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1916年、お祈りとご支援の励まし、ありがとうございます。 交通事故になったり、歯科医で口調の治療など。杖なしでの歩行を11月から初めています。 イザヤ書14::24 万軍の主は誓って仰せられた。「必ず、わたしの考えたとおりに事は成り、わたしの計ったとおりに成就する。 今年も天地万物の創造者、全知、全能、遍在、永遠、不変、唯一の真の神の愛に平安に守られ続け感謝です。神のなさることは、みなその時にかなって美しい。 天地宇宙の創造者である神は、その独り子イエス・キリストを世界に贈り、十字架と復活により、すべての罪や病、呪や貧乏を解決し、死の力を持つ悪魔を滅ぼし、死の恐れから解放し、アーメンと信じる者を恵みにより神の子としてくださいます。 大きな愛のご計画の中に、信頼して憩う平安と幸いの今年。 多くの祈りと支援委支えられ、恵みと愛に守られ、元気で一人暮らしの正月も3年目を迎えます。 ありがとうございます。今年もまた大晦日です。感謝してます。 2017年も恵みと愛で輝く、希望の新年を心より祈ります。
2016/12/31
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ヨハネの福音書15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。 聖歌 450 何故(なにゆえ)御(み)神は※変ホ長調→ニ長調に移調①何故(なにゆえ) 御(み)神は 斯(か)かる身をも 神の子と為(せ)しか 知るを得ねど (くり返し) 我が 寄り頼む主は 委(ゆだ)ねたる 身と霊(たま)を 守り得(え)給うと 確信するなり②何故 御言葉 信ぜし時に 安きを得たるか 知るを得ねど (くり返し) ③何故 主イェスを 救い主と 信じ救われしか 知るを得ねど (くり返し) ④我が世の終わりに 如何(いか)なること 待てるかは つゆも知るを得ねど (くり返し) ⑤救い主イェスを 何(いず)れの日に 見奉(たてまつ)るかは 知るを得ねど (くり返し)ありがとうございます。大晦日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/12/31
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聖書の約束 詩篇118:23-24 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。 これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。 2016年12月31日を迎え、目覚める恵みにありがとうございます。心から感謝の大晦日です。 これは主のなさったことだ。わたしの目には不思議なことである。 いつも書いているが、57歳までは一度も頭痛も腹痛も、病院も経験したことがなく、快調に生かされている日々でした。 東京帰宅での聖会を毎月行い、祝され続けていました。 1999年11月にホテルで左脳内出血で倒れ、赤羽の脳内外科病棟で1ヶ余入院。1年後お礼に病棟を訪れる。婦長さんが、本当は死んでいた人です。奇跡だったんですよ。と励ましてくれました。 その後、学院長として多くの神学生を送り出し続けています。 2012年7月に、堺市で運転中に右脳内出血になり、自動車は大破する大交通事故。馬場記念病院に運ばれ、ペガサスリハビリ病院とで1ヶ月治療とリハビリ。 退院して小冊子を書き、写真があればと生駒から堺市に電車で行く。事故現場を移し、馬場記念病院へも。1万6千歩も歩き、結果10月に小脳内出血で倒れ再入院。 今年4月1日、信号のない交差点を歩行横断中、車に跳ねられ右足打撲、左顎と頬を20針脳外科の主治医が、奇跡だ、奇跡だと驚きながら診察してくれる。 その体験を小冊子50頁にまとめ、天国から追い返された牧師として出版。全部なくなり、今年再版、読んでいただければ贈呈できます。elimyoshi@kcn.jp これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。 目覚めとともに、恵みに生かされて奇跡の日々を現役で、喜び楽しんでいる366日でした。 明日は、元旦の日曜日。新年礼拝からスタートする、恵みと愛で輝く2017年です。 ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝します。
2016/12/31
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暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、私は北の果てにある会合の山にすわろう。私は密雲の頂に上り、私いと高き方のようになろう。』しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。'I will ascend into heaven ,I will exalt my throne above the stars of God; I will also sit on the mount of the congregation On the farthest sides of the north; I will ascend above the heights of the clouds ,I will be like the Most High.'聖書では悪魔の存在は自明のことです。イザヤ書14章とエゼキエル28章は、悪魔の始まりを示唆しています。天使のルシファーが、自ら神に変わろうと,私は=I will と宣言し、天から落とされ、エデンの園でアダムとエバを罪に誘い、人類に罪=SINが入り、人は生まれながら罪人です。英語のSINは、その真ん中にI=私があります。罪とは自我中心、自己義を立てることで、ルシファーの神に変わろうという高慢の種です。高慢は滅びに先立ちます。謙遜は栄誉に先立ちます。イエス・キリストが処女から生まれたのは、人間の持つ罪の遺伝子を持たない、神の子の誕生でした。 人類の始祖アダムの罪が、全人類を罪に定めたように、イエス・キリストの十字架上での罪の解決が、全人類に罪からの解放を与えました。罪の結果、死が人間を支配し、地獄行きに定められましたが、イエス・キリストの十字架の死と復活で、死の力を持つ悪魔は滅ぼされました。イエス・キリストをアーメンと信じるだけで、死の不安から解放され永遠のいのちを与えられ、天国行きの保証となるのです。 悪魔に支配されているように思える世界ですが、悪魔はすでに十字架によって滅ぼされ、その欺瞞によって、欺かれているだけの世界です。アーメンと信ずる者は、その足の下に悪魔を踏みつけ、平安と勝利に輝き、神の栄光のために生きることができるのです。イエス・キリストは、天においても地においてもいっさいの権威を持つ主であり、救い主です。悪魔の欺瞞にダマされないで、聖書をシッカリと読み、聖霊に満たされ世の終わりまで共におられる、復活のキリストの勝利を受けて、新しい年が恐れない希望に輝くよう備えましょう。あらいがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。
2016/12/30
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いつくしみふかき 友なるイエスは われらのよわきを しりて あわれむ なやみ かなしみに しずめるときも いのりに こたえて なぐさめたまわん いつくしみふかき 友なるイエスは かわらぬ あいもて みちびきたもう よの とも われらを すてさるときも いのりに こたえて いたわりたまわん いつくしみ深き友なるイエスは、16歳で初めて歌った歌です。 その日以来59年、歌い続けています。 イエス・キリストは天地万物の創造者、三位一体の神です。神は愛です。そのアガぺの無条件の愛は、十字架に上に現されました。その大きな愛が、友としての愛でいつもともにおられる恵みです。 友の愛は50:50の愛、神が対等の愛を約束し、愛深い友として、いつもともにおられる幸い。 今日も、友なるイエスをアーメンと信じる幸せをかみしめる年末です。 その体験を=歌えない、踊れない、無口の牧師物語20頁= マンガ牧師紹介があります。プレゼントです。 elimyosi@kcn.jp ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/12/30
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聖書の約束 マルコの福音書9:23 するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」 生駒聖書学院のモットーは、不可能は挑戦となるです。創立者のレオナード・W・クーとの生涯を貫いた信仰告白です。 毎朝、この聖書の約束を神学生全員で読み、可能性への挑戦は可能となると告白しています。 限界と言うから限界ができるので、不可能ということばを使わず可能性と告白します。すぐできないといってしまうことばの癖を止めて、みことばにアーメンと言う信仰を持てるように。 歯の治療を受けてから2年半、しゃべりが厳しくなり、早く自由に話せるようになりたいとぼやくと、そう言っているから話しにくいんだと、話せているのに感謝したらと娘に指摘されたり。 杖を付いて歩くのもそうでした。脳梗塞だから杖なしでは危険だと宣告され、3年間しっかり杖で歩き守られ幸い。 10月に歯科医に、杖なしで歩きなさい。筋肉をしかり鍛えると、歯も良くなり話しもスムーズにできる。歩いて帰りなさいと言われ、阿波座新町から四つ橋駅まで、杖を持って歩き、11月から杖なしで歩き続けています。 杖を使うときは両手ステッキです。 限界は自分で勝手につくり、そう言うことで自分を納得させ。人に言う時はどうしても胃分けになります。ほんとうであっても、できない理由ばかり探すのは、今日=晦日で終わりにしよう。 デキナイ、しかたがない、無理だ、不可能だの考えとことばにサヨウナラ。 できるにコンニチワ。イエス様のことばに、アーメンありがとうと、信じる自分も何でもできると考え、告白し、態度でも示して生きていこう。 自分だけの力ではなく、約束してくださったイエス・キリストのことばを信じて、新しい年へ備えよう。私は、私を強くしてくださるキリスト=聖霊によってどんどん良くなる。 ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝します。
2016/12/30
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それゆえ、わたしは天を震わせる。万軍の主の憤りによって、その燃える怒りの日に、大地はその基から揺れ動く。 追い立てられたかもしかのように、集める者のいない羊の群れのようになって、彼らはおのおの自分の民に向かい、おのおの自分の国に逃げ去る。見つけられた者はみな、刺され、連れて行かれた者はみな、剣に倒れる。彼らの幼子たちは目の前で八裂にされ、彼らの家は略奪され、彼らの妻は犯される。小雨そぼ降る生駒の朝です。イザヤ書から聖書のことばを書いています。39章までの前半には、厳しい裁きのことばがたくさんあります。それは聖書全体にもあり、読み始めると厳しい裁きの宣言に驚き、全部を読み終える人は少ないようです。 聖書の中心は愛です。いつまでも存続する者は信仰、希望、愛であり、その中で一番すぐれているものは愛、愛は決して絶えることはありません。 人は自分のことは棚上げして、神が愛ならどうしてこの世に不幸があり、憎しみ合いや戦争があるのか、あらゆる主義主張でいがみ合い、やがて世界は滅亡に向かいます。 今朝の箇所に、追い立てられたかもしかのように、滅びへの道を疾走する姿が描かれています。アフリカに生息するスプリングボブは、ガゼルの仲間です。サファリに良く行き見かけ、普段は少数で集まって仲良く暮らす可愛い動物です。ある季節になると集まり始め、数千、数万匹を越える巨大な群れになり、食糧を求めて徐々に移動します。何日もしないうちに、スプリングの疾走が始まります。スプリングボブは砂ぼこりを巻き上げながら、集団が一塊になって走りに走ります。目の前に海が現れたにもかかわらず、止まることなくそのまま疾走し海におぼれて死んでしまいます。毎年、そのようにして数万匹のスプリングボグが死に絶えます。スプリングボブは水を嫌う生き物です。ではなぜ、数万匹にも及ぶ集団が移動する時、前方を行くスクリングボブが草=食糧を食べ尽くしてしまいます。後方の群れは餌がなく飢えて、それで後方の群れは餌を求めて前へ前へと、そして目の前に大嫌いな水が見えても疾走を止めることはできず、飛び込んで死んでしまいます。ゆっくり穏やかに仲良く食べていれば、サバンナの草原はどこまでも広がり、平和で、楽しく豊かな日々を楽しむことができます。生存競争の悲しさです。 地球は今同じような状況です。今持っているもので満足できないで、文明を向上を国威発揚を追い求めています。昨晩のテレビ番組で、オリンピックは国威発揚のために、景気向上アベノミクスのために絶対必要だ、いや不要だと結論のない論議がなされていました。東京でのオリンピック景気で建設ラッシュ、被災地での復興が遅れる、オリンピックのためという大義名分があるので、当然のことです。大手ゼネコン1社か2社でも、わが社は震災復興地のために、集中して貢献すると名乗り上げるて欲しい。福島も熊本も忘れられてはいけない。日本がバブルの夢よ再びで、スプリングボブのように、原子力発電発開、平和憲法改変、再軍備、武器輸出、核武装までその先に見えている。カジノ法案まで通過させ、日本を賭博場にと考えている。危機の時代に向かっている。日本の救いを願い祈る年末です。神の愛が世界を滅ぼすのではなく、人間の欲望、我欲が滅亡に向かって突進している。日本が、その先頭を走らないようにと祈ります。ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。
2016/12/29
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ヨハネの福音書15:7-8 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。 今日は朝早くに済まそうと思って、梅田オアシスへ出かけた。何と回転11時で散歩で時間をつぶし、開店と同時に入り、大きい字の旧新約聖書を買う。ポイントカードは持参しなかったが、パソコンで検索して5000円分。プレゼント用に使えて安い買い物になった。 そのまま帰宅し、生駒駅前でチョコレートのプレゼントも購入。タクシーで帰宅の日。 淡路島に蔵書3000冊もある、ラジオ放送聴取者があり、来春は別荘で聴取者の集いが持てるかも知れない。 1941年10月生まれの同年齢で、5000坪の農地で無農薬農業もしている。 3月には、歯の治療の完了し、話しも十分できるようになっているので、祈りながら期待している。 今日も、マンガや天国から追い返された牧師を名刺代わりに渡し、福音の広がりを祈る一日。 祈りは幸せを祈り、イエス・キリストを信じる祈りが、波紋が広がるように世界に広がるよう期待します。 一年の計は元旦に!儀礼的に習慣的な初参りなど止めて、天地万物の創造主、登り来る初日をも創造された全能の神を礼拝する2017年。 そして、毎日祈り感謝しながらの人生。多くの実を結び、神の栄光輝く365日です。 1月1日(日)午前11時より、生駒聖書学院教会の新年礼拝。牧師が祝福を祈ります。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/12/29
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聖書の約束 コロサイ人への手紙3:17 あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。 すべてのことに感謝しなさい。聖書の教えです。 ところが人間関係は、相手が嫌いな人や、苦手な人だったら、なかなかすぐに感謝できない。成熟した人でも、好き嫌い、得意苦手の感情コントロールは難しいと言われています。 しかし、苦手な人や嫌いな人にこそ感謝すると、不思議に大きな幸いの波がやってきます。 どんなことがあったとしても、そのことさえ良好な人間関係を構築する土台として考える。雨降って地固まるです。 一度こじれたような関係をほぐす一朝一石とは行かないかもしれません。けれども心の中で許し、ありがとうという気持ちになることです。 相手の健康と幸せを祈り、感謝します。相手がいないところで名前がでたら、ありがとうと言う気持ちで微笑みます。 実際に口に出して感謝します。ありがとうといってみることです。そう言い続けることで、感情が満たされます。 御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。 なぜ感謝するのか。 感謝することでマイナスにフォーカスしないで、心を汚さないからです。実際に感謝することがなくても。相手がいることを感謝することです。 鳥が飛ぶように、人は感謝するようになっている。 怒濤の海を渡り鳥のように、混沌の人生を生きていく。 渡り鳥は本能的に暗黒を突破すれば、光明の大地に着くことを知っている。 信じる人も知っている、一寸先は闇ではなく光だと知っている。 人間関係の複雑な闇も、すべてのことに感謝して、輝く人生を生きる。 2016年間のすべての出会いにありがとう。すべての人間関係に心から感謝して、きれいなこころで新年を迎える年末です。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/12/29
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見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。 あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む。その日、あなたがたは言う。「主に感謝せよ。その御名を呼び求めよ。そのみわざを、国々の民の中に知らせよ。御名があがめられていることを語り告げよ。主をほめ歌え。主はすばらしいことをされた。これを、全世界に知らせよ。 年間52回の日曜日があり、礼拝を毎週守るのは、カーテンをキチッと閉めるのと同じです。25日のクリスマス日曜日も、感謝の礼拝でピシッと閉めることができ感謝です。 来年は1月1日が日曜日です。深淵そうそうの幸いな礼拝です。 生駒聖書学院教会は大阪エリムと合同で、午前11時です。どうぞお出かけください。牧師の祝福の祈ります。 生駒聖書学院神学生たちも、燃えるような熱心さで各地で福音を伝え、1月10日より講義も始まりま始まりました。 2017年度、ぜひ生駒聖書学院で学び、聖書と聖霊に満たされ。主をほめ歌いつつ、十字架と復活の福音を全世界に伝える器になってください。通信課神学生も募集中。 願書願書送付は、erimyoshi@kcn.jp ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/12/28
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ヨハネの福音書14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。3:8 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。 聖霊の派動に導かれ、教えられ、思い起こさせていただく幸せ。ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝します。
2016/12/28
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聖書の約束イザヤ書43:18 先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。過ぎ去った時に対して、思い出すな。考えるなと、聖書は宣言しています。過去を生きるとは、過去に経験したことがトラウマになって、辛かった、苦しかったと、現在の自分を悲劇の主人王にしています。もう一つは、過去に良い思い出がいっぱいあり、現在は辛い経験に出会い、過去の栄光を引きずっていたり、昔を懐かしがっている場合。どちらも現実を逃避し、現在を否定してマイナス思考にとらえられています。起こることには、マイナスとプラスがあります。どちらかだけを考えたり、思い出したりすれば、ただそれだけになります。そのことをニュートラル=マッサラ=真っ新にして、新しく生まれ変わるのは、イエス・キリストの十字架と復活を、アーメンと信じる信仰です。生まれ変わるとすべてが新しくなり、日々が新鮮になり、朝ごとに新しい恵みです。もうすぐ新年です。カレンダーや決心を新しくなるように、自分が新しくなると、すべてが現在=プレゼントとして輝きます。聖書は約束しています。イザヤ書43:19 見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。今までは荒野や荒れ地のような過去でも、新しいことが起こります。大きな期待と信、ありがとうございますと過ごし、感謝に輝く年末の日を感謝してます。ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝してます。
2016/12/28
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イザヤ書11:5-9 正義はその腰の帯となり、真実はその胴の帯となる。11:6 狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草を食べ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。クリスマスはその瞬間を垣間見せる平和のとき。いと高きところに栄光が、地の上に平和があるように。天使たちの歌声が聞こえるような年末の日々です。イエス・キリストの十字架と復活をアーメンと新いるだけで、人間世界だけでなく、動植物や全宇宙空間にまで、平和があふれる約束です。 主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすから、そう願い祈りながら福音を伝えている生涯です。ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。
2016/12/27
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ヨハネの福音書14:21-24 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。イスカリオテでないユダがイエスに言った。「主よ。あなたは、私たちにはご自分を現わそうとしながら、世には現わそうとなさらないのは、どういうわけですか。」イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。」 神は愛です。 神が愛なら、その愛を見せてくれと言われることもあります。 神の愛はいつもあります。大自然は神の愛のしるしです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。 自然の不思議さは、神の愛の恵みです。闇を破って昇る太陽に、元旦は多くの人が新しい年に幸多かれと手を合わせます。その太陽の創造者を礼拝するように、2016年の元旦から生き方を変えてください。 神の愛は、イエス・キリストの十字架に現されています。 3:15 それは、信じる者がみな、永遠のいのちを持ち、天国へ行くためです。神は、実に、そのひとり子イエス・キリストを十字架に身代わりにするほどに、この世を愛されました。それは、その救いをアーメンと信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためです。 神の愛は、聖書のことばに告白されています。聖書は、神の人類への愛の手紙。25年間、洗礼を受けないで、自分の信仰こそ第一級だと思い込んでいた学者がいました。論議を挑まれましたが、イエス様を信じることにかけては人後に落ちないと胸を張ります。イエス様を愛しますか?というと、さらに胸を張ります。そこで静かに聖書を開き、 。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」を示しました。イエス・キリストの最後のことば、信じてバプテスマを受ける者は、救われます。と宣言されました。 理由は様々るでしょうが、屁理屈を言わずに素直に、聖書のことばにアーメンと信じる時、愛が豊かに注がれます。愛の言葉にアーメン信じます。愛しますと告白し、愛するイエス様の復活を喜び祝う礼拝です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。2017年元旦が日曜日礼拝=午前11時より生駒聖書学院チャペル。年頭に聖餐式をし、一年の祝福を個人的に、また家族ごとに牧師が祈ります。富雄キリスト教会は、午前10時です。大阪エリムは生駒聖書学院教会と合同で午前11時。大阪エリムは1月8日(日)午後2時よりスタート。
2016/12/27
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聖書の約束ローマ人への手紙9:6 しかし、神のみことばが無効になったわけではありません。 聖書は、書き始められ完成するまで1500年。旧約聖書39巻、新約聖書27巻。日本語の新改訳聖書では、旧訳1568ページ。新約503ページ。しかも上下二段組で印刷されているので、膨大な書物です。 一日3章読めば、創世記より黙示録まで1年間で通読できます。10章読めば年2回通読可能です。 1日60章読めば1ヶ月で読了できます。...しかも、旧約、新約の約は、約束=契約です。だから聖書は契約書なのです。契約書に実印を押したりサインするのと同じなのが、アーメンということばです。 16歳の時、種子島の西之表キリスト教会で、イエス・キリストの十字架と復活の救いをアーメンと信じました。その日以来、すばらしい救いの人生を歩み続けています。普通の契約は死ねば終わりです。しかし、救いの契約は永遠に続き、肉体が死んでも霊魂は永遠の天国です。アーメンは天国行きの予約です。 生きていて力のある神のことば、聖書の約束が無効になることはなく、そのことばのとおりに実現します。これから朝の祈りの時間と礼拝です。ヨハネの黙示録12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝します。
2016/12/27
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ヨハネの福音書14:13-14 またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。アーメンの意味はほんとうです。漢字で書けば真に,誠です。誠は言が成ると書きます。本音での願いをアーメンと言います。しかし、それ以上に間違いのない、イエス・キリストの約束にアーメンというのです。あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。その約束通りに、イエス・キリストのお名前によってお祈りします。本音で、本気で願ったので、信頼してアーメン。必ず聞かれ答えられます。マルコの福音書11:24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。 永遠に変わらない主イエス・キリストのお名前でアーメン。ありがとうございます。願いが聞かれました。答えを感謝します。ハレルヤと、すでに受けた確信で行動する、幸せ人生です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/12/26
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聖書の約束 コリント人への第二の手紙9:15 ことばに表わせないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。 午前と午後、二つのクリスマス礼拝とパーティを終えて帰宅。 玄関のドアに大麦青葉のケースが入っている。桜島名産の小みかんが二箱。大きなクリスマスの袋を開けると、暖かそうなセーターとパンツ。包みを開けると上等な靴下2足。金沢からの大きなふの味噌汁。 クリスマスは、神の愛のプレゼント=イエス・キリストがこの世界に来られた記念の日、最高のプレゼントを16歳の時にアーメンと信じ、幸せ続きの人生で、2016年最後の週。 現在=puresentが大きなプレゼント=贈り物です。 辛い過去や出来事を、つらく悲しい出来事と思ってしまえば、その過去が追いかけてきて、逃げれば逃げるほどとらえられます。 反対に、自分を成長させてくれるもの、ありがとうございますと向き直れば、すべてので出来事が感謝になり、感謝、感謝、ハレルヤと賛美しながら輝く人生になります。 過去は過去、しかし過去も自分の人生です。だれでもイエス・キリストにあるなら、その人は新しく造られた人になります。太陽に向かうと影踏みができないように、義の太陽である神に向き合うと、十字架と復活の輝きで、全く新しい人生になります。 悔い改めるとは方向転換であり、今までの自分中心の生き方から、真の神に向きを変えることです。そして、太陽の真下に立つ時、影がもとも少ないように、世の光であるキリストとともに生きることです。 そのときに過去に縛られることなく、全く新しい人生を、感謝しつつ生きることができます。 クリスマスを終え、1月1日は日曜日の礼拝でスタートしましょう。希望に輝く新しい年です。 今日、現在をプレゼントとしてしっかり受け止め、平安と喜びで満たされて過ごしましょう。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/12/26
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ヨハネの福音書4:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。イエス・キリストの誕生を祝いますが、その生まれは家畜小屋の中です。その最後は、十字架の上でした。 人が死ぬと何らかの形見を残します。イエス・キリストは、見える形の遺産は残しませんでした。あなたがたにわたしの平安を与えます。信仰の最大の遺産を残し、アーメンと言えば、だれでもいつでもどこででも受け継ぐことができます。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/12/25
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クリスマスおめでとうございます。 聖書の約束 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 クリスマスは、すべての恐れが消える日、救い主が世界に生まれた記念の日です。 イエス・キリストの十字架の救いをアーメンと受け入れると救われます。 高校生までクリスマスも何も知らない人生でした。16歳の時、種子島でイエス・キリストをアーメンと信じ、西之表キリスト教会前の城の浜海岸の遠浅で洗礼を受けました。イエス・キリストの約束= 信じてバプテスマを受けると救われます。今年で59回目のクリスマス礼拝です。 クリスマスは、喜びの日です。昨日も幼稚園児と少学1年生の男の子を訪ね、クリスマスの小さなプレゼントを届けました。 パパがすごく喜んでくれ、来春からタイへ、家族は夏に行くことが決まったと、立ち話。 クリスマスは、愛の日= 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネ3:16 お与えになった=贈り物です。 プレゼントは愛から出たとき、一番嬉しく、ありがとうと受けるとき、贈ったほうも豊かに幸せです。 クリスマスは、天と地、宇宙全体に愛が広がるときです。 ルカの福音書2:10 -16御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」 御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」 そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。 きょうと言う日に、世界中に平和が満ちるように。平和憲法を持つ日本が守られ、最も平和憲法を愛する象徴天皇陛下が、人間になりたいとの希求を国民が分かるように、平和のクリスマスの実現を祈ります。 クリスマスは勝利の日です。 今年の日本は、金の一文字と書かれ、それが金メダルの金か、お金の金かでにぎやかです。 イエス・キリストは誰で金メダルの人生を生きれるように、十字架に命を捨て、墓に葬られ3日目の朝に復活されました。 そのことをアーメンと受け入れるとき、どんな人生でも競い合うのではなく、すばらしいチャンピオンとして生きる人生に帰られます。 なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。 世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。ヨハネの第一の手紙5:4-5 すばらしいクリスマスです。 お近くのキリスト教会へお出かけください。 生駒聖書学院教会=午前10時 富雄キリスト教会=午前10時 大阪エリムキリスト教会=午後2時 ライブ礼拝=生駒聖書学院アクセス=午前10時よりいつでも。 クリスマスの救いを体験し、平安に守られる幸せを、あなたもきょうプレゼントとして受け取ってください。 りがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝してます。
2016/12/25
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イブはキャンドルサービス=燭火礼拝です。クリスマスの祝福が世界中にあれと祈ります。アーメン。イザヤ書9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。クリスマスイブです。クリスマスおめでとうございます。イエス・キリスト誕生は、聖書に預言され、その預言通りに救い主誕生の時がきました。 女の子孫=処女降誕。アブラハムのひとりの子孫、ユダ族の出身でダビデの家から。預言者、祭司、王として生まれ、同時に痛みを知り、罪を赦し病をいやす苦難の僕が、ベツレヘムで生まれると、誕生地までも500年前に預言され、ベツレヘムの家畜小屋で、天地万物の創造者が最も低い所で生まれました。その男の子は、不思議な助言者=Wonderful Counselor, 力ある神=Mighty God 永遠の父=Eternal Father, 平和の君=Prince of Peace. と呼ばれる。降誕700年前のイザヤの預言です。 全世界がクリスマスを祝うのは、イエス・キリスト誕生により、苦しみの有ったところに、闇がなくなり。やみの中を歩んでいた世界に、大いなる光が来て、死の陰の地に住んでい人類の上に、光が照り輝きました。もはや死を恐れることなく、十字架の救いをアーメンと信じて、永遠の天国を生きる輝きの日々を生きることができます。楽しい喜びのクリスマスです。 明日の夜、滋賀県草津市から来る男性は、5年前転んで頭を打ち大手術。転んだ原因を調べた結果、心臓バイパス手術で元気になり、、コシヒカリも作り続け、新米を持っての来訪予定。ラジオ放送を聞きイエス様を信じ、前回来た時、娘さんの結婚を祈り、初孫も二人生まれ、喜びに輝いての来訪、イブに洗礼を受けました。インマヌエル=神は共におられるイエス・キリスト。その広げた翼は、日本全国に世界中に広がるように祈るイブです。明日25日は日曜日のクリスマス。全国のキリスト教会でクリスマス礼拝です。是非お近くのキリスト教会へお出かけください。礼拝後は、ささやかな祝いもあるので、ご家族でお出でください。生駒聖書学院教会と富雄キリスト教会は、午前10時の礼拝と礼拝後祝い会です。大阪エリムキリスト教会は、午後2時からキャンドルサービスでの礼拝と、礼拝後ささやかな食事会を行います。ご来会を歓迎しmす。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。
2016/12/24
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聖書の約束 クリスマスの幸せ マタイの福音書1:23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。) クリスマス=クリス+マス=キリスト礼拝。 キリストを礼拝する人にとっては、毎日がクリスマスです。 クリスマスは何の日?と聞いたら、多くの子どもが嬉しそうに、プレゼントの日と答えます。 子どもには欲しいものや願っている物をもらえるから、喜びと楽しみの日です。若いママが、小屋には苦しみの日ですよ言っていますが、その顔は嬉しそうに輝いています。 もう40年前になりますが、女子中学生を同居させたことがあります。不登校で家に引きこもりでしたが、小屋に頼まれて出会い、イエス様をアーメンと信じました。 牧師の家からだったら学校に行くと言うので、高校受験の前だったので、三郷町から奈良市に転入。富雄中学に転校し、親代わりの保護者になりました。 中学2年生のクリスマスが近づくと、嬉しそうにそわそわしています。聞いてみると、サンタクロースが、自分が一番欲しいものを靴下に入れてくれる。教会に住んでいるから、絶対欲しいものを届けてくれるとのこと何が欲しいか聞いても教えてくれない。イブも近づき、 やっと対話の中で、レコードらしいことが分かった。そういえば音楽好きな子で、メロディを口ずさんでいる。 曲名を聞いても分からないと言い、メロディが好きだからというだけ。音楽は賛美歌以外は門外漢。 でも元気を出して大阪市内のレコード店まで探しに行き、7件目の親切な店員が、牧師のおかしいメロディと説明で、一枚のレコードを売ってくれた。 イブの夜、部屋の外に靴下が下げられ、朝、大きな喜びの声が聞こえた。わあ!ほんとに欲しかったレコードが届いたと飛んで出てきた。 A面がなの曲か今も分からない。でもB面を示して、これも欲しかったと輝く笑顔で言う。 B面にはクワイ河マーチ=戦場に架ける橋のテーマ曲。カンチャナブリのクワイ河へ何度も行ったが、なつかしい思い出のクリスマスプレゼントです。 今日はお昼に孫たちが、アメリカ留学中の19歳も帰国し、賑やかなクリスマスランチパーティです。 クリスマスの約束=インマヌエル=神は私たちとともにおられる現実を体験し、幸せを運ぶ人生を歩んで欲しいと祈る朝です。 人類への最愛のプレゼント、イエス・キリストの十字架の救いが届いたクリスマスです。 ヨハネの福音書3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 コリント人への第二の手紙9:15 ことばに表わせないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。 ローマ人への手紙11:29 神の賜物と召命とは変わることがありません。 ありがとうございます。クリスマスです。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/12/24
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クリスマスおめでとうございます。イザヤ書7:14 それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。イエス・キリスト誕生の700年前、処女降誕が預言され、その預言通りにユダヤのナザレの村里に住むマリヤに、身ごもって男の子を生むという御告げが、天使ガブリエルによってもたらされます。 現代とは異なり特にユダヤでは、結婚前に身ごもるとは死を意味しました。マリヤはこのことばにひどく戸惑い、これはいったいどんな挨拶かと考え込みます、すると天使ガブリエルは、「怖がらなくてもいいですマリヤ。神様があなたにすばらしいことをしてくださるのです。あなたはすぐに身ごもり、男の子を生みます。その子をイエスと名付けなさい。その子は神の子です。その国はいつまでも続く永遠の国です」 結婚していないし、男の人も知りませんのにと恐れ戸惑うマリヤに、「聖霊様があなたに下り、神様の力があなたをおおうからです。それゆえ生まれる子は聖なる方、神の子です。神の約束どおりに。神にとって不可能なことは何一つありません」マリヤは、「ほんとうに私は、主のはしためです。どうぞあなたのおことばどおりこの身になりますように」 明日はイブ、25日は全世界がイエス・キリストの誕生日を祝います。クリスマスのもう一人の主役が聖母マリヤです。マリヤを崇拝はしませんが、おことばどおりこの身になりますようにとのマリヤの素直さが、救世主イエス・キリストの誕生となりました。ことばが肉体となって生まれたのです。真の神が人間となられた、神を見た者はひとりもなく、また肉眼で神を見ることもできないが、わたしは道です。真理です。いのちですと宣言されたイエス・キリストによって、神は肉体を取られたのです。マリヤがおことば通りこの身になりますようにと、素直に神の約束のことばを受け取ったように、イエス・キリストの十字架の救いをアーメン信じますと、受け取り、救われて神の子となり、永遠のいのちを体験する最高のクリスマスを迎えましょう。主によって語られたことは必ず実現すると信じ切った人は、何と愛され幸せなことでしょう。ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。
2016/12/23
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イザヤ書6:5 そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」6:6 すると、私のもとに、セラフィムのひとりが飛んで来たが、その手には、祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭があった。6:7 彼は、私の口に触れて言った。「見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。」 預言者イザヤの召命の章です。聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主の前で、「ああ、私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた民の間に住んでいる」と言う以外にない、イザヤの姿を思います。しかし、イザヤの口に天からの火が触れ「見よ。これがあなたの口に触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた」そしてイザヤは、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言っておられる主の声を聞きます。彼は「ここに、私がおります。私を遣わしてください」と召しに応え、それから60年にわたって、希望の預言者として声を上げ続けます。 何という前向きな姿でしょう。人々が聞いても聞かなくても、神のことばを宣言し続け、その生涯の終わりはのこぎりで引かれ(へブル11:37)たとのこと。 17歳のとき、生駒聖書学院を紹介され、牧師へと招かれました。それこそ絶対的に不可能でした。何しろ口が重く、ハイかイイエは言えてもほとんど物を言わない、歌も歌ったこともなく、運動も一切しない少年時代でした。イエス・キリストの救いをアーメンと信じてクリスチャンになったあとも、体験を語ることもなく、クリスチャンかと聞かれるとハイと答えるだけ。 生駒聖書学院神学生時代も3年間説教も証さえもしないくらい無口でした。卒業式の決意表明をやっと終えるような状態でした。しかし、何であろうと神に選ばれ召されたことは事実で、人が何と思い言おうとも、ここに私がおります。私をお遣わしくださいの思いはあります。 開拓伝道を開始し、ABCラジオ放送牧師を40年以上、テレフォンメッセージは43年も毎日続けています。 十字架の血汐に罪は贖われ、不義も咎も取り去られ、聖霊の火が口にも触れ、救いを語ればアーメン信じますという出会いに感激の日々です。どのように話そうかと心配するには及びません。話すべき時には、話すべきことを教えられ、聖霊に満たされて語ることができると、イエス様が保証してくださいます。いつも心からの願いと祈りは、アーメンと言えば救われると、日本全国の町々村々島々に至るまで、十字架の救いがあふれることです。すばらしいクリスマスシーズン。世界中に、イエス・キリストの救いが輝いています。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/12/22
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ヨハネの福音書13:1 さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。 極みまで=最後まで徹底的に愛し通された極みまでの愛です。神の愛の本質は、その宣言は、あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している(イザヤ書43:4)その愛の極みが、イエス・キリストの十字架上に、豊かに現されました。クリスマスはその愛が現実なり、神がその独り子をお与えになった時なのです。そして、十字架に犠牲となる前の夜、その愛を徹底的に示されました。弟子たちの足を洗い、それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。と模範を示しました。その十字架の愛に、日々愛され、足を洗っていただきながら=御子イエスの血で、すべての罪からきよめられ、赦されながらの日々です。 13:34-35あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。 新約=新しい契約とはのことです。あなたがたは互いに愛し合いなさい。アーメン。ありがとうございます。今日もまた互いに愛し合う天国の一日です。感謝します。ハレルヤ。
2016/12/22
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聖書の約束 ペテロの第一の手紙5:10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。 クリスチャンになって59回目のクリスマスです。それまでクリスマスには縁がなく、初めて西之表キリスト教会で、クリスマス礼拝とお祝い会でした。 今年は、交通事故8ヶ月で、まだ打撲診療中。歯の基礎治療が終わり、1月10日から岡田歯科通院。 Present=現在をあるがままにプレゼント=贈り物として受け取り、ありがとうございます。 電子のプラス極の反対には、必ずマイナス極があります。電気はプラス、マイナス両方あるから流れます。 人生も同じです。+-あるのが当たり前? イエス・キリストは、悲しみの人で病を知っていました。人生の悲喜こもごもを経験したので、だれをも救うことができます。 クリスマスに馬小屋に生まれ、33歳の時十字架上に死にました。墓に葬られ3日目の朝に復活し、イエス・キリストは昨日もきょうも同じ救い主。アーメンと信じれば救われ、信じてバプテスマを受けクリスチャンに。天国に行くまで、平安で幸せな生活です。 あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く経たせ、強くし、不動の者としてくださいます。 何事があれ、豊かな平安に守られ、快調に暮らしています。お祈りの支援感謝してます。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。ハレルヤ。
2016/12/22
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イザヤ書6:3 互いに呼びかわして言っていた。「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。」 全世界のキリスト教会で日曜日礼拝があり、讃美歌66番が良く歌われます。 聖なる、聖なる、聖なるかな三つにいまして 一つなる神の御名(みな)をば 朝まだ来(き)起き出(い)でてこそ ほめまつれ聖なる、聖なる、聖なるかな神の御前(みまえ)に 聖徒らも冠を捨てて 臥(ふ)し拝み御使(みつか)い達も 御名をほむ聖なる、聖なる、聖なるかな罪ある目には 見えねども御慈(みいつく)しみの 満ち足れる神の栄えぞ 類(たぐい)なき聖なる、聖なる、聖なるかな御手(みて)の業(わざ)なる 者みなは三つにいまして 一つなる神の大御名 ほめまつらん アーメン聖なる、聖なる、聖なるかなとの厳粛な雰囲気に、雪よりも白くと願った心が、自分の努力や頑張りではなく、イエス・キリストの十字架の贖いで実現し、アーメンと信じてクリスチャンになりました。 クリスチャンになって59年目のクリスマスを迎え、聖なる心と考え、ことばも行いも、聖霊により栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられて行きます。ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します
2016/12/21
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ヨハネの福音書12:27-33 今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください。』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。 父よ。御名の栄光を現わしてください。」そのとき、天から声が聞こえた。「わたしは栄光をすでに現わしたし、またもう一度栄光を現わそう。」そばに立っていてそれを聞いた群衆は、雷が鳴ったのだと言った。ほかの人々は、「御使いがあの方に話したのだ。」と言った。イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためにではなくて、あなたがたのためにです。今がこの世のさばきです。今、この世を支配する者は追い出されるのです。わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」イエスは自分がどのような死に方で死ぬかを示して、このことを言われたのである。クリスマスの喜びが、世界中に輝くとき、イエス・キリストがなぜ生まれたのか、それは十字架上に死ぬためです。その生涯に3度、天からの声がありました。 最初は、ヨルダン川での洗礼の時=マタイの福音書3:16-17 こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」 二度目=マタイの福音書17:5 彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」という声がした。 三度目が、一粒の麦が地に落ちて死ねが、豊かな実を結びますと語られた直後です。 十字架で死ぬ目的がハッキリと啓示されました。今がこの世の裁きの時です。この世を支配する者は追い出されるのです。この世は、この世の君=悪魔・サタンに支配されて来ました。エデンの園でアダムを誘惑し堕罪させ、罪の支払う報酬は死であるように、人間であれば必ず死にます。100歳以上が6万人になっても、人は死にます。罪の報酬である裁きを受け、結果としての地獄行きです。イエス・キリストの十字架の死によって、この世の支配者である悪魔は滅ぼされ。この世の裁きは終わりました。その十字架の救いをアーメンと信じることで、地獄への道は封鎖され。永遠の天国へ行くことができるのです。へブル人への手紙2:141-15 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。クリスマスの喜びは、十字架によって、悪魔と言う死の力を持つ者が滅ぼされてしまったのです。イエス・キリストをアーメンと信じる時、一生涯死の恐怖につながれて、奴隷になっていた人々は解放されるのです。例え、そこが臨終の床であっても、アーメンお祈りで死の恐怖は消え去り、永遠の天国への旅立ちです。ではなぜ今もなお死を恐れ、悪魔におびえ問題があれば悪霊の仕業と恐れるのでしょうか。それは十字架の救いを完全にアーメンと信じないからです。悪魔の策略=最大のウソ=悪魔が滅ぼされたのに、この世の様々な不条理や危機などあることを現実に見ることで、惑わされているのです。それを売り物にしているキリスト教会もあるから困ったものです。悪魔や悪霊ばかり強調する、キリスト教会に近づかない方が賢明です。マタイの福音書23:15 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。改宗者をひとりつくるのに、海と陸とを飛び回り、改宗者ができると、その人を自分より倍も悪いゲヘナの子にするからです。コリント人への第二の手紙4:1-6 こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々のばあいに、おおいが掛かっているのです。そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。 「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。 生駒聖書学院はペンテコステの牧師養成の神学校です。最も地味で健全な聖書信仰と、聖霊のお働きを信じ、実践的な学びができます。これからの時代の先陣を切って、神の栄光に生きる健全な牧師、伝道師を送り出します。 2017年度に献身を願っていれば、ぜひ生駒聖書学院へ。快適な単身男女寮一人部屋、日当たりのよい2LDK家族寮、通学生、聴講生も入学できます。通信神学科も併設=入学金5万円、年間10円で、テキスト、資料、DVD等送料含み廉価です。学齢、年齢、経歴不問で推薦状で入学許可です。2017年1月10日より授業開始。体験入学や見学も歓迎です。ぜひ生駒聖書学入学院願書申し込みをお待ちします。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。メール=elimyoshi@kcn.jp
2016/12/21
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互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。 自分の重荷だけでも背負い切れいないのに、どうして人の重荷までと思うかも知れません。しかし、人は独りだけでは生きていけません。 まず第一に、すべての重荷を十字架に引き受けて、平安を与えてくださるイエス・キリストの救いを体験できます。 第二に、自分で負う重荷もあります。最近はリュック姿を多く見かけます。若い女性もブランド物のバッグより、リュック姿が多く見受けます。 脳梗塞になってから、ショルダーバックをいつも下げています、リュックにしたらと言われるけれども、いつでもマンガや小冊子を手渡せるので便利です。前向きのバックがあるそうで、カバン屋で買おうと思っています。 第三に、互いの重荷を負い合うことです。ひとりで持てば大変でも、誰かに手伝ってもらうと、楽になることも多いのが人生です。 不思議ですが、自分のことより、他の人ことを考えるとうまくいくのが人生です。自分だけのために頑張れば一の力が出ます。 愛する人のために頑張るなら倍の力が出ます。家族のため、職場のため、交わりのために重荷を負い合うなら、幸せは限りなく広がります。 キリストの律法とは、愛によって働く信仰です。神を愛し、隣人を愛する十字架の愛のクリスマスです。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/12/21
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イザヤの活動は60年間、国内では繁栄と内乱、隣国の滅亡を目にし、自国が滅亡しないように、軍事同盟を止めて真の神に信頼し、将来のことについても滅亡と救世主出現を預言しました。今日の聖書の一言は厳しい叱責のことばです。 日本も今、イザヤの時代よりも厳しい状況になり、お金、お金、経済がすべてであるかのような時代。戦争志向に傾いているように思い、ゲームで育った世代が、殺人を遊びのように思っているのでは?今年は、戦争が終わって701年。殺し合いのなかった素晴らしい日本を、これからも愛と平和、自由の国として継続するように祈ります。イザヤ書5:7-24 まことに、主は公正を待ち望まれたのに、見よ、流血。正義を待ち望まれたのに、見よ、泣き叫び。家に家を連ね、畑に畑を寄せている者たち。あなたがたは余地も残さず、自分たちだけが国の中に住もうとしている。私の耳に、万軍の主は告げられた。「必ず、多くの家は荒れすたれ、大きな美しい家々も住む人がなくなる。ああ。うそを綱として咎を引き寄せ、車の手綱でするように、 罪を引き寄せている者たち。ああ。悪を善、善を悪と言っている者たち。彼らはやみを光、光をやみとし、苦みを甘み、甘みを苦みとしている。ああ。おのれを知恵ある者とみなし、おのれを、悟りがある者と見せかける者たち。ああ。酒を飲むことでの勇士、強い酒を混ぜ合わせることにかけての豪の者。彼らはわいろのために、悪者を正しいと宣言し、義人からその義を取り去っている。5:24 それゆえ、火の舌が刈り株を焼き尽くし、炎が枯れ草をなめ尽くすように、彼らの根は腐れ、その花も、ちりのように舞い上がる。彼らが万軍の主のみおしえをないがしろにし、聖なる方のみことばを侮ったからだ。イザヤ書の前半には、どうしようもないほど厳しい宣言が続きます。しかし、聴く耳もたずでした。2700年後の現代社会も同じです。平和憲法を堅く保つのみです。クリスマスのこの時期。本当の平和と愛に満ちた日本になるよう、祝福を祈り期待します。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/12/20
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ヨハネの福音書12:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。 死ねば豊かな実を結ぶ。麦の種を棚の上に飾っていても、決して芽を出し、豊かな実を結ぶことは無いように、人生も同じことです。イエス・キリストは、マタイの福音書16:25 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。と教えました。いのちを失う=一つは文字通り死ぬことです。アーメンと信じる時、永遠のいのちが与えられるので、死んでも天国です。そして、その死を通しても多くの人が救われます。2年7ヶ月前に召された妻は、余命一年を宣言され、病の身体で実家の出水市まで行き、ホテル結婚式チャペルで、姉弟家族30名がアーメンと信じ、病床で5名が洗礼。看護師3名と葬儀社員5名も受け入れる祈り。召天式の朝、78差異姉、70歳弟夫婦、65歳次弟、長男義母5人が洗礼を受け、クリスチャンとして召天式参列。もう一つは自我に死ぬことです。自我とは、肉の欲と情の塊です。本質的に自分の事だけの我です。その事をガラテヤ人への手紙は本質的解決を教えています。 自我の死=ガラテヤ書2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。 情と欲の死=5:24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉に従う生き方を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。どうにも抑制できない感情に死に、自制できる喜びと楽しみ人生です。この世=目の欲、肉の欲、所有物の誇り=6:14 しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。 昆布やカツオがいっぱいいても、海に昆布だしやかつおダシが出ないのは、昆布やカツオが生だからです。切られて干され、カラカラになると初めて味が出るようになります。今日、大分から届いたシイタケもそうです。 人生で干されるのはいやです。でもそういう経験で生きた人も大勢います。辛いままで人生を終わらせる必要はありません。干されカラカラになると味が出てきます。後期になれば、高貴、光輝、香気、幸喜、好機。良い味わいの人生を体験するだけでなく、そこにいるだけで味が出る、幸せを提供できるようにな留人生でありたいものです。不平不満や、怒りや憤慨を蒔き散らさず。平安と感謝、信仰。希望、愛の香気が香る、クリスマスと年末を年齢、性別に関係なく過ごし、すばらしい輝く年末を、多くの実を結び続けたいものです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/12/20
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聖書の約束コロサイ人への手紙3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。 朝の目覚めから寝るまで、ありがとう。感謝します。出会った人、経験したこと、思いがけないこと、あたたかい日差し。 一番感謝し忘れやすいのが自分へのありがとうです。寝る前にはすべてのことに感謝します。特に、自分にも感謝すると、安眠で熟睡。恵みの朝もスッキリ起き、ありがとう。すばらしい朝のスタートです。 具体的には=杖なしで歩けた足。料理したり片付け足り、FBを書いたり動いてくれた手にも。しっかり噛んで食べれた歯と口、消化器官、こなしてくれた胃や腸などの内臓器官。 理解し判断し、的確に処理してくれた脳にも神経にも、自分の身体全体に感謝し、思考、言語、立ち居振る舞いが速やかに出来たことにも。数限りない感謝に輝く毎日です。 今日は、大阪市西区阿波座新町の岡田歯科医院へ。タクシーで生駒駅へ。近鉄で日本橋駅でなんばシティを歩き、四つ橋線で本町まで。本町駅から歯科医院までゆっくり歩き。 帰路は生駒駅近鉄デパートで少し買い物をしてタクシーで帰宅。 キリストの平和に心を支配され、平安で穏やかな時間です。クリスマスのこのとき、平和憲法遵守の日本であるよう願いつつ、国際社会の平和と守りを祈りつつ。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/12/20
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イザヤ書3:10 義人は幸いだと言え。彼らは、その行ないの実を食べる。 昨日は久しぶりに歩いて学院の外へ。道で会い挨拶し、近くの喫茶店でまた会い、小冊子を渡すとコーヒーを飲みながら読み、声をかけると義治と言う名前。冊子を指さし義之です。一時間近く、14歳で父親を失い、母親と兄弟のために苦労の山を越え、まだ現役の社長で300坪の敷地に豪華な邸宅を持ち、整骨鍼灸院のビルのオーナー。 義治という名前に恥じないで働いてきたと話してくれた。十字架の救いを話すが、罪を赦すための十字架が分からず、自分は義人だと言う論点から一歩も出てくれない。義を持って治めてきた人生、誰にも迷惑をかけていない。恐らく日本人共通の自己認識だと思う。別れの握手し幸せを祈るとアーメンと応じてくれた。アーメンと言う素直さに祝福を。 16歳の時クリスチャンになるまで同じでした。之=己の義によって栄える人生を生きると自負していた。キリスト教会に行き、あなたは罪人ですと言われた時はショックだった。教会に来るなと言われたと思い行かなくなった。己の義で生きると決めた。ところが1957年11月24日に初めて日本人牧師の説教を聞いた。 神が愛であるのに、人間が悩み苦しみ果ては死んで地獄へ行くのは、罪があり神の義から遠く離れているからだ。罪とは外面的に法律を破れば法で裁かれる。うそや偽りなどの内面の道徳罪。そんな罪は何故あるのか、それは電源から離れていたら電気が点かないように、創造者であり唯一の真の愛の神から離れている原罪があるからだ。その罪を解決するために、イエス・キリストは処女マリヤから生まれた罪のないお方。十字架に罪のない神が身代わりに死なれ、3日目に復活して、アーメンと信じるだけで罪を赦し義としてくださる。すべてが分かったわけでもないが、十字架の血にてきよめたまえ。主よ我は行くと讃美歌を歌いながら、アーメン信じますと決心し、その日にバプテスマを受けてクリスチャンになり、もう57回目のクリスマスを迎えます。 義=羊+我です。羊とは世の罪を取り除く神の小羊イエス・キリスト。我がその下に立てば義となります。羊の下に立たないと我=ガです。自分が正しいといつも主張している人は、己の義をのみ頼りにするから、我=ガ、我=ガと言います。 十字架の下にいつも立つ義人として、幸いな人生を、その十字架と復活を信じる幸い、その行いの実を食べる祝福です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/12/19
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ヨハネの福音書11:40 イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」 人生=LIFEには、もし=IFがはさまっています。もしあのとき、もしあの人が、もしあの家でうまれたら、もしあの学校に合格していたら、もしあの会社だったら、もしあの人と結婚していたら・・・・。もしもしカメよ、カメさんよの詩のように、人生にはもしが埋もれています。しかし、いくら悔やんでも、振り返っても過去は過ぎ去り、人生にはこれから先があるだけです。 過去=past未来=future現在=present過ぎ去った過去を悔やみ、未来に不安を抱くと、現在が悩みと苦しみに支配されます。IFをifと小さくして、本気でLとEに包み込み、信じる人生に変えるなら、すごいことが起こります。心が過ぎ去った過去に捕えられ、いじいじクヨクヨではストレスやトラウマに支配され、現在を楽しめません。またまだ来ない明日を心配してもどうにもなりません。 英語では現在はプレゼントです。子どもたちにとっていや大人でも、プレゼントがあるからです。だれも贈ってくれないとヒガまないで、自分い自分ででもクリスマスケーキを贈りましょう。トイザラスに孫とクリスマスプレゼント買いに行き、24日までしっかり置いています。クリスマスは、最大のプレゼントの日です。神の愛が贈られました。ヨハネの福音書3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネの第一の手紙4:910 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。その愛を受ける時、過去はあるがままで輝き、未来は永遠の天国が輝きはじめます。 過ぎ去った時をクヨクヨ振り返らず、先に向かって心配することなく、もし信ずれば神の栄光を見ることができmす。もしそうなればいいなあ!もしできればいいなあ!とガタガタ言わずに、アーメン信じます。決断してプレゼントをしっかり受け取り、平安を喜びを今、心にしっかり受け止めてください。 最高の愛のクリスマスをあなたも。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/12/19
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マタイの福音書7:12 それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。 損して得取れ=一時的には損になっても、それをもとに大きな利益を得ようと考えるべきだ。と言う考えです。 聖書の約束は、黄金律=ゴールデンルールです。たとえば、エレベーターを降りる時、進んで開ボタンを押し、他の人が出るのを待つ、良識ある人なら、もうごく自然にやっていると思います。周囲の反応は、会釈もありがとうのなく、当然のように出て行く。つまり、誰にも感謝されな胃ことが、毎日の生活にはいっぱいあります。 年齢を重ねるほどに、人に道を譲れるようになれば素晴らしい。一歩引いて人に道を譲れる姿勢こそ、心の美しさだと考えても良い。 聖書は、受けるよりも与える方が幸いですと、教えています。そんなのは理想に過ぎないと言ってしませばそれまで。人間が理想も夢も失ったら何もない。 金、金、金、国をとますために、カジノ法案を作ってしまった国会に品位も理想もない。エコノミックアニマルと世界に言われた日本。今度は国際間の評価がカジノ国家=憲法を守らず戦争国家と思われないように、日本の平和憲法を世界に与える国になるよう祈ります。 ルナの福音書 6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。
2016/12/19
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イザヤ書2:22 鼻で息をする人間をたよりにするな。そんな者に、何の値うちがあろうか。 厳しいことばです。人と言う字は人が支えあっています、人間は人と人の間で人間です。一人では人間はいつまでも一人です。愛し合う男女が出会うと子どもが生まれます。しかし、その人と人との間に、神様を迎えると支えられます。幸いなことに16歳の時、十字架と復活のイエス・キリストをアーメンと信じ、全能で唯一の愛の神の子どもになり、神を信頼する人生になりました。その日以来、神を落ち着いて信頼すれば、どんな苦境や試練があっても、支えられて乗り切る恵みが与えられました。12月で、家内が2014年5月17日に末期肺癌余命一年を4年生きて、天国へ召されました。一人暮らしも72年ヶ月が過ぎ、クリスマスを迎えます。一人暮らしになった方々の気持ちも分かるようになりました。ある川を向こう岸へ渡ろうと、旅人が歩いていました。渡し船も橋もなく泳ぐことできない。上流で行くうちに、川に氷が張り始めて見るので、棒で突っついたり、石を投げたりしても割れず、恐る恐る四つん這いになって進みました。中ほどまで来ると四頭立ての馬車がカラカラと走り抜けます。旅人は四つん這いを止めて立ち上がり、堂々と向こう岸へ渡りました。 人生にはどうしても渡れないと思う病や試練苦難があります。どうしても頼りになる人を求め、そんな人が見つからないと人を恨み憎みます。しかし、わたしは道です。真理です。いのちですと宣言され、十字架にいのちを捨て、3日目に復活したイエス・キリスト。クリスマスに人として誕生したイエス・キリストを信じれば数われます。たとえ死の川を越える時、死の陰の谷を行くときも、主と共に堂々と天国に凱旋できるのです。 牧師として多くの臨終に立ち会い、愛する家内の召される姿を見て、天国を如実に見せてもらい、天国の思いを強くされました。 神様への信頼を深められ、信仰と希望は強められ、どんななことが起ころうと失望落胆せず、万事が益であると分かります。聖霊が心に神様の愛を満たしてくださり、そのあたたかい愛を全身で感じることができます。そのようなクリスマスを、豊かに迎えていますありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/12/18
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「あまつましみず」讃美歌217番 あまつましみず ながれきて あまねく世をぞ うるおせる ながくかわきし わがたましいも くみていのちに かえりけり あまつましみず 飲むままに かわきをしらぬ 身となりぬ つきぬめぐみは こころのうちに いずみとなりて 湧きあふる あまつましみず うけずし て つみに枯れたる ひとくさの さかえの花は いかで咲くべき そそげいのちの ましみずを 幼いときから小学、中学、高校と、音楽の時間は口を閉じたまま。16歳でクリスチャンになり、心にも歌が生まれ、最初に歌った歌は賛美歌。それ以来59年間、演歌も流行歌にも縁がなく、と言ってもいくつかな知っていますが。 あまつ真清水、好きな賛美歌です。 ヨハネの福音書4:13-14 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」 今、ペットボトルの水やお茶が健康上の問題になっていると聞きました。長年、ペットボトルの水も、そのほかのジュース類、コーラはもちろん缶コーヒーも飲まないで、ルイボスティーだけを飲んできました。 水を飲まなければと勧められ水素水も飲みました。今年からはアルカリイオン水=希望の水を愛用しています。 土曜日午後、新大阪駅近くの会館でセミナーがあり、マンガや小冊子を名刺代りに持参します。セミナー後、食事にも誘われ、店にも置いてくれるとのこと 1941年1月6日生まれの同級生と出会いもあり、戦中派ですね。私は9月2日で戦前派で、一足お先に好機好齢者。握手だけの出会いでしたが名刺代りに、マンガと冊子を7名にも手渡しできる幸い。 美味しい手料理をカウンターでたくさん勧められましたが、2日目の抜歯で、鹿児島出身の女店長に断り、柔らかい食物を楽しみました。 身体に水が必要なように、心にも魂にもいのちの真清水が必要です。渇かない心で幸せに生きる水を、イエス・キリストは約束されました。アーメンと信じて、永遠に渇かない水を飲んで欲しいと願いながらの日々です。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/12/18
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イザヤ書1:18 「さあ、来たれ。論じ合おう。」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。 種子島は、高い所で280メートル。島の中央に道路があり、空港も生まれ育った近くにあります。屋久島は九州一の高峰、1936mの宮之浦岳が白雪を輝かせています。はるかにその白雪を見るたびに、雪よりも白い心になりたと思う中学生でした。高校生の時、西之表キリスト教会へ行きました イエス・キリストの十字架で流された血が、真っ黒に汚れた罪の心をきれいに洗い、雪よりも白くしてくれることを聞き、アーメンと信じてクリスチャンになりました。聖書を読むようになり、ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。との祈りを知りました その答えが、たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。との確約です。そればかりでなく、日々に赦しきよめられる約束があり、アーメン信じます。ハレルヤ感謝します。ヨハネの第一の手紙1:7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。ありがとうございます。今日もまた雪よりも白い天国の聖なる一日です。感謝します。
2016/12/17
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ヨハネの福音書10:16 わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。クリスマスの12月。イエス・キリストの誕生を全世界が喜び祝います。誕生は喜び、祝いの時です。イエス・キリストは、処女マリアの子として馬小屋で生まれ、ナザレの大工として育ち、十字架上で死なれました。この囲い=ユダヤ人社会。この囲いにいないほかの羊=全世界の人々。イエス・キリストの目的は全人類の救いです。神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。(3:16-17) 現代では、この囲い=キリスト教会全体。囲いに属さない=すべての宗教を含み全世界。もうすでにその救いは備えられています。アーメンと言えば救われます。信じてバプテスマを受ければ救われるので、臨終の床でも大丈夫です。永遠のいのちが与えられます。わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません(10:28)イエス・キリストにアーメンで、世界は愛の共同体に変わり、永遠の天国です。わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。 父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。 正しい父よ。この世はあなたを知りません。しかし、わたしはあなたを知っています。また、この人々は、あなたがわたしを遣わされたことを知りました。そして、わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、またわたしが彼らの中にいるためです(17:20-27)クリスマスのこの時、イエス・キリストの救いが全世界を包み、愛と平和が全人類を守るよう祈り伝えます。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/12/17
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聖書の約束 アモス書3:3 ふたりの者は、仲がよくないのに、いっしょに歩くだろうか。 歩いている二人連れを見かけます。先日来訪の牧師は、夫人といっしょに毎日40分は必ず歩くと、健康に輝く姿で話してくれました。 主イエスとともに歩きましょう。主イエスとともに歩きましょう、いつも。独り暮らしも2年7ヶ月。足を痛めたが11月から、歯科医のアドバイスで杖なしで歩いています。大阪市内まで出かけると、自然に5000歩以上なっており、駅の階段や四つ橋から本町まで一駅歩いたり、急ぐときはタクシーで動きますが。昨日は生駒市内で一番良い花店まで歩きました。花もきれいでした。 歩くことは人間が健全に生きるための、」必要最低限でそれは命を磨くことです。だから歩かないでいると、人間としての自信喪失につながります。院長室までは400歩ですが、行くときは院内を回り道で往復で2000歩にします。 歩けないときは、一分間片足立ちするだけでも、足腰が鍛えられます。 10月に岡田哲也歯科医に足首回しを指導され、毎朝夕に両足首を回し、つま先で大地を踏みしめて歩くよう心がけています。 茶道では、詫び寂の洗練をその所作で表現するには、強い足腰が必要なので、歩くのがいいのです。 日本人は歩く民族、和服の粋な立ち居振る舞いをするにも、決め手は足腰。モードな着こなしも、高いハイヒールで歩くにも、強い足腰だと上品が輝く。 人生でイエス・キリストとともに歩くと、平安で幸せです。日本人がイエス・キリストをアーメンと受け入れて歩くように祈る毎日です。 詩篇20:7-8 ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇り=歩き続けよう。 彼らは、ひざをつき、そして倒れた。しかし、私たちは、立ち上がり、まっすぐに立った。 ありがとうございまます。今日もまたしっかり歩き続ける天国の一日です。感謝してます。
2016/12/17
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聖書はむずかしいという言葉を聞くことがあります。ところが神は愛です。天の父です。親は子どもが分かるように語ります。全能の愛なる父なる神様は、神の子に、肉の父以上に優しい愛で、語り教えてくださいます。真理の御霊により、義や罪やさばきについてだけでなく、理解させ、思い起こさせ、将来をも見通させ、導き助け教えてくださいます。 聖書はむずかしいという思いや言葉を使わず、虚心坦懐にアーメン信じます。ありがとうございますと、真心から受け止めるとき、聖書のことばは難しすぎるものでもななく、遠くかけ離れたものでもなく、人生の歩みを確実に平安に幸せにしてくれます。 申命記30:11 まことに、私が、きょう、あなたに命じるこの命令は、あなたにとってむずかしすぎるものではなく、遠くかけ離れたものでもない。 詩篇119:105 あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。 詩篇19:10 それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。また、それによって、あなたのしもべは戒めを受ける。それを守れば、報いは大きい。ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日でした!感謝します。
2016/12/16
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ヨハネの福音書10:11 わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。 良い牧者=羊飼い=イエス・キリストです。 羊=私たち いのちを捨てます=十字架の上で死なれた。ルカの福音書15:4-7 「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。 今日もアーメンと信じ、バプテスマを受けるなら、同じ喜びが天に響きます。 死を間際に控えた臨終の床でも、アーメンと信じて病床洗礼。100歳でも同じことが起こる恵みを体験している現役牧師です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。」 詩篇23:1-6 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
2016/12/16
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聖書の約束 ヘブル人への手紙4:2 福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。 当たり前のことを普通にするだけで幸せいっぱい 福音=good news=良い知らせとは、イエス・キリストがこの世に生まれ、33歳で十字架に死に、墓に葬られ、3日目に復活したこと。そのことをアーメンと信じてクリスチャンに。2000年近くもそのことを信じた全歴史、全世界の人々が救われ、平安で幸せに天国行きの人生です。 聞いても、それを信用しないなら何の役にもたちません。馬の耳のアーメンと同じです。 十字架の救いをありがとう。ハイ。ありがとうで、人生は変わります。 毎日の生活でも、目覚めたらおはよう。ハイ。ありがとうで。すべては朝日が輝くように、喜びが広がります。 毎日の生活でも、明るくおはようと言えば、自分の心を瞬間にとかし て前向きにします。 何か頼まれたら、ハイと返事し、ハイ喜んでといえれば最高。何かしてももらったらありがとうで、さわやかさの波紋が広まる。 イエス様おはようございます。思いきって声を出すと、細胞が一斉に目を覚ますように、体の中で活力が目覚めます。 独り暮らしですが、天のお父様。イエス様。聖霊様=三位一体の愛の方に呼びかけます。朝の祈り回へ出かけ、新しい恵みと愛の日をさわやかに、溌剌とスタートです。 態度も彩度も高らかに、好気で光輝に好機あふれる毎日です。 聖書のことばにハイ=アーメンで、神の栄光です。コリント人への第二の手紙1:20 神の約束はことごとく、この方において「しかり。」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン。」と言い、神に栄光を帰するのです。 すべてに感謝で=コリント人への第二の手紙4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。 食べるにも飲むにも=10:31 こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。 日常生活のすべてが、笑顔でおはよう。ハイ。ありがとう、当たり前のことを当たり前に実行するだけで、幸せで神の栄光輝く毎日です。 ありがとうごあいます。きょうもまた天国の一日です。感謝してます
2016/12/16
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ヨハネの福音書9:1-3 またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。さまざまな生があり、生まれながらに障害があったり、不治の病になり、余命を通告されたり、説明のつかない悩みもあります。その原因を因果応報、親の因果が子に報い、のろいや祟り罰、さらには悪魔や悪霊論で、さらに不安と恐怖に追い込む宗教や教えは、残酷な宗教的、信仰的暴力です。イエス・キリストは、この人が罪を犯したものでもなく、両親でもありません。と切って捨てました。どんな状態の中でも、神の栄光が現れる、そのようなすばらしさを体感できるのは、すばらしいことであり、輝かしいことです。個人的には、2011年に愛妻が、肺がん末期余命一年、抗がん剤も手術も、放射線治療もできませんと言われ、ありがとうございます。感謝しますと受け止めました。2014年5月17日、湯川胃腸病院ホスピスで、て・・・ん・・・ご・・・く…と指文字を残し、静かに安らかに、愛する妻は天に召され、その病床で孫たち5人が受洗。看護師3人がイエス様をアーメンと受け入れ、葬儀社の二人も信じました。告別式の朝、78歳姉、70歳弟夫婦、65歳弟、長男嫁母親が洗礼を受け、クリスチャンとして式参列。今年4月1日に、信号のない交差点で歩行中跳ねられ、右顎と頬を20針縫う手術。はなしもしずらく右足打撲もまだ治療中、8ヶ月目。家内が召されて2年7ヶ月。現役牧師としてインマヌエルの主を体感するクリスマスでを迎えています。多くの祈りをありがとう、感謝してます。ルカの福音書2:10-11 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。大阪市西区阿波座の歯科医医院から帰宅し、遅い昼食時に、真っ赤な美しい豪勢なシクラメンが、九州から届きました。一人暮らしの部屋が、いっぺんに明るく輝き、クリスマスがやってきました。ハレルヤ。歯科医が1本抜歯。話しにくさの物理的原因をカット。年内あと2回で基礎診療が終わり、春に向かって基礎が完成し、さらに話やすくなるので、阿波座まで出かけるのも楽しみ。今日はタクシー4台。しっかり8000歩も歩いた大阪市内でした。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/12/15
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聖書の約束 詩篇23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。 会いと恵みに追いかけられる幸せ。口語訳では愛と恵みが伴う。リビングでは、愛と恵みがついて来る。 現代語訳では、愛と恵みが私の上にあるでしょう。 辛いときや、苦しいいとき、試練のとき、それから逃げても何も変わりません。逃げれば逃げるだけ、つらさは追いかけて来ます。 自殺すれば楽になる?って、それは大間違いです。その苦しさは、もっと大きくなっって死んでも追いかけてきます。 逃げるのではなく、前向きに受け止めましょう。思い切って、すべてのことに感謝すると、神の栄光が輝きます。つらさや苦しみは逃げていきます。 だれでも伝い人は来なさい。平安を与えます。クリスマスの主イエス・キリストは招いています。新しい年まで、つらさに追っかけさせないで、イエス様助けてくださいと祈るとき、試練や困難に立ち向かう力を与えられると、不思議につらさは逃げて行きます。恵みと愛がいつも上にあるだけでなく、いつも伴い、恵みと愛がついて来るだけでなく、追いかけてくる幸いな毎日です。 今日は、大阪市西区阿波座新町の岡田歯科医へ行きます。3回目の手術であと一回あります。上歯下歯とも2時間の手術。仮の歯を入れて流動食でなくても大丈夫。堅い物は食べられないけれども。普通に食生活です。 しっかり歩いて筋肉も鍛えられながらの一日です。 コリント人への第二の手紙4:15-17 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/12/15
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伝道者の書12:-71 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。太陽と光、月と星が暗くなり、雨の後にまた雨雲がおおう前に。その日には、家を守る者は震え、力のある男たちは身をかがめ、粉ひき女たちは少なくなって仕事をやめ、窓からながめている女の目は暗くなる。通りのとびらは閉ざされ、臼をひく音も低くなり、人は鳥の声に起き上がり、歌を歌う娘たちはみなうなだれる。彼らはまた高い所を恐れ、道でおびえる。アーモンドの花は咲き、いなごはのろのろ歩き、ふうちょうぼくは花を開く。だが、人は永遠の家へと歩いて行き、嘆く者たちが通りを歩き回る。こうしてついに、銀のひもは切れ、金の器は打ち砕かれ、水がめは泉のかたわらで砕かれ、滑車が井戸のそばでこわされる。ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。 16歳でクリスチャンになり今年75歳に。若い牧師のときから、不思議に高齢者が多く救われ、安らかで幸せに天国の経験する姿を見守りました。 年齢を重ねる姿が象徴的に書かれています。手足や歯、目や耳食べる力は弱くなり、朝は早く起き、高い所や道を歩くことも恐れ、欲望は衰え、死後の行先も不安です。ホテルの予約があれば、3日の旅でも安心して旅を楽しめます。永遠の住まいがあるのに、予約もないままでは天国に行けるはずがありません。イエス・キリストの十字架と復活をアーメン信じますと言えば、永遠のいのちが与えられます。若い日から創造者を覚え、信じて平安と幸いです。たとえ臨終の床でも、アーメンと信じて天国です。危篤も恐れることはありません。天の家に帰る最高の時です。その日は必ず来ます。その日まで与えられたいのちを、感謝しつつ、しっかり立ち、歩ける人は歩き、永遠のいのちをしっかり握り、食事もしっかり噛んで、できるだけ話し=祈りは神との楽しい語らいの時を楽しみましょう。ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。アーメン。
2016/12/14
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ヨハネの福音書8:44 あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。 人類はみな神の子とよく言います。始祖アダムとエバが、神によって創造されたので、ルーツをたどればアダムへ至ります。しかし、悪魔に惑わされ堕罪し、悪魔に従いました。悪魔の欲望は偽りです。神のことばに従わないように仕向け、最後は完璧に騙して不従順にしました。悪魔は初めから人殺しです。なぜ人類は戦争を好むのか。それは最大の殺人であり、その殺戮を最も喜びます。戦争犯罪人=戦争を好む人間、戦争指導者、将軍も軍人も、武器商人等すべて、悪魔の喜ぶ道具です。 悪魔に真理はありません。真理は殺してはならない。自殺も、殺人も、戦争こそ最大の真理から離れた罪悪です。 真理は互いに愛しなさい。神を愛し、自分を愛し、隣人を愛する愛の世界こそ、天国です。イエス・キリストをアーメンと信じ、真理を知る人生を! 悪魔は偽り者であり、偽りの父です。嘘に囲まれた世界、虚しい口=ことばがあふれています。嘘や偽善に飲み込まれないように、真実を見極めることができるよう、聖霊の見分ける賜物を祈り求めます。エペソ人への手紙4:25-32 ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。 盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/12/14
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ヨハネの福音書8:32 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」ほんとうのことが分かると自由になります。真理とは?洋の東西を問わず、問い続けられ、今もなお万巻の書に問いを求めて群がっています。 宗教はこの神にこそ救いがあると息巻き、哲学者はこれこそ真理だと、論理を振りかざしています。快楽主義者は、真理とは何かと問うこともなく、酒だ、食事だ、遊びだ、快楽ほど楽しいことはないと、目先の楽しみにうかれています。 説明でもなく、単純率直に、わたしは真理ですと宣言したのが、イエス・キリストです。アーメンは、真理への応答です。イエス・キリストを受け入れる時、豊かな自由が与えられ、平安で幸せに、恵みを感謝し、喜びと輝きの中を、チャレンジ人生。 運は人間の意志を越えたもの。人間の意志や努力には関係ないものです。理路整然と、だれにでも分かるよ言うに説明がつかないことです。幸運と不運があります。キリスト教では運と言わずに、恵みと言い摂理と信じて、すべての出来事を、ありがとうございます。感謝しますと受け止めて、平安で幸せに生きています。 真の神は愛の神で、天の父です。イエス・キリストの十字架に、その愛は極みまで現れ、すべての罪も病も、呪い=運命や宿命等のわざわいすべて、貧しさも、死も滅び=地獄行きの裁きも、赦してくださいました。アーメンとイエスキリストを心に迎え信じるだけで、正しく健やかに、祝福されて豊かに、神の子になり、永遠のいのちを与えられ、天国に生きることができます。 神の愛は豊かな愛。アーメンと信じて、平安で幸せ、楽しく喜びに満たされ、ありがとう、感謝しますと、嬉しい笑顔でいる時、その姿を見て、天の父はすべての恵みを与えてくださいます。どうして??と心配したり、恐れたりしないで、イエス・キリストの復活の力、聖霊の導きの中を!!!ビックリマークで、ワァ!ありがとうと、元気を出しましょう。 上機嫌で明るく笑顔が輝き、すばらしい出会いが豊かな毎日。ハレルヤ。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2016/12/13
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クリスチャンになるまでは祈ったことがない子ども時代。16歳でクリスチャンになり、アーメンと祈る人生がスタート。 生駒聖書学院も祈りでスタートし、祈りで成熟しています。 学院休暇中も年末まで、火曜から金曜日まで、10数人で毎朝、聖書朗読と祈り、礼拝メッセージでスタートです。 イエス様は、またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。(ヨハネ14:13-14) あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。(ヨハネ15:7) 祈ると与えられ、うまくいきます。 願いがかなわないのは、かなわない方が良いことを祈っている場合です。 お願いします。と神様に祈っても、祈ったとおりにならないこともあります。 その理由は、願いがかなう前に祈りを止めてしますからです。 ある方が天国へ行き、天国を歩くうちに大きな倉庫がありました。何があるか不思議に思い、中を見せてもらうと、受取人不在の贈り物が返送されていっぱいだったたそうです。祈りや願いが聞かれたのに、待ちきれずにあきらめてしまったのです。 二つ目は、その願いがかなわない方が、その人にとって益となり祝福となるからです。 入試や就職、結婚などで、願いどおりにならなかったと、つまづいたりふてくされたりで、フラストレーションに悩まされる人生です。 かみのなさることはみなそのときにかなって美しい。 主イエス・キリストのお名前で祈ります。アーメンと祈ったら。恐れや不安、疑いが入る前に。ありがとうございます。感謝しますと、主の御名を賛美しましょう。 2017年1月ラジオ放送録音で、ABCスタジオ行き。その足で浪速区恵美須西=新世界西入口・デイリーコンビニ前、栄光キリストビル2f、エリムキリスト教会説教。帰宅は午後9時過ぎ。お祈り感謝します。 ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝してます。
2016/12/13
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聖書の約束 ヨハネの福音書20:19 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」 平安があるように=シャローム。挨拶のことばです。大丈夫ですとの意味もあります。 挨拶とは、心を開いて相手に迫るという意味です。 おはよう。こんにちは。こんばんは。 聖書を朝開いて読むとき、おはようございます。昼には、こんにちは。夜はこんばんは。閉じて寝るときにはおやすみなさい。 お祈りの時も、挨拶=心を開いて、天のお父様。イエス様。聖霊様とそば近く、愛を持って迫るとき、すべては聞かれ答えられます。 主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメンと閉じ、ありがとうございます。答えてくださり感謝します。 平安な気持ちで立ち上がり、すべて疑いなし、恐れなしです。ハレルヤと心も顔も晴れやかに輝き、恵みと愛で幸いです。 元気な声で愛の挨拶。すばらしい出会いを続けましょう。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2016/12/13
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ヨハネの福音書8:12 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」わたしは、世の光です。ヨハネの福音書の私は~です=10:30 わたしと父とは一つです。 実に出エジプト記3:14 神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。」:14 And God said to Moses, "I AM WHO I AM." And He said, "Thus you shall say to the children of Israel, 'I AM has sent me to you.' "I AM WHO I AM& I AM=わたしは~である。三位一体の奥義ですが、神が人間としてこの世界に来られた。クリスマスの秘儀と祝福です。6:48 わたしはいのちのパンです。8:58 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」9:5 わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」10:7 そこで、イエスはまた言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。10:9 わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。10:11 わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。11:25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。15:1 わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。 太陽の光でもなく、人口のイルミネーションの輝きでもない。真の光=1:4 この方(イエス・キリスト)にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。1:4 In Him was life, and the life was the light of men. And the light shines in the darkness, and the darkness did not comprehend it.ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝します。
2016/12/12
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