ドルを支払っている。アーチャーはエール大学の出身だが、そこでルームメートだったのがジョン・ケリー元国務長官の義理の息子であるクリス・ハインツ。 ビクトル・ショーキンが検事総長だった当時、ウクライナ検察はブリスマ、そのオーナー、ハンター・バイデン、ジョー・バイデン、大統領だったペトロ・ポロシェンコ、ポーランド大統領だったアレクサンデル・クファシニェフスキーを捜査していたが、これは潰された。 ウクライナ側の説明では、解任を求める圧力は2015年終わりから16年初めにかけての数カ月にわたったという。圧力をかけてきたのはアメリカ大使館で、その工作の黒幕はオバマやジョージ・ソロスが関係しているNABU(ウクライナ反汚職局)だと言われている。 この揉み消し工作をジョー・バイデンは2018年1月23日にCFR(外交問題評議会)で自慢している。10億ドル欲しければ検事総長だったビクトル・ショーキンを6時間以内に解任しろと恫喝、実際に解任されたと語ったのだ。その話をドナルド・トランプ大統領はウクライナのボロディミル・ゼレンスキー大統領との電話で口にした。 その会話の前、今年2月の初めにはハンターに対する捜査を再開する動きがあったという。この捜査を止める必要があると考える勢力が存在している。
2019.11.15
ボリビアのエボ・モラレス政権を倒したクーデターに軍や警察が参加していたが、その中心グループはアメリカ政府の創設した破壊活動訓練施設の出身だった。 この施設は1946年にパナマでSOA(南北アメリカ訓練所)として創設された。その卒業生は帰国後、アメリカの巨大資本の利権にとって邪魔な人びとを排除するために「死の部隊」を編成したり、民主的な政権を軍事クーデターで潰す際の中核になる。 1984年にSOAはパナマから追い出され、アメリカのジョージア州フォート・ベニングへ移動。2001年にはWHISC(またはWHINSEC)へ名称を変更したが、行っていることに大差はない。 この施設の卒業生は、例えば、1948年4月にコロンビアのホルヘ・エリエセル・ガイタンを暗殺、54年6月にはグアテマラのヤコボ・アルベンス・グスマン政権を軍事クーデターで潰した。1973年9月にはチリのサルバドール・アジェンデ政権もSOA卒業生による軍事クーデターで倒されている。 また、アメリカの巨大資本にとって邪魔な人を殺す「死の部隊」も同じ人脈によって実行されてきた。 今回のボリビアにおけるクーデターを仕掛けたのはアメリカ政府であり、その背後には巨大資本が存在するが、現地で実際に動いていたグループの中心人物はコチャバンバで市長を務めたことのある元軍人のマンフレド・レイェス・ビラ。 そのほか、軍の幹部だったレンベルト・シレス・バスケス、ジュリオ・セーザ・マルドナド・レオニ、オスカル・パセロ・アギレ、テオバルド・カルドソ・ゲバラが加わっていたのだが、この4人はいずれもSOA出身。事前にモラレス大統領の辞任を予告していた軍司令官のウィリアム・カリマンもSOAで訓練を受けている。 モラレス大統領が引きずり下ろされた理由はいくつか考えられる。例えば、大統領に就任した2006年から18年までに文盲率を13.0%から2.4%へ、また失業率を9.2%から4.1%へ、貧困率は60.6%から34/6%へ、また極貧率は38.2%から15.2%へ低下させた。これは新自由主義の理念に反する。アメリカの支配層にとっては不愉快なことだろう。 アメリカに限らないが、欧米の「先進国」はラテン・アメリカ、アフリカ、中東、アジアで資源を盗み、人びとを劣悪な状態で働かせて富を独占してきた。その略奪に金融システムも組み込まれているが、そのシステムで重要な役割を果たしている機関のひとつがIMF。 モラレス政権はIMFの呪縛から抜けだし、資源を自国民の為に使おうとした。そうした資源のひとつがリチウム。ボリビアのリチウム埋蔵量は900万トンから1億4000万トンだといわれているが、それをアメリカの巨大資本は自分たちのカネ儲けに利用するつもりだ。勿論、アメリカの支配層はこの資源をボリビアの庶民のために使う気はない。
2019.11.14
エボ・モラレスはボリビアを脱出してメキシコへ向かったようだ。10月20日の選挙で勝利、大統領を続けることになったのだが、中産階級より豊かな階層を母体とする抗議活動が激しくなる一方、軍や警察が大統領から離反、内戦を避けるためにモラレスは大統領を辞任したと言われている。 この軍事クーデターの背景には埋蔵量は900万トンから1億4000万トンだというリチウムの利権があると考えらている。モラレス政権は中国との関係が深く、それを欧米の支配層が嫌った可能性は高い。 このクーデターを率いていたルイス・フェルナンド・カマチョはファシスト運動の中から現れた富豪。キリスト教系カルトの信者でもあるが、その背景を知るには少なくとも第2次世界大戦直後からの歴史を思い起こす必要がある。 第2次世界大戦後のアメリカの支配層はローマ教皇庁の協力者の手を借りてナチスの元高官や協力者をラテン・アメリカへ逃がしていた。「ブラッドストーン作戦」だ。その作戦で逃げたひとりがゲシュタポの幹部だったクラウス・バルビー。 ボリビアでは1980年7月にもクーデターがあった。アメリカを後ろ盾とする軍人と大物麻薬業者が手を組んで実行したのだが、クーデター計画の立案者はバルビーだと言われている。このクーデターにはイタリアにおけるNATOの秘密部隊グラディオのステファノ・デレ・キアイエも参加していたという。 ところで、モラレスは流血の惨事を避けるために辞任したというのだが、すでに反クーデター派の人びとは自宅を放火されたり銃撃されるなど弾圧の対象になり始めている。 CIAは1953年にグアテマラでヤコボ・アルベンス・グスマン政権をクーデターで倒した。アメリカを拠点とする巨大資本が持つ利権にとって脅威だとドワイト・アイゼンハワー政権は判断したのだ。 グアテマラの庶民は相当数が戦う意思を示していたのだが、軍人はCIAに買収されていた。モラレスと同じように流血の惨事を避けるため、アルベンスは1954年6月に大統領官邸を離れる。 クーデターで誕生した政権は労働組合の結成を禁止、ユナイテッド・フルーツでは組合の中心的な活動家7名が変死している。クーデター直後にコミュニストの疑いをかけられた数千名が逮捕され、その多くが拷問を受けたうえで殺害された。その後40年の間に殺された人の数は25万人に達するという。
2019.11.13
香港における反中国派の行動が過激化しているようだ。早い段階から交通機関を止め、建造物を破壊してきたが、ここにきて目立つのは放火。反中国派に抗議する57歳の男性、リャン・チーチャン(梁志祥?)に可燃性の液体をかけた上で火をつけるということもあった。その男性は体の28%を火傷、入院中だ。男性に火をつけたのは20名余りの反中国派で、すぐに現場から逃走した。反中国派の指導者たちは放火犯を「火の魔術師」と呼んでいる。 破壊活動を行っている人びとを警察は逮捕しているが、香港の特殊性から、すぐに保釈されて街頭へ戻っている。反中国派は安心して破壊活動を続けられるということだが、それによって香港の経済、香港人の生活は大きなダメージを受けた。 そうした事態に市民の間で怒りが高まっているとも伝えられている。交通担当の警官が活動家を銃撃する場面も流れているが、それだけ市民の間で取り締まりの強化を求める声が高まっているということでもある。 反中国派の活動が過激化している一因は支持が広がらないことだろう。そこで過激な行動に出て当局を挑発していると見られているのだが、これまで当局は抑制的に対処してきた。そこで挑発行動をエスカレート、市民の反発が強まるという流れで現在に至っている。 反中国派の背後にアメリカやイギリスの情報機関、つまりCIAやMI6が存在している可能性はきわめて高く、今年8月6日にはアメリカのジュリー・イーディー領事がJWマリオット・ホテルで反中国派の黄之鋒(ジョシュア・ウォン)や羅冠聰(ネイサン・ロー)を含むグループと会っているところが撮影されている。前にも書いたように、イーディーはCIAの非公然オフィサーだと噂されている。 黄之鋒、羅冠聰、そして周永康(アレックス・チョウ)は反中国派の看板的な存在だが、そうした若者とCIAやMI6の間には元王室顧問弁護士の李柱銘(マーチン・リー)、メディア王と呼ばれている新自由主義者の黎智英(ジミー・リー)、香港大学の戴耀廷(ベニー・タイ)副教授、あるいは陳日君(ジョセフ・ゼン)、余若薇(オードリー・ユー)、陳方安生(アンソン・チャン)などがいる。 こうした人びとは目立つが、反中国運動を支えているのは法輪功というカルトだとも指摘されてきた。このカルトが出現したのは1992年。その教義は仏教と道教を合体したものだとされているが、創始者の劉振営はキリスト教の福音主義者で、「エルサレムへ戻ろう」という運動を行っている。 ムスリム同胞団やフェトフッラー・ギュレンのグループと同じように、法輪功も学校を建設、信奉者を作り、活動する拠点にしている。 法輪功はイギリスのフィリップ王子を含むグループとつながりがあると言われ、ユーゴスラビアへの先制攻撃をビル・クリントン政権の国務長官として推進したマデリン・オルブライトからも支援されている。
2019.11.13
トルコ内務省は11月8日、拘束しているダーイッシュ(イスラム国、IS、ISIS、ISILとも表記)戦闘員のうちヨーロッパ出身者を国外へ追放すると発表した。そのトルコでシリア市民防衛(SCD、通称「白いヘルメット」)創設者のジェームズ・ル・ムズリエが11月11日に死亡、注目されている。 その3日前、ロシア外務省の広報官、マリア・ザハロワはル・ムズリエをイギリスの対外情報機関、つまりMI6に所属していたと指摘したうえで、「アル・カイダ」と彼がどのように関係していたかを明らかにするよう求めていた。以前からル・ムズリエはMI6の「元」エージェントだと指摘されていた人物で、SCDはジハード傭兵の医療部隊だとも指摘されている。 ダーイッシュが売り出されたのは2014年だった。アメリカをはじめとする外国勢力がシリアのバシャール・アル・アサド政権を倒す目的で侵略戦争を始めたのは2011年3月。リビアより1カ月遅れだ。 その年の10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制は倒され、カダフィ自身は惨殺された。リビアではNATO軍が空爆、地上ではアル・カイダ系のLIFGを中心とする戦闘集団が政府軍と戦っていた。カダフィ体制が崩壊した後、戦闘員は武器と一緒にトルコ経由でシリアへ移動したのである。 その段階でNATO軍がアル・カイダ系戦闘集団と手を組んでいることを知る人が増え、その事実が西側の有力メディアでも伝えられた。それに対し、バラク・オバマ米大統領は自分たちが支援しているのは「穏健派」だと主張するようになる。 そのオバマ政権の「穏健派支援」を危険だと警告したのがアメリカ軍の情報機関DIAだった。オバマ政権が支援している武装勢力はサラフィ主義者やムスリム同胞団が主力で、政府軍と戦っている集団としてアル・ヌスラ(AQIと実態は同じだと指摘されていた)の名前を挙げている。シリアの反政府軍に穏健派は存在しないということであり、オバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるともDIAは警告していた。 その警告通り、2014年にサラフィ主義者の支配地域が出現する。そのサラフィ主義者、つまりダーイッシュは自らの残虐さをアピール、世界の人びとにショックを与えた。そのショックを利用してアメリカ軍はシリア政府の承認を得ないままシリア領内で空爆を始める。 DIAがオバマ政権の「穏健派支援」が危険だと警告した頃、つまり2012年8月にオバマ大統領は軍事介入の「レッド・ライン」として生物化学兵器の使用を掲げ、同年12になると国務長官だったヒラリー・クリントン国務長官がアサド大統領は化学兵器を使う可能性があると語った。 そして2013年1月29日付けのデイリー・メール紙には、イギリスの軍事関連企業ブリタム防衛の社内電子メールに、オバマ政権がシリアで化学兵器を使ってその責任をアサド政権に押しつける作戦をオバマ大統領が許可したという記述があるとする記事が載った。(同紙のサイトからこの記事はすぐに削除された)その後、西側の政府や有力メディアはシリア政府軍が化学兵器を使ったという宣伝を展開する。 そうした中、2013年3月にル・ムズリエはトルコでSCDを編成し、訓練を始めた。公開された映像からそのメンバーは医療行為の訓練を受けていないと指摘する人もいる。 SCDのメンバーがアル・カイダ系武装集団と重複していることを示す動画や写真の存在、アル・カイダ系武装集団が撤退した後の建造物でSCDと隣り合わせで活動していたことを示す証拠などがバネッサ・ビーリーやエバ・バートレットらによって確認されている。 設立資金の30万ドルはイギリス、アメリカ、そして日本から得たという。その後、西側のNGOやカタールを経由してアメリカ政府とイギリス政府から1億2300万ドルが渡ったとされている。 ル・ムズリエはイギリス軍の元軍人で、2000年に退役、その後オリーブ・グループという傭兵組織の特別プロジェクトの幹部になった。この組織は後にアカデミ(ブラックウォーターとして創設、Xeに改名、現在に至る)に吸収されている。 2008年に彼はオリーブ・グループを離れてグッド・ハーバー・コンサルティングへ入り、アブダビを拠点として活動し始めるのだが、この段階でもイギリスの情報機関と緊密な関係を維持している。
2019.11.12
ボリビアのエボ・モラレス大統領が辞意を表明、大統領選挙の実施を呼びかけた。モラレスは10月20日の選挙でアメリカ支配層から支援を受けているカルロス・メサに勝利したのだが、反モラレス派は抗議活動を開始、国営メディアを11月9日に襲撃し、軍や警察の幹部が反大統領派へついたことから政権の維持は難しいと判断したようだ。 メディアを押さえるのはクーデターの常套手段。ボリビアの場合、ラジオ局エルボルが先日、アメリカ大使館と連携して政治行動を訴える反政府派のリーダーの音声を公開していた。その音声の中にはマルコ・ルビオ、ボブ・メネンデス、テッド・クルーズといったアメリカ上院議員の名前も出てくるという。 かつて、アメリカにはジョン・マケイン3世という上院議員がいた。1967年にアメリカの情報収集船リバティがイスラエル軍に攻撃されて沈没寸前になり、乗員34名が死亡、171名が負傷するという出来事があった。詳細は割愛するが、この出来事をリンドン・ジョンソン政権は隠蔽しようとした。その隠蔽工作の責任者がジョン・マケイン・ジュニア、マケイン3世の父親だ。 マケイン3世は戦乱のアフガニスタンを訪問、侵略戦争が始まった直後のシリアへ密入国したほか、ネオ・ナチのクーデターを支援するためにウクライナへ入っているが、2018年8月に死亡した。そのマケインを引き継いだかのように現れたのがルビオ。 マケインと同じように新自由主義を支援する親イスラエル派で、イスラエルによるパレスチナ人に対する弾圧を続けるイスレルに抗議するBDS(ボイコット、資本の引き揚げ、制裁)を法的に禁止しようとしている。 BDSが始まる引き金になった出来事が1982年に引き起こされている。この年の6月6日にイスラエル軍はレバノンへの侵攻を開始、8月まで爆撃を続けた。そこにいたPLOを排除することが目的だったと見られている。8月20日にイスラエル軍がベイルートから撤退、その翌日にはPLOも撤退を開始した。 9月12日にはアメリカ、フランス、イタリアで編成された国際監視軍がレバノンから引き揚げるが、その2日後にレバノンのバシール・ジュマイエル次期大統領が暗殺された。この出来事を口実にしてイスラエル軍が15日に西ベイルートへ突入してパレスチナ・キャンプ、サブラとシャティーラを包囲。その包囲網の中でレバノンの与党であるファランジストの民兵を中核とする右派キリスト教民兵がパレスチナ人を虐殺したのは16日から18日にかけてのことだ。 民兵を率いていたのはバシール・ジュマイエルの父親であるピエーレ・ジュマイエル。事前にピエーレは親友のシャロンに手紙を書き、その中で息子の復讐を誓っている。 この虐殺で犠牲になったパレスチナ難民の数は、レバノン政府によると460名、イスラエルの報告書では700ないし800名、PLO側は死者と行方不明者を合わせて5000から7000名としている。また国際赤十字が確認した死体が663、これにブルドーザーなどを使って隠されたり運び出された死体を加えると3000名以上だともいう。 虐殺後、アリエル・シャロンと軍情報局長だったイェホシュア・サギ少将は解任されたものの、局長の部下だったモシェ・ヘブロニは3カ月にわたって居座り、自分自身とボスたちの虐殺への関与を示す証拠を廃棄した。 この虐殺もあり、イギリスの労働党では親イスラエルの姿勢を改める動きが現れるのだが、党を率いていたジョン・スミス党首が1994年に心臓発作で急死、新たな党首にトニー・ブレアが選ばれた。 スミスが死ぬ4カ月前、ブレアは妻のチェリー・ブースとイスラエルを訪問、その2カ月後に彼はロンドンのイスラエル大使館で富豪のマイケル・レビーを紹介されている。このほか、ブレアはジェイコブ・ロスチャイルドやエブリン・ロベルト・デ・ロスチャイルドとも親しいという。 レビーという富豪をスポンサーにしたブレアは伝統的な労働党の支持者の意向を無視することができるようになった。これが「ニュー・レイバー」の始まり。勿論、ブレアは労働党を親イスラエルに引きも出した。こうした動きに反発した人びとがBDSを始めたのである。そのBDSにルビオは反対している。 ルビオはベネズエラの政権転覆工作にも加わっている。アメリカの支配層はフアン・グアイドなる人物を「暫定大統領」に任命、クーデターを仕掛けた。そのグアイドをルビオは支援、自分自身のツイッターにリビアのムアンマル・アル・カダフィの元気な時の姿と惨殺される寸前の様子を撮影した写真を並べて載せていた。 香港で繰り広げられている反中国運動の背後にアメリカとイギリスの情報機関が存在している。JWマリオット・ホテルでアメリカのジュリー・イーディー領事と会っているところを撮影された黄之鋒(ジョシュア・ウォン)や羅冠聰(ネイサン・ロー)も米英の手先の一部。黄之鋒は国外での宣伝活動に出てくるが、2015年11月にナンシー・ペロシ下院議長と会談、17年5月にはネオコンのマルコ・ルビオ上院議員と会っている。 ボリビアでクーデターを仕掛けているアメリカの勢力はイスラエルによるパレスチナ人弾圧を擁護し、中東や北アフリカ、旧ソ連圏での侵略戦争を支援、ラテン・アメリカにある巨大資本の利権を守ろうとしている。そうした勢力が進めている政策は私的権力による世界支配だ。このシステムをフランクリン・ルーズベルトはファシズムと呼んだ。
2019.11.11
1946年3月5日にチャーチルはアメリカのミズーリ州フルトンで「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで鉄のカーテンが大陸を横切っている」と演説し、冷戦の開幕を告げた。 1947年になると、チャーチルはアメリカのスタイルス・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んだと伝えられている。 1948年11月、イギリス外務省のグラドウィン・ジェブが委員長を務める「ロシア委員会」の「冷戦小委員会」はソ連の衛星国を武力で「解放」することを決定、空軍参謀長は5年以内にソ連の体制を転覆させたいと考えた。(Michael Holzman, “James Jesus Angleton,” University of Massachusetts Press, 2008) ジェブは1949年3月にワシントンDCを訪問、アメリカ国務省の幹部や極秘の破壊工作機関OPCの指揮者はイギリスの提案を受け入れた。作戦は1949年から53年にかけて実行されたが、失敗に終わる。物資の供給拠点はリビアにあるアメリカの空軍基地、軍事訓練はマルタで行われたという。(Michael Holzman, “James Jesus Angleton,” University of Massachusetts Press, 2008) この頃、アメリカ軍の内部ではソ連に対する大規模な核攻撃計画を作成している。当初、核攻撃の手段は戦略爆撃機で、その攻撃はSAC(戦略空軍総司令部)が担当していた。 このSACが1956年に作成した核攻撃計画に関する報告書(SAC Atomic Weapons Requirements Study for 1959)によると、ソ連、中国、そして東ヨーロッパの最重要目標に対しては水爆が使われ、ソ連圏の大都市、つまり人口密集地帯に原爆を投下することになっていた。この当時のSAC司令官はカーティス・ルメイだ。 この計画は実行を念頭に置いたもの。沖縄では1950年代に土地が強制接収され、軍事基地化が推し進められたのもそのためだろう。1955年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になっている。 アメリカ軍はソ連への核攻撃を想定したドロップショット作戦を1957年の初頭に作成、300発の核爆弾をソ連の100都市に投下する予定になっていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) その後、核爆弾の運搬手段としてICBMが重視されるようになり、その準備をアメリカは始める。先制攻撃はソ連がICBMを準備できていない時点で実行したい軍や情報機関の好戦派は1963年後半に実行しようと考える。この作戦の前に立ちはだかったジョン・F・ケネディ大統領が暗殺されたのは1963年11月22日だ。 こうしたアメリカ側の動きをソ連が察知していたことは間違いないだろう。ICBMで圧倒されているソ連が中距離ミサイルを使おうとするのは当然で、中距離ミサイルをソ連が配備できるキューバに米ソ両国は目をつけた。そしてミサイル危機につながる。「ベルリンの壁」もそうしたときに作られた。 ソ連は102発の核弾頭をキューバに持ち込もうと計画、輸送船は潜水艦が護衛していた。そうした潜水艦に1隻、B59を空母ランドルフを中心とする艦隊が対潜爆雷で攻撃、アメリカとソ連の戦争が始まったと判断したB59の艦長は核魚雷の発射準備に同意するようにふたりの将校に求めた。 この攻撃はたまたま乗り合わせていた旅団参謀が拒否して実行はされなかったが、この核魚雷の威力は広島に落とされた原子爆弾と同程度で、もし発射されていたなら現場にいたアメリカの艦隊は全滅、核戦争に突入したとしても不思議ではない。アメリカ側はソ連軍の潜水艦が核魚雷を搭載しているとは思っていなかった。 アメリカとイギリスがソ連に対する先制核攻撃を計画している中に建設された「ベルリンの壁」は1989年11月に崩壊、ゴルバチョフは1990年に東西ドイツの統一を認めた。 その後、アメリカはゴルバチョフとの約束を破ってNATOを東へ拡大させ、1999年3月にはユーゴスラビアを先制攻撃、今ではロシアとの国境近くまで勢力圏を拡大させ、ミサイルを配備している。壁が崩壊した後に世界から平和は遠ざかり、核戦争の危機が飛躍的に高まった。 こうしたアメリカの戦略が日本にも強く影響、アメリカの戦争マシーンに組み込まれたことは本ブログでも繰り返し書いてきた通りだ。アメリカは日本人が「頭脳」を持つことを期待していない。彼らの指示に従う傭兵、あるいは戦闘ロボットであることを望んでいるだろう。(了)
2019.11.10
今から30年前の1989年11月9日、東ドイツ政府は旅行や国外移住の大幅な規制緩和を発表し、「ベルリンの壁の崩壊」が始まった。当時、東ドイツには約38万人のソ連軍が駐留していたのだが、ミハイル・ゴルバチョフの指示で動いていない。 この壁は東ベルリンから西ベルリンへの人口流出が止まらなかったからだとされているが、出て行く人びとは東ドイツの体制に対する反発心の強い人のはずで、壁を作った理由にしては弱いのではないだろうか。 キューバ革命の際にもベトナム戦争でアメリカが敗北した際にも逃げ出した人は少なくない。キューバの革命政府は不安定要因が消えるということから容認していたようだ。 それに対し、アメリカは密入国を防ぐため、メキシコとの国境沿いに壁を建設してきた。ドナルド・トランプ米大統領はそれを増強する方針を打ち出している。 いわゆる「ベルリンの壁」が建設され始めたのは1961年8月のこと。その背景にはイギリスやアメリカの戦略がある。本ブログでは何度か書いたことだが、第2次世界大戦が勃発する前からウォール街、つまりアメリカの金融資本はファシズムと関係が深く、イギリスのウィンストン・チャーチルは反ソ連感情が強かった。 大戦中、ドイツによるソ連への攻撃を両国は傍観、動き始めるのはドイツ軍がスターリングラードの戦いで壊滅、ドイツの将兵が降伏した1943年1月の後のこと。米英両国はその年の5月にワシントンDCで会談、7月に両国軍はシチリア島に上陸している。その際、アメリカ軍は犯罪組織の協力を受けた。 ソ連を積極的に助けなかったフランクリン・ルーズベルト大統領だが、大戦後をにらみ、ソ連を敵視していなかった。危険視していたのはファシスト。 そのファシストへの支持を公言していたウォール街の住人たちは1933年から34年にかけてニューディール派を排除するためのクーデターを計画していた。この計画は本ブログで何度も取り上げたように、海兵隊の退役少将で軍に大きな影響力を持っていたスメドリー・バトラーのカウンター・クーデター宣言で阻止され、その内容は彼の議会における証言として記録に残っている。 戦争が終わった後、ルーズベルト大統領はファシストを支援していた勢力を摘発する可能性が高かったのだが、ルーズベルトと意見が同じで副大統領を務めていたヘンリー・ウォーレスは1944年4月、アメリカをファシズムの脅威が襲うピークは大戦の後だとニューヨーク・タイムズ紙で指摘している。大戦後にそのアメリカでは「赤狩り」が始まり、ファシズムを敵視していた人びとが粛清されていく。 ルーズベルトはドイツが降伏する直前、1945年4月12日に急死、アメリカ政府はウォール街が主導権を奪還した。ドイツ降伏の直後にはチャーチル英首相がJPS(合同作戦本部)に対してソ連を奇襲攻撃する作戦を作るように命令、5月22日に提出される。アンシンカブル作戦だ。 7月1日にアメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団でソ連を奇襲攻撃することになっていたのだが、これは参謀本部が計画を拒否したので実行されていない。 チャーチルは7月26日に首相を辞めるが、その10日前にアメリカのニューメキシコ州でプルトニウム原爆の爆発実験に成功している。核戦争の時代に入ったわけだ。(つづく)
2019.11.10
有罪判決を受け、それを不服として上訴しているブラジルのルイス・シルバ元大統領が保釈された。上訴審で判決が確定するまでは無罪と推定するということのようだ。 シルバは2017年7月に懲役9年6カ月の有罪判決を受けたのだが、その事件は裁判所と検察が共謀したと疑われていた。今年6月にインターネット・メディアのインターセプトがこの疑惑を証明する会話記録を公表している。 最初の裁判を担当したセルジオ・モロ判事は捜査が始まった直後から検察側の責任者だったデルタン・ダラニョールに対し、裁判や投獄に関するアドバイスや指示をしていたことをインターセプトは明らかにした。この捜査はバラク・オバマ政権の司法省が支援していたと言われている。 2018年10月にブラジルでは総選挙があったのだが、その年の1月に連邦裁判所がルーラに対して禁錮12年余りの判決を言い渡したことから立候補はできなくなった。検察側もルーラに犯罪行為があったと確信できなかったが、立候補を阻止するため、強引に捜査を進めていたことも報道で判明した。 選挙の結果、大統領に選ばれたのは軍事政権時代に拷問を行っていたカルロス・アルベルト・ブリリャンテ・ウストラを公然と支持していたジャイ・ボウソナル下院議員。ボウソナル政権は今年1月に始まるが、司法大臣に選ばれたのはモロだ。 ルーラの同志で大統領だったジルマ・ルセフも2016年5月に停職となり、8月に大統領の座から引きずり下ろされている。替わって大統領に就任したミシェル・テメルはアメリカ巨大資本の手先として知られ、彼を含むクーデター派の中心グループは犯罪捜査の対象になっていた人物。そのテメルは今年3月に逮捕されたが、新自由主義の体制は維持されている。 インターセプトが2016年9月に公表した映像によると、新自由主義に基づく政策、つまり私有化や規制緩和によって富をアメリカやブラジルの富裕層や巨大資本へ集中させようという計画を進めなかったルセフをアメリカ支配層は懲罰するとテメルは語っている。 このテメルは汚職で有名な人物で、2019年3月に逮捕されている。テメルの同志としてアメリカの巨大資本の手先として働いてきたエドアルド・クニャ下院議長はスイスの秘密口座に数百万ドルを隠していることが発覚している。 まだ刑務所にいたシルバにジャーナリストのぺぺ・エスコバルがインタビューしている。その際、シルバはブラジルをドル依存から離脱させるつもりだったと語っている。その考えを彼がオバマ大統領に伝えたところ、アメリカ側は激しく反応し、ブラジルの政府や主要企業に対するNSAの監視が厳しくなったという。 一時期、アメリカから自立する動きの象徴的な国だったブラジルが再び自立への道を歩み始めた可能性がある。
2019.11.09
ヘンリー・キッシンジャーがロシアのアナトリー・アントノフ駐米大使と11月7日に会談、その中でキッシンジャーはアメリカとロシアの関係が改善されることを願うと語り、アントノフもその意見に同意したという。 来年はアメリカで大統領選挙が実施されるが、前回の選挙ではキッシンジャーの動きが注目された。2015年6月にオーストリアで開かれたビルダーバーグ・グループの会合へジム・メッシナというヒラリー・クリントンの旧友が出席していたことから次期大統領はクリントンに内定したと言われていたのだが、16年2月10日にキッシンジャーがロシアを訪問、ウラジミル・プーチン大統領と会談したことから流れは変わる。 クリントンは上院議員の時代からロッキード・マーチンという軍需企業を後ろ盾とし、巨大金融資本との関係も深かった。ネオコンとも緊密な関係にあり、外交や軍事は彼らの戦略に基づくもの。つまり親イスラエルで、ロシアや中国を制圧して世界制覇を実現しようとしていた。 親イスラエル派でソ連/ロシアを制圧する活動を続けてきた世界的な投機家のジョージ・ソロスは2016年の大統領選挙で民主党(事実上、ヒラリー陣営)を資金面で支援、明らかにされているだけで2500万ドル以上になる。 選挙キャンペーンの最中に民主党だけでなくソロスのオープン・ソサエティ基金もハッキングされ、電子メールが明らかにされた。そうした電子メールの中には、ソロスがヒラリー・クリントンに対してアルバニア情勢に対する対処の仕方をアドバイスする2011年1月24日付けのメールもある。当時、クリントンは国務長官だ。 クリントンはバラク・オバマ政権の政策を引き継ごうとしていたが、ドナルド・トランプに選挙で敗れた。そのトランプが大統領に就任する直前の2016年12月、オバマ大統領はロシアとの関係を悪化させるため、外交官35名を含むロシア人96名を追放して軍事的な緊張を高めようとしていた。 オバマやクリントンに限らないが、アメリカの支配層はターゲット国のエリート層を買収と恫喝でコントロールしてきた。それでも駄目な場合は暗殺、経済戦争、クーデター、軍事侵攻だ。 ネオコンが脅しを有効な手段だと考えた出来事がある。アメリカ軍は1991年1月にイラクへ軍事侵攻したが、その際にソ連軍は出てこなかったのだが、彼らは当時の状況を考慮せず、アメリカが何をしてもソ連やロシアは手を出せないと思い込む。その思い込みに基づき、国防次官だったネオコンの中心的な存在、ポール・ウォルフォウィッツはシリア、イラン、イラクを殲滅すると口にしていたのである。(3月、10月) クリントンを支援するためにCIA副長官を辞めたマイク・モレルの場合、2016年8月にはテレビの番組でチャーリー・ローズに対し、ロシア人やイラン人に代償を払わせるべきだと語ってる。ローズからロシア人とイラン人を殺すという意味かと問われると、その通りだと答えたうえ、わからないようにと付け加えているのだ。 その発言の直後、2016年9月6日にモスクワでウラジミル・プーチン露大統領の運転手を40年にわたって務めた人物の運転する公用車に暴走車が衝突、その運転手は死亡したが、さらにロシア政府の幹部が変死している。 例えば、2016年11月8日にニューヨークのロシア領事館で副領事の死体が発見され、12月19日にはトルコのアンカラでロシア大使が射殺されている。その翌日、12月20日にはロシア外務省ラテン・アメリカ局の幹部外交官が射殺され、12月29日にはKGB/FSBの元幹部の死体が自動車の中で発見された。2017年1月9日にはギリシャのアパートでロシア領事が死亡、1月26日にはインドでロシア大使が心臓発作で死亡、そして2月20日にはロシアの国連大使だったビタリー・チュルキンが心臓発作で急死した。 こうした外交官はモレル発言の後の死者だが、2015年11月5日にはアメリカ政府が目の敵にしてきたRTの創設者がワシントンDCのホテルで死亡している。この人物の死にも疑惑を持つ人もいる。 脅せば屈するという発想に毒された日本人もいる。そのひとりが石原慎太郎。福島県沖で巨大地震が発生する3日前の2011年3月8日、イギリスのインディペンデンス紙に石原へのインタビューに基づき記事が掲載された。 それによると、日本は1年以内に核兵器を開発できるとしたうえで、外交の交渉力は核兵器だと石原は語っている。日本が核兵器を持っていたなら、中国は尖閣諸島に手を出さないだろうというわけだ。 ネオコンは2014年2月にネオナチを使ったクーデターでウクライナを奪い、ロシアと中国に対して核戦争で脅し始めるが、両国はそのような脅しに屈していない。当たり前のことだが、ネオコンは見誤った。石原は自分のボスと同じことを言っていたと言えるだろう。 石原も触れているが、佐藤栄作政権は核兵器を持とうとしている。NHKが2010年10月に放送した「“核”を求めた日本」によると、1965年に訪米した佐藤首相はリンドン・ジョンソン米大統領に対し、「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝えたという。 1977年に東海村の核燃料再処理工場(設計処理能力は年間210トン)が試運転に入るが、山川暁夫は78年6月に開かれた「科学技術振興対策特別委員会」で再処理工場の建設について発言、「核兵器への転化の可能性の問題が当然出てまいるわけであります」と発言している。実際、ジミー・カーター政権は日本が核武装を目指していると疑い、日米間で緊迫した場面があったという。 しかし、1981年にロナルド・レーガンが大統領に就任するとアメリカ政府の内部に日本の核武装計画を支援する動きが出てくる。東海再処理工場に付属する施設として1995年に着工されたRETF(リサイクル機器試験施設)はプルトニウムを分離/抽出するための施設だが、この施設にアメリカ政府は「機微な核技術」、つまり軍事技術が含まれていた。 調査ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、東電福島第1原発が過酷事故を起こした当時、日本には約70トンの兵器級プルトニウムがあったという。自らが生産した可能性もあるが、外国から持ち込まれた可能性もある。トレントだけでなく、アメリカの情報機関は日本が核兵器を開発してきたと確信しているようだ。 核兵器を持てば、恫喝で自分のやりたいことが自由にできると考えるのは、肩を怒らして街を歩くチンピラの発想だ。
2019.11.08
新自由主義、つまり権力を巨大資本へ集中させようとする政策を巡る対立が世界規模で広がっている。中でも戦いの激しい地域がラテン・アメリカ。ブラジルやエクアドルで新自由主義派が実権を握る一方、アルゼンチンでは反自由主義勢力が大統領のポストを奪還、チリやハイチでは新自由主義的な政策に反対する活動が激しくなっている。そうした中、反新自由主義のボリビア大統領、エボ・モラレスを排除する動きが明るみに出た。 モラレスは10月20日の選挙で勝利し、大統領を続けることになった。それを嫌うアメリカ政府を後ろ盾とする勢力がモラレス政権の転覆を目論んでいる。ボリビアのラジオ局エルボルが公開した音声にはアメリカ大使館と連携して政治行動を訴える反政府派のリーダーのものがあり、マルコ・ルビオ、ボブ・メネンデス、テッド・クルーズといったアメリカ上院議員の名前も出てくるという。 新自由主義は1970年代の後半から世界的に広がっていくが、その始まりは1973年9月11日にチリで実行された軍事クーデター。選挙で選ばれたサルバドール・アジェンデ政権を倒したのだが、その中心人物はオーグスト・ピノチェト。その背後にはCIAの破壊工作部門が存在、ヘンリー・キッシンジャーがその部門を動かしていた。 このクーデターではアジェンデ政権を揺さぶるため、アメリカの金融機関やIBRD(世界銀行)がチリへの融資を停止している。1972年9月には労働組合がストライキを敢行、社会を不安定化させていった。 軍事クーデターで実験を握ったピノチェトはアメリカ巨大資本のカネ儲けに邪魔な人びとを誘拐し、相当数が殺害された。サンチアゴの国立競技場は「拷問キャンプ」と化したと言われている。 このクーデターで巨大資本に盾突く勢力は潰滅、ピノチェト体制は新自由主義を導入する。シカゴ大学のミルトン・フリードマン教授のマネタリズムに基づき、大企業/富裕層を優遇する政策を実施したのだ。この政策を日本へ持ち込もうとしたのが中曽根康弘であり、小泉純一郎、安倍晋三、菅直人、野田佳彦らが引き継いだ。 新自由主義は「私有化」や「規制緩和」という形で資金や情報を巨大な私的権力へ集中させ、必然的に貧富の差は拡大していく。1%に満たない富豪と大多数の貧困層への分離だ。 こうした政策は1991年12月にソ連が消滅してから露骨になり、その歪みは急速に深刻化する。そうした政策への怒りは、1999年11月末から12月の初めにかけてのシアトルにおける激しい抗議活動という形で現れた。そこではWTOの会議が開かれていた。そうした運動は2001年9月11日の出来事もあって見えなくなるが、新自由主義に対する怒りが消えたわけではない。
2019.11.07
ポール・ウォルフォウィッツが国防次官時代の1991年にイラク、シリア、イランを殲滅すると口にしていたことは、元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官のウェズリー・クラークが2007年に証言している。(3月、10月) ネオコンは同じことを1980年代には考えていた。まずイラクのサダム・フセイン政権を倒して親イスラエル体制を樹立、シリアとイランを分断した上でシリア、そしてイランを破壊しようとしていたのだ。 それに対し、ジョージ・H・W・ブッシュ副大統領やジェームズ・ベイカー首席補佐官はフセインをペルシャ湾岸産油国の防波堤だと考え、ネオコンと対立。両勢力の対立は暴露合戦になり、イラン・コントラ事件やイラクゲート疑惑が表面化する原因になった。 ブッシュは1989年に大統領となるが、90年8月にイラク軍がクウェートへ侵攻して戦争になる。1991年1月にはアメリカ主導軍がイラクを攻撃、2月に集結するのだが、その際にフセイン政権は倒されなかった。 そこで激怒したのがネオコンだが、その中心グループに所属するウォルフォウィッツはその時の経験から、中東でアメリカが軍事力を行使してもソ連軍は出てこないと考えるようになった。そして1991年5月、クラークは国防総省で3カ国を殲滅するという話を聞いたのだという。この思い込みは2015年9月30日に打ち砕かれ、アメリカは窮地に陥ることになった。 イラク、シリア、イランを殲滅したいネオコンにとって好都合な出来事が2001年9月11日に引き起こされた。ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのである。ネオコンに操られていたジョージ・W・ブッシュ大統領は詳しい調査をせずに「アル・カイダ」の反抗だと断定、2003年3月には統合参謀本部の反対を押し切ってイラクを先制攻撃した。 そして2011年春、バラク・オバマ政権はムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を中心とするジハード傭兵の部隊をリビアやシリアへ侵攻させて体制転覆を図る。西側の有力メディアはこの戦争に「内戦」というタグをつけている。 シリアは1980年代からネオコンが狙っていた獲物だが、リビアは違う。リビアが攻撃された理由はムハンマド・アル・カダフィが2010年にディナールという金貨を基軸通貨として導入すると発表したことにあると見る人は少なくない。オバマ大統領がイスラム同胞団を体制転覆工作に使うことを決め、PSD-11を出したのはこの年の8月だ。 西側の「先進国」はアフリカ、アジア、ラテン・アメリカなどでの略奪なしに現在の体制を維持できない。つまり、こうした国々が真に独立することは許さない。通貨の問題は独立の核心であり、通貨の自立を主張する国はあらゆる手段を使って攻撃される。アフリカの場合、ドルを発行するアメリカだけでなく、CFAフランを発行するフランスにとっても深刻だ。 イラクへの軍事侵攻で親イスラエル体制を樹立することに失敗したネオコンは新たな戦術へ切り替える。調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが2007年にニューヨーカー誌に書いた記事によると、ブッシュ・ジュニア政権はシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを最大の敵だと定め、スンニ派の過激派、つまりムスリム同胞団やサラフィ主義者と手を組むことにしたという。 そして2008年にアメリカはAFRICOM(アフリカ軍)を創設する。その名の通り、担当する地域はアフリカなのだが、司令部はドイツに置かれた。アフリカには置けなかったということだ。 カダフィが進めていた新しい通貨制度の創設計画ではチュニジアのベン・アリやエジプトのホスニ・ムバラクも重要な役割を果たし、スーダン、南スーダン、赤道ギニア、コンゴ、コンゴ民主共和国、ガボン、南アフリカ、ウガンダ、チャド、スリナム、カメルーン、モーリタニア、ザンビア、ソマリア、ガーナ、エチオピア、ケニア、タンザニア、モザンビーク、コートジボワール、イエメン、アルジェリア、アンゴラ、ナイジェリアの参加が予定されていた。 しかし、アリとムバラクはムスリム同胞団が主導する「アラブの春」で倒され、カダフィはアル・カイダ系武装集団とNATOの連合軍に惨殺された。 現在、リビアはアル・カイダ系武装集団とNATO軍による破壊と殺戮で破綻国家と化し、暴力が支配する無法地帯。アメリカが何をもたらすかを理解した人はアフリカにも少なくないだろう。 そのアフリカの国々と中国は経済的な関係を強め、BRI(帯路構想、以前は一帯一路と言われていた)へ参加する国を増やしてきたが、ここにきて中国の戦略的な同盟国であるロシアも存在感を強めている。ロシアのソチでは10月23日から24日にかけて「ロシア-アフリカ首脳会議」が開かれ、ロシアのウラジミル・プーチン大統領とエジプトのアブドル・ファッターフ・ア-シーシ大統領が議長を務めた。 会議のテーマは経済発展や安全保障などが中心で、鉄道やエネルギーなどインフラの整備についても話し合われたようだ。アメリカはジハード傭兵を投入しつつあるが、それへの対処法を教えることになるかもしれない。
2019.11.06
アメリカ、イスラエル、サウジアラビア、イギリス、フランス、カタール、トルコといった国々は2011年3月からシリアに対する侵略戦争を始めた。バシャール・アル・アサド政権を倒すことが目的だったが、その計画は失敗。すでにカタールとトルコは侵略グループから離脱、サウジアラビアは揺れている。 そこで、アメリカはシリア東部、ユーフラテス川沿いの油田地帯に兵力を集中させ、その東側のイラク領でも軍事力を増強させている。ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)が最初に支配した地域だ。そのイラクで政府に対する抗議活動が過激化、イランの領事館が襲撃されている。 抗議活動のベースには横行する不正行為や失業率の高さなどに対する不満があると言われているが、その不満に外部勢力が入り込み、そのエネルギーをコントロールして自分たちが望む方向へ導こうとしているとも見られている。 アメリカが作り替えてもイラクの政権はイランやロシアとの関係を深めてきた。そうしたイラクに対する危機感を外部勢力は持っているだろう。 イラクの準軍事組織アサイブ・アヘレル・ハキ(AAH)の司令官はイラクで暴動を扇動している主体はイスラエルとアラブ首長国連邦で、アメリカやサウジアラビアより重要な役割を果たしているとしている。 イラクには1960年代後半からイスラエルの手先が活動してきた。その手先とはムスタファ・バルザニに率いられたクルドの勢力。その後、息子のマスード・バルザニがその役割を引き継いだ。ムスタファはイスラエルの情報機関モサドのオフィサーだったと言われているが、息子も同じだと見られている。 このクルド勢力を使い、アメリカはイラク北部にクルドの国を建設しようと目論んだこともあるが、クルド内部の反バルザニ派がこの計画に反対して挫折した。 アメリカは「クルド」というタグのついた勢力を合体させるつもりだったのだろうが、シリアのクルドとイラクのクルドは話し言葉も文字も違い、全く別の文化を持つ。それをアメリカは自分たちの都合で、ふたつのクルドを一緒にしようとしたわけだ。 現在、シリアのクルドはシリア政府と協力関係に入り、イラクのクルドも多数派はイラク政府と手を組んでいると見られるが、バルザニ派が消えたわけではない。
2019.11.05
失速したロシアゲートに替わり、ウクライナを部隊とした物語が語られ始めている。ドナルド・トランプ米大統領がウクライナのボロディミル・ゼレンスキー大統領との電話会談の中でジョー・バイデン前副大統領の息子のハンターについて捜査するように求めたとするアメリカ下院の情報委員会への「内部告発」からその物語は始まった。 この「内部告発」をしたのはエリック・チャラメラなるCIAの分析官で、熱心な民主党支持者だとされている。2015年の夏からNSC(国家安全保障会議)においてスーザン・ライス国家安全保障補佐官の下で働き、副大統領だったジョー・バイデンやCIA長官だったジョン・ブレナンの下でも働いていた。 チャラメラは2015年から16年にかけての時期、民主党の活動家でトランプ陣営を調べていたアレキサンドラ・チャルパとホワイトハウスで何度か会っているとする証言もある。チャルパはウクライナ系で、ヒラリー・クリントンの支持者なのだという。 ゼレンスキーとトランプとの電話会談は7月25日にあったのだが、その現場にいたNSC(国家安全保障会議)のヨーロッパ問題担当上級部長のティム・モリソンは、ふたりの会話に違法なものはなかったと語っている。 そのとき、CIAの「内部告発者」はゼレンスキー側、つまりキエフにいたとする情報がある。この人物は世界的な投機家として有名なジョージ・ソロスやウクライナの国家安全保障国防会議書記を9月30日まで務めたオレクサンドル・ダニリイェクと親しいという。 7月25日の会話で話題になったジョー・バイデンの自慢話は検事総長だったビクトル・ショーキンの解任に関するもの。10億ドル欲しければ検事総長を6時間以内に解任しろと恫喝、実際に解任されたというのだ。 しかし、ショーキンは宣誓供述書の中で、解任の理由は天然ガス会社ブリスマ・ホールディングス(本社はキプロス)を捜査していたことにあるとしている。ハンター・バイデンは2014年4月から同社の重役だが、エネルギー産業に詳しいわけではない。しかも、ウクライナ側の説明では、解任しろという圧力は2015年終わりから16年初めにかけての数カ月かにわたったという。 反ヤヌコビッチ派がユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で集会を始める前、2013年11月20日にクーデター計画の存在を議会で訴えていたオレグ・ツァロフによると、ブリスマの話はクーデター直後、IMFが要求した天然ガス価格の率い上げ要求から始まる。 2014年6月にクーデター体制の大統領に選ばれたペトロ・ポロシェンコはIMFの要求を呑み、価格は急上昇した。国民は厳しい生活を強いられる一方、天然ガス会社は大儲け。ブリスマは大統領に法外なカネを要求されることになった。 そこで、ブリスマを経営するニコライ・ブロシェフスキは西側の大物を重役に据えることにする。そのひとりがハンター・バイデンだった。そこでポロシェンコはショーキン検事総長に対し、ブリスマを捜査するように命令、違法行為を見つけ出したというのだ。
2019.11.04
大学入試共通テストで活用されるとされていた英語の「民間試験」が見送りになったという。「2020年のオリンピック・パラリンピックを見据え」て進めてきた政策が破綻しているのだろう。 私企業に試験を任せるという問題だけでなく、安倍政権が進めてきた英語教育政策に対する批判は英語教育に携わっている学者から批判されてきた。そうした批判は無視されている。 萩生田光一文科相の格差容認発言が「民間試験」見送りの理由にされているが、格差拡大は安倍晋三政権も推進している新自由主義の基本。社会にはさまざまな理由で厳しい生活を強いられる人びとが存在しているが、そうした人びとを切り捨てるのだ。 勿論、こうした考え方を否定する人も少なくない。社会的な弱者を救済するため、仏教には喜捨、イスラムにはザカートやサダカという仕組みが存在する。キリスト教にもそうした考え方があり、ヨーロッパの中世では「世俗の乞食さえも折々は、有産者に慈善という善行の機会をあたえるところから、『身分』として認められ、評価されることがあった」のだ。(マックス・ウェーバー著、大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波書店、1989年) こうした考え方を新自由主義は否定、強者による富の独占を推進するのだが、このイデオロギーは資本主義の基本原理。このイデオロギーが広まった19世紀には弱者を救済する仕組みが切り捨てられていく。イギリスでは1834年に新救貧法が導入されるが、この法律は庶民の貧困化を深刻化させた。 貧富の格差が拡大すれば社会は不安定化、それを抑え込むために治安システムが強化され、他国を侵略して植民地化、富を奪うという流れ。その略奪した富も最終的には支配階級へ集中し、強大な私的権力が生み出される。 ウォール街と敵対関係にあったフランクリン・ルーズベルトは大統領時代の1938年4月29日に次のように語った:「もし、私的権力が自分たちの民主的国家そのものより強くなることを人びとが許すならば、民主主義の自由は危うくなる。本質的に、個人、グループ、あるいは私的権力をコントロールする何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」 新自由主義は私的権力に社会を支配させようというイデオロギーであり、ルーズベルトの定義を採用すると、それはファシズム。新自由主義とはファシズムの別名だということになる。 この体制の中心にはアメリカの巨大資本、つまり私的権力が存在している。このアメリカを中心とする支配システムを支えている柱のひとつが基軸通貨としてのドルを発行する権利。その仕組みを維持し、潜在的なライバルを潰して世界制覇を実現するために存在しているのが軍隊や情報機関。そうした支配力によって英語が世界の「共通語」として扱われるようになり、英語を母国語とする人びとは有利になった。 そうした情況を「言語帝国主義」と表現する場合もあるが、少し前からインターネット上の翻訳ソフトの能力が上がり、使えるレベルに達して言語の障壁が低くなっている。ところが日本語が関係すると相変わらず使えない。意図的にそうしているのではないか、つまり日本人が世界の情報に接しにくくしているのではないかという疑惑もある。 この疑惑が事実かどうかは不明だが、日本人が外国へ情報を発信したり、外国の情報を入手すること、日本人が外国人とコミュニケーションすることを日本の支配者は嫌がっている可能性が高く、日本の庶民の英語能力が上がることも嫌がっているのではないだろうか。 英語云々の前に、庶民から教育を受ける権利が奪われつつあることは本ブログでも指摘してきた。進学の仕組みが幼少期から資金を投入できる家に有利で、学費も高騰している。 言うまでもなく、学費が高騰すれば庶民には大きな負担。例えば、2012年にイギリスのインディペンデント紙が行った覆面取材の結果、学費を稼ぐための「思慮深い交際」を紹介する、いわゆる「援助交際」を仲介するビジネスの存在が明らかになり、ギリシャでは食費を稼ぐために女子学生が売春を強いられ、売春料金が大きく値下がりしていると伝えられている。 アメリカ上院のエリザベス・ウォーレン議員によると、アメリカでは教育が生活破綻の大きな原因になっているという。少しでもまともな教育を望むならば、多額の授業料を払って私立へ通わせるか、公立の学校へ通わせるにしても不動産価格の高い住宅地に引っ越す必要がある。低所得者の通う学校では暴力が蔓延して非常に危険な状態で、学習どころではないのだ。 トルーマン・カポーティは『叶えられた祈り』の中でウォール街で働いているディック・アンダーソンなる人物に次のようなことを言わせている。 「二人の息子を金のかかるエクセター校に入れたらなんだってやらなきゃならん!」(トルーマン・カポーティ著、川本三郎訳、『叶えられた祈り』、新潮文庫)「ペニスを売り歩く」ようなことをしなければならないというのだ。 ウォーレンによると、そうした経済的な負担に耐えられなくなり、破産する人が少なくないという。結局、経済的に豊かな愚か者が高学歴になる一方、優秀でも貧しい子どもは落ちこぼれていくことになる。 アメリカはそれより進んでいると見られているが、少し前から話題になっているのは「シュガー・ベイビー」なるシステム。女子大学生(シュガー・ベイビー)と富裕な男性(シュガー・ダディー)を引き合わせ、「デート」のお膳立てをするというビジネス。売春の斡旋と見られても仕方がないだろう。現代版のクルチザンヌだと言う人もいる。 登録している大学のリストを見ると、有力校と考えられている南カリフォルニア大学(583名)、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(614名)、コロンビア大学(1008名)、ニューヨーク大学(1676名)も含まれている。 日本で進められている英語教育の目的は日本人の語学力を引き上げるにことにあるのでなく、英語を利用した支配階級と被支配階級の固定化にあるのではないかとも思える。少なくとも、そうした方向へ動きそうだ。 蛇足だが、1980年代に某大手企業の役員からこんなことを聞いた。アメリカへ進出するにあたり、語学力で送り込む人間を決めたのだが、失敗に終わった。そこで営業力で選んだところ事業は軌道に乗ったという。
2019.11.03
ドナルド・トランプ米大統領への攻撃に使われてきた「ロシアゲート」はすでに「FBIゲート」へ変化しているが、民主党や有力メディアは「第2のロシアゲート」を作り出した。ところが、その「第2のロシアゲート」が早くも揺らいでいる。 ドナルド・トランプ米大統領がウクライナのボロディミル・ゼレンスキー大統領との電話会談の中でジョー・バイデン前副大統領の息子のハンターについて捜査するように求めたとするアメリカ下院の情報委員会への「内部告発」が「第2のロシアゲート」の始まりだが、この「内部告発」者の素性が明らかになり、情況が大きく変化したのだ。 その人物はエリック・チャラメラというCIAの分析官で、熱心な民主党支持者だとされている。2015年の夏からNSC(国家安全保障会議)において、スーザン・ライス国家安全保障補佐官の下で働き、副大統領だったジョー・バイデンとも緊密な関係にあった。 2014年2月にバラク・オバマ政権はウクライナでクーデターを成功させ、その2カ月後に副大統領の息子であるハンター/バイデンがウクライナの天然ガス会社ブリスマ・ホールディングス(本社はキプロス)の重役になっている。 2015年から16年にかけての期間、アメリカ政府でウクライナ問題の中心人物はジョー・バイデン。その間、バイデンはキエフのクーデター政権に対し、10億ドル欲しければ検事総長だったビクトル・ショーキンを6時間以内に解任しろと恫喝、実際に解任されたことを2018年1月23日にCFR(外交問題評議会)で自慢している。これは本ブログでもすでに紹介した。 これも本ブログですでに書いたことだが、ウクライナ側の証言によると、バイデンは2015年終わりから16年初めにかけての数カ月かにわたり、検事総長を解任するよう圧力をかけていたという。しかもトランプがゼレンスキーへ電話する前、今年2月の初め、ゼレンスキーが大統領に就任する3カ月前にはハンターに対する捜査を再開する動きがあったとも伝えられている。 2015年から16年にかけての時期、チャラメラが民主党の活動家でトランプ陣営を調べていたアレキサンドラ・チャルパとホワイトハウスで何度か会っているとする証言がある。チャルパはウクライナ系で、ヒラリー・クリントンの支持者。チャラメラは2016年10月、ホワイトハウスで開かれた晩餐会に招待されている。 CIAでヒラリー・クリントンを支持していた人物の中にはマイク・モレルも含まれる。2013年8月までCIA副長官を務め、16年8月にはチャーリー・ローズに対し、ロシア人やイラン人に代償を払わせるべきだと語る。ローズからロシア人とイラン人を殺すという意味かと問われると、その通りだと答えたうえ、わからないようにと付け加えている。 その発言後、ロシア政府の幹部が変死している。例えば2016年11月8日にニューヨークのロシア領事館で副領事の死体が発見され、12月19日にはトルコのアンカラでロシア大使が射殺され、12月20日にはロシア外務省ラテン・アメリカ局の幹部外交官が射殺され、12月29日にはKGB/FSBの元幹部の死体が自動車の中で発見され、17年1月9日にはギリシャのアパートでロシア領事が死亡、1月26日にはインドでロシア大使が心臓発作で死亡、そして2月20日にはロシアの国連大使だったビタリー・チュルキンが心臓発作で急死した。 こうした外交官はモレル発言の後の死者だが、2015年11月5日にはアメリカ政府が目の敵にしてきたRTを創設した人物がワシントンDCのホテルで死亡している。この人物の死にも疑惑を持つ人がいる。 CBSの番組でアンカーとしてモレルをインタビューしたローズは2017年11月にセクハラでCBSのアンカーを辞めざるをえなくなった。2019年に彼は告訴されている。
2019.11.02
シリアの北部、トルコとの国境に近いラース・アル・アインでトルコ軍とシリア政府軍との間で激しい戦闘があったと伝えられている。すでにこの地域からクルド軍は撤退済み。11月1日からトルコ軍とロシア軍の合同パトロールが始まるとトルコ政府は発表しているが、パトロール中のロシア軍も攻撃を受けたという。 トルコ軍はクルド軍の存在を攻撃の口実にしてきたが、そのクルド軍は迅速に撤退、替わってシリア政府軍が入っていた。クルド軍がいるかどうかには関係なく、シリア領の国境線近くの地域を占領しようとしているようにも見える。 アメリカ軍はNATO加盟国のトルコ軍との交戦を避けるようにして撤退、デリゾール周辺の油田地帯からイラク西部にかけての地域に移動したが、トルコ軍のシリアへの侵攻を誘い、シリア軍やロシア軍と衝突させようと目論んでいると推測する人もいる。 2011年3月にシリアへの侵略が始まった当時、トルコはアメリカと手を組み、侵略の拠点を提供していた。そうした関係は戦争の長期化で揺らぎ始めるが、大きな節目は2015年9月末のロシア軍介入。 シリア政府の要請で、ダマスカスに迫っていたダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)をロシア軍が攻撃しはじめたのだ。その軍事介入で戦況は一変、アメリカなどが手先に使ってきた傭兵部隊は敗走しはじめた。そうした中、同年11月24日にトルコ軍機がロシア軍機を待ち伏せ攻撃、撃墜したのだが、これがロシアの姿勢を厳しくさせる。アメリカはロシアを脅そうとしたのだろうが、これは逆効果だった。 この撃墜はアメリカ軍の命令に基づくものだった可能性が高い。撃墜の当日から翌日にかけてポール・セルバ米統合参謀本部副議長がトルコのアンカラを訪問していた。 シリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すことが難しくなる中、2016年6月にトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は撃墜を謝罪、7月13日には同国の首相がシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆する。軍事蜂起(クーデター未遂)があったのはその2日後だ。 この軍事蜂起はすぐに鎮圧された。事前にトルコ政府へロシアから警告があったと言われているのだが、トルコ政府はクーデターはフェトフッラー・ギュレンの一派が実行したと主張、アメリカでCIAに保護されている同派の指導者、ギュレンを引き渡すようにアメリカ政府へ求めているが、拒否されている。トルコ政府はクーデター計画の背後にアメリカ中央軍のジョセフ・ボーテル司令官やジョン・キャンベルISAF司令官がいたとも主張している。 そうした経緯を経てトルコはアメリカから離れ、ロシアへ接近した。その構図をひっくり返すため、トルコ軍の軍事侵攻を誘ったという見方があるのだが、クルドとシリア政府の接近で戦乱の終結は近いと見る人もいる。どの方向へ動くかは、ロシアの能力次第だろう。
2019.11.01
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