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既にシリーズとなりそうな、東京散歩シリーズです。カテゴリを作ろうかなぁ。とにかく土日が暇で、遠出が出来ない。というわけで、都内ばかり出かけているのでした。^^今回は亀戸天神です。私の実家の御墓がここのスグ裏のお寺にあって、小さい頃からよく行ってました。亀戸天神は、このあたりでは、有名なところ。大宰府天満宮の東京支店です。 湯島にも天神様は、あるけれど、やはり私は、こっちの方が好きだなぁ。それにしても、絵馬の数は、半端じゃないですね。どのくらい御利益があったのでしょう。でも、ここで御利益を買うのは安くないですよ。高いので、私は買うのやめちっゃたもん。ありがたいものだけど、買ったから受かるってものでもないしねえ。 でも、絵馬は好きです。絵馬は、書いたかな。受験直前は時間が惜しくて、本人たちは、ここには来なかったですが。 境内は結構広くて、池とか、太鼓橋とかありますし、藤の花が有名ですが、今の時期は、花なんて当然咲いておりません。残念。でも、池の亀さんたちが、暖かかったせいなのか、みんな元気に泳いでおりました。すんごいかわいかった。 今回ここまで来たのは、船橋屋さんの葛餅を食べたかったから。亀戸天神の船橋屋というのは、葛餅が有名なのですが、お店で食べると特にうまいと、聞いたので、ぜひ食べてみたいと思ったのでした。私は、子供の頃から、ここの葛餅を食べていたので、葛餅ってこれが普通と思っていたのですが、他のいろいろなものを食べてみると、実は、この船橋屋の葛餅がダントツでおいしかったのだという、事実にきづいたのでした。 せっかくわざわざきたんだから、葛餅だけじゃもったいないと、思って、豆寒天もいただきました。おいしかったです。でもね。葛餅は、ふつうに買ってきて家で食べるのと、変わらなかったです。まあ、つまりそれくらい品質が良くて、どんどん売れちゃうから、古いものはお店には、置いてないということでもあるのでしょうか。とにかく気がすんだのでした。もち、御墓参りもしました。
2009年03月31日
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civakaさんのお値段は(6092万7516円)階級は「グラビアアイドル級」です(42階級中17番目)はははははははははははははははははははははははははははは。グラビアアイドルですかぁ。 内訳心 1939万8580円 31.8 % 才能 835万5659円 13.7 % 境遇 684万3439円 11.2 % 人徳 739万3389円 12.1 % 運 1893万6449円 31 % 合計 6092万7516円 - - 総合評価civakaさんがもっている最も高い財産は「心」です。多くの人に愛を与え、思いやりにあふれるあなたの行動はきっと多くの人の心までなごませることでしょう。しかし、才能の値段がやや低いのでこの世知辛い世の中を渡るには少々心細いようです。人に愛を与えながらも、もっと自分の足元を固めていくようなしたたかさが必要でしょう。 ジャンル別評価心のAライセンス civakaさんはかなり美しい心の持ち主です。その心が伝われば、あなたの周辺には穏やかな空気が流れることでしょう。ただし優しさや誠実さなど何も評価しない人もいるので要注意です 才能のCライセンス 才能は乏しいと言わざるを得ません。創造力や応用力に欠け、ナイスアイデア!と思ってもハタから見れば稚拙なものが多いようです 境遇のCライセンス やや境遇は悪いと言えます。自分ではどうしようもない不利な点がすでにあるなどして、「もしこうだったら…」と悔しい思いも多いようです。後ろを向くより前を向きましょう 人徳のCライセンス かなり人徳がないようです。搾り出してもオーラなど出ません。人がついてくるタイプではないので積極的に人と接し、それなりの人間関係を構築していきましょう 運のAライセンス 運がいいです。金運も恋愛運もいいです。ただ、世界がうまく自分の思い通りに回転しても、自分の才能だと思いこまないでください。運の力を過信していると、その運気は突如として逆転するものです 商品化例えばcivakaさんを商品化すると以下のものとなります・マイホームを1軒・世界一周旅行を1周・全自動洗濯機を9台・高枝切りバサミを2セット・コシヒカリを10kg・回転寿司を20皿・うまい棒を11本 また、一日三食を肉まんだけで生活すると230786日(632年と3ヶ月)生きられそうですさらに、普通の生活をすれば12185日(33年と4ヶ月)生きられそうです ジャンル解説心の値段? 心の値段は、あなたの心の純粋さ、やさしさ、愛、正義感などを計測して値段にしたものです。したがって、これが低いとモラルのない人、世に幸せを生み出さない冷たい人ということになります 才能の値段? 才能の値段は、文字通り才能を金額に表しています。才能をいかんなく発揮すれば、その才能だけでこれだけの金額は稼げる、といったものです。才能は現在すぐにお金になって出てくるものではありませんが、将来の収入に直結する重要な要素と言えるでしょう 境遇の値段? 現時点でどれほどあなたが恵まれているか、それを評価したものです。現時点でお金持ちであることはもちろん、普通に生きていられることでさえ財産になります。また、あなたの若さ、容姿、または好きな人がそばにいてすでに幸せであることもここに値段として含まれます 人徳の値段? 人徳とは、あなたが持っている魅力、人に好かれる力、カリスマ性を値段にしたものです。人徳があるとあなたには強力な人脈ができあがり、その人脈はきっと人生の助けとなってあなたを支えることでしょう 運の値段? そのまま、運をお金の価値で計ったものです。運がよければ並みには生きていけるものの、逆に運が悪い人はどんな才能を持ち合わせていても苦しい人生を歩むことになります。本人の意志ではどうすることもできない数値であるわりには、もっとも大事な要素、それが運なのです 以上は、お値段鑑定サイトからでーす。このてのサイトは、本当に多くて、いろいろやっていると、どんな答を選べばどんな判定がでるか想像がついてしまうので、ある意味本当の本音の回答をしづらくて、それゆえに鑑定もかならずしも、真実にはそぐわない結果を出してしまいます。でも、じゃあ、パーフェクトな判定とか、満点だすには、どんな回答だせばいいかとか、回答のしかたで、どこまで高得点だせるかという、遊びもできると、思います。私的には、うまかぼう11本ていうのが、ナーイスです。
2009年03月29日
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学歴ってなんだろうと、思う。日本において学歴が重要視されるのは、新卒で就職する時に、学歴が、就職できる会社を左右するからだ。受験戦争が起きるのも、そのせいであって、どんなに受験システムを変えようと、学歴のシステムがあるかぎり、受験が加速していく事実は変えようがない。 けれど、じゃあ、学歴が絶対的なものかというと、そうでもない。 実際には、学歴は、それほどの力をもたない。結局学歴が力をもつのは、新卒で就職する時だけだからだ。それ以降は、結局本人自身のもつ力だけが勝負の世界であることは、ずっとずっとかわらない。 学歴を得て、就職できたとしても、その先は同じレベルの学歴をもつ人間たちの世界でさらに上に上るには、本人自身が持つ力しかない。 さて、学歴は、実際には、時代によって、同じものでも、実質的な価値と、その学歴をもつ人間の能力はちがう。と、思う。今の時代には、少子化によって、勉強のきらいな人間でも、マーチクラスの学校に入ることができる。勉強が嫌いなのに、大学生。そういう時代なのだ。 私が高校生の頃はまだ、学歴が就職に影響することをまったく知らなかった。実は、私の両親もまた、全く知らなかったのだ。なぜかというと、自営業だったから。サラリーマン社会というものを全く知らなかったんですね。幸せなことに。「なんでみんな、大学に行かせるのだろう」と、不思議に思っていたくらいだ。それでもやはり、長男は、ろくすっぽ勉強をせず、なんとか合格した三流レベルの大学であっても、進学させた。「わからないけれど、みんなが行かせるのだから、なにかあるのだろう」と、そのくらいの感覚だったのだろう。そして、女の子である私に対しては、本人まじめに勉強して、成績もよく、大学にいくことを望んでいたにもかかわらず、私の母は、「高卒でいい、大学にはいかなくていい」と、行ったのだ。そこまでの公教育では、まったく男女平等の世界に生きていた私にとっては、晴天のヘキレキという、なんで?というか。そこには、経済的に苦しいということもあったけれど、学歴があると嫁にいけなくなるということとか、時代的に女の子は大学には行かないというのが普通という価値観も、慣習もあったのだろうとも思う。 たぶん、私が男だったら、母は大学にいかせたの手瀬はないかと思うのだが。それとも、次男は所詮部屋住み扱いだったのだろうか。 そののち、父の説得によって、どうにか、短大進学の許可が下りたが、未だに、四年生大学にいかせてもらえなかったことは、私にとっての人生最大の悔しさでもある。けれど、それでは、自分で働いてでも、大学に行こうとしたかといえば、そんなことは全くなくて、というか、当時考えもつかなかったし、大学にはいきたかったけれど、どうしても行こうとするほどやりたいこと、学びたいこと、めざす職業があったわけでもない。ほんと。あまかったんですね。そして、その当時の女の子は、短大に行くのが普通で、四大にいく女子はめったにいなかった。私が通っていた高校が進学校でもなく、都立で、当時は時代的にも、まだまだまずしく、学歴信仰も薄く、成績の良い男子でも、家庭環境によっては、大学進学なんてありえないというようなことすらあったそんな時代だっのだ。 さて、私より、一世代下の女性たち、今の三十代くらいだと、四大進学者はずっと、多い。ような気がする。そして、女の子でも、大学に行くのはあたりまえという感覚を感じる。 そして今、私の娘時代。たいして勉強すきでもなさそうなんだけど、それでも、同世代の中では、成績のよい方にカウントされ、時代的にどこの学校もそこそこ進学校なのは、当たり前で、本人の望む望まないにかかわらず、大学に行くのは当たり前、というより、もう、時代的にいかせないわけにいかないという、そういう感覚というか、価値観になっているようなのだ。 私の頃なら、さらにもう一世代前なら、たぶん、高校卒業で就職していたというくらいのレベルの女の子なのだ。 むかーし、昔は、大学に行くなんて、ほんとにほんとに、社会のごくごく一部の人間で、そして、エリート、ほんもののエリートだったと、おもうのだけれど、今は、子供の数がすくなくて、だから、大学にいく確立もずっとらく。にもかかわらず、塾通いは昔より、多く、そして、どこかの塾の宣伝じゃないけど、55段階編成で、手取り足取り、勉強教えてもらって、やっと、大学に入った大学生なんて、本当に勉強していけるのかなとも、思う。 おかげで、今の大学は、昔より成績をとるのが大変そう。かつては、大学なんて、ふだん授業にでなくても、学期末にレポートだして、軽く勉強して試験クリアすれば、卒業できた。けれど、今の大学は、成績チェックもきびしいし、うっかりしてると、単位落としかねないし、留年しかねない。 もっとも、私は短大だったし、授業の出席にきびしい学校だったので、大学のことは本当はわかんないんだけどさあ。 というわけで、同じ学歴でも、あきらかに、昔といまでは、学生の能力も質もちがう。それはたとえば、10人の枠に、1000人がはいるのと、100人がはいるのでは、倍率が、10倍違うということで、昔の明治大学の学生は、実質的な、能力はもしかすると、今の早慶くらいは、あったのではと、思う。 だから、大学側がほっといても、学生自身の力で、大学の勉強はらくらくクリアできたけれど、今の大学生は、ほっとくと、大学の講義内容も、クリアできないままになってしまいそうなんじゃないかと、思う。 うちの息子も、もしかすると、私の時代に生まれていたら、いまの大学には、はいれなかったかもしれないとも思う。昔の早慶レベルまでの生徒は、いまはもう全員、東大にいるのかもしれない。 けれど、今はもう本当に少子化で、そんな子供たちに、これからの日本を支えていってもらわなければならないのだから、やはりがんばってもらうしかない。親が大学の入学式にでてるとか、成績をチェックしてるとか、過保護だとか言われても、それはそれでもう、仕方ないんじゃないかと思う。 さて、学歴でいうもう一つの話というと、ようするに、コンプレクスとか。私は、所詮、高卒だしとか、短大卒だしとか。大学でていても、所詮、中堅なんだしとか。どんな学歴でも、みーんな、コンプレックス感じているというのも、おもしろい話だなぁと、思う。 早慶の人たちも、東大じゃないし、と、思ってるし、東大の人も、理3じゃないしとか、思っていそうだ。 どんなに学歴あっても、その上をみて、ひけめ感じちゃってたりしてるなんて、ある意味笑えちゃうかもしれない。自分も含めてね。そして、私の母親世代の女の人たちなら、まずめったに大学卒なんて、いない。高卒とか、中卒とか。戦争で、小学校すらろくろく通っていなかったりする。でもじゃあその人たちが、今の大卒女子よりばかかというと、そんなことはぜんぜんないんだよねえ。 学歴なくても、本をたくさん読んでいたり、人生のこつや、生き方や、考え方やいろんな能力値の高い人、聡明な人は、いっぱいいる。つくづく、人の能力は学歴なんかじゃ図れない。 はかれないのに、図ろうとする、社会や、企業や、偏差値や。 なんてことをいろいろあれこれ、考えてみたりする 本当は、東大にもいけるほど聡明でありながら、女性であるから、貧しいから、時代的に、環境的に無理だったから、だから、学歴なんてないけれどもって言うひととも、いっぱいいるんだよねえ。 時代ともに、学歴のある人は増えているけれど、それと反比例するように、学歴の価値は下がっているのだと思う。 子供を大学まで行かせるには、とてつもなくお金がかかって、大変だけど、もし子供を高校までにして、代々子育てしていければ、子供を大学にいかせなくてすむぶん、そのなに高収入でなくてもいいわけだし、高収入めざして必死に、がんばっても、その収入が、子供の学歴代に消えちゃうなら、もしかして、同じ?なのでは。 高卒でも、普通に、家が買えて、日々の生活を困らずら暮らせて、ちっょとの贅沢くらいならできる。そんな日本になってくれたらいいのになあと、思う。一部の本当に勉強の好きな人たちが大学に行けばいいだけなんじゃないかと、思う。 でもでも、もしそんな時代になっても、私はやっぱり大学に行きたいなあとも思う。そして、大学受験のために高校教育が犠牲になったりせず、過酷な受験勉強もせずに、普通に勉強して、大学にみんなが行かれるのなら、それはそれでいいなとも思う。大学の持つ学びの場独特の雰囲気自体はとてもステキだ。
2009年03月27日
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お彼岸でした。今年は、実家のお墓まいりにも行きました。いつもは、だんなの家のお墓しか行かないんでけどね。だんなの家のお墓はうちからあるいてすぐなのと、段なの実家もあるいてすぐのところだから。 お彼岸まで、あっちもこっちもいくのはしんどいので、あまり私の実家のお墓はいかないのですが、今回は、まあ、暇だったから。 別にねお墓参りはお彼岸じゃなくてもかまわないんだけどね。 実は、御墓参りに行った理由は、あまりにも、腰痛が治らないので、お墓まいりにいったら、直るかもしれないとも思ったのです。でもまあ、そんなはずないよね。 父がなくなってから、まともにお彼岸に御墓まいりに行ったのは、実は初めてです。法事とかでは、いってましたが、それ以外は、なんだかうそ臭くて行く気になれなくて。 で、今回御墓まいりに行って、つくづく思いました。父も鬼籍に入ったんだなと。父が死んで、三年たって、やっと、私の中でしっくりきたような感じです。自分が知らないご先祖様とかは、まあ、最初から御墓に入っているので、そんなものと、思ってましたが、今まで生きていた身近な人がしんだからってねすぐに、はいもうこの御墓の中ですよって、気持ちが入れ替わるわけないじゃん。 実家に行ったときも母が、仏壇に線香あげろっと、うるさくて。もちろん気持ちはあるんだけど、ああいう儀礼的な、強制はやめてほしいなぁと、思う。もっとゆっくりした気もちで、自分のペースでお線香あげるから、黙ってて欲しいのだが。 秋のお彼岸はどうしようかなぁ。
2009年03月23日
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東大生が自分の学歴を言うときに、必ず先ず、『一応』と、つけるというのは、もはや有名な話ですが、それは、日本人が謙虚だからなのか、出るくいはうたれる社会だからなのか、他人の反感をなるべく買わないようなうにというきくばりなのか。 日本が学歴社会なのは、もはやすでに言うべくもなく。そしてだからこそ、学歴は気になるし、有名な人とか、本の著者の紹介欄にもかならず学歴はのっているし、きいてみたくもなるし。 けれど、日常の普段の生活では、まず、きかないし、聞いちゃいけないし、だけど聞きたいという。不思議なもの。 それゆえに、勉強できる方がいいのもまた当たり前。 子育てをしていると、勉強のできる子、できない子いろいろいて、将来幸せになれるかどうかという、確証はもちろんないんだけれど、とりあえず、できるほうがいいのも当たり前。 だから、できる子をもつと、わが子の成績の悪さにちょっと内心いらだっているおかあさんからは、ちょっとした折に、どうせオタクはできるからねとか、○○くんなら、こんな本バカらしくてよまないよねとか、よっぽど何時間も勉強してるんでしょっとか、いろいろいわれます。 そんな時、言い訳してもしかたないかなぁと、思う。とりあえず、「そんなことないから」くらいは、いいますが、それ以上、言ってみても、相手を傷つけるだけだから。 能力の差は厳然とあるわけで。それをどんなにいいわけしてみても、はじまらないのかもしれないと、思うから。たとえそこで、言葉をつくして、自分の立場をまもっても、相手の心を不快にするだけ。 だったらいっそ、相手の言葉をうけとめてしまことしか、出来ないと思う。 東大卒業であるという事実は、やはり厳然とあって、たいしたことないとか、効率の良さできまるとか、いわれても、そうじゃない人間の立場からすれば、そんな説明は意味ないんだよね。 言い訳をして自分の立場とプライドを守るのもいいけど、あえて、相手のために、不快な言葉も自分の立場も、そのままにうけてめてしまう。そんないさぎよさが、今の時代には、だんだんなくなってきているのだろうなと、思う。 いまいろんな人が、マナー違反や、道徳心のなさをみせていて、注意すると逆切れされたり、仕返しされたり、場合によっては、暴力振るわれたりする。注意された時に、素直に自分が悪かったと、認めて誤れないのも、やはり、こういう潔さが、なくなってきているからなんだろうなと、思う。 昔は、集団のために、個が犠牲になる。そういう社会だった。お嫁さんは、自分の人生より、嫁ぎ先のために尽くして働いて生きていたし、家族への奉仕と子育てで、ほとんどその人生を終えたし。社会の近代化とともに、個が社会の犠牲にならない、そういう社会が目標になったけれど、、今は、その振り子が、片方に行き過ぎて、個の尊重のために、社会が犠牲になる。個の主張のために、あやまらない、自己主張する。そういう時代になってしまったんだろうと、思う。だから、今、もう少し、個の主張をおさえるような、考え方や、いき方が、みとめられてもいいのじゃないかと、思う。 昔の日本の男は寡黙であることがよしとされた。今はそんなことしてると、暗いとか言われるし、自己主張しないと生きていけそうにない。 でも、男の人の寡黙というのは、どんな場でもしゃべらない、無口、社交性がないということじゃなくて、言い訳をしないという、潔さをあらわしていたんだなと、思う。 先日放送されたドラマ、『落日燃ゆ』では、かつての総理大臣広田弘毅の人生が描かれていたけれど、彼は、A級戦犯として、とらえられ、殺されてしまう。本当は、彼に戦争責任はなかったと、思う。けれど、裁判では彼は、いっさい釈明しない。自分が釈明し、無罪になれば、そのかわりに他の誰かが捕らえられて、罪を着せられて、断罪されて殺されてしまうと、思ったからだ。戦争責任は、個人のものでなく、戦争をおこした日本人の責任者として、軍人数名と、文人一名くらいは最低でも、断罪しなければ、世界は、納得しなかったのだろう、そう思うからこそ、彼は、あえて、その役を自らにひきうけたのだと、思う。 そういう潔さをかつての日本の男の人たちはもっていたのじゃないかと、思う。 広田弘毅は、そういう日本の最後の男だったのだろうか。 そういう夫の人生をひきうけて、妻は、自害し、子供たちもまた、父の生き方を、引き受けなければならなかった。 そんな夫をもったら、妻は大変だなと、思うけど、幸い私は、そんなりっぱな人間じゃないので、伴侶もそんな立派な人を得ることができるわけもなく、ただの普通の人間として生きていけばすむけれど、そんなふつうの人間でも、時によっては、日常のささいな瞬間に、そんな潔さをもとめられるシーンがあって、どきどきする。 潔さをとわれ、人としての質を問われる瞬間が、なにげないふだんの生活の中に、潜んでいる。批難されたら、素直に謝罪し、不当な言葉をさらりと、うけながせるような、そんな人間になるのは、どうしてどうして、難しいものだ。
2009年03月19日
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先日やっと、長年の念願の月島のもんじゃ屋さんに行きました。いままでずっと「行きたいね」と、話してはいたのですが、なかなか実現せず。今回は春休みで、みんな暇。受験も終って、余裕もありあり。家族みんなで、のんびりと。 ↑入ったのは、このお店じゃないですが、いかにもおいしそうで、こっちのほうがよかったかなとか、入った後も迷ってました。ばかだ。 月島は、佃島という人口の埋め立ての島の一部なのです。その月島の一部に、もんじゃやさんが密集しているところがあるのです。その中に『もんじゃストリート』というところがあって、その通りにずーっと、もんじゃやさんがあるのです。全部でだいたい60店舗くらいあるそうです。 右も左も、もんじゃさんだらけで、どこに入っていいのか迷います。まよった挙句、きめるんだけど、あとでまた、こっちの方がよかったかなーとか、後悔します。せめて、もう一回いってもいいかな。 ただね。高いですね。幾分。それと、一人一つは飲み物を頼まないといけないといわれました。しかもそれが、ラムネ1本でも、315円ですから。ぼったくりじ゜ゃんと、思わないでもないです。もんじゃも、650円から、1300円くらいまで。わりと高いかなとも思います。もんじゃってそもそも、ものすごく安いチープなたべもの。もともとは、子供のお菓子、おやつがわり。子供のおこずかいで、ちょっと、そこらの路地裏で、たべられるようなものだったのに。それなのに、この価格設定ってなんなのかなー。 観光で、ここにきた人に、東京や、下町や、モンジャが誤解されそうだなぁと、思います。 もっとも私だって、もんじゃをまじめにたべはじめたのは、つい最近なので、えらそうなことはいえませんが。最近なんですね。モンジャがさわがれはじめたのって。 もんじゃストリートも、もともとは、月島のいろんなところの路地裏にあったお店が、計画的に集められたのではないのかなと、私個人では、思います。だから、どことなく観光地化しているのでは。 これは、もんじゃ振興会。ここで、マップをもらうといいみたい。最後にもらった私はばかでした。 この価格設定だと、地元のひとは、そうはこないのではないのかなと、思います。お酒をのみつつ、という人はいいけれど、家族連れや子供連れには、ちょっと高いです。いきづらいのでは。けっきょくそこらのファミレスなみには、かかるし。 でも、ストリートからときどきみられる路地裏は、東京の下町そのままでした。
2009年03月18日
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他者の人生をひきうけるということ。 昨日の映画『おくりびと』をみていて、思ったのは、夫があのての仕事だったら、私はちょっと嫌だなあということ。それは、映画の中でも、主人公の妻美香がやはり、嫌悪感を感じて、一度は実家にかえったり、夫にやめて欲しいと何度も懇願したり。まあ、本当にあたりまえの反応で、そういうことが描いてないと、映画はうそになってしまうだろうとも思う。映画の中でも、主人公大悟や、妻の美香がその嫌悪感や社会的偏見と、どう戦っていくかも、えがかれているし、その仕事をどうとらえ、どう考えるかも、もちろん描かれている。 もちろん世の中には、いろんな人がいるので、大丈夫な人もいれば、しんどくて耐えられないという人もいる。だろうと思う。それは、個人の個体差なので、良し悪しはいえない。 人の人生は、その人のもの、とは、よくいわれることであたりまえのことだけど、けれど、人生は、やはり自分だけのものではないのだなと、思う。 夫が選んだ職業は、やはり、夫の人生だけを決めるものではなくて、妻の人生にも、大きく影響する。それが、社会的に評価の高いものであれば、妻もその高評価の恩恵をうけるし、夫の職業が社会的に認められにくいもの、評価の低いものであれば、やはり、その妻もまた、その影響を受ける。結婚するということは、配偶者の人生をひきうけることでもある。相手の失業も、挫折も、仕事選びも、それによって派生するいろんなことも。 映画の中で、納棺師を選んだ男。彼なりに、その仕事への嫌悪感や、違和感や、それらを乗り越えての、プロ意識まで。それは、ともにくらす妻もまた、乗り越えていかなければいけない、ものだったということで。 最初拒絶していた納棺という仕事は、身近な人の納棺をする夫の姿をみたことで、彼女の中で少しづつ、緩和されていく。 映画の中で何度も出てくる主人公大悟の父親は、彼が子供の頃に失踪している。その父親の存在はたぶん、物語の結末で登場するであろうことは、ほぼ想像がついたのだが、遺体となって、最後に登場してくる主人公の父親は、晩年ただ一人で、地方の漁村に暮らしていた。 その父に再会し、彼の心の中の父親と、彼の心は和解する。 志賀直哉の『和解』とか、名画にもよくある題材としての「放蕩息子の帰還」のような、父と息子の、対立と和解は、よくえがかれるテーマではあるけれど。 結婚というものが、他者の人生をひきうける覚悟をともなうように、出産もまた、子供の人生をひきうける出発点となる。彼の人生と、父親の人生が交差し、離れ、もう一度交わった時、息子の側もまた、父親の人生を受け止め、納棺の儀式を通して、父親の人生の最後の総仕上げをすることになる。 夫は、妻の、妻は夫の人生をひきうけらければならないし、親は子の人生をひきうけなければならない。そして、晩年、子もまた親が人であったことも、人として、人だからこその弱みもまたあったのだということも、理解して、引き受けて、和解し、締めくくる。 夫大悟の納棺師という仕事への嫌悪感を乗り越えて、理解し、夫の人生と自分の人生を重ねていく妻美香。 男性に生まれながら、実は女性になりたくて、けれど、自殺してしまった青年や、ルーズソックスをはいてみたかった老婆や、若くしていってしまった人妻、不良になった挙句バイク事故で死んでしまった女子高校生。 その人たちのそれぞれの人生を知り、そこにその人なりの人生を描き出すように死化粧を施していく納棺師の仕事は、遺体となった人の人生をひきうけて、最後の締めくくり、総仕上げをする仕事。なんだと思う。 ひとの人生は、その人のものでありながら、その人だけのものでもなく。配偶者も、子供も、もたない人生は、自分の人生だけをひきうければいい分、楽であるかもしれないけれど、それはやっぱり、つまらないのかもなぁと、思う。けれど、今、子供の人生をあれこれ心配して、しんどいなぁと弱音のでている最近の自分のココロとは、逆の思いにため息が出たりもする。
2009年03月13日
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たしかにいい作品だったと、思います。みていて、何度も涙がながれてしまいました。 ただ、やはりなまぐさい映画であることは、いなめないかなと、思います。戦争映画の残酷でグロテスクな死体のシーンより、はるかにリアルに死体の感触やにおいを感じる。そういう映画でした。 それはやはり、自分の日常で、今、現代の日本で、死体にふれる唯一の場が、お葬式の時で、そして、映画をみているといままで自分が経験してきたお葬式の時の遺体の感触やにおいの記憶が、リアルに思い出されてくるからです。 今回、外国での受賞によって、評価され、注目をあびていますが、それまではそれほど注目されていた作品ではないし、この作品が日本国内の評価によって、ベストヒットになってしまうのには、違和感があります。やはり、外国からの評価としてが、許容範囲かなぁ。外国の人は日本のお葬式をしらないから、評価できるのだと、思います。 それにしても、納棺の儀式がとても美しく様式化されていて、本木君だからこそのうつくしさですね。これがガテン系のひとだと、こう美しくは見えないとおもいます。(ガテン系の人を悪くいっているのではないので、ご容赦ください。) ただ、本音を言えば、やはり、まだ子供の生まれる前に、自分のオットがコノテノ仕事につくのは、やはり堪忍してほしいと、映画をみたあとでも、思います。多くの人の体に触れたオットの手で、夫婦の行為は、女性には、辛いです。 子供が二人既に生まれていて、小学生、中学生になっていて、夫婦関係も、夜の方はもう、というくらいになっていて、仕事がなくてという状況であれば、あるいは、しかたないだろうとは、思いますが、映画の二人は、まだ、子供がいない状態ですからねぇ。実際には、コノテノ仕事の人は、それなりに年配ですし。この映画がそれなりに、美しく見えるには、かなりな気配りと、本木君の、しょうゆ系、草食男子系のキャラクターあってこそだろうと、思います。でも、本木君ねたくましかったけどね。 山形の美しい風景、チェロをひくもっくん、川を登る鮭の姿、そして、石文というエピソードなどなど、考え抜かれた、シナリオは、すばらしかったと、思います。そして、こういう物語だからこその、要所要所の笑ネタなどの配置も、見事です。 死とはなにか。生とは何か。監督からのたくさんのメッセージの他にも、見た人それぞれにそれぞれの感想と、メッセージと、問いかけをうけとれる映画だったとも、思います。感想その2もあります。 おくりびと@映画生活
2009年03月12日
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宮崎あおいは、客寄せパンダ?なのかな。 あおいちゃんが好きなので、みにいったのですが、みはじめたら、三分の一くらいのところで、飽きてきてしまいました。 あおいちゃんの演技は、最初から最後まですばらしいものだったのだけれど、お話自体がぐずぐずで、結局パンクってなんなのか、みおわってもよくわからなかったし、監督は、この映画を、若い人に向けてつくっているのか、それとも、50代の人たちを対象につくっているのか、わからなかった。 若い人たちは笑っていたけれど、私は、何がどうおかしいのか、よくわからなかった。 五十代も、がんばってるし、昔は、同じように青春があったんだよっと、若い人にいいたいのか、おじさんがんばれよといいたいのか、でも、映画をみていても、どちらのメッセージも感じ取れない。 なぜ、この映画がピアで、一位なのか、どうしてもわかりませんでした。 おもしろくないし、いまどき、パンクの映画をいまさらみてもしかたないし、ただ、宮崎あおいが出ている。というそれだけで、集客しているような。 最近の宮崎あおいの出演作品は、これにしろ、『闇の子供たち』にしろ、一見いい作品にみえるけれど、実は駄作という作品が多いように思える。せっかく、演技力のあるいい女優さんなのに、おしい。もう少し出演する作品をよく吟味して欲しいと、思う。 この映画も、宮崎あおいの演技が、うますぎてかえって、空回りしているように思える。 役のキャライメージとあえて逆の役者を選んだと、宮藤監督はいっているけれど、そういうキャスティングというのは、世の中の監督なら体外、一度くらいはやりたいと思うようなことで、さほど珍しいことではない。問題は、その配役をした後に、いかにうまく役者と役どころをはめていくかだと思う。そういう意味でも、足りない映画だったと思う。 特に佐藤浩市。三谷幸喜の『マジックアワー』では、バリバリ硬派の佐藤浩市を、コメディで、くずさせつつ、彼のもつキャラクターを反転させて、さらに反転させて、うまくいかしきっていたとも思うのだが、宮藤監督は、佐藤浩市を使いこなしきれていないし、せっかく、逆の配役をしていながら、それを生かしきれていないと思う。ここまで、佐藤浩市をくずさせるなら、だからこその彼のよさをもっと出し切らせてあげて欲しかったと、思う。今回の佐藤浩市は、本来の硬派キャラクターから、崩された役を演じただけ。そこまでくずして、殻をはずしたからこそ見えてくる彼のよさを引き出して欲しかったと思う。割れたからがまた、ボンドで彼に貼り付けてある。そんな感じだった。宮藤監督にはまだ、佐藤浩市は使いこなせないようだ。 ストーリー自体もだらだらで、ラストにいたるまで、ほぼ予定通りのストーリー展開。ここまでつきあってみてきた観客にたいして、なんの得るものもなく終った。残念。 次回のあおいちゃんの出演作は、『剣岳』だそうである。懲りずにみにいきたいけれど、できれば、良作であって欲しいと、思う。
2009年03月10日
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入りました。本日めでたく。少し前にどうしようどうしようと、いろいろ書いたけど、結局その後決定しました。そして、半信半疑で、大丈夫かなとか、ネットでの評判とかいろいろみたけれど、とうとう本当に今日、光は我が家にやってきました。実際には、思ったほど大変なこともなく、以外にすんなりいきました。びっくりです。業者さんもいろいろと、たぶん、なれてきたのだと、思います。ネット上ではいろいろトラブルもかいてあったけど、やはりそういう苦情をうけて、いろいろ改善されたのではないかとも思います。一口に、NTTですといって、やってくるけれど、だいたいは、下請けの代行業者ですので、まあ、じっさいのところ、その業者さんの腕次第。あたりはずれも、あるのかもしれません。でも、今回我が家にやってきた、業者さんは、かなりさくさくと、やってくれたと、思います。NTTの光ファイバーの電柱からの配線と、屋内の配線をしてくれました。そのあと、スカパーの人がやってきて、テレビの接続をやってくれました。そしたら、いままで、ほとんど、2,3個のちゃんねるしかみられなかった、古いテレビが、BSも含めて全部、見られるようになっていました。テレビ自体がこわれていたわけではなかったのですね。あとまた、しばらくしたら、地デジ対応のテレビを買いに行きたいぞー。なにげ、テレビが美しいです。ネットのほうは、とくに、すごく速くなったとかは、わからないけれど、ヤフーももう、6年もやっていて、いい加減ルーターも、古くなっていそうなので、そろそろルーター自体をかえられないのだろうかと、思っていたので、まあそこそこのタイミングなのではないかと、おもいます。ちなみに、プルバイダーは、OCNにしました。最近やたらと、アタックナンバーワンのコマーシャルをいれているやつですね。ただ、OCNのサイトページって、シンプルすぎて、味気ない。さてこれから、メルアドの登録をいろいろと、変えなければなりません。ちなみに、楽天は、いくつかメルアドを登録できるのですね。今回初めて知りました。
2009年03月07日
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光導入にからんで、フリーメールを作ろうと、思い立ちまして、プロバイダー選びもかねて、ニフティを見に行きました。フリーメールが作れるということで、私の遊びがてらのメールは、みんなここにしようと思い、登録したのですが、そうしたら、その中で、「ニコットタウン」の広告があって、こちらも登録しました。最初はなんのサイトなのかよくわからなかったのですが、サイト内のいろんなゲームをしたり、サイト内のいろんな人に会って、ステキボタンというものを押してもらったり、ブログを書いたり、すると、コインがもらえて、そして、そのコインで、サイト内のお店でアバター用の服を買ったり、ガチャをまわして、アバター用の服やアクセサリーをもらったりできるのです。そういうものを集めて、自分のアバターに着せたりして、アバターを楽しんだり、他の人のサイトにコメントしたり、ブログにコメントしたり、サイト内のタウンにでかけて、アバターを使いながら、おしゃべりしたり出きるという、サイトです。最初はよくわからなくて、なんだろうと思いながらやっているうちにだんだんはまってきました。でも、コレにすごく時間がとられるので、最近楽天ブログがお留守状態です。笑まあ、暇な時にちょっとやるくらいののりでもいいんですけどね。なれてきたら、だんだんアバターがかわいくなってきました。ほかにも、コインで家具などをかって、マイルームを飾るということも出来ます。なにしろ楽天のアバターは、いまどき信じられないくらい、ダサいですからねぇ。ネット上にはかわいいデザインのアバターやサイトがいろいろあるのに、楽天のセンスの悪さはなんとかならないのかなと、つくづく思う今日この頃です。 天蓋ベットも無料コインで買える。 (注リアルではありませんからね)
2009年03月04日
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