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聖書のみことば ローマ人への手紙12:17-21 だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」 もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。 人間関係の問題はいろいろあります。家庭でも学校でも、職場や社交クラブ、趣味の集まりでも。 秘訣は、すべての人が良いと思うことをはかること。 第二に、すべての人と平和を保つ。 第三に、復習しない。 どんな交わりでも、嫌な出会いがあるようです。いろいろな出会いがあります。そんなとき、理想ばかり言ってもと思われます。しかし、聖書の教えにアーメンで、すべては解決に向かいます。 してはいけないことは、裁いたり、悪口をいったり、その人を変えようとしたりしないことです。 ことの成り行きは、愛の神様にお委ねすることです。 天網恢々疎にして漏らさず=天の網は広大で、目は粗いが漏らすことはない。悪人は必ず天罰を受ける。ことわざにもあるとおりです。 自分で復讐せず、祝福を与え、愛の許しの祈りです。 ペテロの第一の手紙3:9-12 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。 「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、悪から遠ざかって善を行ない、平和を求めてこれを追い求めよ。 主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行なう者に立ち向かう。」 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/11/30
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箴言30:7―9 二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。 不信実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。 私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ。」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。 二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。 主の祈りに、日ごとの糧を与えたまえとあります。今日の箴言は、まさしくその具体的な祈りです。 不誠実な人生は、不信実と偽りです。政治家であれ教育家、企業家、一般人、老幼男女だれあれ、不信実と偽りから遠ざかり、いやそれらを捨てるとき、生き馬の目を抜くような偽りの社会にあっても、平安で幸せな真実と愛の日々を生きることができます。 貧しさも富も与えず、ただ私に定められた分の食物=ただ生きるのにどうしても必要なものだけを与えてください。その祈りは贅沢になりすぎて神様を忘れ、貧乏のあまり盗みを働かないようにと言う理由です。あらゆる境遇の中で、神様を第一にして生きる人生、神の栄光のために生き、受けるよりも与える方が幸いな日々を歩む人生を、聖書は約束しています。ありがとうございます。今日もまた天国の豊かな聖なる一日です!感謝します。
2016/11/29
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ヨハネの福音書1:47-49 イエスはナタナエルが自分のほうに来るのを見て、彼について言われた。「これこそ、ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない。」ナタナエルはイエスに言った。「どうして私をご存じなのですか。」イエスは言われた。「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです。」ナタナエルは答えた。「先生。あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」 人生は出会いの連続。イエス・キリストの最初の弟子たちとの出会いです。アンデレ。ペテロ、ピリポ、ナタナエル=いちじくの木の下にいた男。そこは祈りの最高の場所。祈っている男との出会いです。 前向きな心、感謝の心、人の幸せを思う祈り。祈りは脳を活性化し,いつも活き活き新鮮な活動を与えます。 仕事上の困難、家庭における問題、政治経済教育、日本の国内や世界情勢など、厳しい状況に支配されそうですが、祈りはすべての波を越えさせてくれます。良い祈りを続けると良い方向に変わります。 健康のためにも、祈りは癒しであり、良薬です。イエス・キリストのお名前での祈りを続け、あなたがイチジクの木の下にいるのを見たと言われるような祈りの器になりましょう。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/11/29
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聖書のみことば コリント人への第二の手紙5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 誰でも例外なしに、アーメンと信じるだけで、新しい人生をいることが出来ます。 老若男女、性別も、国籍も、経歴も関係なく、私は無神論の中から16歳の時、新しい人生がスタート。 11月24日で59年になり、今日も現役で快調に生かされています。 詩篇118:23-24 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。 日々新しく変えられ続ける幸せ。 コリント人への第二の手紙3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。 最終的には天国で完全に変えられ栄光の輝きに永遠に存在。 ピリピ人への手紙3:20-21 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/11/29
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間は外見や姿形で判断したり、判断されたりしてはいけないことは良く分かっています。内面を変えると、人は幸せになります。しかし、同時に内面を変えることの難しさも、多くの人が悩み苦しんでいます。 反対に、外見やことばつかい(日々の口ぐせ)を変えると、内面も変わります。 生駒聖書学院は創立者がイギリス人です。聖書学院に来て驚いたのは、ネクタイを着用していないと、食事のテーブルに着くことも許されませんでした。現在はネクタイをしていなくても食べられます。フリースタイルの時代になりました。しかし、生駒聖書学院は礼拝時のチャペル、授業中の教室ではスーツとネクタイ着用です。イギリスの良い習慣がいまも連綿として続いています。 生駒聖書学院には、少年院や、刑務所を出所した入学生を迎えることもあります。暴走族で少年院から入学してきた青年がありました。学院入学と同時にスーツにネクタイの生活。またことば使いも、前向きで明るいことばを口癖に。聖書のことばを朝の目覚めから、ベッドでも口ずさむ。3年間の学び、卒業時には見違えるようになり、今では新聞やNHKでも紹介されたり、数年前の姿からは想像もできないような立派な牧師になっています。もちろん、イエス・キリストの十字架と復活、聖霊のお働きにより、そのような変化をもたらしました。しかし同時に、生活態度と外見を変えました。刑務所や少年院も、受刑者を紳士になれるよう、神の子として内面も外形も生まれ変わらせるような法律ができればいいですね。 悪い習慣から離れられないときは、生活のスタイルを変えて見ると、不思議に奇跡のような変化が起こります。お酒の好きな方は、酒の匂いや賑わいのある場所を通らないで真っすぐ自宅へ帰るだけでクリアできます。パチンコが好きならその音のするところを通らない。覚せい剤や快楽に直ぐ誘惑を感じるなら、そんな交わりや店、薄汚い場所へ近づかないだけで解決されます。 今年はもうすぐクリスマス。近くのキリスト教会の礼拝の聖なる場へ行ってみるだけで、人生は美しく清らかになります。 生駒聖書学院教会は、午前10時から、大坂新世界のエリムキリスト教会では午後2時。ぜひ、新しい年に向かって、新しい変化を体験し、平安で幸せに満ちた新しい人生を体験ください。ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日でした。感謝します。
2016/11/28
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ヨハネの福音書1:42 彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンに目を留めて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」1:42 And he brought him to Jesus. Now when Jesus looked at him, He said, "You are Simon the son of Jonah. You shall be called Cephas" (which is translated, A Stone).バプテスマのヨハネに紹介され、イエス・キリストと語ったアンデレは、自分の兄弟シモンを連れてきました。シモンに目を留めると、その目は何と慈愛深く、心の中まで見通す眼差しだったことでしょう。かれは3年後の夜も、そのまなざし=ああ、主の瞳まなざしよ=に愛され赦されましたが・・・。どんな眼差しで見るかで対人評価は雲泥の差になります。イエス様は、ニックネーム名づけの名人。うわべの評価だけでなく、皮肉やお世辞でもなく、その人の魅力を最大限に引き出すあだ名です。 見短く粗暴にさえ見える、自分が親分えなければ収まらないガリラヤの漁師シモンを、ケパ=ペテロ名づけました。You shall be called Cephas" (which is translated, A Stone).現在もローマカトリック教会は、そのペテロの上に教会は建つと主張します。バチカン市国のローマ法王はペテロの後継さyと名乗っています。キリスト教会は、イエス・キリストをアーメンと信じる信仰こそ、どんな人生であっても、イエス・キリストによって新しくされます。 今日、イエス・キリストを信じ心にお迎えし。岩のように揺るがない人生を、平安と幸せに過ごし、天国の道を歩みましょう。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/11/28
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聖書のみことば 詩篇1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。 当時は文語訳聖書で、その為すことは皆栄えんから、娘にみさかと名付けた教え子があります。三坂と栄えの名前からという人もありましたが、詩篇から、その子が何をしても、みな栄える幸せを願った名前です。 人生には、坂があります。書斎は坂の上にあります。毎日、院長室まで下り坂、帰宅は上り坂です。 生駒聖書学院は丘の中腹にあり、それこそ下り坂、上り坂です。若いママたちが自転車でスイスイ上るので、すごいと思ったら電動ですよとニッコリ。 人生や伝道牧会、教会生活にも上り坂、下り坂の連続ですが、どんな坂でも天国への上り坂です。 でも同時に、みさか=全部栄える坂です。 まさかという坂もあります。まさか自分にこんなことが起こるなんてという、「まさか」は、誰にでも起こります 牧師でも例外ではありません。57歳まで健康そのもの、風邪なし、肩こりも経験なし、頭痛、腹痛、睡眠障害もなく、薬も病院も知らない元気でした。 何と右脳内出血、左脳内出血、小脳内梗塞、2度の交通事故にまで。まさか自分にこんなことがと思っても、まさかが真さかで起こりました。 ところが、まさかは自分次第で、下り坂にもなり、上り坂にもなります。イエス・キリストをアーメンと信じると、すべてがプラスになり天国への上り坂です。 具体的には向きを変えるだけです。上を向いていますか。下向きですか。上を向いていれば、まさかの坂を真っ直ぐに天国への道を上って行けるのです。 まさかに出会ったら、ありがとう。感謝してますと挨拶です。その瞬間、まさかは奇跡の坂になり、平安と幸せの波が押し寄せます。波乗りサーファーのように、喜び楽しみに変えられます。アドナイ・エリエゼル=主は助け主。世の終わりで、見捨てず見放さず、ともにおらあれるインマヌエルの主。イエス様。助けてくださいと素直に祈れる日々です。 上を見上げてまさかの坂を上り続けましょう。幸せを祈ります。 ありがとうございます。きょうもまたまさかの天国の一日です。感謝してます。
2016/11/28
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聖書のみことば 詩篇1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。 当時は文語訳聖書で、その為すことは皆栄えんから、娘にみさかと名付けた教え子があります。三坂と栄えの名前からという人もありましたが、詩篇から、その子が何をしても、みな栄える幸せを願った名前です。 人生には、坂があります。書斎は坂の上にあります。毎日、院長室まで下り坂、帰宅は上り坂です。 生駒聖書学院は丘の中腹にあり、それこそ下り坂、上り坂です。若いママたちが自転車でスイスイ上るので、すごいと思ったら電動ですよとニッコリ。 人生や伝道牧会、教会生活にも上り坂、下り坂の連続ですが、どんな坂でも天国への上り坂です。 でも同時に、みさか=全部栄える坂です。 まさかという坂もあります。まさか自分にこんなことが起こるなんてという、「まさか」は、誰にでも起こります 牧師でも例外ではありません。57歳まで健康そのもの、風邪なし、肩こりも経験なし、頭痛、腹痛、睡眠障害もなく、薬も病院も知らない元気でした。 何と右脳内出血、左脳内出血、小脳内梗塞、2度の交通事故にまで。まさか自分にこんなことがと思っても、まさかが真さかで起こりました。 ところが、まさかは自分次第で、下り坂にもなり、上り坂にもなります。イエス・キリストをアーメンと信じると、すべてがプラスになり天国への上り坂です。 具体的には向きを変えるだけです。上を向いていますか。下向きですか。上を向いていれば、まさかの坂を真っ直ぐに天国への道を上って行けるのです。 まさかに出会ったら、ありがとう。感謝してますと挨拶です。その瞬間、まさかは奇跡の坂になり、平安と幸せの波が押し寄せます。波乗りサーファーのように、喜び楽しみに変えられます。アドナイ・エリエゼル=主は助け主。世の終わりで、見捨てず見放さず、ともにおらあれるインマヌエルの主。イエス様。助けてくださいと素直に祈れる日々です。 上を見上げてまさかの坂を上り続けましょう。幸せを祈ります。 ありがとうございます。きょうもまたまさかの天国の一日です。感謝してます。
2016/11/28
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箴言29章 責められても、なお、うなじのこわい者は、たちまち滅ぼされて、いやされることはない。正しい人がふえると、民は喜び、悪者が治めると、民は嘆く。 知恵を愛する人は、その父を喜ばせ、遊女と交わる者は、財産を滅ぼす。29:4 王=政治家は正義によって国を建てる。しかし重税を取り立てる者は国を滅ぼす。 正しい人が治めると国民は喜び、悪人が権力を握ると嘆きます。 1945年8月15日、戦争が終結し70年、国際政治の中で平和憲法を持ち、戦争しないで世界の先頭を走る国になりました。 憲法は政治家のためのものですが、憲法を守らないで国のためと言う政治家が増えています。政治家が国のためと言い始めるとき、国民のことを忘れている時です。戦争の脅威を大声で主張し、お金お金と経済大国になることだけを言い、国民に格差が広がろうと、国が富むために我慢しろと、差別さえある国になろうしています。 主権在民の日本です。政治家を選ぶ選挙が来年やって来ます。選挙へ行かなければ、日本の進路を誤らせてしまう責任を、自分で決めてしまいます。しっかりと平和憲法を守る政治家を選びたいものです。平和憲法のもとにある日本を忘れないようしましょう。ほんとうに日本国民を愛し、理解し、国際政治でも平和の先頭に立つような議員が選ばれるかどうかは、選挙に行く国民によって決められます。I love two J’s=Japan & Jesusありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝しま
2016/11/27
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愛に輝く人生を コリント人への第一の手紙13:4-7 愛は寛容=すべての人に対する忍耐。 愛は親切=すべての人にやさしい。 愛は人をねたみません=うらまず、そねまず。 愛は自慢せず、高慢になりません=高ぶらず、ほこらず。 礼儀に反することをせず=礼儀正しく、不作法にならず。 自分の利益を求めず=義務と責任を果たす。 怒らず=いらだたない。 人のした悪を思わず=、うらみをいだかない=いだく=帳簿につけない。 不正を喜ばずに真理を喜びます=真実に直面する勇気。 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。=忍耐と信用と期待と物事を克服し変革するまで望みの忍耐。 愛は決して絶えることがありません=最後まであきらめない不滅の愛。こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。 愛は今日も豊かに=ローマ人への手紙5:5それは、神様がどんなに深く愛していてくださるか、わかるからです。私たちは、そのあたたかい愛を全身で感じています。それは、神様が聖霊様を与えてくださり、その聖霊様が私たちの心に、神様の愛を満たしてくださっているからです。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/11/27
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箴言28章 悪者は追う者もないのに逃げる。しかし、正しい人は若獅子のように頼もしい。 国にそむきがあるときは、多くの首長たちがいる。しかし、分別と知識のあるひとりの人によって、それは長く安定する。 寄るべのない者をしいたげる貧しい者は、押し流して食物を残さない豪雨のようだ。おしえを捨てる者は悪者をほめる。おしえを守る者は彼らと争う。 悪人は公義を悟らない。主を尋ね求める者はすべての事を悟る。 貧しくても、誠実に歩む者は、富んでいても、曲がった道を歩む者にまさる。 利息や高利によって財産をふやす者は、寄るべのない者たちに恵む者のためにそれをたくわえる。 耳をそむけて教えを聞かない者は、その者の祈りさえ忌みきらわれる。 正直な人を悪い道に迷わす者は、自分の掘った穴に陥る。しかし潔白な人たちはしあわせを継ぐ。ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。
2016/11/26
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ヨハネの福音書1:29 その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。ある神学生に父親が危篤の知らせが届いた。神戸から福岡県の病院に急ぎ、病床でヨハネの福音書を朗読した。福音に耳を傾けてくれなかったが、愛娘が読む声を満足そうに聞いていた。 見よ、世の罪を取り除く神の小羊。と読むと、分かったとうなずきました。そして安らかな召しでした。 遺言でノアの箱舟をかたどったきれいなキリスト教会が建設されました。 十字架の上に、身代わりとなられた、イエス・キリストをアーメンと信じるだけで、救われ神の子となり、永遠の天国へ召されます。 義=羊の下に私が立つときです。すべての罪が赦され、義と認められます。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/11/26
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フランシスコの平和の祈り主よ、わたしを平和の器とならせてください。 憎しみがあるところに愛を、 争いがあるところに赦しを、 分裂があるところに一致を、 疑いのあるところに信仰を、 誤りがあるところに真理を、 絶望があるところに希望を、 闇あるところに光を、 悲しみあるところに喜びを。ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。 理解されるよりも理解する者に、 愛されるよりも愛する者に。 それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、 許すことによって赦され、 イエス・キリストの十字架と復活を信じて、 永遠のいのちを得ることができるからです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。アーメ
2016/11/26
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箴言27章 明日のことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないからだ。 自分の口でではなく、ほかの者にあなたをほめさせよ。自分のくちびるでではなく、よその人によって。 石は重く、砂も重い。しかし愚か者の怒りはそのどちらよりも重い。 憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。しかし、ねたみの前にはだれが立ちはだかることができよう。あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。 憎む者がくちづけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である。 飽き足りている者は蜂の巣の蜜も踏みつける。しかし飢えている者には苦い物もみな甘い。 自分の家を離れてさまよう人は、自分の巣を離れてさまよう鳥のようだ。 香油と香料は心を喜ばせ、友の慰めはたましいを力づける。あなたの友、あなたの父の友を捨てるな。あなたが災難に会うとき、兄弟の家に行くな。近くにいる隣人は、遠くにいる兄弟にまさる。 利口な者はわざわいを見て、これを避け、わきまえのない者は進んで行って、罰を受ける。 他国人の保証人となるときは、その者の着物を取れ。見知らぬ女のためにも、着物を抵当に取れ。 朝早くから、大声で友人を祝福すると、かえってのろいとみなされる。 長雨の日にしたたり続ける雨漏りは、争い好きな女に似ている。その女を制する者は、風を制し、右手に油をつかむことができる。 鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。顔を映すのは鏡ですが。人のほんとうの心はどんな友達を選ぶかでわかります。ありがとうございます。今日もまた、友なるイエスと共に天国の聖なる一日です。感謝します。
2016/11/25
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神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。 神は唯一で、全知、全能、遍在、永遠、不変です。聖にして義、公平で完全、愛と恵みに満ちておられます。 人間は、その神を見たいと切願し、自然崇拝し=動植物や摩訶不思議な物を伏し拝みます。また、英雄や武将、軍人や成功者を神に祭り上げ、手を合わせ拝みます。 あるいは宗教を造り上げた教祖を神や仏として、拝み崇拝します。そうしなければ祟りや罰が当たると、恐れびくびくしながら、宗教があると言いながら生き地獄です。 イエス・キリストは、人間がだれひとり見たことのない、見ることのできない神のことばであり、神のふところにおられるひとり子の神です。 ヨハネの福音書1:18 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。 クリスマスは、その見えない神が処女マリヤによって、この世界に生まれたことを記念し、喜び祝う日です。イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。 あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」(ヨハネ14:4-5) これが道だと教えているのが宗教ですが、その終局は滅びの地獄行きです。これが真理だと主張する多くの哲学や心理学者、迷いのまま地獄行きです。いのちとはこういうものだと説明する科学者たちは、遺伝子を操作し、クローンやサイボーグさえも作ろうとし、神を越えたと豪語し、地獄への道をまっしぐらです。 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。(ヨハネ3;16-17)3:16 "For God so loved the world that He gave His only begotten Son, that whoever believes in Him should not perish but have everlasting life. イエス・キリストは十字架に死に、3日目の朝復活し、今も生きておられる唯一の救い主です。アーメン信じますと、そのすばらしい救いを、心に迎えて平安と救いの恵みを受けてください。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/11/25
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どうして自分だけが、こんなつらいことや、苦しめに会うの???。私たちの周りには、自分も含めてつまづいたり、問題に直面したり、なぜ?どうして? 苦しんだり、悲しんだり、人知れず涙することの多い人生です。 でも不平や不満にであったことが、長い目で見れば、自分のためになっているのです。本当は、私が苦しみに会ったことは、実はラッキーだったのです。自分だけしか出来ない体験なら、特別にラッキーなのです。 私に与えられた特別の使命があると思います。 小著に天国から追い返された牧師があります。75年の生涯、何回も生かされる恵みを与えられ、生かされ続けています。 まず、この世に生まれてきたことが最初の恵みです。生んでくれた母=37歳で病で召される。中学2年生の時、太平洋岸のキャンプ場で満ち潮の岸辺を歩いていたら、大波にのまれ体が浮き上がりました。すぐ後ろにいた担任の東亮吉先生が、その太い腕でしっかり掴んで、太平洋の藻屑になるところを助けられました。 高砂市での聖会の帰りに、阪神高速道路上で擁壁に激突、エンジン停止で走行車線で自損事故。車は大破損でしたが、かすり傷も無く守られました。 新車で熊本から別府へと冬場に山並みハイウエイの峠で、行く道でのスリップでガードレールへ激突。ガードレールが無かったら阿蘇の谷底へ転落していました。 1999年11月、東京で講演会が終わりホテルで左脳内出血、赤羽の脳内外科へ1ヶ月余入院。2012年7月、堺市で運転中右脳内出血と大自損交通事故事故と入院。同年10月に小脳内梗塞で倒れ入院。 今年4月信号のない交差点を歩行横断中、車にはねられ現在加療中。 なぜ?どうして?と言わず、!!ありがとうございます。すべてのことに感謝しながらの恵まれた日々です。 コリント人への第二の手紙4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/11/25
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心はU字サイフォンみたいなものです。水を入れるといっぱいになり、空気を入れると水は出ます。心にイエス・キリストを迎え、真の満足、聖霊に心満たされる救いの恵みを16歳の時=1957(昭和32)年11月24日に経験しました。早いもので75歳になりました。洗礼を受けて59年、59歳のつもりで快調です。 種子島の西之表キリスト教会の礼拝で、アーメンとイエス様を信じ、近くの海岸で洗礼を受けてクリスチャン。今日はその日を感謝しながらです。 苦しみや試みの荒野も通りましたが、ついには、あなたを幸せにするためであったとある通り、どんなときにもありがとうございますと感謝し、幸せのど真ん中を生かされています。 2011年に家内が肺ガン末期余命一年を宣告され、神のなさることはみなその時にかなって美しい。余命一年を感謝します。ありがとうございますと、2014年5月17日に召されました。右脳内出血や小脳内梗塞になり4年、杖をついて歩いています。歯の治療流動食生活も終わり、何でも食べれるようになりました。現役で生駒聖書学院と教会に仕える恵みも与えられています。 申命記8:16-18 あなたの先祖たちの知らなかったマナを、荒野であなたに食べさせられた。それは、あなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたをしあわせにするためであった。-あなたの神、主を心に据えなさい。ありがとうございます。聖書の約束通り、今日もまた天国の一日でした。感謝します。
2016/11/24
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1957年=昭和32年11月24日の日曜日。 十字架の血にきよめぬれば 来よとのみ声をわれは聞きぬ 主よ我はいまぞゆく 十字架の血にてきよめたまえ アーメン ヨハネの福音書1:16 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。 JOH1:16 And of His fullness we have all received, and grace for grace. 礼拝後、教会前の種子島城の浜海岸で洗礼を受けクリスチャンになり、いまも現役牧師です。して今日も生駒聖書学院で講義です。 目覚めと共に歌って、元気です。59歳の誕生日、実年齢もそうあればと快調です。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。 恵みと愛とに救われ59年 十字架と復活素直に信じ バプテスマを受けクリスチャンに ありがとう感謝で天国の日々 聖霊そそがれ 異言を語り 主イエスを証しアフリカにまで 救いを語れば人々信じ ありがとう感謝で天国の日々 みことばとともに 導き確か 日々にいのちを新たにされて 活き活き生かされ恵みのいのち ありがとう感謝で天国現役の日々 アーメン
2016/11/24
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安全で安心で平安な人生です。 安全は生活する上で、心配がありません。体も健康に守られ、元気に安全に暮らしていける日本は安全な国です。平和憲法に守られて来ましたが、きな臭くなって、戦争の足音が聞こえています。原発も再稼働を次ぎ次ぎ決められ、地震や風水害も増え、不安も増大している時代です。 安心=お金もあるし、地位名誉もある。家族も守られ何もかも順調と、安心していても不満がある時代です。 平安=何事が起ころうと、揺るぐことのない霊魂の確信です。日とはいつか必ず死にます。 そのときに平安がないと、どんなに物質的に豊かでも、安全さと安全は、風の前のもみ殻のように吹き飛びます。 イエス・キリストの最後のことば=ヨハネの福音書14:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。 イエス・キリストの遺産である平安があります。 感謝にあふれて、信仰、希望、愛の道を真っ直ぐに、平安で幸せです。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/11/24
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箴言24章より神様を信じない連中をうらやんではいけません。仲間になろうとも思ってもいけません。 彼らは毎日毎日、人に乱暴し、だますことに明け暮れしています。 事業を始める時は、よく考えてきちんとした計画を立て、がっちり基礎を固めなさい。こうして事実をしっかり見極めながら進めば、成功間違いなしです。 家は知恵によって建てられ、英知によって固くされる。部屋は知識によって、すべての尊い、好ましい宝物で満たされる。 知恵のある人は力のある人よりも強く、知恵は力より優れています。 知恵のある人は力強い。知識のある人は力を増す。 逆境のとき苦しみに耐えられないような者は弱虫です。 蜂蜜が食欲をそそるように、知恵も利口になりたいという意欲を起こさせます。それがあれば、希望にあふれた将来が約束されます。あなたの望みは絶たれることがない。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/11/23
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みことば 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。 =主は敵の面前で、わたしのためにおいしいごちそうを備えてくださいます。大切な客としてもてなしてくださったのです。まるであふれんばかりの祝福です= 本日、23日午後3時~5時に、日韓交流晩餐会がシェラトン都ホテル大阪で開催されます。 文化・企業・政界など、重要な分野のリーダーの交流晩餐会 柏木哲夫博士=淀川キリスト教病院理事長の講演 韓国人テノール歌手ベー・チェチョル=100年に一人の奇跡の歌手 岡本依子=シドニーオリンピック、テコンド銅メダル取得のテコンド演舞 9月も都ホテルでパーティがあり、そのときは鹿児島市の牧師が見舞いに来たとの連絡で、終わるとすぐ生駒聖書学院まで引き返し、幸いな祈りの時でした。 今日のみことばは、愛の神様がパーティを整えてくださると言う箇所です。 わたしの敵=問題や悩み八方ふさがりのようなときでも、食事=美味しいごちそうを備え、頭に油=聖霊をそそいで、大切な客としてもてなし、幸せな楽しい喜びに招いてくれます。 映画などで見ると、海外の上流階級の家庭は、よくパーティの場面が多くあります。 パーティをすると、良いことがあるのです。パーティへ行くと、健康で若々しく、女性は綺麗になります。 愛は礼儀正しいとあるように、立ち居振る舞いが、よくなります。良くしないと招いた方に失礼になるだけでなく、招かれた客にも不快な思いを与えます。 礼儀正しくするとは、パーティへ行く前までケンカしていた夫婦でも、仲良く手を組んで出かけます。 周りの人たちも、その内情を知っていたといても、ニッコリほほえんで、お互いを尊重し合います。パーティでは笑顔が華なのです。 毎日の生活でも、今日のみ言葉のように、毎日のように、全能で愛の神に招かれているのです。 苦しくても、しんどくても、病でも、何があろうとありがとうございます。感謝してますと、神の愛に顔を向けましょう。祈りと信仰、希望、愛の心で幸せです。 天国のパーティへ招かれました。平安です。救われました。幸せです。喜びです。恵まれていますで、一日を過ごしましょう。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日
2016/11/23
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箴言23章あなたが支配者と食事の席に着くときは、あなたの前にある物に、よく注意するがよい。あなたが食欲の盛んな人であるなら、あなたののどに短刀を当てよ。そのごちそうをほしがってはならない。それはまやかす食物だから。 金持ちといっしょに食事をする時は、どんなにご馳走が並んでいても、ガツガツ食べてはいけません。もてなしておいてまんまと買収するのが相手の手だからです。そんなところへ招待されても何にもなりません。 富を得ようと苦労してはならない。自分の悟りによって、これをやめよ。あなたがこれに目を留めると、それはもうないではないか。富は必ず翼をつけて、わしのように天へ飛んで行く。 金持ちになろうとあくせくするのは時間の無駄です。そうやってもうけても、札束はすぐに羽が生えて飛んでいくからです。 貪欲な人の食物を食べるな。彼のごちそうを欲しがるな。彼は、心のうちでは勘定ずくだから。あなたに、「食え、飲め。」と言っても、その心はあなたとともにない。あなたは、食べた食物を吐き出し、あなたの快いことばをむだにする。彼らのご馳走は、食べると気分が悪くなり、結局は吐き出してしまいます。あなたは訓戒に意を用い、知識のことばに耳を傾けよ。耳の痛いことばも喜んで聞き、ためになることはどんどん取り入れなさい。わが子よ。もし、あなたの心に知恵があれば、私の心も喜び、あなたのくちびるが正しいことを語るなら、私の心はおどる。 将来は希望にあふれているのですから、悪人をうらやまず、いつも神様を恐れて生活しなさい。 知恵を身につけ、神様を信じる道をまっすぐに進みなさい。ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。
2016/11/22
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ある集まりで、神の子であることはどうして分かりますか。と聞きますと、自分がそう思うから。人間みな神の子だから。よい行いをするから。喜びがあるから・・・たくさん答えらしい答えが出てきました。 ほんとうの答えは、聖書に書いてあるからです。日本人であることは戸籍簿を見れば書いてあります。ヨハネの福音書1:12しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。 イエス・キリストをアーメンと信じれば、救われ神の子となります。聖書には、イエス・キリストを受け入れた人々、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権が与えられます。オギャと産声を上げれば、人間です。イエス・・キリストをアーメンと信じれば、神の子どもなのです。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/11/22
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聖書のみことば 私たちは、あなたがたのところにいたときにも、働きたくない者は食べるなと命じました。 ところが、あなたがたの中には、何も仕事をせず、おせっかいばかりして、締まりのない歩み方をしている人たちがあると聞いています。 こういう人たちには、主イエス・キリストによって、命じ、また勧めます。静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。 働けるのは大きな恵みです。働いていない人もいます。働けなかったり、親に養われていたり、一生かかっても使い切れないほどの財産を持っていたり、人様々です。 淡路島で訪ねた75歳の男性は、きょういくと、きょうようが大切だからと笑いながら、広大な農園をひとりで楽しく耕作しています。 きょういく=今日いくところがあり、きょうよう=今日も用事がある。75歳で高貴で光輝に満ちて、ラジオ放送も毎週楽しみに聴いてくれています。 来年は、花ざしきは菜の花が満開になり、ご自慢の水仙80種もきれいな頃、広大な農地でお会いします。お互いに現役で会える喜びです。 今日も恵まれ、快調なスタート。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/11/22
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初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。すべてのものはことばによって造られた。ことばは意思の表明です。神のことばで天地万物は造られました。聖霊はその創造の働きを完成しました。神は唯一です。 父なる神、子なる神、聖霊として啓示されています。三位一体の神です。有限の知能では理解不能であり、奥義だと聖書は告げています。この奥義は偉大です。確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。「キリストは肉において現われ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。(テモテの第一の手紙3:16人間として生まれ、人間として生活し、十字架に死に、墓に葬られ、3日目の朝復活されたイエス・キリストが。アーメンと信じるとき、信じる者の中に住んでくださる。まさしく、この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです(コロサイ1:27) 人は神の形に象って創造されました。その形は見える外形ではなく、遺志を持ちことばを使うことができる姿です。イエス・キリストを信じる時、神の子となり、神のことば=聖書のことばを母国語として使うことができます。みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 聖書の約束通り、信じます。救われました、神の子です。ありがとうございます。天国ことばで、嬉しい、楽しい、へいあんです。幸せです。愛します。ゆるします。感謝します。すべてのことがことばによって造られるので、聖書のことばを母国語として、天国の行くまでしっかりと天国のことばを使いたいものです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/11/21
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聖書のみことば 神の約束はことごとく、この方=イエス・キリストにおいて「しかり。」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン。」と言い、神に栄光を帰するのです。 今週24日で、種子島の西之表キリスト教会で、イエス・キリストの十字架の救いを聞き、アーメンと信じて、礼拝後の教会前の城の浜海岸で、洗礼を受けてクリスチャンに。 早い者59年、自分の年齢も59歳と思いながらの現役牧師です。 信仰の土台は聖書信仰です。特に今朝ののみことばが基本です。神の約束は=旧約聖書&新約聖書も含めて、ことごとくイエス・キリストにおいて、しかり=成就し実現しました。 具体的に一つ一つ書けば、万巻の書になるほどです。 幼子の心で、聖書のことばにアーメンで救われ、聖書の約束をアーメンと告白するだけで、すばらしい平安と幸せに守られます。 大阪国際会議場で、ラブ・ソナタ大阪大会が開かれます。3000人の大会衆が、アーメンとと声を限りに賛美します。 22日(火)青少年大会で、ゴスペルとすばらしいメッセージ。生駒聖書学院神学生も聖歌隊で歌います。入場無料=午後7時から9時。 23日(水)本大会で、韓国から芸能人やタレントも大勢参加です。午後7時から午後9時まで。 お問い合わせは、ラブ・ソナタ大阪事務局=072-964-5145へ。
2016/11/20
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箴言21章より どんな行いでも、もっともらしい理由をつければ正しく見えますが、神様はどんなつもりでそうしたかを問題にされます。われこそはと鼻にかけることも、やたらに物を欲しがることも、悪いことをすることも、みな罪です。しっかりした計画を立てれば確実にもうかり、あわてると損をします。 悪いことをしてもうけた金はすぐなくなります。だったらどうして危ない橋を渡るのです。 悪人はひとをだましてばかりばかりいますが、最後には自分で自分の首を絞めます。 行いを見ればその人がわかります。悪人は悪いことをし、正しい人は神様の教えを守るのです。 気むずかし屋の女と立派な家に住むより、屋根裏部屋の隅っこで暮らす方がましです。くちうるさく不平ばかりこぼす女といるより、砂漠にでも住むほうがましです。 悪人は人を傷つけるのが大好きで、親切にしようなどとは、これっぽちも考えません。貧しい人をたすけない者は、自分が困った時に助けてもらえません。 毎日遊び暮らしていると貧しくなります。酒や贅沢品に金がかかるからです。 知恵のある人は将来に備えて貯金をし、ばか者は考えもなしに金を使います。いらぬ口出しをしなければ、面倒に巻き込まれることもありません。われこそはと思っている者は自分を鼻にかけ、人をばかにします。怠け者は働きもしないで、やたらにものを欲しがり、人をうらやむことしか知りません。しかし神様を恐れる人は、喜んで人に与えます。ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します
2016/11/20
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聖書のみことば わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。 いい人であろうとすると疲れてしますう。無理をせず、力を抜いて、やっていけば大丈夫。 人は誰でも、他の人の一部分しか理解できない。自分に見えた部分、人から聞いたことで、すべてだと思います。 自分のことも分からない部分があります。 しかし、全部を知り、見ておられる愛の神は、わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。最高の愛、存在すべてを丸ごと、尊い存在と受け止めてくれます。 赤ちゃんのむつきがが汚れたら、愛するママが取り替えてくれるよりもすばやく、御子いえすの血潮できよめ、わたしの語ったことばですでにきよくなっていると、十字架の救いと復活の力により、永遠にともにおられます。 イエス・キリストの救いは素晴らしい。その愛に今日も生かされ幸いです。 午前10時より、奈良市富雄キリスト教会=近鉄富雄駅=0742-44-3254=ヨーシサイコウヨで礼拝説教です。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/11/20
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箴言20章より ブドウ酒は、あざける者。強い酒は、騒ぐ者。これに迷わされる者は、みな知恵がない。 酒を飲むと気が大きくなり、酔っ払って喧嘩になります。 争いを避けるのは名誉なことです。喧嘩好きなのはバカ者だけです。 怠け者は冬には耕さない。それゆえ、刈入れ時に求めても何もない。 冬のうちに耕しておかないと、刈入れ時になっても収穫はありません。 人が心の中で考えていることを、知恵ある人はうまく引き出します。 人はだれでも、自分を頼りになる友だと言いますが、ほんとうにそう思っているのでしょうか。 多くの人は自分の親切を吹聴する。しかし、だれが忠実な人を見つけえよう。 子どもにとっていちばんの遺産は、正直に生きることを教わることです。 幼子でさえ、なにかするとき、その行いが純粋なのかどうか、正しいのかどうかをあきらかにする。 小さなこどもでも、行いが正しいかどうかを見れば性格が分かります。 眠りを愛してはいけない。さもないと貧しくなる。目を開け。そうすればパンに飽き足りる。 人は、値切るときには、「こんなものどこがいいんだい」とケチをつけても、買ってしまうと「すごい掘り出し物だぜ」と自慢します。 金や宝石をもっているよりも、物事をよくわきまえている方が、もっとすばらしいことです。 見ず知らずの人に金を貸すと、それっきりになる恐れがあります。 人をだまして喜んでいる人がいます。しかし、だまし取った金で買ったケーキは、口に中でじゃりに変わります。おしゃべりものにうっかり秘密をもらすと、世界中に宣伝されます。 親を呪う者は死ななければなりません。 思わぬ大金が転がり込むと、かえって不幸になることがあります。 悪いことをされても仕返ししてはなりません。神様がか片を付けてくださいます。神様はごまかしや嘘がだいきらいです。神様がついているのだから、余計な心配はせずに、何もかも任せなさい。 正しく思いやりのある王=指導者が治める国は、何があってもびくともしません。 若い人のいいところは若さにあふれていること、老人のすばらしい所は経験が豊かなことです。 若い男の光栄は彼らの力、年寄りの飾りはそのしらが。ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。
2016/11/19
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聖書のみことば 人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。 だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。 あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。 あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。 してあげたでは、感謝されないし、自分の前でラッパを吹くと、それだけで自分=自己満足の報いを受けます。 させていただいたなら、感謝が生まれます。 あんなにしてあげたのに。あんなに助けてあげたのに。あんなに尽くしたのに・・・。 日常生活の場でも、ありがとうの一言もないし、感謝もされない、ほめられもしない。よくあること。見返りを期待していると、いつまでたっても不満だけが生まれます。不満がくすぶります 最も親しい夫婦間、親子間でも、不満がくすぶり続けます。してあげたのではなく、させていただいたのです。 日本語はあいうえお、あい=愛、うえ=上。愛が上=最上で始まります。最初に覚えるのが、 あいうえ=愛上。最後は、わん=温=あたたかい心、恩=愛は温かい恩です。 愛する人は、右手伸していることを、左の手に知られないように、受けるよりも与える方が幸せを実行します。 そうすれば、神からの豊かな報いを受け取り、恵まれた毎日です。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/11/19
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箴言20章人をだまして金持ちになるより、貧しくても正直に生きるほうがしあわせです。 良く調べもせず突っ走るのは、失敗のもとです。 人は自分の不注意でチャンスをつぶしては、それを神様のせいにします。 金持ちにはみせかけの友だちがたくさんできますが、貧しい人にはだれも寄り付けません。 偽証すれば罰せられ、うそをつけば罰があたります。 気前のいい人は大勢に人に好かれ、だれとでも友だちになります。 貧しいと、友達ばかりか兄弟にまでそっぽを向かれます。どんなに呼んでも、去った人は戻りません。 知恵のある人は、自分のいちばん大切な仕事を愛して成功します。りこうな人は、侮辱されてもぐっとこらえて信用を得ます。 忠告はできるだけ聞いて、賢く生きなさい。 間違っていると思う教えを聞くのはやめなさい。 神様を恐れることは、幸せで安全な生活の鍵です。ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。
2016/11/18
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週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。見ると、石が墓からわきにころがしてあった。はいって見ると、主イエスのからだはなかった。そのため女たちが途方にくれていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た。恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。 人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。」 女たちはイエスのみことばを思い出した。そして、墓から戻って、十一弟子とそのほかの人たち全部に、一部始終を報告した。この女たちは、マグダラのマリヤとヨハンナとヤコブの母マリヤとであった。彼女たちといっしょにいたほかの女たちも、このことを使徒たちに話した。ところが使徒たちにはこの話はたわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった。たわごとではない。歴史的な事実であり、この復活が信じる者を救い、新しく変えられた平安で幸せな天国をもたらし、世界の歴史を変え続け、全宇宙の完成を、新天新地をもたらすのです。 今日も、十字架上に死に、3日目の朝に復活されたイエス・キリストとともに生きる恵みです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/11/18
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聖書のみことば 主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すように。 自分のことより、他の人の考えるとうまくいきます。自分の頑張りが一の力になれば、愛する人のためにならその倍の力が出ます。 愛する家族や愛する人が多くなればなるほど、もっともっと愛する力が出てきます。その力は、愛する人からもらう力です。 どんな業界でも、相手が喜ぶことをまず考えます。自分のことだけ考えていると不平不満が出ます。 周りの人が喜ぶことを考えると、受けるよりも与えることをすると幸せです。 イエス・キリストの愛は、今も全世界を包み込み、そのことばは自分で実行したので、そのことばにアーメンと言えば、救われ実行できます。 その愛はいつも聖霊によって注がれ、愛、喜び、平安、寛容、親切、誠実、柔和、自制の実を結び続けます。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/11/18
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そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。 十字架上の祈りです。赦しの愛の極みです。赦しは愛、愛は赦しです。一日に7度赦しなさい。いや7度を70倍するまで赦しなさいと教えただけでなく、自らのいのちを賭して、赦しの愛を実行されました。その赦しの愛に世界はつつまれています。憎しみと赦すものか、戦争でいやテロで吹き飛ばせ。憎悪が殺戮を産み続ける世界に、赦しの愛のことばが響きます。 泥かぶりは3つのことを実行。その根底にあるのは赦しの心、今日も自分を赦し、隣人を赦し、敵をも赦す愛を。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/11/17
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主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。3:23 それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。 生きているだけで恵まれている。生まれただけで恵まれている。たいていの場合、何か良いことがあれば、今日は恵まれている、良かった、感謝だと思う。でも本当は、四六時中恵まれているのです。何事が現実にあろうともです。英語で現実はthe presentで、もう一つの意味は文字通りプレゼント=贈り物です。 主の恵みはいつもあり、実は、自分にとって良いことも、良くないと思えることも、すべてが恵みなのです。起こったことはすべて、恵みなのです。 4月1日に交通事故で右足打撲、顎とほほを20針縫う大けが。昨日、整形外科診療で外科医が首をひねり、巻き尺で足を測るだけ、カルテにはほとんど減らずと記入。2017年1月25日再診予約を取ってくれた。 脳外科医は道を歩くなと言い、岡田歯科では杖なしで歩け、整形外科医は歩けるだけ歩いてもよいとと思う。 11月1日から14日まで、杖なしで歩いたが、15日から両手杖で歩いている。なんにしろ、すべては自分のためだからありがとうございます。感謝してます。恵まれて、恵まれて、午前中の講義です。 主の恵みは豊かに十分です。貴重な体験を多く与えられ、ありがたく感謝してます。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/11/17
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奈良時代のころ、ある村に貧しい一人の女の子がいました。お父さんはどこに行ったかわからない。お母さんは死んでしまって孤児みなしごです。 天涯孤独ですから、いつも汚い恰好をしているので、子どもだけでなく大人さえも皆がいじめます。唾をかけます。石を投げます。もちろん一緒に遊んでくれません。だけどこの子は非常に気性が激しく、石を投げられたら石を投げ返した。唾をかけられたら、かけ返しました。そして遊んでくれなければ一人丘に上がって夕陽を見て知らん顔でした。そんな子だからますますいじめられました。でも時おりその子自身も考えました。このままでは自分はどうなるんだろうかと。その村を一人の高齢の旅人通りかかり、その子のなりゆきをじっと見ているのです。「気性の激しい子だなあ。そして絶対に負けん子だなあ。よしわしが助けてやろう。」ということで、その子がいつものように丘の上で夕陽を見ながらたたずんで座っているのを後ろから肩を叩きました。 「どろかぶらよ、お前は本当はすばらしい子なんだ。だけども今のままではダメだよ。」といって、 三つのことを教えました。 一、自分の顔を恥じないこと一、どんな時にもニッコリ笑うこと一、人の身になって思うこと女の子はそんなことは無理だと思ったのですが、このままではどうにもならない。よしやってみようと思いました。そして最後までやるぞと決心したのです。ところが、ある時とんでもないことがおこり、極めつけみたいなことで濡れ衣を着せられます。 実は、このどろかぶらという女の子を嫌っていじめていた、村一番の美人で庄屋の娘こずえ」でした。ところがある時、「助けて」!とどろかぶらのところに走って来ました。その後ろからお父さんの庄屋が鞭を持って追いかけて来るのです。こずえは庄屋が命よりも大切にしていた茶器を割ってしまったのです。しかもこのこずえが、どろかぶらが割ったんだと言いながら、走って来たのです。 どろかぶらはその時に、それは私がやったのではないと言いませんでした。自分を一番いじめた子、この子の気持ち、人の身になって思うことと言われたことを実践し、黙ってこずえをかばいました。庄屋は当然、どろかぶらに先入観を持っていますから、こんな汚い奴とそのまま、どろかぶらを打ちたたきました。もう何度も何度も鞭で叩かれ体はぼろぼろになって、また丘の上の夕陽を見ながら泣いていうろ、後ろからそっとやってきた人がいます。それは自分をおとしめたこずえなのです。そして、自分が一番大事にしていた宝物である櫛を差し出しました。「助けてくれてありがとう。ほんとうに悪い事をしてごめんなさい。これは私の宝物だからあんたに貰ってほしい」と言いました。その時、生まれて初めてどろかぶらは報いられたことを知りました。そして「その櫛はいらないから、どうかその心だけでいいからこれから仲良くしてね。」と言いました。こずえはさらに感動して、どろかぶらの泥を払って櫛ですいてあげてかたわらの花を挿してあげました。それから毎日毎日、今までの評価がどんどんと逆転し変わってきした。なおさらこのどろかぶらは、旅人の三つの言葉をさらに実践し続けました。 喘息持ちの老人の家には山奥に入って薬草を取って持ってきたり、子供が泣いていたら慰めてやったり、あるいは子守りをしてやったり、人の嫌がることを次から次にやっていきます。だから村人にとってついにどろかぶらは村にいなくてはならない人になっていくのでした。ところが、人買いの次郎兵衛が村にやってくると、どろかぶらの仲良しの一人の娘を買っていこうとしました。売られて行こうとする親友は泣き叫び、それを見ていたどろかぶらは、ついに自分が身代わりになろうと決心しました。そして人買い次郎兵衛に「その子の代わりに私を連れて行ってくれ。」と言い、次郎兵衛はびっくりし、目をむいて言いました。「お前、何を言っている。遊びに行くのではないということが判っているのか。もういいかげんにしろ。さっさと向こうに行け。」と。はじめは取り合わないのですが、メソメソ泣いている女の子と健康ではちきれんばかりのどろかぶらを見て、どっちが高く売れるか考えました。「よし、じゃあ、こっちのほうがいいな」とどろかぶらを連れて行くことしました。ところが、どろかぶらは三つの言いつけを守っています。自分の顔に恥じない。自分の未来が必ず開かれるという信念を持っています。どんな時にもニッコリ笑っています。常に相手の身になって考えています。ですから、都へ上がる間、毎日毎日、何を見ても素晴らしい。何を食べても美味しい。どんな人に会っても常にその人を虜にしてしまう魅力がある笑顔を忘れない。ついに次郎兵衛はある時、置き手紙をしていなくなってしまいました。その手紙には、 「私はなんとひどい仕事をしておったか気が付いた。お前のお陰で、私の体の中にあった優しい心が目覚めた。ありがとう。天使のように美し子よ。どろかぶらよ、幸せになってくれよ。」と書いてありました。この話を読んで、いつもにっこり笑うこと。人の身になって思うこと。自分の顔を恥じないこと。これこそ美しくなる最高の化粧品だと思います。ほんとうの美しさは、きれいとは違うものだということに気づいたら、毎日は天国の日々に変わります。美しいという漢字は、羊の下の字もともとは女という字だったそうです。羊の下に立つ女、それが美しいと言う字です。 聖書では羊は、イエス・キリストのシンボルです。「見よ。世の罪を取り除く神の子羊!」ですからイエス・キリストの十字架の救いを信じて、心がきれいになるときほんとうの美しさが輝くのです。クリスチャンの女性たちの美しさは、イエス・キリストの十字架の下に立つ、へりくだった美しさでもあるのだと思います。 三つの化粧品は、お金がいらない!使っても減らないし、使えば使うほど、質が良くなる!どこへでも持って行ける!すばらしいものです。ありがとうございます。今日もまた美しく輝く天国の一日です!感謝してます。
2016/11/16
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前向きな心でいる時、「笑顔の時、感謝の気持ちを持つとき、脳内に怪官物が分泌されます。神のみ心にかなう良い祈りは、祈っているとき、必ず満足感と幸せをもたらします。良い祈りとは、単純にポジティブな祈りです。もちろん苦しいから、辛いから祈り求めるのですが、起きて=意識して前向きに、解決が与えられ、祈りは答えられた、ありがとうございます。感謝しますという心です。と言っても、ポジティブではあっても攻撃的な祈りは、根底に恐れや怒り、何としても勝ちたい、根底にライバルを蹴落としてもという、自分だけが一番位なりたいと言う攻撃性の祈りは、不可です。もちろん、クリスチャンは相手も成功し、お互いに祝福される最善を求めているから、すばらしい前向きなポジティブな祈りをします、勝負事や競争に勝つこと=受験、裁判、事業、国際関係等でも、大きな心で相手の幸福を祈れば、それは良い祈りで、自らの平安と幸せになります。それはなかなかの難事ですが、牧師の単純なアドバイスを受け止め、祝福をの体験が多くあります。よい祈りを祈り続けると、良い方向に変わります。祈りを止める誘惑に陥らないで、前向きに祈り続ける朝です。 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。ヨハネの第一の手紙5章15節ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/11/16
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イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」昨日と変わって青空が広がり、太陽が輝いています。快調に元気に新しい日がスタートです。イエス・キリストは。世の光です。光そのものだから,夜の闇はありません。キリストの従う人生は,決してやみの中をあゆまず、いのちの光が輝く人生です。世の光=希望の光です。トンネルに出口があるように、希望を持つと解決があります。アウシュビッツ収容所で、わずかの食事と重動労、ガス室送りの苦難の中でも,生き抜いた人々が支えになったのは希望でした。ここを出て愛する家族に会いたい,恋人に会いたい。必ずここを出られる日が来る。信仰と希望を失わない人は、どんなつらい極限状態でも、ギリギリのところで生き延びようとしました。この希望は失望に終わることがありません。希望は恥をもたらしません。どんなときにも、世の光なるキリストに従う人生に葉、希望があります。今日も何事があれ、上を見上げて胸を張って,ハレルヤと叫んでみよう。思いがけない展開が始まります。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/11/16
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しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」シモンはイエスに言った。「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」しかし、イエスは言われた。「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」 愛は赦しです。赦しは愛です。有名なペテロのキリスト否認の箇所です。自分こそ一番弟子、何事があろうと、覚悟ができていると大見得を切ったペテロ。そのことばを語った数時間後には、強い言葉で、キリストなどとは全く関係ないと言い切り、鶏がコケッコーと鳴きました。裁判の場に引き連れられるキリストは、振り向いてペテロを見つめます。ペテロはキリストのことばを思い出し、その優しい赦しの眼差しに触れ、外に出て激しく泣きました。この箇所を読むたび、讃美歌 ああ、主のひとみ まなざしよ。を口ずさみます。ああ主 1 ああ主のひとみ まなざしよ、 きよきみまえを 去りゆきし 富める若人 見つめつつ、 なげくはたれぞ、主ならずや。 2 ああ主のひとみ まなざしよ、 三たびわが主を いなみたる よわきペトロを かえりみて、 ゆるすはたれぞ、主ならずや。 3 ああ主のひとみ まなざしよ、 うたがいまどう トマスにも、 み傷しめして 「信ぜよ」と、 招くはたれぞ、主ならずや。 4 きのうもきょうも かわりなく、 血しおしたたる み手をのべ、 「友よかえれ」と まねきつつ 待てるはたれぞ、主ならずや。 アーメン ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。 ジャンル:ウェブログ
2016/11/15
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あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。 人間関係が心を乱すことも多い現代です。人とケンカ別れしたとしても、出会えて良かったといえる日が必ずきます。 そのためには、自分に関するかぎり、すべての人と平和を保つことです。ねたんだり憎んだり,恨んだりのろったりしないことです。 どなときにも平和の心、笑顔とほほえみを絶やさないことです。 たとえ一回だけしか出会えない人でも,何かを与えてくれます。 何回も会う人、会いたくないと思う人は、もっと多くを与えられます。思い、ことば、態度,行動、たとえ笑顔や親切な言葉はなくても。傷つけられたとしても、それをプレゼントと考えれば、そのことが大きな祝福と成長になります。 そして、その人の幸せを祈れば、その人に出会えたことが、大きな成長のきかけになったことに気づき、かんしゃできます。 ヨハネの福音書14:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/11/15
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人のことばは本音にも建前や、結果的に裏切りになることもあります。最初からダマス目的の詐欺もあり、占い師や手相や八卦見のように、学校で習ったことを真実のように話す金儲け目的の詐術もあります。罰がある祟りや呪いが取りつくことを言う精神的暴力団のような宗教さえあります。 特に終末の近い現代、気をつけるほどに気をつけたいものです。天地が滅んでも、決して変わらないイエス・キリストのことば=聖霊の啓示と霊感の聖書=は決して滅びることがありません。 永遠に変わらない土台の上に、地上の生涯を終え天国召されるまでの日々があり、召されて天国へ行っても信仰、希望、愛の喜び。恵まれ愛される幸い。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。そのことばの前後をお読みください。ルカの福音書21:25-36 そして、日と月と星には、前兆が現われ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。そのとき、人々は、人の子=イエス・っキリストが力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。」それからイエスは、人々にたとえを話された。「いちじくの木や、すべての木を見なさい。木の芽が出ると、それを見て夏の近いことがわかります。そのように、これらのことが起こるのを見たら、神の国は近いと知りなさい。まことに、あなたがたに告げます。すべてのことが起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。その日は、全地の表に住むすべての人に臨むからです。しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」
2016/11/14
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聖書のみことば しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。 律法の下にいない生活は、自由です。・・・すべきでは息苦しい。・・・するほうが楽しい奈良。もっと自由で幸せになれます。 救われるために、こうすべき。幸せになるために、こうするべきでは。いつも不満足。 勉強すべき。仕事をすべき。こうあるべき。そういうことばに取り囲まれ、自分でもいつもそう思い、周りからも叱咤激励されても、どうにもならない。 すべきなのにできてないと、自分を責め、他人を責め、傷つき傷つけてしまっています。 勉強するほうがいい、仕事をする方がいい。こうあったほうがいいと、そう言う気持ちで、ことばも口にし始めると、のびのび自由に出来るし、楽しい毎日です。 すべきではないから、自由になると楽しい市、生きがいもあふれてきます。 主イエス・キリストの十字架の救いを、アーメンと信じるだけで、救われ続ける幸せな人生です。 朝から雨で曇り日の生駒の一日です。雨の中を5000歩余の歩行です。 明日は大阪市西区の岡田歯科医院へ。足首回しと杖なし歩行15日で、どれだけ筋肉が鍛えられたかを、医者の目で診断してもらえます。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/11/14
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聖書のみことば しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。 律法の下にいない生活は、自由です。・・・すべきでは息苦しい。・・・するほうが楽しい奈良。もっと自由で幸せになれます。 救われるために、こうすべき。幸せになるために、こうするべきでは。いつも不満足。 勉強すべき。仕事をすべき。こうあるべき。そういうことばに取り囲まれ、自分でもいつもそう思い、周りからも叱咤激励されても、どうにもならない。 すべきなのにできてないと、自分を責め、他人を責め、傷つき傷つけてしまっています。 勉強するほうがいい、仕事をする方がいい。こうあったほうがいいと、そう言う気持ちで、ことばも口にし始めると、のびのび自由に出来るし、楽しい毎日です。 すべきではないから、自由になると楽しい市、生きがいもあふれてきます。 主イエス・キリストの十字架の救いを、アーメンと信じるだけで、救われ続ける幸せな人生です。 朝から雨で曇り日の生駒の一日です。雨の中を5000歩余の歩行です。 明日は大阪市西区の岡田歯科医院へ。足首回しと杖なし歩行15日で、どれだけ筋肉が鍛えられたかを、医者の目で診断してもらえます。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/11/13
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聖書のみことば 愛は、礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。 愛は礼儀に反することをせず、愛は礼儀正しいのです。 自分が落ち込んだり、ストレスになっていると思ったら、礼儀正しくしてみてください。 入院して治療を受けていても、礼儀正しくするだけで直る確率が高くなります。 愛はありがとうと素直にいえます。感謝していると、ニコニコ笑顔になり、礼儀正しくするだけで、 幸せに取り囲まれます。愛は上機嫌、その周りには良い顔で豊かです。 愛に生きる幸せな礼拝の日です。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/11/13
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聖書のみことば あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。 どんなにいい人でも、まじめに誠実に生きていても、クリスチャンや牧師でも、思わぬ試練が与えられます。 それは、その人が悪いのでも、神様が悪いのではありません。 ましてや、悪魔だ、悪霊だ。因縁因果だ。たたりだ。信仰がないからだと、騒ぎ回る必要はありません。 そう主張する人から離れる方が幸いです。 ヤコブの手紙1:12-17 試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。 だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。 愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。 すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。 それは、試練は良い贈りものです。試練に会ったら、さらに大きな恵みと祝福を受け、神の栄光が輝くためです。 苦しみに耐えると、艱難は喜びに、希望へと転じ、神の恵みと愛に囲まれ、豊かな神の子として成長します。 何事があれ、神の真実と愛は変わらず、望みの忍耐で、試練とともに解決の道が備えられます。 昨年、淡路島の花座敷出会った男性は、出会った週から、ABCラジオ放送信仰の時間=希望の声を聞き続けてくれました。 今日は、淡路島へ行きお会いする予定です。1941年10月生まれの同年のご主人です。花と農地に囲まれ、100歳まで元気で活きると笑っています。蔵書も3000冊あり、今日の出会いが楽しみです。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/11/12
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聖書のみことば 主は遠くから、私に現われた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。 神の愛は、広く大きいだけでなく、豊かな愛です。イエス・キリストの十字架により、すべての罪を許し、神の子としてくださり、永遠のいのちを与える豊かな愛です。 人間の愛には限りがあります。裏切られたり、辱められたりすると、怒りや憎しみが燃えることもあります。 しかし、神の愛は信じない者にも、両手を広げて救いを与える、豊かな愛です。ルカの福音書15章に、 放蕩息子の話があります。 ある人に息子がふたりあった。弟が父に、『おとうさん。私に財産の分け前を下さい。』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。 何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。 それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。立って、父のところに行って、こう言おう。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。 息子は言った。『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。 豊かな神の愛は、今もアーメンと信じる人を救い、新しい人生に入れてくれます。 ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝します。
2016/11/09
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知恵は宝石よりもずっと値打ちがあります。どんな物も比べ物にならないほどです。知恵のある人は正しい判断ができます。知恵がその人に、色々なことを教えるからです。神様をばかにせず大切にする人は、悪いことがきらいです。そうです。知恵のある人は、自分を台無しに鼻にかけて偉ぶったり、汚職や詐欺を働いたりすることが大きらいなのです。国の指導者は私がいなければ正しく治めることはできない。私は、私を愛する人をあいするから、熱心に捜せば必ず私を見つける。そして富と名誉、正しいことを行う力を手に入れるのだ。それが私の贈り物、純金や混じり気のない銀よりもすばらしい。私はだれをも正しく扱い、えこひいきはしない。だから、私を愛し、私の言うことを守る人はみな、あらゆる面で裕福になれる。 聖書は高貴な人生を教え、高貴な人は、高貴なことを考え、高貴なことを行います。そのように高貴に年齢を重ねて、香気に香る人生を歩みたいものです。ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。
2016/11/08
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聖書のみことば神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 旧約聖書と新約聖書、新約聖書では1800ページ。二段組みなの6000ページもある 大きな書物です。 それをギュと縮めると、ヨハネ3の16になります。それをまた縮めると、神は愛です。 聖書は愛の神からの人類へのラブレターです。 大きな愛です。神の愛は全世界を包み込みます。全人類のひとり一人を、全世界よりも尊いものとして愛されています。 神の愛からもれる人はいないのです。太陽の光が届かない部屋に住んでいても御、神の愛と救いの光は届きます。 イエス・キリストの十字架の救いをアーメンと信じるだけで、永遠のいのちが与えられます。 大きな神の愛に生かされる平安、幸せで喜びです。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/11/08
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恵みと愛とで 夕日はかくれ賛美と祈りで 主と共におり すべての恵みに 感謝あふれて いのちは生かされ 元気に活きる すべては恵みで 十字架信じ救われ神の子 恵みは豊か笑顔は輝き 喜びあふれ平安満たされ 幸せ感謝 主イエスは復活 今なお生きて すべてを赦して 病消し去り恵みで健康 ありがとう感謝 主イエスは共なり 今日も天国アーメン
2016/11/07
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大阪教育大学を卒業して、教会奉仕をしていた教会員が、つくば大学教授と見合いし、まだクリスチャンではないけれども、大阪まで会いに来るが、富雄キリスト教会の礼拝に渋々出席した。救いの招きにも知らん顔をし、最後の挨拶の時、新約聖書をプレゼントした。帰りの新幹線車中、カバンの新約聖書を読み続けた。強いインパクトでイエス・キリストを信じる決心をし、洗礼を受け富雄キリスト教会で結婚式。現在もつくば大学で教授をしている。 だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。聖書のことばが、大学教授の胸を打ち、幼子の心で素直にイエス・キリストを信じバプテスマを受けました。 彼女は上は、大学時代明け方まで本を読んでいた時、ABCラジオから流れる放送を聞いて、奈良市富雄キリスト教会の礼拝で救われました。 読んでいた三浦綾子の書物に、十字架と復活を伝えるキリスト教会は、間違いなく真実のキリスト教会ですとあるところを読んだ直後、富雄キリスト教会のABCの放送が流れたのです。 神様の愛の導きは素晴らしいです。アーメンと言えば救われる、真に誠の救いを今日も伝える喜びです。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/11/07
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