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「オープニングザハート」なんかを聞くと、5次元世界に移行した後の世界を垣間見ることができたりします。人に寄るのでしょうけれども、私の場合、今の生活と何も変わらない世界です。普通のごくありふれた街並みが見えてきます。ただ、よくわからないのは、いわゆるトータルセルフのある領域も5次元であるとされていることです。この辺をハイアーセルフに聞いてみますと、トータルセルフと私(自我)とは常に一体であって、「心の中にある」のだと言います。つまり、我々が今現実だと信じて疑わない世界(C1物質界)も、絶対的なものではなく、相対的にしか把握できない、つまり、どの視点からみるかによって、夢のような世界であったり、現実であったりするのだということなのかもしれませんね。周波数で言い表すと、現実とは他にも無数にあるのですが、今の我々の進化レベルに応じて適切な現実世界が用意されていて、我々にとってのそれは、ここC1現実世界なのだということです。話は変わりますが、私は最近、ヘミシンクをするときには、フォーカス35(5次元)に意識を持っていくことが多いです。私にとってフォーカス35は、ある存在と結びつきやすいのですが、その存在からは、「ハイアーセルフに会いに行きなさい」と促されます。それで、今朝もフォーカス27に取り合えず行きますと、上空のほうに光の筋ができています。どうやらそれは、フォーカス35に向かうための案内のようなのです。その光の筋にそってフォーカス35に向かいますと、「おかえりなさい。ここが本来のあなたの場所なのです。」みたいなことを言われます。ここでは、自我が希薄なのです。自我がないわけではないのですが、自分以外のどの自我にも用意にフォーカスでき、それが、ほぼ同時にフォーカスする感じで、いくつかの自我を同時に体感しているような一体感が得られます。つまりは、一部が全体であるというような一体感です。ですが、それとほぼ同時に、私はある種の限界を感じました。どの自我にフォーカスしてみても、トータルセルフ以上に進化した場合の感覚が見つからなかったのです。もしかしたら、われわれがここC1現実世界に来る最大の理由は、その辺にあるのかもしれません。つまり、全体としてさらなる進化を遂げるための、貴重な体験を得るためです。そういったトータルセルフの代表的存在が、どの時間軸においても(過去、現在、未来)存在し、無数に存在するそれらの一つが今ここにいる私(自我)ということなのかもしれませんね。最後にハイアーセルフからは、「あなた自身の言葉で、常に希望を与え続けなさい。励まし続けなさい。」みたいなことを言われました。これからも、自分を癒し、人を癒す記事を書いていきたいです。(Creative Commons: some rights reserved by Muffet)
2010.11.29

最近、休みの日には、家族で近所の公園に行くことが多いです。私の住む地域では、自然はもう冬仕度を始めています。今日行った公園では、白樺がたくさん立ち並んでいました。 白樺の持つエネルギーは柔らかくハートチャクラに浸透してきます。最初は片手を木にあてます。次に両手を木にあてます。最後に両手を広げて白樺を抱きしめてみます。白樺の持つ柔らかい波動が全身に伝わってくるようでした。 次に、桜の木を触ってみました。桜の木は、ハイハートまで響いてきます。私はエネルギーを感じ取る能力はそれほど高くはないのですが、確かに桜の木は白樺とは異なった波動を持っているようでした。松の巨木にも触ってみましたが、エネルギーは桜の木ほどではありません。もしかしたら、人によって感応するエネルギーの帯域が異なるのかもしれませんね。桜の木には家族みんなで触ったのですが(笑)、その時が一番エネルギーは強かったです。松の巨木からは、樹液がこんこんと流れ出ていました。木も人と同様、生きているんですね。 今日は、風が強かったせいか、木々の揺れる音や、落ち葉が道路を這うようにして飛んで行くときにできる音が、まるで天然のバイノーラルビートのような感じで耳にこだましていました。つかの間の休日のひとときでした。(^0^)/ (Creative Commons: some rights reserved by TANAKA juuyou(田中十洋))
2010.11.28
マザーテレサはスピリチュアルな能力に気づいていたのかどうかはわかりませんが、今までご紹介してきたマザーテレサの言葉や今回ご紹介する言葉を見る限り、多次元世界に(少なくとも無意識のうちに)精通していたように感じます。(^0^)/ どんな人にあっても、まずその人のなかにある、美しいものを見るようにしています。この人のなかで、いちばん素晴らしいものはなんだろう?そこから始めようとしております。そうしますと、かならず美しいところが見つかって、そうすると私はその人を愛することができるようになって、それが愛のはじまりとなります。 ―― マザーテレサ ――
2010.11.25

私は、自分の気持ちに素直に生きることを選択して以来、生活自体は非常に忙しくなりましたが、時の流れの中で幸せだと実感する瞬間が増えました。それは、私なりに懸命に生きる中での、ほんの一瞬だけ幸せだと感じられるひとときなのかもしれません。いわば、忙しさの中の一瞬の出来事を感じているだけなのかもしれませんが、私にとっては、一瞬が永遠のように感じられる瞬間があります。時間の流れというのは不思議なものですよね。なんでもない家族との会話の中に、幸せだと感じられる瞬間があったりします。まあ、一日のうち全体を通して見れば、私の自我は大変だと感じている時間のほうが長いのかもしれません(笑)。 ですが、人間の感覚というものは不思議なもので、ほんのわずかでも精神的に充実したひと時を過ごすことができれば、自分の意識をその幸せな瞬間にシフトするだけで、感覚的には一瞬を永遠のように引き延ばして幸せを満喫することができます。おそらく、これは、その状況に置かれた人間でなければわからないことなのかもしれませんね。はたから見た印象と、本人が感じている印象とでは、まるっきり違うということはざらにありますからね。 ですから、私は最近特に感じるんです。幸せというのは、決して物質的・金銭的な豊かさからくるものではなく、精神的なゆとりからくるものなのだということです。瞬間瞬間に訪れる「永遠の現在」の中に、どれだけ喜びを見いだせるか。我々は、悲しむために今ここに生きているのではなく、喜びを見出すために存在しているのだと思います。 もちろん、つらい状況もありますよ~(笑)でも、そんなものは喉元過ぎれば・・・で、いずれ消えてなくなります。苦難はやがて過ぎ去りますが、たとえどんな状況でも、精一杯生き切ればそれでいいのではないでしょうか。 冒頭で、最近、一瞬の幸せを感じる機会が増えたと言いましたが、同時に私は、現実は自分で作っているのだということも最近よく感じます。それは、望み通りの現実(生活)を自分自身で「選択する」ことから始まります。何も摩訶不思議なことではなく当たり前のことなんですが、それでも、心にわだかまりがあると、そのための第一歩が踏み出せないということはあったような気がします。 自らの心を解き放って、魂を解放し、自分の望み通りの生活を実現していく第一歩は、自分自身の内面を見つめることから始まります。心を研ぎ澄まし、自分自身、そして周りの人々に感謝し、何気ない生活の中に喜びを見出すことで、自分自身が本当に進みたい方向に歩んでいくように思います。 (Creative Commons: some rights reserved by BONGURI)
2010.11.23

物事はできるだけポジティブにとらえたほうがいいということは、いろんな方が経験則上わかっているのではないかと思います。それは、現実世界でもそうですが、非物質界においてももちろんそうです。特に、非物質界のほうでは、それがより顕著に出てくることが多いです。自分自身の波動が高ければ、高次の存在と接触できますし、反対に、自分自身の波動が低ければ、低次の存在が自分の意志とは無関係に寄ってきます。 広い意味においては、どのような存在と付き合い、どのような現実を創造していくかは、自分次第ということになりますが、そこでいう自分次第というのは、エゴにまかせておくということではありません。自分の意志と、それに応じて行動した現実、それらにかかわるすべてのプロセスが、自分の波動を自動的に決定していきます。そのような、自分自身の全存在と、思い・行動のすべてが、自分自身の現実を創造していきます。もちろん、現実世界においては、時間という緩衝作用がありますから、すぐに現実化がなされるわけではありませんが、自分の意志や行動の積み重ねから生じた自分の全存在は、その波動に応じた現実を遅かれ早かれ実現していきます。 そして、どのような現実を創造し、また、どのような現実の中で何を学びとるかは、すべて自分次第です。そのような貴重な体験を求めて私たちはこの世に生まれ、「今ここ」に生きているのです。自分の直面している現実を生み出したのは、他でもない、自分自身です。 霊性進化の道において重要なのは、人に頼らず自分自身で自分自身を見つめる作業が大切です。そのためには、特別なことなど何もいらず、現実世界に没頭し、様々な人とのかかわりの中で様々な経験を積み重ねていくことこそ重要なのです。自分自身を見つめるといっても、特別に瞑想をしなければならないとか、ヘミシンクをしなければならないとか、そういうことは一切ありません。むしろ、精神的に自立していない状態でそういうことをしてしまうと、よからぬ存在が寄ってくることもないとはいえません。この現実世界においてもそういう甘い罠はたくさんありますよね?人とのかかわりの中において、その中で生じた自分自身の感情を見つめ、マイナス感情は手放し、常に嬉々とした精神状態で日々を明るく過ごしていけばそれでいいのではないかと私は考えています。 感謝想起に根差した行動、これはとても重要です。自分自身を大切にし、自分を育んでくれたすべての存在を大切にし、自分が今ここに生かされていることに感謝して生活していけば、必ず改善が起こってきます。自分自身を見つめ、感謝想起に根差した実践によって自分の尊さに気づけば、内から生きる喜びが込み上げてきます。そのような、自分自身が本来持つ生命力に従っていけば、どんな苦難も乗り越えられます。 苦難というのは、幻想です。本来の自分を見つめていけば、自分とは生きる希望そのものです。今直面している現実から目をそらさないでください。それを静観し、上で申し上げた感謝想起に根差した実践によって、現実世界を生き切りましょう。光り輝く神性なダイヤモンドは、原石を精錬して初めて生まれてくるのですから。(^0^)/
2010.11.21

私は最近常々、「私達人間にはわからないことなどたくさんある」のだと感じています。自分達のものの認識一つとってみても、それが絶対だと信じて疑わないところがあったりしますし、人間の直線的な思考に基づいた言語を介して把握できることなどたかが知れています。実際には、非物質界においては、言葉にならない感覚が多いです。人間的な理屈をいくら積み重ねても、逆効果ではないかなと思ったりもします。では、どうすればいいのでしょうか?考えるのをやめることです。あれこれ考えずに、現実世界を楽しむ、これが一番ですね。(^0^)/
2010.11.17

進化の過程は一つではなく、無数に存在していて、そのどれを進もうとも自由意志のもとに決められるように思います。私達は今、人間として今ここに存在していますね。でも、そうではない生命もあります。動物、植物、鉱物。。。意識が万物に宿るという観点からは、地球という惑星や、太陽のような構成、あるいは、銀河やこの宇宙も一つの生命体と見ることもできるように思います。あるいは、セスという存在の語るように、私達の人知を超えた生命の顕現があるようです。このように、意識の表現方法は無数にあって、そのどれもがその存在にとっての真実です。 いわゆるワンネスの視点からは、いずれは全体の経験として共有されることになるのでしょうけれど、個々の生命は、それぞれの独自の進化を歩んでいくことになります。それは、今の私達も同様です。当然ながら、そのとりうる手段というものも無数にあるわけです。様々な試行錯誤をして、体験を重ねつつ、「今ここ」での生活を積み重ねていきます。自由に生きていきたいですね。 それぞれが別々の宇宙で生活しているならば、他人の影響は本質的に受けることはありません。他人に影響を受けているように思えても、それはそのような現実を自分で選択しているだけです。スピリチュアル的にみれば、自分の進むべき道は自分自身で決められます。人と同じようなことをしているように「見えても」、それぞれの体験はその体験している人のオリジナルなものです。もっと言うと、その体験をどのように「認識して」経験としていくかは、人それぞれなのだということになってくるのでしょうね。この「認識」まで踏み込んでみてみると、たとえば同じものを見ても全く異なった姿になる可能性があります。たとえば、天使を悪魔と見たり。極端だと思われるかも知れませんが、非物質界においてはありえないことではないのです。つまり、体験というのは、個々人のもつ認識によって大きく左右されるのだということです。 しかし、逆にいえば、だからこそ、体験とは常に、それを体験した人にとってのオリジナルなものなのだということなのです。たとえどんなものであっても、その人にとってはかけがえのない体験なのですね。現実世界での体験―性別、時代、職業等の違いはあっても、どの選択をしたとしても、無駄なものはありませんし、かけがえのない体験であることは間違いありません。また、人がはたから見てどうこういう問題ではないのです。別宇宙に住んでいる他人に干渉できないというスピリチュアルな観点からみれば、他人に干渉しても無駄です。 だから私は、自分自身を見つめることにしています。真実とは、人によって様々です。私にとっての真実と、あなたにとっての真実は違います。私が何を言おうが全く気にする必要はありません。ご自分にとっての真実を追求していただければと思います。 (Creative Commons: some rights reserved by joyseishowaa)
2010.11.13

現実世界を生きていますと、他人は自分の鏡だということに気づく瞬間があります。たとえば職場などでの人とのかかわりなどからです。同じことを言うのでも、人によってずいぶんと言い方が違ったりしますよね。友人なら嫌なら付き合わなければいいだけですが、職場での付き合いはそうもいきません。 でも、よくよく見てみると、自分自身の反応が、自分が嫌だと感じる現実を引き寄せている場合があります。つまり、人との話の中で、互いに相手の嫌な部分を相手の中に見出し、嫌な現実を共同創造します。相手があってこその人間関係ですから、自分一人では成り立ちませんからね。そういった意味では、確かに我々は「現実を他人と共同創造している」といった側面はあります。 ただ、あくまでどのような現実として「体験するか」は、自分自身がどのように認識(反応)するかという選択にかかっているのだという部分もあります。自分自身の認識(反応)は、相手の反応にも影響し、自分の認識を変えるだけで実際に共同創造する現実が変わってきます。その意味では、確かに、「現実は自分自身で作り上げている」という側面も持ち合わせています。 人間の出会いは、意識と意識の交流によっても成り立っていきますから、自分の感情も含めて、様々な影響を与えあっているのです。そうやって私達は、自分が日々直面する現実を瞬間瞬間に創造し続けているんでしょうね。 現実を日々自ら共同創造しているという側面はさておき、自分が今ここにいられるだけで幸せなのだと心から思えたとき、他人との関係でどんなに嫌なことがあったとしても、そんなものは些細なことに思えてきて、悩み・苦しみなど吹き飛んでしまいます。これは、人生においてとても意義深いことだと思います。命を与えられて、存在できるだけで幸せなのだと気づけた時、それまでのつらさ・苦しさなど微々たるものに思えてきて、それらに煩わされなくなります。その時、本当の自分と向き合うことができます。自分自身の内にある、小我(エゴ)によらない、それとは独立した真実の自分です。エゴによって作られたちっぽけな自分ではなく、生きる喜びそのものを身にまとった生命力そのものとしての自分自身です。 悩み・苦しみというのは、それ自体に意味があるのではなく、それは本当の自分自身を知るためのきっかけにすぎません。そして、現実世界が実像だけでなく虚像としての側面を持ち合わせているのだということに気づいた時、実は我々のものの認識というのは、あらゆる場面において反転している可能性があることにも気づいてきます。ですが、それは、虚像としての現実世界に没入して初めて見えてくる真実です。現実世界から逃避していては、いつまでたっても真の実像には到達できないように感じます。対象に没入してはじめて、対象そのものから見えてくる真実。 そして、自分自身を見つめること、それはある意味、自分の外的環境を見つめることに他なりません。真実が常に自分の内側にあるのだという主張の源はここにあります。大いに現実世界での体験を楽しみましょう。(Creative Commons: some rights reserved by Alaskan Dude)
2010.11.12

今日は、ある物語について話したいと思います。黒地に黒のピラミッドを二つ重ねた形にフォーカスしていくと、鮮やかな惑星が見えてきました。そこの草原を歩いていると、前方からレゲエ風の人物が(笑)。彼と一緒に別の場所に移動し、私達は話し始めました。話のテーマは、「心の豊かさ」についてです。豊かさと言えば、現代人は物質的な豊かさを求めがちですが、大切なのは、「心の豊かさ」なのだという話です。 それは、心の内から湧き上がる希望、歓喜です。色で表わすと、暗闇に光る閃光です。決して希望だけを求めるというのではなく、結果的に希望、歓喜を体現していた、こんな言葉にならないような感じです。そこから、心の豊かさが生じるということです。決して、外面的で物質的・金銭的な豊かさではなく。 その人物は、これから人類は二極化すると言います。それは、破滅の道か、平凡ではあるが心が満ち足りた生活か、です。後者は、それほどの劇的な変化はないようです。転機はすでに始まっていて、2013年頃までにははっきりするのだと言います。 そこでは、劇的な変化というものはありませんが、今までのような平和な暮らしがゆったりとした感じで続いていきます。それは、2036年から2038年頃まで続くらしいです。その時、ちょっとした転機が訪れますが、それは全体の計画からすれば大した問題ではなさそうです。 その人物いわく、真実は常に心の内にあると言います。進むべき未来は自分で決められるのです。 だいたいこのような内容について語っていたと記憶しています。この人物は、以前、ディセンション組担当の救出者的地位にあると申し上げたことがありましたが、今回聞いたところでは、人類の集合意識と深くかかわっているみたいです。つまり、俗に言われている正体は、よい意味での仮面なのです。 何が真実かは、常に自分自身で判断しなければなりません。その意味では、いかなる情報も絶対的なものではなく、自己責任の下、自分自身で判断することが求められます。人によっていろいろな立場がありますから、私から申し上げられることは以上のようなことです。立場上、言えることと言えないことがあるということです。 他の方はもっとズバリと言ってくれているのかもしれませんね。 向こうの世界とのつながり方は人によっていろいろありますから、ある意味、もっともなことだと思われることも多いです。でも、上の話でご紹介したように、どちらの道を選択するかは、自分の意志で決められます。他人が決めるものではないからです。常に内なる希望を見つめ、感謝想起に根差した実践を現実世界で行いたいものですね。(^0^)/
2010.11.10

精神世界ではよくワンネス(Oneness)などと言われたりします。人間はみな、個としての個性を持っています。それぞれが独立した個性をもっています。でも、霊的にみた意識の系譜をずっとさかのぼっていくと、最終的にはたった一つの源にたどり着くとされています。それが、「すべてなるもの」と呼ばれたり、「一つなるもの」(=One)と呼ばれたりする究極的な存在です。ですから’One’ness(ワンネス)なのです。 たとえるならば、それは地球上のすべての水を合わせた大海のようなものです。宇宙からの航空写真で地球上の大海を見れば、それは一つにつながっていることがわかります。でも、その大海を構成している一つ一つの水の分子から見ればどうでしょうか。もし水分子に意識があったとして、まさか、自分(水分子の一つ)が大海を構成する部分であるとは、思ってもみないでしょうね。 ワンネスのおける「すべてなるもの」と私達人間との関係も、それに似ています。個としての我々はまぎれもなく実在しているのですが、別の視点からみれば、それはより大きなまとまりの中の一部をなしていて、私達はみな、互いにつながっているのです。魂と魂との結びつきです。それはどんな人であってもです。我々の小我の理解を超えた、深い愛で結びついています。一人の例外もなくです。 今の時代は、徐々にワンネスへの気付きに向かいつつあります。それは、私のようなメッセージを発信する存在が現れたこととも関係しています。世界中には私のようなメッセージを発信している存在は無数にいると思われますが、目的はだいたい共通しています。それは、様々な観点から、人類に対して気付きを促すためです。もともとあった、愛にあふれた自分自身を思い出していただくためです。自分を大切にするように、他人も大切にすることが、巡り巡って自分のためにもなる。そのためにどうしても避けては通れないのが、ワンネスの理解なのです。いわゆる美の象徴、深い叡智の象徴として現れてくるハイアーセルフ(進化した自分自身)は、今日、このことをテーマとして私に示してきました。 現実世界に没頭していますと、自分自身を見失いそうになることがあります。自分が「役」を演じているのだということを忘れてしまうのです。自分が役者だということに気づけば、どんなつらいことでも乗り切れます。映画でもなんでもそうですが、平たんな話よりも、山あり谷ありの話のほうがはたから見ていてどんどん話の中に引き込まれるものです。 人生において、様々なつらいことがあるのも、これと似ています。それらはすべて、貴重な経験であり、何にも代えがたいほどのものです。でも、それにいざ向き合っている時には、わからないんですね。人生が、楽しいことばかりではなく、つらいこと、苦しいこと、悲しいこと、憤ること、そういったことがやってくるからこそ、「身になる」のです。貴重な盛り上がりのあるドラマになるんですね。「すべてなるもの」から見れば、それはすばらしいドラマなわけです。 一部が全体としての要素であること。我々はたった一人ではなく、他人も自分自身としての側面を持ちつつ、この現実世界で「役割」を演じつつ生きていること。これに気づくだけで、どんな人生もかけがえのないものであり、その人生を生き切ることこそ大切なんだということがわかります。人生を大いに楽しみましょう。 (Creative commons: Some rights reserved by Aube Insanite)
2010.11.08

人間は、どんな人でも不自由さを持っています。つまり、程度の差こそあれ、与えられた環境の中で生きているということです。努力では乗り越えられない制限を誰もが持って生れてきているということです。 たとえば、男性であるとか、女性であるとか。あるいは、日本人であるとか、そうでないとか。あるいは、ある程度は、職業なんかもそうだと思います。自分で選べる部分と、そうではない部分が最終的には出てくるからです。もしかしたら、物質的な意味における成功・不成功もここに含まれてくるかもしれませんね。労せずして大金を得る場合なんかがこれに当てはまるのかもしれません。ですが、たとえどんな環境に置かれようとも、自分自身の本質は何も変わりません。ありのままの自分自身です。今ここにいると感じている自分です。 私達は、ある意味、制限的な世界で生きています。それはなぜかというと、遠い昔にそういう選択をしたからです。遠い昔・・・実は、時間すら超越した世界での出来事ですが、仮に我々にとってわかりやすいようにそういう表現をとりました。制限的な世界においては、世界を自分自身が作り上げているとは、思ってもみないことです。ですが、私自身の体験、そして、私が最も信頼を置いている存在によれば、世界は広い意味での自分自身の産物らしいです。 私達は今、地球スクールにおいて意識が万物を創造することについての基本的なことを学び続けています。ですから、大切なのは、外的現象にとらわれるのではなく、内的精神、すなわち自分自身を見つめることなのです。外的現象の変容は、自らの意識の変容によって変化します。つまり、世界は、我々自身のもつ「認識」によって、瞬時に変化しうるのです。その結果、たとえどんよりとした曇りの日であっても、晴れやかな印象を持つことができます。 制限的な人生を送りつつも、私達は、本質的に自由です。私達の精神を束縛できるものは自分自身をおいて他にはありません。ですから、何をしようと自由なのです。もちろん、社会のルールにのっとり、人様に迷惑をかけない範囲で。そこにはもちろん、ヘミシンクも含まれます。ヘミシンクをせずとも現実世界から深い気付きを得られますが、そのことは、ヘミシンク自体を否定するものではありません。ですから、その意味では、道は一つではないんでしょうね。あなたにあった道があるはずです。 私達は本質的に自由です。何者にも束縛されることはありません。精神的に自由になって、あらゆる体験を与えられた環境でする。そのために、「今ここ」にいるのでしょうね。
2010.11.05

以前、パラレルワールドの話をしたことがありました。我々の世界というのは、たった一つではなくて、無数に存在しているという話です。スピリチュアル的にみれば、外的世界は内的世界が反転したものとして現れてきます。その反転した外的世界というのが、実は個々人によってまちまちであって、無数に存在しているということなんです。ではなぜ、あたかも共通の地球という場に共同で生活している(と我々は認識している)のでしょうか?それは、あらゆる外的事象(場や人との出会い等すべて)は、その人に「応じて」出現しているからです。つまり、その人その人に応じて無数のバージョンの地球が存在している、こう考えることができます。 あなたにとっての未来というのは、まだ未確定なんです。どのような未来に進むかは、ご自身が決めるのです。あなた以外の誰かがあなたの進む未来を決めるわけではありません。最近も、いかなる情報も、必ずご自分自身で判断してくださいと申し上げました。ネガティブな情報に惑わされないでください。どちらかといえばポジティブに考えられたほうが物事が好転することが多いのは、そこでどのようなかたちで現実を体験するかを「自分自身で」選択しているからです。 今回は、パラレルワールド理論と深いかかわりのある存在からのメッセージでした。
2010.11.04

基本的に私は、ヘミシンクの体験で得た、ものの考え方をお話する方針で記事を最近は書いています。 たとえ記事の中にヘミシンク中の体験が何も書かれていなくても、記事はすべて、ヘミシンクでの体験を通じて体得した考え方が貫かれています。 その意味では、記事もヘミシンク体験なんです。 ヘミシンク中の体験だけが体験ではないのだということをご理解いただけるとありがたいです。 私という一人の人間が現実世界で生きる中で感じたことをストレートに書いていければいいなと思っています。 (^0^)/ (Creative Commons: some rights reserved by cdsessums)
2010.11.02

現代では、様々な情報が氾濫していますね。精神世界一つとっても、様々な情報が飛び交っています。中には、まともな風を装って、宇宙人との交信を促すものがあったり。。。 でも、宇宙人と交信している暇があったら、まずは自分自身を見つめるべきではないでしょうか?宇宙人と交信する技術など不要です。そんな技術を磨く暇があったら、現実世界に目を向けましょう。そこから、たくさんの学びが得られるからです。宇宙人に聞くよりも手っとり早いですよ~(笑) 様々な情報が飛び交う中、何が自分にとって真実なのかは、自分自身で見極めなければなりません。そして、最終的には、自分と自分の源との関係において有益な情報であるかどうか、これを判断基準にするのが最も安全かつ効果的です。誰が言ったかではなく、何が真実かは必ずご自分自身で判断してください。 方向性としては、外側ではなく、内側に目を向けさせるものであること。安直な霊能開発ではなく、人間として当たり前の叡智を呼び起こさせるものであること。その意味では、霊能よりも、霊性(人間性)を重視するものであること。きわめて高額なセミナーに出なければならないとか、ごく一部の人にしかできないものではなく、誰にでも実践できるものであること。 現実世界から離れさせるものではないこと。その意味で、変性意識に入る必要はないこと。普段のありふれた生活の中で、人間同士の触れ合いを大切にし、自我と神我の魂の整列を促すものであること。そのために、神性さの発現とされる、愛や、感謝、希望、喜び、叡智との結びつきを促すこと。 最後に。。。自分自身を見つめさせること。自分にとっての真実は、常にそこにあります。
2010.11.01
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