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オーストラリアに渡航させて治療を受けさせなければ(イギリスからですよ)死んでしまう孫のいる女性マギー。彼は夫をなくしてひとりで生活している。孫の治療費のためにすでに家も手放し、ちょっとした甘い菓子を買うのも我慢して生活している。それなのに、息子の妻(いわゆる「嫁」ですね)は彼女に冷たく当たるだけ!手に職もない彼女が途方にくれながらふらりと迷い込んだソーホーのセックス小屋の外には「接客係求む」の張り紙。で、彼女はそこで働くことになるのです。店のオーナーに「ロンドン一のやらわかい手」の持ち主と持ち上げられ、先輩の若い女性にテクニックを教わり、壁の穴から差し出される男性自身を扱ううちに、うわさがうわさを呼び、彼女の部屋の前にはいつも男たちの行列ができるようになり・・・。ところが、息子が彼女のやっていることに勘付いて・・・。 はじめは世間知らずだったマギーが、自分の仕事部屋を飾って、自分の家の部屋のようにするところから、仕事に対する意識が変わったのでしょうか、オーナーとの関係も微妙に変わっていきます。 彼女の才能に目をつけた同業の他店に引き抜かれることになるのですが・・。 実にほのぼのとしています。 ラスト近くの村の売店でのふるまいの堂々とした様はたいしたものです。 ラストはまあ、こうなるだろうというのは予想できていたので予定調和的ともいえるのですが。
December 30, 2007
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ルパン三世の峰不二子のモデルでは?ってマリアンヌ・フェイスフルが言われることがありますが、この映画を観ると、なるほど!って思いますよ。でも、モンキー・パンチ氏自身が否定しているのだから、それはないのでしょうけどね。ちなみにマリアンヌはミック・ジャガーの恋人でもありました。 白水社の「オートバイ」が原作です。もちろんアンドレ・ピエール=ド=マンディアルグの作品です。ところで、いまだに(アマゾンの書評なぞでも)マンディアルグって書いてますけど、それって違いますよ!せめて、ド・マンディアルグくらい記述したらどうでしょうか? で、僕はこの「オートバイ」は20年以上前に読んだ記憶があるのですが、恥ずかしいことにこの「あの胸にもういちど」は見ていませんでした。ほんと恥ずかしい限りです。 今回、「やわらかい手」とセットで観ましたが、やはり時代が古く、その映画の表現方法がその時代では先端だったのでしょうが、今となっては観ているこちらが赤面してしまいます。 原作はもうほとんど忘れていたのですが、映画を観ているうちにかなり思い出してきました。で、もう最後のころは、バッカス(ディオニッソス)の顔が描いてあるワインのトラックがいつ出てくるのかとそればっかり気になっていたのですけど・・・。 ド・マンディアルグの小説はもっと観念的だったような記憶があるのですけど、この映画ではあっけらかんとして、ただの若い人妻の男遊びの顛末っていう感じがして、ちょっと肩透かしの内容でした。 マリアンヌ・フェイスフルは美人じゃないのに色気があっていいですね。アラン・ドロンのダニエルも嫌いじゃないです。
December 30, 2007
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金曜日から職場にお泊り。ところが夜から咳と痰(それも黄色いの)が多量にあって不眠状態。で、土曜日が正午までお仕事。もう声ががらがら。夜に渋谷で「やわかかな手」を見ようと思ったけど、この時点でダウン。帰宅し熱を測ったところ38度を軽く超えていました。ちなみに土曜日におこなったインフルエンザ抗原検査は陰性でしたが、タイミングの問題で本当にインフルエンザでも陰性になることもあり、また、鼻につっこむのが優しいと陰性になりやすいです。とにかく、タミフルが手元になかったので、シンメトレルを飲んで(タミフルの騒動はどうやら(思ったとおり)インフルエンザ脳症ということで決着つきそうです)イブプロフェンを飲んで寝ましたが、それから本日24日までずっと寝たきりでした。今も咳は出てますが、熱はもう平熱です。 みなさん、風邪・インフルエンザには注意しましょう。 僕の場合は一体何だったのか(実は途中からクラビットやタリビットが手元にあったので飲んでいたので、ウイルス性だったのか、細菌性だったのかもわからずじまい)? 映画館には咳が続く限りいけそうにないですね。残念! テレビでナショナル・トレジャーやってましたが、けっこうおもしろかったですね。 今、溝口健二の「雨月物語」をDVDで見ています。 でも、頭がぼーっとしているので、アップはさきになりそうです。
December 24, 2007
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DVDのケースに蓮實重彦による「映画の二十一世紀はペドロ・コスタの「ヴァンダの部屋」とともに始まる」というシールが張ってあります。蓮實重彦っていうのは、フランス文学者にして、東大教授にして、映画評論家ですが、彼のいつものなめくじがのたくるような文体にしては珍しくわかりやすい讃辞です。「凡庸な芸術家の肖像」は我が家のトイレにある本のひとつですが、ひまなときに時々読みますが、蓮實氏の文体の晦渋・難解のために、もうトイレに数年置いてあるのに十ページくらいしか進んでいません。その彼の讃辞を送られた映画ですから(彼が東大教養学部で映画ゼミをしていたときにその参加条件は、たしか年間200本だか300本だかを鑑賞することでした。もちろん僕はあきらめたのですが)、きっと面白いと思ったのですが、これがなんともすさまじい映画でした。 舞台はリスボンの打ち捨てられた街で、なにやら工事をしています。家を壊しているのです。そうした、壊れつつある家の小部屋にヴァンダが暮らしています。彼女はひどい咳をしながら、アルミホイルをマッチであぶり薬を吸引しています。いっぽう、ちかくの家にはバンゴだかニョーロだか(名前もたくさんあるみたいです)という黒人青年がいて、彼は友達と一緒に麻薬を吸引したり静脈注射をしてくらしています。ヴァンダの姉は刑務所にいるみたいですし、多分姉の子供、両親がいて、これが口喧しくて、ヴァンダはいつもけんかをくりかえしています。環境は劣悪で、こんなところに住むというのはどういう人生(失礼!)なんだとも思ってしまいますが、住民同士にはつよいコミュニケーションがあるようです。 場面がかわるごとに少しずつ壊されていく街の建物、それを静かに追って行きながら、大きな物語はなく、178分の映画は最後はほとんど動かない映像でおわります。 娯楽を映画に求める人にとっては、たぶん最初の数分でたちさるでしょう。もしくはストップボタンを押してしまうでしょう。しかし、映画から人生を学べる、もしくは人間という存在を学べると信じる人にとっては意義深い映画です。
December 21, 2007
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ルイス・ブニュエル監督の名作「昼顔」のその後といった内容を期待したらガッカリしますよ。まず、あの夫を裏切りながらも夫を愛するセブリーヌの過去を知る、ユッソンがオーケストラを聴いている場面で始まるのですが、これが長い長い。その劇場でユッソンはセブリーヌを見かけて追いかけるのですが、これも人をかきわけかきわけて進むシーンが長い。しかもつかまらない。 で、歩いていると、セブリーヌが出てきたバーがあり、彼はその店に入りバーテンダー相手に、セブリーヌという女性の謎をかたるのですが、なぜか二人組みの娼婦が必要もなく(?)、やたらシーンにはいってくる。 で、やっとユッソンがセブリーヌを見つけて食事にさそうのですが、この食事に彼女は(いこうかどうしようか迷って)遅刻してくるのですが、その遅刻するのをわれわれも一緒にいらいらしながら待つのです。 やっと食事がはじまって、まず前菜、メイン、デザートと3皿のあいだというもの、まったく会話がない!!食べる音、食器の音のみ。そして、やっと会話が始まったと思ったら、このユッソン、弱みをついて・・・。 でセブリーヌは当然のように怒って・・・。 彼らが立ち去った後、レストランの給仕がテーブルを片付けるシーンが延々とつづき・・・。 実は、前作の終わり方も唐突でしたので、きっとこのままって思っていたらその通りでした。 肩透かしもここまでくると拍手したいです。実際、映画館のシートで小さく拍手してしまいました。 銀座テアトルシネマは中年が多く、きっとカトリーヌ・ドヌーブのファンだったおじ様・おば様達なのでしょう、けっこう盛況でしたけどね。 若い方、映画になれていない方は遠慮しておいたほうがいい映画です。
December 16, 2007
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さて、フランソワ・オゾンの新作が公開されるとあって、初日の12月8日に観てきました。渋谷に行こうかなとも思ったのですが、新宿武蔵野館では初日全員に粗品進呈とのことで、粗品目当てで新宿へ。昼の部の15分前ですが整理番号は50番で、いい席ゲット!のつもりが、前に背の高いお兄さんがきて、映画上映中こちらの首を左右に傾けてやっと見ることができて・・たいへんつらかったです。 イギリスの暗い街中で母が営む食料品店の2階に住むエンジェルは夢見る生意気な女の子。読書など全くしたことがないくせに(シェイクスピアの名前をかろうじて知っているくらい)、自分の作家としての才能を疑わない。近くにあるパラダイス・ハウスというお屋敷にあこがれながらも、そこで働く仕事を叔母に持ってきてもらったときも、女中になるのではなく主となってパラダイス・ハウスに入るのよと豪語するのである。 自分が経験したこともないロマンスを書いて出版社に送り、そのうちの一社の出版人に少しばかりのミスを指摘された時も「単語ひとつ、句読点一つかえるつもりはありません!」という有様! ところが、そのロマンスが大ヒットし、書く小説書く小説がすべてヒットし、なんとエンジェルは憧れのパラダイス・ハウスの主になるのです。 そんなエンジェルに近づくのが、彼女を尊敬する姉と、女たらしの売れない画家の弟の姉弟。彼女は不誠実な弟とつきあわないようにというその姉の忠告を無視して売れない画家と結婚してしまうが、いくら愛情をそそいでも、彼は陰で・・・・。 自分を育ててくれた母親が死に、戦争によって片足をうしない、愛人をも失った夫が自殺した時でさえも、エンジェルは自らの想像のままに、その思い出を書き換えてしまうのですが・・・。 ひたすら上昇することを夢見ながら、最後には悲しい最期を迎えるのですが、映画のはじめの頃には、「こんな生意気な女!」って思っていたエンジェルに同情してしまいました。 それにしても、映画らしい映画です。 ハリウッドの昔のシーンをわざとらしく挿入しており(セットがセットとして現れます)、衣裳のあざやかさも大したものです。 やはりオゾンは(彼自身がゲイであるせいでそうなのかは不明ですが)女性を撮らせたら、右に出る監督はいないのでは、と思います。 あのスイミング・プール、まぼろしに出ていた(「愛の嵐」のファンでもある僕には、彼女を見ることができるだけでうれしいのですが)シャーロット・ランプリングが「出版者の妻」役を演じていますが、これが非常に重要な役回りです。 「映画」(アクションとかホラーばかりがお好きな方にはたぶん向かないでしょうが)が好きな人ならきっと気に入る映画です。
December 10, 2007
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結構重い映画です。ハンガリーの1956年を描いた映画です。この頃、ソ連の衛星国であった共産主義国家ハンガリーでは自由を希求する声が広がり始めていました。水球でオリンピック出場を狙うカルチはモスクワでソ連チームと戦い、卑怯な反則を数々くらい、ついに試合後にソ連選手を殴ってしまいます。帰国後、彼はAVOという秘密警察の長官に呼びつけられるのですが、この時点でカルチには政治的思想は全くといっていいほどありません。彼は大学の集会で大声で周りの学生を煽動(ひとことでいえばそうですね。アジテーションです)する美女ヴィキを知ります。彼は彼女を何とか自分のものにしようとします。で、結局ヴィキを追って、激しくなった反政府運動の現場に行ってしまうのです。 市民達は共産党穏健派ナジ・イムシを首相にしようとしてゼネストに突入します。ここで政府側及び駐留ソ連軍との市街戦が始まり、一度はソ連軍が撤退し、市民は勝利したかと思ったのですが、一週間後にブタペストに前にもまして増軍されたソ連軍が進駐し、制圧されてしまうのです。一方、ナジが代表になりソ連が仮の撤退をした間に、カルチら水球チームは、メルボルンオリンピックに参加し、祖国がまたも蹂躙されているのを知りながら、逆に祖国のためにソ連を準決勝で撃破し、ついには金メダルを得るのですが、そのころ、AVOと進駐ソ連軍に追われたヴィキはつかまり、処刑されるのです。 で、ソ連のひどさとハンガリーの自由への希求の映画と単純に言えばそうなのですが、実際にはアメリカの裏切り(まあ、そのあともアメリカはソ連と同じく傀儡政権をあちこちの国に作ってめちゃくちゃをやるわけです)や、市民の間の反目、無統制などもあり、ハンガリー事件の位置づけはまだ決着していません。 それに、日本で見る僕達にとって、こういう映画が例えば、中国や韓国・北朝鮮、その他アジアの日本の植民地下にあった人々の映画として撮られたとして、単純に感動できるでしょうか?そこまでの普遍化をどの評論家も述べていないけれど、例えば、かつて日本人に無理やりされてマラソンに出て優勝したなんていう感動的映画ができて、それを素直に日本人も感動できるような国民になれたらいいでしょうね。(無理でしょうけどね)
December 3, 2007
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