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カート・ヴォネガットが亡くなってもう数か月経った。もうヴォネガットの文章が読めなくなったと思っていたら、最後に発表されたのがこの「国にない男」。エッセイ、しかもまとまりのないエッセイだけど、本当に、ヴォネガットなのである。彼は、最後の最後まで人間を愛し、悲しく思っていたんだ。「いま、この地球上でもっとも大きな権力を持っているのは、ブッシュ(陰毛)、ディック(男根)・チェイニー、コロン(尻)(コリン)・パウエルの三人だ。何がいやだといって、こんな世界で生きることほどいやなことはない。」アメリカを愛し、これほど憎みながら、アメリカ人にこんなに愛される「社会主義者」カート・ヴォネガットの最後のつぶやきです。これはもう、全員に読んで欲しいなあ!
September 24, 2007
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僕はいつもは「毎日かあさん」は見ていないのだが、ときどきネットで「毎日かあさん」に関して西原理恵子が語るコーナーを読んでいる。あいかわらずおもしろい人だなあと思う。西原マンガは「近代麻雀」であったかな?「まあじゃんほうろうき」(正確な表記はわすれました)を読んでいた時代がある。阿佐田 哲也の麻雀放浪記はむかしむかし、興奮しながら読んだ。「まあじゃんほうろうき」はしかし、一人の無鉄砲な女性の鉄火場での面白おかしい体験が記されているギャグ漫画であった。 その後、鳥頭はいろいろな国を放浪し、いろいろな人と知り合い(「まあじゃんほうろうき」のころからすでに、金角銀角などは出てきているのだが)、ますますおもしろくてかなしい漫画をわれわれに読ませてくれるようになる。 「いけちゃんとぼく」は西原理恵子の叙情漫画の代表となるであろう。 男の子というのは、きっといつでも自分以外の誰かと話をしながら育っているんだろうが、それが、この主人公の場合は「いけちゃん」というオバQのできそこないみたいな存在であった。いけちゃんは、男の子が困ったとき、さびしい時など、相手になってくれる。触れてくれる。 僕は小さい時、いつももうひとりの自分に呟いていたと思う。それが僕の「いけちゃん」だったのかもしれない。僕の「いけちゃん」はある日消えたのではなく、断続的に出現してくれた。女性もそうなのだろうか?人は誰でも「いけちゃん」がいるのだろうか? それにしても、「いけちゃんとぼく」の終りのあたりで「いかちゃん」の正体が暗示される。SFみたいな謎解き。あれって、萩尾望都の漫画でもそんな感じのまんががなかっただろうか?ずっと主人公を見守ってくれる存在の謎。 とても考えさせてくれる漫画である。ただし、あまり期待すると足元を救われるかもしれない。図書館で読んで、もしくは立ち読みをして、それでもほしくなる人がいるとおもうから、まずはそういった方法で一読することをお勧めします。
September 23, 2007
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渋谷のイメージフォーラムで「追悼のざわめき」を見てきました。多分、この映画がロードショー公開されるとか、DVD化されるとかは金輪際ないでしょうから(松井監督自身がビデオ化を拒んでいます)、今年年初の京都、今秋の渋谷のあとは、いったいどこでやるのでしょうか。キーワードは「人形愛、連続殺人、死体損壊、スカトロジー、朝鮮人・畸形にたいする差別・蔑視、兄妹相姦、浮浪者、廃墟、人肉嗜好、その他その他」です。で、現在の視点からすると、この1988年発表の映画はそれほど刺激的ではありません。むしろ笑ってしまいます。若い人には冒頭で登場する傷痍軍人がわからないかもしれません。また、街の風景(大阪南部、つまり釜ヶ崎)の時代背景にもピンとこないかもしれません。 あらすじは、街のごみ置き場のようなところで女性の下半身を切り裂く男「誠」が、被害者から生殖器(多分卵巣・子宮かなんかがくっついているのでしょうか?ずいぶん固くて大きな臓器です。)を取り出して、自分が住む廃墟のビルの屋上で、マネキン人形の股間にその臓器をねじ込んでいます。(ただし、あまり殺人の場面は続きません。)彼は畑で拾ったマネキンと愛を交わらせ、マネキンの腹の中では胎児が生まれるのです。「誠」は傷痍軍人をおそって、金を盗ったりしますが、けっきょく地下下水の清掃を小人の男の世話で始めるのです。 この小人にはやはり小人の妹がいるのですが、その妹は「誠」に好意をもつのです。 いっぽう、浮浪者の男(白虎社の大須賀勇が演じています)は、木の股をひきずって街を歩くのですが、「誠」のビルの屋上に吸い寄せられ、やはりマネキンと交接するのです。ところが、マネキンの局所には「誠」が仕掛けておいたガラス瓶の切り口があり、彼の一物は傷つけられ、浮浪者は腹いせなのか、マネキンからパンティをはがし、木の股にはかせて、また街へとさまよい出ます。 さらに、登場人物は増えて、まだ若い兄と妹(小人ではありませんよ)がふらふらとあらわれます。彼らは遊ぶといっても「ケンケンパ」しかしらないようです。廃工場でケンケンパをしていると、あのマネキンのところへ引き寄せられるのですが、なぜか兄はマネキンを愛撫する妹に興奮して、マネキンの横でこの兄妹は交接するのです。さらになぜか、妹の股間からは「シャイニングのエレベーターからの血の洪水」のごとく、血液が流れ出し、妹は死んでしまいます。 街に出た「誠」と小人の妹は、愚連隊におそわれ、小人の娘はレイプされるのですが、彼女はやけどのあとを嫌がらずなめてくれたといってよろこぶのです。さらに、自宅に帰った小人の妹を、その兄は「母親からお前がかわいそうだから、やってくれといわれた」といって、彼女の誕生日のプレゼントとして(お祝い袋のデザインの布団をかぶって)セックスをするのです。 もう、しっちゃかめっちゃかでしょ。 マネキンの傍らで死んだ妹を抱いて兄(小人のではありませんよ)は、ふらふらとどこかに消え、湿気のある土地に埋めるのです(土をなめながら)。 「誠」に思いを寄せいていた小人の妹は、「誠」に女がいるといわれて(マネキンのことですよ!)、嫉妬のせいか、廃ビルの屋上にあがり、マネキンの腹をこわし、中にいた胎児を握りつぶし、マネキンごと屋上を焼き払うのです。 一方、もうすぐ子供が生まれると信じる「誠」は学生が陸上競技をしている土手のかわらで、風車なんかをまわして幸せそうに寝そべっていると・・・・。 やがて、死んだ妹を埋葬した兄はというと、兄が妹の墓を暴いて、死体を・・・・。 なんじゃこれ?でしょ。 かろうじて筋らしきものはありますが、嘔吐や暴力などは拙い露悪趣味としかいいようがなく、しょせん学生が作った8mm映画と同じです。 ただ、他人の(しかも男性の)オナニーを見ることに興味を持つ人もいるのでしょうね(僕はだめですが)、熱心な崇拝者もいる映画です。 ちなみに、アメリカの海賊版DVD屋さんでこの映画の海賊版は売っています。ただし、海賊版の売買は違法ですし、この映画の海賊版なら、さらにおすすめできません。こういう違法な海賊版を減らすためにも、松井監督には限定版でDVDでも出していただきたいところです(僕は買いませんが)。どうしても見たい方は、渋谷 シアター イメージフォーラムに行ってください。
September 14, 2007
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8月末から9月初旬にかけて旅行に出ておりました。そのうち、旅行中に撮った写真をアップする予定です。飛行機ではLucky Youというつまらない映画を見ただけです。旅行前に見たのがこの「世にも怪奇な物語」です。エドガー・アラン・ポーの原作を有名な監督が競作した短編集です。本当はもっといろいろな監督(たとえばオーソン・ウェルズなど)による、全10話くらいからなるものだったようです。第一話は「黒馬の哭く館」です。監督は美女をとっかえひっかえ妻にしたロジェ・ヴァディムです。冷酷な女貴婦人をジェーン・フォンダ、彼女が興味を持つものの自分がなんとも思われないとわかるや、館に火をつけられた死んでしまう青年にピーター・フォンダという姉弟による作品です。退廃的な美くしさがけっこう演出されていると思われます。最後のあたりの馬にまたがるジェーン・フォンダの姿も美しくエロチックです。第二話は「影を殺した男」です。監督はあの、「死刑台のエレベーター」のルイ・マルです。で、アラン・ドロンが悪いことをしようとするとかならず同じ名前の男に邪魔をされるウィリアム・ウィルソンを演じています。彼がいかさまカードゲームで負かして、鞭打つだけでなくさらに自由にしようとする美女をブリジット・バルドーが演じています。うーん、あばりBB(ブリジット・バルドー)は好きではないのですが。この原作の短編「ウィリアム・ウィルソン」は好きな作品ですので、この短編も結構気に入ってます。第三話は「悪魔の首飾り」です。監督はフェデリコ・フェリーニ。主演はテレンス・スタンプですが、これはフェリーニらしく、精神世界をいらめくような映像にとらえようとしていますが、僕は冗長さを感じています。ラストは衝撃的なんですが。このオムニバス映画は、10年くらい前までは何度も何度も昼間や深夜のテレビで再放送されていた記憶があります。だから、ラストとか大事なシーンはいずれも見たことがあるのですが、やはり、見直してみると結構面白いですね。
September 5, 2007
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