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日本航空がモデルの山崎豊子のビジネス小説。かな? 労働組合のリーダーとして、会社側との交渉に勝ち、年末手当4,2という回答を勝ち取った辣腕の主人公恩地。しかし、そのごり押し振りが会社の経営陣の反感をかってしまい、僻地へと左遷されてしまう。そののち、日本に戻ってきた、彼は、さらに御巣鷹山の事故の処理という仕事に携わる。この事故をきっかけに退任した会長のあとにやってきた新しい会長の下、会長直属の室長として、新しい国民航空改革にとうちこんでいく。その裏で、会社の経営陣は、汚職等、会社の利益を裏の手口で自分たちのふところにいれるような事態になっていく。 腐っていく国民航空内部。しかし、改善の途中で、会長は、辞任に追いこまれ、会長の下で働いていた恩地もまた、かつての左遷の地、ケニアに再度、とばされてしまうのだった。 会社の不正と、戦い続ける善人として描かれる主人公恩地。会社の利益を裏から自分のふところにいれる重役たち。 でも、最初に会社の利益をむさぼり始めたのは、恩地自身ではないのだろうか。 労使交渉での組合の要求は、年末手当4.2だったけど、年末ボーナス4.2ヶ月ってことは、一年で8.4ヶ月ってことですよね。だいたいボーナスの相場は、年間4ヶ月くらいだと、思うのですよ。メーカーがだいたい4ヶ月で、金融とかはもっといいはず。そして、一番安いのが、建築で2.5ヶ月くらいです。今はどうかわからないけれど、昔私が就職しようとしたころの相場はこのくらいでした。 それが、1962年当時に、8ヶ月以上のボーナスを会社側に要求しているわけだから、かなりむちゃくちゃというか。ごり押しですよね。主人公恩地は、このあと、御巣鷹山で死んだ人の遺族の人たちの気持ちをくんで同情的に行動しますが、この最初の時は、労使交渉のために、ストまで結構しようとしています。飛行機がストなんかしたら、どれほどたくさんの人が困ることか、しかも、こんな高額の手当ての要求でどれほど会社の経営が苦しくなることか。おかげで、日本航空のチケットって世界一高いですしね。 御巣鷹山事件が会社の経費節減による安全性の欠如であったとしたら、会社が悪いだけでなく、ここまでの高額のボーナスを会社側に要求した恩地自身の行動も影響しているのではないでしょうか。 後半会社内の経営陣や、関連会社、政治家を巻き込んでの汚職事件などもでてきますが、会社に金を求めることを一番最初にしたのは、恩地自身ではないでしょうか。 恩地自身もまた、資本主義社会の中で、高額の収入を得ることという価値観に洗脳されていのではないでしょうか。会社に迫害されている割には、物語の中でかれの自宅はだんだんランクアッブしていきます。最初は団地住まいだったのが、一戸建てになり、そのあと、さらに現代風のきれいな家になっています。迫害はされてますが、しっかり高給は、もらっているのですよね。家一軒買うのすら、普通の私たちはすごく大変なことなのにね。迫害されても、恩地は決して会社を辞めませんでした。彼の教示にかかわるからと、彼はいいますが、あれほど必死に会社と戦い、かちとった高収入を投げ出すのはばかげています。しっかりと、自分たちが勝ち取った権利は、もらうべきですから、彼が会社を辞めないのは、当然なのかもしれません。 さらに、左遷された土地のケニアでの猛獣ハントや、その獲物を剥製にして部屋に飾っている趣味の悪さといい、御巣鷹山事件での彼の人情味ある行動とのずれを感じてしまいました。 高額のボーナスの要求や、御巣鷹山事件での、補償額の交渉など、彼には、経営者としての視点がありません。そして、ごり押しによって、会社の経営陣側から徹底的に嫌われてしまいます。実際、彼があそこまで強硬な行動をとらなければ、あのあと、国民航空社内で、傀儡の組合ができたり、複数の組合ができたり、かつての組合の同僚が彼と同じように会社側に迫害されることはなかったかもしれません。 恩地は、会社内部の不正を調べるためにアメリカにとびます。アメリカの動物園の中には、「地上最強の生き物」として、その文字の前に、見物している人間たちが格子越しに見えるよえになっているところがあります。ちょうどそこに立つのが恩地です。人間こそ地上最強の生き物であるという、ジョーク。でも、そのほかにも、物語の中で最悪の人物という遠まわしなメッセージでも、あるようにみえました。 8ヶ月も社員にボーナスを持っていかれたら、会社はたちゆかなくなってしまわないのでしょうか。会社の安全性のために必要だと、恩地は言うけれど、安全性のためなら、機体の整備などにも、経費をかけなければなりません。でも、あの巨額の人件費のせいで、整備や機械部品などがけずられたのだとしたら、会社自身の経営が圧迫されているとしたら、どうなのかと、考えると、恩地の行動は、最も、会社の金を食い尽くす行動だったのでは。 そして、狭い日本の中のさらに一つの会社の中での出世を目指す。そんな狭い世界、狭い視点にとらわれている自分自身に、ラストで恩地ははじめて気づくようでした。 そして、今現在物語モデルとなった日本航空が本当に経営不振で倒れそうです。だって、日本航空って給料いいものね。つぶれるはずだよね。とダンナと話します。他の会社が2.5ヶ月とか、4ヶ月とか、さらには、ボーナス減額というきびしい状況で働く中で、高額の給与をもらいつづけているのだとしたら、この先どうなるのでしょうか。 恩地は、会社のためといって、常に誠実に働き続けてはいますが、彼には、経営者としての、金銭的視点がないようにも見えます。会社は打ち出の小槌ではないのですから、たとえ必要であったとしても、いくらでも彼の要求のままにお金をだせるわけでもなく、そいうい方向での見方ができないかぎり、恩地は、アフリカにとばされつづけてしまうのではないでしょうか。 ラストで、ふただひ、アフリカに戻った彼には、もう猛獣ハントはしないでほしいです。 出世とか、お金とか、そんなことに必死になって、狭い日本の中で暮らしてるなんて、どうしてでしょう。私はできれば、世界中をまわるような仕事の人と結婚して、世界中のいろんなところに住んでみたかったです。仕事があって、収入を約束されつつ、世界のいろんなところに暮らせるなんて、ある意味贅沢じゃないのかな。 そんなことに気づく余裕も彼にはなかったのです。というよりも、あの時代日本全体が、そんな価値観の中でいきていたのですよね。長い映画なので、真ん中に10分の休憩がありました。休憩のある映画なんてはじめてかもしれません。トルコあたりだと、結構あるそうですが。トイレにいこうとしたら、ドアの前で、飲み物やホットドック売っていました。商売うまいなぁ。休憩のおかげでエコノミー症候群にならなくてすみました。ははははは。重厚な映画で飽きることはなかったけど、クビがいたくって辛かったです。 沈まぬ太陽@映画生活
2009年10月29日
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放蕩を繰り返す夫にひたすら献身的につくす妻。という感じの宣伝だったのですけどね。でも、私は見てみて、ちょっとちがうかなぁと、思いました。とにかく夫も、妻もどちらもよくもてる。放蕩三昧の大谷も、その妻のサチも、どちらも、周りから見ると魅力的らしいのです。 小説家大谷は、汚れるのをいとわない男。そして、人は生きていく限り汚れてしまうものだと、覚悟している男。その汚れていく自分自身を徹底的に見つめて、文学にまでできることのできる人間は、でも、めったにいない。 大谷とは、逆に司法家を目指して、そのために自分が汚れるのを恐れた辻は、かつてサチが好きだった男。彼のために盗みまでしたサチをみすてて逃げ出して、汚れることから逃げたはずの彼も、出世のために汚れきった銀行家の娘を妻にしようとしている自分の中の欺瞞と汚さにきずいてしまう。人はいきている限り汚れざるをえなくて、どんな人間にもかならずどこかで、ウソや、欺瞞や、ズルやそんな汚さをあびながら、生きていくしかない。そうきずいた時、辻は、ただ自分の本音に向かい合う。人妻だけれど、惹かれているサチに、大谷の裁判の代償を要求する。 辻を惚れた心のままに行動した結果、泥棒してしまったサチを、交番で見かけた大谷は、強引にサチを救い出す。彼女の美貌は、物語の中であう全ての男を魅了する。そして、そのサチに一番魅了されたのが大谷で、サチが浮気しているかもしれないと思ったとたんに尾行までするほど。放蕩をして妻を泣かせているようにみえる大谷だけど、本当に好きなのはやはりサチなのだろうか。通りがかった交番の中で、惚れた男のために盗みまでしてしまう純粋で美しいサチに一瞬で魅了され、惚れたのではないのだろうか。 自分が汚れるのもいとわないほどに。 そして辻もまた、汚れることで初めてサチと体を重ねることができる。 サチは、大谷と、辻と、いったいどちらが好きなんだろう。交番から助け出されたことをきっかけに大谷の妻となったけれど、本当は初恋の相手の辻を今でも好きなのだとしたら、夫の心中事件の弁護を頼むことをきっかけに、夫のためという名目をもって、本来一番好きだった辻と、一度だけ関係を持つことができた。サチの行為は、夫のためではなく、それをきっかけとした、本音の実現だったかもしれない。 辻を好きだったサチを妻にした大谷は、サチに惚れていながら、妻の心が本当は別のところにあるのかもしれないと、ずっとそんな不安を抱え続けている。その心の不安が浮気であり、心中あり、放蕩であり、そして、彼は自分の中の汚さをずっとずっと見続けている。 自分の中の汚さにタップリと浸る夫に、好きな男と寝た自分の心の奥底の本音を見つめている妻は、言う。 「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ。」 いいじゃない。私たち汚いまま生きていきましょうよ。 人は汚れずにいきていくことなんかできないんだから。松たかこさん。ほんとーにきれいですね。もともお嬢様キャラなのに、貧乏人の役が多いのはなんでなんでしょうねえ。でもって、太宰治、いいですねえ。読みたくなりました。昔、「人間失格」呼んだことがあるのに、その内容をまったく覚えていないのですよね。若い頃は文学なんてぜんぜんわかんなかったのに、どうしてあんなに無理して本読んでいたのかなぁ。昔友達に誘われて桜桃忌に、三鷹の太宰の御墓に行ったことがありますが、太宰自体はぜんぜんわかっていませでした。今でも、人気のある作家のひとりですが、近代文学ってすごいって、最近やっとわかってきたかも。情けない。いやいやそれだけ幸せにいきてこれたってことなんでしょうね。 ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~@映画生活
2009年10月22日
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高校はいよいよ今週から中間試験です。来年は、娘もいよいよ受験生で、勉強するのも受験科目に絞られてきますが、今はまだ高校二年生。できれば、いろんな分野を勉強してほしいですが、中学の時ほど内申は受験に影響しません。ので、定期テストも、どこまでやるものやら。 そうはいっても、赤点とったらたいへんです。なんてことに関係なく、勉強しております。 今の時期高校二年生は、古文で『伊勢物語』の『小野の雪』をやっているようです。娘に意味がわからないと、昨日聞かれました。「古文の先生が授業で説明してくれたでしょう。」と聞くと、あんまりちゃんと聞いていなかったから分からないといいます。おいおいおい、塾とか、勉強以前に、まずちゃんと授業聞かなくちゃだめじゃん。 で、私も説明のために読んでみたのですけれど、よくわからない。ネットの現代語訳を読んでもよくわからないです。高校の古文って私が高校生の時もよくわかりませんでした。高校の古文って、文法を勉強して、現代語訳してそれでだいたい終わりです。その文章が何を意味していて、何をいいたいのかとか、古文の平安時代の時代背景とか、その時の生活習慣とかは、あんまり説明してくれないのですよね。だからよく分からない。大学に行くと、国文学なんかだと、先生も大学教授なので、とても、専門的で詳しい説明をしてくれるので、大学の時の方が専門的に勉強する割には、高校より分かりやすかった気がします。それまでに自分も受験のために勉強しているせいも、あるのかもしれませんが、やはり大学は、プロフェッショナルな授業をしてくれます。あ。だから、大学教授のことをプロフェッサーっていうんですね。プロフッショナルな仕事をする人。 で、ネットをいろいろ見ても、訳はのってるんだけど、その内容の具体的な説明ってなくて、私も娘に説明するのに、苦労しました。今もう一回調べ直して、現代語訳を見てみると少しだけわかってきましたが。このアタリが、高校生がいつまでたっても、古文ができるようにならない理由でしょうかねえ。うちの子だけ?『小野の雪』原文はこちら現代語訳はこちら 『小野の雪』は、惟喬親王と、その部下の右馬頭の物語です。 二人は、離宮(別荘みたいなものです)で、鷹狩りをして、その後、都に戻ってきます。親王を宮中まで送った後、早く帰ろうとする右馬頭に、親王は鷹狩りのお供をしてくれた御礼に、褒美をくれたり、お酒をだしてくれます。そして、右馬頭を引きとめようとする。早く帰りたい右馬頭ですが、親王のためにその夜は、ひきとどまって、一晩二人で語り明かし、飲み明かす夜を過ごしました。この時に右馬頭が読んだ歌が、 本当は早く帰りたいのですが、親王が強く引きとどめるので、このまま残って今宵は一緒に過ごしましょう。けれど、今は春なので、夜が短い。秋の夜長なら、もっとゆっくりと長い時間を過ごせるのに残念です。 と、いう意味だと思います。でも、現代語訳や説明では、ここまで解釈できません。私の解釈なので、違うかもしれませんけどね。右馬頭は、たぶん、親王が小さい頃からずっとお仕えしていて、かわいくてしょうがないのではないでしょうか。大好きなんですね。きっと。親王のわがままに対して、「しょうがないなあ」と思いながら、ほんとは嬉しくて楽しいのではないでしょうか。 さて、ここで疑問なのが、どうして、秋の夜は長くて、春は、短いの? 秋は、日の出が遅く日の入りが早いので、夜が当然長くなります。でも、この物語の時期は三月で、夜明けが早く、日の入りが短いので、夜が短いのですね。 このあと、親王は出家してしまいます。この時にまた、右馬頭がたずねていきます。親王がいる比叡山のふもとの小野というところ。正月で雪が深く、仕事のある右馬頭は、もっと親王と一緒にいたかったのですが、しかたなくそうそうに帰ってしまいます。彼はこの時、昔、一緒に鷹狩りをした時は、親王のひきとめられるままに、夜を過ごしたのに、今は、こんな雪深いさびしいところに一人で仕事もなく、することもなく、さびしくすごす親王を哀れに思い、その親王を置いて帰らなければならないことを辛く思い、悲しく思うという物語です。 翁と書かれているので、右馬頭は高齢で親王より年上なのだと思いますが、親王は、親王であっても、皇太子ではなく、天皇になれるわけでもなく、仕事があるでもなく、出家するしかない立場です。生きがいもなく、父王のいた若い頃は親王として大切にされ、わがままに振舞っていたけれど、年を取ると仕事もなく、することもなく、居場所をもなく、出家するしかなかったのでしょうか。この時代、親王はたくさんいたので、天皇になれない親王のほうが多かったのだと思います。 そう思うと、光源氏は、子供の頃に父の帝の決断で、親王のままでなく、臣下にくだされて、親王でなくなっています。源氏の母の実家はすでに父もなく、力のない家なので、バックアップのない源氏の君は、親王のままでいても、将来天皇にはなれないでしょう。だったら、親王のままでいるより、臣下となって仕事を持って働き、自分の稼ぎで堂々と生きていった方が、頭のいい源氏の君の能力を宮中でくさらせることなく、生かして、生きがいを持っていきていけるだろうと決断した桐壺天皇は、えらかったと、思います。 でも、現代は、跡継ぎがいなくて困ってるのだから、タイムジャンプして跡継ぎをつれてこれるといいのですのにねえ。 というのはいいとして、こういう親王とその部下の、ビジネスライクじゃない人間関係や、心の交流やつながり描かれた物語なのですよね。でも、文法やって、現代語訳だけやって、とりあえず、暗記してテスト受けても、そういうのは、わからないし、だとすると、高校で古文勉強している意味ないでしょうにねえ。 それとも、このアタリの説明本当はちゃんとやっているのでしょうか。うちの娘が聞いてないだけかな。しょうがないなぁ。さて、それではもう少し深読みして、どうして右馬頭は、鷹狩りの時は、残ったのに、小野では、そうそうに帰ってしまったのでしょうか。一度目は、親王は、親王として社会的に高い立場でした。だから、右馬頭が翌朝の仕事に遅刻しても、親王に引き止められたからであれば、責められることはなかったのでしょう。でも、出家して社会的に力のない親王のせいで仕事に遅刻すれば、言い訳は聞かないし、仕事のなくなる危険性もあります。だから、右馬頭は、早めに帰ってしまうのです。ここで親王の社会的な立場と権力の違い、変化があるのです。そういう、社会の権力の変化や不易流行、栄枯盛衰に似た感覚が、世の中の権力の移動、立場が変わると、仲のよい臣下であっても、そうそうに帰ってしまう哀しさ、世の哀れが語られている物語でもあるのだと、思います。以上は、私の勝手な解釈なので、間違っているかもしれません。ご了承ください。
2009年10月19日
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ここのところ、ちょっとブログの更新が滞り気味です。なんでかっていうと、ゲームが面白くって、そっちばかりやってるから。笑最近はじめたのは、「みんなの冒険大陸カナン」です。これは、ブラウザゲームというものらしくて、なんか軽いです。内容的にもシステム的にも、かなり遊びやすいです。レベル30くらいまでは、そんなに苦労なく、さくさく進みます。 オンラインゲームは、基本的にすごくパソコンの容量を使うので、いいパソコンをもっていないと、なかなか楽しく遊べません。普通は大概パソコンでやることは、ネットを見る、メールする、文章をうつ、ブログを書く、買い物をする、動画を見る、くらいでしょうか。そんなに高性能のパソコンでなくても、できちゃうんですよね。パソコンで、プログラムをつくるとか、絵を描くなんていう、専門的なことに使うなんていうのは、ごく一部のこと。だとすると、高性能のパソコンの売り上げや、技術的な部分の開発を一番要求し、促進しているのは、実は、オンラインゲームなんじゃないかなと、思います。オンラインゲーム自体は、それほど専門的な知識がなくても、あそべるのに、意外とパソコンの性能が必要。スペックも必要。オンラインゲーム自体で、収益を上げるという時代から、ゲームを遊ぶために、よいパソコンがほしくなるという利用者の要求に対しての反応によって、パソコンを売るために、ゲームがあるというような時代の変化があるきがします。 ゲームサイトによっては、ゲーム推奨パソコンを買えるサイトにつながる広告が出始めています。 ネトゲ中毒が話題になる一方で、パソコンの技術向上と売り上げをのばすものがオンラインゲームだというのも、面白い話です。 その一方で、スペックが軽くても遊べる軽いゲームや、ボットなどのでない遊びやすいゲームもだんだん開発されはじめているようです。
2009年10月16日
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あの人気子育て漫画「ママはぽよぽよザウルスがお好き」の思春期編です。 リュウ編と、アン編があるらしいのだけど、とりあえず、リュウ編だけ買えたのです。 子どもも二十歳になればいいかげん大人になって、手がかからなくなるかと、思っていたら、ぜんぜん!!!成人したはずなのに、精神年齢は未だに子供です。どうしてこんななんだろうと、悩んでいたら、リュウくんも、うちの息子とそっくりです。どこもおなじなんだと、ほっとしました。結構うちの息子と行動パターンが似ていて、安心しました。 高校の頃、時間割そろえるのがメンドウで、いつもカバンに全部の教科書入れてたりとか。大学生だと、昼間で寝てたりとか。出かける時、いろいろと忘れるので、結局母として、いろいろ声かけしちっゃたりとか。幼稚園時代から、小学校、中学校、高校と、その時のいろんなエピソードなんかも描いてありました。 そして、そんな男の子を育てる母親のいらいらや不安や、不満や、辛さも描いてあって、共感度タップリ。思春期でぜんぜん口を利かない息子の態度の悪さにいかったり、喧嘩して悲しくて泣いてたり、でも、成長して独り立ちして出て行こうとする息子にショックを受けてたり。息子と喧嘩したあと、毛布にくるまって泣いていたり、それがますます腹立たしくなって、さらに子どもに怒ったり。息子と喧嘩した夜は、息子が家出しちゃうんじゃないかと、心配で寝られなかったり。そんないろんなエピソードがすごく似てる。もっとも、うちは、二年間ほとんど口をきかないとか、家出しないか心配とか、そういうことは、とりあえずなかったけど。 男の子を育てているお母さんには、共感度200パーセントです。 で、買ってきたこの本を見てうちの子達も、「あ、ぽよぽよだ」と、言って、読んでいました。これを読んで、息子にも、子育てしている母親の心情や辛さをわかってほしいと、思いましたが、彼は、読みながら、母親ともめてるリュウの方に「うわ、ひでえ、リュウかわいそう。」と、逆の方に共感してました。子どもには、子どもの事情や、気持ちがあるんでしょうねえ。 とりあえずもう、これ以上子どもにあれこれ言いたくなーい。 早く大人になってほしいけど、出て行かれるのはさびしいし、でも、いるとうざいし。相変わらず子どもだし、えーーーーっとお。どうすればいいんだろう。 いつも行くクリーニングやさんのお姉さんに子育ては一生よっと、やっぱり言われました。彼女、男の子三人の母です。はぁっ。 ↑たぶん、表紙のリュウは、美化されすぎだと、思う。
2009年10月09日
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息子の机の下に落ちてました。こういう奴なんだよねえ。わかるでしょうか。
2009年10月07日
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有楽町マリオンで映画を観終わった後、通りの向こう側のニュートーキョービルの地下にあるイタリアンレストランでランチを取ろうと考えた。ところが、この店。メインのスバゲティ以外はビュッフェスタイルのせいか、混んでいた。それでも、すぐに席を通されて、待つこちしばし。ところが、私の後から来た4人のグループの方にウェイトレスが先ず水を運んでオーダーをとった。よくわからないので、様子をみつつ、そのあとに私もオーダーをたのんだ。ところがそのあとも、私の席に水はとどかない。嫌な感じがしたのだが、それは当たっていた。先に頼んだ四人組にスパゲティがだされ、そのあとに席に着いた二人にも、料理がきたのに、私にはまだこない。しかたないので、去ろうとするウエイターに、まだ料理が来ないこと、自分が先に着ていることをつげた。すかさず、ウェイターは、スパゲティをもってきたのだけれど、それが私の頼んだものとちがう。6分かかるけれど、いいですか、といわれしかたなくまった。こんなにまずいスパゲティをたべたのは、はじめてかもしれない。味だけが料理のすべてじゃない。ウェイターの人もウェイトレスの人も謝ってくれたけれど、それで私の不愉快が消えるわけでもない。とても情けなくて、いやーな気分で、悲しくて、一日ずっと憂鬱な気分だった。水はでないし、オーダーはまちがわれるし、しかも、他の人たちより後回しにされていたし。どう考えても、ただのミスというより、作為的ですらあったようなきがする。私の行動のなにかが、店側にこんな行動をとらせたのだろうか?だとしたら、それはなに?禁煙席を指定したから?安っぽいティーシャツ姿だったから? そのほかにも、デザートのコーヒーゼリーは、ものすごくまずかったし、もうひとつのミックスフルーツはあきらかに、缶詰だし。コーヒーメーカーのコーヒーは、ぜんぜんでてこないし、サラダのさらにサラダはぜんぜんなかったし。これのどこがビュッフェなのですか。 ものすごくひどいお店だった。安いから混んでいたのかもしれないけれど、もう二度と行きたくない。しかも、しっかり代金は、とられたし。 それにしても、最近は外食するとどこのレストランもひどくて、すごくなさけない気分になることが増えた。ロイヤルホストは、油ギトギトの、メタボリックなメニューばかりだし。メニューをはしからはしまで何度見ても、たべたいものがなくて、30分もえんえんと悩んで困ったこともあるし。以前は、おいしいおみせだったのに。 世の中の不景気をひしひしと感じてしまいます。 ところで、このお店であじわった不愉快な気分は、ココ・シャネルが味わった感覚はまさにこんなだったのだろうと、私に感じさせた。映画の中で、使用人たちが働く台所で食事をとるココ。しみのついたよごれたナプキンに文句をいうと、使用人から「あなたはこれで十分です」といわれるシーンがある。 ココのいるすぐ後ろで「ご主人様の愛人はブサイクだ」と、聞こえよがしにいう使用人たち。 そして、ココを愛人として屋敷にすまわせるバルザンにも、男に奉仕するためだけの存在としてさげすまれるような扱われ方をされる。 使用人にも愛人にも、馬鹿にされ、軽く扱われたココの味わっていた感情はたぶんちょうど、私がレストランで映画を見たその同じ日にあじわったのと同じ感じだ。彼女はずっとこの不愉快をその人生の中で味わい続けたのだろうか。 そして、この時代。彼女だけでなく、女性たちもまた、男にとっての飾り物でしかない。男に寄生していくことでしか生きていくことができなかったのだろうか。女たちが、レースやリボンやフリルのタップリついたドレスで着飾っているのを見た時、ココは言う。 「デコレーションケーキみたい。」 それは、女たちが男のための飾り物の存在として扱われていることをあらわしている。そして、ココのような身分の低い女性だけでなく、貴族の妻たちでさえ。 ウェストを締め付ける苦しいコルセットや、頭をふるたびに落ちそうになるような飾りだらけのチンプな帽子。デコレーションケーキのようなドレス。男のために不便を我慢して着飾る女たちを見た時、シャネルは何を考えたのだろう。 男のためでなく、ドレスを着る女性自身のきごこちのよさのためにあるドレス。男にたよらず、自分自身の力で生きていくためのドレスをココは作り始める。愛人のバルザンやボーイ・カベルの男物の服をリメイクして着始めるココ。今でこそ、ズボンもボーイッシュな服もシンプルな服もしごく当たり前なものだけれど、この時代にズボンをはき、男物の服をきるココは、どれほど奇異にみえたことだろう。 フリルもレースも、リボンもないシンプルな黒いドレスを作り出したココの感性は、この時代に、いきなり、100年の時間を飛び越えるほどの革命でもあったろう。 ココシャネルの服は、ただデザイナーがきれいなかわいいファッションとして作る服なのではなく、女性が自立して生きていく、男のために着飾ったり、我慢したり、苦しい思いをしたりしない服なのだ。だから、その基本のスタイルは、100年たっても、200年たっても変わらない。 シャネルというブランドは、自分の心のままに生きていくというココの思想そのものが、服になったものなのだと、この映画をみてはじめてしりました。 けれどシンプルで自由を意味した、有名なシャネルスーツは、今では、お金持ちのステイタスであり、豪奢なものというイメージをもち、彼女が本来語ろうとしたものとは、別のものになってしまっているようでもあります。 シャネルというブランドもまた、お金持ちでないと買いずらいような高価なものとなってしまっています。あるいは、男性の接待をしてお金をかせぐ水商売の世界の人たちに愛用されてしまっているという、なんとも皮肉な今の日本のシャネルという存在。 なんとも、皮肉です。 けれど、ラストにヒロインココがきているシャネルスーツは、とてもきれいでした。それにしも、オドレイ・トトゥさん。アメリだけのはまり役でなく、どんな役でもこなしちゃうんですね。映画の中でだんだんきれいになっていくところが見所です。『ココ・アヴァン・シャネル』公式サイト ココ・アヴァン・シャネル@映画生活
2009年10月02日
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