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毎度オープンキャンバスについていくのは、本当は過保護だからではありません。私がいろいろな有名大学を見てみたいからです。単純に好奇心です。こんなきっかけでもないと、見にいけないし。大学の講義も聴いてみたいし、学食も興味あるし、たべてみたいし。というわけで、この夏いろいろといきました。立教のオープンキャンパスは、真夏の炎天下に行ったので、体力的にとてもきつかったです。夏のOCは、つらいです。そうはいっても、秋は秋でいそがしいし。で、なぜか今頃のアップとなりました。 池袋のちょっと北西。いささか歩きますが、地下鉄なら、それほどでもないかもしれません。いわずとしれた、マーチの筆頭。ですが、最近の偏差値表は、こまかくまざっているので、なんともわかりにくい。 とにかくきれいな大学です。びっくりしました。受験の時、模試をここで受けた長男がすごくきれいだったといっていたのですが、なるほど。徹底的に管理されて、美麗な構内。びっくりです。どこの芝生でランチを食べてもきもちよさそう。 イギリスの寄宿学校を思わせるようなたたずまい。キリスト教系の学校はたくさんありますが、ここまで徹底的なのは、初めてです。そして、すごい人の多さでした。ハリーポッターにででくるような学食の食堂。でも、そんなに大きくもなく、とにかく混んでいて、並んでいたので、あきらめて、もっと裏のカフェで、カレーをいただきました。こちらは、メニューも少なくて、しかも、辛いものばかり。店内もあんまりきれいでなくて、しかも、安くない。あまりいい感じしませんでした。外の校舎はどこもあんなにきれいなのに。 この木に毎年クリスマスになると飾りつけがされてライトアップされるらしいです。毎年NHKとかが、中継しにくるとか。今でもきれいなのに、さぞやクリスマスは、きれいでしょうねえ。12月の模試には、ここの会場を使うのをおすすめします。さぞや、冬の寒さや、受験勉強のストレスがすーっと解消されるにちがいありません。 そして、明治時代風の建物の中に、近代的なビルも混在していました。たくさんの校舎がコンパクトに敷地内に建っていて、広すぎないので、移動もラクそうです。私は、この日は、史学と会計の講義を聴いて、ガイダンスを聞いて、ランチを食べました。でも、なんとなく講義内容がつまらなくて、途中で出たくなってしまいました。マーチトップの大学なのに、こんなものなのかなと、ちっょと不可解でした。建物のきれいさと、偏差値の高さがなければ、ここの大学は、入りたいとおもえませんでした。でも、人気は高いのですよね。まっ、そんな偉そうなことは、受かってからいうべきです。はい。 「立教大学(文.法.経済.理.社会学部)」エリア東京都 > 池袋ジャンル学校住所東京都豊島区西池袋3-34-1説明立教大学(文.法.経済.理.社会学部)クチコミ立教大学(文.法.経済.理.社会学部)もっと読む
2009年09月30日
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地デジ対応テレビを買いました。32型です。今まで我が家は、極力小さいテレビを趣旨に暮らしてきました。テレビ中心の生活って知性なくていやだと、思っていたからです。それにお金なかったし。 でも、最近は年とって視力が落ちてきてつらくなったのと、大画面でゲームやりたくなってきたからです。ふふふ。 それでも、26型でいいかなと思っていたのですが、値段的に26も32もかわらない。場合によっては、32のほうが安かったりする。で、このシルバーウィークにあてた大セールでいろいろ売り出していたので、とうとう買ってしまいました。我が家のテレビはがんばればまだまだみられたのでので、ちょっとくやしいのですが、たぶん、二年後のチェンジ直前になると、みんながドタンバでテレビを買い始めて、いいやつが買えなくなるかもしれないと、思って、エコポイントのきくうちに買うことにしました。 大画面。 やっぱりいいです。特に映画とか。ラジコン飛行機のDVDとか。 もう一台買わないとならないけど、とりあえず、一台かったからいいや。 ところでですね。今回テレビを買ったので、エコポイントが12000点。リサイクルしたので、そのエコポイントが3000点です。あわせて15000点。 ところが、実際にポイント交換をしようとすると、手数料をとられるのですね。ほぼ400から500ポイント分とられる。そういうところが結構あります。 だから、15000点あっても、実際には、14500までしか使えない。500点のこっても、どうにもうまく使えません。結局使い残すしかない。それに意外と、交換できるものが少ないです。 JCBだと、手数料として、400点かかるので、14000点と400点つかって、600点残る。600点は細かすぎてつかえません。大概のところが1000点以上だからです。(ちなみに、JCBは、14000円分のギフトカードと、500円分のクオカードにかえられるパターンもあるみたいです。これでも、100円分は使い残ってしまいます。それと、JCBのサイトをみないとわかりません。) ほかには大概が500点とハンパな手数料系の費用がかかります。 うまく組み合わせようとしても、パズルみたいで難しいし、なんとか組み合わせられるとしても、こんなの別にほしくないとか、高過ぎて割りに会わなかったりする。ぴったり、手間料なしで、交換でき。百貨店のギフト券もありますが、デパートって今はほとんどかいものにいかないし、割高なものばかりだし、交換したくないですね。 エコポイントなんだから、テレビやエアコンをかった電気店のポイントに交換できたり、次回の家電品を買うために使えるのが一番なのではないでしようか。 で、悩んだ末に私は、図書カードにすることにしました。図書カードだと、3000円以上なら手間料かからずに、全部換えられるのです。 それにしても、このポイント交換システム、絶対ヘン!!!!! もう少し考えてほしいです。 ちなみに、もう一台買う予定のテレビや、DVDレコーダーなどは、二年後でもいいかなと、思いはじめました。日本の電化製品の技術の進み方はめちゃくちゃはやいので、今買えるものと同じレベルの電化製品が、二年後には、今買うとつくエコポイントの12000円分より、安い値段で買えてしまう可能性があるかもしれないと、思えてきたからです。 今までのテレビは、4万円代で買ったもの。それが、32型の液晶が7万円弱で変えてしまいました。比較してみると、すごく安いです。それを考えると、同じものが二年後には、いくらになっていることか。 今買うか、もっと切羽詰って買うか。一種の賭け ですね。 結局いつ買うのが一番いいのか。読みの力をためされるイベントともいえましょう。
2009年09月29日
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いったいいくつ見にいくの?とおもうほど、行きまくりのオープンキャンパスです。あまりにも多いので、私も全部付き合ってるわけではないけど、成蹊大学は一回くらい見てみたかったのと、わりとめざしてもいいんじゃないかと、思いました。中学高校の付属のある、お金持ちの学校のイメージでいたんですけど、大学になると、付属に比べて偏差値がおちるのであれーっと思いました。付属の人たちは、大学はもっと上をめざしてしまうらしいですね。それでも、お金持ちのブルジョーワな雰囲気の学校のイメージがありましたが、いってみると、なんか静かでおちついていて、よかった。それと、面倒見よさそうだし、なにせ、三菱系列の会社とかかわりが深いので、三菱系を目指すには、いい学校ですよね。よく学校案内にのってるのがこのケヤキ並木の写真ですが、実際にナマでみたら、写真ほどではありませんでした。写真てホンモノよりきれいだし。しずかーな森の中のイメージだったのだけど、実際には、商店街をあるいているといきなり、この並木道。そして、想像より短かったです。とりあえず、レトロな本館。一応きれいでした。でも、図書館はすごかった。大きくてりっぱで、SFっぽくて、おもしろい。で、やっぱりいまどきは、親も一緒の人が多い。なんとここには、親と来てる男の子もいたし。^^後半は、成蹊の学生さんたちが、自分の受験勉強について話してくれました。でもって、最近は、どこでも、シャープペンと、バックと、飲み物は、常識のようです。雰囲気とか落ち着いてるし、やはり品もよさげ。なかなかいいですね。でも、吉祥寺からすごく遠い。私にはつらいのだ。とーってもつかれました。しかも、この日は、吉祥寺の町のおまつりでした。帰りに神社によって出店で、いろいろ食べちゃいました。そのあと、駅前には、おみこしと、それをかつぐたくさん人たちがいて、活気がもりもり。吉祥寺の駅前には、東急やイセタンやロフトがあって、家から自転車でこのてのお店にいけちゃうなんて、すごすぎる。人もすごくたくさんいて、すごく力のある町だなっと、思いました。人も町もすごい。吉祥寺か人気の町の理由が分かりました。なんせ、吉祥寺に行ったのは、なんと、初めて。おつかれさまでした。 「成蹊大学(工.文.法.経済学部)」エリア東京都 > 吉祥寺/三鷹ジャンル学校住所東京都武蔵野市吉祥寺北町3-3-1説明成蹊大学(工.文.法.経済学部)クチコミ成蹊大学(工.文.法.経済学部)もっと読む
2009年09月27日
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アジア風のチキンライスというものがあることを最近知りました。自分でネットのレシピをみたりして作ってみたけど、どうもうまく作れない。そもそも、食べたことのないものって作れないわよねえ。やっぱりホンモノをたべてみなくちゃというわけで、食べに行きました。検索をかけるとほぼ一番にでてくるのが、ここのお店。『海南鶏飯食堂』ふつうのちょっとしたお店なのに、このセオ対策のすごさは、おみごとです。どこのホームページやさんにたのんだのだろう。それとも本当に評判でいろんなところにリンクされて紹介されているのでしょうか。ま、それはいいとして、場所は、六本木ヒルズのすぐとなり。それも裏のほう。しらなければ、ぜったいみのがしてしまう小さなお店です。しかも、ランチのメニューは、チキンライスとカレーライスしかありませんでした。サイドメニューは、いろいろありますけどね。にもかかわらず、ほぼ満席状態で、かなり客の入りのよさ。感心しちゃいました。 おみせは、白い壁と入り口が少し庭になっていて、店内は、東南アジア風です。そして、お客さんのほとんどがチキンライスを頼んでいました。知る人ぞ、知るチキンライスのお店なのでしょうか。季節がよかったので、窓も全開で、外のオープンデッキのテーブルもみんな満席でした。お外の席もきもちよさそう。それに外で食べると、いかにも、アジアっぽい。 そして、テーブルの上には、レシピを書いた紙のランチョンマットが。もってかえって、作ります。ふふ。 そして、これが海南鶏飯。アジアのチキンライスです。鶏肉を弱火で長時間かけてゆでる。そのゆで汁を使ってご飯を炊きます。でも、タレの作り方と味ががどうもわからなかったのですが、このお店では、甘い味の醤油ダレと、唐辛子とにんにくのおろしたものでした。たぶん。コレを自分の好みでチキンにかけていただきます。私は辛いのがだめで、醤油ダレだけ。ダンナさまは、ほとんど全部かけてました。全部かけるとからそうだけど、自分の好みで調整できるのがいいです。どことなく、ほんのりとアジアのハーブの香り。ほんとはもっと、ハーブがきいているのではないかと、思うのですが、日本人むけにハーブは、おさえめだったのではないかと、思います。でも、そのほんのり感がよかったです。そして、ご飯は、インディカ米のジャスミンライスでした。普段インディカ米なんて、ほとんどたべないのだけど、さらさらしてておいしかったです。ただ、並と、大盛りがありましたが、並はわりと料が少なめ。ふつうの女性でも大盛りたのんでも食べられそう。わたしは、わからなくて、並をたのんでしまって、たらなかった。大盛りをどうぞ。暑くて食欲のない真夏でも、さらっとたべられるさっぱりしたチキンライスです。こんどまた、我が家でも、作ってみるのだ。ご馳走様でした。 「海南鶏飯食堂」エリア東京都 > 六本木ジャンルアジアン住所港区六本木6-11-16 中銀マンション裏手説明海南鶏飯食堂 (アジア・エスニック料理(その他))クチコミ鶏飯とジャスミンライスが絶妙です。最近のお気に入り店。もっと読む
2009年09月26日
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『キャリアこぎつねきんのもり』の続編です。「きんのもり」の一巻では、四歳だったわらしちゃんは、とうと小学生になりました。すごいです。この話そんなに私は好きなわけじゃないんだけど、でも、わらしちゃんがかわいいという、それだけで読み続けています。というか、作者の石井先生が好きなので、このセンセイの作品は本屋でみたら、即買いなので、中身チェックなんてしないもん。 わらしちゃんなんと、小学校お受験してます。私立小学校なんて好きじゃないけど、まあ、このお話の場合は、主人公早歩さんの勤めているホテルに近いので、学校終わったら、バスでわらしちゃんがホテルに帰れるからという選択なので、ま、そういう選択もあるんですね。 でも、このお受験シーンがなかなか面白かったです。読んでいて、うちの息子も筑波大付属くらい受けてもよかったかもしれないと、思ってしまいました。おもしろそう。筑付なら、国立だから、安いし。でも、あそこは、中学、高校と上がるための内部進学にきびしい成績チェックがあるので、大変そう。ほかも、私立によっては、小学校受験では、むずかしいのに、上にいくほど、レベルや偏差値のたいしたことのない学校になっていくところもありなのでねえ。 それにしても、学力なんて、はかれないし、私立小学校っていったい、どうやって、選考するのでしょう。やはり、面接で、いかにもお金ありそうな家からえらぶとか?面接ってたぶん、やくざかどうかとか、危ない世界の人かどうかとかも、チェックしてそう。親の中には、いかにも、品のない人たちもいるし、この人若い頃は、ギャルだったのかなとか、そういう人もいるからねぇ。あ、こんなこと書くと、差別とか、いろいろクレームのコメントがきそうで怖い。 ただね。公立小って、おとなになったら絶対かかわらないような世界の人の子どもたちとかとも、同じ教室で、関わってかなきゃならないから。貧乏人や、危ないひとたちと、うちのかわいい子どもを接点もたせたくないと、思えば、私立入れるのでしょう。お金のある家はいいなぁ。でももちろん、うちの子達は、公立小で、問題なく、成長させていただきました。はい。 話がそれました。人に顔をみせるのもいやなほど、心に傷をもっていたはずのわらしちゃんが、いつのまにこんなにタフになったのでしょう。びっくりです。やはり、ホテルの保育室って、子どもながらにいろんな子どもたちとオープンに接している場所。子どものうちからいろんな人たちとかかわることのできるオープンな場所で育ててもらえるって、すごくラッキーなことだし、子どもにもいいことなんですね。うらやましい。日本は働かないかぎり、保育に預けるってできないからなぁ。その保育所自体不足してて、問題になってますからね。 しかし、中盤で早歩さんがわらしちゃんの人間関係で悩んだ時の十川さんのセリフ。 「人に好かれるように生きる学校生活は生き地獄ですよ。」 つて、うーん。すごい。この巻の中ですごくインパクトありました。私もほとんど人の機嫌をとるような行動のできない人間なので、もう少し他人の機嫌とるような行動とればもっとラクなんじゃとかずーっと、思っていたけど、そうでもないのかぁ。うちの母親なんか会うたんびにいかに他人の機嫌をとって、うまく立ち回ることが大事かをえんえんと説教してくれますが、聴いてる私はもう、しらけるばっかり。めんどくさいから、だまって聞き流してますが。 ま、だいたい自分の行動の基準を他人の機嫌取りにおいてたら、どうにもなんないものねえ。人の機嫌や価値観なんて、人によっても違うし、その時の気分や体調や都合でも変わるし、あくまでこっち側の想像でしか予測できないことを基準に動くなんて、…不可能です。 それにしても、十川さん。早歩さんのこと、好きだったんですね。それを思うと早歩さんの言動はある意味とっても残酷ですが、それがまた、たまらなくよかったりするのかもしれないし、はらはらしながらも、もしかしてたのしいのか? いえいえ。ほんとに最後には、二人がくっついてほしいなと、読者としては、心待ちにしつつ、ずーっと読んでます。この二人がカップルになりそうなのは、「きんのもり」の最初から想像はつくんだけど、最近の漫画ってたまに読者の期待を裏切ることがあるからね。 早歩さん。自分の産んだわけでもない子をここまで必死に育てていて、偉いです。早歩さんの場合は、恋愛と結婚すっとばして、いきなり子育てですからねぇ。今の私は、息子がかわいいながらも、早くでてかないかなあとか、時々考えることアルもので。ははははははは。子育てって自分の子でもたいへんですからねえ。ま、子どもが成人したら、そう思うのは、ふつうのことですが。 いるとうざいけど、いないと、さびしい。矛盾だらけ。
2009年09月19日
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配偶者控除がなくなると、騒がれてますが、いろいろ問題点はあります。扶養控除というと、配偶者と子どもとそのほかの養っている人を含みます。でも、民主党が扶養控除をなくそうとしているのか、たんに、配偶者控除を失くそうとしているのか、いまひとつよくわからないので、この記事では、配偶者控除に話を絞って書いてあります。 配偶者控除によって、免除されている所得税自体は、たいしたことありません。奥さんがいることで夫の収入からひかれる所得税の金額から免除されるのは、微々たるものです。テレビでは、配偶者控除がなくなると、増額だと騒いでいますが、ふつうのサラリーマンの収入では、そもそも、配偶者控除がなくても、普段とられている所得税自体がすごく少ない額です。でも、これのせいで、事務手続きが増えています。そして、配偶者控除がなくなることで、増額になるのは、本当に年収1千万以上の高収入の家庭だけなのです。それなのに、さも大変なことのようにテレビでは騒いでいます。テレビ局の人たちって、高給だからね。視聴者のためじゃなくて、自分たちに不利だから、騒いでいるだけだと、思います。ね。でも、高収入の人たちは、そもそも雌雄乳が多いのですから、配偶者控除や扶養控除がなくなって、増税されても、それほど困らないと、思いますが。 所得税の税額表なんて簡単にみられるのですから、家にある給与明細をみながら、配偶者控除がなくなると、いくら増額か実際に見てみることをお勧めします。夫の月収が40万なら、子ども二人いる家庭で、月額3千円くらい。年間で5万円からくらい。ほらね。民主党が払う子ども手当て二人分と同じです。少し具体的に見ると、月収401000円では、扶養者のいない場合の所得税は、16410円。妻がいる場合は、13240円。妻と子ども一人で、10070円。妻と子ども二人で、7520円。妻も含めて扶養者が一人増えるごとに免税される金額は、3170円なのです。子どもがいても、いなくても、配偶者控除がなくなった時の月額の所得税は、3170円増えるだけです。この12倍で38040円。このほかにボーナスが加わると、おおくても、2万円弱くらい。です。これが年間に増える税金です。実際には、月40万だとしても、所得控除や社会保険控除などで、課税される金額はもっとずっと少ないです。税額表の金額は、所得控除と、社会保険を引いた額なので、実際の所得の額面はもっと多い金額になります。また、実際には、ボーナスも含めて一年間の収入として計算されるので、これは、あくまでおおまかな計算にすぎません。年収での計算表をみたほうがいいのですが、見つけられませんでした。これが、月収20万だとすると、もっと少ないです。 それと、妻自身の収入も100万円までが非課税ですが、もし課税されるとするとしても、0円です。 この他に住民税がそれざれ免除されています。ちなみに、住民税のほうが所得税より高いです。ぜんぜん。が、これらのものが課税されるより高いのが社会保険です。月収40万でも、家のローンや子育ての教育費などで、ぎりぎり精一杯なのが、今の日本の家庭です。なんでなんでしょうね。それゆえに、たとえ、年間5万円でも、支出が増えるのは、いたいのですが、私が今回の記事でいいたいのは、この所得税の増える分よりもっともっといたい支出が生じるかもしれないという、事について書きたかったからです。それは、つまり『社会保険』です。 会社は、この配偶者控除を基本にして、妻帯者には、配偶者扶養手当てがあるのですが、それがつかなくなります。(ちなみに、我が家の給与明細をよくみたら、やくしょくでもないのに、扶養手当ついてなかった。昔はついていたのに、いつの間に。きずきませんでした。不覚。はあ。うちの会社せこい。給料も安いし。安く使われてるなぁつくづく。) それで、妻が配偶者控除の対象であることを基本にして、会社の健康保険と、年金保険に加入しているのですが。 もしこれがはずされると、妻自身が自分で、国民健康保健、国民年金に加入して、その保険料を月々払っていかなければ、なりません。この金額がいちばんかかりますし、私としても、配偶者控除がなくなることで、それらが全てはずされるのが一番心配で、怖いのです。 国民健康保健は、月額2万くらい。年間26万円。たかっ。国民年金は、年額16万くらい。あわせて、40万以上。ひえーーーー。自分でやってみたので、計算間違ってるかもしれないけど。 だいたい、今の奥さんたちの場合、これを考えて、年間100万以内の収入でおさまるように働いています。もし、この枠をこえると、150万円以上にならないと、上記のように、逆に引かれるものが増えてしまって、実施収入が減ってしまうからです。そして、この枠の制で、パートなどの時給もなかなか上がらない。上がっても、困るからだと、思います。でも、パートでがんばって働いても、妻の稼げる額は、120万くらいがせいぜいだと、思います。その金額まですら働けないのが、今のシステムです。 そして、この制度があるために、夫の収入が300万だろうと、400万だろうと、600万だろうと、 奥さんが働いて、家計を助けられる限度が100万になってしまうという問題点があって、しかも、20年以上前から、限度額が100万円のまま、物価が上がっているにもかかわらず、いっさい変更されていないことです。 だから、夫の収入が少ないほど不利ですし、その場合はもう、妻も、正社員として、年収200万以上をめざして働かないと、まともな暮らしも、子育てもできません。そうなるともう、家のこととも子どものこともやりずらいし、PTAもできないし。(もっとも、今のPTAなんて、たいしたことやってないけど。) わたしがのぞむのは、配偶者控除はなくしたとしても、奥さんの年収に関わらず、健康保険、年金は、夫の会社のものに入っていられるようにしてほしいということ。(妻が正社員として働く場合は、別として。)いえね。ほんとは、配偶者控除もなくしてほしくないですよ。もっとも、うちは、もっと収入すくないですが。(だから税金も少ないけど。) 以上は、サラリーマン家庭のお話に限ってます。自営業はまた、事情違ってきますので。 正社員の妻はその会社の保険でいいと思います。でも、正社員ではない、パートなどで働く場合、収入は不安定です。そして、年収が100万を超えた場合、翌年から配偶者控除をはずされてしまいます。でも、その翌年にも、それだけの収入があるとは、限りません。パートってすごく不安定だし、年収がきちんと決まってるのって、正社員くらいなものです。 少なくとも、子育てをしている家庭の妻に対しては、収入にかかわらず、夫の社会保険に加入できること。それだけは、残してほしいと、思います。その方が、各家庭にお金を配るより、事務手続きが、簡単にすみますし、働こうとする女性の意欲をのばしていけるし、男女共同参画社会を勧めていけるはずです。 制限なく働きつつ、社会保険だけは、補償してほしいし、家族が全員同じ保険に入っているほうが、管理もしやすいはずだと、思います。 さて、どうなるのでしょうか。
2009年09月17日
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アメリカのホラー映画っていうのは、「怖いよ怖いよ」って宣伝される割には、いつもあんまり怖くありません。なんでかっていうと、でてくる怖いものの正体が悪魔だから。あれほど騒がれていた『エクソシスト』にしても、怖い相手は、悪魔なんですね。悪魔と戦う話。 私たち日本人は、悪魔とか、地獄なんてないっと思ってますから、悪魔とか出てきても、モンスターの一種、ウルトラマンにでてくる怪獣と同じレベルでしかない。だから、怖いと宣伝されて、映画の中の人物たちがびびっていても、ちゃんチャラおかしい感じで、見終わった後には、また騙されたな、駄作じゃんとと言う感想がほとんどです。 なぜなら、日本人にとって、怖いのは幽霊だからです。ジャパンホラーのほとんどは、幽霊です。幽霊に関しては、一度も見たこともない人でも、もしかすると、いるんじゃないかと、心のどこかでなんとなく信じています。だから、幽霊の話ってすごく怖いんですよ。私たち日本人には。じゃあ何で怖いかっていうと、幽霊というのは、だいたい呪いとか、恨みの具現化したものだからです。誰かに殺されたとか、誰かに怨みをもったまま死んだ人が、その恨みをなんとかしようとしてでてくるのが、幽霊です。 日本人が一番恐れているのが、他人の恨みを買うことです。なんでかっていうと、農耕社会だから。一つの村落を形成して、その村びとたちが協力し合いながら、農業をすることで、生きていくのが日本です。だから、人の恨みを買ったりして、その集団の中で生きていけなくなると、自分の生死に関わるわけです。 だから、「村八分」とか、「いじめ」とか、「仲間はずれ」とか、「世間様」とかが、一番こわいのです。日本人が恐れているのは、ひと、他人です。 その一方で、西洋社会の場合、キリスト教社会なので、一番怖いのは、『神』です。神の怒りを買うことが一番怖いのでしょう。神は天上にいて、人間が悪いことをしないように常に見張っているわけです。そして、悪いことをして神の怒りを買うと、ひとは地獄に落とされてしまうと、信じられているからです。このあたりの感覚が、日本人にはどうしても、わかんないんですけど、でも、本当に西洋人は、信じているように思います。 もともとは、悪いことをしている人間に対して、悪いこと(殺人とか強 姦とか、盗みとか)をしないようにするために、悪いことをすると、地獄に落ちるよ、地獄に落ちるとずーっと永遠に業火に焼かれ続けたりして、この世のなくなるまでずーっと痛い辛い思いをしなければならないよと、諭されたわけです。で、悪いことはしたら、反省して、悔い改めて、常に悪いことしないようにきをつけなくちゃだめだと、いったのが、キリスト教です。ところが、それを聞いて、悪いことをしないようにするという部分より、地獄に行かされちゃうという部分の怖さの方がインパクトがあって、人々の心に残ってしまったのでしょう。で、悪いことをしたら、懺悔して、でも、あいかわらず、悪いことはしていねのが西洋人。それでも、昔よりはずっと、悪いことはしなくなったのでしょうか。でも、あいわらず、地獄と悪魔は怖いわけです。深層心理にすりこまれてるのでしょうか。 だから、その神の怒りを買ったときにおとされる地獄、の使い手であり、悪いことをした人間を迎えに来るのが悪魔なのです。 だから、西洋の映画にでてくる悪魔はどんな目的があるかとか、どんな力があるかとか関係なく、いるだけで、でてくるだけで怖いのだと、思います。それは、無条件で、たとえ自分に関係なくても、でてくるだけで、怖いと感じる日本人にとっての幽霊と、おなじなんだと、思います。 だから、アメリカ映画や洋画のホラーに出てくるのは、いつも、悪魔であり、そして、西洋人にとっては、とてつもなく怖いのでしょう。 映画「ミラーズ」でも、最初はわからない怖いものの正体は、悪魔です。物語の後半で悪魔が現実に具体化するところで途端に日本人はしらけてきますが、たぶん、西洋の人たちは、鏡の中にいた悪魔が、具現化すること自体がすごく怖いのだと、思います。それは、まだまだ行くのは先のはずだった地獄に、いますぐつれていくために自分をむかえにきた存在だからです。 そして、鏡の向こう側というのは、西洋では、地獄のひとつなのではないかと、思います。日本でも、夜中に鏡を見るのは怖いんだけど、西洋でも、鏡の向こうは、悪魔のいる世界であり、それは、つまり、地獄ということです。だから、ラストで、主人公が鏡の向こう側に閉じ込められてしまったということは、地獄つれていかれてしまったということなのだと、思います。 真夜中の12時に向かい合わせにした鏡の中から悪魔がでてくるという話を昔きいたことがあるけれど、つまり、鏡の中というのは、悪魔のすんでいる世界であり、普段はでてこれないけれど、なにかのきっかけで、でてこれる。その悪魔が現実世界にでてこれるきっかけの一つが、「エクソシスト」で悪魔に憑依された少女。悪魔がとりつくことのできる体をもった人間がたまにいるのだと、いう解釈になるのだと、思います。 鏡の中にいるはずの悪魔が現実世界に干渉できる力をもてるようになったきっかけが、映画「ミラーズ」の中では、アンナ・エシカーに一度は憑依していた悪魔であり、そこから一度鏡にもどされてしまった悪魔が、もう一度現実世界、地上世界に戻ろうとしていたという物語です。 主人公が働いていた廃墟同然のもとデパート自体が、なぜ壊されずずっとあるのか、しかも、さらに警備員をわざわざ雇って夜中にパトロールをさせていたのか。たぶん、立て直したり建物を壊そうとしたりすると、中にいる悪魔の力によって、妨害されていたのでしょう。そして、なんらかの力で警備員を雇わざるを得ない状況になっていたのだと、思います。それは、中にいる悪魔が、自分が地上にでるためのエシカーの体を取り戻すため。そして、悪魔の力は、夜でなければ、使えなかった。だから、昼間の警備員は、まったく影響を受けていませんでした。 ラストで悪魔とたった一人で戦う主人公。しかし、悪魔をたった一人の人間が倒せるとは思えません。悪魔がまだエシカーの体にとらわれていた間は力にも限界がありますが、地上世界でそのエシカーの体もなくなった時、やっと、悪魔は地上に出現できる。ラストのあと、悪魔は地上にあらわれて、主人公の他にも、悪行をした人たちを鏡の中の地獄にとりこんだのかもしれません。 物語序盤で、火に焼かれる人たちの幻影は、地獄の業火に焼かれる人を意味し、鏡の中で焼け爛れる女性もまた、鏡の中に地獄があることを意味しているのではないでしょうか。そして、主人公の家族までが悪魔によって引き込まれていきます。悪いことをすれば自分だけでなく、自分の関係する周りに人までもひきこんでしまうことをあらわしているのかもしれません。そして、ひとを殺し、酒におぼれた主人公が、鏡の中のとりこまれてしまうというラストは、やっぱりこわいですね。 ミラーズ@映画生活
2009年09月12日
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最初から最後までめちゃくちゃ面白かった。私的には、「エヴァンゲリオン」より面白かったかも。 はいはい。ネタバレ全開で書きます。 物語の舞台の一つは、仮想社会。バーチャルワールド。『OZ』 かつてバーチャルワールドとして騒がれた「セカンドライフ」が失速していく現在。日本初の新しいタイプの仮想SNS社会として、昨年始まった「ニコッとタウン」というものがあります。私もニフティ経由で少し前からはじめましたが、最近楽天にも、広告がではじめて驚いています。現在のニコッとタウンは、まだ、アバターや簡単なゲーム、現実に存在する企業からの広告、出店と、コミュニティサークルがある程度でまだまだちゃっちいものですが、これがずっと進化していくと、この映画のように、現実に存在するいろいろな公共のお役所や、税務署、公共機関、企業の出店などのある、リアルとほとんどかわらない、納税、買い物のできるものへと、進化していくのかなと、思いました。 セカンドライフは外国からの輸入形態であるため、アバターも八頭身くらいのものですが、ニコッとタウンは、4頭身くらいで、日本人うけするキャラクターデザインになっています。映画の中のバーチャルソシェティである「OZ」のアバターもかわいいデザインになっていて、イメージとしては、「セカンドライフ」と「ニコッとタウン」を足して二で割ったような感じです。SNSといえば、「mixi」が有名ですが、そのさらに進化した形として、ニコッとタウンは、アバターがあり、ブログ、コミュニティの他にも、いろいろな会員どうしの交流をすすめるシステムが作られ続けています。 さて、この映画では、そういうSNSがより進化し、世界中のほとんどの人たちが加入しており、ネットを通していろいろなことのできる世界です。 ところがそのOZに入るためのセキュリティがなにものかによって破られ、主人公ケンジをはじめとする多くの人たちのアカウントが盗まれてしまったために、世界中の機能が麻痺、信号がとまり、大渋滞が発生し、水道などの制御もできなくなっていきます。さらには、原子力発電所をめざして、衛生が落下しはじめてしまいます。 世界中がマザーコンピュータに管理されている社会。ところが、そのマザーコンピュターが反乱をおこしたために、世界中の機能が麻痺して大混乱になるというお話は、すでにSFではよく書かれ、映画も作られてきたストーリーです。けれど、この映画は、微妙に違います。世界のシステムを管理し、つなげているのは、バーチャルワールドであるOZです。そして、その世界の混乱は、OZに入るためのセキュリティが破られ、ラブマシーンというプログラムがはいりこんで、たくさんのアカウントを吸収して巨大化していくことで、起こります。その吸収されたアカウントの中には、公共のシステムを管理するためのものも含まれてしまったからです。 この物語のテーマは、「信頼」だと、思います。 SNSというのは、コミュニティサイトです。会員同士がブログやコミュニティや、アバターを通して、コミュニケーションを深め、仲良くなっていく。けれど、そのSNSには、会員にならないと、はいっていけません。そして、一人ひとりがじぶんのアカウントをもっていて、それによって、セキュリティが守られているわけです。 けれど、どんなに厳重に作られたセキュリティであっても、やぶられないセキュリティはないのです。絶対安全ということは、ありえない。今、ネットが社会の中にどんどん増え始めていて、そして、ネットの中の常識として、安全性、セキュリティは、最も大事なものとして、どうしたらより安全なセキュリティがつくれるかが、求められています。 けれど、絶対安全なセキュリティは、ありえない。 その一方で、物語のもう一つの舞台となるケンジの訪れた田舎の旧家(ヒロインナツキの曾祖母の家)は、多くの親族が一緒に住んでいて、鍵もなく、窓もなく、すべてがあけっぱなしのものすごく開放された家です。個人の部屋もいっさい仕切られていません。縁側の向こうはもう広い庭。ものすごく大きな家なんだけど、広い庭と垣根があって、門もあるけれど、その門だって、開けっ放しです。 昔の日本の村というのは、村中の人たちが昔からの顔見知りで、お互いのことをよく知っている。だから、それぞれの家はみんな開けっ放しで、鍵なんて全くありませんでした。泥棒なんてありえない。村中の人同士の信頼があったからです。 「赤毛のアン」の物語の中でも、プリンスエドワード島の人たちはみんな知り合いで、だから、鍵をかけるということもありません。村中がお互いを信頼していて、だから、鍵なんてないのです。 映画の中のOZのマークが鍵穴の形をしています。そして、アカウントを入力するシーンがOZのマークである鍵穴に、鍵を差し込むという描写なのです。ネット世界にあけるアカウントというのは、つまり、自分の家の鍵と同じなのです。厳重にセキュリティを作り、鍵であるアカウントによって入る世界。セキュリティによって守られている社会。 今、社会はセキュリティが問題視され、よりハイレベルのセキュリティを作ることにエネルギーがむけられています。人と人のコミュニケーションが大切と、いいながら、コミュニティサイトを作りながらも一方では、セキュリティ強化の進められていくネット社会、リアル社会。けれど、本当にそれでいいのでしょうか。 コミュニケーション。人とひとが会話をするのは、相手がどんな人か知るためです。そして、知りあった先にあるのは、相手に対しての信頼です。信頼するために人は会話するのです。信頼した友人にはよく自分の家の鍵を渡したものです。その究極の世界が、鍵のいらない社会なのではないでしょうか。 信頼があれば、鍵もアカウントもいらないはず。それこそが究極のセキュリティなのだと、思いますし、この映画の訴えていることです。 だから、クライマックスシーンで、ラブマシーンと戦うヒロインナツキのために、世界中の人たちがみずしらずのナツキにアカウントを預けるのです。それは、自分の家の鍵をまったくしらない人に渡すのと同じ行為です。なぜ? それは、世界中の人たちがヒロインなら、自分のアカウントを預けても大丈夫だと、信じたからです。 これから先、さらにネット社会が進化していく一方で、セキュリティ強化も叫ばれていくし、進められていくでしょう。けれど、人が作るものである以上、絶対やぶれないセキュリティなんて、ありえません。だからこそ、最強のセキュリティは、信頼であり、信頼すること、信頼されること、なのだと思います。アカウントなんか盗まなくてもすむような、泥棒のいない社会。目指すものはそいうい社会なのだと、思います。 それは、物語にでてくる田舎の旧家のような鍵も窓もないオープンで信頼された社会。ドアをしめて鍵を閉めてクーラーをいれて快適に暮らす社会は、窮屈で、息苦しくて、つらい。そして、どんどん温暖化していってしまうもの。 物語中にでくる旧家の総元締めの栄おばあちゃんも、あちこちに電話する。電話機は黒い昔ながらのアナログなものだけれど、その電話機だって、デシタルなシステムによってつながっているものですが、栄おばあちゃんのこの行動もまた、人と人の信頼の大切さを語っているのだし、それは、リアルもネットもおなじなんだと、言うことです。 物語の中ではさらに、その旧家の門さえもが、ぶち壊されて行きます。セキュリティも鍵もいらない安心してすめる社会。泥棒なんかしなくてもいい社会。ネット社会が進んでも、リアルの世界との差がなくなってどんどん繋がっていった時、だからこそなおさら、人を信頼するということを忘れないようにしたい。 そういう映画だったのだと、思います。ところで、この映画。悪事を働くアバターのデザインがミッキーマウスにそっくりだったり、最後の真犯人がアメリカ国防総省だっり、普段のアメリカの行動に対してのちょっした怒りが表現されてるんじゃないかなと、思うのは、私だけかなぁ。 サマーウォーズ SUMMER WARS サマーウォーズ@映画生活 サマーウォーズ公式サイト
2009年09月10日
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物語の冒頭はイギリスからはじまりますが、中世イタリアを舞台にした物語です。ハーレクイーンヒストリカルみたいだなと、思って買ったのですが、まさにハーレクインな内容でした。 でも、700ページ以上もあるやたら分厚い文庫本です。持ち歩くのが大変でした。最初の100ページ位を我慢して読むと、後は、結構おもしろかったですね。ネットのいろんなブログ書評を読むと、賛否両論でおもしろくなかったという意見も結構ありましたが、私は面白かったです。 久々に読んだラブロマンスでしたが、読んでいくと、途中から二人のラブシーンがSMになってきて、「うわっ、なんで?」と、ここで読者は戸惑います。セックスの時にヒロインのエレナが相手のアレグレートの体に噛み付いたり、二人で、女王様と奴隷というSMプレイを始めたり。ほのぼのしたファンタジックであまーいラブロマンスを期待して読んでいた読者にするとびっくりです。 でも、作者はどうして、こんなシーンをいれたのかなと、ちょっと考えてみました。 イギリスで育ったヒロインエレナは、故国イタリアへと嫁ぐことになります。ところが途中で海賊につかまってしまい、その海賊アレグレート・イル・コルヴォと、結婚することになってしまいます。 この物語のテーマは、「人は愛によってしか支配できない」ということだと、私は思います。 人を支配する方法は二つあります。一つは、力で、もう一つは愛で。殴られるのが怖くて他人の言うことを聞く場合と、愛する人からの願いや頼みだから聞く場合があるのです。そして、一つの国家もまた、武力による支配と、支配者の国民への愛、国民のリーダーへの愛である場合とがあります。 フランコ・リアータの力によって支配されていたエレナの故国モンテヴェルデが、故国に戻ったエレナのその愛によって、統治されるようになるという物語なのです。 愛しているはずの父親に、力と恐怖によって支配されていたアレグレートは、エレナと出会い、愛によって支配されることになるのです。SMプレイのシーンで、アレグレートは、エレナにしばられ、ムチ打たれます。けれど、力の上では、アレグレートの方がずっと上です。彼がいやなら、逆らうこともできます。それなのに、エレナの為すがままにされていく上で、しばられ、痛めつけられていたはずの彼は、エレナとの愛の行為の中で、絶頂の愛の喜びに浸ります。彼を幸福の快楽に導いたものは、チカラや暴力でしょうか。いいえ、どんな状況にあっても、愛する彼女との行為ゆえに彼は、幸福であり、喜びを感じたのです。アレグレートの心をの描写がこんな風にかかれています。 「征服されたのだ。私は、何千もの軍勢に勝る力で」 この行為によってエレナは、力によって人を支配することは無駄なことであり、無理なことなのだと、実感させたのです。そして、これ以降彼の中で何かが変わっていきます。 そしてまた、この描写は、物語の後半、女大公となるエレナと、その家臣となるアレグレートという立場、人間関係へと変化していく複線でもあります。その時までは、絶対的に、アレグレートの方が上の立場にいたはずなのですから。 最初の時にはまだ、アレグレートの方が力があり、エレナは何の力も持たず、ただ彼の為すがままになるしかありませんでした。けれど、エレナは、力によって征服されることに抵抗したのです。その時できた唯一の方法が彼のからだに噛み付くこと。彼女は力よって支配されることに徹底的に抗い、そしてまた決して、他者を力で支配することもしませんでした。 中盤から物語は意外な展開になります。宿敵フランコを殺すために訪れたモンテヴェルデで、微妙な状況の一瞬を捉えて、モンテヴェルデ共和国の正当な相続権をもつエレナは、故国モンテヴェルデの女大公となったのです。この展開には私はとてもびっくりしました。もともと彼女の祖父が大公として支配していたモンテヴェルデは、フランコ・ピエトロ・リアータの武力と、暴力によって支配されていました。リアータ家に対立するモンテヴェルデ共和国のもうひとつの名家の非嫡出子という微妙な生まれであったアルグレート・イル・コルヴォ・ナヴォナは、宿敵フランコを殺害しようとしたはずなのに、その瞬間、大公となったエレナに捕らえられてしまうのです。 大公となったエレナは、フランコとアレグレートの二人をけれど、死刑にするでもなく、武力や暴力で支配するでもなく、それぞれの城に高待遇で幽閉し、あくまで二人が、仲直りすることを平和的に説得し続けるのです。 そしてそれは、モンテヴェルデを狙う他国の策略にはまり、窮地となったエレナたちを、フランコとアレグレートの二人が協力して助け出すことで、かなえられていきます。大公となったエレナは、自分の国も、自分の国の国民たちも、自分の部下たちも、すべて、彼女の持つ愛の力だけで、支配していく。そういう物語なのだと、思います。 二人は、SMなのかなと、思う描写にびっくりしましたが、それ以降の二人の愛のシーンは、もっとずっとふつうですし、状況的に妊娠できないエレナのために、アレグレートは、いろいろと彼女に気遣いもしてくれています。 そしてアレグレートは、愛するエレナには、決してあらがえないけれど、いざ敵の前に立った時には、驚くほどの英知と、勇気と、剣さばきやたくましさを見せてくれます。そしてなにより、ものすごーくきれいないい男らしいのです。もし、映画化されたら、どんなかっこいい俳優さんが、彼の役をやってくれるのか。ちょっと楽しみなくらい。 そして、もう一つ。この物語の中にでてくる西洋人の信仰心。ほとんど宗教のない日本人には、彼らの感覚や価値観はかなり、理解しにくいものですが、この物語における重要な部分でもあります。そして、当時のキリスト教がどんな意味とどんな社会的位置を持っていて、西洋社会の中で、どんな意味を持っていたのかを知らないと、この物語は、分かりにくいのではないかと、思います。 司祭さまに自分のやった悪行を告白するだけで、許されると、本気で信じているなんて、私たち日本人には到底理解できないです。それでも、自分の行動を常に第三者的な視点で捉え、言葉にして、他人に話すことで、自分という人間と、その行動を冷静に見直すという行為を、日常的に繰り返していくということは、とてもいいことだと思います。許されるかどうかは別として。 そして、物語の中で結構悪いことをくりかえしているフランコも、アレグレート、エレナも、司祭に告白することで、許されるという部分をすごく大切にしているし、それがなければ死後は、地獄に落ちると、本気で信じている。そのあたりがすごく不思議です。そして、そこまで信じていながら、アレグレートのために司祭への罪の告白をしないということで、エレナのアレグレートへの愛がいかに深いものかが、描かれているのです。日本人には、分かりづらいけど。 また、どんな状況にあっても、しかたないとか、自分にはできないとか、どうしようもないとか、そんな風にあきらめずに、どんな苦しい状況でも、自分の信念を決して曲げずに、生きていく、突き進んでいくヒロインエレナの生き方が、全編を読んでいて、すごく素晴らしくてステキだったです。 タイトルの原題は、『SHADOWHEART』です。コレを意訳して邦題は『黒き影に抱かれて』となっています。黒き影とは、カラスの異名をもつ海賊アレグレートをあらわし、彼に守られるエレナをイメージさせますが、原題は、シャドウハーツ、つまり、心の影。非嫡出子として、名家ナヴォナの血をもちながら父親の愛を得ることができず、力と恐怖に支配されていたアレグレートが、その身の内に持ち続けていた心の影、闇を意味しているのではないかと、思います。そして、彼のそんな心の闇の部分を解きほぐし、愛によって、彼を支配し、人の心は、愛よってしか支配できないことを、国もまた愛によってしか支配できないことを示した、ヒロインエレナの物語なのです。 人も国も、剣や武力ではなく、愛によってしか支配できないことを、世界の全ての人たちが、理解できたら、世界から戦争はなくなって、平和になるのになぁっと、ずっとずっと、思っています。
2009年09月06日
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みてきましたが、不作ですね。ラストは、原作にない部分つぎたしてあって、話としては、原作では分からなかった部分が補完されたかんじではありますが、時代的なズレがあるなぁと、思う。この話の主人公の少年時代というのは、だいたい昭和40年代のはずです。ところが、ラストにでててくるイジメのシーンでの、お葬式ゴッコのような壮絶なイジメがはじまったのは、もっとずっとあとです。だいたい、10年から20年くらいのずれがあります。だから、おかしいのだ。 この物語は、作者浦沢直樹の自伝的な部分もあり、私の生きた時代とほぼ同じ。同世代ですから、おかしいなと思うところはおかしい。と、分かる。お葬式ゴッコをやるような壮絶なイジメは、私がもう成人したくらいの時に、その当時の中学生の世代で行われていたからです。 これは、たしか原作にはかかれていなかった部分。でも、『トモダチ』が過去の友達に仕返しをするという展開である以上、そのくらいの壮絶なイジメがないと、なりたたないと、考えたのかもしれません。 実際には、主人公ケンヂがした万引きを、トモダチに間違って嫌疑がかかってしまい、それをきっかけにして、小学校、中学校と、いじめられ続けたことに原因していたという結末です。でも、その程度のことだとすると、トモダチガ、世界中の人間を殺すほどのしかえしをするにいたるとはおもえない。 実際には、万引きだけが、イジメのきっかけはにならないのでは。それ以外の要素をトモダチがもっていたのではないでしょうか。 今回の映画。シナリオ自体がダメダメです。そして、これだけの長い話を三回分に詰め込むのは、やっぱり無理だったようで、最終話は、消化しきれずに、それぞれの登場人物に自分のことを語らせることで、なんとかストーリーをこなしているけれど、盛り上がらないしつまらない。そして、ラストの展開で、物語のテーマが「トモダチ」という恐怖物語のミステリーものという終わり方で、終わってしまった。 そもそもこの物語のおもしろさは、20世紀少年というタイトルが語るように20世紀後半に少年時代を送った、作者やそのほかの40代の人間たちの回想や、夢の実現物語という、爽快さにあるのだから。 子供の頃想像した、『世界を破壊しようとする悪の帝王を、英雄や勇者になって倒す』という、当時のアニメやヒーロードラマに影響をうけた少年たちの夢語りの実現。 青年時代に夢見た、シンガーになって、大観衆の前で歌うという夢の実現。 そして、当時の有名人の登場に懐かしさを感じるおもしろさ。三波春夫や、トキワ荘や、不二子フジオ、忍者ハットリくんや、ウルトラマン、などなど。 けれど、そういう夢の部分だけを描くと薄っぺらい夢物語になってしまうところに、「トモダチ」という人物が配されることで、物語は深みを持ち、多重構造のわくわくするけれど、ハラハラドキドキする、そして、懐かしいというたくさんの要素を持ったおもしろい物語になっているのだと、思う。 けれど、映画では、ラストでなぜ、ケンヂが大観衆の前で歌うシーンになるのか、そこに至るまでの部分の描写が薄くて、どうしてなのか、わからなかった。 ラストでも、草原に突然ひょっこりあらわれる「トモダチ」って、なんでなのかわからなくて、都合よすぎ。 過去のイジメ部分がオーバーすぎて、原作の面白さが壊されてしまった気がする。それと、あれだけいじめられている少年が、他の人に自分から「トモダチになってほしい」なんて、絶対言えないはずだ。もし、ケンヂが過去を清算したいなら、ケンヂから、彼に向かって友達になろうというべきだと思う。 それから、13号が、ヘリコプターに乗って、トモダチのつくった、細菌をばら撒くためのUFOを破壊するために、ヘリコプターごと突っ込んでいくシーンが、戦時中の「特攻」のようで、私は不愉快だった。今の時代、命を大切にすること、「特攻」のような、命を無駄遣いさせるような行動を否定しようとしている時代に、このての映画でこんな方法で物語を進めるのは止めてほしいと思う。 とにかく、見終わってうーんと思った。せっかくのいい原作なのに。というより、原作がいいものだからこそ、なおさらいい映画にはしずらいのだろう。 ・20世紀少年〈最終章〉ぼくらの旗@映画生活
2009年09月04日
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選挙が近づくと、創価学会の友達から電話がかかってくる。「今度の選挙では、公明党のだれそれに入れてほしい」とか、「比例は公明党にしてくれ」とか。毎回メンドウなので、「はいはい」と返事はするけれど、その通りに入れたことはない。たかだかたまにあって、お茶するくらいの友達に頼まれたからって、自分の貴重な選挙権をそんなふうに他人に明け渡すやつなんて、いまどきいると、公明党や創価学会は本当に思っているのだろうか。時代遅れもはなはだしい。 というわけで、今回の公明党、代表までが、落ちた。 そして、未だに、共産党の選挙カーは、他の党に比べて郡を抜いてうるさい。党名や候補者名を連呼したからいれてくれるなんて、ほんとに思っているのだうろか。 民主党がほぼ圧勝するだろうことは、選挙のはじまるかなり前から大概の人たちが、想像していたことなんだから、いまさら、想像していたとおりだなんて人にいうのすら恥ずかしい。けれど、この民主党の圧勝は、あくまで、鳩山由紀夫を代表とする民主党に入った票なのだから、民主党に参加する議員一人ひとりに対しての評価ではないことを思うと、はたして、どうなんだろうかと、思う。党員ひとりひとりが、もっと力のある人材でなければ、数年後には、今回の小泉チルドレンのように、そのほかの自民党員のように、ばたばたと、落ちることになる可能性だった十分あるだろうなあと、思う。 議会は多数決できまるんだから、党員がたくさんいれば、それはそれで、やりやすいのかもしれないけれど、できれば党員一人づつがちゃんと力をもってほしいと、思う。党の名前に入れるよりは、その議員さんの技量にたいして投票したい。 ちなみに、うちの選挙区は、民主と自民が、熱戦だったらしい。それだけ、自民の議員さんは、この土地でその力量を評価されていたんだろうと、思われる。 これだけ書いといて、実は今回選挙に行ってない。どちらにも、票を入れかねた。 ところで、先月二十歳になった息子は、初めての選挙の日に朝早く、出かけるまえに近くの中学校の投票所によって、投票していったらしい。彼にとっては、初めての選挙権。しかも、歴史に残るような、痛烈な選挙戦で、投票デビューのできた彼は、なかなかにご満悦である。しかも、その日は選挙速報のはじまる前にそうそう帰ってきたし。
2009年09月01日
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