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ヘミシンクの世界では、「卒業」ということが言われたりします。その意味するところは、人によっても解釈が分かれるところだとは思うのですが、いわゆる輪廻転生を抜けて二度と地球圏に戻らなくてもよくなる進化の段階を指しているのではないかと個人的には考えています。セスなどの信頼できる情報を総合しますと、確かにそういった進化の段階は存在するようです。モンロー研でいうところのI/Thereが一つの単位をして、それ全体が輪廻を抜けて新たな段階に進むみたいな感じなのかもしれませんね。その場合、I/Thereから再び地上圏に部分意識を送り出して、人間として様々な経験を積む必要がもはやなくなるらしいのです。そして、そうすべきか否か、すなわち、輪廻を抜けるか否かについての最終判断は、より大きな自分、すなわちI/There自身の判断にゆだねられているのだそうです。 I/Thereが輪廻を抜けた後については、その後何をするのかはよくわかりません。あるI/Thereは、人類や他の生命体のための「語り手」となり、いわば教師としての道を選ぶかもしれません。どうやら、セスはそういった存在みたいです。そして、私見ではバシャールにも何か大きな役割を担った教師としての雰囲気があるように感じられます(ただ、バシャールについては、会ってみるとすぐにわかりますが、エネルギー的に「ある特徴」を持っています。また地球圏に非常に近いところに常に存在しており、ある意味特殊な環境に置かれています。でもそれには深い理由があるのだということはすでに以前ご説明させていただきました。また、それとは対照的にバシャールの集合意識全体を見ると非常にポジティブな波動を持っているということも以前ご説明しました。)。また、あるI/Thereは、地球意識や太陽意識といった惑星意識のメンバーとなるかもしれません。また別のI/Thereは、我々人類の知らない、また理解できない仕事に携わったりするのかもしれませんね。この点、すべての物事は同時に起きているのだという時空を超えた霊的真理を加味して考えますと、今地上にいる我々も、すでに進化した存在としての側面を持ち合わせています。つまり、私達は、現実世界で貴重な経験を積むために、あえて自分が置かれているすべての事情を忘れ去って(進化のために自分で人生設計を建てて地上圏に下りてきているのだということを忘れて)、「今ここ」で生きています。同時に私達は、確率的偶然の一片としての役割も担っていて、別の確率的偶然の世界でも、無数の「自分」が存在し、それぞれが「今ここにいる」と感じつつ人生を送っています。そして、I/Thereの総体としての自己は、そういった個々に存在する確率的偶然のすべての自己を同時に認識しているみたいです。さらには、確率的偶然の自己だけでなくいわゆる輪廻しているすべての自己のついても、I/Thereの総体としての自分は認識しているようです。 そういった様々な点から考えてみますと、いわゆる「卒業」というのも、絶対的なものではなく、相対的なものである気がしています。つまり、どのレベルから見るかによって、「卒業」の有無自体が異なってくるように思います。つまり、徐々に進化していくという我々の目線からみれば「卒業」は確かに存在していますが、他方で、はるかに進化した創造主に近いレベルからみれば、最初からはるかに進化した存在としての特質をすでに備えていたりもします。なぜなら、すべての存在(高次であろうと低次であろうと)は「同時に」、そして「一斉に」進化しているという人知を超えた側面があるからです。 つまり、あらゆるものが「同時に」「一斉に」進化の道を歩んでいるのだとすれば、すべてが同時発生的に起こっていますから、我々が想定するような、一歩一歩着実に進化の階梯を歩んでいくような「プロセス」というのも、実は相対的にしか把握できないということになるんだろうと思います。我々にとっては確かにそういったプロセスは存在しているのですが、他方であらゆるレベルにいる存在を俯瞰(ふかん)的に見れば、我々はすでに進化した存在としての性質も兼ね備えていることになるみたいです。私達は皆、「すべてなるもの」から同時発生的に進化の道を開拓し続けている開かれた可能性をもった存在達であり、我々は全体として「The One」(一つなるもの)としての特質を備えているからです。ですがここに、多くの人が見落としがちである重要だと思われる点があります。スピリチュアルなことに興味を持つ人は、たいてい霊能開発に興味を持ちます(霊性ではなく)。視点は現実世界ではなく、非物質界に向きます。それが行き過ぎれば、現実世界から遠のいていきます。そして、霊能開発は、「諸刃の剣」としての側面を持っています。使い方を間違うと、有益ところか新たなカルマを生み出す害となってしまうからです。例えば、スピリチュアルな能力を悪用してしまったり、利己主義的なものに利用してしまったり、商売にして多額の金銭をせしめたり・・・ この点、ヘミシンクそのものの賛否は言われているにせよ、モンロー研のセミナーは様々な理由から依存体質を生みにくいという特徴を持っています。第1に、ヘミシンクのワークショップ自体が、個々人の自立を促すという目的が前提として存在しているということ。第2に、第1の点を前提とした上で、モンロー研のセミナー自体が極めて高額であるために、そのことが依存体質を逆に生みにくいシステムを作り出していること、が挙げられます。第2の点というのは、第1の点がなければ問題がないわけではないのですが、モンロー研の最大の特徴は、最初から目指すところがセミナー参加者の自立形成の促進にあるという点にあるようです。私は、これが唯一の救いではないかと思っています。ただ、庶民感覚からすれば、1回のセミナーで数十万もの大金をとることは常識的には考えられないことですし、普通の人ならば到底参加できません。我々自身の心にある「良心の目」からみれば、ちょっと痛々しい感じがします。話がそれましたが、あくまでも私達がフォーカスすべき点は現実世界にあります。にもかかわらず、今のスピリチュアルの世界全体を見てみると、スピリチュアルな能力を商売とすることにより、依存する側、依存される側という関係を生み出したり、必要以上に霊能開発をさせるように促すことで、現実世界から逃避させるようなシステムを暗黙の了解のうちに組織的に行っているという側面があるように思います。しかし、それは霊性開発の道、すなわち、いわゆるアセンションを目指すような方向性とは真逆の方向を歩んでいるように感じます。いわゆる「卒業」とは何かを突き詰めて考えていくと、こういった人としての基本的なあり方というか、いわゆる心の中にある良心的な部分は避けては通れない気がするのは、私だけでしょうか。「他人」は欺けても、「自分自身」の良心は欺けません。庶民的な低額な料金で、個々人の自立を促すために最低限度のアドバイス等を行うのであれば、それはある意味、良心の目を欺くものではない気がします。しかし、そうではなく、高額な受講料を所得の低い人達からとって、さもそれが当然だという風潮があります。金持ちだけを相手にしているから問題ないのでしょうか。そうではないはずです。アセンションするためには、できるだけ高いレベルまで登り詰めなければならないと言われれば、何もわからない人はそれを真に受けてしまいます。その結果、なけなしのお金を高額なセミナーにつぎ込んでしまうことにもなりかねません。セミナーに行っても何も体験できなければ、「それはあなたの問題です。こちらとしては、万全な体制でサポートをしています。」などということにもなりかねません。もちろん、私自身、ヘミシンクを自分でやっていますから、ヘミシンクの有用性は認めます。しかし、いわゆるアセンションを名目に高額な受講料を当然のように中・低所得者層から吸い上げるシステムが、暗黙のうちに、それが当然であると言わんばかりに社会の中に浸透しているという現実。マザーテレサが聞いたらなんというでしょうか?マザーテレサがそのようなセミナーを「アセンション・意識の探究」という名目で行うことを考えてみてください。まずそんなことはあり得ませんよ。なぜなら、良心の目がそれを許さないからです。申し訳なくて間違ってもそのようなことはできません。今のスピリチュアルな業界にはびこっている現実。これはとても悲しむべきことだと感じています。これが本当に、「卒業」に向かう道なのでしょうか。いわゆる「卒業」とはかなり離れた内容となってしまいましたが・・・でも、おかしいとは思いませんか?私はおかしいと思いますけどね。もし本当に霊性進化の道、アセンションの道に必要なものならば、無償で提供すべきです。もしそれが現実的に無理ならば、低価格で。自分自身の「良心の目」に照らして判断しますと、それが本来あるべき姿のような気がします。まあ、考え方は人それぞれだとは思いますけどね。それでは!
2010.06.30
今日は少しリトリーバル(救出活動)について書きたいと思います。一応、このブログは「imimiのリトリーバル日記」というタイトルになってますからね~(笑)最近、このタイトルとは無関係なことをやり続けておりますが(笑)。まあ、それもいいでしょう(笑)。 今日OWブログを拝見していて、改めてなぜリトリーバルをするのか?ということを考えてみたくなりました。と言いますのも、私の過去ブログを見ておりますと、初期の頃はず~っとリトリーバルばかりやってましたので(笑)、あれだけを見ると、あーそうか、人間は死んだらかなりの確率でF23や信念体系領域に囚われてしまうんだな~と思われるかもしれません。確かに、シルバーバーチなんかによれば、一昔前はそういうこともあったようです。ですが、今はそのようなことはなくなっているみたいです。それがなぜかはよくわからないんですけど。 あの世では、時間というものは存在しないと言われていますが、今の我々の現実世界に対応した非物質界においては(パラレルワールドのような特定の現実世界に対応した世界線のようなものを非物質界においても想定してください)、囚われるということは少ないみたいです。そして、今後はもっと少なくなっていく可能性があるみたいです。それには、高次の存在からの働きかけというものがあるんだろうとは思います。すべての確率的偶然性における世界をみたわけではありませんが、私がこれから進む可能性のある世界においては、今後数十年のうちにいわゆる信念体系領域は徐々に縮小していくというビジョンを見せられたことが以前ありました。ただ、それは私が進む可能性のある現実世界に対応する非物質世界ということであって、他の方にもそれが同様に当てはまるかどうかはわかりません。なので、あくまでご参考までと言うことでお願いします。 私がここで言いたいのは、人間死んだら必ずしも囚われるわけではないのだということです。むしろそういった場合は、現在のC1に対応する非物質領域においては少なくなってきているのだということのようです。というわけで、リトリーバルを死者にしなければならないという心配は通常はしなくてもいいのですが、仮にしなければならないとしても、私個人の考えとしては、あくまで自分自身(I/Tメンバー)に対するリトリーバルというものは存在しても、他人のためのリトリーバルは存在しないし、その必要もないのではないかと常々考えてきましたし、今もそのように考えています。 むしろ、他人のためのリトリーバルをしようとすると、その人のガイド等から止められることがあるみたいです。私は、ヒーリングで似たような体験をしました。ある方の呼びかけで、その方のお母様に対して非物質的に囚われていらっしゃる所まで行き、ヒーリングをしようとした時のことです。その方のガイドと思われる方から止められました。言葉では言われなかったんですが、やさしい感じで、大丈夫です、そのようなことはされなくて結構です、ありがとうございます、みたいな感じで言われました。人が例えば亡くなった際、一時的にF23等にとどまったとしても、そこでの経験・学びというものがその人自身の進化のために必要な場合もあるのではないかと思います。だから私は、上の例でF23におられた方のガイドに止められたんだと思うのです。そんなわけで、私は常々、リトリーバルの依頼を受けてもすべてお断りしてきましたし、他人のリトリーバルをすべきかどうかというご相談をいただいた際にも慎重に対応されるようにと申し上げてきました。 では、いわゆる大災害時における共同リトリーバルについてはどうなのでしょうか。私は、これはありだと思っています。なぜなら、あのような災害現場においては、実は必ずしも「囚われている」わけではなく、亡くなった後に速やかにしかるべき領域へと移行するお手伝いをさせていただいているにすぎないからです。もちろん、日航機墜落事故現場のように、本当に多くの方の怨念が囚われているようなケースもわずかですがありました。しかし、そのようなケースはまれで、いわゆる自然災害で亡くなるような場合には、基本的には囚われることはないのではないかと私は考えています。ですが、たとえ囚われることはないにしても、亡くなった人が速やかに新たな世界に移行できるように援助する存在というのが大規模な災害現場には必ず存在しています。そこには、高次の存在も、そうでない存在も含まれています。つまり、そうでない存在というのは、我々のようなボランティアとして駆け付けている存在のことです。ですから、災害現場における共同リトリーバルというのは、なんら問題はないわけです。この辺の区別というのを、できればしていただくとありがたいかなと思っています。 つまり、リトリーバルをするのはあくまで自分自身(I/Tメンバー)のためが原則であって、それ以外に他人のためにリトリーバルをする必要というのはないのだということです。ただし、災害現場については、多くの人はその場に囚われるのではなく、単なる移行期におかれているにすぎないので、いわばボランティアとして高次の助力を得て一緒に働いているのだと。 ところで、リトリーバルというのも、霊的な側面からよく考えてみますと、おかしな話なんです。なんでそんな奇妙なことするの?という点において。そんなことしなくていいじゃん、みたいな(笑)。ですが、それには、多次元的な側面からの考察というものが必要になってきます。いわゆる「自分」というもののとらえ方についての再考をした場合の考察です。 「すべてなるもの」の視点からすれば、他人というものは存在せず、すべて「自分」となるわけですが、我々は今、現実世界でメインに生きていますから、我々がしなければならないのは、現実世界において経験を積むことだけです。それ以外には基本的にはありません。ですから、あくまで私個人の考えとしては、自分自身(I/Tメンバー)をリトリーバルすると言っても、現実世界をよりよく過ごすために必要な範囲でいいのではないかと思うのです。あとは、先日ある方からも言われたように、地球浄化活動の一環としてボランティア活動をする分には構わない気がします。ボランティアは物質世界からでも非物質世界からでも関係なくできますから。そこには「なぜそんなことをするのか?」というよりも、「何か人の役に立ちたい」からする、という動機が個人的には大きい気がしています。仮にそれが自己満足であったとしてもです。働きたいから働く、ただそれだけです。ぶっちゃけた話、したければすればいいですし、そうでなければ特に取り立ててする必要はないわけです。現実世界を生き切ることの方がよっぽど大切なことですから。ですが、私個人の話に限定させていただくとすれば、私はボランティアとして様々な活動をしてきましたし、今後もそのつもりです。 あと、ちょっとだけ踏み込んだ話をさせていただくと、実は私達というのは、様々な存在に助けられながら今ここで生きているのですが、その存在の中には、別側面としての「自分」がいます。つまり、多次元的に見れば、私達は今、自分で自分を助けながら今ここで生きているのです。そこには、セスのいう確率的偶然性からみた「自分」や、輪廻している多次元的な「自分」がガイドとして援助してきていたりします。そして、同様のことは、今ここにいる我々についてもそうなんです。つまり、我々も、ガイドとして、多次元的に他の「自分」を援助しつつ生きているという側面を少なからず持っています。たとえどんなに無自覚であったとしてもです。 つまり、我々が「自分」だと考えている意識というのは非常に狭くて、我々の認識の及ばない「自分」にも本来の我々の意識というのは及んでいる。そのはたらきによって、我々は今ここに生きつつも多次元的に他の「自分」を助けつつ生きている、こういうことなんです。ですから、リトリーバルやそれにかかわる仕事というのは、本来は誰でもやっていることなのですが、それについては普通の人は普段全く無自覚なわけです。それはあたかも、寝ている間に誰もが体外離脱しているのに気づいていないのと同様です。ですから、多次元的に考察してみれば、リトリーバルはなぜ必要かというよりも、いわば空気のような当たり前のものと言った方がいいかもしれません。 ですが、あくまでそれは、いわゆるI/Tメンバーに関してです。特に、今生での自分と非常に深い関わりを持っている「自分」に関してです。いわゆる「自分」と言っても、輪廻している「自分」、そして確率的偶然性における「自分」まで含めれば、何千人もいると思われますから。話がややこしくなってますが、ここでは基本的にはフォーカス35にあると言われているI/T(I/There、ディスク)の中において、特に自分とのかかわりの深い「自分」を指していると思ってください。厳密には、それだけではなく、確率的偶然の世界にいる「自分」も含まれてくるということです。もっとわかりやすく説明してくれよ!と思われる方もいらっしゃるかもしれません。ですが、それは無理なのです(笑)。向こうの世界というのは、我々の常識をはるかに超える世界ですから。というわけで、今回は、私自身が普段しているリトリーバルについて考えてみました。それでは!
2010.06.29

私が普段よく訪れている神社は、深い森と接しているところでして、地元でもパワースポットと言われているところです。その神社は上空から見ると、ナスカの地上絵のような巨大な鍵型をしています。大きな参道があって、その先に神殿がある敷地がT字のような形をなしています。私はいつも、その大きな山道ではなく、裏の参道から境内に入ります。鳥居が2か所にあるんです。正面の参道も強いんですが、こちらの方がよりエネルギーが強いように感じられます。 鳥居に近づくにつれ、清々とした雰囲気が漂ってきます(写真の鳥居は、手前が境内になっています)。私には、この鳥居付近が最も強いエネルギーを感じました。マカバを作ればもっとわかりやすいんだろうとは思います。この時訪れたときには、いつもの清々した空気だけではなく、ハイハートセンターまで強烈なエネルギーが降りてきていました。話は多少それますが、神社も人間と同様、多次元的に存在しています。この現実界だけではなく、非物質界でもちゃんとした実体を伴って存在しており、非物質界の神社においても多数の存在が働いているのが感じられます。以前私がアマテラス(太陽意識)と頻繁に会っていた時には、この神社を訪れた際、アマテラスがずっと同伴してくれていたことがありました。私が家を出てからずっとです。まるで保護者みたいな感じでした(笑)。そして、先程ご紹介した鳥居の前に来ると、必ず神社で仕えている存在が私を出迎えてくれていました。平安貴族のような格好をした男性でした。今行くと、ずっと付き添ってはくれませんが、鳥居の入り口のところで巨大な巫女さんの姿が見えたりはします。以前はそのように非物質界の鳥居のところで神社の宮司?と出会った後、現実世界では境内をずっと進んでいきつつ、非物質的にも同時に境内を進み、参道を抜け、本殿に入り、非物質的な本殿内で神我と共鳴して、高次の自分とつながりエネルギーを降ろす作業をしていたりしました。それらは、おそらくはアマテラスの指示で行っていた気がします。また、より高次元の視点から霊眼で見ると、神社の持つエネルギーフィールドは、青い空に浮かぶ白い銀河状の渦巻き雲のようにも見えたりします。その中心に入っていくと、特定の神社(つまり今訪れている神社)のエネルギーフィールドに入っていく感じです。話がそれましたが、このように、神社というのも多次元的に存在していて、物質の目で見るのと同様のリアルさで非物質的な神社というのも存在しています。今回もいつもと同様、神社の境内に入り、静寂とした中を歩いて行きました。参道はずっと森におおわれている感じなのですが、ところどころに小さな鳥居と社があって、複数の神様が祭られているみたいです。この神社の御祭神は、大国魂神、大那牟遅神、少彦名神、明治天皇らしいですが、参道の脇に祭られているのは、それとは別の神様みたいでした。森のような参道を抜けていくと、高い木に囲まれた場所に出ます。ここに入ると、凛とした空気に変わります。とても落ち着いた癒しのエネルギーに満たされている感じです。高い木々に意識を凝らして見ると、たくさんの木霊が白い綿菓子のような感じで浮いているのが感じられます。そこを抜けると、手水舎があって、そこで身を清めた後、本殿へと向かいます。本殿は割と広い感じです。この本殿内も、それまでとは別のエネルギーフィールドになっています。より凛とした感じが強まる感じがします。そして、本殿へと進み、そこで御柱建てを行わせていただきました。本殿を出ると、わきのところに北海道の開拓に深く関わった人物の銅像が立っていました。 そして、本殿前の参道を非物質的に見ると、強いエネルギーの通り道になっているように感じられました。太いエネルギーが本殿から鳥居に向かって突き抜けていく感じです。実は、この神社では何度が御柱を建てさせていただいています。だからなのか、ここに行けばいくほど、癒しに満ちた空間に感じられています。ちなみに、ここのおみくじ、よく当たるんです(笑)。まるでガイドが引かせているんじゃないかと思ったりもします。ヘミシンクを始めるずっと前から、もっというと20歳くらいの頃から、私はいわゆる神社仏閣を訪れるのが好きでした。ただ訪れたいから訪れていたという感じでした。そしてそれは今でも続いています。その月にもよりますが、月平均1~2回程度は自分が住んでいる地元の神社を訪れています。生まれ故郷の町の神社にも2年に1度くらいは訪れるようにしています。もっとも、生まれ故郷の神社を訪れる理由はほかにもあって、1つには先祖の墓参りをするためでもあります。他にも、癒されたいからというのもあります(笑)。神社もそうですが、生まれ故郷の土地がもつエネルギーというのがあって、そこに行くと癒されたりします。特に北海道は、土地自体に強いエネルギーを持っている場所がいくつかあります。大地からくるエネルギーがとても強いんです。例えば、北海道の真ん中あたりにある美瑛なんかはそうですね。そこでは地球意識が語りかけてきたりします。他にも、洞爺湖周辺なんかもそうだと思います。そして、私の生まれ故郷の町もそうなんです(笑)。思うに、そのような癒しを求める気持ちから、私は今でも欠かさず神社仏閣を訪れているんだろうと思っています。そして、リトリーバルを始めてからは、多次元的自分というのもなんとなく感じ取るようになり、他人(=自分)も癒したいと考えるようになっていきました。つまり、自己浄化のために様々な救出活動をしてきたんだろうと思っています。今回は、先日訪れた地元の神社で御柱建てをさせていただいたときのことをお話ししました。今、OWでは、さかんに御柱建てがされていますが、私が光の柱建てをするようになったのは、今から半年くらい前からです。訪れた旅行先で神社を訪れた際に高次の自分とつながりエネルギーを降ろしてくると、ちょうど巨大な光の柱のように見えたのです。御柱建てをしていたのは、主に先程お話しした生まれ故郷のいくつかの神社でした。あと、最近では、北海道の定山渓という場所でも御柱建てをしたりしました。ここは山の谷間にあるんですが、温泉街になっていて強い癒しのエネルギーに満ちているところです。私の場合、御柱建ては常にガイド(女性の高次)と行ってきたように思います。以前このブログでも何度も登場してきている人物で、私にはルシアさんの高次であると感じられます。それは、私とルシアさんがツインフレームであると高次から伝えられていることに深く関係しているみたいです。ちなみに、この高次はアマテラスと同質のエネルギーを持っているように感じられますが、アマテラス本人ではないようです。それとは別のパーソナリティーをもった存在として私には感じられます。ですが、かなり進化した存在で、強い癒しの力を持っています。この存在には今まで様々なことを教わってきました。救出活動中にもPULの出し方を教わったりしてきました。いまでも様々な活動で協力を得ています。今まで何度か御柱建てと言ってきましたが、その意味するところは、私は、「自分が自分と向き合い、神我とつながる」ことにあるのではないかと個人的には思っています。光の柱建てとも言われたりしますが、ここでいう「光の柱」とは、人間そのものではないかと思うのです。多次元的にみれば、人間とは神(創造主)の分霊のようなものですから。そして実際に、人間は光の柱として感じられる場合があります。その光の柱は、創造主、すなわち「すべてなるもの」から連綿と続いてきており、我々のいる地球まで降りてきているように感じられます。また、その光の柱は、個々人の意識レベルや霊性の高さによっても大きさや印象に違いがあり、地球上でいわゆる聖人と呼ばれたような人物を霊視すると、その光の柱はものすごく巨大で光り輝いているように見えます。そのような規模には個人差があるものの、神我とのつながりが強化された人がその場所にいるだけで、その場所には光の柱が建ちます。これが「御柱建て」なのではないかと自分でやってみて思うようになりました。ですから、人は、生活する場所、訪れる場所すべてにおいて、神我との結び付きが強化されていれば、その場所に光の柱を建て続けることになるんだろうと思います。同時にそれは、地球意識や源(=人類全体の集合意識。突きつめれば創造主まで連綿と続く意識の系譜。)との結び付きを強化し、自分を癒し、土地を癒し、周りの人々を癒します。このように、あくまで私の場合ですが、まずは自分が癒されたいという思いから(笑)、自分自身(神我)と向き合い、様々な場所で光の柱を建てています。というわけで今回は、初めて私が普段している御柱建てについてご紹介しました。それでは!
2010.06.21
今月はブログの更新が続いています。それはお知らせすべき重要な情報が多いからです。また、私はOWブログのほうとも当初から関わっており、そちらで様々な形で浄化の波が到来しているといった事情もあります。どうやらそれは、今到来している大きなエネルギーの流れとも関係しているみたいです。 詳しくはOWブログ(http://ichigenka.jugem.jp/?eid=811)やCOKOさんのホームページ(http://divasoul.blog17.fc2.com/blog-date-20100619.html)をご覧いただきたいのですが、明日6月21日の夏至の日は、非常にエネルギーが高まるとされています。確かにここ1~2日くらいの間にエネルギー的な高まりを私も感じていました。ただそれが何によるものかはわからなかったのですが。We Are The Worldを聞いたせいかな?などと思ってましたけど~(笑)OWの方は、いつも通り共同探索のときにエネルギーワークに参加されてみてください。特に、ご自分の源、神我を意識されてみてください。それが皆様にとっての唯一の「源」ですから。ルシアさん式のやり方ですと、曼荼羅の中央にある次元の窓から意図して飛び込めば、ご自身の源までたどり着けるはずです。あるいは、よくわからないという方は、曼荼羅を皆で手をつないで囲むようにしているとイメージして、エネルギーを右回りに回すように意図されてもいいと思います。これはもっとも初期の頃にルシアガーデンで行われていたエネルギーワークのやり方ですが、非常に有効なやり方です。ルシアガーデンは現在フォーカス35(5次元)にありますが、上空の曼荼羅は多次元的構造をなしていて、どこの次元に存在すると明確に特定できない状態にあります。ですが、「ルシアガーデン上空の曼荼羅へ行き、エネルギーワークに参加したい。」と意図すれば問題なく行けます。 ところで、マイケルジャクソンの新しい映画が今週金曜(25日)から公開されるみたいです。ものすごいタイミングの良さですね。ちょうど10日前くらいから、We Are The Worldやマイケルジャクソンの曲のご紹介をしていたところでしたから。是非興味のある方は観に行かれてみてくださいね。マイケルの映画ならば世界中の多くの人々が観るはずですから、すでに光のネットワークにつながっておられる方は特にご覧いただいて、より多くの人との間で新たなパイプ役を務めていただければと思っています。マイケルが歌を紹介してほしいといったのには、こういった隠された意味もあったのかもしれませんね。OWで光のネットワークにつながっておられる方は多いはずです。また、最近コメント下さるようになった方でも、コメントで体験等を拝見いたしますと、光のネットワークに既につながっておられる方がいらっしゃるようです。光のネットワークが何かについては、以前ご紹介していた、太陽意識にアクセスする方法を想定していただければありがたいです。詳しくは、画面の左横の「Freepage List」にある「太陽意識とのつながり方」等を参照にされてみてください。光のネットワークという言葉自体は、Kagariさんの言葉を借用させていただいています(http://mihoh.seesaa.net/article/147689479.html)。 もしくは、難しくてよくわからないという方は、伊勢白山道さんのおっしゃる日常生活から得られる内在神の導きに従ってもよろしいかと思います。これは、(静的な)瞑想に対して、動的な瞑想とでもいえるもので、普段通りの生活をしながら覚醒に至るための方法です。伊勢白山道さんによれば、その基本的姿勢としては、「感謝」にあるとおっしゃっています(http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/27993f0a32212de0c6ed780954bdcfd2)。あらゆるものに対する感謝です。それを常に意識しつつ、霊線の浄化(伊勢白山道さんは、線香を用いた供養法を勧められています)をしつつ、普段通り泰然として日常生活を送るやり方です。 夏至の日に間に合わなくても、エネルギーの大きな流れは、6月13日から7月11日までの間に来ると言われており、(http://ichigenka.jugem.jp/?eid=809)、その間、心静かに日々のやるべきことに努めていればよいのではないかと思います。そして、できるだけ以前ご紹介したようなハートを開くような音楽を聴いたり、美しい自然の美に触れたり、友人や家族と楽しいひとときを過ごしたりといった体験を設けることが有益ではないかと思います。言いかえれば、霊能の道に進むのではなく、霊性の道に進むことなのではないかと思います。以前お話ししたように、霊性の促進の鍵は、日常生活の中にあると思われます。(http://plaza.rakuten.co.jp/imimi/diary/201006090000/)そのようにして、心静かに日々のやるべきことに努めていればよいのではないかと思います。 「今ここ」での生活を大事にしつつ、今回到来すると言われている大きなエネルギーの流れを利用されてみていただければと思います。今回のエネルギーの到来に際して、そのチャンスがすべての人に開かれますように。そして、すべての人にとって最善でありますように。 それでは!
2010.06.20
「あの方」との約束ですから、歌のご紹介をしたいと思います(笑)。アクセスが集中すると、映像が止まったりしますが、その場合は、曲名をYou Tubeの検索するところに張り付けていただいて、他の動画をご覧ください。選曲については私の直感で選ばせていただきました。いやー、正直びっくりしました。皆様、特に最初にご紹介する曲の歌詞にご注目ください。「あの方」にも、すべてお見通しなんですね(笑)。まずご紹介するのは、「BAD」です。これは比較的最近、といってももう23年も前ですけど、マイケルジャクソンの曲の中で個人的に好きな曲です。この曲はかなり早口なのでいままで何言っているかわかりませんでしたが(笑)、今回ご紹介するにあたり、日本語訳付きのPVを探して見て、その歌詞を見たとき驚きました~もう、そのまんまじゃん!(笑)http://www.youtube.com/watch?v=xP4oDb_JDLU&feature=PlayList&p=ED422FBDFA152514&playnext_from=PL&playnext=1&index=9「あの方」が私に歌の紹介をしてほしいなんて変だと思ったんですけど、こういうことだったんでしょうね~さて、次いきましょう(笑)。次にご紹介するのは、曲のコメント欄にもあったんですが、一言でいえば、凄すぎです(笑)。その意味は、ご覧頂くとすぐにわかります。探すときは「MTV AWARDS PERFORMANCE」で検索してみてください。これは、1995年MTVアワードでのパフォーマンス 伝説の15分と言われている部分の一部です。http://www.youtube.com/watch?v=CTPIo9P0SVkあれだけの動きをしながら歌い続けるには、並はずれたトレーニングが必要だったんでしょうね。普通、できませんよ(笑)。次は、アルバム「BAD」に収録されている曲なんですが、この曲も個人的にお気に入りです。「I Can’t Stop Loving You」という曲です(検索するときは「Michael Jackson - I Just Can't Stop Loving You 」で検索してみてください。)http://www.youtube.com/watch?v=GRQqquMIbMcご紹介したのは、マイケルが日本に来た時の映像です。これを見たとき、ハートチャクラ、ハイハートセンターにきました。実はこの曲、マイケル自身が特別に思いを伝えていると思われる部分があります。それは、曲に入る直前の出だし部分なんですが、こんなことを言っています。A lot of people misunderstand me, so long.(「多くの人は僕のことをずっと誤解している。」)最後にご紹介するのは、マイケル・ジャクソンの平和に対する思いを率直に吐露したマイケル自身のスピーチです。スピーチの後に続く曲は、「We Are The World」のデモテープみたいです。http://www.youtube.com/watch?v=PlidCeH3j-wマイケル自身が作詞・作曲したのは、本来はこういう形だったんでしょうね。最終バージョンは、ライオネル・リッチーとの共作になってましたからね。このスピーチは2002年に行われたものらしいんですけど、すぐにお分かりいただけるように、あの「We Are The World」での体験がマイケル・ジャクソンに強烈な影響をその後もずっと与え続けていたようです。彼だけではなく、他の多くの歌手も、より幅広い視点から見て今自分がやるべきことを自覚するようになっていったんだと思います。ですから一部で言われているように、あの曲の後、多くの歌手に劇的な変化が起こっているわけなんでしょうね。物質界から見た真実と非物質界から見た真実は、時として真逆になることがあるらしいですから。レイ・チャールズはすでに伝説だったから影響がなかったんだと言っている人もいるようですが(笑)。いい加減なこと言う人もいるもんですね~(笑)。それでは!
2010.06.18
今日、電車の中で面白い体験をしました。私は普段、あえて非物質界にはつながらないように意識しています。そうしないと、くせになってしまうからです。ですから、最近はもう、電車の中ではリトリーバルをしなくなりました~(笑)ですが、今日、ふと電車に乗っているときぼ~っとしていると、ある方の印象がやってきました。向こうから近寄ってくる感じなのですが、もしかしたら私の方から無意識にフォーカスしていたからかもしれません。振動数はかなり高めな感じで、顔の周りの背後が光り輝いています。その方は、生前、外国人の男性で、歌手だった方なんですが、「~!」(←私の本名です)と言って、笑顔でハグしてきました。その時のPULのすごいこと!(笑)その方がおられる場所に案内されていくと、すごい邸宅でした。リビングに案内されました。ぱっと見でものすごい広さなのはわかるんですが、細かいところまでは把握できません。わかったのは、中央にあるソファーとテーブルで、その奥には庭がガラス越しに見えていて美しさで輝いています。そのようなめっちゃ広い家に一人で住んでおられる感じで、普段何をしているのかと聞くと、好きなことをしていると言います(笑)。で、その方、生前は歌手だった方で、今でも(向こうの世界に移られてからも)コンサートなどをされているようなことをおっしゃっていました。ふと私はここのフォーカスレベルが気になり、サーチしてみると、「フォーカス49」と浮かびました。7次元におられるみたいです(笑)。そんな方もいるんですね~!びっくりです。私はふと、促されるように、地球に何かボランティア活動か何かされているのかと聞いてみました。すると、その方は、「地球浄化活動のことだね?」とおっしゃいました。いわゆる、今地球でアセンションのためにされている様々な援助的な活動のことを指しているみたいですね。その方は、「僕にとっての何よりの役割は、歌うことによって人々を勇気づけることなのさ。」みたいなことをおっしゃいました。あーそうだ(笑)、その方は、「僕の歌をみんなに紹介してほしい。」とおっしゃっていました(笑)。そのうちご紹介できたらいいかなと思っています(笑)。その辺で時間がないため、そして、あまりに突然のことでしたし、有名すぎてちょっと気後れしたのか、私はC1に戻ることにしました。なぜか今はまだその方とは会う時期ではないと感じていたこともあります。とにかくその方は、私と話している間、終始笑顔でした。人との出会いというのは、不思議なものですね。一度もお会いしたことがないのに、しかも外国の方なのに、不思議なつながりで向こうの世界でお会いできたりすることもあります。今回の方は、愛に満ちた方でした。そして、終始笑顔でした。私もそうありたいものだなと思いました。その方は生前、多くの誤解を受けていた方なのですが、実際に会ってみると、すばらしく愛に満ちた方でした。人間というのはわからないものですね。そして、マスコミの報道が時としていかにいい加減なものであるのかを思い知らされる思いでした。今朝、ほんの2~3分の出来事だったのですが、思わぬ出会いがありました。人との出会いは大切にしたいものですね。それでは!
2010.06.17
最近私は、他の方のブログも拝見させていただくようになりました。以前はほとんどなかったんですが、自分自身の中ではヘミシンク体験は一通りやり尽くした感があるので、今少しずつ自分自身の体験を振り返りつつ検証作業をしたり、体験をどのように日々の生活に生かしていくかを模索しています。まあ、検証するといっても限界があることはあるんですが、特に参考にさせていただいているのは、Kagari ∞ Kazukiさんのブログと(http://mihoh.seesaa.net/)、伊勢白山道さんのブログです(http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou)。いつも勉強させていただいています。このお二人のブログは毎日欠かさず拝見しています。内容的にみて信頼性が高いと個人的には考えているからです。お二方とも、私とはタイプが少し違う方で、Kagariさんは私とは違った側面から精度の高い情報を降ろされておられますし、伊勢白山道さんは、一本筋の通った、神我が共鳴するような素晴らしいお話をされています。そして、このお二方と同じくらい私が注目させていただいている方がおられます。COKO LOURDESさんという方のBLESSED BLISSというブログなんですが(http://divasoul.blog17.fc2.com/)、すごくいい話なのでご紹介したいと思います。 「私たちは、不死の魂です。それぞれが、宇宙の一部であり、神です。終わりなき魂の旅の中で、今、そのことを思い出すときです。思い出して、自分という神として、エネルギーを動かし振舞うときです。2元性という仮想世界から脱却して、自分自身が、本来の、純粋な愛の光そのものである魂であるということを思い出し、その視点、神である自分の視点から、すべてを見ることが出来、創造する意識への到達が、アセンションという、自分が存在する次元の上昇でもあります。その意識は、ひたすら純粋な無条件の愛です。私はあなたであり、あなたは私。わたしは、宇宙です。あなたも宇宙です。神である自分への到達です。そんないきなり、神である自分、と言われても、おこがましくてとんでもない、と思ってしまう間は、アセンションは、まだまだ遠いかもしれません。なぜかと言うと、それは、エゴではなくて、自分の現実を、すべて自分が選択して創っていると心から理解し、責任を持つことでもあるからなのです。自分の人生の中で起きた何かを人のせいにしてきていたり、いつも何かの決断や行動を人任せにしてきていた自分ともさよならしなければ、神である自分には近づきませんし、UFOが来たって他の星の人と出会ったって残念だけど、次元上昇しませんよね。人任せしたりする神や責任転嫁する神なんてありえませんよね…(笑神じゃないから人間は完璧じゃないんだし、仕方ないんだよ、っていうのをアセンションしたいと思っているのに、逃げ口上的に使っているなら、それはアセンションに近づいていないことになってしまうかもしれません。気づいていないならしょがないけれど、気づいている癖なら逃げ癖を手放したいですね。完全を意識しなくたっていいんです。悲観せず、前向きな気持ちで気持ちよく、そのときのベストを尽くせばいいんですもの。そのときの最高の自分の視点で最高の自分の選択をして最高な自分として言動する。それを癖付ける。神のように振舞っていかなくては、完全な自分を思い出していきにくそうですね。エネルギー法則を理解し、自ら健康になり、人生を楽しく思うように創り生きる、それが出来るようになっていく過程で、宇宙の一部であり、己の神である自分を理解していくことでしょう。卑下せず、悲観せず、ご自身を前向きで純粋な愛の光で包んでみてください。今まで、自分なりに、もがきながらも頑張ってきた自分を、柔らく温かくて陽だまりのような穏やかで真っ白な光で、ゆるゆるとご自分自身を抱っこしながらゆっくりと寝てみてください。苦しかったこと、辛かったこと、すべて自分が選択した結果であり、何かを経験し何かを知るために必然だったからこそ、今この瞬間ここに生きていることを受け容れてみてください。そして、今ここに生かされている自分は今まで関わってきたすべての魂たちのお陰でもあると、大好きな人、嫌いだった人も含め、全てに感謝してありがとうと愛の光を送ってみてください。すべてが愛しく感じられるまで、いろいろな不要なネガティヴな引きずってる想いをすべて手放してポイしちゃうととっても楽になります。過去の感情を思い出して手放すときたくさん泣いたっていいんですもの。涙は浄化作用ですもの。いっぱい泣いて、全部バイバイして、ありがとうね。って心から言える自分に早く近づけるといいですよね。みんなラストスパート、お互いがんばりましょうねっっ。すべてに感謝!!」ということでした。いわゆるスピリチュアルな話というのは、人から聞くと、なるほどな~と頭では理解できたつもりでも、自分の言葉で語るとなると難しいものですし、ましてや実践するとなるとなおさらです。COKOさんのような話は、自分の体験が伴ってないとなかなか話せませんし、心に響いてきません。ですが、COKOさんはご自身の体験が伴っている方なんでしょうね。読んでいてそう思いました。自分自身のネガティブな部分というのは、正直見たくないものです。ですが、ポジティブな面だけではなく、ネガティブな面もすべてさらけ出してありのまま見つめ直さないと、本当の自分の姿というのは見えてこない気がします。私だって、ネガティブになるときはあります。怒るとき時は怒りますし、イラっとくるときはきます(笑)。特に、身内との間では出やすいです。ですが、それが現実なんです。いくらきれいごとを言っても通用しませんから。高次によれば、目の前で起こっているあらゆる現実は自分自身で作り出したものらしいです。たとえどんなにそれが信じられなかったとしても。ですから、嫌なことをされれば、それは自分自身が引き寄せたものですし、逆に、良いことをされれば、それもまた自分自身が引き寄せたものです。それが霊的な眼からみた真実なんです。普段なかなかこういったことをお話しできる機会はありませんが、霊能力がどうとか、ヘミシンクで体験ができるとかといったこと以前に、非常に重要なことだと思いましたので、COKOさんのブログをご紹介させていただいたうえで、自分自身の思うところを述べさせていただきました。それでは!
2010.06.15
昨日ご紹介した「We Are The World」ですが、それを作っているときの映像というのもYou Tubeで見られるみたいです。全部で1時間くらいあって長いんですが、個人的には大変興味深かったです。驚いたことに、あの「We Are The World」は、一夜にして作られたそうです。夜の9時くらいから顔合わせがあり、夜通しでリハーサル等がされ、明け方に完成したのだとか(笑)。参加したアーティストの一部が、どういう気持ちで参加していたのかについて語ったシーンがあります。ここではその部分だけご紹介したいと思います。こちらです。http://www.youtube.com/watch?v=slx1RQZo2gg5分くらいで見られますから、ぜひご覧ください。(なお、全部については、You Tubeで「we are the worldメイキング映像」で検索すると出てきます。1/5から5/5まであります。)
2010.06.11
ハート・チャクラ(第4チャクラ)とハイハートセンター(ハートチャクラとのどのチャクラの中間あたりにある第8のチャクラ)を開くのに最適な曲がありました。「We Are The World」です。(アクセスが集中すると、曲が止まるみたいです。その場合、You Tubeの画面の右のところから、適当に別の「We Are The World」を選んでみてくださいね)Wikipediaによると、「アフリカの飢餓と貧困層を解消する目的で作られたキャンペーンソングで、1985年当時、アメリカ国内だけでシングル400万枚、アルバム300万枚を売り上げた。最終的にはアメリカだけで750万枚のシングル(7インチと12インチ版が用意された)が売れ、シングルとアルバム、ビデオの合計で6300万ドルの収入となり、すべての印税はチャリティとして寄付された。」らしいです。ものすごくいい曲です。チャクラの訓練を兼ねて(笑)、ぜひお聞きください。ハートチャクラもすごいですが、ハイハートもかなりすごい感じです。マイケル・ジャクソン、若いですね~http://www.youtube.com/watch?v=wXTcV0F4Dm0&feature=related~アフリカ飢餓救済チャリティーレコード~WE ARE THE WORLD USA for AFRICA(作詞作曲 マイケル・ジャクソン ライオネル・リッチー)今こそあの声に耳を傾けるんだ 今こそ世界が一丸となる時だ人々が死んでゆくいのちのために手を貸す時がきたんだそれはあらゆるものの中で最大の贈り物これ以上知らん振りを続けるわけにはいかない誰かが、どこかで変化を起こさなければ僕らはすべて神のもと、大きな家族の一員なんだ本当さすべての人に必要なのは愛なんだCHORUS:僕らは仲間、僕らは神の子供たち明るい明日を作るのは僕らの仕事さあ今こそ始めよう選ぶのは君だそれは自らのいのちを救うことなんだ本当さ、住みよい世界を作るのさ君と僕で・・・心が届けば支えになってあげられるそうすれば彼らも力強さと自由を手に入れるだろう神が石をパンに変えて示してくれたように僕らもみんなで救いの手をさしのべるべきなんだREPEAT CHORUS:見放されてしまったら、何の希望もなくなるものさ負けたりしないと信ずることが大切なんだ変化は必ず起こると確信しよう僕らがひとつになって立ちあがればいいんだREPEAT CHORUS
2010.06.10
クニさん釈迦本人が、悟りに到達するには瞑想が必要だとおっしゃったわけではありませんよね?私には仏教については詳しくありませんし、仏教どころかどの宗教についてもよくわかっていません。なので、これについて話す資格はないのかもしれませんが、あくまで一人の探究者の話としてお聞きいただければと思います。いままで様々な高次に話しを伺ってきましたが、共通するのは、「現実世界での経験を重視しなさい。」ということでした。つまり、「ありのままの自分を受け入れる。」ということです。ポジティブな面、ネガティブな面、中立的な面、すべての面において、喜怒哀楽を想いのまま表現し、そこで得た経験こそが何よりもかけがえのないものなんだということです。いかなる人生をおくるかは本質的なものではないようです。ブッダのように妻子を捨てて悟りの道を探求するような、いわゆる我々の常識とはかけ離れたことをする人もいれば、マザーテレサのように、初めは教師を務めていたのが、あるとき貧しい人を助けたいという一念から修道女の道に入り、無私の行為を生涯にわたって貫いた人もいます。逆に、まったく無名の、それでいて平凡な人生を貫いていながら、高い境涯に到達したという人もいるらしいです。そのことはセスが述べています(悟りとは何かについてはここでは深入りしません。)。その人にとっておかれる環境というのは様々ですから、どれが一番正しくて悟りへの道に直結しているのかなど誰にもわからないわけですし、そんな人生などおそらく存在しないんだ思います。要するに、たとえどんな人生を送ろうとも、乞食であろうと総理大臣であろうと僧侶であろうと、それは悟りへの本質ではないのではないかということです。そうなってくると、当然、瞑想するかどうかも、本質的とはいえなくなります。貧しくて日々の生活に追われ、瞑想さえできない人もいるからです。ですが、セスによれば、そういった人であっても、高い境涯に達することが可能だというのです。セスはこのように述べています。「わたしは歴史に記されるような、際立った人格存在を演じたことはありません。しかし、日常生活での親密で打ち解けた細部であるとか、何かを達成するためにごく当たり前に払われる努力、あるいは愛への渇望などといった体験を積みました。父が息子に、あるいは夫が妻に、妻が夫に対して抱く筆舌に尽くしがたい思い入れについて学び、また無謀にも、密度の高い人間模様のなかへみずから身を投じたこともあります・・・かつてわたしは12人の子をもつ母親であったことがあります。無学でお世辞にも美しいとは言えず、とりわけ晩年になってからは手に負えない癇癪もちになり、耳触りな嗄(しわが)れ声でよく毒ついていました。6世紀のエルサレム近郊でのことです。子供の父親は何人もいました。とにかく子供を食べさせるために、私は何でもしたのです。その時の名はマーシャバといいました。わたしたちは住めそうな場所であればどこにでも住みました。家の軒先にうずくまって暮らし、しまいには全員で物乞いをしました。しかし、その転生での物理的人生には、ほかの転生と比べて際立った特徴がありました。それは深く鋭敏な感受性です。わたしは一切れのかちかちのパンでさえ、それ以前の転生で食したどれだけ砂糖をまぶしたケーキよりも、はるかに美味しく感じることができたのです。子供が笑うと、わたしは喜びに圧倒されました。極貧の暮らしにもかかわらず、朝はいつも嬉しさに凱歌をあげました。誰ひとり眠っている間に飢餓に打ち負かされることなく、みな生き延びることができたからです。あなたがたが自分で個々の転生を選ぶように、わたしもその転生を故意に選択しました。なぜなら、それ以前の転生を経てきた結果、わたしは人生に満ち足りて倦み始めており、それまで如何に衝撃から過度に守られていたかを自覚したからです。もはやわたしは明晰なる判断のもと、現世のもたらす豪奢な体験や喜びに意識を向けることは二度とありませんでした。子供を怒鳴ったり、時には自然のもたらす悪天候に憤怒して喚き散らしたこともありましたが、わたしは存在そのものの荘厳さに打たれており、修道士であったどの転生よりも深く真の霊性を学んだのでした。これは極貧が真実への近道であるとか、艱難辛苦は霊性を高めるという意味ではありません。同じような状況でともに辛酸をなめても、そこからほとんど何も学ばない人もいます。これはあなたがた一人ひとり、これまで体験されてきた人生の状況は、自分の弱点や美点がどこにあるかを前もって知った上で選択したということなのです。わたしの人格のゲシュタルトのなかで、あなたがたの言葉では「その後」、わたしがもっと裕福な転生を送っていた時でも、マーシャバは―例えば、成人しても内なる子供が存在しているように―過去での生活とその時点での生活とを対象させられるよう、あふれるほどの感謝をもってわたしのなかに存在していました。彼女は、わたしが自分のそうした利点をうまく使えるよう促してくれたのです。」 このように、セスの話からもうかがえるように、我々の人生において何が絶対ということはなく、唯一あるとすれば、喜怒哀楽を通したその人の体験から得られる学びこそが真の霊性に結びつくのだということのようです。そういった趣旨から、貴重な人生の中で瞑想をひたすらすべきなのか、それとも、カタチにとらわれるのではなく、与えられた環境の中で現実から目をそらさないのか、そういった選択が我々にはゆだねられているのではないでしょうか。ご質問の答えになっているかどうかはわかりませんが、そのようにご理解いただければと思います。
2010.06.09
<ヘミシンクにて>クリエイティブ・ウェイ「内なる創造主」を使いました(何でもよかったんですが、これを使うようにとの指示がありましたので)。情報取得の精度を高めるべく、アファメーションでできるだけ深い変性意識に入るように意図しました。高次による誘導のヴィジョンがうっすらと見えてきました。何者か分かりませんが、女性の高次だと感じられます。その存在に導かれるようにしながら、意識の内奥へと進んでいきました。その進み方が変わっていて、私が上空へと一緒に向かおうとすると、「いえ、そうではありません。」という感じで、高次とハグした状態からどのような方法かちょっとわからないのですが、意識の内奥へとトンネルのようなところをくぐりながら高速度で進んでいきました。移動感覚は、トンネルのようなところを抜ける感覚として感じられました。次元を抜けつつ意識が拡大していくような不思議な感覚です。先へ先へと向かうにつれて、エネルギー的な圧力が増していきました。「源」の圧力です。それとともに、光輝く球体の中に、イエスキリストと思われる存在が見えてきました。これは象徴のようです。おそらくですが、サナンダ意識の本体と思われます。別の見方をすれば、いわゆる「源」です。私は、サナンダ(イエス)と思われる存在に、シルバーバーチについての真相を聞いてみました。しかし、それなら直接本人に聞いたらどうだという印象を投げかけてきました(「印象」という書き方をしているのは、言語を介さず思念のみでやりとりをしているからです)。同時に、サナンダの隣に、若いインディアンの姿が現れてきました。それは、今まで見たシルバーバーチの印象の中で最もクリアなものでした。よく見かけるようなインディアンとしてのシルバーバーチの肖像画に瓜二つのように思われました。以下は、非常に抽象的なやり取りとなりました。だいたいこのようなことを言われたと思ってください。会話調に情報変換したものを再びまとめ直してあります。「シルバーバーチという存在は、サナンダ意識(キリスト意識)を本体として一時期地球圏で活動していた。その霊体は、地球上で約3000年前に実在していたインディアンだ。しかし、その実体は、キリスト意識なのだ。それは、君(imimiのことです)が考えているように、創造主から連綿とつながる意識の系譜に由来する意識だ。その意識がある時期、数名の高次の連携によって、高次からのメッセージを取り次ぎながら地球圏まで届けていた。いわゆるキリストというのは、君たちの体系においては、三名の象徴化された存在によって具現化されている。イエス、ヨハネ、パウロだ。しかし、シルバーバーチがパウロに対応しているわけではない。それとはまったく別に考えてほしい。シルバーバーチのおおもとの集合意識がキリスト意識に由来している。こういうことだ。それが、インディアンというパーソナリティーを経由していた、こういうことだ。パウロが再生するのも、我々(キリスト意識のことです)の大きな役割の一環としてもたらされる。しかし、シルバーバーチのパーソナリティーがそれに関与しているわけではない。いわゆる人類の進化にとって我々が深くかかわっているのは、それが我々自身の進化にもつながるからだ。つまり、どのような見方・言い方であれ、我々には常にギブ・アンド・テイクとでもいうべき関係が常に成り立っている(人間的な支配・被支配、利用・被利用関係といった価値観を度外視して考えて下さい)。私(シルバーバーチ)が地上世界と交信中、自分自身の正体を明かすといったのは本当だ。しかし、それはこれから再生するパウロとは直接的なかかわりはない(しかし、そのことについての明確な返答は得られませんでした)。キリスト意識は、三位一体として象徴化される。我々がある時期、イエス、シルバーバーチ、ホワイトイーグルとして活動していたのも、そのことに関連している。ただ、これから再生することになるパウロについては別だ。その時代においても、キリスト意識の三位一体としての象徴化はなされるが、物質界に顕現するのはパウロだけだ。それ以外の象徴的存在は、霊的な存在として具現化されることになる。」だいたいこのようなことを非常に抽象的な思念として送ってきました。しかし、非常に深い変性意識に入っていたのと、交信がシルバーバーチ本人とは何らかの理由で困難だったことから(本来の自分を介して情報取得しました)、これ以上の情報取得は無理でした。本来の自分によれば、私がシルバーバーチ本人から詳細な情報を得ることが困難な理由は、意識の系譜によるのだと言います。同じキリスト意識内に属する意識であったとしても、意識の系譜とうべきものが存在するのだといいます。私は、イエスの系譜に属するのだとか。ですから、おそらくですが、シルバーバーチ本人から情報取得していたというよりは、本来の自分を介してイエスからシルバーバーチをめぐる情報について聞き出していた、こういうことみたいです。ちなみに、シルバーバーチのエネルギーが観音(観世音菩薩)なのかについても聞いてみました。すると、それは正確ではないのだと言われました。すべてのエネルギーは「源」に由来するのは間違いないのですが、源からより細分化されたレベルではシルバーバーチは観音とは別のエネルギー系に属しているのだといいます。サナンダ意識のエネルギーと観音のエネルギーが別なのかどうかはわからなかったのですが、とにかく、シルバーバーチは観音系のエネルギーとは異なる印象でした。むしろ、どちらかというと、イエスのパーソナリティーに関係するエネルギーです。あと、シルバーバーチがプレアデスに由来するということを以前聞いたことがあり、それについても聞いてみたところ、どうやらそれは違うみたいです。シルバーバーチ曰く、我々の源は一つであり、そこ以外にはないのだといいます。その源とは、いわゆる「源」です。我々の二元性のレベルにおいてはF125~144くらいにあるという・・・多少話が食い違っていたのですが、シルバーバーチの言い方からすれば、インディアンとしてのパーソナリティーもプレアデスに由来するわけではないようでした。以上が、今回最終的に取得できた情報についてです。最終的に修正されたのは、シルバーバーチのパーソナリティーとパウロのパーソナリティーな別に考えなさいということでした。あとは、ノンヘミ時に取得した情報との整合性はほぼ保たれていました。今回の探索で分かったことは、シルバーバーチのパーソナリティーとその背後にあるエネルギー系は確かに実在し、それはキリスト意識なのだということでした。あと、なぜ人によって情報取得がこれほどまでに違いが生じるのかについて聞いてみると、それは情報取得の際の焦点のしぼり方や、情報取得の深さによるのだということでした。たとえば、リンゴを思い浮かべてみてください。それを表面的に見るのか、それとも、芯の部分から外に向かってみるのか、あるいは、ミクロレベルで原子と原子の間を縫うようにして見るのか。これが見方の問題です。他方で、情報取得の深さがあります。今回私は、サナンダ意識の本体にまでさかのぼって慎重に情報取得をすすめ、本来の自分を介してイエス経由でシルバーバーチについての情報を探りました。それが可能となったのは、進化した私がイエスの系譜に所属しているからなのだといいます。逆に、シルバーバーチ本人からの詳細な情報取得はヘミシンクをしていても困難を極めました。人によって情報が食い違ってくる理由は、どうやらこの辺にあるみたいです。つまり、得意分野と不得意分野とがその人の意識の系譜によってあるみたいなのです。おそらく、伊勢白山道さんと私の情報の相違は、以上のような点から来ているのではないかと思いました。それでは!
2010.06.06
前回寝てしまったためリベンジすべく(笑)、またご質問もいただきましたので、シルバーバーチについて私なりにできる限り慎重かつ詳細に調べてみることにしました。はじめにお断りしておきますと、今回はいつも以上にマニアックなものとなっております(笑)。ご了承ください(笑)。今回、ノンヘミ(ヘミシンクをしない状態)による情報取得と、ヘミシンクによる情報取得の2段階に分けて、慎重に情報取得を行いました。なお、今回得られた情報は、いわばimimi色に染まっております(笑)。あくまでも私にとっての真実だということでご理解くださいね。以下、ノンヘミの状態、ヘミシンクした状態で体験したメモをそのまま記載します。まとめるよりも情報取得の経緯がそのままわかりやすいかなと思いまして。あと、時間がないのもあります(笑)。最初に簡単に補足しますと、今回お話しするのは、シルバーバーチという存在が何者なのかについてです。シルバーバーチについては私のブログでも何度かご紹介してきましたし、ネット等でもすぐにわかるはずです。それに関連して、イエスとキリスト意識の違いについてもご注意ください。いわゆるイエス・キリストというのは、「イエス」という人間に「キリスト意識」というエネルギーが降りてきた状態を指しています。それが俗にいう「イエス・キリスト」なんです。これを理解しておかないと、今回の話がちんぷんかんぷんになるおそれがありますのでね(笑)。そして、ホワイトイーグルという存在も出てきます。この存在も、シルバーバーチと同様、チャネリングによってメッセージを提供し続けていた高次の存在です。ホワイトイーグルは、イエスの12大弟子のうちの聖ヨハネだとされています。今回のお話は、シルバーバーチ、イエス、ホワイトイーグルが密接に関連して出てきます。まずは、上で述べたことをよく理解していただいた上で、以下の体験をお読みくだされば幸いです。 <ノンヘミにて>ガイドの誘導なのか、リラックスしていたときに深い変性意識に入りやすい誘導が来ました。F35トータルセルフ(I/There,ディスクとも言います。詳しくは「imimiのヘミシンク用語解説」をご覧ください。)から使者?に連れられて上へと向かいました。F100あたり?と思われる領域にシルバーバーチと思われる存在がいました。インディアンの姿です。シルバーバーチのエネルギーの本体について聞いてみました。巨大な光の柱の存在がヴィジョン(映像)として現れてきました。それとともにキリストの姿が重なります。そして、「三位一体」の文字が(「三位一体」の意味にご注意ください。象徴として言語化がなされています。どの宗教上の意味とも直接的には無関係だとお考え下さい。)。さらに、女性的な姿のヴィジョンが現れてきます。これがシルバーバーチを象徴するパーソナリティー(個別意識)のようです。本来は女性的なイメージを持っているみたいです。以前、私は高次から、シルバーバーチとホワイトイーグルがツインソウル(もともと一つの意識であった意識の片割れ同士)であると告げられていました。そして、今回、シルバーバーチのエネルギーの源をよく見てみると、それはキリスト意識そのものの一部であることがわかりました。つまり、イエス(歴史上のイエス・キリスト)、シルバーバーチ、ホワイトイーグル(聖ヨハネ。イエスの12弟子のうちの一人。)は、もともとは同じキリスト意識に属していて、それが別側面として顕現したもの、こういうことのようです。 ではなぜ、シルバーバーチがインディアンの姿として現れるかというと、それはキリスト意識本体の波動が高すぎるために、そのままでは地上圏に接近できないため、インディアンの霊体を介してバイブレーション(意識の振動数)を下げるためだったようです。これらは、2度のノンヘミでの情報のリーディング中、ヴィジョンと直感的インスピレーションによってもたらされたものです(ヘミシンクをして深い変性意識に入って取得した情報は後述します)。シルバーバーチに、モーリス・バーバネル(シルバーバーチのチャネラー)とのパーソナリティー(個別意識)の違いについて聞いてみると、逆に「君はどう思う?」と聞き返されました。「君はモーリスにも会ったことがあるだろう?」といった感じで。そこで私は、会った当時のモーリスバーバネルの印象を思い出しつつ、「明らかに別人です。」といった印象をほぼ同時に投げ返していました。私の場合、高次との間でこのような不思議?なやり取りはわりとよくおこります。こっちが質問しているのに、逆に質問されるみたいな(笑)。 余談ですが、私はノンヘミでのすべてのリーディングを終えた後、シルバーバーチやイエス、ホワイトイーグルをめぐる関係は、セスの言っていることとよく似ていることに気づきました。セス曰く、「キリストは3人の存在として顕現した。」と。その3人とは、セスによれば、イエス、聖ヨハネ、パウロらしいです。(パウロについてはこちらをご覧くださいhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AD)。そして、パウロは、セスの予言(我々が存在する確率的偶然の世界でこれから起こる可能性の高い予測)によれば、今後数十年の間に再び再生するらしいです。(確か、2100年までには再生して、あらゆる宗教の土台を塗り替えるみたいなことを言っていたと思います。詳しくは『セスは語る』をお読みください。ちなみに、ここでいう「再生」とは、同一の個別意識が再び地上に戻ってくる場合を指していて、いわゆる通常の輪廻転生の場合とは異なっていることにご注意ください。いわゆる輪廻転生というのは、同一の個別意識が再び地上に戻ってくることはないとされています。その意味では、我々が普段考えているような「生まれ変わり」というのは存在しないんです。) これに関連して、シルバーバーチは以前、予言めいたことを言っていました。モーリスバーバネルが存命中にシルバーバーチの正体はついに明かされなかったのですが、あるとき、シルバーバーチは、「いずれ私の正体が明らかにされる時が来るでしょう。」といった趣旨のことを述べていたことがあります。もしシルバーバーチがパウロならば、まさにセスの言ったことと整合しますし(しかし、この点は後のヘミシンクでの情報取得の際に訂正されました)、今回私がリーディングしたイエス、シルバーバーチ、ホワイトイーグル(聖ヨハネ)の三者がキリスト意識の別側面であるという情報とも整合性を持って符号してきます(これについては後のヘミシンク時の情報取得により修正されましたが、後述するように、この三者にはキリスト意識の三位一体としての象徴としての意味はあるみたいです。)。 ただ一つ疑問な点があります。シルバーバーチは、自分は今から約3000年前に地上で最後の転生を終えたと述べていました(もちろん、多次元的にみればすべての出来事は同時に起こっているとされていますから、上の時間というものも本質的なものではないのですが、便宜的な説明としてご理解ください)。もしそうだとすれば、シルバーバーチがパウロだという考えとは整合的でないことになります。パウロが生存していたのは、イエスとほぼ同時期の今から約2000年前だからです。もしシルバーバーチがパウロならば、「自分は約2000年前に最後の転生を終えた」と言うはずですからね。しかし、これは、個別意識(パーソナリティー)と集合意識との関係を考えれば容易に説明がつきます。つまりこうです。個別意識としてのインディアン(シルバーバーチ)は、確かに今から約3000年前に最後の転生を終えました。そして、シルバーバーチがインディアンを介して再び地上圏に戻って来た時、インディアンの背後に存在する集合意識こそが、キリスト意識の本体だったのだと。 このことは、シルバーバーチの発言にもみてとれます。インディアンの思想に基づいた表現(「神」を指す言葉として「大霊」)が用いられていたり、つまりその発言の中にインディアンとしてのパーソナリティーが色濃く出ている部分があったり、あるいは、シルバーバーチ霊団が多数のスピリットから構成されているとしつつ、それらが民族や宗教の枠を超えた一団(ホワイト・ブラザーフッド:白色同胞団)として連綿として神庁までつながる意識の系譜が存在しているのだと述べ、その包摂する意識の巨大さ・深淵さをほのめかしていた事実などからも、シルバーバーチ霊団がキリスト意識の一部であったことの傍証につながるように思われます(後にヘミシンク中に深いリーディングを行ったところ、同じことを言われました)。 加えて、かつてシルバーバーチ自身が語った、「私は、あなた方がお考えになるよりも、はるかにナザレのイエスとは親交が深いのです。」という表現です。イエスという個別意識も、キリスト意識とは別に存在していると考えられているので、イエス、シルバーバーチ、ホワイトイーグルが独立したパーソナリティーを持ちつつ、同一の集合意識に属していたとしても何ら不思議ではありません。(このことも、あとでヘミシンク中に再度確認したところ、そう考えてよいということでした。ちなみに、セス情報によれば、イエスとホワイトイーグルはキリスト意識の別側面であるとされ、私が以前取得した情報によれば、前述したようにシルバーバーチとホワイトイーグルはツインソウルだと言われていました。つまり、セス情報や今回取得した情報と合わせれば、かつて取得したこのツインソウルの情報が本当だった可能性が高いように思います)。 以上が、今回ノンヘミでみたシルバーバーチについてのリーディングの結果です。
2010.06.06
予定ではまだブログ休止期間ですが・・・(笑)ちょっと思うところありまして、シルバーバーチに会いに行ってみたくなり、会いに行ったんですが・・・寝てしまいました(笑)。ヘミシンクできなくなったかも~・・・かも・・・かも(笑)。というわけで、私の挑戦はまだまだ続きます(笑)。ちなみに、なぜシルバーバーチに会いたくなったのかと言いますと、それは伊勢白山道さんの記事を読んだからです。簡単に言うと、シルバーバーチはプロの編集者であるモーリス・バーバネルとハンネン・スワッハーによる創作であり、2人に最も影響を与えているのはスウェーデン・ボルグなのだと。私的にはちょっとというか、かなりショックな内容でした。というのも、私は実際にシルバーバーチに何度か会っていてその存在を確信していたからです。また、『宇宙全史』の著者である虚空蔵55氏も、シルバーバーチは実在する存在であるという立場をとられていて、その本体は観音のエネルギーであるとおっしゃっています。ですが、最近私は伊勢白山道さんのブログにはまっておりまして(笑)、伊勢白山道さんがおっしゃるのだから、もしかしたら本当かもしれないと思い、今回確かめてみようと思った次第です。・・・ですが、寝ちゃいました(笑)。また今度トライしてみます(笑)。ところで、最近私は、前述のように伊勢白山道さんのブログに最近ハマってまして。http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou特に、ブログの初期の頃の内容にすごく惹かれるところがあります。最近の内容もいいですね。特にここ数日。読ませていただくと、神我が共鳴します。あの、「生かして頂いて ありがとう御座位ます」という言霊には、特に力を感じます。それは、伊勢白山道さんのブログを初めて読ませていただいたときにすぐに感じました。あの言葉には特別な力があるのだなと。それ以来、伊勢白山道さんの記事を読ませていただき、最後に「生かして頂いて ありがとう御座位ます」の言霊の自分自身の心の中でとなえたとき、ものすごい共鳴状態がハートチャクラのあたりで起こります。その感覚に一番似ているのは、救出活動中に本来の自分と一体化したときに起こるエネルギーの流入です。4月以降、私は、多次元的自分というものを普通の生活を送りながら自覚するようになりました。それは、4月にブログを再開したときにご報告させていただいた通りです。このような体験というのは、ヘミシンクとは全く無関係であると思っています。もちろん、瞑想ともです。あくまで私の場合と言うことでお聞きいただきたいのですが、確かに私の場合、そういった多次元的自分としての自覚には、ヘミシンクや瞑想は役には立ちました。ですが、もしかしたら、それはたくさんある手段のうちの一部にすぎず、しかも、それをやったからといって必ずしも皆が皆そういった自覚に至るかというと、どうやらそうでもない気がしています。今私がお話ししているのは、自分とはC1にいるちっぽけな自分だけではなくて、他にも様々な次元に同時に進化した自分が存在しており、しかも、いわゆる創造主(「すべてなるもの」)と自分とは一体なんだという点についての体感を伴った理解のことです。このことは、私だけではなく、およそすべての人間について当てはまることです。一人の例外もなく。伊勢白山道さんの記事の中で印象に残っている部分があります。それは、ブッダ(釈尊)についてです。ブッダは、覚醒に至る前に、断食と瞑想による苦行をしていたそうです。しかし、ついに覚醒には至らずに、それどころか、ある時ブッダは激しい修業のあまり死に瀕していました。そこに、スジャータという名の女性が通りかかり、商売として売っていた乳粥をブッダに飲ませたそうです。それで生き返ったブッダはついに悟りの境地に達したのだとか。つまり、何が言いたいのかというと、あのブッダでさえ、断食・瞑想といった苦行では悟れなかったということです。ですから、伊勢白山道さんは、瞑想などせずに現実生活を重視しなさいとおっしゃっているのかもしれませんね。実は、現実世界を重視しなさいということは、私はいろんな存在から最近言われ続けています。具体的に言うと、私が最も信頼を置いている太陽意識や、ブッダの集合エネルギーなどです。 要するに、あくまでバランスが大切だよということなのかもしれません。現代ではブッダのような苦行を選ぶ人はいないはずです。私なども、瞑想やヘミシンクをしているといっても、毎日しているわけではありませんし、しても瞑想は10分程度、ヘミシンクは20分程度です。しかも、瞑想も、ブログで書いているように、ご飯を食べながらとか(笑)、入浴中とかにしたりもします(笑)。たまにピラミッド・イメージングもしますけどね。要は、カタチではなく、時間をかければいいというものでもなく、中身が問題なのかもしれません。ですから、伊勢白山道さんがおっしゃるように、仕事や作業をしながら動的な瞑想をすればいいわけです。その方が効率的ですし、現実世界も重視できますしね。何かに没頭しているときには、雑念がなくなったりします。仕事でも勉強でもそうだと思うんですけど。それがその人にとっての動的な瞑想なのではないかと。伊勢白山道さんのブログには、様々なことを学ばせていただいています。私のブログを読まれていらっしゃる方はヘミシンクをされている方が多いと思いますから、私が伊勢白山道さんのブログを紹介させていただいていることにちょっと抵抗を感じられる方もおられるかもしれません。ですが、以前にもお話しした通り、伊勢白山道さんのヘミシンクに対するご見解については、私は全く気にしていません。ヘミシンクの安全性については、モンロー研の方がはるかに詳しいですし、自分自身やってみて安全なものであることが分かっているからです。また、ヘミシンクの開発には、セスをはじめとする様々な高次の存在が関与していた可能性があることも、このブログでお伝えしてきました。そういった人間同士の見解の相違はあるものの、やはり私は、自分自身で伊勢白山道さんのブログを読んでみて、その内容は興味深いものだという結論に達しました。信頼できる方だなと。皆人間ですから、完璧な存在などいないわけでして、すべてがすべて正しいわけではないのだということを承知したうえで、その語っておられる内容に着目いたしますと、それはそれはすばらしいことをおっしゃっています。ですから、こうやって、自分のブログでも伊勢白山道さんをご紹介しているわけです。できればより多くの方に読んでいただきたいと思っています。というわけで、今回は伊勢白山道さんのブログのご紹介になってしまいました~以前、Kagariさんのブログのご紹介もさせていただきましたよね。今後、こういったことがまたあるかもしれません。今、流れ的に、そういった時期に来ているのかもしれませんね。5月には、私自身、エネルギー的にさらなる大きな変化がありました。それは、高次の存在達の手助けによるものでした。劇的に変わったと申し上げた方がいいかもしれません。そのプロセスがどういったものだったのかについては、公開の場では申し上げられませんが、これからより多くの方に起こってくることなのだろうと個人的には思っています。それでは!
2010.06.05
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