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おとうの無人の実家には、家から離れたところにある畑大小一枚ずつと小さな家付きが一枚あります。 とても一週間に一度来るか来ないかでは面倒見切れず、家から離れたところはもうなかば「放置」。たまにじいちゃんが残したトラクターでうなって雑草処理する程度、これでもものすごいエネルギーがいります。 先週は私は家つきの畑と家周りの草むしり。おとうは小畑に草刈マシーンを持って出かけました。 小畑には、東京の知人が「自分も何か植えてみたい」と言うので「うちはとてもおたくの植えたものまでは面倒見られない。植えた限りは自分で管理してよ」「するする」と言うので、半信半疑、このへんの夏の畑の定番で一番手のかからない落花生を植えたんです。 おとうが、荒れた畑をうなってあげて肥料もすきこんであげて、畝もたてて、上げ膳据え膳して、知人は感激して落花生をポチ、ポチっと植えていました。種はマボロシ「半立ち」です。「後は知らないよ」「いいっすよ。できたらこれ、うちの事務所の名前をつけよーっと。ABピーナッツとかってさ」なんてはしゃいでました。 そして一ヶ月半。知人は忙しい、やっぱり。畑は元通りのジャングル。ジャングルの中に果たして落花生は生きているのか。 で、おとうは草刈マシーンを持って確認しに行ったのです。 私も首にタオル巻いて、草と格闘。 写真の中には、サツマイモにもうおしまいのインゲン、今年は失敗してしまった枯れたナス、成績のいいトマトにこぼれ種のニガウリに冬瓜があるんですよー。ま、どれがどれやらでしょうが。 そしたら近所のダイナマイトまささんが、マイチャリで通りかかりましたよ。愛用の鎌2本を前のかごに入れて。 「おや、来てたんかい? ぶうちゃんは? あれ部活。えらいことだねー。おどさんは?え?あの畑に東京の人がラッカ植えたって。あんが、やだよぉ、東京の人ってのはよー、植えたらそれでおしまいって思ってんだかいよー。草がおえねってこと、知らねえでんよぉ。 あっ、あんた、これ、抜いちまわねばよ。あんた、これはやしたら木になっちまあださー。 あたしもよ、今日はお墓の草刈ださ。3ヶ所。この鎌じゃおえねからさ、帰って草なぎ持ってくべと思ってよ」 ダイナマイトまささんとこはなんで、墓3ヶ所なのか、聞くとこれは長い長い話があって、どう考えてもそれは江戸時代に遡り、元禄時代の津波のときに・・・などと、はかりしれない「事情」によるのでした。 このあいだはだましだましなんとかギクシャク動いていたトラクターが壊れて、もはやこれまでか、と思ったのですが、なんとか復帰しました。でもクボタさんから「限界かなー」と。 これが動かなかったら、畑の管理はもうお手上げ。 なんとか再び動いてくれて、本当にありがたいー。 村はどこのうちも似たようなもので、ダイナマイトまささんちだって、80過ぎたお母さんのおはるさんと会社員の息子さん、3人でやってる。この先?誰にもわかららねよ、とまささんは言います。 農業ブームなんて、テレビ画面映りのいいところの話。やせた海辺の砂地の農村は、山奥の農村と似ている。息も絶え絶え、放置農地が広がってるですよ。 なんて、梅雨空の合間の厳しい日差しに乾いた砂から雑草を抜きつつ、思いめぐらせました。 でも、ま、先のことは考えない!これが信条。(だって考えても明るい未来は見えないし、誰もわからない、まささんの言うとおり) とにかく、今すべきことは目の前の雑草を抜いて、サツマイモを草から開放すること、雑木の下の草むらからミョウガを探し出すこと。 戻ったおとうによると、小畑には落花生らしきものたちがいたそうな。雑草と一体化して「たぶん自分たちが周りの子とは違う、ラッカセイというエリートなんだとは気づいてないだろう」ということでした。そこそこまわりは刈ってあげたけど、あとは知らん。でききらん。 さてさて、とにかく8月入ったら、お盆強化週間。厳しい外房のお盆シーズンがやってきます。草と格闘はこれからが本番。 激闘!! 雑草。 これが我が家の「夏」ですなー。
2009年07月30日
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各地で甲子園出場をかけた高校野球の熱戦が繰り広げられてますねー。夏ですねー。 ぶうの通う高校は、先日2回戦で負けてしまいました。 でも、久しぶりの2回戦進出で、在校生にとっては初めて。それに相手はシード校でしたから、コールドにならず9回までもっただけでも「やった!」です。 2回戦で相手は強敵、運良く野球場も高校に近い、というので、たくさんの生徒さんが来て、応援は大いに盛り上がりましたよ。(だってどう考えても最終戦だからね)肩組んで歌って叫んで、水まいて熱い熱い青春の一日でした。 絶対、この日のこと、何年たっても「あの時、野球場は暑かった」と思い出すだろうなー。 ぶうは、吹奏楽部員として、2回とも最初から最後まで応援部隊でした。 すごくうれしい。母はぶうがここにいることが、すごくうれしいです。 小学校のときは、心が幼くて周りで何が起きてるか今ひとつついて行けなかったぶう。中学のときは、華々しいイベントはすべて積極的で運動も勉強もできる子達が仕切っていて、ぶう一族は後ろのほうで小さくなってた。 今、ぶうは自分の等身大の気持ちで精一杯声を張り上げ、ラッパを鳴らし応援してます。高校生なら当たり前なんだけど、その「当たり前」の中にぶうがいるのがうれいしい。 母は、野球場に送っていくついでに2回とも観戦。堪能しましたー。 それで、いくつか発見。 今はコンバットマーチなんてやらないのね。「狙い撃ち」「サウスポー」は健在。「タッチ」や「海のトリトン」「ドカンと一発」の和もの、「アフリカンシンフォニー」や「グリングリン」「コカカバーナ」など洋ものとりまぜ、のべつ幕なしに攻撃のときは演奏しまくるんですね。 いつからなのか、点が入るとどこのチームも、ひしゃくで水を撒きますよ。なんで? それから、どんなへたれのチームも、必ず父兄は「○○高校野球部保護者会」のそろいのTシャツと帽子着て、応援のときは一緒に立ち上がるんですね。メガフォンやうちわの管理、冷たいお茶を配り、そのコップの回収と仕事がたくさん。強いチームだけかと思ったら、ずらーっと各校いるのでちょっと驚きでした。お母さんだけじゃないの、お父さんも普通の日なのにたくさんいました。 OBもたくさん来てました。ご老人から今年卒業?と思われる若者まで。2回戦の8回くらいでおじい様が杖を突きながら「わしゃ帰る。今年もこれでおしまいじゃの」って。30年以上前までは何度か甲子園に出たそうです。そのころのOBは、何をさておいても毎年見に来るんだとか。そして「甘い!わしでも打てる!」などと毎回怒っているらしいです。自分で4畳くらいの旗持ってきて降るOBもいました。「40年やってる」って。 今まで、最後にどこが代表になったのかしか興味なかったけど、ぶうが高校生になると、この野球の勝敗にもいろいろ考えてしまいます。 ぶうの高校の近くにある、お金持ちの私立高校でがばがば強い生徒集めてて、専用グラウンドを市外に持ってて何度も代表になってて、今年だって大本命だったところが、2回戦敗退!しかも「え、そこに?」というほど普通の公立高校に。うわー、どうするんだろう。OBや父兄、PTA、学校からも責められるんだろうなー。 やっぱり何度も代表になってて、吹奏も盛んで、ぶうたちも吹奏の指導を受けに行った親しい高校が、よもやのコールド負け。そこも雨天室内練習場があって、野球のみのグラウンドがあって力がものすごくはいってるのに。父兄は練習も見守って双眼鏡でチェック入れてましたよ。それがコールド!どんなに泣けるだろう。 勉強もできてスポーツも盛ん、なんて高校は、昔は「すごい」と思ったけど、今はあんまり応援しませんね。ずるいよ。 これしかない、という思いで打ち込んできた選手が全力でぶつかって、でも夢はなかなか遠い・・・。こういうのがいいな。 なんて。こんな楽しい「高校ウォッチング」ができるなんて、予想外の野球観戦でした。 まだ代表は決まってませんよ。今年は特別に思い入れの激しい甲子園になるかも。
2009年07月24日
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左が、ピーク近く、右が少し過ぎたところです。 月じゃないです、太陽ですよ。 朝からどんより曇り空で、だめかと思いましたが、かすかに雲の中から部分日食、見ました!! やっぱり感激です。 皆既ではありませんが、ずいぶん欠けましたね。 部分日食を何度か見たことありますけど、今回自分が見た中では、一番の欠け具合でした。 日食観察用のメガネを、おとうに頼んで大きなカメラ量販店で買ってきてもらっていたのですが、雲のおかげで肉眼で観察でき、しかも手持ちの小さなデジカメで撮ることも出来ました。 10時から欠けはじめ、11時15分くらいがピークとのことでした。 雨雲がどんどん流れていくので、もしや雲の薄くなったところから見えるかも、と思ったら、ばっちりだったんです。雲をすかして見る太陽は、「日食観察メガネ」ではかえって光力が弱く、見えなかったですね。そのくらいラッキーな雲間の出会いだったのでしょう。 二度寝中のぶう(合宿疲れ)をたたき起こして、「ほらほら、見て! 太陽が三日月みたいだよ!」と一度だけ見せました。ぶうは「ほんとーだ。見たからおねがい、もう起こさないで。寝させてね」だって。張り合いのないやつ。今度こんなに欠けるところを見るのは、ぶうがじいさんになってからかもよ。 しかし、周りも静か。あまりの曇り空にみんなあきらめているようです。 と、思っていたところに、隣の奥様がお買い物からお帰りー。 彼女に「ほらほら、見て見て!」と教えると、大感激。あちこちの家に「みてー!日食やってるわよー!!」と声をかけ、結局おばさん5人で、流れる雲の中からチラ見える日食天体ショーを、ぼーーっと空を見上げ見学したのでした。 不思議なのは、あんなに欠けてるのにぜんぜん暗くないこと。雲がかかってるから区別つかないというのもあるけど、ちらとも暗くなったとは感じませんでしたね。それだけ猛烈に明るいということなんでしょうけど。 「次は26年先?46年先? その時また。お元気でー」
2009年07月22日
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梅雨が明けましたね! 暑いです、ものすごーく。 肌がジリジリ焼けてますー。 梅雨空には本当に振り回されました。雨が降ると傘がさせないので、学校まで車で送ります。帰りが雨だったら迎えに行きます。はっきりしてたらまだいいのですが、あやふやだと、直前まで迷います。「行くべきか、行かざるべきか」です。 ぶうの学校と家は、車で一時間。風景もぜんぜん違います。こちらがザーザーなのであわてて行けば、学校は美しい夕焼け~、だったり。 左が通学途中のうちのすぐ近くの森の中で、 右が学校の近くのビル街です。この差は車で一時間なんですよ。 この間は、あやうく車の中で蒸し焼きになるところでした・・・。 ぶうの入ってる吹奏が「県のイベントに参加することになった、現地朝7時集合」というのです。その日は、午後3時からPTAの「文化祭への参加」について話し合いもある予定でした。 場所は知ってるところだけれどちょっと遠い、けど近くに魅力のショッピングモールあり。時はサマーバーゲン。で、母は、朝早いけど、イベント会場までの歩道も心配だから一緒に電車に乗ってって、ぶうは会場に着けば部員とずっと行動を共にするからー、私はイベントちょっと見て、サマーバーゲン見学して、ランチして学校行こーっと思っていました。 なのにねー、天気予報は「曇りと雨の一日。にわか雨あり」というんです。イベント参加後は学校に戻るのですが、楽器はトラックで運び、生徒はおのおの電車で帰る・・・ということはぶうは傘がさせないからやっぱり車で送るということにー。 朝、お弁当もあるから4時半起きして車で送って、母はファストフードでモーニングして。雨は確かに降ったり止んだり。 イベントには高校3校出ました。(県で実力、名声とも一番の高校も初めてこの目で見ました。印象は、スカートがやたら長いです。吹奏楽部だけの規則だそうな。へたしたら昔のいけないお姉ちゃんくらい長かったよ) その間はやんでたのに、終わったころはまたパラパラ降ってきて、やっぱりぶうを拾って学校へ向かえば、イベント帰りは見たことのないほどの渋滞・・・。久しぶりです、遠くの信号が何度変わっても1メートルも進まなーいー。 はあ・・・、こんなんじゃぶうを学校戻したらどこにも行く時間はないじゃん。ものすごく駐車違反に厳しい地区なので、送った後はコインパーキングに入って、高校近くのスーパーでしょぼいお弁当買ってランチ。「今日は久しぶりでショッピングモール、見たかったー」 だがしかし、早起きの呪い・・・猛烈な睡魔に襲われ、ぎりぎり30分、と携帯のタイマーセットして、車の後部座席に撃沈。そのとき車の窓から薄い太陽の影を見ましたー。 「えぇ・・・、たいよーがでるかしらぁ***」意識を失いつつ、時折車の屋根から熱気が降りてくるのを感じつつ、それに負けない睡魔・・・。 たかだか30分の間に、爆睡です。汗びーっしょり!! イベントにショッピングモールにPTAの予定なので、けっこう化粧もしたし、目の周りとかチークとかしたのですよー。集まりの時間すれすれ、車の中の小さなミラーで一生懸命ファンデ塗りなおししました。 だけど、学校に駆け込んでトイレのしっかりした本物鏡で見たら、「びえ~、顔が崩れとるー!!」。すっかり汗でファンデがよってしまって、大雨の後に枯葉が水が引いた後に沿って固まってるみたいな、その上にまた無理やり塗ったのでドロンドロンにゴミがたまってるみたいなーー、悲惨・・・。 ハンカチで一生懸命顔を拭いて、なんとかすっぴんに近い状態に戻して(そのほうがよっぽどまし)ぐっしょり、雨ではなくて汗でぬれた姿でPTAの集まりに。 なんだかもう集中できなくて、なんのことやら。。。ワタクシは焼きそばグループになったらしいです。「これで皆様、夏休みでーす」という会長さんの解散挨拶のあと、あわてて同じクラスのお母さんに聞いて事情を把握しました。焼きそば焼いて売るんだって。 外は、また雨がパラパラ。またこれがびみょーなパラパラ具合。空の雲具合もびみょー。 ぶうが部活、終わるまであと30分。待つか?帰るか?途中で引き返すことになるより待っていたほうがいいのは、ガソリン代がもったいないから。コインパーキングから(30分100円だよ)車出して高校へ。 30分後は・・・。雨降ってない。 「え、待ってたの?ごめーん、帰って。友達と帰るから」 くそー。そりゃあおかあより友達と帰るほうがうれしかろうよ。 朝、5時半から夕方7時、家に着くまで降るのか、降らないのか、頭の中それしか残ってない一日でしたー。 梅雨が明けたら、もう夏休み。 どたばたしたけど、なんとか休んだ日一日で一学期終了しそうです。 朝早いのは、母にも来てる様にぶうにもきついと思います。慣れるのに、もう少しかな。心は楽しいけど、体がもひとつついてってないなー。 あせらず、ぼちぼちね。
2009年07月16日
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今日は雨は降るのか、降らないのか、降るとしたら何時ごろか、梅雨の気まぐれな天気に、車でぶうの送り迎えをするかしないか振り回されています。 そんなことでほったらかしなのに、ミニトマトの「ブッセ」は淡々と背を伸ばし、赤い実をつけました。 左が5月末の状態です。子供用傘が似合ったのに、2ヶ月すぎて、すっかり大人になりました。 でも、雨は大敵。降ってきたらこの重くなったお嬢さんを抱えて玄関先に避難させてます。(ここのところ、屋根の下ばかりです) 私は「もう食べ時だ」と思うのですが、おとうは「いや、もう少し、もう少し」と粘っていました。 でも昨日、とうとうこの二個、食べましたよ。 フランス生まれのブッセ嬢のお味は、と申しますとー、「皮が固い」です。 中身は濃い、いわゆるトマト味で口の中に旨味が広がります、が、皮が残るんです。 たまたまでしょうかー。 今、トマトは5段、青い実の家族ができています。 一番下の家族が赤くなり始まったばかりなのですが、後はどうでしょうねー。 やっとグリーンカーテンにしようと、ニガウリ用のネットを南向きのガラス戸の外に出しました。 でも、とにかくうちの地域は太陽が出ません。ずーっと、曇り~雨です。 ニガウリにとってもトマトにとっても、「サンシャイン、カモーン!」です。
2009年07月10日
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生まれたばかりの赤ちゃんが、二分脊椎症の手術を受けられるという話を聞いて、あのときのことを思い出しました。 二分脊椎の子は、この世に生まれていきなり人生最大の山場をむかえます。親族はそれはそれは世界が変わってしまったと思えるほどの、衝撃なのではないでしょうか。 「ズイマクリュウ(髄膜瘤)」、水痘症、シャント、直腸膀胱障害等々聞いたこともない用語の連続、親も受けたことのない大きな手術等、説明はあっちの耳からこっちの耳に抜けていってしまいます。(医師が複数いることさえ気がつきませんでした。みんな同じおじさんに見えた・・・) 当時の自分を思うと、初めての子が障害を持つってどういうこと・・・と、頭は混乱して登ることの出来ない暗い穴に落ちたように感じられました。産んでから抱くことも会うこともしてませんから、赤ちゃんがいるという実感はない上に、見ていない自分の「子供」が大きな手術をしなければならない・・・? それから、自分はとてもそういう子を育てられるほど強くない!と。 障害児の親のイメージって、世間の冷たい目にも胸を張って強く生きる、不利益には断固抗議!とか。 今思うと本当にぶうにもすまなかったな、と思うほどの取り乱しようでした。 15年たって思うことは、まず障害を持つ子の親は、別に天の上の方から選ばれてなったわけではないので、みんなつらいです。突然のことで、みんな動揺しました。わけわかりません。泣いて泣いて「どうして自分だけ!!」と叫びました。 強くもないです。 でも、周りから見たら「生まれたばかりの赤ちゃんが大きな手術を受ける」だけでも「強いわぁ。そんなこと私には耐えられなーい。受け入れられないよ」と言われるんです。こちらとしたら、全然受け入れてなくてもどんどんコトがそう運んでいくだけなんですけど。 そして、健常のお子さんより多めにお役所に行って手続きしたり、病院に行ったり、ことによったら療育施設に通ったりします。だって「そうしたほうがいい」と言われるからそうするだけなんだけど、やっぱりこれだけでも「強い母さん」に見えるようです。 なんとか15年たって、振り返れば、あの頃の自分より少しは確かに強くなったかなーと思います。だって私は人に何か言う、頼むなんてものすごく(今もですけど)苦手でしたけど、今はぶうの介助を「お願いします」と言えます。(でも正直、今でも時々言えません) それから、うちの子はヘレン・ケラーでも乙武君でもありません。ハンディーを持つ平凡な男子です。パラリンピックも東大も目指しませんし、芸術の才能もありません。 「ハンディーがあるならパラリン目指せる」とか「乙武君でもあれだけなんだから手が自由ならもっと・・・」とか、励ますつもりか言う人がいましたけど、それは五体超満足なお子さん達が、みなさんノーベル賞を取るとかオリンピック出る、と思わないように、障害持ってるからと言ってそれが特別な才能・・・芸術でも持っていることではないんです。人類の頂点に立つような「才能」の割合は、普通の健康な人の割合と同じだと思います。みんな持ってたら、マスコミには登場しないし、当たり前すぎて。 特別な才能は、普通の子もハンディーの子もたまに見られるんです。親も環境もあるしね。 「ハンディーを持つ子は優しい」という見方も反対です。障害があっても心の中に「悪」はあります。これも同じです。「優しい心」は、育てないといけません。いじめられたぶん自分より弱そうな子に同じ意地悪をする、これは子供の普通の姿です。障害も何も関係ないです。やってはいけないことは「いけない!」言ってはいけないことは「言わない」です。どんな子にも「嫉妬」や「むかつく」という気持ちはあるんです。 だいたい二脊の子同士でけんかしてますし、ぶうも「車いすはあっち行け」と二脊の子に言われました。ぶうもひどいことがあって、こっぴどく叱ってやりました。 心の問題も才能の問題も、障害は関係ないです。 15年、最初、ものすごく困難に思えた生活も、けっこう普通でした。 遠くを見ないで、まず「健康に」を第一に、一歩一歩とりあえず前に進んでいくと、障害を持つ子供との生活もいつのまにか「日常」になっているようです。 「障害」って克服するんじゃなくて「慣れる」んだわーと思います。 ほとんどの母は、マリア様ではありません。つらいです。でもなんとか前に進みましょー。
2009年07月03日
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ぶうは、ちょっとへたばり気味です。 学校に行くと、おなかが痛くなって、下痢・・・。 一度は教室で。便の感覚はぶうはないんだけれど、おなかの痛みと匂いで「これはやばい」と感じたそうです。 授業中で先生に言えず、休み時間にトイレに駆け込んで見たら、思った以上の「大爆発」。紙パンツから「モノ」ははみ出て、シャツにまで付着していたそうな。この時、運良く体操服で、おしげもなく洗えるものだったのは、不幸中の幸いでした。 この大量の「モノ」を一人で処理したのは、生まれて初めてです。だって今までは、母が何かあれば飛んで行きましたから。 一人で大量に出て汚れた紙パンツをビニール袋に入れて、くさいから2重にして、シャツ脱いでジャージ脱いでこれらもビニ袋に入れて、トイレットペーパーで汚れたところ拭きまくって・・・、制服に着替えて半泣きでおかあにケイタイ入れて、保健室に行ったのです。 びっくりして急いで車で学校行く間、1時間。その間にももう一度痛くなって、トイレに行って出したというので、「調子が悪いかな」と保健の先生とも話してこの日、早退。 本人的には、「洗腸で出し切れなかったせいだ」と言うのです。 そして、また次の週、洗腸の次の日、朝9時に「おなかが痛くて下痢した!急いで迎えに来て!」と連絡が入ったんです。1時間も授業は出てません。 洗濯物も早々にかけつけると、また保健室。ぎりぎり紙パンの中に、は免れてトイレで出せたそうなのですが、「もう授業には恐くて出られない、うちに帰って洗腸する」と訴えるのです。 保健の先生は、「ぶう君の言う洗腸の時間だったら再度登校して午後の授業にはギリギリ間に合うから、そうしたいなら一度家に帰ったらどうかしら」とおっしゃいます。 私は、「これは神経性のものでは?一度出せば、後は大丈夫なのでは?こういうことは普通の子でもあるし、出たんだから大丈夫だと思うよ」。 けどぶうは「だめだ、だめだ」の一点張りで、結局一度帰って、洗腸してまた登校。6時間目だけ出ました。 はあー、どうなんだろ。 保健の先生は、「気持ちは元気のつもりでも体は疲れてるんでしょうね。学校の出席とかあんまり気にしないで」と。 (この学校は、出席がすごく重要なんだ、と入学説明会で言われたんです。欠課も同じです) わたしは、これは過敏性大腸炎というものでは、と思うのです。体は元気なのに、おなかだけ下しちゃう。新しい環境になったりストレスがあったりが原因で、若い子に多いと聞きます。 先生も、「そんなところかも」そして、「洗腸ですむなら、お家との往復が大変だから、こちらに洗腸キットを持って来といて学校でやったらどうですか?」と言って下さいました。これはありがたい申し出かもしれません。 中学まで車いすで5分の通学だったのに、一人で電車に乗って1時間かけて通うようになったぶう。 部活に入って、毎日朝に夕に練習して土日も部活、という生活。親も周りも「大丈夫かい?」と心配してました。ちょっと頑張り過ぎなんじゃないのーと。 週に2回は、排泄の「便」のほうを出すために5時で帰ってきます。洗腸をしますが、なんだかんだと2時間は掛かりますので、早めに帰ってきても、次の日5時半に起きるには、早くトイレにこもらなければならず、ゆっくりテレビを見るなどというわけにはいきません。 洗腸は、ぬるま湯を1000ccほどゆっくり肛門から入れて、中の便を出す「逆行式」をやっています。うまくいけば1時間ほどで終了なのですが、ここのところ、「出ない、付け足して」というのが日課で、300ccほどを足してやるのですが、1時間以上たっても「まだ残ってる感じ。すっきりしない」状態が続いていました。「とりあえず出ればその時残った感じがあっても大丈夫」と以前ドクターは言いました。 なぜだめ?これは、たぶんドクターでも答えは見つからないのでは、と思います。方法は教えてもらっても、その付き合い方は自分で自分の調子を見ながら見つけるしかありません。 今までも、体が大きくなるたびに手探りで折り合いを付けていました。 直腸膀胱障害は、それで3級もらっているほど独特の障害なんだ、と思っています。なかなか他人にはわかりません。 ぶうは、最初の教室での失敗に、ふとんをかぶって泣きましたよ。 「なんでこうなっちゃったんだろ。みんなすごく迷惑だったよ。すごい匂いだったんだ。なんてことしちゃったんだろう」って。 大人は、「大したことないよ。けっこうみんな、失敗したことあるんだよ」と言うしかないのですが、本人にしてみればーですよね。 高校生だし。ずっと前、ぶうが小学生の時にも風邪のせいでやっちまったことがあるのですが、「あーびっくりした」でけろっとしてました。今は、青春の時です。 部活も出たいし、学校の授業も削れないし。でも一番は体!! 二番は心!!! 洗腸のキットはありがたく持参するにしても、ぬるま湯入れるパックをつるすにはどうしたらいいか、だいたい洗腸キットが今、新しく形が変わってそれが使いずらいと不評で、新しいものをもう一つ手に入れるのは困難ときている・・・等々問題はあるんですねー。理想としては、ぬるま湯を先生に用意してもらって、ぶうが一人でトイレにこもる・・・その間に母が来る・・・しまいには一人でできるようになって母は来ない、です。 大人の体に心身ともになりかかりの時、また障害と折り合いを付ける場面です。 これがうまくいけば、社会生活や親と離れての旅行など、世界がどーーーっと開けるだろうなーと思います。 でもでも、急ぐまじ。せかせるまじ。ゆっくりゆっくり!母の心に命令です。
2009年07月01日
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