松阪市の学習塾・双葉
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知るということは簡単である。ある日、Sさんという人に出会う。それが知るということだ。二度とその相手と会わなければまたは何の興味ももたなければ、当然忘れてしまう。ところが、なぜか何度も出会う。または、興味を持ったので、何度も会いに行く。そうするとその相手の情報がますます増えてくる。情報が増えてくると、もっと相手のことを知りたいと思う。これは当然の欲求だろう。「今日、どこどこに行ってきた。」この情報に対して「ほう、どうやった?」と問いかけがでてくる。そうやって相手との交流が深まる。そうすると、その相手がどういう相手なのかだんだんわかってくる。楽しくなってくる。さて、相手がわかってくるとどうなるか。理想の相手などそうそういるものじゃない。全くわからない部分も出てくる。相手の嫌な部分も見えてくる。あれほど大好きだったお父さんや彼氏とのやりとりも嫌な部分が見えてくると、とたんに鬱陶しくなってくるのは不思議なものでさきほどの「今日、どこどこに行ってきた。」「ほう、どうやった?」この楽しかったやりとりですら億劫になってくる。苦痛に感じられたりする。そこで、その嫌な部分、理解できない部分も含め相手を認めるという態度が必要になる。それができなければ、その相手とは疎遠になっていくしかない。例外は親子関係くらいか。「今日、学校どうやった?」「うるさい、鬱陶しい!」このやりとりに耐えられる世のお父さんには尊敬の念すら抱く。この場合には、血のつながりというある種の保証があるから娘に対する愛情が途切れないのだろうとは思うがなにせ経験がないのでわからない。なんのこっちゃわからないが、まぁ学ぶという姿勢も恋愛、友人関係と同じだということです。
2014.06.19
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