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再び地球コアからF49あたりまで行ってきました。ルートは、F27地球コア→F35地球コア→F42地球コア→F49です。F49には地球コアがないのかといえば、そんなことはないのですが、F49からは別の意識間での融合が起こってきますから、たとえばF49の太陽意識と同じ意識領域を共有しているように私には感じられます。私の場合、F49まで行くと太陽意識とのつながりが強くなってきますから、太陽意識内を誘導イメージ(呼び水)として用いるようにしています。イメージには人それぞれクセのようなものがありますから、「自分にとって」イメージしやすいものを使えばいいわけです。言いかえれば、どういう映像が見えようが、それは本質的な問題ではないということです。体験者にとってのオリジナルな体験という意味はもちろんあるのだという点を除いて。 今回、F42地球コアからF49に移行する際に、ビジョンが広がるとともに意識が拡大する感覚を得ました。F49に入る際の呼び水として、光の球体をイメージしたのですが、実際に見えてきたのはもっとでかくて、私には雲の天井のように見えてきました。つまり、でかすぎて一部分しか見えない状況です。そこを突く抜けていくと、視界が開けていくとともに、意識がグワンと拡大する感覚があったのです。もちろん、F49にも「はじめから」我々の意識は存在していますから、そこに融合する感じなのかもしれませんね。 今回は、シリウスの使者と名乗る人物から聞かされたのは、人間の集合意識は何次元まで存在しているのかということと、シリウス、プレアデス、オリオンの集合意識が与えた今の人類に対する影響についてです。まずは人間の集合意識のほうからですが、これは、私には9次元までであると感じられました。そのような印象が唐突にやってきましたので、関連して、では人類は今までに絶滅したことがあるのかと聞いてみると、それはないとのことでした。ただし、絶滅はないのですが、興隆・衰退?はあったようです(しかし、衰退という表現には誤解を生む余地があります。文明間の転機がどのように訪れたか、あるいはどのように個々の意識が体験した(と感じられた)のかは、よくわかりません)。それは、かつて地球上に存在していた4度の文明に対応するようでした。今の人類が何度目になるのかと尋ねると、5度目だそうです。 話は変わりまして、今の人類と、シリウス、プレアデス、オリオンとの関係についてです。これは、星というよりも、集合意識ととらえていただいたほうがよろしいかと思います。星に住む宇宙人ではなく、我々が夜空に見る星、あれを人類の集合意識全体が共有する射影とお考えいただいて、あの夜空にあるシリウス等の星々にフォーカスすることで、それぞれが共有する進化した意識領域に移行することができると言った感じです。 シリウスの従者から、「それぞれにとって関係の深い星を探求しなさい。」と言われました。ここでいうそれぞれにとって関係の深い星とは、上でいうシリウス、プレアデス、オリオンのどれかを指しているとお考えください。人類全体を通してみても、そのくらいこの3つの意識領域は人類に深い影響を与えているのでしょうね。 話はまた変わり、なぜか話は「宇宙戦争」の話になりました。正直申しまして、私はこの手の話が苦手なのです。ちょっとどうかなという思いがずっとあったからです。ですが、今回その話になってちょっとびっくりでした。今人類にかかわっているシリウス、プレアデス、オリオンの意識存在達は、善い存在か、悪い存在かという風に二分化いたしますと、すべて善い存在だそうです。ところが、過去(と言っていいのかどうか微妙ですが)、時間軸(パラレルワールド)のある流れの中においては、複数の意識存在達の間で、映画「スターウォーズ」のような攻防もあったのだとか。ただし、すべての時間軸でそのようなことがあったのではなく、意識間で織りなすエネルギー間の対立のようなものもそこには含まれてくるのだとか。 シリウスの従者が面白いことを言っていました。それは、すべては「バランス」なのだと言います。人間的な意味における善い、悪いを度外視した、エネルギー的なバランスの問題です。端的にいえば、「進化のために、平和だけはなく争いも必要だった。」、こんな感じです。何か、渦状の陰陽対極図のようなビジョンを見せられた印象があります。これも人間的な見方になってしまいますが、必要性があって争っていた時代?があった(時間軸が存在している)、こういうことになるのかもしれませんね。 我々にとっての現実世界は、「今ここ」にあるわけですが、ヘミシンクなどを通していわゆる「ワンネス」の感覚を垣間見てみますと、それを現実世界にフィードバックさせることで、この現実世界をさらに有意義に過ごせる気がします。ヘミシンクのすばらしさは、そういった点にあるのかもしれませんね。ワンネスの感覚に限らず、どのような体験においても、それは可能なはずです。これからも、そういった現実世界で生かせる道というのを模索していきたいなと思っています。 (Creative Commons: some rights reserved by Beverly & Pack)
2010.12.30

高次元への旅をしていました。どこへ旅をしていたのかと言いますと、シリウスと呼ばれる意識領域です。我々が夜空に見ているシリウスは、象徴としての意味を持っています。つまり、そこに意識存在が住んでいるわけではないのですが、我々が夜空に見ているシリウス、あれを思い浮かべることで、シリウスの神人達が存在する意識領域にフォーカスすることができます。 私は、ある導きにより、シリウスBと呼ばれる領域へと向かいました。そこは、我々と同じ人間の意識と深いかかわりをもっている高次の意識が住む領域です。そこの次元というのはきわめて高く、ヘミシンクの世界や他の一般的な次元の概念でいうと、16~20次元程度であるように感じられます。私がなぜそこでの生活を垣間見ることができるかと言いますと、私の別側面の意識がそこで生活をしているからのようです。 ただし、生活といったらおおいに誤解を生む余地があります。確かに、私には、人間と同じような存在(未来人のような風変わりな服を着ていました)がいて、都会ではなく田舎の風景が広がっていました。でも、それは単に私の認識力ではそのように見えるだけであって、実際にそのレベルにいる意識存在がどのような生活形態をもって生活しているのかは、よくわからないのです。その高い意識領域において、私の記憶にかすかにとどまっているのは(記憶にとどまりにくい理由は、脳内で情報変換する時の限界によるのかもしれません)、次のような抽象的な内容でした。 私は、「自分」とはなにかについてシリウスの意識存在に訪ねていました。それによれば、「自分」とはどこまでいっても「幻想」なのだといいます。言いかえれば、どの視点から見るかによって、確かに「自分」であったり、また「自分」でなかったりするのです。 別の表現をとれば、こんな感じです。例えば、我々の住む地球全体に宿る地球意識、これは、我々にとっての「自分」の別側面における表現形態です。あるいは、太陽。あるいは、今私が訪れているシリウスB。これらはすべて、「自分」であって、「自分」ではないのです。つまり、どこまでいっても、「自分」とは相対的にしか把握できないのです。それは、トータルセルフ(大いなる「自分」)についても同様です。トータルセルフも、あると思えばありますし、ないと思えばありません。つまりは、ヘミシンク的にいう、スタジアムのようなトータルセルフ、あれはひとつの象徴にすぎないのです。「自分」というものは、そのくらいあいまいなものです。 ですが、他方では、我々が日々感じているように、確かなリアルさをもって存在しているのも事実です。つまり、我々の想像をはるかに超えるものであり、到底その全貌を捉えることは今の我々にはできないと感じられます。ところで、私はシリウスでの旅をしている時、次元とは無限に続くものであるという認識を漠然ともっていました。無限に続く次元。その中において、相対的にしか把握できない「自分」。我々であるところの「自分」が「今ここ」にフォーカスする理由はこの辺にあるのかもしれませんね。
2010.12.26

バシャールなんかは、すべての事象というのは本来ニュートラル(中立的)なものであって、それ自体に意味はないのだといいます。ある物事に意味付けをしているのはほかでもない、私たち自身なのだと。最近、それを象徴する出来事がありました。まあ、言ってみればひどい嵐のようなものかと(笑)。 他方で、我々にとっての現実世界は、広い意味での自分自身が作り出した世界だとされています。その情報源は、セスです。セスという存在も、ある時期、ジェーンロバーツという作家の体を借りて人類に対してメッセージを送り続けた存在ですが、一般的にはその正体は不明です。ですが、私自身がやり取りした中では、バシャールとセスはいわば共通の目的をもった同士のような存在だと感じています。両者とも、人類の集合意識に非常に深いかかわりを持っているように感じられます。 セスのいう、現実世界が広い意味における自分自身が作り出したとすることの意味は深く、端的にいえば、偶然はないのです。そうすると、バシャールのいう、物事には意味はないという主張と相容れないようにも思われますが、私自身はそうではないと考えています。どんな局面においてもそうですが、我々の言語表現には常に限界というものがあって、言語という媒体で表現しようとすると、物事の真相というものがゆがめられてしまうという側面が常にあります。たとえば、「自分」とは何かについてです。輪廻転生やカルマについての誤解も、「自分」に対する認識の相違・誤解・誤りからきているように思います。 セスのいう「自分」の範囲は極めて広いのです。セスはどうやら、トータルセルフ全体を「自分」だととらえているふしがあります。そのことをセスは「人格存在」と呼んでいるのではないかと思われるのです。ですから、セスの考えに基づけば、我々が直面する現実世界は、「自分」の作り出した産物だということになるわけですが、その「自分」とは、トータルセルフ全体なわけです。そして、バシャールは、そのような我々が直面する現実世界において、あらゆる物事はニュートラルなものであって、それ自体に意味はない。それに直面し、我々がどう認識するかによって、その瞬間に意味付けが「なされていく」のだと。ですから、セスの考えとバシャールの考えは、そもそも視点が違うために矛盾はないわけです。 今日、「私は今後どのようにしたらよいのでしょうか。という私の問いに対して、ハイアーセルフは、「幸せを求めなさい。あるがままでいいのです。」と答えました。それが私という「自分」の答えなのだと思いました。改めて、自分自身に言い聞かせたいと思います。物事はすべて中立的であり、それに意味付けをしているのはほかでもない、自分自身なのだと。こだわりを捨てて、広い視点に立って、あるがままに生きたいと思います。(Creative Commons: some rights reserved by chatirygirl)
2010.12.15

光のネットワークにつながるための方法としては、いくつかのルートがあります。今回私がとったのは、地球意識から入っていく方法です。地球意識には訓練すればだれでも到達できるようになります。一番簡単なのは、地球コアからたどり着くやり方です。地球コアはフォーカス27から入っていけます。私の場合、茶色の球体に見えます。中に入っていくと、球体のドーム状の空間になっています。ただ、見え方、感じられ方は絶対のものではなく、その人の認識にかなり影響されます。そこからさらに高次元の領域に進むことができます。 地球コアの場合、フォーカス27からフォーカス35へは、比較的容易に移行できるように思います。その場合も、特別なやり方があるわけではなく、あくまで意図を定めることによって(意志の力で)移行できます。というか、もともと誰もが地球意識とはつながっているので、それを「思いだす」だけです。フォーカス35の地球コアの見え方は、私の場合、緑いっぱいの空間に見えたりします。これは、初期の頃の知覚に影響されているものと思われます。 そこからさらに意識を広げていくと、フォーカス42の地球コアにたどり着きます。私の場合、ここは巨大なクリスタルの空間に感じられます。光り輝くクリスタル内部に入り込んでいる感じです。この辺から自動的に光のネットワークにつながり始めます。すると、フォーカス49を飛び越え、一気に神我の領域(「一つなるもの」)まで直観的に感じ取り始めます。同時に、生かされていることへの感謝を感じ始めます。あるいは、こう表現してもいいかもしれません。なんだかよくわからないけれど、ありがたい気持ちになって泣けてくると。 地球意識も、太陽意識も、月意識も、その他の高次の生命体も、上のほうに行くとすべてつながっていて、フォーカス49以上では皆一つにつながっています。ですから、どのルートから行ってもいいのですが、今回ご紹介した地球意識、もしくは太陽意識から入っていくのが最も簡明なやり方ではないかと思います。その場合、ご自分のハイアーセルフを意識されてみてください。フォーカス35くらいまでは訓練すればだれでも行けるようになりますが、そこから先は、高次の存在の助力が必要となります。あるいは、感謝想起によって一気に感覚的にたどり着く方法もあります。 いずれにせよ、低次元にとどまるのではなく、一気に源付近を目指されることをおすすめします(大切なのは、気持ち(意図)です。地球などの身の回りの高次の存在に対して心を開いて、愛に根差した感覚に浸ってみてください)。ただ、高次元に行けばいくほどよりエネルギーは繊細になっていきますし、自分の感情をクリアにしておく必要があります。 我々はどこまで行っても、この現実世界から逃れることはできません。でも、日々の現実世界にどっぷりとのめり込んではいても、魂のふるさとに根差した思いや、愛の気持ち、そして様々な気付きがあれば、現実世界においてもより豊かなで実りある生活を送れると私は信じています。 (Creative Commons: some rights reserved by RonAlmog)
2010.12.12

最近、私はめっきりヘミる機会が減りまして(笑)、ちゃんと横になって準備をしてからでないと変性意識に入れません。すべての準備を整えて出発しました。フォーカス10の意識状態に移行してから、ゆっくりとフォーカス27に移行していきます。すると、ひさしぶりにMさんの姿が(笑)。Mさん、今日はかなりリアルな感じです。Mさんは私の意識をお見通しのようでして、Mさんの導きで私のハイアーセルフのもとへと向かいます。フォーカス35に行きますと、そこではかなりの自我が融合していきます。今の私の進化レベルでは、細部までは読み取れませんが、インスピレーションでそのことが伝わってきます。しばらくしてから、ハイアーセルフの象徴的存在の導きにより、私はさらなる高次への領域へと向かうことになりました。 今回伝えられたのは、いわゆる自我が高次の領域に進むにつれてどのように融合し一つとなっていくのかの感覚的な部分です。上のほうに向かうにつれて一つの意識に向かっていくのですが、フォーカス35ではまだワンネスは体感できないようです。フォーカス42に行きますと、かなり意識間での融合化が起こってきます。自分が自分であると認識する範囲が徐々に広がっていく感じです。フォーカス42では、セスのいうところの他の「人格存在」までも「自分」であると認識し始めます。意識間の融合化がさらに広がっている状態です。いわゆるアセンテッド・マスターは、6次元にいる存在もいるようです(ただ、後述しますように、さらに上のレベルにいる存在もいます。) フォーカス49では、いわゆるワンネスが体感できます。究極の存在、‘One’を自己の中心の神我に感じます。愛のエネルギーがどこからともなくあふれてきます。この段階に至ると、すべての意識は自分自身であると認識し始めるようです。ハイアーセルフは、今述べたような感覚をすべて私にインスピレーションとして送ってきていました。いわば、私の代わりに体感して感じ取ってくれたものを代弁してくれいている感じです。 私は、導きにより、ブッダと私たちが考えている存在について説明を受けました。それによると、ブッダは9次元にいるようです。すべての意識を自分のこととして体感・体現できる進化レベルに至っているようです。それは、たとえるならば、広大な雲のような意識から、小粒ほどの生命体の意識まで、すべてに至ります。説明が難しいのですが、極大から極小に至るまでのすべての意識を同時に体感することができるように感じられます。 それに対して、キリストはどうでしょうか。キリストは、愛の象徴です。言葉にすると、「慈愛」、これに尽きます。意識の母なる存在です。最終的にはすべての意識存在はワンネスに至るのですが、ブッダとは象徴化のされ方が異なる、そういった感じとでも言いましょうか。言葉をある意味において超えた感覚です。 私は、促されるように、マザーテレサの意識にフォーカスしてみました。マザーテレサの意識は、フォーカス49に存在しているように感じられます。いつも感じるのですが、マザーテレサの愛は深いです。強いエネルギーをハイハートから上のチャクラに感じます。 我々は、皆仲間です。一つなる存在に最終的にはたどりつきます。その過程において、様々な体験を個々が積み重ね、その経験を持ちかえって、全体としての進化に貢献していきます。私たちは皆、ある意味において意識の旅人なのです。
2010.12.08

以前ヘミシンクを集中的にトレーニングしていた時にトレーナーから習ったのは、意識状態にはフォーカスレベルというものがあって、どのフォーカスレベルに行くかによって異なった世界が見えてくるというものでした。ですが、私は比較的早い段階から、この考えとは少々異なった考えというものを持っていました。それは、自分とは、最初からあらゆるフォーカスレベルに初めから存在していて、どのフォーカスレベルに周波数を合わせるかによって、異なった世界が見えてくるのだという考えです。微妙なんですが、違うんですね。 実は、今日ヘミシンクをしていましたときに、やはりこれと似たような感覚を得ました。それは、「クリエイティブウェイ」というヘミシンクCDに収められている「内なる創造主」というセッションを聞いていた時のことです。このCDでは明確に特定のフォーカスレベルに移行するようにという誘導はないので、自分でフォーカス10に移行した時のことです。私は確かにフォーカス10に移行するように意図したのですが、同時に得た感覚はフォーカス35に存在する自分自身でした。その時に感じましたのは、自分というのは最初からフォーカス35に存在するのだということです。それは、たとえ普段意識していなくてもです。ですから、当然ながら、フォーカス35に行くという「意図をしなくても」、フォーカス35にすでに存在しています。もちろん、これは私独自の見解だということでお願いしますよ~(笑) 話は変わりますが、今日ハイアーセルフとのやり取りで得たメッセージは、「普段の日常生活の中においても直観力を磨いてそれを生活の中で生かすように。」というものでした。直観力を磨く方法には様々なやり方があるように思いますが、私は特別な方法は取っていませんし、これからもとるつもりはありません。ただ、あえてあげるとすれば、私は自然との触れあいを大切にしたいと考えていて、その中で直観力を磨くことにつながればいいなとは思いますね。このような考えをするに至ったのには理由がありまして、それは以前私はセスという存在と頻繁にコンタクトをとっていた時に教わったからなのです。その時に教わったのは、物事に対する認識力を高めるにはどうすればよいのかについてでした。セスいわく、それには何も特別なことをする必要はないのだと言います。身の回りにある自然を観察しなさいと。自然の中には認識力を高めることにつながるエッセンスが詰まっているから、直観力を高めて、自然の中に溶け込みなさいと。だいたいこのようなことを言われた記憶があります。高次の存在というのは似たようなことを言いますから、結局はすべてつながってくる(つながっている)のですが、このような体験を経て、またそれからさらなる体験を積み重ねて、私は現実世界での体験を重視するという考えに至りました。もちろん、他にもさまざまな手法・やり方はあるのだとは思いますよ。 ですから、今日はあらためて直観力を大切にしたいなと思った次第です。より現実生活を有意義に過ごせるように。そして、現実世界での体験というものは、今ここにおいてしかできないものであるということも痛感しております。セスいわく、われわれのフォーカスポイントは常にいまここ(現実世界)にあります。人との触れ合いを大切にし、自然の触れ合いを大切にして、それらのやり取りの中から生きる活力や希望を得て、様々な体験を経て、人間として成長していけたらいいなと思っています。(Creative Commons: some rights reserved by markescapes)
2010.12.02
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