全3件 (3件中 1-3件目)
1
【四王天延孝(しおうてん のぶたか)氏の履歴】 1879(明治12).9.2日、前橋藩士・西村茂兵衛の弟として生まれる。川越藩士・四王天政彬の養嗣子となる。 1897(明治30).12月、月士官候補生。 1899(明治32).11月、陸軍士官学校(11期)卒業。 1900(明治33).6月、工兵少尉に任官し近衛工兵大隊付となる。 1904(明治37).2月、清国駐屯工兵中隊付などを経て日露戦争に出征する。1905(明治38).12月まで出征する。鴨緑江(現、北鮮と中国の国境河)渡河の際に功をたてた。伝書鳩を陸軍に持ち帰ったりと、工兵将校としても色々な仕事をし軍内で「極めて優秀」の評を得る。近衛工兵大隊中隊長、大本営運輸通信長官部副官、陸士教官、近衛工兵大隊付などを歴任する。 1909(明治42).12月、陸軍大学校(21期)を卒業する(ロシア語を課され習得)。関東都督府陸軍参謀、工兵第7大隊付、陸軍砲工学校教官。 1911年8月、夏目漱石氏、朝日新聞の依頼で和歌山で講演、「現代日本の開化」について、 ・・・内発的開化を経ていない日本人、外発によって開化した日本人は、永 遠に上滑りを続けざるを得ないであろう・・・・ 1916(大正5).8月、(大一世界大戦時の英同盟軍の一環として)フランスに駐在、従軍し、フランス陸軍側から対ドイツ戦を見ている(1919(大正8).3月まで)。(この在仏軍2年半の間に、仏軍幹部たちから欧州の湯田や問題について生々しい情報を聞かされ、深い関心を抱くようになった・・・。また、帰朝間もなく、当時の山縣有朋元帥から話が聞きたいと自宅へ招かれ、行ってみると、欧州戦場から送った大量の報告書に数多の赤線が引いてあり、詳細な質問責めにあったということがあり、80歳の元帥に敬服したこともあった。) 1920(大正9).1月、浦塩派遣軍司令部付としてシベリア出兵に出征。8月、工兵大佐。11月、関東軍司令部付となりハルピン特務機関長を務めた。このころにロシア系の湯田や人たち(一般人やジャーナリストも)と個人的に接触し、彼らの家庭に招かれて観察したりと、見聞を広めることができた。 四王天は、露仏独英語の書籍からも数多の関連情報を獲得していたのであった。 1922(大正11).4月、陸軍航空学校教官となり、同年9月同下志津分校長。以降、同下志津分校長。 1923(大正12).8月、陸軍省軍務局航空課長などの航空畑の役職を歴任。この頃、民族研究会が結成され、参加する(「星製薬の謎(その2)」)。 1924(大正13).5月、国本社理事。8月、陸軍少将に進級した。陸軍兵器本廠付、国際連盟陸軍代表、兼同空軍代表、豊予要塞司令官、第16師団・第3師団の各司令部付などを経る。 国際連盟陸空軍代表として、スイスに家族と滞在、この間にも湯田や関連の情報を貪欲に吸収し、ある「確信」を得るに至ったようなのである。 1925(大正14).3月、帝国飛行協会専務理事。 1929(昭和4).8月、陸軍中将に昇進し予備役に編入された。 この背後に、上原勇作元帥より「その反ユダヤ主義を捨てなければ重用できない。ユダヤ問題から手を引くよう」勧告を受け、これを拒否した事情が介在している。 四王天は、「ロシア革命はユダヤ革命である。アメリカの政策はユダヤ人によって動かされている」との主張を変えなかった。帝国飛行協会専務理事を務めながらユダヤ問題の研究に没頭する。 1936(昭和11).2月、反ユダヤ主義の国際政経学会が創立され顧問となる。(同学会については「桜澤如一と関根康喜(関根喜太郎)(その1)」参照のこと)。11.2日、増田正雄とともに反ユダヤの国際思想研究所を設立する。 1941(昭和16).7月、「猶太思想及び運動」(内外書房)を刊行。小田光雄「古本夜話112」によれば、この本の出版祝賀会が8月に開かれたことが真崎甚三郎の日記に見える。次のように記述されている。 「昭和16年7月17日 渡辺十二時半に来訪、来月四王天の著書出版の祝賀会を行ふにつき、予を発起人の一人に加はることを乞ふ。予は之を諾す。中野正剛も挙げられたりと云ふ。果して真か。8月4日 十七時三十分松本楼に至る。四王天中将の猶太思想及運動に関する著書の出版祝賀会に列する為なり。参会者百五十名余、盛会にして堀内、坂西中将、松島元大使、中島海軍中将、匠[ママ]瑳海軍少将、猪野毛代議士等の祝辞あり、最后に予の聖寿万歳を三唱して終り、二十一時半に帰宅す」。 1942(昭和17).4月、翼賛選挙で東京5区(品川、目黒、世田谷、渋谷など)から推薦候補として出馬し、「大東亜戦争はユダヤが動かしている。日本はそれに立ち向かえ」等々の弁論を振るった。7万6250票を獲得しトップ、全国でも最高の得票数を得て当選し衆議院議員となる。 1943(昭和18).1月、大日本回教協会会長→同協会について「大日本回教協会の評議員」。5月、民族研究会の常任幹事だった内藤順太郎の「支那とフリーメーソン」(国民社)が刊行される。口絵写真には、「民族研究会創立当時の会員(大正十三年【1924】)」とあり、陸軍軍人としては小松原道太郎(ロシア語専門の将校であった小松原はソ連大使館付武官を経験、その時にモスクワでハニートラップにかかり、それ以降脅かされていた。1932年~34年、ハルピン特務機関長を務める。この時期、ハルピンではソ連への重要情報漏洩が相次ぐ。・・・後1939年ノモンハンでの戦闘を戦った関東軍第23師団長(中将);1940年10月6日、不可解な状況の下、「病死」・・・『日本人が知らない最先端の世界史(福井義高)』より)、飯村穣、坪井善明、島本正一、黒木親慶、安江仙弘、秦眞次、中岡彌高、海軍軍人としては前田稔、有馬寛、その他に安岡正篤、若宮卯之助、菊池武徳、樋口艶之助、赤池濃、酒井勝軍の名前がある。また、本文の方では会員として、他に今井時郎、陸軍軍人の樋口季一郎、中澤三夫の名前がある。 1944(昭和19).4月、松村吉助「猶太民族と世界制覇の陰謀」(冨山房)刊。四王天、白鳥敏夫、増田が序文を寄せている。白鳥の序文によると、著者松村は「多年宗教団体「道会」の主宰者として、又ユダヤ研究の権威たる政経学会の同人として、ユダヤの研究に力を注いで来られた」とある。 10.16日、朝日新聞に大直会(麹町区麹町一ノ八)による「ユダヤ禍闡明神国顕現大直会結成大講演会」の広告がある。同月21日、日比谷公会堂で諸岡存と反ユダヤ主義の大直会を設立。開催、講師として四王天の他、匝瑳海軍少将の名前が見える。 1945(昭和20).4.23日、読売新聞に大直会による「敵前国民有志大会」の広告がある。同月28日、日比谷公会堂で会長の四王天、匝瑳海軍少将、長谷川泰造、武富邦茂海軍少将らの講演が予定されていることがわかる。 以後、帝国飛行協会専務理事、大日本回教協会会長などを歴任した。他に国本社理事、日本反ユダヤ協会会長なども務めた。 1945(昭和20).8月、終戦。12月、A級戦犯容疑で逮捕される。「推薦議員、大直会有力幹部、東亜建設協会理事」を理由として公職追放される。 1947(昭和22)年、釈放された。 戦前の反ユダヤ主義者はしばしば日ユ同祖論者でもあり、戦後は戦前の反ユダヤ言動について素知らぬ顔をして親ユダヤ主義者を自称したが、四王天については、そのようなことはなかった。 1962(昭和37).8.8日、死去。 主な著書『ユダヤ思想及運動 付・シオンの議定書』(内外書房1941年初版、心交社1987年復刻)。『四王天延孝回顧録』(みすず書房、964(昭和39)年7月25日)。 「ユダヤ思想及運動」昭和16 四王天延孝 内外書房 517頁 筆者は旧陸軍中将で戦前日本におけるユダヤ問題研究の権威であり、世界的にも著名な研究者であった。筆者は全生涯をかけて身命を賭してこの問題を研究された。本書はユダヤ問題に対する戦前戦後を通じての大著述であり、体系的に組織的に詳述されており、ユダヤ問題研究者の必読の書である。現在でも入手はさして困難ではない。 序文から抜粋する。 「予が猶太人問題の研究に着手したのは第一次世界大戦中からで、仏軍の中におり仏国のユダヤ人アンドレ・スピール著「猶太人と大戦」から啓蒙せられる所頗る多かったのである。 またシベリア事変中は主としてハルピンに駐在して職務上毎月、過激派・反過激派の露人と接触し、過激派の大部がユダヤ人で反過激派が純露人であることを目のあたり体験し、終には意を決してユダヤの家庭に下宿し、彼等のお寺に出入し、彼等の雰囲気の中に入って研究し始めたのである。 ドイツの今日の挙国一致体制が確立した一面の理由は、ユダヤに関する知識を充分に取り入れたことにあると思う。 本書は皇国同胞の大部分がユダヤの問題に開眼して来たにも拘らず、いまなお煙幕が上の方から張られるのを座視するに忍びずして、忙中執筆の閑なきに拘らず強て一気に筆をかして、単に在来発表したものを取りまとめて世に問い、猶太人問題の真相を同胞に披瀝して、内外より迫りかかった非常時局突破の参考に供したい為である」。 「猶太の世界支配綱領」昭和16 愛宕北山 政経書房 466頁 著者愛宕北山氏は学者として戦前戦後を通じ、わが国ユダヤ問題研究における権威であり、現在しておられる数少ない貴重な存在である。序文の一部を記す。 「日本と猶太との間には、あらゆる点に於て二百六十度の差がある。 即ち存在の次元が全く異るのである。それ故に日本的原理が世界的に認識されるまでは猶太の世界征服の欲望は断絶されることはなく、従ってまた世界に真の平和と正義とは無いであろう。然もその日の以前に於て、日本と猶太との正面衝突は必然の運命と考えられる。非猶太人と猶太人との戦いの序幕戦である今次欧州大戦に続くものは、何故なる形式となるかは別として、不可避的に日本と猶太との戦いである。然して真に猶太問題を解決し、全人類を「悪」の手より解放し得るものでは八紘一宇の精神を奉ずる日本以外にはないのである。然もその八紘一宇の精神とは平等人道主義ではなく猶太人東洋人説の如き安価なる感傷ではなく、何等の根拠なき日猶同祖説の如き寛容ではなくて、まつろわざる者は之を討ち平げる処のものでなくてなくてはならぬ。 然してその後に於てのみ猶太その者も「人間」に還元され得る秋が来るであろう」。 一冊の書物でこれくらい広汎にユダヤ問題の本質を解明した文献は世界的にもないと言われており、ユダヤ問題研究者は是非入手しなければならない本である。神田の古書店で時折り出品される。
November 19, 2017
コメント(0)
「種子法廃止法案」を売国安倍内閣で閣議決定し、本年3月に、森友だ、浅田真央引退だ と騒いでいる間に国会でコッソリと成立(審議時間5時間程だって)・・・ 来年2018年4月1日にて国民の命を守る「種子法」を「廃止」です。今の自民党・安倍内閣は、日本国民の糧道・食安全を、モンサント等外資に差し出しました。これを伝えるメデイアも殆ど目にしませんですね。一億総家畜化が現実に、まるで茹でカエルのように進行中・・ 小泉純一郎内閣時の「郵政民営化法案」成立では300兆円の郵貯・簡保マネーをwall街へ差出すための道筋が整えられ、着々と目にはさやかに見えねども強奪・略奪が進められています。見慣れないアヒルがいつの間にか郵便局に住み着いてしまいました・・・日常化してだんだんと違和感が薄れていきます・・・。 下記URL を ・・・・1億2千万人の内1,700人ほどしか、この重大なことを訴える動画を目にもせず・・・・ https://www.youtube.com/watch?v=NiBrEGMoCRY&feature=youtu.be&utm_source=maildeliver&utm_campaign=UA-2977949-2&utm_medium=email 日本のタネが危ない!山田正彦先生(元農水大臣・弁護士)「種子法廃止とこれからの日本の農業について」ワールドフォーラム2017年10月22日「茹でカエル」ってなんだ? と思われた方には、せめて下記書にもお目通しのほどを・・・・『この国を動かす「本当のルール」とは』(矢部宏治著 2017 講談社現代新書) 『原爆と秘密結社』(David J. Dionisi 1963年生、元米陸軍情報将校 著 2015 成甲書房) (ほぼ茹だったカエルより)
November 12, 2017
コメント(0)

Trump, Kim Jong Un and Theresa May dominating at Lewes Bonfire Night in UK .
November 5, 2017
コメント(0)
全3件 (3件中 1-3件目)
1

![]()
![]()