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昨日更新しようと思ったら、サーバーが緊急メンテナンスをやっていて更新できませんでした。予定より1日遅れ、もう実際に旅行した日から2週間経過しようとしていますが、なにかだいぶ前に行った気がしてきました。もう9月になってしまいますし。。そんなことを思いつつ、今日は北海道遠征2日目(8月17日)午後、旭川~美瑛~富良野~札幌とレンタカー(軽)で移動しました。旭山動物園で1時間ちょっと過ごしたあと、旭川ということで「旭川ラーメン」と思ってここで昼飯。ガイドマップに出ていたところにうまくたどり着けなかったので、通りすがりの店に入ったら結構有名なところだったようで、なかなかうまいラーメンを食わせてもらいました。その後南下、最初の目的地、美瑛の丘に向かいます。ここの景色はいかにも北海道らしくて素晴らしいですが、何ヶ所か訪問スポットがあります。これは「ケンとメリーの木」。1972年の日産スカイラインのCMの舞台になったところ。横には当時のスカイラインが展示されている店があります。この近くには「セブンスターの木」「マイルドセブンの丘」などタバコのパッケージを飾った木がいくつかあります。美瑛の丘から南下、富良野方面に行く途中、美馬牛(びばうし)という駅の近くに「かんのファーム」というところを通りました。ここの花畑は最高でした。こんな景色がたくさん見れました。このあとはさらに南下して中富良野の「ファーム富田」というところにも行きました。ラベンダーの季節は少し過ぎてしまったようでしたが、それを差し引いてもなかなか心の洗われるような景色が見れて満足しました。きれいな花の写真などちょっとご覧になりたい方はぜひこちらをクリックしてご覧ください。このあとは山中を抜け、高速道路に乗って札幌まで一直線。19:30頃札幌到着、ジンギスカンを食べて一日をしめました。これで残るはあと一日、東京に帰るだけでございます。明日は完結編になるはず。。
2007.08.31
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北海道遠征その3、8月17日の昼です。稚内から旭川に到着後、予約していたレンタカーで旭川市の旭山動物園に行きました。旭山動物園といえば、ご存知の方も多いとおり、行動展示という手法で動物の自然な動きを感じることができるように工夫したことで、超人気になった動物園でございます。お盆休み中ということもあり、相当混雑していました。公式HPはここ。行動展示でも特に売りにしているペンギンやアザラシなどは、行列している時間がなかったので、よくテレビで出てくるような場面は見れませんでしたが、オランウータンの綱渡りなどが見れたので満足しました。こんな感じで間近で見れます。動物との距離の近さを感じます。もろもろの動物たちの写真はこちらのアルバムにまとめましたので、よろしければこちらをクリックしてご覧ください。ミーハーなおやじでございますが、十分満足させていただきました。人気のある理由がよくわかります。動物園の方、さすがです。さて、旭山動物園のあとはさらに南下、美瑛や富良野の花を見に行きます。。
2007.08.29
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北海道遠征その2、8月17日午前、稚内から旭川まで鉄道での移動です。事前にインターネットですべて予約を入れていましたので、落ち着いてホテルを徒歩で出発。朝7時10分発の「スーパー宗谷2号」という特急列車で旭川まで行くことにしました。稚内駅にある「日本最北端の駅」の道標。駅は北方向を向いていますので、この先数百mはすぐ海です。最果てまで来たという実感が湧きます。稚内から旭川までは約3時間半。車窓からはこんな景色が常時見えています。こういう景色をボーっと見ているだけで心が洗われます。こちらをクリックすると旭川までの車窓からの景色を中心にもっとたくさん写真が出てきます。旭川に着いたあとは、駅でレンタカーを借り、巷で人気の観光スポット、旭山動物園に向かいます。今日は短めに、続きはまた明日。。
2007.08.28
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さて、サハリン旅行記に引き続き北海道2泊3日ドライブ(一部鉄道)です(8月16日)。なお、サハリン旅行記はひとまとめにしてトップページにも載せました。ここからもアクセスできますのでよろしければどうぞ。稚内には定刻より1時間以上遅れて15時過ぎに入国、港の近くに急いでチェックインして、稚内駅近くのレンタカーの店で予約してあった軽自動車に乗り、宗谷岬方面に向かいました。稚内市内から海岸沿いに30kmくらい北東方面に車を走らせ、宗谷岬に到着。日本最北端の地です(厳密には北方領土択捉島の北端が最北端だったような)。海の向こうは先ほどまでいたサハリン。普通は北海道を北上してここまで来るのでしょうが、私のようにサハリン側から南下してここにやってくる物好きはあまりいないでしょう。。この後宗谷岬から今度は稚内市西側の突端、ノシャップ岬まで行き、そこでウニ定食を食しました。さらにこの数日温泉から遠ざかっていたので、近くに稚内温泉童夢というのがあったので行ってみました。ここは日本最北端の温泉らしいですが、ここの露天風呂から見える日本海と利尻富士の景色はもう最高でした。公式HPはここ。このあとは駅前の場末な食堂でさらに「かにめし」をいただきました。短時間でしたが充実した稚内周辺ドライブとなりました。一連の写真はこちらにたくさんアップしていますのでクリックしてご覧いただければ幸いです。翌日は稚内からまず鉄道で旭川まで移動します。。
2007.08.27
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サハリン遠征5日目(8月16日)最終日、コルサコフから稚内へフェリーで5時間半の船旅です。長らくお付き合いいただきありがとうございます。この日は朝6時半(日本時間は4時半)ごろ起床、ホテルで用意してくれた簡単な朝飯を食べ、送りのイリーナおばさんと一緒に7時半にホテル出発、港のあるコルサコフに車で向かいます。コルサコフまでの約40分間、イリーナおばさんのことをいろいろ聞いてみました(とはいうものの、お互い片言の日本語とロシア語なので本当に聞きたい、言いたいことはちゃんと伝わってないかもしれませんが)。イリーナさんはたぶん50半ば過ぎくらいと思われますが、今は娘さんが二人、あと23歳くらいで早世された息子さんがいたそうです(彼女が露和辞典で「殺人」のところを指差したのでびびりましたが)。上の娘さんは20代後半でアメリカ人と結婚し、シカゴに住んでいるそうです。下の娘さんはまだ学生。毎年シカゴにいる娘さんのところには下の娘さんと一緒に遊びに行っているそうです。ユジノサハリンスクからシカゴに行くのは、シアトル行き直行便が一応あるそうですが、シーズン中は席がとれないので、モスクワ、ロンドン経由で行くといっていました。行くだけで疲れそうです。しかし、そもそもロシアについてはまだ閉鎖的な印象を持っていたのですが、最近はこのように普通の人も意外と簡単にアメリカに行ったりしているんですね。時代が変わったものと改めて感じます。「サハリン2」でアメリカ人もサハリンに結構来ていますので、もうこのような国際結婚なんかも当たり前なんでしょうか。ちなみにイリーナさんはユジノサハリンスク在住18年くらい、その前はハバロフスクに20年くらいいたそうですが、モスクワにも頻繁に行くそうで海外旅行が趣味とも行っていました。日本には北海道には何度か来ているそうです。今のガイドの仕事はたぶん悠々自適で趣味程度にやっている雰囲気がありますが、旦那さんとか何の仕事か聞きそびれたものの、意外と大物の方なのかもしれません。そんな取り留めのない話をしながら40分くらいでコルサコフ港に到着、イリーナさんと別れ、出国審査を完了、フェリーに乗り込みます。一般の客は大型バスに乗って、前方のフェリーの後部に横付けされて乗船するのですが、前に2台のバイクがそのまま乗り込んでいるのが見えると思います。このお二人は日本からサハリンにバイクでツーリングに来られた方々です。一人が50前後でロシア語堪能な大学の先生っぽい見た目の方、もう一人は30前後くらいの方のように見えましたが、すごいなあと思いました。まだサハリンをこういう形でツーリングする人は非常に少ないでしょうが、ツワモノだと思いましたね。バイクにはロシアのナンバープレートがついていましたが、手続きは大変じゃないんでしょうかね。この日は乗客が多いためか、定刻を1時間遅れでやっと出航。このような航路を通って(Googleマップでご確認ください)、5時間半かけて稚内に到着、船内には免税のため1缶100円でビールが売っていたり、なかなかのんびりした旅行ができるので船旅はいいものです。主に船から撮った写真を中心に、いろいろと時系列で撮っていますので、ぜひこちらをクリックしてご覧くださいませ。あと30分くらいで稚内のところ。後ろのほうに利尻富士が見えています。そんなことで4泊5日のサハリン滞在、完結です。ご覧いただきましてありがとうございました。日本からすぐそこにあるヨーロッパ、まだ全然メジャーな観光地ではありませんが、今後の発展に期待です。引き続き明日からは北海道編(稚内~旭川~富良野~札幌)になるはずです。またよろしくお願いいたします。。【鬼のようにたくさんとりまくったサハリンの写真はまとめてこちらからもどうぞ】■1日目(8月12日)その1:新千歳空港~ユジノサハリンスク■1日目(8月12日)その2:ユジノサハリンスク市内散策■2日目(8月13日)その1:ユジノサハリンスク市内散策■2日目(8月13日)その2:ユジノサハリンスク市内散策■3日目(8月14日)その1:コルサコフ、サハリン2、トゥナイチャ湖日帰りツアー■3日目(8月14日)その2:コルサコフ、サハリン2、トゥナイチャ湖日帰りツアー■4日目(8月15日):ドリンスク日帰り、ユジノサハリンスクまわり納め■5日目(8月16日):ユジノサハリンスク~コルサコフ~稚内
2007.08.26
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サハリン遠征4日目(8月15日)です。4日もいるとだんだん現地化してきて、撮る写真の数も減ってきます。もともと1ヵ所に4泊というのは長すぎると思っていたのですが、飛行機やフェリーの本数が少ない関係で4泊になってしまったということもあります。大体見たかったもの、経験したかったことはできたので、あとは自力で公共交通機関に乗って近郊の別の都市に行くことを最終目標にしました。ちなみにこの日は雨、風も強く気温は20度以下。ホテルのTVでBBCのニュースを見たら東京の天気予報で最高40度と出ていたのでびびりました。本当は、鉄道系でもありますので、鉄道に少し乗りたかったのですが、なにぶん本数がわずかなのであきらめ、近郊都市へ行く中距離バスに乗ることにしました。目的地はユジノサハリンスク北方約50kmのところにある、ドリンスクという街。ここは日本時代は落合と呼ばれていて、駅から西側のほうに小さな店舗を中心にした商店街があったそうです。しかし、今となっては痕跡は見つけられませんでした。ドリンスク駅はこんなところ。鄙びた田舎の駅という感じで閑散としています。この日はドリンスクをバスで往復し、またユジノサハリンスク市内をなるべくローカル化して散策してサハリン最後の夜を過ごしました。そんなあまり面白くない写真ばかりですが、こちらをクリックしてご覧いただければ幸いです。ドリンスクの位置はこのGoogleマップでご確認ください。さて、ついでにサハリンに行って思ったことを少々。もちろんヨーロッパ人であるロシア人の国ですから、町がヨーロッパっぽいとは感じますが、それ以前にやはり旧社会主義圏だったところということの特徴のほうが大きいような気がしました。20年以上前に初めて行った中国、10年前に行った北朝鮮、今回行ったサハリンは町の雰囲気が似ていると思いました。もともとすべてに国家が優先、一般市民の生活は後回しという状態が続いて民生に対する投資も限られ、みんな箱型の同じような住宅が多いという特徴があるので雰囲気が似てくるのだと思います。今のサハリンは、「サハリン2」などでの投資が来たので、ここ数年間で発展したことで、新しい建物が増えたり、車の量が急増したりしたようですが、それ以前は軍事的な施設以外への投資はほとんどなく、ロシア全体からすれば忘れ去られた辺境の土地だったに違いありません。ここの数年前は活力を失った北朝鮮の地方都市と同じ風情ではなかったのかと思ったりします。今この瞬間が発展しているように見えるからといって、それ以前の放置された状態を忘れてはいけないと改めて感じている次第です。少し真面目な話になってしまいました。あとは最終日、コルサコフから稚内行きのフェリーに乗って帰国するのみ。まだ続きますのでよろしくお願いいたします。。
2007.08.25
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まだまだ続くサハリン遠征3日目(8月14日)後半です。ユジノサハリンスク~コルサコフ市内~「サハリン2」サイト周辺のあとは、その近くにあった日本の痕跡のある、オホーツク海を望む丘からです。向こうはオホーツク海です。石碑の上のほうは壊され、「日本海軍上陸・・・」のように彫られた部分は手前に転がっていました。日露戦争勝利記念のようなものだったと思われますが、旧ソ連が再度ここを占領して壊したものなんでしょう。このあとはオホーツク海に臨む小さな町、オホーツコエの海岸、トゥナイチャ湖などをめぐって昼食後ホテルに15時ごろ戻りました。もう一枚途中の景色を一枚どうぞ。人とほとんど出会わない、自然がそのまま残されているところばかりで気持ちがいいです。その他たくさんの写真はこちらをクリックしてぜひご覧くださいませ。地図はこちらからどうぞ。サハリン滞在も実質あと一日、翌日は試しに普通のバスで近郊の都市を放浪することにしました。。
2007.08.24
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サハリン遠征3日目(8月14日)その1です。この日は、事前に申し込んであった日帰りツアーに行きました。客一人(私)にガイド2名と運転手1名という冗長な形で6時間くらいかけて、ユジノサハリンスク南方のコルサコフ(旧大泊(おおとまり))と南東にある湖、トゥナイチャ湖(日本名は富内(とんない)湖。かつては日本で5番目に大きい湖とされていたそうです)などに行きました。テーマは日本時代の痕跡を探す、ということでした。この日はほとんど一日曇りだったこともあり、温度が20度前後と大変気持ちよい涼しさでした。現地の人はほとんど長袖を着ていたように思います。コルサコフ市内と港を丘の上から見たところです。右上の桟橋に停泊しているフェリーは帰りに乗るものと同型のようです。ここと稚内を結ぶ航路は、日本時代は稚泊(ちはく)航路とかつて呼ばれていたそうです。コルサコフ市内を上から見たあとは、さらに東を海岸沿いに進み、日本企業も参加する資源開発プロジェクト「サハリン2」の関連施設を偶然見ることができました。相当巨大なサイトでした。そんなことで3日目前半の写真はこちらをクリックしてアルバムをご覧くださいませ。あと、コルサコフの位置はこちらのGoogleマップでご覧ください。ガイド1(通訳)は片言の日本語と片言の英語とロシア語、ガイド2(観光)はロシア語のみ、私は日本語・英語・中国語(ここでは全く役に立ちません)に片言のロシア語、意思疎通がなかなか大変な一日でした。。
2007.08.23
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サハリン遠征2日目(8月13日)午後、昨日ご紹介した「日本みたい」での昼食後です。この日はユジノサハリンスク市内をくまなく徒歩でまわりました。人口18万の都市ですが、中心部は大して広くなく、碁盤の目でわかりやすいので、初めてでも迷うことなく歩けました。気温もこの日昼間は20度台後半でしたので、長距離を歩いても十分耐えられる気温でした。調子に乗って13kmくらい歩いてしまいました(歩数計で記録済)。市内にあるロシア語で書いてあるいろいろな看板を見ているだけでも楽しくなりました。特に仕事柄、インターネットやケータイ系のところに目が行ってしまいます。ロシア語で「インターネット」はИНТЕРНЕТと書きますが、市内にインターネットカフェを見つけました。中を覗いただけですが、狭い部屋に10台くらいのPCがあり、少年二人が並んでセカンドライフをやっていたのが印象的でした。これは駅の近くにあった、日本時代は豊原町役場だった建物。今は民間の会社が入っているようですが、建物はほとんどそのまま。あまり古さを感じさせません。そんなわけで2日目はほとんどこのような建物の写真と、晩飯に食べた典型的ロシア料理の写真ばかりです。よろしければこちらをクリックしてアルバムをご覧ください。3日目はコルサコフ(旧大泊)など南方面の日帰りツアーの状況です。。【ご参考】アルバムはこちらからもどうぞ。・1日目その1・1日目その2・2日目その1・2日目その2・地図はこちら
2007.08.22
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サハリン遠征2日目の前半です。この日はユジノサハリンスク(旧豊原)市内を徒歩で歩き回りました。ちなみにユジノサハリンスク(赤色の旗のところです)と北海道の位置をGoogleマップで示しておきますね。拡大地図を表示この日まず行ったのは昔「樺太神社」というのがあったあたり。今はロシアの戦勝記念碑や広場になっていて、まったく日本の面影は残っていません。「お風呂」という看板がありましたけど。そのあとは日本式回転すし屋「日本みたい」というところに行ってみました。味は日本とさほど変わらないのですが、基本的にここ、物価は高いですね。1ルーブル=4.7円くらいでしたが、一番安い皿でも160円くらい、一番高いのは700円以上してました。前日のホテルでも晩飯も2000円以上かかりました。市内バスの初乗りは50円くらい、北方50km先までの郊外バス料金は400円弱くらいでしたが、公共料金以外は全般的に物価高いです。さて、この日前半の写真はまとめてこちらにアップしておりますので、クリックしてご覧くださいませ。まだ2日目の途中ですのであと1週間近くこの調子で進みます。。。
2007.08.21
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今日は那覇空港で中華航空機の炎上事故がありました。この台北~那覇という路線はちょうど去年の今頃まったくこれと同じフライトに乗ったのでちょっとショックです。さて、俗世間の話はさておき、サハリン旅行記(2)、1日目8月12日その2です。引き続きまずは街を知るため、街歩きをしました。写真はこちらのアルバムにまとめて載せておりますのでよろしければクリックしてご覧ください。(1日目その1はこちら)その中で印象的な写真を一枚。駅前近くにあるレーニン像。ソ連が崩壊して共産主義が消滅しても、レーニン像はそのまま残されています。シベリアなど極東ロシアでは結構レーニン像が残されているようです。ここユジノサハリンスクではこの広場をレーニン広場、前の大通りをレーニン通りといっていますが、ソ連がなくなってもそのまま名前が残っています。モスクワに次ぐ第2の都市、サンクトペテルブルクは、ソ連崩壊後すぐに旧名レニングラード(レーニンの町という意味です)から帝政時の名前に戻したのに比べて対照的です。サハリンのように首都から遠く離れたところでは、中央の体制がどう変わろうともしかしたらどうでもいいことなのかもしれませんね。取り壊すにもカネがかかりますしね。ついでに薀蓄をもうひとつ。日本で発行される世界地図や地図帳を見ると、サハリンの中央部に国境線が今でも引かれていることをご存知でしょうか。サハリンの真ん中北緯50度線に一本、サハリンと宗谷海峡の間にも一本線があるはずです。北方領土の択捉島の先に国境線があるのは当然としても、北方領土とは関係のないサハリンにまだ国境線が残されているのは変だとは思わないでしょうか。これは、日本が国際的に南樺太(北緯50度線以下のサハリン)を1951年の戦後処理のためのサンフランシスコ講和条約で放棄したのですが、このとき旧ソ連がこの条約の調印に参加しなかったので、今でも日本政府の立場としては南樺太は帰属未確定、どこの国でもないということとしているわけなのです。一方、ロシア発行の地図をみれば、そんな線はすでにサハリンにはなく、宗谷海峡と国後島の西側にそれぞれあるのみ、地図などは国の立場でどのようにもなるわけですね。。
2007.08.20
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さて、本日からまず先週のサハリン遠征についてご報告します。まずは8月12日(日)の前半。ロシアについては、英語以外に少し勉強した初めての言語がロシア語であったこともあり、ソ連の時代から一度行ってみたかったのですがなかなか実現できませんでした。特に極東ロシアなど、サハリンを含む日本から近いところにあるロシアに関心がありました。最近では飛行機のフライトも昔より増えたりして、昨年くらいからウラジオストクやサハリンを候補地として具体的計画を検討し始めたところ、ちょうどこの本↓も出たりしたのでサハリンに行ってみることにしました。ただし、サハリンへ行くには札幌または函館からのフライト、もしくは稚内からのフェリーになるのですが、いずれも便数が少なく、予定が立てにくいこと、またロシアのビザも、ソ連時代とそれほど変わらず事前に交通手段やホテルを押さえていないとビザがとれないということで、まだ個人で完全に自由に行くには少しハードルが高いところです。今回もサハリン部分は専門旅行社に依頼して交通手段とホテルの予約をしてもらいました。それでも札幌からは飛行機で1時間、かつて樺太として日本が日露戦争後、終戦までの40年間統治していたことを考えれば親近感を感じるところです。サハリンの州都ユジノサハリンスク(日本語では「南サハリン町」というような意味です)は、日本時代は「豊原(とよはら)」といって、札幌にならって街を建設したので碁盤の目のようになっています。戦後は日本人が引き上げてきたあとも、韓国・朝鮮系の人は歴史に翻弄され本国に帰れず(または帰らず)そのままサハリンに残り、今でも万単位で韓国系の人がたくさん住んでいるところも印象的です。サハリンの歴史等の話はWikipediaのこちらをご参照ください。そのような日本式建物の典型な例がこれです。今はサハリン州郷土史博物館として使われています。かつては樺太庁博物館だったそうです。さて前置きが長くなりましたが、この日撮影しまくった写真集その1はこちらのアルバムからご覧くださいませ。時系列に並べていますが、思わず珍しいこともあって意味のなさそうなものも撮っております。。
2007.08.19
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先ほど無事に自宅に戻りました。千歳で前泊、サハリンで4泊、稚内と札幌で1泊ずつの計7泊、かなり疲れましたが、東京はこの間40度近くまで行っていたことを考えると、ちょうど一番暑いときに涼しいところにいれたのでラッキーでした。さて、これは昨晩撮った札幌の時計台。30年くらい前に親戚がいたので一度だけ行ったことがありますが、変わらずきれいですね。サハリンの州都ユジノサハリンスク(旧豊原)はこの札幌の町の造りを模して日本人が作った町ですが、60年以上経って碁盤の目の構造以外はそれぞれ別の道を行ってしまっている感がありますね。では、たぶん明日以降サハリンの写真をシリーズでアップいたします。お付き合いいただければ幸いでございます。
2007.08.18
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いま巷で話題の旭川・旭山動物園に来てみました。さすがに混雑してます。確かに大人が見ても十分楽しめます。
2007.08.17
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無事にサハリンから稚内に到着しました。久しぶりにホテルからパソコンで更新しております。自分のページをみたら、ケータイで更新すると写真がうまく載っていないときがありますね。まあ海外からでも簡単にブログが更新できることを考えれば、そのくらいは大したことではないかもしれません。今日は定刻より1時間遅れで午後2時半ごろ稚内港に到着。乗ったのはこんな船でした。東日本海フェリーという会社がおおむね週2便定期便を出しています。所要時間は5時間半。この会社は利尻島や礼文島との間にも定期フェリーがあります。その後稚内では予約していたレンタカーで宗谷岬、ノシャップ岬、稚内温泉を回って最後に市内が見渡せる稚内公園に上りました。ちなみに今日の稚内は最高気温18度。ちょっと寒かったです。なかなかきれいです。詳細版はまた自宅に帰ってからアップいたします。明日は電車とレンタカーを乗り継いで札幌まで行きます。。人気blogランキング中国BLOGGER人気ランキングできればポチっとひとつよろしくお願いします
2007.08.16
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しつこく書き込みを連発いたします。宗谷岬が見えてきました。あと1時間くらいで稚内に到着するはず。しかし陸からまだ結構離れているとおもうのですがもうケータイの電波が入ります。文明の利器にあらためて感心してしまいます。。
2007.08.16
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16日朝です。サハリン南端のコルサコフ(旧大泊)の港に停泊中のフェリーからです。あと30分くらいで出発、午後1時半ごろに稚内に到着するはず。すばしーば。。
2007.08.15
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先ほどここから50KM北のほうにあるドリンスク(旧落合)という町までバスで往復してきました。今日は朝から雨、風も強く気温も20度ちょっとくらいしかありません。地元の人は長袖の人が多く、私も気が引けて半ズボンをやめて長いのにしました。4日もいるとだいぶ現地化した気がします。コメントをお返しできず申し訳ありませんが、代わりにテレビのロシア美人をどうぞ・・
2007.08.15
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ユジノサハリンスク(旧豊原)から車で約1時間のところにあるトゥナイチャ湖(旧富内湖)というところなどをまわって先ほどホテルに帰ってきました。オホーツク沿岸には最近ロシア関係では話題になる「サハリン1」とか「サハリン2」の巨大な現場があったことに驚きました。アメリカ人もそのためにたくさん来ているのも改めてよくわかりました。
2007.08.14
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写真が送れそうなので試しに一枚。ホテルの部屋から見えるロシア正教会です。
2007.08.13
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引き続きサハリン・ユジノサハリンスクにおります。市内を一人徒歩で散策していますが、今日は10KM以上歩いてしまいました。わずかに残る樺太時代の建物を除けばまるでヨーロッパの片田舎といった趣です。ただ、道はでこぼことか、車は右側通行なのに右ハンドルの日本の中古車が大半なので少々違和感はありますが、どこぞの国と違って歩行者に道を譲ってくれるので嬉しいかぎりです。まだ発展途上といった感じで不便な点はありますが素朴で親切な人が多く、今後の発展が楽しみではあります。明日はガイドのおばさんと郊外に出掛ける予定です。写真がケータイの機種の関係で送れないようなのが残念ですがいずれまとめてアップいたします。では。。
2007.08.13
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サハリン・ユジノサハリンスクまで来ました。千歳空港からわずか50分、あっという間です。ロシア人ガイドのおばさんもなかなかノー天気で楽しいです。ここ、結構おもしろいところです。
2007.08.12
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12日朝、新千歳空港です。この飛行機に乗ります。すでにロシア語が聞こえる世界になってきました。。
2007.08.11
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新千歳空港のある千歳市の中心部のラーメン屋におります。やはり北海道は涼しいですね。25℃くらいといっていたような気がします。明日はさらに北の方へ向かいます。ネット接続できない可能性は高いですが。。
2007.08.11
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まもなく羽田発。かなりマニア化しております。
2007.08.11
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今日から夏休みをとっているのですが、2週間くらい前から会社の近くの歯医者にかかり、抜歯した直後で治療が必要ということもあって、歯医者のついでに会社にも行く羽目になりました。歯医者に今回通うのは6年ぶりくらいなのですが、今通っている歯医者も含め、ますます親切・快適になる印象を持ちます。10年以上前に通っていたときからそう思ってはいましたが、実際歯石をとってもらっているうちにいびきをかいて寝てしまったこともありましたし、今回もほとんど180度に近い椅子に寝かされて目をつぶっていると、口の中をいじられているのに一瞬眠ってしまったりしていまいました。今は歯医者の評価の口コミサイトなどもありますし、歯医者の数自体も相当多いので厳しい競争状態にあると思いますので、歯医者という商売も大変だと思います。私の今の歯の状態は、長い間放置していたので虫歯やかぶせていたものが多数とれた状態なので、歯医者としては相当やりがいがある、または商売になる状態のようです。初診のときに「こういう順序でやります。この部分はブリッジ、最大限保険がきく形にしたいと思いますが、この部分はやはりいいもの(1本98000円とか)を使ったほうがいいですね」などとまんまと術中にはめられたような気がします。子供のころの歯医者といえば、薬のにおいがして、あのドリルのようなやつとかでギリギリやられて、子供の泣き声が聞こえ、また医者そのものが恐いおやじのような感じで、行くことにかなり躊躇させられる恐いところ、というイメージでした。それに比べれば今の歯医者は医者というよりはサービス業ですね。歯医者のドアを開けるとき、いつも「いらっしゃいませ」といわれそうな気持ちになるのは私だけでしょうか。。ということで歯医者も一段落しましたので、明日から北の方角に出発します。明日はできればそこから書き込みます。。。
2007.08.10
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さて、昨日の秋葉原で買ったのはこれ。少々マニアな話なのでお許しください。FON(フォン)といいます。FONとは無線LANのアクセスポイントを個人が開放、共有して他人にも使わせるという、スペインのFONという会社のプロジェクトです。この専用のアクセスポイントのことをLa Foneraといいます。事前にFONのサイトで簡単な登録を行ったあと、家にあるブロードバンドルーターにこれを接続して電源を入れるだけです。すると2種類の無線LANの電波をPC(無線LAN対応のもの)で受信でき、ひとつは暗号化された自分専用の電波、もうひとつはFON登録者向けに自由に開放した電波、といった形です。このLa Foneraというアクセスポイントは1980円でした。ツクモ電気というところが独占的に販売しています。FONのサイトではGoogle Mapと連携した地図のうえでアクセスポイントがどこにあるかわかります。これを買って登録することで他人のアクセスポイントが無料で利用できるということです。しかし、ある意味これは既存のネットワークをただ乗りしてしまうものなので、通信事業者やISPにとっては少々問題です。私が登録した時点で自分は世界で50万何千番目だったのでたいした数ではないですが、この規模が大きくなると、タダで何でもできてしまいます。日本ではまだやっていないですが、自分のアクセスポイントを有料で開放する方法もあるので、個人が無許可で商売に使う可能性も今後は出てくるかもしれません。まあ無線LAN自体、外で使っている人をそんなに見たことがありませんので、当分はそんな問題は出てこないとは思いますが、この分野、スピードが速すぎるくらい速いので1年後はどうなっているかわかりませんね。さて、マニアなのでこんなものもついでに買ってしまいました。「無線LANチェッカー」という代物。無線LANの電波を受信すると、ランプが光ります。私の部屋にはいろいろな無線LANの電波が飛び交っておりますので、写真のように最高強度ということでランプ3つが全部ついています。「バリ3」ということですね。これを持ち歩いてランプが光れば、そこで公衆無線LANというのが使えるということになり、いつでもインターネットができるというわけです。そこまでのネット依存者は少々問題ですが。。人気blogランキング中国BLOGGER人気ランキングできればポチっとひとつよろしくお願いします
2007.08.08
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今日は会社の帰りに秋葉原に寄りました。新たなサービスを体験するために関連する装置を買いにいったのですが、これについてはまた別途。秋葉原駅前でこんな光景を見ました。写真がぶれましたがご容赦くださいまし。写真がぶれたせいで顔が見えなくてかえってよかったです。こういうコスプレのおねえさんがチラシを配っていました。折角なのでチラシをもらって今改めてそれを見たところ、「アキバ初!シスターカフェ!」って書いてありますね。「カフェシスターが迷える子羊をおもてなし」などと書いてありますがこれはまじめ系の店なのでしょうか。このおねえさんのずっと向こうには典型的メイド姿の別のおねえさんもいらっしゃいました。う~む、奥が深いですね、アキバって。。ちなみに前に一度、昼に会社の人とメイドカフェ経験はしております→日記はこちら(今わかりましたが、奇しくもちょうど一年前でした!)人気blogランキング中国BLOGGER人気ランキングできればポチっとひとつよろしくお願いします
2007.08.07
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先週写真をアップした1990年8月末の香港とブルネイのあとは、マレーシアのクアラルンプール(KL)に行って2泊しました。8月31日~9月2日の2泊3日の滞在でした。マレーシアには89年の夏にシンガポールから陸路ジョホールバルに日帰りで行ったのでこのときが2回目。そのあと一度も行く機会はありませんので、よくわかりませんが、高層ビルが建ったりで相当発展しているんでしょうね。全体的に白い建物が多く、きれいなイスラムっぽい建物が目に付いたのも印象的でした。言語マニアとしてはいろいろな言語が混在したKLは面白いです。中華系の人と話す機会はありましたが、中国語でも出身地に引っ張られて福建系(これが一番多い)、広東系だったり、もちろんマレー語や英語も普通に話されていたり、言語混在の典型のような町だったと思います。ここで福建語のカセットテープとテキストを買った記憶があります。最後の夜はチャイナタウンみたいなところの場末のレストランで一人で食事をしていたら、日本人の一人旅の女性とテーブルが一緒になり、なぜか私が太っ腹なところを見せてごちそうしたことを思い出します。その後日本でまた会いましょう、という話になりましたが、結局それっきりでした。。そんなことを思い出しつつ、写真はこちらでどうぞ。人気blogランキング中国BLOGGER人気ランキングできればポチっとひとつよろしくお願いします
2007.08.06
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今日は日記らしく。。。中3の姪は中学で吹奏楽をやっているのですが、東京都の中学校が集まるコンクールというのがあったので、姪の母、つまり私の姉から車で連れてけということで、一緒に見に行きました。今はほとんどの中学校に吹奏楽部があるようですが、たぶん東京都の中学の吹奏楽部全部が参加しているらしく、5日間午前午後ぶっ続けで演奏を披露するといった形で行われていました。吹奏楽と今はいいますが、私の学生のころはブラスバンドといっていました。いつごろ変わったんですかね。どの学校も女子中心で男子はまばら。どでかいラッパ(名前忘れました)を抱えて演奏する姿は、いとおしくも感じられました。最近このような中学生の一群に接する機会など皆無ですから、とても純粋な気持ちいい感覚を覚えました。コンクールは午前午後ごとに各校の表彰があるのですが、その都度中学生の一群からわっと声が上がり、中には泣いている女子生徒もいたりして、こういう光景を見ているだけで心が洗われると思いました。自分も20代に結婚でもしていればこのくらいの娘がいたりしたかもしれないので、そんなことを思い浮かべながら(妄想ではございませぬ)、淡々と過ぎた一日でございました。。人気blogランキング中国BLOGGER人気ランキングできればポチっとひとつよろしくお願いします
2007.08.05
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今日は家の近くに流れる荒川で毎年行われるいたばし花火大会がありました。その影響で自分の車が停めてある駐車場は交通規制圏内に入っていて夕方から通行止めになったりするので、今日はめずらしく温泉も行かず近場で過ごしました。まあその代わりに金曜の夜から今日の早朝まで都心のスパーに同僚と滞在しておりましたが。。いたばし花火大会というのは、東京の人でもあまり知られていないと思いますが、荒川の埼玉側、戸田市と共同で行われるので結構規模が大きいものです。隅田川の花火大会は有名ですが、隅田川の花火の復活よりもずっと前から板橋ではやっています。うちの近くの地下鉄の駅も、一年に一回、このときだけものすごく混雑して、地下鉄も臨時電車が増発されたりします。ご関心のある方、来年ぜひお越しくださいませ。それでは花火の写真を少しだけ。手振れしてしまうので花火の写真は難しいです。。人気blogランキング中国BLOGGER人気ランキングできればポチっとひとつよろしくお願いします
2007.08.04
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昨日の1990年8月の香港に続いて、そのあとは当時ほとんど関心を持つ人がいなかった国(今もでしょうが)、ブルネイに行きました。このときの旅行はここブルネイに行くことが目的でした。当時から天然ガスが豊富に出ており、金持ちの国として有名ではありましたが、それがどこにあるのか知っていた人は少なかったと思います。ブルネイの話は昨年8月3日の日記でも書きましたが、写真が手元になく文章だけでした。1年越しで写真が出てきましたので、再度1年前の文章の一部を以下に引用します。--------(ここから引用)--------そういう流れで、ブルネイに行ったのは1990年の夏。ちなみにブルネイはボルネオ島の北側マレーシア部分の真ん中上あたりにある、人口100万に満たない小国(確か私の住む板●区の人口と同じくらい)です。でも、この国は天然ガスなどの資源で潤っていて、世界有数の金持ち国家と言われ、ここの国王(ボルキア国王)は世界最大?の大金持ちということで有名です。国王は親日家でもありお忍びで来日しては、銀座のデパートのワンフロアを借り切って品物を丸ごと買っていくという噂も当時からありました。90年ごろはこの国は英国から独立してそう年数が経っているわけではなく、あまり知っている人もいませんでした。当時「地球の歩き方」マレーシア編の中の3ページくらいの情報だけを頼りに、香港でチケットを買ってマニラで乗り継ぎ、ロイヤル・ブルネイ航空(機内のトイレの便座が金でできているという噂がありましたが、さすがにそれはなく、でもドアの取っ手は金箔だったかも)に搭乗、一度マレーシアのコタキナバルでワンストップしたあと、ブルネイの首都バンダルスリブガワンに到着しました。ここは完全にイスラムの国なので、酒などの持ち込みは禁止、空港で荷物を開けられたかと思います。空港内の表示はアラビア文字(マレー語をアラビア文字で書いているのか、アラビア語そのものなのかわかりません)と英語。ちょっと異質な雰囲気を感じました。当時は観光で来る客など皆無だったようで、空港のタクシー乗り場も閑散としており(この国の人は基本的にみんな車をもっている。ほとんど高級車だったかと)、数台しかいないタクシーを見つけて、一応予約を入れていたホテルに向かいました。首都と言ってもたいした大きさではないので、歩いていける程度のところに一応観光スポット的なところがありました。3泊したのですが、はっきり言って行くところがあまりなくて暇な時間が多かったです。市内には大きなモスクや水上集落(カンポン何とかといったはず。ちょうど大規模な火災があった後だったので、黒こげになった集落あり)が有名のようです。水上集落は陸地からかなり離れたところにもあり、陸との間を猛スピードの無数のモーターボートが結んでいます。モスクは大理石が使われとても美しく、かなり大きなものでしたが、確かムスリム以外の人は入れないということで、入口から中を覗いただけだったかと思います。街中には「チャーチル博物館」というのもありました。チャーチルとは第2次大戦時のイギリスのチャーチル首相のことですが、なぜチャーチルの博物館がブルネイにあるのかいまいちよくわかりませんでした。そのほか、やや中心部から離れたところには当時アジアに急拡大する前の「ヤオハン」もありました。基本的に街中を歩いている人はとても少なく、みんな車で移動するのが当たり前で、夕方の小学生の下校時などは、子供を乗せた車で道路は結構混雑していました。この国、今もそうだと思いますが税金はなし、医療なども無料で受けられるという社会保障も万全だそうです。労働者は周辺の国から出稼ぎに来るので、ブルネイ人は適当にのんびり暮らしている感じでした。ちなみに、ここにも華僑の人たちが結構いて、中国系のレストランなどもありましたが、大陸の人とは違ってとても穏やかな雰囲気でした。--------(ここまで引用)--------ということで前置きが長すぎましたが、ちょうど1年前の日記とほぼ同じ順番で写真も並んでいます。こちらのアルバムで是非ご覧ください。どこだかわからない写真も何枚かありますので面白くないかもしれませんが、ご了解くださいませ。そんな写真は見ている時間がないという方にはこのモスクの写真をどうぞ。今後ともブルネイをどうぞよろしくお願いいたします。。人気blogランキング中国BLOGGER人気ランキングできればポチっとひとつよろしくお願いします
2007.08.01
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