じじい50の日記
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歌詞 http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND40322/index.htmlこの作詞家・大高ひさを氏は井ノ頭線の東松原に住んでいたが、この曲のオリジナルの歌手、エト邦枝さんは吉祥寺だったとか。久我山明と名乗った作曲家も、同じく井の頭線の久我山に住んでいた在日コリアンの孫氏。吉祥寺や久我山は、渋谷から見れば、「地の果て」かもしれない。(?)アルジェリアはイスラム圏でもあり、国際ホテルはいざ知らず、街には酒場街は見当たらないようだ。昔は、田舎町ではビールを出す酒場がぽつんとあって、しかし、当時も公に「酔う事」が禁じられており、酒場を出たら素面を装って歩く必要があり、違反すると重罪だと。「カスバ」は狭い迷路が通る構造の古い町ながら、厳重な造りの閑静な集合住宅地区であって、夜も賑わう繁華街の類ではない。京都や鎌倉の古い住宅街だと思えばよいのだろう。とても旧い町で、おしゃれな服装の女性を見ることすらないのだから、渋谷でも松涛か。現地人からは秘密の場所には外人部隊専用の酒保があっただろうが、「カスバ」のような旧い町にはありえない。なるほど、窮屈な世界である。だから、「地の果て」なのか。パリの歓楽街から外人部隊の従軍慰安婦(?)として薄幸の女達が動員されてきた、というのだろうか。繁栄するパリ中心の世界観(中華思想)から「地の果て」というのか。・・・「買われた命」と唄っている。外人部隊はもちろん買われた命であるが、女もそうだという。やはり命がけの従軍なのだろう。(・・・と聞こえる。)そういう意味では「地の果て」である。絶望の場所。だが、アルジェリアで昔ながらの暮らしを守る現地住民にとっては、人買いが横行するパリの歓楽街のほうが「地の果て」だろう。もちろん、大陸の東端に突き出した半島コレアや、さらにその海の中、台風や季節風に曝され、急な海流に洗われている火山島ヤーパンなどは、文字通り地の果てといわれても仕方が無い。傭兵には日本人もいる。日本の正規の軍隊組織である自衛隊も、他国に貸し出されれば、外人部隊と違わない。どのような対価を得ているのか。留守家族の生計のためだというなら、まさに、「買われた命」である。冷戦時代、貿易摩擦の見返りとして、日本列島を不沈空母として使わせるという話も聞いたような気がする。あれは文字通り、人の命を売る「地の果て」だったのではないか。どうやら、米朝は歩み寄る気配がするのだが、そうであれば、そんな国(米国の同盟国)に捧げるべき命など無い。インド洋から手を引くことを本気で考えるべきだ。アルジェのカスバhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%83%90作詞家・大高ひさを氏とアルジェリアhttp://www.japan-algeria-center.jp/andalg/jp/andalg20050601j.htmlエト邦枝の「カスバの女」昭和22年に歌手デビュー。29年、テイチクに所属、30年「カスバの女」を吹き込んでヒット。晩年、自宅の吉祥寺で歌謡教室を開いていたそうだ。(本名、笠松エト。大蔵省出身^^;)http://jp.youtube.com/watch?v=WtQkajGTDbo作詞家 久我山明・司潤吉・孫牧人http://www.mindan.org/shinbun/990127/topic/topic_f.htm1950年代後半に韓国へ帰国、著作権協会と作曲家協会を設立し、それぞれの初代会長を務め、日本とも頻繁に往来した。緑川アコの「カスバの女」昭和41年、園まりらと競作の「夢は夜ひらく」で歌手デビュー。ドスのきいた低い声が強烈なインパクトを残し、他にも「カスバの女」などをヒットさせた。http://jp.youtube.com/watch?v=U1Wga0NXXuAキム・ヨンジャ(金 蓮子)の「カスバの女」http://jp.youtube.com/watch?v=4qxIgnCf0RI
2007/10/11
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