全12件 (12件中 1-12件目)
1

以前ご紹介した、『個人的現実の本質』(ナチュラル・スピリット)ですが、その中でロバート・モンロー氏が登場してくることに気付きました。以前、原書で読んだ時には気付かなかったんですけど・・・(笑)私は今回の一連の流れで、セスの本とロバート・モンロー氏について触れるのは偶然ではないと感じています。私はヘミシンクもセスの本も最近ずっとご無沙汰であり、正直言ってセスもモンロー氏もすっかり忘れていたというのが正直なところです。ですが、読者から聞いていた、モンロー氏がジェーンロバーツに会いに行った部分を初めて読み、セスの本とモンロー氏を紹介できることに何か運命めいたものを感じた次第です。私は以前、ヘミシンクは不要だと言いましたよね?その私がなぜモンロー氏について触れているのか、謎ではあります(笑)。モンロー氏には直接はお会いしたことはありませんが、非物質的にはあります。私はヘミシンクを広めようとは全く思っていませんし、そういった意味ではモンロー氏についても触れる必要はないんですけど、モンロー氏の体験については一読に値するものがあります。単なる机上の空論ではなく、体験によって裏打ちされているからです。私は、自分にとっての真実とは何かを常に追い求めているところがあります。そのために有益なものは積極的に取り入れていこうという気持ちがあります。モンロー氏の開発したヘミシンクや、セスも、そういった観点から私は自分にとっての重要性を見出しています。私ももう一度読もうと思いますが、『個人的現実の本質』、一読をお勧めいたします。
2012.12.31

もう少しで今年も終わりですね。本年も『imimiのリトリーバル日記』を楽しんでいただけましたか?来年もたぶん書くと思います、たぶん(笑)。そうやってもう4年も書いていますからね。ブログを書くと、新たな発見があります。「自分」から様々な叡智を引き出すことによって、先の読めない展開とでもいいますか、未知なることが「向こうから」やってくるからです。来年もどんな展開になるか、全くわかりません。でも、そこが面白いところでもあります。先の読めないところですね。人生も似たようなところがありますね。前にも書きましたが、これからはますますいろんな人に出会うことになるかもしれません。仕事以外の場面で。読者の方も、まだお会いしたことのない方のほうが多いですが、会う必要のある方のところには、私の方から伺うことになるのではないかなという気はしています。来年の「新春スペシャル」は、たぶん書けないと思います。シャンバラに帰りますので(笑)。シャンバラに行く途中、大阪に寄ります(笑)。それではみなさん、よいお年を!!Some rights reserved by norio.nakayama
2012.12.30

前々回ぐらいに、最近私は夢の中で示唆的な情報を得るという話をしました。これに関連して、最近買った本の中に、セスの2冊目の邦訳本『個人的現実の本質』(ナチュラル・スピリット)があります。以前この本は原書で読んでいたんですが、最近めったに行かない本屋に行った際に偶然目にとまり、なんとなく惹かれるものがあったので購入しました。セスの本を手にとっているうちに、興味深い夢を見ていたのを思い出しました。それは、おそらく実際にはないと思うのですが、セスの本の目次を夢の中で見ているときに、目次の項目に「ロバート・モンロー」というのがあることに気付きました。私はかつてかなりヘミシンクをしましたし、セスの本の中にロバートモンローの項目があることがとても衝撃的で妙に印象に残っていました。ロバート・モンローは、意識の研究で世界的に有名なモンロー研究所の創設者であり、ヘミシンクの開発者です。実は、過去に私の読者から、ロバート・モンローがセスのチャネラーであったジェーン・ロバーツを訪れたということを聞いたことがあり、また『セスは語る』の中でも、フォーカスレベルを思わせるような記述などがあり、私は個人的に前々からロバートモンローとセスとの関係について気になってはいました。今回見た夢はそのせいなのかどうかは定かではありませんが、前々回のムー大陸の話といい、今ここの現実世界においても示唆的な話だと感じましたので日記にてご紹介している次第です。なお、セスの2冊目の邦訳本である『個人的現実の本質』には、アファメーションの話が出てきます。 前回ご紹介した『永遠の大道』も早速書店にて購入しており、セスのこの2冊目の本と共に、この年末年始の楽しみが増えました。買ってみてわかったのですが、『永遠の大道』は以前ご紹介したフレデリック・マイヤースによる霊界通信みたいです。つまりマイヤースが死後に霊界からメッセージを送ってきたものを本にまとめたもののようです。漢字が旧字体なので読みにくいですが、なかなかおもしろそうなので読んでみようと思っています。それにしても、セスの2冊目のタイトルが『個人的現実の本質』。『永遠の大道』に付録として納められている「個人的存在の彼方」。タイトルが妙に似ているなと思います。偶然ではなく必然だったりして。エネルギー的には、セスの2冊目の本もハートの奥深くまで響いてきます。Some rights reserved by Nic's events
2012.12.29

今回は、本から伝わってくるエネルギー的側面についてのお話を少ししたいと思います。ある方が、これについて話されていて、最初は半信半疑でした。しかし、最近になって確かにそういうことがあるのだと私自身体験しました。私の場合には、その時々のコンディションによって左右されたり、分野によってわかったりわからなかったりするのですが、本を手に取ったとたんに、その本と関連性のある存在からエネルギーを感じることがあります。最近それを強く感じたのは、『永遠の大道』(G.カミンズ著、浅野和三郎、潮文社)という本です。本当に、偶然でした。たまたま本屋に立ち寄った際、本棚に陳列されてある同書を見て、手にとって見た時のことです。中身は読んでません。ですが、ハートチャクラ、もっというとその奥の源にまで通じるエネルギーを確かに感じました。エネルギー的視点から見て、この本に出てくる霊的存在及びその放つエネルギーは、源に通じていることを直感しました。最近、スピリチュアル系の本はほとんど読む気がせず、本屋に行っても精神世界系のコーナーは立ち寄るものの、手にとって読もうという気にはなりません。私がエネルギー的にわかるのは、精神世界系の本だけです。そういうモードに入っている(入りやすい)からなのかもしれません。スピ系の人の本でも、源直結のエネルギーを感じることはまずありません。何も感じないか、人によっては部分的にネガティブな波動を感じるものはあります。ただ、そのような波動の良しあしだけがその本の価値を決めるわけではないことは言うまでもありません。本を本たらしめているのは、その中身(書かれていること)ですよね。ただ、今回問題にしたいのは、こういった物体それ自体あるいはその物体に通じる存在が放つエネルギーの存在に関してです。 Some rights reserved by ahisgett
2012.12.28

私は普段見る夢はほとんど覚えていないほうなのですが、ここ最近、日常生活を送る中で何かの拍子に夢で見たことを思い出すことがあります。その中で、なんらかのメッセージ性のあるものをご紹介したいと思います。夢の中で私は、誰かと議論めいたことをしているようでした。でも不思議なのは、登場人物は私しかいないのに、誰かと話しているような雰囲気があります。何について話しているのかというと・・・私は、過去にあったとされている、ムー大陸の位置について考えていました。いえ、考えているのですが、誰かと話している風でもあります。そうです、ヘミシンク風に言えば、私はガイドと夢の中でムー大陸の存在したであろう位置について話していました。表現のしようがなのですが、正確には話しているというより、届いてきた非物質的ビジョンを見ながら自問自答している、そんな感じです。ガイドとコンタクトを取られたことのある方ならお分かりいただけるのではないかなと思います。私は、特に現在の世界地図にあるムー大陸の痕跡についてフォーカスしているようでした。夢の中では、何かの地図と思われるものが見えていたのですが、そこで示されていたのは、今現在でも実在している太平洋上にある島々です。今手元に地球儀があるのですが、それと夢で見た地図とを照らし合わせてみると、ムー大陸の一部はマリアナ諸島にあるようです。そして、ガイドと思しき存在と、日本列島もそのムー大陸の一部なのかという話になり、ガイドはそうだと答えたのが印象的でした。ただ、ムー大陸が存在した次元においては、今の日本列島の形状とはかなり異なっているという印象がありました。なので、正確な位置関係の特定は困難だと思います。ムー大陸の位置は、日本寄りであり、しかも、ビジョンで見たところではかなり巨大で横長でした。どのくらい巨大なのかは、私にはムー大陸にフォーカスした時にはムー大陸しか見えておらず、現在の地理的位置関係との比較が困難ではありました。ただ、地球儀を見ていますと、私が夢で見た情景がよみがえってきて、どうも私には、ムー大陸と思しき大陸の位置が、マリアナ諸島からハワイ諸島まで広がるような巨大な横長の大陸だったように感じられてきます。地理的位置関係としては、そこがもっともしっくりきます。こういう普段ほとんど覚えていない夢を何らかの拍子で鮮明に思い出した場合、それがガイドからメッセージであることがあります。冥王星オコツトによれば、ムーはアセンションした大陸だとしています。いえ、こういう表現は正確ではないかもしれません。アトランティス、ムーは象徴的に使われており、アトランティスはディセンションした現生人類、ムーはアセンションした存在というような意味だったと思います。私が見たムー大陸の位置に関する夢も、アセンションに関係するのではないかなと思う、今日この頃です。Some rights reserved by Photones_TAKUMA
2012.12.27

昨日12月23日は、客観的にはハードな一日でしたが、主観的にはなんとなくわくわくする一日でした。今日は、OWのオフ会があった日なのですが、仕事の合間を縫ってお二人の方と電話でお話することができとてもうれしかったです。お二人とも、以前から存じ上げていた方で、できればお会いしたかった!今日は、太陽からのエネルギーがとても強い日でした。それと、ミクシィからメッセージをくださったたくさんの方、ありがとうございます!最近は、ケーキも届くんですね(笑)。私は普段、夕方から夜にかけての仕事のことが多く、朝はゆっくりなので朝日はめったに見ないのですが、今日は6時半に家を出ましたので、車の中から朝日を見ることができ感動しました。あんなに大きなエネルギーの強い朝日を見たのは、初めてです。今日は移動中何度も太陽を見るという、いまだこんなことはない日でした。その時々で、太陽からくるエネルギーは変化していました。最近は、太陽からのエネルギーがいろんなチャクラに反応します。以前は私の場合、ハートチャクラがメインだったんですが、知人とも話したんですが、最近は丹田とハートチャクラの中間とでも言うべき場所にもう一つのポイントができ、そこでも高次元のエネルギーを受け取ることができるようになりました。感覚的には、私には第3チャクラもしくは丹田付近の感覚を感じますが、知人によれば、正確にはこれらとはポイントが異なるみたいです。そうそう、これを書いていて思い出しましたが、太陽からのエネルギーは第6チャクラにもよく反応してきます。ただ、第6だけではなく、同時に複数のチャクラ(ハート、ハイハート、新たなエネルギーポイントなど)が反応するのが正確な感じではあります。最近、太陽光が霊性進化を加速させるという記事を書きましたが、私見では、月よりも太陽のほうが多くのチャクラを活性化させる可能性がある点で効果が高いように感じられます。もっとも、月も非常に高次元の領域につながっているのは確かです。以前調べたところでは、太陽、月、地球は、高次元では同一のエネルギーラインを共有していて、同じ源につながっていました。この中でも特に、地球は我々の物質的肉体との結び付きが強いのと、霊体にも強い影響を与えているように感じます(いわゆるダイアード的側面)。他方で、源からのエネルギーも我々は自由に受け取ることが誰でもできるのですが、それは、太陽との結び付きが強いと感じます(トライアード的側面)。この両者を融合させる方向性が、意識的あるいは無意識的にこれから自然になされていくように思います。 Some rights reserved by ewen and donabel
2012.12.23

昨日あたりからずっと、新しい時代の幕開けといった印象を感じています。特にここ最近はエネルギーがずっと高いですし、今ここの現実世界において高次元との結び付きが強まっています。この新しい時代を祝福すべく、パソコンから見れるブログ背景を一新することにしました。ブログ背景を変更しようとは思ったもののどれにしようか迷っていたんですが、数年間開設してきたにもかかわらず全く気付かなかった機能を昨日みつけ、背景を私独自のオリジナルなものにしました。背景の場所は・・・みなさんどこだと思いますか?ヒント。九州地方です(笑)。非常に強いエネルギーを感じるところです。私もそこに実際に行ってきました。以前よりも、我々が住む領域(低次元領域)と神々が住む領域(高次元領域)との境目が薄くなってきているように感じます。別の表現をすれば、ダイアードとトライアードとのさらなる融合とでも言いましょうか。これからはますます、自分自身の持つ神的部分が日常生活において現れやすくなってくる時代に入っていくように思います。そうかといって、何も特別なことをする必要はなく、あたりまえに日々の生活を送るだけです。そこで鍵となってくるのは、現実世界における人と人との関係なんだと思います。自分が今、生活している環境(家庭、学校、仕事、など)において出会う人間関係です。様々な人と時にはぶつかり合いながらも、お互いが魂のレベルで切磋琢磨していくプロセスが重要なんだろうと思っています。人間はそもそも、ネガティブでもあり、ポジティブでもあります。高次元のエネルギーを浴びてネガティブな部分をなくしポジティブな存在になろう!・・・・・無理です(笑)。まずは、自分自身の内面をさらけ出し、両方の部分が存在することを認めることが大切だと思います。(そうかといって、人を誹謗中傷しろとか、そういうことを言っているわけではありませんよ(笑))自分自身の内面の細部にわたるまで隅々と見えてくるようになった時、自分自身にとってのまた新たな展開が始まるような気がします。なにはともあれ、人間らしく生きることが大切な気がします。でも、人間は一人では生きられませんよね?だからこそ、お互いがぶつかりながらも協調してやっていく必要があるように思います。一般的には、相手の気持ちをおもんばかるということなんだろうと思います。まあ、商売がからんでくると、なかなかきれいごとだけでは済まされなくなる場合もありますけどね(笑)。主義主張の違いでぶつかり合うのは仕方がありません。ですが、根底のところで、人は互いの存在を認め合うことが必要な気がします。その人と付き合うかどうかは別にして。基本、やりたいようにやったらいいんだと思います。ただ、人ともしうまくやっていきたいなら、相手への配慮は必要でしょうね。以前、他人への配慮を自分に対する甘えだという人がいましたが、それは違います。リアルで出会う人間関係において、他人との協調関係は欠かせないものです。それは別に妥協でも、自分自身を殺すことではありませんし、人と共に生きることが喜びだからそうする、ということなんだろうと思います。そういった意味においては、人と人とのつながりがこれからは特に大切になっていくように感じる、今日この頃です。Some rights reserved by ZeroOne
2012.12.21

今回は少し、太陽光線の効能についてお話したいと思います。日の光を浴びると、なんとなく心地よいものです。もちろん、温かみもあります。でも、それだけではないんですね。太陽光には、霊性進化を加速させる働きがあります。そうはいっても、別に特に身構えたりする必要もなく、自然界の働きだと思えばいいんです。太陽光は、じかに長時間見ますと目を傷めますが、ごく短時間(ほんの数秒)であれば健康への害はさほどないと思われます。窓越しでもかまいませんし、外に出て浴びてもいいです。また、これは進化した私からの情報ですが、実際に見ずとも、心の中に太陽光をイメージするだけでもいいです。そうやって太陽光を浴びていますと、次第にハートチャクラの辺りが心地よくなってきます。じんわりと心の中に響いてくる感じです。この状態を数秒から数十秒間味わったのち、日常生活に戻ります。これを、朝や夕方など、割と落ち着いて時間の取れる時に行ってみていただければと思います。太陽というのは本来、霊的中枢部分としての特質を備えています。現実界では、地球などに光や熱を供給して生命を育んでいる恒星ですが、それだけではないんだということです。人間は本来、霊的存在です。それは、自分で意識していても、していなくてもです。霊的存在であるがゆえに、霊的中枢部分と共鳴し合い、様々な叡智やエネルギーをフィードバックして、自身の進化・向上に役立てることができます。また、自分自身の進化・向上は、ひいては、同胞の進化・向上にもつながっていきます。この辺の部分については、ピンとくる人もいれば、あまり来ない人もいるかもしれません。なぜ自分自身の進化向上が他人のためにもなるのかは、ひとえに、我々が意識のネットワーク構造によって情報を相互に共有し合っているからにほかなりません。また、精神的に成長していくにつれて、「自分」の範囲が拡大し、様々なことに自身を役立てていく(いきたいと思う)といったような特質を本来的に人間は誰でも備えているからです。でもそれは、「・・・ねばならない。」といった宗教的思想や価値観によってもたらされるものではなく、ごく自然な、それでいて純粋な動機からふつふつと湧きあがってくるものだと思います。太陽光の、効能から話が若干それましたが、要は人が人であることを思い出させてくれる存在、それが太陽であり、日の光なわけです。ぜひ、日の光を浴びてみてください。Some rights reserved by jooliargh
2012.12.19

今日もすごいエネルギーでした。ハートにエネルギーがいっぱいでハートが張り裂けそうです。このエネルギーはどこから来るのか、わかりません。わかりませんが、悪い感覚はありませんし、流れに任せています。これはもしかしてアセンションの影響なのかと言われれば、そうかもしれないとさえ思います。もしかしたらこういったエネルギー的変化を感じておられる方もいらっしゃるかもしれませんし、そうではないかもしれません。私にわかるのは自分自身のことだけなんですが、こういうエネルギーの高いときには、できるだけおとなしく過ごすのがいいのかもしれませんね。あと、感情の変化も激しくなる(気分が高揚したり、逆に感傷的になる)こともある可能性がありますが、何に対しても、自分の気持ちの方向性に素直になって、「受け入れる」ことじゃないかなと思っています。私は、漠然とですが、冬至の日以降の年末の過ごし方が、自分自身の精神的成長(霊的な意味も含めて)にとって重要な気がしています。霊的といったのは、霊性進化という文脈で申し上げています。おそらくこれは、今回の冬至が、特別な意味を持っているという信念を私自身が持っていることに起因するように思います。ですから、そういった信念を持たれていない方ならば、おそらく何の変化もないのではないかなと思います。なにはともあれ、現実や現実に対する認識を作り出すのは、他でもない自分自身です。私は、今ここでの変化を楽しみたいと思っています。Some rights reserved by Martin Pettitt
2012.12.18

源への回帰、そんな表現がぴったりの出会いが再びありました。ひょんなことから、いつも懇意にしていただいている取引先からの依頼で、私は急遽、島根県に出張することになり、日帰りでトンボ帰りしてきました。その場所は出雲大社からわずか30kmほどのところ。こんなチャンスはめったにありません。そうです、遠すぎて行けなかった参拝をする絶好のチャンスです。私は、時間的にかなり無理を押して、仕事の後に出雲大社に向かうことにしました。実は、先日のオフ会の時にも、今回の出雲行きの付箋とも言える会話がオフ会に参加された方との間でありました。私にはなるほどと感じられる所が直感的にあったのですが、それは、日本列島の重要なエネルギーラインにまつわる話です。我々は、歴史上、表面的に注目するのは伊勢と奈良のエネルギーラインです。歴史的には、伊勢神宮の現在の地への遷宮なんかにも読み取ることができます。しかし、オフ会に参加された方によれば、これは表向きのことであって、裏側においては、真に重要なエネルギーラインは、富士山と出雲のラインであるとのこと。私には、理屈抜きになるほどと納得出来るものがあって、かねてからの出雲への再訪したいという気持ちとも重なり、今回の私的には偶然とは到底思えない展開となった次第です。行ってみてびっくりしました。出雲大社のエネルギーがガラッと変わっていたのです。(ですが、これはとりもなおさず、出雲大社が変わったのではなくて、私自身が変わったということなのですが・・・)出雲大社のエネルギー、正確に言えば、出雲大社と我々が呼んでいるエネルギーフィールドからくるエネルギーは、出雲大社に近づくにつれて次第に強まっていきました。特に、明らかにそれが顕著となってきたのは、出雲大社の背後にある山脈が見えて来た時です。あの雄大な山並みに意識を向けているうちに、ハートチャクラにずんずんと響き渡るように、澄んだ、それでいて力強いエネルギーがふつふつと込みあげてきました。そして、巨大な第1鳥居をくぐった瞬間、さらにエネルギーが強まってきました。今まで様々な神社を訪れてきましたが、これほどの強く澄み渡るようなエネルギーを感じたのは、伊勢神宮の伊雑宮という所です。ですが、出雲大社の第1鳥居をくぐった瞬間に感じられて来たエネルギーは、伊雑宮のそれとは明確に異なっていました。そのエネルギーを言葉にすると、「心の琴線にふれるような感じ」、こんな表現がぴったりです。出雲大社の広大な境内は、その場所場所に応じて異なったエネルギーが感じられてきます。出雲大社の境内全体は、ある種のエネルギーフィールドと言いますか、心の琴線にふれるようなハートフルなエネルギーに満ちていますが、例えば神楽殿などで光の柱を建てますと、伊雑宮と同一の根源的なエネルギーにたどり着きます。今回初めて分かったのは、伊勢神宮の伊雑宮も、出雲大社も、同一の極めて高次元からきていると思われる根源的な源のエネルギーにつながっているということです。私は今回の出雲での体験が、ここ数日感じられて来た、時代の転換期を思わせるようなエネルギーの高まりと妙にリンクしているなと改めて思いなおした次第です。前回、出雲を訪れた際には、これほどまでの高次元かつ力強いエネルギーを感じませんでした。ところが、今回は打って変わって、ある場所では心の琴線にふれるようなエネルギーを、別の場所では源に通じる根源的なエネルギーを強く感じました。大切な人と離れ離れになっていて再び再開した時のような、魂と魂とが磁石のように引き寄せられるようなエネルギー。それが、力強くで、持続力があり、出雲から自宅に戻った後もまだその余韻が心の奥底にありました。私は、出雲大社の改修中の本殿近くで、ある存在に意識を向けていました。それは、スサノオと呼ばれる存在です。出雲大社の広大な敷地内に流れる、心の琴線に触れるような温かみのあるエネルギーは、このスサノオという存在に関係しているように思います。現場でリーディングしてみますと、スサノオは実在した人物だったと感じます。心の琴線に触れるようなエネルギーの所以(ゆえん)は、スサノオが実在した人物であったからこそなんだろうと思います。あくまでも私の見方として聞いていただきたいんですけど、スサノオと我々が考えている存在、そして実在したその人物というのは、今の出雲大社のあたりに出生していたと感じます。意識をC1に置いたままでしたから、それ以上の深いリーディングはできませんでしたけれども、私たちから見れば、かつて人間であったこのスサノオという人物は、リーディングによれば「人格神」として、我々から見れば神のごとくに進化しているようです。これは一体誰なのか?スピリチュアルに興味がある方ならばもうおわかりでしょう。この神のように進化した人物というのは、とりもなおさず、我々自身のことなのです。もちろん、「自分」という概念を拡大して考える必要があります。ちなみに、知人も、ほぼ私と同時刻に、根源的なエネルギーを感じ取っていたと言います。このエネルギーは、我々自身の中からくるものですが、我々は自分と他人を切り離して生きる習慣がありますから、本来の自分自身の姿、言い換えればエネルギー的本質部分についても、自分の神的部分の象徴である神社、それも出雲大社の境内に入ることで、自分自身の根源部分からくるエネルギーに同調することができます。「上の如く下もまた然り」、というよりも、今ここにおいては、「内の如く外もまた然り」であると強く感じる、今日この頃です。この感動が伝わらないのが残念です。かつてこれほど神社を参拝して感動したことはありませんでしたから。
2012.12.18

昨日2012年12月12日は、地元でオフ会がありました(わざわざ日付を書いたのはちょっとした理由からで、後ほどお話します。)。その方とは、前回のオフ会で知り合ったんですが、立体図形に造詣が深い方で、他にもいろんなことを知っておられる方です。今回、お会いしたのは二回目だったんですが、過去生からのつながりを感じる方でもあります。その方と共に、今回はトレッキングなどをしてきました。どこを登ったのかというと、地元のパワースポットです(笑)。地球意識を感じられる場所とでもいいますか。今までこれを感じた場所は、それほど多くはありません。近い感覚としては、光の柱を建てた時の感覚に似ているかもしれません。ここでいう光の柱を建てるというのは、自分自身の源と深くつながった時に認識される、自分(より大きな「自分」)の持つエネルギーフィールドを表す象徴的表現です。今回訪れた場所では、光の柱を建てなくても半ば自動的に源と一体化できるような、そんな知られざるパワースポットであると感じました。多くの人によって汚染されていないということもあるのかもしれません。私は、さきほどお話した方と二人で、ある小高い山を登っていました。その山のそばには、約9千年前のものとされる古墳があり、そこからちょっと離れた所にある別の古墳群を通って山道に入っていきます。最近、運動不足なのでちょっと山を登っただけで息が切れていましたが(笑)、なんとか頂上にある神社まで辿りつきました。山に登り始める前に、最初に海岸沿いをてくてく歩いて行くのですが、海からくる浄化のエネルギーがハートの奥深くまで染み渡ってきます。この海岸自体が9千年前に栄えた古墳なのですが、かなり強いエネルギーです。私は高次元からくるエネルギーは、ほとんどすべてハートチャクラで感じ取ります。海岸に打ち寄せる波に意識を向けるたびに、癒しのエネルギーがハートの辺りに押し寄せてくる、そんな感じです。ちなみに、第7チャクラというのがありますよね?頭頂付近にあるとされているチャクラのことです。ここで感応する次元というのは、それほど高くはないと感じます。より高次元に入る領域は、ハートチャクラや、ハイハートセンターと呼ばれる、胸とのどの中間ぐらいにある領域に存在します。山頂の神社で感じたエネルギーは、海岸線で感じたものとは多少異なっていました。ここのエネルギーもハートに来るのですが、微妙に強さが異なります。海岸線で感じたエネルギーのほうが強かったのですが、同じ種類のエネルギーで、鳥居の延長線上にある海岸線の方から、鳥居を抜けてピンポイントで本殿に流れ込んできていました。いつも思うのですが、鳥居というのは結界の働きとともに、本殿へ向かう非物質的エネルギーの通路にもなっているということです。私は今回のオフ会で、同行された方との前生での関係についてさらに見識を深めるに至りました。それは、その方から過去生について聞かれたときに情報として流れ込んできました。その方とは、エジプト王朝時代に出会っていたと感じます。「プトレマイオス朝」の印象があります。エジプト王朝の末期ぐらいなんだろうと思います。その方も私も、神官として働いていましたが、私から見るとその方は、多くの重要な役職に就いていて、どちらかというと今で言う政治家のような仕事をされていた印象があります。当時の神官は、職務内容が広くて、神官でありながら政治家のような仕事もしていたと感じます。私とその方とは、友人同士というより、部下と上司のような関係にあったようです。私の方が部下で、その方が上司です。ざっくばらんな印象として、同じ神官でありながら職務内容の違いというのを感覚的に感じ取っていました。その方と、今生でも出会い、こうやってオフ会でご一緒させていただいたわけです。もっとも、私は基本的に以前お話したように類魂説をとりますから、同一のパーソナリティによる生まれ変わりはないという立場をとります。なので、エジプト王朝時代の話も、その方も私も別のパーソナリティをもっていた時の話だとご理解いただければと思います。(この辺の理解をするためには、個別意識と集合意識の違いについて理解する必要があります。よろしければ、過去ブログをご参照ください。)話は多少飛びますが、今回訪れた場所は、私なりの感応に基づきますと、オリオンの三ツ星と深い関係のあるところです。ですが、それは絶対的な意味ではなく、相対的な意味を持っていて、今回のオフ会で言うと、私とその方とのエジプト王朝時代との関連から、付箋的な象徴としての意味合いがあると感じられます。現に私は、昨日家に帰って家に入る前に、夜空にあるオリオンの三ツ星を今までにないぐらいはっきりと肉眼で見ました。あくまでも私なりの見方になりますが、あらゆる出来事は偶然ではなく必然的な意味を持っていて、それらにはガイドからのメッセージが散りばめられていることがあります。ポイントとなるのは、その人が感じられたことがすべてだということです。その人にとっての意味合いがとても大切となってきます。あらゆるメッセージというのは、その受け取った人と当該メッセージとの主観的関係が第一次的には問題となるからです。第二に訪れた神社も、小高い山の頂上にあるところで、ここには巨石群が山のあちこちにあり、エネルギー的にもっとも高次元とつながるポイントでした。私は、神社の上にあるイワクラに立ちながら、ハートチャクラにしみ渡ってくるエネルギーと同調していました。ちょうどその時、太陽光が雲から出て私たちの辺りを照らし出しました。その時です。私はどこからともなく湧きあがってくる国レベルのエネルギーを感じていました。この国レベルのエネルギーというのは、聞き慣れないかもしれません。例えるならば、伊勢神宮の伊雑宮(いざわのみや)等で感じられる、国家全体を守護するようなエネルギーのことだと思ってください。そういった国レベルのエネルギーが、イワクラの上で太陽の光を見た時に強く感じられて来たのです。思うに、イワクラとは、古代人が作った高次元の領域とつながる特別な場所だったのかもしれません。後の人が、そこのエネルギーレベルの高さに気付いて、そこに神社等を作っていったのだと思います。今回訪れた場所も、私はそのような場所に感じられました。なお、その神社からさほど遠くないところには、別の巨大なイワクラも存在していて、そこは古代の祭祀場であったという印象も得ました。木々の癒しのエネルギーを受けながら、急斜面を上り下りし、私たちはその地をあとにしました。最後に私たちは、同行された方が立体図形の専門家であったため、前回と同様に立体図形の制作をしました。今回制作したのは、正12面体です。冒頭で今回のオフ会の日付を書いた意味は、この「12」という数字の関連性にあります。つまり我々は、2012年12月12日12時12分に高次元のエネルギーをいまここの現実世界で浴び、その締めくくりとして12の完成形であるマカバを制作することで象徴的に五次元世界の現実化を感じ取った次第です。基本は五茫星のマカバ形からスタートします。(五茫星がイエス・キリストを、六茫星が太陽意識を意味し、五茫星が六茫星という真の太陽信仰への道しるべとなるという感応を得たことは、以前のオフ会の記事の時に申し上げました。今回はその続きとなります。)そこから、図形を拡大して最終的に正12面体に仕上げていくのですが、図形の中には、三角形、五角形、四角形が隠されています。その方によれば、この図形には隠された意味があって、三次元世界から、4次元の橋渡しによって5次元世界に移行することを示唆しているといいます。つまり、よく言われる、3次元から5次元へと移行するという話です。4次元というのは、3次元でも5次元でもない次元の象徴ですが、私的には例えばヘミシンクで見る世界観なんかがそれにあたるのではないかなと思います。私は今ここにおいて、ヘミシンクはもう不要だと感じています。もちろん趣味でされるのはかまわないとは思うのですが、高次元からのエネルギーを取り入れてアセンションするのにヘミシンクは必要不可欠のものでは「すでになくなっている」のだということです。それはなぜかというと、今ここにおいてすでに5次元世界に我々が足を突っ込んでいる状態だからです。もともと三次元世界で閉じ込められていたような時代には、4次元世界を垣間見るための技術が必要でした。それが、三次元から五次元へ移行する手助けとなる可能性があったからです。しかし、今ここの世界が五次元になると、別の世界を垣間見る必要性はなくなります。なぜなら、以前あこがれていた世界が内面世界においてすでに現実化しているからです。もっとも、内面世界と現実世界が一致してくるのは、まだまだ時間がかかります。ですが、以前にもお話しましたように、アセンションとはまずは意識変化を先行します。その意識変化を経たのちには、内面的には五次元世界がすでに到来していると考えられるからです。つまり、そういった人は、五次元世界に努力の結果行けるのではなく、すでに存在している領域に意識を同調させて足を踏み込むだけです。もうすでにそういう時期に来ているということです。それを今回のオフ会の旅で強く感じ取った次第です。
2012.12.13

今日は少し、地球生命系とはどういった場所なのかということと、よく言われるアセンションについてのお話を少ししたいと思います。地球というのは、進化の登竜門のようなところです。地球という存在自体に、素晴らしい価値を秘めています。そこでの人類の人生は、自分で選ぶことによって実現されています。つまり、我々は自分で地球で体験したいと望んだから、今ここにいるわけです。地球生命系の特徴は2つあります。第1に、多様性に満ちていることです。その多様性は、他に類を見ないものとなっています。多様性の中で、体験を通して自分自身にとって必要な糧を選んでいきます。ここでのポイントは、「多様性という環境を生まれた時からすでに選択している」ことです。したがって、生まれた瞬間から、我々は多様性の中にさらされ、そこで自分自身がどのような反応をするかを選択し続けていくということになります。その中でどのような選択をするのかは、まったくもってその人の自由であり、選択には優劣は一切ありません。重要なのは、そのような中で体験し選択できるという事実です。それによって、自分にとってトータルな意味で有益なものを経験値として蓄えていくことができるからです。第2の特徴として、霊的サポートが表面的には得られないということがあります。これはきわめて重要なものであって、自分自身の本体(トータルセルフ)と交信が立たれてしまっているが故に、地球で生きている本人は本気で生きようとします。つまり、何とかしてくれる人が自分以外には存在しないからです。このような本気モードに入ることが、体験の加速につながるからです。地球以外にも生命系は多数あるみたいですが、大きく言って上の2つが他の生命系とは一線を画している特徴のようです。進化、退化というと誤解を招くおそれがあるかもしれませんし、各々の捉える真実からは遠ざかる可能性もありますが、他に表現のしようがありませんので便宜上、以下そのような言い方をします。地球は、物理的地球、霊的地球のすべてにおいて、進化のプロセスをこれからたどっていきます。もちろん、そこで生命活動を営んでいる生命体もすべてそこに含まれ、人間もそうです。よく言われるアセンションというものについても高次意識に確認してみました。今は2012年12月ですよね?今この時期だから見えて来たことがあるのかもしれませんが、アセンションについては2つのプロセスがあるというのは、以前このブログでもご紹介してきた通りです。まず先に、個々人の内面で変化が起きていきます。次に、それに伴って、社会全体が変化していきます。そのプロセス全体のことを、我々はアセンションだととらえているようです。具体的には、個々人のレベルでは、アセンションとは意識の変化を指します。今後、10~20年の間に、顕在意識もしくは潜在意識レベルで、人間は自分自身というものをつぶさに見るようになります。ここで言う意識の変化というのは、例えばネガティブな側面をポジティブな側面に変えるという意味ではなく、自分自身の内面が今まで以上によく見えるようになることを指しています。つまり、アセンションの意識変化のプロセスとは、人間が自分自身の内面をよりよく知ることを意味しています。でも、高次によれば、今後数十年の間に、人間は自分だけでなく他人との共存関係や協調関係を大切にするようになると言います。個人と集団というのは、一見逆説的な要素を含んでいるように感じられます。自分を大切にする(浄化する)というのは、他人を犠牲にする側面があるのではないか?でも、そうではないのだということです。自分自身もよりよく知った上で、他人ともうまくやっていけるような、第三の道が存在しています。それを今後数十年の間に、多くの人が選択していく可能性がエネルギーレベルで存在しています。それが、第2のアセンションである、社会の変化につながっていきます。このように、地球環境というのは、見た目にはほとんど変化がありませんが、霊的には大きく変わっていく可能性があります。人類の霊性進化とは、内面で進行していくからですね。あと、多少話がそれますが、今お話しているお話に関連して、地球がこれから多次元宇宙とより融合していくという話を言われました。多くの人は、様々な見方をされていることと思いますが、共通する事実として、私もこの多次元的宇宙との融合をお話しておきたいと思います。地球はこれから霊的な意味において進化のプロセスをたどっていくわけですが、ほとんどの人類は、当面の間は、いわゆる「死」という肉体的変化を経験することになります。ですが、その後は、いわゆる輪廻転生によって地球上に舞い戻ってくるわけではないみたいです。ほとんどの人が、より霊的に高度な進化のプロセスの道を歩んでいきます。それは、地球圏や我々の宇宙には全く縛られない自由な領域において、適切な段階を経て、適切な場所に赴き、そこでまた様々な人との出会いがあり、学んでいくというプロセスを指しています。このような進化のプロセスというのは、以前お話した、パーソナリティレベル(個人意識レベル)での話です。インディビジュアリティレベル(集合意識レベル)での話ではありません。あくまでも1つの目安として聞いていただきたいんですが、人類は死後、5次元から7次元の間において、霊的な進化の道を歩んでいくことになるみたいです。では、7次元を超えた所はどうなのか?これについては、我々の想定する生活とは全く異なるみたいです。つまり、個人意識レベルでは7次元まででの学びが最高レベルであって、あとは集合意識レベルでの学びになるみたいです。別宇宙を形成して独自の生命をはぐくむというのも、その1つかもしれません。レベル的にはそういったレベルでの話だということです。今回は便宜上、進化、進化という言い方をしてきましたが、中には退化したいというひねくれた人もいるかもしれません(笑)。余談ですが、バシャールという存在がいますよね?あの存在は、人類の集合意識から離脱していると感じられます。言葉に表現すると、「進化も退化もしていない」といった感じです。今の地球や人類の霊性進化の方向性とは、異なっています。でも、そんなことはどうでもいいんです。我々は、「自分自身がどうあるか」が、常に問題なのですから。退化したいというひねくれたかた、ご心配なく(笑)。ちゃんと道は容易されているみたいですよ(笑)。でもその輪廻転生の先は、過去やこれからの地球とは異なるような印象を受けましたが。でも、その中で生活していくと、違和感は全くないようにも感じられました。このような方向性についても、一部の方が言われていますよね?それについても、私は同じ考えです。いずれにせよ、我々は自分の進む道を自分で選択することができます。そのために最も大切なことは、地球とのグラウンディングを強めることです。具体的には、現実世界での体験を最重要とします。自然の木々に触れ、自然の食物をとり、そのエネルギーと共鳴していきます。でも、エネルギーなんて難しいという人は、今ここでの現実世界での勉強や仕事や育児その他を大切にし、目の前にいる人との体験を楽しみ、生活を楽しんでいくとがなによりではないかなと思っています。Some rights reserved by tracie77792
2012.12.04
全12件 (12件中 1-12件目)
1