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今日の参加者は300人を越えたということだった。先週より少しだけ増えたということらしいが、数以上に勢いが増しているように思われる。みんな、どんどん元気になって行くようだし、薄暮のデモということで「光り物」も急にふえていて、視覚的にも賑やかになっている。 LEDライトが点滅する団扇もたくさん配られていたし、手作りの発光するビニール傘、仕掛けは不明だが蛍光塗料の文字が発光するフレームなどが登場した。 今日は集まりが早い。 (2012/8/31 18:10) 「おっ、iPadですね。」 「ちがいます。アンドロイド・タブレットです。」 私の光り物は、今日もタブレットPCである。今日は「スライドショー」を使って、いろんなプラカードが自動的に変わるようになった。じつは、「ギャラリー」に「スライドショー」の機能があることに気づかず、先週はプラカード写真を1枚ずつ標示しては掲げていたのだ。一人で使っているときは「スライドショー」なんて不要だったということである。 明るい繁華街、一番町に入っていくデモ。 (2012/8/31 18:47) デモが出発するころにはすでに暗くなりはじめている。一番町の灯りは眩しいくらいで、私のデジカメではなかなかよい写真が撮れない(カメラのせいではなく、このような場面でどの機能を使えばいいのか、分からないのである)。 しかし、毎週なのに参加者が減ることがなく、デモがどんどん活発になっていくのは、私のような年代の人間には少し驚きである。デモの性質が変わったのだ、と思う。根源的な場所で、「直接民主主義」の限界を身に染みて知ってしまったためだろう。 8月13日付けの朝日新聞(朝日歌壇)に次のような歌が選ばれていた(選者:高野公彦)。輸血するごとく原発稼働せり救はんとしてほふるや未来 (長野県)井上孝行 私たちは、「私たちの未来を屠らない、屠らせない」ために、仙台の街を歩きながら声をあげているのである。
2012.08.31
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ここの1枚の写真がある。岐阜に「おおい止めたい!ママアクション」という若いお母さんたちの集まりがあって、「命と未来のお散歩会in岐阜(岐阜しかないけどw)」と称して、金曜日の昼にみんなで「お散歩」をしている。 彼女たちの3回目の「お散歩会」の様子を「こもりきよし」さんという方が撮影されて、「命と未来のお散歩会2012年8月17日」というタイトルでフェイスブック『おおい止めたい!ママアクション』に投稿した20枚の内の1枚が、この写真である。 「おおい止めたい!ママアクション 命と未来のお散歩会」 2012年8月17日(こもりきよしさん撮影) お母さんたちが6人、子供たちが4人、乳母車に幼児が3人、それに護衛役のように男性が一人の「お散歩」である。とはいうものの、車道を歩かされているので、岐阜県警公認の立派なデモ隊なのである。 お巡りさんが4人、パトカーが一台、そのデモに付き従っている。ここには、いつも私たちが経験する「警官によるデモ規制」の雰囲気がない。すくなくとも、私にはそう見える。 後から乗用車が近づいてくる。3人のお巡りさんがそれを警戒して、その車を睨みつけている(ように見える)。乗用車はその威嚇に縮みあがっている(ように見える、もともと小型車だけど)。 もう一人のお巡りさんは、車道側を歩く小さな子供の手をひいて守っている(ように見える)。「ダメだよ、お母さん。ちっちゃな子を車道側で歩かせては! 危ないからね。」といったかどうかは知らないが。 私には、この写真が、「4人のお巡りさんとパトカー1台が一生懸命に市民の安全を守っているという風景」、に見えるのだ。実際にどうであったのかは知らない。写真の使用許諾を依頼したときにも、とくにそのあたりのことを尋ねたりはしていない。そのように見えるのは、そのように見たままにしておこうと思ったのである。 お巡りさんが「国家システムにおける暴力装置」としての「警察権力の構成員」という概念は、左右を問わず社会科学的というか政治学的には常識である [1]。しかし、それはあくまで政治的機能の括りであって、お巡りさん一人一人の心性をすくい上げる概念ではない。 乳幼児を抱えながら、やむにやまれずデモをする若いお母さんたちを危険から守ろうとする心情は自然だろうし、私はどうしても「そうであってほしい」と見てしまう。ある瞬間、「デモ規制」的職業意識が逆転してしまうことがあっても不思議ではない。 そんな奇蹟に近いようなことがいつも起きると考えるほどには甘くはないけれども、ここでは、「若いお母さんたちがごく少数でデモをする」というのが重要な機制だったのだと思う。 たとえば、彼女たちは知事に手紙を書く。それを代表が届けるのではなく、みんなで県庁まで出かけて行って、一人一人が自分の手紙を手渡しするのである。これが可能なのも、「若いお母さんたちがごく少数でそれぞれの思いを手紙で届ける」からであろう。 「集団」には違いないが、一人一人の個別性が際立った「集団行動」にみえる。つまり、一人一人の「やりがい」のようなことが充実しているのではないか。だからこそ、岡山や静岡のようにほかの地域でも同じような活動が行われるようになるのだと思う。 もちろん、少数であることだけが大事と主張したいわけではない。少数でもその人たちの特性が際立った集まりなら、固有で有意義な行動が生まれるだろう、と考えるのである。 たしかに、示威行動としてのデモは大集団である方が望ましいし、実効性が大きいだろう。しかし、その大集団はそれぞれの個別性、特殊性を損なわないという前提ならばである。「多数性」ではなく「多様性」を顕在化させた集団であることが理想だろうと思う。つまり、ネグリ&ハートが言う「マルチチュード」とはそういうことではないか。草薙素子がこう言っている。「どんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持っているんだ。組織も人も特殊化の果てにあるのは、ゆるやかな死。それだけよ。」 [2] 「ごく少数の集まり」という形容をしてきたけれども、「おおい止めたい!ママアクション」は非常にアクティヴ、というかパフォーマティヴである。そして、フェイスブックもtwitterもフルに活用して発信力が強い。 「命と未来のお散歩会」のほかにも「持ち寄りお茶会」を開いて専門家の話を聞いたり、身近な食品の放射能検査をして「私が代行して測定することもできます。測定料は無料。送料ご負担いただけたら測ってきますよ~(*^^*)」とアピールしたりしている。 私には、「少数の動きやすさ」を最大限に使いこなしているように思える。こういうのを言葉の真の意味で「少数精鋭」というのではないだろうか。[1] 民主党の何とかという大臣が「暴力装置」と発言したら、自民党が沸騰して驚いたことがある。マックス・ウェーバーは保守の思想的古典だと思っていたが、自民党はそういう保守ではないらしい。[2] 草薙素子の台詞「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊2.0」(監督:押井守、原作:士郎正宗、2008年).
2012.08.28
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傷軽きを頼られてこころ慄ふのみ松山燃ゆ山里燃ゆ浦上天主堂燃ゆ [1] いつ如何なる時代に平和ありきやとおのれに問ひて心くづれゆく [2] 頒けやりし水飲み足りて言ひし一語幾夜聞えき「小父ちゃんは親切ね」 [3] 相近きゆゑ会ひたしと言ひくれき行きて君が世に必ず会はむ [4] 父の日といふはづかしき日のありて昼の畳に酔ひ伏すわれは [5] 立ちどまり立ちどまりわが離り来しかの老人(おいびと)の昏睡(ふかねむり)はや [6] 居合はせし居合はせざりしことつひに天運にして居合はせし人よ [7] 朝日新聞土曜版(8/25付け)のコラム「季をひろう」で、高橋睦郎が広島忌、長崎忌に因んで原民喜の俳句と竹山広の短歌を紹介していた。そのほとんどは、原爆の死傷者の悲惨を直截に詠む俳句であり、短歌であった。 竹山広には原爆にまつわる良歌が多い。たぶん、原爆被災者の悲惨の鮮烈性で高橋睦郎は選んだのだと思うが、選ばれなかったなかにも、もちろん優れた歌がたくさんある。上の短歌は、私の「抜き書きノート」に含まれていた(つまり、私が好きな歌ということ)原爆にこと寄せた竹山広のいくつかの短歌である。 私たちは、フクシマにおいて3度目の悲惨な歴史を繰り返さなければならないのである。戦争ではなく、経済的強欲さのゆえに(それにしても、『鋼の錬金術師』のグリードは最後には国(アメストリス)と国民のために我が身を捨てるというのに、わが国の経済グリードたちときたら)。 先週は集会には顔を出しながら、風邪のためデモへの参加は控えた。10日ほど続いた長い夏風邪だった。熱でぼんやりとしながらも病気休養というものは退屈なもので、タブレットPCをベッドに持ち込んでネット空間をうろうろしていたら、twitterで次のようなやりとりを見つけた。「東京では、ipadとかタブレット端末を電光掲示板にしている人もいるみたい。仙台でもそういうの得意な人いないかなあ。」「官邸前には結構いて目立ってますよ~暗いから。みやぎデモ主催者にはいないですね~アナログオジサン多いし(笑)目立つアピールなんかないですかね^^」「うう、わたしもアナログオジサンのひとりです・・・。次回はせめてLEDライトをもっていくことにしよう。」 そうか、いま手にしているこのタブレットを使えばいいのだ、と教えられたのである。「電光掲示板」というのは参加者への連絡用ということかもしれないが、それは主催者が考えるとして、一参加者としてはプラカード代わりに使えば薄暮のデモには有効だろう。加えて、宮城デモの主催者から「光り物を持って集まれ」というtweetである。 というわけで、そのままネットからプラカード図案をダウンロードした[8]。直截に文字だけのもの、若い母親が作ったらしい子供向けのもの、アート性の強いものなど、よりどりみどりである。アート性の高いものにはオリジナリティ、著作権がらみで「使用はよいが書き換えはダメ」という場合があったが、それは問題ない。書き換える才能がないのだ。 いくつかの「脱原発プラカード」 [8] 今日から集合場所は、宮城県庁前広場である。もちろん、タブレットPCはフル充電である(外出先でバッテリー切れ、ということがしょっちゅうの私にしてはなぜか気合いが入っていた)。 広場には少しずつ人が集まり始めている。今日は、薄暮のデモ用にと蛍光スティック(ルミライトというらしい)が配られている。乳母車をひいての参加者には、そのお母さんを差し置いて乳母車のルミライト装飾に熱心になっている人がいる。暴走族のバイクやトラック野郎のイルミネーションとは比べものにはならない、ささやかで楽しいデコレーションではある。 県庁前広場に集まり始めた。 (2012/8/24 18:12) 首相会見、喫緊の規制委員会問題などのスピーチがあり、カメラマン秋山理央さんの取材やユーストリームの中継放送があることの紹介もあった。 300人はとっくにオーバーしたと見たが、あとで300人という発表があった。先週も人数の読み違えをしたが、今日になってその理由が分かった。要するに、参加者がだんだん元気になっている、というか、みんなが少しずつアクティブになっているのである。だから、二,三割は実効的に人数が増えているように感じるのだとおもう。それはそれで、立派な運動の進展といってよいのだ。 一番町を行くデモ。 (2012/8/24 19:04) デモに移って、その写真を撮ろうとしたら、操作を間違えてほとんど真っ暗な写真を何枚も撮ってしまった。その内の1枚を「フォトショップ」でいじったら、上のような写真にまで修整することができた。今のソフトはすごいといえばすごいのだが、これでは不注意癖をなんとかしようとする努力を放棄する理由がひとつできただけのような気もする。 タブレットPCをプラカード代わりに使ったのは私一人だけだった(どちらかといえば目立つことが苦手な私としてはすこし戸惑ったが、しょうがない)。何人もやって来てその全員が、「iPadですか?」なのである。アップルが総資産で世界No. 1になるわけである。タブレットPCというのは、あまり普及しなかったけれどiPadよりずっと前から売られていた(iPadとくらべればたいしたことはなかったが)。私が使い始めたはごく最近だけれども。 結論、「腕が疲れた」。 今日のデモでは昔の職場の知り合いと出会った。一時期、二人ともずっと若かったころ、互いに組合の少数派として苦労した人である。私たちの主張は、組合のなかでは通らなかったけれども。 そんなこともあって、デモの帰り足、少し昔のことを思いだし、考えたりした。今日のブログは短歌で始まったので、その思い出したことどもを短歌に託すこともできる。戦闘的孤に徹するという嘘をまたも信じて飲む昼の酒 福島泰樹 [9]君は君のわれはわれなるたましいの翼たたまむ夏草の中 道浦母都子 [10] 二人とも私と同世代の歌人で、私とは比べものにならないほど激しく誠実に「あの時代」を生きたのである。 歌人と言えば、新聞記事かtwitterか忘れてしまったが、東電原発事故後、大口玲子さんがお子さんとともに避難された、ということをどこかで読んだ。理不尽でありながら不可避的に襲ってきた「不幸」のなかで取り得るもっとも賢明な選択であったと思う。私は、大口玲子の短歌のファンである。 表紙にはタゴールの詩を掲げゐつかつてわれらはわれらの夏に [11] 平凡な、きはめて平凡なわたくしに秘色青磁の朝は響けり [12][1] 「竹山広全歌集」(雁書館 2001年)p.16。[2] 同上、p.33。[3] 同上、p.35。[4] 同上、p.124。[5] 同上、p.128。[6] 同上、p.180。[7] 同上、p.277。[8] ブログ『日々雑感』に脱原発プラカードをダウンロード(プリント)できるリンク先がまとめて紹介されている。また、「ちひろNO NUKESステッカー」は安曇野ちひろ美術館が提供している。[9] 福島泰樹「歌集 風に献ず」『福島泰樹全歌集 第1巻』(河出書房新社 1999年)p. 180。[10] 「道浦母都子全歌集」(河出書房新社 2005年)p. 144。[11] 「大口玲子歌集 海量(ハイリャン)/東北(とうほく)」(雁書館 2003年)p. 20。[12] 同上、p. 51。
2012.08.25
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原発というおごそかな機器を抱き滅びへ向かう青き球体 (名古屋市)南真理子 7月30日付けの朝日新聞の朝日歌壇で選者・高野公彦に選ばれた1首である。この歌はけっして絶望を歌っているわけではない。「青き球体=地球」への切実な愛おしさをベースにしている歌だと思う。この青き球体=地球を亡ぼさせてはならないのだ。危機は、福島、そして日本という境界をとうに超えている。福島第1原発が太平洋に流し出した厖大な量の放射性物質、この一点だけにおいても日本は重大な責任を世界に対して負っている。世界(=地球)にたいして採るべき日本という国の責任のありようは、何よりもまず国内の原発を即時停止し、廃棄に向かうこと以外にあるとは思えない。 少しずつ集まりだしている(元鍛治丁公園)。 (2012/8/17 18:22) この一週間、夏風邪で寝込んでいた。14日には墓参りで生まれ故郷に出かけ、すっかりこじらせてしまった。少しは回復しつつある兆しもあったので、妻に「集会を見てくるだけ」という条件をつけられて家を出て来た。 1回目は250人、2回目は350人の参加者だったので、今日は500人くらいかなと期待していたのだが、元鍛治丁公園に着いたときには意外とパラッとしか人がいない。それでも、どんどん集まってきて、私の目算では400人くらい、という感じだった(実際には、200人ほどだったらしい、ひいき目とはこういうことか)。 少しずつ熱が出て来たようで、スピーチが頭によく入らない。30以上の都道府県、50個所以上のデモが同時に行われている、という主催者の挨拶があった。そういえば、同時刻にロンドンでもデモが催されるということをネットで見たことを思い出した。早朝デモはどんなだろう、などと考えたりした。 それから、「女性ネット みやぎ」の人から新聞広告掲載資金の目標「400万円のカンパ」が4200人を越える賛同署名とともに達成されたことが報告された。どの新聞かは聞き漏らしたが、8月26日の朝刊に掲載されるらしい。 デモの先頭が出発。 (2012/8/17 18:33) デモが出発する。今日はそれを見送る。見送るというのはどことなく変な感じがする。当事者でもなければ、第3者でもない。じつに中途半端な感じではある。 最後列について少しだけ一緒に歩いて、国分町の賑やかな飲み屋街で分かれて帰宅した。家に帰り着いても、ブログを書くほどの気力はなかった(これは翌日の朝に書いている)。 デモの最後列を見送る。 (2012/8/17 18:39)
2012.08.17
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お盆で、私の田舎へ墓参りに行く。仙台から車で1時間、あまり遠くはないが、最近はお盆くらいしか行く機会がない。親も兄弟ももういない。甥たちが暮らしているが、どうしても足は遠のいてしまう。 2日ほど前からイオは遠出を嗅ぎつけている。妻と相談を始めると、いつの間にか傍らで尻尾をぶんぶん振って喜んでいるのである。どうも、「○○時に」とか「明日」とかという言葉で何かを感じるらしい。 11才のせいか、けっこう図々しくなっていて、名前を呼ばれても無反応のことが多いのだが、妻が「おとうちゃん、あした、10時にねぇ...」とわざとらしく大きな声で言うと、すっ飛んでくる。それが、妻の最近のイオ相手の遊びの一つだ。 左 : 「連れてって!」 (2012/8/14 11:04) 右 : 「早く、早く!」 (2012/8/14 11:17) 今日も2楷で着替えを始めたときからくっついていて、居間に降りてくると「早く、早く」とせき立てるのである。無視しようものならジャンプして4本足の跳び蹴りをくらう(この跳び蹴りは私にだけで、他の人には絶対やらない)。 次にやるのもお決まりで、玄関の三和土にさっさと降りてしまう。イオなりの実力行使らしい。そこで「ワォワオ」騒ぎ立てるのだ。 左 : 「さぁ、出発進行!」 (2012/8/14 11:23) 右 : 「……………」 (2012/8/14 11:30) 助手席はイオの指定席になっていて、専用のシートが張られたままになっている。そこに座ればもう安心、あわてず騒がずどっしりと落ち着く。写真を撮るとき、何回か名前を呼んだが見向きもしないで前方注視である。 車が動き出すと、途端に眠気が……。車が動き出してまだ5分くらい、後部座席の妻が、「もうウトウトしてる」という。向こう向きで運転席からは見えないが、いつものことで、妻とそっくりなのである。 出発して15分ほどで東北自動車道に乗る。高速道でカメラをいじれないので証拠写真は撮れなかったが、30分も経つとすっかり横になって熟睡モードである。 左 : 「なに、なに、早く!」 (2012/8/14 12:23) 右 : 「遅いなぁ、おかぁちゃん」 (2012/8/14 12:50) 高速を降りるETC専用ゲートがあるサービスエリアで昼食だが、さすがにお盆休みらしく駐車待ちの車が並んでいる。そのまま、高速を出て、一般道沿いの駐車場に駐めて、歩いてSAに入る。 帰省客で満杯のSAには、犬連れもまたたくさんいる。イオ連れの私たちは、初めからレストランはあきらめて、公園の藤棚の下のベンチに陣取り、まず私が少しの食料を仕入れてくる。それを食べ終えてから、妻が不足分、付け足しを買ってくる、ということにした。イオが心待ちに待っているが、残念ながら昼食はない。焼きそばに入っていた肉一切れだけの分配でおしまい。味付けが濃くてまずかったのか、2切れ目の催促はない。 食い物に執着しないという点が、この犬の欠点でもあり、長所でもある。仔犬の頃は、心配するほど食が細くて困った。それがずっと続いていて、こちらが気を遣わずにおやつをやっても、肥満の心配のない犬である。 「鼻パク」という芸がある。鼻の上におやつを載せて、それをふり落とす瞬間に口でパクッと咥えるという芸である。それをやらせようとしたら、1発目で機嫌を損ねてしまって、「そんなことまでしておやつなんか食いたくない」と言わんばかりの態度で逃亡してしまった。おやつで騙すのがむずかしいのだ。 左 : 「いい風!」 (2012/8/14 13:03) 右 : 「あれは何だ?」 (2012/8/14 13:08) 高速を出るとのんびりと田舎道である。窓を全開、風をビュンビュン受けて楽しむのもいつものパターン。山道などに入れば、野生が復活するのか、窓枠に手を掛けて乗り出すほどの興奮である(ベルトの長さ調整が大事)。 左 : 「ここだよ!」 (2012/8/14 13:56) 右 : 「間違えちゃった」 (2012/8/14 14:02) 涼しい内に墓参をすませたのだろうか、墓地にはほとんど人がいない。リードを放したら、さっさと行って「ここだよ」という顔で待っている。残念ながら、1列後ろの墓を間違えている。何度も来てはいるが、間違えた理由が分からない。自信満々で私たちを待っている根拠は何だったんだろう。 ここの墓には、祖母、両親、次兄夫婦が眠っている。私たちの家族は、長男、次男、長女が生まれた後、この小さな町にやって来て住み着いたのである。6人兄弟の長男と次男がこの町に残り、残りは町を出た。その長男と次男は、もういない。 「このお墓は始めて(少し緊張)」 (2012/8/14 14:52) 次兄が家を継いで、長兄は同じ町内の旧家の婿養子になった。次は、その長兄の墓である。同じ町内でもずっと離れた集落で、広い青田の中の道を行くと、数本の大きなケヤキの屋敷木が遠くから見える。そのすぐ近くに寺と墓地がある。 義姉への挨拶もそこそこに墓に向かう。イオは初めてである。きょうの予定はここでおわり。風邪をひいていて、熱がぶり返してきた私は、ただひたすら早く帰りたいのであった。
2012.08.14
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注文していたハーネスが届いた。愛犬家のブログで紹介されていたものだ。散歩用とドライブ用シートベルトを兼ねている。さっそく試着してポーズ。お気に入りのようで、カメラを向けたときのお決まりのポーズをとっているが、もちろん何の目的で装着しているかは、今は理解していない。 新しいハーネスでポーズ。 (2012/8/11 11:30) 「はい、イオは留守番だよ」と言われてショボンとしている。これで、「このハーネスを着けたら留守番」などと記憶したら困るが、一回で覚えるほど賢くはない。いや、そんことをグダグダ言って遊んではいられない。申し訳ないが、時間がない。仙台市役所前、正午集合なのである。 今週は、金曜デモはお休みで、「原発問題住民運動宮城県連絡センター」と「東日本大震災復旧・復興支援みやぎ県民センター」共催のデモである。 仙台市役所前広場、およそ150人。 (2012/8/11 12:07) 市役所前広場には、希望的目算で200人くらい(あとの主催者発表では150人)集まっていた。私が着いたときには、すでに主催者挨拶が始まっていた。話の趣旨は、女川原発再稼働阻止のための反対署名を集めているのでご協力を、ということだった。また、涌谷町での脱原発の取り組みの紹介スピーチなどもあった。 パフォーマンス部門(?)とミュージック部門(?)。 (2012/8/11 12:06 & 18) 市役所前広場から一番町へ。 (2012/8/11 12:13) 主催者挨拶とスピーチはすぐに終わって、さっそくデモに出発である。先週の金曜デモに比べると、やや静かに進んで行く。たまたま私の周囲はおとなしい人たちだったのかもしれないが、たぶん、ハンドマイクの数が少ないためだろう。静かなデモも悪くはない。 あっという間に肴町公園に着いてしまった。そこで参加者の「一分間スピーチ」が始まる。京都から参加した仙台出身の人、園庭の土を入れ替えた話をした幼稚園の園長先生、ACTAの危険を訴えた若い人、などなど。 肴町公園に到着。 (2012/8/11 12:31) ACTAはAnti-Counterfeiting Trade Agreementの訳で、偽造品の取引の防止に関する協定とか模倣品・海賊版拡散防止条約と呼ばれていて、その言い出しっぺは日本、自民党・小泉内閣である。 最大の問題点は、表現の自由や通信の秘密を脅かす可能性が非常に高いというところにある。つまり、フェースブックを最大に活用した「アラブの春」のような運動は政権側に容易にその通信手段を奪われる可能性が出てきた、ということである。もちろん、twitterに連絡手段の多くを依存している現在の脱原発運動を妨害することも容易にできる、ということだ。 ヨーロッパでは激しい反対運動が起こり、欧州議会は条約批准を否決した。ところが、日本ではこそこそと話が進められ、この8月3日に参議院で条約締結が賛成多数で承認されてしまった(衆議院はまだだが)。 「脱原発運動はシングル・イッシュウで」ということが、デモ(集会)参加者の共通理解になっていると思うが、現実的にはACTA問題のようなことが次々に起こってくる。 論理的には、脱原発運動を維持し、成功させるためには反ACTA運動も必要である。だからといって戦線を拡大することは「シングル・イッシュウ原則」を壊してしまう。たぶん、原則的な方法論上の答えはないだろう、と思う。完全な包摂でもなく、完全な排除でもない妙手はないものだろうか。結局、リーダーの皆さんの柔軟な対応力に頼るしかないのかもしれない。 さて、来週はふたたび金曜デモである。
2012.08.11
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デモも集会も散歩(街歩き)である、と言い募ってきたけれど、今日は新たな使命を受けた。やんごとなきあたりから「胡瓜がなくなった」 とのご宣告である。つまり、デモ+散歩+お使い、である(私の中には「お使い」のカテゴリーはないというのに)。 7月20日は脱原発みやぎ金曜デモ、7月27日は「原発やんだっちゃ!金曜日の会」という勾当台公園の集会、そして今日はふたたび脱原発みやぎ金曜デモで、元鍛冶丁公園集合である。 時間通りに会場に到着、公園の入口付近に20才前後の男女が30人ほど集まっていて、今日はすごいことになりそうなどと思っていたら、何のことはない、国分町へ繰り出す前の集合場所が元鍛冶丁公園だったということらしい。 元鍛治丁公園に集まり始めた人々。 (2012/8/3 18:15) 何となく人が少ないような印象だったが、今日はデモ出発直前にやってくる人が多かった。仕事を持っていて、しかもバッグに胡瓜やナスを入れての参加という人も多いだろうから、自然とそういうことになるだろう。デモ出発時には、350人ほどになっていたという。100人ほど増えている。「初めての人っ?」という声にわっと手が上がって、次回以降にどれだけ増えるのか、楽しみになる。 今日は、大間原発に反対している青森からの参加者のスピーチ、パントマイムでのスピーチ(?)などがあった。それに、前回のデモの際の「東北電力」の対応の報告があったが、「東北電力」的観察力によれば、どうも私たちはテロリスト同然の人間らしいのだ。まぁ、見るべきものが見えないからこそ原発に固執しているのだろうけれども。 パントマイムでスピーチをした二人。 (2012/8/3 18:39) ネットを眺めていると、「反原発」と「脱原発」の違いを気にする人がいて、「脱原発」はダメだと主張したりしている。原理主義的な主張というのは必ずどこでも顔を出し、しかも議論には強い。すべての条件を無視して原理だけを主張すればいいので負けないのである。「ラディカリズム」に主導されて、何十人もの犠牲者を出しながら自滅していった左翼運動を、40年ほど前に見ていた私は、本質主義の意匠を装った原理主義が嫌いである。 「反原発」と「脱原発」の概念の差違の吟味に意味がないとは主張しないが、「原発はやめよう」くらいのゆるい同意で集まることだってきわめて重要な意味がある、と私は思う。 東京では、政治家とデモ側(主催者)との会談が持たれたり、野田首相もデモ側の人たちと会うとか会わないとか言われているらしい。そうなるとまた、彼らはわれわれを代表していないだとか、会談ではなく交渉をやれだとか、いっそうかまびすしくなっているようだが、何とか乗り越えてほしいと思う。 というより、政治家のパフォーマンスに一喜一憂するなんて馬鹿げている。淡々とデモを続ける方がよっぽど力になる場合もある、と思う。 繁華街・一番町を行くデモ。 (2012/7/20 18:53) 今日のデモはちょっと疲れた。私の前方のスピーカーと後方のスピーカーのシュプレッヒコールが違って、どうしていいか分からない時間が続いた。ちょうど私のあたりで出会う音はただの立派な雑音になってしまって、聞き取ろうと集中していたら頭痛が始まったのである。 むかし、学生たちと大きな居酒屋で飲んでいるとき、雑音の中から学生の声を聞き取ろうとしていると、よく頭痛がした。いや、もっとずっと昔、私が学生だった頃、パチンコをしたことがあったが、パチンコ屋の雑音に負けて最後は頭痛で終わって、それ以来40年以上パチンコ屋に入ったことはない。雑音に弱いのである。 解決策は簡単、デモの最前方または最後方を歩けばよいのである(性向としては最後方だろうけれど)。 さて来週の金曜デモはお休み、11日(土)12:00から仙台市役所前広場に集合、12:15のデモ出発ということらしい。
2012.08.03
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