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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「手当たり次第」でしょうか♪<市立図書館>・行った気になる世界遺産・漂砂の塔・音声と写真でよみがえる昭和 戦前編 ・山と獣と肉と皮 <大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【行った気になる世界遺産】鈴木亮平著、ワニブックス 、2020年刊<出版社>よりはじめての旅行記、書きました。行ってないけど。--- 世界遺産に詳しいことでも知られる俳優・鈴木亮平が、熱い想いをめぐらせながら自ら絵・挿絵を描き下ろし、妄想爆発で文章も全て書き下ろした前代未聞の<旅行記>が完成!この本を見て読むだけで、世界遺産を旅した気分になれる夢のような1冊。これを機会に、いままで知らなかった<人類共通の宝物>の数々を、鈴木亮平とともに味わってみませんか? <読む前の大使寸評>追って記入rakuten行った気になる世界遺産 【漂砂の塔】 大沢在昌著、光文社、2020年刊<「BOOK」データベース>より2022年、雪と氷に閉ざされた北方領土の離島オロボ島、和名春勇留島では、日中露の三ヵ国の合併会社がレアアースを採掘していた。島の海岸で無残な日本人技術者の死体が発見される。警視庁組織犯罪対策第二課の石上が、ロシア語と中国語が堪能だというだけの理由で、捜査権なし、武器なしで島に潜入捜査に入る。閉鎖された孤島にたったひとりで、石上はどうやって事件に立ち向かうのか?生きて島を出られるのか!?<読む前の大使寸評>追って記入rakuten漂砂の塔【音声と写真でよみがえる昭和 戦前編】保坂正康著、NHK出版、2025年刊<「BOOK」データベース>よりあの時代には、飢餓、戦争、敗戦、占領、貧しさ…そして豊かさがあった。読んで、見て、聴いて、昭和の全歴史を味わう!NHKに残る貴重な音声をQRコードで聴きながら読む!目と耳で「昭和の全歴史を追体験する」驚きのシリーズ第1弾。 <読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/10予約、副本1、予約1)>rakuten音声と写真でよみがえる昭和 戦前編 【山と獣と肉と皮】繁延 あづさ著、亜紀書房 、2020年刊<「BOOK」データベース>より写真家にして、一人の母親が撮り、料理してきた獣たちの「死と再生」のドキュメント。罠を掛け、犬を放って、銃で撃つ。自然の命を殺して、食べて、生きていくー長崎と佐賀の里山で狩猟者と過ごした時間、獣の死と皮革にまつわる「穢れ」の考察、そして、野生肉をめぐる思索と料理の記録。 <読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/21予約、副本?、予約11)>rakuten山と獣と肉と皮
2025.10.31
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・宙かける教室(12/28予約、副本1、予約388)現在59位・麻田雅文『日ソ戦争』(1/16予約、副本?、予約124)現在16位・天気でよみとく名画(3/22予約、副本?、予約29)現在9位・潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う(6/20予約、副本?、予約153)現在106位3・3ヵ月でマスターする江戸時代(7/04予約、副本1、予約10)現在4位・王谷晶『ババヤガの夜』(8/01予約、副本?、予約47)現在19位・エマニュエル・トッド『西洋の敗北』(8/01予約、副本14、予約288)現在213位・「国境なき医師団」をそれでも見に行く(8/21予約、副本3、予約21)現在10位・新川帆立『女の国会』(9/04予約、副本?、予約?)現在224位 ・関川夏央『昭和的』(9/26予約、副本?、予約?)現在19位 ・『介護未満の父に起きたこと』(10/2予約、副本3、予約142)現在132位 ・十五年戦争小史(10/16予約、副本?、予約?) 現在27位 ・竹内幸恵『広告の昭和』(10/21予約、副本?、予約11) 現在11位 ・山と獣と肉と皮(10/28予約、、副本1、予約0) <カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』<予約候補>・テレビプロデューサーひそひそ日記・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・伊予原新『藍を継ぐ海』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・九段理恵『東京都道場塔』:図書館未収蔵・外山滋比古『思考の整理学』・ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』・街道をゆく「モンゴル紀行」「南蛮のみち」・畑正憲『どんべえ物語』:図書館未収蔵・ヤマザキマリ『水木しげる厳選集 異』:図書館未収蔵・書いてはいけない日本経済墜落の真相:図書館未収蔵・金水敏『よくわかる日本語学』・大友克洋「童夢」・クロード・ルブラン『山田洋次が見てきた日本』・和田秀樹『70歳が老化の分かれ道』 <予約分受取:6/12以降> ・白人になれない白人たち(4/05予約、6/12受取)・森永卓郎『身辺整理』(11/20予約、6/12受取)・原爆裁判(9/11予約、6/19受取)・闇の中国語入門(4/13予約、6/19受取) ・官僚国家 日本の闇(10/28予約、7/03受取)・猫社会学、はじめます(12/17予約、7/20受取) ・金原ひとみ「ナチュラルボーンチキン」(12/03予約、7/31受取)・就職氷河期世代(2/02予約、7/31受取)・音声と写真でよみがえる昭和 戦前編(9/10予約、10/30受取)・山と獣と肉と皮(10/28予約、10/30受取) **********************************************************************【宙わたる教室】 伊与原新著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>より東京・新宿にある都立高校の定時制に集った、さまざまな事情を抱えた生徒たち。彼らは「科学部」を結成し、「火星のクレーター」を再現する実験を始めた。煌々と明かりが灯った夜の教室で、小さな奇跡が起きるー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/28予約、副本1、予約388)>rakuten宙わたる教室【日ソ戦争】 麻田雅文著、中央公論新社、2024年刊<「BOOK」データベース>より日ソ戦争とは、1945年8月8日から9月上旬まで満洲・朝鮮半島・南樺太・千島列島で行われた第2次世界大戦最後の全面戦争である。短期間ながら両軍の参加兵力は200万人を超え、玉音放送後に戦闘が始まる地域もあり、戦後を見据えた戦争だった。これまでソ連の中立条約破棄、非人道的な戦闘など断片的には知られてきたが、本書は新史料を駆使し、米国のソ連への参戦要請から各地での戦闘の実態、終戦までの全貌を描く。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/16予約、副本?、予約124)>rakuten日ソ戦争【天気でよみとく名画】長谷部愛著、中央公論新社、2024年刊<出版社>より「悪魔」の正体は局地風(ゴッホ“星月夜”)、描かれた雲から降水確率もわかる(フェルメール“デルフト眺望”)、天気の表現でわかる作家の出身地などなど、古今東西の名画やマンガを天気という視点で見直すと、意外な発見に満ちている。画家たちの観察眼は気象予報士よりも凄いかも!?さらに、同じ地域でも時代の異なる作品を比較することで、温暖化などの変化に気づくことだってできる。現役気象予報士による美大の人気講義を再現。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(3/22予約、副本?、予約29)>rakuten天気でよみとく名画【潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う】 舛友雄大著、東洋経済新報社、2025年間<「BOOK」データベース>より「潤」は、最近中国で流行っている言葉で、さまざまな理由からより良い暮らしを求めて中国を脱出する人々を指す。もともと「儲ける」という意味だが、中国語のローマ字表記であるピンインでRunと書くことから、英語の「run(逃げる)」とダブルミーニングになっている。「潤日」コミュニティー、多くの日本人が知らぬ間に、中国や日本、そして世界の変化に応じる形で急速に存在感を増しつつある。この全く新しいタイプの中国人移民たちをつぶさに訪ねて耳を傾けると、その新規性や奥深さを痛切に感じるとともに、日本の政治、経済、社会に見逃せないほどの大きなインパクトをもたらしつつある現状が見えてきた。 <読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(6/20予約、副本?、予約159)>rakuten潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う【3ヵ月でマスターする江戸時代】野島博之、牧原成征、他著、NHK出版、2024年刊<出版社>より知っているようで知らない”江戸時代”を、わかりやすく解説2024年4月に始まった教養番組「3か月でマスターする」。「世界史」、「数学」、「ピアノ」に続く第4弾は、「江戸時代」。この時代、現代につながる文化や学問、経済、政治の仕組みなどが生まれ、発展し、江戸は世界の大都市に成長。まさに、日本の歴史の転換点といえる。江戸時代を学ぶことは日本を学ぶこと。歴史感覚を取り戻し、養うのは、今後日本がどのような進路をたどるのかを知ることにつながる。 <読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(7/04予約、副本1、予約10)>rakuten3ヵ月でマスターする江戸時代(中略)【西洋の敗北】エマニュエル・トッド著、文藝春秋、2024年刊<「BOOK」データベース>よりロシアの計算によれば、そう遠くないある日、ウクライナ軍はキエフ(キーウ)政権とともに崩壊する。戦争は“世界のリアル”を暴く試金石で、すでに数々の「真実」を明らかにしている。勝利は確実でも五年以内に決着を迫られるロシア、戦争自体が存在理由となったウクライナ、反露感情と独経済に支配される東欧と例外のハンガリー、対米自立を失った欧州、国家崩壊の先頭を行く英国、フェミニズムが好戦主義を生んだ北欧、知性もモラルも欠いた学歴だけのギャングが外交・軍事を司り、モノでなくドルだけを生産する米国、ロシアの勝利を望む「その他の世界」…「いま何が起きているのか」、この一冊でわかる! <読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/01予約、副本14、予約288)>rakuten西洋の敗北 【「国境なき医師団」をそれでも見に行く】いとうせいこう著、 講談社 、2025年刊<「BOOK」データベース>より世界最大の難民キャンプで、作家が出会った「もう一つの戦争」。希望なき世界でたたかう仲間たちを描く、大反響ルポルタージュ!【目次】序章 戦争について/第1章 ロヒンギャ難民キャンプへ/第2章 武装したギャングスタの暗躍/第3章 世界のマイナスが詰まったキャンプ/第4章 高潔で若い人々/第5章 井戸工事とキャンプ最大の病院/第6章 故郷を失った者たちは歌う/「国境なき医師団」インタビュー「故郷を失った人たちの声を聞く」/藤原辰史さんに聞く「歴史の傷と向き合うために」<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/21予約、副本3、予約23)>rakuten「国境なき医師団」をそれでも見に行く 【女の国会】新川帆立著、幻冬舎 、2024年刊<「BOOK」データベース>より野党第一党の高月馨は窮地に追い込まれた。敵対関係にありつつも、ある法案については共闘関係にあった与党議員・朝沼侑子が自殺したのだ。「自分の派閥のトップも説得できていなかったの?法案を通すつもり、本当にあったの?」死の前日の朝沼への叱責が彼女を追い詰めたのではないかと批判が集まり、謝罪と国対副委員長の辞任を迫られてしまう。だが、長年ライバル関係を築いてきた高月には朝沼の死がどうも解せない。朝沼の婚約者で政界のプリンス・三好顕太郎に直談判し、共に死の真相を調べることにー。 <読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/04予約、副本?、予約?)>rakuten女の国会 【昭和的】.webp画像につき開示できず関川夏央著、春陽堂書店、2025年刊<「BOOK」データベース>より時は過ぎた。「昭和的センス」から逃れられない、時代遅れの著者のささやかな抵抗。辛口にして味わい深い珠玉のエッセイ集。【目次】第一章(山田風太郎の長寿祝い/ヤクザ映画と三島由紀夫/『まんだら屋の良太』回想 ほか)/第二章(『天国と地獄』の撮影/世界人口が二十億人だった頃/「猫の手」たちの一九七〇年代 ほか)/第三章(『秋刀魚の味』に映されたプロ野球/人生はジュークボックス/「火星土地分譲予約受付証」 ほか)<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/26予約、副本?、予約?)>rakuten昭和的【十五年戦争小史】江口圭一著、筑摩書房、2020年刊<出版社>より戦争は、誰によっておこされ、どのように展開したか 。本書では、1931年の柳条湖事件の謀略に始まり、45年ポツダム宣言受諾と降伏文書調印によって終わった一連の戦争を「十五年戦争」と呼び、その曲折に満ちた過程と全体像を克明に描く。 <読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/16予約、副本?、予約?)>chikumashobo十五年戦争小史 【広告の昭和】竹内幸恵著、青土社、2025年刊<「BOOK」データベース>より60秒に凝縮された、知られざる白熱の群像劇。図版多数。戦前、国家メディア戦略に加担した「動く広告」。それは戦後になって一転、新しいメディアであるテレビに舞台をうつし、昭和の前衛を牛耳ると同時に“普通の人々”の心をも掴んでいく。制作したのは時代を先駆けるランナーたち…かれらは広告だからこそ、既成のもとにとらわれない冒険ができた。広告の視座から激動の昭和を問い直す、唯一無二の試み。 <読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/21予約、副本?、予約11)>rakuten広告の昭和【山と獣と肉と皮】繁延 あづさ著、亜紀書房 、2020年刊<「BOOK」データベース>より写真家にして、一人の母親が撮り、料理してきた獣たちの「死と再生」のドキュメント。罠を掛け、犬を放って、銃で撃つ。自然の命を殺して、食べて、生きていくー長崎と佐賀の里山で狩猟者と過ごした時間、獣の死と皮革にまつわる「穢れ」の考察、そして、野生肉をめぐる思索と料理の記録。 <読む前の大使寸評>追って記入 <図書館予約:(10/21予約、副本?、予約11)>rakuten山と獣と肉と皮 図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・デジタル朝日「好書好日」でめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2025.10.31
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7年前発刊の『定年後の知的生産術 』という新書であるが・・・内容はやや古いが、なお興味深いので復刻してみよう♪ *********************************************************本屋の店頭で『定年後の知的生産術』という新書を、手にしたのです。クリエイティブ・シニアを応援する一冊ってか・・・ええなあ♪本は図書館で借りるものとなってしまった大使にとって、新刊本を購入するのは久しぶりのことでおます♪【定年後の知的生産術】谷岡一郎著、筑摩書房、2018年刊<「BOOK」データベース>より定年退職後こそ、クリエイティブに、好きな研究、夢や目標に向かって打ち込むチャンスである。これまでの仕事や人生で得た経験が、意外な組み合わせによる新しい発想や、本質を見抜く眼力に通じる。時間的・金銭的な余裕が比較的あることは、シニア世代の大きなアドバンテージである。本書は定年後のクリエイティブ・シニアを応援する一冊。<読む前の大使寸評>クリエイティブ・シニアを応援する一冊ってか・・・ええなあ♪本は図書館で借りるものとなってしまった大使にとって、新刊本を購入するのは久しぶりのことでおます♪rakuten定年後の知的生産術著作にむけたノートを、見てみましょう。まさしく創作ハウツーと言うべきか。p153~155■著作にむけたノートの作り方 いきなり書き始めて、本が1冊書けるなどということは、あまりない。我々研究者・学者の世界でも、一定のトピックに関し、いくつかの論文が積み重なったとき、それらを整合的にまとめて(つまり何年もかけて)1冊の著書として刊行することが多い。ましてやアマチュア研究者におおいて、いきなり1冊の本というのは、不可能でないにしても、かなり困難なことだと思われる。アイデアをまとめるまでのノートの使用法をお伝えしよう。 まず大きなテーマを決定する前に、いくつかの関連するメイン・トピックや小さめのサブ・トピックにつき、まとめることから考える方が近道であろう。 もし書きたいトピックがすでに頭にあれば、そのトピックごとにノート1冊を割り当てても良い。ノートの表紙には、そのトピック名と日付をマジック・インキなどでわかりやすく書いておくとよいだろう。 表紙に書くトピック名は、最終的に論文形式やエッセーにまとめるときの題名であるとは限らない。筆者などは、題名を最後に書き直すことが頻繁にあるが、あとで決めてもよいのである。極論すれば表紙には内容を表すキーワードだけでよい、と考えてもらいたい。 ノートには何を書いてもよい。あとで見たときに何を考えていたのかがわかれば、それで事足りるのであるから、こちらも文章でなくキーワードの羅列でも充分役に立つ。適宜、参考記事や本のページのコピーなどを貼り付けてもよい。 単なる思いつきのトピックのノートを作ると、残念ながら無駄になることもある。と言うより、過半は無駄になるものと考えるべきである。「余ったページの使い道に困る」という点は認めざるを得ないが、完全に不用になったとわかるまでは、無駄に見えても置いておくほうがよい。実はそのノートがあとで役に立つことはよくある。 トピックの合併などにより、あるノートが完全に不用になったケースでは、その表紙のキーワードを消し、新たなトピックを与えてやればよい。そのときは新しいトピックをこれまでのキーワードより目立つ色や太さの油性マジックで書くことである。■ノートの冒頭数ページは 筆者が実行しているノートの使い方を説明しておこう。参考にしてもらえば充分で、必ずしもそのとおりやってもらう必要はない。 ノートの表紙を開いた1ページは、白紙のまま残しておき、のちに重要なメモや変更があるときに限って使用する。次の見開き2ページは、それこそ思いついたことを何でもメモする。いわゆる「ブレイン・ストーミング」をひとりでするページ。ただし文章ではなく、キーワードなどにする。(追って記入予定)『定年後の知的生産術』5:ネット情報のコピペについて『定年後の知的生産術』4:情報を捨てる能力『定年後の知的生産術』3:アイデア満載のクール・ジャパン『定年後の知的生産術』2:パワフルな団塊の世代『定年後の知的生産術』1:クリア・ファイル活用術*********************************************************■2018.05.23『定年後の知的生産術』6https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201805230002/
2025.10.30
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常日頃、ネパール人が作るインドカレーを愛顧しているのだが・・・ここで一歩踏み込んで香辛料貿易が載っている『「香辛料貿易」をめぐる戦い』という本を、読み直してみようと思うのです♪********************************************************* 「香辛料貿易」をめぐる戦いが、ポルトガル、スペイン、オランダ、フランス、イギリスなどの間で繰り広げられたが、その経済的背景には、香辛料貿易が運送が容易な割に利益が大きいという事情があったのです。・・・そのあたりの状況について、ネットを覗いてみました。ハイパー世界史用語集「香辛料」より インド、東南アジアが産地の、西欧の食生活で不可欠とされた産物。インド洋交易圏・東方貿易の主要な交易品であり、特に大航海時代以降の香辛料貿易は活発に行われた。 広い意味で香料ということもあるが、厳密には香辛料(スパイス)は口に入れて刺激を味わうもので、胡椒・丁字・肉桂(シナモン)・ナツメグ(肉ずく)・カルダモン・ジンジャーなどがある。それに対して狭い意味の香料は、香りを楽しむもので、乳香や白檀などであるが、これも東南アジアの特産であった。 これら香辛料類は育成に気候の適したインド、東南アジアの特産のものであったのでインド洋交易圏の主要な交易品であったことが『エリュトゥラー海案内記』などからもうかがえる。さらにムスリム商人によって紅海を経て地中海に運ばれ、レヴァント貿易(東方貿易)で主としてヴェネツィアの商人によってヨーロッパにもたらされ、肉食文化の中で需要が高まり、高額で取引された。一方、香辛料は南シナ海を経て中国にも運ばれていた。 15世紀に入り、オスマン帝国の地中海への進出によってレヴァント貿易が困難になると、香辛料を求めて直接アジアに進出しようとしたポルトガルによってアフリカ南端を廻るインド航路が開発され、ヨーロッパとの間の直接的な香辛料貿易が始まった。つづいてスペインやオランダ、フランス、イギリスなどが香辛料貿易に乗り出し、香辛料はさらに重要な交易品となった。 しかし、インドにおいてはイギリスの覇権が確立する過程で、イギリス東インド会社の扱うインドからの輸出は綿花や茶が主力となっていき、香辛料貿易はインドネシアに進出し、オランダ領東インドを植民地支配したオランダが主導権を握ることとなる。■香辛料の種類と産地 注意しなければならないのは、香辛料と言ってもその種類が多く、また種類ごとに産地が違うと言うことである。またその多くは現在でも産地の風土が限定されるためか、特定の土地に限られることが多い。胡椒は最も広く見られ、インドのマラバール海岸(カリカット、コチンなど)、東南アジアのスマトラ島などが有名であった。肉桂(シナモン)はセイロン島(スリランカ)の特産であった。丁字(クローブ)はモルッカ諸島のテルナテ、ティドーレなど5つの島でしか産出しなかった。肉ズク(ナツメグ)はモルッカ諸島の南のバンダ諸島でしか産出しなかった。 特に丁字・肉ずくの特産は香料諸島と言われ、16~17世紀にはポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスが激しくその利権を巡って争うことになる。■香辛料の需要 ヨーロッパでは12世紀頃から、牧草の枯れる冬の前に家畜を屠殺して保存し、食料とする肉食が一般化したが、塩漬けにされた肉を食べるには、胡椒などの香辛料でにおいを消さなければならなかったため、その需要が急速にのびた。つまり、肉の味付けと保存のために胡椒などの香辛料が必要であったので、特に上流社会で次第に多量に用いられるようになった。そしてこの香辛料貿易は、運送が容易な割に利益が大きかったので、貿易商人達は競ってその輸入を行った。「香辛料貿易」をめぐる戦いとしては、以下の本が興味深いのです。『カレーの世界史』1『東インド会社とアジアの海賊』4:オランダ東インド会社の登場『スパイス戦争』3:日本人海賊の登場運送が容易な割に利益が大きいと言えば、イギリス―清国間のアヘン貿易が酷かったようです。
2025.10.29
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絵本作家ショーン・タンの『遠い町から来た話』という本がええでえ♪・・・というわけで、以下のとおり再度復刻して読み直してみます。*********************************************************絵本作家ショーン・タンの出自、作品はわたしのツボでもあるわけで・・・折につけ見てみたいので以下のとおり復刻してみます。*********************************************************図書館で『遠い町から来た話』を手にしたが・・・・このなかの絵が、SFタッチでええんやな~♪描かれた絵にディアスポラの不安感が見えるのだが・・・もしかして、移民という著者の境遇が影響しているのかも。この本を借りるのは2度目であるが今回は「訳者あとがき」を追加したのです。【遠い町から来た話】ショーン・タン著、河出書房新社、2011年刊<「BOOK」データベース>より町のはずれに住んでいた水牛のこと、覚えている?誰にも愛されなかった物からペットを手作りすることや結婚までのとても危険な道のりの話、それから異次元からのちっちゃな交換留学生のことー。【著者情報】タン,ショーン(Tan,Shaun) 1974年オーストラリア生まれ。幼い頃から絵を描くことが得意で、学生時代にはSF雑誌で活躍。西オーストラリア大学では美術と英文学を修める。 これまでに発表したいずれの作品も卓越した内容と表現で評価が高く、オーストラリア児童図書賞など数々の賞を受賞。作品は世界中で翻訳出版されている。現代を代表する新進気鋭のイラストレーター、絵本作家として活躍する一方、舞台監督、映画のコンセプトアーティストとして活動の場を拡げている<大使寸評>この絵本に描かれた絵に、ディアスポラの不安感が表れているのです。もしかして、移民という著者の境遇が影響しているのかも。この絵本の装丁が素晴らしいが、オーストラリア版と河出書房新社版でどう違っているのだろうか?それから・・・「ショーン・タン公式サイト」を見てみると、クロスメディアのアーティストなんですね♪2011年には、The Lost Thingでアカデミー賞短篇アニメーション賞を受賞したんだそうです。rakuten遠い町から来た話ショーン・タン公式サイト「訳者あとがき」に、ショーン・タンの経歴や日本人潜水夫(表紙のイラスト)の逸話が載っているので見てみましょう。<訳者あとがき:岸本佐知子>より 『遠い町から来た話』は、オーストラリアのイラストレーター/作家、ショーン・タンが2008年に発表した短篇集/絵本だ。絵と文章を両方を手がけた本としては5作め。文字のないグラフィック・ノベル『アライバル』に続く、彼の最新作である。 ショーン・タンは1974年、西オーストラリアの都市、パース北部の郊外の町に生まれた。父は中国系マレーシア人、母はアイルランド-イギリス系の移民3世で、建築を学ぶためにマレーシアからオーストラリアにやって来た父が、画材店で働いていた母と出合って結婚し、男の子を二人もうけた。その弟のほうがショーンである。 子供のころから絵の才能を発揮するいっぽう、SFやファンタジーを耽読し、西オーストラリア大学で美術と英文学を学んだあと、イラストレーターとして本格的に活動を始めた。以後、世界幻想文学大賞(2009年)、ヒューゴー賞(2010年)、「児童文学界のノーベル賞」と言われるアストリッド・リンドグレーン記念文学賞(2011年)など数々の賞に輝き、同名の絵本をアニメーション化したショートフィルムThe Lost Thingsは、2011年度のアカデミー賞短篇アニメ賞を受賞した。 『遠い町から来た話』の原題は、Tales from Outer Suburbia。“アウター・サバービア”とは、大きな都市の周縁に位置する、まだ自然の多く残った郊外の町を指す。パース(彼いわく「世界一ぽつねんとした州都」)郊外の、スーパーに行くにも学校に行くにも野原を突っ切っていくような町に生まれ育った作者にとって“アウター・サバービア”とは、平凡でありながらどこか非現実的な場所、おとぎ話に出てくる「森」のような、異界の入口のようなものだという。 そして、その二つ(日常と非日常、こちら側の世界とあちら側の世界)を一つに融け合わせたいという要求から生れたのが、この『遠い町から来た話』なのだと語っている。(「壊れたおもちゃ」より) ここに収められた物語は、どれもスケッチブックに残された何気ないスケッチやいたずら書きから生み出された。たとえば、旧式の潜水服を着て街角のデリに入っていこうとする人物の絵。そこから「彼はなぜここにいるのか?どこから来たのか?」という問いが生まれ、結果できあがったが「壊れたおもちゃ」である。(ちなみに、この物語の背景には、19世紀オーストラリアの真珠産業を支えた大勢の日本人潜水夫たちの悲話がある。彼らの多くが潜水病で命を落とし、西海岸のかつての真珠町には、そうした日本人潜水夫の墓が今も多数残されているという) そんな“お話の種”ともいうべき、いたずら書きのほんの一例を、この本の見返しに見ることができる。一つひとつ眺めていると、自分の中にも何やら不思議な物語が芽吹いてくるような気がしてこないだろうか。遠い町から来た話1:大陸間弾道ミサイル遠い町から来た話2:ぼくらの冒険旅行遠い町から来た話3:犬たちの葬送『ショーン・タンの世界』2*********************************************************■2024.02.08『遠い町から来た話』(復刻)https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202402080001/
2025.10.28
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宮沢賢治といえば「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」など思い出すが・・・『宮沢賢治フィールドノート 』という本を復刻して読み直してみようではないか♪*********************************************************図書館で『宮沢賢治フィールドノート』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると写真や地図が満載で・・・・ビジュアルなところが、ええでぇ♪【宮沢賢治フィールドノート】林由紀夫著、集英社、1996年刊<「MARC」データベース>より賢治さんの道を歩いてみませんか? アウトドアの先駆者から学ぶイーハトヴ低山徘徊。「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」など作品の舞台をコース・ガイド。詳細地図、写真、キャンプ場情報など満載。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると写真や地図が満載で・・・・ビジュアルなところが、ええでぇ♪amazon宮沢賢治フィールドノート物見山の「風の又三郎像」を、見てみましょう。p28~29<種山高原 物見山>モナドノックの広い野原を風が遊ぶ。ギンガギンガと牧草は輝き、夜は星が降る。 賢治さんのイーハトヴという理想郷を考えるときに、どうしても浮んでくる風景があります。僕は生まれが賢治さんと同じ岩手県花巻市ですから自然の風景の捉え方で妙に納得できるところがあるのです。 イーハトヴは実際に四国四県よりも広いですからさまざまな地形があります。そして無国籍ともいえる風景が突然あります。自分の目の届く身近な低山徘徊、そして目の視点が遥か彼方まで行ってしまう大陸的な広がり。低山徘徊を自分の足でフィールドワークし、より詳しく知り心象スケッチ。賢治さんのイーハトヴはもっとさまざまな要素があるでしょうが自然を歩くことに限って言えば僕はそんな気がします。だからイーハトヴは無国籍的な理想郷なのです。もっとも無国籍さを感じさせる風景のひとつに種山ヶ原があるわけです。 盛岡高等農林学校(岩手大)の3年に在学中、同級生ふたりと江刺郡の地質調査に来て初めて種山ヶ原を知った賢治さんは文句なしに虜になりました。 『海だべがど おら おもたればやっぱり光る山だたぢゃい ホウ 髪毛 風吹げば 鹿踊りだぢゃい』と『高原』という詩に印象をスケッチしています。海ほど広い草原と遠くに広がる山並みを見て大好きな鹿踊りのように髪を風になびかせながら小躍りして体いっぱいで喜んでいる賢治さんです。 種山ヶ原あたりを歩くには賢治さんはたくさんのフィールドガイドを残してあります。思い入れもわかるというものです。童話『種山ヶ原』、劇『種山ヶ原の夜』、詩『種山ヶ原』、そして童話『風の又三郎』などがあります。 ドボルザークの「新世界交響曲」に賢治さんは詩をつけて種山ヶ原のテーマにしているかと思えば、鹿踊りも、鬼剣舞も出てくる無国籍地帯に風と遊んでみましょう。風が集まってくる種山ヶ原を、林さんが讃えています。p35 山からも平野からも海からも風が集まってくる地形、種山ヶ原は遠野市、江刺市、住田町に跨って位置しています。ここからはイーハトヴ全体どこにでも行きやすいですからとにかく風と相談して旅してください。そうそうこの辺は『風野又三郎』さんも通りますから聞いてくださいな。きっとこんなふうに言いますよ。 「ふん、イーハトヴのどこからきたんだい。僕はパシフィック・オーシャンから種山に着いたばかりさ。どこが素敵か聞きたいのかい。耳を澄ましてごらんよ。風に乗って聞こえないかいあの音が『ダー、ダー、ダー、ダー、スコ、ダー、ダー』ってね」『宮沢賢治フィールドノート』3: 物見山の風の又三郎像『宮沢賢治フィールドノート』2:イギリス海岸『宮沢賢治フィールドノート』1:C・W・ニコルさん×林さんの対談*********************************************************■2018.11.18『宮沢賢治フィールドノート』3https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201811180002/
2025.10.27
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私の書き込みでは、ついコピペした記事が多いのだが、ではそのコピペと捏造とでは、どう違うのか?『コピペと捏造』 という本を以前に読んだではないか・・ということで、以下のとおり復刻してみたのです。*********************************************************図書館で『コピペと捏造』という本を、手にしたのです。どこまでコピペは許されるのか?、どうしたらパクリになるのか?・・・わりと気になるので、この本を借りたのです。【コピペと捏造】時実象一著、樹村房、2016年刊<「BOOK」データベース>より【目次】序 どこまで許されるのか(パクリと創造の境界/パクリとパロディ、オマージュの違い ほか)/第1部 あらゆる分野にはびこるコピペとパクリ(歴史上に見られる盗用/小説に見られる盗用のパターン ほか)/第2部 バレないと困るパロディの世界(裁判になったパロディ事件/贋作もあるデザインのパロディ ほか)/第3部 怪しい捏造と改竄(結論ありきのテレビの捏造/ドキュメンタリーの捏造と真実の境界 ほか)/おわりに 厳しいだけではない寛容さを求めて(病理としてのコピペと捏造/むずかしいノンフィクションにおける判断 ほか)<読む前の大使寸評>どこまでコピペは許されるのか?、どうしたらパクリになるのか?・・・わりと気になるので、この本を借りたのです。rakutenコピペと捏造大使も日記によくコピペさせてもらっているウィキペディアについて、見てみましょう。<コピペの対象ウィキペディアについて>p89~96 筆者が学生のころ、ゼロックスのコピーは1枚25円でした。当時は大学卒の初任給がやっと3万円になったころですから、今なら250円以上ということになります。それまではコピーといえば、リコピーと呼ばれた湿式ジアゾ複写機(青焼き)で、しばらくすると色があせて読めなくなるものでした。したがって、ゼロックス式複写機は神様のように思えました。 しかし、複写機はあくまで読んだり保存したりするためのもので、パソコンがないその時代には原稿を書くときは手書きでしたから、当然コピペということばはありませんでした。 コピペということばが、パクリの意味で使われるようになったのは、インターネットが普及してからのことだと思います。とくにウィキペディアが出現してから、ネット・コピペが本格化したのではないでしょうか。ウィキペディアのコピペの例をいくつか紹介します。(中略)お詫び「大自在」で不適切な引用 静岡新聞の6月29日付朝刊一面コラム「大自在」が、インターネットの百科事典サイト、ウィキペディアの文章に極似しているという指摘を受けました。これまでの社内調査で、執筆した記者がウィキペディアを参考にし、出典を明示しないまま引用していたことが分かりました。 引用していたのは「(宮沢喜一元首相が)70年代の外務大臣在任時、旧ソ連の古強者グロムイコ外相との北方領土交渉では、のらりくらりと話をはぐらかすのに業を煮やし、恫喝して席に着かせたという伝説もある」の箇所と、サンフランシスコ講和条約50周年式典での宮沢氏のスピーチを「日米関係の21世紀への遺言」とした箇所です。 記者はこのエピソードが広く知られたことと思い込み、引用の出典を省いてしまいました。指摘を受けるまでもなく不適切な行為で、読者と関係者の皆様におわび申し上げます。 静岡新聞社 ウィキペディアのコピーは、単に盗用というだけでない問題があります。ウィキペディアの記事はほとんどが匿名記事ですから、そこに記載されていることの信頼性は担保されていません。『コピペと捏造』3 :ウィキペディアについて『コピペと捏造』2:バレないと困るパロディの世界『コピペと捏造』1:黒澤さんの映画の例*********************************************************■2018.10.14
2025.10.26
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駅弁はたいがい美味いのだが、東京の場合はコスパの良い「深川飯」」を食べてきたのです。・・・ということで、以下のとおり『ぶっかけ飯が好きでおます 』を復刻してみます♪*********************************************************大使が在職中のことですが・・・東京出張の帰りには、改札口の手前で駅弁の「深川飯」と缶ビールを買い込み、新幹線ホームに駆け込むのが常でした。(深川飯が見つからないと、横浜シューマイになったりしたが)とにかく、深川飯はコスパもいいし、うまかったでぇ♪ということで、ネットで深川飯を探していたら、次のような日記がヒットしたのです♪この日記によれば江戸時代の深川飯は浅蜊の味噌汁をかけたぶっかけ飯だったようだが・・・・これもまた、美味しそうではないか♪もともと、大使はお茶漬けとかぶっかけ飯が好きなわけで、それが最近、歯がガタガタで固いものがだめになったせいもあって、ぶっかけ飯で食いつないでいる観もあるのです。一番の好物は余りものの刺身のお茶漬け、カツオの酒盗のお茶漬け、カツオブシと塩コンブのお茶漬けあたりになります。(ちょっと貧乏くさくなったかな)まぐろぐJ日記より○深川飯=ぶっかけめし→「あさり飯」 - 江戸中期に開発が始まって、 漁師が住み着きはじめた深川にもぶっかけ飯が登場する現在の深川飯は浅蜊(あさり)をご飯に混ぜて炊く炊き込みご飯ですが、 江戸時代の深川飯は根深ねぎをざくざく入れた浅蜊の味噌汁を、 ご飯にぶっかけてじゃぶじゃぶ食べるものそのほかとろろ汁のぶっかけ飯など、 江戸のかけ飯の大半は「汁もの」です。 "かつおでだしをきかせた醤油汁を使うのがぶっかけ飯の王道"で、 味噌汁をかけるのは急場しのぎ。また、お茶漬けはぶっかけ飯とは別のものとして楽しんでいた。○ぶっかけ飯はいつものお膳- それは男たちの食い物 それも職人衆や商家の小僧などの独身男だけでなく、 貧乏長屋の所帯持ちは家でも食べました。 長屋の食卓は目刺しがあればいいほうで、普通は味噌と漬物だけ。 「味噌さえあれば飯を何杯でも食べられる」 というのが、長屋の男たちの自慢。 - 江戸っ子は気が短いから、 おかずとご飯を別々に食べるなんて、べらぼうめ。 ぶっかけ飯はおいしい。だしのきいた汁を吸ってご飯がふくらみ、 ご飯の甘みとだしの塩気が馴染んでこたえられない。ちなみに、スパゲッティで一番好きなのは、アサリ入りのボンゴレでおます。江戸っ子の早とちりは好きになれないのだが・・・アサリ入りのぶっかけ飯とかお茶漬けが好きなところはええでぇ♪*********************************************************■2017.04.04ぶっかけ飯が好きでおますhttps://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201704040001/
2025.10.25
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四季折々、時として韓国料理が食べたくなるのは何故か?・・・ということで『 食は韓国にあり 』という本を復刻して読んで見ましょう♪*********************************************************在職中には頻繁に韓国出張をこなしたので、韓国料理には思い入れが深いのです。 ・・・ということで、『食は韓国にあり』という本を、以下のとおり復刻します。***********************************************************図書館で『食は韓国にあり』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると、思いのほかカラー写真が多くビジュアルである。【食は韓国にあり】森枝卓士、朝倉敏夫著、弘文堂、1986年刊<「BOOK」データベース>より力いっぱい食べる民族の爽快かつ豪快な食の世界<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、思いのほかカラー写真が多くビジュアルである。30年ほど前の韓国料理は、如何なるものか♪amazon食は韓国にあり韓国の代表的家庭料理ということで、チゲとナムルを見てみましょう。p19~23 <チゲ> 突然におしかけて夕食となったとき、主婦が先ず、というか唯一というか作るのがチゲである。農村で畑仕事の合い間の昼食のために、畦道で作るのも、行商人が道端で冷えた御飯を混ぜて暖かい雑炊として食べるのもチゲだった。日本語では鍋ものと訳されることが多いが、食べる感覚としてはその通りでも、調理法、味的には具の多い味噌汁ではないかと思う。 そんなものだから、何度となく作るところを見ているし、教わりもしたが、代表的な作りかたはこんな具合だ。 お湯を沸騰させた鍋に細切りの肉を入れ、煮る。これでだしを取るし、具にもなる訳だ。テンヂャン、好みでコチュヂャン、すったニンニクも加え、豆腐、白菜、ズッキーニ等の具を入れ、さらに煮る。途中、あくを取り、全体に火が通ったらできあがり。このプロセスを食卓にコンロを置いてやってもいいし、台所で作ったものを運んでもいい。どちらの場合でも鍋のまま食卓の中央に置き、全員さじを突っ込んで食べる。 だしは肉ではなくイリコなどでもいい。コブだしはあったが、鰹節はないようだ。白菜ではなくキムチを加えてもいい。その場合はテンヂャンは入れなくてもいいし、入れてもほんの少しだけにする。最初のものはテンヂャン・チゲ、後者はキムチ・チゲと呼ばれる。 この二つが基本的な作りかたとしては代表的だが、具の入れかたでバリエーションはいくらでも広がっていく。テンヂャン・チゲなら、魚、蟹、貝などたっぷりと入れた海鮮風チゲも合うし、キムチ・チゲなら豚の三枚肉などふんだんに加えると旨い。何もなければ、豆腐とありあわせの野菜でも適当に使ってもいい。ま、こんな具合の料理だから大御馳走にもなるし、日々のお惣菜にもなる訳だ。 お惣菜の場合は先にも述べたように、これにキムチやナムル、辛し明太子、イカの塩辛などでも合わせたら、立派な食事になる。キムチ等買ってきて、チゲさえ作ったら「韓国料理の夕食を御馳走するから」と客を呼んで、焼肉を期待した相手が怒ろうとも、貴方は決して嘘をついたことにはならない。 そんな「御馳走」のために、ちょっとしたお惣菜の作り方も記しておこう。 キムチは後の章で詳しく述べるから、先ず、ナムル。日本の焼肉屋でもよく見かけるようになった野菜の和え物だ。ホウレン草やモヤシ、ゼンマイ等が知られているようだが、種類はもっと多い。春の七草のように日本人はよく野草を食べる民族だと自分たちでは言うが、韓国人の野草好きは日本人以上だと、『檀流クッキング』開祖の檀一雄氏が書いておられた。本当にその通りで、市場にも見たことのない野草が並んでいたりする。それがまたキムチやナムルになってしまう。 ともかく、ナムルの実例を上げよう。 大豆モヤシのナムル(コンナムル)1. 一袋分の太めのモヤシにカップ五分の一ほどの水と塩小さじ一を入れ、火にかける。蓋をしたまま中火で5分くらい煎り煮する。2. ぶつ切りにしたワケギ4,5本、つぶしたニンニク少々、ゴマ、(好みで)化学調味料、粉トウガラシ大さじ一、ゴマ油の順に入れ、火を止め、混ぜ合わせる。 他にも様々な作りかたがあるが、これはソウルの友人、鄭さんに教えてもらったものだ。一番難しいのがニンニクの入れ具合。韓国ではたっぷりと入ったものでも、舌がニンニク不感症になっているからか、ニンニクの種類の違いで癖が強くないのか、どうもはっきりしないが、とにかく気にならないのだが、日本でこの料理に入れ過ぎると、食べられたものではない。微妙に入れているな、という程度で止めておいた方がいい。トウガラシは家によっては全く入れない。好みだから、入れずに試して、後で少しづつ加えて比べてみればいい。韓国出張では社員食堂のチゲをいやというほど、食べさせられた大使でおます。社員食堂のチゲ『食は韓国にあり』1:キムチ作り『食は韓国にあり』2:韓国の中華料理『食は韓国にあり』3:日本式朝鮮焼肉『食は韓国にあり』4 :マッコリ・ハウス『食は韓国にあり』5 :チゲとナムル*********************************************************■2023年01月21日『食は韓国にあり』(復刻)https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202301210001/
2025.10.24
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図書館で『芸術新潮5月号(特集 やなせたかし入門)』という雑誌を、手にしたのです。NHK朝ドラ「あんぱん」が放映中で、原作を描いたやなせたかしが気になるので・・・チョイスした次第です。*********************************************************【芸術新潮5月号(特集 やなせたかし入門)】雑誌、新潮社、2025年刊<出版社>より「アンパンマン」がアニメ化され、ブレイクしたのは1988年のことだが、編集子自身はそれ以前すでに絵本のアンパンマンに親しんでいた。子育て中にもさまざまな形で手に取ったし、知ってるつもりでした、アンパンマンのこと。しかし、それは勘違いだったらしい。作者やなせたかしの人生を背景に置いて向き合うと、自分の顔を食べさせ飢えた人を救うという主人公の異様さとそれが持つ意味を改めて考えざるをえないし、無限のキャラクター造形力(アンパンマン・シリーズのキャラ数はなんと2000超)も驚きだ。<読む前の大使寸評>NHK朝ドラ「あんぱん」が放映中で、原作を描いたやなせたかしが気になるので・・・チョイスした次第です。rakuten芸術新潮5月号(特集 やなせたかし入門)この雑誌に原作者が綴った「アンパンマン誕生秘話」が載っていたので、見てみましょう。P22~23<アンパンマン誕生秘話:やなせたかし> アンパンマンを描きはじめてから約20年になる。アンパンマンの絵本がはじめて出版されたのは17年前だけれど、その前に大人の為のメルヘンとして描いた。 今では幼児のアイドルになってしまったが、ぼくはメルヘンを描くつもりでアンパンマンをつくった。 人気がでるまでに20年もかかるというのがいかにもぼくらしいところで、ぼくにはこの世界で、「スピードキング」とか「はやがきやなせ」と仲間にいわれているが、本当は非常にスピードはおそい。たえず習作をくりかえし、旧作を修正加筆して、ようやく完成させていくというタイプだ。 アンパンマンもそんな風にしてゆっくりとつくった。今でももちろん未完成で、少しずつ変化させて少しずつ修正している。 味が自慢の手打ちそばというのがあるが、ぼくもああいう感じの職人のおじさんにあこがれていて、芸術家の先生ではない。 それほど人気がなくてもいいが、良心的な味つけをして栄養もあるし、おいしいというアンパンマンにしたい。 ぼくはマンガとしてアンパンマンを描いているつもりはなくて、あくまでもメルヘン絵本なのだが、テレビアニメになってしまったので、子どもの世界ではマンガということになってしまったし、世間でもマンガとして通用している。 それはまあどうでもいいことだ。 とにかくただ理由もなく怪獣と戦ったり、なぐりあいと戦争がテーマになっているような作品は描きたくない。正義とは何かということを食品とバイキンというごく単純な図式の中でいつも追い求めている。 ストーリーを考えるのは他の人とちょっとやり方がちがっていて、ほとんど考えないといった方がいいくらいだ。 キャラクターの方を一生懸命考える。そして顔ができて身体ができて性格ができる。 次に背景を考える。山とか川とか森とか、海とか空とか・・・すると、ストーリーの方は自然にできてくる。 演劇でも映画でもキャスティングが一番大雪だ。絵本の場合はキャスティングも美術も全部独力でやるのだから、ここで失敗したらすべておしまいなので、この部分ではもう本当に汗にまみれて考える。 アンパンマンも他の絵本もすべてそんな風にしてつくった。 読者が幼児というものを血湧き肉おどるところで、幼児は権威も名声も地位もひとつとして認めなくて、気にいるか気にいらないかで決める冷酷な読者だから、作者としていちかばちかの勝負になる。 もちろん非常に疲れる。「アンパンマン、まず俺を助けてくれ!」といいたくなる。 でも仕事の面白さというのは難しいほどいい。だからぼくはヘトヘトになりながらアンパンマンを描き続けている。 ゴールのないマラソンレースをずーっと続けている。
2025.10.23
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早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?短い秋が過ぎていったが、夜間の寒さに布団をどうするか?気が付けば霜降という節季ではないか・・・温暖化が進み我が季節観は壊れてしまったぜぃ。『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。【日本のならわしとしきたり】ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は二十四節季でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon日本のならわしとしきたり小春日和この本で、霜降(そうこう)のあたりを見てみましょう。和暦p26<霜降>冬隣りの節気。木枯らし一番も吹き始める 「霜降」は、現行の暦では10月23日ころ第1日目を迎え、「立冬(11月6日ころ)」に入る前日までの期間を言う。 「霜降」に入るころは、朝晩の冷え込みが厳しくなり、暮れる時間が早まってくる。さらに早朝の散歩を楽しませてくれた露は、寒気により霜となって降り始める。この情景を『暦便覧』では、「露が陰気に結ばれて霜となりて降るゆえ也」と説明している。 「霜降」から立冬過ぎまでは、恒例の年中行事が目白押しだ。「酉の市」、「七五三」、「十三夜」、「紅葉狩り」など。 これに加えて、節気末から立冬にかけては、冬の到来を告げる「木枯らし一番」が吹き始める。 一方、陰暦10月の異称のひとつに「小春」というのがある。冬の季語にもなっている言葉だ。これは、冷気が一段と強まり、「冬隣り」の感じの気候が続くなか、晴れた日に春のように暖かい日になることがあり、ここから、「小さな春」の意味を持たせ付けられた名である。「小春日和」ともいう。同じ意味合いで「小六月」も陰暦10月の異称だ。「霜降」の期間の七十二候には、「霜始降(しも、はじめて、ふる)」霜が降り始める「霎時施(こさめ、ときどき、ふる)」小雨がしとしと降る「楓蔦黄(もみじ、つた、きばむ)」もみじや蔦が黄葉する、がある。 また西洋占星術では、「霜降」の第1日目が天蠍宮(さそり座)の始まりとなっている。ウーム 「小春日和」というのは、10月よりは、2月、3月の方がよりぴったりするんやけどなあ。二十四節季の寒露に注目(復刻)二十四節季の寒露に注目
2025.10.22
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図書館で『世界を不幸にする植民地主義国家・中国』という本を、手にしたのです。内モンゴル自治区生まれの著者が語る中国人入植者の行動とは如何なるものか知りたいので・・・チョイスした次第です。*********************************************************【世界を不幸にする植民地主義国家・中国】楊海英著、徳間書店、2020年刊<「BOOK」データベース>より香港を圧殺し、モンゴル、ウイグルなど少数民族のジェノサイドも辞さず、あからさまに自己の利益だけを追求する中国の独自の論理を、中国周辺の諸民族と日本の視点から論破する。 <読む前の大使寸評>内モンゴル自治区生まれの著者が語る中国人入植者の行動とは如何なるものか知りたいので・・・チョイスした次第です。rakuten世界を不幸にする植民地主義国家・中国「第10章 日本は中国の論理に反撃すべし」の続きを見てみましょう。P237~239<3 官制ナショナリズムの醸成方法> 沖縄県尖閣諸島をめぐる日中論争のなかで、強硬な姿勢が中国側にますます目だってきている。背景に大国意識と国家主導の官制ナショナリズムの高揚がある。私は長らく中国の少数民族を研究してきたので、マイノリテイの視点から問題の性質を考えてみたい。 まず注目したいのは、2012年夏に中国各地で起こった反日デモだ。私は当時、北京でその一部を観察した。デモに現れた毛沢東の肖像画と、二つのプラカードに中国政府と人民の歪んだナショナリズムがみごとに表れていた。それは、「モンゴルの草原を失っても釣魚島(尖閣諸島)を守ろう」と「何千万人が死んでも釣魚島を死守せよ」との内容だった。どちらも人命を軽視した譬えだが、数字は決して誇張ではない。 1950年代の大躍進政策では4000万人の餓死者が出たし、文化大革命ではおよそ5万人のモンゴル人が虐殺された。すべて毛沢東の共産党政府の主導の下で進められた結果だ。 現共産党総書記の習近平は今や盛んに「中華民族の復興」を掲げている。しかし、「中華民族」という「民族」は存在しない。華は、漢族を指す概念だ。昨年100周年を迎えた辛亥革命を主導した孫文も「駆除韃虜、回復中華」を主張していた。それは、満州族の清朝を倒し、漢族が世界の中心たる「中華」を立て直すという、漢族ナショナリズムであった。 孫文の後継者蒋介石の顧問を務めたオーウェン・ラティモアも「中国は西欧列強の植民地だが、少数民族には植民地政策を取っている。第二の帝国主義だ」と指摘していた (オーウェン・ラティモア著『満州に於ける蒙古民族』)。 少数民族に植民地支配を敷く体制は共産党には引き継がれた。漢族への同化を強制され、宗教や言葉など民俗文化を守ろうとすると「分裂主義者」として弾圧されてきた。「中華民族ナショナリズム」とは他民族を抑圧して自らの正当性を主張する漢族ナショナリズムである。 歴史的に、中華の復興は漢族の対外膨張で実現してきた。漢族は、かつてのモンゴル帝国が中華に入ったのは「侵略」と批判するが、自身が長城を超えてモンゴルの草原に侵入するのは「辺境の開拓」だとし、チベット侵攻も「解放」と美化している。近年、「中華の復興」に愛国主義教育も加わり、排他的な大国主義ナショナリズムが醸成されている。「大国中華」はモンゴル帝国の版図を継承し、「琉球回収」を夢見る。「覇権を求めない」といいながらカンボジアのポル・ポト派支援のように世界に革命を輸出し、「自衛戦争」と称してインドやソ連と国境紛争をくりかえし、ベトナムに攻めこんだ歴史を、日本人も忘れていないはずだ。 封建制度を経て資本主義に邁進するという過程を中国は経験していない。人間性を尊重するヒューマニズムも中華思想にはない。その為、市民意識が芽生えず、強権体制がずっと続いた。だから、人民も違和感なく1949年から「皇帝万歳」を「毛沢東万歳」に替えて叫んできた。専制主義に代表される中国文明の特徴は昔も現在も変わらない。 インターネットが普及しても、一般の人が公に議論をする講論は成り立っていないので、政府主導のナショナリズムは簡単に操作できる。いざ、「外敵日本」が作られRと、すぐさまデモが組織された。「中国異質論」を唱える日本人も中国人も少ないだろうが、日本も同質の国だと考える人はまずいないだろう。国交正常化が実現して40年の歳月が過ぎたのを機に、「日中友好」という標語に惑わされずに冷静に現実を見つめ直す良い機会が来ているのではなかろうか。ウーム、漢族ナショナリズムをコテンパンに論破していて、溜飲が下がるでぇ♪・・・・迫害を受けた少数民族出身者だけあって、中華批判が鋭いではないか♪
2025.10.21
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図書館で『世界を不幸にする植民地主義国家・中国』という本を、手にしたのです。内モンゴル自治区生まれの著者が語る中国人入植者の行動とは如何なるものか知りたいので・・・チョイスした次第です。*********************************************************【世界を不幸にする植民地主義国家・中国】楊海英著、徳間書店、2020年刊<「BOOK」データベース>より香港を圧殺し、モンゴル、ウイグルなど少数民族のジェノサイドも辞さず、あからさまに自己の利益だけを追求する中国の独自の論理を、中国周辺の諸民族と日本の視点から論破する。 <読む前の大使寸評>内モンゴル自治区生まれの著者が語る中国人入植者の行動とは如何なるものか知りたいので・・・チョイスした次第です。rakuten世界を不幸にする植民地主義国家・中国「第10章 日本は中国の論理に反撃すべし」から目ぼしい辺りを見てみましょう。P234~236<2 尖閣諸島問題と植民地内モンゴルの共通性> 惜しみなく提供された日本の技術と資金で中国は強くなったし、人民も過去に比べると、豊かになった。大国は更に大きい国土を開拓したいと主張し、ナショナリズムに酔いしれる人民もそれに賛同した。ここから、日中領土問題が発生したのではなかろうか。 東京都の石原慎太郎知事は日本の固有の領土である尖閣諸島を都が購入する、と宣言し、民主党政権は慌てて尖閣諸島の国有化を2012年9月11日の閣議で決定した。当然の主張と管理であるが、北京の政客や軍人たちはすぐさま「漁政」の文字が塗られた粗末な船を前よりも頻繁に日本側領海に侵入させるよう対策を取った。 また、南シナ海では中国とフィリピンが軍艦を並べて相対峙し、一触即発の状態が続いている。このような現代の「海洋上のコンフリクト」を東アジア大陸での中華植民地支配の建立過程と比べると、その根深さと本質が見えてくる。 尖閣諸島近くの東シナ海のガス田樫で、中国が単独で開発を強引に続けている。こうした独断的な資源略奪は、内モンゴル自治区など少数民族地域における中国の行動と重なって見える。 モンゴル人の私は、小さい時から草原に住んでいた。1960年代初頭の内モンゴル自治区は牧野が果てしなく広がり、ヒツジヤウマが放たれた、のどかなところだった。十数キロ離れた場所に植民してきた中国人が数家族住んでいたが、彼らはいつもモンゴル人と全く異なる行動を取っていたのが印象に残っている。 例えば、燃料である。モンゴル人は乾燥した牛糞を燃やす。冬になったら、わずかに枯れた灌木類を拾うこともある。しかし、中国人たちは季節と関係なく、手当たり次第に灌木を切っていく。しかも、必ずといっていいほどモンゴル人の居住範囲内に入りこんで伐採する。 そのような「小さな利益」を貪る中国人たちをモンゴル人は寛容に放置していたが、ふと気がつけば、自分の草原内にところどころ沙漠ができていた。降雨量の少ない北・中央アジアでは、植被を失った草原はたちまち沙漠に化してしまうので、モンゴル人は大地に鋤や鍬を入れる行為を忌み嫌う。 その為、モンゴル人は中国人を「草原に疱瘡をもたらす植民者」と呼んできた。私の経験は決して特異な事例ではない。いつの間にか、内モンゴル自治区では先住民のモンゴル人の人口がたったの400万人になり、後から入植してきた中国人は3000万人にも膨れ上がり、地位の逆転が完全に確立されたのである。 ウイグル人が住む新疆と、チベット人の故郷においても、中国人による植民地開拓のプロセスは基本的に同じである。いざ、人民解放軍が怒涛のように侵攻してきた時に、そこにはすでに無数の中国人植民者たちが内応に励んでいたのである。 中国に一方的に採掘されているガス田の樫は、日中中間ライン上に位置する。「ストロー吸引現象」により、日本側の海底地下に眠る資源も当然、吸い上げられている。中国の少数民族の政治的変遷を研究している私からすれば、わざわざモンゴル人の草原内に侵入して灌木を切り倒す植民者たちの活動とその性質が共通している。(中略) 中国の公船は連日、日本の経済水域や領海に侵入したり、日本の漁船につきまとって正常な漁を阻害したりしている。中国の植民地に転落した内モンゴルの轍を踏まない対策を、日本人は真剣に考えなければならない時期に来ている。
2025.10.20
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図書館で『フランス語 新つづり字ハンドブック』という本を、手にしたのです。かつてパリに滞在して学んだフランス語であるが、もう忘れかけているのです。特にアクセント記号なんて読めるが書けない記号であり、これではあかんということで・・・チョイスした次第です。*********************************************************【フランス語 新つづり字ハンドブック】サガズ・ミシェル 著、白水社、2018年刊<「BOOK」データベース>よりこの一冊で新しいつづりのすべてがわかる!従来のつづりとの対照表2500語掲載。 <読む前の大使寸評> アクセント記号なんて読めるが書けない記号であり、これではあかんということでおます。rakutenフランス語 新つづり字ハンドブック「第1章 新しいつづり」の冒頭あたりを見てみましょう。P11<3 従来のつづりと新しいつづりの違い>「 新しいつづり」(la nouvelle orthographe)とは、1990年に新しく修正されたつづりです。新しいつづりがどんなものであるかは容易に理解できます。1つには、規則がはっきりと示され、一貫性がありシンプルだからです。例外は多くありません。また、該当する後をリストアップしてある資料が存在することも、新しいつづりを把握しやすくしています。 一方、従来のつづり(l‛orthographe traditionnelle)は1990年以前に使われていたつづりで、もちろん現在も使用可能です。従来のつづりには多くの問題がありますが、まず気づくのはその不規則性です。本書の第3章「 従来のつづりと新しいつづりの対照表」をご覧いただければおわかりのように、従来のつづりには、つづりそのものにも性数不一致の規則にも多くの異形が存在します。これは複数の辞書がそれぞれの方針で編集を行ったためです。従来のつづりはフランス語の変遷の歴史そのものなのです。私は憶える気がしないアクセント記号(以下アクサン)なんですが、これではあかん・・・ということで以下のとおり読み進めたのです。P26~27<5 アクサン・テギュの代わりのアクサン・グラーブ>つづりを実際の発音に合わせるために、特定の語のアクサン・テギュをアクサン・グラーブに変えます。■アクサンの歴史 フランス語のアクセント記号(以下アクサン)には大きく分けて2つの働きがあります。1つは発音に関するもので、母音の発音方法をはっきり示します。たとえば、eの文字はle,cafe,apresでは発音が異なります。もう1つは、la/laのように同音異義語を区別することです。 アクサンがフランス語のつづりに登場したのは比較的最近になってからです。言葉が時代とともに変化するにつれて、ラテン語のアルファベットではフランス後の音をすべて書きあらわせないことがわかってきました。フランス語の母音のほうがラテン語の母音より数が多かったからです。こうした問題に対処するため、まずは補助文字(発音を変化させるために加えた文字)が使われました。 発音を指定するためにアクサンをはじめとする補助記号が使われるようになったのは16世紀からです。ラテン語では使われない記号が導入されたことは、フランス語にとって大きな変化でした。こうした記号は補助文字と同じ役割を果たすようになり、次第に補助文字にとって代わるようになります。 消えてしまった補助文字でよく知られているものとしては、発音されないsがあります。たとえば、escholeはecole(学校)に、estreはetre(etre動詞)となりました。 16世紀にはアクサンはかなり規則的に使われましたが、17世紀前半にはあまり使われなくなりました。現在のような形でアクサンが使われるようになったのは、18世紀末からです。
2025.10.19
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美術監督のことを、プロダクションデザイナーと言う ようだけど、では美術監督とは何をするのか?・・・ということで以下のとおり勉強してみようではないか♪ノーベル賞受賞の北川教授の口癖が「何でや~、何やねん」だったそうで、(坂口教授も含めて)さすが関西人やでぇ♪*********************************************************プロダクションデザイナーとは、何やねん?図書館で『映画美術から学ぶ「世界」のつくり方』という本を手にしたが・・・どうも美術監督のことを、プロダクションデザイナーと言うようですね。この本の「はじめに」に、プロダクションデザイナーの意味、意義が述べられています。<はじめに>よりp5 映画美術のデザインは、映画の出来栄えにとりわけ多大な影響があるにも拘わらず、そしてそれが最上級の仕事であったとしても、一般に十分理解されているとはいえない。 プロダクションデザイナーは、観客が映画に没入できるようにその映画の作品世界を創造する。そしてプロダクションデザイナーの努力がすべてうまく機能すると、私たちは映像化された作品を見たときに、それを「現実」として受け入れる。映画とは、リアルな再現性を持つ表現媒体なのだ。 観客はスクリーンを通じてさまざまな事実、たとえばそれを錆びついたごまかしのテクニックであったとしても、それらの要素を結合し、映画のなかにリアリティを認識する。 その映画的なリアリティは、プロダクションデザイナーと、彼らを中心とする美術チームの共同作業によって成し遂げられている。種田陽平のページを見てみましょう。<種田陽平>よりp225~226 国によって映画産業の実情はさまざまだが、映画言語や映画美術言語は世界共通である。映画のための絵、図面、装飾、小道具は見るだけでたちまち理解することができる。 私は美術大学で油絵科を専攻したのだが、それは画家になろうと思ったからだ。映画を見るときは、その一瞬一瞬をまるで本の中に描かれた挿絵のように私は捉える。つまり、映画美術とは、古典絵画や宗教絵画に描かれたような一場面を現実の空間につくりあげることが仕事だと考えている。絵画的な発想を映画に盛り込むところに、油絵科出身であることが生かされていると思う。 スタジオのセットを初めて経験したのは、寺山修司監督の1920年代の上海を舞台にした日仏合作映画『上海異人娼館チャイナ・ドール』(81)だった。 私は当時20歳の美大生で、舞台美術家で本作の美術を担当した合田佐和子の絵画助手を務めた。この作品は合作で、しかも国際都市である上海を舞台に設定してあったことから、必然的にさまざまな人種の人間が入り混じり、たくさんの言語が飛び交じっていた。 プロダクションデザイナーとなってからは、日本はもとより、中国、台湾、米国などで映画に参加してきた。タランティーノ監督の『キル・ビル』(03)や北京を舞台にしたキアヌ・リーブス監督『キアヌ・リーブス ファイティング・タイガー』(13)など、母国語である日本語の通じない外国の監督と仕事するときは当然、言葉の壁に突き当たる。その言葉の壁がときには映画美術の仕事に都合よく働くこともある。(中略) 私は一人の監督の変らぬ世界観を共有し生み出しながら、その監督の下でずっと働き続ける職人タイプのプロダクションデザイナーではないと自分は考えている。さまざまなジャンルの仕事に挑戦して自分のものにしたい、変化し続けたい、成長し続けたいと強く願っている。 日本の映画美術のシステムは50年代の黄金時代、たとえば黒澤明監督、小津安二郎監督、溝口賢二監督たちの時代に完成し、アメリカやヨーロッパとも異なる独自にオーガナイズされたシステムを保ち続けている。撮影所のシステムに組み込まれた日本の美術の仕事はきめ細かく、丁寧で、スケジュール管理も実にしっかりしている。日本のシステムは日本国内で有効だが、世界とのギャップがある特殊なシステムであることは間違いない。私が海外作品で仕事するときは、その国のシステムに適応しながら、日本独自の繊細さを生かすようにしている。【映画美術から学ぶ「世界」のつくり方】フィオヌラ・ハリガン著、フィルムアート社、2015年刊<「BOOK」データベース>より現代を代表する傑作映画を、美術デザインの視点から解き明かす!あの名作映画の“未公開”セットデザイン画、コンセプト・アートワーク、傑作写真を多数掲載!<読む前の大使寸評>現役プロダクションデザイナー21人が登場するが、日本からただひとり種田陽平が紹介されています。rakuten映画美術から学ぶ「世界」のつくり方この本も種田陽平の世界に収めるものとします。*********************************************************■2015.03.15プロダクションデザイナーとは、何やねん?https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201503150000/
2025.10.18
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今回借りた3冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「手当たり次第」でしょうか♪<市立図書館>・芸術新潮5月号(特集 やなせたかし入門)・フランス語 新つづり字ハンドブック・世界を不幸にする植民地主義国家・中国<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【芸術新潮5月号(特集 やなせたかし入門)】雑誌、新潮社、2025年刊<出版社>より「アンパンマン」がアニメ化され、ブレイクしたのは1988年のことだが、編集子自身はそれ以前すでに絵本のアンパンマンに親しんでいた。子育て中にもさまざまな形で手に取ったし、知ってるつもりでした、アンパンマンのこと。しかし、それは勘違いだったらしい。作者やなせたかしの人生を背景に置いて向き合うと、自分の顔を食べさせ飢えた人を救うという主人公の異様さとそれが持つ意味を改めて考えざるをえないし、無限のキャラクター造形力(アンパンマン・シリーズのキャラ数はなんと2000超)も驚きだ。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten芸術新潮5月号(特集 やなせたかし入門)【フランス語 新つづり字ハンドブック】サガズ・ミシェル 著、白水社、2018年刊<「BOOK」データベース>よりこの一冊で新しいつづりのすべてがわかる!従来のつづりとの対照表2500語掲載。 <読む前の大使寸評> 追って記入rakutenフランス語 新つづり字ハンドブック【世界を不幸にする植民地主義国家・中国】楊海英著、徳間書店、2020年刊<「BOOK」データベース>より香港を圧殺し、モンゴル、ウイグルなど少数民族のジェノサイドも辞さず、あからさまに自己の利益だけを追求する中国の独自の論理を、中国周辺の諸民族と日本の視点から論破する。 <読む前の大使寸評>追って記入rakuten世界を不幸にする植民地主義国家・中国
2025.10.17
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・宙かける教室(12/28予約、副本1、予約388)現在75位・麻田雅文『日ソ戦争』(1/16予約、副本?、予約124)現在20位・天気でよみとく名画(3/22予約、副本?、予約29)現在11位・潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う(6/20予約、副本?、予約153)現在113位・3ヵ月でマスターする江戸時代(7/04予約、副本1、予約10)現在5位・王谷晶『ババヤガの夜』(8/01予約、副本?、予約47)現在28位・エマニュエル・トッド『西洋の敗北』(8/01予約、副本14、予約288)現在223位・「国境なき医師団」をそれでも見に行く(8/21予約、副本3、予約21)現在12位・新川帆立『女の国会』(9/04予約、副本?、予約?)現在236位 ・音声と写真でよみがえる昭和 戦前編(9/10予約、副本1、予約1)現在1位・関川夏央『昭和的』(9/26予約、副本?、予約?)現在22位 ・『介護未満の父に起きたこと』(10/2予約、副本3、予約142)現在138位 ・十五年戦争小史(10/16予約、副本?、予約?)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』<予約候補>・テレビプロデューサーひそひそ日記・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・伊予原新『藍を継ぐ海』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・九段理恵『東京都道場塔』:図書館未収蔵・外山滋比古『思考の整理学』・ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』・街道をゆく「モンゴル紀行」「南蛮のみち」・畑正憲『どんべえ物語』:図書館未収蔵・ヤマザキマリ『水木しげる厳選集 異』:図書館未収蔵・書いてはいけない日本経済墜落の真相:図書館未収蔵・金水敏『よくわかる日本語学』・大友克洋「童夢」・アモリナ・キングドン『魚の耳で海を聴く』・クロード・ルブラン『山田洋次が見てきた日本』・和田秀樹『70歳が老化の分かれ道』 <予約分受取:6/12以降> ・白人になれない白人たち(4/05予約、6/12受取)・森永卓郎『身辺整理』(11/20予約、6/12受取)・原爆裁判(9/11予約、6/19受取)・闇の中国語入門(4/13予約、6/19受取) ・官僚国家 日本の闇(10/28予約、7/03受取)・猫社会学、はじめます(12/17予約、7/20受取) ・金原ひとみ「ナチュラルボーンチキン」(12/03予約、7/31受取)・就職氷河期世代(2/02予約、7/31受取)**********************************************************************【宙わたる教室】 伊与原新著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>より東京・新宿にある都立高校の定時制に集った、さまざまな事情を抱えた生徒たち。彼らは「科学部」を結成し、「火星のクレーター」を再現する実験を始めた。煌々と明かりが灯った夜の教室で、小さな奇跡が起きるー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/28予約、副本1、予約388)>rakuten宙わたる教室【日ソ戦争】 麻田雅文著、中央公論新社、2024年刊<「BOOK」データベース>より日ソ戦争とは、1945年8月8日から9月上旬まで満洲・朝鮮半島・南樺太・千島列島で行われた第2次世界大戦最後の全面戦争である。短期間ながら両軍の参加兵力は200万人を超え、玉音放送後に戦闘が始まる地域もあり、戦後を見据えた戦争だった。これまでソ連の中立条約破棄、非人道的な戦闘など断片的には知られてきたが、本書は新史料を駆使し、米国のソ連への参戦要請から各地での戦闘の実態、終戦までの全貌を描く。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/16予約、副本?、予約124)>rakuten日ソ戦争【天気でよみとく名画】長谷部愛著、中央公論新社、2024年刊<出版社>より「悪魔」の正体は局地風(ゴッホ“星月夜”)、描かれた雲から降水確率もわかる(フェルメール“デルフト眺望”)、天気の表現でわかる作家の出身地などなど、古今東西の名画やマンガを天気という視点で見直すと、意外な発見に満ちている。画家たちの観察眼は気象予報士よりも凄いかも!?さらに、同じ地域でも時代の異なる作品を比較することで、温暖化などの変化に気づくことだってできる。現役気象予報士による美大の人気講義を再現。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(3/22予約、副本?、予約29)>rakuten天気でよみとく名画【潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う】 舛友雄大著、東洋経済新報社、2025年間<「BOOK」データベース>より「潤」は、最近中国で流行っている言葉で、さまざまな理由からより良い暮らしを求めて中国を脱出する人々を指す。もともと「儲ける」という意味だが、中国語のローマ字表記であるピンインでRunと書くことから、英語の「run(逃げる)」とダブルミーニングになっている。「潤日」コミュニティー、多くの日本人が知らぬ間に、中国や日本、そして世界の変化に応じる形で急速に存在感を増しつつある。この全く新しいタイプの中国人移民たちをつぶさに訪ねて耳を傾けると、その新規性や奥深さを痛切に感じるとともに、日本の政治、経済、社会に見逃せないほどの大きなインパクトをもたらしつつある現状が見えてきた。 <読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(6/20予約、副本?、予約159)>rakuten潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う【3ヵ月でマスターする江戸時代】野島博之、牧原成征、他著、NHK出版、2024年刊<出版社>より知っているようで知らない”江戸時代”を、わかりやすく解説2024年4月に始まった教養番組「3か月でマスターする」。「世界史」、「数学」、「ピアノ」に続く第4弾は、「江戸時代」。この時代、現代につながる文化や学問、経済、政治の仕組みなどが生まれ、発展し、江戸は世界の大都市に成長。まさに、日本の歴史の転換点といえる。江戸時代を学ぶことは日本を学ぶこと。歴史感覚を取り戻し、養うのは、今後日本がどのような進路をたどるのかを知ることにつながる。 <読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(7/04予約、副本1、予約10)>rakuten3ヵ月でマスターする江戸時代(中略)【西洋の敗北】エマニュエル・トッド著、文藝春秋、2024年刊<「BOOK」データベース>よりロシアの計算によれば、そう遠くないある日、ウクライナ軍はキエフ(キーウ)政権とともに崩壊する。戦争は“世界のリアル”を暴く試金石で、すでに数々の「真実」を明らかにしている。勝利は確実でも五年以内に決着を迫られるロシア、戦争自体が存在理由となったウクライナ、反露感情と独経済に支配される東欧と例外のハンガリー、対米自立を失った欧州、国家崩壊の先頭を行く英国、フェミニズムが好戦主義を生んだ北欧、知性もモラルも欠いた学歴だけのギャングが外交・軍事を司り、モノでなくドルだけを生産する米国、ロシアの勝利を望む「その他の世界」…「いま何が起きているのか」、この一冊でわかる! <読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/01予約、副本14、予約288)>rakuten西洋の敗北 【「国境なき医師団」をそれでも見に行く】いとうせいこう著、 講談社 、2025年刊<「BOOK」データベース>より世界最大の難民キャンプで、作家が出会った「もう一つの戦争」。希望なき世界でたたかう仲間たちを描く、大反響ルポルタージュ!【目次】序章 戦争について/第1章 ロヒンギャ難民キャンプへ/第2章 武装したギャングスタの暗躍/第3章 世界のマイナスが詰まったキャンプ/第4章 高潔で若い人々/第5章 井戸工事とキャンプ最大の病院/第6章 故郷を失った者たちは歌う/「国境なき医師団」インタビュー「故郷を失った人たちの声を聞く」/藤原辰史さんに聞く「歴史の傷と向き合うために」<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/21予約、副本3、予約23)>rakuten「国境なき医師団」をそれでも見に行く 【女の国会】新川帆立著、幻冬舎 、2024年刊<「BOOK」データベース>より野党第一党の高月馨は窮地に追い込まれた。敵対関係にありつつも、ある法案については共闘関係にあった与党議員・朝沼侑子が自殺したのだ。「自分の派閥のトップも説得できていなかったの?法案を通すつもり、本当にあったの?」死の前日の朝沼への叱責が彼女を追い詰めたのではないかと批判が集まり、謝罪と国対副委員長の辞任を迫られてしまう。だが、長年ライバル関係を築いてきた高月には朝沼の死がどうも解せない。朝沼の婚約者で政界のプリンス・三好顕太郎に直談判し、共に死の真相を調べることにー。 <読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/04予約、副本?、予約?)>rakuten女の国会 【音声と写真でよみがえる昭和 戦前編】保坂正康著、NHK出版、2025年刊<「BOOK」データベース>よりあの時代には、飢餓、戦争、敗戦、占領、貧しさ…そして豊かさがあった。読んで、見て、聴いて、昭和の全歴史を味わう!NHKに残る貴重な音声をQRコードで聴きながら読む!目と耳で「昭和の全歴史を追体験する」驚きのシリーズ第1弾。 <読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/10予約、副本1、予約1)>rakuten音声と写真でよみがえる昭和 戦前編 【昭和的】.webp画像につき開示できず関川夏央著、春陽堂書店、2025年刊<「BOOK」データベース>より時は過ぎた。「昭和的センス」から逃れられない、時代遅れの著者のささやかな抵抗。辛口にして味わい深い珠玉のエッセイ集。【目次】第一章(山田風太郎の長寿祝い/ヤクザ映画と三島由紀夫/『まんだら屋の良太』回想 ほか)/第二章(『天国と地獄』の撮影/世界人口が二十億人だった頃/「猫の手」たちの一九七〇年代 ほか)/第三章(『秋刀魚の味』に映されたプロ野球/人生はジュークボックス/「火星土地分譲予約受付証」 ほか)<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/26予約、副本?、予約?)>rakuten昭和的【十五年戦争小史】江口圭一著、筑摩書房、2020年刊<出版社>より戦争は、誰によっておこされ、どのように展開したか 。本書では、1931年の柳条湖事件の謀略に始まり、45年ポツダム宣言受諾と降伏文書調印によって終わった一連の戦争を「十五年戦争」と呼び、その曲折に満ちた過程と全体像を克明に描く。 <読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/16予約、副本?、予約?)>chikumashobo十五年戦争小史 図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・デジタル朝日「好書好日」でめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2025.10.17
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NHKドラマ「べらぼう」にも黄表紙出版が描かれていたが、この『へんちくりん江戸挿絵本』という本にも出てきます♪・・・ということで、以下のとおり復刻して見てみましょう。*********************************************************図書館に予約していた『へんちくりん江戸挿絵本』という本を、待つこと5日でゲットしたのです。ぱらぱらとめくってみると・・・かなり色っぽい絵が満載であり、あまり子供向きではないので要注意でおます。【へんちくりん江戸挿絵本】小林ふみ子著、集英社インターナショナル、2019年刊<「BOOK」データベース>よりあなたの江戸観がひっくり返る、珍妙で愉快な発想の数々!多彩な出版文化が花開いた江戸。本書で取り上げるのは、さまざまなジャンルの本を徹底的にいじり倒したパロディ本である。遊里に遊ぶ神仏、おかしな春画、トンデモ実用書、センス抜群の模様帳、へんてこ妖怪、奇妙な地図…。黄表紙、滑稽本、狂歌本、春本などにみられる、日本美術の範疇からこぼれ落ち忘れられていた貴重な「へんな挿絵」100点以上を掲載し、その見所を解説。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると・・・かなり色っぽい絵が満載であり、あまり子供向きではないので要注意でおます。<図書館予約:(5/07予約、5/12受取)>rakutenへんちくりん江戸挿絵本江戸時代の絵本「黄表紙」コラムが三つあるが、そのうちの一つを、見てみましょう。p37~39【コラム1】文学史の常識と落し穴 本書で扱う遊びの挿絵本が、学校で習うような文学史でいったいどう扱われるのかが気になるというかたのために、その点について少し述べておきましょう。 江戸時代の、つまり日本近世の文学史では、本の内容と形態によって作品を分類します。本書が対象とする18世紀小説のおもなジャンルをあげれば、浮世草子、談義本、洒落本、読本、噺本、滑稽本、また黄表紙を含む草双紙、となります。 浮世草子は前世紀より上方で行なわれた、伊原西鶴以来の風俗小説で、この頃は末期にあたります。談義本ははじめて江戸で発達した、世相や人情の機微をついてみせた読み物。洒落本は遊里の遊びや都市風俗を描いたものです。読本は中国小説の影響を受けて成立した伝奇小説。 ここまであげたなかで、洒落本以外はだいたいA5版よりひとまわり大きいくらいの大きさだったのに対して、洒落本は文庫本程度の小さな読み物で、いずれも文字が中心、ときに挿絵が交じるくらいのものでした。噺本は短篇笑話集で、江戸では洒落本と同じ小本、上方では先に述べた半紙本大。滑稽本は、この時期にはこれらに入らないもので笑いをねらったものすべてを含めた雑多なジャンルで、挿絵が重要な役割を果たす作も少なからずありました。 これに対して黄表紙は形態や紙からして特殊でした。子ども向けの草双紙と呼ばれる、再生紙製の薄い冊子にしたてられ、全ページが絵のなかに登場人物のセリフや筋立てなどをひらがな主体で書きこんだ形をとります。そこに大人が読んで笑える内容を盛りこんだ点が新鮮で、当時、人気を博したのです。大きさは中本、今の新書の幅を少し広げたB6版くらいです。そしてこれ以外に、文学史には出てこない春本があり、絵入りも文字だけのものも、大きさもさまざまに出されていました。(中略) 本書で扱う「知」を「絵」でちゃかす作品は、このうち談義本、滑稽本、洒落本、噺本、黄表紙、狂歌本、狂詩本、春本などと多岐にわたっています。とくに江戸で出版された作品は文学史上、「戯作」と呼ばれますが、寛政期を境として前・後期に分けられるうち、本書では前期戯作とそれが後期に向けて変質していく時期までをおもに扱います。 それより後の作品には、今も名高い曲亭馬琴の読本『南総里見八犬伝』や十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』などがあるのに対して、一般にあまり知られていない前期戯作と呼ばれるこの時代の作品を紹介するのも、本書のねらいの一つです。『へんちくりん江戸挿絵本』2『へんちくりん江戸挿絵本』1*********************************************************■2019.05.14『へんちくりん江戸挿絵本』2https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201905140002/
2025.10.16
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戸田奈津子さんの『字幕の花園』という本に、彼女が交流したハリウッドのスーパースターたちが見られるが・・・以下のとおり復刻して読み直してみようではないか♪*********************************************************図書館で『字幕の花園』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、彼女が訳した映画がずらりと並んでいて圧巻です。各作品の中の決めセリフ、名セリフが英文と訳文で出てきます。それから、スーパースターたちとの交友が語られているが、役得というか彼女の人徳もあるんでしょうね♪【字幕の花園】戸田奈津子著、集英社、2009年刊<商品説明>より7年半にわたって「ロードショー」に連載された人気コラム「BRUSH UP YOUR ENGLISH」を完全収録します。(1)ドラマ篇(2)コメディ篇(3)アクション篇(4)ミステリー篇(5)ファンタジー篇、ラブストーリー篇、全90本を内容別にカテゴライズ。各々、字幕翻訳の実際やエピソードを披露しながら「映会話」のレッスンを進めます。巻頭の4C口絵では、人気スターとのプライベートな2ショットや貴重な秘蔵フォトを大公開。セレブなビッグスターの知られざる素顔や来日時の未公開エピソードもさまざま披露しちゃいます。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、彼女が訳した映画がずらりと並んでいて圧巻です。各作品の中の決めセリフ、名セリフが英文と訳文で出てきます。rakuten字幕の花園戸田さんとスターたちの交友を、見てみましょう。p228~230 <スターと行く日本の旅> 旅行の日程は約1週間。デ・ニーロ一家は、ヨーロッパからプライベート・ジェットに乗って成田に到着しました。ボブの秘書からあらかじめリクエストされていたのは、シャンデリアのついた大型バスを1台、一家の移動用に手配すること。ところが、プライベートジェットから出てきた荷物は30個以上もあり、とてもバスには積みきれません。急きょ荷物用にもう1台バスを借り、そのバスを人間より先に目的地に着くよう移動させる形で旅行を進めて行くことになりました。 まず向かったのは、箱根です。温泉好きのボブのリクエストで、強羅にある高級旅館に宿泊。周辺の観光を楽しんだあとで京都に向かいました。 ボブは、初来日した1981年にマーチン・スコセッシ監督に連れられて二条城を訪れています。それが強烈に印象に残っていたのか、今回連れてきた3人の子供たちにも「うぐいす張り廊下をぜったいに見せたい」と言うので、二条城を見学。また、子供たちが「忍者を見たい」と言ったので、東映太秦映画村にも行きました。 子供たちがかなり和食通だったのは、ボブが日本料理店のNOBUを共同経営しているからでしょう。朝から和食でも平気。いちばん下の坊やなど、たたみいわしをおいしそうにパリパリ食べるのですから。 ロバート・デ・ニーロに私を紹介したロビン・ウィリアムスの一家とは3回ほど京都へ行っていますが、それをはるかに上回る回数で一緒に京都を旅しているのが、リチャード・ギヤです。 これまで数多くのハリウッド・スターと接してきましたが、リチャードほど日本の「わび・さび」がわかる外国人は、ほかにいません。 ハンパじゃない仏教徒の彼は、初めて京都を訪ねたとき、お寺の庭をながめながら、突然「I was here.僕は(前世で)ここに来たことがある」と言い出し、私はいったいなんのことかと、一瞬、戸惑ったものです。同じ京都と言っても、彼は観光客の押しかける有名な寺にはまったく興味を示しません。ほとんど知られていない静かなお寺を訪ね、仏像を拝み、庭に面した回廊で20分、30分と座禅を組みます。 来るたびに絶対欠かさないのは、桂離宮拝観。ここは予約制なので拝観が面倒なのですが、日本美の極致といえるあの美しい庭をそぞろ歩き、お得意のモノクロ写真のシャッターを切り続ける彼の姿が頭に焼きついていて、言われなくとも、事前に拝観の手続きをしてしまう私です。ネットでデ・ニーノ評を見つけました。 <ああ見えて素顔は物静かで口下手・・・ロバート・デ・ニーロ>(映画じゃなくても語れるよ?より)これも男優の卵が「10人に9人は目標に掲げる」ロバート・デ・ニーロ。デ・ニーロというと、強面で骨太で芯の強いイメージ。プライベートでも親分肌で子分を引き連れて頼りがいがあって・・・なーんてことは全くない。自分の考えを言葉にするのが上手いタイプじゃないんだね。取材を受けても言いよどむことがしょっちゅうあるみたい。戸田さんに言わせると、真っ白な人。真っ白なキャンバスに絵を描いていくように、役柄に合ったキャラクターを作りこんでいくタイプの俳優さん。役所広司や内藤剛志も常々そうありたいと語っている役者の模範。内藤剛志は外見からして徹底していて、私服は白か黒かグレーしか着ない。「役者はニュートラルであるべし」が内藤さんの持論。話が内藤剛志論に流れかけてますが、とにかくデ・ニーロは普通の人。こないだも子供2人連れて京都のお寺を回る間、至って普通のお父さんだったそうです。「そっち行ったらアカンよ」言うては子供(10歳そこそこ)に翻弄される。あ、関西弁ちゃうよな。言い方だけ私の創作です。『字幕の花園』3:ロバート・デ・ニーロとリチャード・ギヤ『字幕の花園』2:はじめに『字幕の花園』1:ラスト サムライ********************************************************■2018.11.29『字幕の花園』3https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201811290001/
2025.10.15
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図書館で『人類学者の落語論』という本を、手にしたのです。著者が戦中派なので内容がやや古すぎるのだが、かえって興味深いので・・・チョイスした次第です。*********************************************************【人類学者の落語論】川田順造著、青土社、2020年刊<「BOOK」データベース>より笑う門には福来たる!話芸の真髄に迫る。はなしの演戯性、多彩な身振りと表情、破壊と創造が交錯する伝統芸、ナンセンスと大いなるマンネリズム、抱腹絶倒のカタルシス、洗練された究極の粋など、落語が体現する無限の面白さと可能性とはー。アフリカ無文字社会の「語り」研究の第一人者にして幼少期より絶大の落語愛の著者が、口承文化の核心に迫る。大笑い、泣き笑い、苦笑い、爆笑、哄笑…。何度聴いても、落語が面白いのは何故か。 <読む前の大使寸評> 著者が戦中派なので内容がやや古すぎるのだが、かえって興味深いので・・・チョイスした次第です。rakuten人類学者の落語論「第1部 3」に太平洋戦争敗戦ころの落語家が語られているので、見てみましょう。P39~43<四代目小さんの芸にびっくりしたこと、ほか> だが、今村信雄(「今村のおじさん」と私たちは呼んでいた)と私との交渉は、二つの家がこれもまた選りに選って 、同じ千葉県の市川へ移ってからのことだ。戦時経済が進行するなかで、真っ先に米が統制になり、徳川時代なかばの宝暦の頃、上州沼田の川田村から先祖が江戸に出てきて九代、本所、深川で続いた。「上州屋」も店じまい。 根っからの商人だった父は、組合の「勤め人」になったのに嫌気がさして、太平洋戦争が始まった翌年、当時まだ閑静だった市川市菅野の、広い庭付きの二軒続きの家へ、わが家は引っ越した。 今村さん一家は、それより前に市川に移っていたのだが、三坪ほどの名ばかりの庭のついたつつましい住まいで、姉からあとになって聞いた話では、何でも柳橋の大きな屋敷を、人に騙されたような恰好で手放さざるをえなくなったのだそうだ。 そんなわけだから金銭上も不如意であったらしく、戦争中のことで落語の仕事もあまりなく、はじめ川田家が引っ越した家は、今村さんの家からは歩いたり京成電車に乗ったりして、30分はかかるところにあったのだが、それでもよく今村のおじさん一人で訪ねて来ていたのは、お金の工面の相談のためもあったのかもしれない。 この菅野の家にいたのは私が小学校二年と三年のときだったが、この家へ今村のおじさんがよく来たのを憶えているのは、私がラジオの「 前線へ送る夕べ 」で落語が好きになり、自分で落語(のようなもの)を書いて、今村のおじさんに渡したことがあるからだ。どんなものだったか憶えていないが、『粗忽長屋』のような仕立ての噺だったかも知れない。書いて渡したことが確かなのは、東宝名人会の楽屋で、今村のおじさんが師匠たちに話したからで、自分ではすっかり忘れていた。 米軍の本土空襲がはげしくなった昭和20年1月に、わが家はは同じ市川市内で、これも偶然だが、今村さんの家とは細い道を隔てて隣の隣ところへ引っ越した。そこで3月10日仏業、B‐29の低空大空襲で、私の生まれ故郷東京深川が、焼き殺される人々の阿鼻叫喚と共に、炎と煙で空を揺るがして燃え上がるのを見た。 今度は家が近かったので、私は今村さんの家から、 今村信雄編集で騒人社から出ていた全12巻の小型桃色表紙の『名作落語全集』を1冊ずつ借り出して、結局全巻読了した。勿論、廓話など内容を理解できるはずもなかったし、その第7集「戀愛人情扁」を私が「こいあいにんじょうへん」と発音して、母に「れんあい」と読むんですよと教えられたのを、今でも憶えている。むさぼるように全巻を通読して、ますます落語が好きになった。『人類学者の落語論 』1
2025.10.14
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ロアルド ダールが書いた『飛行士たちの話(新訳版)』 がええわけで・・・以下のとおり復刻して読み直してみようと思った次第です♪*********************************************************図書館で『飛行士たちの話(新訳版)』という文庫本を、手にしたのです。おお この本は旧訳版で見た覚えがあるで・・・ということで、再度借りたのです。【飛行士たちの話(新訳版)】ロアルド ダール著、早川書房、2016年刊<「BOOK」データベース>より偵察飛行に向かってから二日後に帰投したパイロットは、その間の記憶を失っていた。だがある戦闘中、仲間が撃墜されたのを見た彼は不可解なことをつぶやき、何もかも思い出したと叫び出す。彼が見たこの世のものとは思えない光景とは?後世の作品に多大な影響を与えた幻想譚「彼らに歳は取らせまい」をはじめ、従軍経験をもとにしたデビュー作など、著者のストーリーテラーぶりを存分に味わえる10篇収録の処女短篇集!<読む前の大使寸評>おお この本は旧訳版で見た覚えがあるで・・・ということで、再度借りたのです。amazon飛行士たちの話(新訳版)ハリケーン「カティーナ」の続きを、見てみましょう。p173~176<カティーナ> 夕食後、われわれ三人はモンキーと一緒に格納庫に行った。モンキーが言った。「機銃掃射が気にはなるけれど、ドイツ軍は絶対に格納庫を攻撃してこない。なぜなら、格納庫の中には何もないってことを知ってるからだ。で、今からわれわれ4人で4機運んで、第二格納庫に隠しておこうと思うんだが」 いいアイデアだった。通常、ハリケーンは飛行場の周囲のあちこちに分散して駐機させる。ずっと飛ばしておければいいのだが、そういうわけにもいかない。その結果、一機ずつ敵に狙い撃ちされていた。われわれ4人はそれぞれハリケーンに乗り込み、タキシングして第二格納庫に入れた。全機格納すると、4人で力を合わせて巨大なスライドドアを閉めて鍵をかけた。 翌朝、太陽が山の背後から姿を見せるまえにユンカース87の一群が襲来し、第二格納庫は吹き飛ばされ、あっさりと地表から消え去った。彼らの爆撃は正確で、両脇の格納庫は被弾すらしなかった。 その日の午後、ピーターがやられた。ハルキスという村がユンカース88に爆撃されているという知らせを受けて彼が出撃したのだが、そのあと二度と彼の姿を見ることはなかった。陽気で笑顔を絶やさない男だった。ケント州の農場にいる母親が送ってくる淡いブルーの細長い封筒をポケットにしまい、それを肌身離さず持っているような男だった。 この中隊に配属されて以来、私はいつもピーターとふたりで同じテントを使っていたのだが、その夜も私がベッドにはいったあと、ピーターがテントに戻ってきた。信じてくれなくてもいい。そもそも信じてもらえるとは思っていない。それでもこれはほんとうの話だ。 いつも私のほうが彼よりさきにベッドにはいっていた。というのも、われわれが使っていたのは、ふたりの人間がすれちがうこともできないほど狭いテントだったからだ。ピーターは毎晩2分か3分ぐらい遅れてテントに戻ってきた。その夜、私はベッドに横になって考えた。(中略) まったくいつもと変わらなかった。どさっという音、簡易ベッドの木製の脚が軋む音。フライングブーツを片方ずつ脱いで地面に放る音。いつも片方を脱ぐのにもう一方を脱ぐ三倍の時間がかかる。そのあと毛布をめくるかすかな音と、ちゃちな造りのベッドが男ひとりの体重を支えて軋む音。 毎晩そういう音を聞いていた。同じ音を同じ順番で。その夜はベッドの上で上体を起こして声をかけた、「ピーター」暗いテントの中、私のその声はやけに大きく響いた。「やあ、ピーター。今日はついてなかったな」返事はなかった。 私は気味悪くも怖くもなかったが、指で自分の鼻に触れて、ちゃんと自分がそこにいるのを確かめたのを覚えている。そのあとは疲れていたので眠りに落ちた。 翌朝、隣りのベッドを見ると、人が寝た跡が残っていた。しかし、私はそのベッドをフィンにも見せなかった。ただ毛布をもとの位置に戻して、枕をふくらませた。 われわれがアテネ防空戦を戦ったのはその日、1941年4月20日のことだ。今後あれほど激しい格闘が繰り広げられることはないだろう。最近では、飛行機は航空団や飛行中隊といった編隊を組んで飛び、攻撃も指揮官の指令どおりに整然と系統だっておこなわれるからだ。戦闘機乗りがひとりで激しい空中戦を繰り広げるなど、今日ではまずありえない。しかし、アテネ攻防戦では、15機のハリケーンが30分にわたり、150機から200機のドイツ軍爆撃機と戦闘機を相手に美しくて長い空中戦を繰り広げた。『飛行士たちの話(新訳版)』2:カティーナの続き『飛行士たちの話(新訳版)』1:カティーナこの本もロアルド・ダールがつなぐ輪R2に収めておきます。*********************************************************■2019.08.15『飛行士たちの話(新訳版)』2https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201908150000/
2025.10.13
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図書館で『ジャポニスム』という本を、手にしたのです。西洋の美意識を変えた19世紀の「日本ブーム」が興味深いので・・・チョイスした次第です。*********************************************************【ジャポニスム】.webp画像につき開示できず宮崎克己著、講談社 、2018年刊<「BOOK」データベース>より西洋の美意識を変えた19世紀の「日本ブーム」。マネ、モネ、ゴッホ、ゴーギャン、ドガ、セザンヌ…印象派の巨匠たちは、こぞって日本美術を研究し、自身の絵画に取り入れた。 <読む前の大使寸評>西洋の美意識を変えた19世紀の「日本ブーム」、すなわち ジャポニスムが興味深いのです。rakutenジャポニスムビアズリー『サロメ挿絵』「第六章 色彩のジャポニスム」で色彩としての黒が語られているので、見てみましょう。P145~149<マネ 漆黒という色彩> 以下、第六章から第八章まで、モダンアートにおけるジャポニスムについて、色彩、空間、線の三つの基本的な造形要素をめぐって考えてゆこう。それらの側面においてモダンアートは大きな飛躍を遂げ、その成果は現代にまで生きている。 ちなみに、モダンアートはふつう20世紀のアンリ・マチス、ピカソの世代まで含むが、本書では19世紀後半に限って検討する。 西洋絵画においては長いこと、遠近法、明暗法、リアリズムなどが基本的な規範だったが、19世紀の後半にはそれらの拘束が解けて行った。それについて絵画における色彩は一挙にその純度を増し、表現力が高まり、やがて絵画の主役とも言えるものになった。この何の媒介もなしに直接、個人個人の感覚に訴えてくるものこそが、近代の人間たちに願望されていたものだった。 その色彩をめぐるモダンアートの進化の過程においては何度か飛躍が起こったが、その時に日本美術が重要な契機になることがあった。本章では、マネ、モネ、ゴーギャン、ゴッホ色彩を中心に考えてみたい。まずは、日本美術にさまざまな形で現れる漆黒、つまり存在感のある平坦な黒についてである。 前章で、「素材」として日本美術が使われている例としてマネの« エミール・ゾラの肖像 »について述べた。そこに描き込まれた歌川国明の« 大鳴門灘右ヱ門»と金屏風は、ジャポニスムがマネとゾラの共有する関心だったことを表わしていた。それだけでなく、実物の浮世絵では羽織が完全に平坦な黒で塗りつぶされており、マネがゾラの着る上着の黒の対応物を見出していたに違いないことを述べた。 じつは、マネは黒という色にすでに数年にわたって惹かれており、これを造形の革新の踏み台にしようとしていた。そこに日本からの影響が入ってきたとすると、これは「素材」だっただけではなく、「触媒」でもあったことになる。 1860年代になって、マネ、ホイッスラーら一部の前衛画家が、色彩としての黒、漆黒に興味をもち始める。マネの場合、黒という色に愛着をもつようになったきっかけは、しばしば言われるように、これもやはりスペイン絵画にあった。 とりわけベラスケス、フランシスコ・デ・ゴヤなどには、主として衣服の黒において、美しく見える黒、闇や陰影ではないポジティブな色彩としての黒が顕著に現れる。 強い黒を画面に置くことによって、残りの部分がその分、明るく見え、それによってスペインの強い光が逆説的に表現されることになるのだ。こうして黒は効果的でめだったものになり、美的なものになった。 西洋において色としての黒というと、まずは古代ギリシャの壺が思い出される。19世紀末にイギリスのオーブリー・ビアズリーは、この黒の魅力をモノクロの版画に表現した。彼は日本の浮世絵にも見せられていたので、その黒には日本の黒も合流していたと推測することができる。 西洋人を魅了した黒という点でもう一つ忘れてならないのが、16世紀後半以降、東洋、特に日本から輸入された漆器である。その黒は西洋人にはきわめて印象深いものだったので、英語の「ジャパン」が普通名詞で漆を指すまでになった。18世紀には西洋でもしきりに「ジャパニング」と呼ばれる模造品がつくられたが、とりわけシノワズリーの家具などではそれが目立っていた。 イギリスのジャポニスムの中心の一人であるゴドウィンのアングロ・ジャパニーズの家具もその多くは当然のごとく黒いし、ピアノが、それまでさまざまな色に塗られたり、木地の色をそのまま出していたりしたのが、19世紀の間に黒一色になっていったのも、一説によると、この漆の黒への嗜好のためだった。『ジャポニスム』3:美術工芸品の貿易 『ジャポニスム』2:ジャポニスムという言葉の由来 『ジャポニスム』1:「夢の国」日本
2025.10.12
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最近の外食は、インドカレー、ラーメン、餃子の三択のようになっているが、ネパール人がやっているインドカレーもお気に入りなのです。・・・ということで、『カレーの世界史』という本を以下のとおり復刻して読んでみましょう♪*********************************************************図書館で『カレーの世界史』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、世界各地のカレーや、日本発祥のカレーライスなどが見られます。最近はインドカレーの店に通う太子としては、奥深いカレーが気になるのでおます。【カレーの世界史】井上岳久著、SBクリエイティブ、2020年刊<「BOOK」データベース>よりゴロッとした肉と野菜にかぶさる褐色のルウ、そして立ちのぼる強烈なスパイスの香り…。私たちが普段何気なく口にしているカレーは、数奇な運命をたどって日本にやってきた。だが、その道のりから見えてくるのは、決して明るいストーリーだけではない。差別と被差別、支配と隷属、禁忌と戒律など、さまざまな要因から強い影響を受けながらその姿を自在に変えてきたカレー。歴史と地理を縦横の糸にして編み込んだ、料理と人との壮大な物語。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、世界各地のカレーや、日本発祥のカレーライスなどが見られます。最近はインドカレーの店に通う太子としては、奥深いカレーが気になるのでおます。rakutenカレーの世界史チキンティッカマサラ料理が不味いとの定評が根付いてしまったイギリスであるが・・・同国のカレー「チキンティッカマサラ」を見てみましょう。p68~71<イギリスの国民食「チキンティッカマサラ」> イギリス人の食卓から姿を消しつつあったカレーですが、まったくなくなったわけではありませんでした。 それどころか形を変えて、イギリスの食文化に根付いていったのです。それが、1960年代にイギリスのインド料理店で生れたといわれるている「チキンティッカマサラ」です。 “ティッカ”とは、スパイスに漬け込んだブロック肉のこと。これをタマネギと一緒に炒め、トマトやバターでつくったソースで煮込んだものが、チキンティッカマサラです。 酸味がありつつもクリーミーな味わいは、どこかバターチキンカレーに似ています。 チキンティッカマサラは、イギイスでは国民食といえるほど親しまれている料理です。2001年、当時のイギリスの外相ロビン・クックは、チキンティッカマサラについて「真のイギリスの国民料理だ。それは、一番人気があるというだけでなく、イギリスが外部の影響をどう吸収し、適応させるかを完璧に体現しているからだ」と語り、話題になりました。 当初はカレーに親しんだイギリス人ですが、それが人々の好みに合わせて形を変えていき、その最終形がチキンティッカマサラになったということでしょう。 多様な文化を柔軟な姿勢で吸収するイギリス人ならではの料理だといえるかもしれません。<カレーはなぜイギリスに定着しなかったのか> それにしても、日本にカレーを伝えたイギリスでは家庭でカレーが食べられなくなり、一方の日本ではカレーは国民食となって老若男女に親しまれている…。 この違いは一体どういうことなのでしょうか? イギリスでカレーが衰退したのは、上流階級の食事のパターンが変化したしたことが原因だという見方があります。 週単位で食事のパターンが決まっていたとされる上流階級の習慣には、日曜日に巨大なローストビーフを焼いて食べるというものがありました。 しかし、あまりにも大きいローストビーフはどういても食べきれずに余ってしまいます。そこで、残り肉はカレーに使うのが効率的であり、経済的だとされていました。 ところが、牛肉の値段が高騰して、ローストビーフ自体が入手しづらくなったのです。その結果、次第にカレーを食べる機会も減ってきました。肉が余ってこそのカレーだったということでしょう。<イギリス最初のインド料理店の顛末> 一説によれば、今、ロンドンには1000軒を超えるインドレストランがあるといわれています。 価格もかなりリーズナブルなので、カレーを食べたくなったら近くのインド料理店へ出向けばいいわけです。わざわざ家庭でつくる必要は、もうなくなったのでしょう。 今ではイギリス中にあるインドレストランですが、最初の店は大成功とはいいがたいものでした。 イギリスで初めてのインド料理店は、デイーン・マホメッドというインド人が、1810年にロンドンのジョージストリートに開店した「ヒンドスタニー・コーヒーハウス」です。 マホメッドは、カレーをはじめとするインド料理の本格的な味わいや店の雰囲気といったものを、インド本国のスタイルで忠実に再現しようと試みます。 新聞に広告を出すなど積極的な経営を展開しますが、なかなか振るわずに、1811年に惜しくも閉店。 理由についてはいろいろな意見がありますが、当時はまだ外食文化が十分に根付いていなかったこと、また、彼がターゲット層としていた裕福な顧客たちの興味が薄かったことが大きいのではないかと考えられています。『カレーの世界史』1*********************************************************2020.11.11『カレーの世界史』2https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202011110001/
2025.10.11
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葛飾区の零細企業で働いていたつげさんの少年時代の情景が見られる『つげ義春幻想紀行』という本が興味深いので・・・以下のとおり復刻して読み直してみましょう♪*********************************************************図書館で『つげ義春幻想紀行』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、漫画のシーンと旅先の写真が並べてあり興味深いのです。【つげ義春幻想紀行】権藤晋著、立風書房、1998年刊<「BOOK」データベース>よりつげ義春作品と写真で解き明かす。「つげ式」旅術の書。【目次】1 「二岐渓谷」之章/2 「もっきり屋の少女」之章/3 「海辺の叙景」之章/4 「初茸がり」「紅い花」「西部田村事件」之章/5 「ゲンセンカン主人」之章/6 「大場電気鍍金工業所」之章/7 「隣の女」之章/8 「チーコ」「義男の青春」之章/9 「ねじ式」之章/対談 ワラ屋根のある風景(つげ義春/権藤晋)<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、漫画のシーンと旅先の写真が並べてあり興味深いのです。rakutenつげ義春幻想紀行大場電気鍍金工業所つげさんの少年時代の情景を、見てみましょう。p95~100 <「大場電気鍍金工業所」之章> つげ義春の「大場電気鍍金工業所」は『漫画ストーリー』1973年4月28日号に発表された。この作品は、きわめて私小説的な色彩が濃い。まずは、物語を要約したい。 下町のメッキ工場に勤めている少年が主人公である。工場といっても、社長が前年に肺病で他界したため、その奥さんと少年の二人が研磨の仕事を細々と続けているのが実情である。そんなつぶれかかったメッキ工場に予科練あがりの男が職を求めてやってきた。 人手が増えたのでメッキ作業を再開した方が儲かるとはわかっているのだが、奥さんが金に困ってメッキ作業の部品を売ってしまっていたために、相変わらず研磨に精を出すしかなかった。ところが、ある日とつぜん、奥さんと男の姿がなかった。近所のせんべい屋のおじさんが、二人が夜逃げしたことを少年に伝えた。少年には、深い意味がのみこめなかった。少年は要領を得ないといった面持ちで研磨の作業をたったひとりで続けるばかりだった。 ストーリー全体が、そっくりそのまま作者の体験と重なるのかどうかは、疑問がなくはないけれども、主人公の少年をつげ義春の少年時代とみなして間違いではないだろう。作者は、この作品を発表するはるか前から、エッセイや対談などで、少年時代にメッキ工場に勤務していたことを明らかにしている。 さらに私は、個人的に本人からじかにメッキ工場時代の体験談を耳にする機会を得ていた。だが、正直いって、マンガに接するまでメッキ工場時代のつげ義春の姿やメッキ工場周辺の情景がリアルにイメージできないでいた。 たしかに、私がくらしていた目黒川沿いにも中小のメッキ工場が軒を並べ、いわゆる零細工場の実体がどのていどのものか知らないではなかった。にもかかわらず、私は、この作品から小さくない衝撃をうけた。理由は作者の過去がより具体的に表象されたからではなく、東京のイメージの問題、といえばいいだろうか。それは、荒川と中川にはさまれたある特定の地区のくらしに端を発するものなのだろうか。 話は大きく横道にずれるが、私もまた、東京に生まれ、東京で育った。小学生のころから都電に乗ってあちこちに出かけるのを趣味としていた。だが、私の行きつく先は、渋谷から出る都電の終点までであった。新橋、月島、茅場町止まりである。上野や浅草には親せきがあったので年中かよったが、隅田川より東部についてはほとんど無知であった。あとは、渋谷を拠点にして新宿、恵比寿、下北沢、三軒茶屋までをテリトリーとしていた。(中略) いってみれば、浅草も新橋も神保町も田端も、我が庭のように思いこんでいた。そして、私は、私が知っている場所が東京だと錯覚していた。いや、子どものころから「江東楽天地」という一大娯楽街が隅田川の東にあるらしいと気づいてはいたが、そこが錦糸町であると知ったのは、16、7歳になってからである。まして京成立石だとか川端町などという町が東京に存在することなど想像できなかった。 ようやく本題にたどりついたが、「大場電気鍍金工業所」の舞台は、葛飾区川端町である。といっても、作品の上で特定されているわけではない。作者は、そこが東京の片隅に存在した土地であることすら記さない。したがって、作品から読みとる限りには、舞台が川崎であっても、横浜であってもいっこうにさしつかえがない。 つげ義春が、旧川端町、現在の東立石にあったメッキ工場に勤めていたことを知ったのは、そう古いことではない。前にものべたとおり、つげが12、3歳のころから学校にもかよわずにメッキ工として働いていたことを耳にしてはいたが、勤め先の場所まではわからなかった。そして「」が発表されても、なお正確な地区さえ知り得なかった。 私を含めた“つげ義春研究会”が1993年に渋谷の公園通りぎわの「アート・ワッズ」という画廊で「つげ忠男展」を開いた。このとき、私たちは、つげ義春・忠男兄弟が少年時代をおくった京成立石の周辺の現在がどのような変貌をとげているのかを知ろうと思った。そのとき、知人のK氏が葛飾の図書館から1960年初頭の立石周辺の地図をコピーしてもってきたのである。 その青焼きの地図には、可能なかぎりの個人住宅や工場名が記されていた。私たちは、さらに拡大コピーを利用し、目を皿のようにして、つぶさに工場のひとつひとつをひろっていった。そして、ついに、川端小学校の近くに「川端鍍金工業所」の文字を見つけたのである。「川端鍍金工業所」こそ、作者が少年時代に働いていたメッキ工場であった。『つげ義春幻想紀行』2『つげ義春幻想紀行』1*********************************************************■2017年03月25日『つげ義春幻想紀行』2https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201703250000/
2025.10.10
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図書館で『ジャポニスム』という本を、手にしたのです。西洋の美意識を変えた19世紀の「日本ブーム」が興味深いので・・・チョイスした次第です。*********************************************************【ジャポニスム】.webp画像につき開示できず宮崎克己著、講談社 、2018年刊<「BOOK」データベース>より西洋の美意識を変えた19世紀の「日本ブーム」。マネ、モネ、ゴッホ、ゴーギャン、ドガ、セザンヌ…印象派の巨匠たちは、こぞって日本美術を研究し、自身の絵画に取り入れた。 <読む前の大使寸評>西洋の美意識を変えた19世紀の「日本ブーム」、すなわち ジャポニスムが興味深いのです。rakutenジャポニスム«ラ・ジャポネーズ»「第四章 モノの到来」で美術工芸品の貿易が述べられているので、見てみましょう。P98~102<綿織物というハイブリデイテイ> 美術工芸品の貿易にはかならず輸出側・輸入側双方の産業の環境、生活環境、そして美意識が関わってくる。 日本の近代化を牽引したのは、19世紀のあいだ輸出品の首位を独走した生糸だった。この生糸に関しては一方の西洋の側、とりわけフランスにも、日本からの輸入を大きく拡大させていく重要な要因があった。 ペリーが来航した直後の1855年、ヨーロッパで蚕の病気が発生し、生糸の生産は各国で壊滅的な打撃を受けた。それはフランスにとって最大の輸出産業であったリヨンなどの絹織物業にとって深刻だった。1872年の官立富岡製糸場がフランスの協力により、最新技術を導入してつくられたことには、そのような背景があった。フランスの誇る絹織物は、質の高い日本の生糸によって支えられることになったのだ。 それでは同じ時期に日本は、なにを輸入していたのだろうか。この問いは、ジャポニスム研究において盲点になる問いである。 明治前期においては、綿織物こそが最大の輸入品で、生糸の輸出額に比してもさほど遜色ないくらいの莫大な額にのぼっていた。国内でも江戸時代以降、綿花の栽培はかなりおこなわれていたが、日本の綿糸は太く、西洋のとりわけ機械によるもののような平滑な織物はできなかった。しかも輸入物のはるかに廉価だった。したがって開国以後、日本の綿織物産業はほとんどゼロからの再出発になってしまった。(中略) それ以前の状況を振り返ると、もともと綿織物は18世紀まではインドの独壇場だった。それが18世紀後半にイギリスで始まった産業革命によって一挙に逆転する。1768年、リチャード・アークライトによる水力紡績機の発明、1789年、エドモンド・カートライトによる蒸気機関を使った力織機の発明など、綿織物の機械化は産業革命のもっとも中心的な課題となり、以後イギリスは、マンチェスターなどで生産した綿織物を世界中に輸出することになる。 イギリスは原料綿のすべてを海外、とりわけインドから輸入したが、インド向けにインド更紗とそっくりの意匠のものを製造・輸出したので、19世紀前半にインドの綿織物産業は、地方の素朴なものを除いて壊滅し、無数の職人が失業した。これは植民地主義の圧倒的な力に乗じた経済侵略・文化侵略だった。 日本が綿織物産業の近代化を始めていた1880年代は、イギリスの綿織物産業が頂点を極めた時期であり、世界市場の80パーセントを独占していた。しかしその30年後、すなわち第一次世界大戦を境に、それまでイギリスが独占していたアジア市場を日本が奪った。(中略) 要するに、あらゆる美術工芸品、多少とも美意識の反映されたものの中で、影響の大きさや質を問題にせず量だけで考えたとき、綿織物は西洋から日本にもたらされたものの中で疑いもなく最大だったのだ。(中略) ともあれここで重要なのは、そうした産業的・企業的発想による日本の意匠・趣味の研究が、おそらく芸術家たちの日本美術への関心よりも早い時期に始まっていたということだ。北斎漫画をはじめとする日本の日本の絵入り版本が意外なくらい多く西洋にもたらされたのも、芸術家・好事家が求める以上に、こうした企業家たちが求めたからだったのかもしれない。 ちょうど日本で西洋人の嗜好にあわせた陶磁器・漆器をつくることによって、ハイブリッドの製品が生まれたように、西洋でも綿織物において、ハイブリッドの製品が生まれていたのだ。(中略) 日本人好みの意匠を取り入れた西洋のハイブリッド綿織物が、日本の生活のもっともベーシックな部分においてせいようてきデザインを浸透させたことは推測できる。また他方、多量の日本の意匠見本を蓄え、それを参考に日本向け更紗をつくった西洋において、これもまたジャポニスムの一筋の流れになっただろうことも推測できる。『ジャポニスム』2:ジャポニスムという言葉の由来 『ジャポニスム』1:「夢の国」日本
2025.10.09
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地球温暖化が毎年続き、その影響が過酷になってきた現状に鑑み、以下のように(復刻3)を取りまとめたので紹介します。(丸ごとコピペとなりますが)このところ、蒸し暑い日が続いたが、まだ涼しくなりませんね。彼岸花はまだ見ていないが、今年の開花は遅れたようです。なお、今年の寒露は10月8日となっております。*********************************************************************<二十四節季の寒露に注目>早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。【日本のならわしとしきたり】ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は二十四節季でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon日本のならわしとしきたりこの本で、寒露のあたりを見てみましょう。和暦p25<寒露>五穀の収穫時期であり、収穫感謝祭のお月見も 現行の暦では10月7日ころ第1日目を迎え、次の節季「霜降(10月22日ころ)」に入る前日までの15日間が「寒露」となる。『暦便覧』では、寒露のころの気候を「陰寒の気に合って露結び凝らんとすれば也」と説明している。 寒露に入るころは、大気の状態が安定してくるため、秋の長雨が終わり晴天が続く。五穀の収穫に適した天候となる。露が霜に変わる直前の時期で、地域によっては紅葉が色づき始めるころでもある。俳句の季語に、「薄紅葉」、「初紅葉」という言葉もある。山野が紅葉に染まり始めた情景を、巧みにとらえた言葉である。 また、「流れ星」や「流星群」が鮮明に見え始まる季節でもある。 10月の異称に「神無月」がある。陰暦の10月の呼称だ田が、現在では陽暦10月の呼び名になっている。神様のいない月という意味で、「神の留守」とも呼ばれている。 これは、10月は出雲大社に全国の神様が一堂に集まるため、各地では紙が留守になることから付けられた名前。逆に出雲国(現在の鳥取県)では、10月は「神在月」「神有月」と呼ばれている。 寒露の期間の七十二候には、 初候「コウ雁来(こうがんきたる)」冬の渡り鳥・雁が飛来し始める。 次候「菊花開(きくのはな、ひらく)」菊の花が咲く。 末候「蟋蟀在戸(きりぎりす、とにあり)」きりぎりすが戸の辺りで鳴く、となっている。「蟋蟀」は現在の「こおろぎ」のこと。二十四節季の寒露に注目(復刻)二十四節季の秋分に注目(復刻)
2025.10.08
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図書館で『人類学者の落語論』という本を、手にしたのです。著者が戦中派なので内容がやや古すぎるのだが、かえって興味深いので・・・チョイスした次第です。*********************************************************【人類学者の落語論】川田順造著、青土社、2020年刊<「BOOK」データベース>より笑う門には福来たる!話芸の真髄に迫る。はなしの演戯性、多彩な身振りと表情、破壊と創造が交錯する伝統芸、ナンセンスと大いなるマンネリズム、抱腹絶倒のカタルシス、洗練された究極の粋など、落語が体現する無限の面白さと可能性とはー。アフリカ無文字社会の「語り」研究の第一人者にして幼少期より絶大の落語愛の著者が、口承文化の核心に迫る。大笑い、泣き笑い、苦笑い、爆笑、哄笑…。何度聴いても、落語が面白いのは何故か。 <読む前の大使寸評> 著者が戦中派なので内容がやや古すぎるのだが、かえって興味深いので・・・チョイスした次第です。rakuten人類学者の落語論人類学者の落語論とやらについて「第1部」の冒頭から見てみましょう。P25~28<イモ入り弁当を持って東宝名人会へ通う> 最近は、落語との初めの出会いが、テレビでの人が多いようだ。確かに、高座のテレビ放送だけでなく、落語家が司会するクイズ番組のようなものも含めると、落語とテレビの結びつきは、極めて密接なようだ。食事をする部屋にテレビを置かないわが家で、私はそもそもテレビを、ごく限られた番組でしか観ないし、テレビの落語に接したことは一度もない。 敗戦の年昭和20年秋、東京の東宝劇場が「アーニー・パイル劇場」という名で進駐軍に接収される前の屋根裏小劇場で、第三次落語研究会を立ち上げる前の今村信雄おじに連れられて、まだ劇場で弁当など売っていなかったのでサツマイモのたくさん入った弁当を持って、小学5年生だった私は、東宝名人会という名称だった会に通い、楽屋で師匠たちに紹介されたあと、ナマの高座を堪能した。 戦争中、私は自分でも落語を書いて、同じ市川市に住んでいた今村のおじに見せたことがあって、東宝名人会の楽屋で並みいる師匠たちに「この子は落語を書くんですよ」と紹介され、当時カタカナ言葉混じりの落語で人気を博し、トリを務めていた初代柳家権太楼師匠が、すかさず「ほう、スクールボーイが落語を書くのか」と大声で言ったので、6代目春風亭柳橋や3代目三遊亭金馬など、火鉢を囲んでいた師匠たちが声を立てて笑い、私は、真っ赤になって身の置き所に困った。 言われてみれば、私が当時の国民学校4年生の頃、「落語のようなもの」を書いて、今村のおじに見せたのは確かだが、私自身スッカリ忘れていた。「長屋の花見」のような仕立ての噺だったと思う。 初代柳家権太楼は、当時「柳家権太楼も一己のアーティストである。どことなく垢抜けがしている」といった片言の英語まじりの、独特の語り口で人気をさらい、東宝名人会でも、この時のように 6代目春風亭柳橋や3代目三遊亭金馬などといった、ベテランの大師匠たちを抜いて、真打をつとめていた。 戦争中、私が落語(のようなもの)を書いたのは、昭和18(1943)年、NHKラジオで毎週金曜の夜、落語が必ず入る「前線へ送る夕べ」という番組があって、それを楽しみに聴いていて、落語が好きになったからだ。だから初めて落語に接したのはラジオでだった、というべきだろう。 1943年、昭和でいうと昭和18年、日本放送協会が毎週金曜日の夜8時から確か2時間、短波放送で実際に前線の日本兵に向けて送っていた「 前線へ送る夕べ 」という番組に、必ず寄席中継のような形で落語が入るので、私はそれを聴くのが楽しみだった。
2025.10.08
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図書館で『ジャポニスム』という本を、手にしたのです。西洋の美意識を変えた19世紀の「日本ブーム」が興味深いので・・・チョイスした次第です。*********************************************************【ジャポニスム】.webp画像につき開示できず宮崎克己著、講談社 、2018年刊<「BOOK」データベース>より西洋の美意識を変えた19世紀の「日本ブーム」。マネ、モネ、ゴッホ、ゴーギャン、ドガ、セザンヌ…印象派の巨匠たちは、こぞって日本美術を研究し、自身の絵画に取り入れた。 <読む前の大使寸評>西洋の美意識を変えた19世紀の「日本ブーム」、すなわち ジャポニスムが興味深いのです。rakutenジャポニスム«ラ・ジャポネーズ»「第一章 ジャポニスムの「見え方」」でジャポニスムという言葉の由来が述べられているので、見てみましょう。P18~21<「ジャポニスム」という言葉>「ジャポニスム」(Japonisme)というフランス語は、その波がまさに高まっていく頃に出現した。評論家フィリップ・ビュルティが1872年にある雑誌で、「ジャポニスム」と題して連載したのが、のちのちまで幅広い影響を及ぼした。彼は「ジャポニスム」を自身の造語と見なしているが、実際にはそれ以前にも単発的な用例がある。しかし彼のこの連載がかなりの反響を呼んだこともあり、この言葉は定着した。 ビュルティは当時の著名な推進者であり、数年後には印象派の擁護者にもなる。この連載の中で、彼はその時すでに、北斎漫画、『忠臣蔵』をはじめとして、日本の版本を100冊ほども所有していたと語っているが、にもかかわらず意外なことに、日本美術の美的な側面にはほとんど触れていない。 彼はそれらの版本などを通して、日本の風俗・文化などを探ろうとしたのであり、たとえば日本の葬送儀礼、和歌、幽霊、女性の識字率の高さなどについて簡略に語っている。彼はここで「ジャポニスム」を明瞭に定義してはいないが、この言葉によって、日本文化に強い関心をもち、それを研究しようとする自身の姿勢を言おうとしていたことは明らかだ。 さて、「ジャポニスム」という言葉は、この頃から時おり使われるようになり、しかもその意味内容はそれぞれ少しずつずれていた。1872年、ビュルティが「ジャポニスム」の連載を始めてわずか2週間後に、ギュスターヴ・クールベなどと近しかった評論家ジュール=アントワーヌ・カスタニャリが、ル・シエクル紙のサロン()評の中で「ジャポニスム」の語を使っている。 彼は、「サロンに出品されていた絵画で外国風景を描いたものを次々にこき下ろしていき、「オリアンタリスム」(東方趣味)も、イタリアニスムももう死んだ」と言う。そしてその延長で、 「ジャポニスム、すなわち感覚の麻痺した好事家たちの気まぐれ、これもまた美術の運命を大きく左右することはありえない。春になったらやって来て、春が過ぎると忘れられてしまうような浮薄な流行と同様に、ジャポニスムは去っていくだろう」と断言した。(中略) さて、カスタニャリの予想に反してジャポニスムは以後さらに盛り上がっていき、とりわけ1878年のパリ万博は、フランスにおけるジャポニスムの最初の大きなピークとなった。その日本セクションのジム官長前田正名は、万博の直後、やはり日本紹介を目的として『ヤマト』という、忠臣蔵を翻訳したフランス語の台本を書き、フランスの俳優を使って舞台化した。筋書きもさることながら、そこでは戸棚やキセルなど、日本の本物の道具が日本人の正確な所作により舞台上で使われ、観客をおおいに喜ばせた。 ラ・プレス紙は、「ジャポニスムの愛好家たちのため、すばらしい[道具の]選択がなされていた」と述べている。この際の「ジャポニスム」は、日本の品々への好奇心、偏愛を指している。(中略) このように「ジャポニスム」の語は、フランス語でさかんに使われ、定着していった。ちなみに、ジャポニスム研究がかなり進捗した現代では、イギリスでもその流行がフランスに劣らずに早かったことが周知のことになっているし、アメリカ、ドイツ、オーストリアをはじめとして、西洋全域にその波及があったことも分かってきた。 とはいえやはり、フランスのジャポニスムが今日から見ても、もっとも際立っているのであり、最近では英語の文章でもフランス語のこの言葉を使うのがふつうになっている。『ジャポニスム』1:
2025.10.07
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『蜜の流れる博士 』という本では、「ブレードランナー」を絡めて博物学、民俗学が語られているそうで・・・再復刻してみようではないか、ということです♪*********************************************************図書館で『蜜の流れる博士』という本を、手にしたのです。目次を見てみると、南方熊楠をメインテーマに据えた随筆のようである。ぱらぱらとめくると「ブレードランナー」を絡めて博物学、民俗学を語ったりして・・・ええやんけ♪【蜜の流れる博士】中沢新一著、せりか書房、1989年刊<「BOOK」データベース>より古書につきデータなし<読む前の大使寸評>目次を見てみると、南方熊楠をメインテーマに据えた随筆のようである。ぱらぱらとめくると「ブレードランナー」を絡めて博物学、民俗学を語ったりして・・・ええやんけ♪amazon蜜の流れる博士中沢さんが民俗学を語っているので、見てみましょう。p101~106 <野生のエレガンス>より マルクスよりもクロポトキンのような思想家により深い親近感をいだいていた彼(澁澤龍彦)は、写真の中にみいだされた「科学性」なるものの意味に、執着しつづけた。彼にとって写真は、「組織されたアナーキズム」の道具となりうるものだったのだ そのことを彼は、武田久吉氏から学んだ。『農村の年中行事』や『路傍の石仏』のような民俗学的な著作で知られる武田氏は、同時に『尾瀬』や『日本の高山植物』のような植物分類生態学の名著をあらわした自然科学者でもあった。尾瀬を日本と世界に紹介したばかりではなく、そこを電力開発による破壊から守るために尽力した。明治の英国大使アーネスト・サトーの御子息らしく、彼は自然科学好きの英国ジェントルマンだった。若いときはオックスフォードで、植物学の勉強をした。それといっしょに、彼はこのフォークロア学の発祥の地で、イギリス流の民俗学の魅力に触れたのであった。 容貌は端正な英国人、知性は20世紀初頭の自然科学によって磨かれていた彼は、しかしその感性は日本人であった母親から多大の影響を受けていた、生まれながらの境界的人間であった。彼はイギリスの生活になじみきることはできなかった。日本人の感性が、そこに偽善のかおりを感じてしまったのかも知れない。だが、日本人になりきることもできなかった。そこでまかりとおっているものの考え方や、気がついたらいつもそこにおちついていたということになりがちな行動のパターンの、ドメスティックな狭量さに、自分も染まってしまうなどということのできない異人でもあったからだ。 そこで彼は、日本のなかに生活しながら、そこをエキッゾチックな外国ででもあるかのように見ることのできる能力をやしなった。ヨーロッパが何であるかを知りぬいていた彼は、柳田国男のいう国のなかにいながら「外国にいる人」ではありえなかった。 高山植物の研究の道すがら訪れた日本の山村の生活の魅力に、彼はとりつかれていた。風変わりな行事や、意味不明なフォークロア・オブジェ、生活の習俗の研究を、彼は「片手間の民俗学者」として(イギリスでは、民俗学はほんらい片手間にやるところに味がある、とされていたのである)つづけた。いつのまにか、彼は日本でも数少ない民俗学者のひとりとなったが、柳田国男の組織しようとしていた日本民族学からは、終始一定の距離をたもちつづけようとしたのである。 日本の民俗学は、柳田国男の天才的な文体から生まれたものだ。ちょうどアダム・スミスが「労働」という概念を発見することによって、経済活動のなかに新しいリアリティが「発見」されたのと同じように、柳田の「常民」という概念が、日本人の知的活動の世界に、新しいリアリティをつくりだしたのである。 彼の「常民」はきわめて歴史的な限定をうけた概念である。柳田国男はそれは、室町時代以降の日本列島に形成されるようになった人々の生活空間の複合的なエートスをまるごとつかみとるために、考えだした。彼は日本の農村や漁村の暮しが、南北朝の動乱期あたりをさかいにして、根本的な変化をとげるようになったことを鋭くみぬいていた。そのため、「科学」としての民俗学がとりくんでいるような農村漁村の調査を積み重ねることによってあきらかにできるのは、そのラジカルな変容以後に形成されてきたエートスの世界であり、折口信夫のような方法をとらないかぎり、その切断面のむこうがわにまで突き抜けていくことはできないのだ、ということをよく知りぬいていた。 日本民俗学はひとつの実証科学でなければならない。そのためには、世界を閉ざさなければならない。そうしなければ、民俗学は実証性をもたなくなってしまう。そこで登場してきたのが「常民」の概念だった。室町時代あたり以降に形成されてきた、均質な「日本人の世界」の本質をひとことで表現するために、この言葉があみだされたのだ。 こうして生まれた「常民」の概念は、日本人のなかにまったく新しいひとつの領域、ひとつの世界を開いた。しかし、同時にそれは確実に、何かを閉ざすことによってもたらされた世界でもある。閉ざすことによって、同時に開く。何かが開かれることによって、何かが同時に閉ざされていく。新しい学問は、いつもこのようにして生まれてくる。一国民俗学の誕生である。だがそれが閉ざしたものを、もういちど開けはなとうとした人々も、それといっしょに輩出うることになった。 彼らの多くは、けっして柳田国男のとった「境界づけ」の意味を理解していたわけではなかったが、直感的にそれから逃れでようとして、さまざまな試みをおこなった。「異端の民俗学者」たちの魅力あふれるものがたりが、ここから生まれることになった。(中略) 彼(武田久吉)は自然科学の方法を意識的に民俗学のなかにとりいれることによって、「常民」の概念の相対化をおこなおうとした。山村や漁村でおもしろい習俗にであったときにも、すぐさまそれに何かの意味づけをあたえようとはしないで、彼はまず相手の精密な観察からはじめたのである。植物学者らしく、彼はまず対象のゲシュタルト(形態的な特徴)に注目した。そして表面上のちがいにもかかわらず、内部の構成において、構造的に共通性っをもっているものをあつめて、フォークロアにおけるひとつの「種」や「類」をさだめることをおこなったのである。 民俗学をめぐる彼の本を読んでいても、その習俗や儀礼が、いったいどんな「意味」をもっているのかについての記述には、なかなか出会うことができない。そのかわり、それらのフォークロアがどんな構造をしているのかについての豊富な報告にあふれている。 彼は民俗学の対象の、いきなりの「意味づけ」や「歴史的再構成」を、注意ぶかく避け、またあらかじめ設定された「意味づけ」の体系にそってデータを集めたり、整理したりすることからもたらせるゆがみを避けるために、フォークロアを「意味」としてではなく、まず「機械」としてとらえ、その「機械」の構造を分析することから、彼のフォークロアの学問をつくりあげていこうとしていたのである。ここには、近代の博物学から発達してきた、イギリスの民俗学の方法論の反映をみることができる。『蜜の流れる博士』1『蜜の流れる博士』2『蜜の流れる博士』3『蜜の流れる博士』4『蜜の流れる博士』5*********************************************************■2017.06.01『蜜の流れる博士』5https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201706010000/
2025.10.06
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図書館で『日英関係史 1600~1868』という本を、手にしたのです。図説と銘打っているように、全頁にわたって画像が載っているわけで・・・ビジュアルなところや、日英関係を好ましく見るスタンスがええでえ♪*********************************************************【日英関係史 1600~1868】横浜開港資料館編著、原書房、2021年刊<出版社>より鎖国下にも脈々と続いていた日本とイギリスのつながり。300点余りの地図、手紙、古写真など貴重な史料、図版と詳細な年表により、江戸初期からアヘン戦争を経て明治維新にいたるまでの両国関係の歩みを読み解く。 <読む前の大使寸評>図説と銘打っているように、全頁にわたって画像が載っているわけで・・・ビジュアルなところや、日英関係を好ましく見るスタンスがええでえ♪rakuten日英関係史 1600~1868連合オランダ東インド会社やイギリス東インド会社に触れたあたりを見てみましょう。P18~19<アジアのオランダとイギリス> イギリスが日本からの撤退を決めた背景には、オランダの存在があった。現在では大国のイメージがないオランダだが、香辛料を中心とする17世紀のアジア交易を支配したのは、1602年に設立された連合オランダ東インド会社であった。 マルク諸島(現インドネシア)のアンボイナをポルトガルから奪ったオランダは、1619年にジャワ島にバタビア(現ジャカルタ)を建設。アジアにおける一大拠点とした。さらに、マラッカ、台南、平戸にも拠点を置き、東アジア匂いても影響力を強めつつあった。 一方、イギリス東インド会社も平戸のほか、1602年に開かれたバンタム、そしてアンボイナ、パタニ(マレー半島)、アユタヤ(現タイ)などに商館を構え、オランダと熾烈な貿易戦争を繰り広げる。しかし、オランダ東インド会社はイギリス同社の10倍以上の資本金を有し、この段階のイギリスはオランダに太刀打ちできる存在ではなかった。 1623年2月、両国が商館を置くアンボイナである事件が発生する。イギリス側が雇っていた日本人傭兵が挙動不審の廉(かど)で、オランダ側に捕らわられたのである。拷問によってイギリス側がオランダの要塞奪取をくわだてているという自白を得たオランダは、イギリス商館長以下10名、日本人傭兵9名他を虐殺した。 この結果、イギリスは東南アジアからの撤退を余儀なくされる。香辛料のかわりにインド産の綿織物(キャラコ・モスリン)に目をつけたイギリスは、印度に拠点を設けてこの交易に注力していく。 イギリス東インド会社は、1620年代から30年代にかけて対日貿易の再開を模索するが、現実はしなかった。17世紀前半のアジアにおけるオランダのプレゼンスにより、イギリスはしばらく日本への接近を阻まれることになる。『東インド会社とアジアの海賊 』(復刻)
2025.10.05
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図書館で『ジャポニスム』という本を、手にしたのです。西洋の美意識を変えた19世紀の「日本ブーム」が興味深いので・・・チョイスした次第です。*********************************************************【ジャポニスム】.webp画像につき開示できず宮崎克己著、講談社 、2018年刊<「BOOK」データベース>より西洋の美意識を変えた19世紀の「日本ブーム」。マネ、モネ、ゴッホ、ゴーギャン、ドガ、セザンヌ…印象派の巨匠たちは、こぞって日本美術を研究し、自身の絵画に取り入れた。 <読む前の大使寸評>西洋の美意識を変えた19世紀の「日本ブーム」、すなわち ジャポニスムが興味深いのです。rakutenジャポニスム«ラ・ジャポネーズ»まず「はじめに」の冒頭から見てみましょう。P3~6<「夢の国」日本> 19世紀中頃にペリーが浦賀に来航した直後から、欧米では日本の文化、とりわけ美術品・工芸品を受容、愛好する熱がにわかに高まり、その後、約半世紀の間、大都市の多くの市民が日本の品々で生活空間を飾り、また少なからぬ芸術家がそれらから影響を受けて作品を生んだ。西洋におけるこの時期のそうした受容、愛好、影響を ジャポニスムと呼ぶ。 ジャポニスムとは、近代の西洋が見た「日本」のことだった。西洋人がはじめてこの国に到着したのは16世紀半ばで、それ以後、17世紀初めまでかなり活発な交流があった。 しかし江戸時代に鎖国が始まり、窓口が長崎の出島に限られ、オランダ人のみがそこに許容されるようになると、西洋ではおのずと情報不足のため「日本」はきわめて曖昧な存在になった。 一方でその中でも蒔絵の漆器、伊万里の磁器などは意外なくらい多く輸入され、珍重された。こうした事情のため「日本」は長いこと、美しい一端だけを覗かせた神秘の国、夢の国だった。 そして開国。多くの夢は目を開けたとたん幻滅に変じるものだが、「日本」は例外だった。開国後初期の来日者たちはいずれも、当時、世界でもっとも文化水準の高い「非西洋」をそこに見出したのだった。国民は勤勉で礼儀正しく、また好奇心に満ちており、その産物の種類と質はそれまで知られていた以上のものだった。この時期に堰を切ったように流入した日本の情報、そして美術工芸品のインパクトが、それ以後20世紀初頭まで続くジャポニスムの最大の要因だった。 さて、かりに現代の美術愛好家にジャポニスムについて知っていることを尋ねると、「フランスの印象派などが浮世絵から受けた影響のこと」というような答えが返ってくるだろう。 そしてあのモネの描いた着物姿の妻の肖像«ラ・ジャポネーズ»をその典型的な例として挙げるかもしれない。そう、多くの人が知っているこの絵は、ジャポニスムの看板のようなものである。 20世紀後半にジャポニスム研究は、マネ、ドガ、モネ、ゴーギャン、ゴッホ、ロートレックといった、今日よく知られる芸術家たちの研究の一環として急速に進んだ。しかし本書で私は、それらの研究と異なる二つの観点でジャポニスム をとらえてみたい。 第一に、ここではそうした著名な芸術家たちだけでなく、幅広い社会的な広がりの中で ジャポニスムを考えてみたい。この«ラ・ジャポネーズ»にしても、ここに表現されている日本への思いは画家モネだけのものではなかった。 1870年代にもなると欧米の大都市では、このように室内で和服を着たり団扇・扇子を愛玩したりする女性はそれほど珍しくなかったし、日本の品々やそれを描いた絵画を愛好するコレクターも少なからず存在していたのである。 19世紀の西洋の市民たちは、自分たちの住まいのための独自の室内装飾を求めていた。それはルイ15世式、ナポレオン式などという君主の名を冠した権威主義的なものではなく、より私的な生活にふさわしいものでなければならなかった。 そして日本の美術工芸品とそこに表された造形感覚は、そうした場に好適だった。ジャポニスムの影響の見られるモネらの絵画も、同じような室内に向けて制作されたものだった。 この時代、日本のものの多くがオシャレに見えていた。「日本」は多数の人を巻き込むブームだった。西洋人は日本の開国によって夢から覚めたのではなく、新たな夢に入ったのだ。そしてあらゆるブームがそうであるように、一方では嫌悪を抱く者もいた。また日本への興味といっても、それはけっして客観的なものではなく、あらゆる西洋からの非西洋へのまなざしと同様に、西洋の側の優越感が含まれたものであることもしばしばだった。 本書の主として前半で、私はこの第一の観点に立ち、ジャポニスムを西洋での社会的な広がりの中でとらえることをめざしたい。
2025.10.04
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「手当たり次第」でしょうか♪なお、「筋トレと栄養の科学」は再度借りたものです。<市立図書館>・筋トレと栄養の科学・ジャポニスム・日英関係史 1600~1868・人類学者の落語論<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【筋トレと栄養の科学】坂詰真二著、新星出版社、2015年刊<「BOOK」データベース>より筋肉を1kg増やすと1年で2.5㎏やせる!筋トレ時に糖質制限はNG!すぐに始められる筋トレ法&食事メニューも紹介。 <読む前の大使寸評>追って記入rakuten筋トレと栄養の科学【ジャポニスム】.webp画像につき開示できず宮崎克己著、講談社 、2018年刊<「BOOK」データベース>より西洋の美意識を変えた19世紀の「日本ブーム」。マネ、モネ、ゴッホ、ゴーギャン、ドガ、セザンヌ…印象派の巨匠たちは、こぞって日本美術を研究し、自身の絵画に取り入れた。 <読む前の大使寸評>西洋の美意識を変えた19世紀の「日本ブーム」、すなわち ジャポニスムが興味深いのです。rakutenジャポニスム【日英関係史 1600~1868】横浜開港資料館編著、原書房、2021年刊<出版社>より鎖国下にも脈々と続いていた日本とイギリスのつながり。300点余りの地図、手紙、古写真など貴重な史料、図版と詳細な年表により、江戸初期からアヘン戦争を経て明治維新にいたるまでの両国関係の歩みを読み解く。 <読む前の大使寸評> 図説と銘打っているように、全頁にわたって画像が載っているわけで・・・ビジュアルなところや、日英関係を好ましく見るスタンスがええでえ♪rakuten日英関係史 1600~1868【人類学者の落語論】川田順造著、青土社、2020年刊<「BOOK」データベース>より笑う門には福来たる!話芸の真髄に迫る。はなしの演戯性、多彩な身振りと表情、破壊と創造が交錯する伝統芸、ナンセンスと大いなるマンネリズム、抱腹絶倒のカタルシス、洗練された究極の粋など、落語が体現する無限の面白さと可能性とはー。アフリカ無文字社会の「語り」研究の第一人者にして幼少期より絶大の落語愛の著者が、口承文化の核心に迫る。大笑い、泣き笑い、苦笑い、爆笑、哄笑…。何度聴いても、落語が面白いのは何故か。 <読む前の大使寸評>追って記入 rakuten人類学者の落語論
2025.10.03
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・宙かける教室(12/28予約、副本1、予約388)現在94 位・麻田雅文『日ソ戦争』(1/16予約、副本?、予約124)現在26 位・天気でよみとく名画(3/22予約、副本?、予約29)現在12位・潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う(6/20予約、副本?、予約153)現在119位・3ヵ月でマスターする江戸時代(7/04予約、副本1、予約10)現在6位・王谷晶『ババヤガの夜』(8/01予約、副本?、予約47)現在35位・エマニュエル・トッド『西洋の敗北』(8/01予約、副本14、予約288)現在233位・「国境なき医師団」をそれでも見に行く(8/21予約、副本3、予約21)現在15位・新川帆立『女の国会』(9/04予約、副本?、予約?)現在254位 ・音声と写真でよみがえる昭和 戦前編(9/10予約、副本1、予約1)現在1位・関川夏央『昭和的』(9/26予約、副本?、予約?) ・ジェーン・スー『介護未満の父に起きたこと』(10/2予約、副本3、予約142)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』<予約候補>・テレビプロデューサーひそひそ日記・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・伊予原新『藍を継ぐ海』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・九段理恵『東京都道場塔』:図書館未収蔵・外山滋比古『思考の整理学』・ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』・街道をゆく「モンゴル紀行」「南蛮のみち」・畑正憲『どんべえ物語』:図書館未収蔵・ヤマザキマリ『水木しげる厳選集 異』:図書館未収蔵・書いてはいけない日本経済墜落の真相:図書館未収蔵・金水敏『よくわかる日本語学』・大友克洋「童夢」・70歳のバックパッカー・アモリナ・キングドン『魚の耳で海を聴く』・クロード・ルブラン『山田洋次が見てきた日本』・和田秀樹『70歳が老化の分かれ道』 <予約分受取:6/12以降> ・白人になれない白人たち(4/05予約、6/12受取)・森永卓郎『身辺整理』(11/20予約、6/12受取)・原爆裁判(9/11予約、6/19受取)・闇の中国語入門(4/13予約、6/19受取) ・官僚国家 日本の闇(10/28予約、7/03受取)・猫社会学、はじめます(12/17予約、7/20受取) ・金原ひとみ「ナチュラルボーンチキン」(12/03予約、7/31受取)・就職氷河期世代(2/02予約、7/31受取)**********************************************************************【宙わたる教室】 伊与原新著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>より東京・新宿にある都立高校の定時制に集った、さまざまな事情を抱えた生徒たち。彼らは「科学部」を結成し、「火星のクレーター」を再現する実験を始めた。煌々と明かりが灯った夜の教室で、小さな奇跡が起きるー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/28予約、副本1、予約388)>rakuten宙わたる教室【日ソ戦争】 麻田雅文著、中央公論新社、2024年刊<「BOOK」データベース>より日ソ戦争とは、1945年8月8日から9月上旬まで満洲・朝鮮半島・南樺太・千島列島で行われた第2次世界大戦最後の全面戦争である。短期間ながら両軍の参加兵力は200万人を超え、玉音放送後に戦闘が始まる地域もあり、戦後を見据えた戦争だった。これまでソ連の中立条約破棄、非人道的な戦闘など断片的には知られてきたが、本書は新史料を駆使し、米国のソ連への参戦要請から各地での戦闘の実態、終戦までの全貌を描く。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/16予約、副本?、予約124)>rakuten日ソ戦争【天気でよみとく名画】長谷部愛著、中央公論新社、2024年刊<出版社>より「悪魔」の正体は局地風(ゴッホ“星月夜”)、描かれた雲から降水確率もわかる(フェルメール“デルフト眺望”)、天気の表現でわかる作家の出身地などなど、古今東西の名画やマンガを天気という視点で見直すと、意外な発見に満ちている。画家たちの観察眼は気象予報士よりも凄いかも!?さらに、同じ地域でも時代の異なる作品を比較することで、温暖化などの変化に気づくことだってできる。現役気象予報士による美大の人気講義を再現。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(3/22予約、副本?、予約29)>rakuten天気でよみとく名画【潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う】 舛友雄大著、東洋経済新報社、2025年間<「BOOK」データベース>より「潤」は、最近中国で流行っている言葉で、さまざまな理由からより良い暮らしを求めて中国を脱出する人々を指す。もともと「儲ける」という意味だが、中国語のローマ字表記であるピンインでRunと書くことから、英語の「run(逃げる)」とダブルミーニングになっている。「潤日」コミュニティー、多くの日本人が知らぬ間に、中国や日本、そして世界の変化に応じる形で急速に存在感を増しつつある。この全く新しいタイプの中国人移民たちをつぶさに訪ねて耳を傾けると、その新規性や奥深さを痛切に感じるとともに、日本の政治、経済、社会に見逃せないほどの大きなインパクトをもたらしつつある現状が見えてきた。 <読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(6/20予約、副本?、予約159)>rakuten潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う【3ヵ月でマスターする江戸時代】野島博之、牧原成征、他著、NHK出版、2024年刊<出版社>より知っているようで知らない”江戸時代”を、わかりやすく解説2024年4月に始まった教養番組「3か月でマスターする」。「世界史」、「数学」、「ピアノ」に続く第4弾は、「江戸時代」。この時代、現代につながる文化や学問、経済、政治の仕組みなどが生まれ、発展し、江戸は世界の大都市に成長。まさに、日本の歴史の転換点といえる。江戸時代を学ぶことは日本を学ぶこと。歴史感覚を取り戻し、養うのは、今後日本がどのような進路をたどるのかを知ることにつながる。 <読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(7/04予約、副本1、予約10)>rakuten3ヵ月でマスターする江戸時代【ババヤガの夜】王谷晶 著、河出書房新社、2025年刊<「BOOK」データベース>より暴力団会長の一人娘の護衛を任された新道依子。拳の咆哮轟くシスター・バイオレンスアクション!<読む前の大使寸評>追って記入
2025.10.02
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絵本作家ショーン・タンの『遠い町から来た話』という本がええでえ♪・・・というわけで、以下のとおり再度復刻して読み直してみます。*********************************************************絵本作家ショーン・タンの出自、作品はわたしのツボでもあるわけで・・・折につけ見てみたいので以下のとおり復刻してみます。*********************************************************図書館で『遠い町から来た話』を手にしたが・・・・このなかの絵が、SFタッチでええんやな~♪描かれた絵にディアスポラの不安感が見えるのだが・・・もしかして、移民という著者の境遇が影響しているのかも。この本を借りるのは2度目であるが今回は「訳者あとがき」を追加したのです。【遠い町から来た話】ショーン・タン著、河出書房新社、2011年刊<「BOOK」データベース>より町のはずれに住んでいた水牛のこと、覚えている?誰にも愛されなかった物からペットを手作りすることや結婚までのとても危険な道のりの話、それから異次元からのちっちゃな交換留学生のことー。【著者情報】タン,ショーン(Tan,Shaun) 1974年オーストラリア生まれ。幼い頃から絵を描くことが得意で、学生時代にはSF雑誌で活躍。西オーストラリア大学では美術と英文学を修める。 これまでに発表したいずれの作品も卓越した内容と表現で評価が高く、オーストラリア児童図書賞など数々の賞を受賞。作品は世界中で翻訳出版されている。現代を代表する新進気鋭のイラストレーター、絵本作家として活躍する一方、舞台監督、映画のコンセプトアーティストとして活動の場を拡げている<大使寸評>この絵本に描かれた絵に、ディアスポラの不安感が表れているのです。もしかして、移民という著者の境遇が影響しているのかも。この絵本の装丁が素晴らしいが、オーストラリア版と河出書房新社版でどう違っているのだろうか?それから・・・「ショーン・タン公式サイト」を見てみると、クロスメディアのアーティストなんですね♪2011年には、The Lost Thingでアカデミー賞短篇アニメーション賞を受賞したんだそうです。rakuten遠い町から来た話ショーン・タン公式サイト「訳者あとがき」に、ショーン・タンの経歴や日本人潜水夫(表紙のイラスト)の逸話が載っているので見てみましょう。<訳者あとがき:岸本佐知子>より 『遠い町から来た話』は、オーストラリアのイラストレーター/作家、ショーン・タンが2008年に発表した短篇集/絵本だ。絵と文章を両方を手がけた本としては5作め。文字のないグラフィック・ノベル『アライバル』に続く、彼の最新作である。 ショーン・タンは1974年、西オーストラリアの都市、パース北部の郊外の町に生まれた。父は中国系マレーシア人、母はアイルランド-イギリス系の移民3世で、建築を学ぶためにマレーシアからオーストラリアにやって来た父が、画材店で働いていた母と出合って結婚し、男の子を二人もうけた。その弟のほうがショーンである。 子供のころから絵の才能を発揮するいっぽう、SFやファンタジーを耽読し、西オーストラリア大学で美術と英文学を学んだあと、イラストレーターとして本格的に活動を始めた。以後、世界幻想文学大賞(2009年)、ヒューゴー賞(2010年)、「児童文学界のノーベル賞」と言われるアストリッド・リンドグレーン記念文学賞(2011年)など数々の賞に輝き、同名の絵本をアニメーション化したショートフィルムThe Lost Thingsは、2011年度のアカデミー賞短篇アニメ賞を受賞した。 『遠い町から来た話』の原題は、Tales from Outer Suburbia。“アウター・サバービア”とは、大きな都市の周縁に位置する、まだ自然の多く残った郊外の町を指す。パース(彼いわく「世界一ぽつねんとした州都」)郊外の、スーパーに行くにも学校に行くにも野原を突っ切っていくような町に生まれ育った作者にとって“アウター・サバービア”とは、平凡でありながらどこか非現実的な場所、おとぎ話に出てくる「森」のような、異界の入口のようなものだという。 そして、その二つ(日常と非日常、こちら側の世界とあちら側の世界)を一つに融け合わせたいという要求から生れたのが、この『遠い町から来た話』なのだと語っている。(「壊れたおもちゃ」より) ここに収められた物語は、どれもスケッチブックに残された何気ないスケッチやいたずら書きから生み出された。たとえば、旧式の潜水服を着て街角のデリに入っていこうとする人物の絵。そこから「彼はなぜここにいるのか?どこから来たのか?」という問いが生まれ、結果できあがったが「壊れたおもちゃ」である。(ちなみに、この物語の背景には、19世紀オーストラリアの真珠産業を支えた大勢の日本人潜水夫たちの悲話がある。彼らの多くが潜水病で命を落とし、西海岸のかつての真珠町には、そうした日本人潜水夫の墓が今も多数残されているという) そんな“お話の種”ともいうべき、いたずら書きのほんの一例を、この本の見返しに見ることができる。一つひとつ眺めていると、自分の中にも何やら不思議な物語が芽吹いてくるような気がしてこないだろうか。遠い町から来た話1:大陸間弾道ミサイル遠い町から来た話2:ぼくらの冒険旅行遠い町から来た話3:犬たちの葬送『ショーン・タンの世界』2*********************************************************■2024.02.08遠い町から来た話』(復刻)https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202402080001/
2025.10.01
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