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ぶうの通学は、まずまず快調なのですが、先日書いたようにひやりとすることもありです。 一番「どうしよう!」と思ったのは、いつも部活が終わると「今帰ります」とメールが来るのに、来なかった日です。部活は6時半から7時には終わる予定のはずです。 7時に連絡ありません・・・。7時半ごろからだんだん心配になってきました。 ケイタイにかけても出ません。何度かけても出ません。?? メールも何度も送りました。返事はありません。????? ケイタイは、絶対肌身離さず持ってるはず。 学校からうちまで一時間ちょっとかかるので、まだ学校にいるとしたら帰りが随分遅くなるー。部活が延びてるのかー? でも、それにしても何の連絡もないなんて・・・。 8時近くになって、心配マックス! 何か事件に巻き込まれてたら?????? 一大決心で、教えてもらっていた顧問の先生に連絡入れてみました。 「え!! もうとっくに終わってますよ。どうしたんだろ。普通に見えたけどなー。ちょっと部員に聞いてみます」 とのこと。 練習終わってたんだ! えーーー、どこにいるんだ! もっと早く手を回しておけばよかったということになったらどうしよう!! んんん・・・・何をしたら・・・。駅に問い合わせてみようかー。 一人で狭いリビングの中を胸かきむしる思いでうろうろしていたら、8時をまわって、玄関がガチャっと。 「ごめん!おかあ!ごめんよ!連絡できなくて!心配した?」とあわててぶうが帰ってきましたぁー。 体操服ジャージに着替えたとき、ケイタイもお財布も落としてしまった、それは帰るときに気が付いたけれど、着替えは専用トイレの中なので鍵かけたしいいか、と思って出てしまった。けれど、乗換えがうまくいかず、いつもより帰るのに時間がかかってしまってあせったけど電話をかけるコインもテレフォンカードもお財布の中だからどうしようもなかった、というんです。 「ばっかぁああ!!!!」と怒鳴った後はすぐ顧問の先生に連絡。 「よかったぁ。安心しましたよ。気にしないでくださいね。そんなこともありますよ」と言ってくださいましたが、部活の先輩たちにも連絡が行ったというし、連絡したいけどすべてケイタイの中というので、番号わからず。 ぶうは、「なんてことしちゃったんだぁぁー」とふとんに伏せってひさしぶりにワンワン涙を流しました。 次の日登校して、最初に会った友達に「昨日はさ、大変だったんだー」と言ったら、すぐ「知ってる」と言われたそうな。 顧問先生は、昨日帰宅途中連絡受けて、すぐ学校にまだ残ってる先生に校舎の中を見回って、とたのみ、また同時に部長にぶうの行方を誰か知らないか捜索せよと連絡。 部長さんは、一斉送信「ぶうくんが、お母さんと連絡取れてません。部活終わってからぶうくんと一緒にいた人、見た人知らせて!」。 おっかけ「ぶうくん、家に戻りました!」。 部活始まる前に、部員全員にあやまったぶうでした・・・。夜の校舎を見回ってくださった先生にも謝りに行ったそうです。 テレカは、お財布とリュックに分け、何より電話番号を文字にして書き出し、ぶうの社会生活体制を強化しました。 わたくしも、ちょっとチャリで駅まで行ってみるくらいしたらよかったー、と反省。 ものすごく騒がせちゃったです。 高校生なんだからそのくらい遅くなっても・・・、と八月の今なら思うのですが、夏休み前までは、なんと言っても初めての遠距離通学、ちょっと遅くてもおろおろしてしまったのです。 小学校にあがった頃、ダウン症の友達が何人かいましたが、おかあさんたちが「一人で登校させる時って『何があっても今日、私はこの子を一人で行かせる、何があっても私は受け入れる』という覚悟で玄関送り出すのよ」と話してたのを思い出しました。 いやいや、そこまでの覚悟は正直ないー。「行っといでー」と送り出しながら、ちょっとでも遅れたりしたら「どうしたんだー!」とおろおろ。 母が、成長を求められる時ですー。
2009年08月29日
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夏休みの間も、お盆期間を除いて部活に明け暮れるぶうです。 初めて電車に乗っての通学は、JRの駅員さんたちが、ものすごく面倒見てくれて、心配が消えました。 でも、家から遠く離れて通うということは、思わぬことが起こります。 この間は、メールで「終わったから、学校出ます」と連絡来た直後、「おかあ!! 大変だよ」と電話です。 「交通事故起こしちゃったよ! 車いすに自転車がぶつかって、乗ってた人は転んで動けないんだよ! 見た人が救急車今呼んだ! どうしよー!」 おかあの頭の中は「:@#$%@%&$#~\・・;」パニック。とにかく学校に連絡だ? 「わかった。学校に電話するから」 と言うのがやっと。 学校には、ちょうどぶうの部活の先生がいて、「すぐ行きます!」と言ってくれました。 場所は、学校から5分くらいの駅への交差点です。 もう、浮かぶイメージは、じい様が転んだ、ガラの悪いにいちゃんに絡まれてる、等等ろくなものはありません。 しばらくして、ぶうから状況説明の電話アリ。 交差点で青信号でぶうは進んだ、そこに良く見てなかった自転車の兄ちゃんが来て、びっくりしてぎゅううううっとブレーキをかけた、こけた、ひじをすりむいた・・・、「いててててぇ・・・」といってるあいだに、びっくりしたとおりがかりの人が、「自転車が車いすの子にぶつかった!」と思って、救急車を呼んだのだ・・・・ということだそうです。 交差点に、真っ青の車いすのぶうにこけた自転車に救急車に急を聞きつけたバイクのおまわりさん・・・、やはり部活帰りの同じ高校の生徒さんも集まって、泣き出す女生徒さんもいたとか。 先生が、かけつけて、状況が整理されて、救急車は何事もなく帰り、ぶうの名前と学校名など聞いてびびらせたおまわりさんも帰り、「すみません、すみません」とぶうと自転車の青年は謝りあって、一件落着でした・・・・。 もうもうびっくりしましたよ。おかあのひざもガクガクでした。 ぶうは、おまわりさんを見て、「これで逮捕されるんだ」と思ったそうです。そして、「参加予定の県大会には不祥事につき出場できず、自分のせいで!」と思ったそうです。 心配してすぐ、先生に「大会には出られますか?」と聞いたそうです。「ぜんぜんなんでもないよ。ぶつかってもいないし、君はまったく悪くないし」と先生。 当たり前でしょ、と思うけど、アクシデントで警察、救急車、という体験を、たった一人でしたんですから、動転しまくりですよねー。 よく泣かなかったと思います。だって、誰より泣き虫なんです。中学の時だって、泣いてたんです。ぶうに聞いたら「泣きたかったけど、気づいたら泣いてなかった」って。 このくらいですんで本当によかったです。ただの笑い話に終わって、気が抜けました・・・。一瞬、母も泣きたかったもの。 まあまあ、終われば一つ成長だあ、と思う「事件」ではありましたー。 でも、もう二度とないように。交差点は右見て左見てよ。
2009年08月21日
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今日は17日。つまりもう、「お盆」は去ったのです・・・。 もう、天ぷらは揚げません・・・しばらく。 おとうの家は両親がすでに亡く、長男のおとうがいろいろ仕切らねばなりません。と言っても親戚は田舎の割に少なく、おとうの姉弟だけがメインです。だからうるさいしきたりとかは一切ないんです。 家の中はそうでも、外向きはそうはいきません。例えば「お盆」。 外房のお盆は、外から来た私には、めちゃめちゃ派手に思えます。ここの人は「そんなことないださ。どこだってやってっさ」と言いますが・・・。 まず、盆棚作りです。「盆棚をつる」と言います。 言っておきますが、うちは「新盆」ではないですよ。ごく地味にすごすパターンですよ。 もう何十年も使ってる木組みを、棒に「南側の前・上」とか書いてあるとおりに組み立てていきます。今回一人で組み立てたので、左のように寝せて基本組み立てて、次の写真のように立てました。 それから、ゴザを敷いて、決まりの果物、スイカ、カボチャを用意して、上の枠にホオズキなど飾ります。 近くになくて用意できなかったのがススキ。前の縦枠に、盆飾りと一緒に巻き付けるんです。家によって、稲やトウキビを飾るそうです。 棚の前にひらひら下がっているのは、ばあちゃんが亡くなったとき、じいちゃんが新盆に買ったもので、その本人も亡くなってしまったので、やめがたく毎年出して下げているんです。 お迎えの13日。朝はあんこをかけたおだんごをお供えします。(スーパーでもコンビニでも売ってる)そして、いよいよお迎え。ミソハギの花を半紙にくるんで水を入れたお椀の上に置きます。暑い思いをしてお帰りになったご先祖様が、これで水をかけて涼まれるのだとか。 灯籠という木製のものを、立てます。その支え棒に半紙を巻き付けて、洗面器に水、草履を用意しておきます。帰ってきたご先祖様が手を洗い、拭くためで、お出かけするのに草履を使います。 本当はおだんごをお墓にも持って行ってたのですが、このごろはカラスが襲うので、それはパス。お米に塩をまぶして半紙にくるみ、お線香と提灯持って、お迎え。お米を巻いて、手を合わせ、提灯に火を付けて帰ってきます。 お迎えは早く、送りは遅く、です。 お帰りになったご先祖様は、お供えするメニューが、基本決まっています。まず、暑い中お帰りになるので素麺、天ぷら、香の物です。うちは、両親分二つ用意します。(本当は一つでもう良いんだけど、一つに減らす決心がつかない)それから、無縁仏(餓鬼)様も一緒に付いてくるので、もう一膳、質素なものを作ります。それは棚の下に置きます。 朝、昼は白いご飯とおかずをお供えします。天ぷらはやっぱり外せません。 二日目の午後、仏様達は、ありがたいお説教を聞きに集まるそうで、お出かけします。それぞれの膳に、おむすび作ってお椀に入れて、キビを割って作った小さなお箸を差します。それを持って出かけるのだとか。 この時、ナスの牛に乗っていくので、ナスにキビで足付けてお供えします。 この日は、朝方まで楽しくすごされるので、夕飯はいりません。 送りは、お寺によるのですが、うちは15日。朝、昼と普通にご飯と汁物と香の物とおかずを供えてくつろいでいただき、夕方提灯に火を付けてお墓まで行って、火を消して帰ってきます。 地区によっては、背負って行って角のところで置いてくるとか、とにかく戻らないようにしますね。 地区に新盆のお宅があると「新盆見舞い」と印刷された封筒(コンビニにも売ってる)と、「フジ」と言われる金一封(これも封筒が売ってる)を持参します。これは新盆の家は送りの火にお寺さんに亡くなった順番に施餓鬼と言ってお経を読んでもらうさい、「この人は、こんなにたくさんの人に愛されていた」と名前が呼ばれるのです。この数が多い方がなんか「良い家」チックらしいです。 地区によっては、お墓から家まで辻辻に棒にひらひらとカラフルな布を垂らして、迷わないようにする、とか、色紙、セロファンまで使って盆棚を飾るとか・・・。 お飾りは、ゴザや草履やもろもろ、毎年買いそろえます。だから仏具屋さんは、お盆の時期になると、季節の決まりの飾り物を買い求める人であふれかえります。 いつも思います。お盆がここでは「クリスマス」って。 おじいちゃんが元気だった頃、親戚のばさまが家出してきました。 原因は、嫁さんが毎年買うゴザを「そんなもったいないださ。去年のがあんでんよぉ。それで十分ださ」と言ったということ。 ご長男がお迎えに来て、「ゴザは新しく買うでんよ」ということで一件落着。 このように、盆の飾りは大変欠かすことの出来ないものなんです。 そして、いつ誰が来てもいいように、仏様にお供えするついでに、どこのうちでも天ぷらを大量に揚げておくんです。どうしても三日間は、天ぷら、天ぷらに追われます。 ぶうは、お盆の間、3食天ぷらでした・・・。 なんとか今年も終わりました、お盆。姿のないものに敬意を表して、お供えを三日間する・・・、疲れを感じるのは、きっとここ育ちじゃないので、身についてないからでしょう。 だけど、お正月と同じで、これをやらないと、おとうやその兄弟は、心のよりどころを失ってしまうようです。古い家が倒れるまで、この盆棚は、組み立てられ続けるんです、たぶん。 まま、終わった、終わった!(棚をばらしてしまわなければならないんだけど)
2009年08月17日
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ぶうの参加している吹奏楽部が、地区大会で金賞を受賞しました。ってまあ、14高受賞なんですけどね。 高校としては、5年ぶり?4年ぶり?の金賞=県大会進出です。もちろん3年生は初体験で、男子部員も、うれし泣きでした。 ゴールは、あの「普門館」で、その一番末端の地区大会なのですが、それでも遠い遠い「ゴールド金賞」なのです。ぶうの中学では最高が「銀」で、それでもよくコンクール部門で銀がとれたと、大いに盛り上がったくらいでした。中学校では、うちの市内では県大会に出られる学校はないくらい、ちょっと大変なんです。 学校吹奏楽の世界が、だんだん見えてくると、その大変さったら、やっぱり「甲子園」と言われてるだけのことはあるんですねー。 ぶうの高校は、春、校歌を新入生に演奏してくれたとき、2・3年生でさえピーピー音が出るくらいのレベルの吹奏楽部でした。だから、ぶうでもやれるかなーと思ったんです。 朝錬ないし、土日もない、というのでまあいいかな、と入部しました。 そしたらー、主顧問が転任してきた先生になった、と言うんです。聞けば女性だし、優しく指導してもらえるのかなーと思いました。だって、ぶうは中学も吹奏だったけど、担当がパーカッションからホルンに変わったし、周りの一年も未経験、昨日までサッカーだ野球だという子もいて、高校の割には随分よせあつめの集団なのね、というのが正直なスタートでした。 でもー、話はどんどん違ってきました。 朝錬は毎日に。土・日も練習が入ってきます。 朝錬に出るため、6時50分の電車に乗ります。普段は帰りは8時ごろになってしまいます。土・日は9時~5時です。 あれ? そしていろんな高校との合同練習会あり。ん?話違うじゃん。 夏合宿が毎年あるそうです。7月に海の近くの民宿で、海水浴、花火、流しそうめん等々、ものすごく楽しいらしいです。でもちょっと遠いなと思ってましたら、場所、変更になりました。けっこう近く、というか山の中。 その時間割は、朝6時起床、朝食とともに練習スタート~夜10時終了、それからお風呂入って就寝というもの。花火も流しそうめんもありません。 ひえー。 だんだんわかってきたのですが、この先生、ものすごくやり手で、前任高では、100人以上を一人で指導し、県内有数の吹奏楽部を作り上げてきたらしいのです。 ぶうの高校も以前は、輝かしかったらいいのですが、ここ数年は「楽しい部活動」どまり。もしかしたら、呼んだのかもしれません。 ぶうに聞くと、決して声を荒げたりしないそうです。情熱でひっぱっていくようです 課題曲と自由曲、ひたすら練習です。 夏休みに入っての合同練習は夜10時過ぎまででした。予選直前も10時までです。 夏休み、集合は8時ですから12時間以上、音楽と向き合っているんです。 はあ~、そんなにして曲を仕上げるとは、初めて知りました。指導者も高いレベルを知らなければ、率いていけないですよ。 そして、「ゴールド、金賞」の発表。部員は「キャー!!!!」と喜びの声をあげたわけですが、ところが、毎回県大会、その先まで行く高校は、静かでしたね。当たり前。 ぶうの高校は、ここまでで学校上げて大喜び。 「当たり前」の高校は、ここから合宿に入って音を練り上げ、県大会~普門館に臨むんだそうですー。恐るべしー。 でも、そういう高校は100人以上の部員からオーディションで出場者を選ぶんです。ぶうの高校のように、1年から3年まで全員でも規定の人数に足らず、この春まで楽器はさわったことないような生徒をひっぱってここまでのレベルに引き上げたのは、ほかにないんです。 というか、先生もここまで未経験の生徒をひっくるめて大会に出るのは初めてだとか。 なんだかすごい体験を、親もしてる気分です。 来年は、この快進撃で、たくさんの入部者があると思います。ぶうたちのように未経験の集まりがたった4ヶ月で、地区大会金賞まで上達したメンバー、最初で最後かもしれません。 そんな中にぶうがいるなんて。ちょっと信じられない気もしますが、でも仲間なんです。 県大会まで、一週間ありません。 また、練習、練習が続きます。すごく楽しいんだそうです。誰も「えーー、まだやるのー」と言わないどころか、「まだこの曲とつきあえる♪」と言ってるのだとか。 本当は、予選の後、塾を入れてました。下旬に振り替えてもらいました。この先に進んでしまったら、夏の家族旅行はきやんせるう~? ちょっと複雑な思いなんですけど、でもせっかくのチャンス、絶対がんばって!!! 左は、喜びにひたるぶうの高校ですよ。 当然去年、いいとこまで行ったのに今年×だった高校もあるわけで、応援に来たOBたちに気をつけ・勢ぞろいで涙涙の報告をしてたり、顧問の先生の「君たちはよくやった・・・」に大泣きしてたり、その悲喜こもごもは、本当に高校野球みたいでした。 私は、「金賞」もだけど、こんなにたくさんの高校生がいる中にぶうがいるのがうれしい。去年のことを思えば夢のようだもの。 下の写真は、集合写真の順番を待つ他校、高校生の波です。
2009年08月07日
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毎年挑戦しているニガウリのグリーンカーテン、今年もやっています。今年は5株、並べました。 でも、こころなしか生育が遅いかも。大きな葉が今ひとつ茂ってくれません。 一度空けたはずの梅雨がカムバック。曇りと雨の繰り返し、気温も30度に届かない日が7月下旬~8月と続いています。そのせいなのかなー。 それでもガラス戸の向こうにあると「蒸散」(ぶうの理科の教科書で覚えました)の働きで、葉が自然の水まきしてくれてる状態になってかなり気温が下がってると思います、晴れた日には。ここのところ、その晴れ間がなくて、本当に空気がミスト、ニガウリの活躍もからぶりでえす。 でも、実は、すごくなってます。これでも待ちきれず、4つもとって食っちまったですよ。疲労回復に良いかなーっと思って。部活でへろへろのぶうに、塩で軽くもんで、オリーブオイルで炒めて、マヨネです。 ニガウリブラザーズが喜ぶ太陽、早く来てー。でも35度以下でね。
2009年08月05日
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