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いしかわじゅんが以下のアーティストを評価しているが、なかなかええではないか♪西原理恵子、宮崎駿、諸星大三郎、いしいひさいち、杉浦日向子、松本大洋、かわぐちかいじ、東海林さだお、浦沢直樹etc.・・・ということで『いしかわじゅんの審美眼 』 という本を復刻して読み直そうと思ったのです。********************************************************* <いしかわじゅんの審美眼>いしかわじゅんが『漫画の時間』という本で、1995年時点での100の漫画と作家を推薦していました。いしかわじゅんの審美眼はどの程度のものか検証してみようと思うのだ。(いしかわじゅんさん、ご免なさい)個人的には、以下の大家をどう評価したのか気になるわけですね。・西原理恵子・いしいひさいち・松本大洋etc.<叙情の向こうに絶望が見える>p72~75 西原理恵子を読むのは辛い。 彼女は最近、『恨ミシュラン』のベストセラーを通じて、根性の悪い漫画家として一般に知れ渡ってしまったが、それは正しい。西原はもちろん、もともと根性の悪い漫画家なのだ。 彼女は、叩く。自分以外のすべてを叩く。彼女の周辺の人間の愚かしさを叩く。自分以外のすべてを叩く。無知を無能を糾弾する。無垢なはずの子供たちの残酷さを指弾する。情け容赦なく、無慈悲に盛大に叩く。そのあまりの凄まじさに、ぼくは、彼女はそれを楽しんでいないのではないかと思ってしまう。そんなにしては自分だって辛かろうにとさえ思ってしまうのだ。 そうなのだ。西原は、悲しみつつ叩いているように見える。愛を欲しつつ、それを拒否しているように、ぼくには見える。その愛と悲しみが、読む側にも伝わる。それが辛いのだ。 西原を最初に見たのは、たぶん、どこかのエロ本のカットだったと思う。ちゃんと漫画を読んだのは、『ヤングサンデー』の『ちくろ幼稚園』あたりだった。しかし、実はあのころ、ぼくはあまり西原に注目してはいなかったのだ。『ちくろ幼稚園』というタイトル同様、妙にうけを狙ったあざとい絵と内容だ、と思ったのだ。当時すでに飽きかけていたヘタウマの絵と、マニアうけを狙ったありがちなオチの4コマ、そう理解したのだ。だいぶたってから、もう一度読み直し、ぼくは自分の間違いに気づいた。西原はうまかった。ぼくは滅多に間違えないが、たまに間違える。西原は、すごくよかった。もう少し最初から丁寧に読んでおけば、そんなことはすぐにわかったのだ。単純に割られたコマの端々から溢れるオリジナリティに、気づいたはずだったのだ。 それにしても西原は、うまくなった。原律子がデビューしたころ、絵はすごく丁寧に描かれていて、それは決して悪くはなかったのだが、本格的によくなったのは、途中で忙しさからか根気のなさからか、描き飛ばすようになてからだ。西原も、そのへんが少し似ているような気がする。絵を捨てたところに、自分の絵が出てきたのだと思う。うまくなり始めると、もう歯止めが効かない。際限なくうまくなっている。単純に引かれた一本の線に溢れる情感に、ぼくは息を呑む思いである。 西原の絵は、ぼくの最も好きな絵のうちのひとつだ。これほどうまくて凄い絵を描いているのに、世間の評価はそれほどでもない。はっきりいって、単なる描きなぐりのいい加減な絵だと思われているだろう。以前、西原のほかの本の中で、ぼくも親しい文筆業者の関川夏央が、「西原さんの絵は、あんまり巧みではない」といっているのを知って驚いた。関川は絵描きではないが、漫画の原作者も長い間やっていて、漫画の読者としても筋金入りだ。その関川にしてこの程度の認識なのだ。絵に対する評価とは、それほどむつかしいという証拠ではある。 彼女の新刊がでた。『はれた日は学校をやすんで』という。表題作は、月刊誌『小学6年生』に、1年半近くにわたって掲載されたものだ。そのタイトルも内容も、まったく驚くべきものである。どんな理由があろうと学校にいくことを強要されるはずの小学生が読む雑誌に、<はれた日は学校をやす>む話が載っているのだ。あの大NHKのような大小学館が、よく許したものだ。いや、もちろん、その英断に感謝しているのだ。おかげで、ぼくらはこんな面白い漫画が読める。西原は今では、肩で風を切り、ブイブイいわせています。西原は独特なヘタウマで知られているが・・・・1995年時点で西原の画力を認めたいしかわじゅんの眼力もなかなかのもんでんな♪<怖るべし、天才の一歩>p97~99 なんたって、いしいひさいちは面白い。 彼は4コマを変えてしまったのだ。 確か、20年近く前、『バイトくん』という漫画で、彼は中央デビューした。当時いしいは、大阪を中心とした求人雑誌で4コマ漫画を連載していた。それが『バイトくん』だ。関西地区ではすでに不動の人気を得ていた彼を全国区にしようと、今はなきプレイガイドジャーナル社が、それをぶ厚い単行本にして、関東に送りこんだのだ。ぼくらは、それを読んで愕然とした。あのころ4コマ漫画を描いていた人たちは、旧態依然とした<起承転結>に縛られた退屈なものしか描いていなかったし、それ以上の可能性を探ろうともしていなかった。それが、文化的には傍流と思われていた大阪から、いきなり、漫画の世界に新たな視点と文法を持ち込んで、いしいが登場したのだ。驚くのも無理はないのだ。彼は、たった4つのコマがあれば、大河ロマンだって描ける、ということを証明してしまった。つまり、それまでの旧弊な狭い場所に閉じこもり、「4コマはすべての漫画の基本」などと寝言をいって納まり返り、既得権益に頼って細々と生きていた怠惰な漫画家に、引導を渡したのだ。ま、引導を渡されたからといって、その人たちが引き下がったかどうかは別問題だが。 その後、いしいは『がんばれタブチくん』で大ヒットを飛ばした。それを追って植田まさしが噛み砕いた平易な4コマ漫画を描いて支持を受け、その後を、ただ形だけ安易になぞった大量の4コマ漫画家が追い、ついに4コマはブームを経て、現在ではついに定着したひとつのジャンルとなってしまった。つまり、天才いしいが大阪から踏み出した一歩は、現在の4コマ漫画全体の、巨大な第一歩でもあったのだ。 いしいは現在、『朝日新聞』朝刊で連載している。『となりのやまだ君』だ。 ずーっと前、新聞4コマのメンバーが変わるとしたら誰か、と聞かれて、まず植田まさしで、次はいしいだ、と答えたことがある。『サザエさん』亡きあと、不愉快なほどひとつも面白くない新聞4コマが変わるとしたら、まず普遍性のある植田、それが成功したら、次は天才いしい、とぼくは考えたのだ。 新聞漫画は難しい、ということになっている。老若男女すべてに、ある程度の満足を与えなくてはいけない、と思われている。そのために漫画家たちは、不必要なまでに読者に擦り寄ったり、あるいは自分が特別の存在ででもあるかのように、尊大に庶民を啓蒙したりして、<新聞漫画>という特殊なジャンルを作ってきた。それはヒトコマだろうが4コマだろうが、変わるところはない。おまけに、そのほとんどは、なんの新しい工夫もない退屈な絵しか持ちえていない。進歩とか進化とかいうことを捨ててしまった哀しい絵だ。 いしいは、きっと違うぞ、とぼくは思った。彼はきっと、いつものようにいつものアレを描いてしまうに違いない。全人類に満足を与えることなんて、実は必要ないのだ。面白いものは、誰にだって面白いのだ。(中略) しかし、しばらくたってから、ふと気づいたのだ。いしいの意図は違っていたのではないか。いしいは、最初から、これをやるつもりだったのではないか。いつものアレではなく、新聞という舞台で、<家庭劇>をやってやろうと思ったのではないか。父と母と子供らの形作る、家庭ごとに少しずつ違う濃厚なオリジナルな空間。大阪精神世界の地下に根付く、天外・十吾の松竹家庭劇以来の伝統を、いしい版のあの世界でやってやろうと思ったのではないか。それも、天下の公器、大朝日の朝刊で。それはきっと、なかなか面白い試みではあったろう。大体いしいが、どこで描こうが、筆を弱めたりするはずがないのだ。いつでもどこでも、自分が描きたいものを堂々と描いてしまうに違いないのだ。そんなことは当たり前なのだ。『となりのやまだ君』は、今では『ののちゃん』とタイトルを変えて大朝日で連載されているが、とにかく長寿漫画である。ここでも、いしかわじゅんの眼力の確かさが証明されましたね♪ちなみに、大使が好きなキャラクターは、ののちゃんもさることながら、老いてますます毒気が冴える山野シゲでおま♪【漫画の時間】いしかわじゅん著、晶文社、1995年刊<「BOOK」データベース>より描線・コマ割り・バックのテクニック、センスと工夫、約束事…。うまい漫画とヘタな漫画の見分けかたを、図解を用いて指南。さらに、ギャグ、4コマ、劇画、少年・少女漫画、レディスコミック―あらゆるジャンルを網羅。コミック界を揺るがせる新星から胸うつ名作まで100の作品と人を推薦する。<大使寸評>大使が好きな以下の大家について、いしかわじゅんの1995年時点の評価が興味深いし、ついでに、いしかわじゅんの審美眼についても評価しようではないか。西原理恵子、宮崎駿、諸星大三郎、いしいひさいち、杉浦日向子、松本大洋、かわぐちかいじ、東海林さだお、浦沢直樹etc.Amazon漫画の時間*********************************************************■2012.11.22いしかわじゅんの審美眼https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201211220000/
2025.06.30
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満州事変あたりの満蒙地域の動向が興味深いわけで・・・加藤陽子著『満州事変から日中戦争へ 』 という新書を読み直してみようと思った次第です♪********************************************************* 「図説 第二次世界大戦」という本を読んだところであるが・・・陸軍の対ソ認識、対中認識が出てくるこの『満州事変から日中戦争へ』という新書を読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『満州事変から日中戦争へ』という新書を、手にしたのです。1931年の鉄道爆破作戦は、日本近代史のまったくエポックメーキングな事件ではないか…ということで借りたわけでおます。【満州事変から日中戦争へ】加藤陽子著、岩波書店、2007年刊<「BOOK」データベース>より「満蒙の沃野を頂戴しようではないか」-煽動の背景に何があったのか。満蒙とは元来いかなる地域を指していたのか。1931年の鉄道爆破作戦は、やがて政党内閣制の崩壊、国際連盟脱退、2.26事件などへと連なってゆく。危機の30年代の始まりから長期持久戦への移行まで。日中双方の「戦争の論理」を精緻にたどる。<読む前の大使寸評>1931年の鉄道爆破作戦は、日本近代史のまったくエポックメーキングな事件ではないか…ということで借りたわけでおます。rakuten満州事変から日中戦争へ陸軍の対ソ認識、対中認識を「おわりに」で、見てみましょう。p235~236<おわりに> ここまで読み進めてこられた読者はすでにお気づきのことと思うが、昭和戦前期の日本においては、国防思想普及運動などによって国民を巻き込み、扇動し、満州事変への支持を調達した陸軍などが真にめざしていたものと、扇動の過程で国民の前で強調され、展開された論理との間には、実のところずれがあった。 石原莞爾が望んだのは、1.ソ連がいまだ弱体な時、2.中国とソ連の関係が悪化している時、3.日本とソ連が将来的に対峙する防衛ラインを、中ソ国境の天然の要害まで北に西に押し上げておくことであった。将来的な対米戦の補給基地としても満州は必用とされていた。しかし、それは国民の前には伏せられ、条約を守らない中国、日本品をボイコットする中国という構図で、国民の激しい排外感情に火が点ぜられた。 松岡洋右が、そして建川美次までが連盟に止まろうと奮闘した1932年暮れから33年初頭、ジュネーブ軍縮会議の陸軍側随員の1人として同じくジュネーブに居合わせた石原は、早期脱退をぶつのでもなく、冷静に傍観していたとの証言がある。戦略上の目的が達成されれば日中紛争の帰結など問題ではなかったのだろう。掻き立てられ、後に放置された国民の憤怒は「満州事変は復仇」との自己説得の論理に、より強く結びつけられてゆくほかはない。 ずれは日中戦争においても起きた。参謀本部第一部長だった石原は、37年後半にもソ連の対日参戦がありうると見ていた。ソ連を警戒するあまり、満州に駐屯していた現役兵の多い屈強な師団には手をつけず、荒木貞夫が喝破したように、後備兵の比率の高い弱体な特設師団に上海・南京戦を戦わせた。いっぽう、軍内の拡大派もまた、目の前の中国との戦争を名目に臨時軍事費を獲得し、実のところ将来の対ソ戦に備えた拡充計画、国防国家化に予算の6割を振り向けていた。 陸軍の不拡大派も拡大派も、その実、中国と正対していなかったのである。『満州事変から日中戦争へ』1:張作霖爆殺あたりの軍事的・政治的背景『満州事変から日中戦争へ』2:石原莞爾ら陸軍中堅の考え方『満州事変から日中戦争へ』3:陸軍の対ソ認識、対中認識*********************************************************■2024.01.17『満州事変から日中戦争へ』(復刻)https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202401170001/
2025.06.29
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タイワニーズ (台湾人)といえば、私のツボが疼く人たちがいるわけで・・・『タイワニーズ』という本を読み直してみようと思った次第です♪********************************************************* 図書館で『タイワニーズ』という本を、手にしたのです。温又柔、余貴美子、陳舜臣、蓮舫など、この本が取り上げている在日台湾人がええわけです。【タイワニーズ】野嶋剛著、小学館、2018年刊<「BOOK」データベース>より日本は台湾を二度も捨てた。それでも彼らがいたから、強く、深くつながり続けた。在日台湾人のファミリーヒストリー。<読む前の大使寸評>温又柔、余貴美子、陳舜臣、蓮舫など、この本が取り上げている在日台湾人がええわけです。rakutenタイワニーズ女優の余貴美子が気になるので、見てみましょう。p180~184<客家の血をひく喜び 余貴美子>「総理、ご決断を!」「総理、撃ちますか、いいですか、総理!」 ゴジラの襲来に右往左往する内閣のなかで、ただ一人、決然と実力行使を迫った映画『シン・ゴジラ』の花森麗子防衛大臣。戦闘準備を進める自衛隊に「頼んだわよ!」と呪文のように念じ、攻撃が失敗に終わると「うーん、総理、残念ですが、これまでです!」とスパッと言い切る潔さ。怪獣が主役の作品で、短いセリフしかなかったにもかかわらず、怪獣並みの迫力が、頼りない男性陣のなかで異様に際立っていた。 どの映画でも、役柄は違いこそすれ、画面の中の存在感がやけに濃い。だから脇役でも光る。映画『おくりびと』では、「お願い、行ってあげてよ!」と、本木雅弘が演じた主人公に懇願する葬儀会社の事務員を演じた。『あなたへ』でも、失踪した夫の影を感じさせながら高倉健と出会う食堂の女将役としての演技が光った。 女優・余貴美子は『おくりびと』『ディア・ドクター』『あなたへ』で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞に輝いた。同賞の3度の受賞は彼女しかいない。 画面に出るとスクリーンが引き締まる。美と迫力と影が同居する。そして、背骨に一本、何か太いものが通っている女優。 これらが、余貴美子に対する私のイメージだった。 明るさの裏側に何かの「物語」があることを予感させるキャラクター。俳優たちの演技力が落ちたといわれる今日の映画界で、監督たちにとっては、ぜひともキャストに加えたい女優となっている。 実際に会ってみると、「アマリさんと今でも呼ばれますよ」とけらけらと笑い、聞いている方が拍子抜けするようなキャラクターだ。自分のことを誇張するような発言は、2回の計3時間におよぶインタビューで一度もなかった。聞き手としてはもう少しアピールしてくれても、と思わないでもないほど自然体で、控えめである。 そんな人柄と、演技の力強さは、なかなか一つの像を結ばない。<流浪の民の末裔に生まれて> 彼女の一族は、戦前、台湾から日本へ「生きるため」にやってきた。 そして、「流浪の民」と呼ばれる客家である。 自分が客家であると対外的に語り始めたのはこの5年のことにすぎない。 自らの源流に、余貴美子は、いま、自覚的に向き合おうとしている。客家の血について、余貴美子の言葉は、予想以上に明瞭だった。「ニホンや台湾、中国というより、私は客家。そんな風に思っています」 当代きっての名脇役の女優の心に、何かが起きている。 客家は、中国の漢民族のなかで、独自の文化とアイデンティティを有する特殊な人々である。「客」には、お客さんという意味のほか、よそ者、というニュアンスがある。客家について「東洋のユダヤ人」といったたとえもある。 その由来は、かつて中国の「中原」と呼ばれる、現在の河南省や山西省などにあたる地域に暮らしていたが、北からの異民族の襲来や内乱で故郷を追われ、定住の地を求めてさまよったグループであると伝えられている。 日本社会では客家をめぐる一部の著書が世界中の客家が連携して何か国際的なビジネスや陰謀を展開しているイメージが根強く、「三大中国系国家のすべての権力者に、客家人が就いている。数百年前に中原を追われた客家が、今、中国人社会の中心へと戻ってきたのである」(高木桂蔵著『客家』)という「客家優秀論」に言及する傾向があった。 この三大中国系国家とは、中国、台湾、シンガポールのことで、それぞれ鄧小平、李登輝、リー・クアンユーという客家の血統を持つリーダーを指している。 確かに客家は学歴重視の価値観を持ち、勤勉で優秀な人材を多く輩出している。しかし、実際の客家は、慎ましやかで、控えめである。どちらかというと、社会の片隅にひっそりと生きている人々というイメージだ。 統計上、台湾には人口比で客家人は1割強ぐらい存在していることになっている。だが、それほど客家人がいる感覚はない。社会のなかに溶け込み、消えているのである。 総じて言えることだが、台湾ではエスニック・アイデンティティは必要がなければあえて問わない。なんとなくわかっている、という距離感がいいようだ。他民族、多族群(グループ)を抱えた土地の知恵だとも言える。『タイワニーズ』5 :女優の余貴美子が気になる 『タイワニーズ』4:台湾人と日本語文学『タイワニーズ』3:陳舜臣(続き)『タイワニーズ』2:陳舜臣『タイワニーズ』1:温又柔*********************************************************■2023.05.18『タイワニーズ』5https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202305180002/
2025.06.28
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予約していた『原爆裁判』という本を待つこと9ヵ月ほどでゲットしたのです♪ NHKドラマ『虎に翼』のヒロインのモデルとされた三淵嘉子とは如何なる人物なのか?・・・ということでこの『原爆裁判』という本を予約していたのです。*********************************************************【原爆裁判】山我浩著、毎日ワンズ、2024年刊<商品説明>より日本初の女性判事・三淵嘉子が昭和三十年代に裁判官を務めた「原爆裁判」に焦点を当てた書き下ろし。原爆を巡るアメリカの闇を追及すると共に三淵嘉子の半生を紹介、さらに、世に名高い「原爆裁判の判決文」も付載した一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/11予約、副本?、予約133)>rakuten原爆裁判「第4章 アメリカはお友達? だが・・・」から日米の思い違いを、見てみましょう。p120~124<疑惑の通話記録> (1945年)8月25日、グローブスは、オークリッジ病院の外科医チャールズ・リー陸軍少佐に電話をかけ相談している。その通話記録が残っている。 グローブス「報道はこうだ。『ウランの核分裂により生じた放射線は、次々と人命を奪い、広島の復興作業者にも多様な生涯をもたらしている』」 リー「多分こんな話がいいでしょう。放射能なら被害はすぐには出ない。じわじわ出るんです。被爆者はただやけどしただけですよ。やけどもすぐには気づきません。じわじわ出るんです。少し赤くなって、数日したら水ぶくれが出て、皮膚が崩れたりしますね」 グローブス「次はまたやっかいな話だ。『数日後に不思議な症状で死んだ被害者は、米国の大規模核実験の犠牲者と死因が同じだろう』とラジオ東京が報じた。事実ならとんでもない話となる」 リー「お偉方のどなたかに否定声明を出させたらいかがですか?」 グローブスは、この通話記録を「あえて残した」のだと歴史学者のジャネット・ブロディ享受は指摘している。教授は長い間、核兵器の放射線をめぐる組織と個人の関りを、機密文書や関係者の取材メモなど膨大な記録からたどり、追跡、研究し、真相を求めてきた。 通話記録を残すことで、原爆投下を指揮したグローブスは、原爆の放射線に関する知識を持ち合わせていなかったという事実を明らかにできる。その証拠をでっち上げようとした思惑が見えるというのである。 グローブスが放射線の知識を持ち合わせながら原爆投下を指揮したことが明らかになれば、投下によって戦争を終結させたという彼の高い評価は一変してしまう。国際法に違反する非人道兵器を使用したという非難に変わりかねないのである。 そうとられないためには、トリニティ実験では残留放射能の危険性について科学者カラレクチャーを受け手いながら実はそのことをよく分かっていないように見せた方がいい・・・。「マンハッタン計画」の機密資料と通話記録を文字に起こしたメモのすべての保管責任者でもあったグローブスは、通話記録が残されることもよくしっていたのである。 ここから、グローブスの新たな闘いが始まる。<日本人は「けだもの」> 明かな戦争犯罪を、避け得ない正当行為と言いくるめるようなトルーマン米大統領の原爆投下時の声明等々を読むとき、私たちの多くは、意外というより「やっぱり」と受け止め、どこかアメリカ軍および指導者の言動にかすかな納得感を抱いたのではないだろうか。 彼は日記に、「我々は世界史上最も恐るべき爆弾を発見した。それは伝説的なノアの方舟の後、ユーフラテス文明の世に予言された火炎地獄なのかもしれない」(ロナルド・シェイファー著『アメリカの日本空襲にモラルはあったか』) と記したように、自らの罪深い行為を古代文明に例を採ってまで、正当化しようとした。 有馬哲夫氏はその著『原爆・私たちは何も知らなかった』で、「戦争に勝つためなら、大量破壊兵器として使うので十分なのに、わざわざ大量殺戮兵器としての使い方を選んだ理由は、トルーマンとバーンズ国務長官が日本人に対して持っていた人種的偏見と、原爆で戦後の世界政治を牛耳ろうという野望以外に見当たりません」と述べている。 原爆投下の最高責任者として、前任のルーズベルトから引き継がれた、アメリカ人犠牲最小化という大義名分があったとしても、史上最大の最悪兵器を使用してしまったという罪の意識には、とらわれていたに違いない。 1945年8月9日、米キリスト教会連盟は、「トルーマン大統領閣下、多くのキリスト教徒は日本の都市への原爆投下に深く心を痛めております。それは不必要な無差別破壊行為であるからです。これは人類の将来にとって極めて危険な前例であり、日本国民には新型爆弾に関する事実を確認し、降伏条件を受け入れるのに十分な機会と時間が与えられるべきです」と非難する抗議電報をトルーマンに打った。 8月9日付電報でトルーマンは、「けだものと接するときはそれはけだものとして扱わなければなりません」と返信したが、彼はそのとき、自身がけだものになっていたのかもしれない。 世界支配への野望はともかく、トルーマンが強烈な印象を我々に与えるのは、やはりその人種差別的意識であろう。トルーマンは、ポツダムでイギリスのチャーチルと会談したときも、原爆投下後の国民に向けた声明でも、繰り返し、日本の真珠湾攻撃に言及している。 つまり彼は、何よりも真珠湾を攻撃した「輩」に懲罰を下したかったのである。真珠湾攻撃が壊滅してしまったからというよりも、自分たちより劣っているはずの日本人がそれに成功したからである。 若い頃トルーマンは、のちに妻となる女性ベスに送った手紙にこんなことを書いている。「おじのウィルは、神は土くれで白人を造り、泥で黒人を造り、残ったものを投げたら、それが黄色人種になったといいます。おじはジャップが嫌いです。私も嫌いです。多分、人種的偏見なんでしょう。でも、私は黒人はアフリカに、黄色人種はアジアに、白人はヨーロッパとアメリカに暮らすべきだという意見を強く持っています」『原爆裁判』1:本書に寄せて
2025.06.27
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私のツボでもある恐竜を突き詰めていくと、恐竜→生命の起源→地球の歴史→地学と遡っていくわけで・・・『美しすぎる地学事典』という本を、以下のとおり読み直してみようと思う次第です♪********************************************************* 図書館で『美しすぎる地学事典』という本を、手にしたのです。地学的に見て美しい画像、風景が満載されていて・・・ええでぇ♪【美しすぎる地学事典】渡邉克晃著、秀和システム、2020年刊<「BOOK」データベース>より虹色の熱水泉、六角形の石柱群。自然は驚きと感動に満ちている!カラー写真とやさしい解説で学ぶ地球の神秘。<読む前の大使寸評>地学的に見て美しい画像、風景が満載されていて・・・ええでぇ♪rakuten美しすぎる地学事典「2 20億年に及ぶ完全な地層」で、グランドキャニオンが語られているので、見てみましょう。p11~13<地球上でもっとも完全な地層の積み重なり> 深く削られた渓谷の断崖に、延々と積み重なる水平な地層。アメリカ合衆国アリゾナ州北部に広がるグランドキャニオンは、「地球上でもっとも完全な地層の積み重なりが見られる場所」と言われています。渓谷の最下部に露出する約20億年前の地層まで、ここではほぼ連続的に地層の積み重なりを見ることができるのです。 露出している地層の厚さは、平均で1200メートルほど。最大では1800メートルにも達するというスケールの大きさです。その迫力は写真からも伝わってきますね。 20億年前と言えば、地球上には単細胞の原始的な清明しか存在せず、大気中の酸素濃度がまだ低かった時代。その後、およそ6億年前に酸素濃度が現代の水準に近づき、5億4000万年前頃から、脊椎動物をはじめとする多種多様な生命が出現するようになります。 やがて植物が陸上に進出し、両生類や爬虫類が現れ、地球上には海にも陸にも生命が溢れていきました。そして2億5000万年前に史上最大の大量絶滅が起こります。・・・グランドキャニオンの地層には、こうした膨大な時間の流れ、20億年に渡る地球の歴史が、ほぼ完全に記録されているのです。 谷底に降りれば、そこは20億年前の原始生命の世界。そこから1200メートルほど崖を登れば、頂上付近に広がるのは2億3000万年前の、大漁絶滅後の世界。この縞じまの分厚い断崖は、地球の歴史を一気に駆け抜ける壮大なタイムトラベルを体験できる場所なのです。<地層は大きく2つのブロックに分けられる> およそ20億年に渡る連続的な地層が見られるグランドキャニオンですが、その地層は大きく2つのブロックに分けられます。 サウスリムの写真を見てください。上の方の赤やベージュの地層の下に、縞模様のないこげ茶色の地層が見えますね。テラス状の中腹の部分から、さらに深く削り込まれている谷の部分です。 この縞模様のないこげ茶色の地層は、主に20億年前から15億年前くらいに形成された、とても古い地層です。一方、上の方の水平な縞模様のある赤やベージュの地層は、約5億年前以降に形成された比較的新しい地層です。 この2種類の地層の間には「不整合」と呼ばれる地層の断絶があって、グランドキャニオンの地層はここを境に2つのブロックに大別されます。 不整合の下側に位置する古い地層については、大まかに言うと15億年前よりも古い地層しかありません。不整合の上側に位置する新しい地層はおよそ5億年前以降のものなので、これら2つのブロックの間には実に10億年ものギャップがあるのです。<5億年前に起こった大浸食の謎> グランドキャニオンの地層を2つに区分するこの不整合は、いまだにはっきりとした形成過程がわかっていません。およそ10億年分の地層が広い範囲でごっそりと抜く落ちているのですから、少なくとも大規模な地層の浸食があったことは確かなようです。 しかもこの時代の地層が抜け落ちているのは、グランドキャニオンだけのことではないのです。規模の大きさこそ様々ですが、世界中の地層で、5億年前より新しい地層と、それ以前の古い地層との間に明らかなギャップ(不整合)があります。 世界中で同時期に、しかもかなりの規模の浸食が起きているわけです。この時期、地球に一体何があったのでしょうか。 一つの有力な説として、全地球規模の氷河がとてつもない浸食を引き起こしたのではないか、と考えられています。「全地球規模の氷河」と言うのは、言葉の通り、地球全体が完全に凍ってしまうことを意味します。赤道付近まで、陸も海もすべて氷に覆われる状態になったのです。 「全地球凍結(スノーボールアース)」と呼ばれるこのような事件は、地球46億年の歴史を通じて、3回起こったと考えられています。その時代が、ざっくりと22億年前、7億年前、6億年前の3回です。『美しすぎる地学事典』2:ゴビ砂漠の化石産地『美しすぎる地学事典』1:エベレスト
2025.06.26
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予約していた『原爆裁判』という本を待つこと9ヵ月ほどでゲットしたのです♪ NHKドラマ『虎に翼』のヒロインのモデルとされた三淵嘉子とは如何なる人物なのか?・・・ということでこの『原爆裁判』という本を予約していたのです。*********************************************************【原爆裁判】山我浩著、毎日ワンズ、2024年刊<商品説明>より日本初の女性判事・三淵嘉子が昭和三十年代に裁判官を務めた「原爆裁判」に焦点を当てた書き下ろし。原爆を巡るアメリカの闇を追及すると共に三淵嘉子の半生を紹介、さらに、世に名高い「原爆裁判の判決文」も付載した一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/11予約、副本?、予約133)>rakuten原爆裁判まず冒頭の「本書に寄せて」から、見てみましょう。p1~4<「本書に寄せて」> 三淵嘉子をモチーフにしたNHK朝の連続テレビドラマ「虎に翼」が話題となっている。今年4月から始まったドラマの平均世帯視聴率は1カ月を経過した時点で16.6%()で、その後も最高記録を更新するなど、好評を博している。 では主人公のモデル、三淵嘉子とは一体、どのような人物だったのだろう。 三淵嘉子は、第一次大戦が勃発した1914年(大正3年)11月13日、台湾銀行勤務の父・武藤貞雄と母ノブの長女として裕福な国際色豊かな過程に生まれた。女性は結婚して家庭に入り良妻賢母になるのが当然とされた時代に、進歩的な思想の持ち主だった父・貞雄は「〇」と勧めた。 発奮した嘉子は父の教えに従って1932年(昭和7年)、女子に唯一法学の門戸を開いていた明治大学専門部女子部法科に入学、明治大学法学部へ進学し、卒業生総代を務めるほどの成績を修めた。1938年に司法試験に合格。1940年6月、日本で最初の女性弁護士となり働く女性(ワーキングウーマン)の仲間入りを果した。 1941年11月5日、嘉子(28歳)は「見合い結婚全盛」の当時としては珍しく、見染めていた会社員の和田芳夫と求愛結婚で一緒になった。そのわずか1ヶ月後に日本は米国に宣戦布告、太平洋戦争に突入した。1943年1月には長男が誕生、だが日本の敗色が濃くなり、温かい家庭のしあわせな日々は長くは続かなかった。家族、親族、国民にも戦争の悲劇が襲ってきた。1944年(昭和19年)6月、出生していた弟で武藤家の長男が戦死、夫の芳夫も1946年1月に戦病死する。 1945年3月10日には東京にB29による無差別絨毯爆撃(ジェノサイド)が加えられ、東京は「死の町」と化した。 嘉子は幼い子供を連れて福島県の農家に疎開、萱ぶき屋根の倉庫で暮らし、サツマイモなどを栽培しながら飢えをしのいだ。 1945年8月15日、ついに終戦。帰京すると東京は一面焼け野原の焦土と化していた。1947年には父母が相次いで病死。残された「シングルマザー、ワーキングウーマンの嘉子」は弟三人と子供をかかえて必死になって働く。彼女は殺戮と破壊による戦争の悲劇と残酷さをいやというほど体験した。 新憲法が発布されると男女平等は憲法第13条で保障された。家族制度の廃止、家督相続が長男一人に承継する戸主権も否定された。旧憲法下で「裁判官任官は男子のみ」という規定も、新憲法では否定される。そこで1947年(昭和22年)2月、嘉子は最高裁に「裁判官採用願」を提出、認められて司法省の民事部民放調査室に配属された。 このとき嘉子は新民法の草案を読んだ。家族制度に関わる条文が削除され、妻の無能力制度も廃止、婚姻の自由、夫婦別産制、均分相続制度などの内容が盛り込まれていた。「女性が家の鎖から解き放たれ、自由な人間として、すっくと立ち上がったような思いがして、息をのんだものです」と嘉子はこの時の感動を生涯忘れなかった。 戦後、国は「家庭の幸せ、子どもや少年少女の降伏が国の幸せに通じる」を信念とし家庭裁判所の誕生に力を注いだ。1949年(昭和24年)1月、日本に初めての家庭裁判所が全国49ヵ所に作られた。設立後4ヶ月間で、戦死した兵士の遺児を養子として引き取る「養子の許可」が2万5900件、離婚などによる「子の氏の変更」も2万件に上った。 また戦災孤児の対策、保護、救済にも熱心に取り組んだ。その中心メンバーは嘉子らで、「家庭に光を、少年に愛を」「家庭裁判所は『愛の裁判所』である」と訴え、その発展に生涯を捧げた。 新潟家庭裁判所所長、浦和家庭裁判所所長、横浜家庭裁判所所長を歴任、嘉子が「日本最初の女性裁判所所長」「家庭裁判所の育ての親」と呼ばれる所以である。
2025.06.25
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鳥獣戯画といえば、昔のマンガそのものであるが・・・その鳥獣戯画の謎について特集された『謎解き鳥獣戯画(芸術新潮2020年7月号)』という雑誌が興味深いので読み直してみましょう♪********************************************************* 図書館で『謎解き鳥獣戯画(芸術新潮2020年7月号)』という雑誌を、手にしたのです。おお 鳥獣戯画の謎解きってか・・・興味深い特集やでぇ♪【謎解き鳥獣戯画(芸術新潮2020年7月号)】雑誌、新潮社、2020年刊<Top reviews from Japan>より「特集 謎解き鳥獣戯画」が掲載されている「芸術新潮2020年7月号」は、謎に満ちた鳥獣戯画に40ページ(関連コンテンツを含めると、実に84ページ!)が割かれており、見応え、読み応えのある一冊に仕上がっている。<読む前の大使寸評>おお 鳥獣戯画の謎解きってか・・・興味深い特集やでぇ♪amazon謎解き鳥獣戯画(芸術新潮2020年7月号)鳥獣戯画の甲乙丙丁巻のうち甲巻から見てみましょう。p37~39<甲巻:細部に注意! 絵師2人の競演> Q:甲巻について教えてください。土屋:甲巻は、全4巻からなる≪鳥獣戯画≫のなかでももっとも有名な巻です。兎と蛙の相撲、兎と蛙が猿を追いかけるシーンなど、≪鳥獣戯画≫と言ってまず思いおこされる兎・蛙・猿が登場するのはこの巻。 全巻にわたり、擬人化された動物たちが、人間さながらに遊戯に興じ、儀礼をとりおこなうさまが、いきいきと描かれています。動物は、兎・蛙・猿のほか、鹿・狐・猪・猫・鼠・雉・イタチ・フクロウと、合計11種。 すべて平安時代の日本に生息し、人びとが実際に目にすることができた動物ばかりです。このうちの鹿・猪・フクロウは擬人化されず、動物そのものとして表現されています。Q:じつに楽しい絵ですが、物語ないし意図のようなものがあるのでしょうか?土屋:≪鳥獣戯画≫は、筆者・鑑賞者・注文主のいずれもが不明。普通の絵巻と違って詞書もないので、どういう意味があるのかも分かりません。 明治以降、主に甲巻を対象として、200本以上の論文が発表されていますが、主題について定説はないのです。 オーソドックスなところでは貴族や僧侶を動物に喩えて風刺したというものから、安徳天皇など非業の死を遂げた人物の鎮魂のために制作された可能性を説く意見、寺院において童蒙書の役割をはたしたのではないかとする説までさまざまです。Q:画面のいたるところに「高山寺」の印が押されているのはなぜ?土屋:糊が自然に弱くなって紙がばらばらになるということは、意図的に紙を剥がして絵を抜き取ることも可能ということです。実際、そのようにして流出した甲巻の断簡4点と丁巻の断簡1点が現存します。「高山寺」の印が押されているのは、やはり紙継の部分。絵が抜き取られ、散逸してしまうことを防ぐために、紙の継目にまたがるように押されました。 印は5種類あり、おそらくは室町後期から江戸時代末にかけて、難解かにわたって押されたと思われます。断簡には印がないので、それ以前に本体から分かれていたことになるでしょう。(乙巻の龍)********************************************************* ■2021.08.05『謎解き鳥獣戯画(芸術新潮2020年7月号)』1https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202108050000/
2025.06.24
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予約していた『身辺整理』という本を待つこと7ヵ月ほどでゲットしたのです♪この本を図書館予約した時はまだ、著者はご存命の頃ではなかったのか・・・つまり、森永卓郎の「遺言」のような本だったようです。*********************************************************【身辺整理】森永卓郎著、興陽館、2024年刊<「BOOK」データベース>よりいきなり、ステージ4のがん告知を受けた、森永卓郎の「遺言」。迷惑をかけずに、跡形もなく消え去りたい。渾身の「死に支度」ドキュメント。<読む前の大使寸評>この本を借りだし予約した時はまだ、著者はご存命の頃ではなかったのか・・・つまり、がん告知を受け、森永卓郎の「遺言」のような本だったようです。<図書館予約:(11/20予約、副本4、予約76)>rakuten身辺整理「第6章 好きなように自由にやる」で最強カードが語られているので、見てみましょう。p175~179「もうすぐ死ぬ」という最強カード 私は自由に生きてきた。 とはいえ会社勤めをしていた頃は何かと我慢を強いられ、それでも息子たちが成人するまではと歯を食いしばって我慢した。そのは反動もあって、20年前にシンクタンクを辞め、経済アナリストとして独立したのが、私の自由の第一ステージだった。 しかし正確に言えば、まだ縛りがあった。テレビで言い過ぎると干されてしまう。国の財政状態についても、真実を知っていたし、財務省の闇についても十分に把握していたが、批判はオブラートに包んでいた。 露骨に追及すれば、自分が干されるだけでは済まない。 当局から圧力がかかり、番組自体が吹き飛んでしまうこともある。いずれにせよ、テレビ局の関係者にも多大な迷惑がかかることは火を見るより明らかだ。 そこで「ある程度ははみ出す」というギリギリのところでやっていこうと心がけていたのだ。 私が『ニュースステーション』でコメンテーターを務めていたのは、2000年から2004年にかけてだった。当時はメディア全体が反権力というスタンスを持っていたし、なかでも『ニュースステーション』は消費税引き上げに徹底抗戦するなど、反財務省路線をとっていた。 ところが、得体の知れない圧力によって『ニュースステーション』は、番組がつぶされた。 また、メディアの人間がどんどんサラリーマン化していき、テレビ局や大手出版社の社員は、自分たちが得ている好待遇を守ることを優先するようになってしまった。 昔は新聞社などでは記者が24時間体制で取り組んでいたが、今は休日を確保したい、普通の暮らしがしたいと主張する。 メディアの人間が普通の暮らしをしてどうするのだと思う私が古いのかもしれないが、2年くらい前に、あるテレビ局のプロデューサーが「これからは本当のことを言うコメンテーターは一切使わない」と宣言をしたと聞いた時は、開いた口がふさがらなかった。「ある程度ははみ出す」こともゆるされなくなったメディア界に私は限界を感じていたのだ。 時を同じくして、私は65歳になり公的年金を受給することにした。これですべての仕事を失っても食うには困らないという状況を迎え、私の自由は第二ステージに突入し、「完全にはみ出す」ことを厭わなくなった。 そうして書き始めたのが『ザイム真理教』であり、『書いてはいけない』だったのだ。 そして今、私はがんになったことで、自由の第三ステージ を迎えている。余命宣告を受けていることを公表する前に『書いてはいけない』を出版していたら、私は逮捕されていたか、最悪、暗殺されていたかもしれない。 事実、テレビメディアの世界からは抹殺されたが、暗殺者から見逃されているのは、おそらく私が「もうすぐ死ぬ」という最強カードを持っているからだ。 放っておいても死ぬ人間をわざわざリスクを冒してまで殺す必要はないと誰もが思うだろう。 かくして私は「言いたい放題」「書きたい放題」という完全なる自由を獲得している。ただ国民を扇動しようという気はない。真実を知った人が何を感じ、どんな行動に出るのかは、それこそ自由なのだ。私は一般庶民が知りようのなかったことを明るみに出して、人々に判断材料を提供しているに過ぎない。 誰もが真実を知る権利がある。そうでなければ正しく判断することも、真に覚悟を決めることもできないのだ。 一部の人間だけが極めて重要なことを把握していて、国民を自分達の都合のいいように操作しようという体制はゆがんでいる。 フェアーじゃない。多くのジャーナリストがそう思ってっているに違いないのだが、私がそうであったように、これきあらも生きていくことを思えば〇む。 その結果、権力に加担しなければ誠意があるほうだと考えて、ギリギリの線を行く。つまり、死を目前にした人間でなければできないことがあるということだ。 余命宣告を受け、完全なる自由を獲得した私に果たせることは、まだまだ残されていると感じている。『身辺整理』1:著者の死生観
2025.06.23
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私が好きなシャンソンが出てくる『フランス語っぽい日々』という本がええので、以下のとおり読み直してみようと思った次第です♪********************************************************* 図書館で『フランス語っぽい日々』という本を、手にしたのです。どこを開いても・・・夫の描くマンガの頁、妻の述べる説明の頁がセットになっていてわかり易くて興味深いのである♪【フランス語っぽい日々】じゃんぽ~る西×カリン西村著、白水社、2020年刊<「BOOK」データベース>より外国語を愛する、外国語に苦しむすべての人に。日仏夫婦が漫画とコラムでつづる、異文化・外国語学習・子育ての悲喜こもごも!<読む前の大使寸評>どこを開いても・・・夫の描くマンガの頁、妻の述べる説明の頁がセットになっていてわかり易くて興味深いのである♪rakutenフランス語っぽい日々カリンが新旧のシャンソンについて述べているので、見てみましょう。p78~79<35 シャンソンで Èn chanson> 外国語の学習法でつい忘れがちなものに「歌 chanson」がある・・・息子が日本語で童謡を歌っているのを聞くたびそう思います。それまでは知らなかったけれど、日本のちびっ子たちがみんな知っている節回しのおかげで自然と覚えることができた言葉が童謡にはたくさんあります。 息子は歌でアルファベットを覚え、フランス語で10まで数えることもできるようになりました。言語にはその言語固有のメロディーというものがあって、たとえ何も理解できないとしても、よく聞いてそのリズムやイントネーションを覚えることが肝要。子どもは見事にそれをやってのけます。 日本人にとって「シャンソンchanson」といえば特定のカテゴリーを思い起させます。それは、必須の作詞家や歌い手の名とともに刻まれた1940~80年代のフランスの流行歌。シャルル・トレネ、ジョルジュ・ブラッサンス、ジャック・ブレル、セルジュ・ゲンズブール、エディット・ピアフ、ジュリエット・グレコ、シルヴィ・バルタン、ジェーン・バーキン、フランソワーズ・アルディ・・・以下略。 日本にはフランス好きの小さなアマチュア歌手グループが数多くあり、みなこうしたアーティストたちのシャンソンを覚え、たがいに感染力の強い熱心さで分かち合っていることにいつも驚かされます。 想像してみてください。パリのあちこちで演歌のリサイタルを開く、何十ものフランス人集団があるでしょうか。 いっぽうで、これらアーティストの全盛期以降もフランスの歌謡曲はかなり進化しているのに、残念ながらバンジャマン・ビオレ、ドミニク・A、ブリジット、ケレン・アン、クリスティーヌ・アンド・ザ・クイーンズといった才能豊かな彼らの後継者たちは、日本ではほとんど知られていません。 バンジャマン・ビオレに「東京の椅子 Une shaise a Tokyou」という歌がありますが、最近のアーティストたちはまだまだ日本では人気の座を獲得できていません。ぜひ一度聞いてみてください。きっと耳に残るはずです。イヴ・モンタン、ジャック・ブレル、エディット・ピアフ、シルヴィ・バルタンなどをよく聞いたが・・・最近のシャンソン歌手はさっぱり知らないのです。1940~80年代以降のシャンソンについては聞く機会がなくなったのだが、メディアが取り上げないためか、フランコフォニーの意気消沈のためか?『フランス語っぽい日々』1:言葉とは思考の方法
2025.06.22
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今回借りた3冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「予約本」でしょうか♪<市立図書館>・ 原爆裁判 ・ 闇の中国語入門 ・ 食いしん坊発明家<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【原爆裁判】山我浩著、毎日ワンズ、2024年刊<商品説明>より日本初の女性判事・三淵嘉子が昭和三十年代に裁判官を務めた「原爆裁判」に焦点を当てた書き下ろし。原爆を巡るアメリカの闇を追及すると共に三淵嘉子の半生を紹介、さらに、世に名高い「原爆裁判の判決文」も付載した一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/11予約、副本?、予約133)>rakuten原爆裁判【闇の中国語入門】 楊駿驍著、筑摩書房 、2024年刊<「BOOK」データベース>よりネガティブな言葉でなければ、伝わらないことがある。心と社会の闇を表現する45の言葉から読み解く、かつてない現代中国文化論。 <読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/13予約、副本1、予約7)>rakuten闇の中国語入門【食いしん坊発明家】 小泉武夫著、新潮社、2020年刊<商品の説明>より美味珍味に唾液腺崩壊! 無限の食欲に抱腹絶倒!! 笑って泣ける“飯テロ”小説。昭和30年代の福島。日本酒の蔵元に生まれた少年の夢は、食べ物でみんなを幸せにすること。かくて少年は、農大卒業後、東京で発明家を目指す。いまや常識となった「出汁入り味噌」、「匂い」に着目した絶品ラード、そして人類の悲願「人工松茸」――。尽きせぬ食欲だけを武器に、美味を追い求める発明家の栄光と失敗の日々。 <読む前の大使寸評>追って記入amazon食いしん坊発明家
2025.06.21
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・官僚国家 日本の闇(10/28予約、副本2、予約47)現在2位・金原ひとみ「ナチュラルボーンチキン」(12/03予約、副本?、予約?)現在27位・猫社会学、はじめます(12/17予約、副本?、予約?)現在4位・宙かける教室(12/28予約、副本1、予約388)現在196位・麻田雅文『日ソ戦争』(1/16予約、副本?、予約124)現在63位・就職氷河期世代(2/02予約、副本?、予約30)現在6位・天気でよみとく名画(3/22予約、副本?、予約29)現在21位・潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う(6/20予約、副本?、予約159)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』<予約候補>・テレビプロデューサーひそひそ日記・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・伊予原新『藍を継ぐ海』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・九段理恵『東京都道場塔』:図書館未収蔵・外山滋比古『思考の整理学』・ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』・街道をゆく「モンゴル紀行」「南蛮のみち」・畑正憲『どんべえ物語』:図書館未収蔵・ヤマザキマリ『水木しげる厳選集 異』:図書館未収蔵・書いてはいけない日本経済墜落の真相:図書館未収蔵・金水敏『よくわかる日本語学』・大友克洋「童夢」・70歳のバックパッカー・水族館飼育員のキッカイな日常・筒井康隆『エロティック街道』・西加奈子『通天閣』・クロード・ルブラン『山田洋次が見てきた日本』・エマニュエル・トッド『西洋の敗北』・和田秀樹『70歳が老化の分かれ道』<予約分受取:4/10以降> ・パッキパキ北京(8/29予約、4/10受取)・沈む日本4つの大罪(10/10予約、4/20受取)・転がる珠玉のように(9/05予約、5/01受取)・夜深特急5 トルコ・ギリシャ・地中海(4/⒓予約、5/15受取)・消費者金融ずるずる日記(8/27予約、5/29受取)・白人になれない白人たち(4/05予約、6/12受取)・森永卓郎『身辺整理』(11/20予約、6/12受取)・原爆裁判(9/11予約、6/19受取)・闇の中国語入門(4/13予約、6/19受取) **********************************************************************【官僚国家 日本の闇】泉房穂著、 集英社、2024年刊<「BOOK」データベース>より2002年10月、右翼団体代表を名乗る男に襲撃され命を落とした政治家・石井紘基。当時、石井は犯罪被害者救済活動、特殊法人関連の問題追及等で注目を浴びていた。その弱者救済と不正追及の姿勢は、最初の秘書・泉房穂に大きな影響を与えた。石井は日本の実体を特権層が利権を寡占する「官僚国家」と看破。その構造は、今も巧妙に姿を変え国民の暮らしを蝕んでいる。本書第1部は石井の問題提起の意義を泉が説き、第2部は石井の長女ターニャ、同志だった弁護士の紀藤正樹、石井を「卓越した財政学者」と評する経済学者の安冨歩と泉の対談を収録。石井が危惧した通り国が傾きつつある現在、あらためてその政治哲学に光を当てる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/28予約、副本2、予約47)>rakuten官僚国家 日本の闇【ナチュラルボーンチキン】金原ひとみ著、河出書房新社、2024年刊<「BOOK」データベース>よりルーティンを愛する45歳事務職×ホスクラ通いの20代パリピ編集者。同じ職場の女から導かれて出会ったのは忘れかけていた本当の私ー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/03予約、副本?、予約?)>rakutenナチュラルボーンチキン【猫社会学、はじめます】 赤川学(著・編)、筑摩書房、2024年刊<「BOOK」データベース>より猫が教えてくれた、「ただ、いるだけ」の価値。約9500年にわたる猫と人類の歴史のなかで、もっとも関係が深まったのが現代。その諸相に光を当て、“猫と人間の幸福な未来”を構想。猫を愛する社会学者たちによる“猫社会学”の誕生!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/17予約、副本?、予約19)>rakuten猫社会学、はじめます【宙わたる教室】 伊与原新著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>より東京・新宿にある都立高校の定時制に集った、さまざまな事情を抱えた生徒たち。彼らは「科学部」を結成し、「火星のクレーター」を再現する実験を始めた。煌々と明かりが灯った夜の教室で、小さな奇跡が起きるー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/28予約、副本1、予約388)>rakuten宙わたる教室【日ソ戦争】 麻田雅文著、中央公論新社、2024年刊<「BOOK」データベース>より日ソ戦争とは、1945年8月8日から9月上旬まで満洲・朝鮮半島・南樺太・千島列島で行われた第2次世界大戦最後の全面戦争である。短期間ながら両軍の参加兵力は200万人を超え、玉音放送後に戦闘が始まる地域もあり、戦後を見据えた戦争だった。これまでソ連の中立条約破棄、非人道的な戦闘など断片的には知られてきたが、本書は新史料を駆使し、米国のソ連への参戦要請から各地での戦闘の実態、終戦までの全貌を描く。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/16予約、副本?、予約124)>rakuten日ソ戦争【就職氷河期世代】 近藤絢子著、中央公論新社、2024年刊<「BOOK」データベース>よりバブル崩壊後、未曾有の就職難が社会問題となった。本書は1993~2004年に高校、大学などを卒業した人々を「就職氷河期世代」と定義し、雇用形態や所得などをデータから明らかにする。不況がこの世代の人生に与えた衝撃は大きい。結婚・出産など家族形成への影響や、男女差、世代内の格差、地域間の移動、高齢化に伴う困窮について検討し、セーフティネットの拡充を提言する。統計から見えるこの世代の実態とは。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/02予約、副本?、予約30)>rakuten就職氷河期世代【天気でよみとく名画】長谷部愛著、中央公論新社、2024年刊<出版社>より「悪魔」の正体は局地風(ゴッホ“星月夜”)、描かれた雲から降水確率もわかる(フェルメール“デルフト眺望”)、天気の表現でわかる作家の出身地などなど、古今東西の名画やマンガを天気という視点で見直すと、意外な発見に満ちている。画家たちの観察眼は気象予報士よりも凄いかも!?さらに、同じ地域でも時代の異なる作品を比較することで、温暖化などの変化に気づくことだってできる。現役気象予報士による美大の人気講義を再現。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(3/22予約、副本?、予約29)>rakuten天気でよみとく名画【潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う】 舛友雄大著、東洋経済新報社、2025年間<「BOOK」データベース>より「潤」は、最近中国で流行っている言葉で、さまざまな理由からより良い暮らしを求めて中国を脱出する人々を指す。もともと「儲ける」という意味だが、中国語のローマ字表記であるピンインでRunと書くことから、英語の「run(逃げる)」とダブルミーニングになっている。「潤日」コミュニティー、多くの日本人が知らぬ間に、中国や日本、そして世界の変化に応じる形で急速に存在感を増しつつある。この全く新しいタイプの中国人移民たちをつぶさに訪ねて耳を傾けると、その新規性や奥深さを痛切に感じるとともに、日本の政治、経済、社会に見逃せないほどの大きなインパクトをもたらしつつある現状が見えてきた。 <読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(6/20予約、副本?、予約159)>rakuten潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死 図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・デジタル朝日「好書好日」でめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2025.06.21
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早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?このところ、降れば大雨、晴れると真夏かと・・・日本は亜熱帯になったのか?、かつての季節感は求められないのか。宇宙や占星術の記事を見たり、書いたりしているが『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。【日本のならわしとしきたり】ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は二十四節季でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon日本のならわしとしきたりこの本で、夏至のあたりを見てみましょう。和暦p17<夏至>昼が一番長く、夜が一番短い日 夏至節季は、現代の暦で6月20、21日ころから始まり、次の節季「小暑」の前日までを指す。夏至に入った初日を特に「夏至日」あるいは「夏至の日」と呼び区別されている。 地球の北半球では、夏至の日は1年で昼がいちばん長い日であり、1年で昼がいちばん短い冬至の日から約半年後が夏至の日となっている。 『暦便覧』に記されている言葉は「陽熱至極し、また、日の長きのいたりなるを以てなり」である。また、陰暦6月の異称には、「水無月」、「風待月」、「常夏月」、「青水無月」などがあり、いずれも田植えにかかわった名称となっている。 水無月について、「田には田植えのための水が張られているのに、水が無い月?」―よく聞かれる疑問だ。諸説あるが、「無」は連帯助詞で「の」と解釈し、「水の月」とする説と、梅雨が明けると「水が無くなる」ので文字通り「水無月」とする説がある。 夏至の期間は、梅雨の真っ只中。農家は田植えに「大忙し」の時期ですが、燕は飛来し、筍は地上に顔を出し、蝉の初音など、気候風土の風物詩は一変する。 この時期の七十二候には 初侯「乃東枯」(ないとう、かるる)夏枯草が枯れる、 次候「菖蒲華」(あやめ、はなさく)あやめの花が咲く、 末候「半夏至」(はんげ、しょうず)など。「半夏生」は、一部の葉が白色に変わるドクダミ科の植物・カラスビシャクのことである。カラスビシャク和名の由来は、仏炎苞を「柄杓」に見立て、人が使うには小さいということで名づけられた。 塊茎は半夏(はんげ)という生薬に用いられる。 鎮吐作用があり、半夏湯(はんげとう)などの漢方薬に配合される。 俳句の季語は夏である。 二十四節季の立夏に注目(復刻)
2025.06.20
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図書館で『太平洋戦争の大嘘』という本を、手にしたのです。パラパラとめくると、アメリカ参戦の秘密など興味深いテーマ満載で・・・チョイスした次第です。*********************************************************【太平洋戦争の大嘘】藤井厳喜著、ダイレクト出版、2020年刊<出版社の説明>より私たち日本人は、小さい頃から「日本が真珠湾を宣戦布告もなしに攻めて戦争を起こした」「日本は残虐な悪い国だ」ということを新聞でも、テレビでも繰り返し教わってきました。でも、今から数年前、我々が耳にしてきた太平洋戦争の常識とは真逆とも言える証言が、47年公開を禁じられたフーヴァー元大統領の回顧録から次々と浮かび上がりました。 <読む前の大使寸評>パラパラとめくると、アメリカ参戦の秘密など興味深いテーマ満載で・・・チョイスした次第です。amazon太平洋戦争の大嘘「第2章 日米戦争を起こしたのは誰か?」でアメリカ参戦の秘密(の続き)を、見てみましょう。p66~70<チャイナとキリスト教宣教師の奇妙な関係> このとき、蒋介石はアメリカ国内のキリスト教会を煽って、「日本は悪者であり、チャイナはその可哀想な犠牲者である」というプロパガンダをアメリカ中に広めています。 実は、アメリカの教会関係者にはチャイナに対する強い思い入れがありました。アメリカは19世紀からチャイナにキリスト教布教のために宣教師を送り続け、お金を使い続けてきました。(なお、キリスト教がチャイナへ伝来したのはもっと古くて、7世紀の唐の時代からと言われています)。いくらやっても本心からキリスト教徒に改宗する人はちっとも増えないのですが、アメリカ人宣教師は非常に熱心に布教し続けていました。 ご存じのように、日本にもイエズス会のフランシスコ・ザビエルの時代から宣教師は来ていましたが、クリスチャンの数が増えることは一貫してありませんでした。なぜなら、日本人にとって、キリスト教は特に必要なかったからです。みな道徳心もあるし、倫理観もあって、独自の文化、伝統もしっかりしています。要するに、キリスト教がなくても日本人はちゃんと暮らしていけるわけです。日本では、カトリックもプロテスタントもキリスト教徒の数はだいたい一定で、1%以上には増えないのですね。 私の記憶が1990年代だったと思うのですが、バチカンが、日本を重点布教地区からはずしたのです。日本は、ザビエルが来てからずっ重点布教地区だったらしいのですが、四百数十年ぶりにその方針を変えたというのです。日本でいくらやっても無駄だということにやっと気づいたということなのでしょう。 キリスト教の宣教師で日本に来た人の中で、そのご子息が日本のことを嫌いになるケースが多いと言われます。というのも、「お父さんが一生懸命やっているのに、ちっとも信者が増えない」ということが原因なのだとか。それで、チャイナへ行くと、形のうえでは信者数が増えるのです。というのも、食べることもできない人が多い国ですから、教会に行けば食事にありつけるということで、人がやって来るというわけなのです。(中略) だから、チャイナへ行くアメリカの宣教師は、モチベーションが高くなっています。チャイナの人たちは、もう本当に貧しくてだらしなくて、神の救いを求めている人たちがたくさんいる。そう見られていました。そういう人たちを目の前にすると使命感に火が点くのが、アメリカの宣教師なのです。殺されても殺されても、チャイナの奥地に行ったりして、一生懸命布教するのです。 こうして親中反日になった教会関係者が多かったのです。アメリカ国内では、教会の聖職者には極めて大きな影響力があります。地方には、素朴なグッド・クリスチャンの信者が大変多くいます。その人たちが、聖職者から「日本人は悪いやつらだ」「チャイニーズはかわいそうだ」という話を聞かされていると、そんな嘘の話でも疑いを持たれることなくアメリカ社会に浸透していきました。<ルーズベルト家は、チャイナ貿易で財を成した家系だった> ところで、ルーズベルトは、フランクリン・デラノ・ルーズベルトが本名です。母親サラ・デラノの家系であるデラノ一族は、19世紀からチャイナ貿易で財を成したファミリーでした。 彼らは、チャイナから苦力と呼ばれる労働者をいっぱいつれてきて、アメリカで大陸横断鉄道建設の労働者として酷使しました。奴隷同然の過酷な労働を行わせるためにに、阿片が売られていたと言われています。阿片とチャイニーズ労働者の輸入に関わっていたのが、ウォーレン・デラノという、フランクリンの祖父でした。 この出等の家の財産を相続したので、フランクリン・ルーズベルトは大変な大金持ちでした。彼の家には、チャイナの古井美術品がいっぱいあったそうですから、チャイナびいきになるのは、ある意味、当然だったと言えるでしょう。 『太平洋戦争の大嘘』1:スターリン、チャーチル、蒋介石、ルーズベルトとの関係
2025.06.20
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国姓爺と呼ばれた日本人海賊が登場するノンフィクションが、興味深いので・・・以下のとおり復刻して読んでみましょう♪********************************************************* 図書館で、『スパイス戦争』という本を手にしたのです。イギリスとオランダの戦いに日本人傭兵もからむという、波乱にみちた南シナ海を描くノンフィクションが、興味深いのである。【スパイス戦争】ジャイルズ・ミルトン著、朝日新聞出版、2000年刊<「BOOK」データベース>より香料残酷物語。アジアの片隅の小さな島々が歴史の流れを変えていく!黄金より貴重なスパイス、ナツメグの支配権をめぐって血なまぐさい戦いを繰り広げるイギリスとオランダ。埋もれた史料から、その渦中にいた人々の勇気と知略、残虐さと陰謀を活写して、英米でベストセラーになった傑作歴史ノンフィクション。<読む前の大使寸評>イギリスとオランダの戦いに日本人傭兵もからむという、波乱にみちた南シナ海を描くノンフィクションが、興味深いのである。rakutenスパイス戦争国姓爺日本人海賊の登場あたりを、見てみましょう。p115~117第4章 ライオンの爪にかけられ 傍若無人のマイケルボーンは、こんどは80トンのインド船を待ち伏せて略奪した。成功に気をよくしてバンタム港に入ってゆくと、オランダの巨船が五隻、錨をおろしていた。自分の豪傑ぶりに満足げな笑みを洩らすと、各船長にメッセージを送った。「これから舷側の近くまで行く。こちらに砲口を向ける勇気のある、もっとも誇り高き船に伝える」。マスケット銃一挺にでも弾をこめている船がいたら「沈めるか、それとも舷側を接していっしょに沈んでやる」。 オランダ船は自分が標的にされているのを知って仰天し、バンタム王に、イギリス人はみなおなじだ、「泥棒で、すぐカッとなる」と訴えている。そして、マイケルボーンの挑発には乗らず、甲板の下に身を低くした。マイケルボーンの船は港内を行ったり来たりしていた。「オランダ人どもはわれわれが行くまではふんぞりかえって水辺を行き来していたのに、いまは物音ひとつ立てず、人影もない」 マイケルボーンはここまでは幸運だった。彼は豪胆そうにふるまい、虚勢を張っていたが、それを見破るものはだれもいなかった。しかし彼は、このあとまもなく強敵に出会う。がマレー半島沖の穏やかな海をただよっていたときである。見張座からとつぜん叫び声があがった。見たこともない船が近づきつつあった。巨きなジャンクで、甲板に80人以上の男がずらりと並んでいるのが見えた。 異様な風体の男たちだった。短躯で、ずんぐりして、顔に表情というものがまるでなかった。マイケルボーンは、重装備のボートを偵察に出して、この男たちが敵か味方かを知ろうとした。短いやりとりののち、船は「日本のジャンク」だとわかり、イギリス人は船内に招待されてあちこち見せられた。 商売は何だ、と訊くと、ためらうことなく答えて言った。そのジャンクはと同じく海賊船で、東南アジア海域で勢力を伸ばしていることがご自慢だった。中国、カンボジア沿岸を荒らしまわり、ボルネオ沖で六隻の船を襲い、戦利品を積んで日本へ帰るところだという。 全員ぶじに帰船してから、マイケルボーンはこのあとどうしたものかと考えた。そしてこれまでのつきを信じてジャンクを略奪することにし、動静をさぐるためにあらたに部下の一団を送りこんだ。彼らがジャンクの長所、弱点に探りを入れていることは日本人の目には歴然としていたが、素知らぬ呈でこころよくイギリス人を歓迎し、船倉をはじめどこでも自由に近づくことを許した。 積荷の中でもとくに貴重な品物を指して教えてくれまでしたので、の連中は、こんな変わった人間は見たことがないと驚いた。「船乗りにしては立派な態度だった」と一人は書いている。「たがいに分けへだてなく、みんなが同輩のように見えた」。イギリス船へもおいでくださいと言うと、断っては礼儀にもとるとでもいうように、いっせいにうなづいた。 ここではじめてマイケルボーンの経験不足が顔を出した。インド亜大陸の一帯では、日本人は「何をするかわからない、そこかしこで怖れられている人間」だとの評判をとっていることを彼は知らず、東洋のどこの港でも、日本人に上陸を許すときはまず刀剣を取り上げるのが習慣となっていることも知らなかった。デイヴィスも「彼らの謙虚そうな外観にだまされ」た。武器を取り上げる必用があるなどとは夢にも思わず、船を動かしてみるようすすめたり、乗組員同士が仲良くなるのも咎めなかった。日本人たちはつぎつぎと乗りこんだ。乾杯が交わされ、二組の船員が冗談を言い合い、談笑した。 一瞬にしてすべてが変わった。イギリス人が気づかぬうちに、日本人は、マイケルボーンの言葉を借りれば「私の船を奪うか、それとも命を捨てるか、腹を決めた」。笑顔は消え、笑い声も聞こえなくなった。日本人は野蛮な「悪漢」と化し、イギリス人を突き刺し、滅多切りにした。 の乗組員がこのような敵に遭遇したのはあじめてで、抵抗する間もあらばこそ、長刀を振りかざし、あるいは振りまわす日本人の群れで甲板はいっぱいになった。まもなく彼らは銃砲室になだれこみ、デイヴィスがマスケット銃に弾をこめようと必死になっているのを見つけた。「彼らは船室に連れこみ、6、7突きで致命的な傷をおわせ、船室から突き出した」。彼は甲板をよろめいていったが、刀傷が動脈を切断していて、出血多量で死んだ。おかの者たちも瀕死の苦しみにあえいでいて、が奪われるのも時間の問題と思われた。 それを救ったのは、マイケルボーンだった。選り抜きの戦士たちを鼓舞して捨て身の逆襲に出て、「リーダー格の日本人の3、4人を殺した」。日本人の士気は落ち、戦況の不利なことを悟りはじめた。短刀と刀だけの武器では、とうていマイケルボーンの槍兵の敵ではなく、じりじりと追いたてられ、ついには団子状になって船室の入り口に追いつめられた。窮地に陥ったと知り、彼らはおそろしい悲鳴をあげて、船底へと真っ逆さまになだれ落ちた。『スパイス戦争』1:プロローグ『スパイス戦争』2:探検隊の悲劇『スパイス戦争』3:日本人海賊の登場
2025.06.19
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リドリースコット作『ブレードランナー』はメビウスの漫画に触発されて作られたそうです。それだけ、メビウスのインパクトは大きかったわけで、メビウスがバンド・デシネ作家であることや、バンド・デシネという言葉も後から知った次第です。・・・ということで、 バンド・デシネについて復刻して読み直してみましょう♪********************************************************* 図書館で「バンド・デシネ徹底ガイド」を借りて読み進めているが・・・この際、バンド・デシネについて、あれこれ集めてみました。・バンド・デシネ徹底ガイド・メビウスの世界・メビウスつながりで「ブレードランナー」を読む・宮崎駿とメビウスの対談・フランソワ・スクイテンがすごいMoebius.fr公式サイトより「メビウス アルザック・ラプソディ」予告編BDfile(ベデフィル)<バンド・デシネ徹底ガイド>これ1冊でバンド・デシネの全てがわかる優れものである。個人的には谷口ジロー、松本大洋のインタビュー、BD通が選ぶ必見バンドデシネが良かったけど。それから、メビウスの紹介も充実しています。【バンド・デシネ徹底ガイド】原正人編、玄光社、2013年刊<「BOOK」データベース>よりデータなし<読む前の大使寸評>リドリースコット作『ブレードランナー』はメビウスの漫画に触発されて作られたそうです。それだけ、メビウスのインパクトは大きかったわけで…メビウスがバンド・デシネ作家であることや、バンド・デシネという言葉も後から知った次第です。宮崎駿監督も影響を受けたようですね。rakutenバンド・デシネ徹底ガイドこの本を読んで、個人的に読みたい本をメモしておきます。・B砂漠の40日間:メビウス・闇の国々:フランソワ・スクイテン・ピノキオ:ヴィンシュルス・氷河期:ド・クレイシー・雲の彼方:ロマン・ユゴー・あと、追記予定 <メビウスの世界>最近になってフランスの漫画作家メビウスを知ったのですが・・・おお 松本大洋と似たテイストやんけ♪ (松本大洋がメビウスの画風に影響をうけていると言われておるそうです)松本より先行していたかも知れないが、なかなか、いい味出てますね。メビウス・ラビリンスロング・トゥモローMoebius met sa patte sur“Télérama”!バンド・デシネの巨匠メビウスさん死去 マンガ家の大友克洋さんら追悼ツイート松本大洋のナンバーファイブをおまけだ♪ナンバーファイブ<メビウスつながりで「ブレードランナー」を読む>メビウスとブレードランナーをつなぐということで、『ブレードランナーの未来世紀』という本を読んでいるんですが・・・・【ブレードランナーの未来世紀】町山智浩著、洋泉社、2006年刊内容(「MARC」データベースより)保守的で能天気な80年代ハリウッド映画の陰で、スタジオから締め出された映画作家たちは、異様な悪夢の世界を描いた映画を作っていた。その理由を、入手可能な資料と監督自身の言葉を手がかりに解きほぐす。<大使寸評>ブレードランナーの原点はディックの小説かと思っていたが、メビウスの漫画だったのが意外でした。Amazonブレードランナーの未来世紀メビウスとブレードランナーをつなぐものとして、『ロング・トゥモロー』という短編の漫画があったのです。ブレードランナー誕生秘話とでも言うんでしょうか♪<ロング・トゥモロー>p229~230 リドリー・スコットとハンプトン・ファンチャーは80年4月、ハリウッドに合宿して脚本の練り直しに入った。「映像においてスタイルはテーマそのものになる」それが、CM出身のスコットのポリシーだ。彼は、まずファンチャーに尋ねた。「窓の外はどうなっている?」『ブレードランナー』の舞台はどんな世界か、と訊いたのだ。ファンチャーが答えられないと、スコットは言った。「ヘヴィ・メタルだ」 『ロング・トゥモロー』のストーリーを書いたのはダン・オバノン。スコットの『エイリアン』の最初のシナリオを書いた男だ。彼はフィリップ・K・ディックの大ファンで、『トータル・リコール』と『スクリーマーズ』でディックの原作を二回も脚色している。 この『ロング・トゥモロー』こそが、スコットにとっての『ブレードランナー』の「原作」である。何しろ彼は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んでいないからだ!『LongTomorrow』ロング・トゥモロー「メビウス アルザック・ラプソディ」予告編 <宮崎駿とメビウスの対談>宮崎駿とメビウスの対談より宮崎:ぜひとも完成させて下さい。今度は上手く行きますよ。メビウス:ありがとう。漫画の『風の谷のナウシカ』もアメリカで出版されるそうだね。とても楽しみだ。コミックが出版されれば、映画ももっと有名になるはずだしね。英語で読めるようになるというのもとても有難いことだよ。本当は、フランスでも出版してもらえると申し分ないんだけれど。いま、フランスの出版社にそういう話が持ちかけられているそうだよ。たぶん、興味を示すところが出てくると思う。宮崎:ありがたいですね。メビウス:それに、このまま上手く行けば、また一緒に話す機会を作れると思うんだ。宮崎:でも、フランス語はからっきしで(笑)メビウス:心配は要らない。今度は英語で手紙を書くから!(笑)<フランソワ・スクイテンがすごい>フランソワ・スクイテンのBDがすごい♪のです。建築家一家に生まれた関係からか、建築デザインを感じさせる知的なテイストがええでぇ♪『闇の国々2』より次の「ブリュゼル」は1991年に『(A suivre)』誌で連載が開始され、1992年に単行本として刊行された。「パーリの秘密」では、現実の都市パリとよく似た都市が描かれ、実在の歴史的建築物と思しい建築物が多く登場している。そしてその中の一章「アブラハム博士の奇妙な症例」では、パーリとパリがどこかでつながっていることが暗示されている。一つのトポスを中心にあちらの世界とこちらの世界が表と裏のように、光と影のように存在している。この主題をおそらく初めて組織的に『闇の国々』シリーズの中で展開したのが、この「ブリュゼル」である。選ばれた都市は二人の作家にゆかりの深いブリュッセルである。ちなみにブリュッセルはBruxellesまたはBrusselと綴り、ブリュゼルはBruselと綴る。ブリュッセルの近代化の歴史がブリュゼルのそれとどう重なりどう異なるのか、ペータースの序文と併せてお楽しみいただきたい。.【闇の国々】ブノワ・ペータース (著), フランソワ・スクイテン (イラスト)、小学館集英社プロダクション、2011年刊<商品説明より>〈闇の国々〉――それは、我々の現実世界と紙一重の次元にある謎の都市群。 ある日突然増殖しはじめた謎の立方体に翻弄される人々を描く『狂騒のユルビカンド』、 巨大な塔の秘密をめぐる冒険から、数奇な運命へと導かれる男を描く『塔』、 未知の天文現象により、体が斜めに傾いてしまった少女の半生を描く『傾いた少女』、 傑作と名高い選りすぐりの3作品を収録した歴史的名作シリーズの初邦訳。 メビウス、エンキ・ビラルと並び、BD界の三大巨匠と称されるスクイテンが、ついに日本上陸。 繊細な描線、計算されつくされた構図、あらゆる芸術のエッセンスを詰め込んだBD芸術の真骨頂! <読む前の大使寸評>この本を渇望するのだが・・・・この本を図書館が買ってくれるだろうか?それが問題ですね。Amazon闇の国々闇の国々 試し読み********************************************************* ■2014.02.02バンド・デシネあれこれhttps://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201402020000/
2025.06.18
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ハイブリッド言語とも言われる日本語について書かれた『日本語の科学が世界を変える』と言う本が忘れがたいので・・・以下のとおり復刻して読み直してみましょう♪********************************************************* <『日本語の科学が世界を変える』(その2)>図書館に借出し予約していたこの『日本語の科学が世界を変える』という本をゲットしたのです。大使のツボのひとつに、漢字かな交じり文で書かれる日本語があるのだが・・・このハイブリッド言語は、必ずや日本文化の興隆に一役かっているはずです。そういう観点で読んでみようと思うわけでおます♪【日本語の科学が世界を変える】松尾義之著、筑摩書房、2015年刊<「BOOK」データベース>より世界をリードする日本の科学・技術。その卓抜した成果の背景には、「日本語による科学的思考」がある!江戸から明治期、西欧から入る外国語の知を翻訳して取り込み、母国語の知識体系に位置づけなおしてきた歴史に遡り、また多くの科学者たちの証言を手がかりにして、この命題に迫る。そして、本来質の高い日本の科学が直面している問題に対峙、さらなる発展への道を提起する。ユニークな視点から解く、新しい「科学論」。<読む前の大使寸評>ハイブリッド言語とも言われる日本語だから、他の言語では得られない強力な利点があるはずではないか?と思うわけです。<図書館予約:(6/11予約、11/07受取)>rakuten日本語の科学が世界を変えるこの本は読みどころが多いので、(その2)として読み進めたのです。なぜ日本から画期的な発見が相次ぐのだろうか?大使の場合いちばん印象深い、山中伸弥博士のケースを見てみましょう。<山中伸也弥博士のiPS細胞>p134~139 この多神教文化、あるいはアミニズム(精霊信仰)は、少なくとも現在のキリスト教やイスラム教などの一神教とは明らかに異質の考え方だと思う。渡来人の思想宗教や日本の仏教や神道などとも別物なのであろうが、これらとは、どこか馴染みがよい。多神教文化が日本の体系的宗教のもとになっているようなイメージを持っている。こうした文化的背景というのは、科学のような近代合理主義的な体系の中でも、思わぬところに顔を出してくるように思うのだ。 前章の終わりのほうで触れたが、結論を先に言うと、山中伸也弥博士によるiPS細胞の構築ないしは発見の中に、私は、どこかしら、この文化的背景の違いを感じ取るのである。 山中博士は、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞されたわけだが、発表の時、私は「受賞は当然だが、それでも受賞は早すぎる!」と思ったものだ。私と同じ感覚を持った科学者、ないしは科学ジャーナリズム関係者はかなりいたはずだと私は思っている。 ノーベル生理学・医学賞というのは、一時、分子生物学や分子免疫学(利根川進博士など)関係に受賞者が多く出たために、日本のマスコミでは、基礎医学的な研究に贈られるものであるという誤解があると思う。しかし、ノーベル自身の遺言にもあったと思うが、この部門は、あくまでも医学が中心にあって、それは実際に過去の受賞者を見れば一目瞭然なのだ。 生理学といっても多くは、病気の治療や予防などにつながるところの生理学であって、極端な言い方をすれば、健康な人の生理学に関心があるわけではない。したがって、いわゆる普通の生理学も受賞対象とはなっていない。唯一の例外は、ティンバーゲンとフリッシュとローレンツに贈られた1973年と思われ、異例中の異例であった。 もう一つ、ノーベル生理学・医学賞には原則のようなものがある。それは、実際に医療として使われたということである。もちろん、生理学であれば治療に直結していないし、医学でも微妙なものもある。それでも、110年以上の歴史において、ノーベル生理学・医学賞は、基本的に、病気を克服して人々の生命を救済した医学行動に贈られているのである。その意味においては、山中伸也弥博士のお仕事は、将来性は高いとはいえ、まだ、誰一人として助けてはいないのである。したがって、2012年の受賞は異例中の異例といってよいものであった。(中略) 山中博士との間接的なお付き合いは、すでに述べたように、2007年11月、まさに山中博士がヒトiPS細胞の成功を発表された時だった。繰り返すが、当時の私は、東京電力が発行する社会貢献科学雑誌「イリューム」の編集長を委嘱され、その第38号の発生学特集の編集と格闘していた。 もちろん、山中博士の仕事が大きな契機となって、再生医療や発生学への関心が大きく高まったわけだが、その当時としても、発生学は非常に興味深く、また「非常に生物学らしい分野」でもあった。 この意味は、分子生物学一辺倒ではなく、生物の生物たるゆえんを追い求める余裕のようなものを抱えた学問分野であったということだ。いまもそうだと思っているが、ただ再生医療への関心が強くなって、その分、生物らしさの要素は減っているかもしれない。(中略) 経緯はすでに述べた通りで、山中博士の記者会見を待って発行することができ、iPS細胞に関して、世界で最も早く、しかも背景にある大きな学問の中の位置づけも含めて、まさに世界のどこに出しても恥ずかしくない最高の作品が完成したわけだ。 この時、レポーターの田中幹人さんと事前に話し合ったことがあった。彼はそのことを記事には含めてくれなかったが、私の視点は、「もし理想的な再生医療が実現したら」という仮説であった。現代の医療は、医薬品なども含めて、必ず、異物を通じて病気を治している。免疫療法はふつう、自分の生理作用を活性化する形をとるが、免疫といえども、アナフィラキシーを見ればわかるように、完全に無害というわけではない。薬にしても、いくら特効薬などとうたっても、原理的には必ず副作用があるのだ。 このようなことを考えると、確かに空論に近いのであるが、もし理想的な再生医療が実現し、何らかの異常が体内に生じた時に、それを外部の試験管で修復して元に戻すという治療法が実現すれば、これは、考えうるいかなる治療法よりも原理的に優れているのではないか。こう考えたのだ。 理想論ではあるが、これ以上優れた医学の方法論は、いまなお存在しないと私自身は考えている。こういうことを考えていたので、山中博士がヒトiPS細胞を実現したという話は、夢に一歩近づいたと思ったのだ。ガラパゴス島のような、日本の特殊事情が、いい方に転んだようですね♪<聖書の精神的束縛とは無縁の日本の科学>p142~143 もう一点、ネイチャー・ダイジェスト誌でいっしょに仕事させていただいた編集者の宇津木光代さんから、大事なご指摘をいただいた。なぜ日本から画期的な発見が相次ぐのだろうか、という議論の中での話である。 宇津木さんは、日本の科学が大きな仕事を生むのには、「見たものを信じる力も大きいと思います。関係あるかわかりませんが、キリスト教教育では、目で見たものは本当の姿でないから、それよりも見えないものを信じろと教わりました」と言うのだ。 なるほど、神様は目に見えない!私には、なぜか知人・友人・上司・取引先にクリスチャンが多い。それでも、このような大事な事実を知る機会はなかったし、気もつかなかった。もちろんこれは一部でしかないが、まさに私が仮説においてきた概念が証明されたような気分になった。 文化と科学的思考の関係はなお考えていきたいと思うが、山中博士の仕事は、まさに、西欧社会の根幹にある聖書にとっての危機、つまり、難病治療か受精卵保護かという二つの命の選択、厳しい二律背反を回避したのである。これは間違いのない事実である。 私はこのことを理解した時、いかにiPS細胞の意味が大きいかを悟った。でも、治療の試みくらいの段階を経てから、ノーベル賞受賞になるのだろうと見通していた。しかし、そうではなかった。ノーベル賞は西欧社会の賞だと言われて久しい。2012年の生理学・医学賞は、まさにそのことを証明したと思う。科学よりもたぶん大切なキリスト教的倫理観というのがあって、その危機を救済したのであるから、それはもう別格なのだ。 そう考えているとき、「ニューズウィーク」の記事に、「ヤマナカの仕事はノーベル倫理学賞でもあるのだ」という記事が出た。その通りだと私は思うし、そういう救済とも言える奥深い仕事が、西欧にとって「地の果て」とも言える日本から生まれたことを、心からうれしく思う。福沢諭吉などが明治期に正しく評価した西欧文明へのお返しだ。こういうことに対しては、日本人はもっと誇りに思っていいと思う。 2013年11月、山中伸弥教授がローマ教皇庁科学アカデミー会員に選ばれたというニュースが流れたが、これはまったく自然な出来事であることは、以上の経緯を知れば納得していただけると思う。著者の松尾さんは東北大学の西澤潤一博士を高く評価しているが・・・次のくだりに見えるようにかなり職人気質の人である。<泥臭いものづくりを評価する日本が、結局は勝つ>p181~183 では、結晶成長のような地道な仕事は誰がやるのか。中村博士のエピソードとして、フロリダ大学に留学した際に、単に博士号を持っていないだけで労働者扱いをされた話が伝わっている。アメリカの例であるが、実は日本でも、半導体デバイスの構造を考えるような研究は、潜在的に「高級な仕事」と見なされてきた面がある。一方、よい結晶を育て上げるような仕事は「低級な労働者仕事」と見られてきた。 しかし、日本の場合は、そう単純には割り切れない。我々には、誇るべき職人文化の伝統があり、それが最先端の研究開発の現場にも引き継がれたいるからだ。 なぜスーパーLEDすべてが日本生まれとなったのか。この問いに、私なら次のように答える。「日本人には、結晶づくりのような地道な仕事を、研究補助者に任せる片手間仕事ではなく、結晶という深遠な世界の謎を解くための重要な作業だと見なす人々がいた。ゆえに一流の科学者が本気で取り組んだ。だから成功したのだ」と。実際、赤崎博士、天野博士、中村博士の受賞者すべてが、西澤博士の業績を強烈に意識していて、ものづくりという大事な基本線は外さなかった。 このような研究現場の感覚やものづくりは、欧米の科学では希薄だと感じる。日本は逆だ。職人的な世界観には、本当はたいへんな深みがある。例えば中村博士や西澤博士は、結晶成長の場面を、脳という顕微鏡で拡大してリアルに意識できるほど、真摯に結晶と向き合っていた。「心眼」がハイテク研究に要求されることを知って驚いたものだ。このことは二人の対談できちんと語られている(『赤の発見 青の発見』白日社)。 泥臭い世界から、実は新しく美しい未知の世界が開かれていく。しかし、欧米の研究者は、こうした体験的な研究が問題解決のポイントになることに気づいていないように見える。というより、軽蔑しているところがある。材料関係の学術論文を読むとそう感じる。 『日本語の科学が世界を変える』(その2): 山中伸也弥博士のiPS細胞 『日本語の科学が世界を変える』(その1):西欧文明を母国語で取り込んだ日本
2025.06.17
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予約していた『身辺整理』という本を待つこと7ヵ月ほどでゲットしたのです♪この本を図書館予約した時はまだ、著者はご存命の頃ではなかったのか・・・つまり、森永卓郎の「遺言」のような本だったようです。*********************************************************【身辺整理】森永卓郎著、興陽館、2024年刊<「BOOK」データベース>よりいきなり、ステージ4のがん告知を受けた、森永卓郎の「遺言」。迷惑をかけずに、跡形もなく消え去りたい。渾身の「死に支度」ドキュメント。<読む前の大使寸評>この本を借りだし予約した時はまだ、著者はご存命の頃ではなかったのか・・・つまり、がん告知を受け、森永卓郎の「遺言」のような本だったようです。<図書館予約:(11/20予約、副本4、予約76)>rakuten身辺整理「第7章 人は死んだらどうなるのか」で著者の死生観が語られているので、見てみましょう。p191~194私の死生観 最期の章になるここでは、どういう最期を迎えたいかについて触れて欲しいと編集者に言われた。 実は、死生観については、その人がどのような宗教観を持っているかによって、大きく異なってくる。だから、以下で書くことは読者の共感を得にくいのではないかと思うのだが、人生そのものの身辺整理は、とても大切なので、 私自身の死生観をきちんと書いておこうと思う。私は、人は死んだら元の木阿弥、完全に世界から消えると考えている。だから、神様はいないし、死後の世界もない。当然、極楽浄土も地獄もない。あるのは、「現世」の命だけだ。 私がそう考えるようになったのは、大学に入った18歳の時に、笠原一男教授による「日本史」の授業を受けたことだった。 笠原教授の授業は、1年間の通年講義だったが、一貫して宗教論だった。しかも、親鸞に始まって、日蓮で終るというほとんど時代が進行しない授業だった。 笠原教授の授業で一番強調されたテーマは、なぜ日本で生まれた宗教が、①古代から封建への転換期に生まれた浄土真宗や日蓮宗などの鎌倉仏教②封建から明治維新を経て近代への転換期に生まれた天理教や金光教などの新宗教③近代から太平洋戦争を経て現代への転換期に生まれた新興宗教 の3つに集中しているのかということだった。 その理由として笠原教授は、時代の転換期には社会が大混乱に陥り、一般国民がみんな生活に苦しんだ歴史を語る。新しい宗教の創始者たちは、苦しんでいる国民を見て、どうやったら救えるのかを真剣に追及する。 そして、救済の方法として、選んだのが信者たちを騙すということだった。 たとえば鎌倉仏教の場合は「念仏を唱えなさい。そうするだけで、あの世で幸せになれる」と説いた。 もちろんあの世なんて存在しないことは分かっているし、念仏を唱えても何の効果もないことも分かっている。ただ、信者たちがその嘘を信じることによって、胸に希望を抱え、一番大切な現世を前向きに活きることができるようになる。 それが「悟りを開く」ということなのだと笠原教授は説いていた。 私にとって笠原教授の授業内容は深く心に沁みた。 神も仏も存在しない、人間は死んだらお終い、元の木阿弥となり何も残らないということが、私がそれまで抱いてきた全ての疑問を氷解させた。それどころか、私は18歳にして、悟りを開いてしまったのだ。 この宗教観は、私の死生観を普通の人とは大きく異なるものにした。 神も仏もあの世も存在しないのだから、宗教的な活動は一切無意味ということになる。私自身が「教祖」になったのだから、他の宗教に依存する必要はまったくない。 私は死ぬことが怖くない。元の木阿弥となり何も残らないのなら、葬儀を行うことに意味はない。戒名や位牌もいらない、仏壇もいらない、お墓もいらない、遺影もいらない。(中略) 葬式をやめたり、墓をやめれば、数百万円のコストが節約できる。問題は、残される家族が、どう判断するかにかかっていて、死んでいく本人には一切関係のないことなのだ。 私にできるのは生きている間、なるべく周囲の人達に迷惑をかけないように暮らすことだけだ。といって特別なことをする必要も、無理をすることもない。 最期まで淡々と暮らしたい。いつも通り「おはよう」と言ってパソコンの前に座り、「行ってきます!」と言って仕事に出かけ、笑顔で楽しく暮らしたい。 そして、その時が来たら「ありがとう」と伝えて、潔く旅立ちたいと思う。
2025.06.16
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古代の朝鮮と日本における漢字といえば、もろに私のツボなので、以下のとおり『実証 古代朝鮮』という本を復刻して読んでみましょう♪********************************************************* 図書館で『実証 古代朝鮮』を手にしたが・・・この本は漢字についてかなりの割合をさいていて、大使のツボがうずくわけです。【実証 古代朝鮮】井上秀雄著、日本放送出版協会、1992年刊<「BOOK」データベース>より一衣帯水の隣邦、朝鮮半島の歴史と文化その特徴と独自の発展過程の原因はなにか。現地踏査と綿密な資料分析で説く古代朝鮮文化史。【目次】第1章 ぬりかえられた古代朝鮮史-歴史と文化の特徴(古代国家の成立と地理/物質文化からみた特徴-墳墓と都城/神話と伝説にみる政治の理想像と民族性/精神文化の受容と国際交流)/第2章 王権をめぐる民族の興亡(連合体制国家への道/小国家の群立と統合/三国抗争と隋・唐王朝/解明された南北国時代)/第3章 よみがえる栄光の古代文化(異体文字の世界/城郭の変遷/律令の官制と祭祀/それぞれの王者像)<読む前の大使寸評>この本は漢字についてかなりの割合をさいていて、大使のツボがうずくわけです。漢字文化圏では、日本語だけに訓読が発達したが、これが漢字習得にとって決定的に重要だったようですね。rakuten実証 古代朝鮮この本は読みどころが多いので、(その2)として読み進めています。金石文の発見地の分布から、著者は、これまでの通説とは異なる検討が必要であると述べています。<日本金石文との比較>p144~146 金石文の発見地を、王都およびその周辺と地方とにわけると、古代朝鮮と日本とでは対照的である。すなわち、古代朝鮮では、6世紀以前の合計で、地方はわずか2割弱しかなく、王都に8割強の金石文が集中している。一方、日本では、畿内が3割足らずで、地方が7割を超えている。このことからみれば、朝鮮での文字文化は政治の中心である王都に集中し、地方にある金石文も王朝と直接関係をもつ地方行政関係の金石文である。 日本の場合をみると、通説では、大和朝廷からこれらの銘器が下賜されたものとしているが、この分布状態からみれば、王都への集中度は弱く、通説とは異なった理解が必要となるのではなかろうか。 朝鮮や中国から伝来した金石文を除けば、刀剣では1例のみが畿内から発見され、他の4例は、九州・関東・山陰など、律令用語でいえば外国にあたるところから発見されている。これらの地域は、畿内より朝鮮三国との交流の容易なところである。十数万点にのぼる木簡の発見が示すように、大和王朝では7世紀後半以降、急速に文字文化が盛んになるが、それ以前は、他の地域とあまり差がなかったと考えることができる。 このように考えれば、日本での文字文化の受容が大和朝廷のみによるとする通説には、抜本的な再検討が必要となろう。さらにいえば、古代朝鮮は、中国の文字文化と類似し、政治的要素の強いものであったが、日本は政治的要素がそれほど強くなく、文化的要素、とくに宗教的色彩の強いものとみなければならない。また、文字も中国での使用とはかなり異なった使用法であった。 少なくとも、大和朝廷が全国支配に文字を使用するのは、全国に国衛の設置される7世紀後半以降のことである。このことは大和朝廷の全国支配の時期や方法にもかかわることで、7世紀前半以前の日本古代史全体を再検討する手がかりを提供してくれるものといえるのではなかろうか。 古代東アジアの歴史を、いままでは中国を中心に展開したと考えたが、最近ではこれに対応する古代の朝鮮や日本の動向を重視しなければならないことが理解されはじめた。7世紀以前の中国知識人には、朝鮮や日本が、思想的には東方信仰の聖地であり、軍事的には侵略を許さぬ強力な勢力であるとみえた。 さらに、政治的には中国で数百年にわたって蓄積した律令体制をきわめて短期間に受容して、整備した古代国家を成立させた脅威的な国々と映ったようである。 歴史を大国主義や先進国崇拝の立場からではなく、民族や国家の自立・独自性を尊重する立場から見直す必要に迫られている現状では、古代東アジア史の研究も、この立場から再検討する必要がある。 仏教の受容のしかたが日本と大陸とでは異なるが、何故なのか?と思うわけです。p63~68<仏教の受容> 高句麗に仏教が伝えられたのは、故国原王が百済軍に敗れ、戦死した翌年の372年である。百済はこれより12年遅れた384年で、高句麗と激しく戦っていたときのことである。新羅は、法興王が加羅諸国に進出する528年に、仏教を受容している。 これら三国は、いずれも国際的な緊張の時期に直面しており、固有信仰とも深くかかわりながら受け入れている。高句麗では、仏教受容の年に、国家的な儒教の教育機関である大学を建て、翌年には、中国風の法制である律令を布告している。また、391年には、故国壌王が教書をだして、仏教の振興をはかるとともに、役人に命じて、国民のために在地の神を祭る神社を建てさせている。このように仏教の受容は儒教や固有信仰にも影響を与えていたことが知られる。 仏教のその後の発展が、固有信仰とどのようにかかわってきたかを、5世紀前半の高句麗で考えてみたい。高句麗は427年に、第20代の長寿王が王都を平壌に遷都した。このとき、始祖東明聖王を祭るため、当時盛行していた方形の封土墳を作り、陵前には八角九層の塔をもつ定陵寺を作った。この封土墳も中国から受容したものであり、寺院も新たに北方や中国から受容したものである。このように外来文化と固有信仰とが融合して、新たな高句麗文化を作りあげていった。(中略) 高句麗や百済は、大きな障害もなく仏教を受けいれたが、新羅では法興王が仏教を公認しようとすると、貴族たちが激しく反対した。<道教の受容> 道教は、新羅の花郎にもみられるが、高句麗でもっとも盛んであった。これが受けいれられた事情は、『旧唐書』『新唐書』をはじめ、『三国史記』『三国遺事』にも伝えている。(中略) 高句麗に道教が普及していた様子を『旧唐書』高句麗伝では、唐の道士の講義を聞きに集まった者が数千人にもおよんだといい、『新唐書』ではその数を、毎日数千人集まったといっている。その数の真否はともかく、高句麗で道教が盛んであったことが知られる。 次に、儒・仏・道の三教が、ともに盛んにならなければならないとする法蔵王など高句麗人の考え方は、新羅の花郎が儒・仏・道三教と固有信仰を統合したものと類似しているように思われる。(中略) 朝鮮諸国は仏教や儒教の外来宗教を国民生活の向上や国家の安全、国力の発展などの必要に応じて受容している。これは宗教だけでなく、政治制度や経済活動等でもみられることである。いわば国家的・民族的危機に対処するため、外来文化を受容してきたとも考えられる。 これにたいして日本の外来文化受容は、国際的に緊迫した事情がほとんどなかったため、国家的・民族的危機に対応するためのものでなく、貴族や僧侶たちが、それぞれの教養を高めることを第一の目標としたものと考えられる。古代日本の仏教は、造寺・造仏をはじめとする仏教文化の受容に関心が集まっていた。また、仏教教義の研究も、布教や国民教化のためではなく、学問のためであり、知識の拡充を主としたものであった。このように、文化受容の考え方にも、朝鮮と日本とでは、かなり大きな違いがみられる。朝鮮の歴史について見てみましょう。これがこの本のメインテーマなんだもんね。p101~103<唐の朝鮮侵略と三国の対策> 隋との四度にわたる大戦争を経験した高句麗人は、それ以上強力な唐の侵略軍が、やがて襲撃してくるものと考え、宮廷貴族たちを排除した泉蓋蘇文を支持した。同じような政変が、642年に百済でも起こり、政変に敗れた王弟のギョウキや大佐平の智積たちが、大挙して大和朝廷に亡命してきた。 百済の政変は、どのような内容であったかを詳細に知ることはできないが、唐の東方政策に対応した戦時体制確立のためのクーデターであったと推測される。 これよりやや遅れて、647年に百済でもクーデターが起こって、王を中心とする戦時体制となった。その経緯は、642年に百済と高句麗とが連合して新羅を攻撃し、百済軍が王都・慶州まで侵入してきた。そこで新羅が、翌年唐に救援を求めたのにたいし、唐の太宗は、唐軍の派遣とひきかえに、唐の王族を新羅王にするように求めた。新羅の貴族会議ではこの要求を受けいれ、善徳女王を廃位した。これに反対する金ユ信たちが、善徳女王を擁護して、貴族の連合軍と戦い、これを打ち破った事件である。その後、金ユ信たちは、太宗武烈王と協力して貴族連合体制を排除し、戦時体制を確立して、統一戦争にそなえた。 大和朝廷の「大化の改新」は、種々の疑問点があってその内容にはなお不明な点もあるが、貴族連合体制の頂点にあった蘇我氏の本家が、クーデターで倒された点では、三国のクーデターの影響とみてよいであろう。 朝鮮三国が、それまでの貴族連合体制から対唐戦争にそなえて戦時体制に切りかえたころ、唐の太宗は高句麗への侵略を準備しはじめた。645年、唐の太宗は多くの家臣の反対を押しきって、高句麗侵略にむかった。家臣の反対したように、名将の誉れ高い唐の太宗も、高句麗軍の堅塁に阻まれて、なす術もなくひきあげた。 唐の太宗は、第一次の高句麗侵略に失敗したにもかかわらず、647・648両年にわたって出兵した。このとき、重臣の房玄齢が上表文を太宗に奉った。そのなかで、この高句麗侵略が、いかに無意味で無謀なことであるかを説いているが、このことは今日にも通ずる重要な問題といわなければならない。 649年に、唐の太宗が薨去し、高宗が即位した。唐と高句麗との戦闘は、655年に再開され、658年から668年までは連年続いた。660年に、唐は新羅と連合して百済を滅ぼし、ついで668年に新羅の助勢をえて、ようやく高句麗を滅ぼすことができた。 唐は西方諸国で大きな戦果をあげたのに、高句麗や百済との戦いでは、新羅軍の助けを借りなければならなかったのはなにゆえであろうか。遼河の大湿地帯が唐軍を苦しめ、高句麗の籠城作戦が功を奏した面もある。しかし、長年培ってきた文化を守ろうとする民族意識や、無謀な侵略にたいする自衛意識が、より重要な要因と思われる。実証 古代朝鮮(その1):文字文化の交流 ********************************************************* ■2015年10月30日実証 古代朝鮮(その2)https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201510300001/
2025.06.15
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図書館で『太平洋戦争の大嘘』という本を、手にしたのです。パラパラとめくると、アメリカ参戦の秘密など興味深いテーマ満載で・・・チョイスした次第です。*********************************************************【太平洋戦争の大嘘】藤井厳喜著、ダイレクト出版、2020年刊<出版社の説明>より私たち日本人は、小さい頃から「日本が真珠湾を宣戦布告もなしに攻めて戦争を起こした」「日本は残虐な悪い国だ」ということを新聞でも、テレビでも繰り返し教わってきました。でも、今から数年前、我々が耳にしてきた太平洋戦争の常識とは真逆とも言える証言が、47年公開を禁じられたフーヴァー元大統領の回顧録から次々と浮かび上がりました。 <読む前の大使寸評>パラパラとめくると、アメリカ参戦の秘密など興味深いテーマ満載で・・・チョイスした次第です。amazon太平洋戦争の大嘘「第2章 日米戦争を起こしたのは誰か?」でアメリカ参戦の秘密あたりを、見てみましょう。p64~<スターリン、チャーチル、蒋介石には、ルーズベルトとの深い関係があった> アメリカ参戦への働きかけについては、本が何冊も出ているくらい、いろいろな工作がなされていました。実はこの3人がそもそもルーズベルトにとっては近しい存在でした。 ルーズベルトはソ連が大好きですから、大統領に就任してすぐにソ連を承認しているくらいです。冷酷な独裁者ヨシフ・スターリンをアンクル・ヨシフ( アンクル・ジョー)と呼ぶほどで、スターリンには親しみを持っていました。ルーズベルトの側近やブレーンにも、ソ連のスパイやシンパが山のようにいました。これは秘密でも何でもない、公然たる事実です。 ルーズベルトは大恐慌の経済危機を克服するために、ニューディール政策を行います。これは伝統的な自由主義経済の原則を大幅に修正し、連邦政府が積極的に経済に介入することを基調としたものでした。急進的な社会改革の中身を見れば、それが計画経済そのものであって、彼の社会主義への志向の強さがうかがえます。 ルーズベルトは、社会主義こそが新しい時代のトレンドであって、アメリカも長期的には計画経済の方向に行くべきであると考えていました。だから、この点でスターリンと世界観が一致していました。 それからルーズベルトはチャーチルとも仲が良く、早くからアメリカの参戦を訴えていました。チャーチルとルーズベルトは、太平洋戦争前の1941年(昭和16年)8月に大西洋憲章を調印しますが、その時点でアメリカの参戦について話し合っていたことが、明らかになっています。 そして、アメリカのルーズベルト政権を誰よりも頼りにしていたのが、中華民国の蒋介石です。もう、このままでは日本にやられてしまうという思いがありましたから、アメリカに早く参戦してもらいたいわけです。 そのために、蒋介石の夫人である宋美麗をアメリカに送り込みます。この人は、浙江財閥の当主(宋嘉樹)の三女でした。その財閥の金をアメリカのあちこちにばらまいてコネクションを作っていきます。ルーズベルト大統領やその妻エレノアと親密な関係を構築したのはもちろん、アメリカ全土をまわって自ら英語で演説し、抗日戦への援助を訴え続けました。 広報活動を通じて、外国の国民や世論に直接働きかける外交活動をパブリック・ディプロマシーと言いますが、宋美麗は蒋介石のスポークスマンとして、このパブリック・ディプロマシーの達人であり、アメリカの世論を上手に取り込んでいきます。
2025.06.14
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かなり昔(12年ほど前)に読んだ『リヴィエラを撃て』 が良かったので ・・・以下のとおり復刻してみましょう♪*********************************************************年越し用に借りたぶ厚い「リヴィエラを撃て」を、半月ほどかけてやっと読破しました。で、最後の感想をしたためておこうと思うのです。ネタバレになるが、香港返還交渉とか、ワシントンでのロビー工作資金がこの小説の鍵になるわけで・・・・極めて今日的なテーマを扱っていたわけです。(ああ もろにネタバレでんがな)97年以降の香港は、中国官僚にとって賄賂のなる木なんだそうで・・・・今、ジャーナリストがここをつつくと、命がいくつあっても足りないのでは(笑)【リヴィエラを撃て】高村薫著、新潮社、1992年刊<「BOOK」データベースより>国際政治の楽屋裏を発狂させた男〈リヴィエラ〉。夥しい諜報戦士たちの血を吸込んだこのコードネームは、一人の天才ピアニストに死を賭した東京公演を決意させる。顔のない東洋人スパイをめぐって、東京・ロンドン・ベルファストに繰り広げる、流血の頭脳ゲーム。<大使寸評>この本では、歴史的背景、政治的背景もアクションもしっかり描いてあるので、なかなかマッチョというかハードボイルドなわけです♪特に、中華の闇で揺れる日米英の政府中枢など、もろに大使のツボを突いています。Amazonリヴィエラを撃て著者の語り口を味わう意味もあるので、一部を転記して紹介します。p512~513 「閣下。失礼ですが、殺人の捜査権は警察にあります。一人の市民が路上で蜂の巣にされたのが殺人でないというなら、この国に警察はいらないことになります。捜査は警察が厳正に行い、結果を報告します。公表するか伏せるかを決めるのは、内閣です。しかし、その前に何よりまず捜査です」 もう1秒タイミングが遅れたら、ブーイングの応酬になっていただろう。だが、一瞬早く、首相がこくりと一つ頭を縦に振ったのだった。 「分かった・・・。分かったよ。バーキン殺害の捜査は警察がやりたまえ。正直なところ、私もいろいろな意味で興味はある。しかし、だ。ともかく国というものは、すべての機関が協力しあって機能しているものだということを、ここにいる諸君全員がもう少し考えてもらいたい。正義はけっこう。機密もけっこう。しかし、ケンカは最悪だ。何より重要なのは、国政がスムースに運ぶことなのだ。どこからどのような報告が来ようと、私は首相の立場で判断させてもらう。そういうことで、情報部も了解してもらいたい」 「あの手島修三は、私どもの活動にとって有害な人物です」と《6》が言った。 「公爵夫人の旅券違反を捜査しに来たというのは、たしかに困ったことだ」と首相。 「いえ。東京の警視庁はそんな捜査は行っていません。先日申し上げたように、彼は日本外務省の要請を受けてバーキンの情報を探りにきた男です。86年から3年間、こちらの日本大使館に一等書記官として赴任していたが、中身は諜報担当です。ペルソナ・ノングラータとして、国外退去処分にしたいと思います」と《6》は抵抗した。 「判断するのは私だ。で、君の方は?」首相は《5》の長官に首を振った。 「確かに、手島はバーキンから機密に関する情報を入手している可能性があります。追放する前に尋問の必要があります」と《5》は答えた。 「警察は?」と首相。 「追放などとんでもない。尋問など、さらにとんでもない。わが警視庁の威信にかかわります。手島は現時点で、バーキンの事件の捜査に不可欠の証人です。こちらの捜査が終わるまで、指一本触れてもらっては困ります」 首相は四人の男を見渡して何度目かの溜息を吐いた。 「・・・よし。私が決める。追放などという不穏当な話は無しだ。そういう特殊な目的で派遣されてきた人物なら、尋問も効果は期待出来ないだろう。だが、情報部の懸案も分かるので、警察は責任をもって手島某を日本行きの飛行機に乗せたまえ。本日の便が間に合わなければ、明日の早い便で、分かったかね?」日本では、《5》や《6》が存在しないので、このような応酬にはならないだろうが・・・公安警察、警視庁の対立はあるのかもしれないですね。組織の詳細はよく知らないけど。この本で公僕の正義が語られるあたりです。p521~522 「手島さんを評価しない奴らが、この国をこんなふうにしたんだ」と坂上は呟いた。 「違う」と手島は首を横に振った。「坂上、それは違う。・・・僕はただ敗北したのだ。僕は今回、痛切に感じたことがある。当たり前のことなのだが、不正も権力なら、不正を暴くのも権力だということだ。僕はイギリスで友人をひとり失った。素晴らしい能力と正義感の持主だったが、不幸にして彼は権力は持っていなかった。だから殺されたんだ。力を持たない正義ほど虚しいものはない。多分、一介の個人の正義は敗北するしかないのかも知れない。・・・とはいえ、たとえそうであっても戦うことをやめないのが、人間の良心なのだろうけどね」 「手島さんの良心と正義感は、私たち課員の道標なんです。信じて下さい」 「カカシじゃなかったのか」と手島は照れ笑いした。 「まあ、道標だと言ってもらえて僕は嬉しい。だが、道標に従って先へ進むのは君だ。坂上、今は僕の忠告を聞いてほしい。まず《リヴィエラ》を忘れてくれ。それから、上級職のキャリアを無駄にするな。権力を目指せ。最後に・・・僕をもう上司だとは思わないでくれ」ネタバレになるので書きませんが・・・・小説は、北アイルランドでの穏やかな後日譚で終わることになります。国家とはつまるところ権力なんだろう。その権力には正義もあるし不正義もある。不正義を見逃すことのできない頑固な人間が、多かれ少なかれどの国にもいるのが救いと言うか、希望でしょうね。・・・・すべからく文学は、希望を描いてほしいものです。スパイ小説を紡ぐには国家観とか、国益とか、ロビー工作とか、防諜組織に関する知識とか、外せない業界的知識が必要なわけだが・・・・女性作家で、この難行に挑戦した蛮勇・・・・というか作家魂がすごいですね♪amazon高村薫より1953(昭和28)年、大阪市生れ。1990(平成2)年『黄金を抱いて翔べ』で日本推理サスペンス大賞を受賞。1993年『リヴィエラを撃て』で日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞を受賞。同年『マークスの山』で直木賞を受賞する。1998年『レディ・ジョーカー』で毎日出版文化賞を受賞。2006年『新リア王』で親鸞賞を受賞。2010年『太陽を曳く馬』で読売文学賞を受賞する。他の著作に『神の火』『照柿』『晴子情歌』などがある。フィリップ・マーロウがつなぐ輪『リヴィエラを撃て』1『リヴィエラを撃て』2『リヴィエラを撃て』3『リヴィエラを撃て』4*********************************************************■2013.01.15『リヴィエラを撃て』4https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201301150000/
2025.06.14
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「予約本」でしょうか♪<市立図書館>・太平洋戦争の大嘘・ 白人になれない白人たち ・ 身辺整理 ・ 銀翼のイカロス<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【太平洋戦争の大嘘】藤井厳喜著、ダイレクト出版、2020年刊<出版社の説明>より私たち日本人は、小さい頃から「日本が真珠湾を宣戦布告もなしに攻めて戦争を起こした」「日本は残虐な悪い国だ」ということを新聞でも、テレビでも繰り返し教わってきました。でも、今から数年前、我々が耳にしてきた太平洋戦争の常識とは真逆とも言える証言が、47年公開を禁じられたフーヴァー元大統領の回顧録から次々と浮かび上がりました。 <読む前の大使寸評>追って記入amazon太平洋戦争の大嘘【白人になれない白人たち】 アイヴァン・カルマー 著、彩流社 、2025 年刊<「BOOK」データベース>より“リベラル”に反旗を翻す白人たちー何が“中欧”の人々を憎悪に走らせているのか? 2014年に「非リベラルな民主主義」を高らかに宣言したハンガリーのオルバーン首相。その理念は米国のトランプやロシアのプーチンとも共鳴し、強権的政治が世界に広がりつつある。中欧は反リベラル現象の震源地なのか?民主主義の危機の背景にある「白人」間の人種差別(レイシズム)を明るみに出す衝撃作。 <読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/05予約、副本1、予約4)>heibonsha白人になれない白人たち【身辺整理】森永卓郎著、興陽館、2024年刊<「BOOK」データベース>よりいきなり、ステージ4のがん告知を受けた、森永卓郎の「遺言」。迷惑をかけずに、跡形もなく消え去りたい。渾身の「死に支度」ドキュメント。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(11/20予約、副本4、予約76)>rakuten身辺整理【銀翼のイカロス】池井戸潤著、ダイヤモンド社、2014年刊<商品説明>より半沢直樹シリーズ第4弾! 「はっきり申し上げますが、御社にとっていまが─ラストチャンスです」頭取命令で経営再建中の帝国航空を押しつけられた東京中央銀行の半沢直樹が、500億円の債権放棄を求める再生タスクフォースと激突。 <読む前の大使寸評>追って記入rakuten銀翼のイカロス
2025.06.13
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・原爆裁判(9/11予約、副本?、予約133)現在8位・官僚国家 日本の闇(10/28予約、副本2、予約47)現在5位・金原ひとみ「ナチュラルボーンチキン」(12/03予約、副本?、予約?)現在40位・猫社会学、はじめます(12/17予約、副本?、予約?)現在6位・宙かける教室(12/28予約、副本1、予約388)現在222位・麻田雅文『日ソ戦争』(1/16予約、副本?、予約124)現在73位・就職氷河期世代(2/02予約、副本?、予約30)現在9位・天気でよみとく名画(3/22予約、副本?、予約29)現在24位・闇の中国語入門(4/13予約、副本1、予約7) 現在2位 <カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』<予約候補>・テレビプロデューサーひそひそ日記・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・伊予原新『藍を継ぐ海』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・九段理恵『東京都道場塔』:図書館未収蔵・外山滋比古『思考の整理学』・ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』・「中国」はいかにして統一されたか・街道をゆく「モンゴル紀行」「南蛮のみち」・畑正憲『どんべえ物語』:図書館未収蔵・ヤマザキマリ『水木しげる厳選集 異』:図書館未収蔵・書いてはいけない日本経済墜落の真相:図書館未収蔵・金水敏『よくわかる日本語学』・大友克洋「童夢」・70歳のバックパッカー・森永卓郎『官僚生態図鑑』:図書館未収蔵・水族館飼育員のキッカイな日常・筒井康隆『エロティック街道』・西加奈子『通天閣』・クロード・ルブラン『山田洋次が見てきた日本』・エマニュエル・トッド『西洋の敗北』・和田秀樹『70歳が老化の分かれ道』<予約分受取:4/10以降> ・パッキパキ北京(8/29予約、4/10受取)・沈む日本4つの大罪(10/10予約、4/20受取)・転がる珠玉のように(9/05予約、5/01受取)・夜深特急5 トルコ・ギリシャ・地中海(4/⒓予約、5/15受取)・消費者金融ずるずる日記(8/27予約、5/29受取)・白人になれない白人たち(4/05予約、6/12受取)・森永卓郎『身辺整理』(11/20予約、6/12受取) **********************************************************************【原爆裁判】山我浩著、毎日ワンズ、2024年刊<商品説明>より日本初の女性判事・三淵嘉子が昭和三十年代に裁判官を務めた「原爆裁判」に焦点を当てた書き下ろし。原爆を巡るアメリカの闇を追及すると共に三淵嘉子の半生を紹介、さらに、世に名高い「原爆裁判の判決文」も付載した一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/11予約、副本?、予約133)>rakuten原爆裁判【官僚国家 日本の闇】泉房穂著、 集英社、2024年刊<「BOOK」データベース>より2002年10月、右翼団体代表を名乗る男に襲撃され命を落とした政治家・石井紘基。当時、石井は犯罪被害者救済活動、特殊法人関連の問題追及等で注目を浴びていた。その弱者救済と不正追及の姿勢は、最初の秘書・泉房穂に大きな影響を与えた。石井は日本の実体を特権層が利権を寡占する「官僚国家」と看破。その構造は、今も巧妙に姿を変え国民の暮らしを蝕んでいる。本書第1部は石井の問題提起の意義を泉が説き、第2部は石井の長女ターニャ、同志だった弁護士の紀藤正樹、石井を「卓越した財政学者」と評する経済学者の安冨歩と泉の対談を収録。石井が危惧した通り国が傾きつつある現在、あらためてその政治哲学に光を当てる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/28予約、副本2、予約47)>rakuten官僚国家 日本の闇【ナチュラルボーンチキン】金原ひとみ著、河出書房新社、2024年刊<「BOOK」データベース>よりルーティンを愛する45歳事務職×ホスクラ通いの20代パリピ編集者。同じ職場の女から導かれて出会ったのは忘れかけていた本当の私ー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/03予約、副本?、予約?)>rakutenナチュラルボーンチキン【猫社会学、はじめます】 赤川学(著・編)、筑摩書房、2024年刊<「BOOK」データベース>より猫が教えてくれた、「ただ、いるだけ」の価値。約9500年にわたる猫と人類の歴史のなかで、もっとも関係が深まったのが現代。その諸相に光を当て、“猫と人間の幸福な未来”を構想。猫を愛する社会学者たちによる“猫社会学”の誕生!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/17予約、副本?、予約19)>rakuten猫社会学、はじめます【宙わたる教室】 伊与原新著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>より東京・新宿にある都立高校の定時制に集った、さまざまな事情を抱えた生徒たち。彼らは「科学部」を結成し、「火星のクレーター」を再現する実験を始めた。煌々と明かりが灯った夜の教室で、小さな奇跡が起きるー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/28予約、副本1、予約388)>rakuten宙わたる教室【日ソ戦争】 麻田雅文著、中央公論新社、2024年刊<「BOOK」データベース>より日ソ戦争とは、1945年8月8日から9月上旬まで満洲・朝鮮半島・南樺太・千島列島で行われた第2次世界大戦最後の全面戦争である。短期間ながら両軍の参加兵力は200万人を超え、玉音放送後に戦闘が始まる地域もあり、戦後を見据えた戦争だった。これまでソ連の中立条約破棄、非人道的な戦闘など断片的には知られてきたが、本書は新史料を駆使し、米国のソ連への参戦要請から各地での戦闘の実態、終戦までの全貌を描く。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/16予約、副本?、予約124)>rakuten日ソ戦争【就職氷河期世代】 近藤絢子著、中央公論新社、2024年刊<「BOOK」データベース>よりバブル崩壊後、未曾有の就職難が社会問題となった。本書は1993~2004年に高校、大学などを卒業した人々を「就職氷河期世代」と定義し、雇用形態や所得などをデータから明らかにする。不況がこの世代の人生に与えた衝撃は大きい。結婚・出産など家族形成への影響や、男女差、世代内の格差、地域間の移動、高齢化に伴う困窮について検討し、セーフティネットの拡充を提言する。統計から見えるこの世代の実態とは。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/02予約、副本?、予約30)>rakuten就職氷河期世代【天気でよみとく名画】長谷部愛著、中央公論新社、2024年刊<出版社>より「悪魔」の正体は局地風(ゴッホ“星月夜”)、描かれた雲から降水確率もわかる(フェルメール“デルフト眺望”)、天気の表現でわかる作家の出身地などなど、古今東西の名画やマンガを天気という視点で見直すと、意外な発見に満ちている。画家たちの観察眼は気象予報士よりも凄いかも!?さらに、同じ地域でも時代の異なる作品を比較することで、温暖化などの変化に気づくことだってできる。現役気象予報士による美大の人気講義を再現。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(3/22予約、副本?、予約29)>rakuten天気でよみとく名画【闇の中国語入門】 楊駿驍著、筑摩書房 、2024年刊<「BOOK」データベース>よりネガティブな言葉でなければ、伝わらないことがある。心と社会の闇を表現する45の言葉から読み解く、かつてない現代中国文化論。 <読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/13予約、副本1、予約7)>rakuten闇の中国語入門【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死 図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・デジタル朝日「好書好日」でめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2025.06.13
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「秘密の本棚」という本で、著者いしかわじゅんさんが選んだマンガ作家がええわけで・・・以下のとおり復刻してみます♪・谷岡ヤスジ ・諸星大二郎 ・山田双葉(山田詠美)********************************************************* 図書館で借りた「秘密の本棚」という本を読んでいるのだが・・・・いしかわじゅんさんがマンガ作家であるだけに、同業者を見る目は鋭いのである。谷岡ヤスジや諸星大二郎を正しく評価しているのが、個人的には、なんともええ感じである♪【秘密の本棚】いしかわじゅん著、小学館、2009年刊<【目次】「BOOK」データベース>より1の秘密 彼らの事情(彼女のストレート/ぼのぼのとSinkの間/森下裕美の冒険 ほか)/2の秘密 やってきた道(謎の人/西風少し復活/ギャグの星を探せ ほか)/3の秘密 描く人々(天然のヤスジ/少年画報の黄金時代/中川いさみの立った場所 ほか)<大使寸評>いしかわじゅんさんがマンガ作家であるだけに、同業者を見る目は鋭いのである。谷岡ヤスジや諸星大二郎を正しく評価しているのが、個人的には、なんともええ感じである♪rakuten秘密の本棚<天然のヤスジ>よりp278~280 76年から77年あたりにかけて、ぼくはエロ本の売れっ子になった。そのころ、ヤスジもエロ本でたくさん仕事をしていた。大手でもやってはいたのだが、評価はあまり芳しくなかったように記憶している。かつてメジャーを張ったが、その後急激に面白くなくなってしまった人というような印象があった。 しかし、ヤスジはそれでは終わらなかった。 いつの間にか、作品世界が変わってきていた。『ガキ道講座』のころのような破壊的世界観は消え、画面には地平線が広がり、畑が現れ、牛のタロが寝そべり、タゴが鍬を振るうようになった。 透明な服を着た不思議なキャラクターが現れ、道を横切っていった。女の股間を針で刺すだけの先生がいた。バターを背負って女の股間にそれを塗る犬がいた。 おそらく、また誰かが囁いたのだ。ここになにかがある。 最近のヤスジって、なんか変だよな、とみんな噂するようになった。みんなというのは、業界のみんなだ。業界で受ければ、1年か2年後には一般読者も気づくようになる。そうしてヤスジは、80年代に二度目のブームを迎えたのだ。 もっともブームといっても最初のそれとは違って、もっと静かなものだった。そして、長いものだった。 ヤスジはそれから晩年まで、同じ世界観を維持した。村(ソン)という絵に描いたような牧歌的世界で、禅問答のような会話を繰り返した。 どこの連載も同じ舞台で同じキャラクターだったが、特に問題はない。読者はヤスジの新しいギャグや変わった展開を見たかったわけではないのだ。同じ舞台で繰り返しおこなわれる、いつものものを見たかったのだ。先週見たものと同じだが、どこか少し違う。 ヤスジに計算があったのかどうか、ぼくにはわからない。『ガキ道講座』にはある程度あったかもしれないが、<村>にはなかったような気がする。谷岡ヤスジがそのまま現れていただけではないかと思うのだ。 (中略) ヤスジと親しくつきあったことはなかったが、出版社のパーティ等で多少立ち話くらいはしたことがある。ヤスジは、自分の面白さを理解していないように見えた。作品を褒めたぼくに、ヤスジはかなり見当違いの反応を示した。やはり、ヤスジの漫画は、素のヤスジの面白さだったのではないかと、ぼくは思う。ヤスジの漫画の面白さは、ストレートにヤスジの才能の面白さなのだ。<天才>という言葉を安易に使うのは好きではないが、ヤスジにはその匂いがした。<心に残るあの漫画>よりp332~334 同じ『COM』に諸星大二郎が現れた時には、ぼくはよくわからなかった。『COM』の売り物のひとつであった新人賞で、『ジュン子・恐喝』という作品でなにかの賞を受賞して登場したのだ。『COM』は、泥臭い『ガロ』と比べて、都会的な前衛的な作品がよしとされる傾向があった。ぼくももちろん影響を受けてそういう意識があったので、諸星の受賞作のあまりにも泥臭い絵柄と地べたを這うような物語には、かなり抵抗があった。後の不思議な世界を描く作風とは違って、この作品は、現実の人間の心の底を探るような地道な物語だった。 この作品のよさがぼくには当時まだ理解できなかった。どうしてこんなヘタで泥臭い作品に賞を与えるのかと不満だった記憶がある。ずいぶん後になってそれを読み返し、また集英社の「手塚賞」に入選した作品『生物都市』その他を読んで、ぼくはやっと絵柄の新しさとは違う諸星の革新性に気づいたのだ。 新しさとは、誰も知らなかった線を引くことだけではない。誰も見たことのなかった背景を描き、驚くような構成を見せることも、もちろん新しさのひとつの形ではある。しかし、誰もまだ足を入れたことのない場所を発見することもまた、間違いなく新しさなのだ。 諸星は、間違いなく新しい描き手だったのだ。 大友克洋は、衝撃ではなかった。 彼が登場したころは、ぼくはもういっぱしの漫画マニアだったので、大友の登場は、必然だったのだ。誰か、なにか、ここに現れるはずだというような、ぼんやりした期待のようなものが、おそらくあったのだ。 近代漫画は手塚治虫の登場からこちら、ほぼすべての実験はやり尽くされ、地ならしは済んでいた。あとは、なにかが起こるのを待つだけだったのだ。 なにも具体的な前触れはなかったし、予兆らしきものもなかったのだが、もうなにか起きても不思議はないと、なんとなくみんな思っていたのだ。 だから大友が『漫画アクション』増刊でひっそりと登場したのは見逃さなかったし、すぐになにかが始まっているということもわかったが、驚きはしなかったのだ。ポンちゃんこと山田詠美にもふれているが・・・エイミーは漫画作家でもあったわけですね。知らなかった。いしかわさんが小説を書き始めたことに、エイミーも影響を与えたんでしょうね。<漫画と小説>よりp338~339 山田詠美は、山田双葉だった。 ぼくの大学の後輩というか、正確には、大学漫研の後輩だった。 卒業してずいぶん経ってから、漫研に顔を出したら、態度の悪い新入生がいた。それが山田双葉だった。 明らかにクラブの中で、ひとりだけ異質だった。ひとりで孤立して胸を張っていたので仲良くなり、漫画を描きたいというので、どんなものを描いているのか描きたいのかをチェックし、合いそうな編集者と編集部を紹介した。 とりあえずは、当時ブームの渦中にあった<三流エロ劇画誌>の御三家のひとつ、現在は劇作家になっている高取英が編集していた『劇画エロジェニカ』を紹介したのだが、しばらく描いているうちに、もう少し格下の本からも依頼がくるようになり、またしばらくすると、主婦の友社から出ていた『ギャルズコミック』という新興の少女漫画誌でも連載を持つようになる。 しかし、ぼくは山田双葉は、漫画家としては続かないだろうと思っていた。根気がなさすぎたのだ。 漫画は、作品を完成させるためには何度も同じ工程を繰り返さなくてはいけない。シナリオを書き、下描きをし、ペン入れをして仕上げをする。何度も何度も繰り返し同じものを、頭から最後までなぞらなくてはいけないのだ。山田双葉は、シナリオを考えて下描きをしたあたりで、もう飽きてしまって集中力を持続できなくなる。それでは、漫画は描けない。横についていて手を抜くなというと、だって面倒なんだもんと口を尖らせる。気持ちを維持するのも、漫画の才能の一部なのだ。 後に山田双葉が小説家になったのは、彼女にとって良かったと思う。小説は、漫画よりも工程が少ない。創作に要する物理的時間が短い。飽きる前に終わらせることができる。それに、小説は、考えながら書きながら、どんどん変えていける。しかし、漫画は、一度シナリオを決めてしまったら、変更はきかない。ページ数も厳密に決まっている。体力と気力の要るジャンルなのだ。 そのほかにも、漫画家と小説家の両方のキャリアを持つ人は多いが、ぼくも、実は小説はずいぶん書いている。賞はなにももらっていないが、ギャグからシリアスまで、中間小説誌から純文学誌まで、かなりの量を書き、単行本も何冊か出している。 ぼくが小説を書き始めた理由は簡単だ。編集者に依頼されたからだ。山田詠美が漫画家として挫折する様が面白いですね(笑)それにしても、早目に針路変更する変わり身の早さは評価できるのではないだろうか♪********************************************************* ■2013.08.23秘密の本棚https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201308230000/
2025.06.12
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図書館で『漢民族に支配された中国の本質』という本を、手にしたのです。表紙のサブタイトルに「なぜ人口侵略・ジェノサイドが起きるのか」とあるのが刺激的であり、チョイスした次第です。*********************************************************【漢民族に支配された中国の本質】 三浦 小太郎著、ハート出版、2021年刊<「BOOK」データベース>より戦後GHQにより数々の著書を没収・廃棄された稀代のチャイナ・ウォッチャー長野朗。彼が残した『民族戦』『支那の真相』『支那三十年』などの名著を、今ふたたび読み解いて、現在に通ずる「漢民族による他民族侵略」と「変わらざる中国」の本質に迫るー。 <読む前の大使寸評>表紙のサブタイトルに「なぜ人口侵略・ジェノサイドが起きるのか」とあるのが刺激的であり、チョイスした次第です。rakuten漢民族に支配された中国の本質「第7章 中華人民共和国 山賊政権の誕生」で毛沢東を見る長野朗の論評を、見てみましょう。P205~209<「盗賊皇帝」毛沢東の虚像> 長野朗が『支那三十年』の中で生き生きと描き出した中国農村の自治社会、そして、飢餓や悪政によってそこから発生する「土匪」の存在ほど、中国の、そしてロシアのような大陸国家の本質を突いたものはないかもしれない。再びここで長野の「土匪」の定義を紹介してみる。 外国では飯が食えなくなると失業者となって現れるが支那人は字種自治の民であるから自分で何とかして食って行く。支那人からいえば、生きるということは最上の道徳であるから、正当な方法で活きられなければ不正な方法でも生きて行く。そこで弱くて正直なものは乞食となり、若くて強いものは流れて土匪となり、或いは兵に応ずる。こうしたものが増えると支那の天下は乱れて来る。 長野朗『支那三十年』 この「土匪」を、長野は中国社会の秩序を支える儒教的価値観から自由で、同時に、民衆の英雄として見なされる存在と考えていた。その実態はともかく、少なくとも民衆の幻想の中では、 土匪たちは権力をかさに着て、民衆から収奪する官僚や富豪などの特権層と戦う義賊であり、仲間同士では仁義が堅く、約束を守る「支那人の社会で珍しく嘘のない」水滸伝の英雄たちだった。 土匪もまた、そのような理想像を自分たちに当てはめようとしていたのだ。そしてこの土匪こそ、中国共産党の原型である。 中国文学者の高島俊男は、著書『中国の大盗賊・完全版』(講談社)の中で、毛沢東を「盗賊皇帝」と呼んだ。これは高島の洞察であると共に、中国の現代知識人、王希哲の説を引用したものである。 王は毛沢東を、朱元璋、李自成、そして太平天国の乱を率いた洪秀全などと同様の、地主政権を覆した農民革命の指導者、「農民首領」であると述べた。毛沢東が優れていた点は、中国においてはマルクス・レーニン主義よりも「梁山泊」つまり水滸伝的義賊の物語の方が、はるかに有効であることを知っていたことだった。少なくとも、農民反乱による政権奪取までは、毛沢東は見事に成功したのである。 1960~70年代初頭あたりまで、毛沢東と中国革命が礼賛されていた時代には、毛沢東が最初に革命の根拠地を築いたとされる井岡山が「革命の聖地」のように語られていた。だが、高島によれば、もともとこの山地は「山賊」(土匪)の縄張りだった。毛沢東はこの土匪を「革命的」と称賛し、そこに居座ってしまい、その後、続々と共産党軍が入り込んできて、結局、乗っ取ってしまったのである。なお、もともとの山賊の首領は殺された。 これは毛沢東だけではなく、山賊と連携した後、首領は殺すか追放してしまい、残った部下を中国共産党軍に組み入れるというのは、当時の共産党の基本方針だった。優れた水滸伝論を書いた高島は、これこそ、水滸伝の英雄たちが梁山泊を乗っ取ってしまうやり方と全く同じだと指摘している。(中略) 先の王希哲は毛沢東を農民首領 「農民首領」と呼んだが、もっと正確に言えば、これはまさしく「山賊首領」であり、長野の言葉を借りれば、土匪の親分なのだ。毛沢東の戦略とは、「土匪」の根拠地を作り、それを全国に広げ、農民や、国民党の兵士をも味方につけて都市を包囲し、最終的には武力で政権を奪取して皇帝になるというものだった。これは、中国の農民反乱と新王朝成立の伝統的な手法を取っただけなのである(その毛沢東の「思想」が、1960年代末から70年代にかけ、欧米や日本のような先進国の新左翼に、マルクス主義の新しい道であるかのように映ったのは、時代の逆説としか言いようがない)。『漢民族に支配された中国の本質』1:今なぜ長野朗なのか
2025.06.12
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図書館で『〈中国の時代〉の越え方』という本を、手にしたのです。このところの中国人観光客のインバウンド増加に危機感をおぼえるわけで・・・チョイスした次第です。*********************************************************【〈中国の時代〉の越え方】 矢吹晋 著、白水社、2020年刊<「BOOK」データベース>より文革、改革開放、そして紅い帝国。デジタル・レーニン主義の可能性!樺美智子の問いかけ、西部邁との友情、石橋湛山の構想力…戦後中国研究を振り返りながら、米中衝突に至るうねりに立ち向かう、戦う知識人の肖像。 <読む前の大使寸評>このところの中国人観光客のインバウンド増加に危機感をおぼえるわけで・・・チョイスした次第です。rakuten〈中国の時代〉の越え方「第6章 QRコード・5G・量子 米中覇権の行方」で「量子衛星・墨子号」が語られているので、見てみましょう。P169~170<二 「量子」覇権戦争>■中国発「第二次量子革命」 ニールス・ボーアは1957年に「初めて量子理論に遭遇してショックを受けなかった者は、たぶんそれを理解することができない」と書いた。それから59年後、世界初の量子衛星・墨子号が打ち上げられ、いまや 第二次量子革命を迎えた。 墨子号を打ち上げた2016年8月16日、プロジェクトの責任者潘建偉(中国科学技術大学教授)は、記者の問いにこう答えている。「理論的には量子暗号は解読不能である」とその軍事的意味を強調しつつ、量子通信暗号は「敵が解読できない」ばかりでなく、敵の伝統的暗号は量子通信によって容易に解読でき、米軍ステルス戦闘機は丸裸にされる。これが「無敵の量子通信」と呼ばれる所以だ、と解説した。 量子通信が真に解読不能か否か、その後内外で論争は続いているが、中国の人々から見ると、この世界最先端の技術を外国から導入するのではなく、中国の科学者質が自力で世界に先駆けて実現したことで、量子衛星は「誇りの核心」なのだ。これが誰の模倣でもなく、「メイド・イン・チャイナ」であることは、誇り高いアメリカ人も認めざるをえない。 量子コンピュータによって既存のステルス戦闘機は丸裸にされて「ステルス性」を失う。他方、これを解読中の中国側の暗号システムを米国は解読できない・・・これが量子コンピュータを軍事技術に用いた場合の効用であり、これが成功すれば、米軍の軍事的優位喪失は明らかだ。トランプや米国タカ派が中国の科学技術に脅威を感じてなりふりかまわずこれを阻止しようと「華為いびり」の前哨戦を始めたのはこのたえではないか。 世界初の光量子コンピュータは2017年㋄3日、中国で誕生した。量子衛星を成功させた潘建偉チームにとって、第二の成功だ。「光量子コンピュータの試作機のサンプル計算速度は、世界の同業者による実験の2.4万倍以上に達した」と報じられた(同日付新華社電)。 この光量子コンピュータは、中国科学技術大学・中国科学院・阿里巴巴(アリババ)量子実験室・浙江大学・ 中国科学院物理研究所が協働して研究開発に参加した。民間企業では、 阿里巴巴のほかに、騰訊控股 (テンセント)、百度(バイドゥ)の二大IT大手も先を争って前進しようとしている。 2017年9月29日午後に行われた 中国科学院長白春礼とオーストリア科学院長アリントン・ツァイリンガーとの間で行われた量子通信によるテレビ対話も象徴的事件だった。先ず京滬量子幹線の北京コントロール・センターで墨子号の地上センター(河北省興隆)とつなぐ。それから衛星・墨子号を通じて、オーストリア地上ステーション(グラーツ)へ衛星量子通信を送り、それは中国から七千キロ離れた欧州に届いた。〈『〈中国の時代〉の越え方』1』:中国のキャッシュレス化・デジタル経済化
2025.06.11
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図書館で『〈中国の時代〉の越え方』という本を、手にしたのです。このところの中国人観光客のインバウンド増加に危機感をおぼえるわけで・・・チョイスした次第です。*********************************************************【〈中国の時代〉の越え方】 矢吹晋 著、白水社、2020年刊<「BOOK」データベース>より文革、改革開放、そして紅い帝国。デジタル・レーニン主義の可能性!樺美智子の問いかけ、西部邁との友情、石橋湛山の構想力…戦後中国研究を振り返りながら、米中衝突に至るうねりに立ち向かう、戦う知識人の肖像。 <読む前の大使寸評>このところの中国人観光客のインバウンド増加に危機感をおぼえるわけで・・・チョイスした次第です。rakuten〈中国の時代〉の越え方「第6章 QRコード・5G・量子 米中覇権の行方」で中国のキャッシュレス化・デジタル経済化が語られているので、見てみましょう。P159~162<一 デジタル化する「一帯一路」」>■QRコードから「二維〇」へ 2019年㋄、北京8日間の旅で様々な人々と会ったが、著者を最も驚かせたのは、「阿里巴巴(アリババ)のジャック・マー会長も矢吹教授と同じような話をしていたね」と聞かされたことであった。名だたるマー会長と私の持論が似ているとは痛快だ。 日本の高度成長期にトヨタ式「看板方式」が大活躍したことは広く知られている。それは各製造車間の部品在庫を必要かつ十分なものに限り、「余分の原材料・部品を一切置かない」という徹底した「在庫管理」による合理化策であった。 この種の合理化追求と比べて、全く逆のパターンが広く行われたのが旧ソ連東欧の計画経済システムであった。ハンガリーの経済学者コルナイ・ヤーノシュは『不足の経済学』を書いたが、それは各車間が「ノルマの超過達成」のために、各種部品をあちこちに隠しておく作風のために「不足が不足を呼ぶ」メカニズムの分析であった。計画経済は元来必要な部品を計画当局が手当てする建前であるから、「部品不足はありえない」はずなのだ。 ところが政府は一方で計画ノルマの厳守を命じながら、他方で「ノルマの超過達成」を奨励し、超過達成企業の経営者を昇進させ、その労働者たちにボーナスをはずんだ。それに起因する「ノルマ達成」と「ノルマの超過達成」との矛盾を解決できなかった。末端では「超過達成」のために、余分の原材料を確保しておく悪習が生まれる。万一それらが」当面不要な場合には、「他の物資と交換する」ことによって、役立つ別の現物を得られる。 こうしてモノ不足ゆえに現場では部品や原材料を隠匿する悪習が蔓延し、「不足が不足を呼ぶ」悪循環が止まらなかった。これがコルナイの説いた『不足の経済学 』の論理だ。まさにトヨタ自動車が「部品在庫の適正化」によって合理化を進めたケースと「真逆のメカニズム」が働いて、生産性の低迷がもたらされた。換言すれば「計画経済の非合理性」の核心とは、「不足が不足を呼ぶ」悪循環にほかならない。 トヨタ流看板方式は、その後子会社デンソー技術者の開発した「QR(Quick Response)コード」に変身した。自動車は三万点以上の部品組立からなる組立産業だ。その規格に合う安価な部品を世界各地から調達するために、部品ごとのQRコードと部品のスペックが公開された。 これによってトヨタは世界中から安価で良質の部品を調達し世界企業に成長した。一連のトヨタ式合理化の秘密に触発され、QRコードの活用に着目したのが中国人の智慧であった。スマホの写真機能をQRコードに結び付けて、「キャッシュレス決済」に活用した。QRコードは中国で「二維〇」と呼ばれ、あまりにも普及した結果、その原型が「デンソーQRコード」と知らされて驚く中国人が多い。 キャッシュレス決済の効用はいくつも数えられる。支払いや割り勘計算が便利なことはいうまでもないが、隠れた効用も大きい。たとえば財布を持ち歩かないのでコソ泥がいなくなった。盗もうにも人々は財布を携帯しない。そもそも現金を持たないので、偽札も激減した。コソ泥が消え、偽札も消えたのは中国社会にとって歴史的な快挙であろう。「盗むなかれ」という道徳教育よりは、財布や偽札なしに交換を行うシステム作りの方が優れている。 こうして中国経済全体がデジタル化・合理化の道を歩んでおり、その一端はマネーサプライの動向に顕著に現れている。市場経済体制のもとでは、経済成長率の伸びとマネーサプライの伸びは深く連動しており、経済成長のもとでマネーサプライが減少した例は皆無だ。(中略) 「マネーサプライの減少や現金通貨比率の低下」という事実は、中国経済全体におけるキャッシュレス化・デジタル経済化の進展を端的に物語るものであり、既存の金融論では説明のつかない新事態だ。 マネーサプライの減少から知られるように、デジタル経済化は急展開している。中国のGDPは購買力平価換算で日本の約3~4倍である。国務院商務部の統計によれば、中国GDPの約3分の1が電子決済されている。ということは日本のGDP全体に匹敵する規模がすでに電子化されているわけだ。このビッグデータの活用はまだ始まったばかりだ。新ベンチャー企業「太一雲」は内外の多くのハイテク企業(たとえば米アマゾン)等と合作して「ビッグデータ解析」の新ビジネスをスタートさせた。
2025.06.11
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図書館で『漢民族に支配された中国の本質』という本を、手にしたのです。表紙のサブタイトルに「なぜ人口侵略・ジェノサイドが起きるのか」とあるのが刺激的であり、チョイスした次第です。*********************************************************【漢民族に支配された中国の本質】 三浦 小太郎著、ハート出版、2021年刊<「BOOK」データベース>より戦後GHQにより数々の著書を没収・廃棄された稀代のチャイナ・ウォッチャー長野朗。彼が残した『民族戦』『支那の真相』『支那三十年』などの名著を、今ふたたび読み解いて、現在に通ずる「漢民族による他民族侵略」と「変わらざる中国」の本質に迫るー。 <読む前の大使寸評>表紙のサブタイトルに「なぜ人口侵略・ジェノサイドが起きるのか」とあるのが刺激的であり、チョイスした次第です。rakuten漢民族に支配された中国の本質「序章 今なぜ長野朗なのか」で激しいヘイトスピーチのような論評を、見てみましょう。P1~6<再評価される「稀代のチャイナ・ウォッチャー」> まず、次の文章を紹介したい。 支那は何と云っても四千年の長き文明と四億の民を包容した老大国だけに種々な方向に於いて世界に誇るべき偉大なる或る者をもっている。殊に我々島国人には支那の大について学ぶべき多くの点がある。(中略)支那は国家と民族とは全く別物で、国家としての支那は現に混乱に混乱を重ね財政は窮乏して列国の共同管理説等がやかましく唱えられているし、軍閥は日本の戦国時代見たように方々に割拠し、私兵を養い、戦争ばかりやっていて中央政府の目入れ等は誰も聞かず租税は勝手に取り上げて中央には送らない、それに土匪が全国に百万人もいて略奪や放火殺人をやっているが誰も取り締まってくれるものがない。と云う 有り様で誠に話にならない、列国が愛想を尽かすのも無理は無いが、そこは支那の国家であって、支那人、支那民族は戦争があろうが土匪が暴れようが、そんなことは一向にお構いなく、国家の衰亡と正反対にどしどし発展していく所はどうも豪(えら)い、日露戦争で常陸丸が沈んだために上村中将の宅に石を投げ込んだ国民とは比較にならぬ。 この文章は、長野朗(1888~1975)が1925(大正14)年に発表した『支那に何を学ぶべき乎』からの引用であり、呉PASS出版から復刊された『支那の真相』に収録されている。 長野朗は1888年、福岡県に生れ、陸軍士官学校を卒業し、辛亥革命後に中国へ派遣され、その後、現地で中国情勢をつぶさに観察した。1921年には軍を去り、中国の情勢分析と、日本のとるべき外交政策を通信社、雑誌などに寄稿、様々な著作を出版し、第一級の「支那通」、今の言葉で言えばチャイナ・ウォッチャー、中国専門家として活躍した。 また、長野は日本国内の問題にも積極的に関与している。血盟団事件や五・一五事件など、いわゆる昭和維新運動に多大な影響を与えた思想家、権藤成郷に深く共感し、権藤の指導下、日本農民救済運動にも参加した。権藤の指示は、過激なテロやクーデターよりも、農村救済のための具体的な支援を求める請願運動を中心としたもので、長野はこの方面でも優秀な組織者として活動し、同時に権藤思想に影響された著作を残している。 大東亜戦争敗戦後、長野の著作の多くはGHQによる出版禁止処分を受けるが、戦後も長野は中国共産党に対する批判的考察などを発表、1975年に東京にて逝去した。長野の活動と思想については、以下に続く各章にて随時論評していくが、この略歴を観ただけでも興味深い人物である。 大東亜戦争敗戦後、長らく葬られていた 長野朗の著作が、近年再び読まれるようになったのは、評論家の西尾寛二氏、宮崎正弘氏らによる再評価によるところが大きいだろう。特に西尾氏は長野朗を、中国人の本質を最も深く理解した代表的論客として評価し、その埋もれていた著作を発掘した。その影響もあってか、現在では呉PASS出版より長野の主要著作が復刊され、簡単に入手できるようになっており、今後も長野の再評価は進むことだろう。 西尾氏は長野朗についての論考は『GHQ焚書図書開封7 戦前の日本人が見抜いた中国の本質』(徳間書店)に集約されており、西尾氏は長野の主要著作を丹念に読み込むことによって、長野が当時の中国大陸の情勢を、現地の民衆との直接の交流を通じて深く理解していたことを立証した。 特に長野が、中国を古典的な文献でしか理解せず、その実態を理想化しがちな中国学者たちの幻想に陥ることなく、漢民族の残酷さ、前近代的社会の野蛮さを見抜いていたことを強調し、戦後のおいても、貝塚茂樹のような中国学者が毛沢東や文化大革命の実態を見抜けなかったことに比べ、長野の先見性を高く評価した。 しかし、西尾氏の次のような文章を読むとき、果たして、これが長野の漢民族論の本質であったのかどうか、少し疑問に思えるところがある。 中国というものは何でも壊してゼロにする破壊の国です。そして、現世の享楽だけを求める。日本から見て情けない国です。学ぶべきことのほとんどない国、それがシナであり、中国です。そう申しあげても言い過ぎにはならないと思います。 西尾寛二『GHQ焚書図書開封7 戦前の日本人が見抜いた中国の本質』
2025.06.09
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まるでヨーロッパ鉄道旅行記のような『容疑者の夜行列車』 という本が忘れがたいので、以下のとおり復刻して読み直してみましょう♪*********************************************************図書館に予約していた『容疑者の夜行列車』という本を待つこと1週間ほどでゲットしたのです。この本の目次を見ると、まるでヨーロッパ鉄道旅行記のような本になっているわけで、ちょっと当てが外れたのでおます。【容疑者の夜行列車】多和田葉子著、青土社、2002年刊<「BOOK」データベース>より戦慄と陶酔の夢十三夜。旅人のあなたを待ち受ける奇妙な乗客と残酷な歓待。宙返りする言葉を武器にして、あなたは国境を越えてゆけるか。-稀代の物語作者による傑作長篇小説!半醒半睡の旅物語。<読む前の大使寸評>この本の目次を見ると、まるでヨーロッパ鉄道旅行記のような本になっているわけで、ちょっと当てが外れたのでおます。<図書館予約:(10/11予約、10/17受取)>rakuten容疑者の夜行列車オーストリアといえばまずウィーンであるが、リンツのような小都市を、見てみましょう。p117~120<ハンブルグへ> リンツは、ヒットラーがドイツ帝国の首都にしようと考えていたこともあった町だ。今ではオーストリアの小都市の一つに過ぎないが、そう言われて、まわりの町並みをぐるっと見回してみると、確かに、眠っている間に、煉瓦を唇に乗せられたような気分になる。 狭い額に憂鬱そうな皺を浮かべ、濁った充血した目で、恨めしそうにこちらを睨んでいる男のような町。骨組みはがっしりしているが、背の割に肩幅が広すぎて、腕の筋肉が重くぶら下がっている。いや、これは言い過ぎかもしれない。 あなたはリンツをそれほど嫌っているわけでhない。目を光らせて、現代音楽に耳を傾け、自分の踊りを吸い付けられるように見ている人たちが、この町にはたくさん住んでいることを、あなたは知っている。でも、これから、夜行の来るまでの時間をこの町で過ごさなければならないと思うと、何か得体の知れない物い呑み込まれはしないか、と不安になる。 ウィーンを出た夜行列車がこの町に着くのは、十時半過ぎ、あなたはそれまで、この町で時間を潰さなければならない。時間を潰すというのは、なんて嫌な言い方だろう。まるで、時間が蠅であるかのよう。時間蠅という種類の蠅がいる。タイム・フライズ・ライク・アン・アロウ。時間は矢のように飛んでいく。光陰矢のごとし。これをコンピュータに訳させたら、「時間蠅たちは、矢がお好き」という訳が出た、という話をつい昨日、読んだばかりだった。 しかし、夜行の来るのを待つ間、時間は矢のようには過ぎ去ってはいかない。蠅のように飛び去ってもいかない。まさに、その逆で、かたつむりのようだ。かたつむりの通った後には、一本の光る筋が残る。あれは、触ったら、ねばねばしているんだろうか。線路のように、背後に軌跡を残して。でんでんむしは、電車の一種か。頭から、アンテナが二本、伸びていて、遠くの誰かと通信しているようにも見える。 リンツで時間を潰すには、どうしたらいいのか。まず、植物園へでも行ってみようか。先週、ダンスのワークショップに来ていた参加者の一人が言っていたことをあなたは思い出した。「あたし、一番好きな場所は植物園なんです。踊りたい人間が植物みたいに動きのないものに惹かれるのは変かもしれませんが、わたし、いつもものを考える時には植物園に行くんです」あなたは植物に興味を持ったことはなかったが、そう言われてみると、なんだか、植物園に行ってみたくなった。 もう何年も、植物園になど、足を踏み入れたことがない。そうか、なるほど、動きのないものか。ダンサーにとって、静止の時間というのは大切かもしれない。いや、静止というのは、こちらの誤解。花だって、動いている。太陽のある方向に首を曲げたり、茎が伸びて成長したり、枯れたり。ただ、その動きが恐ろしく遅いだけだ。 植物の動きに比べたら、あたつむりなど特急列車ではないか。遅い動きというのは、体力を多く消耗するから、疲れる。ひまわりおように、1時間かけて首を右から左へ動かせと言われたら、大変だ。どうして、ひまわりは、そんな動きをしても疲れないんだる。そんなことを考えていたら、なんだか、たまらなく植物園に行きたくなってきた。 リンツの植物園にはさんさんと日が降り注ぎ、つつじの蜜が地面にこぼれそうだった。薄くてひらひらレースのような花びらが下着のようで、ちょっとみだらな感じもする。蜂はうまく羽を動かして、花の中を覗き込みながら、空中のある位置に停まり続ける。蜜があるあどうか偵察しているのだろう。あなたは、どんなに高く飛び上がることができても、すぐに地面に落ちてしまう。ダンサーなんて、そんなものだ。 蜂がお尻を振って踊るのを映画で見たことがある。蜂のダンスは、蜜のある場所を仲間に教えるためにやるんだ、と聞いた。おしべにめしべ。一つの花の中には、めしべ女とおしべ男と、両方住んでいる。そうだ、植物にとっては、両性具有が普通なんだ。自分の心の中にも、女と男と両方住んでいるのかもしれない、とあなたはふと思う。 牡丹は、ぼったりと咲いて、花の重みでぼったりと落ちそうである。 紫陽花は、どんなに日が照っていても、雨の日の記憶を肌に残して、しっとりと咲いている。 花壇の間を抜けて、道がくねくねと続く。植物園は、小さな山の麓に作られている。花壇の間をぬって走る終わりのない小道が、いつの間にか木立の中に入っていく。はくしょいと、あなたは、くしゃみをした。いつの間にか、両端に樫の木が立っていた。あなたは、樫の木は苦手である。いわゆるアレルギーがあって、近づくと、くしゃみが止まらなくなる。あわてて引き返す。『容疑者の夜行列車』3:リンツのような小都市 『容疑者の夜行列車』2:北京へ『容疑者の夜行列車』1:グラーツへ*********************************************************■2019.10.22『容疑者の夜行列車』3https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201910220000/
2025.06.08
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恐竜の卵の化石に触れている『美しすぎる地学事典 』という本が忘れがたいので・・・以下のとおり復刻して読み直してみよう♪********************************************************* 図書館で『美しすぎる地学事典』という本を、手にしたのです。地学的に見て美しい画像、風景が満載されていて・・・ええでぇ♪【美しすぎる地学事典】渡邉克晃著、秀和システム、2020年刊<「BOOK」データベース>より虹色の熱水泉、六角形の石柱群。自然は驚きと感動に満ちている!カラー写真とやさしい解説で学ぶ地球の神秘。<読む前の大使寸評>地学的に見て美しい画像、風景が満載されていて・・・ええでぇ♪rakuten美しすぎる地学事典バヤンザグの南側に高さ50m全長10kmの崖群があり、白亜紀後期の砂岩層からなっているとのこと。バヤンザグの「燃える崖」「27 恐竜の卵が見つかったゴビ砂漠の化石産地」で、恐竜の化石が語られているので、見てみましょう。p110~112<世界で初めて恐竜の卵が発見された場所> 荒涼とした岩石沙漠が広がるモンゴル南部に、世界的に有名な恐竜化石の産地があります。ゴビ砂漠の赤い砂漠地帯、バヤンザグ地域です。 バヤンザグで最初に恐竜化石が発見されたのは、1922年のこと。アメリカ自然史博物館(ニューヨーク市)の古生物学者、ロイ・チャップマン・アンドリュース博士の率いる大規模な調査隊が、ゴビ砂漠の横断中に恐竜の卵や多数な骨格化石を発見しました。 恐竜の卵や営巣地が発見されたのは世界初のことで、この発見により、恐竜が卵生(卵を産む動物)であることが知られるようになったのです。また、骨格化石も非常に多く見つかっており、代表的なものとしては、小型肉食恐竜のヴェロプラキトル、角竜類(トリケラトプスの仲間)のプロトケラトプス、全身が装甲で覆われた鎧竜類のピナコサウルスなどが挙げられます。 スティーヴン・スピルバーグ監督の映画『ジュラシック・パーク』では凶暴な肉食恐竜として描かれているヴェロキラトプルですが、実際の骨格標本では体高(立った時の高さ)が50センチメートルほどしかなく、人よりもずいぶんと小さい恐竜だったようです。しかし、小さいながらも鋭い鈎爪による攻撃は強力。羊ほどの大きさのプロトケラトプスと格闘している化石では、後肢の大きな鈎爪を相手の喉元に的確に命中させて、致命傷を与えていたことがわかっています。<「燃える崖」と名付けられた赤い砂岩> バヤンザグの化石産地は、別名「燃える崖」と呼ばれています。夕日に照らされた赤い砂岩が燃え立つように見えたことから、最初の発見者であるアンドリュース博士が名付けたそうです。 崖の高さは50メートルほど。おおむね東西方向に、長さ約10キロメートルに渡って崖の多い場所が続いています。 バヤンザグの地層は7000万年ほど前の砂岩で、内陸部の砂嵐などによってできた馳走だと考えられています。しかしこの砂岩、「砂岩」とは言え、ほとんどが砂を固めたような崩れやすい岩石であるため、風雨でどんどん浸食されていくのです。 その結果、地表のあちこちで恐竜の化石が顔を出すようになりました。この辺りではわざわざ地層を掘らなくても、遊牧民が歩いているだけでたくさんの化石が見つかるそうです。 バヤンザグの地層ができた約7000万年前というのは、地質時代で言うと白亜紀後期に当たります。この時代は、恐竜の全盛期。バヤンザグに露出しているまさにこの地層の上を、多種多様な恐竜たちが歩いていたのです。恐竜たちは白亜紀末の約6600万年前に絶滅するのですが、温暖で多湿だったこの時代に一気に種類を増やし、多様な進化を遂げました。 なお、恐竜の中には羽毛を持つものがかなりいたということがわかっており、先ほどのヴェロキラトプルも羽毛恐竜だったと見られています。恐竜化石の研究は今も急速に進展しており、新しい発見が次々と報告されています。 『美しすぎる地学事典』2:恐竜の卵が発見された場所 『美しすぎる地学事典』1: 大陸の衝突が生んだヒマラヤ山脈 *********************************************************■2022.04.06『美しすぎる地学事典』2https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202204060000/
2025.06.07
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図書館に予約していた『消費者金融ずるずる日記』という本を、待つこと9ヵ月ほどでゲットしたのです。消費者金融といえば、悲惨あるいは過酷な経済的修羅場であり、私の現実的状況では無関係である。・・・でも、恐いもの見たさで、チョイスした次第です。*********************************************************【消費者金融ずるずる日記】 加原井末路著、三五館シンシャ、2024年刊<「BOOK」データベース>より1990年代の半ば、30歳のときに足を踏み入れ、50歳で退職するまでの20年を私はこの業界ですごし、お金にまつわる悲喜こもごもを目撃した。私が在籍した期間は、消費者金融業界が栄華を極めてから、2010年の法改正施行を経て、没落していく年月でもあった。-本書にあるのはすべて私の実体験である。「お客を追い込む仕事」。サラ金社員が経験した、貸し手と借り手のお金の修羅場。<読む前の大使寸評>消費者金融といえば、悲惨あるいは過酷な経済的修羅場であり、私の現実的状況では無関係である。・・・でも、恐いもの見たさで、チョイスした次第です。rakuten消費者金融ずるずる日記「第4章 お金に教えられたこと」で著者の退職が語られているので、見てみましょう。P191~195<某月某日 返済能力> こうして私は50歳のとき、S社を退職し、20年間にわたって在職した消費者金融業界を去ることになった。 金融機関は、その人の収入に応じたお金を貸す。「返済能力を見る」という奴だ。デック時代、私のカードのキャッシング利用限度額は50~200万円に設定されていた。それだけ貸しても大丈夫と判断される属性だったのだ。 そして、この当時の私にはネッ銀行から200万円、地方銀行から100万円、信販系のカード会社2社から各50万円、合計400万円の借入れがあった。さらに35年の住宅ローンの返済が月に8万円、ボーナス払いが年2回で30万円ずつ・・・。 今振り返れば、恐ろしく無計画なローンである。35年間同じ会社で働き続け、同じ月収とボーナスが確保できることを前提としている。35年のあいだに不測の事態が起これば、計画は破綻する。だが、ローン契約時の私はそんなことに気づくことができなかった。いや、何十年先の未来、そしてそのときの経済状況をしっかりと想定できる人がどれだけいるだろう。 S社を退職し、「返済能力」がなくなっても、支払いは発生し続ける。生活費に加えて住宅ローン、さらに各種カードの支払いが容赦なくやってくる。残念なことに私はミニロトを当てる運も持ち合わせていない。 消費者金融業界に見切りをつけた私は「事務職」「正社員」に的を絞り、就職活動を開始した。選びさえしなければ、「正社員」などどこでもなれる。そんな考えが甘すぎた 履歴書を送ってもなしのつぶてで、運よく面接にたどりついてで、運よく面接にたどり着いても不採用が続いた。「消費者金融業に20年勤務」というキャリアは就活時なんの役にも立たないのだ。 数社から不採用通知を受け取った私は「事務職」という選択を外して、あちこちの求人募集に申し込んだ。20社ほどの募集に落ち、最後の頼みの綱として臨んだ警備会社の面接も落とされた。私には肉体労働しか残されていなかった。 知り合いが住宅の外構工事(住宅のブロックやフェンス、外回りの工事)のアルバイトを紹介してくれ、私は藁にもすがる思いで引き受けた。(中略) 朝から夕方までクタクタになるまで仕事をして、作業着は泥だらけ、ボロ雑巾のような状態で家に帰っても、家には誰もいない。妻も生活費を稼ぐため、フルタイムでスーパーのパートを始めていた。 私の日給は8000円。ローンの返済のために、土日もなく、ひたすらアルバイトを続けた。(中略)<某月某日 もう無理だよね> 日曜日、外構工事のアルバイト中のことだった。私の携帯に義母からの着信があった。義母が私の携帯に直接連絡してくるのは珍しい。「末路さん、あなたたちの生活はどうなってるの?」 私が何事かと驚いて「どうしましたか?」と聞き返すと、「この数ヶ月、娘(妻)からお金を貸してほしいって毎月連絡があるのよ」 私は、妻が義母に援助を求めていることなど聞かされていなかった。妻もパートをしながら生活を支えてくれていたが、生活費にも行き詰まり、母に助けを求めたのだった。 そこまで妻を追い詰めていたことに自責の念を抱きながら、帰宅して妻に事情を確認する。妻は「もう無理だよね 」とだけ答えた。 それまで金のことで口ケンカになったことは何度もあるが、ここまで追い込まれると、もうケンカにすらならない。妻は、この一言で今まで張り詰めていた気持ちが弾けたようにリビングの机に突っ伏して号泣した。 もうどうしようもない。今まで仕事で債務者を追い詰めてきた私が、ついに追い込まれ、身動きがとれなくなった。『消費者金融ずるずる日記』1:「第1章 サラ金業、始めました」の冒頭
2025.06.06
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自動車免許の取得とか職業補導所での訓練に触れている『神戸指物師伝』という本が興味深いので・・・以下のとおり復刻して読み直してみましょう♪********************************************************* 図書館で『神戸指物師伝』という本を、手にしたのです。パラパラとめくってみると、勝手知ったる地名や木工の知識が載っていて・・・興味深いのです。ただし、ちょっと地域限定のようではあるが。【神戸指物師伝】渡健輔著、風来舎、2019年刊<「BOOK」データベース>よりこれほど地域限定のような本となると、アマゾンも楽天も「BOOK」データベースも取り扱っていません。<読む前の大使寸評>パラパラとめくってみると、勝手知ったる地名や木工の知識が載っていて・・・興味深いのです。ただし、ちょっと地域限定のようではあるが。神戸指物師伝自動車免許の取得について、見てみましょう。ちょっと古いマニュアル車だから、試験の難しさが、よくわかります。p100~105 <25 自動車は下駄の代わりになるのか> 久しぶりに残業も柔道の練習もなく帰った。明石駅を降りて歩いていると、後ろから「健ちゃん」と呼ぶ声が聞こえた。僕はびっくりして後ろを振りかえると、中学卒業後初めて会った同級生の貴志君だった。「久しぶりやなぁ」「今帰りか」「うーん、残業がなかったから」「健ちゃん、バス乗り場はそっちの方向とちゃうで」「いつも歩いて帰っとうから」「そうか、いつも歩いとんか。それやったら付き合うわ」と言って一緒に歩きだした。前澤貴志といって、僕の家と300メートル離れたところに住んでいた。家業は「竹屋」と「氷屋」で枝豆とハスの実、ヒシの実など食べ物を売っていた。店が風呂屋さんの前だったので夕方になると忙しそうにしていた。小学生の頃、遊びに行くと貴ちゃんはいなくて、店にいたねえやんが「貴志すぐに帰ってくるから、これでも飲んで待っとき。あの子どこへいったんやろ」と言って店の売り物である飴湯をいれてくれた。コップの中に直径1センチぐらいの竹の筒が入っていた。それでかき回して飲んだ。「熱いから火傷せんようになぁ」ねえやんは僕の兄貴と同級生で、僕のこともよく知っていてみんな幼馴染だった。「健ちゃん、自動車の免許を取りに行こうか?」 そこへ貴ちゃんが帰ってきた。「僕は軽四輪の免許を持ってるねん」「いつの間に取ったん」「最初は第二種原動機付自転車の免許を取って、それから軽四輪免許を取りに行ったんや」「そうかー、早いこと免許取りに行ったやなぁ。俺が取りに行くのは普通免許や。明石の自動車試験場が大きくなり、4月からマンモス試験場になって試験も難しくなりそうや。今のうちに免許を取りに行かんと、車もこれからは下駄がわりなるんやて」「貴ちゃん、うまいこと言うんやなぁ。車も下駄がわりか」 家から外へ出かける時は必ずいるという意味だろう。「健ちゃん、普通免許は4トン900までの車が乗れるんや。すごいやろ」 考えていると勝算が一つあった。貴ちゃんは免許取りにゼロからの出発で、僕は軽四輪免許を持っているから学科試験の法令と構造が免除で、自動車運転の実地だけだろうかなぁと考えていた。(中略) 試験当日、貴ちゃんの家へ誘いに行き一緒にバスに乗り込み試験場へ向かった。試験場に着くと、貴ちゃんは教室へ、僕は外の自動車の運転コースへと向かった。順番を待っていると僕の名前が呼ばれたので自動車のところへ行き運転席に乗り込んだ。 座ってみると清朝が低いので、前を見るとボンネットで前の道路が見えず、座席には薄汚れた座布団が置いてあったのでそれを丸めて座る部分を高くしたが、半分は立っているような中腰だった。試験官が横に座ると緊張した。チェンジを淹れるとガリガリとギアに音鳴りがした。試験官が「大きな自動車に乗るのは初めてか」と聞いてきた。「うーん」と軽く返事をしたが、体が硬くなって舞い上がっていた。少し前に進んだとたん、前輪が道路からはみ出して溝に落輪した。あわててバックにチェンジを入れようとすると、またギア鳴りして、動かすと後輪が溝に落ちてしまった。すると突然、試験官はブレーキを踏んで自動車を止めてドアを開けた。無言で指を外にさして降りるように指示した。降りると「また練習してからおいで」と手を振りながら言った。「うわぁーこんなところで降ろされたらかっこが悪いがなぁ」試験コースの道路の真ん中であった。 待合室へ戻って貴ちゃんを待っていた。しばらくすると貴ちゃんがやって来た。「健ちゃん、どうだった」「あかんかった。自動車が大きすぎて道路からはみ出てしもうた」「貴ちゃんは」と聞くと、「発表がまだや」二人並んで待っていた。 拡声器で合格発表の知らせがあって、貴ちゃんに付いて行った。受験番号を見ていた貴ちゃんが「健ちゃん、法令・構造合格や。よっしゃ、実地で頑張るぜ」顔をほころばせていた。「昼からは自動車運転の実地だけや。健ちゃん先に帰ってもいいよ」「貴ちゃんに付き合うわ。もし受かれば僕一人で運転の実地試験に来なあかんなぁ」「心配せんでええ。もし取れたら今度は大型免許や。三月中に取っておかないと法令がかわったので四月から21歳以上やないと資格が取られへんのや。今18やから三年も待たなあかんようになるから今頑張らんとあかん」「貴ちゃんはすごいなぁ、先の先まで考えて行動しとるんや」 その点、僕はだめだなぁ。16歳で第二種原動機付自転車の免許を取って、17歳で軽四輪免許を取って、18歳で普通免許を取ろうとしている。必要に迫られて階段を一歩一歩上がっているような感じだった。『神戸指物師伝』2:自動車免許の取得について『神戸指物師伝』1:兵庫県職業補導所での訓練
2025.06.05
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早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?梅雨入り宣言はまだ出ていないが(神戸地区は6月8,9日に出そう)・・・梅雨入り前に、各地に大雨や雷雨が発生している様ですね。『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。【日本のならわしとしきたり】ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は二十四節季でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon日本のならわしとしきたりこの本で、芒種のあたりを見てみましょう。和暦p16<芒種>米、麦、穀類の種を蒔く、収穫へ向けた出発の季節 小満から数えて約15日、立夏から約30日を経ると「芒種」の節となる。期間は例年6月5~6日ころから始まり夏至(6月21日ころ)の前日までになる。 芒種とは、「穂の出る種類の穀物の種を蒔く時期」ほどの意味で、特に「米」を指した。米は寒冷に弱い性質を持っていたため、種を蒔くのはこの時期だったが、品種改良後の現在はもっと早く行われている。『暦便覧』には「芒(のぎ)のある穀物稼種する時なり」とある。芒とは、米・麦のように籾(もみ)でくるまれた種子のことだ。 米に限らず、農作業は1年間という長いスパンで、種蒔き→育成→収穫→収穫後の田畑の涵養→作付け計画などが進められる。長い間の経験や体験、試行錯誤を経て、最良の時期が選ばれてきた『暦便覧』はその集大成でもあったのである。 芒種のころは、西日本では梅雨入りしており、大量の水は必要とする稲作に適した時期でもあった。梅雨入りかその少し前の時期に当たる芒種節の気候は、暑さが日一日と増し、湿度が高く、徐々に梅雨めき始め、五月雨(さみだれ)を経て梅雨に入り、西日本から「田植え」が北上する。 芒種の期間の七十二候は、次の通り。 初候「蟷螂生(かまきり、しょうず)」 次候「腐草、為蛍(くされたるくさ、ほたるとなる)」 末候「梅子黄(うめのみ、きばむ)」籾(もみ)でくるまれた種子のことを芒(のぎ)というのか・・・暦便覧は勉強になりますね♪二十四節季の小満に注目(復刻)
2025.06.04
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鯨食といえば・・・私が幼少の頃にはわりと一般的な食料であって、母手作りの「大根おろしまみれのクジラ焼き(のようなもの) 」を食べたものです。コスパが良かったので庶民的な食べ物だったのでしょう♪環境テロ団体シー・シェパードの標的にされてきたニッポンではあるが・・・食べたいものを、食べさせてくれよな~♪*********************************************************捕鯨の様は、古来より画材を提供しているように、古来人にとってクジラは巨大な食材として映るようですね♪・・・ツボが疼くので以下のとおり復刻して紹介します。*********************************************************図書館で『日本捕鯨史』という本を、手にしたのです。中を覗くと、思いのほか画像が多くビジュアルなのが・・・ええでぇ♪【日本捕鯨史】中園成生著、古小鳥舎、2019年刊<「BOOK」データベース>より2019年7月、日本は商業捕鯨を再開する。「日本には歴史と伝統がある」と語られるが、その実態をどれくらいの人が理解しているだろうか。「鯨と日本人の歴史」を再考し、見つめ直す一冊。<読む前の大使寸評>中を覗くと、思いのほか画像が多くビジュアルなのが・・・ええでぇ♪rakuten日本捕鯨史「第五章 古式捕鯨業時代後期」の中で、欧米捕鯨が興味深いので、見てみましょう。p101~103<2 欧米捕鯨の日本近海進出と開国>■アメリカ捕鯨業の発展 17世紀初頭に入植が始まった英領植民地アメリカでは、当初から漂着鯨が利用されていたが、17世紀中頃には沿岸捕鯨が始まり、次第に沖合へと進出していき、18世紀中頃には船上で製油する方法がおこなわれるようになっている(『クジラとアメリカ』)。 当時のアメリカ捕鯨業が主な対象としたのはマッコウ鯨だが、この鯨の頭部には、脳油と呼ばれる浮力の調節に役立つ油が詰まっていて、これが良質の機械油になることがわかったのである。当時のアメリカ捕鯨では、大型帆船を用いた母工船(普通「捕鯨船」と呼ばれる)に30人程度が乗り組んで航海したが、漁場が遠方に広がるにつれて長期の航海を余儀なくされ、母港に帰投するまでの航海日数が4年に及ぶこともあった。 母工船も次第に大型化し300~400トンに達したが、船主が資金を出して準備をおこない、乗組員には利益のなかから役割に見合った割合の報酬が出た。 当時の母工船には通常五艘ほどの捕鯨ボート積まれていて、それぞれに士官(櫂の舵を取る)、銛打ち、漕手四人が乗り込んだ。母工船のマストにいる見張りが鯨を発見すると漕ぎ出し、銛(ハプーン)を打ち込んでボートを曳かせて疲労させた後、木の葉形の刃先の槍(ランス)で突いて仕留めた。マッコウ鯨の場合、脳油を獲ったあと、皮脂だけ剝ぎ取って製油し、残りの肉や骨は投棄した。 18世紀前半、アメリカ船籍の捕鯨母工船は北大西洋での操業を主としていたが、後半にはアフリカ北西沿岸、カリブ海周辺、ブラジル沿岸に進出している。1791年にはホーン岬を太平洋に進出し、漁場の中心は大西洋から太平洋に映るが、漁場は次第に北上し、日本近海の漁場(ジャパングラウンド)も1820年に確認され重要な漁場となる。アメリカ船籍の捕鯨母工船は1846年には735隻に達し、母港のニューベットフォードやナンタケットは非常な活況を呈した。当時のアメリカの捕鯨業は、南部の綿花生産とならぶ重要産業であり、機械の潤滑油や街灯の燃料を供給する事で、欧米の産業革命の進展を支えたのである。■日本周辺漁場への進出と開国 アメリカの捕鯨母工船に救助された後、捕鯨に従事した経験がある中浜万次郎(ジョン万次郎)は、1848年ごろ中国と日本の間の海では、万次郎が乗り組んでいた船を含め50隻ほどの欧米の捕鯨母工船が創業し、小判240万両と想定される莫大な利益を上げていると幕府に報告している。 日本海を含めた北太平洋の捕鯨漁場は、欧米の捕鯨業にとって当時最重要の漁場と認識されていた。しかし同漁場の弱点は、近くに補給をおこなう港が無かった事だった。当時の欧米の捕鯨母工船は、何年間も航海を続けることができたが、水や食料、燃料の薪は補充する必要があり、ハワイ諸島は太平洋で操業する欧米の捕鯨母工船の補給港として栄えた。 しかしハワイは日本周辺を含む北太平洋の漁場からは遠く、補給港として最良の位置にあった日本の諸港は、オランダ・中国に対する管理貿易がおこなわれていた長崎などを除き、外国船に対して閉ざされていた。欧米の捕鯨母工船の船員の中には、日本の離島や海岸に無断で上陸して薪や水を入手したり、食料をかすめ取る者もいて、幕府も神経を尖らせていた。 日本を開国に導いたペリー提督の来航目的の一つには、アメリカ捕鯨母工船への物資補給の要請があった。日米和親条約の第二条には「伊豆下田、松前地箱館の両港は、日本政府に於てアメリカ船薪水食料石炭の欠乏の品を日本にて調候丈は、給し候為め、渡来の儀差免し候(後略)」とあり、特に函館は日本海で操業する母工船の補給基地として重視された。アメリカの駐日総領事ハリスは1857年の日米協約で、函館に入港する捕鯨母工船は年間300隻に達していると報告し、函館への副領事の駐在と、母工船などに物資補給を請け負うアメリカ商人の居留を幕府に承諾させている。さらに1858年に締結された日米就航通商条約では、日本海岸の新潟が開港場に盛り込まれたが、これも母工船の補給港としての役割が重視されてのことと思われる。『日本捕鯨史』4:アメリカ捕鯨業の歴史『日本捕鯨史』3:欧米捕鯨の日本近海進出『日本捕鯨史』2:鯨製品の流通『日本捕鯨史』1:こんにちの鯨食*********************************************************
2025.06.04
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図書館に予約していた『消費者金融ずるずる日記』という本を、待つこと9ヵ月ほどでゲットしたのです。消費者金融といえば、悲惨あるいは過酷な経済的修羅場であり、私の現実的状況では無関係である。・・・でも、恐いもの見たさで、チョイスした次第です。*********************************************************【消費者金融ずるずる日記】 加原井末路著、三五館シンシャ、2024年刊<「BOOK」データベース>より1990年代の半ば、30歳のときに足を踏み入れ、50歳で退職するまでの20年を私はこの業界ですごし、お金にまつわる悲喜こもごもを目撃した。私が在籍した期間は、消費者金融業界が栄華を極めてから、2010年の法改正施行を経て、没落していく年月でもあった。-本書にあるのはすべて私の実体験である。「お客を追い込む仕事」。サラ金社員が経験した、貸し手と借り手のお金の修羅場。<読む前の大使寸評>消費者金融といえば、悲惨あるいは過酷な経済的修羅場であり、私の現実的状況では無関係である。・・・でも、恐いもの見たさで、チョイスした次第です。rakuten消費者金融ずるずる日記「第1章 サラ金業、始めました」の冒頭から、見てみましょう。P11~15<某月某日 きちんとした会社> 1990年代半ば、バブル経済が崩壊したあと、ゆるい審査とスピード融資を武器に、消費者金融業界は勢いを増していた。当時アルバイトで生計を立てていた私に、中学時代の先輩から電話がかかってきた。「おう、久しぶり。俺は今、T県でデックの支店長をやってんだけど、人手が足りないからどうだ? おまえもそろそろきちんとした会社に入った方がいいだろ」 デックという社名にはなんとなく聞き覚えがあり、それが中堅の消費者金融業者だということはわかった。とはいえ、私はそれまで消費者金融で金を借りたことはなく、「サラ金=血も涙もない取り立て」といった世間一般のイメージを持っていたにすぎない。心の中で「『きちんとした会社』ってサラ金じゃねえかよ・・・」と思いながら私が何も答えずにいると、先輩はたたみかける。「今、消費者金融は景気いいぞ。給料だって悪くないし、みんな頭を下げて金を借りに来るんだから、ふつうの営業みたいなストレスもない。とにかく話だけでも聞きに来いよ。U市の支店長と、T県を統括する課長にも話をつけておくからさ」 このとき私は30歳。つき合っていた彼女と結婚を考えていた時期でもあり、「きちんとした」仕事に就きたいと考えていたタイミングだった。彼女に相談すると、「うん、いいわじゃん。せっかくだから、そこに行きなよ!」と背中を押され、先輩に折り返しの電話を入れた。「とりあえず、話だけでも聞いてみようと思います」 面接場所はT県U市にあるデックU支店、面接官はT県全体を統括するという鬼塚課長だった。定刻の10分前に支店に行くと面接室に通され、定刻ぴったりに鬼塚課長が入室してきた。目をギョロギョロさせ、ダボダボのスーツを着た、Vシネマに出てきそうないかにも金融屋風情である。見た目とは裏腹に声は高く、口調は軽快だった。「チミかぁ~、原田君の後輩ってのは。面接つっても、そんな固いものじゃないからね。とにかく今、この業界は人手が足りない状況だから」 私が「未経験でも大丈夫でしょうか?」と尋ねると、「だいたいみんな未経験で入ってくっから。覚えちゃえば楽な仕事だよ。仕事は回収。要は借金の取り立て。で、慣れてきたら『おまとめローン』つって、不動産担保ローンの営業。大丈夫、俺でもできてんだから」 漫談のような口調でひと通り説明を終えると、急に真顔になり、ギロッと私を見据える。「ところで、チミ、借金とかある?」「いえ、ありません」と答えると、「なら、信用情報照会させてもらっていい?」と真顔で言ったかと思うと、突然笑い出し、「ガハハハッ! ウソ、ウソ。今はそんな簡単に信用情報なんか照会できないんだ。まぁ、この仕事やるのに借金だらけじゃ、もんだいだけどなぁ。ちなみに俺は丸井のキャッシングを払ってなくて丸井に追われてる」「丸井ですか?」と私が聞くと、「ガハハハッ!これはホント。昨日、督促の電話来たから、この面接終ったら払いに行かなくっちゃ」 当時、「信用情報」という言葉すら知らない私にとって、鬼塚課長の冗談はなんのことだかよくわからなかったのだが、とりあえず採用と相成った。こんな面接一度きりで採用されるのだから、本当に人手不足なのだろう。嫌になったら、辞めてしまえばいい。私はそんなことを考えていたのだった。
2025.06.03
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ドイツ・メルケル元首相が来日して、インタビューに応じていたが・・・この際、以前読んだ『アンゲラ・メルケルの東ドイツ』という本を読み直してみたい。YouTubeで在任16年での“後悔”とは…ドイツ・メルケル元首相が語る“混迷の世界”を見てみましょう。********************************************************* 図書館で『アンゲラ・メルケルの東ドイツ』という本を、手にしたのです。NHK番組「ロックが壊した冷戦の壁」を観て元ドイツ首相・メルケルを見直していたので、この本を借りたのです。【アンゲラ・メルケルの東ドイツ】川越修著、ナカニシヤ出版、2022年刊<出版社>より劣化し、崩壊していった東ドイツ社会。そこで暮らしたメルケルは何を経験したのか。「劣化する社会」のなかで、自らの信念に従って生きた人びとの思索との対話。<読む前の大使寸評>NHK番組「ロックが壊した冷戦の壁」を観て元ドイツ首相・メルケルを見直していたので、この本を借りたのです。rakutenアンゲラ・メルケルの東ドイツ「第一章 東ドイツ社会の若者たち」でメルケルの出自が述べられているので、見てみましょう。p19~22<1 テンプリーンのメルケル> アンゲラ・メルケルは、1954年7月17日、神学生であったホルスト・カスナーと教員をしていたヘルリント・カスナーの第一子として、西ドイツのハンブルグで生まれました。アンゲラは、父親がベルリンの北西にあるペルレベルク近郊のクヴィトフで牧師職に就いたため、同年秋に東ドイツに移住します。 そして1957年に父親の異動にともない、ベルリンの北150キロに位置する小都市テンプリーンに引っ越し、1973年にライプツィヒの大学に進学するまで、そこで暮らしました。<1 テンプリーンでの生活> このテンプリーンについてメルケルは、2000年の『シュテルン』誌(ドイツの代表的な週刊誌の一つ)におけるインタビューで次のように回想しています。 私は素晴らしい子供時代を経験しました。ウッカーマルクの風土は素晴らしく、私たちは森を駆け回り、ブルーベリーを摘み、きのこを集めていました。庭の一角に私の場所がありましたし、夏には毎日泳ぎに出かけていました。夕方湖で泳ぐのは素晴らしい経験でした。クリスマスの歌はこだまとなって響きました。 その様子は、5歳のころのメルケルの写真からも窺えますが、その一方でメルケル自身が回想しているように、憲法上は信教の自由が認められているものの、事実上の一党独裁体制をとっていた東ドイツにおける牧師の娘のテンプリーンでの日常生活には政治の影がつきまとっていました。まず彼女の住んでいた場所から見てみましょう。【ミュラー=フォッグ】あなたはテンプリーンにおいて、近郊のヴァルドホーフにあった教会の教育施設で生活していらっしゃいました。【メルケル】教会活動にむけた継続養成施設とシュテファヌス財団は別個の施設でした。後者は長い歴史を持っています。第二次世界大戦が終わるまでそこに精神障害者と教育困難者のための施設がありました。その施設はベーテルにおけるボーデルシュヴィングの施設の伝統を受けついでいました。 東ドイツでは、国家がまだ教育可能であるとみなした者ともはや教育は不可能だとみなした者との間に、はっきりとした一線が画されました。後者のみが教会の庇護下にとどまることを許されたのです。現にそこで仕事に就くことができたのは、障害を持った子供たちや大人たちでした。農業や庭仕事、鍛冶やその他の作業が行われていました。私はそこでいろいろな手工業的作業を少し身に着けました。また私は特に成人した障碍者たちとたえず接触していました。このインタビューはこの後も延々と続くのですが、以降省略させてもらいます。ところで、メルケル首相退任式のエピソードが興味深いので、ネットから以下のとおり紹介します。『ドイツのメルケル首相 退任式で送別曲にニーナ・ハーゲン「カラーフィルムを忘れたのね」を選ぶ』2021/12/03よりドイツの首都ベルリンで12月2日、16年間にわたってドイツを率いたアンゲラ・メルケル首相の退任式が行われました。送別の曲としてメルケル首相が選んだ曲のひとつは、ドイツのパンク&ニュー・ウェイヴのアイコン、ニーナ・ハーゲン(Nina Hagen)の1974年のヒット曲「Du hast den Farbfilm vergessen(邦題:カラーフィルムを忘れたのね)」でした。式典では軍楽隊によって演奏されています。メルケル首相は、この選曲について聞かれると「この曲は自分の青春時代のハイライトだった」と語り、「この曲は東ドイツで生まれたもので、かつて私の選挙区だった地域では今でも流れている。だからすべてが今日に合っている」と付け加えています。『アンゲラ・メルケルの東ドイツ』2メルケルの出自『アンゲラ・メルケルの東ドイツ』1はじめに
2025.06.02
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カミユの『ペスト』に描かれたように、パンデミックは文学のひとつのジャンルといえるほどであるので・・・この際『禍いの大衆文化』という本を読み直してみたい。********************************************************* 図書館で『禍いの大衆文化』という本を、手にしたのです。いまのところコロナ禍は小康状態であり、ニッポンはウィズコロナを目指して折り合いをつけようとしているが・・・この本にも、その「禍い」にどう折り合ってきたかという歴史が述べられているようです。【禍いの大衆文化】小松和彦著、KADOKAWA、2021年刊<「BOOK」データベース>より「禍い」に襲われた人々は、様々な文学・絵画・芸能・信仰を生み出してきた。その多くは娯楽の側面も持ち、世相を反映しながら、時代や地域に根付いていく。過去・現在の民衆の心性を解き明かす、研究プロジェクトの第2弾!<読む前の大使寸評>いまのところコロナ禍は小康状態であり、ニッポンはウィズコロナを目指して折り合いをつけようとしているが・・・この本にも、その「禍い」にどう折り合ってきたかという歴史が述べられているようです。rakuten禍いの大衆文化「第8章 近代、サイの目、疫病経験」で近代の疫病経験を、見てみましょう。p285~287<「伝染病」の誕生> 幕末から明治にかけて、疫病は、ひとつの転機を迎えた。疫病がどのように生じるかという理解の仕方が、この時期、更新されたのである。 集団を襲う病としての疫病は、古来、さまざまな原因にむすびつけられ理解されてきた。あるときは神罰。仏罰として、またあるときは国政の不調の結果や、非業の死をとげた貴人の怨恨(御霊)のしわざとして語られた。 明治期まで多くの子どもらを死地に追いやった疱瘡(のちにいう天然痘)の場合、疱瘡神という特異な形象とむすびつけられた。疱瘡への罹患は、疱瘡神の来訪ととらえられ、人びとは患者が軽く安々と回復するよう疱瘡神を饗応した。疫病は、身体に発する現象とは考えられておらず、下界の出来事に呼応して身体に生ずる現象ととらえられていたのだった。 そうした疫病への理解が、短期間のうちに更新されたのが、いまいう幕末から明治にかけての数十年の次期である。日本列島では19世紀初頭より、それまで経験したことのない疫病が流行するようになっていた。長崎に1817(文化14)年に現れた「神経疫」(腸チフスか)や、西日本を中心に1822(文政5)年に流行した「ころり」(コレラ)などが、それである。 その過酷な病状をみて、一部の医師らは、病因を解明し治療法を探るべく、西洋の医学書の翻訳に励んだ。そして、身体を内外から害する「毒」という病因論に替え、物理的な病原物質が病を「伝染」させるという病因論に着目するようになったのである。 疫病を、外界の何者かによる身体の集合的な侵襲とみるか、病原物質の伝播に起因する病の集団的発症とみるかは、非常に大きな転換である。幕末期には、まずは西洋近代医学を研究する医師が、つづいて為政者が、後者へと疫病の理解を切り替えていった。 病が病原物質の「伝染」により発症するのであれば、その経路を断ち切るとともに、発症を未然に防ぐ措置をとらねばならない。西洋流の環境改善策や海港検疫が日本にも紹介され、種痘(天然痘の予防接種)が積極的に推奨されるようになった。 かくて、肥前瘡など一部の皮膚病の説明に用いられていた「伝染」という概念は、維新前後に急激に変容する。コレラを筆頭に、病原物質の物理的な拡散により集団的に重篤な症状をひき起こさせる病が「伝染病」として国家にマークされ、その予防を掲げる法制度がしだいに構築されてゆく。疫病は近代にいたり、日常から徹底して排除すべきであり、また排除可能な病の集合へと変貌したのだった。<「衛生双六」にみる明治期の疫病> では、明治期の疫病、すなわち「伝染病」は、日常世界にどのように現れ、いかに排除すべきよう説かれたか。本章では、「衛生」をテーマに明治期に制作された三点の絵双六から、その様相を探ってみたい。道中双六 いま「絵双六」というのは、日本に15世紀後半になり現れた卓上競技である。歴史的に先行する「盤双六」と同様に、競技者が順にサイコロを振り、いかに早く駒を「振出」から「上り」まで進められるかを競う。投書、極楽浄土を「上り」とする「浄土双六」として登場したものが、時代とともに種類を増やしていった。 全盛期には、発達した木版印刷技術のもと、色鮮やかな絵双六も作成されるようになった。また、駒の進め方にも工夫がみられた。従来型の「浄土双六」や「道中双六」のように、決められた道順をサイコロの目の数だけ進んでゆく「廻り双六」とは別に指定されたサイコロの目にしたがって特定のマス目へと飛ぶ「飛び双六」も編みだされたのだった。 さて、本章で以下にみる「衛生」がテーマの絵双六は、いずれも「振出」から何度も病を経験しつつ「上り」へと至る飛び双六である。飛び双六の面白さは、一葉の紙の上に、多種多様な物語が展開される点にあろう。衛生双六もまた例外ではなく、サイコロの一投一投によって、「上り」までの道筋がころころと変化する。疫病に「伝染」したのち、「伝染病院」に飛んで収容されるか、「迷信」に走るか、「売薬」に頼るかによって、健康・長寿を得るか「死亡」に導かれるか、運命が分かたれるのである。『禍いの大衆文化』3:近代の疫病経験『禍いの大衆文化』2:予言獣としてのアマビエ『禍いの大衆文化』1:コレラの妖怪********************************************************* ■2021.11.10『禍いの大衆文化』3https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202111100000/
2025.06.01
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