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先日娘とオープンキャンパスにいきました。自分でいくように言ったのですが、どうも一人ではいく勇気がでないようで、やむを得ずついていったのでずか、いってみると、案外親子連れが多かったのに驚きました。お兄ちゃんの時は、親は一切ついていくこともなく、本人の今いっている大学以外は、いっさい見に行ったことはありませんでした。本人も友達と約束してきたりして、今思うとそれなりに、いろいろと見ていたと思います。 今思うと長男は結構しっかりしていたんだなと、思います。でも、下のこはさすがに女の子なのと、志望大学が生徒によってすごくいろいろなので、友達と約束して一緒に行くというのも、しずらいようです。学校側は自分のみたい部分を存分にみるためにも、友達と行かずにひとりでいくようにと指導されていましたが、今思うとやはり友達と約束することで、めんどくさいなっと思ってもやはりいかなきゃいけない気持ちになれたのと、やはり知らないところに行く上で、心理的にラクだったのでしょうね。 できれば共学と考えていたけれど、いざ志望校を考え始めてみると、女子大もいいかもしれないと、思い始めました。女子大のほうが、おっとりした雰囲気があって、娘には行きやすいかもしれません。 そして、先日行った女子大も以外に両親ときている女の子が多くて、驚きました。勝気なタイプの子はもちろん、共学にいくだろうし、すごく偏差値が高ければ、当然選択の余地はありませんが、その下になってくると、逆に絞りきれない難しさがあるのですね。 女子大はやはり、どことなくおっとりした女の子が多く、両親に付き添われたり、母親といっしょだったりしました。 東京女子大は、とにかくキャンパスがきれい。森の中に校舎があるみたいです。そのあとに行った共学の大学は、親はすくなかったですが、保護者むけの説明会もあって、ここ数年間の大学の動きや考え方、受験のシステムなど説明してくれていました。やはり、大学案内のパンフレットやホームページだけではわからないお話をいろいろと聞かせてもらえるものです。なんだかんだ行っても、やっぱり親も少しはいってみるのもいいですね。過保護とかきにしないで。だって、お金出すのこっちなんだし。そういえば、長男の時もベネッセの企画した大学説明会で、今長男のいっている大学の説明だけはきいたのでした。そして、長男の大学はここがいいって決めたのでした。そのあと本人もその気になって、がんばってくれました。よかったです。でも、女子大の割には学食がいまいちおしゃれじゃないのが残念。校舎はあんなにきれいにしてるのに。 東洋大学は数年前に校舎を全面改修して、すごくきれいな近代的なキャンパスになったようです。しかも、大学のイメージキャラクターとして、ムーミンと、スナフキンを起用しているので、東洋大学のいろんなグッズには、ほとんどムーミンやスナフキンが書いてあります。もともとは、哲学の大学だったそうで、その基本を素にスナフキンを選んだのではないかとおもいますが、最近はなんだか、キャラクターとして、ムーミンのほうが全面にでてしまってるのが残念です。やっぱり、スナフキンをメインにしなくちゃ。 校舎も第2キャンパスをすぐ近くに作っていて、ほとんどの学部を東京にもどしたそうです。結局地方に分散すると、1.2年生のメンドウを見るはずの上級生や、教授がそばにいないことになってよくないそうです。そのほかにも、実際東京にすんでいるものにすれば、わざわざ郊外の遠いキャンパスまで通うのは大変だし、今の不況下では、一人暮らしをさせる資金なんて、ありません。だから、東京にある自宅から通える大学を優先的に選ばざるを得ないのが実情です。最近の東洋大学の経営をみていると、中に新しい経営指導の人材がいるのかなという気がします。大学のスタッフだけでは、頭が古くて、アニメのキャラクターを大学のイメージキャニクターに持ってくるとか、校舎を一気に立て替えて、ほとんどの学部を都内にするなんて、思いつくとは思えません。東洋大学は日東駒専のひとつですが、他の大学がまだまだ郊外にキャンパスを置いていたりする中で、かなりな変革を進めているように見えます。そういえば、東京女子大もふたつに別れていた校舎を三鷹から、荻窪に戻して、全てを一つの場所にしたようです。そのほうが、学部の垣根をこえて講義をいろいろ取ることができるし、今話題の、リベラルアーツをすすめているらしいです。 東洋大学の学食はすごくよかったです。わりとスエヒロなどのチェーン系列のレストランをいくつも入れていて、そのほとんどが500円とは思えないくらいおいしくて充実してました。また、たべにいきたいです。スパゲティは、サラダ飲み物デザートつき、カレーはナンもあり、ラーメン、鉄鍋餃子、東京食堂のオムライスなどドレもおいしそうでした。 わーい。スナフキンすてきだ。写真とってきてしまいました。それにしても来年果たしてどこかにはいれるのでしょうか。現状ではとてもあやしいです。
2009年07月31日
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うちの息子もとうとう成人となりました。二十歳の誕生日~♪もすぎましたが、なんか素直に喜べない。なんでかっていうと、国民年金の加入申請書が届いたから。二十歳になったので、国民年金にはいらなければいけなくなったのが、最近の成人です。私の頃はまだ、大学生なら、働いていなければ、こんなものはきませんでした。卒業して、就職して、初めて、厚生年金に加入となったものです。それだって、本人への了解も説明もなく、強制なんだけどさぁ。 で、いままで、ばくぜんとはしっていたけど、いざわが子にやってくると、なんか釈然としません。彼はまだはたらいていないし、バイトで稼げる金額なんて高が知れております。国民年金の月額1万4千円なんてはらえるわけもありません。なんで収入ないのに、請求がくるの? それというのも、いぜん年金問題で、日本国中がおおさわぎしたせいです。 学生時代の1万四千円は痛いけど、老後にもらえる6、70万円なんて、焼け石に水。しかもそれをわざわざ自分でいかなきゃならないなんて、ホントになんか釈然としない。もちろん学生は、卒業して、就職してからの後払いにすることはできますが、やはり、ちっょとお高くなります。 うーん。どうしよう。よその人はどうしているのだろう。親がだしてあげるのでしょうか。それとも、就職後の後払いにしているのでしょうか。 なやみます。なんかしらんぷりしたいけど、そういうわけにもいかないし、本人に封筒わたしたけど、本人はほっぽらかしてるし。こんなことなら、子どもはみんな、3月生まれにしとけばよかった。 まあ、ほっとくわけにもいかないのでしょうね。 それにしても、これ。細かい説明所とかぜんぜんはいってないんですよね。ずーっとはらってると、将来的にいくらくらいくれるのか、途中から就職して、厚生年金になる可能性も高いけど、その時どうなるのか。ぜんぜん説明なし。民間の生命保険に加入するのに、こんなに説明のないことなんてありえない。桝添えさん今回いろいろがんばったはずなのに、そのあたりちっともかわらない。どうしてくれるのだよ。 それに、こういうシステムってやっぱり、おかしいです。改正すべきだと、思います。
2009年07月30日
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ロッテリアの絶妙バーガーを食べてみた。コマーシャルでいうほどおいしいと、思えない。それというのも、バンズがあまりにも、ペチャっとしていて、存在感がないから、中身とのバランスがとれていない。ハンバーガーってサンドイッチなわけで、一番の主役はパンだとおもうんだけど、そのパンの部分が湿りすぎていて、ペチャペチャしていて、食べ応えがなくて、せっかくの充実した中身の良さがいきてこない。肉の部分も宣伝でいうほどでもない。 それと、今回の戦略としては、せこい。「おいしくなかったら、お金返します」っていうけど、アメリカ人やフランス人ならいざしらず、日本人の性格を考えたら、たとえ、おいしくないと思っても、実際にそれを言って、お金を返してくれとは、いわないだろうと、思う。 実際には、返却をもとめたひとが、0.2パーセントいたらしいです。いたんだ。 でも、大概の人は、いまいちだなと、思っても、そのまま食べちゃうと思うし、あの場所でもう一回レジにならんでまずかったなんて、他のお客さんたちがいる場所では、言いにくいです。 そういう日本人の性質を無視して、『お金かえします』というキャンペーンの仕方は、納得いかないなぁ。前回の絶品チーズバーガーも、アブラっぽくておいしくなかっのですが、今回もはずしてます。それと、マヨネーズ風なソースだはなくて、ケチャップにしてほしい。やっぱり、ハンバーガーは、ケチッャプがきめて。だと思うの。次回は、ケチッャプにしてほしいです。
2009年07月24日
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大学二年生です。ほんとに大学行ってるのか、授業してるのか謎なくらい、時間余ってます。というか、毎日昼前まで寝てます。そして、夏休み2ヶ月春休み二ヶ月。あんなに必死に、勉強してお金かけてはいったのに、大学っていったいなんなのっと、ものすごく疑問な毎日です。 大学は時間を買うところ、勉強したり、遊んだり、バイトしたりして、いろんな経験をつんで、有意義にすごすところ。と、思ってましたけど、実際、子どもが大学生してるのをみてると、すごく疑問です。バイトするために、受験勉強したわけじゃないです。そして朝寝して、夜更かしして、ぐうたらにすごすために、大学にいかせてるわけじゃない。タップリの休みと時間があって、バイトするくらいなら、さっさと卒業させて、就職させて、ほしいです。バイトで稼げる金額なんてたかがしれてるし、バイトさせるために、大学に授業料はらってるわけでもないのに、どうしてこんなに休みがあるんだか。こんなにのんびりする時間があるなら、その時間を買うために、受験勉強させるより、その時間を受験勉強のために、つぶした、高校生時代にまわしたいです。 大学受験のために、高校の授業がいろいろと犠牲になってたと思う。美術とか、家庭科とか、結構大事な科目なのに。受験がなければ、クラブだって、三年間たっぷり、卒業までできるのに。 なんか納得いかない。がんばったんだから、大学ぐらいのんびりするもの。と、思ってたけど、だったら、高校時代をそのぶん有意義に過ごしたほうがいいような気がする。 で、考えたんだけど、大学受験とかなくしたらどう。高速道路だって一律千円のご時勢なんだし。全部単位制にして、必要な単位がとれたら、2年でも、三年でもいいから、そこで卒業にして、バイトなんかしてないで、受験しないぶん、大学でがんがん勉強して、さっさと就職したほうがいいと、思う。せっかくの20代の一番カラダも頭も使えるいい時代を、大学なんてとこで、バイトやクラブなんかでだらだらすごしてるなんて、もったいなさすぎる。 国民的損失だと、思うわ。 大学受験のせいで、高校のすごく貴重で、いろんな科目を勉強したり、クラブでいろんなことをまなぶ時間が犠牲になってると、思う。しかも、受験のための勉強って学問ていうより、特別な勉強だし。受験テクニックとか、試験で点をとるための勉強だったりする。無駄が多すぎる。受験のためにその科目に集中しちゃうぶん、他の科目は切り捨てられちゃうし。 本来大学がのんびりしてるのは、教授がゆっくり研究する時間のためで、そのあまった時間で講義してるものだとは、思うけれど、だったら、もっと、世の中にあまってるポストドクターをどんどん講師や准教授として、採用した方がいいと、思う。いま、ポスドクの人っていっぱい余っていて、その人たちは、しかたないので、受験塾の講師をしていたりすると、思う。大学の勉強して、知識があるのに、受験勉強教えることにその人材を使っているなんて、もったいなさすぎる。 教育資金だって、受験塾に払うより、大学に払うほうがずっといい。教育費が今、塾と、塾講師(ポスドク)に払われている。これを、大学とポスドク(今の塾講師)に払うほうがずっといい。 今、ワークシェアって、工場の工員くらいにしか、広がっていないけれど、本来ワークシェアはもっと、社会全体の全ての職業でおこなわれていっていいはずだと、思う。それで、大学の教員なんかも、ワークシェアしていいのでは。 そして、大学が時間があってバイトしながらなのは、もともと学費を自分で稼ぐアメリカなどの外国の学生に合わせたシステムだけど、日本のように学費をほぼ親が出していたりするなら、その制度は意味がないのでは。まして、奨学金をもらっているなら、それを返すためにも、大学はさっさと卒業して、ちゃんと就職したほうが、稼げるし、早く返せるのでは。 大学も、受験をなくして、たくさんの学生をいれて、いろんな講義を単位として、とれるようにして、多くの学生により多く講義を提供すれば、収入も増えるはず。(今は法的に人数の規制があるらしいけどね。)学生は大学に所属せずに、どこの大学の授業でも取れるようにする。今現在もいくつかの大学では単位互換性が導入されているわけですし。どこの大学の講義でも、取れるようにして、必要な単位数がとれたら、卒業にする。どの大学の授業でもとれれば、地方の人は地方の大学で、講義を受けられるのでは。いろんな大学に教授が出張していくわけですね。学生が移動するんじゃなくて、教授が移動する。ってことになるのか。 高校の授業を普通にこなせば合格できる程度に易しい試験で、指定点以上とれれば、合格できるようにして、それに受かれば、大学にいけるようにする。指定点以上とれれば、何人でも、合格にする。そして、講義のレベルを5段階くらいに設定する。Eレベルの講義の単位を指定数とると、Dレベルの講義がとれるようになるというようにして、ランクアップしながら勉強していく。きちんと勉強しないと、単位が取れないように厳しくする。だから、Aレベルの講義はなかなか単位が取れないので、その単位をもっていると、今の学歴のように優秀であることの証明になるはず。講義も、4ヶ月とか、3ヶ月で終了して、そのサイクルで次々と講義をとっていけるようにします。低いレベルの基礎的な講義は地元の自宅から通いやすいところにある大学でうけて、最後の一年間だけ、Aレベルの授業やゼミのために、中央の大学に通えば、自活の生活も一年くらいですんで、親の負担も減るはずです。いままで、金銭的にくるしくて、都会に行くのは無理と思って断念していた家庭でも、最後の一年だけなら、何とかなるかもしれません。とにかく、自宅から通えるところで、講義を受けられたら、学生も親もラクです。通学も短時間ですみます。そして、大学院などに行きたい考えているなら、大学自体を短縮して、先に進みたい学生もいるはずです。また、自宅から近い大学に行きたくても、うからなくて、わざわざ遠い大学に行かざるを得なかった学生もたすかるはずです。 全ての人には、大学の講義をうける権利があってもいいと、思うのに、今現在、人数制限で、切り落とされる。そして、合格した生徒は逆に授業をサボるのが大学の常識っていうのも、なんだか納得できない。その挙句、大学なのに、すごくつまらない授業だったりする。 就職活動に一年もかけてるのだって、おかしい。新卒採用なんてなくして、卒業してから、一週間とか、一ヶ月で普通に就職すればいいと、思う。つまり、大学生時代の就職活動自体も、禁止とかすればいいのに。 大学受験は、廃止したら、どうなるのかなっと、つらつらと、いろいろと想像してみました。あとは、普通の大人ももっともっと大学の講義受けられるようにしてほしいですね。大人も大学。単位なくてもいいから。 ↑家族に評判です。おいしいらしいです。 私はたべられないけど。
2009年07月23日
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長男の入試以来の感覚で大学の授業料をかんがえていましたが、再度もう一度みてみたら、値上げしてるじゃん。 びっくり~~~~~~。 慶應大学は、たしか、長男の受験の時は、次年度からは、入学金はなくす予定だったはず。なのに、まだちゃんと入学金あるじゃない。それでも、とりあえず、以前よりやすくはなっていますが、そのぶん、普通の四年間払う授業料は高くなってるし、全部たすと、かなりの値上げですよ。そんなばかな。そして、他の大学をみると、のきなみみんな、慶應にあわせるように値上げしてあります。入学金を除いても、授業利用と、施設費当島で、90万以上、100万弱。こんなに私大ってたかかったっけ? 二年前の長男の時は、国立大学の授業料がどんどん高くなっていて、私立大学との開きがあまりなくなっていたので、このまま、私大と国立の授業料の差は、ちぢまっていくのだろうと、思っていました。 ところがどうしてどしうて、私大は、国立の値上げをいい事に、さらに値上げしているようです。国立が高くなるってことは、私大の値上げをしやすくしているだけです。国立を値上げして、私大との差をなくすためじゃなかったのか。かえって逆効果ではありませんか。 そして、どうして、私大がこんなに値上げしているのか、と思ったら、先日読んでいた『クルマは家電量販店で買え!』という本にその事情が書いてありました。授業料だけでは経営の苦しい、そして収入をもっと上げたい私大がどこもみんなも金融商品に手を出していて、特に危険な「仕組債」による大損をしているそうです。慶應は、226億の損失(2008.3)だそうです。そして、授業料だけではたりないから始めたはずの金融投資での損失を授業料の値上げで埋め合わせしようとしているわけです。 なんかもうほんとにびっくり。 そういう大学のミスがわれわれ保護者によって穴埋めさせられようとは。 慶應大学は、特に経済学部が看板学部の大学なのに、その大学が金融に失敗しているのでは、慶應で教育受けても、金融や経済に強く慣れるのか、危うい気がします。慶應は、大学の中でも、プライスリーダーなわけで、その大学が値上げなんかすると、他の失敗していない大学だって、コレを好都合とばかりに、みんな横並びで、値上げするわけで。 カンベンしてほしいです。 来年の娘の受験の頃はどうなっているのか。こういうものは、値上げはしても、値下げは、しませんからねえ。 大学の案内をみながらくらくらしてきました。懐がずきずき痛いです。
2009年07月16日
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プロパンガス詐欺が流行っているそうです。昨日読売新聞の家庭欄をみていたら、『悪質な訪問ガス販売に注意』という記事を見つけました。 今使っているガスより安いという触れ込みで契約した挙句、その二ヵ月後くらいには元の値段に戻してしまうそうです。プロパンガスは、都市ガスと違って、いくつもの業者があり、値段も都市ガスより少し高めのような気がします。公共のものではないので、価格設定も自由なのだそうです。 実はうちにも、この安いガスの勧誘の郵便がきていたんですよね。で、どうしようかなと、保留にしていたんですよ。うちは、都市ガスなんだけど、諸事情で、こういう案内が来ました。詳しいことは個人情報なのでかきませんが、このプロパンガスの安い話って詐欺だったんですね。契約したり、問い合わせたりしなくて良かった。それに、プロパンガスといえども、変えるとなると、いろいろな器具の取替えにお金かかるそうです。その挙句、元の値段に戻されたのでは、意味ありません。たしかに詐欺ですよね。 その封筒はまだとってあるので、ここで写真とか、会社名とかさらしたいんだけど、まあ、そういうことをするとこわいからなぁ。確証ないしね。 新聞の記事は訪問販売となってるけど、封筒での案内もきてます。 都会はほとんど都市ガスなので、問題はないですが、都市ガスのない地方は、要注意ですね。都会でも、一部はまだ都市ガスが通ってなくて、プロパンガスのところもあるのですよ。 それにしても、このニュース。新聞みていたからみつけたけれど、ネットでこのニュースには、なかなかきづけないです。ヤフーのトップページのニュースとかは、いつもタイトルだけでもみているけれど、ネットやテレビの場合は、大きなニユースしかとりあつかわないので、今回のガス詐欺のニュースも、振り込め詐欺や、リフォーム詐欺ののように、被害が大きくなってこないと、なかなか情報として入ってきません。ガス詐欺のニュースは、まだまだローカルニュースの扱いですから。ニュースとしては、とても、小さいし、ネットでは、知らなければ、検索もかけません。 もうネットでニュースは、みられるのだから、新聞は止めようと、ダンナはいうのですが、わたしは、なんとなくそれがいやで、未だに、新聞とっています。ときどき読みますが、やはり、紙の新聞は必要だなと、痛感しました。 この詐欺事件をネットで検索してみましたが、なかなかみつかりませんでした。ガスのニュースに関しては、器具の点検詐欺は、ちょっと前に多くあったらしく、たくさんヒットしたのですが、訪問契約の詐欺はまだまだのようです。 読売新聞のネット上のサイトもあって、しらべたら、これとおなじ記事がサイト内にもありました。でも、そのニュースがどこに書いてあるのか、分かりにくいです。トップページのニュースだけではみつけられませんでしたし、トップページは、新聞の見出しと違って、文字の大きさがほぼみんな同じなので、紙の新聞のように、めくりながらぱーっとみて、自分の興味をひく記事を見つけ出してみるのは、意外と難しいし、手間取るし、メンドウです。 これからの情報社会。ネットだけがすごい、ネットさえあれば、とはいえないです。アナログもまだまだ大切です。また、停電とかになったりしたらね。 それにしても、ガスの詐欺。こわいですね。ワイドショーとかで、取り上げてほしいですが、もうやったのかな。最近ワイドショーみないので、わかりませんが。 地方の方、気をつけてくださいね。
2009年07月14日
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ひるむことも、びびることも、怖がることも、パニックになることもなく、敵に向かっていく映画の中のヒーローの行動がいかにうそ臭いかにきづかされたのが、どの映画を見た時なのか、どうしても思い出せないのだけれど。 実際にもしも自分がその立場になったら、怖くて怖くて、勇敢に立ち向かうというよりは、敵前逃亡で逃げ出しちゃうだろうと思う。先日、『エヴァンゲリヲン/序』がテレビのゴールデンタイムで放送されたりするものだから、普段ぜったいみないような人たちが、見ていた。簡単にチャンネルさえあわせられれば見られるという状況で、みている人が多かったのではないだろうか。 そんな状況で、ただの娯楽ヒーロー映画のつもりでみている立場であれば、主人公のシンジが切れたり怒り出したり逃げ出したりするのは、ただのヒーロー失格の勇気のないうじうじした人間にしか見えないかもしれない。 けれど、もし自分が、本当に戦場に立たされた時のことを想像すれば、その怖さは、相当なものだ。しかも、自分の一人の行動が、地球上の全人類の存亡にかかっているとすればなおさらだと、思う。ほんの一瞬の判断が、あやまるだけで、負けるし、死ぬかもしれないし、人類滅亡になるかもしれない。(たかが、14歳の子どもに人類の命運がまかされるとい設定はどうよ、というようなことは、また、とりあえずひとまず、おいといてですが。) プロの兵士でもなければ、軍隊のような特殊な訓練もまだまだ受けていない状況で、いきなり、自分にしかできないといわれて、戦闘を強要されるとしたら、その精神的なプレッシャーたるや、相当なものなのではと、思う。 私ならたぶん、絶対エヴァンゲリヲンに乗らないだろうし、乗ってもそのまま逃げ出すかもしれない。 ぐずぐずしている間に、死んでるかもしれない。 いくつものヒーロー映画を見ている中で、ヒーローなら戦って当たり前と、思い込んでいた。でも、そんなことのできる人間なんて、本当にいるのだろうか。だから、最近、アメリカのヒーロー映画でも、人間的にとまどい悩み、あるいは、酒におぼれたりするヒーローたちが描かれ始めている。 あの状況でいきなり、勇敢に戦えるほうがよっぽど特別で、おかしいのだと、思う。 そんな中で映画でも、碇シンジがエヴァンゲリヲンを拒否して、逃げ出す場面がある。ものすごく当然な行動だと思うし、自分の中でエウ゛ァンゲリオンに乗ること、戦うことを受け入れるためには、一度徹底的に拒否して、自分の中の本当の本音に向かい合わなければならなかったのだろうと、思う。全てをとりさった中でも、それでも、乗りたいと思うのか。必要だと思うのか。自分の中に少しでも、戦うことに向かう気持ちがあるのだろうか。 この手の物語を見るといつも思い出すのが漫画の『エースをねらえ!』なんだけど。主人公の岡ひろみもまた、自分にかかるプレッシャーのきつさのなかで、一度はテニスを捨てる。けれど、離れてみてなお、やはり自分がテニスを好きでテニスやりたいことにきずいた時、彼女はもう一度テニスに戻ってくる。 シンジの前にすでに、エヴゥンゲリヲン0号機にのっている綾波レイもまた、一度は、エヴァンゲリオンに乗ることを拒否したのではないだろうか。物語では、描かれていないけれど、シンジが登場するずっと前、まだ、エヴァンゲリヲンにのるパイロットがレイ一人だけだった時にも、乗る乗らないの葛藤があったりしたのだと、思う。その時の数々の闘争を経験しているからこそ、ネルフのスタッフは、みんな、シンジの戸惑いや苛立ちに対しても、搭乗拒否にしても、冷静でいられたのだろうと思う。 レイは、もしかすると、一度戦闘中に死んでいるのかもしれない。物語の後半で「私はたぶん三人目なんだと思う。」という言葉が出てくる。テレビ放送本編では、物語の中で一度死んでいて、クローン再生されているのだ。それが三人目の体なのだとしたら、シンジの登場以前に一度死んでいるのかもしれない。それはやはり、シンジ以上にエヴァンゲリオンに乗って戦うことへの拒否や、戦死や、闘争、パニック、があって、かつてのネルフスタッフたちは、彼女の精神的なバランスをとることにそうとう苦労しているのかもしれない。 だからこそ、棟方仁が岡ひろみの精神的なフォローをしていたように、碇指令は、時々レイと食事をしたり、優しい言葉をかけて、レイをフォローしているのだと、思う。けれど、後からやってきたシンジには、そのことはわからない。なぜレイが、自分が悩んでいることを平然とこなせるのか、なぜ傷だらけになりながらもエヴァンゲリオンに乗り続けるのか、なぜシンジの父親である碇指令がレイに対しては、あんなにも優しいのか。 けれど、碇指令もシンジに対しては、レイに対するような優しさは、見せない。男の子は、女の子とは違うからだ。女の子は精神的にフォローしてあげたり、優しくしてあげる必要があるけれど、男の子の場合は、ある程度突き放して、厳しくし、自分自身の内側の葛藤をのりこえていかなければ、成長していけない。女の子に対するような優しい接し方では、成長を逆にはばんでしまうからだと、思う。 一見冷たいようにみえるけれど、碇指令は父親として、ちゃんとシンジをみていると、思う。 激烈な戦場で戦っていくのは、テレビのこちら側でスイカを食べながらのんびり観ている側には、想像しにくいのかもしれない。 だからいま、よりリアルなヒーー物語として、『エヴァンゲリヲン』は、多くの男性たちの評価をえているのだと、思う。 真希波・マリ・イラストリアス 自我の覚醒と獲得の物語『新世紀エヴァンゲリオン』の感想はこちら
2009年07月13日
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今七月なのに、なんで五月に飛ぶハエの話なのかって言うと、今週末の選挙のために先週くらいから、選挙カーがうるさいから。先週くらいからも疲れていて、昨日もちょっとでかけたら疲れちゃって、今朝は珍しく娘の学校が休みでお弁当作りもないというので、のんびり寝ていたのに、(私体調悪い時は、とにかくねないとだめ。寝不足は一番応える上に、寝つきが悪いという最悪さです)朝の八時半くらいから家の近所に選挙カーが車をとめて私がうつらうつら朝寝をしている貴重な時間をえんえんと、20分から30分くらい、許可もないのに、街頭演説まがいのことをしていたのだ。 夏休みでもないのに朝寝のできる(だんな様ごなんなさい)貴重な朝の時間だったっていうのに。それも、車で走りながら通り過ぎるならいざしらず、住宅街のど真ん中に車をとめてえんえんと。ああ、うるさかった。 それにしても、今度の日曜までえんえんと、うるさいのかと思うとげんなり。 毎回不思議なんだけど、選挙に出る人たちは、名前を連呼するぐらいで、投票してもらえるなんて、本当に思っているのだろうか。私は毎回選挙カーのうるさい人の名前はしっかり聞いておいて、絶対その人にだけは票を入れないことにしている。 それにしても、ここのところ、どうしてこう、ゆっくりぐっすり眠れないのだろう。やっぱり、最近家計が厳しくなってきて、心配事が増えたから?
2009年07月06日
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『翼をください』を検索していて、この曲がかつてのフォークソンググループ赤い鳥のレコード「竹田の子守唄」のB面だったことを知った。 で、A面の「竹田の子守唄」を調べてみたら、部落差別を歌った歌という取られ方もしていたらしい。というわけで、こちらのサイトを読んだのだけれど、この歌だけでなく、日本には、随分いろんな子守唄があるらしい。そのほとんどは、奉公に出された子どもが奉公先の家の赤子を子守するその辛さをうたったものであったらしいのだけれど、そのほとんどが、辛い、さらには、殺したいほど憎いというような内容であるという。 これらの歌詞を読んでいて思った。私だけじゃなくて、やっぱり昔から子育てって辛いものだったのだなと。 これほど歌い伝えられるほど、昔から、子守、子育てはつらいものだったのだと、思った。それは、子どもにかぎらず、大人であってすら、結構しんどい。 それでも今の大人が耐えられるのは、あくまで今の時代子どもはせいぜい二人くらいしか育てないからだと、思う。奉公に出された少女は、奉公先の子どもを奉公の続く間ずーっとずっとずっと何年でも、子守し続けなければならないのだろう。 もし、子育てが楽しくて幸せなだけのものなら、奉公先の奥さんが大切なわが子を外から来た十代前後の子どもに預けたりするだろうか。一番しんどい仕事だからこそ、弱い立場にわりふられるのではないのだろうか。 今は、子どもを育てるのは、その子どもを生んだ母親であるけれど、それでもやっぱりつらくてしんどい部分は多い。それなのに、自分が実際に子どもを生んで育てる立場になるまで一切そういう情報は、なかったなと、思う。それよりもどちらかというと、子どもを育てるのは、女、母親、そして、母親であれば、母性本能があって、子どもを育てるのも、かわいいと思うのも、愛情を感じるのもごくごく当たり前で普通のこと、子どもを育てるのは幸せなことと、思い込まされていたことだ。 もちろんわが子はかわいい。でもそれは、上から強制される種類のものではないだろう。 これほど連綿と歌い継がれるほど、しんどいことがいつのまにか、隠されて多いつくされて、子どもを育てるのは、幸せなことという一方的な情報だけが渡されていたのだろうか。 子守唄に歌われる子守、子育てのしんどさは、必ずしも、実の親と離されて、奉公にに出された子守の少女だけのものではないだろうにと、思う。 ああそう。ずっとずっと、昔から、子育ては、しんどくてつらいものなのに、テレビやマスコミは、子どもを殺す母親を批難して、愛情はあって当たり前みたいに偉そうに言う。 こんなに大変な子育てをしている女性たちにたいして、社会はなんてつめたいんだうろと、思う。実質的に働いている男性たちには、実際の報酬がしはらわれるのに、無給で子育てをする女性への社会的な保障のなんと浅くて冷たくて、不安定なこと。 女性たちが無給で育てた子どもたちが、その先の社会を作っていくものなのに。 守り(もり)もいやがる 盆から先にゃ雪もちらつくし 子も泣くし 盆が来たとて 何うれしかろかたびらはなし 帯(おび)はなし この子よう泣く 守りをばいじる守りも一日 やせるやら はよも行きたや この在所(ざいしょ)こえて向こうに見えるは 親の家(うち) ちなみに、竹田の子守唄の元歌の中に出てくる『久世の大根めし 吉祥の菜めし まだも 竹田のもんばめし』の部分ですが、まずしさゆえの、貧しい粗食としての描写なのですが、これらのメニャーは、今のメタボの時代には、優秀なスローフードとして、高い評価を得て、もてはやされそうな食事です。お金持ちになった挙句、過食でメタボで命と健康が危なくなっている現代。一見粗食にみえるけれど、今の栄養学でみればかなり優秀なスローフードであるとは、なんとも皮肉な話です。『竹田のもん場飯』とは、米に豆腐のオカラをまぜたご飯のことだそうです。食物繊維や、女性に重要な大豆イソフラボンや、両性たんぱく質を多く含んだ食事だと、思えます。はああ。ダイエットによさそう。そんなこといったら、この当時の人たちには、おこられるだろうな。 CD/赤い鳥/ゴールデン☆ベスト 赤い鳥 翼をください~竹田の子守唄 (Blu-spec CD) (完全限定生...
2009年07月04日
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先日ホームセンターに行って、買い物のためにレジで並んでいた。私の前には、大きな衣装箱を台車に載せている人がいた。レジは向かい合わせに二つあったけれど、その大きな箱のために、もう一方のレジに入り込んでいけない。でも、少しまてば、列はすすむのだしと思ってまっていたら、少しあとからきた女性が、「○○ちゃん。ほらそこのレジあいてるからはいっていって」というのだ。私が既にならんでいるのは、ちょっと見ればわかるだろうに。左のレジに行き着けないのも、その前の人の衣装箱のせいであることもわかるだろうに。 「並んでいるんだけどな」と、ボソッと言ったけれど、その女性はしらん顔で、子どもと一緒にレジをすませてしまった。レジの人もなにもいわずに、処理してしまった。 ここではっきり大きな声で「すみません。並んでいるんです。ちっょと入れないから、まっていただけなんです。」と、いってもよかったのだけど、最近いろいろと腹のたつことが多くていろいろと怒っていたら、いい加減疲れてきて、そろそろ怒るのもイラつくのも面倒になってきていた。それでそのまま、はっきりとした苦情もいわずにすませてしまった。 それに私も自分の子供が小さかった頃って、コレに似たような行動をとっていたなと、思った。少しでもすいているレジに並んでなるべく早く会計をすませたいとも、思ったいた。小さな子どもをつれていて、心に余裕がなかったと、思う。 最近少し、自分の無意識の行動をつらつらと、考える。私にも、こんな他人を出し抜いてラクに要領よくやろうとするようなところがあるかもしれない。 子どもが大きくなって、それでも、少しは余裕が出てきただろうか。 ああいうことをやってしまう子育ての期間中って、やっぱりしんどかったのだと、つくづく思う。今思うと心がカリカリしてたなと、思う。 子どもを育てるためには、周りのことなんかかまってられない余裕のなさは、結構子育て中の母親には多いよなとも、思う。(もちろん、きちんとした人もいます。)そういう習慣が身について、子育ての後まで引きづらないように気をつけないと。と、しばし考えた。
2009年07月03日
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いいアニメでした。にゃんこかわいい。微細な風景がすごい。キリのいる風景
2009年07月02日
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いやはや。ナウシカを観たとき以来の感動かも。 そして、ラストの曲。学校の合唱祭などでよく歌われる曲なんですけど、こんなところで使われるとはね。しかも、歌詞がエヴァンゲリヲンのラストシーンの展開とそっくり。そのもの。 びっくりしました。ここまでぴったりの曲がこんなところにあったなんてね。合唱祭で使われるので、なんだかもう、文部省指定の道徳的な歌のイメージになっちゃってるのだけど、もともとは、ちょっと昔のフォークソンググループが歌っていた、昔の若者の歌なわけで。昔も今も、若者の悩みや痛みや青春の本質ってかわらないのかもしれません。 そして、今の十代二十代の少年少女たちがこれをみたら、この場面でこの曲を聴いたら、どんな気持ちになるのかな。いやはやわたしもう、このラストシーン感動して泣いてしまいました。右も左もアニメファンのおじさんで結構混んでいた劇場の中で、涙ぐんだ人はどのくらいいたのでしょうねえ。 お話も画像もすでにリメイクではなくて、ほぼ全編書き直されているように見えました。最近のアニメのスピード感のすごさももちろんなんだけど、画面もめちゃくちゃすごくて面白かったです。 最近はもう、アメリカの映画は、しらけちゃって見る気になれず、このところ、なぜか邦画を見ることがふえましたが、先週といい、今週といい、平日の午前なのに、なぜ映画館は混んでいるのでしょうか。満席とまではいかないけど、いままでは、平日はがらがらな劇場だっのに。日本映画も、人気出てきたのでしょうか。最近いい作品が多いのでしょうか。それとも不況でみんな暇なのかな。今日なんか、私の隣の席のおじさんは、スーツ着てました。営業の仕事の途中で、映画館はいっちっゃてるのでしょうか。いいのかな。 なにしろ、「エヴァンゲリヲン」なので、お客さんの9割以上が、20,30,40代の男性でした。今日は、レディースディだけど、1日の映画デーでもあったからね。 それにしても、この監督は幸せですね。何度も何度も、納得のいくまで、自分の作品を作り直す機会にめぐりあえる映画監督なんて、そんなにいるものではありません。テレビシリーズでは、時間不足、練りこみ不足であきらかに、未消化のままの完結だったし、前回の映画作品も、全体的に醜悪になってしまって、うまく本当のメッセージを描き出せていませんでした。今回は、その醜悪さを大分押さえてきていますが、その分かえって、おきれいな道徳的作品になってしまうかもしれない危うさを感じました。ぎりぎりおさえているのでしようが、人と人が心をつなげていくその真髄を描き出すのは、本当にむずかしいなあっと、思いました。これを文部省的道徳観で作ったら、観る側はしらけて拒否感の方が上回ってしまうわけだし。 ものすごい急展開の「破」でしたが、次回「Q(急)」は、どんな結末を作りだしてくるのか。めちゃめちゃ楽しみです。 さあ、今度こそ監督は、うまくメッセージを若者に、いえいえ全ての人類に伝えることができるのでしょうか。 そして、今回要所要所にかなり明確に、十字架が描き出されていました。エヴァンゲリヲンは、キリスト教とその宗教観や、エピソード、アイテムなどを基本にしたストーリーだけれど、今回は、新しいキャラクターの女の子マリの登場によって、日本やアジア的な宗教観も入り込んでいたように思います。新キャラの女の子マリの「身を捨てて浮かぶ瀬もあれ」というセリフの、自己犠牲的な精神と発想は、アジアのもの。仏教的世界観ももりこんで、今回の「エヴァンゲリヲン」は、日本という場所を舞台に西洋と東洋の宗教観、精神世界の融合を目指すターニングポイントにいるような気がします。 今アメリカ的な西洋的な価値観も世界支配も疑問視され、まき戻される中で、中国ともインドともちがう、独特の日本の立ち居地は、もともとアジアの中で一番最初に西洋を取り込み、自分の中に融合させた国として、世界の中に有る二つの価値観をうまく融合させていくことのできる微妙なギャザーポイントになりつつあるような、いままさにそんな時代のハザマにいるんじゃないのかと、そんな風に思わさせてくれた映画でした。 新キャラの少女マリも私には、レキジョ、フジョシ、明るいオタク系女の子に近いように見えました。レイや、アスカにくらべると、ずっと現実の女の子のイメージに近いリアル感、本当の意味でのいまどきの女の子という感じがします。レイも、アスカもやはりどこか男性視点で描かれた女の子なんですよね。アニメを作ってるのが男性なので、どうしても男性の希望で描かれた女の子になっちゃうんだけど、これは、宮崎アニメでもそうなんだけど、アニメは女の子だってみているし、視聴者により現実世界に目を向けて人と関わって生きていってほしいと思うなら、男性の理想でできた女の子じゃなくて、ほんものの女の子を描き出してほしいですね。なんだか話しかけにくい女の子のレイでも、やたらきついことを言う女の子のアスカでもなく、もっと本当に現実に生きている女の子をうまくえがきだしてほしいと、思います。今の女の子はごくごく普通に男の子とおしゃべりするし、男の子と同じものを好きな女の子もいるし、ずっとずっと優しい子もいます。生きていくことへの悩みも人と関わることの悩みも、もちろん男の子たちと同じです。そのことにきづけさえすれば、たぶん、フィールドはなくなるはずなんだけど。 さて、物語のテーマも監督の思いも、わかっちゃいるけど、こんなこと偉そうに書いてるけど、現実は、ぜんぜん進歩しない自分がやっぱりここに。自我の覚醒と獲得の物語『新世紀エヴァンゲリオン』の感想はこちら ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破@映画生活
2009年07月01日
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