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西暦1935年4月17日を各地のカレンダーで見てみます。中東、イスラム暦では、ヒジュラ紀元1354年ムハラムの月「13日」です。極東、中国の旧暦では、季春の月「15日」です。季節を合わせるため、一般の太陰太陽暦の場合は、第13月の追加によって太陽年とのずれを調整します。これを閏月(うるうづき)といいます。これに対し、イスラム暦に閏月はなく、1年を12ヶ月に固定し、太陽年や季節は無視します。純粋な陰暦です。しかし、イスラム暦も、太陰太陽暦も、元日を新月に合わせる点では同じです。さて、地域(経度)によって月の満ち欠け(朔望)には時間差があるなどの条件により、2つの暦の日付には幅がありますが、ローマ(西方教会)の暦でいう1935年4月17日は、十三夜から満月までのいずれかであったと分かります。太陰太陽暦のユダヤ暦でも(聖書創世紀元5695年の)ニサンの月「14日」にあたりました。これによって、西暦1935年のその日は満月の直前であると分かりました。よって、エルサレムの地では過越祭が始まったばかりです。それは、福音書の記述にしたがえば、キリストが十字架に掛かる日です。月齢から見て、復活の日には早すぎるわけです。ところで、初期キリスト教の歴史において、ニサンの月14日を特別に大事にする人達がいました。エペソ (エフェソス) などの会衆にとっては、過越祭を祝うことが初代の弟子からの伝統だったのです。※ Ephesusは現在のトルコ領ですが、古代ギリシャ人の都市です。(http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/pauro-tizu.html) 1-2世紀、スミルナのポリカルプスは、初代の弟子達がニサンの月14日に厳粛な礼拝を守っていたといいます。※ Polycarpus (スミルナの) http://en.wikipedia.org/wiki/Polycarpつづいて、2世紀、エペソ教会のポリクラテスは、ローマ教会のビクトールに対して書簡を送り、ニサンの月14日を待って復活節を守ってきた自分達の伝統への理解を求めました。※ Polycrates (エペソの) http://en.wikipedia.org/wiki/Polycrates_of_Ephesusこれら東方諸教会の初期の指導者たちはクアルトデシマニズム「14日遵守派」といわれます。※ Quartodecimanism http://en.wikipedia.org/wiki/Quartodecimanism東方では、太陰太陽暦が古くから日常的に使われていたこと、また、ユダヤ人の集団にクリスチャンが混在していたことが背景にあります。太陽暦に移行する前のローマ暦は、もともとギリシャの暦を受け継いでおり、月の満ち欠けに基づいて、月の半ば、中日をイデュース Idus 、イデス Ides と呼んでいました。http://en.wikipedia.org/wiki/Roman_calendar三日月は見えますが、新月は見えませんから、誰かが月の始まりを決定することになります。新しい月の朔日を王が「宣言」する、ということから、一日目をカレンダエと呼び、カレンダーの語源になったといいます。ローマでは恣意的な閏日、閏月らしきものを用いるようになって、粗雑な暦に退化して行きました。そこで、新たに単純な太陽暦(ユリウス暦)を採用して混乱を収めました。しかしながら、遠隔地では伝統的な、たいがいはローマ暦よりも精密な陰暦が使用され、簡素なユリウス暦が普及するのは遅くなりました。このように、東方では太陰太陽暦に基づく生活が守られており、14日に始まる過越祭・除酵祭の週間に加わりながら、キリストの復活を記念する礼拝が守られていたのですから、実際の十字架の事件の日付も忘れ去られなかったと考えられます。そして、陰暦14日は、たとえ1ヶ月前後しても、また、1日前後しても、その日が満月の直前であることに何の影響もありません。したがって、西暦で1935年4月17日と呼ばれるその日は、約2000年前の復活の日に相当する同じ日よりも約3日前であることが分かります。(えーと、一部の方々にしか分からないカルトな話でしたが、、、ともかく、惜しかったですね。)
2007/08/31
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考古学の成果から見たユダヤ人の一週間。ふつうの一週間に修正を迫る人と、反撃する人の間の議論から、土曜日・週というものを見直す。ユダヤ人の一週間はほんとうに文字通り7日周期で連続してきたのか。この議論はすでに行なわれた。伝統的な1週間は、人工的で不自然、と感じる人達がいて、月の周期に合わせるように「月の安息日」を提唱し、ユダヤ人もクリスチャンもこれに「回帰」すべきだと主張した。聖書では、ノアの子孫が古代メソポタミアの全域※を覆ったとされる。ノアの一族は天地創造の話、および神の安息日を知っており、そこで、メソポタミアの諸民族は多少なりとも安息日を守っただろうとも想像できる。(※字義通りに解すればメソポタミアに限らず地球全域)考古学的には、月末を超えない7日周期の安息日が守られたことは確証が得られた。しかし、文字通り7日周期の安息日のほうは、それを守った者が実際にいたのか、粘土板や石碑などの遺物からは立証されていない。そこで、「ルナー・サッバス」つまり陰暦の月に合わせて安息日を設定しようとする宗派が登場した。http://hope-of-israel.org/sabtosat.htmFrom Sabbath to Saturday: The Story of the Jewish Rest Dayサバスから土曜日へ―――ユダヤ人の休日の物語John D. Keyser・・・The knowledge of the Sabbath was brought through the flood by Noah and his family, and when Noah's children and their descendants spread out into the area that later became known as Babylonia, the knowledge of the Sabbath went with them. 安息日に関する知識は洪水を通してノアと彼の家族によってもたらされ、そして、ノアの子らとその子孫が、後にバビロニアとして知られるようになった領域に広がると、安息日に関する知識も彼らに伴った。As a result, we find a "Sabbatum" in the ancient records of Assyria and Babylonia where certain activities were prohibited on the 7th, 14th, 19th, 21st and 28th days of the lunar month. この結果、われわれは陰暦の7日、14日、19日、21日および28日には特定の活動が禁じられていたアッシリア-バビロニアの古文書に「サッバタム」を見出す。The Babylonian Connectionバビロニア人の宗教In the year 1869 the late George Smith, a well-known pioneer student of Assyriology, discovered among the cuneiform tablets in the archives of the British Museum in London "a curious religious calendar of the Assyrians, in which every month is divided into four weeks, and the seventh days or 'Sabbaths,' are marked out as days on which no work should be undertaken." 1869年、ジョージ・スミスは、よく知られるアッシリア学の先駆的研究者であるが、ロンドン大英博物館の資料庫の粘土板の中から、「各月を4週間に区分し、7日目またはサバスを仕事を引き受けてはならない日と記しているアッシリア人の奇妙な宗教暦」を発見した。※※ ジョージ・スミス著『Assyrian Discoveries』1875年刊During 1873 and 1874, George Smith took part in excavations at the Assyrian site of Nineveh. In this book, he gives an account, with illustrations, of the excavations.1873年から74年にジョージ・スミスは古代アッシリア人のニネヴェ遺跡で発掘作業に参加した。この書では、図解を交えてその発掘を説明している。2002年復刻 ISBN: 1931956030(古代オリエント考古学史年表)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%A6%E5%8F%B2%E5%B9%B4%E8%A1%A8これに対して、聖書の記述と歴史的な伝統の両面から反論されている。http://www.shofars.org/Lunar%20Sabbaths.htm(伝統的な安息日を擁護するメシアニック・ジュダイズム運動の教師による。)Indeed, the evidence is overwhelming that, since antiquity, all Jews everywhere have only recognized the "Saturday Sabbath." 本当に、古代以来いたる所のすべてのユダヤ人が「土曜日の安息日」だけを認識したという証拠は圧倒的です。・・・Can you imagine all Jews, in every corner of the earth, awakening one day and forgetting what "day" it was? あなたは、地球の隅々のすべてのユダヤ人が、ある日目を覚まして、それがどんな「日」であったか忘れることを想像できますか?・・・(以上)ここで明らかなことは、たとえノアの子孫であっても、3通りに分かれたであろうということである。1.安息日は知らない。2.安息日は毎月7、14、21、28日に守る。または、四半月に守る。3.安息日は月、年とは関係なく機械的に7日毎に守る。そして、3.はユダヤ神話としては遡れるが、メソポタミア考古学としては2.しか裏付けられていないわけで、バビロン捕囚のときには自分たちの安息日を守れるはずがなく、解放されたときに、その国で学んだもの2.を独自の姿3.に変えたと見るのが順当だ。ユダヤ人だけは、遅くともそれ以後、3.を守り通してきたのであって、ルナー・サバス派の努力にもかかわらず、変更された形跡は見つからなかった。
2007/08/29
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サッカー選手 ジネディーヌ・ジダン旅行家 イブン・バットゥータ教父 アウグスチヌスこの3人に共通すること。それはベルベル人だということだ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E4%BA%BA「狼少年ケン」というテレビ・アニメがあったが、「ベルベル人」は野生動物を脅かす悪徳商人として描かれていた。見方が悪いのだろうが、「人種主義的偏見」を植え付ける悪い作品だったようだ。http://www31.ocn.ne.jp/~goodold60net/wolf_ken.htm北アフリカに広く居住し、はじめは紅海の近くに居て、大陸の西の端まで散らばったようだ。ベルベル語はセム語(アムハラ語、アラム語、ヘブライ語、アラビア語)などと同じく東アフリカに起点があるともいわれる。8日に触れたことだが、ベルベル語派の次の言語では「7」を次のように言う。sa サ ・・・シルハ語/ Shilha sebea セベア ・・・カビール語/ Kabylehttp://plaza.rakuten.co.jp/jijii50/diary/200708080000/彼らの言葉にも1週間の「週」があり、曜日の名前もふつうに7通りある。ところが、ベルベル語で「2週間」とは14日ではなく15日を表わす。よって、本来、彼らの1週間は月の4分の1なのだろうと見られる。陰暦の1ヶ月 = 29.5日29.5 ÷ 4 = 7.4日 → 7日29.5 ÷ 4 × 2 = 14.8 → 15日我々の1週間は西洋占星術に由来し、文字通り7日周期で固定しており、また、天地創造の神話やモーセの伝説に依拠するヘブライ人の1週間も機械的に7日で固定している。しかし、カルデアで月4回、毎月7、14、21、28日に祭りを行なったのが週の原型だといわれている。新しい月に移ると週も切り替わるわけだ。ベルベル人の週は、それよりもさらに素朴なものである。メソポタミア、古バビロニア・ハムラビ王の時代、というから、ヘブライ王国よりも500年ほど前、毎月の上弦、満月、下弦、晦日に祭りをしたとも聞くが、これを今日に伝えるものだろう。http://www.ffortune.net/calen/calen/fromqa/qa105.htmhttp://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/rekiyoubi1.htm
2007/08/27
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出エジプト記16章23節に、創めてユダヤ人が安息日を守ろうとする場面が描かれています。モーセは神から「明日は神の安息日であるから」と指示を受けて、民に伝えるところです。出エジプト記 16章 23節 ・新共同訳モーセは彼らに言った。「これは、主が仰せられたことである。明日は休息の日、主の聖なる安息日である。焼くものは焼き、煮るものは煮て、余った分は明日の朝まで蓄えておきなさい。」 ・口語訳モーセは彼らに言った、「主の語られたのはこうである、『あすは主の聖安息日で休みである。きょう、焼こうとするものを焼き、煮ようとするものを煮なさい。残ったものはみな朝までたくわえて保存しなさい』と」。とりあえず、手当たり次第に英米の聖書を見ました。13種※ともサッバス(Sabbath)を使っていて、日本語の聖書が「安息日」としているのはこれと対応します。※ AMP、ASV 、CEV 、ESV 、KJV、KJ21、MSG、NASB、NCV 、NIV、NIVUK、NKJV 、TNIVKing James Version (KJV) To morrow is the rest of the holy sabbath unto the LORD明日は主の聖なるサバスの休みである。New American Standard Bible (NASB)Tomorrow is a sabbath observance, a holy sabbath to the LORD. 明日はサバスの祝い、主の聖なるサバスです。ところで、桃太郎のお噺。「・・・・その大きな桃が割れて、中から赤ん坊が出てきました。」これを少し直します。「・・・・その果物の実から出てきた赤ん坊が桃太郎です。」どちらのほうに臨場感があるか。後者は、「桃太郎」を知っているものとしていますから、既に知っている仲間内を相手にしています。しかも、果物の実が具体的ではなく、名前の由来が分かりません。こういう書き方は稚拙です。既に知っていることを仲間内で軽く再確認するためだけに書かれたので、こんな描き方になるのでしょう。英語訳の出エジプト記も同様で、サバト、サッバスは既知のものとして書かれているのです。しかし、スペイン語版は違います。3点のうち2点はサバド(Sabado)とは言いません。なぜなら、スペイン語では、土曜日を「土星の日」とは呼ばず、いまでも「サバド」と呼んでいるからです。http://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9C%9F%E6%9B%9C%E6%97%A5土曜日をサバトと呼ぶキリスト教国はたくさんあり、すすんで旧約を守ることは非難できませんから、週給2日制に抵抗していた財界としては、なるべく大衆に知られたくない事柄だったでしょう。仮に工場の休みが日曜日から土曜日に変わると、次は教会が困るでしょうから、両者が結託(妥協)して見え難くしていたのだろうか、と勘繰っています。(笑)「サバト」をここに使うと、「明日は土曜日で、神に捧げる聖なる休日だ」と読めるのです。私がこれらの国の学生なら、金曜日にはイスラム教徒、土曜日にはユダヤ教徒、日曜日にはカトリック教徒のための委員として、学校当局に公休を断固要求します。(笑)La Biblia de las Américas (LBLA) Mañana es día de reposo, día de reposo consagrado al SEÑOR.明日は休日、主に捧げられる休みの日です。Reina-Valera 1960 (RVR1960)Mañana es el santo día de reposo,[a] el reposo consagrado a Jehová明日は休みの聖なる日、エホバに捧げられる休みです。脚注 [a] 土曜日に相当します。(和訳)Reina-Valera 1995 (RVR1995)Mañana es sábado, el día de reposo[a] consagrado a Jehová明日は土曜日、エホバに捧げられる休日です。脚注 [a] マナとは・・・ (冒頭のみ和訳)桃太郎は桃から生まれたから「桃太郎」ですが、さて、サバトは何から生まれたのでしょう?私が読める種類の出エジプト記には書いてありません。神様から直接聞いたモーセと、その跡継ぎたちが出エジプト記を書き、キリストの弟子達がローマ人のために翻訳した今日の聖書では、語源の点で「サバト」の起源を説明できないのです。忘れてしまったから、聞いていないから、書いてないのですね。しかし、「サバト」とは、先祖を同じくする異邦人の言葉で、七日目を意味するものだったのではないでしょうか。そうだとすると、あまり思い出したくないことかもしれませんね。これは、聖書の時代のユダヤ人の言葉とは少し違うので、言葉だけではなく、七日目に休んで祝う習慣そのものも、じつは借り物だと分かり、聖書のこの部分も権威付けできなくなるのです。【追記】イタリア語聖書 Conferenza Episcopale Italiana (CEI)出エジプト記16章23節前半イタリア語 E disse loro: «E' appunto ciò che ha detto il Signore: Domani è sabato, riposo assoluto consacrato al Signore. ・・・英訳And he told them: «And note what has said the Lord: Tomorrow is Saturday, absolute rest consecrated to the Lord. ・・・和訳そして、彼らにこう告げた。「また、主はこう言われるので心せよ。すなわち、明日は土曜日で、主に捧げる絶対の休みである。・・・
2007/08/24
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ユダヤ人は季節、月齢、週の三つを同時に守って生活してきた。毎週の安息日、毎月の新月、毎年の季節の祭りである過越し、除酵祭などである。このうち、週の習慣については、荒野の宿営で身に付けたと記憶され、「出エジプト記」16章13~30節にみられるところである。(文末参照)毎朝、正体不明の生鮮食品「マナ」が霜のように降りたとされる。奇跡的な自然現象として語られているわけだが、人数分の1日分の食糧を毎日配給されるような状態が40年間も続いたという話になっている。5日間は毎日1日分が与えられ、6日目には2日分が与えられ、7日目には全く与えられなかった。そこで、6日目のマナは半分を加熱調理して翌日まで保存した。一週間一人当たり合わせて15.4リットルのマナを与えられるが、このうち、平日(日曜日~木曜日)は、毎朝2.2リットルずつ与えられ、週末(金曜日の朝)に4.4リットルを与えられるというやり方だ。基本的には奴隷の給食と変わりが無い。また、流刑地に連行されて給食を与えられる長期囚や、異国に抑留された捕囚にも似ていると思う。たとえば、ストライキに突入して雇主から賃金を受け取れず、組合執行部から毎日闘争積立金を分配される組合員に似ているのではないか。一般に、出勤日数に比例して毎月の賃金を支払う方式は「日給月給」制と呼ばれ、日曜日や祝日などは無給である。(後払いなので)前月の給料を貯金しておく必要がある。現行のカレンダーでは、2月の平日が少ないので(欠勤すると他の月より)苦しく、さらに、日給制で、貯蓄が足りない場合には、年末には越年のための一時金支給が必要になる。これに対しマナの場合、週末は有給休暇である。「週給日給日払い」方式と呼んでも良いだろう。ただし、マナの備蓄は排除されている。ともかく、七日目はマナを掬い集める仕事がなく、休みである。このため、前日には煮炊きを済ませておく必要があるが、必ず七日目毎に休む習慣が身に付いたというわけだ。安息日を守らない者を矯正するための訓練だったかのようにも見える。その後も、安息日厳守の警告が発せられている。滅亡するか、安息日を守るか、と「説得」するのである。徹底している。守らないわけにはいかない。クムラン宗団が週を基礎とする固有の暦を作ったのは、ユダヤ人の中では安息日が確立し、その優先順位が高いからと考えざるをえない。【参照資料】出エジプト記16章13節) 夕べになると、うずらが飛んできて宿営をおおった。また、朝になると、宿営の周囲に露が降りた。14節) その降りた露がかわくと、荒野の面には、薄いうろこのようなものがあり、ちょうど地に結ぶ薄い霜のようであった。15節) イスラエルの人々はそれを見て互に言った、「これはなんであろう」。彼らはそれがなんであるのか知らなかったからである。モーセは彼らに言った、「これは主があなたがたの食物として賜わるパンである。16節) 主が命じられるのはこうである、『あなたがたは、おのおのその食べるところに従ってそれを集め、あなたがたの人数に従って、ひとり一オメルずつ、おのおのその天幕におるもののためにそれを取りなさい』と」。※ オメル = 2.2リットルhttp://www.geocities.co.jp/Milano/2523/tani.html17節) イスラエルの人々はそのようにして、ある者は多く、ある者は少なく集めた。 18節) しかし、オメルでそれを計ってみると、多く集めた者にも余らず、少なく集めた者にも不足しなかった。おのおのその食べるところに従って集めていた。 19節) モーセは彼らに言った、「だれも朝までそれを残しておいてはならない」。 20節) しかし彼らはモーセに聞き従わないで、ある者は朝までそれを残しておいたが、虫がついて臭くなった。モーセは彼らにむかって怒った。 21節) 彼らは、おのおのその食べるところに従って、朝ごとにそれを集めたが、日が熱くなるとそれは溶けた。22節) 六日目には、彼らは二倍のパン、すなわちひとりに二オメルを集めた。そこで、会衆の長たちは皆きて、モーセに告げたが、23節) モーセは彼らに言った、「主の語られたのはこうである、『あすは主の聖安息日で休みである。きょう、焼こうとするものを焼き、煮ようとするものを煮なさい。残ったものはみな朝までたくわえて保存しなさい』と」。24節) 彼らはモーセの命じたように、それを朝まで保存したが、臭くならず、また虫もつかなかった。25節) モーセは言った、「きょう、それを食べなさい。きょうは主の安息日であるから、きょうは野でそれを獲られないであろう。26節) 六日の間はそれを集めなければならない。七日目は安息日であるから、その日には無いであろう」。27節) ところが民のうちには、七日目に出て集めようとした者があったが、獲られなかった。28節) そこで主はモーセに言われた、「あなたがたは、いつまでわたしの戒めと、律法とを守ることを拒むのか。29節) 見よ、主はあなたがたに安息日を与えられた。ゆえに六日目には、ふつか分のパンをあなたがたに賜わるのである。おのおのその所にとどまり、七日目にはその所から出てはならない」。 30節) こうして民は七日目に休んだ。出エジプト記 31章 14-15節安息日を守りなさい。それは、あなたたちにとって聖なる日である。それを汚す者は必ず死刑に処せられる。だれでもこの日に仕事をする者は、民の中から断たれる。六日の間は仕事をすることができるが、七日目は、主の聖なる、最も厳かな安息日である。だれでも安息日に仕事をする者は必ず死刑に処せられる。 民数記 15章32節) イスラエルの人々が荒れ野にいたときのこと、ある男が安息日に薪を拾い集めているところを見つけられた。 33節) 見つけた人々は、彼をモーセとアロンおよび共同体全体のもとに連れて来たが、34節) どうすべきか、示しが与えられていなかったので、留置しておいた。35節) 主はモーセに言われた。「その男は必ず死刑に処せられる。共同体全体が宿営の外で彼を石で打ち殺さねばならない。」36節) 共同体全体は、主がモーセに命じられたとおり、彼を宿営の外に連れ出して石で打ち殺したので、彼は死んだ。申命記 5章 14-15節七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、牛、ろばなどすべての家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる。あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである。歴代誌下 8章 13節 新共同訳:安息日、新月祭、および、年に三度の祝祭日、除酵祭、七週祭、仮庵祭に関してモーセが命じたように、日ごとの定めに従って献げ物をささげた。口語訳:すなわちモーセの命令に従って、毎日定めのようにささげ、安息日、新月および年に三度の祭、すなわち種入れぬパンの祭、七週の祭、仮庵の祭にこれをささげた。ネヘミヤ記 13章15節) またそのころ、ユダで、人々が安息日に酒ぶねでぶどうを踏み、穀物の束をろばに負わせて運んでいるのを、わたしは見た。また、ぶどう酒、ぶどうの実、いちじく、その他あらゆる種類の荷物も同じようにして、安息日にエルサレムに運び入れていた。そこで、彼らが食品を売っているその日に、わたしは彼らを戒めた。16節) ティルス人もそこに住み着き、魚をはじめあらゆる種類の商品を持ち込み、安息日に、しかもエルサレムで、ユダの人々に売っていた。※ ティルス人 = ティルス(Tyrus) 島にフェニキア人が築いた都市の住民・出身者。レバノン最南の町「砦」すなわちギリシャ語ではティルス、アラビア語ではスールという町にこの遺跡がある。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%B917節) わたしはユダの貴族を責め、こう言った。「なんという悪事を働いているのか。安息日を汚しているではないか。 18節) あなたたちの先祖がそのようにしたからこそ、神はわたしたちとこの都の上に、あれほどの不幸をもたらされたのではなかったか。あなたたちは安息日を汚すことによって、またしてもイスラエルに対する神の怒りを招こうとしている。」19節) そこで、安息日の始まる前に、エルサレムの城門の辺りが暗くなってくると、わたしはその扉を閉じるように命じ、安息日が過ぎるまでそれを開けないように言いつけた。そしてわたしの部下をその門の前に立たせ、安息日には荷物が決して運び込まれないようにした。エレミヤ書 17章 27節 もし、あなたたちがわたしに聞き従わず、安息日を聖別せず、安息日に荷を運んで、エルサレムの門を入るならば、わたしはエルサレムの門に火を放つ。その火はエルサレムの城郭を焼き尽くし、消えることはないであろう。」エゼキエル書 20章 12-13節また、わたしは、彼らにわたしの安息日を与えた。これは、わたしと彼らとの間のしるしとなり、わたしが彼らを聖別する主であることを、彼らが知るためであった。 しかし、イスラエルの家は荒れ野でわたしに背き、人がそれを行えば生きることができるわたしの掟に歩まず、わたしの裁きを退け、更に、わたしの安息日を甚だしく汚した。それゆえ、わたしは荒れ野で、憤りを彼らの上に注ぎ、彼らを滅ぼし尽くそうとした。 アモス書 8章 4-8節 このことを聞け。貧しい者を踏みつけ/苦しむ農民を押さえつける者たちよ。お前たちは言う。「新月祭はいつ終わるのか、穀物を売りたいものだ。安息日はいつ終わるのか、麦を売り尽くしたいものだ。エファ升は小さくし、分銅は重くし、偽りの天秤を使ってごまかそう。弱い者を金で、貧しい者を靴一足の値で買い取ろう。また、くず麦を売ろう。」主はヤコブの誇りにかけて誓われる。「わたしは、彼らが行ったすべてのことを/いつまでも忘れない。」このために、大地は揺れ動かないだろうか。そこに住む者は皆、嘆き悲しまないだろうか。大地はことごとくナイルのように盛り上がり/エジプトの大河のように押し上げられ/また、沈まないだろうか。
2007/08/23
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死海の遺跡で発見された資料によると、「クムラン暦」は年間52週(または53週)とする独特の暦である。これは、春分の前の、新月の頃の、週の4日目(すなわち水曜日)をもって元日とする。太陰太陽暦の一種ではあるが、週を基本として太陽暦と太陰暦を混合している。13週で四半期。一ヶ月の長さは月齢とは関係なく、1月、2月は各30日、3月は31日とする。この方式では、月齢との差とともに、太陽年との差も生じるので、元日を春分前の新月に近づけるべく、「うるう週」の挿入が必要だ。以上のように、一部のユダヤ人集団では、月齢による日付よりも週を優先したことが窺える。ユダヤ人の間では、週の規定は、今日に伝わる旧約聖書にもあるとおり、絶対である。このような特異な暦を作った集団に限らず、当時のエルサレム神殿の神官たちも、週のサイクルを歪めることなく堅持していたことは確実なのである。新約では数々の場面で安息日(すなわち土曜日)に言及しており、安息日厳守を足掛かりにイエス・キリストの癒しを批難する敵対勢力の動きが鮮明に描かれている。ご承知の通り、その後もユダヤ人は各地でシナゴーグを守り、生活規範を継承し、安息日の伝統を崩したことは無い。今日も使われるユダヤ暦の週に切れ目無く連なっているのである。(「七の物語」で既に述べたところを繰り返すのだが)ギリシャ人統治下のエジプトの都市アレクサンドリアでは、星占術に基づく週が考案され、その初日に「土星」の名前が付けられた。 このとき、既に存在していたユダヤ人の週の初日とは1日の差があり、この土星の日は7日目の安息日に当たっていた。占星術と週のサイクルをアレクサンドリアの学者や他のギリシャ人に教えたのは、もちろんユダヤ人ではなく、カルデア人であるが、源流は古代バビロニアである。それはともかく、週のサイクルは、現代から紀元1世紀に遡っても連続している、ということはお分かりいただけたと思う。http://www.johnpratt.com/items/docs/lds/meridian/2003/qumran.html#11. The Qumran CalendarWhile several documents discovered at Qumran give schedules of events according to their calendar, the best descriptions of the workings of the calendar itself are probably found in the Book of Jubilees and the Book of Enoch.[3] Although those books are not included in our Bible today, both were held in high regard at Qumran, equal to others we now include in the Old Testament. The calendar had 364 days each year, beginning on a Wednesday every spring. It had four quarters of exactly 13 weeks each, so that every quarter-year began on a Wednesday. Each quarter had three months, the first two having 30 days, and the third having 31 days. The months were numbered from 1 to 12, beginning in the spring. Thus, it had a feature desired by many modern businessmen: it was so tightly tied to the week that every day occurred on the same day of the week every year. In particular, their sacred feast days always occurred on the fixed days listed in Table 1.[4]・・・They must have had some method for inserting an extra week often enough to keep this calendar aligned with the seasons, because some of the offerings, such as First Fruits, had to occur at certain seasons of the year, when the barley or wheat would be ripe. ・・・
2007/08/22
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明治時代、秩父地方の若い名士で、自由党に加わり、「密偵殺し」の有罪判決を受け、獄中で死んだ者がいるが、急進派にとってスパイ(公儀隠密)対策は泣き所だろう。戦前の共産党は非合法組織で、これに参加すると、たちまち重罪になった。治安維持法という特別の法律があって、私有財産制度あるいは天皇制に反対することは、平和的な手段で主張しても重大な思想犯とされた。党内には隠密(特別高等警察のスパイ)が多数潜入し、スパイ狩りが行なわれ、本物も摘発されたが、濡れ衣を着せられた者もいたに違いない。尋問の最中に急死した者は病院などには運ばれない。非合法の党である限りは実際問題として表沙汰にはできず、遺体も容易に運べない状況だ。戦後の平和な時代になると、こういうことにはならない。共産党下部組織の青年同盟で、地方の会館敷地内から専従職員が遺体で発見された事件の場合、内部犯行の可能性も排除できないのだが、素直に警察に届け出て捜査に協力しているようだ。宮本顕治君は人殺しである! と国会で叫んだつもりが、宮沢賢治、と言い間違えた瓢軽な予算委員長が居た。いまは吉本興業所属のハマコーこと浜田某である。http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1652416.html裁判では宮本氏に不法監禁致死、という罪名が付いたのだが、これは治安維持法違反より軽かった。いまなら最高刑15年で、相場はその半分くらいだそうだが、治安維持法では無期懲役の判決が下った。終戦後、この治安維持法は無効となった。国民に政治体制を自由に選択させ、同様の戦争を再演しないように、政治体制を変える必要があると連合国は決意していた。共産主義者を含む政治囚を釈放することは、改憲とともに既に対日戦争の目的になっていた。連合国総指令部は監禁致死罪などを不問に付して、宮本氏らを釈放した。革命家は必要とあらば法律を破るだろうし、スパイの生命も脅かすだろう。とはいえ、警視総監上がりの政治家によれば、政治家に倫理を求めるのは、森によって魚を求む、すなわち、八百屋で魚をくれというようなものだ、と。同志を死なせたとすれば、ただでは済まず、少なくとも同義的責任があるはずで、徹底的な真相解明が求められるはずだ。が、これも侵略戦争反対の大義およびその時々の党外からの攻撃の前には不問に付されてきた。この粗っぽい政治規範は、宮本氏が学生時代に書いた文学評論の中で「野蛮な情熱」として初めから正当化されている。わたしの母は宮本顕治人殺し説をまったく意に介さなかった。歴史的な必要悪と認めたようだ。一方、血の臭いを嫌い、ふだんから戦地での体験を忌々しげに語る父は、赤旗読者である私を問い詰めた。中曽根翁は、宮本氏死去にあたってコメントし、思想信条は異にするが、信念を貫いたことは尊敬している、としたが、さすが同窓の後輩である。すべからく国事優先なのである。同志にスパイの嫌疑を掛けるような組織には、陰険さが漂う。戦争反対のような困難な仕事を託すことはできないと感じているのは、芥川龍之介に共感するような一部の知識人だけだろうか。平和を愛好する生活者が感覚的に受け入れるのは、鉄の規律に縛られた職業革命家ではないだろう。同じ長州人の血を引く現首相も「美しい日本へ」の高邁な公約を生活者の視点から見直すように求められているが、根は同じだ。NHK論説委員が宮本氏にインタビューしたことがあるが、「宮本議長は人間の気持ちが分からないのではないか」と問われ、「文学評論をやるくらいだから、分からないはずがない」と答えた。(爆笑)直球で大きく空振りしている。論戦としては、自分たち共産党は大丈夫、と反論する必要があるわけで、有名文学賞を受賞したのは事実だから、それを盾に防戦しようとしたのだろうが、謙虚さ、自省心という観念を全く欠いているので、自爆した。少なくとも世知に疎く、計算ができていない。批判されることに慣れていなかったわけである。領土問題でのソ連共産党批判、文革、天安門事件での中国共産党批判、また、ラングーン・テロ事件につづき、蜂谷真由美KAL機爆破テロ事件での北朝鮮批判は、党の消滅を防いだ。その範囲では他国共産主義者に誇れる賢明な指導者であったことは付け加えておく。
2007/08/20
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松の内 七ツの星を よく覚え○http://members3.jcom.home.ne.jp/shinoy/4.htmlという川柳があります。正月には暦が新しくなり、普段は見ない七曜も気になるようです。この7つの星とは、日、月、・・・金星、土星です。空海(弘法大師)が持ち帰った宿曜経には「密月火水木金土」の7曜が書かれ、朝廷の「具注暦」にも採用されました。○http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%BF%E6%9B%9C%E7%B5%8C○http://www.todan.co.jp/koyomi/chishiki/3_7.html○http://homepage3.nifty.com/silver-moon/plane2.htm「密」とはミール、あるいはミスラ、すなわちペルシャのミトラ神を指しているとされます。ミールというのは当時のソグド語だそうです。タジキスタンのとある渓谷に住む人々に伝わる言葉で、myθは、day(日)という意味です。○http://www.halfvalue.com/wiki.jsp?topic=Yaghnobi_language○http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%B0%E3%83%89%E8%AA%9E○http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=115583436このソグド語はミトラの宗教とともに廃れました。ペルシャ語を見ると、日曜日はイェクシャンベといい、イェクとは1のことです。一方、土曜日はただのシャンベです。日曜日から木曜日まで、頭に数が付いているのです。タジキスタンの首都はドゥシャンベといいますが、月曜日のことです。中央アジアのあたりでは、七つの星は、どこかへ消えてしまったようです。インドのヒンディー語では、曜日に太陽、月、5つの惑星の名を付けています。ギリシャから取り入れた占星術に由来します。○http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E5%8D%A0%E6%98%9F%E8%A1%93地中海世界では、エジプト人が命名したとされます。○http://enkan.fc2web.com/zatu/24.html・・・AD160頃の歴史家ディオ・カシウスは『ローマ史』の中で「(BC63に、将軍ポンペイウスがユダヤ人たちが安息日に仕事をしないことを利用してエルサレムの神殿を占領した、という記事に付して)日々を七つの星に当てはめる慣習はエジプト人によって始められたもので、現在はローマ人をはじめとして一般に普及しているが、私の知る限り古代ギリシア人には知られていない、比較的新しいものである」と書いています。・・・自分達ギリシャ・ローマの古来の考え方ではなく、どこかの異邦人が考えたものだろう、と言っているようです。しかし、エジプトには暦による占星術の伝統はありませんでした。エジプト人は太陽暦の下で独自に農業を発達させました。他方、一週間という周期は月の満ち欠けに由来するもので、陰暦を使うバビロニアが起源です。エジプトは、早ければ、東方からの征服者を通じて週の制度を受け入れていたかもしれませんが、アレクサンドリアに図書館が建てられ、ギリシャから惑星による占星術が伝えられ、これに伴って曜日と週の考えも受け入れたと見られます。古代において占いは、他の学術と同様に、王朝による統治の手段であり、一般市民に流行するようになったのは、ローマやギリシャが最初です。カルデア人はローマの市民に対して占星術を利用して金銭的な被害を及ぼし、追放令が出ました。不吉な日を休日とする、という発想は、日本人にも身近なもので、「物忌み」「忌み日」があります。ユダヤ人が7日目に働かないのは、土星の悪しき影響を受ける不吉な日と思っているのではないか、と異邦人から勘ぐられていたようです。しかし、聖書の時代のユダヤ人は土星を知らず、週の7日目と土星を関係付けていませんでした。後に、土星に注目する占星術の知識に触れて、これにヘブライ語の名前を付けました。シャブタイといいます。その意味は、「安息日の星」だとされます。しかし、7番目の太陽、とも読めます。後世、中国で書かれた宿曜経では、七曜の第一日は日曜日になっていましたが、もともと、西方で七曜占星術が成立したときは、土曜日が先頭と見られます。これは、ユダヤ人の1週間とは一致しません。ユダヤ人は、エジプトを脱出した後、土曜日を週末に変更した、という説もあります。しかし、エジプトにユダヤより古くから週末や安息日があったという記録はありません。エジプトもシリアもバビロニアも、使われてきた言葉はセム語の仲間で、ヘブライ語とは良く似た親戚ですから、7という言葉も共通でした。セム語(セム系諸語)や周辺の言語では、「 7 」を次のようにいいます。○http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%A0%E8%AA%9E%E6%B4%BEsebe セベ アッカド語sebgha セバー マルタ語 地中海マルタ島sab'ah サバー アラビア語 (210百万人)shaawaa シャーワー アッシリア語 イラクsheba` シェバー 古典ヘブライ語sheva' シェバー 現代ヘブライ語 (4百万人) イスラエルshob'atte ショバテ ティグリニャ語/Tigrinya(4百万人) エリトリアsäbat サーバト アムハラ語 (19百万人) エチオピア + グラゲ語/CW Guragesäbät サーバート ムヘル語/Muher (W Gurage) + マスカン語/Masqansäbattä サーバッター ガファット語/Gafat säbatt サーバット ソッド語/ Soddo + ゴゴット語/Goggot ●ベルベル諸語(10百万人) マグレブ地方sa サ シルハ語/ Shilha sebea セベア カビール語/ Kabyle ●バントゥー諸語saba サバ スワヒリ語/ Swahili (47百万人) sâmbá サンバー ドゥアラ語/ Duala●Omotic(オモ系諸語) 北部Gonga地方 エチオピアおよびケニヤshabátto シャバット モチャ語/ Mocha (Shakacho) shabattó シャバット アンフィロ語/Anfillo sabá:ta シャバータ カファ語/Kafa (Kaficho) shawáta シャワタ シナシャ語/Shinasha (Boro) sáb`ââ サバアー ダハロ語/Dahalo (4百人) ユダヤ人は、7日目すなわち今日の土曜日を特別の名で呼ぶことはなく、ふつう「安息日」と訳されているシャバット、サバトは、以上のように近隣諸民族の言葉でも、単に7を指していました。【追記】セム系文化の源流は東アフリカにあり、オモ系諸語のほうが「本家筋」といえます。http://www.valdostamuseum.org/hamsmith/Mar2006Update.html
2007/08/08
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