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留学の意義1で書いたように、語学を習得するという目的での留学にはあまり意味がない。まったくしゃべれない人が、小学生、中学生レベルの英会話になることはあるだろうが、そこから先はというと、海外にいるかどうかというよりは本人の自覚と努力の問題だからだ。では、留学の意義はどこにあるのか。私は、グローバルな視点、グローバルなコミュニケーション能力を身につけるためのひとつの方法だと考える。日本は島国であり、単一民族(もしくはそう考えられている民族)であり、村社会であることに慣れすぎた。従って、異なる文化や価値観に触れ、深いコミュニケーションをとるという経験に乏しい。昨今では、さまざまなメディアの登場により、読書という「他人を疑似体験する」という習慣すら失われつつある。私を知る人は「またか」だろうが、本当に子供たちのコミュニケーション能力が低く、考え方の違う他人を認めるということをしなくなってきている。「ほったるような」会話をし、自分の考えていることを他人に伝えようとしない。P&Gが求めるような「相手のことを理解し、自分を理解してもらい、さらに相手を動かせる能力がある」そういう人材が生まれづらい環境となっている。そこで、生まれも違い、国籍も違い、話す言葉も違う、バックグラウンドの違う人たちとたくさん会う留学がグローバルな視点、コミュニケーションスキルを学ぶには最適な機会のひとつではないかということなのだ。 しかし、ここでもひとつ疑問が生じる。留学が最適なのか?留学の意義1でも参考サイトとして貼った海外留学情報センターのHPには留学で失敗しやすい人として以下のようにある。1.失敗を他人のせいにする方 留学に失敗はつきものです。自分の失敗、他人から影響を受けての失敗。いかなる理由の失敗でも、失敗があるから成長するのです。そのことを自分で理解できないと成長はありません。指摘・注意されたことに自己弁護だけで主張するのではなく、いかなる状況でも自分で解決するという強い意志が必要です。2.自己中心的でわがままな方 孤立して誰も手伝ってはくれなくなり、友達もできません。周りの協力があって留学は達成されるのです。3.八方美人の方 周りの影響をうけやすく自分の意思をはっきり持たない方は学習の進捗に大きな影響を及ぼします。同じ日本人からの誘惑が多くあります。ちょっといい顔をしたい、嫌われたくないなど考えがちです。特に留学当初は言葉の不安と生活の不安からついつい日本人に頼ってしまいがちです。しかしそこをぐっと堪え、自分は何のために留学したのか、日本人以外の方がはるかに自分のためになることを理解しなければなりません。日本人以外の方の協力を得るよう努力することにより、何倍も早く現地に溶け込めます。八方美人は何の役にもたちません。4.努力を惜しむ方 何も手に入りません。お金と時間が無駄になってしまいます。 引用終わり。しかし、ここで挙げられている人たちこそ、グローバル化するべき筆頭ともいえないだろうか。相手と自分の違いはどこなのか、その違いはどこから来ているのか、そして違いのあるお互いを尊重しあうためには何が必要か。そういったことを学ぶ必要があるともいえないだろうか。つまり、留学に向いている人とは、すでにある程度グローバルに物事を考える性向、または素養をもっているということなのだ。日本にいてはグローバル化に対応できないということではないのだ。規模は小さく、差異を無視してもなんとなく生きていくことはできるが、県が、市が、町が、村が育ってきた環境が違うだけで、日本人同士てもそれぞれ違うバックグラウンドを持っている。違う考えを持っている。そんな中で、相手を理解し、自分のことを理解してもらい、差異を認め、なおかつ人を動かす力を身につけることはなんら不可能ではない。いつも言っているように、小説、映画、漫画、なにからでも意識さえすればグローバルな視点や態度を学ぶ機会(ありとあらゆることを学ぶ機会)はあるはずだ。以前、ひとりの塾生に送った「少年H」という映画に対しての考察を恥ずかしながらここに晒してみる。○○○へ少年H見なおしてみた。以下まとめキリスト的生き方を貫くおかん。たぶん実際はキリスト教をそれほど信じていない父→「キリスト以外を認めないなら、キリストも他の人からみとめてもらえんで」からそれでも、人の信じるものも大切にする父であるからこそおかんのキリスト教も大切にする生き方。軍国主義から敗戦後、一転して民主主義(資本主義)に変わってしまう原田泰造。原田泰造は教官時には、傲慢、横暴な人物として描かれるが、敗戦後は気持ち悪いくらい態度が軽い。それというのも自分というものがないから。戦争中は虎(大日本帝国)の威をかる狐。それをみて少年Hは「みんなワカメや」と言う。自分をもたず、周りの状況にふらふらと流され揺れている。それに対して一貫して「時計屋」で在り続ける佐々木蔵之介。戦時中、教官として行動せざるを得ない中、自分の教える銃剣術を「お国のために生徒を人殺しにする」のではなく「いざという時自分の身を守るためのもの」と(自分の考え、国から押し付けられた価値観ではなく)考え、自分なりに消化している。(ちなみに、おかんに隣組の組長を薦めた父の考え方とかぶる。戦争のため、非国民と思われないためという側面ではなくキリスト的博愛主義にもとづいても正しいことじゃないかと説得している。)戦後の闇市では、蔵之介は本来の自分に戻りいきいきと時計屋をしている。この演技が心の底から時計屋であることを生きがい(楽しい)と感じているように見えないと次のシーン(父がミシンを嬉しそうに直している)が生きてこない。この映画をセリフひとつでまとめるなら、全てがラストの父の「あんたはこれからどうするつもりや?自分の目でみて、耳で聞いて、信じるんは自分やで。」に集約される。戦時中、人は嫌でも戦争に加わるしかなかった。父の母に対して言った「踏み絵を踏んでもいいんや。信仰は(信じるものが)自分の中にあればいいんや。」というのは踏み絵を踏む(生きるために状況に応じる柔軟さ)と、固い信念は両立させることができるということを伝えようとしている。こんなところか。ああ、あとは父の「みんななんにも知らんと戦争してたんや」と言うセリフや、妹尾一家が欧米の事情に詳しいところから戦争に懐疑的であるという描かれ方から、知識なしではきちんと物を考えることができないというのもテーマのひとつかな。さて、○○○さん「あんたはこれからどうするつもりや?」引用終わり。グローバルな視点とは無関係な内容も多い(そんなことのために書いたのではないので)がそれなりに参考になるところも多いと思う。去年あたり「みんな違ってみんないい」by 金子みすず という言葉がはやった。これを人には違いがあり、それを認め、尊重するという意味ではなく、他の人は自分と違うけれど、「みんないい」のだから自分の考えを変えない、相手の考えも認めないという風に、自己肯定、自己弁護の詭弁として捉えている人が多いように感じる。そんな人は海外にでても、ちっとも変わらないのではないだろうか。変わらないだけならまだましで、打ちのめされて心でも病んでしまっては元も子もない。散々、留学に対して否定的な捉え方で書いてきた。しかし、それでも私は留学は「できる」のならしたほうがいいと思う。留学というと、思い出す好きなセリフがある。「曹操殿ーッ 荀いく文若!ついにあらゆるものを見聞し、 頭の中に天下をおさめて、 しかもそれらをすっかり忘れて戻ってまいりましたあーッ」(王欣太『蒼天航路』 遊学の旅から戻ってきた荀いくが、主君の曹操に向って叫んだ台詞)所詮、漫画の中のセリフではあるが、これは的を射ていると思う。留学とは体験のひとつでしかない。私たちは幼いころからさまざまな体験をするが、特に大切なはず(三つ子の魂、百まで)の物心つくかつかないかのころの体験など、すっかり忘れている。小学生のころの体験、中学生のころの体験も大人になるころにはすっかり忘れていることが多い。それでも、その体験は血となり肉となり、今の自分を作り上げてきたことは間違いないのだ。ただし、体験を生かすも殺すも、自分しだいで、同じ体験をしても「考える」人間と「考えない」人間では大きな差がつく。そして、その差が目に見える形で蓄積されてきたころには、人はその体験を忘れている。参考サイトOsi海外留学情報センター米国大学スカラーシップ協会日本支部グローバル競争力再考留学ジャーナル
2014.07.31
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いつもよりゆったりしたペースで進む。なにせ、途中入塾の子しかいない中3だ。いまだに記号合わせのつもりで問題を解いている。丸じゃなければバツ、アじゃなくて、ウでもないなら イ。それを学習とは言わない。そのことを指導するので、まだまだ手一杯。今年はゆったりした夏になる。それでも、これからも金魚に餌をやるたびに君を憂い入り口から小走りに駆けてくる足音には思わず耳を澄ますのだろう。
2014.07.30
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英語に限定してのお話です。1.語学留学としての留学正直、ほとんど意味がないと思う。「英語なんてしゃべれない」と思い込んでいる人にとっての起爆剤としては意味はあるのかなと思うくらい。留学してしまえば、ある程度英語をしゃべらないと生きていけない。当然、英語に対する抵抗感は少なくなる。そういう意味だ。それならば、高校の交換留学なり大学の短期留学なりで、少し遊んでくる程度でちょうどよい。所詮、この程度のことなら日本においても英会話スクールにでも通えば、できるようになるレベルなのだから。 私がよく授業中に言っているので、塾生なら聞き覚えがあるだろうが「中学で習う英語程度なんてあっちじゃ幼児でもしゃべりますけど、ほんとに難しいんですか?」ということである。まぁ、極論、詭弁の類ではありますがね。もともと英会話がある程度できる人にとっての語学留学はどうか。ある程度、会話ができるというレベルをネイティブの中学1年生くらいだと仮定する。さて、日本人のあなたは日本に住んでいて「中学校から高校生の間に」6年間でどれくらい日本語に堪能になりましたか? ということだ。日本語をしゃべっていても、日本語に詳しくなるか日本語の力があるかは別の話になる。高校生を教えていると、教科書、参考書の日本語の意味がわからない生徒がたくさんいる。大学生になると、さらにわけがわからなく読むことすらできない者が多い。これは学齢に応じて、語彙力、読解力が上がっていかなければならないのに、それについていけていないために起こる。高校受験、大学受験において、一番点を上げるのに時間がかかり、人によってはまったく効果の見られない教科が「現代文」=「日本語」であることの意味をよく考えてほしい。そして「現代文」においては、高校生をはるかに凌駕する小学生すらいることの意味も。積極的に新しい言葉、正しい言葉を取り入れていこう、使っていこうという意識がない場合、日本語だろうと、英語だろうと、語学はまったく伸びない。日常会話は、ほとんど定型文だけで成立してしまうからだ。「うざい」「かわいい」「さいあくぅ」だけで、会話を成立させている者や、自分の思っていることを他人にうまく伝えられない、伝わらない者にとっては語学の道はとんでもなく険しい。さて、まともに英語が使えない状態で留学すると、日本語で書かれていても意味不明かもしれない内容を英語で勉強することになる。基本的に日本の大学よりもアメリカの大学のほうが厳しいのはよく言われている通り。予習に3時間、4時間費やさないとついていけないなどと言われている。授業は質疑応答形式が多いと聞く。自分の英語力に自信のないものが、積極的に前に出ることができるかどうか甚だ疑わしい。したがって、結論としては英語力のない状態で英語力をつけるために留学することの意味が私にはわからない。そもそも、だからこそ、留学のためにはTOEFL IBTで 平均95程度のスコアが求められているのだ。このスコアはもう少し日本人におなじみのTOEIC換算だと850点前後だと言われる。ちなみに日本人のTOEFL受験者の平均スコアが67点くらいで、TOEIC換算630点前後。うちの関係者でいうと、某大阪大学の彼で TOEIC550点くらいでしたっけ・・・。参考にしてほしいサイトTOEFLとTOEICの換算表米国主要大学に必要なTOEFLスコアTOEFL勉強法あなたの留学間違ってませんか←保護者さんも一読すべき。留学やホームステイの効果1←実際に留学されたことがあり現在英語を教える立場の人のブログ留学の効果2留学の効果3留学の効果4留学の効果5
2014.07.29
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ただ、今はひたすら言葉が出ない。
2014.07.29
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