2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全10件 (10件中 1-10件目)
1
日記へのコメント管理は続けています。降雪地帯への移動、不養生による体調不良のため、日記の再開は七草がゆを目指します。新年もよろしくお願いします。
2007/12/31
コメント(2)
戦前、西日本の新聞各紙で、「お隣から来た詐欺師たち」を拾いました。現代風の見出しを付け、その後にオリジナルを並べてあります。日韓関係、韓国系カルト、在日団体に関連して、あれこれ思い当たるものを選びました。http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/cgi-bin/shinbun/shinbuns.cgi?midashi=%BA%BE%B5%BD&shinbun=&local1=&local2=&bunrui=&_ymd=no&year1=&month1=&beforeyear=&beforemonth=&afteryear=&aftermonth=&karayear=&karamonth=&madeyear=&mademonth=&perpage=200&page=11905年 韓国要人を騙る詐欺『閔元植のドロン(閔元植との触れ込みで揮亳詐欺)』 神戸又新日報 1905/11/13 〔7/5〕 舞鶴・京都 【社会】1922年 悪徳訪問セールス 飴を「朝鮮人参」と偽る『鮮人にアメを喰はさる/人参行商人の詐欺』 大阪毎日 1922/6/1 夕 〔2/4〕 大阪・大阪 【社会】1923年 詐欺容疑で逮捕、街頭セールスに扮した左翼『香具師に扮した主義者/首魁以下収監さる/何れも詐欺罪として起訴/頭目の鮮人も逮捕す(佐用郡久崎村)』 神戸又新日報 1923/1/7 〔7/9〕 佐用郡・兵庫 【社会】1924年 各地で詐欺反復「多数の女性と関係するため」『小説的事実を申立て/警官を煙に捲く怪鮮人/三百数十人の女に関係する為各所で詐欺を働いたと云ふ』 福岡日日 1924/2/17 〔1/3〕 下関・山口 【社会】 京都御所にポスター貼った易者に詐欺の前歴『例の朝鮮易者/旧悪がバレタ(御所貼紙事件の易者、原籍地での詐欺が露見。区裁送致)』 京都日出 1924/3/1 〔〕 京都・京都 【犯罪】1925年 飴を薬と偽り薬効謳う 巧妙な抽選商法『鮮人の飴売り/万病有効は詐欺』 中国 1925/6/21 〔〕 河内・広島 【社会】『飴売りの朝鮮人が巧妙な詐欺/世人は注意せよ』 呉日日 1925/7/21 〔〕 呉・広島 【社会】『抽選詐欺の飴売り鮮人/警官と同行/途中逃亡す』 呉公論 1925/8/21 〔〕 呉・広島 【社会】 有力者・有名人を広告塔に、偽「親日団体」の寄付金詐欺『顕官や名士を看板に朝鮮人が寄付金詐欺/ありもせぬ大陸共存会/兵庫署が犯人を捕へた』 神戸新聞 1925/9/8 〔9/10〕 神戸・兵庫 【社会】『日鮮融合を種にして寄付金を騙った大陸共存会の内幕判る/首魁朴命遜終ひに検事送り/詐欺の目的は果して何か』 神戸新聞 1925/9/25 〔9/5〕 神戸・兵庫 【社会】1926年 在住朝鮮人組織の役員を騙る『ずるい朝鮮人(西の京星ヶ池町。相愛会紹介部長を名乗る男は氏名詐称、詐欺の前歴判明)』 大阪朝日 1926/6/18 京滋 〔9/5〕 京都中京区・京都 【社会】1927年 「司法官」「子爵の子息」騙る詐欺師『自称子爵の息は朝鮮人詐欺師/司法官と称し女教諭と結婚した詐欺の大天才』 京城日報 1927/4/3 〔7/7〕 東京板橋区・東京 【社会】 鉄道工事計画かたる詐欺犯を逮捕『尼宝線工事の詐欺鮮人横浜で捕はる』 大阪朝日 1927/9/3 阪神 〔9/6〕 伊丹・兵庫 【社会】 朝鮮貴族への支援かたる偽募金犯を逮捕『<裏のうら>見舞金を詐欺(東京市外雑司ヶ谷の朝鮮人は、朝鮮貴族の病気見舞金を募集し横領逃走。京都・西洞院五条で逮捕される)』 大阪朝日 1927/11/15 京版 〔9/8〕 京都下京区・京都、全国 【犯罪】1928年 朝鮮系左翼運動の「貯金」詐欺『赤化の資金に貯金の大詐欺/朝鮮人四名を逮捕/大部分は逃走す』 京城日報 1928/5/18 夕 〔2/4〕 東京文京区・東京 【犯罪】 韓国独立運動関係者の詐欺『朴烈事件直訴の保釈中の金築、桜島埋立地を種に詐欺を働く』 大阪朝日 1928/5/26 〔5/8〕 大阪・大阪 【社会】 満州「要人の子息」を騙る詐欺『係官を煙にまく自称張作霖の息子/実は鮮人の詐欺漢』 福岡日日 1928/9/8 〔1/3〕 ・京都 【社会】1929年 韓日恋愛の相手 実は詐欺犯『<平安南道>内鮮恋の破綻/うまくうまく釣られ来たら/男は詐欺犯人』 京城日報 1929/4/13 〔4/8〕 平壌・朝鮮 【社会】 恋愛結婚の相手 日本人装う詐欺師と発覚(1934年) 『夫は詐欺漢/秋に泣く若妻/朝鮮生れと聞きわっと哀号/描く恨みの一幕』 神戸又新日報 1934/10/28 〔6/8〕 尼崎・兵庫 【社会】1929年 偽大学生の債券詐欺『偽大学生の化の皮/実は債券詐欺の鮮人』 神戸新聞 1929/10/11 〔4/5〕 神戸・兵庫 【社会】1930年 罪に問えるか 霊感商法で洗剤を「薬」と『岸一太博士の明道会に疑の目/朝鮮巫女の「神人交通」詐欺罪に問はれるか』 大阪毎日 1930/11/21 〔7/6〕 東京・東京 【社会】『霊媒作用を名とする怪鮮人老婆の詐欺行為/警視庁の取調で発覚 岸博士等組織の明道会は解散処分する』 福岡日日 1930/11/21 〔1/3〕 東京・東京 【社会】『博士さま御自身で洗濯薬を各戸へ行商/林田署に捕った売薬詐欺漢/共謀の主魁、鮮人某は逃走する』 神戸新聞 1931/1/16 〔7/8〕 神戸・兵庫 【社会】1931年 音楽学校生かたる寄付金詐欺『大邸宅を狙ふ/寄付金詐欺/音楽学校の制服を着た朝鮮人の偽学生』 大阪朝日 1931/3/3 阪神 〔11/4〕 神戸・兵庫 【社会】1933年「韓国独立運動の急進派」じつは詐欺師か『独立運動の急先鋒、詐欺鮮人か』 神戸又新日報 1933/7/19 〔7/5〕 下関・山口 【社会】「高等刑事」かたる詐欺師 独身女性被害『高等刑事は嘘の皮/同大出身詐欺鮮人の早わざ/甘い夢を見た下宿の娘/下関荒しは遂に捕はる』 門司新報 1933/7/19 〔1/5〕 下関・山口 【犯罪】1934年 国策会社満州鉄道かたる詐欺『満鉄課長名騙り詐欺で豪奢三昧/朝鮮生まれ、製造会社へ注文と見せ/葺合署に逮捕さる』 神戸新聞 1934/6/7 夕 〔2/1〕 神戸・兵庫 【社会】 韓国独立運動の最高指導者かたる 誇大妄想か詐欺か『朝鮮仮政府委員長/実は詐欺窃盗二犯/誇大妄想的の鮮人』 福岡日日 1934/10/20 〔1/3〕 福岡・福岡 【社会】イエス・キリストの再臨を騙るのは最強でしょう。
2007/12/25
コメント(2)
《謎の人物》の氏名、経歴を究明する過程をふりかえります。未知の「再臨主」 → 文鮮明 →→ 山本朋成 (早大専門部卒業) ・・・×→ 江本龍明 (早大卒 × ・・・ → ?)? → 附属の『高等工学校』= 前身は 『工手学校』 (1911年に開校)+ 後身は 工業高校 (1968年に廃校)+ 1年半で戦争激化のため繰上卒業×「大学卒業」×「大学入学・通学」〇「早稲田に通学」△「早稲田大学に通った」 ・・ 紛らわしい。△「センセイは早稲田だよ」 ・・・ 同じく文脈により ×明白な嘘ではないが、あいまいな言い回しで歓心を買おうとし、素直な弟子達が暴走して誇大宣伝する、という構図があったかと思います。
2007/12/22
コメント(4)
1942年4月から1943年9月までの18ヶ月、戦時下の東京に暮らした江本龍明氏は、どういう時代に学生生活を送ったのか。新聞記事は、特高警察のマスコミ対策によって操縦されてきたであろうが、西日本各地の新聞見出しから独立運動を取り巻く時代の世相を読み取ってみた。昭和に入り、激しい(本格的な)労働運動は鎮圧(鎮撫工作)されるとともに、平和的な独立運動も影を潜める。1930年京都メーデーで途絶えた。その後、しばらくの間は、特高が発表するところの、ハワイから日本を経由する「不穏文書」発見と「怪しい密入国」事件が登場する。1937年までのことだ。しかし、半島から来た人達への痒いところに手が届く丁寧な対応が効を奏したようで、半島出身者の「改姓」を公認したところ歓迎された、と見える記事が登場する。戦時下になると「鮮人テロリスト」や「不穏な文書」などは見当たらず、警察署は暇なのか、「良い子」のコリアン(半島人)を選び出して褒めている。朝鮮半島に介入するかもしれない国々と日本との関係は、1941年12月以降、実際の戦況の帰趨に掛かっているので、半島の独立運動も政治の舞台には乗らない。一方、独立運動側も形勢を読むしかなく、身動きが取れない。重慶と東京を繋ぐ連絡は、間には戦場があるので、日本・蒋介石双方の敵国ではない国、現実的にはソ連の大使館に助けてもらうしかなさそうだ。何かをできる状況になったのは、客観的にはヤルタ会談の段階であるが、日本内地に居たコリアンの動きが意味を為すのは、実際のところは東京大空襲(1945年3月)以降の大戦末期であろう。1944年11月、京都府特高課長は、ビルマ、フィリピン「独立」以降の内地在住コリアン学生の運動を取り上げている。http://www.miike-coalmine.net/data/kyoto.htmlこの動きは、フィリピン第二共和国(1943年3月~敗戦)、ビルマ国(1943年8月~44年末)とも、親日傀儡政権の擁立に過ぎなかったものをほんとうの「独立」と錯覚し、おそらく嫉妬しての妄動だったといわざるをえない。報道に関わらず、庶民の間ではコリアンへの警戒感があり、猜疑の目を向けていた。これに対し、特高は平時には注意を喚起し、戦時にはむしろ宥める方向へ動いた。だから、在日コリアンの模範者を選び出して宣伝するという報道が推進される。大戦末期に近づくと、情報局は平穏に敗戦を迎えるため、日本人向けの融和宣伝を強化したが、基本線は特高から連なるものである。特高は米泥棒を庇う役回りを演じるに到った。
2007/12/21
コメント(2)
通貨切替えの話の前にひとつ。 『・・・きわめて病的に批判を気にかけ、批判と自己批判が何であり、また、どのように有用であるかを全く理解していなかった。彼らは批判を避け、内部のもめごとを外に出さないという原則にしたがって仕事をしている。それゆえ欠陥が明るみに出ない。彼らは欠陥の存在を外部的な要因に帰そうとし、適当にごまかしている。』ソ連のある財務官僚は、北朝鮮建国の時期に平壌に赴任し、現地財務省の顧問として面倒を見ていた。その中で、「批判と自己批判」の有用性が現地人高官に理解されないことに苛立っていた。ただの「悪口と自虐」であるかのように受け取る傾向は、北朝鮮高官に限らないだろう。「間違わない人間」を演じるように躾けられ、恥を掻かず面子を守ることを大事にしてきたのは、旧日本帝国も含めた伝統的な教育と官僚組織の常ではなかろうかと思う。ところで、自己批判とは、単純に私が私を批判することを指しているとするならば、矛盾であり、不合理であると思う。私への批判は誰かが認識する「私の矛盾」である。私の自己弁護は、その認識すなわち誰かによる批判を否定・批判するものであり、反批判である。この両者は対立する。そして、この対立を止揚するのが本当の自己批判であると思う。自己弁護をも消化した上で成り立つものであるから、誰かによる批判よりも優れている。誰かの認識をも是正する結果、両者の認識はより深まり、共に現実に迫るものとなると。このソ連官僚は北朝鮮高官に、いわゆるPDCA(プラン・ドゥー・チェック・アクション)と虚心坦懐なる意見交換を求めたのではなかろうかと思う。■1945-50年の北朝鮮財政資料 木村光彦 (青山学院大学)http://www.ier.hit-u.ac.jp/COE/Japanese/discussionpapers/DP99.4/99_4.html 北朝鮮財政省顧問から平壌駐在ソ連大使への報告書『融資財源の充実と貨幣流通の活発化のために5億ウォンを北朝鮮中央銀行に譲渡するという大臣決定を,次官のリ・ジャンチュンは4か月以上の間実行せず,その資金を歳出の融資に使っていた.すなわち貨幣流通の活発化ではなく,国の通貨の購買力を破壊するという正反対のことを行なっていたのである.』さて、ここで話は変わるが、戦後、南北朝鮮と東西ドイツは、分断国家として新たな通貨を発行した。1946年1月、韓国(南朝鮮)では市場への米の供給が無くなり、燃料(石炭)も不足した。(南において、化学肥料の供給不安があったのか、そして、それが影響したのだろうかとも想像する。)翌2月、北朝鮮では、インフレが南から波及するのを食い止めるため、平壌に別の中央銀行を設立して通貨管理を行い、既存の通貨(朝鮮銀行券)に代えて別の新通貨(北朝鮮中央銀行券)を発行するに到った。また、西ドイツでは、1948年6月、自国内のインフレを食い止めるため、新しい通貨を発行し、強制的に切り替えた。この結果、西で使えなくなった古い通貨が東へ流入し、突発的なインフレが起きたことから、翌月、東ドイツでも別の発券銀行を設立して別の新通貨を発行した。韓国では、1956年6月、ソウルの中央銀行が北朝鮮軍によって紙幣(朝鮮銀行券)の在庫と原版を奪われたことから、翌月直ちに、新しい通貨(韓国銀行券)へ切り替えた。強制的な通貨切替えは大きな混乱を生むことがわかるが、しかし、無理な条件を付けない場合は問題がない。朝鮮半島の光復、日本帝国の降服により、朝鮮半島で流通していた通貨にどのような影響があっただろうか。日本の総督府が自治権を呂運亨らに与えたとき、当時の「朝鮮銀行券」は、日本円との交換比率が自由化され、内地へ引き揚げようとする日本人などに混乱が起きた。朝銀券1ウォン(圓)に対し日銀券1エン(圓)を交換することが保証されなくなったのである。しかし、既存のウォン(朝銀券)は失効しなかったから、住民の中での混乱が起きたとは想像できない。■韓国戦後史年表 1http://www10.plala.or.jp/shosuzki/korea/timetable/timetable1.htm 1946年1.31 米が市場から姿を消す。軍政府は法令第5号を発令、隠匿物資摘発作戦を展開。北からの石炭が入らなくなったことから深刻な燃料不足となり、終戦後の半年で森林の35%が採伐される。2.15 赤軍の管理下に北朝鮮中央銀行が設立される。北朝鮮の商品がインフレを続ける南朝鮮に流れていくのを防ぐため、通貨管理体制を敷く。■東西ドイツの通貨分断http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF 【半島における2つの通貨・中央銀行の登場】■北朝鮮の中央銀行創立記念日2006.10.29 創立60周年記念日http://news.nna.jp/free/mujin/focus/focus313.html http://news.pyongyangology.com/archives/2006/10/60_6.html http://nk.chosun.co.kr/news/news.html?ACT=detail&res_id=88022&page=2 2007.10.29 創立61周年記念日http://www.krp1982.com/schedule.html ■日韓紙幣印刷大作戦http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1779694 1950年6月5日、韓国銀行業務開始。同月25日、南侵した北朝鮮軍は、ソウルで韓国銀行を襲撃。(抜粋)『韓国銀行とは旧朝鮮銀行資産を継承し発足した中央銀行である。業務を始めたのはその20日前のことに過ぎない。』『北朝鮮はこの銀行の地下金庫から、戦争遂行上欠かせない、ある重要な戦略物資を奪い取った。』『当分の間「韓国銀行券」とみなし、紙幣としての通用力を認めていた旧「朝鮮銀行券」のうず高い山、そしてその印刷原版である。』『北朝鮮は未発行の紙幣をばら撒くことで、兵站維持に必要な物資を意のまま徴発できる。新規印刷紙幣まで散布して、韓国経済を収束しようのないインフレに突き落とすことすら、侵入軍には可能になるからである。』『このうえは一刻も早く、朝鮮銀行券の流通を禁じ、新たに韓国銀行券を刷ってそれへ切り替えなければならない・・・・』『大蔵省印刷局史』からの再々引用。『・・・百円、千円両券種あわせて八億四千二百万枚を(昭和)二五年度末までに、残り千円券二千万枚を二六年五月までに無事引渡しを完了した。・・・・滝野川工場の例について述べれば、まず図案作成に着手したのが七月一日で動乱勃発後六日目で・・・・六日から平版部門は連続徹夜作業となり、七月一二日に第一回納入六〇〇万枚を行ない、ついに一四日には第一次割当二千万枚の納入を完了した』■新ウォン札の製造速度を推定する(印刷局全体)昭和26年3月末まで 8億4200万枚 9355万枚/月 300万枚/日昭和26年4~5月 2000万枚 1000万枚/月 33万枚/日合 計 8億6200万枚 7836万枚/月 260万枚/日(内、滝野川工場製造分)昭和25年7月 6日 ----- 平版部門の連続徹夜作業開始 7月14日 2000万枚 第1次割当分の納入完了 250万枚/日【近年の朝鮮中央銀行】■北朝鮮の財政相と中央銀行総裁が解任http://hackjaponaise.cosm.co.jp/NorthKorea/bbslogs/nkoreabbs254.html http://www2.cc22.ne.jp/~hiro_ko/7-1-4-emiseiri.html 2000.10.04(00:16) asahi.com 『・・・政令(2日付)によると、林京淑財政相と鄭成沢・中央銀行総裁が解任されて、後任の財政相に文一峰氏、中銀総裁に金完守氏がそれぞれ任命された。・・・』■南北中央銀行総裁が史上初対面http://www.chosunonline.com/article/20040629000031 2004/06/29 13:47:16『朴昇総裁 朴昇(パク・スン)韓国銀行総裁が・・・スイスの・・・総会で北朝鮮のキム・ワンス朝鮮中央銀行総裁と会い、南北の中央銀行総裁が史上初めて対面した。・・・』チョソン・ドットコム/朝鮮日報JNS
2007/12/20
コメント(0)
http://www.fujitv.co.jp/m/3days/index.html金賢姫を捕らえた男たち ~封印された3日間~12月15日(土)夜9時放送 (フジTV)『拘束された金賢姫が捜査員に両腕をつかまれ、猿ぐつわをされた異様な姿でタラップを降りる姿は多くの人の脳裏に焼き付いていることだろう。しかし、女を追い詰め逃亡を阻止したのが、実は3人の日本人大使館員だったことを知るものは少ない。しかも彼らは、いずれもいわゆるキャリア外交官ではなく、ノンキャリアの若手大使館員や、他省庁や民間からの出向者だった。』家族でこの放送を観ました。(事件について詳しく書かれているものが他にもありますので、末尾★もご覧下さい。)その後、私がふつうに結婚し、ふつうに仕事・生活を続けてこられたのは、彼ら3人の大使館員のお陰でもあります。1987年11月、航空機に関心がある自衛官が中東の大使館に派遣されており、爆破の可能性と方法に気づいたこと、日本人の過激派(日本赤軍)がテルアビブ・ロッド空港テロ事件(1972年)を起こし、当時も中東にいたために、一般の大使館員でも日本人テロリストを警戒していたこと、など、幸運が重なりました。彼ら3人が職務をふつうにこなすだけでなく、個性を発揮して、できる限りのことをしてくれたことは、ありがたいことです。1980年代、南北両体制間の競争が南(韓国)の一人勝ちとなる趨勢から、平和統一の可能性は消えようとしていました。北の焦りは無理からぬものがあると私は同情的に見ていました。ラングーン・アウンサン廟テロ事件(1983年)で、彼ら北には、国際世論と南北間の平和を省みない自己中心的な発想(統一の野望に駆られた野蛮、無謀なテロリズム)に陥っていることは明らかでしたが、しかし、それは南の(特に光州市民にとっての)強権独裁政権の中枢幹部に対するものであって、同胞の庶民を計画的に殺害するようなテロは、それとも異質であり、一片の大義もありません。北はそこまで酷くはないだろう、と楽観的に評価する立場からは、俄かに信じられないような悪逆非道ですが、しかし、工作員とされる女性(金ヒョンヒ)の供述は矛盾が無く、誤った評価をしていたことへの悔しさを味わいつつ、認めるべきものでした。祖国民族統一や社会主義を語る資格はなく、個人独裁体制の単なる自己保身のために弄ぶ悪辣な姦計だったのでした。東アジアの平和を脅かす最大の元凶は、米ソ角逐や在韓米軍ではなく、北朝鮮の体制自体であると知る一方、ソ連ゴルバチョフ書記長の容認の下、東西ドイツは平和統一へ向かいました。私は冷戦と核戦争の予感から来る焦慮や「世界没落感」から解放されました。こうして私は牧師の司式で結婚し、人の子の親となり、仕事にも恵まれているというわけです。さて、その間、北は南北和解と開放を演出し、1991年、まずは米国などでも反共活動で知られる文鮮明教祖を抱き込みました。 私の身辺では、反共クリスチャンが文教祖と金主席が抱き合う姿を知って、顔をしかめました。それまでは原理運動のシンパだったのです。また、北朝鮮の更正に一縷の望みを託していた左翼も見限りました。世襲に加えて霊感商法と血分けの一味にすがるとは醜い、もはや見込みが無いと。 このように和解と開放の演出を進めていた裏側で、北は核兵器開発を進めており、1994年、とうとう朝鮮半島核危機に到ります。この危機は、米国の元大統領カーター氏の仲介が功を奏して開戦を回避しました。 1993年に大統領に就任した金泳三氏は、それまでと異なり民間人、文民出身である一方、1994年、金日成死去の際、弔問のための訪北を規制し、北から強く非難されたそうですが、北にとっては手強い指導者でした。南北首脳会談は金主席死去により実現せず、2000年、次の金大中大統領のときに実現しましたが、その裏側で、テポドンなどと核爆弾の開発が進められました。 これらの事件から、朝鮮半島を危機に導く策動、これを覆い隠すために利用される小賢しい振舞い、または、真に危機を回避する努力などの大きな流れが見えるように思います。そして、1991年の文教祖の「賭け」は適切な時期だったのか、そもそも勝ち目があるのか、考えさせられます。 ★事件の詳細http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2001/00997/contents/00233.htm 韓国安企部発表文(産経新聞朝刊 1988年1月16日/ 日本財団サイト内)『バーレーン駐在韓国公館は、二人が持っていた旅券を現地日本大使館に緊急確認した結果、偽造旅券であることが明らかになった。 バーレーン当局が空港で出国手続きをしようとした二人を連行、調査した過程で突然、二人は服毒自殺を図り、容疑が一層深まった。』(韓国の発表なので、ここには日本大使館員は登場しません。) http://www.geocities.com/espionagehack/ 「スパイ事件簿」諜報事件研究会 『・・・また、我が国はスパイ活動を直接取り締まる一般法規がないことから、スパイ活動を摘発できるのは、その活動が各種の現行刑罰法令に触れた場合に限られる。 このような条件の下で、ソ連、東欧、中国、北朝鮮の国家機関の関与したスパイ活動に対して、第二次世界大戦後多数の諜報事件(レポ船事件)、ココム違反事件等のスパイ事件が検挙されたが、こうして明るみに出たものは、氷山の一角にすぎない。 スパイを摘発しその暗躍を防ぎ止めるには、国民の防諜意識の高まり、国の機密を守ることの必要性の認識が基盤となる。こうした観点から、我が国に対するスパイ活動に関心をもたれる方々の参考になればと思い、過去に検挙されたスパイ事件の事例をまとめ公開するものである。』 ********************http://www.geocities.com/espionagehack/index1.html#re5 参考 大韓航空機爆破事件・李恩恵北朝鮮ら致容疑事案 ●昭和62年11月29日発生 この事件は、 北朝鮮特殊工作員 蜂谷真一こと 金 勝一 (当時70歳) 蜂谷真由美こと 金 賢姫 (当時26歳)が、日本からら致された「李恩恵」と呼ばれる日本女性から、北朝鮮のスパイ養成所において日本人化訓練を受けた後、北朝鮮の指令により、偽造日本旅券を使って日本人に成り済まし、ソウルオリンピック妨害工作の一環として、犬韓航空機を爆破した事件である。 金勝一と金賢姫は、朝鮮労働党中央委員会調査部所属の特殊工作員であり、昭和62年10月、金目成否記から、「1988年ソウルオリンピック参加申請妨害のために大韓航空機を爆破しろごとの指令を受けて平壌を出発し、途中、ウィーンからは北朝鮮で偽造したとみられる日本旅券を使用し、ベオグラードで時限爆弾等を受け取った後、バクダッドにおいて時限爆弾をセットし、バクダッド発アブダビ経由ソウル行き大韓航空機858使の棚に置いた。昭和62年11月29日、同機は、アンダマン海域上空で、仕掛けられた時限爆弾の爆発により墜落した。(以下略) ******************************誤 → 正 (引用者/じじい50による訂正)犬韓航空機を → 大韓航空機を金目成否記 → 金日成書記爆破しろごとの → 爆破しろとの航空機858使 → 航空機858便合計姫 → 金賢姫バンコク人出国 → バンコク入出国5人年の間 → 5年の間ら致未連事件 → ら致未遂事件※解説・感想(じじい50による) これらの誤入力から、紙データを機械変換したもので、手間の掛かる校正が省略されていることがわかり、サイトの性格は、個人的趣味とは異なる組織的な目的に沿っており、少しばかり粗雑に運営されていると評価する。また、内容自体は、網羅的でよく充実しており、記述が簡潔で、拉致を「ら致」と表記するところにも着目し、わが国政府機関による報告と推定する。 「我が国はスパイ活動を直接取り締まる一般法規がない」が、それを作るには、世論の支持が必要だ。「スパイを摘発しその暗躍を防ぎ止めるには、国民の防諜意識の高まり、国の機密を守ることの必要性の認識が基盤となる。」すなわち、世論を誘導・形成したいということだ。 (報道から防衛省の汚職を隠すためにも使われかねない「一般法規」では支持は得られないだろうが、)たとえば、核兵器開発のための機材・技術を求めてわが国に侵入する某国組織を特定したうえで、特別法が必要だ、という趣旨なら賛成を得られるだろう。また、「他人に成り済ます行為」は、諜報とは関係なくとも、特に重大な偽計として厳しく罰せられるべきだろう。予防策として、公務員はもちろんだが、他人が旅券を申請する可能性がある国民(中学校卒業以上)の指紋登録は有効である。なお、爆破については、フライト・レコーダーや遺体はもちろん、ほとんど物証が無いことを疑問視する者もいる。主犯を追い詰めるためには事件を糾明すべきところだが、未だできていないのは事実だ。「テロ実行国家ではないか」という疑惑を放置し、米国のテロ支援国家指定解除だけが進むならば、納得が行かない。http://sekitori.web.infoseek.co.jp/war/war_Korea_daikan.html http://www.chosunonline.com/article/20011007000022
2007/12/17
コメント(0)
「それが地獄の始まりだった」、元慰安婦抗議の叫び - フィリピン【マニラ/フィリピン 15日 AFP】AFP 2007年03月15日 11:22 発信地:フィリピン http://www.afpbb.com/article/politics/2195378/1417137 この事件は、日本軍の兵士が集団で現地人女性を拉致監禁し、連合国軍の爆撃が及ぶまで婦女暴行を続けていたという犯罪だ。「戦時性奴隷」のカテゴリーに入るだろう。フィリピンの元従軍慰安婦ら、苦悩伝える音楽を作成[マニラ 3日 ロイター] ロイター 2007年 12月 4日 12:22 JSThttp://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-29184120071204 ヤフー 12月4日12時24分配信 ロイターhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071204-00000841-reu-int 世界日報 2007/12/04 12:22 http://www.worldtimes.co.jp/news/world/kiji/2007-12-04T122226Z_01_NOOTR_RTRMDNC_0_JAPAN-291841-1.html これら外電の記事には、見出しに「慰安婦」とあるが、誤訳である。慰安所の特殊従業婦を略した語が慰安婦であり、それは、私的で野蛮な性犯罪によるものとは異なる、より巧緻で組織的なシステムである。慰安所とは、将兵を慰安する軍公認の施設であり、通常、支払手段として軍票が利用される。軍は施設運営を委託している契約業者から軍票を回収し、現金または貴金属などの物資を渡す。公設民営でバウチャー制の軍用施設と理解できよう。需給バランスを考慮して慰安所を経営することが肝要であり、その方程式を軍の経理学校で教えられていたことは、サンケイ・グループ総帥の回顧談から窺い知れる。兵29人対女1人の比率で、これを「ニクイチ」と称したそうだ。もちろん、慰安とは娯楽よりも狭い概念で、性的慰安を指す。当時の国際法では「醜業」と呼ばれていたところの売春である。近代国家(文明国)において、売春強要と少女売春は違法であり、その防止策を講じる責任が政府にはあるとひろく了解されている。特に、海を渡る違法な売春は条約によって禁じられ、各国政府は違法な売春婦の輸出入(渡航)をさせない義務を負う。中国戦線では、朝鮮から送られてきた少女の慰安婦が存在したという情報から、慰安所設置・占領地統治の責を負う軍当局になんらかの遺漏があったといわざるをえない。加えて、出身地の朝鮮半島や寄港地である日本(の港)の役所も、出入国管理の責を全うできなかったことにおいて、同様である。軍は兵による性犯罪が住民の反発・抵抗を強め、駐留を困難ならしめることをよく知っており、その防止に注意を払った。軍として質量ともに満足な慰安所の運営が求められたが、兵員は増すばかりであり、日本国内の若い男は根こそぎ戦地に送り込まれてきており、当然ながら慰安婦は不足した。戦時下では内地も半島も労働力不足から女性労働者の地位は安定し、歓楽街がさびれて、淪落する若い女などは減り、平時の供給源は涸れた。未経験者を動員するために姦計を用いる受託業者(狡猾な女衒)が横行しただろう。実際に軍の威光を笠に着る業者も登場し、それが軍の評判を傷付けることもあり、対応は一層困難を極めた。蘭領南インド諸島とフィリッピンでは、軍慰安所の設置が追いつかず、兵士による集団的組織的な性犯罪を予防できなかった。兵士の自力更生(?)というべきか、ここでは暴力的に擬似慰安所が設置されたのである。もちろん、軍律の外でのことであり、法的には政府・軍の犯罪ではない。このような私的な性犯罪以外の通常の慰安所に関しては、証拠書類等による実証ができていない以上、厳密に法的責任を問われるとは思えないものの、文明国の政府として恥を知るならば、なんらかの責めは負うべきだろう。(もっとも、他国に駐留する軍隊には必ず付きまとう悪弊であり、真に憎むべきは外国に軍隊すなわち独身者・単身赴任者を駐留させるような方策だともいえる。)さて、この曖昧な煉獄のような状態には注意が必要である。誰かの責任が解明され、処断されれば、他の我々は傍観者でいられるのだが、誰も責めを負わない結果、現代の日本人女性が身代わりの償いをしようとするらしい。それは「自虐史観」の一部を成している。たとえば、「祝福」を受けないと救われない、という統一協会の教理(脅迫)に従って、韓国語が不自由にもかかわらず、韓国人にとつぐ無謀な日本人女性たちがおり、それによる身の不幸に喜んで耐えるべし、という自虐宗教である。結婚目的で多額の献金とひきかえに偽装信者になった男たちと、そうとは知らない外国出身の妻たちとうまく行く道理がない。同時代の他の女性たちは「自業自得」「バカ」というにせよ、渡韓妻たちは脅迫の被害者であって、このような「集団移住を伴う国際結婚」の強制性を見過ごすことはできない。これは、宗教の衣を着たもうひとつの強制連行(悪質結婚周旋人の仕事)である。ちなみに、勝共連合機関紙を日刊化した世界日報(邦字紙)は慰安婦問題についてどういう立場を取っているのだろうか。2年前の記事だが、こんなことが書かれている。*****************世日太郎氏「世日サポートセンター」http://ameblo.jp/senichi-ss/theme-10000119376.html *******************前段は世日太郎氏の感想で、後段の『アジア女性基金の根拠に疑問も・謝罪徹底派と自虐反対派が譲らず・政治判断だった「河野談話」』の見出しからが世界日報の論評である。読んでみたが、慰安婦と称する者の話は必ずしも実証的ではない中で、政治的判断で政府も資金を出して半官半民の基金が償いをしているのだから、十分過ぎる、というような趣旨なのだろう。が、私の認識と大きく異なってはいないようだ。「統一教」はいうまでもなく韓国の宗教である。教理解説書(聖書に代わる独自の経典)の「原理講論」は韓国人向けに書かれ、韓国は神に最も愛される国であることを強調し、韓国語が世界共通の言語になる可能性等の韓国人には「甘い言葉」も書かれている。それだけではなく、日本はアマテラス(皇室の祖先神)を信仰してきたサタン(悪魔)側の国であるとも書かれ、結納を持って韓国に嫁入りする立場だとまで言っている。人類は罪を負っており、再臨のキリストに服属すれば救済されるが、その人物は1920年生まれの韓国人男性(である文教祖)だという主張が結論だ。世界日報の社長は統一協会の人事権によって決まる、ということは、韓国人教祖の意向には逆らえず、敬礼式(教祖夫妻に拝跪する儀式)にも参加しているだろう。同紙の幹部は「祝福」を受けている信者でもある。たとえば、ソ連との間で「断固たる批判」の姿勢を(選挙民に)誇示した自主独立路線の共産党があったが、彼らはソ連共産党が瓦解・消滅した後も存続している。しかし、世界日報はあくまでも右派系新聞(産経)の模造品に過ぎず、資金的にも信者の献金に依存しているのではないか。某共産党のように自生する力、自主性は無いと思う。真の狙いは産経と左派系新聞の対立に関与して、世論を韓国・統一協会に有利に誘導することか、少なくとも右派の歓心を買っておこうという生き残り戦略だろう。慰安婦問題で弱腰外交を批判したり、自虐反対派に加勢したりするのも白々しい演技、偽装かと思うが、日本人にとって、産経新聞とは異なる長所が一つでもあるだろうか。
2007/12/14
コメント(2)

21日修錬会『現代摂理史』では、~ 講堂より大きな山になる大量の硫安、その半分以上を40kgずつカマスに詰める仕事を一人だけでやった ~と教えました。 ・・・ これは貨車1便20両(トロッコ20台)の半分以上に相当するだろう。そこでは 「1300俵の半分以上」と教えたが、1300俵の内容量は、10畳1間分、すなわち、市販の物置(約10立方米)4つ分にしかなりません。また、みんなより早く、「平均5分」で1俵を詰めたと教えました。この結果、8時間続けても、物置の3分の1。「朝10時に工場到着」と教えたように、実働6時間だったはずだから、物置4分の1に過ぎません。 講堂の半分(貨車10両) →10畳間の半分 →物置の1/3 → 物置の1/4 (ドラム缶12本)多重の「針小棒大」でした。さすが再臨主・成約聖徒の誇大宣伝は壮大です。 \^・^)/
2007/12/09
コメント(5)
水沢里の講堂は、1300俵の硫安の山より小さい、とききました。この講堂の大きさを計算します。1300俵の重量は、掛ける40kgで、52000kg すなわち52トン。硫安の比重は水の1.2倍なので、52トンの硫安の体積は水の52トン(=52立方メートル)よりも小さく、52立方メートル割る1.2倍で、43.3立方メートル。部屋の大きさであれば、天井の高さを2.6メートルとして、43.3立方メートルを割ると、面積は16.7平米。1畳1.65平米で割ると、10畳になります。10畳1間の狭い空間を「講堂」と言うのは、ガリバー旅行記の小人国でしょうか、白髪三千丈でしょうか。うそ、おおげさ、まぎらわしいのは、いかんですね。大道香具師なみの21修講義ということで。
2007/12/06
コメント(1)
ヨシュアさんが睡眠2時間でがんばって探した貴重な資料により、日本窒素関連の引揚者から聞き取った回顧談から、興南工場の戦時下の状況がわかりました。恐縮ながら、私は楽して利用いたします。これによると、 1. 興南など朝鮮半島の機関車は、20台のトロッコを牽く。 2. トロッコ1台には700かます(叺)(=俵) の硫安を積む。 3. 1かますに10貫の硫安を詰める。ところで、1貫は3.75kgですから、 度量衡換算表 http://kameyamarekihaku.jp/sisi/kinsei/unit.htm1便の輸送量は525トンとなります。 3.75×10×700×20=525千kg (=トン)これにトロッコの自重も加わっても牽引できる機関車が配置されているわけです。一方、1俵あたり40kg詰めた、という元囚人の話も統一協会資料にありますが、輸送中の減耗を6%と見て多目に詰めたのは事実でしょう。先日の記事で、1日1300俵のかます詰め(荷造り)は2組(20人)でできると推計しましたが、これはトロッコ2台(両)分にしかなりません。 1300÷700=1.85台※ 水沢里には、ガリバー旅行記の「小人国にあるような、とても小さな講堂」があり、トロッコ2台分の大きさしかない、という笑い話になります。(もちろん、) 水沢里の講堂が一杯になる量は、1桁間違っていて、その10倍の13000俵と思われます。終戦・解放後も戦時下とおなじように1日20台分に近い出荷だったとすれば、20組で13000俵を荷造りしていたと推計できます。200人をまとめて隊列を組んで通勤させるならば、横列4人で数十メートルの行列になってしまい、看守の任務を全うする上で無理があります。これを避けるため、数回に分け、一定間隔を空けて時差出勤させていたとも考えられ、ようで、横4列縦8列の集団通勤をしており、朝8時に最初の数約3組が出発、最後の到着は朝10時になるという時程ならばは、現実的・合理的です。後発組の退勤は5時ではなく7時とされるでしょう。 5時を過ぎると一般の労働者が工場周辺に溢れ、商店街も賑わい、夕闇が濃くなってくる時間であり、また、看守の労働時間にも制限があるので、5時には全員が帰着するよう、先発組は3時に終業したと見られます。※ とりあえず、「重役出勤する過酷な懲役刑」 という笑い話 のような計算結果は解消しました。 になりますが、それが囚人達の労働実態だといえます。1人で1300俵の半分を荷造りすることはできませんが、(その10分の1である)130俵の半分以上ならば、当然できます。 8×60÷(130÷2) ≒ 7.4分 6×60÷(130÷2) ≒ 5.5分講堂一杯の硫安の半分以上を1人で荷造りするなどという、大法螺としか聞こえない自慢話も、これならば解消されます。桁を間違えて自画自賛に陥るという 「法則」 が垣間見えますが、これは、労働に見合わない貧相な食事によって、「霊的」になってしまっていたのだろうなぁと、同情するところです。みなさんも、責めないでくださいね。
2007/12/03
コメント(3)
全10件 (10件中 1-10件目)
1


