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『ネトゲ廃人』という言葉がちょっと前から言われている。先日も『ネトゲ廃人』という本がでていたし、新聞でも、ネトゲを取り上げた記事を読んだ。一晩中ゲームにはまって、現実世界を離脱し、ネットゲーム世界だけで生きていく少年たち。 けれど、それらの本や記事は、所詮ネトゲをしたことのない記者が、ネトゲをしている人やその家族、関係者などに取材してえた記事をもとに、もともと記者が想定した結論を書き上げているにすぎない。記者自身がネトゲをしたわけでもなく、ただ、現実を生きていくことができず、架空世界というゆるい世界にしかいられない弱い少年たち。という結論でしかない。 しかし、オンラインゲームでそれなりに快適に遊ぶためには、それなりの人付き合いのできる能力や、その場の雰囲気を読んで自分の役割を理解して、パーティーメンバーと助け合いながら、ゲームをこなしていく能力が必要である。まったくのお子様だったり、自分勝手であったり、人間関係がきずけなかったり、マナーやルールがまもれなければ、楽しく遊ぶことはできない。 そして、ゲームの魅力とは、「ゲーム中で英雄になれる快感」というような簡単なものではないと思う。「自分が抜けるとパーティーメンバーが死んじゃうから抜けられなくなる」というが、そこまではまる為には、そんな単純でない、ゲームとしての面白さがあるわけなのだけれど、そのことについて、つきつめている評論には出会っていないように思う。 ところで、オンラインゲームの世界で遊んでいて、いちばん多く使う言葉は、「ありがとう」である。その他には、「おつかれさま」「またあそぼうね。」「ばいばい」「こんにちは」「おはよう」。 ほとんどの言葉は、『いたわり』に近い。 ネットゲーム(オンラインMMOゲーム)の社会の基本構造は『たすけあい』の世界だ。そして、それに対して、現実の社会の基本構造は、『競争』だ。 オンイランゲームの中では、強いボスを倒して、レアなアイテムを手に入れる、または、経験値を獲得するというパーティメンバー共通の目的のもとに助け合うことでゲームはなりたつ。一緒に戦う仲間が、死んだら、いきかえらせたり、戦闘の中での自分の役割を理解してこないしていかないと、モンスターを倒して目的を達成できない。そして、クリアして、ゲームを止める時にお互いにかけあう言葉が、「お疲れ様」であり、「「ありがとう」であり、「またね」である。 それは、友達であっても、はじめてであって戦った相手であっても、共通の社会ルールでもある。 その一方でふっと、現実の世界を考える時、そこにあるほとんどは『競争』だ。ましてや、子どもの世界ではそれはなおさらに際立つ。学校では勉強してよい点を取り、受験を勝ち越していかなければならないし、クラブにおいても、より強くなって、同じ部員の中で勝ち抜いていかなければ、レギュラーとなって、試合に参加することはできない。自宅にもどって友達と遊んだとしても、今の子どもたちのやるゲームもまた、ニンテンドーなどのゲームをみていると、そこにあるのは、競争なのだ。友達どうしで遊ぶにしても、それぞれコントローラーをもちより、4人のプレイヤーが競い合って、ゲームをする。そして、その結果はみごとにシビアに「順位付け」される。所詮遊びではあっても、ほとんどそれを意識していないとしても、そこにあるのは、『競争』の世界だ。 かつては、学校の野球部などで、野球をしていたスポーツ少年であったはずの子どもが、ネトゲにはまったまま、抜け出さなくなってしまう。親にはなぜかわからない。親にはいわないけれど、あるいは本人自身気づいていないけれど、日々の勉強、テストによる順位づけや、クラブの中でのレギュラー争いなどに、疲れてしまった子どもが、ネットの中で、助け合い、いたわりあうゲームの世界は、場合によっては、初めて知る「たすけあい」の世界なのかもしれない。 実際のところ、本当の戦争や本当の冒険はもっとずっと危険で、一度死ねばもちろん、生き返るなんてできない。戦って怪我をすれば痛い。ポーションをぱっとつかえば一瞬にして直るなんてわけにはいかない。それでも、助け合って、危険を切り抜けていくゲームの世界は、どこかで癒しを感じるのかもしれない。 仲の悪かったはずの姑と嫁が、戦時中には、助け合って、生き抜いたエピソードもきいたことがあるし、そうだろうなと、思う。競い合うより、助け合うほうが人の心は結びつくし、仲良くなることもできる。 今の日本は、平和で、不況といえども、戦時下よりはよっぽど、のんびりしていて、暮らしやすいけれど、日本の中でそれなりに生きていくためには、やはりこの競争社会を生き抜いていかなければならない。日本という国は、平和に見えるければ、実際には結構きびしい社会だ。その競争の中で疲れた子どもたちがゲームの世界に癒しを感じるとしたら。「競争」より、「たすけあい」のほうがずっと、心を癒してくれるものだと思うし、人との心のつながりを感じるものだ。もちろん、ネットの中にも、ネトゲの中にも、中傷や、盗みや、ルール違反の行動は、存在する。ネットといえども、その中にいるのが人間であれば、そこに起きる事件も、できあがる社会ルールも、現実の世界となんら変わらない。そして、オンラインゲームで楽しく遊ぶためには、それらのルールを守ったり、場を読み取る力が必要でもある。そして、ゲーム以外のネットの世界にも、相互補助の助け合いに出会うことが多い。掲示板などに中傷はつきものだけれど、だれかが質問をしたことにたいして、無償で親切に丁寧にアドバイスや解答をくれる人は多い。 学校というところは、「助け合い」や「おもいやり」を道徳的に説いているけれど、その場で実際に子どもたちに求めているものは「競争」であり、「勝ち抜いていくこと」なのだから。 そうはいっても、やはり、競争は必要だし、それを乗り越えて生きていかなければならない。そして、未成年が一晩中寝ないでゲームをし続けることのできる今のオンラインゲームのシステムは、やはりどうかと、思う。それは、子どもにかかわらず、大人にだってよくないと、思う。そのためにも、オンラインゲームの運営時間にたいして、なにかしらの規制は必要なのではないかと、思う。少なくとも、夜どおしの運営は、ストップするべきであり、夜中の1時から、5時くらいまでは『閉店』するべきであると思う。ゲーム業界が自主規制しないのであれば、法的に規制をかけるべきだし、タスポのように、未成年のゲームに対しては、親や成人でしか入ることのできない認証サイトを作って、そこから、子どものゲーム時間に対して、規制すべきだろう。場合によっては、3時間以上遊んだら、強制的に、ゲーム落ちしてしまうようなシステムは、必要だと思う。 オンラインのMMOゲームなどは、一般にRPGと、されているけれど、実際には、その一つのゲームの中には、RPGだけでなく、育成や、チャット、仲間作り、オシャベリ、戦争、などがあり、場合によっては、その中で、レアアイテムを買い取ったり、売り裁いたりする商人のような人物すら存在する、あらゆるゲームの要素を内包している。また、子どもや若者のやるものと、一般的には思われているけれど、実際には、30代、40代あるいはそれ以上の大人たちもまた、多く参加している。ふつうの大人もまた呼び込んでいるオンラインゲームとは、それなりの魅力をもった娯楽でもあり、その先にこれからどんな変化をしていくものなのだろうか。
2009年08月30日
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昨日テレビで『アンビリーバボー・衝撃世界実録事件簿SP!!』を見ていてた。アメリカの高齢の大富豪と結婚したもとストリッパーの女性アンナが死んだ後、その女性の産んだ子どもの親権をめぐって、その女性のかつての愛人たちによる壮絶なバトルがあったというドキュメンタリーもの。 富豪の死んだ後、莫大な財産を受け継いだ若き未亡人アンナは、けれど、信頼していた弁護士によって薬殺されてしまう。その財産は彼女が死ぬ直前に生んだ女児に受け継がれるけれど、その財産の管理権、相続権を獲得するためにかつてのアンナの愛人たちが、自分こそがその女児の父親だと、名乗りを上げる。結果は、DNA判定によって、人の若い男が、父親と確定され、女児の父親となる。けれど、みていると、彼には、娘への愛情はあまり感じられない。それでも、遺伝的に科学的に証明されれば、それが父親とされて、社会的に認識される。 ちょっと前にやっぱりテレビの番組でみたのだけれど、アメリカの女性が本当に自分の産んだ子どもの親権を獲得するために、役所に申請し、DNA鑑定を受けたところ、否定されてしまった。これは、結局、キメイラという、一人の体の中に部分部分によってちがうDNAがまざりこんでいるという特別な体質だったためであり、最終的には、子宮のDNA鑑定によってやっと、親子であることを科学的に証明することが出来て、親権を獲得することが出来たのだけれど。 親子かどうか、親権は誰のものかが、DNAという化学的証明だけで、当事者の親や子どもの感情や事情を無視して決定されてしまうことに、疑問と不快感を感じた。 江戸時代のエピソードで、大岡裁きという有名なものがある。その一つに、こんな話がある。二人の母親が自分こそが、この子どもの母親であると、大岡越前の守に裁判を求めてきた。大岡越前は、二人の母親に両側から子どもの手を引っ張るように言う。二人の母は、両側から思いっきり手を引っ張る。けれど、一人の母親は、わが子の手がひきちぎられそうで、痛がるわが子の姿に、耐えられなくなって、手を離してしまう。大岡越前は、手を放した方の女性を本当の母親として、裁定する。 江戸時代にDNA鑑定も、血液検査もない。 けれど、子どもに本当に愛情をもっている母こそが本当の母親であると、大岡越前は、裁いてみせてくれた。 化学の力はすばらしいけれど、それだけがすべてじゃないんだと、思う。 アンナを虐待した挙句、子育てを放棄して他人に預けてしまったアンナの実の母親。血のつながりだけで、科学的な証明だけで決定してしまうアメリカ社会ってこわい。そして、コレと同じような事件が起きた時、日本の裁判所もまた、たぶん、おなじ決定をするだろうと、思える。愛情のあるフリをして、虐待する親もいる。それらを正しく、見極めることはとても難しいし、愛情だけで、決定してしまうことにもまた、別の難しい問題が生じそうな気がする。 本当のことっていったいどこにあるんだろうか。そういうのは、とてつもなく、むずかしい。
2009年08月28日
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昨日の朝、窓の外をみていたら、中学生、小学生がぞろぞろと登校していくのが、みえた。小学生の夏休みが今年から短くなると、うわさには聞いていたけど、いつからなのかは、具体的には、知らなかった。でも、昨日から早速登校がはじまってしまったらしい。こんなに夏休みが短いなんて、なんかかわいそう。でも、実際には、今の子どもは、夏休みといっても、結局、休みの時間があれば、塾に行かされちゃうし、さもなきゃ、習い事か、部活動で、埋まってしまう。それもないと、一日中部屋でゲームかネット。昔のように夏中外で元気にあそぶなんて、たとえ親が望んでも、そうはならない。だとすると、さっさと学校に行って、学校内で、クラスメイトと、遊ぶほうがまだましかもしれない。ゆとり教育がはじまって以来、かえって、ゆとりのなくなる一方。授業内容を減らせば、勉強の足らないぶん、きっちりした親は、子どもを塾に行かせるし、そうじゃない親はなんにもしないので、子どもの方は、勉強不足で、高校もままならず、中途でやめたり、いきたい学校にいけなかったり。結局のところ、いい効果はなかった気がする。それに、今はクーラーもあるし、先生たちは昔と違って、たとえ授業がなくても、夏休みでも、学校に出勤しなくてはならなくて、時間があるので夏休みの部活はいそがしい。そういうことが、影響して、息子のバイトも昨日から、がくっと減った。なにしろ、昼間の授業は夏休み中しかできないのに、昨日から学校はじまったのですから。こんなところにも、影響でるんですね。塾業界は大ダメージでしょうねえ。なるほどと、思いました。ゆとりを作るはずのゆとり教育の結果は、結局ますますのんびりできない子どもたちの夏休みの減少という成果となったのでした。これから先、いったい、学校は、どうなるのでしょうねえ。それでも、私の頃よりはずっと、カリキュラムは、まだまだ少ないはず。昔、小学5年生になった時、毎日6時間びっしりある時間割をわたされて、こんなに勉強なのかと、うんざりした覚えがありますが、娘の時は、最高でも、週4回が5時間でしたからねえ。もう、子どもたちが卒業してから、少し厳しくなったのでしょうか。うちは、ちょうどゆとり教育のハザマにあたっちゃって、ほんとに損した。でもって、子ども育て終わったら、今度は課税される挙句、そのお金は、自分はもらってないのに、今の若い子育て世代へわたされるなんて、ほんとになんでいつもこう、タイミング悪いんだか。なんかすごく腹立たしい。子育て資金配るにしても、私たち子育てに一番お金かけさせられた世代から取るのは、止めてほしいですよね。どっちかというと、ゆとり教育のせいで損したぶん返してほしいくらい。教育機関を充実させるために使われるならまだしも、現金が直親に配るくらいなら、やめてほしいです。ああもう、だんだんきりがなくなってきたかんじ。今度の日曜は選挙だけど、投票したくない。
2009年08月26日
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三日目のメインは、天竜川です。妻籠から山をこえて、伊那市へ。天竜川には、『天竜川舟下り』と、『天竜川ライン下り』のふたつがあって、どちらがいいのだろうと迷ったのですが、『舟くだり』のほうが、もともとからあるもののようなんだけど、なんだか、予約が必要みたいで、でも、その時間にうまく天竜川の乗船場につけるかどうかわからないので、予約のいらなそうな、『ライン下り』の方を選びました。実際にいってみると、三信越道路からずっと、案内の看板が出ていて、迷うことなく行き着けました。しらないと、ふたつのどちらかまようことなく、こちらについてしまいます。もう一つのほうはどうやっていくのか、全く分かりませんでしたから。ついてみると、あと45分くらいの待ち時間ということでしたが、待合室室で、ぼーっと天竜川を眺めていたら、あっというまでした。でもあの待合室、もっときれいにしてほしいです。天気がよくて、炎天下の45分の乗船時間は、結構暑くてたいへんでしたが、おもしろかったです。 これが天竜川。始めてみました。今年は雨が多かったので、水量は、たっぷり。舟遊びもしやすいというもの。 乗ったのは、この船です。結構たくさん乗れました。思ったほどの激量下りでもなく、対してゆれることもなく、水しぶきのかかることもなく、優雅な船旅でした。 天竜川沿いに走っている鉄道の鉄橋。時間があえば、帰りはこの鉄道に乗って、船着場までもどりたかったのですが、なにせ、田舎の鉄道なので、1時間1本すら走ってないのですよね。東京のようにはいかないものです。 そして、ところどころの岩に漢字が彫ってありました。こんなところでよくこんなことする人がいるものだなぁと、びっくり。 釣り橋も下から。はい、水上視点ですね。 そして、途中で、船頭さんが投網をして、お魚を取るところをみせてくれます。しかもねその、取れたお魚をなんと船の上で焼いて、たべさせてくれました。こんなイベントまであるとは、しらなくて、びっくりでした。お魚は、たしかウグイだったと、思います。内臓処理もなく、釣りたてを生きたまま、割りばしに刺して、焼いたもの。残酷焼きというそうです。 そのあと、サービスでおせんべいも。 そして、お魚、おせんべいと食べて、のどの渇いたところで、水上売店が出現しました。船頭さんが、売り子さんにはや代わり。いやはや、この『ライン下り」の会社の社長さんの経営手腕にはオドロキです。どこからどこまでも、気配りと、商売根性が徹底していて、ある意味、ほほえましい。ここの飲み物も、一缶200円と、たかかったけど、なんだか、笑えちゃいます。そういえば、この手前でも、途中に神社船が用意してあって、お賽銭を投げるようなイベントもありました。あのお賽銭はあとで回収して、会社の収益にしてるのだと、思います。が。 このあと、最後は、案内のガイドの女性の歌声をききながら、終点につきました。45分間。といっても、船に乗ってるだけだと、結構すぐあきちゃいそうですが、こんなお客さんをあきさせないイベントをいろいろ用意してありました。帰りは、マイクロバスで、最初の乗船場まで、連れ戻してくれました。高いけど、なかなかたのしい船旅でした。そして、この後は、すぐに高速に乗って、一路東京へかえって行きました。木曽路中仙道の旅おしまいです。 【クーポン配布中】【送料無料】 フランスベッド スリープバンテージ(抱き枕 横向き 枕 まくら 快眠 安眠 いびき対策 横寝用 横寝 抱きまくら ウォッシャブル ギフト 防止 グッズ 予防 解消 だきまくら いびき枕 スリープバンテージピロー 洗える 横向き寝) 【20P23Apr16】価格:3980円(税込、送料無料)
2009年08月21日
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はい。三日目の朝です。朝ごはんの前後にもカメラをもって宿からでて、妻籠の写真とりまくりました。朝早いので、まだ、観光客もぜんぜんいなくて、すごく静か。そして、朝の光というのは、昼間とはちがうのですね。空気もまだ澄んでいてきれいです。涼しくて、静かで、すきとおった妻籠宿。昨日の疲れもとれて、集中して写真がとれました。 ところで、なんでこんなに、旅日記を延々と書いているかというと、もう、いい加減同じ写真ばかりでしつこい気もしますが、自分のためです。数年前から書き始めたブログでさらに、カメラを買って、写真も加えるようになりました。 そうすると、一年、2年たって、後から読み返すと、旅のときのことを思い出して、すごくいい記録になっているのですよね。ただ。アルバムに写真貼るだけじゃなくて、その時の旅程や、その時、思ったこと、考えたことまで、記録していると、後から見ても、旅の記憶が鮮やかによみがえってくるし、写真もあざやできれいです。読み返しているとたのしいんですよね。 それと、旅先として、考えている人に、少しでも、わかりやすい現地の情報を残しておきたいかなと、思いました。正式のホームページの情報や写真では、分からないことがすごく多いのです。 あとは、写真も込みで、記事を作るのはとても、手間がかかるので、一度にそんなに写真があげられないので、めんどくさくなって、省いちゃうので、今回は、少しづつ、なるべくたくさん写真を載せようと思いました。 今回はこんなに書きましたが、あと、一回でおしまいです。自己満足ですが、大変でした。でも、来年読むと楽しいでしょう。さて、来年はどこにいけるかな。 松代屋さんも、朝見るとこんなにきれい。 最後に、チェックアウトして、クルマに荷物を積んだ後、また、妻籠に戻って、お土産を買い、お茶屋さんで、だんな様はコーヒー、私と娘は、前日たべたのに、またまた朝から、カキゴオリをたべてしまいました。このての、ちゃんとカキゴオリ機でつくったものは、東京では、なかなかたべられません。おいしかった。でもこれで、お腹を傷めて、このあと、延々と、お腹の痛いのに苦しんでおります。はい。この後は、山を越えて、天竜川へ。
2009年08月20日
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妻籠ネタまだまだつづきます。開田高原だけでは見るところもあんまりないし、どうしようかなと、思って地図を見ていて、ちょっとだけ贅沢なお宿は去年とまったので、気がすんでるし、と、思っていたら、妻籠をみつけました。宿場町の旅籠に泊まるなんていままでやったことないし、おもしろいかも。と、おもいました。ただ、このてのお宿は部屋の仕切りがふすまだけなので、隣の部屋の音も聞こえそうだし、治安も問題かも。そして、暑いかも。という心配がありました。でも、実際に泊まってみたら、クーラーもあり、トイレもきれいで、お部屋もきれい。音のうるささもなく、とても快適でした。今回泊まったのは、ここ、『松代屋』さんです。 妻籠のHPをみながら、10軒ほどある旅籠のなかで、江戸時代からつづく旅館ということで、一番宿場町の旅籠の雰囲気を感じさせるということで選びました。 ここの宿は、鯉の煮付けと、こいこくのお料理で有名なところ。また、渡り廊下があって、その下には、池があり、食用の黒い鯉が何匹も泳いでいました。この鯉が、あの食卓にでてきたのかな?どうも、鯉料理が出るのはここだけみたい。渡ると床がギシギシいうんですよね。でも、渡り廊下たのしかったです。 でも、夕飯の写真はカメラの電池の充電中につき、取りそびれました。無念です。 妻籠の宿は、他の旅館とちがって、ふすまだけで隣の部屋としきられているということで、狭くてしかも、うるさくて、休みづらいかもと、危惧していたのですが、とおされた客室はきれいで、二部屋つづき、クーラーもあり、カイテキでした。古いお宿だけれど、少しリフォームしてあって、トイレもきれいな水洗につくりかえてありました。そして、宿から一歩でれば、妻籠の街中。休んでは、見学のくりかえしで、たっぷりと、妻籠を見学堪能できました。やはり、宿場町を見るなら、宿場町の旅籠に泊まるのが一番だと思います。夕飯の後にも、夜の真っ暗な宿場町を散歩。しかも、松代屋さんでは、ちょうちんをかしてくれるので、真っ暗な道だけど、夜のお散歩も楽しめました。もっとも、このちょうちん、中のろうそくは、電気でしたが。 各家の明かりだけがついている宿場町の夜のお散歩もまた、乙なものでした。 翌朝も、食事前、朝食後もなんども、宿から出て、宿場町の見学。さすがに朝は少しすずしいので、前日見学のしんどかったところもまだ観光客がいなくて、写真を撮るには絶好のタイミングで、何人か同じように写真とっている人がいました。 朝ごはんです。ふつうのメニューですが、目玉焼きがハート型。かわいい。窓の外はすぐ中山道というお部屋で、気持ちのいい朝食でした。それから、ここの宿のお部屋には、いままでこのお部屋に泊まった方たちの書いた雑記帳がおいてありました。その中に、北朝鮮に拉致された蓮池さんのご両親が宿泊された時の書き込みがありました。蓮池さんも、わが子がやっと帰ってきたことで、気持ちの整理がついて、やっとゆっくり旅行にこれたのでしょうか。かかれていた内容は忘れてしまいましたが、結構驚きました。松代屋さん、お世話になりました。
2009年08月19日
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木曽路はすべて山の中である。妻籠の中には、本陣、脇本陣と、資料館が博物館として、公開されていて、全て見ても、700円。先に宿に寄っていたので、2割引の割引券をもらっていたので、さらに安く見ることができました。ラッキー昔ながらの宿場町の本陣の建物の中をじっくりと見学できました。 先に脇本陣を見ました。ここは、天皇家の誰かが来られたらしいのだけど、誰だったっけ。忘れちゃった。 内部です。やはり広い。お侍さん用の玄関もあり、おくには、床の間上座もありました。 本陣は、町の庄屋さんがつとめるもので、中山道を通る幕府の偉い人や、参勤交代の殿様、いろいろな用事で街道をとおる大名などを泊めて接待する宿だったそうです。実は妻籠に来るまでまったくしらなかったのですが、ここ妻籠の本陣は、かの島崎藤村のお母さんの実家でした。島崎藤村は隣の馬込の本陣の家の七男だったのだそうです。七男で、実家を継ぐことなく東京にでて小説家になった島崎藤村の書いた小説によって木曽とその木曽の宿場町のくらしぶりなどが、後の世の人たちにも、知らされることになったのだと思うと、小説家ってすごいお仕事なんだなあと、思います。 でもって、こっちが妻籠本陣の入り口。庄屋さんの家であり、大名を泊めるお宿です。 そして、本陣の内部です。 で、大名の泊まる部屋。周りには、敵が来たときのための警護もかねた部下のためのスペースもあります。そして、一段高くなってました。 蔵を改装した資料館の中には、『里見八犬伝』の原書がありました。表紙がこんな絵だったんだ。表紙の絵がみられるなんてすごい。 木曽路はすべて山の中である。 この言葉が旅行中何度も頭の中を飛来しましたが、木曽という土地をなんとうまく表現しているのでしょう。このあと、旅から戻って、たまたま家にあった「夜明け前」の一巻だけを手にとって読み始めてみると、旅でみた妻籠の宿場町や中山道の山々の景色が目に浮かび、旅行が思い出されます。 そして、実際に木曽の山中をみてきたことで、小説がとても身近で分かりやすいのです。大学の文学部などでも、本一冊を一年間通して、こまかい時代設定や、物語時代の背景、その当時の社会状況などを調べながら、講読していくものですが、実際物語の舞台となったところをみてくると、本を読んでいてもちがうものだと、思います。物語が格段におもしろいです。 長野はどこもいいところですが、木曽街道に行ったのは、子供のころ以来です。権兵衛トンネルができたことで、とても行きやすくなりました。いつかまたいきたいです。そして今、「夜明け前」を読み始めたところです。ただの名作ではない面白さを実感できるようになりました。妻籠編、まだまだつづきます。
2009年08月18日
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さて、本当にいよいよ妻籠です。二日目の午前中は、御嶽山。そのあと、寝覚めの床があまりの暑さで、あまりよいところでもなくて、すぐに終わってしまい、予定よりぜんぜん早く、1時に妻籠についてしまいました。猛暑の中での見学はかなりきつかったです。今後観光旅行は夏じゃない時にやりたいですね。そうはいっても、夏じゃないと、こんな長期の休暇はとれないんだけど。サラリーマンてつらい。昔は、夏でも田舎にいけばそれなりに涼しくて、避暑になったのに、最近は田舎にいっても、東京並みに暑くて、避暑になりません。観光もできません。地球温暖化をここ数年リアルに実感します。地球温暖化なんとかしてほしいです。とりあえず、お宿に荷物だけ預けて、妻籠の宿場町を見学しました。妻籠は、外側から見ると、普通の村落と変わらないのです。 でも、脇にいくつもの侵入路があって、中に入ると見事な宿場町でした。自動車は、昼間は、入場規制ではいれません。そして、この厚さにもかかわらず、多くの観光客が見学していました。特に欧米系の外人さんがいっぱいでおどろきました。彼らには、すごく日本的なここの景色はおもしろいのでしょうか。アジア系の外人さんはいないのですよね。アジアの人には、宿場町の風情より、貧乏の苦しさしか感じないかも。 お昼は、その中の一軒でザルソバと五平餅のセットをいただきましが、写真とるのわすれました。今回は暑くて、集中力も激落ち。あんまりいい写真や肝心の写真が取りそびれたものがおおかったです。外人がおおいので、メニューは英語もありでした。木曽路は観光コースにはいってるのでしょうね。中山道の宿場町として有名な妻籠は早くから、昔の宿場町の保全運動を始めたところで、昭和初期には、普通の田舎の町と建物だったのをあえて。作り直して、江戸自体の宿場町の建物に立て直して、再現されたものです。でも、今では世界的にそういう町並み保存が普及してきているなかで、文化財として、世界屈指の有名な場所となっているようです。 宿場町は、旅籠十数軒と、お土産やさんと、お茶屋さん、本陣資料館でした。のんびり見ていると、いろいろと楽しくてなかなかみきれませんが、おもしろかったです。お昼を食べて、カキゴオリを食べて、お土産をかい、旅籠に泊ままりました。 妻籠のはしにある鯉の形ににているということで鯉岩ですが、関東大震災で、上の部分のいわず落ちてしまい、形がかわってしまったとか。景色に混ざって、発見しずらくて、よくわかりませんでした。妻籠まだまだ続きます。以下次号。 「妻籠宿」エリア長野県 > 木曽ジャンル観光名所住所長野県木曽郡南木曽町吾妻説明私の生まれ育った場所。 江戸時代に栄えた中仙道の木曽路十一宿の一つで、長野県と岐阜県との県境に位置し、隣には島崎藤村の出身地である馬籠宿がある。 江戸時... (ペチカ)クチコミ中仙道を通る宿場町。長野と岐阜の県境にあります。五平餅とそばが美味しかった。もっと読む
2009年08月17日
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さて、旅行二日目ですが、この日の早朝5時に大地震。数日前から何度かのゆれがあったのですが、旅先での地震は初めてです。旅先で被災したらどうしようと、思ったけど、大丈夫でした。思わず、東京の家に電話してしまいました。ちょうど、留守をたのんだ姑がきていて、電話にでてくれたので、家の方は無事とわかってほっとしました。ちなみに、東京に残って留守番していた息子は、爆睡中だったみたい。この地震で、東名高速が、壊れて、このあと、お盆だというのに、15日まで東名は一部不通となったのでした。旅行先を中央道にしておいてよかったです。今年は連日の雨で地盤もぼろぼろですしね。このあと、地震でぼろぼろの静岡、伊豆には、台風も送れて襲来したのでした。静岡の方お見舞い申し上げます。そして、この日は木曽御嶽山です。 さてその地震のせいで、ロープウェイとまってるかもと、シンパイだったのですが、ロープウェイは、普通に営業してました。 朝ごはん~♪メニューは普通だけど、卵焼きはふんわり上手に焼けてるし、素材の一つ一つがいいものを使ってあって、贅沢な朝ごはんでした。このあと、コーヒーも出していただけて、とってもうれしかったです。 宿から朝見た御嶽山は、久々の快晴で雲がなく、全景を見ることができました。地震のせいか、台風のせいか、雲の形がちょっと不思議です。 御岳ブルーラインを通って、一路御嶽山へ。開田から行くとちょうどいいんですね。今回のたびの企画スケジュールは、なかなかよくできました。 ゴンドラで、一気に山頂へ。結構時間長いですよ。この日は、まさにモーゼスパワーで、快晴。雲がぜんぜんなくて、雲上どころか、上から下まですべて見渡せる絶景でした。しかも、すんごく涼しくて、空気よくて、もう、下に下りたくない気分。そのまましばらく、下界をみおろして、山頂の風を味わっていました。昔、子どもの頃にたしか両親に連れられてきたはずなんだけど、ぜんぜん覚えてないのですよね。実はこんなにいいところだったのですね。 東京からここまではなれるとさすがに、混雑も渋滞もなく。カイテキです。 こんなに雲のかかっていない高い山を見られるのはめずらしいことです。ラッキー♪ そのあとは、中仙道をさらに南下しまして、途中寝覚ノ床を見学しましたが、あまりの猛暑に展望台の上からみただけ。ここは、木曽川のほんの一部分が奇岩ということで、名所になっていただけ。とても、川辺までおりていく根性なし。もう、真夏の観光は、ごめんです。 しかも、ここは公式の駐車場は、500円の有料なのに、その両側にセブンイレブンと、ドライブインの無料の駐車場があったり、寝覚ノ床の展望台の入場料が200えんもするのに、中はすごく汚かったり、下までえんえんと下りなければならなかったり、敷地内の資料館が暗くて埃臭く、せっかくの「十八史略」などのそ蔵書も死蔵されていて、ひどいところでした。長野は全体にきれいに整備されていたのに、ここだけが、昔のままでした。できれば、改善してほしいと思います。 御嶽山の売店でも売っていたので、食べちゃいました。開田高原アイスクリームです。おいしかった。 そして、いよいよ、娘の今回の最大の目的地。妻籠へ。以下次号。
2009年08月16日
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木曽路はすべて山の中である。 権兵衛トンネルを抜けて、木曽に入ったことを実感した時に頭に浮かんだのが、島崎藤村の小説『夜明け前』の有名なかきだし部分でした。まさに山の中。右も左も針葉樹林ばかり。 長野県の地図を見ながら、いつも、伊那のところにある権兵衛峠が気になっていました。でも、道も細そうで、ここを車で超えるのはたいへんそうだなと、思っていた。その権兵衛峠にトンネルが開通したのが二年前のことらしい。 難所だった権兵衛峠は、トンネルの開通で、山越えではなく、山抜けになった。かかる時間はわずか30分。中央高速の伊那を降りてすぐに、権兵衛トンネルに入る。トンネルの中は上り坂と思っていたら、ずっと平らな道で、長いトンネルを走っていくと、あっというまに、木曽に入ることができて、本当に驚いた。今回はこのトンネルができたことで、以前から行きたいと思っていた、開田高原に行くことを企画した。開田高原はおそばと木曽馬の産地らしい。しかし、旅の出だしをのんびりしていたら、東名の事故渋滞にひっかかってしまい、昼までに開田高原につけなくて、今回は開田高原のおそばをたべそびれました。くやしい。いつかまた、リベンジです。でも、伊那のインターの近くのお蕎麦屋さんもなかなかおいしかったです。 トンネルをぬけて、木曽に入ると、そこはもう、木曽路、中山道です。そこから少し南下して、木曽大橋の交差点を右にはいり、さらにトンネルを抜けると、開田高原に入ることができます。 日本一美しい村だそうです。ほんとにここから、風景がまったくちがいます。とても、いいところでした。 先ず最初にクルマをとめたのが、開田高原アイスクリーム工房です。ここのアイスクリームを食べることも今回の目標の一つでした。とうもろこし味のソフトクリームがおすすめ商品のようで、おいしかったです。とうもろこしって初めてなのですが、コーンクリームスープが甘くなってアイスになってるかんじ。違和感はぜんぜんありません。 そのあと、木曽駒をみたかったのですが、道が分からず、時間も押していて、宿に直行しました。はじめてのところは、道がわからなくて、暗くなってから迷うのをダンナが嫌がるのですよね。宿に向かう途中の峠からは開田高原と木曽御嶽山が一望できました。すごくいい景色だったんだけど、その素晴らしい眺望がどうにもうまくファインダーの中におさめられず、腕のなさを実感。かなり悔しい。 今回のお宿、やまかの湯です。 平屋かと思ったら、泊まったお部屋は二階でした。三人なのに、10畳以上の広いお部屋で、きれいでした。窓からは、木曽御嶽山がみえました。今年の夏は雨続きで、開田高原でも、ずっとー雨だったらしいのですが、この日の夕方から天気が晴れはじめて、なんと、御嶽山がみられました。翌日には快晴で、台風が伊豆の方にむかっているはずなのに、なぜか、開田高原あたりは、快晴だったのです。うちのダンナはすごく不思議な人で、今回の旅もだんなさまの力で、このあたりだけは晴れでした。あとで、姑に聞いたら、東京はずっと雨だったとか。で、こういうのをまるでモーゼみたいだといって、二人で、「モーゼスパワーすごいね。」と、冗談交じりに言ってたりするんだけど、ほんとにこの、三日間だけは、晴れてました。初日の朝は、土砂降りで、各地でいろいろと事故もあるなか山間に旅立つことに不安を感じていたのに、いざ来てみれば、うそのようなお天気。だんな様、今後もよろしく。 お宿の食事には、なんと、名前だけは知っていた、イナゴの佃煮が出てきました。でも、たべられませんでした。たべてみればなんてことないのだろうけれど、どうしても、だめでした。ダンナはたべてたけど。 それから、馬刺しもでてきたんだけれど、やっぱり、たべられませんでした。もともと普通のお刺身自体がだめなので。でも、それ以外はどれも、とても上手に作られていて、品のいいあじつけでした。おいしかったです。特に枝豆の茶碗蒸しは、枝豆しかはいってなくても上の部分には、枝豆のあんもはいっていて、初めてのお味。 おいしかったです。ごちそうさま。旅館というと、お茶はでても、それ以外の飲み物がなくて、水もお手洗い用の水を飲むしかなくて、いつもこまっていたのですが、ここの旅館は食後にお部屋につめたいお水が用意してあり、とてもうれしかったです。そのあとの翌朝の朝食でも、コーヒーか紅茶が普通に食事についていて、いつも旅先で飲みたいのを我慢したり、宿を出てからどこかで探して飲んでいたコーヒーを食後すぐにいただけて、そのサービスの行き届きぶりが、若い女将さんらしくて、きれいでゆったりしたいい旅館でした。女将さん、お世話になりました。翌日は御嶽山に登り、そのあと、妻籠へ。 ↑お土産に妻籠のお店でかってきたおそば。 乾麺だけど、お土産用の生めんよりおいしかった。
2009年08月15日
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朝から晩までノリピーの事件報道でちょっとあきました。(朝から晩までテレビついてるの?というのは、おいといて)でもこれって、単純に芸能人の覚せい剤事件っていう単純なものなのかなぁ。裁判員制度初めての裁判が始まった途端に、裁判員制度を広告する映画の主演女優さんがいきなり、事件を起こして報道されまくり、逮捕されてるなんて、なんだか、タイミングとして、できすぎているような気がします。果たして、ノリピーは、本当に覚せい剤してたのでしょうか。裏に何かあったりしないのかな。たとえば、裁判員制度に反対している政治家とか、官僚とか、法曹界の偉い人とか、そのあたりの人たちが、裁判員制度のイメージをおとしめるために、まず、のりピーをはめたとか。そして、裁判員制度開始のこの時期に摘発できるように、彼女の周りの人間から少しづつ固めていっていたのかも。例えば彼女のダンナとか、そのダンナに覚せい剤をさせるために彼女の弟から覚せい剤を渡るように仕向けていたのかもしれません。この日のためにも数ヶ月も前から。たとえ、彼らが覚せい剤をしたとしても、それがほんの数回だとしたら。でも、たったの一回でも、覚せい剤をしたことがみつかれば、逮捕できちゃうのですよね。そして、同じ時期に逮捕された押尾さん以上にニュースになってるのはなんでなんだろう。そんなことをつらつらと、考えてみると、なんだか、サスペンス映画みたい。私、サスペンス映画はそんなに好きじゃないし、みないのですけれどね。 にほんブログ村
2009年08月09日
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民主党のマニフェストが今話題になっている。 実際自民党にいい加減飽きてきたけど、他にいいところがないからみんなとりあえず自民党に投票したきたので、前回の都議選など、皆結構民主党に投票していることは多いと思う。私も民主党に投票しようかなと思っていたけれど、先日新聞を読んでいてちょっといやになった。 だって、『子どものいない働いていない主婦』に対しては、厳しくなるみたい。てことは、私なんか、あと二年で子供が二人とも成人すると、子どものいない無職の主婦ってことになる。実質子どもがいても、税法上は、子どもはいなくなる。二人とも成人しちゃうからだ。今までせっせと子育てしてきて、お金もたくさんかかって、それが、終わって一段落してこれから楽になるかなと、思っていた矢先にコレってどうよ。 民主党に投票するのはやめようかなぁ。 子どもがいないって、本当に全く子育てしていない場合と、子育てが終わって子どもたちが成人したから、税法上子どものいない場合では、ぜんぜんちがうじゃありませんか。 全く子育てしていなければ、それまでにお金もためられるし、いろいろ使えるし、でも、子育てが終わって子どものいない家庭の場合それまでに膨大な子育ての費用や教育費で家計はぎりぎりだし、貯蓄も使い果たしていたりするし。子育てのために、まともな仕事にはつけなかったり、仕事をしていても、学校のPTAの本部役員の仕事なんかで、それまでの仕事を止めたりする人もいる。子育てが一段落する頃には年齢的にも、もう、求人のない頃だ。 それなのに、一律に、『子どものいない働いていない主婦』って扱いになるのだろうか?そこんところどうなのだろろう。 ところで、その他にも、いろいろみていると、確かにばらまきだなぁっと、思う。数年後には所得を増やすというけれど、所得が増えると物価も上がったりして、それまでの貯金の価値がなくなる可能性もあるのだから、素直によろこべない。所得が上がるより、お金のかからない世の中になってほしい。とにかくまず物価があがらないでほしい。以前のバブルの頃には、収入もよかったけれど、今思うといろんなものがとても高かった。 そして、出産や中学生への助成金、高校の無料化は本当にいい事なのかも疑問だ。マニフェスとに書いてあることは本当にいい事みたいにみえるけれど、本当に実現できるのだろうか。そして、お金を配るような対策ばかりだけれど、小さい子どものいる家庭にお金を配ると、子どもの習い事や、塾のために使われてしまいかねない。もっと違った対策をしてほしい。塾に行かせなくても、学校での授業内容を充実させてほしい。そのためにも、教師の数を今の倍くらいにして、小学校から福担任制を導入したり、一クラスの人数は多いまま、たくさんの教師によってフォローしたりできるようにしてほしい。先生にも週に二日は休みのある生活にしたり、いろんな書類の簡素化や細かい雑用の最適化で、先生たちが、もっと勉強や児童、生徒へのの指導にエネルギーを注げるように対策したほしいと思う。予算をまわすなら、そういうほうにまわしてほしい。なんでも、お金を配る方にしか考えつかないのだろうか。疑問だ。 ちなみに私の住んでいるところは、幼稚園は、区からの助成がでているので、私立も公立も一律3千円しかからないし、医療費も全額無料だ。でも、お金は、保護者にダイレクトにはこない。医者にかからなければ、別にそれまでのこと。 出産に関しては、健康保険組合から、一回の出産に対しては、30万円程度の一時金が支給されているので、国から55万円だすより、保険組合の出すお金を増やすように助成した方がいいと思うけど、そのあたりのシステムは、どうなっているのだろう。それに今の出産は、出産だけじゃなくて、その前の検診にもとてもお金がかかるようだ。一度の検診で軽く一万円はかかるらしいし。そのあたりも何とかしないと、うかうか子ども産めません。 お金を配るより、お金がかからないようにしてほしいと、思う。 うーん。次の選挙はどうしようかな。
2009年08月07日
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